「私の価値は、二万五千円」
それが高いのか安いのかは、未だ青い僕の頭では計算出来なかったが、喉元に広がる気持ち悪さが僕の感情の全てを語ってくれている様な気がした。
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この本はタチヨミ版です。
「もしも、あなたの見ていた物が全て偽物だったとしたら、どうする?」
どこからか、そんな声が聞こえた気がした。 数秒間考えて、僕は、
「それでも、きっと僕は、偽物のそれを大切にし続けると思う」
と返しておいた。
「……ごめんなさい」
「な、なんで?」
「友達としてしか……というか、正直に言うとちょっと気持ち悪いです」
「えっ……」
走り去る後輩の姿を、彼は呆然と眺めていた。
「やあ、永田君。これで、記念すべき十人目だね」
僕は唯一の親友である、永田の肩を叩きながら言った。
彼は、二年生になってから今回の子で丁度十回目の告白を行い、見事に全敗という素晴らしい成績を作り上げた。
まだ六月だというのに……。
「うるせえな」
肩に乗った僕の手を払い、地面に寝そべる小石を蹴り飛ばした。
「永田さ、もう少し仲を縮めてから告白してみれば?」
「バカだな、慎也。 そんな事してたら、他の奴に取られちゃうだろうが」
思った通りの返答だ。僕の口から、深い溜め息が漏れ出た。
「そもそもさ、何であんなオラオラした態度で告白したの? そんなキャラじゃないのにさ。 しかも、『俺と付き合えよ』なんて良く言えたもんだね」
「だってさ、昨日やってたテレビで、〝肉食系男子が人気〟だって言ってたからオラオラしてみたのにさ……」
永田は、座り込み頭を抱え始めた。
「いや、当たり前だよ。 よく知らない奴に、急にムカつく態度取られたらそりゃあ嫌いになるよ。 ましてや『俺と付き合えよ』なんてさ。……『俺と付き合えよ』なんて」
「……お前バカにしてんだろ」
「いや、寧ろ尊敬するよ。 何回振られても、めげないその鋼の心を」
永田にはそう言ったが、本当は、自分の気持ちを正直に伝えられるという勇気自体が、僕からしたら尊敬に値するモノだ。
例え、永田の様な猪突猛進な告白だとしても、好きな人に好きだと伝えられる事が羨ましい。
「お前は好きな人とかいないの?」
「いないよ」
「嘘だな」
「えっ」
自分の渾身の嘘がバレた事に、動揺を隠せなかった。
「お前さ、昔から嘘つくときは目合わせない癖あるもんな」
永田とは、小学生低学年の頃に友達になった。確か、二年生の頃に引っ越してきたのを微かに覚えている。
引越してきたばかりで、周りに馴染めず、緊張で涙目になっている永田に僕から声をかけたのが、僕らが友達になったきっかけだ。
その頃は大人しい無口な子だったのに、今は何故こうなってしまったのかと頭を抱える毎日だ。
高校二年生になった今は、良くも悪くも、今の永田に慣れてしまったのだが。
親からは、「小学生の頃から、ほぼ毎日いるなんて凄いね。なんで?」と言われるが、答えは簡単だ。
僕には、永田以外に友達と呼べる人がいないからだ。
無口からお調子者になった永田とは正反対に、僕はお調子者から無口で暗い子になってしまった。
「友達は多ければ多いほうがいい」なんて事を、いつかの誰かが言っていた気がするが、僕は別に無理やり友達を作る気は無い。永田さえいれば、今まで、普通に毎日を何不自由なく暮らす事が出来たのだから。
きっと、これからもそうだ。
「で、好きな人って誰?」
「もう授業始まるから、また今度教えるよ」
「……教える気無いだろ」
「いや? 寧ろ今すぐ教えたいくらいだよ」ふざけた顔で言った。
永田は、「はいはい」と呆れていた。
別に、教えられない訳じゃ無い。ただ、その相手が僕とは到底釣り合わない人だから、教えたところで大体の反応は想像出来てしまう。
ただ一言、空っぽの「頑張れ」を言われるだけ。
クラスの表札を潜り、立て付けの悪い扉を開けた。
「いい加減、修理しろよな」
永田が扉に対してキレている。物と会話出来るのかと思うくらい、永田は色々な物に対してキレる。例えば、電信柱や自動ドア、たまに、雨や風に対してもキレている。
「おー、永田ー! 二ヶ月の間に失恋十回という素晴らしい成績を記念して、今日の放課後カラオケでも行こうぜー!」
木村がクラスの隅の方から大声で叫んだ。
木村は所謂、スクールカーストのトップである〝ヤンキー〟という部類の人間だ。クラスで決め事があれば、殆ど木村やその取り巻き達の意見が通る。別に、それに対しては誰も声を上げたりしない。いじめられる訳じゃないけど、刃向かったら確実に居心地が悪くなるからだ。
スクールカースト最下層は、上の人間達に従わざるを得ないという法律でもあるのか。実際、法律になったなら、僕は喜んで従おうと思う。
「はあ、面倒くさい」思わずそう口から漏れてしまいそうになった。
「うるせえな、そんなもん記念でも何でも無いわアホ」
僕に比べて、永田は本当に凄いと思う。
口は悪いが、永田はヤンキーという部類では無い。それなのに、スクールカースト最上層の人間と対等に話す事が出来るのだから。
去年の夏くらいに、永田にこの話をした事がある。その時、永田はワッハッハと豪快に笑った後、急に真剣な顔になり僕を見て一言こう言った。
「ごめん、スクールカーストって何?」
やっぱり凄いな、と思った。永田の印象は、単純に〝バカ〟という言葉で事足りるのだが、何年も一緒にいると、この〝バカ〟という長所に気付き始める。
周りの意見は気にせず、自分の信じた事を堂々と掲げる事の出来る人間。
つまり、自分らしく生きられる人間。
僕もいつか、そんな人間になりたい。
