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この本はタチヨミ版です。
「やれやれ、また夫婦喧嘩か」
西神宿・北急本社の車両課のオフィスでは、現在の新9000形プロジェクトの主管となっている田岡が、口を固く結んで窓の外を走る列車を見つめていた。
「ムリもないけどなあ。重工側のデザイナーが奥さんになっちゃうなんて常識外だよ。普通こういう関係になると担当から外すだろうに」
「重工は他に人がいないと言うんだが」
そう言いながら課員たちはデザイン図に目を戻した。
「前回の新通勤車・新5000形のときに前面を切妻前面にしたけど、今回の新9000形は重工が流線型にこだわって、そのこだわりの最右翼が田岡主管の奥さんのデザイナー・直美さん」
「重工は通勤車両でもカーボン素材による流線形状をとることでクラッシャブルゾーンをつくり、それで万が一の際の乗客乗員の生残性を高める、ってねじ込んで」
「もともと重工も重工だよ。新5000形が採用されて建造中にすでに新9000型の前面の実寸模型を作ってたなんて」
「2020年問題で鉄道車両の輸出が鉄道車両メーカーでは必須になり、海外の要求仕様、衝突安全性の確保のためにはカーボン前面をモノにしたいという話なんだけど、作ってうち(北急)に根回しなしに実車作って、いきなり試運転をお願いされて」
「工場と車庫を行ったり来たりして調整しているうち、回送中にカーボン表層部剥離脱落。
その回送の添乗員がたまたま、運転甲組で今一番ノッてる来嶋さんだったからすぐに気づいたけど、ほんと、公には、みっともいいものじゃないしねえ」
「で、結局重工と組んで輸出にかかわる各社が総動員されて、前面をいくつも作って静強度試験を繰り返して」
「まあ、重工のことだ、新しい素材もコーティングもモノにはするでしょう」
その時、田岡がティッシュの箱を窓に投げつけた。
「モノにはなっても、こっちは完全に夫婦の危機だよね」
「カーボンの前頭部は修復できても、こっちは修復できるかどうか」
「かわいそうになあ。お互い、背負うものの多い立場でぶつかり合って、この結果だもんな」
皆がコソコソと話しながら見守っている。
その時、本社秘書課の社長秘書がやってきた。
「田岡さん」
田岡は向き直った。
「コーヒーお入れしました」
「あ、ありがとうございます」
秘書はそっとデスクの上にコーヒーカップを置いた。
「ご苦労さまです」
「いや、これぐらいのことで苦労とはいえません」
田岡の言葉に秘書は笑った。
「立派なご苦労ですよ。無理なさってはいけません」
「でも、不合理な点については追及しないと」
田岡はそう言いながらコーヒーに手を付けた。
「あなたの奮励ぶりを見ていると、私の祖父を思い出しますわ」
「えっ、祖父? まさかもう一人の我が社の創業者、大塚桂四郎さんですか」
「ええ。桂四郎は技術担当で、当時まだ珍しかった電車技術の確立に奔走していました。
そして正直、家庭のことなど省みるヒマもありませんでした」
「そうだったんですか」
「でも、私達家族は、皆、桂四郎の仕事であるこの北急のいろんな電車を見るたびに、祖父の『仕事』と誇らしかったものです」
「仕事ですか」
「ええ。でも大事なことは、それでも祖父は祖父なりに私達を気遣ってくれていたこともあるんですよ。
プライベートの充実なしに、いい仕事はできません。
まず、『かぞくをだいじに』。
夫婦とは長い対話です。
会話がなくなると家族は崩壊します。
そのさきには仕事の崩壊もあるんですよ」
田岡は考え込んだ。
「職権乱用とは思ったんですが」
秘書はすっと2枚の特急券を差し出した。
「忙しいはずですがこの日はオフのはずです。彼女とオフにこちらへ行ってください」
特急券は北急の誇る看板列車・宮ケ瀬湯本行きのロマンスカーの前展望-1と-2、つまり展望席最前列の席だった。
