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この本はタチヨミ版です。
主な登場人物
武田勇気 この物語の主人公。インターネットで異世界の行き方について書かれたサイトを発見し、その方法を試してみたところ、本当に異世界へ迷い込むことになってしまう。
斉藤明美 パラレルワールドで勇気が知り合った同い年の女の子。勇気が訪れているパラレルワールド上では、勇気との幼なじみである。
福田和司 明美の従兄弟で、明美の良き理解者である。勇気が訪れたパラレルワールドに存在する素粒子物理学研究所で働いている。パラレルワールドについて研究している。
橘幸広 福田和司の同僚で、和司と共に素粒子物理学研究所でパラレルワールドについて研究している。
遠藤達也 黒鬼族に実世界から支配されている人物。
ル・ブ・ミカ 勇気たちが新たに移動した、エストラルという名のパラレルワールドで知り合った女性。黒鬼族侵攻を阻止するために一緒に行動することになる。
ダン ミカと同じく、エストラルという名のパラレルワールドの住人で兵士。勇気たちと共に黒鬼族侵攻を阻止するために行動することになる。
ロザナ サウシリアと呼ばれるパラレルワールドの王弟。
ルシュア サウシリアと呼ばれるパラレルワールドの女騎士。
クストス サウシリアと呼ばれるパラレルワールドの騎士団長代理。
シャラツ ドーバと呼ばれる鳥類から進化した人型生命体の将軍。王家の血を引いている。
シャハラ ドーバ人の王。
シャレイ ソアレス政権の総統。王家の血は引いていないが、王家の者と政略結婚することで、王家の名であるシャ名を得た。
ミュラトレス 一千年前に跳躍船でドーバ人世界に漂着した人類の子孫。ソアレス政権を打倒するために活動している。革命軍の大佐。
異世界侵略 特別編2
第1章 離反者
1
そのサウシリア世界で作られたという最新鋭の跳躍船は白銀色をしていた。形状は、僕たちがランダー世界へやってくる際に乗ってきた、ずんぐりとした、潜水艦のような姿をした跳躍船とは異なり、機体の両端が細く尖った、優美な姿をしていた。真横から見ると、ちょうどひし形を横に長細く変形させた形に見える。機体の中央部には、サウリシア世界の王家の紋章なのか、まさに飛び立とうとする鷲を簡略化した図形が金色で描かれていた。機体の全長は五百メートル強といったところだろうか。僕たちが乗ってきた跳躍船に比べると、かなり大きい。また機体の各所には武器と思われる形状をしたものが備え付けられていた。黒鬼族との戦闘を意識してか、軍艦として作られているのかもしれない。
僕と明美と和司さんの三人が、ミカさんとダンのふたりに案内される形で、サウシリア世界の最新鋭の船の前まで辿り着いたところで、船体の中央部に位置する出入り口から、金色の髪の毛を長く伸ばし、銀色の甲冑をまとった男―――――ロザナが、複数の部下と思われる男達を共なってタラップを伝って降りてきた。そして彼は僕たちの姿を認めると、その口元に親しみの込もった明るい微笑を浮かべた。
「やあ。みなさん。早速来て頂けたのですね」
ロザナは僕たちのところまで歩いてくると、にっこりと感じの良い笑顔で、僕たちの顔をぐるりと見回して言った(サウシリア世界と僕たちの世界では話している言語は異なっているのだけれど、ミカさんの説明によると、サウシリア世界の人々はブレスレッド形の、意識の周波数を合わせることができる装置を身につけていて、それによって僕たちは問題なく意思の疎通が行えるみたいだった)。
「ルワナ世界へ向けての出発準備は順調に進んでいますが、しかし、何しろ急遽の決定なので、予定より、もう少し時間がかかってしまいそうです。申し訳ありません」
「いいえ。わたしたちは全然構いません。もともと、これといって用事があるわけでもありませんから」
明美がロザナの顔を見て、笑顔で答えた。ロザナはそう答えた明美の顔を見返すと、軽く口角をあげて笑みを浮かべた。それから、ロザナはミカさんとダンの方へ目を向けると、
「船はもうあと二時間程で出航することができると思います。今、部下達に食料や水等を船のなかに詰め込ませているところです。何しろ我々が向かおうとしているルワナ世界はかなり遠方に存在しますから……順調に行っても、二週間近くかかるでしょう……下手をすれば、一ヶ月近くの跳躍行になるかもしれません」
と、ロザナは説明した。ロザナの説明に、ミカさんとダンのふたりは無言で首肯した。
「しかし、信じられないことだな」
ダンはその口元に苦笑めいた微笑を浮かべながら言った。
「あのルワナ世界へ、俺が生きているあいだに、まさか行くことができるようになるなんてな……ルワナ世界は遠方にあり過ぎて、そこへ直接行くことなんて、夢のまた夢のことだと思っていたが」
「全ては部下達の努力の賜物です」
ロザナはダンの顔を見ると、軽く微笑んで答えた。それから、彼はフッと表情を消すと、
「しかし、現段階では、まだ必ずしも、無事、ルワナ世界へ辿り着けると決まったわけではありません……というより」
と、言って、ロザナは言葉を区切ると、真顔になって僕たちの顔を見回すようにした。
「繰り返しになりますが、過去に我々の船がルワナ世界へ辿り着けたのは、ただの一度きりです。しかも、その辿り着けた者たちも、ルワナ世界へ到着して間もなく消息を断ちました……恐らく、黒鬼族に関係する何者かに襲われたのでしょう……詳細はわかりませんが……しかし、いずれにしても、この跳躍行には危険が伴います。わたしたちとしては、みなさんに同行してもらえると有り難いと思っていますが、しかし、これはなんら強制するものではありません。ですから、これからルワナ世界へ向けて旅立つことに対して、少しでも抵抗や、躊躇いを覚えているようであれば、遠慮なく、そうおっしゃってください。我々はもしそう言われたとしても、それで気を悪くしたりするようなことは、一切ありませんから」
ロザナは真剣な表情で、訴えかけるような調子の声で言った。ダンはロザナの顔を直視すると、
「お気遣いに感謝する」
と、口元にどこか不適な笑みを浮かべて答えた。
「しかし、その気遣いは無用のものだ。……少なくとも、俺にとってはな。どのみちこのままでいれば、俺たちの世界は黒鬼族の脅威さらされてしまうわけで、であれば、少しでも黒鬼族の脅威を排除できる方法に賭けたい。もっと言うと、幼い頃に家族を黒鬼族に殺されている俺としては、現実に黒鬼族に復讐戦が挑めるかもしれないこの機会は願ってもないチャンスだと言えるんだ」
ダンは口元に笑みを浮かべたまま続けた。
「わたしも同じです。祖国を……いえ、この世界全体を救うことができるのであれば、わたしはいつこの命を投げ出しても構わないと思っています。ですから、ルワナ世界へ赴くことを、躊躇ったりするはずがありません」
ミカさんもロザナの顔を見て、決意に満ちた表情でそう語った。ロザナはダンとミカさんから得られた返答に、頼もしい方々だといったような笑みを目元に浮かべた。一方で僕はまだミカさんやダン程、覚悟ができているとは言えなかった。でも、とは言え、ここまで来た以上、みんなの役に立ちたいという想いはあった。それに、ミカさんも言っていたように、ここでなんとか手を打たなければ、僕たちの世界は黒鬼族に蹂躙されてしまうことになるのだ。であれば、何もしないわけにはいかないだろう、と、僕はともすれば臆病風に吹かれてしまいそうになる自分自身を叱咤するように思った。
「僕も今更前言を撤回しようとは思いません。できるだけのことはやらせてもうつもりでいます」
僕はミカさんの言葉のあとに、どちらかというと思いつめた表情で、改めて自分の決意をロザナに対して伝えた。僕の言葉のあとに、明美と和司さんのふたりも、僕と同意見であることを伝えるように、ロザナの顔を見つめて、静かに首肯してみせた。
「……ありがとう。みなんさん。我々はみなさんが共にきてくださってなんと心強いことか・・・・・・」
ロザナは感極まったような口調で言った。僕たちはロザナの言葉に曖昧な笑みを浮かべて首を振った。ロザナは数瞬の真を空けたあと、
「わたしはこれから会議に出席せねばなりませんが」
と、改まった口調で言った。
「そのあいだ……といっても、狭い船のなかではありますが、どうぞごゆるりとお寛ぎください」
と、ロザナは感じの良い笑みを口元に浮かべて続けて言った。
「部下の者に船のなかを案内させましょう」
ロザナはふと思いついた様子でそう言うと、
「ルシュア」
と、自分のすぐ隣に立っている兵士に声をかけた。すると、ルシュアと声をかけられた、やや小柄な、ロザナと同じ白銀色の鎧を身につけた兵士は、畏まった様子でロザナの顔を見返した。
「みなさんのお世話をしてあげなさい」