失恋の回数以外は、憧れる事ばかりだ。
かく言う肝心の永田は、自分の長所に一切気付いて無いみたいだし、いざ褒めると調子に乗ってしまうから面倒くさい。
一時間目の始まりを知らせる鐘の音が、校内中に響いた。
その音と同時に、永田は机の上で腕を組んで眠り始めた。どこまでも自由人だな、と僕は鼻で笑った。
当たり前の事だが、学生生活は毎日同じ事の繰り返しだ。
登校して、授業を受け、下校する。ただこれだけの繰り返しを五回続けるだけなのに、最終日の金曜日になると疲れが溜まっている。
今日は、その疲れが溜まる金曜日だ。
退屈な授業をまともに受けていれば、きっと僕の頭は爆発してしまう。
だから、気を紛らわせる為に、毎回こういう妄想をする。
響き渡る銃声。突如としてクラスに入ってきた黒服の男達。
突然の出来事に、教室内は大パニックに陥る。ところが、その中でたった一人、黒服に立ち向かおうとする者がいた。
それが、僕だ。
「……やっと来たな」
神妙な面持ちで僕は言う。
「クラスの仲間を傷付けられたく無ければ、大人しく我らの仲間になれ」
「誰がお前らの仲間になんかなるかよ。それに、僕の大切な友達には指一本触れさせやしない」
掌に炎を纏い、黒服目掛けて全力で走った。
「慎也やめろ! 慎也ー!」
永田が必死に叫んで僕を止めようとするが、これが僕の宿命。僕にしか、皆を守れないのだから。
「慎也! 慎也!」
永田、今いいところだからちょっと静かにして。
「慎也! おーい! 慎也!」
シリアスな場面と全く一致しない、アホみたいな声で僕を呼ぶ永田。
これじゃあ、折角の妄想が台無しだ。もう一度初めから、物語を頭の中で動かした。
響き渡る銃声。突如として……
「慎也ー! 慎也くーん! おーい!」
もう我慢の限界だ。
「何だようるさいな!」
「……あれ」
ハッと我に返ると、教室内には僕と永田の二人しかいない事に気が付いた。
「授業全部終わったぞ」
「え、嘘でしょ?」
「周りを見れば分かるだろ」
「でも掃除とかしてないし、昼食も食べてないし、流石にその時には僕だって気付く筈だよ」
「今日三時間授業だったらしいぞ」
「……あっ」
そう言えば、今日は何故か三時間しか授業が無いという事を、月曜日のホームルームの時間に先生が言っていた。
「〝らしい〟って、永田は今日登校してから、三時間で終わるってずっと思ってたんじゃ無いの?」
「いや、そもそもそんな話聞いてない。 多分、その時俺寝てたから」
寝てた事すら忘れてしまうのか。その時、僕の隣でイビキをかいて寝ていたというのに。
まあ、ちゃんと聞いていながら忘れてしまった僕に、永田を責める資格は無いのだが。
「折角早く終わったんだから、寄り道して帰ろうぜ」
昼食用に持ってきたのであろう菓子パンを咥えながら、言ってきた。
僕は、そんな永田の突拍子も無い提案をすんなり受け入れた。
「あ。 慎也、先生が呼んでたぞ」
「え、なんで?」
「なんでってお前、三教科全部ぼーっとしてたんだぞ? てことで、三人の先生から呼び出しだ」
妄想の世界から戻った事を後悔した。これだから、現実は嫌いだ。
いや、今回の事は僕が悪いんだけれど。
「じゃあ教室で待ってるからなー。 頑張ってこいよー」
「ちょっと待って。 永田は寝てたのに、なんで呼び出し食らってないの?」
「先生が近くに来たらすぐに起きるという能力を持ってるから、呼び出しは回避した」
「どうだ凄いだろ」とでも言わんばかりの皮肉めいた無邪気な笑顔で言ってきた。
「そんな技身につけるくらい、沢山寝てきたんだね。 流石だよ」
僕も、同じ様に皮肉を発してあげた。
しかし、その皮肉は全く効果が無かったらしく、すぐさま僕の机の上に顎を当て眠り始めた。
そんな永田を背に、僕は職員室へ急いだ。
ただ、別にこれは珍しい事じゃない。中学生の頃から、今までも何十回と経験してきたのだから。三時間分の授業を全く受けなかったのは流石に初めてだが、妄想に浸ってしまっていたのだから仕方がない。
なんて事を思いながら、計三人の先生からお叱りを食らった。
「何か考え事でもしてたのか?」
と一人ずつに聞かれたので、
「将来の事です」
という、どうしようもない嘘で戦った。
「それなら仕方ないな」と思われたのか、想像していたよりも全然怒られずに済んだ。
こういう時の咄嗟の嘘には自信がある。
僕の唯一の武器なのかもしれない。まあ、この武器を使わずに生きられるなら、それに越した事は無いのだけど。
あっという間に先生への謝罪も終わり、無意味な会釈をして、永田の待つ教室へと向かった。
その道中、少しだけ将来について考えてみた。
「自分が何をしたいか」
では無く、
「自分なら何が出来るか」
を考えた。
人の為に何かをする仕事は、凄く憧れる。例えば、医者や消防士、看護師や介護士等の直接手を差し伸べる事の出来る仕事。
ただ、本当に憧れてはいるが、わざわざ専門学校に通って資格を取る程の憧れでは無い。
もしも、僕が大病を患い、とある医者の神の手によって命を救ってもらったとでもなれば、死にものぐるいで〝医者〟という大きな夢を追いかけるだろう。勿論、わざわざ病気になる事を望んではいないが。
ああ。考えれば考えるほど、僕の将来は真っ暗だ。
とりあえず、頭の片隅に〝人の為に何かしたい〟という願いだけが、残響となってこだました。
教室の扉を開け、僕の席でまだ夢の中から戻らない永田を、無理やり引きずり戻した。
「へあ?」
アホみたいな声を上げ、ヨダレまみれの僕の机から顔を上げた。
「ちゃんと拭いてよ」
「いや、これは仕方が無い事で……」
「ちゃんと、拭いてよ」
嫌々机を拭く永田を待ち、やがて僕らは学校を出て、近所のショッピングモールへと向かった。
