spine
jacket

───────────────────────



【分泌】第6号 シナリオ・センター大阪校小説研修クラス新規開設記念号

シナリオ・センター大阪校 小説研修クラス

シナリオ・センター大阪校



───────────────────────

 目 次

  そのドアが開いたら…… 碧月羽 はな
  メメント・モリ     浅宮  葉生
  レンタルお姉さん    大家  ともみ
  高い扉のある家     鍵本  沙織
  入れ込み湯禁制     木村  泰延
  恩寵弁当         草野   浩平
  遺品           桑田  真吾
  父と寝る         十影  海月
  母            野土  美香
  扉            原   朱美
  二重丸          光吉  佑馬
  秋の扉          匿名希望

そのドアが開いたら…… 
               碧月羽 はな

 誰もが簡単に開けられるドアなのに、どんなに頑張っても開けられない。かと思うと、誰も開けられないドアを何事もなく開けてしまう。そんな経験はないだろうか。

「玄海さ~ん、開けてくださいよ~~~」
 やれやれと笑いながら、中から巨体の玄海さんが近づいてきて、ドアを開けてくれた。
 細菌検査室のドアを開けるのには、かなりコツが必要だ(と僕は実感している)。ドアの接する壁の左下に四角い穴が開いていて、そこに足先を入れるとセンサーが感知してドアが開く。よく手術室の入り口についているアレだ。
 それが、なぜか僕の足にはセンサーが反応しない。おかげで「ユウレイ」とかいうあだ名がついているとも聞く。僕にだけ、開かずのドアなのだ。その証拠に、僕が用事を済ませている間に、そのドアを通って数人の出入りがある。しかし、誰一人として困った様子は見せない。

 学生の頃、卒業研究は細菌検査室で! と心に決めていた。説明会当日は希望する検査室に直接集合、先着順! というので、下見も万全、最短の行き方を確認済みだった。
 ところが、忘れもしないその日、僕は行き損ねてしまったのだ。
 続々と集まる希望者と、開始時刻まであと三分と迫る壁時計とを、ガラス越しに交互に見ながら、どうしたら行けるのか、僕は恐慌をきたしていた。
 そんな僕の背中に、やさしい声がかかった。
「卒業研究の希望者ね。説明会はこっちだよ」
 助かった。気づいてくれた。
 その女性について、いくつか部屋を通り到着した部屋は、……病理検査室だった。
 あれ?
「間に合ってよかったね」
 と、振り返って優しく微笑むのは、真樹子先生!
「あの部屋に入れるなんて、プロだよ~。ドアが全然開かないって、みんな困ってるのに。これは運命だね」

 この日を境に、僕の波乱万丈な病理人生が始まり、現在に至る。振り返ってみれば、あの日、細菌検査室に行ったところで、ドアは開かなかったのだ。
 運命は、時として物理的にその存在を証明する。

                                終わり


メメント・モリ 
                    浅宮 葉生

 祖父の入った棺が運びこまれて、音もなく扉が閉まった。自動ドアだった。なんとなくがらがらと音の出る重厚な手動の扉だと思っていたから、あまりにも近代的で茫然とした。考えてみれば当り前のことなのに。
 待合室で呼び出しの放送を待っていると、隣に叔父が腰かけた。
「お茶飲む? いやあ、セーラー服に黒タイツっていいよな」
「おじさん、変態っぽい」
 紙コップを受けとって一口すする。堅苦しい父と兄弟とは思えないくらい、叔父はいつも軽薄だ。けれどこの軽薄さがいまはありがたい。長く病床にあって覚悟していたとはいえ、知らせを受けてから今日まで、内心ずっと緊張しっぱなしだった。
「このあと、骨を拾うんだよね」
 そうだよ、と叔父が頷くと同時に放送が響いて、呼び出されたどこかの家族がぞろぞろと向かっていく。
「なんか、あの世とこの世の境目みたいだった。火葬炉の扉って」
 生きた人間は絶対に入ることのない、灼熱の部屋。寝ているように見えた祖父の体は、次に会うときには骨だけになって、もう本当に祖父なのか確認しようにもわからない。この部屋だった、という記憶だけが頼りだ。
「大丈夫だよ。うちは小野だから」
 ぽんぽんとわたしの肩を叩いて叔父は朗笑した。一瞬叔父の顔が祖父と重なって、おじさんは笑うとおじいちゃんに似ているんだ、と思った。
「それ、おじいちゃんも言ってた。どういう意味?」
「小野篁伝説知らない? 夜ごと地獄に行って閻魔様の補佐をしてたってやつ。まあ、うちは小野篁とは何の関係もないんだけど」
 じゃあ、ただ言っているだけじゃないか。そんな理由だったのかと呆れつつも、祖父らしさに思わず笑ってしまった。
「今日からは、きっとおじいちゃんが手伝うね。小野だからって」
「目立ちたがりだったからなあ。篁さんも困るだろうな」
 叔父のまるで知り合いのような口ぶりがおかしい。やがて祖父は扉の向こう側に行ってしまったのだと実感が追いついて、視界がゆらめいた。

