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この本はタチヨミ版です。
目 次
はじめに 「自爆テロ」の先駆者は日本人だった?
第一章 「社会の居場所」を造る生き方
第二章 「奇蹟」を起こす生き方
第三章 「貧困」が「恵み」となる生き方
第四章 「弱者の重荷」を背負うことが生きる力となる生き方
第五章 「心に自家発電」を起こす生き方
第六章 「闇の人生」を棄て「光の人生」をつくる生き方
第七章 「悪い上司」「いじめ」から自由になる生き方
第八章 「後悔のない」自立した生き方
第九章 「動揺しない人生」をつくる生き方
第十章 「運命と宿命」を「永遠の命の糧」に変える生き方
第十一章 日々「新しい発見をする」生き方
第十二章 天国の「創造的」な生き方をぶち壊してきた政治家について
おわりに 日本の未来をぶち壊す政治家について
1 哀しいことに、「自爆テロ」の先駆者は、やはり、「日本人」であったのでしょうか。
かつての、イスラム国」のテロ行為は、こまったものでしたが、
しかしかれらは、次のようにいっていた、というではありませんか。
ー日本人なら、われわれの気持ちも、
わかってくれていたはずですー
というではありませんか。
なぜか分かりますか。
日本人は、第二次世界大戦の末期に、いわゆる「特攻」というものを、前途ある若者に強いていたのです。
「特攻」とは、帰りの燃料を積み込まないで、一端、飛行場を飛び立ったら、敵の「戦艦」に体当たりすることが、究極の目的だったのです。
それもまた、「天皇陛下」の「名誉」と「栄光」を守るためでした。
それゆえに、海上で敵艦を発見したら、迷うことなく、
「天皇陛下バンザイ」
といって、敵艦に体当たりしていった、といわれています。
「イスラム」国の場合でも、
「アラーは偉大なり」
と前もって宣言して、自爆しています。
2 おもえば、実に良く似ています。
かれらもまた、アメリカ人の信じているキリストは神ではない。
ということをはっきりさせるために、
「アラー」は偉大なりといって自爆していた、というではありませんか。
自分たちの神への「信仰」だけが、かれらの「正義」であった、というではありませんか。
しかし、なせか、ほんとうは、そのアメリカ人の信じる神そのものが、実は、いまの「イスラム国]が信じている、アラーの神こそが、天地創造の神でもあった、というではありませんか。
イスラムのひとは、天地創造の神を、アラーと呼び、ユダヤ人は、その同じ神を、「エホバ」と呼び、キリスト教徒のアメリカ人は、キリストの父つまり、天地創造の神を、「天の父」と呼んでいたというではありませんか。
つまりアラーもエホバも、キリストの天の父も、同じ神であったーという。
つまり
「アラーは偉大ない」
という「ことば」にしても、それは、そのままで、エホバは偉大なり、キリストの天の父は偉大なり、といっている「ことば」でもあったというですが、いかがでしょうか。
そういう事情を知っているものはとうぜん、
「だからもう、宗教戦争などやめたらどうですか」
ということになるのですが、世界はいまだに平和になりません。なぜでしょうか。
おもえば、「イスラム国」ができる前から、世界が平和であったことは一度もなったというですが、いれにしても、
「イスラム国」だけが、平和をかき乱してきたわけではありませんでした。
日本人にしても、昭和天皇にしても、
神ではないときでも、、神をなのっていたというではありませんか、そうして、昨今の風潮では、再び天皇を神にして、
「イスラム国」の自爆テロの出現によって、日本政府もまた、
「特攻」を復活させるつもりなのだろうか、という風聞も聞こえていた、というのですが、どうでしょうかーーー
一人の人間として、世界の平和を、武力によるのではなく、「平和のことば」によって、世界平和のために働く政治家が、今こそ必要な時ではないでしょうか。
たしかに、「平和のことば」とは、
すべてのひとの神の国の「ことば」であったはずですがーーー。
日本だけの神の「ことば」ではなく、天地創造の、あらゆる民族を造った神の「ことば」に出会うこと。
その端的な「平和のことば」とは、
「自分を愛するように、
あなたの隣人を愛しなさい」
というものでした。
これだけです。