「慎也、何か買いたい物あるか?」
「いやー……。 無いかな」
「じゃあ本屋行くか」
「え、永田って本とか読むタイプだっけ?」
「いや、お前本好きだろ。 だからとりあえず本屋に行く」
こういう所は変に気が利く。僕が何も言わずとも心の中を読んでくれるから、永田と一緒にいる事は全く苦痛では無い。だからこそ、こんなにも長く友達として繋がっていられるのだろう。
この何気ない優しさを女の子に披露すれば、きっと直ぐにでも彼女が出来ると思うのだが、当の本人はそれに気付いていないみたいだ。
ショッピングモール内の小さな本屋に着くなり、永田は漫画コーナーへ向かった。
僕は、〝店員オススメの小説〟というポップが貼り出されているコーナーで足を止めた。
有名な作家の新作、映画化した作品、ナントカ賞受賞作品が並ぶ中、僕の目は一冊の小説を捉えた。
「……なんだこのタイトル」
五分くらい見つめていただろうか、永田が漫画コーナーから戻って来た。
「おい慎也ー! 何か買う物決まったか?」
「ううん。 まだ悩んでる」
「ん? なんだその本。 なんて読むんだ?」
タイトル部分に記されているのは、青色の丸。それだけ。
読みとる事の出来ないタイトル。何を思ってこのタイトルを付けたのか全く想像出来ない。それに、この著者名は初めて見た。
「えーっと、著者名は。 やす……おか……」
何故だろう、何処かで聞いた事のある名前の様に感じた。
いくつかの違和感を抱きながら、表紙を捲り、本文に目をやった。
「あ! 慎也、正面入口にクレープの移動販売が来てるらしいぞ!」
「えっ。 ちょっと」
僕の言葉を聞き終える前に、走り去ってしまった。そんな永田の後ろ姿を見て、何故か育児に苦悩する親の気持ちを考えた。
「仕方ないな……」
手に持っていた小説を元の場所に戻し、永田の後を追うことにした。
「そんな走らなくても、売り切れたりしないから大丈夫なのに」
息を切らしながら、移動販売車の前に並ぶ永田の肩を掴んだ。僕と同じだけ、いや永田の方が全力で走ったというのに、一切疲れている顔を見せない。それどころか、新しいおもちゃを与えられた少年の様にキラキラした目をしている。
「慎也は何にする?」
「んー、僕はいいや。 お腹空いてないし」
何故か少し寂しい顔を見せてきた永田だったが、手渡されたクレープを見るなり随分幸せそうな顔になった。
「なあ、この後どこ行く?」
「まだ二時だし、このまま何処かをうろうろするのもアリだね」
「じゃあ、プリクラでも撮るか!」
何でそうなる。
「記念に撮ろうぜー!」
何の記念だよ。
「……今、何の記念だよって思ったろ」
永田、お前はエスパーなのか。
ショッピングモールのゲームセンターに立ち入った僕らは、少し照れながらプリクラ機の中に入った。
「……あれ。 お金入れる場所無くない?」
「無料なんじゃね?」
そんな訳ないだろ、と呆れながら辺りを見渡した。
すると、投入口がプリクラ機の外にある事に気付いた。勿論、プリクラなんてそうそう撮るタイプでは無いから、最近のプリクラ機については詳しく無かった。
僕らは、交互に二枚ずつ小銭を入れ、甲高い音声案内に従いながらフラッシュを浴び続けた。
撮り終わる頃には、この環境にもすっかり慣れ、女子高生みたいにはしゃいでしまっていた。そして、甲高い音声案内によって落書きスペースへ誘導され、プリクラ機のカーテンを潜った時、一瞬で我に返った。
永田も〝それ〟を察したのか、
「あっ」と小さく漏らした。
我に返る原因となった〝それ〟は、永田の声のせいでこちらに気が付いてしまった様だ。
「永田君、慎也君、こんにちは」
黒く長い髪を靡かせながら、綺麗な瞳と大きな口でニッコリと笑うその子は、所謂マドンナと呼ばれるタイプの女の子。
そして、僕の……。
「おい慎也、顔赤いぞ」
「え、なにが? 何のこと?」
「わかりやすいなあ、お前は本当に」
「いや、言ってる意味がわからないのですが」
「何その変な敬語……。 ていうか、知ってたよお前の好きな人くらい」
耳元で囁く永田は、まるで悪の組織のボスの様な顔をしていた。
そんな事より、僕の好きな人が永田にバレていた事が、恥ずかしく、悔しくてたまらなかった。
「二人共、どうしたの?」
気付けば、彼女は僕らのすぐ目の前に立ち、ぐっと顔を覗き込んでいた。
僕は、耐えられなかった。
「慎也君、顔赤いよ? もしかして風邪?」
「い、いや。 大丈夫何でもないよ」
大袈裟に首を振ったせいで、首筋から変な音がした。
「泰葉もプリクラ撮んの?」
あっけらかんとした顔で下の名前を呼び、尚且つ自然に話しかけられる永田を、僕は尊敬の眼差しで見つめた。永田の性格を、今日程羨ましいと思った事は無い。
「私達はもう撮り終わったよ」
依然として、笑顔で答える泰葉。そして同じ様に、依然として地面を見つめる僕。
そんな僕に呆れたのか、いつもの調子で永田は突拍子もない事を言い出した。
「皆で、映画観に行かない?」
「バ、バカ、何言ってんだ」
永田の背後に回り込み、微かな声で言った。すると永田は、くるりと僕の方を向き、
「だってさ、こんなチャンス滅多に無いぜ?」
と両肩を叩きながら言ってきた。
「私達、行けるよ」
泰葉とその友人は、すんなりと了承してくれた。
「慎也……男になれ」
「なんだそのセリフ」
僕は渋々足を動かし、ショッピングモール内の映画館へ向かう三人の後を着いて行った。
「なあ。もし、同級生とかに会ったら、ダブルデートに見えるのかな」
僕の隣に来て、ニヤニヤしながら言ってきた。
「そう見られたとしても、実際違うんだから気にすること無いよ」
平然とした顔でそう言ったが、心臓が鳴らす音は、有り得ないくらいに激しかった。
