ダブルデッカー、即ち2階建て車両の導入目的は「眺望の確保」と「座席数の増強」に大別されます。
ただし、現代では前者だけを売りにするために導入されることはまずありません。
観光輸送であれ、ビジネス輸送であれ、通勤輸送であれ、座席数が多いに越したことはないのであり、それを実現することがダブルデッカーの存在意義の第一なのです。
本書ではこれを踏まえた上で、ダブルデッカーのあるべき姿を探ります。
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本書を発行するにあたって、内容に誤りのないようできる限りの注意を払いましたが、本書の内容を適用した結果生じたこと、また、適用できなかった結果について、著者は一切の責任を負いませんのでご了承ください。
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この本はタチヨミ版です。
ダブルデッカーの存在意義
ビスタカーの変遷
3代目ビスタカーの試行錯誤
名阪特急への回帰
新幹線のダブルデッカー
在来線優等列車のダブルデッカー
在来線普通列車のダブルデッカー
215系車両の苦闘
史上初の「ダブルデッカー化改造」
最も有益なダブルデッカー
停車駅増との闘い
スピードアップの壁
「ダブルデッカー」とは、2階建て構造を持つ車両のことです。本書では、鉄道車両に限定して話を進めます。
日本で初めてのダブルデッカーは、1904(明治37)年に大阪市交通局が導入した5号形路面電車です。この車両は、屋根の上に客席を設けて螺旋階段で昇る構造になっていました。架線からの集電に伴う危険はなかったのかと気になりますが、幸いそうした事故はなかったようで、大阪市電の名物として親しまれました。非電化区間でトンネルのない路線であれば、現代でも採用できそうなアイディアです。
普通鉄道では、1955(昭和30)年の近鉄10000系「ビスタカー」が最初です。同車は、通常は機器スペースに充てられる台車間に階下室を設け、その上に階上室を配置する構造であり、現代の日本のダブルデッカーはこれを基礎としています。
10000系は試作車的要素が強く、7両編成1本の製造に留まりましたが、1959(昭和34)年から1963(昭和38)年にかけて導入された量産型の10100系は18編成54両を数え、近鉄ビスタカーの名を不動のものにしました。
ダブルデッカーの導入目的は「眺望の確保」と「座席数の増強」に大別されますが、5号形電車はいざ知らず、現代では眺望だけを売りにするために導入されることはまずありません。観光輸送であれ、ビジネス輸送であれ、通勤輸送であれ、座席数が多いに越したことはないのであり、それを実現することがダブルデッカーの存在意義の第一なのです。
近鉄の場合、10100系の登場時点では大阪線に単線区間が残っており、行き違い設備の有効長の関係で列車の長さに制約を受けていました。ダブルデッカーの導入に踏み切ったのは、特急車両の目玉にするためだけではなく、有効長の制約がある中で座席数を増やして輸送力を確保する目的もあったと言われています。
また、当時は東海道新幹線が未開業であり、開業前年の1963(昭和38)年には名阪間のシェアのおよそ70%を近鉄が占めていました。10100系も専ら名阪特急に使用され、その実態は紛れもなく「ビジネス特急」だったのです。新幹線の開業後にこの構図は激変し、ビスタカーは観光色を強めていくことになりますが、初めからそうだったわけではありません。現代の感覚を基準に、ビスタカーが眺望の確保を第一の目的にしていたと判断してしまうと、誤解が生じることになります。
近鉄10000系は7両編成で、3号車と4号車、4号車と5号車は連結面の真下に台車を設ける連接構造であり、3号車と5号車がダブルデッカーでした。同車の階上室の通路高さは1,700mmで、現在の構造規則では許可されない寸法であり、その通路を挟んで1人掛けと2人掛けの回転クロスシートが並んでいました(『鉄道ファン』1991年7月号)。
10100系では通路高さを1,800mmに拡大し、階上室・階下室ともに2人掛けシートを横に2脚配置し、座席定員を増加させました。車体は3両連接で中間車がダブルデッカーとなり、大阪側先頭車が非貫通型・伊勢側先頭車が貫通型のA編成が5本、その逆のB編成が5本、両側が貫通型のC編成が8本製造され、最大で9両編成を組むことができました。
もともと近鉄は大阪線が標準軌、名古屋線が狭軌のため直通できませんでしたが、折しも1959(昭和34)年9月26日の伊勢湾台風で名古屋線が大きな被害を受けました。近鉄はこれを逆手に取って名古屋線の改軌工事を前倒しで実施し、わずか2ヵ月で完了させました。まさに「禍を転じて福と為す」であり、これによって名阪間の直通運転が可能になったのです。10100系が早速その運用に就いたのは言うまでもありません。
1962(昭和37)年には、小学校の修学旅行などの団体輸送用に20100系「あおぞら」が3両編成5本用意されました。同車は連接車ではなく、車体の両端に台車を持つ通常のボギー車ですが、両先頭車両が電動車ながらダブルデッカーとなり、付随車である中間車の階下室に相当する空間に機器が集中搭載されました。
車内には通路を挟んで2人掛けと3人掛けのボックスシートを配置し、座席定員は中間車が102人、両先頭車が各148人、合計392人という驚異的な水準です。先頭車の座席定員は1両分としては史上最大であり、この記録はいまだに破られていません。
これによって輸送力を確保するとともに、子供にも2階建てのビスタカーを、との思いを込めて、車体側面には10100系と同じ「VISTA CAR」のロゴが入れられました。横5列の座席はさすがに窮屈であり、ひじ掛けも省略されていますが、小学生の体格なら問題はなかったでしょう。ただ、収容力優先のため冷房の設置は見送られました。
近鉄20100系は、座席数の増強という点では日本のダブルデッカーの頂点に立つ車両であり、その長所を生かして遠距離通勤に使用することも想定されていました。しかし結局これは一度も実現せず、1994(平成6)年までに全廃されてしまいました。
一方、近鉄がおよそ70%を占めていた名阪間のシェアは1964(昭和39)年の東海道新幹線開業によって激減し、その2年後には19%にまで落ち込みました(『決定版 近鉄特急』)。名阪間ノンストップの甲特急は2両編成が基本となり、一時は単行運転まで検討されたと言われています。
10100系は3両編成単独でも名阪甲特急では輸送力が過剰となり、徐々に伊勢系統の特急などへ運用の場を移していきました。しかし、ノンストップ運転を前提として設計された10100系は扉の数が少なく、停車駅の多い乙特急には不向きでした。
これに加えて、非貫通型先頭車の運用に制約があること、座席がリクライニング機能を持たないことなどが問題になりました。このため、1978(昭和53)年から後継車両の3代目ビスタカー30000系が導入されると、翌年までに10100系は全車引退したのです。
近鉄の30000系は、ビスタカーの伝統を今に受け継ぐ由緒ある車両ですが、ダブルデッカーとしてはかなりの異端児です。1985(昭和60)年までに4両編成15本が製造され、中間車2両がダブルデッカーで両先頭車は貫通型、連接車ではなく通常のボギー車である点はむしろ10100系より平凡ですが、特異なのは中間車の構造です。
