───────────────────────
───────────────────────
この本はタチヨミ版です。
*ぺちゃぺちゃおしゃべり*
*謎の地名???*
*最後のペン入れ*
私のタロットカードや本の中に表現したタロットの世界は、タロットの瞑想や夢の中で見聞きしたり、タロットの世界の人たちから教えてもらったりしたことがもとになっています。(ときには、日常の中で急にメッセージが飛び込んでくることもあります。)いきなり「タロットの瞑想」と言われても、なんのことやら・・・という方もいらっしゃるかもしれませんので、タロットの瞑想について少し触れておきたいと思います。
『タロットカードというと、占いに使うものというイメージが強いですが、タロットカードの神秘的な美しさは、占いによるメッセージだけでなく、私たちの直感的な能力を目覚めさせるような刺激を与えてくれます。そのため、タロットカードと接することによって、人の世界と心の世界を結びつけて、これまで閉じられていた心の中の扉を開くことができるでしょう。夢の世界の扉を開くといったほうがわかりやすいでしょうか。また、芸術的な活動で創造力を刺激したり、隠れた能力を活性化させるともいわれています。タロットカードを占いだけでなく私たちの心の世界の入り口として使うためのひとつの方法が、タロットの瞑想といわれるものです。瞑想・・・というと、なんだか難かしそうな感じがするかもしれませんが、タロットの瞑想は、何か特別な修行のようなことをするというよりも、「自分の感覚を研(と)ぎ澄ますもの」といったほうがいいかもしれません。私がタロットカードを作ったのもタロットの瞑想がきっかけでしたし、タロットカードと親しくなるためにもとてもよい方法です。タロットカードのデッキと静かな場所があれば誰にでもできますので、ぜひ一度取り組んでみることをおすすめします。使うタロットカードの種類は、手持ちのデッキのどれでもかまいませんが、なるべく自分の一番のお気に入りのものにしたほうがいいでしょう。』
ー「タロットの会へようこそ~タロットの瞑想とタロット制作のお話~」よりー
タロットの瞑想については、電子書籍や紙の本「タロットの会へようこそ~タロットの瞑想とタロット制作のお話~」の中に、付録として、タロットの瞑想についての説明とその手順を掲載しています。まだお読みになっていない方はそちらをご覧いただいたり、アルフレッド・ダグラス著の「タロット」という本をお読みいただくのもいいかと思います。また「DVD講座/タロットの瞑想編」では映像も交えて解説をしています。もう少し詳しく話を聞いてみたいという場合は、タロットの会をお申込みいただければ、直接お会いしたり、スカイプなどを使ってお話しすることもできます。
詳しくは、ホームページ「mamanmiyukiの小部屋」をご覧ください。
ホームページ「mamanmiyukiの小部屋」
http://yff03170.wix.com/mamanmiyuki
1つ前の「タロットの会へようこそ」の4巻では、ニコラ・コンヴェル復刻版が発売になって、日本での取り扱い開始までそわそわ楽しみにしてる・・・というお話までで終わっていましたので、その続きからお話を始めようかな~と思います。電子版の4巻の本を発行し終えてからは、ニコラ・コンヴェル復刻版の魔術堂さんでの取り扱いがスタートするのを待ちながら、しばらく誤字脱字などのチェックも兼ねて、できあがった本の原稿をプリントしたものを読み返したりして過ごしていました。
本の原稿を書くときは毎回そうなんですけど、まったく新しい話を考えて書くというよりは、これまでにタロットの瞑想をしてたときやタロットの本を読んでるときに浮かんできたことや夢の話などを書いてある、私のタロットの瞑想のノート(・・・といっても、もうこれは生活に密着しすぎてて、まるで日記みたいなものでもあるわけですが・・・)をもとにして、時間を追って話をまとめていくっていう形でやっています。なので、急に別の話が出てきたりっていうことはあまりないんですけど、それでもやっぱり書きながら文章が浮かんでくるっていう感じで、微妙にニュアンスの違うことを書くようなこともあるんですね。そして、そういう話はノートのほうには書かないまま一気に本の原稿のほうにだけ書いていったりっていうこともあったりするので、そういうことも少しまとめてノートのほうにも残しておこうかな~と思って、本ができあがって落ち着いたってこともあって、もう一度本の内容を振り返りつつ、ノートのほうもいろいろと書いたりしていました。