ロザナはルシュアという名前の兵士の顔を見つめながら、優しい声で命じた。「はい。殿下」
どうやらルシュアという名前らしい兵士は敬礼してロザナの命令に答えた。ロザナはルシュアの返答に微笑んで頷くと、改めて僕たちの方へ顔を向けて、
「それではみなさん、また後ほど、船のなかでお会いしましょう」
と、言って、数名の部下を伴って僕たちの背後の空間へと歩いていった。僕たちは少しのあいだ、その歩いていくロザナたちの後ろ姿をなんとなく見送っていたのだけれど、ふと思い出してルシュアという名前の兵士の方へと向き直った。そしてその直後、僕は驚いて軽く目を見開くことになった。というのも、最初男性だと思っていたルシュアという名前の兵士が、実は女性であるということがわかったからだ。彼女は髪の毛を男性のように短く切り揃えていて、一見すると活発な美少年といったふうに見えるのだけれど、でも、よく見てみると、ルシュアという名前の兵士が女性であるのは明らかなのだ。彼女はロザナと同じ白人種であるのか、肌の色は白く、瞳は薄いブルーをしていた。短く切り揃えられた髪の毛はくすんだ金色をしていた。鼻は小さく上を向いていて、その下には形の良い唇がある。顔の輪郭は綺麗な卵型をしていた。年の頃は十代後半から二十代前半といったところなのではないかと思われた。
「はじめまして。みなさん。ロザナ殿下の拝命を受けまして、みなさんの案内係を務めさせて頂くことになりました。ルシュアといいます。よろしく」
と、ルシュアは明るい、ハキハキとした口調でそう短く自己紹介した。
「ルシュアさん、わたしは明美といいます。よろしく」
と、明美はルシュアの顔を見ると、にっこりと微笑んで自己紹介した。それから、彼女はルシュアに対して手を差し出して握手を求めた。ルシュアは「よろしく」と、言って軽く口角を上げると、明美の手を握り返した。明美の自己紹介のあとに、僕と和司さん、それにダンとミカさんの四人が続いた。
2
自己紹介を終えたあと、僕たちはルシュアに案内される形で、サウシリア世界の跳躍船に乗り込むことになった。タラップを伝って船に乗り込むと、まず大人三人が横に並んで進める程の広さを持った廊下があり、それは僕たちの進行方向に向かって三百メートルばかり続いていた。壁は木製になっていて、そこには花や鳥等の美しい彫刻が施されていた。天井は高く、三メートル以上あった。廊下には赤い絨毯が敷かれ、その廊下の左右の壁には等間隔に扉が並んでいる。僕たちはルシュアのあとに続いて赤い絨毯の敷かれた廊下を直進した。そして廊下を百五十メートル程直進すると、今度は左右に分かれる十字路が現れ、僕たちはその十字路を右に曲がった。すると、そこには三基のエレベーターがあり、僕たちはそのうちのひとつに乗った。僕たちがエレベーターに乗り込むとすぐに浮遊感が伝わり、エレベーターが上昇を開始したのがわかった。間もなく、エレベーターは目的の階へと到着し、目の前の扉が音もなく左右にスライドして開いた。エレベーターを降りると、先程と同じ廊下が出現した。また僕たちはルシュアを先頭にして廊下を直進することになった。やがてルシュアが立ち止まったのは、サウシリア世界の王家の紋章であると思われる、飛翔する鷲の彫刻が施された、大きな木製の扉の前だった。ルシュアが壁際のスイッチを押すと、鷲の彫刻が施された木製の扉が中央部から左右に分かれて開き、その奥に広い空間が見えた。ルシュアは扉の向こうに広がった空間へと進んでいった。僕たちはルシュアのあとを追って空間のなかへと入っていくことになった。すると、そこには、半球形の天井を持った、操縦室らしき空間が広がっていた。縦横共に百メートル程の広さがあり、その空間では青色のつなぎの制服を着た五十人近い乗組員が、皆それぞれ席について何か難しい表情を浮かべて目の前にあるコンピューター画面と向き合っていた。空間は計器類を見やすくするための措置なのか、映画館などのように照明が抑えられて少し薄暗くなっている。更に、僕たちから見て向かって正面奥の空間には、映画館並の大きさを持ったスクリーンが存在していた。
「ここは、この船の全てのコントロールを行う箇所です」
ルシュアが僕たちの方を振り向いて簡単に説明した。
「これからわたしたちが行くことになる、ルワナ世界への跳躍を随時コントロールするのはもちろん、また万が一、敵に……黒鬼族の跳躍船に襲われたときも、ここから全ての戦闘をコントロールすることになります」
ルシュアは淡々とした口調で付け加えて言った。僕はルシュアの説明に耳を傾けながら、不安を感じないわけにはいかなかった。というのも、僕は跳躍中に黒鬼族から攻撃を受けてしまうような事態を全く想定していなかったからだ。
「移動中に襲われる可能性があるんですか?」
僕は動揺を隠せない口調でルシュアに向かって確認した。すると、ルシュアは振り向いて僕の顔にその綺麗な二重の瞳を向けると、
「一応、理論上、黒鬼族の世界から我々の世界へ通じる世界線は閉じられているはずですが、しかし、万が一のことがないとは言い切れないと思います」
と、ルシュアは僕の問いに簡単に答えて言った。僕はルシュアの返答に絶句することになった。そんな話は聞いていないぞ、と、僕は焦りを覚えた。僕はつい数時間前に博物館で目にした黒鬼族の姿を思い浮かべて背筋を寒くすることになった。あの黒鬼族の巨人のような体。鎧のように隆起した筋肉。頭部から突き出している、ヤギのような鋭角的な角……。
「でも、ご安心ください。みなさんも既に目にされているかと思いますが、この船には最新鋭の武器が搭載されています。ですから、万が一、黒鬼族に襲われたとしても、そう簡単にやられたりはしません」
ルシュアは言葉を失っている僕に対して、にこやかな表情で続けて語った。彼女の口ぶりを聞いていると、彼女は万が一黒鬼族に襲われたとしても本当になんとかなると信じ切っている様子だった。でも、今の僕にはルシュアの言葉を額縁通りに受け止めることなどできなかつた。黒鬼族に襲われてただで済むはずがない、と、僕は恐ろしく思った。そしてそんな思いは、僕以外の人間もみんな同じはずだと僕は思った。そう思って僕が振り向いて周囲の人間の顔を見てみると、意外にも周囲の人間は平然とした様子でルシュアの黒鬼族襲来の話を聞き流していた。ばかりか、既に周囲の人間の興味の対象は次へと移っていた。
「それにしても、一体どのようにして、サウシリア世界の人々は、遥か遠方に存在するルワナ世界へ辿り着くことができたんですか?」
気がついたときにはミカさんが不思議そうな表情を浮かべて尋ねていた。
「わたしも専門の人間ではありませんが」
と、ルシュアはミカさんの問いに対して、まず短く断りを入れた。
「それは我々の世界で新しいエンジンが開発されたからです」
と、ルシュアは言葉を続けた。
「新しいエンジン?」
と、ミカさんは軽く驚いたようにルシュアの言葉を復唱して言った。ルシュアはミカさんの言葉に軽く頷いて話を前に進めた。
「跳躍船を使って跳躍する際、従来は、跳躍港の外に設けられた円型加速器からエネルギーを充填する必要がありました。しかし、わたしたちの世界で新しく開発されたエンジンは、実はそれ自体が、ひとつの独立した、小型の円型加速器となっているのです」
と、ルシュアは語った。ルシュアの説明に耳を傾けているミカさんの瞳は、そんなことが可能なのかといったように大きく見開かれていた。
「通常、跳躍に伴って、最初に跳躍港で得られたエネルギーは徐々に減少していきます。そしていつかは完全に跳躍港で得られたエネルギーはゼロになってしまう・・・・・・これを避けるためには、どうしてもどこかでエネルギー補給する必要があります。しかし、反面、跳躍船で移動する距離が大きくなればなるほど、その世界は未開拓の世界となり、エネルギーのチャージが困難になる・・・・・・このことが、我々がルワナ世界を目指す際の大きな足かせとなっていました」
と、言って、ルシュアは一度言葉を区切った。それから、ルシュアは自分の話に僕たちがちゃんとついこられているかどうかを確認するように僕たちの顔を順繰りに見回すようにした。そしてそれから、
「しかし、最新のエンジンが、そうしたエネルギーの補給を不要のものとしたのです」
と、ルシュアは誇らしそうな表情で言葉を継いだ。
「船のなかに小型の円型加速器を作ることで、我々は跳躍港でエネルギーを補給する必要がなくなったのです。我々の船は跳躍港なしで、船単体で跳躍することが可能です。更にそれだけでなく、我々の船は従来の跳躍船の五倍以上の速度で世界線を移動することが可能です。これに加えて技術革新により、遥か遠方にあるルワナ世界の振動数をキャッチすることも……といっても、やはりルワナ世界は遠方にあり過ぎて、その振動数は微弱過ぎ、キャッチすることは今をもってしても非常に困難なのですが……しかし、ある程度捕捉可能になりました。これらのことから我々サウシリアは、ルワナ世界を目指すことが可能になったのです」