そんな恥ずかしい音を隠す様に、手のひらでグッと胸を奥に押し込んだ。
「映画館に向かうエスカレーターってさ、何か凄く不思議な感覚だよね」
泰葉は、ふとそんな事を口走った。あまり映画館に来ない僕からすれば、実際共感は出来なかったが、笑顔で頷いた。自分でも嫌になるくらいに、わざとらしく。
「いやー、俺には分からないな」
永田の肩を小突いた。何で?という顔で見つめてきたが、気を遣うという事の大切さにいつか気付いてくれる事を願うばかりだ。
「永田君達は、何か観たいものある?」
人気アニメの新作映画、人気小説の実写映画、海外のアクション映画、それぞれ異なるジャンルの作品のポスターが飾ってある。永田と僕は、一つに絞る事が出来ず、泰葉達に託す事にした。
その結果、人気小説の実写映画を観る事になった。
どうやらその映画の原作は、泰葉が大好きな小説だったらしく、手を叩いて喜んでいた。
「小説が好きとか、やっぱり優等生だよな」
チケットを購入してる間、永田はずっと隣で呟いてきた。
「永田だけ最前列の席にするよ?」
謝罪の意味なのか、僕の肩に手を乗せて左右に揺らしてきた。
僕は、「分かった分かった」
と呆れながら頷いてみせた。
上映時間が迫る中、永田が代表してポップコーンを買いに行ってくれた。
長蛇の列に並ぶ永田の姿を見つめていると、泰葉に話しかけられた。
「信也君は、あの小説読んだ?」
恐らく、今から観る映画の事を言っているのだろう。
泰葉がこの映画を選んだ時に、読み返しすぎて背表紙がボロボロになってしまったくらいに自分も好きだという事を告白すれば良かったのだが、緊張と恥ずかしさで完全に言うタイミングを逃してしまった。
言うなら、このタイミングしか無い。
「実は……僕もあの小説は大好きなんだ」
「うそ! 本当に?」
泰葉は、口元に手を当てて喜びだした。ただ同じ小説が好きというだけなのに。
「あの小説、ちょっと変わってるから、周りの子は最後まで読まなかったみたいで」
「え、最後が一番面白いのに!」
まさか、自分がここまで大きな声を出す事が出来るのかと、自分自身驚いた。
「そうだよね! 最後に色々分かるのに、本当に勿体無いよね」
そんな僕に負けないくらい、泰葉は大きな声で乗ってきてくれた。
どちらかといえば無口なタイプだと思っていたが、普通に元気な子だという事が分かって、何処かホッとしている自分がいる。
「信也君って、もっと無口なタイプだと思ってたから凄く意外」
泰葉は、からかうような笑顔を見せてきた。キラキラ輝く笑顔にやられてしまいそうだったが、それよりも、同じ印象を抱いていたという事が凄く照れ臭かった。
泰葉と初めて出会ったのは、入学式が終わってそれぞれ教室に移動していた時だ。僕の目は無意識に彼女を追い続け、危うく階段から転げ落ちそうになった事を、今でも覚えている。
人生初の、一目惚れというやつだ。
その後も、僕は瞳だけで泰葉を負い続けた。永田の様に、何気なく話しかける事なんて出来やしないから、頭の中で様々な妄想をした。
凄く気持ちの悪い暴露だが、それくらい泰葉への想いは強かった。幸いにも、僕と出会ってからの彼女に、彼氏という存在が出来た事は無いらしい。それが唯一の救いだ。
同学年は勿論、先輩や後輩からも数えきれないくらい告白をされているが、すべて断っているという話を聞いたことがある。
泰葉に告白した人の中には、学校一のイケメン、上岡先輩の名前もあった。
上岡先輩は、サッカー部のキャプテンで、更には両親共に医者という、物語の主人公の様な人である。ゲームで言えば、チートキャラだ。
恐らく、学校内で一番成功確率の高い彼ですら断られてしまうという事は、この学校内での成功者はいないという事なのだろう。
「そもそも、男に興味が無いのではないか」
という憶測も飛び交った。それならそれで個人的には嬉しいのだが、同時に自分が彼女と付き合える可能性も皆無という……。
いや、そもそも僕が泰葉と付き合える確率なんて、例えこの星が砕けたとしても無いに等しいのだから、そんな事は考えるだけ無駄なのだ。
気付けば、映画はエンドロールを流し始めていた。約二時間、泰葉の事を考えてしまった。無理もない、何故なら肘置きを挟んだ直ぐ隣に彼女がいるのだから。
映画の内容なんて殆ど頭に入らず、しかし寝るわけにもいかず、ただじっとスクリーンの上部を二時間見続けた。なんとも滑稽な姿だろうか。
もしも、頭の中を除ける能力者がこの空間にいるのなら、きっと今頃、必死に笑いをこらえているだろう。
映画館を出た僕達は、行く宛も無く、とりあえずという気持ちで駅に向かった。
「今日は、突然だったけど誘ってくれてありがとう。 観たかった映画も観れて、本当に楽しかった!」
「こっちこそありがとうな! 映画は難しくて良く分からなかったけど、何となく面白かった!」
永田は本当に素直なやつだ。
「信也君も、ありがとうね」
僕の瞳の奥を覗き込む様な眼差しで、泰葉は見つめてきた。別に、僕に対して特別な感情がある訳ではなく、ただ純粋に彼女は誰にでも優しいだけなんだ。
こんな感じで毎回気にしていたら、僕の心は直ぐに脆く砕け散ってしまうだろうから、徐々に彼女の優しさに慣れていこう。
「うん、また明日ね」
恐る恐る振り上げた右手で、さよならを示した。
「まだ寝てんのか?」
これは悪夢だろうか。やっと目を覚ました僕の瞳は、目の前のそれが永田であると微かに認識する事が出来た。
「何しに……来たの?」
「お見舞いに来てやったのに、その言葉は無いだろ」
そうだった。泰葉と映画を観た日の夜に僕は高熱を出して、三日間も寝込んでしまっていた。二日もあれば、きっと体調も治るだろうと思っていたが、どうやら僕の体はそれほど優秀では無いらしい。
