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この本はタチヨミ版です。
とろりと重たくなったまぶたを、夜風がやさしく撫でた。うっすらと目を開けると星の瞬きがコルネリアに眠ってはいけないと囁きかける。
歓楽のエウプロミア神殿。その窓から見える暗い丘は、陽が当たる時間は柔らかな萌黄色。あたたかく、心地の良い風が吹く季節の始まりだった。
小さな子供の頃、この季節には何かとても楽しいことがあって、心がいつも躍っていたような気がする。しかしどのような楽しみがあったのかコルネリアは思い出せない。
――私の心はすっかり錆びついて、枯れてしまっている。
窓際の卓に置かれた杯を満たしている聖水をこくりと飲んでから、はぁ、と長いため息をつく。
ため息が漏れた柔らかい唇はみずみずしい淡い紅に色づいている。伏した目元の睫毛は長く、バラ色の頬に陰を作るほどである。艶やかな髪が月明かりに輝き、その美しさは美の女神と並ぶと世界を巡る吟遊詩人たちに詠われている。
だが愁いを帯びた瞳はきらめきを忘れたように、暗い丘を見つめるだけだった。
再びため息をついた時、世話役の巫女が部屋に入ってきた。
「コルネリア様、神事の用意が調いました」
「……」
浮かない顔をしてコルネリアは立ち上がり、巫女に背を向けた。
巫女は柔らかいが厚みのある布でコルネリアに目隠しをする。くっと、頭の後ろで布が引き絞られて、コルネリアの世界は夜よりも暗い闇となる。
手を引かれ立ち上がり、コルネリアは女神としての仕事に向かった。
回廊の松明はいつもよりもずっと少ない。エウプロミア神殿の深部はただでさえ複雑に入り組んでいる。明かりの少ない今夜は特に、道順を知った者でなければ歩き回ることはできない。
コルネリアが目隠しされずにこの道順を歩いたのは一度きり。数年前、体が初花を迎えた時、この回廊を歩きながら、「神事」の様々な掟を教え込まれた。掟は覚えているが、道順はとうに忘れてしまった。
巫女が密やかに話す。
「今日の『授かりし者』はここ神殿都市トリュオスに来たばかりの司祭です。高貴な血筋のお方だそうですよ。お若いのですが特別に神官長様がコルネリア様にお引き合わせをと」
多くの掟でコルネリアを縛りながら伝えたいことだけは伝えてくる神官長のやり方が、コルネリアは好きではない。
ふわりとあくびをして、気だるそうに答えた。
「……要するに私を、若いけど高貴な血筋にあてがったのでしょう」
「そのようなおっしゃり方、いけません。お気をつけ下さい」
「大丈夫よ、この後はどうせ口をきかないのだもの」
「コルネリア様はエウプロミアの最上位神なのですよ、もう少し自覚なさって下さい」
コルネリアは四歳の時、生き女神としてこの歓楽の神殿、エウプロミアに祭られた。
生き女神として祭られるには、細かい条件がいくつもある。
生まれた時と場所、風向きや気候、星との関係、両親の出自……。条件の全てがぴたりと合ったコルネリアは、生き女神の頂点、最上位神に選ばれた。
その時のことはあまりよく、覚えていない。ただ、やさしくしてくれた人が自分を抱きしめて涙に暮れていたのだけを覚えている。
その人は母親だったのかもしれないが、もう顔も覚えていない。
