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この本はタチヨミ版です。
プロローグ
第1章 放っとけない親友
第2章 かわいくない後輩
第3章 あらたな関係
あとがき
クリーム色のコンクリートでできた、大きな山の滑り台。階段がある場所以外どこからでも滑り降りることができるこの山は、いつもいっぱいの子どもたちで溢れかえる人気の遊び場だった。
「なぁ、おまえ。前もいたよな?!」
そんな山の頂上から、近くにあるベンチに向かって大声を上げる。
五時のチャイムが鳴った後だから、他に子どもたちの姿はない。赤い夕陽はとっくに沈み、団地に挟まれた小さい空は濃い青一色になっていた。
こんな時間に公園に来るやつなんてほとんどいない。だからこそ、見慣れない姿があれば記憶にも残る。
「おまえもこの山好きなの? 特別に一緒に登るの許してやるぜ!」
チャイムが鳴ってからは、この人気の山は俺ひとりの物だった。昼間は大量の子どもたちであふれているので、頂上に居続けることが難しい。三人も登ればいっぱいになってしまうお山の頂上は、この時間じゃなければゆっくり楽しむことができなかった。
暗くてよく見えないが、ベンチにポツンと座っている奴は俺とほとんど変わらないくらいの年だ。中学生だったら制服を着てるだろうし。きっと俺と同じように、家を抜け出してこの山に遊びに来たに違いない。母親が妹の病院に付き添っている間だけ。バレたら怒られること間違い無しの、秘密の時間だ。
「……、……ぃ」
「え、なんだって?!」
耳を澄ませても聞こえないくらいの声でぼそりと言う。俺は頂上から一息に山を滑り降りて、彼の近くへと駆け寄った。
「なんて言ったの?」
「公園に遊びに来たんじゃない」
下を向いたままぼそぼそとしゃべる。前髪が長いせいで顔を見ることができなかった。見たことない奴だ。うちの学校じゃないかもしれない。
「じゃあ、なにしに来たんだよ?」
問いかけると、またぼそぼそと答える。聞こえねぇって、もう一回! と彼と顔がくっつきそうなほど近づいて、なんて言っているかを聞き取った。
「家に帰ると、やりたくもない習い事をさせられるから。新しいお父さんやお兄さんなんて欲しくないのに……」
どうやら、家にいたくないから公園に来たらしい。せっかく誰もいなくて遊び放題の時間だというのに。ベンチでじっとしているなんて、もったいない。
「ぼーっと座ってるだけなんてつまんねーじゃん! 一緒にお山登って遊ぼうぜ」
「滑り台、嫌いなんだ」
「うそ、もったいねぇ。すっげー眺めいいんだぞ」
俺の言葉に、「怖いじゃん」と小さな声で答える。下を向いたままで、俺の顔を見ようともしなかった。
「一度試しで登ってみろよ。気持ちいいから! な?」
手を引っ張るが、足を踏ん張って抵抗する。けれど俺は小さいころから空手を習っていることもあって、体力には自信があった。ずりずりと力任せにお山へと引っ張っていく。
「降りんの怖いなら一緒に滑ってやるよ」
「そんなこと言って、僕を突き落とすんでしょ」
「しないって」
お山が怖いだなんてもったいない。確かに他の滑り台より高さがあるから怖いとは思うが、その分上から眺める景色は格別なのだ。幼稚園児だって登って楽しんでいるんだから、コイツだって慣れれば楽しめるに違いない。
「都合のいいこと言っても、必ず裏切るんだ」
「絶対に裏切らない! 信用できないんだったら約束!」
引っ張るのを止めて、ん、と右手の小指を差し出す。指きりげんまん。ここまですれば彼も俺のことを信じてくれるだろう。
なんとしてでもコイツにお山を好きになってもらいたかった。俺が愛するお山を嫌いだなんて言う奴がいるのは許せなかったから。
長い前髪の隙間から俺をじぃっと見つめた後、しぶしぶと小指を絡めてくれる。俺はもう一度「約束したから大丈夫だからな!」と声をかけて、彼をお山へと連れて行った。
お山の裏側には、鉄の取っ手が互い違いに埋め込まれただけの簡単な階段があった。彼を先に行かせると、おそるおそる取っ手に足をかけていく。俺なんかは手を使わず二本足で駆け上がったりもするが、やっぱり怖いのか。慎重にひとつひとつ四つん這いになりながらつかんで上がっていった。他の子どもたちの倍の時間をかけて、なんとか登り切る。
