この本はタチヨミ版です。
*
佐藤蘭。健全な中学二年生。
好きな物は映画、彼女、少女漫画とエッチなこと。
嫌いな物(奴)は、元幼なじみの山内俳里。通称ハイジ。
顔は良いけど他は最低な性悪男。大っ嫌いな天敵だ。
「何言ってんのよ。アンタの恋人はハイジでしょ」
「嘘つけ! 何で俺がこんなのと付き合って……ていうか待って、俺もアイツも男だから!!」
「いい加減にしなさいよ! 恋愛に性別は関係ないってアンタが言いだしたんでしょ!」
「はぁぁぁ!?」
蘭は今……、猛烈に混乱している。
「ちーかー」
季節は猛暑。夏休み最後の八月三十一日の今日は、同級生の清家千夏と付き合って三カ月の記念日だった。
記念日。記念日と言えばエッチ。
都合のいいことに、蘭の両親は、商店街のくじ引きで当てた温泉旅行に出かけて、明日の夜まで帰ってこない。
そんなわけで(エッチ目的で)約束を取り付け、白昼〇時、胸をどっきんどっきんさせながら、家の前で待っていたわけだ。
「蘭くんおまたせー」
髪を頭のうえでお団子にした千夏が、ピョンピョン飛び跳ねながら出てきた。
足元は透明な厚底サンダルに、肩には大きめのクリアバッグ。膝上二十センチは軽く超えた超ミニのキャミソールワンピースが、これまたかわいい。
最近はやりの水色の小花柄だ。胸元は乙女チックに横フリルがついているが、うしろは腰のあたりまでガラリと空いていて、肩ヒモが背中でクロスしている。
うーん、なかなかエロい。
「あっちーな。早く俺ん家いこーぜ」
「おっけー」
よいしょと自転車の後ろにまたがる千夏に、「こけるなよ」と言って振り返る。
キュッと締まったウェストから、ワンピースの裾がふんわりと、マシュマロみたいに広がっている。カモシカのような細い脚は、格別に魅力的だ。
(おお)
ドキドキが止まらない。今日は、どうやって誘おう。ストレートに言っちゃっていいかな。千夏が欲しいって。
ヤリたい盛り。健康な中学生の欲望は底をつきない。
「……、ん、らんくん、蘭くん!!」
そんなことばかり考えていたせいで、気付かなかった。
「危ないよ!!」
勢いよく下った坂道の角から、宅配便のトラックが飛び出してきたことに。
見上げれば、真っ白い天井。古臭い白色灯が、煌々と照り付けている。
「あ、れ。俺……?」
激しい頭痛とめまいに襲われながら、蘭はようやく目を覚ました。
そのうちぼんやりと、記憶がよみがえる。
たしか千夏と一緒に家に向かっていて、飛び出したトラックに轢かれかけたのだ。
あれからどうなったんだろう。
(ここは……病院? 千夏は? どこにいんの?)
起き上がろうとするが、どういう訳か、体が鉛のように重たくて──。
「蘭!!」
「わっ!?」
突然にゅうっと、天井から顔が二つ現れた。部屋には自分一人だけだと思っていたので、蘭は飛び上がって驚いた。
そこにいるのは浅黒い男とスレンダーな女。
(だ、誰だコイツら)
この顔、どこかで見たことがある気もするが……。
考えこむこと数秒、ようやく思いだした。隣のクラスの双子、仁科兄妹だ。声をかけてきたのは妹のほう。
どういうわけか、二人の印象がガラリと変わっている。そろって黒髪のクルクル天然パーマだったはずなのに、仁科妹は腰までの真っすぐストレート、兄は奇抜な金髪ドレッドヘアになっている。
双子のチビで有名だった二人の体格はかなり大きくて、どう見ても中学生とは思えない。特に兄の方。ゆうに百八十センチはありそうだ。
「あれ、仁科さん……? だよな……?」
自分の声があまりに低くひしゃげていて、蘭はさらに困惑する。
「ねえ、コイツあたしの事、仁科さんとか言ってるよ。なんかおかしくない?」
キモチワル。おげ、と仁科妹が舌をだして言った。
「うーん。でも、見た目はいつもの蘭だよ?」
続いて仁科兄も首をかしげる。蘭に負けず劣らず、こちらもかなりのダミ声だ。
「ほら、このボーっと口をあけた、いかにもアホっぽい感じ」
「うん。たしかにアホっぽい」
兄の言葉に妹も共感する。
「おい」
「それと、食欲と性欲しかありませんって顔」
「あー、してるしてる」
またまた兄の言葉に妹も共感する。
「ちょ……っ。なんだよお前ら、初対面なのに口悪すぎだろ」
初対面てなによ! と仁科妹がバシンッと頭をはたく。
(この女、怖い……!)