ボギー車であれ連接車であれ、ダブルデッカーは台車間全体を階上室と階下室に分け、車端部に乗降扉を設けるのが常です。それが車内空間を最大限に活用する構造だからです。
ところが、近鉄30000系のダブルデッカーは車体の中央に片側1か所の扉を設け、そこから車端部に向かって階上室と階下室を配置しています。中間車同士は階上室でつながり、先頭車両とは階段で結ばれます。階下室の通り抜けはできず半個室状態になっており、幅の広いソファタイプの固定クロスシートが1室あたり6人分設けられました。
初代の10000系は階下室の居住性を重視して階上室の通路を低く抑えましたが、30000系は逆であり、階上室の通路高さは通常の平屋車両と比べても見劣りしない2,180mmを確保しました。その分階下室の天井は1,650mmと低くなっていますが、通り抜けができない、即ち「通路ではない」ために高さ規制の対象外となっています。
このように、すでに伊勢志摩などの観光客がメインターゲットとなってきた傾向を踏まえて、30000系では階上室を重視する方針が明確に打ち出されました。その反面、座席定員はダブルデッカーでありながら1両あたり76人に抑えられました。
当時の平屋型特急車両は最大で72人だったので、座席数の増強にはほとんど寄与していません。『鉄道ジャーナル』1997年11月号には「JRなどでは一般車に対してダブルデッカー車は1.4倍の座席を設けることができるとされている」と記されていますが、それには程遠い水準です。
また、中間車の階上室と先頭車は原則として回転リクライニングシートですが、階上室の車端部と階下室直上の各4席、および大阪側先頭車の車端部の4席は空間上の制約から当初は回転不可でした。大阪側先頭車については最後の2編成のみ回転可能になりましたが、それでもなお階下室以外に回転できない座席が1編成に32席も存在したことになります。
ところで、東海道新幹線開業前に年間224万人を数えていた近鉄の名阪間輸送人員は、1976(昭和51)年に83万人にまで落ち込みました。しかし、その年の11月に国鉄が運賃・料金を50%値上げしたことから、近鉄に客足が戻り始め、1985(昭和60)年には189万人に回復しました(『鉄道ジャーナル』2002年11月号)。
この機に近鉄は名阪ノンストップ特急の専用車を製造する方針を固め、それに先立って市場調査を行いました。その結果、名阪間直通輸送においては、ダブルデッカーの階下室はもちろん、階上室よりも平屋型の一般室を望む意見が多く寄せられました。眺望以上に空間のゆとりが求められていることが明らかになったのです。
これを受けて、名車の誉れ高い21000系「アーバンライナー」が1988(昭和63)年に誕生するわけですが、その背景に30000系への不満があったことは否定できません。続いて、1994(平成6)年から導入された23000系「伊勢志摩ライナー」も、観光客を主要ターゲットとしながら全車が平屋構造となりました。
ただ、観光輸送を23000系だけで賄うことは出来ないため、1996(平成8)年から2000(平成12)年にかけて30000系のリニューアルが実施されました。これは、中間車両の上半分を切り離して取り換え、階上室の天井と床をかさ上げする大規模なものであり、シートピッチを拡大して階下室以外の全座席を回転可能にしました。
その代わり、1編成の座席定員は272人から252人に減少し、この点におけるダブルデッカーとしての優位性は完全に失われました。更新後は「ビスタEX」の愛称で呼ばれています。
2010(平成22)年から2012(平成24)年にかけては2回目のリニューアル(B更新)が行われ、階下室をヨットのキャビン風に改装して3~5名のグループ専用席としました。
30000系が不評だったのは、空間の狭さよりむしろ、見知らぬ乗客同士が階下室で相席になったり、回転不可の座席で向き合ったりすることによるストレスに起因するところが大きかったのではないかと思われます。これらが二度のリニューアルによって解消されたのですから、もっと前面に押し出して観光需要を喚起しても良いのではないでしょうか。
30000系以降に登場した近鉄のダブルデッカーは、1990(平成2)年製造の団体用車両20000系「楽」の先頭車両2両と、2012(平成24)年~2014(平成26)年製造の50000系「しまかぜ」のカフェ車両3両のみです。これには寂しさを禁じ得ません。
今後、近鉄でダブルデッカーが活躍の場を広げるとすれば、一つは20100系「あおぞら」が成し得なかった、遠距離通勤における快速急行や急行での運用です。その車両は、座席定員の確保および特急との格差付けの観点から、横4列のボックスシートを基本とするのが妥当です。これは他社にも幅広く応用できるので、章を改めて後述します。
もう一つは特急車両への回帰です。拙著「寝台車と食堂車の復興計画(前篇)」でも述べましたが、近鉄は名阪特急「アーバンライナー」の後継車両を2020(平成32)年頃に導入する意向を示しました。そのうち最高クラスの車両には、水平に倒れるシートを配した1人用の個室が備えられる予定です。
車両の構造がどうなるのかは未知数ですが、平屋構造の車両に1人用個室を設けるのは、占有面積からして贅沢すぎます。近鉄はこの車両の料金を少なくとも新幹線よりは安くする方針ですが、収入を安定させるためには、JRの寝台電車285系「サンライズエクスプレス」の個室寝台「シングル」と同じ2階建て構造にして定員を確保することが望まれます。寝て過ごすことを前提とするならば、天地方向の寸法が縮まっても支障はないはずです。
近鉄の名阪間は2時間強を要し、仮眠をとるのに適しています。「水平シート」といえども寝心地の面では寝台には及ばないので、「シングル」と同じ通常の寝台にしたほうが良いでしょう。近鉄が「水平シート」を念頭に置いているのは、「座席」としての機能を兼務できるように、つまりはビジネス利用を想定してのことだと思われますが、これは必ずしも現在の名阪特急の実態に合っていません。
拙著「関西経済の復興計画(鉄道篇)」でも紹介しましたが、近鉄が「アーバンライナー」のリニューアルに先立って実施したアンケートでは、「平日でも半数以上が仕事以外、休日は圧倒的に仕事以外の利用」という結果が得られています。
乗車の目的が何であれ、ストレスの多い現代人には、「道中くらいは寝て過ごしたい」という要求が間違いなく存在します。今後高齢化社会が深度化すればなおさらです。敢えてビジネス客にターゲットを限定する必要はありません。折衷案として階上室には「水平シート」を設けるとしても、階下室は通常の寝台で良いと思われます。
近鉄の車体幅は2,800 mmで「サンライズエクスプレス」より180mm狭いですが、「シングル」は寝台の脇に余裕があるので、これを省けば十分に収まります。また、近鉄の台車中心間距離は14,100mmなので、「サンライズエクスプレス」と同じく階上と階下に1人用個室を9室ずつ設けることが可能です。車端部は乗り心地が劣るため、トイレや喫煙室などに充てるのが妥当です。