全てではなく、いくつかの条件に当てはまる娘たちも下級位ではあるが生き女神としてこの神殿で共に暮らしている。当てはまる条件が多いほど上位で、下位の人数の方が多いヒエラルキー(階層制)となっていた。
回廊の窓は徐々に小さく少なくなり、やがて、「神座の間」に行き当たる。
足を踏み入れた途端に、空気が湿り気と熱を帯び、無数の女神たちの甘い喘ぎ声が聞こえてきた。
「……ゃんっ……ぁあっ――」
「ぁんっ――……ぁっ……」
「んぅっ……ぁっ……はぁ――」
神座の間の手前から、中央の通路に沿って最下級の女神たちの神座が両側に並ぶ。
それらには仕切りもなく、それぞれの神座に一人の女神、そして一人の参拝者が乗っている。
女神たちだけではなく、参拝者の男たちの息も荒い。喘ぎ声だけでなく、蠢き合う衣が擦れ、汗に濡れた肌がぶつかる音が、それぞれの神座からはみ出すように聞こえていた。
奥へ進むにつれて女神の階級が上がり、神座の仕切りが、柱、薄布、そしてぶ厚い天蓋へと変わる。
歓楽の神殿、エウプロミアの全ての神座から男女が交わる気配が濃密に漏れていた。
今宵は満月。
女神の聖なる力が最も豊かになる夜。
満月の夜、エウプロミアではその聖なる力を授ける女神と、授かろうと「参拝」に来た者の交わりが営まれる。神殿全体が熱気を放ち、特殊な狂乱状態に包まれていた。
満月の参拝希望者は後を絶たない。だが、参拝がかなう「授けられし者」はこの神殿の実権を握る神官長の行う占術によって選ばれる。
神座の間の最奥に石造りの扉がある。美しく精巧な彫刻が、この先の神座はここまでのどれとも違うことを示していた。
いつも自室からここまで歩みを進めるにつれて、コルネリアの意識はなぜだかぼんやりとしてくる。
さっきまで憂鬱だったこれから「授ける」神事も、気掛かりだった今宵の授けられし者がどこの誰なのかも、他愛のないことに思えてくる。
巫女が目隠しの厚布の結び目を確認する。
――授けられし者はその姿を女神に晒してはならない。
これは神事の掟の一つである。だが晒さずに参拝するのは無理なので、女神の方で目隠しをしてやるのだ。
続けて巫女はコルネリアの鼻と口を覆うように薄布を垂れ下げて頭の後ろで結びつける。
これも神事の掟の一つ。
――口をきいてはならない。
神事が営まれる間、授ける側も授けられる側も言葉を発してはならないのだ。戒めの意味を込めて、参拝者も同じ布で口元を覆われているらしい。
ゆっくりと石扉が開かれる重い音がして、無数の喘ぎ声を背にコルネリアは自身の神座へと歩みを進める。その後ろでまた重たい音を立てて扉が閉じられた。
前へ七歩。わずかに体を右に向けて二十歩で神座、のはずが。
歩みの途中で肩がとんっと何かにぶつかった。
「おいおい、まさかと思ったが本当に見えていないのか?」
ぶつかった肩の上の方から、男のあきれたような声がする。
――……しゃべった、の?
神事の掟を破った者には神罰が下ると言われている。授けられし者は掟を守る誓いを立てているはずで、コルネリアが知っている限りそれを破った者はいない。
「おまけにそのように顔を覆われては息をするのも難儀だろう」
薄い布ではあるが大きく息を吸いたい時に貼りついてくるので、確かに苦しい時がある。
「取ってやろう」
――え……?