それより自分の声の低さが本当に怖い。これはもしや、ケガの後遺症か。
「ヤリすぎて意識飛ばして病院に運ばれるぐらいだもんね。まあ、あれはハイジが悪いと思うけど」
「言うよな。アホな子ほどかわいいって。俺にはその魅力が全く分かんねえけどな」
「え? え?」
その後も双子は言われも無い罵詈雑言 を浴びせ続ける。
蘭は混乱していた。
二人の会話についていけない。意味が分からない。
それと、どさくさに紛れて聞き捨てならない名前が耳に入り、困惑を極めるばかり。
今たしかに、ハイジと言った。
ハイジといえば、おなじみの童話の主人公と、腐れ縁で絶交中のあの男しか浮かばない。おそらく会話中の『ハイジ』とは、後者に違いないわけで……。
「ハイジが好きな気持ちも分かるけどさ、あんまり自分を傷つける恋愛ばっかすんなよ」
「──ん?」
蘭は何のことだと首をかしげる。
「だから、求められたからって、ホイホイセックスばっかすんなって言ってんの。じゃねーと今度こそヤリすぎで意識がぶっとぶよ、お前」
考えること数秒。さきほどの言葉が頭のなかで繰り返し流れ続ける。
(この人、いま何て言った? ヤリすぎてどうとかって……)
現在の恋人は千夏だ。浮気なんてもってのほか、そんなこと絶対にしない。するわけがない。
「…………」
(いやいやいや……その前にもっと、ほら、おかしいだろ、いろいろと!)
ハイジといえば、あのハイジ。山内俳里。
糞がつくほどヤリちんのクズ男だ。
「あ、うわさをすればハイジきた」
突如、ドアを蹴破る勢いで部屋に訪れたのは、たしかに山内俳里、本人である。
「げ」
相変わらず目つきは悪いが、憎たらしいほどの美形に変わりはない。現在は眉間に皺をよせ、蘭の方をじっと見ている。
「蘭……っ」
山内は、ベッドの上までズカズカと歩み寄ってくる。
(何なんだよいったい!?)
言っておくが、山内とは小学五年生の時、「一生俺の前に姿見せるな」とぶん殴って以来、一度も話していない。確かに、『ハイジくーん』なんて幼なじみやってた時代も、あるっちゃある。けれど、それは幼稚園から小学校低学年までの話。
今は大大大嫌いな天敵。嫌いになった理由すら思い出したくもない。
「何だよお前、誰が話かけていいって……ふぐっ」
動けないのをいいことに、躊躇もなく覆いかぶさってくる。
「この最低ゲス男!」と見切りをつけた相手に抱きしめられるという、最悪な状況。
「離せよテメエこら!」
そして蘭は見た。自らに降りかかった惨劇の一部始終を。
山内の顔面ドアップが急接近するまでの数秒間の出来事を、ぜんぶ。
「んっ──!! ん──っ!!」
かつてクラスの女子がうわさしていた『ハイジくんの格好いい唇』が、蘭の同じ部分をくまなく覆い尽くしている。
ふにゅんと柔らかいその感触は、紛れもなくやつのモノであって……。
「やっ、やめっやめろ……ちょ……っ」
顔から引き剥がそうとするが、力がはいらない。
そのうえ、動くたび下半身から(特に尻のあたりから)異常な鈍痛がおそってくる。
これまでに経験したことがない、ひどく熱をもった痛みだ。
(な、なんなんだよ、これ……、いってえ)
腰は痛いうえ、全身はゾワリと鳥肌が立っている。とにかく、上も下も、最悪だ。
「やめ……っ。俺には千夏が……」
「ねえ、蘭てばハイジのキス、すっごい嫌がってない?」
「ああ。やっぱちょっとおかしいかもな」
その隣では仁科兄妹が、まるで当たり前の風景を見るかのように、横一列に並んで二人を眺めていた。
「千夏ちゃん? なーに言ってんの。あの子、蘭と別れて女子高に進学したじゃない」
もう二年も前の話でしょ。今更なに言ってんの、と仁科妹はつっけんどんに言った。
「……え?」
千夏と、別れただって?