「……船のなかに、小型の加速器を作ったなんて信じられない」
ミカさんが圧倒されたように呟いた。
「わたしたちの世界ではとても真似できない技術です」
ミカさんは目を見開いたまま続けて言った。
「ランダー世界も十分に技術が進んだ世界だと思っていたが、サウシリア世界は更にその上を行っているらしいな・・・・・・」
ダンがそのややとがり気味な顎に手をそえながら感心している口調で言った。
「でも、わからないのが」
と、和司さんが周囲の人間とは対照的にその眉間に皺を寄せながら呟くような声で言った。僕たちは振り向いて和司さんの顔を見やった。
「最初のロザナさんの台詞だ。ロザナさんはまだ俺たちの世界に辿り着くことができたのはただの一度だけだと言っていた。もし、ルシュアさんの言っているように、新しいエンジンが開発され、俺たちの世界の場所も把握できているのなら、どうして俺たちの世界へ辿り着くことができたのが、まだ、たった一度だけなんだろう?」
和司さんはそう言って、問うようにルシュアの顔を見やった。僕たちも気になって、ルシュアの顔に眼差しを注ぐことになった。すると、ルシュアは、
「それはルワナ世界の入り口付近には、魔の領域が存在するからです」
と、張り詰めた表情で答えて言った。
3
「魔の領域?」
明美がルシュアの言葉を繰り返して言った。そう言った明美の表情は何か恐ろしいものを目にしたときのように硬直していた。明美の言葉に、ルシユアは真顔で短く顎を縦に動かした。
「みなさんも異次元風の存在は知っていると思いますが」
と、ルシュアはその形の良い眉をひそめるようにして話しはじめた。
「ルワナ世界の入り口付近には、その亜空間風が常に吹き荒れている領域が存在しているのです。その領域を突破することは簡単なことではなく、過去に7度行われた遠征で、6度、我々世界の跳躍船は、その亜空間風に吹き飛ばされてしまっています。そして現在も、その跳躍船の行くへはわからないままです……当然知っていると思いますが、亜空間に吹き飛ばされると、ほとんどの確率で、生還することはできません。強烈な磁気と熱によって船は破壊されてしまいます。また運良く、その磁気と熱を耐え抜くことができたとしても、今度はその位置さえ把握困難な遠方の異世界へ漂着してしまうことになるのです。もちろん、そうなってしまったら最後、その世界からもとの世界へ戻ってくることはできません」
ルシュアが語り終えると、何か重苦しいような沈黙が僕たちのあいだに満ちることになった。僕も含めた全員が、ルシュアが語った内容に言葉を失って黙り込むことになった。
「……しかし」
と、いくらか長く感じられる沈黙のあとで、和司さんがやや戸惑っているような口調で口を開いた。ルシュアは口を開いた和司さんの顔を問うように見つめた。
「過去に一度だけとはいえ、その異次元風が吹き荒れる領域を突破できているということは何か方法があるということなんじゃないのか? その危険領域を通過できる、特殊な方法が」
ルシュアはそう言った和司さんの顔をじっと見据えた。そうして、
「ええ」
と、俯き加減に眼差しを落としながら、浮かない表情で彼女は和司さんの問いを肯定した。
「……わたしも正確なことは知らないのですが、その異次元風は、時間帯によって、その勢力が弱まることもあるそうなのです……ですから、上手く、その時間帯を突くことができれば・・・・・・とはいえ」
と、ルシュアはいくらか苦しそうな表情で続けた。
「その異次元風が弱まる時間帯も、また、弱まっている時間の長さも、全く予測がつかないそうなのです。……ですから、あらかじめ危険な時期や時間帯を避けて、そこを通過するというわけにはいきません」
僕はルシュアの説明に耳を傾けながら、僕たちは今からそんな危険な場所へと赴こうとしているのか、と、今更ながら恐ろしくなった。黒鬼族だけでも充分恐ろしいというのに。
「……なるほど。俺たちの世界へ辿り着くことができたのがまだ一度だけなのはそうしたことが理由だったのか・・・・・・」
和司さんは腕組みすると、伏し目がちに眼差しを落としながら、考え込んでいる表情で呟いた。
「……じゃあ、今回の跳躍行においては、何か特別な方法が考案されていたりするんですか? その危険地帯を通過するにあたって」
明美がルシュアの顔を見つめて、さすがに不安そうな表情で確認した。ルシュアはそれまで俯き加減にしていた目をあげて、明美の顔を見た。それから、彼女は堅い表情で首を左右に振った。
「……残念ながら」
ルシュアは短くそう答えたあと、気まずそうに目を伏せた。
「これまでと違って、何か特別な方法が考案されているわけではありません」
ルシュアは続けてそう言ったあと、何か縋るような眼差しで明美の顔を見た。
「しかし、今回の跳躍行においては、あなたがた、ルワナ世界の人々が、わたしたちの船を、導いて下さると、我々は説明を受けています。ルワナ世界の人々には何か不思議な力が備わっていると……」
僕と明美と和司さんの三人は、ルシュアの台詞にお互いに顔を見合わせることになった。一体どうしようというように。恐らく、ロザナが、僕たちには特別な力が備わっているとルシュアたちに説明したのだろうけれど、しかし、そんなふうに期待されても、一体何をどのようにすれば、その危険地帯を突破することができるのか、僕たちには皆目見当もつかない状態だった。確かに、あのとき、遠藤くんの身体を支配している黒鬼族に追い詰められたとき、何らかの作用が働いて、僕たちは一瞬で、異世界へ移動することができたわけなのだけれど。でも、一体何をどうすれば、あのときと同じことを再現することができるのか、今の僕たちには全くわからなかった。
「……ルシュアさんたちの期待を裏切るようで申し訳ないけど、でも、僕たちには特にこれといった不思議な力なんて備わっていないんです。……確かに、一度だけ、不思議なことが起こったことは起こったけれど……でも、それはただの偶然みたいなものだし……」
僕は眉尻を下げて、どちらかというと途方に暮れているような声音で言った。ルシュアは僕の言葉を耳にして少なからず動揺したようだった。彼女は張り詰めた表情で僕のことを見ていた。
「いや、きみたちがいれば、大丈夫さ」
それまで黙していたダンが口を開いて言った。それから、彼は口元に不敵な笑みを浮かべて、僕と明美と和司さんの顔を見やった。
「きみたちは自分自身で気がついていないだけで、実はものすごい潜在能力を秘めているんだ。何しろ、きみたちは跳躍船を用いず、身ひとつで、俺たちの世界まで移動してきたんだからな」
ダンは続けてそう言うと、愉快そうに軽く笑った。
ルシュアは僕たちが異世界へ移動できた理由を聞かされていなかったのか、驚いたように大きく目を見開いた。それから、彼女は驚愕した表情のまま、
「それは本当の話ですか⁉」
と、僕たちの顔を見て尋ねてきた。僕は口を開いて彼女の問いに答えようとした。確かにそうだけれど、でも、それはただの偶然のようなものに過ぎず、もう一度同じことができるかというと、決してそういうわけではないのだということ。しかし、実際に僕が口を開くよりも先に、ダンが豪快な感じのする笑顔でルシュアの問いに答えた。
「もちろん、ほんとうだとも。彼らがその気になれば、こんな跳躍船なんて用いることなく、もとの世界へ戻ることだってできるんだ」
「素晴らしい!」
ダンの言葉を耳にしたルシュアが表情を輝かせて言った。
「それは大変素晴らしいことです。跳躍船を使うことなく、世界線を移動することができるだなんて!」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
明美がルシュアの顔を見て、慌てて言った。不思議そうな表情を浮かべたルシュアに対して明美は、
「ダンさんが言ったことは嘘じゃないけど、でも、わたしたちにも何をどうやったら、そんなことができるのか、全然わからないんです。前回はたまたま上手くいったけど……」
僕は明美の言う通りだというように、明美の隣で強く頷いてみせた。
「心配するな」
ダンは僕と明美の顔を見ると、破顔して言った。
「たとえ今はその方法がわからなかったとしても、いざというときには、きみたちは必ずその能力を発揮できるはずだ」
ダンは断言して言った。僕はそのダンの無責任とも言える発言に抗議しようとしたけれど、
「そうです。みなさん、もっと自分の力に自信を持ってください」
と、ミカさんがダンの言葉のあとに微笑んで言ったので、僕はダンに対して抗議する機会を失ってしまった。ミカさんは言葉を続けた。
