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この本はタチヨミ版です。
一人の男がいた。名前は今でも秘されている男だ。
商工省の策士である彼が、満州権益を巡って争う中国国民党が日本に対してアメリカが開戦するシナリオを描いていることを察知していた。
彼の周りには、常に人々が集まる。
その陸海軍のミドルたちが立案した計画、それは、陸海軍合同指揮体制の確立と、日蘭会商だった。
困難な道程であった。陸軍も海軍も権力は老人たちと、その部下に握られていたし、それを覆す方法はあまりにも絶望的に少なすぎた。
企画院もまたそうであった。商工省は企画院とともに国家総動員体制しか策を示せず、迎え入れた商工大臣も持ち腐れに終わるところだった。
しかし、偶然というものは起きた。
その総動員体制の最右翼であった老人たちが、流行り風邪で次々と倒れた。
その風邪が何故起きたかは定かではない。当時その風邪がなんであるかを検証する精密な医学もまだなかった。それどころか、その死に、偶然以上の意味を見出したものは僅かだった。
しかし、彼はその不幸を見逃さなかった。
持ち腐れた商工大臣を動かし、無力な総理を動かし、主導して進めた交渉が、オランダをABCD石油禁輸ラインから離脱させ、石油を確保し、日本をギリギリのところで破滅から守ったのだ。
そのため、真珠湾攻撃を日本は行なわなかった。する理由はなくなっていたのだ。
しかし、アメリカは国民党ロビーの意見と、そして来るべきソ連との戦いで日本を自らの防衛ラインとして使うことを企図し、台湾を空爆した。
だが、日本海軍は米B―17を迎撃すべく開発した零戦と、海軍航空の夢であり、まさに空飛ぶ戦艦である六発大型飛行艇・零式哨戒艇によって、それを撃退する。
そして、アメリカ太平洋艦隊の戦艦群は零艇の電波妨害のため、レーダーがほとんど使えず、日本海軍との砲雷撃戦で日本の誇る水雷戦隊の放った酸素魚雷の飽和攻撃と戦艦〈大和〉〈武蔵〉の主砲の砲撃によって敗北した。
彼のシナリオ通り、日米はオランダの仲介によって和平を実現すべくテーブルに着いた。
だが、その米大統領ルーズベルトが急死してしまう。
またしても、病という偶然が、歴史を混乱させていく。
それをきっかけに、新大統領トルーマンの元、アメリカは方針を再び転換した。
そのため、悲劇が起きた。
「敵襲!」
「敵梯団は大型機四群、小型機五群によって構成! ものすごい数です!」
空母〈赤城〉〈加賀〉〈蒼龍〉〈飛龍〉の四空母から迎撃に次々と零戦が飛び立っていく。
試作機である烈風も参加する。
そしてトラック島基地からも雷電が出撃する。
大空戦となった。
「母艦上空に入れさせるな!」
しかしそのときだった。
「なんだあれは!」
空戦を続ける更に上、超高空をブーメランのような機がキラキラと輝きながら進んでくる。
「全翼機だ!」
それだけではない、何かが違う!