現行の「アーバンライナー」のデラックスカーは定員36人で、名阪間では特別車両料金510円が加算されます。上記の案では1人用個室を18人分確保できるので、加算料金は1,020円でも構わないことになります。実際には、伊勢志摩系統の特急「しまかぜ」の特別車両料金が最大1,030円、3~4人用個室を利用する場合にはさらに個室料金が1,030円(1人あたり300円程度)かかるので、これとのバランスを考えれば、1人用個室の加算料金は1,400円程度が妥当でしょう。
満室になるという前提に立てば、利益率はデラックスカーより高くなります。また、運賃・特急料金との合計額も5,660円に留まり、新幹線の名阪間の運賃と自由席特急料金の合計である5,830円を下回ります。
このように、名阪特急に再びダブルデッカーを導入する素地は固まっています。日本のダブルデッカーの実質的な発祥の地である名阪特急においてそれが復活すれば慶事であり、パイオニアとしての近鉄の面目も立つというものです。
JRのダブルデッカー導入は、車体断面の大きい新幹線から開始されました。正確には、国鉄時代末期の1985(昭和60)年以降に登場した新幹線100系が最初です。100系は、16両全てが電動車である0系と比べて編成単位の性能は大差ないものの、モーター1個あたりの出力を上げることで、4両を付随車化することが可能になりました。
100系のうち、国鉄時代末期に製造されたX編成と、JR東海への移管後に製造されたG編成は、ダブルデッカーである8・9号車と両先頭車が付随車です。X編成は8号車が食堂車、9号車の階上室が開放型グリーン席・階下室がグリーン個室、G編成は8号車の階上室が開放型グリーン席・階下室がカフェテリア、9号車はX編成と同じです。
1989(平成元)年からJR西日本が導入した100系V編成(通称「グランドひかり」)は、両先頭車を電動車化する代わりに7~10号車を付随車とし、ダブルデッカーを4両に増強しました。そのうち、8号車はX編成と同じく食堂車ですが、7・9・10号車は階上室が開放型グリーン席、階下室は普通席ながらグリーン席と同じく通路を挟んで横2列のシートが2脚並んでいます。
100系はダブルデッカーに限らず、普通車の3人掛けシートを初めて回転可能にするなど、インテリアを大幅に改善しました。その居住性は、今もって新幹線の最高峰と称されるほどです。
しかし、前述のように性能面では0系と大差なく、最高速度を一気に50km/h引き上げた270km/h対応の300系が1992(平成4)年から量産体制に入ると、100系はその地位を追われることになりました。ダブルデッカーは2004(平成16)年1月までに淘汰され、晩年は編成を6両または4両に短縮して山陽新幹線の「こだま」運用に就きましたが、これも2012年(平成24)年3月に終了し、100系は全車が引退しました。
JR東日本も、100系に準じたダブルデッカーを1991(平成3)年から東北新幹線の200系H編成の9・10号車に連結していましたが、こちらも2004(平成16)年3月に運用を離脱しています。
そのJR東日本は、100系や200系とはコンセプトの違ったダブルデッカーを1994(平成6)年から東北・上越新幹線に導入しました。それがE1系です。新生JRのイメージアップという命題が課せられていた100系とは異なり、E1系はダブルデッカーの本義に近く、座席数の増強を第一の目的として誕生しました。これは主に、首都圏での新幹線通勤の需要を念頭に置いたものです。
E1系は12両で編成され、その全車がダブルデッカーです。これを実現するため、電動車を半数の6両に抑えていますが、その車端部のほとんどは機器室に充てられています。それでも、自由席車4両の階上室を横3+3の回転クロスシート(リクライニング機能なし)にした効果もあり、200系の約40%増の座席定員1,235人を確保しました。
1997(平成9)年には、E1系と同じく「MAX」の愛称で呼ばれるE4系が製造されました。基本的な構造はE1系から引き継いでいますが、8両で編成され、電動車は4両、自由席車は3両です。2編成を併結した16両での座席定員は1,634人にも達します。
しかし、E1系は2012(平成24)をもって全廃され、E4系も東北新幹線から撤退しました。これは、両形式の最高速度が240km/hに抑えられており、320km/h運転を行う東北新幹線のダイヤの妨げになるためです。現在はE4系が上越新幹線で運用を続けていますが、これも2020年度末までに終了し、E7系に置き換えられる予定です。
フランスのTGV Duplexは両先頭車に動力を集中させ、その間にダブルデッカーを挟む構造ですが、320km/hの営業運転を行っており、鉄輪式の世界最高速度である574.8 km/hを記録したこともあります。よって、ダブルデッカーで高速運転ができないというわけではないのですが、動力集中方式は地盤の弱い日本には不向きです。E1系やE4系は動力集中方式に近い要素を持っており、これが寿命を縮めた原因だと考えられます。
今後、日本の新幹線で新たにダブルデッカーを導入するならば、かつての100系のように付随車のみを2階構造にするのが妥当です。例えば、東海道・山陽新幹線のN700系16両編成は両先頭車が付随車ですが、これを電動車化する代わりに中間車2両をダブルデッカーもしくはそれに準じた構造にすれば、拙著「寝台車と食堂車の復興計画(前篇)」で述べた「寝台新幹線」を実現する目途が立ちます。
JR在来線の優等列車用のダブルデッカーは、1990(平成2)年4月に運用を開始したJR東日本の251系が最初です。251系は「スーパービュー踊り子」の専用車両として製造され、10両編成のうち1・2号車のグリーン車と10号車の普通車がダブルデッカー構造です。
同年の12月には、JR北海道のジョイフルトレイン「クリスタルエクスプレス」に、気動車編成では初めてとなる付随車のダブルデッカー「キサロハ182形」が組み込まれました。1991(平成3)年には特急用として同車の550番台が4両製造され、「スーパーとかち」や「おおぞら」に使用されました。
JR東海では、1991(平成3)年に小田急から御殿場への「あさぎり」の片乗り入れを相互直通に改め、運転区間も新宿―沼津間に拡大しました。その車両として、JR東海は371系を1本、小田急は20000形2本を用意しました。いずれも7両編成で、そのうち2両がダブルデッカーです。小田急伝統の前面展望室は設置されなかったので、それに代わる目玉としてダブルデッカーが採用されたものと思われます。
20000形のダブルデッカーは階上室と階下室にそれぞれ連続窓を配置した定番のデザインですが、371系は階上室の窓と階下室の窓を縦につないで連続風に仕立てるという、他に類を見ない造形であり、今見ても斬新です(表紙写真)。現在のところ後に続く車両は出現していませんが、このインパクトは捨てがたいものがあります。
JRの黎明期に製造されたこれらのダブルデッカーは、階上室をグリーン席、階下室をグリーン個室または普通席としている例が多く、座席定員の増強よりも眺望を優先しているきらいがあります。その分実用性に欠ける面があることは否定できず、現在も第一線で活躍しているのは、2002(平成14)年からリニューアル工事を受けた251系だけです。
JR北海道のキサロハ182形は「クリスタルエクスプレス」では健在ですが、特急用の550番台はスピードアップの妨げになることもあり、2001(平成13)年に早くも運用を外され、長期留置ののち2013(平成25)年に全車が廃車されました。