「みなさんは跳躍船を用いることなく、異世界へ移動することができたんです。それを思えば、今回の跳躍はもっと簡単じゃないですか? 何しろ、こんな立派な船で跳躍するわけですから」
「そうだ」
と、ダンはミカさんの隣で腕組みすると、僕たちの顔を見て、からかうような笑顔で言った。
「俺、個人的には、きみたちはほんとうに窮地に陥ったとき、その能力を発揮することができるんだと思っている。だから、今回、その危険地帯を通るのは、返って都合が良いと言えるかもしれん。何しろ、その危険地帯を通ることで、きみたちのなかに眠っている本来の能力が刺激されるはずだからな」
ダンの言葉のあとに、ミカさんもその通りというようにニコニコとした笑顔で頷いてみせた。僕としてはそんなに都合よく行くとは思えなかったのだけれど、でも、すっかり楽観的なムードになってしまっていて、今更そんなことが言えるような雰囲気ではなくなってしまっていた。また言ったとしても、ダンは僕たちの言葉を適当に聞き流してしまうだろうと思った。だから、僕は黙っていた。明美も和司さんも僕と同じ想いなのか、困ったような表情を浮かべたまま黙っていた。
「なんか、みなさんの話を聞いて安心しました」
それまで黙って僕たちのやりとりに耳を傾けていたルシュアが微笑んで言った。
「実を言うと、わたしも正直、今回のルワナ行きは不安な面もあったんです。でも、さっきのみなさんの話を聞いていて、なんとかなりそうな気がしてきました」
ルシュアは僕たちの顔を見ると、にっこりと口角を持ち上げて言った。僕と明美と和司さんの三人は、ルシュアの顔を見つめ返すと、やや強張ったぎこちない笑顔で曖昧に頷くことになった。ほんとうはそうでもないんだけどな、と、思いながら。
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その後、僕たちは船のなかにある主だった施設をルシュアに案内してもらった。食堂、イベントルーム、展望室、図書室、会議室、武器庫。そして最後に、跳躍行のあいだ、僕たちが時間を過ごすことになる客室に案内してもらった。その部屋は、僕たちが最初に乗った跳躍船とは違って、広々としていた。扉を開けてすぐの部屋がリビングになっていて、それ以外に三つのベッドルームとトレイとバスルームが完備されていた。内装ももともと王族が使う船だけあって豪華だった。鏡のように自分の姿が映り込む暗黒色の壁には、葡萄唐草のような曲線が金で描かれていた。壁の一部は手で触れると、透過壁に変わって、外の世界が見渡せるようになっていた。リビングの中央には、モダンなデザインの黒いソファーが置かれ、100インチ程の大きさのテレビと思われるものまであった。僕たちのためにこんな贅沢な部屋を用意してもらって、申し訳ないくらいだった。
「なんかすいません、こんな立派な部屋を用意してもらって」
僕はルシュアの顔を見ると、恐縮して言った。ルシュアは僕の言葉に微笑すると、軽く首を振って、
「みなさんはお客様ですから」
と、答えた。それから、彼女は右腕にしているブレスレットに視線を落とすと、それからまた顔をあげて僕たちの顔を見て、
「わたしはこれからちょっとやらなければならないことがあるので席を外しますが、食事等は先程案内させて頂いた食堂で自由に取ることができますので、良かったら召し上がってください。もちろん、料金はかかりません。また食堂以外の施設も自由に使って頂いて結構です。それでは、狭い船ですが、ごゆっくりとお寛ぎください」
ルシュアは僕たちの向かって感じの良い笑顔でそう言うと、軽く一礼して、部屋を出て行った。彼女が部屋を出て行ってしまうと、部屋のなかには僕と和司さんと明美、それから、ダンとミカさんの五人が残されることになった。リビングは50畳くらいの広さがあり、五人の人間が留まっていても全く窮屈に感じることはなかった。逆に、広すぎて落ち着かないくらいだ。
「……すごく豪華な部屋ですね」
僕は広々とした、塵ひとつ落ちていない、快適な空間を見回しながらなんとなく口に出して言った。
「サウシリアは、異世界連盟のなかでも、最も豊かな世界のひとつですからね」
ミカさんが僕の顔を見ると、穏やかな笑顔で言った。
「このリビングだけで、俺の家よりも広いくらいだな」
黒いモダンなソファーに腰掛けたダンが足を組みながら、不服そうにやや唇を尖らせて言った。そのダンの発言に、ミカさんは可笑しがっている表情を浮かべると、
「でも、まあ、この部屋はもともとロザナさんたちのような王族のために用意された部屋だということもあるわ」
と、ミカさんはダンに向かってたしなめるような口調で言った。ダンはミカさんの顔を見ると、いまひとつ納得していないような表情で頷いた。
「ロザナさんの説明だと、わたしたちの世界に到着するまで最低二週間はかかるっていう話だったけど……」
明美が不安そうに表情を曇らせて、ミカさんの顔を見つめて言った。僕にも明美が言いたいことはわかった。明美が言いたいのは、そのあいだに、僕たちの世界が黒鬼族の攻撃にさらされてしまったらどうしようということだろう。ミカさんは張り詰めた表情で明美の顔を見返すと、
「明美さんの心配はわかりますけど……でも、現段階においては、これが最も早く、ルワナ世界へ……みなさんの世界へ行く方法なんです……現在、わたしたちの世界でみなさんの身体から得られたデーターは分析中ですが……しかし、そのデーターの解析結果が出るのはまだもうちょっと先でしょうし……その結果が出てから、みなさんの世界へ行こうとすると、また更に時間がかかってしまうことになります……」
「……二週間か」
和司さんは透過壁になっている壁の前で腕組みすると、焦燥感に駆られている表情で言った。
「それだけの時間、俺たちの世界は、黒鬼族の脅威に持ちこたえられるだろうか……」
僕は和司さんの言葉に耳を傾けながら、和司さんのラボのなかに侵入してきた遠藤くん……黒鬼族のことを考えていた。
「あのあとの、遠藤くんの行動が気になるな……」
僕は呟くような声で言った。和司さんはそう言った僕の顔を振り向いて見ると、いくらか険しい表情を浮かべて首肯した。
「あのとき、遠藤という男は、俺たちのような窓となりうる人間を集めて何かを作っていると話していたよな?」
僕は和司さんの台詞に、真顔で短く頷いてみせた。
「窓?」
と、それまで僕たちの話に黙って耳を傾けていたダンが、何か聞き捨てならない単語を耳にしたというように、振り向いて僕と和司さんの顔を見た。
「その窓、というのはなんなんだ?」
そう言ったダンの顔は驚きを通り越して、怯えに近い表情になっていた。和司さんがダンの顔を見て、もう一度、僕たちがダンの世界へ移動する直前に起こった出来事について大まかに彼に話して聞かせた。そしてそのとき、遠藤くんの身体を支配していた黒鬼族が話していたことも。
「……もしそれが本当だとしたら、かなりヤバいな……」
ダンは和司さんの話を聞き終えると、渋面を浮かべて言った。
「その窓というのは、もしかすると、黒鬼族の世界から、直接、きみたちの世界へ跳躍することができる入り口のことなのかもしれん……もし、そんなものが完成していたら……」
「でも、まだ今のところ、ルワナ世界が、黒鬼族からの侵攻を受けたという話は聞かないわ!」
ミカさんがダンの方を振り向いて強い口調で言った。その口調からは、ミカさんの、絶対にそんなことがあっては困るといような、切羽詰まった想いがひしひしと伝わってくるようだった。
「……確かにそうだが……」
と、ダンはミカさんの言葉に同意したものの、自分のなかに浮かび上がってくる疑念を振り払うことができない様子だった。ダンは振り向いて自分のすぐ隣の位置に立っているミカさんの顔を見上げた。
「だが、俺たちの世界にルワナ世界の人間が訪れてから、まだ三日しか経っていない……俺たちがこれからルワナ世界へ到着するのは、早くてもこれから二週間後のことだ……だから、そのあいだに、黒鬼族がその窓というものを完成させてしまったとしたら……?」
ダンの科白に、ミカさんはぎゅっと強く両目を閉じると、最悪の想像を振り払おうとするように頭を振った。
「絶対に、そんなことはさせないわ!」
数秒後、ミカさんはそれまで閉じていた瞳を開きながら強い口調で言った。ミカさんは自分ではどうすることもできない現状に苛立ちと焦燥感の両方を募らせていっているようだった。
ミカさんの言葉のあとにしばらくの沈黙が満ちた。沈黙のなかで、僕たちはそれぞれの感慨に耽っていた。僕が思い浮かべていたのは、和司さんのラボのなかで見た遠藤くんの顔だった。自分は万物の支配者であると述べたときの、会心の笑顔。そして、記念館で見た、黒鬼族よって破壊された都市の写真。虐殺された人々の遺体・・・・・・。