まさか、と思っているうちにするりするりと頭の後ろで二組の紐が解かれる。顔を覆っている物がなくなったと同時に、ふわりと、気持ちの良い風が頬を撫で、ぼんやりとしていた意識が晴れ晴れとしてきた。
晴天の春の丘で鳥のさえずりを聞いているような、そんな心地だった。
目元、口元両方の覆いを取り外してしまった不届き者を振り返ると、楽しそうに輝く金色の瞳がコルネリアをのぞき込んだ。
「何だ、ずいぶんと美しい娘じゃないか。こんなに顔を覆わなくてはならんとはどれほど醜い女なのかと見てみたかったのだが、これでは拍子抜けだな」
「えっと、私……もっと醜い方が良かったのかしら?」
男の明るさにつられて、思わずコルネリアも口をきいてしまう。
「いや、そういう訳でもないさ」
男がクックと笑うと、亜麻色の髪が肩の上でさらさらと揺れる。
「まあ、座ったらどうだ、あそこは君の特等席なのだろう?」
男はコルネリアの手を取り、神座に導く。
頭一つ分以上差のある背の高さだった。腕には美しい文様が彫られており、衣越しにもはっきりと胸板の厚さが見て取れる。
神座と言っても神事を営むための場所なので、大きな台の上に柔らかな布が厚く敷かれ、寝台のようになっている。四隅の象牙の支柱には、生き女神選定儀式の様子が美しく彫刻されていた。
神座に座ると、男はその隣に座り片膝を神座に上げてコルネリアの方を真っ直ぐ向いた。
少し図々しくも見えるその姿にコルネリアは思わず聞いた。
「神罰が怖くはないの?」
「君が俺に罰を下すのか?」
「いいえ、私はどんな罰を下すのかも、その方法も知らない」
「じゃあ、星空の神か、それとも全能の神か?」
「私はこの神殿から出ることを許されていないの。だから星空の神アストゼアウス様とも、全能の神ユヒュースタル様とも面識がないわ」
「なるほど、生き女神は囚われの身なのか。さて、扉は閉まっている。中で何が起きているか、俺たちの他は誰も知らない。ということは君が誰かに告げ口をしなければ俺は神罰を免れるのではないか?」
「……そうかもしれない」
「なら、黙っていてくれ」
男は嬉しそうに瞳を輝かせている。
待ちに待った楽しいことが起きるような予感がして、コルネリアはうなずいた。
「……ええ、いいわ!」
二人は悪戯な顔を見合わせてクスリと笑った。
「面白い人。ここでこんなふうにおしゃべりした人は初めて」
「君の顔を一目見たいと希う男はいなかったのか、情けない。ところで目隠しを取るまで君は少し、ぼんやりとしていなかったか?」
「うん、ここへ来る時はいつもそう」
「何故?」
「なぜかしら。部屋を出てここへ来るまでの間に何だかぼうっとしてくるの」
「今はどうだ」
男がそっと、コルネリアの額から頬を大きな手で撫でる。あたたかく、心地の良い手だった。
「今は……はっきりしてる。すっきりして気持ちが良い位よ」
男はやさしい瞳でコルネリアを見つめてうなずいた。
「俺はアウステル。司祭として神殿都市トリュオスに来たばかりだ。君は」
「コルネリア……」
答えながら、コルネリアは自分の胸がトキントキンと高鳴り始めていると気づく。
男の金色に輝く瞳を見ていると、許されていないたくさんのことを今だけは見逃して欲しいと全能の神に祈りたくなった。
「いい名だ。コルネリア」
名を呼ばれると、胸の高鳴りはうるさいほどになる。
「コルネリア、ここに来る前に何か口にしたか?」
「満月の夜は夕餉を口にしないの。でも、聖水は飲んでもいいことになっているわ」
「聖水は誰が用意する?」
「神官長よ」
アウステルの手が、コルネリアの喉元をゆっくりと撫でた。
「今晩も、それを?」
「ええ、さっきも……飲んだ……わ」
撫でられた場所が、甘い予感に疼いた。
アウステルの輝く金色の瞳から目を離すことができない。それどころか、ゆっくりと近づいてくるその体に、自分から寄り添いたくなる。
――早く……この人に触れたい……触れられたい。
そんなふうに思ったのは初めてのことだった。
「どんな聖水だか、な……」
そう言うとアウステルはコルネリアのうなじに手を当て、くっと引き寄せ、唇を塞いだ。
「っ……!」
――口づけをしてはならない。
これも掟である。