頂上へ着くと、すぐに彼の手を取って握ってあげた。柵もなにもないから間違って落ちないように。安全なお山の真ん中に誘導した後、空いている手で暗い闇の中を指さす。
「ほら、景色いいだろ。なんか無人島っぽくない?」
薄暗い街灯が山の一部だけを照らしていて、地面がはっきりと見えなくなっていた。遠くのほうに置かれている街灯が他の遊具を照らし、離れ小島のように見えて。暗い地面がどこまでも続く海を思わせる。
「あの小さな滑り台とブランコが他の島な。シーソーは魚を取る船で、タイヤは魚たちの隠れ家なんだ」
自分の中で決めていた設定を彼に教えてあげる。いるはずもない魚が地面の海を跳ねた気がした。
「あのパンダとゾウは?」
指をさした先には、動物の形をしたスプリングの乗り物があった。
「あいつらは溺れないよう、必死で海泳いでんの。あとで乗りに行こうぜ」
「そんなことしたら余計溺れちゃうよ」
くすくすと笑っていることがつないだ手を通して伝わってくる。最初は緊張のためか強く握られていた手が、いまでは普通の力で握られていた。彼が笑ってくれたことに気分がよくなる。
「よし、降りるぞ。ここ座って」
俺の言葉を受け、のろのろと渋るかのようにゆっくり座り込んだ。まだちょっと恐怖が残ってるみたいだな。俺は彼を突き飛ばさないよう慎重に後ろに回り込み、背中から彼に抱き着く。
「えっ、なに」
「これで怖くないだろ? 行くぜー、大丈夫だからなー」
妹と一緒に遊ぶときもこうして背中から抱きかかえて滑っている。身長が変わらないため前が見えづらかったので、仕方なしに彼の肩に顎を乗せてから、ずりずりとケツで歩くようにして前に進んだ。彼の体が落ち始めれば、それにしがみついて一緒に滑り落ちていく。
「……っ!」
少し息を飲む気配がしたが、悲鳴を上げるまではいかなかった。スピードが出過ぎないよう靴の裏で速度を調整して、あっという間に大きなお山を滑り切る。
「なー、怖くないだろ? こーゆーのは慣れと、思い切りが大事だからな!」
妹だって最初は怖がっていたが、慣れてしまえば一緒に滑ろうとせがむほど好きになるのだ。肩をたたいて立ち上がると、手を差し出して座ったままの彼を引っ張り上げた。
「ちょっと怖かったよ。……でも、本当に裏切らなかったんだね」
「最初に言ったじゃん。絶対に裏切らないって! 友達を裏切るのは、やっちゃいけないことだからな!」
もう一回滑りたいなら付き合うぞと笑顔を向ければ、彼は長い前髪の隙間からまっすぐに俺の顔を見つめてきた。
「……友達なの? 僕ら」
「一緒に遊んだら友達だろ?」
友達は大事にしなきゃいけないんだぜー、と親戚のおじさんに言われたことを繰り返していると、彼は薄暗い明かりの中でも分かるくらいに目を大きくして言った。
「これからもずっと? 僕を見捨てたりしない?」
「うん。ずっと! 指きりしたじゃん」
心配ならもう一度指切りしとくか? と小指を差し出すと、すぐに指を絡めてきた。きゅ、と力強く結んで小唄とともにぶんぶんと上下に振る。
「約束だよ。僕を裏切らないでね」
にっこり笑った彼は妹みたいに怖がりで、かわいくて。俺が守ってやんなきゃな、なんて庇護欲を駆り立てたりしたのだけれど。
それがどうして、こんなにでかくなった。
「どうしたの、トモ」
頭上はるか高くから、おだやかで優しい声が俺の様子を尋ねてくる。わざわざ見上げるのも癪なので、俺はいつも通り「べっつにー」と牧ちゃんのほうを見もせずに答えた。腕の中でずっしりと筋肉に負荷を与える紙袋を抱え直す。
背も俺と変わらず、怖がりだったはずの牧ちゃんは、いまや学年で一番モテるのは誰だと聞いたときに名前が挙がるほどのイケメンに育っていた。高い身長、おだやかな性格、目鼻立ちの整った顔。バレンタインなど、年々もらう量が増えている。かっこいいのに優しくて愛想がいいから、女子からしても渡しやすいのだろう。僻みはしないが、少しだけ面白くない。
「それにしてもすごい荷物だね。それ持ったまま購買に行くの?」