「でも仕事が」
「社長命令だそうですよ」
「えっ、樋田社長が?」
「ええ。随分心配なさってましたよ」
田岡は息を吐いた。
「こうピリピリしていたらミスもトラブルも起きます。オフでリセットしてください。
重工の彼女にはすでにメールを送ってあります。これも重工側の了解事項ということで」
田岡は顔をうつむかせた。
「彼女は来ませんよ」
秘書も、課のみなもその言葉の先を訝った。
「彼女は、来ません」
「そうでしょうか」
「私は彼女の夫たる資格が無いんです。彼女にこれ以上一緒にいてくれ、とも言うことができない」
皆が沈黙した。
「でも、社長命令です。この列車には乗ってください。でなければ私が叱られますわ」
秘書はそれでも顔は笑っていた。
「強引ですね」
「我が社の樋田社長体制では『強引』が社是ですわ」
秘書はそうにっこりと微笑んだ。
「神宿発10時10分、スーパーみやがせ13号。必ず乗ってくださいね」
そう行って秘書は去っていき、田岡は座席指定券をただ見つめていた。
その休みの日、田岡は神宿駅2番ホームにいた。
「社長命令じゃ、しょうがないよな」
そう独り言をいう。目の前に滑りこんできた列車は、回送電車でやってきた純白のロマンスカー、VSEである。
「2番線の列車は折り返し当駅始発の10時10分発のスーパーみやがせ13号です。ご乗車までしばらくお待ち下さい」
しかし、彼女は現れない。
「スーパーみやがせ13号、まもなくドアが開きます。当列車全席指定で満席となっております。指定券をお持ちでないかたはご乗車になれませんのでご注意ください」
特急ホームに案内が流れる。
「畜生」
田岡はイライラを隠さなかった。
「もう、知らん!」
ドアが開くと、田岡はどすどすと足音を立てながら先頭車最前列の指定席に向かった。
誤乗を防ぐための車内放送が流れるなか、田岡は前展望席に座って憮然としていた。
そこにロマンスカーアテンダントがやってきた。
「ご注文のお弁当とお茶でございます」
「え、注文?」
そっとアテンダントが耳打ちする。
「田岡さん、社長が手配してくれたんですよ」
「そうですか」
しかし田岡はそれで、さらにイライラした。
ここまで気を使っているのに、あいつは!
そして運転士がやってきた。ロマンスカーVSEの運転室は先頭車の2階にあり、乗務する運転士はお客さんのいる車内からそこに登るタラップを天井から出して乗り組む。運転士はそのまえに展望席のところで客席全体に向けて挨拶をする。
今日の運転士は、やはり甲組の来嶋だった。
彼は田岡に目配せすると、振り返って客室向けに挨拶を始めた。
「本日も北急ロマンスカーのご利用ありがとうございます。
当列車は北急のフラッグシップトレインとして2005年に誕生しました。随所に1994年就役の当社クルーズ列車ブラウンコーストエクスプレスで培ったおもてなしの心を配し、ご愛顧いただき9年目になります。
来年は記念すべき誕生10周年を迎えます。これもみなさまのご愛顧の賜物と存じます。北急電鉄運転士として、感謝いたします。
9年目ですが、これからも初心忘れず、おもてなしのこころと、その基礎である万全の安全に留意して、終点宮ケ瀬湯本まで乗務させて頂きます。
なお、これから運転室に上がるためにタラップを降ろします。危険ですので近づかないよう、おねがいします。
では、ロマンスカーの快適な旅をお楽しみください」
来嶋はそう言うと一礼し、そして展望席天井のスイッチカバーを鍵で開けて、中のスイッチを操作して、運転室へのタラップを下ろした。
畜生、もう列車出ちまうぞ!
テーブルには2人分のお弁当とお茶がある。
すべてお膳立てされても、なおこれか!
田岡は限界に達しようとしていた。
出発信号に青が灯る。
補助警笛、ミュージックホーンがなる。
そして、列車が動き出す。
くそ! みんなの気持ちをだいなしにしやがって!