と、そのとき、ダンがはっと何かに気がついたような表情で僕の顔を見た。僕が問うようにダンの顔を見返すと、彼は、
「今、思いついたんだが」
と、ダンは軽く興奮した口調で言った。
「勇気、きみは、ルワナ世界で黒鬼族に追い詰められたとき、ここではない、どこかへ逃げなければと考えていたと言っていたよな? そしたら、何故か俺たちの世界へ移動することができた、と」
「……そうだけど?」
僕はダンが一体何を言わんとしているのかがわからなかった。
「今から、そのときのことを試してもらえないか?」
ダンはソファーから身を乗り出すようにして、彼から見て正面の位置に立っている僕の顔を見て言った。僕が戸惑って黙っていると、
「つまり、今からここで、きみたちの世界のことを強くイメージするんだ。この船ごと、きみたちの世界へ移動することを……そうすれば、案外、今すぐにでも、きみたちの世界へ移動することができるかもしれん……もちろん、移動には、和司や明美の協力もかかせないだろうが……」
ダンはそう言ったあと、僕と明美と和司さんの顔を見回した。僕は助けを求めるように、近くにいる明美と和司さんの顔を見やった。明美と和司さんもいくらか不安そうな面持ちで僕の顔を見返した。
「いや、そんなに難しく考える必要はない」
と、ダンは僕の顔を見て説得にかかった。
「俺ももともと上手くいくとは思っていないんだ。ただ、試してくれるたけでいい」
ダンは言った。僕と明美と和司さんの三人は再度顔を見合わせることになった。そして、
「……わかった」
と、やがて和司さんが堅い表情を浮かべて首肯した。
「そんなに簡単に行くとは思えないが、しかし、やれるだけやってみよう」
和司さんは思案顔で言った。
そのあと、僕と明美と和司さんの三人は、リビングの中央に集まると、互いに手を繋いで(そうすることで、三人の力が強まるかもしれないというミカさんのアドバイスに従った)目を瞑った。目を瞑りながら、僕は僕たちがもといた世界……つまりルワナ世界をイメージした。
しかし、もちろん、そんなことをしても、そう簡単にルワナ世界へ移動できるはずもなかった。だいたい五分間くらいが経過したところで、僕は諦めて閉じていた目を開いた。それから、どうすれば良いか、指示を求めて、隣に立っているミカさんの顔を見た。ミカさんは真剣な眼差して僕の顔を見返してきた。
「みなさん……諦めないで……もう一度同じことを試してみてください。ほんとうに強くイメージするんです。自分がもといた世界のことを」
ミカさんは熱の籠った口調で言った。
僕たちはミカさんの依頼を断りきれず、もう一度、同じことを試してみることにした。そうして僕は再び目を瞑りながら、ミカさんのアドバイスに従って、自分がもといた世界のことを強く思い描いてみた。僕が通っていた大学の校舎。父親と母親と妹のこと。家族でよく食べに行ったレストランのこと……それから、昔好きだったひとのことのこと……そしてその次の瞬間、僕は自分の身体がどこかへ向かって沈み込んでいくような感覚を覚えた。
それから、ふと目を開くと、驚いたことに、僕は自宅の自分の部屋のなかに立っていた。目の前にある机の上には、僕が使っていたノートパソコンがあった。机の前には窓があり、そこからは、僕が自宅の部屋からいつも見ていた景色を見渡すことができた。電柱と道路とその向こうに広がる田圃、それから山。何もかもが元通りだった。僕は信じられない思いで一杯だった。僕は本当にもとの世界へと戻ることができたんだ、と、興奮した。でも、驚いたのも束の間、僕は、再び、自分の身体がどこかへ向かって下降していくような感覚を覚えた。そして気がつくと、僕はもとの跳躍船のなかに戻っていた。明美と和司さんと手を繋ぎながら。……要するに、僕は幻覚を見ていたのだろう。僕は自分が何かもの凄いことを成し得たような気分になっていたので、全てが自分の妄想に過ぎなかったとわかって、かなりがっかりした。でも、そうして落胆している僕の鼓膜を震わせたのは、明美と和司さんの驚愕に近い声だった。
5
「……勇気」
「勇気くん」
と、近くで、明美と和司さんの声がした。ふたりは信じられないものでも見るかのような目で、僕のことを見ていた。どうしたの? と僕が気になって訊ねると、
「あなた、自分が今何をやったのか、わかってないの⁉」
と、明美が何故か責めるような口調で言った。それでも、僕が戸惑った表情を浮かべていると、
「勇気くん、きみは……自分では気がついていないようだが、たった今、俺たちの前から姿を消したんだ! この空間のなかから……一瞬だけではあったが……でも、きみは姿を消したんだよ!」
和司さんは僕の顔を見て、熱を帯びた口調で言った。
「……」
僕はその和司さんの指摘を受けて、ガツンと頭を殴られたかのような衝撃を受けることになった。……ということは……まさか、と、僕は思った。先程、僕が目にした、あの、自宅の映像は、もしかすると、ほんものだったのか、と、僕は慄然とした。僕が驚いて目を見開いていると、
「……どうやら、俺の推測は間違っていなかったらしいな」
と、ダンが僕の顔を見て、笑い出しそうな笑顔で言った。
「勇気さん、あなたは、ほんの一瞬ではあったけれど、このランダー世界から他の世界へ移動したんですよ。跳躍船を使うことなく」
ミカさんが目元に笑みを浮かべて感激している口調で言った。
「すごいわ! 勇気!」
と、明美が僕の顔を見て、褒め称えるかのような調子で言った。僕は何がなんだかわからなくて、しばらくのあいだ何もリアクションをすることができなかったけれど、やがて、
「で、でも、結局、もとの世界に戻ってきちゃったし」
と、いいわけするように答えた。
僕の言葉に、ダンは軽く腕組みして頷いた。
「恐らく、集中力の問題だろう」
と、ダンは言った。僕が問うようにダンの顔に視線を向けると、
「さっきは、意識の集中が、完全ではなかったんだ。ほんとうにそんなことができるのかと半信半疑だった……つまり、勇気の意識の半分以上が、こちらの世界に留まったままだったんだ……だから、すぐにこちらの世界へ戻って来ることになってしまった……そんなところだろうと思う……だから、次は、もっと明確に、行きたいと望む世界に焦点を合わせるようにすれば、今回のようにすぐにもとの世界へ戻ってくるというようなことは起こらないはずだ」
ダンは確信に満ちた口調で言った。
「……勇気、さっき、あなたが、わたしたちの側から姿を消したとき、あなたは一体どこにいたの?」
明美が真剣な眼差しで僕の顔を見て尋ねてきた。僕は明美の顔を見返すと、彼女に僕が先程目にしたものについて説明した。つまり、一瞬だけ、僕が自宅の部屋に戻っていたことを。
「……ほんとにすごいわ!」
明美は僕の話を聞き終えると、半ば放心したように目を見開いて僕の顔を見つめた。
「勇気くん、きみには、俺たちが想像しているよりもずっと遥かに素晴らしい能力が備わっているみたいだな」
和司さんが僕の顔を見て、その口元にからかうような笑みを浮かべて言った。
「で、でも、さっきのはただのマグレみたいなものだし……それにすぐ戻ってきてしまったし」
僕は焦った口調で答えて言った。
「大丈夫だ」
と、ダンが口元にどこか不敵な笑みを浮かべて宣言した。僕が振り向いてダンの顔を見ると、
「さっきのはただのマグレだったのかもしれんが、練習していくうちに、意図的にできるようになるはずだ。さあ、もう一度試してみよう」
ダンは簡単に言った。まるで球技の練習でもしているかのような口調で。
6
その後、僕たちは何度もさっきと同じことを再現しようと試みたけれど、結局、その試みは上手くいなかった。どれだけ意識を集中させても、さっきと同じ現象を引き起こすことはできなかった。相変わらず、僕も和司さんも明美も、現在いる跳躍船のなかから違う世界へと移動することはできなかった。三十分ばかり、ルワナ世界へ移動しようと試み続けたところで、今日のところはこれで実験は終了しようという話になった。
「……やはり、そう簡単に上手くいくものではないらしいな」
ダンは僕の顔を見ると、苦笑めいた微笑を口元の端に浮かべて言った。
「……ダン、申し訳ない」
僕は責任を感じて弱い声で謝った。僕としてはすぐにでもさっきと同じことを再現してみせるつもりだったのだけれど、でも、結局上手くいかなかった。僕は自分自身に対して不甲斐なさを感じた。
「いや、謝る必要なんてないさ」
ダンは僕の顔を見ると、小さく笑って答えた。
「もともとそんなに期待していたわけでもなかったしな。むしろ、今は、たった一度でも、成功できたことに満足しなきゃならんだろう……あとはこれから徐々にコツを掴んでいくしかないだろうな」
ダンはそのいくらか尖り気味の顎先に手を当てながら思案顔で続けた。
「……勇気、さっきと今回で、何か違った点はあった?」