それで、また「コインの従者」のことを思い出してたんですけど、画集の巻末には「コインの従者」の顔がふっと笑ってるように見えてきたっていう話を書いていて、4巻の本には、そのことも少し書きつつ、足元のコインをただ拾ったんじゃなくて拾ったのをコピーして手に持ってる感じがしたっていう話も書いたよな・・・と、そういう話のこともまた振り返って考えてました。そうすると、同じカードの場面でもそこで時間が経過していくような気もして、「あ~、だからタロットができあがったなーと思ったら、顔がふっと笑ってる感じに変わったように見えたのか・・・」と思ったんですね。つまり、ただ見つけて拾ったっていうのにプラスして、さらにうまくコピーが作れて「よし!」っていう満足の微笑みだったのかもな~と、自分の仕事に満足して・・・の微笑みだったんじゃないかなと。それは、タロットそのものもそうだけど、タロットの瞑想の本のほうも合わせて、自分なりに納得の仕上がりになったことで、タロットの世界を写し取ることに成功したなっていう職人としての満足感だったんじゃないかなっていう気がしてきたんですね。そういう自分の心が映し出された鏡のような役割をタロットとか本がしているような・・・。
それで、このことも4巻の最後に付け加えようかな~とも思ったんですけど、でもこれは4巻ができあがって発行し終えたあとに思ったことだし、後からオマケとしてくっつけるのもちょっと変かなーって気もして、これはまた次の機会ってことでいいかな・・・なんて思っていました。そういう気持ちがあったので、自分の中で、早めに次の本を書きたいかな・・・っていうのがなんとなくあって、それで、今回あまり時間を空けずにまた本を書き始めようと思ったのかもしれないなという気もしています。
そんなふうに過ごしていたところで、うれしい知らせが飛び込んできました。ニコラ・コンヴェル復刻版と一緒に発売されていた、復刻プロジェクトの一員でもあるウィルフリードさんのピエール・マドニエ版をもとに作られた新しいタロットのフルデッキ、ミレニアム版タロットをプレゼントしていただけることになって!私のタロットもピエール・マドニエ版をベースに作ったものなので、同じ一族の兄弟分ということで・・・というお話で、海外から到着したデッキを、店頭販売に先がけて1セットいただけるということになり、感激!!!以前に私のスタンダード版のタロットができたときに、人づてではありますが私のタロットもウィルフリードさんにプレゼントさせていただいてましたから、なんだかこれもヨアヴ博士との交流のときみたいな感じでプレゼント交換できた気がして、うれしさもひとしお・・・。作ったタロットを通じて、海外の制作者の方と交流できるなんて、ほんとに夢のような話ですよね。そして、そわそわと到着を待ちました。
さらに、その数日後には魔術堂さんでの取り扱いがスタートしたので、さっそくニコラ・コンヴェル復刻版のほうも大慌てで注文して。そんなに慌てなくてもっていう感じなんですけど、もし注文が殺到して品切れになって買えなくなっちゃったら困るし・・・と、入荷情報を聞きつけたらすぐに手続きをして、注文完了(^^ゞ。案の定、初回の入荷分は数日で売り切れてしまい、その後しばらくしてからまた追加の入荷があったようでしたから、やっぱり今回の復刻版は注目度も高かったんだな~とあらためて思いました。
そして私の手元には、まずウィルフリードさんのミレニアム版マルセイユタロット、そしてニコラ・コンヴェル復刻版と、たて続けに新しい2つのデッキがやってきて、さっそくじっくり観察したり、写真を撮ってツイッターにアップしたり・・・と、にわかに忙しくなりました。
ウィルフリードさんのデッキのほうは、現代にリメイクされたマルセイユタロットということで、裏の模様はシンプルでちょっとかわいい感じでオシャレ。角が丸くないのはちょっと実際に使うには使いにくいかな~と、でも1つしかないデッキを自分で角丸加工してしまうのは勇気がいるしな・・・と、結局そのままにしていて、実占用のデッキというよりはコレクションといった感じになってます。ベースにしているのはピエール・マドニエ版ということでしたが、「恋人」と「死神」のカードが左右反転した感じになっているのが印象的で、これは何か特別な意図があるのかなと思い、制作者サイトの文章を読んでみようかとも思いましたが文章が英語で、しかもそのサイトは文字情報が画像扱いで表示されてるのか、画面上で文章をコピーして簡易翻訳をしてみようと思っても無理だったので、自分の英語力では簡単には読めず・・・(>_<)。残念ですが、今後何かの形で読めるようになるといいな~と思ってますけど・・・。