「はい、これ。今日渡されたプリント」
「あ、ありがとう」
「明日は来れるのか?」
「うん、大分良くなってきたからね」
突然、永田は何かを思い出したかの様に目を見開き、ドアに向かって手招きをし始めた。
「おーい。入っていいよ」
ゆっくりと開いたドアを見つめる僕の瞳は、次の瞬間、ありえない光景を捉えた。
「泰葉……さん」
「さん付けじゃなくていいよ」
少し恥ずかしそうに微笑みながら、泰葉は僕の部屋に足を踏み入れた。
「な……なんで?」
「お前の為に、授業の内容をメモしてくれてたらしくてさ」
「永田が届けてくれれば良かったじゃんか」
僕は永田の耳元で呟いた。すると、永田も同じ様に小さな声で、
「泰葉が来たらお前元気になるだろ」
と、ニヤニヤしながら呟いてきた。
「ごめんね、私邪魔だったかな?」
「い、いやそんな事ないよ! 来てくれて凄い嬉しい!」
永田のニヤニヤした顔が邪魔で仕方がない。そう思うと、僕の言葉がまるで聞こえていたかの様に、永田は帰り支度を始めた。
「え、帰るの?」
「親から呼び出し食らっちゃってさ。悪いな」
永田が帰るということは、泰葉と二人きりに……。
「信也、頑張れよ」
と言いたげな顔で、拳を僕へと突きつけ帰っていった。
「あ、信也君これ」
カバンからノートを取り出し、僕の手元へ差し出した。
「ありがとう。全教科写してくれたの?」
「うん、勿論だよ」
「ごめんね、面倒だったよね」
「ううん? 私、ノートを取る速さには自信があるんだ」
自慢げな顔をする泰葉が可愛すぎて、直視出来なかった。
一つ屋根の下に男女が二人きりという現実に、僕は一人焦りと不安を感じ、無言の時間が流れ始めた。
「ねえ、信也君」
「は、はい!」
「中学校の卒業アルバムとかある?」
「え、うん。あるけど、何で?」
「信也君が昔どんな感じだったか知りたくて……。だめかな?」
「全然だめじゃないよ!」
数分間の沈黙が破れたのもつかの間、僕の心は一気に騒がしくなった。ただでさえ他人に興味を持たれない自分が、まさか泰葉に興味を抱かれるなんて、これ程嬉しい事はない。
「はい。三組の端っこにいるのが僕だよ」
「全然変わってないね! 性格もこの頃と変わってないの?」
「小学生や中学生の頃は、ちょっと騒がしいタイプだったけどね」
「騒がしい頃の信也君見てみたい」
口に手を当てて笑い出す泰葉につられて、僕も笑ってしまった。この時間が、永遠に続けばいいのにと頭の中で願い続けた。
しかし、突然に鳴り始めた泰葉の携帯によって、その願いはあっけなく掻き消された。
「ごめん、信也君。私もう帰らないと」
「連絡、家族から?」
「ううん。ちょっとね」
苦笑いする泰葉の顔は、何処か寂しそうで、何処か誇らし気な雰囲気を漏らしていた。そんな彼女にかける最適な言葉は、まだ僕の頭の中には無く、只々粗末な愛想笑いと無意味な頷きを披露する事しか出来なかった。
僕の家のドアを開け、
「また明日ね」
と微笑み背を向けた泰葉の後姿は、何故か僕の知らない遠くの場所へ行ってしまう様な気がして、無意識に右手を伸ばしていた。
しかし、そんな弱く小さな手は彼女に届く筈も無く。閉まりきったドアを、ただ見つめる事しか出来ない自分に苛立ちを感じた。
「誰と……会うんだろう」
独り部屋に戻った僕の頭の中では、その疑問符だけが、ふわふわと宙を舞い踊る。
連絡の発信元は、家族ではないと言っていた。可能性として一番高いのは、友達。ただ、友達からの連絡にしては雰囲気がおかしかった。だとすれば、彼氏……。
いや、泰葉に彼氏はいない筈。
連絡が来た時、溜息を吐きながらも、一瞬喜びの目をした泰葉の心情を考えれば考えるだけ、深く暗い沼の中に足を踏み入れてしまっている感覚に侵された。
どう足掻いても抜け出せなくなる様な気がして、急いで現実世界に逃避した。
「いつか、聞ける時が来たら本人に直接聞いてみよう」
まあ、まずその前に仲良くならないといけないんだけど。
ベッドに寝転ぶ前に、泰葉から受け取ったノートに目を通した。
「女の子の字だ」
少し恥ずかしくなった。普段見る事の出来無い泰葉の文字が、今こうして自分の手の中に広がっているのだから。
しかし、ページをめくる度、恥ずかしさとは真逆の感情が僕の心を突き刺していった。
そういえば僕は昔、文字を見ると、筆者のその時の感情を脳内に流し込む事が出来た。
これは一種の特殊能力なのかもしれないが、使い方の分からない能力に意味は無い。
一番初めに〝これ〟に気付いたのは、中学生になったばかりの頃。
書道コンクールで入賞した作品が廊下に貼り出されていた時、何気無く一つの作品に目が止まった。
「元気」
中学生ながらに達筆な字で書かれたその字からは、叫び声にも似た何かが瞳を辿って心の中に入り込んできた。
それは、あまりにも苦しみを帯びた声で、今すぐにでも助けを求めている様な気がした。
当時は、それが只の勘違いだとしか思っていなかった僕は、対して気にも止めていなかった。
「山中梨花」
左端に小さく書かれた名前。それは、たった数時間で僕の頭から消えていった。
しかし、その翌年、彼女の名前を嫌でも思い出す事件が起きた。
山中梨花は、自らの命を絶った。夏休みが明ける直前に、自宅の浴槽で手首を切ったらしい。
あの時、彼女の文字から伝った悲鳴は、間違いでは無く彼女自身の心だったのでは無いかと僕の頭を悩ませた。
だってあの時、自分の力に気付いていれば、彼女を救えたかもしれない。あくまで可能性にしか過ぎないが、それでも何もしないよりもどれだけ良かったか。