と、それまで僕の隣で黙していた明美が不安そうな面持ちで確認してきた。僕は明美の顔を見ると首を振った。
「ううん。僕としては全く同じことを考えていたつもりだったけど……」
「……じゃあ、わたしたちの方に何か問題があるのかしら?」
明美は僕の返答に伏し目がちに考え込んでいるような口調で言った。和司さんも眉を寄せて腕組みしながら、何か思案を巡らせているような表情で黙っていた。
「……とにかく、みなさん、今回実験の結果のことは、一旦おきましょう」
ミカさんが僕たちの顔を見て、優しい笑顔で呼びかけた。僕たちがミカさんの顔を見ると、彼女はその目元に淡い微笑を浮かべたまま、
「ダンの言う通り、一度は成功したんです。繰り返していくうちに、コツも掴めてきますよ……確かに、わたしも黒鬼族のことは気になりますけど……でも、焦ったからといって、それで何かが解決するわけでもありませんしね」
ミカさんは半ば以上自分自信に言い聞かせている口調で言った。
僕はミカさんの言葉に曖昧に頷いた。いまひとつ釈然としない気持ちを抱えながら。
「確かに、ミカの言う通りだな」
ダンは僕と明美と和司さんの顔を見ると、軽く口角を持ち上げて言った。
「黒鬼族のことは気になるが、しかし、今ここでそのことをいくら気に病んだところでどうにもならんからな……まあ、一度は成功したんだ。そのうちなんとかなるだろう」
ダンがそこまで口にしたところで、僕たちの背後の空間にあるドアがノックされる音が響いた。僕たちが振り向いて背後にあるドアを見てみると、ドアが外側に向かって開かれ、そこにはルシュアとロザナのふたりが立っていた。
「お待たせしました。みなさん。これはより船はルワナ世界へ向けて出航します」
ロザナは部屋のなかに入ってくると、室内にいる全員の顔を見回して、どこか誇らしそうな口調で言った。
7
既に出発してから二時間が経過していた。あのあと、ロザナとルシュアが僕たちの部屋を訪れてからすぐに、僕たちの乗る跳躍船は跳躍へと移行したのだ。前回と同様、身体がどこへ向かって下降していくような感覚が起こるのと同時に、跳躍船は跳躍を開始していた。透過壁になっている壁から外の世界を見てみると、そこには七色に輝く超空間が広がっていた。
そして現在、僕と明美と和司さん、それからダンとミカさんは、ロザナとルシュア、他、サウシリア世界の人間2名と食堂に集まっていた。ロザナを上座にして、僕たちはテーブル席に向かい合わせに腰かけている。
ロザナの提案で、簡単な打ち合わせも兼ねた食事会が、ここ食堂で行われることになったのだ。
ちなみに、食堂は高級ホテルのような趣があり、広々としている。床には赤い絨毯が敷かれ、テーブルには白いテーブルクロスがかけられている。天井にはシャンデリアがあった。音楽のことはよくわからないけれど、室内にはクラシック音楽を彷彿とさせるような音楽が流れていた。森の木々のあいだを静かに吹き渡る風を想起させる、流麗で清涼感のある音楽だ。料理はビュッフェ形式になっていて、僕たちはたった今、各々に自分の好きな料理を皿の上に乗せて戻って来たところだった。ちなみに、僕が皿の上に乗せたのは、肉料理らしきものと、パエリア風のご飯料理だった。あとデサートに半透明の緑色をしたゼリー。食文化は、異世界といってもやはり基本的に人間の考えることは同じであるのか、大した違いはないようだった。
食堂には僕たち以外にも様々のひとたちがいて、各々それぞれの席で食事を取っていた。操縦室で見かけた、青いつなぎの制服を着た、士官らしきひとたちの集団。ロザナと同じ、白銀色の鎧のようなものを身に着けたひとたちのグループ。ランダー世界のひとたちなのか、黒色の軍服のような衣服を着たひとたち。食堂には実に様々なひとたちが集まっていた。そしてみんなリラックスして、談笑しながら食事を取っていた。それらの人々からは、これから黒鬼族と戦うことになるかもしれないというような恐れや、緊張感はまるで伝わってこなかった。いつもと何ら変わらない、日常の時間を過ごしているかのような印象があった。またなまじ食堂の内装が豪華なので、食堂に集っている人々は、豪華客船の旅を楽しんでいるひとたちといったふうにも見えた。でも、実際のところ、この跳躍船に乗っているほとんどのひとたちは、単に、自分たちはこれからルワナ世界へ行くことになるのだ、と、だけしか思っていないのかもしれなかった。もし仮に黒鬼族との戦闘が行われることになるのだとしても、それはルワナ世界に辿り着いてからのことだと彼らは思っているのかもしれなかった。……まあ、確かに、理論上は、今の所、ルシュアも言っていたように、黒鬼族の世界からランダー世界へ通じる世界線は閉ざされていて、跳躍中に黒鬼族に襲われるという可能性は、まずないはずだと言えるのだけれど……でも、僕は何か嫌な予感がしてならなかった。特に具体的な根拠があるというわけではなかったのだけれど。
「はじめまして。みなさん、わたしの名前はラウザという。この跳躍船の船長を務めさせて頂いている」
僕が船内の様子をなんとなく観察していると、低く響く男性の声が聞こえてきた。僕が視線を転じると、ロザナに指示されたのか、ひとりの男が立ち上がって自己紹介をしていた。サウシリア世界の人間だ。光沢のある、青いつなぎの制服を着ている。背の高さは百七十六センチくらい。歳の頃は五十代前半といったところだろうか。どちらかというと岩石のように四角く角張った顔つきをしている。髪の毛は黒く、やや縮れていて、それは耳が隠れるくらいの長さだった。肌の色は浅黒く、口ひげをたくわえている。眼光は鋭く、いかにも厳しそうなひとといった印象を受けた。高く尖った鼻のため、眼窩は暗く陰って見えた。ラウザと自己紹介した男が着座すると、続いて、その隣に腰掛けていた男が立ち上がった。
「ルワナ世界、そしてエストラル世界のみなさん、はじめまして。俺の名前はイーザン。ロザナ殿下の親衛隊隊長を勤めさせて頂いている」
イーザンという名前の男は立ち上がると、そう簡潔に自己紹介した。僕はイーザンという名前の男に改めて視線を向けた。ロザナと同じ白人種であるらしく、肌の色は白かった。髪の毛の色もロザナと同じくすんだ金色をしている。ただし、ロザナとは対照的にその髪の毛は短かった。年齡は三十代前半といったところたろうか。戦闘で受けたものなのか、彼の右頰にはナイフによる傷跡のようなものがあった。身長は高く、百八十センチ以上はあるだろうと思われた。また彼はロザナと同じ、白銀色の、動きを阻害しない、細身の鎧を身につけていた。そして更に付け加えると、その鎧越しにも、彼が筋肉隆々とした、たくましい体つきをしているのがわかった。顔立ちも比較的整っている方だ。綺麗なアーモンド形をした瞳、通った鼻筋、形の良い唇。ロザナと比べて全く引けを取らない。ただし、ロザナの顔立ちが見るものに上品で知的な印象を与えるのに対して、イーザンの顔立ちはどちらかというと、野性的で豪胆な印象を与えた。
ラウザとイーザンの自己紹介を受けて、僕たちも順々に席を立って自己紹介をしていった。そしてそれぞれの自己紹介が終わったあと、ロザナが口を開いて本題に入った。
「もう既にみなさんも、ルシュアから聞いて知っているかもしれませんが、我々の乗る跳躍船がルワナ世界へ向かうのに、通常、要する時間は二週間です」
と、上座の席に腰掛けたロザナは、テーブル席に着座している全員の顔を見回すようにしてから静かな口調で話しはじめた。僕は口を開いたロザナの顔を見た。
「そしてルワナ世界へ向かうに当たって、最大の懸念となっているのが、ルワナ世界の入り口付近に存在する、魔の領域です」
と、ロザナは言葉を続けた。
「この領域はほとんど常に異次元風が吹き荒れており、ここを無事に通過することは至難の技です。我々は過去に7度ルワナへ行くことを試みていますが、しかし、ルワナへ辿り着けたのは、まだ、ただの一度きりです。しかも、このとき、ルワナへ辿り着くことができたのは、我々がなんらかの手段を講じ、それによって魔の領域を突破できたからではなく、ただ単に運が良かったからに過ぎません。単にそのとき、たまたま異次元風が吹かなかったのです」
ロザナがそこまで言葉を続けたところで、
「殿下!」
と、それまで黙していたイーザンが口を開いて、強い口調で呼びかけた。ロザナは口を閉ざすと、問うような視線をイーザンの顔へ向けた。
「もう再三申し上げていることではありますが、そのような危険な場所へ、殿下自らが赴くのは危険です!どうか今回の跳躍行は我々にお任せあって、殿下はサウシリア本国へお戻りくださいますよう」
イーザンの言葉のあとに、隣で、ラウザという名前の、口ひげをたくわえた船長が、その通りというような面持ちを浮かべて首を縦に動かした。ロザナはイーザンの言葉に軽く目を瞑って首を左右に振った。
「イーザン」