また他のカードでも、けっこう他のマルセイユタロットの要素も取り入れられてるようで、特に「悪魔」とか「審判」のカードはカモワンタロットに近い感じがしましたし、「吊るし人」の足が裸足だったり、「愚者」の帽子が全部見えてる感じだったりと他のマルセイユタロットの特徴が見られて、全体に余白が多い構図になっていたり・・・という感じで、ピエール・マドニエ版だけをベースにしているというのでもないように思いました。どちらかというとピエール・マドニエ版というよりカモワンタロットに似た雰囲気だな・・・と、そういう印象を受けたのはCGで描かれたカードだというのもあるのかもしれません。顔の感じもかなりはっきりした顔立ちで、作る人によってかなり個性が出るものだなと思いました。全体的な印象としては、なんとなくピエール・マドニエ版の雰囲気には私のタロットのほうが近い感じだな~と思いました。
そしてその後、ニコラ・コンヴェル復刻版のほうもドキドキと開封。楽しみにしていた「節制」ともご対面~。顔がちゃんと全部はっきりしていて表情がしっかりわかります。CBDタロットの「節制」の顔とすごく似てる感じだなと思いました。ただ、三池コンヴェル版の顔の部分だけを合成して作られたのか、ぺたっとお面を貼ってるような印象が・・・。それについては、顔が欠損してしまってるという「節制」だけでなく、他の「皇帝」とか「コインの従者」とか「女帝」とか「正義」とか、他にもかなりの種類のカードが、顔の部分だけが白っぽくなっていました。デッキとしての統一感を出すために「節制」以外のカードの顔も同じような仕上げにしたのかな・・・という感じもして、復刻するときに使用したデッキによってカードの地の色が違うのでこういうふうになったのではないかとも思いましたが、首の色と顔の肌色とが明らかに違うと、なんだか白塗りのファンデーションでお化粧した顔みたいな印象で、どうしても違和感が・・・。資料的な意味合いからすると、とにかくまずははっきりしてる顔で・・・ということなのかもしれないんですが、そうすると、首と顔が別々の質感になって、まるでとっくりのセーターを着てるみたいに見えてしまって(・・・あ、今は「とっくり」って言っても若い人には通じないらしいですよね、ようするに「タートルネック」の服ってことです・・・)体と顔の一体感がない感じで、そこのところは色の調整とかはできなかったのかな~と、ちょっと残念だな・・・と。私なんかはやっぱり絵を見て、肌なのか服なのかを見分けるので、質感という点でこのあたりはすごく気になってしまいます。でも、そこをあまりいじっていくと、どんどん復刻版ではなくリメイク版に近くなっていってしまうということにもなりますから、そういう点が復刻版での限界なのかもな~という気もしましたし、とにかく、ニコラ・コンヴェル版での「節制」の顔が復元されたカードを手に取って見られるようになったというのはとてもうれしいことでした。
そして、こうして新しく発売されたマルセイユタロットの仲間を手に取って眺めて、またマルセイユタロットというものについていろいろと思いを巡らせていました。
これまでも「これはすばらしい」というタロットができて、その時代の人々が使えていた時期があっても、じきにそれが廃れていくっていうのを、ずっと繰り返してた感じだったんじゃないかな~と思ったんですね。そして、今のこの時期っていうのは、ちょうど、いったんなくなりかけていた古典マルセイユタロットをまた復活させようとみんながあれこれ頑張ってる時代ってことになってるんじゃないかな~と。それは、ニコラ・コンヴェル版ができたころも同じような感じだったのかもと、こうして周期的に復活する時期と廃れてなくなっていく時期とが交互に来るってことみたいな・・・。そう思うと、私が「コインの従者」のカードから感じた「コインを拾ってコピーをする」っていうのを、やっぱり2~300年おきに人々が繰り返しているような。それはちょうど、コピーしたものが廃れていってなくなりかけたころに、また次にそれをやろうという人が出てくるみたいなことなんじゃないかな~と。
それは伝統の形を知りたいとか、それを復元したい、自分で作りたいっていう欲求から生まれるもので、そうすることでそれをした人たちには少しは報酬としてお金が入り・・・みたいなことなのかもしれないなと思ったんですね。たぶん、私もそうだったんですけど、これまで関わってきた人たちもみんな、お金が欲しいという理由じゃなくて、自分の知りたい、使いたいっていう知的好奇心のようなものに動かされてコピーを作ろうとしたんじゃないかと、それがマルセイユタロットに関わる人たちに共通してることなのかもしれないなと思ったんですね。そして、そのついでのような形で一般の人たちもそれを使えるようになったみたいなことかもという気がして。