                                終わり

レンタルお姉さん 
                  大家 ともみ

 ダークブラウンのドアはぴたりと閉ざされていた。恵衣けいはドアをノックした。
「山岡さん、プラッツ坂江の岡本です」
 返事はなかった。恵衣はドアに耳を寄せた。ドアの向こうは物音一つしなかった。息を潜めてこちらの様子に耳を澄ませている聡の気配が伝わってくるように感じた。
 恵衣はプラッツ坂江でひきこもりの訪問ボランティアをしている。聡の家には三ヶ月前から週に一回訪問している。
 恵衣はドアから耳を離すと、足下に置いたトートバッグから封筒を取り出した。
「手紙、ありがとう」
 恵衣は封筒から手紙を出した。白いコピー用紙にやや大きな字でびっしりと文字が埋まっている。
『親も教師もみんな一方的に自分の都合を押しつけてくる。ちょっと成績が良ければ期待してる風なことを言って、失敗した途端に厄介者扱いだ。……惨、惨、惨、人生終わった』
「辛かったんだね……お父さんやお母さんに分かってもらえなくて」
 ドアに耳を澄ました。反応はない。恵衣は手紙をちらりと見た。
「気持、聞かせてくれてありがとう。これから、どうしたらいいか一緒に考えていこう」
 相変わらず反応はなかった。恵衣は一息つくと手紙をしまった。別の封筒を取り出すと、ドアの隙間に挟んだ。
「私の手紙、ここに置いておくね。来週、この時間にまたお邪魔させてもらっていいですか」
 拒絶の反応もないので、このまま約束を取り付けた。手帳に次の予定を書き込むと、恵衣は荷物で一杯のトートバッグを肩にかけた。
「それじゃ、失礼しますね」
 ドアの前を後にすると、階段に向かった。階段に足をかけたところで、ドアの開く音がした。恵衣は振り返った。ドアの前に聡が立っていた。
「山岡さん……」
 聡は俯いていた。グレーのスウェットを着て、何ヶ月もはさみを入れていない髪が顔の半分を覆っていた。聡は黙って白い封筒を差し出した。
「手紙、また書いてくれたの?」
 心の奥がほんのりと温かくなってくるのを感じながら、恵衣は手紙を受け取った。

                                終わり

高い扉のある家 
                 鍵本 沙織

 その家には高い、見上げるような扉があった。
 これが壁ならまだ諦めた。でも扉だった。ここの家の端をほんのちょっと横切らせて貰えれば、近道になる。そして、今は約束の時間ぎりぎりだった。
 つまりは魔が差した。
 少しだけなら大丈夫だろう。そんなことを思ったその直後、僕は自分の行動を後悔することになる。入り込んだ庭で、縁側に座った少女から突き刺さるような視線を向けられたからだ。
「……」
 立ち上がったその少女に僕はとっさに言葉が出なかった。
 それは勝手に入り込んだことを怒られると身構えたから、だけではない。
 透き通るような白い肌に、柔らかい黒髪が風に靡く。今まで見たことあるどの女子よりも綺麗な女の子が立っていたからだ。

「通行料」

 妖精みたいな姿には似合わない、きつい言葉を投げかけられた。

 手を差し出したその子は、そのまま僕の行く手を阻むように立ち塞がった。
 僕は慌てた。ひっくり返したポケットの中にチョコが入っているのに気づいた僕は、恐る恐るソレをその子に差し出した。
「通ってよし!」
 イタズラっぽい、楽しそうな笑顔をその子が浮かべる。きゅんと、胸を捕まれたような感覚がした。

 その日から僕は毎日通行料を持ってその近道を通るようになった。
 待ち構えるようになったその子は、僕からお菓子を巻き上げるとその度に弾けるような笑顔を浮かべた。
 いつしかそのまま縁側に座って、二人で通行料を食べるのが日課になった。
 その中で彼女が教えてくれたのは、ここは彼女の祖母の家で、夏休みの間だけ来ているらしい。早く帰りたいとその子はしきりに言っていたが、たまに外から聞こえてくる子供達のはしゃぐ声に羨ましそうな視線を向けていたことも僕は知っていた。

 今日もまた近道という言い訳と通行料を持って、僕はある家へと向かう。

 その家には高い、見上げるような扉があった。
 そこにあるのは壁ではなく扉なのだと。
 あの子はいつになったら気づいてくれるだろう?