JR東海の371系と小田急の20000形も2012(平成24)年に「あさぎり」の運用から離脱し、それぞれ1本ずつが3両に再編成の上で富士急行に譲渡されました。ただしダブルデッカーは残っていません。それどころか、371系は拙著「鉄道デザインの復興計画」で批判した某デザイナーの毒牙にかかる始末です。「あさぎり」自体も再び御殿場発着に短縮され、小田急の片乗り入れに戻っています。
定員の確保という点では、昼行列車よりもむしろ夜行列車にダブルデッカーの特性を生かした車両が見受けられます。第1章でも紹介した285系「サンライズエクスプレス」がそれであり、1998(平成10)年にJR西日本とJR東海が共同開発しました。285系は電車でありながら電動車を7両編成中2両に絞り、残りの5両をダブルデッカーとすることで、限られた車内空間を最大限に活用しています。
また、現在は定期運用を終えていますが、1999(平成11)年にJR東日本が「カシオペア」用に製造したE26系は、動力を持たない客車ということもあり、12両編成のうち電源車を兼ねたラウンジカーを除く11両がダブルデッカーです。こちらは定員の確保よりも、豪華寝台列車にふさわしい居住空間を提供することに主眼が置かれていましたが、目的が何であれ、電車よりも客車のほうがダブルデッカー化は容易です。「ブルートレイン」の時代にこの発想が生まれていたら、寝台列車がここまで衰退することもなかったはずです。
旧国鉄の伝統的な区分に従えば、「優等列車」とは特急料金や急行料金を徴収する列車のことであり、それ以外は「普通列車」です。「快速」はあくまでも普通列車の速達版なので、広義では普通列車に含まれます。
その「広義の普通列車」である快速のうち、瀬戸大橋経由で岡山と高松を結ぶ「マリンライナー」に使用されるJR四国の5000系車両は、高松側先頭車の5100形がダブルデッカーとなっています。運転室の直後と階上室がグリーン席、階下室と連結面寄りが普通席であり、いずれも指定席です。
「マリンライナー」は日常の利用客も多いですが、観光要素も持ち合わせているため「優等列車」に準じたダブルデッカーが導入されたものと考えられます。ただしこれは例外的であり、在来線普通列車のダブルデッカーは、ほとんどが自由席のグリーン車です。
それを導入しているのはJR東日本だけですが、1989(平成元)年のサロ213形・サロ212形・サロ125形・サロ124形以来、普通列車のグリーン車はダブルデッカーというのが定番となっています。ただし、自由席である上に座席定員を超えてグリーン券が発行される場合があるので、グリーン料金を支払っても座れないことがあります。
これとは別に、普通席のダブルデッカーとして415系のクハ415-1901号車が1991(平成3)年に試作され、常磐線で運用されました。同車は階上室に横5列、階下室に横4列のボックスシートを備えており、運転室を備えながらも座席定員は116人、立席定員を含めて156人を確保しました。座席定員だけで148人を数える近鉄20100系「あおぞら」の先頭車両には及びませんが、着席通勤に対する一つの可能性を示しました。
『鉄道ファン』1991年5月号の付録の図面によれば、1901号車の通路幅は階下室では665mmを確保していますが、階上室は450mmしかありません。1人あたりの座席幅は、2人席が464mm、3人席が453mmです。
「鉄道に関する技術上の基準を定める省令」では、鉄道車両の通路幅は床面から800mm以下の高さでは450mm、800mm超の高さでは550mmを確保しなければならないとされています。1901号車は肘掛を除けば何とか後者の基準も満たします。
このクハ415-1901号車の実績を踏まえて、1992(平成4)年に登場したのが215系車両です。同車は10両編成で中6両が付随車、両端の4両が電動車です。先頭車両の階下室に相当する空間に機器が集中搭載され、中8両がダブルデッカーとなりました。4・5号車はグリーン車です。1編成の座席定員は1,010人(うちグリーン車は180人)で、普通車1両あたりでは最大120人が座れます。
クハ415-1901号車で試みられた横3列・6人掛けのボックスシートは窮屈すぎたためか215系では見送られました。また、1901号車では車端部の一部にロングシートを設置していましたが、これも215系には継承されず、グリーン車を除く全席が4人掛けのボックスシートとなりました。
215系は東海道本線に配属され、平日朝晩の全席指定列車「湘南ライナー」1往復と、日中の快速「アクティー」で運用を開始しました。しかし、製造は10連4本で打ち切られました。5連の付属編成を増備する計画もありましたが、実現しませんでした。
2001(平成13)年には新たに開通した湘南新宿ラインに転属しましたが、ここもグリーン車2両のみをダブルデッカーとするE231系に車両を統一することになり、215系はわずか3年でその座を追われました。以降の定期運用は通勤ライナー1往復だけとなり、観光シーズンに中央本線などで臨時快速の運用に就くのみとなっています。
215系が事実上のオールダブルデッカーという意欲的な車両であるにもかかわらず不遇をかこっているのは、初期設計に欠陥があったからだと言わざるを得ません。中でも最大の問題は、乗降扉が狭すぎることです。
先行試作車のクハ415-1901号車の乗降扉は通勤車両の標準である1,300mm幅の両開きでしたが、215系ではなぜかこれが900mm幅の片開きに変更されました。乗車駅と降車駅が分かれる全席指定の通勤ライナーでは問題なくても、各駅で乗客が入れ替わる列車には適しません。1901号車は2006(平成18)年に廃車となりましたが、量産車がこの有様では浮かばれないでしょう。
首都圏のJRのラッシュ時に通常の通勤車両としてダブルデッカーを運用するのに無理があることは当時も現在も同じであり、1901号車の運用実績からもそういう結論に至ったと考えられます。よって、215系を通勤ライナーに充てたのは妥当な処置ですが、問題だったのはむしろ昼間時の運用です。
東海道本線のJR東日本区間は昼間時の需要も旺盛であり、実際に各駅での乗降に時間がかかって遅れが頻発したことが215系の活躍の場を狭める要因になりました。ダブルデッカーはその構造ゆえに、乗降扉を事実上片側2か所しか確保できませんが、だからこそ乗降扉を広くして弱点を補うべきだったのです。
215系の乗降扉は車体の中央側に戸袋を備えていますが、グリーン車を除く各車の扉の開口部を切り開いて倍に拡げ、車端部側にも900mm分の戸袋を設ければ、1,800mm幅の両開きのワイドドアに改造できます。215系は改造の難しいステンレス車ですが、逆に言えば車体の寿命が長いので、扉を改造すればまだ活躍の余地はあります。何よりも、その豊富な座席数を遊ばせておくのはもったいないとしか言いようがありません。
ダブルデッカーのもう一つの弱点は、混雑に対する柔軟性が低いことです。通常の平屋型の先頭車両であるクハ411-1500番台の定員が142人(座席58人・立席84人)なのに対し、クハ415-1901号車は156人(座席116人・立席40人)であり、定員内に収まれば後者のほうが快適です。しかし、首都圏の朝ラッシュ時には定員の150~200%程度の列車があちこちで走っています。1901号車の場合、150%なら118人、200%なら196人もの立客が発生することになり、とても対応できません。定員を超えると急に容量不足に陥ってしまうのがダブルデッカーの泣き所なのです。
