spine
jacket

近年、ローカル線の衰退に歯止めをかけるため、各駅停車の増発や新駅の開設によって乗客を集める試みが各地でなされています。しかし、これは本当に正しい方法なのでしょうか。

どんなにきめ細かい集客を試みても、鉄道は自動車に到底敵いません。対抗するには、鉄道が特性を発揮できる拠点間の輸送を展開する以外になく、その際に各駅停車が邪魔になることは否定できないのです。

本書では、各地のローカル線を例に挙げながら、その再生を図るにあたって各駅停車がいかに有害であるかを検証していきます。



本書に掲載されている会社名、商品名などは一般に各社の登録商標または商標です。

本書を発行するにあたって、内容に誤りのないようできる限りの注意を払いましたが、本書の内容を適用した結果生じたこと、また、適用できなかった結果について、著者は一切の責任を負いませんのでご了承ください。

───────────────────────



各駅停車がローカル線を滅ぼす
(A local train destroys a local line.)

増田 一生

鉄道復興研究所



───────────────────────




  この本はタチヨミ版です。

 目 次


はじめに


神戸電鉄粟生線の衰退
時計代わりの列車
粟生線の特急設定案
残された選択肢
北陸鉄道石川線の準急運転
各駅停車の弊害
北陸鉄道浅野川線の急行運転


関東鉄道常総線の快速運転
常総線のダイヤ改正案
三岐鉄道北勢線の健闘
北勢線のダイヤ改正案
新設ローカル駅の実態
ローカル駅の取扱基準
道路交通との連携
ドライバー心理と端末輸送


おわりに


作品紹介

はじめに

 自家用車の普及や少子高齢化の進行などにより、全国的にローカル鉄道の衰退が止まらなくなっています。その対策として、優等列車を各駅停車に格下げしたり、新駅を開設したりして乗客をきめ細かく集める試みが各地でなされていますが、これは本当に正しい方法なのでしょうか。

 ローカル線においてもそれなりにまとまった利用客のある駅は存在しますが、その一方で1日数十人以下の乗降人員しかない駅も見受けられます。両者を同列に扱うことが、果たして真の平等でしょうか。

 利用客を各駅に分散させることは、駅前の賑わいを低下させる方向に作用します。また、停車駅が増えれば所要時間が長くなって競争力が低下します。ローカル線はほぼ例外なく単線なので、交換駅間の所要時間が延びて運転間隔が広がった事例も現実に存在します。

 そもそも、どんなにきめ細かい集客を試みても、鉄道は自動車に到底敵わないのです。対抗するには、鉄道が特性を発揮できる拠点間の輸送を展開するしかありません。その際に各駅停車が邪魔になることは否定できないのです。

 ローカル線(Local line)が常に各駅停車(Local train)を必要としているわけではありません。本書では、各地のローカル線を例に挙げながら、その再生を図るにあたって各駅停車がいかに有害であるかを検証していきます。なお、特記のない限り、「各駅停車」と「普通」は同義のものとして扱います。

神戸電鉄粟生線の衰退

神戸電鉄路線図

 神戸電鉄(神鉄)は、有馬線(湊川―有馬温泉間22.5km)、三田線(有馬口―三田間12.0km)、公園都市線(横山―ウッディタウン中央間5.5km)、粟生線(鈴蘭台―粟生間29.2km)、神戸高速線(新開地―湊川間0.4km)から構成される鉄道事業者です。粟生線は鈴蘭台で有馬線に合流し、ほとんどの列車が新開地まで直通運転されています。

 拙著「関西私鉄王国の復興計画(中巻)」でも取り上げましたが、この粟生線が今、多額の赤字を計上して存続の危機に直面しています。2008年度の収入は約21億円、支出は約34億円で、赤字額は約13億円と発表されています。神戸のような大都市の近郊で鉄道の存続が実際に危うくなるのは、ほぼ史上初めてのことです。

 粟生線は本来ローカル線と呼ぶには輸送市場が大きすぎますが、そのダイヤは極めてローカル線的です。かつては恵比須以遠の各駅が3両編成分のホームしかなく、昼間時の4両編成は志染で折り返していました。私は幼少時に両親に連れられて新開地―粟生間を乗り通したことがありますが、途中の志染で系統が分断されていることに強い衝撃を受けました。現実の鉄道に対して疑問を抱いたのは、これが最初だったように思います。