午前の授業が終わり、昼休み。ぞろぞろと食堂や購買部がある特別棟に向かって人の波が生まれる。その流れに沿いながら、俺は紙袋からはみ出んばかりに詰められた応援旗を抱えて牧ちゃんの隣を歩いていた。
「家庭科室寄ってから購買行く。先行ってていーよ」
「いつものお弁当でしょ。一緒に買っておこうか?」
「頼んでいい?」
そこで初めて彼の顔を見上げると、「もちろん」といまにもとろけそうな笑顔で返してくれた。あーあ、こーゆー顔が人気の秘密なんだろうな。誰にでも優しい牧ちゃんは、いつもニコニコとおだやかな笑みを浮かべている。俺だけに向けられるものじゃないと分かっていても、うれしくなってしまうような笑顔だ。この顔を見るとホッとするので、牧ちゃんと同じクラスの奴がうらやましい。
「重そうだけど、なにが入ってるの?」
俺が抱えている紙袋をのぞきながら問いかける。男にしては長めの髪が、顔を傾けたことによってサラサラと流れた。
「応援旗。ボロボロになってたの、家庭科部の奴らが縫ってくれることになったんだ」
高校名が入った、大会のときなどに観客席から下げる応援旗。代々引き継いで使っているせいでボロボロだったが、ミシンで縫えばまだ使えると先生が家庭科部に交渉したのだ。取りに来てもらうのも悪いから家庭科室に送り届けろと、さっきの体育授業の終わりに顧問の先生に押し付けられた。かさばるし邪魔だから購買行くついでにさっさと届けてしまおうと思ったが……先に飯を確保してからにすればよかったな。
「大会近いの?」
「ああ。来月の第三日曜日……今度こそ応援に来いよ」
「どうかなぁ、書道部も展覧会が近いから。行けたらね」
にへら、と明言しないままはぐらかす。牧ちゃんの笑顔は好きだが、こういうときの顔は好きになれずに俺は小さく舌打ちした。何度も空手の大会に誘っているのに、一度も応援に来たことがない。
争い事を嫌う牧ちゃんは、俺が空手をしていることを快くは思っていないみたいだ。試合の応援に来ないのはもちろん、俺が尊敬する選手の話を始めると必ず別の話題にそらされる。何度かそれで言い合いをしたこともあるが、いつものらりくらりとかわされて。
自分が好きになったものは、友達にも好きになってもらいたいのに。特に牧ちゃんは小学生時代からの親友なので、自分が打ち込んでいるものを理解して欲しかった。ルックスも頭もいい牧ちゃんに対して、唯一俺が勝っている部分だというのに。
自分で言うのもなんだが、空手をやっている俺はソコソコかっこいいと思うのだ。たまには俺だってかっこいいところを牧ちゃんに見せたいと思っているのに、うまくいかない。
恨みがましく顔を見上げると、俺なんか眼中にないとでもいうかのようにあいさつをしてきた女の子に気安く手を振り返す。いまは俺と話してるんだから俺に集中しろっての。自分ばっかり彼を重要視しているようで面白くない。
「牧原先輩、ちょっといいですか」
ぐちぐちぐるぐると回る思考をもてあましていると、見たことのない女子が声をかけてきた。上履きの色からすると一年生か。
「うん、いいよ」
突然の呼びかけにも関わらず、あっさりとふたつ返事で笑顔を返す。ほんっと、牧ちゃんって誰にでも優しいんだからなぁ……って、ちょっと待てよ。
「ちょ、牧ちゃん! 俺の弁当は?!」
慌てて問いかけると、女の子の後を追いながら上半身だけ軽く振り返り、手をひらひらと振った。
「ごめんね、トモ。あとで行ってみて、残ってたら買っておくから」
いつも腹空かしの男子高校生でごった返す購買だ。俺が好んでいる弁当は、販売開始から十五分後には跡形もなく売り切れている。残っているわけがない。
パンは毎回残るから、昼飯がないという最悪の事態は免れることができるとは思うが。一度期待してしまった分、弁当への未練が募る。自分だって買いたいものがあるだろうに、知らない女の子を優先させるなんて。お人よしにもほどがあるんじゃね?
タチヨミ版はここまでとなります。
2017年7月15日 発行 第3版
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