結局そうやって、タロットのことを知りたいっていう熱い想いのある人が出てきてはじめて、その成果としてタロットとか本ができて、それでその恩恵として、そのタロットや本を他の人たちも使わせてもらえるようになるってことじゃないのかな~と、それがタロットの人たちが言ってた「本物を使わせてあげるんだよ!」っていうことだったんじゃないのかなと思ったんですね。それはただお金を払えば手に入るものじゃなくて、まず最初にそれだけの努力をしたり熱意のある人だけが使わせてもらえて、その他の人たちは、作った人たちが暮らしていけるだけのお金を払うことで、それを支えるという役割として使わせてもらえるようになるってことなんじゃないかなーと。だから、日本になかなかマルセイユタロットやその関連の本が入って来なかったというのは、日本で努力する人や熱意のある人が足りなかったからなのかもしれないな・・・なんてことを思ったりしました。
私がマルセイユタロットを手に取ったときに、「コインの2」のカードや「コインの従者」のカードになんとなく特別な感じを持ったというのも何か意味があるのかもという気もします。
それについては、これまでも本の中でたびたび紹介している、ヨアヴ博士のタロットに関する対談の中の話にも興味深い話があって・・・。*この話の詳しい内容は、夢然堂さんのブログの「ヨアヴ・ベン・ドヴ博士とエンリケ・エンリケス氏との対話(翻訳)」をご覧ください。
・・・その対談では、ヨアヴ博士がCBDタロットを作ったときの話などがいろいろ出てきて、タロットの研究家というだけでなく、タロットを制作した人ならではのお話もあってすごく共感できる内容なんですが、その対談の話を少し引用させていただくと、
『・・・私にとってカードの力とはその起源にあるのではなく、その進化にあるのです。何かしらの理由で人々はこの一揃いのイメージを守り育てようと強く望むのですが、何故彼らはそうしたのでしょうか。私はイメージそれ自体の持つ力が彼らに働きかけてその気にさせたのだと信じています。そうして今度は彼らがそのイメージを人間の精神に対してより強力なインパクトを持つよう改変改作したのです。こうしたことが何世紀にも渡って続きました。・・・』
私も、この話にもあるように、マルセイユタロット自体が、私たちにそれを訴えかけてくるようなメッセージを発してるんじゃないかという気がするんですね。マルセイユタロットに接した人が、なぜかそれに駆り立てられるようにそのメッセージをくみ取ろうとして、カードに再現して残そうとする、それをしなくちゃならないっていう使命感を持ってしまうようにさせる・・・という力が、マルセイユタロットにはあるんじゃないかな・・・と。
もちろん、マルセイユタロットを使う人の中には、ただ自分が気に入って使って、「あ~、これ好きだな~」と思うだけの人もいるでしょうし、でも中には、使ってるうちになんか自分のサイトやSNSでアピールしたくなっちゃったりっていう人も出てきたり、私なんかは絵を描くのでどうしても自分で描きたくなったり、タロットについて研究をする人がいたり、本として発表する人がいたり・・・・っていう形で、それぞれが何かしら自分の得意な方法でそれをまわりに広げる方向に動きたくなっちゃう・・・みたいな。
なんていうか、マルセイユタロットにはそういうもののスイッチを入れる働きがあるんじゃないかって気がするんですよね。そして、長い間、多少のアレンジは加えられたりはしたものの、その絵の基本的な形というのは大きく変わらずに受け継がれてきているというのは、なんとなく、このタロットの絵を見ると思い出すようにインプットされているというか、一度この世を去って別の人として生まれ変わっても、またこの絵を見ると思い出すようになってるみたいな気もして。それは昔住んでいた町を何年も経ってから訪れたときに、以前住んでいたときのことを思い出すのとも似てるような。これは私の妄想のようなものですけど、ひょっとしたら、数百年ごとにマルセイユタロットを復活させて残そうって動き出す人たちが一定の数現れて、まるで申し合わせたかのようにマルセイユタロットのブームを起こすっていうのは、同じメンバーが同じタロットの絵を見て、生まれ変わってもまたタロット作りをしようと思ってやり出すのかも・・・なんて思ったり・・・。
タチヨミ版はここまでとなります。
2017年11月16日 発行 初版
bb_B_00151910
bcck: http://bccks.jp/bcck/00151910/info
user: http://bccks.jp/user/139071
format:#002y
Powered by BCCKS
株式会社BCCKS
〒141-0021
東京都品川区上大崎 1-5-5 201
contact@bccks.jp
http://bccks.jp