互いの歓楽の吐息を塞いではならないのだ。だがアウステルはコルネリアの口腔にわずかに残る聖水を求めて唇を、舌を、全てを味わい尽くす。
目隠しもなく、はっきりとした意識と体の感覚の中で、初めての感覚がコルネリアを支配し始めた。
「んぅ……ん……――ぁん」
歯の付根を、口蓋の裏をアウステルがその舌で撫でると全身の力が抜けて、代わりに愉悦が湧き上がる。
銀の糸を引いてゆっくりと、アウステルの唇が、舌が、コルネリアから離れた。
「これが聖水とはな、笑わせる。可愛いコルネリア、本当の神事を教えてやろうか」
コルネリアにはアウステルの言葉の意味がよくわからなかった。初めての口づけの感覚に心まで蕩けそうになっていたからだ。
コルネリアの潤んだ瞳から目を離さずに、アウステルは大きな手の平でコルネリアの体を撫でた。首筋から肩へ。鎖骨とその窪み。ゆっくりと触れられる感触に、コルネリアの睫毛が震える。
背中の肩甲骨から肋骨へと撫で回し、その手がついに柔らかな白い丸みを包み込んだ。やわやわと揉みしだきながら再び禁断の口づけが落とされる。
「んっ……ぅん……――」
口づけの感覚に被せるように、アウステルの指が胸の先からもっと鋭い愉悦を与え始めた。
「や……ぁっ……ふ、ああっ」
背中にまで走る疼きに声が漏れる。乳首を捩るように愛撫されると熱が集まって固くなり、ぷっくりと蕾のように尖る。甘い疼きが全身に回って肌が火照り始めた。
アウステルはコルネリアの腰を抱え、持ち上げるようにして膝で立たせると、柔らかな胸に顔を埋めた。
尖った蕾をその口腔に含む。
熱い舌に転がされると背中まで震え、吸い上げられると痺れるような刺激にたまらず腰がくねる。それを見てアウステルはちゅうっと更に強く吸い上げる。
「ぁっ、ああっ、だめ、いやぁっ……」
今までの神事でこんなに猥らな声を出したことはない。右、左と交互に吸われ、反対側は揉まれては摘まれ、掬い上げられてはまた吸われる。
終わらない痺れと次々と生まれる快感に、体の、もっと奥の方が焦らされるような気持ちになる。
――今までの神事と、全然違う……!
初めてのはっきりとした鋭い甘さと切なさに、戸惑いながらもコルネリアは既に溺れ始めていた。
不意に尖りきった蕾を犬歯で甘噛みされて甘い声を上げる。
「んやぁっ、ぁ……ぁああっ」
下肢がとろけるようで体を支えきれずに膝が崩れた。
アウステルはそのままコルネリアの膝から太腿を愛撫しながら神座に寝かせ、秘部に向かって手を這わせる。
ふわりとした和毛の間を長い指が進み、花唇をなぞられると、ぞくりとした感覚に背中が反った。
「いや、だめ……こんなのだめ、頭がはっきりしていて、全部わかってしまって……」
「そうだ、はっきり俺を感じればいい。俺の指が、どう動いているか」
「あっ……ぁあっ、はぁんっ!」
とっぷりと溢れ出た愛蜜を絡めて指が花唇を撫でつける。やがて指先がコルネリアの秘玉に這い上がり、くりっと押し潰した。
「ひぁっ、ああぁぅっ!」
タチヨミ版はここまでとなります。
2017年7月22日 発行 第2版
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フリーで作家活動を行いながら、共幻令嬢文庫・共幻あかつき文庫にて編集長を務める。
著作
「ジュリエットに献花、狂犬には愛」(スイート蜜ラブBL文庫)
「暗殺姫の千夜一夜物語」(共幻あかつき文庫)
「転生の幼な妃 ~龍王、蜜欲の寵愛~」(共幻令嬢文庫)
「公爵家、愛欲の選考会」(フレジェロマンス文庫)
「隠され姫君と運命の騎士 ~甘密の契り~ 」(フレジェロマンス文庫)
「媚薬なスイーツに乱されて~大富豪の甘い罠~」(アンジェラ文庫)
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アパレル系イラストを中心にイラストレーター活動を始める。
現在はアプリゲームや電子書籍などのキャラクターイラストを中心に活動中。
2015年 株式会社インターリンク主催「猫耳女子キャラオーディション」二次元部門グランプリ受賞 七代目にゃこ式部キャラクターデザイン
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