ロマンスカーがゆっくりとホームを出て、神宿駅構内の分岐器を通過する。
そのとき、ようやく彼女が来た。
小声で田岡は言った。
「遅いよ」
彼女は謝った。
「早朝のオンラインミーティングで問題点が見つかっちゃって」
「休日だろ」
「でも工期遅れてるから、少しでも、と。
怒ってるわね?」
「あたりまえだ」
彼女は席に着いた。
「あ、このお弁当、『たら福』の一番いいお弁当だわ」
田岡はムクれていたが、彼女は意に介さず、「まだ暖かいわ」と顔をほころばせた。
「いただきましょうよ」
列車は南新宿、北急本社ビル前を通過していく。
彼女がお弁当を食べていたが、田岡は手を付けなかった。
腕組みをしたまま、黙って前を見ている。
「食べないの?」
「ああ」
「怒ってる?」
「ああ」
「これって夫婦の危機?」
「ああ」
田岡は腕組みをしている。
彼女はちょっと考えたが、すぐに頭を下げた。
「ごめん!」
「ごめんですむなら警察はいらない」
「でも、お弁当は食べて。私のためじゃなくて、この旅をプレゼントしてくれた、みんなのために。
あなたならわかるでしょ? この一個お弁当食べられるようにも、幾つもの仕事のバトンリレーがあること。
安全と快適のために、お弁当作るにも運ぶにも渡すにもリレーだわ。
車両の製造から整備、清掃、サービスまでみんながチームワークをして、リレーしてつながっている」
田岡は頷いた。
「そのリレーは今の私達につながってるんだもの」
田岡は顔をこわばらせたまま、弁当の掛け紙を外した。
列車は代々木上原を通過して行く。
そしてロマンスカーは下北沢を抜け、複々線区間に入ってスピードを上げる。
「仕事、きついか」
田岡は弁当を食べ終え、お茶を飲んだあと、言った。
「きつくはないわ。むしろあなたこそ大変でしょう」
「お互い終電での帰宅、言葉をかわすことも減っていた」
「でも、今日はたくさん話ができるわ。みんながプレゼントしてくれたんだもの」
彼女は目を流した。
「鉄道の旅って、特にこういう旅は、こういう『時間をお金で買う』ものなのよね。
私のデザインのポリシーもそう。
そして、『一駅間だけのご利用にもおもてなしを』はその先の目標」
田岡は答えない。
その時、アテンダントが来て、彼女はすぐに「プレミアムコーヒー2つ」と頼んだ。
「おい」
田岡は抗議した。
「このコーヒー特別に美味しいって評判なのよ。飲まなきゃ」
彼女は微笑んだ。
「新5000のころから例の新9000のこと、考えてたんだろ」
「仕事の話? いいけど。
ええ。重工は新9000を甲案、新5000を乙案と呼んで、ハナから新9000を本命と見ていた。
でも、あなたの意見を多く取り入れた新5000がなければ、新9000もなかった。
私も通勤車のデザインは初めてだったし、新5000の施工の中で学ぶことも多かった」
田岡は目を鋭くしたままだった。
「あなたがいなければ、今の私もなかった。
感謝してる」
田岡は答えない。
コーヒーがアテンダントに運ばれてきて、それを受け取るとき、彼女は「アイスも2つお願いします」といった。
「おい」
「このジェラートも評判よ」
彼女は意に介さないように注文した。
列車は多摩川を渡る橋に差し掛かった。
結局二人はアイスを食べた。
「いろいろあった」
田岡は切り出した。
「なんで二人でいるんだろうな、なんて思った。
会話もなく、仕事仕事の日々、食事も別々、寝るのも起きるのも別々。
でも、先輩に聞いた。
タチヨミ版はここまでとなります。
2017年12月18日 発行 初版
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YONEDENこと米田淳一(よねた・じゅんいち)です。 SF小説「プリンセス・プラスティック」シリーズで商業デビューしましたが、自ら力量不足を感じ商業ベースを離れ、シリーズ(全十四巻)を完結させパブーで発表中。他にも長編短編いろいろとパブーで発表しています。セルパブでもがんばっていこうと思いつつ、現在事務屋さんも某所でやっております。でも未だに日本推理作家協会にはいます。 ちなみに「プリンセス・プラスティック」がどんなSFかというと、女性型女性サイズの戦艦シファとミスフィが要人警護の旅をしたり、高機動戦艦として飛び回る話です。艦船擬人化の「艦これ」が流行ってるなか、昔書いたこの話を持ち出す人がときどきいますが、もともと違うものだし、私も「艦これ」は、やらないけど好きです。 でも私はこのシファとミスフィを無事に笑顔で帰港させるまで「艦これ」はやらないと決めてます。(影響されてるなあ……) あと鉄道ファンでもあるので、「鉄研でいず」という女の子だらけの鉄道研究部のシリーズも書いています。よろしくです。