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たびするシューレ

新見隆・岩尾晋作

カモシカ書店、たびするシューレ実行委員会



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第1回のたびするシューレは、大分県竹田市から。
会場は、竹田駅前ゲストハウスcue 1階かどぱんスペースにて。

シューベルトの連弾
-竹田での、「旅のシューレ」を終えて

[ シューベルティアーデ ]

こうして、東京郊外のサナトリウムの森の一角に、久しぶりに戻って、女房と娘の顔を久しぶりに見ながら、お互い、子供の頃に返ったような、懐かしさ温かさを感じて、ソファに寝転がって、シューベルトのピアノを聴く。
 井上直幸と竹内啓子による、あまり知られていない、連弾曲だ。
 若い頃から、彼のドビュッシーを愛聴した井上直幸だが、帰らぬ人となった。
 シューベルトの連弾は、もの哀しい曲が多い。その哀しさは、けっして身を裂くような激しいものではないが、そこはかとない、生の淡い揺曳を想わせて、忘れがたい。(註)
 幼い頃から病弱だったシューベルトは、つねに死の予感とともにあった訳だが、そのライナー・ノートには、たしか、彼が多くの連弾曲を残したのには、「ある種の、共生、小さな共同体への憧れがあった」と書いてあって、ドキリと胸を打たれた覚えがあるのも、ふと思い出した。よく知られているように、身体が弱かったためか、シューベルトは、大勢の観客を相手にした大演奏を容易には行えず、そのために、親しい友人たちが、彼のために集って、シューベルティアーデという会を定期的に持った、という。かの黄金の世紀末画家、クリムトの若い頃に、この会でピアノ弾くシューベルトを描いた小品がある。
 小さな部屋のようだが、温かい、不思議な光が、鍵盤を前にしたシューベルトを照らしている。それは、いっしゅ、聖なる光、と言っていいものだ。
 たぶん、私ども、大分の中心で、文化の拠点、カモシカ書店を立ちあげた岩尾晋作君も、竹田の町おこしを積極的に推進する西田稔彦君も、彼らを強力にサポートする、日田のプロデューサーの江副直樹さんも、そういう、小さな、そして温かい、じんわりと銘々の心を照らす光、そういう共同体を、目指しているのだと思う。

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師走の慌ただしいさなか、ついこのあいだの今週の月曜の夜、駆けつけた、夕闇迫る竹田は、思いのほか、温かかった。それは、すでに何度か来て、見知った町となった竹田の夜に灯った小さな灯火と、それに集う人びとの、何かを待ち望む、「小さな期待」のせいだったかもしれない。
 期待は、そして望みは、小さい方がいい、と言っている訳ではない。
 それは、あたかも、シューベルトの連弾について、そのライナー・ノートの執筆者が言っていたような、意味でである。
 大好きな、というか、ほとんど若い頃から、唯一、変わらず熱狂して影響を受けたのが、世紀末ドイツの詩人リルケだが、彼の珠玉の童話に、『神さまの話』という、彼がロシアから戻って、その「神にもっとも近い人びとの暮らす地」の思い出を綴った、物語集がある。その一編に、ある女性詩人が、幼い頃に、来客を待ち望む話、その、何とも言いがたい、期待の時間の心踊るさまや、「待つことの」じたいの、魂の内側から湧いて来る温かさを、語りかけ、呼びおこそうとする場面がある。
 素敵な場所の始まり、それは美意識の共同体、ともいえる「かどぱん」を、立ちあげた臼田朗さん夫妻や、その上に、待望の現代版ユースホステル「駅前Cueキュー」を営む、堀場さくらさん夫妻を囲んだ、小さな会はそうやって始まった。

[ 芸術家は、美を知らない? ]