その発言で、蘭の思考は再び停止した。
「ちょっと、アンタ本当に大丈夫?」
仁科妹は怪訝な目を向ける。
部屋の隅に目をやると、天敵の山内俳里がいる。腕組みをして壁にもたれかかるように立ち、同じく蘭の方をみている。蘭はあえて目を合わさないようにしていた。
「確かに、千夏ちゃんと付き合ってる時、トラック事故に巻き込まれそうになったって話は聞いたことあるわよ」
でもアンタ、あの時は自力で避けて電柱に激突したんだってヘラヘラ笑って言ってたじゃない、と仁科妹は言うのだ。
「待って。意味が分かんない。じゃあ俺、事故のせいで入院してるんじゃないの? ていうか、千夏と別れたってどういう事?」
たずねると、どういう訳か、顔がみるみる険しくなり。
「ちょっと口を慎みな。ハイジもいるんだよ。今さら元カノの事を掘り返すのはよしなさいよ」
「あのさ……。何を勘違いしてるのか知んないけど、俺の彼女は千夏だけだから」
「このお馬鹿!」
仁科妹は、ますます苛立ちを募らせる。頭のなかは、クエスチョンマークでいっぱいだった。
「さっきから何言ってんの。アンタの恋人はハイジでしょ!」
「はああ?」
咄嗟に山内を見る。奴はニコリとも笑っていない。それどころか、じっと蘭を見ているだけ。眉間にシワを寄せた、とにかく神妙な顔つきだ。力強い視線には、蘭のような困惑も動揺も感じられない。
蘭はもう一度仁科兄妹を見た。たちの悪いドッキリじゃないかと訝しむが、目が合うなり「冗談もほどほどにしなさいよ」と逆に咎めるような視線を投げられるだけ。
「う……嘘つけ! 何で俺がこんなのと付き合って……ていうか待って、俺もアイツも男だから!!」
「アンタいい加減にしなさいよ!」
仁科妹が、とうとう女ヤクザのような恐ろしい形相でつかみかかってきた。
「男同士? だから何よ。それはあたし達が散々アンタに忠告してきたセリフよ! だけど恋愛に性別は関係ないってアンタが言いだしたんでしょ!」
い、意味が分からん。どこの世界に、男と、しかも大分前に絶交した大っ嫌いなやつとにゃんにゃんする馬鹿がいるんだ。
「し、知らねーよ、そんなこと……っ」
「知らないって……アンタねえ!!」
「まあ落ち着けって。蘭も病み上がりで混乱してるのかも。とりあえずおばちゃん呼んで先生に診てもらおう」
蘭は今、猛烈に混乱している。
「脳震盪 が原因だと思いますが、佐藤さんに、中度の記憶障害が起きているようです」
五十代半ばの男性医師は、ボードに貼った脳のMR画像と蘭とを交互に目をやり、「ふむ」と顎をしゃくって言った。
「先生、こういう事例はよくあるものなんでしょうか?」
隣に座る母親も、医師と同じくMR画像と蘭を心配そうに見ている。
つい数時間前まで病室で蘭の容体を見守っていたという母は、長期の入院に備えた大量の荷物を両手にひっさげて駆け込んできた。
夫婦で温泉旅行中のはずの母が病院で待機していたこと、そして先ほどの医師の説明を聞いて、蘭もようやく一連の出来事を理解しはじめる。
「意識不明だった患者の方に、一時的に記憶障害が起きることはままあります。佐藤さんの場合は、記憶が三年分ほど途切れてしまっているようですね。今は意識もはっきりしていますし、MRにも脳の障害は見受けられません。いまはとにかく、安静にして様子を伺いましょう」
佐藤蘭、十七歳、私立の共学校に通う、高校二年生。
それが現在の自分、だという。
十七歳。つまり、十四歳という記憶そのものが誤っている。千夏と自転車で二人乗りをしてトラックにぶつかりそうになったのは過去の話で、現実はそこから三年も経っているという。
(嘘だろ……。俺、高校生になってんの。なんだよそれ、ありえないって)
仁科兄弟の説明によると、十七歳の蘭は、直前まで山内の家にいたようだ。そこで何かしら(事故のようなものとか言っていた?)があって意識不明になり、今の今まで、ずっと眠りこけていたという。
倒れた時に頭の打ち所が悪かったせいで、記憶が混乱してしまってるのだろう。そう言った医師の言葉と合わせて推察すると。
現在の記憶は、千夏と遊ぶ予定だった中学二年の八月三十一日で停止していて。そこから三年間の思い出が、すっぽり抜けている、ということになる。
それだけならまだよかった。
それよりさらに衝撃的な事実。