つまり、隣人とか隣国を愛することが、むしろ、自分と、自国の平和と自立につながる。
そして、ここでいうところの、自分を愛するように、隣人を愛せよ、ということは、具体的にいえば、
自分自身をいじめてはいけない。
他人もいじめてはいけない。
いじめられて自殺しても、自分を愛したことにはならない。
他殺もやめなさい。他殺することは自分を殺したことになる。
差別してはいけない。差別して、自分の魂が成長することはない。
知的障害者を見下してはいけない。彼らを殺しても、天地創造の神も、歓ぶことはない。
どういう隣人も、天地創造の神によって「いのちあるもの」として生まれていて、同時に、どういう人間のなかにも、天地創造の神がいるから、お互いを大事にしようではありませんかー
隣人のなかには敵もいるが、敵のなかにも、われわれと同じ天地創造の神が生きているから、隣国のひとでも、兄弟同胞とおもって、ともに生きるように努力しようではありませんか。
そういう努力によって、人間の魂は成長する。
これこそが、世界を平和にする「ことば」のはずでした。
そういう「平和をつくることば」が、ひとりひとりの魂の成長にもつながり、そうして世界の平和もまた、魂の成長のあるところから始まる、ということではありませんか。
いかがでしょうか。それゆえに日本人としても、良識ある,いつも平安のなかで自立した人間になるためには、こういう「平和をつくる」ことばを知ることから、再出発する必要があるのではいでしょうか。
自爆テロにしか生きる道がないような生きる道ではなく、武器によって和平工作に使うのでもなく、日々が、生きる歓びとなる、「平和」を作る「ことば」を、これからも、紹介していこうではありませんか。
おもえばまた、イエスさまの母の宿命とは、どういう使命でもあったのでしょうか。
1 イエスさまの母マリヤは、たしかに、
ほんとうは、日本的なまともな結婚式さえあげてはいませんでした。
しかも、イエスさまを産んだときも、異郷のエルサレムの、それも馬小屋のなかでした。
まったく、人間社会から見捨てられたような状況のなかで、イエスさまを産んでいた、というではありませんか。
たしかに、いまでも、そういう旅先の出産を歓迎したひともいたのです。
三人の「東方の博士」でした。
三人は、由緒正しいユダヤ人ではなく、そのころの宗教者を牛耳っていた指導者でもありませんでしたが、遠く東の果てから、贈り物までもってきて、キリストの誕生を賛美し、天地創造の神に感謝して、帰っていきました。
しかし、そのあとすぐに、その地方を治めていたヘロデ王にいのちを狙われ、親子三人でエジプトまで逃げています。
なんという人生の始まりでしょうか。生まれた直後からすでに、キリストには、この世に居場所がなかったのです。そうして、キリストのいのちを狙っていたヘロデ王が死んだから、ようやく、父と母の生まれ故郷にガリラヤに戻っています。
そして、そのあとは、養父ヨセフが大工でしたので、大工になっています。
イエスというひとは、そういう生育をしています。
それゆえに、親戚からも、見栄えのいい人からも、歓迎されたことは、一度もありませんでした。そうして、伝道者になったのですが、それでも、キリストの居場所は、どこにもありませんでした。それどころか、そのあち、冤罪をきせられて、十字架につけられました。
十字架刑とは、世間を騒がせた強盗などが受ける刑罰でした。
そのころの宗教的指導者からも、総スカンを食って、かれらによって、十字架にかけられました。かれらは、イエス様を、とにかく、一日も早く「この世」から抹殺したかったわけです。
しかも十字架のかけられるような「きっかけ」を作ったのが、十二弟子のひとりの「ユダ」だったのです。
もうお分かりでしょうか。
イエスさまは、すべてのひとに「いじめられて」最後は殺されていったわけです。
昨今の「いじめ」による自殺も、この世に居場所がない、とおもって、最後は自殺を選んでいます。
そういうことでした。
タチヨミ版はここまでとなります。
2017年11月11日 発行 初版
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現在にところ、7000ページ程の原稿があります。発行した本もありますが、書籍化はまだしていません。 盲学校、知的障害者などの学校の教師の後伝道者になり、今は執筆をつづけています。