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教えて、もっと

沢村秀

共幻あかつき文庫



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  この本はタチヨミ版です。

目次


 第1章 問題児との再会

 第2章 教えてあげる

 第3章 自覚した想い

 第4章 家庭教師という仕事

 第5章 いい子へのご褒美

 第6章 これからも

 あとがき

 沢村秀の作品

 第1章 問題児との再会


 広い庭に立派な門。樹齢何十年か分からない巨大な松の下で、ひとつ息を吸い込んでから小さなボタンを指で押し込む。門構えに似合わぬ近代的なチャイムのあとに、「ハイ?」と不機嫌そうな男の声がスピーカーから聞こえてきた。
「すみません、今日かられんさんの家庭教師で来ました、佐伯さえき雅紀まさきと申します」
 ほんの少し緊張しながら話せば、「もう一度お名前を伺ってもよろしいですか?」と問い返される。
「佐伯、雅紀です。先日ご連絡を差し上げたのですが……」
 すべてを言い終わる前にぶつりとインターフォンが切られた。その乱暴な対応にムッとしていると、ガチャガチャとドアの開く音が聞こえる。続いて足音。せわしない音が近づき、目の前でピタリとやむと、木でできた昔ながらの門が軋んだ悲鳴を上げながら開かれた。
「雅紀兄ちゃん……」
 その呼び方に、記憶から消えかけていたかわいい弟分を思い出す。そういえばひとりだけ、手のかからないおとなしいガキんちょがいたっけ。それがなかなかどうして。歳月というものは人の性格を容赦なく変えてしまうものだ。
「よぉ、蓮。久しぶり」
 気さくに返した俺のあいさつに。
 意外にも目の前の問題児は、人懐っこそうな顔でにっこりと微笑んでみせた。


***


 『家庭教師募集!』という張り紙を見つけたのは、大学を卒業した先輩の、見るも無残な愚痴飲みに付き合った帰りでのことだった。
「おまえら、就職活動は二年のときから始まっているんだぞ。自己アピールに使えそうなバイトは片っ端からやっていけよ」
 眼の下にできた深い隈を擦りながら、毎日お世話になっているという酒をぐいとあおる。
 成績が良くてもリーダー性をアピールできるものがないと、この就職氷河期を乗り切るのは厳しいらしい。希望した会社に採用されず、妥協先でこき使われている先輩の助言は、就職活動は来年から始めるものだと思い込んでいた俺ら二年生を動揺させた。
 サークル内でも人望があり、成績優秀だった憧れの先輩。そんな人がやつれた顔でくれたアドバイスなのだ。俺ら後輩は誰ひとりとして、酒を飲んでも酔うことができなかった。
 ――先輩の二の舞にならないために、なにか自己アピールにつながるバイトをしなくては。
 そんなときに目に飛び込んできた、家庭教師募集の張り紙。本来は町内報などしか貼られない掲示板にあったので、変に目立っていた。
 家庭教師ならば人に教え、導く分、リーダー性を評価されやすいだろう。家からも近く、時給もいい。教えるのは高校一年生ということで、受験を控えたプレッシャーも感じずに済みそうだ。
 ある種の天啓のようにも感じて、その場で携帯に番号を登録し、翌朝すぐに電話をかけた。俺のその予感を後押しするかのように、とんとん拍子で話が決まっていった。

「雅紀にぃ……佐伯さん。こちらへどうぞ」
 ぼんやりとしていた俺を、なにやら落ち着かない様子で蓮が案内してくれる。懐かしい愛称を呼んだかと思ったら、しまったという顔をして慌てて言い換えた。意外とおっちょこちょいなのか、なんてことない段差にもつまずき、小さな悲鳴を上げる。こんな姿を見ていると、後輩から聞いた悪いうわさはなにかの間違いじゃないかと思ってしまうんだけどな。
 一条いちじょうれん。電話相手である母親から名前を聞いて、そのとき初めて、子どものころ一緒に遊んでいた近所の子だということに気がついた。小学校からの後輩にその話を振ってみると、俺の記憶が間違っていないことと、蓮に関しての悪いうわさを聞かされる。
『アイツ、気難しい奴だって有名で。家庭教師も一カ月くらいでどんどんクビにしてるらしいよ。人を使い捨ての道具だと思ってるんじゃないの?』
 近くに大きな公園があったことから、いつも大人数で遊んでいたので蓮の顔が思い出せない。なおも問いかけると、後輩は不機嫌そうに口調を早めながらいろいろと教えてくれた。
『小さいころ一緒に遊んでてケガしたら、親がすごい勢いで怒鳴り込んで来てさ。俺のほうがケガが酷かったのに。それ以来、近所だけど話しかけたこともないよ』
 金持ちを笠に着た高慢ちき。嫌な思いをする前に家庭教師なんてやめたほうがいいんじゃないの? と心配をされる。そのほかの子にも話を聞いたが、貸した漫画を破られただとか、ゲーム機を壊された上に金を押し付けて縁を切られただとか、悪いうわさが絶えなかった。
 進言通りやめようかとも思ったが、電話越しとはいえもう契約は成立してしまっている。こちらの名前と連絡先を伝えてしまっていることだし、今更バックレるわけにはいかなかった。