                                終わり

入れ込み湯禁制 
               木村 泰延

「今けえったぜ」弥七は大工道具を背負い、長屋に帰ってきた。
「あぁ、早かったねえ、日暮には間があるから、湯にでも行ってきたら」
 女房のおやすは金坊を背負い水手桶を下げていた。

 弥七は『かどの湯』の入口をくぐった。
 流し板に入ると、女湯との境に真新しい板塀があるのに気づいた。
 あゝこの雑作でしばらく商売休んでいたのかと思った。
 弥七が浴槽に浸かっていると女湯からおやすの大きな声が聞こえた。
「おまえさん、金坊そっちで預かっておくれ」
「よしや、だけど仕切り塀で受け取れねえ」
「扉があろうが、こっちから扉を開けるよ」
 やすは開き戸を開け金坊を差し出した。弥七は赤ん坊を受けるやいなや戸を足蹴りした。
「あ……いてて! いてえよお…… 」
「おっかあ、どうした? 」
「いてて、扉がわっちの乳房に食いついた。だけんど乳首もげんでよかったわい」
「ちげえねえ、金坊、乳飲めんようになるしな」
 弥七は番台に強硬な抗議をせねばと思った。

「大将よ、この湯こないだまでは入れ込み湯だったろうが。それを誰に断りもなく男女別湯にしたとはどういう了見だ。仕切り塀にしつらえた開き戸に挟まれ、かかあの乳首もげそうになったんだぜ。かかあの乳首もげたらおらっちの赤ん坊腹ペコで死んじまうんだぜ」
「弥七さんよ、そりゃあ災難だったなあ。
だけんど湯屋だってすきこのんで別湯にしたわけじゃねえ。薪代嵩むは、洗いの手間かかるはで良いことひとつもねえ」
「入れ込み湯だったら赤ん坊右から左へスット渡せたんだ。それが……」
「あんたの言う通りよ。だけど寛政の世になったとたんに強いお達し。湯屋の入れ込み湯はご法度である、男女別湯でない湯屋は今後一切商売罷り成らぬと今まで聞いたこともない厳しい御上のお達しでな、湯屋仲間みんな泣く泣く男女別湯に仕立て直したものよ」


                                終わり

恩寵弁当 
                    草野 浩平

 目の前に母の手作り弁当がある。
 父の営む工務店の人目につかない縁側で包みを広げた。大きめの平たいタッパーに白飯とおかずが3、4品詰まっている。これをいただくのは実に2年ぶりになる。
 2年前僕は一度この仕事を辞めた。地元を離れ、遠い都会の地でアルバイトを転々としながら過ごした。一所に留まれなかったのは、当時の僕が情緒不安定だったからに違いない。
 高校を辞めて以来、ずっと家業を手伝いすごしていた。ただいつか大工を辞めてやると思っていた。僕には幼いころから夢があった。「いつかゲームや小説などの物語を作る仕事」で生きていきたい。友達付き合いが苦手で人を遠ざける傾向のある僕には学校生活は苦痛だった。ただ唯一、素晴らしい物語に出会え満たされることに幸せを感じていた。優しい世界は僕の胸に未来への希望を与えてくれた。
 しかし学校へ通うのが怖くなり、外出すらままならなくなった。僕に生きる手段を選ぶ機会は手の届かない所へと遠ざかっていった。
 それでも夢を抱きながらも親の下で働いていたが、先に限界を迎えたのは恋人だった。
「先が見えない」と言い残し去る彼女を引き戻すすべのない自分を深く恥じた。自分で自分を傷つきぬいた後、その矛先は両親に向いた。なぜ自分だけこんな惨めな思いをしなくてはならなかったのかと。
 母は「でもその変わり仕事させてもらって、ご飯作ってもらって、誰よりも大切にしてもらったじゃない!」と反論した。
 僕は「そんなの家政婦でもできるんだよ!」と言い捨て立ち去った。二度と合す顔もない。僕は地獄に堕ちるだろうと思った。
 だがこうして今自分は元の鞘に収まっている。包みを開け、二年ぶりの弁当を一口頬張った。元気が出るようにと学生時代から作り続けてくれていた弁当。自分にはずっと見捨てずにいてくれた人がいた。そう思うと箸が止まり、ただうなだれるしかなかった。