と、ロザナはイーザンという名前の親衛隊隊長の顔を直視すると言った。
「お前の気遣いには感謝するが、しかし、今回の跳躍行にはぜひともわたしも参加しなければならないのだ。わたしには黒鬼族の脅威を未然に排除するという使命がある。そしてもしこれをわたしが行うことができれば、我がサウリシアの、異世界連盟における地位も、より確かなものとなってくるのだ。で、あるから、わたしはたとえ危険をおかしてでも、ルワナ世界を目指さなければならない」
ロザナは言った。ロザナの言葉に「ですが」と、イーザンは更に言い募ろうとしたが、ロザナはそれを首を振って退けた。イーザンは納得していない様子ではあったけれど、眼差しを伏せて沈黙した。
「心配するな。イーザン」
と、ロザナは破顔して部下に呼びかけた。イーザンはそれまで伏せていた目線をあげてロザナの顔を見た。
「もし仮にわたしが死んでも、サウシリアには、我が兄君がおられる。心配はいらないさ」
イーザンはロザナの発言に対して何か言おうとした。でも、ロザナはそれには気がつかなかったふりをして笑顔で言葉を続けた。
「それに、今回の跳躍行には、ルワナ行きをより確実にするために、こうしてルワナ世界の人々にも搭乗して頂いている。だから、心配はいらない。我々の跳躍船は必ずルワナへ到着する。彼らの能力については、お前も知っているだろう?」
イーザンはロザナの問いかけに、やや難しい表情を浮かべて首肯した。
「それについて、俺たちからロザナ殿下に報告がある」
と、それまで黙していたダンがロザナの顔を見て口を開いた。ロザナは振り向いてダンの顔を見た。
「実は先程、ロザナ殿下が、ランダー世界の人々と打ち合わせを行っているあいだに、俺たちはある実験を行ってみたんだ。すると、その結果、興味深い結果が得られた」
ダンの顔を見つめるロザナの綺麗な二重の瞳のなかに、何か好ましいものを目にしたときのような光がひらめいた。
「それは勇気」
と、言って、ダンは自分の隣に座っている僕を手のひらで指し示して言った。
「彼が、といっても、まだ一度だけしか成功していないが……しかし、彼が、跳躍船を用いることなく、自分がもといた世界へ……つまり、ルワナへ行くことに成功したんだ」
ダンが口にした言葉に対して、ロザナは微笑を浮かべたまま沈黙していたが、その周囲に居るサウシリア世界の人々が顔を見合わせて口々に何か言い合った。
「そんなバカな……跳躍船を用いることなく、あの、遥か遠方世界のルワナへ行くことができたというのかね? しかも、一瞬でルワナへ行き、それからまたこちらへ戻って来たと?」
口ひげをたくわえた、尖った高い鼻を持つ男……ラウザが、信じられないといったように目を見開いて言った。
「ラウザ。べつに驚くことはないだろう。私がお前に伝えたではないか。彼らはルワナ世界から身一つで、エストラルへ渡ってきた、と」
ロザナは驚いているラウザの顔を振り向いて一瞥すると、口元にからかうような微笑を浮かべて言った。
「し、しかし……」
と、ラウザはやや不服そうに言い募りかけて、口を噤んだ。ロザナに対して反論するのは失礼であると思い直したのだろう。しかし、彼にとっては、跳躍船を用いることなく、異世界へ移動できる等、とても受け入れがたいことなのかもしれなかった。
「それは頼もしいことです」
ロザナはラウザの顔からダンの顔へ視線を転じると、軽く微笑んで言った。ダンも口元に微笑を浮かべると、頷いた。
「さっきも言ったように、勇気がルワナへ移動できたのはまだ一度だけだし、しかも、一瞬のことでしかないが、しかし、これから訓練を重ねていけば、もしかすると、自由にいつでもルワナへ行くことができるようになるかもしれない」
ダンは言った。僕はそう言ったダンの横顔を非難するようにじっと見つめた。あまり大言壮語を吐かないで欲しいと思って。もし、そんな大言壮語を吐いて、なにひとつ結果を出すことができなかった場合、サウリシア世界の人々を失望させてしまうことになるのだ。
「ほんとうに上手くいけば、この船ごと、ルワナへ一瞬で移動することが可能になるかもしれません」
僕の想いとは裏腹に、ダンの隣でミカさんが明るい表情で言った。
「それはほんとうですか⁉ ミカさん」
跳躍船ごとの移動が可能かもしれないという言葉を耳にしたロザナは、これまでと比べても一層嬉しそうな表情でミカさんの顔を見やった。
「ま、待ってください!」
僕は僕たちのことをまるで無視して勝手に話が進んでいくので、慌てて言った。
「まだそうできると決まったわけじゃなくて……だから、あまり期待されても……」
僕は困惑しているというよりも、狼狽えた口調で言った。そう言った僕の顔を、ロザナは可笑しがっている表情で見やった。
「勇気くん、きみはもっと自分の能力に自信を持つべきです」
ロザナは目元に明るい微笑を浮かべて言った。
「ルワナへ移動できたのは、まだ一度だけだという話ですが、しかし、たとえそうだとしても、跳躍船なしでそれが行えたということは、大変素晴らしいことなのです」
ロザナは僕の顔をじっと見つめながら、明るい表情でそう話し続けた。
「それに実際のところ、勇気くんたちのおかげで、早くも、この船に驚くべき効果が現れはじめています」
ロザナは得意そうな表情でそう続けると、振り向いて、隣の席に腰掛けているラウザの顔を見やった。それから、
「そうだな? ラウザ?」
と、ロザナはラウザに声をかけた。
「は、はい……殿下…それは確かに……不思議なことに」
と、ラウザはロザナの問いかけに、多少困惑気味な表情を浮かべて首肯した。僕たちがどういうことだろうと思っていると、ロザナは僕たちの顔を見て、
「実を言うと、我々の乗っている跳躍船のスピードが、どういうわけか、通常の2倍以上の速度に達しているのです。まだはっきりとした理由は解明できていませんが、しかし、恐らく、勇気くんたちの存在が、我々の跳躍船のスピードを速めているのだと考えられます」
と、ロザナは言った。ロザナが口にした意外な真実に、しばらくの沈黙が満ちた。その沈黙を破って一番最初に口を開いたのはダンだった。
「そいつは驚いたな」
ダンは愉快そうな笑みを口元に浮かべて言った。それから、ダンは僕と明美と和司さんの顔を見やると、
「きみたちはただ船に乗っているだけで、そんなことができてしまうのか」
と、ダンはつくづく感心している口ぶりで言った。
「しかし、ロザナさんの説明だと、まだそうであるとはっきりわかったわけじゃなさそうだ」
和司さんがダンの顔を見て、用心深く答えた。その和司さんの発言に対して、ロザナが小さく微笑して首を振った。
「いえ、そうであると考えてほぼ間違いないでしょう」
ロザナは和司さんの顔を見ると、微笑んで言った。
「理由もなく船の速度が上がるということは通常考えられません。そしてそれを可能しているのは、どう考えても前後の関係から、和司さんたち、ルワナ世界のみなさんのおかげだ」
ロザナは何か頼もしいものを見るときのような表情で、僕と明美と和司さんの顔を見た。僕たち三人は困惑気味に顔を見合わせることなった。
「このペースでいけば」
と、続けて、ルシュアが声を弾ませて言った。
「二週間と言わず、もっと短時間で、ルワナ世界へ到着することができるかもしれません!」
ミカさんがそう言ったルシュアの顔を、それはほんとうなの? と問いかけるように大きく目を見開いて見つめた。ルシュアはミカさんの顔を見返すと、嬉しそうな笑みを浮かべて大きく頷いてみせた。
「先ほど、部下に計算させましたが、それによると、このペースでいけば、四日ないし、三日程で、ルワナ世界へ辿り着けるという計算結果が得られました」
「それはすごいわ!」
ルシュアの返答に、ミカさんは表情を輝かせて隣の席に腰掛けているダンの顔を見た。ダンも思いがけない吉報に口元に笑みを覗かせていた。
「じゃあ、我々は思ったよりも簡単に問題を解決できそうなんですね!」
ミカさんは興奮している口調で言った。
「予定よりも短時間で、ルワナへ辿り着き、そこにある、世界線を閉ざす。そうして今後永遠に、黒鬼族の脅威を排除する」
ミカさんは言った。僕たちのあいだにすっかり楽観ムードが漂いかけたところを、それを諌めるように、
「だが、それは全てが上手くいった場合のことだ」
と、ラウザがしかつめらしい表情を浮かべて言った。
「船の速度が上がっているとは言っても、まだ以前として、ルワナ世界出入り口付近に存在する、亜空間風の問題は残っているし、また更に言えば、船の速度が上がっていることに関しても、今後、この速度がずっと維持できるとは限らん。単に一時的なものに過ぎない可能性もある」
と、ラウザは半ば怒っているような口調で言葉を継いだ。ラウザのいくらか手厳しい指摘に、それまで漂っていた楽観的ムードが一気に消沈した。全員が難しい表情を浮かべて黙り込んでいると、