いつも、何処でも言っていることだが、私はある種狷介な、芸術至上主義者だ。それは、芸術こそが、あらゆる地上の存在より偉い、というのとはかなり違うだろうか。喩えて言えば、「芸術家がいちばん偉いのか?」と訊かれれば、「そうではなくて、「芸術的に生きている人なら誰でも偉い」のであって、表面的な職業には、かかわらない」、と答えるだろう。じゃあ、いったいどういうのが「芸術的e」なのか、ときかれると困るが、敢えて乱暴にいうと、「何の気無しに、生きてはいないのに、何の気無しに生きているように見える人」と答えるかもしれない。それは、昔の人が、何のこれといって娯楽のない時代に、それでも、草木を愛で、鳥の声をきいて喜んだ、そこに、無上の生きる悦びを見いだした、そういう、心のゆとりをこそ、「芸術的」とただ、呼びたいだけなのである。
 私が前座で話した後に、後半のトークの主人公、書家である、草刈淳さんから、ちょっとした質問があった。たしか、「表現者にとって、美の基準というものが、あるのか」というものだったと記憶する。
 私は、美の基準は、むしろ表現を受け取る人にあって、芸術家そのものには、関係ない、と言ったような気がする。けっして「私つくる人」「私受け取る人」の、表現者=受容者の、区別や、峻別を言った訳では、むろんない。表現者と受容者は、元来同じものであって、職業云々を言わなくても、芸術家は、自分のなかにある、もう一人の自分、つまり「他者」に向かってつくる、と思っているし、また職業的に芸術家でない人も、「良い」とか「悪い」とか、「好き」だ「嫌い」だと感じることで、じゅうぶん、何かを「つくって」いる、と思う。
 それはじつは、こういうことだ。
 その時にも言ったことだが、リルケは、私淑していた彫刻家ロダンについて書いた(じっさいは、講演の草稿だが)文章で、「かつて、美をつくった人はいない。芸術家とは、美が宿る祭壇を掃除し、整える人のことだ」というようなことを言っているし、私も心底、そう思う。畏友で作家のさかぎしよしおう、の言葉だが、これが「芸術の媒介性」ということになるのだろう。
 何か、どこにあるのか良く分からないもの、そういうものに、突き動かされて、人はものを生みだすからだ。自分の言葉でいえば、「宇宙芸術霊」は、必ず存在するのである。逆に、それを、自分のなかの他者、と言ってもいいし、また単純に、隣に座っている誰か、家族とか友人とか、見知らぬ誰か、そういう「他者」の一人、とも言い換えてもいい。
 戦後の美術を牽引した美術批評家、瀧口修造は、縄文土器など古代人が残したものの力を讃えたが、そこで「彼ら古代人は、大きな、巨大な他者に向かって、こうしたものを、つくったのだ」というようなことを、言っている。

[ 柔らかい、頑固さ ]


じつは、後半の、ゲスト草刈さんへ、岩尾君が繰り出す質問と応答、そのトークの核心も、そのへんにあったように、思われたのである。
 話は、竹田の町がさいきん活気がひじょうに出て、新しい動きが起こっていることから、ごじしんのUターンのこと、さらには、専門の書に及んで、興味は尽きなかった。
 木訥、とも言える控えめな語り口は、彼草刈さんの、首尾一貫した、世の中の「分かり易さ」への傾き、所謂急速にすすみつつあるように思われる「記号化」を、如何に避けて、自分の楽しさのリアリティーを堅持するか、そういう頑固さにもみえて、終始、感じが良かった。これからは、「固な柔らかさ」だな、と思えた瞬間だ。
 他でも同じようなことを書いているが、今は、昔と違って、自分の好みや信条で、簡単に嫌いなものを切り捨てられない時代だ。多様なものの共存を認める、寛容の時代であるのは百の承知だが、またそれはある種、良い道筋だとも、思えるのもたしかだ(これは、先日、我がOPAMであった、イサム・ノグチと現代音楽、武満徹との関係に焦点をあてたレクチャーで、作曲家の清水慶彦さんが、語ったことでもある)。ただ、いっぽう「何でもかんでも有り」、にすると、また今度は、なんというか、「無意味で、膨大なもののあいだを、そういう指標の無い大海を、四苦八苦して泳いでいかないといけない羽目」に陥る。だから、やはり、現代は、難しい時代だ。
 「自分は、すごく気持ち良い竹田を知っている。お城や遺跡じゃなく、田んぼの素敵な畦道を、見せることが得意だな」。
 「竹田は、ある種、良い具合に囲まれた狭い地形で、だから、良いものが、なかなか出て行かないのかもしれない」。
 「花という字を、花を感じさせるように書くのは、ちょっと、つまらないなあ」。(これには、私もすごく共感するし、何より、時々自分でも引用して、使う話だが、今我が OPAMでやっている彫刻家のイサム・ノグチが、前衛生花の巨匠、勅使河原蒼風が花を生けていて、「花を生けて、花に見えたら、芸術じゃないでしょう」と言ったそうで、そのことは蒼風が感心して文章に書き残している。)
 「それは、むしろ、石、そこらにあって、どこにもない、石を書いているような感じかな」。
 「体験や、身体の技術が、ものに触れて、どう表われるのか、ただ、見てみたいだけ」。
 「何か、言葉で上手く言えない妙なところで、アッ通じたな、響いたな、という反応が、嬉しいし、そういう時に他者と自分との存在、その関係を心地良い、と思う」。
 「楽しい時にも、崖っぷちの時にも、書く。どういうものが、出てくるか、自分でも分からないから」。
 「話してても、何となく、ズボンに指で字を書いていることがあって、無意識で。人にも、言われる「お前、また、書いているな」と。「ハッ」と、気づくと書いてるんだな、そういう時は。まあ、字を書くのが根っから、好きなんだろ」。