                                終わり

遺品 
                  桑田 真吾

 待ち合わせのカフェに現れた詩織は、光一の手元にある写真より年齢を重ねていたが、なお魅力的だった。詩織は緊張した面持ちで向かいに座り、
「ご連絡ありがとうございました。心からお悔やみ申し上げます」
 と低く抑えた声で初対面のあいさつをした。

 発端は父の遺品整理だった。
「光一は書斎をお願いできるかしら。仕事関係のことは私が見ても分からないだろうから」
 父のプライベートスペースに触れなかったのは、母の聡明さのなせる業だったろう。書棚やデスクの上からは仕事上の書類などは出てこなかった。ただデスクの一番下の引き出しに鍵がかかっていた。光一は部屋を見回してあたりをつけ、掛け時計の裏側からテープ止めされた鍵を発見した。開けてみると、中にはネガとプリントが詰め込まれた写真店の紙袋が5つほどあった。一番底にあったものには「詩織」と表書きがされていて、中を見たときに、光一は書斎の整理を任されたのが自分でよかった、と思った。グループの中に父と詩織が写っている差しさわりのない1枚を選んで母に見せると、父の経営していた会社で秘書兼受付だった女性で、10年前に寿退職したということだった。年賀状で電話番号がわかり、光一は詩織に父の亡くなったことを知らせた上でお渡ししたいものがあると伝え、会う約束をした。
「生前は父がずいぶんお世話になりありがとうございました」
 皮肉な意味を込めたつもりはなかったが、詩織は顔を伏せた。
「これはお返しすべきものだと思ったのでお持ちしました」
 詩織に写真とネガの入った紙袋を手渡した。
「これで全部ですか?」
「プリントしていないものもあります」
 嘘だった。直接渡すに忍びない写真はシュレッダーにかけてしまった。
 詩織はネガを天井の蛍光灯にかざしていたが、おもむろにバッグから鋏を取り出しネガを縦横に細かく刻み始めた。
 作業には2分ほどかかっただろうか。終ったころには詩織の瞳が涙でうるんでいた。


                                終わり

父と寝る 
               十影 海月

 幼い頃、隣から獣のような呻き声が聞こえて目を覚ました。横を見ると、母が裸で父の上に跨がっていた。
 甘い吐息を漏らす母と、それに呼応して動く父。その戯れは、意味を知らなくても、とても魅力的なものに映った。
 その最中、ふいに父がこちらを向いた。
「早く寝なさい」
「お父さんとお母さんは寝ないの?」
「寝ているよ」
 父に揺すられながら寝ている母はとても恍惚な表情を浮かべていた。
 私も楽しい事をしながら寝たいのに。私と寝た方が楽しいのに。父と寝るべきなのは、私だ。一抹の寂しさは小さな胸の中で煮えたぎり、嫉妬と愛憎に変わった。
 父に振り向いて欲しくて、私はアピールした。一番身近な女よりも美しく成長した。献身的に尽くし、愛の言葉を囁いた。が、父は私と寝てはくれなかった。
 思春期に入る少し前、両親と寝室が別々にされた。すると、彼らの営みの声が薄っぺらい壁越しに漏れてくるのだ。いつしかそれに耳を澄まして、自慰行為に走るようになった。間欠泉のように噴き上がる欲望を、自分にも止められなかった。こんな淫靡になったのも、全て父が私と寝てくれなかったせいだ。

 その時は突然訪れた。母が病であっけなく逝ったのだ。邪魔者はいない。何を躊躇う事があるだろうか。
 私は、父が一人で寝ている布団に潜り込んだ。
「ずっと待っていたの。お父さんと二人きりで寝られる日を」
 そう誘っても、父はたじろいで白を切るばかりだった。
「昔はいつも一緒に寝ていただろう。おかしなやつだな」
「おかしくなったのは、お父さんのせいよ」
 じれったくなって、服を脱ぎ捨て、父の手を自分の中に招き入れた。指が微かに動き出したのは、オスとしての本能だろうか。
「したいのね?」
 私は父の上に乗った。
「素直になって」
 それを合図に、父は狂ったように腰を動かし続けた。
「ほら、私と寝た方が楽しいでしょう」
 すべてが満たされていく私は酔いしれた。
きっとこれからも、私はずっと父と寝るだろう。