その後も、僕のこの使い道の無い無駄な力は何度も発動し、その度に自分の無力さに頭を抱えた。
その一連の出来事を境に、僕の口数は減り、誰かの影に隠れる人間になってしまった。
同時期、永田にも変化が訪れた。
初めは無口だった永田が、影から光へと変わった瞬間。
恐らく、僕を元気付けようとしてくれたのだろう。気付けば、お互いに変化した性格が板に付いてしまったが、僕個人としてはとても居心地が良い。
誰かの悲しみを感じる事も無くなった今は、以前に比べて見違えるような生きやすさだ。
忘れかけていた自分の力が何故急に発動したのかは分からないが、きっと泰葉への思い入れが強いせいで、感覚が研ぎ澄まされたとかそんな感じだろう。
「何だろう……この感じ」
つい最近、泰葉の文字から生まれたモノと同じ様な感覚に触れた気がする。まだ多少の熱があったせいか、僕の頭はまともに働かず、半ば強制的に思考を止めて眠りについた。
やっと体調の治った僕は、数日ぶりに学校に行くこととなった。普段の僕なら、もう一日くらいズル休みをしたのだろうが、泰葉への気持ちが形あるものとなった今は、ズル休みをするという選択肢を頭に浮かべる事が出来なかった。
ノートの事も、ちゃんとお礼を言わなければならないし。ふと、僕の頭が新たな疑問符を生み出した。
「何故、泰葉は自分なんかの為にノートを取ってくれたのだろうか。まだちゃんと話したばかりの仲なのに。これまでは、一言二言話すくらいの関係で、お世辞にも仲の良い二人とは言えず、そもそも友達と呼べる仲なのかすら分からない。今まで、泰葉が休んだ誰かの為にノートを取ってあげたなんて話は聞いた事が無いし、ましてや家まで届けるだなんて……」
ここで、図々しい一つの仮説が脳内を支配した。
一瞬その仮説に寄り添ってみたものの、直ぐに現実に引き戻された。いや、自ら戻った。
とりあえず、もしかしたら彼女は魔性の女なのかもなと、最近知った言葉で片付けておいた。
家から出た僕は、久しぶりの日差しに焼かれそうになりながら、少し衰えた足で学校へ向かった。
道中、永田に会った。僕の復帰を大袈裟に喜ぶ永田の姿が、少し照れ臭く感じた。
「で、あの後どうだった?」
「なんのこと?」
「勿体振るなよー」
右手で僕の肩を揺らしてくる永田の顔を見た時、ああそういう事かと理解した。
「別に何も無かったよ」
「えー!だって一つ屋根の下に男女がいたんだぞ?それも、お前の好きな相手が!」
「僕は、永田と違ってそういう欲求は乏しいんだ」
嘘だ。少し期待をしていた。思春期なんだから、それくらい許して欲しい。
つまらなそうに項垂れる永田の肩を叩き、次は僕が質問した。
「永田は、新しく好きな人出来たの?」
「良く分かったな! 顔に書いてあったか?」
自分の顔をペタペタと触る永田には申し訳ないが、ただ話題を変えたくて話を振っただけなんだ。
「で、その人は誰?」
「前に、泰葉と一緒に映画行っただろ?その時に居た泰葉の友達!」
「ああ。確か、雨宮さんだっけ?」
「そう!」
「そもそも、永田と雨宮さんって繋がりあったの?」
「いいや。映画の時に連絡先聞かれてさ、それから毎日電話してるんだ」
羨ましい。喉から両手が出る程に、二人の関係性が羨ましい。
「今回はさ……」
急に真面目な顔になった永田が次に発した言葉に、耳を疑った。
「ちゃんと、相手の事を知ってから想いを伝えようと思うんだ」
僕は、思わず足を止めた。
「え。おい慎也!なんで泣いてんだよ!」
えっ? 右手で頬に触れると、確かに生暖かい雫を感じた。
「あれ。い、いや、何だろ。何か嬉しくて……」
「何が?」
「永田が、ちゃんと誰かと向き合ってその人の事を好きになろうとしてる事が」
鼻水を啜りながら答えたその数秒後、うるさい鼻水の音は二つになった。
「いや、なんで永田まで泣いてるの」
「お前がそこまで思ってくれてたなんてな……。俺、嬉しくて」
子供の様にワンワンと泣き出した永田を見て、僕はやっと思い出した。
永田は、泣き虫だった。僕と永田がそれぞれ変わってから、永田の涙は見ていなかった。
ああ。懐かしい。数年前にタイムスリップした様だ。
僕は、突然可笑しくなって、笑った。
永田も、そんな僕を見て、笑った。
数年ぶりに、あの頃みたいに肩を組んで学校に向かった。
建付けの悪い教室の扉を開けると、駆け寄って来た光のせいで、クラス中の視線が僕へと集まった。
「もう大丈夫なの?」
「あ、う、うん大丈夫だよ」
「良かった。心配だったんだ」
胸をなで下ろすその人は、周りの目に気付いていないようだ。視線が痛い。男子からは、殺意にも近い視線。女子からは、疑いの視線。
そのどれもが、彼女では無く、僕一人へと突き刺さった。
「あ、そ、そうだ。ノートありがとう! これ、そのお礼」
近所のスーパーで親が買ってくれた、お歳暮用のクッキーを差し出した。
「え、いいよそんな」
断る素振りを見せた彼女の手に、それを優しく押し付けた。
「本当に助けて貰ったからさ、せめてもの気持ちだよ」
「……ありがとう」
少し照れ臭そうに笑う泰葉を見て、恥ずかしさが込み上げてきた。この状況を周りがみたら、どう思うのだろう。きっと、男子諸君は良くは思わない。女子の皆さんは、新しく生まれたゴシップに喜ぶのかな。僕が想像していたよりも、クラスは盛り上がりを見せた。
泰葉に彼氏が出来たと勘違いしたクラスメイトは、泰葉を質問攻めにした。
噂の相手が、クラスで一番地味な僕だから、余計に。
泰葉は、「仲の良い友達だよ」
と、また照れ臭そうに笑った。
そりゃそうだよな。と肩を落とした時、僕は一体全体何を期待していたんだと、我に返った。
何処で可能性を感じたのだろう。
一緒に映画を観に行った時?