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自動車で東京に発つという草刈さんを手締めで見送って、美味しいワイン、香り高いパンに、臼田夫妻謹製の、牛蒡スープに、仔牛のワイン煮、ピクルスに舌鼓を打った。
 畏敬する竹田出身の歌人の川野里子さんが来てくれたし、ユニークな南画蒐集家の二宮健君(翌日立て込んでいたので、彼に頼んで、急遽、夜大分に車で送ってもらい、帰らせてもらった、次は泊まりで是非来たいと思う)が大分市から、そして国東の陶芸家垣野勝司君が、安岐からわざわざ来てくれて、感激した。オランダから、今竹田で制作中の絵描き、ジョン・ニールランドさんも来訪して、賑わった。
 余談だが、鶏天、鶏唐狂の私にとって、初めての「丸福本店」のから揚げも、「シットリ、カラカラ」で、しごく気に入った。(ふだんは、大分は、「丸福住吉」の、ヘヴィー・ユーザーなのだが、、、。)
 雪のまだ降らない、竹田の師走の快夜だった。
 そして、翌昼私に届けられたのは(岩尾君に配達を頼んだ)、竹田きっての「美味どころ」イタリアン、「リカド」の元気者、桑島孝彦君の、渾身の洋風弁当だった。イノシシの幅ひろパスタ、猪リエット、牛蒡や里芋など根菜満載、椎茸とエリンギ、鯖オイル焼きなど、海山の佳肴満載のゴージャスな弁当に、またまた驚愕。

 「埋み火の、音聴く夜半には、本を捨て、闇に出でんか、神神よ立て」。
 「隠れ居て、神神喚ぶと巫女よ言え、ひと紅の、天の龍見て」。

 豊かに、楽しみ、豊かに、学び、「旅するシューレ」の開幕、おあとが、よろしいようで。

(註)
レントラーという、ハンガリー風の舞曲というのも、どこかで読んだが、ウィーンからブタペストに向かう車中で見た、草原にぽつぽつと点在する侘しい民家、煙ののぼるたたずまいが、今でも忘れがたい。
「メラータ」からでたCDを愛聴したいじょうに、この手元に見つからないライナー・ノートの筆者と、後に、ポルトガルの名手、マリア・ジョアン・ピリスが、リカルド・カストロと、2005年にグラモフォンから出した連弾集にも、熱狂したので、そのライナー・ノートの筆者から、文中すべての、シューベルトの連弾の基本事項すべてについて、学んで借りた。
竹田出身の、瀧廉太郎が学んだのは、たしかメンデルスゾーンの起こした音楽学校だった、と記臆するので、瀧とメンデルスゾーンについて、そして私どもが、新生大分県立美術館の、プレ・オープンで、ゾンビ音楽をやっている安野太郎君に、オマージュ瀧廉太郎の作曲を依頼した話もしたかったが、それはまた機会に。
さらには、豊後南画の先駆、田能村竹田について、そして隠れキリシタンについても、もっともっと話したいことはあるが、それもまた、いつか。