                                終わり

母 
                野土 美香

 我が家のその人は、他とは少し違っている。
 我が家の愛すべき母には髭がある。
 まだ、私が小さい頃。その母は私の頭を撫でながら「ゴメンね。」と悲しそうな目で見つめ、ぎゅっと優しく抱き締めた。
 その日から二人きりの生活が始まったと記憶している。
 しかし私はママを探す事も、恋しくて泣く事もなかった。なぜかって?
 私には、この母がいてくれたからだ。
 私は母の事をカズオちゃんとよんでいる、彼の名前である。
 カズオちゃんは毎朝、美味しい味噌汁と目玉焼きを作ってくれるし、お弁当は勿論、晩御飯だって一人で食べた事もないくらい、いつも私の側に寄り添ってくれてる。
 そんなカズオちゃんの仕事はショウパブだ。私が高校生になった春。
「アヤちゃん、今日は入学祝いとアヤちゃんも大人になりかけの大切な時期やから、私の事をしっかり見て欲しいねん」そう言うと、楽屋に連れて行き、仲間に紹介してくれた。「きゃ~カズオの分身だ~」「イヤだ、女くさ~い」ワイワイ言いながら、大きな女?達が人懐っこい目ではしゃいでいる。「可愛いネ」一人の超美人がニッコリ笑った。この店のナンバーワンのナナである。皆のパワーに少し圧倒され、母を見ると、今までよりも優しくて嬉しそうに私を見つめていた。私はこの場所が一度で好きになった。それから、毎日この楽屋に訪れては楽しい女達に癒されていた。がそんなある日いつもの賑やかさはなく、静まりかえった楽屋からホールに出るとステージに棺が置かれ、その回りを涙で化粧をぐちゃぐちゃにした皆がいた。覗くとナナが蝋人形の様に血の気も無く眠っているかのように狭い棺の中にいた。いつも化粧の仕方や彼氏の話しをして本当の姉の様な存在だったので、ショックは思いの外大きかった。皆でお別れをした後、母が言った言葉が頭に焼き付いた。「生まれてきたからには必ず意味があるんや、苦しくても一人じゃない絶対生きなアカン」こんな母に心から感謝し尊敬する。


                                終わり

扉 
                原 朱美

古びた洋館の庭に由利は立っていた。
「どうだい? 由利ちゃん あんたも人魚の肉を食ってみるかい?」
 富じぃの灰色の眼には深い悲しみと測りようもない苦悩の光が見えた。
 思い返せば富じぃは由利が十歳の時から七十代だ。
 現在由利は四二歳だから百歳は越してなくてはいけない。おかしい。
{不老不死? まじか? 人魚の肉食った? 何いってんだ。このじじぃ。一体何歳なんだ?}
「富じぃはいつの時代から生きてんの?」由利は聞いた。
「わしか? わしはな、江戸時代から。由利ちゃんの五代前のじぃさんじゃ。わしが人魚の肉を食ったのはな。娘と孫娘の為じゃ。わしが死んだら、二人は、今でいう母子家庭だからな。飯が食えなくなるんじゃ。わしは二人の為に長生きしなくてはいけなかったんだよ。人魚の肉はな合わない人にはな、化け物になるんだよ。七割の人が合わんらしいがな。アレルギーみたいなもんじゃ。わしは三割にかけて肉を食ったんだよ。それから孫娘も死に、ひ孫娘。玄孫娘。由利ちゃんが来孫娘だ」
 由利は恭子と人魚の肉を食べようかと頭をよぎった。
 由利の娘 恭子は白血病にかかっている。
 入退院の繰り返しだ。元気になってほしい。
「富じぃ。人魚の肉を頂戴。私と恭子にも食べさせて。お願い」
 由利は懇願した。
 富じぃは由利の顔をじっと見つめ、ゆっくりと話しだした。
「人は一人で産まれてきて、一人で死んでゆく。悲しみ苦しみから逃げちゃいけないんだよ。逃げたら、わしのようになるんだよ。由利ちゃん、扉を開けちゃいけないんだよ。さぁ、もう病院にもどりなさい。」
 富じぃは後ろを向いて歩きだした。
「富じぃ」由利は叫んだ。
 富じぃは一度も振り返らず、洋館の扉を開けて消えていった。