「あの高度から爆撃針路? まさか」
「新型爆弾か?!」
百式司令部偵察機を転用した空戦指揮機で、防空司令は叫んだ。
「全機、上がってあの全翼機を阻止しろ!」
「くそ、屠龍隊と月光隊、斜め銃を使え!」
双発の戦闘機である屠龍と月光は斜め上に向けて機銃を持っているので、下から敵機を攻撃できるのだ。
早速屠龍隊と月光隊が集まり、機銃を撃ち上げる。
しかし、爆弾は投下された。
その爆弾は、リトルボーイと名付けられていて、全翼機B―35によってトラック島に投下された。
ドラッグシュートを開き、減速しながら落下し、その途中高度三〇〇メートルを電波高度計で検出したその爆弾は、そこで爆薬に点火した。
爆薬は爆弾の中の砲身と呼ばれる空間に置かれた砲弾とされるウラン235と、もう一つのウランの塊をたたきつけて一つにし、一気に臨界を達成させた。
中性子線が減速されながらウランを次々と連鎖反応で分裂させていく。
その分裂の際に、質量がエネルギーに変化する。
そのエネルギーは、爆薬1万トン分にも達した。
灼熱の火球が生まれ、直下の戦艦〈日向〉と〈比叡〉を包み込んだ。
最後の抵抗で爆弾を撃ち落とそうとしていた機銃員たちの眼が焼かれた。
眼球が破裂したその機銃員たちの身体が、一瞬にして高熱で焦げ、炭となった。
〈日向〉の軍艦色の艦体が、一瞬にして溶鉱炉の中の鉄のように溶け、磨き上げられたウッドの甲板も真っ黒に焼かれた。
そして、その火球の回りに衝撃波が生まれた。
衝撃波は一瞬で上空の日本陸海軍機をたたき落とし、居並ぶ連合艦隊の艦船のガラス窓を一斉に割り、一瞬吹き押し、そして引き寄せて転覆させた。
トラック島の住民もその殺戮に巻き込まれた。
子供も女も、防空壕の中で蒸し焼きにされた。
悲鳴すら上げる間もなく、全てが閃光に包まれた。
火球は空気を吸い込みながら上昇し、キノコ雲となった。
熱風が吹き荒れ、閃光の過ぎ去った泊地を、赤黒く焼いている。
「トラック島基地司令部! 応答しろ!」
空戦指揮機でそれを見下ろしながら、防空司令は叫び続けた。
破壊の跡の艦隊は、ほとんどの艦が焼けこげ、転覆し、その上に小山のように兵たちの炭になった死骸を乗せていた。
各甲板、ガラスの破片が飛び散り、あちこちにうずたかく死体が折り重なっている。
用意されていた艦上機や飛行艇は、ボロボロに吹き飛ばされ、薄煙を上げながら燃えている。
運良く物陰にいて無事だった兵たちが、救助活動を始めた。
「水を、水をくれ……」
眼球をえぐり取られ、水兵服を引き裂かれ、ガラスの破片を体中に刺され、皮膚が赤黒く焼かれて垂れ下がった兵が、よろよろと歩きながら、うわごとのように仲間に訴えた。
「水だ! 飲め! すぐに軍医殿が助けてくれるぞ!」
鉄兜をひっくり返し、水をくんで与えると、ほとんどの兵が一口飲んでそのままそこで倒れた。
「軍医殿! これは何でありますか! 軍医殿!」
転覆しなかった軽巡洋艦で、伝令が軍医を捜していた。
しかし、軍医室ですでに軍医は死んでいた。
割れた舷窓の脇には、彼の妻子の写真がかろうじて残っていたが、それに手を伸ばした形で、軍医は身体を真っ赤な血まみれにしてそのまま黒く焦げ、炭となっていた。
〈赤城〉〈加賀〉〈蒼龍〉〈飛龍〉の四空母だけでなく、直前の海戦で被弾していた〈翔鶴〉〈瑞鶴〉までもが、工作艦〈明石〉に横付けしたまま炎上していた。
これまで多くの傷ついた艦艇を応急修理してきた工作艦〈明石〉も、ほとんどの将兵が重度の火傷で死につつあった。
その焼き払われ艦から次々と落ちた死骸の浮かぶ赤い地獄の海に、直後、黒い雨が降った。
「なんなんだこれは!」
救護に駆け回る兵が一人、雨の降る空に向けて叫んだ。
しかし、黒い雨はその声をかき消すように降り続けた。
雨の中、さらに人々が倒れていった。
地上要員がほぼ壊滅したので、日本軍迎撃機は降りられる飛行場を探してさまよい、ある者は海上に不時着した。
日本艦隊の根拠地・トラック島は、核攻撃を受け、日本海軍は主力艦のほとんどを失ったのだった。
それから九カ月が経った。
一九四四年四月、まだ冷たい雨の東京・麻布を一台の黒塗りの公用車が走ってきた。