空白の三年間のうちに、あろうことか蘭は、大嫌いなやつと恋人関係に発展している。
それがあの馬鹿、山内俳里。通称ハイジ。
昔は仲のいい幼なじみ。現在は大大大大大っ嫌いな天敵である。
(なぜ。なぜだ。俺よ、よりによって何で男を、しかも山内を恋人なんかに選んだ)
「まあ忘れちまったもんは仕方ねーよな。てことで、まずは千夏とよりを戻すとして……」
「は。ふざけんなよ」
退院許可があっさりと下りたので、その日のうちに帰りの身支度をしていた病室内。いまだしつこく居座る山内が、蘭の独り言に唐突な横やりを入れてくる。
「忘れたなら、もう一度俺に惚れさせてやる」
記憶ないからって浮気すんじゃねーぞコラ、猿。と聞き捨てならぬ暴言まで浴びせられ。
「誰が猿じゃ」
「テメーのことだろ」
「て……っ」
(こ、この野郎……っ。相変わらず口が悪すぎだろ)
本当に、一体何がよくて彼氏なんかに選んだんだと、蘭は心のなかで悪態ばかりついていた。
「お前、ついてくんな! もう帰れよ」
しかも帰りの道なり、蘭をぴったりとガードするように、後ろから山内が追ってくる。母と一緒に夕飯の買い物をしたかったのに、山内のせいで別行動になってしまうしで最悪。ハンバーグ食べたかったのに。『母ちゃんのケチャップ味のハンバーグ』は、蘭にとってなによりの栄養補給源なのだ。
「お前邪魔なんだよ! マジでどっか行けよ」
ダッシュして追いつこうかとも思ったけれど、悲しいかな、下半身の鈍痛がまたもやそれを阻止している。
「あのさあ、どこに帰るつもり?」
「どこって、家に決まってんじゃん」
「ははは。そう言うと思った。嫌がってるとこ悪いけど、実は俺ら同棲してんだわ」
悪いね。悪びれる風もなく、半ば棒読みで山内が言う。
「言っとくけど、蘭がどう思ってようが、俺はもう絶対、お前を手放すつもりないから」
逃げんなよ。逃げたら怒る。あと電話もすぐ出ろよ。出ねーと怒る。それと寝るときのおやすみのチューも……うんたらかんたら、長い独り言が背後で聞こえてくる。
「お前、絶対俺を脅して無理やり付き合ってたんだろ。なあ、そうなんだろ」
「ばーか。めちゃくちゃかわいがってたよ。お前も、俺といて幸せだって笑ってたよ。二日前の話だけど」
「う、嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ……」
「嘘じゃないって猿。ホラ、おいで」
山内はさっと蘭の手前まで回りこむと、背中をむけてしゃがみこんだ。
「なんだよ」
「歩くのつらいんだろ、おぶっちゃる」
はよ乗れ。
細長い三白眼が、上目づかいに蘭をにらんでいる。そこから乗る乗らないの合戦を繰り広げたのち、腰の鈍痛に負け、結局おぶられていたりする。
「いいか、今日だけ特別だからな。今日だけは一応、仕方なくお前の家にいってやる!」
ぶらぶら脚を振り乱しながら蘭が言った。
「あーはいはい。んで、夕飯どうする。ハンバーグでいい?」
「あ、お、おう……」
「お前好きだもんな、ハンバーグ。ソースはケチャップだよね?」
「あ、うん。詳しいな、お前」
母親しか知らないと思っていた黄金パターンを言い当てられて、若干目が点になっていると。
「ふん。俺の献身的な愛をなめんなよ、猿」
とつぜん山内がバックキックをかましてきた。しかも見事、かかとが尻にクリーンヒットする。おかげでジンジンと痺れるような鈍痛が押し寄せ、ぎゃっと悲鳴がでる。
「イッ……!! 何すんじゃボケ!!」
二人の甘い(?)攻防戦は、まだ始まったばかり。
タチヨミ版はここまでとなります。
2017年08月08日 発行 初版
bb_B_00151124
bcck: http://bccks.jp/bcck/00151124/info
user: http://bccks.jp/user/136806
format:#002t
Powered by BCCKS
株式会社BCCKS
〒141-0021
東京都品川区上大崎 1-5-5 201
contact@bccks.jp
http://bccks.jp
自己中で我儘で一筋縄でいかない、だメンズたちの不器用で不憫な恋愛模様を書くのが好きです。 ボーイズラブ作品のみと、ジャンルは限られますが、どうぞご自由お立ち寄りくださいませ。