僕の為にノートを取ってくれたと知った時?
それを家まで届けに来てくれた時?
自分の単純さに唾を吐き、いつも通りの日常に戻ろうとしていた。
その時、未だ質問攻めにあっている泰葉の口から、思いもよらない言葉が生まれた。
「慎也君は、いい人だよ」
釣り上がる口角を抑えられなかった。
その言葉を聞けただけで、僕は今まで生きてきた事に価値があると思った。
思いっきりガッツポーズをしたくなったが、生憎僕はそんなキャラでは無いので、釣り上がったままの口角を何とか治し、平静を装った。
その時、遠目からこちらを指差しながら、ニヤニヤと笑う二人に気付いた。
永田と雨宮さんだった。
全ての授業を終え、帰り支度を初めた今も、未だに泰葉の周りには女子が集まっていた。
多少の申し訳なさを抱えながら、僕は教室を出た。
「慎也〜!今日は大変だったなあ」
肩を組みながら言ってくる永田の手を払い除けて、
「僕には誰も何も言ってこなかったから、別に大変じゃなかったよ」
そう。永田以外に友達のいない僕は、クラスの誰からも話しかけられなかった。相変わらず、鋭い視線は浴びせられ続けたけれど。
「まあでも、泰葉には悪い事したかな……」
「なんでだ?」
「僕と付き合ってるっていう疑惑をかけられて、そのせいで一日中質問攻めにあってさ。泰葉からしたら、いい迷惑だよね」
はあ。と、罪悪感混じりの溜息を吐いた。
「いいや。そうでも無さそうだぞ?」
一度振り払われた手を、もう一度僕の肩に乗せて永田は言った。
すぐにその言葉の意味が分かった。
「慎也君、今日は何かごめんね」
僕のすぐ後ろには、申し訳なさそうに両手を合わせて頭を下げる彼女がいた。
「い、いや、僕の方こそ大変な一日にさせちゃってごめんね」
慌てて僕も頭を下げた。
何度も謝りあう僕らは、傍から見たらどんな姿だったのだろうか。すぐに駆け付けた雨宮さんと、じっと僕らの姿を見つめていた永田は、また指を差して笑った。
「もうそれ飽きた」
僕らの間に割って入った永田のおかげで、申し訳なそうに謝りあっていた僕らは、ふいに笑いに包まれた。
「泰葉も慎也君も真面目だなあ」
雨宮さんは、笑いながら僕らの肩を叩いた。この子も力加減を知らないらしい。永田にお似合いだ、と心から思った。
「とりあえず、皆でプリクラ撮りに行くか」
お得意の唐突な提案を披露した永田に逆らう時間は無かった。
まるで誕生日を祝われる人の様に、僕と泰葉は背中を押された。本当は行きたくないんじゃないかと、泰葉の顔を見てみたが、すぐに僕の不安は必要無いものだったという事が分かった。
ワイワイと騒ぎながらショッピングモールに向かう僕の頬を、透明な優しい風が掠めた。
今日、突然だが僕に友達が出来た。
それも女の子の友達が二人もだ。
お母さんが知ったら、どんな顔をするのだろうか。
驚き過ぎて泡を吹くかもしれない。
お父さんは、肩を叩きながら「流石俺の子だ」と言うだろう。
誇らしかった。友達が出来たからじゃない。女の子と仲良くなれたからじゃない。泰葉と仲良くなれたからじゃない。
永田以外に、僕を認めてくれる人が出来たからだ。
友達は多いほうがいい。そう誰かが言っていた気がする。僕は、ずっとその言葉を否定し続けてきた。
「友達が増えるという事は、その瞬間にいつか別れるという現実も着いてくる」
そう、思っていたから。
でも、別にあの言葉は、そんなに難しい意味じゃ無かったんだ。
ただ単純に、
「自分を認めてくれる人は、多いに越したことは無い」
そういう意味なのだろう。
何でも難しく考えてしまう自分の頭を一度小突いて、鼻で笑った。
「僕は、幸せだ」
「ん?何か言ったか?」
プリクラの前で立ち止まった三つの後ろ姿が、同時にこちらを振り返った。
僕の口は、どうやら少し躾が必要なようだ。
プリクラ機に入った僕らは、窮屈さに愚痴を零した。いや、正確に言えば永田だけなのだが。
永田の言う窮屈さに気付いたのは、甲高い音声案内が喋り出した時だった。
四人で撮るとなると、画角に収めるのが困難になる。どうしても、少し密着しなければならない。皮肉にも、僕の右隣は泰葉だった。
「まあ、見切れてもいいか」
そう思ってカウントダウンを待っていた僕の右腕は、何者かの力によって引っ張られた。
答え合わせをされずとも、犯人は分かっていた。分かっていたから、僕の心臓は高速で脈を打った。
自然な笑顔が出来ないまま、最後のカウントダウンが始まった。
少しは自然に笑おうと心に決めた僕は、精一杯落ち着いて口角をゆっくりと上げてみた。
「ありがとね、慎也君」
「えっ」
咄嗟に、僕の右腕を引っ張った犯人のいる方を向いた。その瞬間、シャッター音が鳴った。
どれくらいの時間だっただろうか。一秒、いや、それよりも短かったかもしれない。
彼女の横顔とシャッター音がシンクロした時、走馬灯の様に脳は高速回転を始めた。
彼女の「ありがとう」という言葉が引っかかったからだ。
一体、何に対しての「ありがとう」なのだろうか。
クッキーを渡した事?