 この系統分断は、2001(平成13)年に恵比須―粟生間の各駅のホームを1両分延伸したことで解消されました。しかし、全駅を4両対応にする必要があったのかは大いに疑問です。粟生線の輸送人員は1992(平成4)年をピークとして減少に転じて久しく、昼間時に3両編成を新開地から粟生まで直通運転させても、輸送力の面で何ら問題はなかったはずです。車両の増備計画も、3両編成もしくは2両編成×2を基本とすべきだったでしょう。

 2003(平成15)年には、三木折り返しだった区間列車を小野まで延長し、新開地―小野間で昼間時15分毎の運転を実現しました(小野―粟生間は30分毎)。しかし、輸送人員の減少を食い止めることはできませんでした。乗車機会を倍増させたのは相当なサービスアップですが、それが効果を上げなかったのは、郊外においてきめ細かく利用客を拾い集めるビジネスモデルが、もう時代に合わなくなっているということではないでしょうか。

 このビジネスモデルでは、鉄道は自家用車やバスには敵いません。だからこそ少しでも運転頻度を増やして対抗する、というのがこれまでの手法だったわけですが、その限界を露呈したのが粟生線の事例であると思われます。

 なお、国鉄分割民営化の前後に特定地方交通線を継承して各地に誕生した第三セクター鉄道は、新駅を積極的に開設する傾向が見られます。その筆頭が長崎県の松浦鉄道で、32だった駅数を57まで増設した結果、平均駅間距離は3kmから1.7kmに縮まりました。さらに、昼間時の運転間隔を20~30分毎に短縮して乗車機会を増やしました。

 旧国鉄である第三セクター鉄道は駅間距離が長く、かつ乗客の利便性よりも運転上の都合を優先して駅の位置が決定された例が少なくないため、新駅設置の効果は生粋の私鉄に比べて高くなる傾向があります。松浦鉄道の場合、中佐世保からわずか0.2kmのカーブ区間に新設された佐世保中央がその典型であり、商店街の真上に位置するため利用価値が大きく向上しました。ただし、それに合わせて中佐世保を廃止しなかったのは疑問です。

 これらの施策により、松浦鉄道の利用客数は1996(平成8)年に開業時の1.5倍である442万人を数えましたが、翌年からは減少に転じています(『鉄道ジャーナル』1999年8月号)。新駅の設置も1999(平成11)年を最後に行われておらず、2001(平成13)年度には赤字に陥りました。昼間時の運転間隔も2006(平成18)年3月以降は30~60分毎に広がっています。現在は快速を増発するなど、新たな試みが模索されています。

時計代わりの列車

 増便策が奏功しなかった神鉄粟生線は、2012(平成24)年5月のダイヤ改正で、11~14時台の志染―粟生間の運転本数を毎時1本に減らしました。志染―小野間では1/4に絞られたことになります。この時間帯には、1時間毎に新開地―粟生間の急行1本、新開地―志染間の急行1本、新開地―志染間の準急または普通2本が運転されるようになりました。

 興味深いのは、ダイヤ改正後の利用者の減少率が約10%に留まり、苦情も少なかったことです(『鉄道ジャーナル』2012年10月号)。これは、前項の仮説を裏付けるものです。

 全国の鉄道を縛っている考えの1つに、「自家用車は思い立ったときにいつでも利用できる。だから鉄道も可能な限りフリークェンシー(頻発性)を高めなければならない」というものがあります。固定観念を通り越して強迫観念に近いですが、これが常に正しいのなら、「1時間に1本しか走らない急行」などというサービスが成立するはずがありません。

 高度成長期以前の日本では、列車を時計代わりにし、列車の時刻に生活のサイクルを合わせるのが当然視されていました。その後のモータリゼーションの進展により、そういった牧歌的な光景は駆逐されたというのが定説です。

 しかし、現代においても「列車を時計代わり」にすることは、実はそれほど珍しいことではありません。朝の通勤・通学はその典型であり、出張や買い物といった需要においても、先に予定を立ててから行動するのがむしろ普通です。

 それこそ世界一時間が正確と言われている日本の鉄道なのですから、十分に「時計代わり」になり得るのです。神鉄粟生線の急行を例に挙げるまでもなく、全国のJRの特急列車は日々その責務を全うしていると言えるでしょう。

 こういった人間の行動パターンや心理の研究はあまり進んでいません。ただ、例えば飲食店の場合、店内で30分待たされるよりも、店外で1時間行列するほうが客の不満は小さいと言われています。つまり、店外で待っている客は、自分がまだサービスを受ける立場にないと考えるため、直接の不満を抱かないということです。