 足元に気をつけてください、と注意を促しながら広い庭を案内される。代々地主としてこの地を管理しているだけあって、門の奥には立派な日本庭園が広がっていた。
「敬語じゃなくていいよ。ガキのころ一緒に遊んだこともあるんだし、気楽にいこーぜ?」
 少しでも距離を縮めようと、率先して話しかけてみる。しかし彼はこちらを振り返りもせず、眼鏡を指で押し上げながら冷たく答えてきた。
「そうはいきません。仕事として来ていただいているのですし……ケジメはきちんとつけないと」
 その他人行儀な態度に、俺も肩をすくめながらそっけなく返す。
「なら俺も雇われてる身ですから、敬語とか使ったほうがいいですかね?」
「いえっ、まさ……佐伯さんはそのままで。先生なのですから、生徒には敬語を使わないでください」
 一瞬だけ振り返ったものの、またぷいっと前を見て歩く。休日だというのにシャツをきっちりと着込み、堅そうな印象の銀縁眼鏡をかけていた。年頃なら髪形だって遊びたいだろうに、色を抜いたりもせず短く整えている。典型的なマジメくんの格好だ。身長も高く、顔だちも整っているから、愛想さえよければさぞかしモテるだろうに。
 先ほどの話からすると、昔を懐かしんで俺と仲良くなる気はないらしい。先生と生徒。彼が望んでいるのはあくまで『家庭教師』という道具のようだ。また気に食わなければいままで通り、あっさりとクビにするのだろう。
 だが、それは俺にとって好都合だった。『家庭教師のバイトをした』という実績が欲しいだけで、ずっと続けていきたいとは思っていない。短期で終われば他の経歴を手に入れることができる。向こうから契約を切ってくれる分には大歓迎だ。
「すっげ……家ふたつもあんのかよ」
 広大な敷地の奥へ進むと、三階建ての立派な建物とは別に、昔ながらの木造平屋が見えてきた。
「こちらはもともと祖母の家で。母が同居を拒んだため、隣に離れとして建て直したんです。病気で亡くなってからは、僕が勉強部屋として使わせてもらっています」
 返答に困る話をさらりと告げる。俺は気の利いたことも言えずに、建て直したわりには古びている家へ足を踏み入れた。
 電気はついているが薄暗い。日当たりが良くないのだろう。隣に建っている家は近代的でモデルハウスのようにきれいなのに。今昔を見比べるかのように粗末な家は、廊下の端々に細かな埃が降り積もっていた。
「こちらがトイレで、勉強部屋は……ここになります。待っていてください、いま飲み物を用意しますから」
 案内され、六畳ほどの和室へと通される。中央に小さなちゃぶ台があり、その上に参考書などが乱雑に積み上げられていた。着ていたコートを脱ぎ、勝手に脇へと置かせてもらう。襖を隔てて、もう一部屋和室があるらしい。中途半端に開いていた襖の奥をのぞきこむと、部屋の隅に仏壇が置かれていた。きっとここに住んでいた祖父母のものだろう。勝手にうろつくのは失礼だと思いつつも、隣の部屋へと足を踏み入れる。
 隣接した古い食器棚には埃が積もっているのに、この仏壇だけはきれいだ。線香の燃え残りもあることから、きちんと毎日手入れをして、拝まれているのだろう。
 位牌の手前に立てかけられた写真に目をやる。優しそうなおじいさんとおばあさん。評判の悪い孫息子のことをどんな目で見守っているのだろうか。
「お待たせしました……どうかしましたか?」
 お盆に麦茶らしきものを乗せ、部屋に戻ってくる。それに答えないまま、俺は線香をあげてもいいかと蓮に問い返した。どうぞ、という快い許可をもらい、マッチを使ってろうそくに火を灯す。
「僕しか線香をあげていないので、きっと祖父も祖母も喜んでいると思います」
「え、ご両親は?」
「父はめったに家に帰ってきませんし、母はこの家自体を古臭いと嫌っているので。近づくことすらありません」