庭園とそのまわりの屋敷林をかすめ、公用車は西男爵の私邸の車寄せに着いた。
執事が『お客様です』と迎え、西男爵はいてもたってもいられないように外套を執事に渡し、そのまま客間に急いだ。
「和泉! 久しぶりだな!」
「東京に用事があってな。久しぶりに会いたかった」
陸軍騎兵連隊中佐である西竹一男爵は海軍防空巡洋艦〈綾瀬〉艦長および第二〇一防空駆逐隊司令の和泉敏仁中佐と麻布の私邸で会っていた。
西は陸軍の軍服であった。陸軍省への勤務から帰宅してすぐなのだ。
和泉は海軍の詰め襟。防空巡洋艦〈綾瀬〉艦長としての忙しい日々を縫っての面会である。
和泉は西とは違い、正式に認められた華族ではないが、同等に扱われている。
その経緯を西は知ってはいるが、口にできない種類のことである。
先帝陛下との話は密かに言われているし、そのことで和泉は西と語り合ったこともあるが、それを言い合っても生まれの定めは変わらない。
「そうか。どっちみちこれからは航空機と戦車で戦は決まる。だが、どちらも強固な兵站がなければ維持できない。補給は燃料や弾薬だけではない。食事は一日五回分、それどころかネジ一本、歯ブラシ一個まできっちり戦線に届けられるようにせねば。
ドイツも聞いた話では結局は馬車頼みの兵站だ。電撃戦と言いつつ、いずれそこから崩れるかもしれない。ドイツには友人が多くいるが、なかなか指導者があれだと困っているようだ」
和泉は笑いながらくつろいだ。
鏡を多く使った客間、鏡と鏡の間にはアールデコ調の装飾、天井からは豪華なシャンデリア。日本の華族の経済力を思い知らせるような作りに、椅子は猫足とよばれる凝った装飾の作りに緑色の柔らかなフェルトが張られている。給仕をする使用人の女性は黒と白の給仕服で、手早く、それでいて失礼の無いようにフレッシュジュースの入った瓶に水の入った水差しを起き、恭しく一礼して去っていった。
「特に同期の辻には参るよ」
西は更に付け加えた。
「辻政信か」
「ああ。アイツは成績がいいが、機眼に欠ける。あれだけの頭脳がありながら、根本がひどい精神主義だ。いや、精神がなければ物量は生かせない。だが、物質の不足を精神で補うのは無理だ。だからこそ、私は日蘭会商の案に大賛成なのだ。欧米には学ぶべき点が多々ある。学ぶべきでないことも多いが。とにかく、辻をどうにかせねばこの戦いに終わりはない」
「そうか」
「アナンバスの隣にサナンバスという島がある。そこに沢藤という面白い男がいる。奴は特務に通じている。なにしろ元勲・沢藤家の御曹司だ。サナンバス大公と組んでシンガポール・セレター軍港を見張っている。彼の情報は陸軍でも一級の情報でね」
「そうか。こっちの親分、GF長官もナニでね」
「山本長官か」
山本五十六の話に二人はこっそりと笑った。
「頭はいいんだが、ハッタリ癖があってね。艦長仲間でポーカーをやると、ハッタリの連発にうんざりだそうだ。米内(米内光政)さんもあれはあれで、スネるくせがあるし、井上次官(井上成美)もあの人は武人と言うよりもどちらかというとセンセイでな。理論は良いが、あれで指揮官としてきっちりやって行けるかというとな」
「こんな話は貴様としかできないな」
和泉は笑いながら出されたフレッシュジュースに手を伸ばした。
「軍人は上官を批判してはいけない。統率の原則だが、かといって苦労すると愚痴の一つも言いたくなる」
「ところで、米軍のB―17やB―29はどうだ? 帝都まで来るだろうか」
「アメさんは日本を目標にそれらを作っている。かといって我々も迎撃機開発に動いている。零戦もすっかり空戦の主役だが、元々は迎撃機だったのだ。あの長距離性能は滞空警戒するための航続力だ。そこで、例の連中だが」
「ああ」
西は書斎から書類を持って来た。
「海上護衛学校こそ実現できなかったが、護衛戦への関心は大きく高まった。特に陸海軍での調達の一元化が進んだのは良いことだ。やりくり戦争ではあるが、しかしどの世にも夢を見たい者というのはいてな。
