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自閉症のひとの見ていること、考えていること

明久亜伸

竹内企画



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   表紙のタイトルの背景、何色に見えましたか?
    青紫ですか?ピンクですか?
     それとも、白ですか?


  この本には、2つの話があります。


歩いている時に、こんな行動をしていることがあります。



アスペルガーなど自閉症の方に、たまに見られる行動がある。
歩いてるときに、どこかをぽん、ぽん、とタッチしながら歩いている。
実はあれ、本人は見えているんです。


これは聞いた話なので、全員がこのように見えているわけではないことをお断りしています。


その人は当時、小学生でした。
当初、地面に光っているような、色が変わっているような部分があったといいます。
その大きさは直径15cmくらいの丸で、ポワッと滲んでいるような感じに見えた、んだそうです。
初めは「なんだろう?」くらいにしか思っていなかったのが、たまたまあるときに、地面にあるその”光”を踏んだ。そうしたらその光が消えた。
「ふーん」くらいにしか思っていなくて、たいして気にもしていなかったんだそうです。


しばらくして、また違う場所に、似たような”光”が出てきました。そこを踏むと、また光が消えました。
その頃から、その”光”は「スイッチ」になった、と話しています。


その行為を繰り返していくと、気がつけば街中のあちこちに出てくることがわかりました。
道路、壁、学校の教室、家の中にでも、本当にどこでも。ただ、空中には出ていなかったということです。
いずれも、押すと、消えます。
学校の登下校の道すがら、いくつも並んだ道路のスイッチを、ケンケンパでスイッチ伝いに歩いていた毎日だったようです。


そのうち、そのスイッチが、複雑になってきました。色がついて、番号も出てくるようになりました。
同じ色を続けて消さないとならない、その間は違う色は、押しても消えない。
幾つかの色の順番通りに押すと消える。この場合は同じ色を続けて押しても消えない。
スイッチに数字が出ている場合は、その数字の順番通りに押すと消える。


一つのスイッチを数回押さないと消えない、という種類もあり、その時にならないと、そのスイッチの特性が何かが判らないのです。
しかし、その当時は小学生。クイズを解く感覚で、面白がってやっていたんだそうで、
時間を忘れて日が暮れることもあったそうです。


「周りの人から、なにか言われなかったか?」と聞いてみました。
なにも、と答えました。夢中で、他の人のことなんて、何も聞いていない。
当時は友達もあまりいなかったため、話してくれる人がいなかったから、とも言っています。
それと、他の人も同じようなことをやっているのでは、と考えていたようで、
たしかに確認もしていなかったですが、気にするほどの内容ではないと思っていたようです。
小学生ですからね。もっともだと思います。


大人が見たら、変な行動をしている、と考えられていたかもしれません。今の時代だったら。
当時は昭和の中盤から後半にかけて。田舎ですし、とやかく口をだすような大人はいませんでした。
問題行動を制する大人は、当時は近所にもたくさんいましたが、
この行動を”問題のある内容”と判断する人はいませんでした。犯罪行為ではないから、ということです。


話をもとに戻して。
そのスイッチは、場面によって、形が変化していました。
学校のタイルの床の場合は、パネル式スイッチに。窓ガラス一面の大きさに。並んでいる小物一つ一つ。
学校の中でもそのような行動がエスカレートし、他の子にぶつかることも起こっていました。
そろそろ先生に怒られるようになる時期に来ました。その頃から、学校内ではやらないように自制していたようです。
そのうち、部活動を始めるようになって、興味はそっちの活動に向けられていきました。
興味が薄らいできたためか、そのスイッチは、次第に少なくなっていきます。
そしてほとんど見られなくなってしまいました。


「当時のそのスイッチって、何だったんでしょうか?」と聞くと、
今になって思うんですけど、パソコンなどのプログラムの仕組みが、それにそっくりだということです。
コンピュータの仕組みを作ったという人も、アメリカ人で考え方がすごく変わっていた人だということです。
私よりも、もっともっと精神が研ぎ澄まされた人だったんじゃないかと思います。
たぶん、その人が見えてた世界は、他の普通の人には理解されなかったでしょうね。
同じようなモノが見えていた人でなければ、想像もつかないかもしれません。


学生が終わる頃に、床面に15cmくらいの丸がいくつも並んだスイッチを押す、体感型ゲームが流行りました。
ゲームセンターでは、床や手前にある大きなスイッチを、画面のとおりに押していくと、高得点になるタイプも。
私は、それを30年以上前にやっていたんです。当時(1970年代)はコンピュータというものは一般に普及していませんでした。
学生時代に、パソコンでフォートランというプログラム言語や、大人になって電気のシーケンス回路とか、
勉強する機会が出来たのですが、その経験があったために、すんなりと受け入れることが出来ましたよ。悩むことがなかった。
最近になって、小学校でもプログラミング授業がありますよね。私みたいな子がいたら、すぐ理解できるのではないでしょうか。
ただ。そういう子は、解りすぎる。出来る子と出来ない子の差がありすぎるので、格差をつけてしまうでしょうね。