 こころなしか寂しそうに答える。どうやら複雑な家庭事情らしい。深く突っ込む気もないので、俺は炎を手で扇いで消すと、すぐにちゃぶ台へと向きなおった。
 いま習っている範囲と進みかたを聞いて、次回の期末テストの範囲を予想する。前回の中間テストを見せてもらったが、これは真面目そうな外見に反して、なかなかに教えがいがありそうだ。見た目だけなら成績上位者に食い込んでいそうなのに、実際は平均に達しているかも危うい。
「ここら辺の問題全滅してるな……基本の公式ちゃんと理解してるか? こことか、公式に当てはめればすぐに解けるはずなんだけど」
「覚えています。確か sin a cos b + cos a sin b ……」
「それは sin のほうな。これは cos a cos b - sin a sin b のほう」
 数学二なんて確か高校二年生で習う範囲だったが、進学校は受験対策に向けて授業の進みが早いらしい。詰め込み教育はひとつでも理解が遅れると一気に置いてけぼりになる。案の定覚えることが多く、暗記に手間取っているようだった。勉強しようという姿勢は見えるので、時間をかけて覚えていけばなんとかなるだろう。
「語呂合わせで強引に覚えるしかねぇな。……俺が使ってたのは下ネタ過ぎるから言えないけれど。有名どころじゃ『咲いたコスモス、コスモス咲いた』か」
 そんなふうに記憶を引っ張り出しながら教えていると、突然アラーム音が部屋に鳴り響いた。なんだ、と辺りを見回すと、一言謝って蓮が携帯を手に取る。
「電話か?」
「いえ、大丈夫です。勉強を続けましょう」
 そう言って再び机に向かうが、明らかにそわそわと落ち着かない様子だ。ただでさえ初日で集中しにくいってのに、これじゃあやるだけ時間の無駄だっての。
「なんか用があるならそっち優先させろよ。別に九十分ギッチリ勉強しなくてもいいんだし……初日だし、今日はもうおしまいにしようか?」
「あ、いえ、できるならもっと教えていただきたいのですが……すみません。五分だけ携帯をいじってもいいですか?」
 始めてから三十分は経っているし、休憩も取らなくてはいけない。いいぜ、と許可すると、いそいそとうれしそうに携帯を操作し始めた。なんだ? 彼女へメールでもしてんのか?
 用意してもらった麦茶を飲みつつ教科書を確認していると、ほのぼのとした音楽とともになにやら形容しがたい奇妙な鳴き声が聞こえてきた。慌ててマナーモードに切り替えたみたいだが……アプリゲームか?
「なにやってんだ?」
 好奇心からのぞきこむと、えっと、その……と慌てながらも画面を見せてくれる。牧場のような画面に、見たことのない姿をした動物らしきものがうろうろとうごめいていた。
「すっ、すみません。ゲームなんて、勉強の邪魔ですよね。すぐ消します」
「べつに、いまは休憩中だから好きにしていいよ。音も出して構わないし」
 一応時間で金をもらっている身なので、終わり時間は指定させてもらうが。寝不足になるまでやりこまなければ、気分転換としてもゲームは有効だろう。



  タチヨミ版はここまでとなります。


教えて、もっと

2017年7月21日 発行 第2版

著  者:沢村秀
イラスト:国原
編  集:高波一乱
発  行:共幻あかつき文庫

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沢村秀(さわむらしゅう)

猫とBLをこよなく愛す腐女子。多趣味で、面白そうなことを見つけてはすぐに手を出し、時間に追われている。宝くじが当たったらタイムリープできる魔法の薬開発費に当てたい。埼玉県出身。6月18日生まれ双子座O型。器用貧乏卒業に向けて日々精進中。
Twitter: @lemon_time

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