運命は変わらないかもしれないが、それに抗いたいのもまた人間だ。このままの海軍では駄目だ、と動いた結果、護衛駆逐艦松型の配備は既に始まっている。やりくり戦争の結果、何が待つか。だが、日本はもう踏み出してしまい、しかも負けが込んできた。
我が陸軍としては、沖縄が最後の決戦場となると見込んでいる。
まあ、決戦なんてものがあるだけマシだ。耐久戦になり、真綿で首を絞められるのはたまらない」
和泉はフレッシュジュースの氷がカランと音を鳴らすのを小気味良く聞いている。
「海軍でも同意見だ。本土決戦か、台湾決戦か、沖縄決戦かと考えたが、偵察情報では沖縄を狙っているという」
「そこで皮肉な話だが、私は沖縄に派遣される」
書類に手を置いて、西は和泉を見た。和泉はそんな西を横目で見ながら、ジュースに口を付ける。
「俺も〈大和〉沖縄突入の随伴艦として防空巡洋艦〈綾瀬〉を指揮する。
お互い捧げる命だ。覚悟はしてきたが」
「そうか。貴様が飲めれば酒でも勧めるところだが」
「すまない」
西の妻が様子を察し、離れる。
「先に佐世保から沖縄へ向かう。貴様の〈綾瀬〉は横須賀入港中か」
「ああ。新造艦のお守りをして呉、佐世保と泊まる。
西の連隊を載せた輸送艦の護衛を命令されるかもな」
「心強い」
「いやいや、航空機の直掩を受けられない艦隊は、いかに優秀な防空艦が守ると言っても脆弱だ」
「そうか」
ドイツは南方でクーデターを起こしたロンメル将軍によるドイツ共和国とナチスドイツとなり、そしてベルリンはそのナチスの最後の牙城となった。
空爆は熾烈を極め、煉瓦と石造りの壮麗な街並みは全て廃墟となった。
「そんなことはありえない!」
地下壕大本営防空壕で、ヒトラーは叫んでいた。
「未来から援軍が来るなど! 確証はまるでないではないか!」
「それが来るのです」
フラウ・マッケンゼン大佐はヒトラーに上申していた。
「極秘の内に、我々は未来と連絡を取りました。そして、太平洋戦線にもその未来が影響したことを確認しています」
「ばかな! フラウ、君までもが余を追い込むためにそのような世迷い言を言うのか」
ヒトラーは完全に判断能力を失っていたが、フラウは平然と彼に話し続ける。
「総統、冷静によくお考えください。要塞はあと4時間後にこのベルリンにやってきます」
そのとき、防空壕が揺れた。
「イギリスのランカスター爆撃機の大型爆弾です!」
「この防空壕は大丈夫じゃなかったのか!」
「ランカスターは10トン爆弾を積めます!」
総統は執務机に肘を置いた。その目には追いつめられ憔悴した男の、か細い光しか残っていない。
「総統、川の対岸に赤軍が迫っています!」
「フラックタワーの高射砲が水平射撃で赤軍を阻止しています!」
ほぼ全員が、ヒトラーに投降を望んでいただろう。
だが。
「皆、外に出ろ」
そのメガネのつるに震える手をかけ、ヒトラーは口にした。
「総統!」
「出ろというのだ。一人にさせてくれ」
タチヨミ版はここまでとなります。
2017年10月15日 発行 初版
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YONEDENこと米田淳一(よねた・じゅんいち)です。 SF小説「プリンセス・プラスティック」シリーズで商業デビューしましたが、自ら力量不足を感じ商業ベースを離れ、シリーズ(全十四巻)を完結させパブーで発表中。他にも長編短編いろいろとパブーで発表しています。セルパブでもがんばっていこうと思いつつ、現在事務屋さんも某所でやっております。でも未だに日本推理作家協会にはいます。 ちなみに「プリンセス・プラスティック」がどんなSFかというと、女性型女性サイズの戦艦シファとミスフィが要人警護の旅をしたり、高機動戦艦として飛び回る話です。艦船擬人化の「艦これ」が流行ってるなか、昔書いたこの話を持ち出す人がときどきいますが、もともと違うものだし、私も「艦これ」は、やらないけど好きです。 でも私はこのシファとミスフィを無事に笑顔で帰港させるまで「艦これ」はやらないと決めてます。(影響されてるなあ……) あと鉄道ファンでもあるので、「鉄研でいず」という女の子だらけの鉄道研究部のシリーズも書いています。よろしくです。