 同様に、鉄道事業においても「待ち時間15分・乗車時間45分」よりも「待ち時間60分・乗車時間30分」の満足度が高い、ということが十分起こり得るのではないでしょうか。乗車時間が短ければ列車の時刻に合わせて行動する人が増え、「待ち時間」を除外してサービスを評価してくれる可能性が高くなるからです。

粟生線の特急設定案

 神鉄は山岳地帯を走る関係で、粟生線の20.6%、有馬線の36.7%を50‰の勾配が占めており、カーブも多く線形は過酷です。その中にあって、神鉄で最初のVVVFインバーター車として1994(平成6)年に登場した5000系車両は、上り50‰勾配において均衡速度65km/hを保つ高度な登坂性能を有しており、6000系や6500系もこれに準じます。

神鉄5000系車両

 2012(平成24)年5月のダイヤ改正で誕生した神鉄粟生線の昼間時の急行は、新開地―粟生間を上り64分、下り63分で結びました。準急停車駅を3駅通過して2分短縮していますが、所要時間が往復で2時間を超えてしまうため、1時間に1本の列車を単純なサイクルで回すことができません。このため、せっかく5000系・6000系・6500系が優れた登坂性能を有しているのに、性能の劣る他形式と共通運用を組まなければならないのです。片道60分を切れないために限定運用が組めず、限定運用が組めないためにスピードアップができない、という負のスパイラルに陥っています。

粟生線各駅の1日あたり乗降人員(2008年度)


 そこで、拙著「関西私鉄王国の復興計画(中巻)」では、湊川・鈴蘭台・西鈴蘭台・栄・押部谷・緑が丘・志染・三木・小野のみに停車する「特急」を毎時1本設定し、一部をクロスシート化した5000系を用いて新開地―粟生間を55分で結ぶ案を提示しました。

 これは遠い目標のような印象を与えますが、同区間の距離は37.1kmなので、表定速度は40.5km/hに過ぎません。かつて車種を限定せずに有馬・三田線で運転されていた特急は、新開地―三田間の32.4kmを途中9駅停車で47分、表定速度41.4km/hで走行していました。これと同水準の運転を実現すれば済むということです。

 加えて、特急通過駅を救済するため、毎時1本の新開地―志染間の急行を小野まで延長させます。この急行も5000系・6000系で運用するのが妥当ですが、現状の急行停車駅では小野での折り返し時間を確保できません。昼間時の急行停車駅は特急停車駅プラス恵比須・大村・樫山の3駅とし、鈴蘭台西口・木幡・広野ゴルフ場前・三木上の丸・市場は通過させるのが妥当でしょう。

 この場合、鈴蘭台西口・木幡・広野ゴルフ場前の停車列車は半減します。また、三木上の丸・市場・葉多は昼間時の営業を休止することになります。しかし、これらの駅は概して隣駅との距離が短く、乗降人員も少ないのが実情です。

 鈴蘭台西口は鈴蘭台から0.8km・西鈴蘭台から0.5km、広野ゴルフ場前は緑が丘から、三木上の丸は三木から、市場は樫山からいずれも0.7kmしか離れていません。2008年度の1日当たりの乗降人員は市場が20駅中18位の184人、葉多が19位の180人と少なさが目立ちます。

『平成22年版 大都市交通センサス』によれば、京都市都心部の三条で京阪から京都市営地下鉄東西線に乗り換え、1.6km離れた蹴上まで利用する定期客は1日片道461人ですが、0.6km離れた東山まで利用する定期客は統計上ゼロです。こういった経験則からしても、時速4kmで徒歩15分、1km程度というのが駅勢圏の一つの目安になります。

 大都市の市街地においてさえそうなのですから、郊外に1km未満の間隔で駅を設けても利用客が定着しないのは当然です。郊外の駅間距離は平均2km程度で十分でしょう。

 駅間距離や乗降人員を考えると、今後はある程度大きな駅にサービスを集約するという発想が必要になります。駅の統廃合を直ちに行える状況にないのであれば、優等列車の比重を高めることで、それに代えるべきです。



神鉄昼間時の時刻表改正案(下り)
神鉄昼間時の時刻表改正案(上り)

残された選択肢

 粟生線の存続問題で深刻なのは、神鉄自身が積極策を何ら打ち出そうとしていないことです。はるかに輸送条件が厳しい他社のローカル線が必死に生き残りを図っているのに比べて、情けないと言わざるを得ません。

 現に、2017(平成29)年3月のダイヤ変更では、昼間時の西鈴蘭台―志染間を15分毎から30分毎に減便しました。かつ、上りの急行を準急に、下りに至っては各駅停車に格下げするという有様です。とても特急を設定するどころの話ではありません。これによって、新開地―粟生間の所要時間は、上り66分・下り68分に延びています。