新見 隆
「旅するシューレ」顧問
大分県立美術館館長
武蔵野美術大学教授

たびするシューレ 第一回 竹田へのたび

日本一のゲストハウスでエクスタシー

カモシカ書店 岩尾晋作

たびするシューレ 第一回 竹田へのたび

一 日本一のゲストハウスでエクスタシー

隠れキリシタンの礼拝堂があり、滝廉太郎が「荒城の月」の霊感を受けた岡城を有し、現代も石畳や武家屋敷を残す幽玄とますらおぶりの城下町、竹田。古都の趣に加え、近年は現代的なセンスで最新の図書館やアートレジデンスを作り、県内で明らかに異彩を放っている革命の町だ。

僕の暮らす大分市内から竹田のセントラルシティまでは車で1時間。
たびするシューレの初開催を目前にして、不安の奥底にある期待と希望が表情ににじみ出たみたいに、雲の端を赤く染める夕日を見ながら、車は順調に進んだ。

今回のシューレの会場で使わせてもらったのは竹田駅前に野心と自信を持って新しく立ち上げられたゲストハウス「たけた駅前ホステルcue」だ。
僕はゲストハウスが好きで、日本でも外国でもいくつも泊まったが、古民家を大胆にリノベーションした「cue」の建物、内装の力強さ、洗練さには度肝を抜かれた。古民家らしい堂々とした梁が天井に架かり、エントランスにパン屋「かどぱん」を据え、普段はそこで食事ができるほど贅沢に広い。入口に佇む木製フィギュアは竹田を拠点にするアートユニット「オレクトロニカ」による作品で、番人というよりも瀟洒なドアマンといったところだろうか。
こんな気持ちの良いゲストハウスは他にはちょっとない。日本随一といっても全く過言ではないゲストハウスがある大分県に、今後の未来を感じずにはいられなかった。
そのようにしてすぐにここが竹田の中心、いわば革命の伽藍であると確信できたが、正直にいうと、一番に思ったことは、こういうゲストハウスが大分市中心部に欲しい、こんな要塞を持つことができたらどんなに自分の町を盛り上げることができるだろうという、嫉妬にも近い、羨望だった。
とにかく、こんな会場を選んでくれた、たびするシューレのプロデューサー、西田稔彦さんの町を見抜く慧眼に唸った。

ゲストハウスを切り盛りする堀場貴雄・さくら夫妻と、先述したゲストハウス内にあるパン屋さん「かどぱん」の臼田朗さんがイベントの準備をしてくれている。
ひとり、またひとりと会場入りする参加者(ともに学ぶシューレの学生)は徐々に会場を熱気で満たしていった。オランダから竹田に滞在しているアーティスト、ジョン・ニールランドさんも来てくれ、このような集まりは素晴らしいと絶賛してくれた。この小ぶりな城下町に、オランダ人の画家がふらりとやってくるところが、竹田の懐の深さと新奇性だと舌を巻いた。
30人ほどの参加者は竹田にとどまらず県内方々から集まってくださっていた。竹田出身で現在は千葉の大学で教える歌人の川野里子さん、日田在住のデザイナーで大阪の大学で教鞭も執る江副直樹さん、江副さんの元で学ぶエディター川島克さん、関東から国東に移住して作陶を続ける垣野勝司さん、など大分の未来をそれぞれに創造する方々だ。
みんなの熱気が会場に満ち、僕たちは今夜、竹田の湯たんぽみたいだなどと考えていた。
そしていよいよ、たびするシューレの幕が切って落とされた。

 プロデューサーの西田さんから開会のあいさつと「たびするシューレ」発足の経緯が手短に紹介される。大分県立美術館(OPAM)の新見館長と西田さんの対話から始まったこの企画は江副さんの助力を得て、開催の運びとなったのだ。本当に、いろんな人のおかげで僕たちは今日、このステージにいるということへの、有難さ、を改めて噛み締めた瞬間だった。

そして我らが大分県立美術館OPAMの新見隆館長のレクチャーが始まる。新見先生はカモシカ書店で何度もレクチャーをしてくれているが、そのどれもが人間の本質を射抜き、同時に人間と芸術への大きな信頼と愛に満ちた言葉で組み立てられ、僕はいつも驚嘆する。その感動を大分県民全てで共有したいというのが「たびするシューレ」を運営する上で私の重要なモチベーションともなっている。
新見先生の言葉は、たしかに、我々の「明日」を照らす一条の光になると信じている。