この問題を緩和するには、車端部を全てロングシート化し、少しでも詰め込みの効きやすい構造にする必要があります。バリアフリーの観点からも、ロングシートは半数を優先座席、残りを収納式の車椅子スペースとするのが妥当であり、後者は輸送力調整にも役立ちます。さらに、混雑が偏った場合に隣の車両へ移りやすくするため、貫通扉は撤去すべきです。
以上の対策によって215系を活用する目途が立てば、15連化も視野に入れたいところです。電気指令式ブレーキ搭載車ならば他形式との併結も可能ですが、かつて叶わなかった5連の付属編成を新造するのが理想です。この付属編成は2両目と4両目をVVVF制御の電動車とし、3両目の階下室に相当する空間に機器を集中搭載し、残り4両をダブルデッカーとするのが良いでしょう。
1995(平成7)年12月、京阪にダブルデッカーの3855号車が誕生しました。この車両が他のダブルデッカーと比べて特殊なのは、新造車ではなく改造車であることです。
3855号車は3000系(初代)の一員です。京阪の3000系は1971(昭和46)年の登場以来、料金不要の特急専用車の代表格として同社の看板を背負ってきました。
しかし、1989(平成元)年に三条―出町柳間の鴨東線が開通すると、編成の不足を補うため新型特急車両の8000系が12両製造されました。うち7両は8000系だけで編成を組み、残りの5両は3000系の6両編成に増結され、特急の全編成が7連化されました。
8000系は性能面では3000系とほぼ同じですが、窓が格段に大きく、3000系と当時最新鋭の通勤車両だった6000系を足して2で割ったような正統派の新型特急として人気を集めました。このあたりは、新幹線の0系と100系の関係を想起させるものがあります。
8000系が予想以上の人気を集めたことから、京阪はさほど車齢の高くない3000系を廃車にして置き換える方針を打ち出しました。置き換えは着々と進行して8000系は10編成が出揃い、3000系は予備車を含めて9両を残すのみとなりました。
ところが、検査体制の見直しにより特急運用に余裕を持たせる必要が生じたことから、一転して3000系を1編成だけ残すことになりました。そのためには8000系に準じた内装に改めるだけでは見劣りは隠せないとの判断がなされ、新たな魅力を持たせるべく1両をダブルデッカーに改造することになったのです。
改造は自社の寝屋川工場で行われ、台車間の車体を丸ごと取り換えるという大掛かりなものとなりました。階上室・階下室ともに集団離反型のクロスシートを設けましたが、階上室が2人掛けを横に2列配置したのに対し、階下室は2人掛け+1人掛けでした。これは、種車の裾が絞られている分、車体幅が狭くなっているためであり、その影響もあって座席定員は69人と、他の中間車両の7人増に留まりました。
3855号車は登場して間もなく大きな反響を呼び、京阪の主役の座を再び8000系から奪い返したと言っても過言ではないほどの人気を集めました。当時は新幹線100系がすでに斜陽期に差し掛かり、近鉄30000系のリニューアルもまだ行われず、ダブルデッカーにとって冬の時代でした。3855号車が改造車ながら注目を浴びたのは、そうした背景も影響したのかもしれません。これを受けて、8000系の8連化時には、次項で述べるようにダブルデッカーの新造車を増結することになったのです。
同時に3000系も8連化されることになり、予備車として残っていた先頭車2両の運転室を取り除いた上で継ぎ合わせ、1両の中間車に仕立てる改造が施されました。これも相当な大工事ですが、ダブルデッカー化改造の実績からすれば造作もなかったと思われます。この8連化に際して、3855号車は3805号車に改番されました。
その後、2008(平成20)年の2代目3000系竣工に先立ち、初代3000系は8000系に編入されました。これに伴い、3805号車は8831号車に改番されています。
8831号車は3000系改め8000系30番台の一員として活躍を続けましたが、さすがに経年疲労は隠せず、2013(平成25)年3月をもって運用を離脱しました。その後、同年7月に富山地方鉄道に譲渡されました。
富山地方鉄道では京阪3000系の大量廃車時に先頭車両16両(軌間が異なるため車体のみ)を譲り受けており、その縁で8831号車も引き取ることになったのです。現在はサハ31号車を名乗り、かつての僚友である元3000系先頭車の10030形に挟まれて、「ダブルデッカーエキスプレス」として運転されています。
3855号車の好評を得て、京阪では8000系にもダブルデッカーの8800形を増結することになりました。1997(平成9)年から翌年にかけて10両が製造され、8000系の全編成に組み込まれて8連化されました。
8800形は3855号車を土台としつつも、多くの点が改良されています。3855号車は種車の裾絞りの関係で階下室の幅が狭く、座席が2人掛け+1人掛けの横3列でしたが、8800形は壁を垂直にし、全ての座席を2人掛けにしました。さらに、3855号車の集団離反型シートを見直し、階上室の階段直上と車端部の連結面寄りが固定式であるほかは全て転換クロスシートに改めました。また、階段の段数を増やして昇降の負担を軽減しています。
加えて、3855号車では12,000mmだった台車中心間距離を、1994(平成6)年製の7200系以降の標準である12,600mmに拡大することで、階上室と階下室の空間を拡大しました。これらの施策によって、8800形の座席定員は3855号車より13人増の82人となりました。8000系の一般の中間車は58人なので、ダブルデッカーの座席数の目安である「一般車の1.4倍」を達成しています。1.4両分の増結効果は輸送力の面でも大きく、行楽シーズンの臨時特急を減便できるなどの効果があったと言われています。
このように、近鉄やJRより車体が1m以上短いという制約がありながら、8800形は3855号車の問題をほぼ全て解決した完成度の高いダブルデッカーとなりました。この点は、JR東日本のクハ415-1901号車と215系の関係とは対照的です。
京阪の特急は、平日朝ラッシュ時の大阪方面行き6本に限り、1993(平成5)年1月から中書島に、1997(平成9)年3月から枚方市に停まるようになりました。中書島はともかく枚方市の朝ラッシュ時の乗降には3000系や8000系では耐えられないため、セミクロスシート車の9000系が導入されて運用に就きましたが、それ以外は七条―京橋間ノンストップ運転なので支障はありませんでした。3000系と8000系の乗降扉は通勤車両の標準より200mm狭い1,100mm幅の片開きで、ダブルデッカー以外の車両も全て片側2か所でしたが、それが問題になることはなかったのです。
京阪特急が中間駅に終日停車するようになったのは、2000(平成12)年7月の丹波橋と中書島が最初です。ただ、その混雑はまだ許容範囲であり、沿線住民の利用機会が増えたことから、概ね好意的に受け止められました。