「確かに、船の速度が上がっても、亜空間風の問題は残りますが」
と、ロザナが口を開いて静かな口調で言った。テーブル席に集まっている全員がロザナの顔に注視することになった。
「しかし、それについては、わたしはあまり心配していません」
と、ロザナは穏やかな声で言った。それから彼はふっと目元で微笑んで僕と明美と和司さんの顔を見た。
「それというのは、彼らがいるからです。彼らがいれば、我々は無事、魔の領域を突破することができはずです」
と、ロザナは言った。
「で、でも、わたしたちの能力をあまり過信しないでください!」
と、明美がロザナの顔を見て、不安そうな面持ちを浮かべて言った。
「それはわたしたちも、この船がなるべく無事にわたしたちの世界へ辿り着けるように努力するつもりではいますけど……」
ロザナはそう言った明美に対してやわらかく微笑みかけると、
「明美さん、安心してください。我々は何も全ての責任を明美さんたちに押し付けるつもりはありません。我々が搭乗しているこの跳躍船には、ラウザ船長を初めてとして、優れた船員たちがいます。彼らに任せておけば、まず間違いなく、我々はルワナ世界へ辿り着けるでしょう。明美さんたちにお願いしたいのは、あくまでも、彼らの仕事をサポートすることなのです。恐らく、私が思うに、明美さんたちの思念には、この跳躍船を導く力があるのです。ですから、この船がルワナ世界へ向かうあいだ、明美さんたちにはできるだけ、明美さんたちの故郷であるルワナ世界のことを考えておいてもらいたい。そうして頂けるだけで、我々の乗る跳躍船が、無事、ルワナ世界へ辿り着ける可能性はぐっと高まってくるのです」
と、ロザナは明美の顔を見て、優しい声でそう語りかけた。
8
会議を兼ねた食事会を終えたあと、僕たちは自分たちに与えられた部屋へと戻った。そして僕たちは順番にシャワーだけの風呂に入った。ちなみに、浴室も清潔で広々としていて、とても船のなかにある浴室だとは思えないような作りになっていた。大理石で作られた壁と天井、一畳風呂。銀色のシックなデザインのシャワーヘッド。良い香のするシャンプーと石けん。肌触りの良いタオル。それらの贅沢とも言える浴室を使用していると、僕は一瞬、自分がルワナ世界を目指して跳躍船で移動中であるということを忘れそうになった。旅行か何かで遠出をしていて、どこかの高級ホテルに宿泊しているかのような錯覚に陥ってくる。でも、現在、僕は跳躍船という、非現実的な乗り物に乗って、亜空間を移動中なのだ。そして、僕たちの世界には、黒鬼族という、恐ろしい脅威が迫りつつある……。
僕が風呂から上がると、僕を除いた全員(つまり、和司さんと明美とダンとミカさんの四人だ)がリビングにある、100インチ程の大きさを持ったモニターの前に集まっていた。僕がモニターに目を向けてみると、そこには、樹木のようなものが表示されていた。木の幹から先端に向かって進んで行くにつれて、それは次第に細かく枝分かれてしていく。更によく見てみると、木の幹の中央部から三回に渡って枝別れした枝の部分に、青く光る光点があった。僕はみんなの側に近づいていくと、
「みんな何を見ているの?」
と、気になって声をかけてみた。すると、明美が僕の方を振り向いて、
「お風呂はどうだった?」
と、笑顔で声をかけてきた。
「うん、良かったよ。とても船のなかにある風呂だとは思えない」
僕は微笑して明美の問いに答えた(ちなみに、明美は僕のあとに入ると言って、まだシャワーは浴びていなかった)。僕がまだ自分の質問に答えてもらえていないと思っていると、
「これは世界樹というらしい」
と、それまでモニターに目を向けていた和司さんが僕の方を振り向いて言った。
「世界樹?」
と、僕は和司さんが口にした、聞き慣れない単語を繰り返した。
「世界樹というのは、我々の世界も含めた、無数に存在する異世界がどこに存在しているのかを現したものだ」
和司さんのあとに、ダンが僕の顔を振り向いて説明してくれた。
「……要するに地図のようなものということ?」
僕はダンの顔を見て確認した。ダンは僕の問いに、そうだというように首を縦に動かしてみせた。
「まあ、地図といっても、異世界というものは無限の広がりを持っているから、我々も世界樹の枝の広がりをまだ完全に把握できているわけじゃないがな」
ダンは苦笑めいた微笑を浮かべて続けた。ダンの言葉のあとにミカさんはどこか深刻な表情を浮かべて頷いた。それから、彼女は振り向いて僕の顔を見ると、
「そのため、今回のように、思わぬところに新しい世界線が見つかって……再び黒鬼族の侵攻に対して、対処しなければならないというような事態も発生するんです」
と、ミカさんは張り詰めた表情で続けた。ミカさんの言葉のあとに少しのあいだ、重苦しいような沈黙が満ちた。
「……今、この青い点で、点滅表示されているのが、どうやら俺たちの乗っている跳躍船が進みつつあるポイントらしい」
沈黙のあとで、和司さんが改まった口調で言った。僕は青い点が点滅している箇所に目を向けた。僕たちの乗る跳躍船の進行方向にまた更に枝分かれしていく分岐点があった。
「我々が目指している、きみたちがもといた世界……つまり、ルワナは、我々から見て、五度、世界樹を枝分かれして進んだ先にある」
僕がディスプレイに目を凝らしていると、横からダンが説明してくれた。僕は跳躍船の進行方向から五度枝別れした先を確認しようとした。でも、跳躍船が一体分かれ道でどちらの方向へ向かって進んでいくことになるのかわからないので、結局、その位置を特定することは不可能だった。すると、そんな僕の困惑を察したかのように、
「ルワナがあるのは、だいたいこのあたりだ」
と、ダンがディスプレイを手で示してくれた。見てみると、それはディスプレイに表示されている世界樹の、ほぼ頂点付近にあった。
「……ここが、僕たちの世界のある場所……」
僕はダンが示した箇所を感慨を込めて見やった。それは現在、僕たちが乗っている跳躍船の進行方向から見て、かなり遠方にあった。ほとんど枝の端から端まで移動するような距離がある。
「ずいぶんと遠いんですね」
僕は軽く驚いて言った。僕は自分が一瞬でダンが住んでいる世界……エストラルまで移動することができたので、まさか僕たちの世界とのあいだにこれほどまでの距離が広がっているとは思ってもみなかったのだ。
「そうだ」
と、僕の隣でダンは腕組みして首肯した。
「だから、これまで俺たちの世界では、きみたちの世界へ行くことは到底不可能だったんだ。俺たちの世界にある跳躍船で、きみたちの世界まで行こうとすると、だいたい五百年近い歳月がかかることに……まあ、俺たちの世界でも、きみたちの世界まで移動する新しい技術は確立されつつあったが……しかし、それを持ってしても、十年以上の歳月がかかると言われていた……しかも、跳躍にはその行きたいと望む世界の正確な振動数をとらえる必要があった。しかし、見ての通り、きみたちの世界は遠方にあり過ぎて、その振動数をとらえることすら、これまではほとんどままならなかったんだ」
「……じゃあ、サウシリア世界で新たに開発されたこの跳躍船が、いかに優れているかっていうことですよね……」
僕はダンの説明に感心して頷いた。
「ちなみに、黒鬼族の世界があるとされているのが」
と、ミカさんが僕の隣で口を開いて言った。僕がミカさんの顔を一瞥すると、ミカさんは僕たちの乗る跳躍船の進行方向から見て、やや下の位置を手で示した。世界樹の枝の広がりは大本の部分から見て、大きく左右に別れて広がっていっているのだけれど、それは僕たちの乗っている跳躍船が進んでいる枝とは、真反対の、やや下に下がった位置にあった。付け加えておくと、黒鬼族の世界は、ランダー世界から見て、ちょうど木の幹のような太い線を隔てた、その真反対にあるということになる。従って、ランダー世界から見ると、黒鬼族の世界は、ほんとうにすぐ側にあるということになった。そして僕はふと以前、ランダー世界の人々が、黒鬼族の世界に対して遠征を行ったことがあるとミカさんが話していたことを思い出した。更に、その部隊が全滅したということも……。
「……ここに、黒鬼族の世界はあるのか……」
和司さんが、ミカさんの指し示した枝のあたりをじっと見据えながら独白した。
「……本来であれば」
と、ミカさんはいくらか苦しそうな表情で話しはじめた。
「以前、何度か説明しましたように、黒鬼族の世界から、我々の世界線へ通じる世界線は全て閉ざされたはずでした。しかし」
タチヨミ版はここまでとなります。
2017年9月12日 発行 初版
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SF小説書いてます。コーヒー好き。甘党です。