今夜の題目は「エクスタシー! アートの根源とは何か。石内都とスティーブン・コーエン」。
風変わりな衣装の上からさらにシャンデリアを纏い、踊りを舞うダンサーの写真が「cue」の壁面にプロジェクターで照射される。その異様なイリュージョンによって会場のみんなは一瞬にして美術大学の学生になったような気持ちではないだろうか。
不思議な緊張感の中、新見先生は言い放つ。

「人間は滅びると思うか?」

ダンサーが踊っている所は南アフリカのスラム街だった。同国の大きな禍根、アパルトヘイト政策で生まれた数多くのスラム。スラム街の住民同士で争う悲劇がある。
コーエンは騒動の最中のスラム街で、踊る。
見るからにゲイで、奇妙ななりで、スラム街で踊るコーエンを多くの人は無視する、侮蔑の目で見る、石を投げる。
やがて日が暮れる。コーエンはただ踊り続ける。シャンデリアが揺れ、夜闇に輝いた。
そのとき、ひとりの老婆がぽつりと呟いたという。
「きれい。このスラムできれいなものをみたのは初めてだ」

そして石内都という写真家。
ヒロシマという写真集で、衣服を撮った。原爆の、被爆者の、衣服。
ついさっきまで、生きていて、一瞬にして焼かれてしまった人の衣服を。
写真はまざまざと伝えている。かわいらしい衣服、それを身に纏った人のご機嫌な朝を。
恋心も少し寝不足な瞼も、戦時の憂鬱さのなかでも、明日に向かって生活していた全ての死者の柔らかい肌が、愛おしく、何よりも尊く、焼けた衣服に袖を通すのが誰の目にも見えてくるだろう。
そこに存在し、生きていたということ、その真実や魂は原爆なんかで消えてしまうことは絶対にない。石内都はその確信を、写真に込めた。

人間には動物的な限界がある。それはひとつにはいつかは必ず死んでしまうということ。
そして、もうひとつは自分と自分の身内だけよければそれでいいという自己専横性。
この二つが重なり続ければ、人類は滅びるしかない。

芸術には、芸術的に創造的に生きるということには、この限界をときに突破し、超越し、全く新しい世界をみせる開放性がある。
打ちひしがれた人を救い、支え、再び自ら歩き出す勇気を与えてくれる力がある。
人生も、人類も、本質的に悲しいのかもしれない。その悲しさから逃げるのではなく、
悲しみから始め、歓びへと昇華していく。それがエクスタシー、アートの根源だといえるだろう。

さあ、それを踏まえたうえでもう一度問おう。
「人類は滅びると思うか?」


もちろん正解はない。アートについてもこれだけが答えではない。言葉で応じることはたやすいだろうが、そのことにはほとんど意味を感じない。明日から私がどう生きるのか、なにを作るのか、誰と生きるのか。本当に問われているのはそういうことだろう。
劇的に変わる必要はない。外から見てわかる変化は変化として実につまらないものだ。
本質的なことはいつも植物みたいに、変化も成長も見てわからないような速度でしか動かない。
だから同じ毎日を繰り返しながら、でも月を見あげていよう。焦らず、前を向いて遠くまで歩いていこう。我々はやはり、自分を完成させるために生きているのだと僕は信じる。

二 キャバクラから畦道に

ここから第1回 たびするシューレのゲスト、草刈淳さんにご登壇頂こう。
竹田の代表的アーティスト、草刈淳に僕がインタビューしていくという設定だ。
手短に紹介すると草刈さんは竹田出身。南画家の祖父を持ち、ご自身は書の道に進み県外で活躍するが、あるとき全ての書関係の団体を脱退し、竹田に戻る。骨董好きから始まった三桁(みつけた)という古道具屋を竹田で運営しつつ書を書き続ける。総合的な美的センスが評価され、空間デザイン、内装、など大分県内外で躍進を続ける。
 個人的には2年ほど前に初めてお会いして飲みに行った。そのときは都町のキャバクラに連れて行って頂いたのだが、人と接する技術についてキャバクラにいる女性たちから学ぶことはたくさんある、と丁寧に説いてくださったのを記憶している(余談だが僕はそのとき生まれて初めてキャバクラに行ったのだ)。
 それからしばらくお会いしていなかったのが、どしりとした存在感が僕のなかに残っていて、もっともっと草刈さんと話してみたかったのだ。