中でも人気を集めたのはやはりダブルデッカーで、他の車両より先に席が埋まるのが常でした。特に階上室は、始発駅の出町柳や淀屋橋で窓側に空きがなくなることが多く、これは今でもよく見られる光景です。もっとも、階下室の人気がそれほど低いわけではなく、七条や京橋を発車する時点では階上室とあまり変わらない乗車率になります。
こうして、JR東日本の215系が活躍の場を狭めるのとは対照的に、京阪の8800形は料金不要で乗れる稀有なダブルデッカーとして、その地位を固めていったのです。丹波橋で連絡する近鉄とは否応なしに比較されますが、特急料金が要らない京阪のほうが優勢なのは明らかであり、ダブルデッカーのお株を奪った格好になりました。
京阪特急は、2003(平成15)年9月のダイヤ改正で日中15分毎から10分毎に増発され、樟葉と枚方市に終日停車するようになりました。本数増によって8000系だけでは特急運用を賄えなくなったので、当初は3扉固定クロスシート車の9000系が穴を埋めました。現在は3扉転換クロスシート車の2代目3000系がその責を負っています。
沿線最大の中間駅である枚方市は乗降が激しく、昼間時でも60秒の停車時間が確保されました。それでも遅れが目立ったことから余裕時間が増やされ、全盛期に48分だった出町柳―淀屋橋間の所要時間は、上り55分・下り57分にまで延びました。現在は追い越し駅の見直しにより、上下とも54分に短縮されています。
いずれにせよ、2扉転換クロスシート車である8000系には荷が重い運用であり、これを緩和すべく、運転室の後部を除く車端部をロングシート化するリニューアル工事が2010(平成22)年から翌年にかけて実施されました。ただし、枕を備えたハイバック式を採用しており、最高級車としての面目は保っています。
この改造により、8800形の場合は座席定員が4人減って78人に、立席定員が5人増えて47人になりました。書類上は合計で1人しか増えていませんが、実際にはもう少し詰め込みが効くようになっています。
ただし、乗降扉は変わらず1,100mm幅の片開き2か所であるため、収容力は増したものの乗降時間の短縮にはほとんど寄与していません。このため、朝ラッシュ時の特急運用には復帰できないまま現在に至っています。
もっとも、これは8800形に限ったことではなく、8000系の他車にも共通しています。実際にも、ダブルデッカーである8800形の乗降時間だけが突出して長いというわけではなく、編成単位で直面している問題です。
京阪は2017(平成29)年に8000系の6号車を横3列のリクライニングシートに改装し、指定席車の「プレミアムカー」に仕立てましたが、常識的に考えてこれが8000系に施される最後の工事になると思われます。ワイドドア化や3扉化が行われる可能性はもうないでしょう。
「プレミアムカー」には通り抜け防止も兼ねてアテンダントが乗務していますが、8800形の階上室を指定席に改装し、通り抜け客を階下室に誘導して人件費を節約する選択もあり得たと思います。ただ、8800形は料金不要で乗れるダブルデッカーであることが定着しているので、指定席化は好ましくないとの判断がなされたのでしょう。
なお、登場時の8800形は、枕が折れ曲がって直立する機構を持つノルウェーのエクネス社製の転換クロスシートを備えていました。このシートは、首元がしっかりと支えられるので座り心地が良く、窓際への出入りもしやすい優れものでしたが、件のリニューアル工事と前後して、2014(平成26)年までに通常のシートに交換されてしまいました。
交換後のシートは、首を合わせれば腰が浮き、腰を合わせれば首が浮く扁平な形状です。拙著「転換クロスシートの復興計画」で述べたように、背ずりの両面を使うことの制約を負いながら、その形状を固定式や回転式のクロスシートに近づけることが転換クロスシートの長年の課題でした。それを克服したエクネス社製のシートを放棄するのは、時代に逆行していると言わざるを得ません。ダブルデッカーとは直接関係しない問題ですが、敢えて指摘を加えておきます。
8000系のうち、2017(平成29)年に改造された「プレミアムカー」は、リニューアル車の常としてこの先10~15年程度は活躍すると考えられます。しかし、8800形を含む他の車両は車端部のロングシート化工事からすでに6~7年が経過しており、予断を許しません。
これに関しては、さらに気になる情報があります。京阪の社長が、2020年頃を目途に特急を数分スピードアップさせる方針を明らかにしたのです。そのために「新型のブレーキシステムで速度を常にコントロールしたり、線路状態を良くしたりする」とのことですが、果たしてそれだけで数分、即ち4~5分も所要時間を短縮できるものでしょうか。
日本の鉄道には、踏切のある区間では非常ブレーキをかけてから600m以内に停止しなければならないという規定があります。よって、最高速度の向上のために空気ブレーキの増圧工事が必要となる場合もありますが、京阪本線は全区間の約40%がカーブであり、最高速度引き上げの効果は極めて限定的です。一方で、線路の保守状態やカーブのカント量(遠心力を緩和するための左右の高低差)の水準は高く、線形改良の余地もほとんどないのです。
ブレーキシステムが所要時間の短縮につながるケースとして考えられるのは、京都側から順次設置が進んでいる新型ATSによる停止速度パターンの適正化です。ただし、同様にATSを更新した阪急神戸線や京都線の特急は1~2分しかスピードアップされていません。
京阪特急のスピードアップをもたらす他の方法としては、「カーブ通過速度の向上」と「駅での停車時間短縮」が考えられます。しかし、これらは8000系、特にダブルデッカーの8800形にとっては荷が重いものです。8800形は鋼鉄製であり、アルミ製である8000系の他の車両に比べて必ずしも重心が高いわけではありませんが、超過遠心力の問題もあるため、カーブ通過速度を大幅に向上させるのは現実的ではありません。
ここから先はあくまでも推測ですが、京阪は3扉転換クロスシート車の2代目3000系もしくはその改良型を増備し、これに「プレミアムカー」を編入して残りの8000系を淘汰することを考えているのではないでしょうか。
2代目3000系は起動加速度が2.8km/h/s(1秒で時速2.8kmに達するの意)で8000系の2.5km/h/sより高く、しかも高速域での加速が低下しにくい交流モーター車であるため、性能面で有利です。2代目3000系は接客設備では8000系より劣りますが、スピードアップには適しています。新幹線に例えれば、8000系は100系、2代目3000系は300系に相当するでしょう。
さらに、2代目3000系は1,300mm幅の両開きの3扉車であるため、8000系が60秒を要する枚方市の停車時間を、30~40秒程度に短縮できる可能性があります。同様に、樟葉・中書島・丹波橋でそれぞれ40秒を30秒に、北浜・天満橋・京橋・七条・祇園四条・三条でも10秒ずつ縮めれば、それだけで約2分の短縮が可能なのです。「プレミアムカー」は1,100 mm幅の片開きの1扉車ですが、定員40人の座席指定車なので支障はないでしょう。
以上のように、駅での停車時間短縮と加速性能の向上に新型ATSの効果を加えれば、京阪特急を4~5分スピードアップさせることは不可能ではありません。ただし、そのためには「プレミアムカー」を除く8000系全車の置き換えが前提となります。リニューアルから9~10年での引退は早いですが、スピードアップの壁は越えられそうにありません。京阪が「プレミアムカー」を導入したのも、ダブルデッカーとは別の目玉を早めに用意しておく狙いがあったからではないでしょうか。