 粟生線は、自家用車に加え、高速道路経由で神戸都心の三ノ宮に直行する神姫バスの「恵比須快速線」の攻勢を受けていることが衰退の大きな要因とされています。昼間時の恵比須快速線は毎時2本ですが、朝ラッシュ時には10本まで増発されます。

 この本数だけを見ると、特にラッシュ時において恵比須快速線が優勢であるような印象を受けますが、10本全便が満席で走ったとしても輸送量は500人程度であり、粟生線の4両編成1本の定員乗車でさばける人数に過ぎません。

 朝ラッシュ時の粟生線は単純計算で恵比須快速線の6~8倍の輸送力を持っており、その利用客が全て道路交通に移ってくれば、積み残しや渋滞が続発して機能不全に陥るのは必至です。福井県のえちぜん鉄道の前身である京福が事故を起こして運行停止処分を受けた際、代行バスの輸送力が追いつかず大混乱が生じましたが、それと同じことがもっと大きな規模で起こるのは目に見えています。よって、廃線という選択肢は元来あり得ない話です。

 粟生線が問題なのはむしろ昼間時のほうで、大部分の区間が毎時1~2本に減便されたにもかかわらず、それこそバス1台で運べる程度の人数しか乗っていない場合があります。正面から競争に挑む気がないのであれば、もはや白旗を上げて神姫バスに和睦を請うしかありません。すなわち、拙著「転換クロスシートの復興計画」で述べたように、ラッシュ時の輸送に特化して西鈴蘭台以西の昼間時の営業を休止し、神姫バスに任せるのです。

 逆にラッシュ時は恵比須快速線の運行を取りやめ、粟生線の主要駅へのフィーダー輸送に振り向ければ両者の役割分担が明確になり、バスを効率的に運用できます。加えて、駅の統廃合や定期券の相互利用を行うことで、全体として公共交通網を底上げするのも一つの方向性です。

 本来、このような消極策は望むべきものではありませんが、神鉄が今の姿勢のままでは、いずれはこうした形で決着する公算が大です。各駅停車の有害性を認識しない限り、粟生線の浮上は考えられないと言っていいでしょう。

北陸鉄道石川線の準急運転

 前々項において、神鉄粟生線の一部の駅の昼間時の営業を休止することを提案しましたが、これはあまりに突飛な意見であるとの印象を与えたかもしれません。しかし、かつて実際にそうした施策を行っていた事業者が存在するのです。それが、石川県の北陸鉄道です。

 北陸鉄道は第2次大戦中に石川県下の私鉄を統合して生まれた会社であり、当時は数多くの路線を擁していました。しかし、高度成長期以降のモータリゼーションに伴って次々と廃止され、現在は北鉄金沢から北の内灘へ延びる浅野川線6.8kmと、金沢市の都心の外れの野町から新西金沢を経て南の鶴来へ至る石川線13.8kmのみが存続しています。元が別会社なこともあり、両線はつながっていません。なお、石川線は鶴来から2.1km先の加賀一の宮まで延びていましたが、2009(平成21)年に廃止されました。

 その石川線では、以前は昼間時の全列車が準急運転を行っていました。当初は、押野・野々市・曽谷・小柳を通過して加賀一の宮へ直通する「準急A」と、曽谷に追加停車して鶴来で折り返す「準急B」が合わせて30分毎に設定され、野町―鶴来間の所要時間は約25分でした。その後、1995(平成7)年3月のダイヤ改正で準急Bが準急Aに統合されています。

 石川線の交換可能駅は新西金沢・額住宅前・道法寺・鶴来の4駅のみですが、準急は新西金沢―道法寺間を14分で走行し、それによって30分毎の運転を可能にしました。各駅停車は同区間で3駅余分に停車するので17分(2015年の陽羽里駅開業後は18分)を要し、30分間隔を維持できません。このため、昼間時の全列車を準急化したのは極めて理にかなっていました。わずか3分の違いながら、意味するところは決して小さくないのです。

 準急通過駅に曽谷と小柳が選ばれたのは周辺が田園地帯で人口が少ないからですが、押野と野々市は住宅密集地に位置します。にもかかわらず準急が通過するのは、都心へ直行するバスの利用が多いことが影響しています。神鉄粟生線と神姫バスの関係とは異なり、バスが同じ北陸鉄道の資本系列なので役割分担を図りやすいのです。同様の処置は長崎県の島原鉄道の諫早市近郊でも見られましたが、こちらは現在も数本の急行が残っています。