 大勢の前で喋るとなれば、草刈さんはきっと韜晦(とうかい。実力を隠して煙に巻くこと)されるだろうなと勝手に予想していた。だからどうやって心を開いてもらおうか、いろいろ考えていた。
 だが開口一番に草刈さんは「美」について、新見先生の先ほどのレクチャーに関して質問する、という事件が起きた。(質問の内容は新見先生の報告にあるのでここには書かない)
 冒頭から芸術家が「美」という言葉を使ったのを聞いて、ああ、この人はむき出しの人なんだな、ポーズなどなく、真っすぐで純粋な生き方をしているのだなと看取して、前述した僕の勝手な予想を自分で愚かだと思った。
 地域協力隊として竹田で奮闘する吉峰さんや、カモシカスタッフの波多野樹くんの質問に、大分市から来てくれた小原さんの質問に、草刈さんは誠実に真剣に、自分の言葉で答える。その丁寧な対応や社会の決まり文句を不器用さを感じさせるほど一切使わずに語ろうとする真心に、僕はすっかり魅了されてしまった。
 中でも驚きだったのは、当時の自分の書の道に自分で疑問を持ったときに、所属していた書道団体のコンペに敢えて書を変に書いてさらに誤字も二つ混ぜて出品した、という告白だった。その作品の結果はなんと高く評価されて受賞。それをみた草刈さんは団体を離れ独自に書の道を歩もうと決心されたということだ。

 ある制約や束縛、倦怠を逸脱すること、あるいは逸脱しようとするエネルギー。それらはいつも芸術や文学で起きる爆発の最初の火花であることは間違いないのだが、逸脱したもの同士が同じ地平に立ち、いつの間にか集まってまた新たな制約や束縛や倦怠を作るというのはいつの時代にもあるし、集団でなく個人の創作活動の歴史を振り返っても束縛から逸脱、その結果また新たな束縛、という連続する波は見られる。

 僕が何を言いたいのかというと、芸術家だから自由だということはないし、芸術家が集まることで何か特別な集団が形成されるわけでもないということ。大切なのは倦怠していないかという自己メンテナンス、これでまあいいやというような思考停止に全力でNO! を突き付けること。
当然、独立した草刈さんには独り立ちに付きまとう孤独や疎外、辺境化という苦難が付きまとうのだが、誰だって独立するときはそれぐらいの覚悟はするだろう。本当の試練は独立した自分が独立したことによって生まれる新しい倦怠や形式主義や御座なりのものに目を背けずにいようと日々内省するときから始まるのだろう。

草刈さんは竹田の生活が心地よいそうだ。移住者やUターンした人、観光客も増えてきている故郷に対して「人が増えるのを拒む理由はないよね」と柔らかい。そして自分という変人がいることで他の変人の居心地をよくしたい、とまで言ってしまうのは感じの良さを通り越してチャーミングですらあるだろう。
竹田に来る人に、「岡城や温泉ではなく、素朴な田んぼの畦道を案内したい」とも言っていた。僕はもうその畦道を必ず見に行きたい。何でもない日に、わざわざそのために、竹田に泊まってでも、草刈さんが好きな畦道を教えてもらおうと思った。

草刈さんは自分自身に自在に立ち向かえる人だろう。何もかもが僕の想像をはるかに上回る気持ちのいい芸術家でした。本当に楽しかったし、魂拝見しました。
草刈さん、ありがとうございました。

その夜は僕たちは午前2時まで飲んだ。
竹田の若きリーダー、リカドの桑島(現 小林)さんと久しぶりにゆっくり話した。臼田さんとも、西田さんとも、たっぷり時間を過ごし、酔っぱらった。
飲みの席の話題はここには書かない(書けない)。参加することが全てだからだ。
次回のたびするシューレに、ぜひともお越しください。

たびするシューレ

2017年12月11日 発行 初版

著  者:新見隆・岩尾晋作
発  行:カモシカ書店、たびするシューレ実行委員会

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