もっとも、「プレミアムカー」を特急・快速特急の全編成に連結するには両数が足りないので、8800形のうち6両程度を改造し戦列に加えることも考えられなくはありません。現在の「プレミアムカー」は改造の難しいアルミ車のため、シートピッチ拡大に伴い窓割りが合わなくなりましたが、8800形は鋼鉄製なので対応は容易です。
しかし、拙著「振子車両の復興計画」で述べたように、京阪が中長期的に特急・快速特急の所要時間をさらに短縮させるならば、JRや名鉄などで導入されている空気ばね式の車体傾斜装置や、振子装置の導入も検討課題となります。これはカーブの多い京阪の宿命であり、いずれはダブルデッカーを第一線から退かせるのもやむを得ないと思われます。
拙著「寝台車と食堂車の復興計画(前篇)」でも少し触れましたが、交通コンサルティング会社社長の阿部等氏が、大都市圏の通勤用に「総2階建て車両」を導入する提案を行って物議を醸したことがあります。
私も「総2階建て車両」は詭弁だと思っています。その根拠の一つは、移行期間を経て段階的に整備することができず、初めから完成された状態で忽然と出現させなければ成立し得ない計画であることです。
その具体的な内容は、従来のダブルデッカーとは異なり、1階と2階を独立した構造としてホームも2階建てするというものです。そんなことが現実に可能なのでしょうか。
海外では、地下鉄などを除いてプラットホームのない駅が多く、ダブルデッカーの階下室に直接出入りし、階上室には階段で昇る例があります。さすがに階上室に面したホームは存在しませんが、それを後から追加することは日本に比べれば少しは容易でしょう。
日本で同様の構造の車両を走らせようとすればホームのかさ下げが不可欠であり、営業運転と並行しながらそれを行うのは事実上不可能です。しかし、私はこれが誤解であることに後から気づかされました。
それは阿部氏の公表した「総2階建て車両」の予想図を見たときのことです。その車両は、台車間を下げず、そのままの高さで通常の平屋車両を2両上下に重ねたような姿だったのです。
私は唖然としました。この構造ならば確かにホームのかさ下げは不要です。しかし、従来の建築限界をはるかに超えるこのような車両が、日本のどこの電化区間を走れるというのでしょうか。架線や架線柱、橋上駅舎やトンネルなどに接触するのは必至です。また、重心を無視したこの車両が、安全にカーブを通過できるとはとても思えませんでした。
そもそも、台車間の空間を活用することがダブルデッカーの本義であるのに、この「総2階建て車両」はそれを真っ向から否定するものです。阿部氏はJR東日本で20年近い実務経験があるとのことですが、失礼ながらとてもそうとは思えません。「総2階建て車両」の称号は、こんな机上の空論ではなく、近鉄20100系やJR215系に捧げられるべきです。
これまで見てきたように、現在の日本で最も活躍しているダブルデッカーは京阪の8800形であると言って差し支えないでしょう。ただし、その将来が必ずしも安泰でないことは前章で述べた通りです。
一方、本家というべき近鉄では、乗客よりもむしろ会社側がダブルデッカーに対して一種のアレルギーを抱えているように思われます。第1章で述べた水平シート車(もしくは寝台車)を除けば、特急車両にダブルデッカーを新規導入する可能性は低いと言わざるを得ません。
京阪の8800形ではダブルデッカーの天地寸法の狭さを苦にする意見はほとんど聞こえてきませんが、所要時間が1時間弱の京阪間と2時間強の名阪間では反応が異なるのは当然です。だからと言って有料特急に活躍の場がなくなったと断じるのは早計であり、相対的に人気の低い階下室の居住性を向上させることが復権の鍵となるでしょう。
かつて特急「あさぎり」に使用されていたJR東海の371系と小田急20000形は、いずれもダブルデッカーの階上室をグリーン席、階下室を普通席としていました。「あさぎり」の需要自体が落ち込む中でグリーン席は供給過多であり、現役車両の小田急60000形はダブルデッカーも前面展望室も持たないモノクラス車となっています。
ただし、1編成のうち1両くらいはダブルデッカーに置き換えても良いように思います。その場合、全席を普通席とし、階上室を横4列、階下室を横3列にして、眺望性と快適性の役割分担を図るのが妥当です。
この考え方は、料金不要列車にも応用できます。例えば、京阪の8800形は大部分の座席が転換クロスシートですが、窓と窓の間の柱に面した座席の通路側には死角が生じ、眺望があまり効きません。これは、同車の隠れた弱点です。
階上室を固定式のボックスシートに変更すれば、通路側の座席からの眺望は大きく改善されます。眺望を第一に考えるならそのほうが有益です。また、ボックスシートは転換クロスシートと異なり、背中合わせの座席の背ずりを共用できるので、座席定員を増やすことができます。8800形の場合、階上室の長さは7,400mmであり、ここに2人掛けの転換クロスシート(階段の直上のみ固定式)がシートピッチ910mmで通路の左右に8脚ずつ配置されています。これに代えてJR215系より20mm狭い1,480mmのピッチでボックスシートを5区画設置すれば、階上室の座席定員は8人増えて40人となります。
8800形の転換クロスシートはエクネス社製時代に比べて座り心地が低下してしまいましたが、背もたれの角度の深さや足元の広さ、常に前を向いて座れる点では、今なおボックスシートより快適です。よって、階下室は転換クロスシートを維持するのが得策です。
階上室で座席定員と眺望を確保し、階下室で快適性を提供するという方策は各社に広く適用できます。ただし、着席要望が切実な首都圏では、階下室もボックスシートにして座席数の増強を優先すべきでしょう。
その車体構造は、基本的には第2章で述べたJR215系の改造案が土台となります。即ち、階上室と階下室にボックスシート、車端部に一部収納式のロングシートを配置し、乗降扉を1,800mm(もしくはそれ以上)のワイドドアとするのです。
ワイドドア車は、同じく乗降時間の短縮を目的とした多扉車に比べると効果が低いとされています。通常、車内と車外を結ぶ経路は各扉の両側2か所となりますが、多扉車は扉を増やした分だけ経路を増やすことができます。一方、ワイドドア車は経路そのものを増やせないので、効果が限定的になるのです。
ダブルデッカーとワイドドアの組み合わせは国内に前例がありません。しかし、ダブルデッカーの場合は、車端部からの通路と下り階段・上り階段という3つの経路を各扉に確保できます。ダブルデッカーこそワイドドアを採用するのにふさわしいと言えます。
さらに、今後新造されるダブルデッカーで改良すべき点は、貫通路の扉を廃止するだけでなく広幅にして、車両間の移動を容易にすることです。広幅の貫通路は車内を風が吹き抜けることから長編成の車両では避けられる傾向にありますが、階段が防波堤代わりになるダブルデッカーにはこの問題は無関係です。
その階段は、215系や京阪8800形では直線状ですが、万一の転落事故の場合には、JR東日本のグリーン車で定番となっている螺旋階段のほうが衝撃が和らぐと考えられるので、新造車ではこちらを採用すべきでしょう。