 しかし、北鉄石川線の準急は2006(平成18)年12月1日のダイヤ変更で全て各駅停車化されました。これに伴って押野・野々市・曽谷・小柳の停車列車が増加した反面、野町―鶴来間の所要時間は30~32分に延びました。さらに、昼間時の交換駅が額住宅前に変更されましたが、各駅停車は額住宅前―鶴来間が最短16分なので30分サイクルが組めません。このため運転間隔が10分程度広がり、しかも正確な40分間隔ではないため、分かりにくいことこの上ないダイヤになってしまいました。

 野町―額住宅前間は各駅停車で最短14分ですが、野町の2番線は線路が切られて架線も撤去されているため、1番線との交互使用はできません。復旧することは可能ですが、それ相応の投資が求められます。新西金沢で交換を行えば野町の改良は不要ですが、その場合は待ち時間が長くなり過ぎます。朝ラッシュ時には全ての交換駅を活用して各駅停車が20分毎に運転されますが、昼間時にこれを行うのは供給過剰です。

 要するに、昼間時は30分毎の運転が適正であり、そのためには全列車が準急であることが前提だったのですが、各駅停車化によってそれが崩れてしまったのです。そこまでして押野・野々市・曽谷・小柳の乗車機会を増やす必要があったとはとても思えません。

各駅停車の弊害

 北鉄石川線の利用状況については、『鉄道ジャーナル』誌の2014年2月号が、以下のような見解を示しています。

「野々市工大前は駅名のとおり金沢工業大学の最寄り駅。新西金沢で見た私服の若者の目的地はおそらくここだ。平成24年度野々市市統計書によると、市内の北陸鉄道の駅では最も乗降客が多く、2007年度以降2011年度まで、1日平均504人、537人、460人、522人、519人と、安定して推移している。野々市は58人から102人に増え、押野も53人が80人となった。どの駅も定期客の増減が、そのまま乗降客数の増減につながっていることが読み取れた」

 インタビューも追跡調査も行わずに「私服の若者」の行先を決めつけるのも問題ですが、それ以上に不可解なのは最後の文です。このデータのどこから、定期客の動向を読み取ることができたのでしょうか。拙著「鉄道ジャーナリズムの復興計画」で指摘したのと変わらず、統計を十分に活用できない同誌の実態が表れています。

 それ以上に問題なのは、準急廃止がもたらした悪影響について述べられていないことです。野々市と押野の乗降客数が合わせて1日あたり71人増えたからどうしたと言うのでしょうか。現に、準急廃止前の2005(平成17)年に1日あたり3,638人だった石川線全体の利用客数は、翌年に3,509人、2011(平成23)年に3,216人、2012(平成24)年に3,186人まで減少しているのです。乗降客数が少なく隣駅との距離も短い数駅の便宜を図っても意味がありません。路線全体の利便性の維持を怠ったことのほうがはるかにマイナスです。

 表は、北陸鉄道が公表した2006(平成18)年度の石川線と浅野川線の各駅の乗降人員です。同年度12月1日の準急廃止前の数値なのか、廃止後の数値なのか、年度全体(2006年4月1日~2007年3月31日)の合計値から割り出した1日平均の数値なのかは明記されていないので判断できませんが、とにかく石川線では準急通過駅の乗降人員の少なさが目立ちます。

 やはり、北鉄石川線では準急復活による昼間時の30分サイクル化が至上命題です。各駅停車は朝夕ラッシュの20分サイクル時と、始発・最終のみ運転すれば十分でしょう。

 なお、2015(平成27)年3月14日、四十万と曽谷の間に「陽羽里」駅が開業しました。地元の土地区画整理組合が建設費約8,000万円を負担した請願駅であり、1日の乗降人員は初年度に130人、2020年度に500人を見込んでいます。ただ、まだ発展途上の駅なので、昼間時の準急停車は当面不要だと思われます。


北陸鉄道の1日あたり乗降人員(2006年度)



  タチヨミ版はここまでとなります。


各駅停車がローカル線を滅ぼす

2017年11月2日 発行 初版

著  者:増田 一生
発  行:鉄道復興研究所

bb_B_00151825
bcck: http://bccks.jp/bcck/00151825/info
user: http://bccks.jp/user/129925
format:#002y

Powered by BCCKS

株式会社BCCKS
〒141-0021
東京都品川区上大崎 1-5-5 201
contact@bccks.jp
http://bccks.jp

増田 一生 (ますだ かずお)

1978年 大阪府生まれ
2000年 立命館大学産業社会学部卒業
2002年 同大学院経営学研究科修了
現在   総合旅行業務取扱管理者

jacket