ああ、今でも、たまにそのスイッチが、見えるような気がする時があります。
その時にそこを見ても、もう消えてて、残ってないんですけどね。



こういう考え方が、他の人と違うと思ったんです。



数度、相談を受けることがあるひとがいて、そのひとが、どうもよそよそしい態度をとったことがあった。
その人を連れ出して、外で、二人っきりになって聞いてみた。



えっと…、どこから話していいのか…
「いいですよ。感じたところから話してもらえたら。」
すると、中学生の時の話から始まった。



おじいさんのお葬式のとき。実際にお葬式というものを体感したのは、その時が初めてだった。
まあ、人によっては経験する時期など様々だから、それがたまたま思春期に当たったということ。
その時の雰囲気が「違和感」だった。
人が死んだので、式をあげるという、それは中学生だったら、なんとなくでも判ってくるであろう。

が。

周りの人は悲しい顔をして、悲しい話をして、

それが判らなかった。
なぜ、それが悲しいのか?
自分は、特に悲しい訳ではなかった。
もちろん、親しく接していたし、遊んでくれたし、お年玉も貰っていたし。
しかしその時、もう会えないからとか、いなくなっちゃったとか、
そういう理由では悲しいとは感じなかった。
「ああ、そうか、そうなんだ。」
これが感じたことだ、と。



次は、21歳になったとき。今度はおばあさんのお葬式だ。
今度はもう大人の話。中学生だったらまだ経験不足なところもあるだろう。
学校を出て会社に入社して、人生の先輩と接しながら生活をしている、その時に。
「ああ、そうなのか。」しか感じなかった、と。
おじいさんよりも、もっと親密に、一緒に過ごして食事など世話もして、
一緒に暮らしていた仲だった。だったのに、
それしか感じなかった。
お母さんが泣き崩れていた姿を見て「どうしてあんなに泣いてるんだろう」と感じた時に、


自分のほうが、なんか変なのではないか?と考えるようになった。



「…ということなんです。」と言われて、現実に戻された気がした。
たしかに、これは変だ。変だけど、現実にこういう人が、目の前にいる。
普段は、ごくフツーの青年だ。仕事もなかなか出来てるし、人付き合いもいい。
考え方がちょっと違うところがあるが、そのポイントが、本人からハッキリ告げられた。
いままでこんなことを、誰にも言えずにいた。当然だろう。死ぬのが悲しくないなどと。
ん?自分自身が死ぬのはどうなんだろうか?
「それも、たいして怖いとか感じません。前に入院したときも。でも、死にたくない。」
死ぬのがもったいない、という表現をしたのは、ちょっと興味が湧いたところだけど、
「それで、自分はどうなのか、どういう過ごし方をしたらいいのか、そこなんです。」
これは、ただの小説書きの私にとっては、ちょっと荷が重い。
デリケートな内容でもあるので、専門家の先生に聞くしかない、と判断した。



詳細は伏せますが、福祉の方面では、全国も飛び回っている某先生と会い、話を聞いてみた。
「本人にとって、ここは変だ、という認識はしているんだね?」
「まあ、そうです。」
「そして周りの様子を見て、その場での良い悪いの判断は出来るんだね?」
「そうですね。」
「自分で気にすることが出来るのであれば、それはひとつの”個性”として捉えることが出来ると思うんだな。」
「個性?ですか?」
「個性というのは、良い意味でも悪い意味でも捉えられるが、そういう類のものではないから。」
「はぁ。」
「なので、今まで通り、生きていけたら良いのでは、と私は思うね。」
「ははあ、なるほど。個性ですか。」
話が難しかったので、まとまるとだいたいこんな感じで決着が着いたようだ。
後日、本人に聞いたときは、かなり気持ちが楽になった、という話をしていた。
中学・成人の頃からのもやもやが晴れたみたいな感覚だという。
そして先生のも会うことがあったが、
「なかなか難しい問題だねえ。私も当事者本人から直接ハッキリと話を聞いたのは初めてだった。アレくらい物事の判別がつけられる人に、精神障害とかの認定は難しい。私もたまに気にかけるようにしていくよ。」
と話してくれました。

筆者…
**明久 亜伸**(めいく あしん)
     1971年北海道生まれ、北海道育ち。
     この歳になるまで数多の職種を経験する。
     そして数々の趣味も持っている。
     そういった、仕事とは全く違う人脈を元に執筆。
     18禁の小説も書いているので、取扱い注意。
     モットーは「何事も、経験」「やってみりゃいい」。

「寒い夏 : まだ500人しか体験していない、本当の避暑地」
2016年の8月の平均最高気温は24.1℃。最高気温で30℃を超えたのは、8月5日の30.3℃だけ。
長期滞在人気ランキング北海道部門で、5年連続第一位の、本当の避暑地・釧路市。
過去100年の最高気温が32.4℃という、「涼しいぞ!釧路」の涼しすぎる旅行記。
https://www.amazon.co.jp/dp/B073NMFLG8/ref=cm_sw_r_li_awdo_ATJwzb20J5BHV

自閉症のひとの見ていること、考えていること

2017年11月12日 発行 初版

著  者:明久亜伸
     make a scene
発  行:竹内企画

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明久亜伸

週末小説家。 過去に多数の職歴を経験、 その思い出を元にフィクション物語を作ることに興味が湧き、実際に書いてみて、現在に至る。

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