なお、座席数の増強を第一に考えるならば、かつての近鉄10100系のような連接車にしたほうが有利です。連接車は中間車両の車体長が台車中心間距離と同じ長さ(JR在来線の場合は14,000mm程度)に短縮されますが、その分車体幅をやや広げることができるので、クハ415-1901号車のように階上室の座席を横5列にする目途も立ちます。
仮に横4列のままであっても、215系10連とほぼ同じ長さの連接車13連ならば、うち3両をグリーン車とした場合でも、編成定員は70人増の1,080人(うちグリーン車は30人増の210人)を確保できます。連接車では乗降扉が1,200mm幅程度の片開きに事実上制限されますが、編成単位では26か所を確保できるので、ワイドドア車にも見劣りしません。ただ、ホームドアの早急な設置が叫ばれている昨今、扉の位置を他車に合わせるのが難しい連接車を大々的に導入するのは、結局のところ現実的ではないでしょう。
定員を超えると急に容量不足に陥ってしまうのがダブルデッカーの弱点であることから考えても、やはり通常のボギー車にして車端部を混雑の調整弁にするのが妥当です。これらの施策により、着席通勤の機会が少しでも広がることを願って、本書の結びとします。
【遠近分離ダイヤの復興計画】
データ本:324円(税込)/紙本:715円(税込・送料別)
優等列車を設定する重要な目的の一つが「遠近分離」です。郊外の人口が少なく、都市間輸送の比重が相対的に高かった時代には、「遠近分離」の導入は容易でした。しかし、かつての主要駅が新興駅に追い越され、相対的地位が低下した場合でも、優等列車の停車が既得権益として主張され、結果的に停車駅が増え続けることが珍しくありません。「遠近分離」はこのように流動的なものであり、折に触れて見直しを行っていかなければ、輸送の実態からかけ離れたダイヤに陥ってしまうことになります。本書では実例を挙げながら、各線の輸送実態に見合った望ましい「遠近分離」のあり方を探っていきます。
【振子車両の復興計画】
データ本:324円(税込)/紙本:670円(税込・送料別)
本書の題名に冠した「振子車両」とは、カーブを走行する際に車体を内側に傾けて通過速度を向上させる機能を持った鉄道車両を指します。国内では、台車と車体の間にコロまたはベアリングを挟み、カーブ通過時に発生する超過遠心力を利用して車体を傾ける「自然振子式」が主流です。しかし、現存する自然振子車両は2001(平成13)年に登場した形式が最後であり、以降に実用化された新型車両は存在しません。本書ではその理由を探るとともに、振子車両の活用方法を改めて検討します。
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データ本:324円(税込)/紙本:670円(税込・送料別)
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データ本:324円(税込)/紙本:756円(税込・送料別)
転換クロスシートは鉄道に特有の設備であり、背ずりを前後に動かして進行方向に合わせるタイプの座席です。比較的簡単な構造で一定の快適性を得られることから、主に関西圏や中京圏の都市間輸送で用いられてきました。一方で、その快適性をさらに向上させる画期的な機構が開発されました。その新機構に基づき、転換クロスシートをより広く普及させるための方向性を探ることが本書の目的です。
【寝台車と食堂車の復興計画】(前篇)(後篇)
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【関西私鉄王国の復興計画(中巻)】
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本書では、南海・阪急・神鉄を取り上げています。南海は特急政策、神鉄はダイヤ設定、阪急は車両規格に重点を置いて論じています。難波から北に行けない南海、新開地の立地条件に難がある神鉄、神宝線と京都線の直通に制約がある阪急、といった課題を洗い出し、今後の進むべき道を示しています。
【関西私鉄王国の復興計画(下巻)】
データ本:324円(税込)/紙本:670円(税込・送料別)
本書では、名鉄と京阪を取り上げています。通常は「関西の私鉄」に名鉄を含めることはありませんが、経営環境が厳しい中京圏において奮闘を重ねてきた歴史に敬意を表して取り上げました。名鉄は車両規格が京阪と近く、その点でも両者の比較は有効です。その京阪は、大津線と中之島線の「二重の赤字」の克服が課題です。本書では、上下分離方式による分社化を視野に入れて解決策を示しました。
【関西私鉄王国の復興計画(時刻表集)】
データ本:324円(税込)/紙本:756円(税込・送料別)
「関西私鉄王国の復興計画」の上巻・中巻・下巻と、「京阪神間直通輸送の復興計画」で紹介したダイヤ改正案をもとに、オリジナルの時刻表を作成しました。上巻では近鉄のダイヤ改正案にはあまり触れられませんでしたが、本書では主要幹線を網羅しています。「南海本線の和歌山駅乗り入れ」と「京阪間直通輸送に関する補足」も追加しています。
【京阪神間直通輸送の復興計画】
データ本:324円(税込)/紙本:756円(税込・送料別)
京阪間と阪神間の直通輸送においては、かつては私鉄が主導権を握っていたものの、近年はJRの猛攻の前に各社とも劣勢であると言われています。では、京阪神間直通輸送におけるJR・京阪・阪急・阪神の実際のシェアや輸送量はどうなっているのでしょうか。これについて具体的な数値を示した資料は驚くほど少ないのが実態です。それを可能な限り掘り起こし、今後の展望を探るのが本書の目的です。第2部では、阪急と京福、京阪と叡電の連携についても述べています。
【阪和間直通輸送の復興計画】
データ本:324円(税込)/紙本:756円(税込・送料別)
戦前の阪和間は、都市間輸送の激戦区として有名でした。しかし現在は、南海本線・阪和線ともにかつてのような活気は見られないのが実態です。本書の姉妹編「京阪神間直通輸送の復興計画」ではJRに対する私鉄各社の対抗策を述べましたが、今回はJRも含めた総合的な復興計画を探っています。
【「関西鉄道」の復興計画】(前篇)(後篇)
データ本:各324円(税込)/紙本:各715円(税込・送料別)
本書のタイトルに冠した「関西鉄道」とは、一般名詞ではなく明治時代に存在した私鉄の名前です。「関西鉄道」は、現在のJRの関西本線をメインに、大阪環状線の東半分、草津線、奈良線、桜井線、和歌山線、片町線といった路線網を展開する巨大私鉄でした。官設鉄道と激しい競争を繰り広げたのち、「関西鉄道」は国有化され、昭和末期の国鉄分割民営化で大部分の路線がJR西日本に引き継がれて現在に至ります。しかし、「旧関西鉄道」の各路線は一部を除いて、並行私鉄(特に近鉄)に圧倒されており、苦戦を強いられているのが現状です。これら「旧関西鉄道」の活性化策を考えるのが、本書の目的です。
タチヨミ版はここまでとなります。
2017年9月5日 発行 初版
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1978年 大阪府生まれ
2000年 立命館大学産業社会学部卒業
2002年 同大学院経営学研究科修了
現在 総合旅行業務取扱管理者