                                終わり

二重丸 
                光吉 佑馬

「私のお母さんは赤ペン先生みたいです」
 小学3年生の山本加奈は作文の朗読を始めた。3年1組の教室に加奈の声が響く。加奈の母親である山本葵は驚いた。作文の出だしが昨日書き直させた内容と違うじゃない⁉
      〇
 葵は娘の加奈が授業参観日の宿題として書いた作文が気がかりだった。お題は「私のお母さん」。授業参観日の前日、葵は加奈の作文を読んで恥ずかしさに手が震えた。
「お母さんは、勉強は毎日しなさい! 継続が大事なのよ! と言っておきながら通販で買ったダイエット器具を毎日しません」
「お母さんは、女の子は下品な言葉を使わないの! と言っておきながら阪神タイガースが負けると下品な言葉をすごくしゃべります。あとメガホンでテレビを叩きます」
 加奈の赤裸々過ぎる「私のお母さん」作文に、葵は赤ペンで修正する箇所を囲って、加奈に改めて書き直させたはずだったのだか……。
      〇
 その後も加奈は母親である葵から受けた修正の手ほどきを赤裸々に読み上げていった。周りの生徒達は声を出して笑っている。葵は全身の力が抜けた。もうどうにでもなれ。そして加奈が作文のまとめを読み出した。
「お母さんのダメな所を書き直していて気付いた事があります。それはお母さんの事が大好きだという事です。大好きでずっと見ていたからお母さんの色んなダメな所を知っているのです。きっとお母さんも加奈の事を大好きだと思います。これからは赤ペンで二重丸がもらえるような事をたくさんして、もっとお母さんに好きになってもらいたいです」。
 大きな拍手が教室を包む。加奈が母親の葵を見てニコッと笑う。葵も同じように笑った。心の中で、今日の加奈の作文朗読に二重丸をつけながら。


                                終わり

秋の扉
                匿名希望

 玄関扉をドンドンと叩く音で目覚めた良平は、出て行った妻が帰って来たのかと、暗がりのなか、ぼんやりおもった。あの叩き方では妻ではなかろう、それくらいわかる程には向き合ってきた、と夕方のいさかいを思い返す。嫌な気分を拭い去るため酒をあおり、いつも通り布団を敷いて、早々と眠りに就いた。
 とはいえ、急患に備え酒は少量。そういう踏み外すことのない自分への癇癪が、今日は隠れ場所から出て、良平を捉えている。妻でなければ急患であり出るべきだが、酔い潰れてしまっていればよかった。深まった秋の夜の冷たさと相まって、玄関に向かう気になれない。
 ずいぶん寒くなったが若い頃ならどうということなかった。良平は、布団から出られないまま、かつての溌剌とした自分を思い出した。善きことを求め使命感にたぎった良平は、急患に備え、酒を飲むこともなかった。少し年齢が進むと、急患を面倒に感じるようになったが、後ろめたさと自己嫌悪を覚える程には、繊細さと真面目さが残っていた。いつからだろうか、面倒だと感じる自分を、まあ人間こんなものだと、ある意味、受け容れるようになったのは。
「すみませーん」
 玄関扉を叩く音が激しさを増すとともに、子供の声が聞こえてくる。
 良平は、子供の頃急に倒れた母のため夜中に医院へ走ったことを思い出した。医者本人が扉を開けてくれたのだが、その息に含まれる微かな酒の臭いに、なにか不潔で猥雑なものを感じた。幼い良平にも丁寧に応じ快く往診してくれた医者は、その真摯な姿から、初めの印象とは異なる温かさと安心を与えてくれた。
 あの医者も、いまの自分のように、妻と何かあったか、他の問題を抱えていたのだろうが、立派だった。良平は布団をはねのけ、玄関へ向かった。


                                終わり

【分泌】第6号 シナリオ・センター大阪校小説研修クラス新規開設記念号

2018年1月12日 発行 初版

著  者:シナリオ・センター大阪校 小説研修クラス
発  行:シナリオ・センター大阪校

bb_B_00152763
bcck: http://bccks.jp/bcck/00152763/info
user: http://bccks.jp/user/140213
format:#002t

Powered by BCCKS

株式会社BCCKS
〒141-0021
東京都品川区上大崎 1-5-5 201
contact@bccks.jp
http://bccks.jp

シナリオ・センター大阪校

シナリオ・センター大阪校は、創立41年目の、シナリオ作家や小説家を育成するための学校です!

jacket