それとも、友達になった事?
そのどちらだとしても、元々は彼女のおかげだ。
どこまで彼女は真面目なのだろう。そう、感心した。
今になって後悔する。
彼女のこの言葉の意味を、感じ取る事が出来ていれば、あんな事にならずに済んだのかもしれない。
彼女が、青色に飲み込まれてしまう前に、救い出せたのかもしれない。
プリクラを撮り終えた僕らは、ショッピングモール内のフードコートへ足を踏み入れた。
フードコートというのは、各々の性格を表に引きずり出す場所だと思っている。
幾つもの飲食店が連なる中、その人が何を頼むかで、大体の性格は掴めてしまう。
例えば、その中でも僕の親友なんて分かりやすいだろう。大盛りのラーメンに炒飯、更には餃子まで付いたセットが、輝く瞳をした彼の目の前に広がっている。
彼に関しては、まあ今更性格を紹介しなくても大丈夫だろう。
永田の隣で窮屈そうに体を縮める雨宮さんは、石焼ビビンバを頼んでいた。
以外と言えば以外だが、何となく彼女は永田に似ている感じがしていたから、そこまで驚かなかった。そんな彼女を見て、泰葉は
「本当に良く食べるよね」
と、お母さんの様な笑顔を披露した。
「ふふふー」
と笑い返す彼女は、幸せそうだ。彼女には失礼だが、隣で炒飯を頬張る永田と同じ顔をしている。
さあ、待ちに待った泰葉の番だ。
泰葉の目の前に並ぶものを見て、僕は心底ほっとした。いや、例え彼女がラーメンを食べても、石焼ビビンバを食べても別に良いのだが、やはり僕の中には僕なりの彼女が存在する。それを壊さないで欲しいと、これまでずっと願ってきた。
有名チェーン店のドーナツが二つ。
ドンピシャだ。危うくガッツポーズをしそうになった。
「そんだけしか食べないのか? 死ぬぞ」
「私少食だから」
申し訳なさそうに笑う泰葉を見てから、無心で頬張り続ける永田を見た。いや、睨み付けた。
さすがの永田もそれには気付いたらしく、パンパンに膨らんだ口のまま目線だけでこちらへ会釈した。
「毎日それくらいしか食べないの?」
少食であってくれと願ったものの、やはり不安にはなる。
「んー。そうだね、あんまりお腹空かないんだよね。最近は」
「確かに、泰葉って去年とか普通に皆と同じくらい食べてたよね」
この時初めて、雨宮さんと泰葉が一年前から仲が良かった事を知った。
「ダイエットかなあ」
泰葉は、自分なりのふざけた顔で笑った。
「泰葉はしなくていいよ。雨宮はそろそろヤバ───」
言い終える前に、永田の顔は右側にぐにゃりと移動した。
「慎也だってそう思うだろ?」
相変わらず顔はぐにゃりと右側に曲がったまま、僕に問いかけた。
雨宮さんの拳が押し付けられたままの永田を今すぐにでも救ってやりたいが、それよりも雨宮さんの鋭い眼光に押し負けそうだった。
「い、いや。あの。〝まだ〟大丈夫じゃないかな?」
間違えた。精一杯脳内で構築した〝当たり障りの無い言葉〟は、どうやら何処かで組み立て間違えたらしい。
立ち上がって僕に掴みかかる雨宮さん。
それを笑いながら指さす永田。
同じ様に笑いながら止めに入る泰葉。
好きにしてくれ、と言う様な死んだ顔の僕。
スローモーションに見えた。
忘れていた友達の大切さを、この数秒の間に思い出した。
本当に楽しい。込み上げる喜びを表現出来ない事が悔しいが、今日は思いっきり笑おう。この空間を楽しもう。
そう誓った僕は、現在、フードコートの責任者の前で頭を下げている。
流石に暴れ過ぎたらしい。幸いにも学校への連絡はしないとの事だったが、人に怒られるというのは勿論良い気はしない。
肩を落としながら、皆の待つベンチへと向かった。何故僕だけが怒られたのかと言うと、何となく僕がそのグループのリーダーだと思ったかららしい。責任者の目を疑う。何処からどう見てもモブキャラにしか見えない僕がリーダー?もし、一番真面目そうに見えたと言うなら、一言で完全な反論をしよう。
「無口なだけ」だと。
「おう、リーダー」
ベンチから立ち上がって僕を迎え入れた永田の顔は、いやにニヤついていた。
大丈夫だった? と、ごめんね。を、泰葉と雨宮さんから交互に受け取ったので、なんとも無い顔で会釈をした。
一度は落ちた僕のテンションは、軽々しくも単純に最高値を振り切った。
帰り道、泰葉と連絡先を交換する事が出来たからだ。
勿論、その話題を持ち出したのは僕では無い。
「そう言えば、私、二人の連絡先知らない」
そう言い出したのは、なんと泰葉だった。
僕は勿論、永田までもが驚いた顔をしていた。
「泰葉の連絡先を知っている男子はいない」
という都市伝説を聞いた事があったから、恐らくそうなのだろうと、僕や永田、学校中の男子もそう思っていたに違いない。
「男子とは連絡先交換しないんじゃないの?」
永田が踏み込んだ。
すると、泰葉は困った顔をしながら、
「好きな人以外と連絡取りたくないから……」
「えっ」
タチヨミ版はここまでとなります。
2018年3月21日 発行 第二刷 発行
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