spine
jacket

───────────────────────



この先、偶然会わないだけの話
~てきすとぽい投稿作品集1~

川辺 夕

レポーガンパブリッシング



───────────────────────






てきすとぽいとは、主に文章作品を募集したり、作品に感想や票を投じたりするイベントの、開催を支援するサービスです。また、ウェブ上で創作活動を行う方々に、競作/共作を通じて、新しい創作の可能性を発見していただける場になることを目指しています。

 目 次

おふろのおとうさん

帰還型発振回路を覗く

(n-2)✕180°

澱を掬う

詩人は北にいる

この先、偶然会わないだけの話

レッツゴー仮面ハンター

運命を知る男たち

手袋の行方

あとがき





おふろのおとうさん

二〇一六年一二月一〇日(土)

第三六回 てきすとぽい杯 〈紅白小説合戦・白〉


共通テーマ:童話、おとぎ話、児童文学

白組のお題:「時間」が登場する、子供が中心読者層になるような小説を執筆してくだ
      さい。

おとうさんはいつもこわいかおをして、一〇〇かぞえるまでおふろからだしてくれない。
あつくてあつくていやなのに、てをつかまれてうごけない。
ずっとこっちをみてるから、ぼくはめをつぶってしたをむくんだ。

めをあけるのはいやだ。おゆのなかにはおとうさんのおちんちんがいる。ちんげがライオンみたいでぼくをたべようとしてるみたい。

なんでおとうさんはいつもこわいかおをしてるんだろう。おかあさんはたのしいことをいっしょにわらってくれるのに。たけるくんのおとうさんだってぼくといっしょにわらってくれたよ。

はやくかぞえるとおこられるからしかたなくゆっくりかぞえるよ。もっとゆっくりかぞえれば、とけいのはりはぎゃくにうごいてくれるのかな。

おとなになればちんげがはえるっていってたから、とけいがぎゃくにまわればちんげはなくなるよね。

おとうさんのちんげがなくなって、ぼくとおなじおちんちんになったら、たけるくんとしゃべるみたいになかよくできるんだよ。





帰還型発振回路を覗く

二〇一七年二月一八日(土)

第三七回 てきすとぽい杯 〈てきすとぽい始動5周年記念〉


お題:「臨時ニュースをお伝えします」
   お題の言葉を、タイトルまたは本文で使用してください。(言い回し等、多少変
   更しても構いません。)

 ヘリコプターからカメラマンが興奮気味に駆け下りてきた。デジカメを掲げ液晶を指差し、集まっていた研究チームに差し出すと、ほどなくしてキャンプ地は歓声に包まれた。
 液晶の中で、ある者は弓を構え、ある者は呆然と立ち尽くしていた。それはアマゾン川流域でのおよそ一〇年ぶりになる、新たな未接触部族の発見だった。
 チームの代表者であるモーガン教授は武装したセキュリティー会社の三名のほかチームから選りすぐった七名の、計一〇名で五日後に接触を試みることを決断した。

 これまで他の部族に遭遇したことなど一度もなかった。酋長は子供の頃に会ったことがあると話していたが、哨戒に出ていたメムが連れてきた男たちの格好はその話とは異なり顔が白く奇妙な布を纏っていた。
 まだ若いメムは顔を強張らせて俺に意見を求めた。
 白い男たちは敵意がないと主張しているつもりなのか、両手を挙げて歯を見せていた。弓や槍を持っていないことは明らかだったので、取り急ぎ酋長の元へ案内することにした。
 言葉が通じない白い男たちは大袈裟な身振り手振りで対話していた。そして景色を切り取る石や声を大きくする石を見せた。酋長や俺も彼らの意図よりも持っている不可思議な石に興味があった。袋に入った食べものだけは動物が腐敗したもののようで受け付けられなかったが。
 友好的に進んだ会談は女たちが水を汲みに戻ってくる時間ぐらいで終わった。
 白い顔の男たちは最後に酋長へ声を大きくする石を渡した。どうやら貢物だったらしく、使い方を教わっている酋長は威厳を作り続けることを諦め笑顔を見せていた。
 その日を境に部族の習慣は著しく変化した。狩りの指示は人伝に行われていたのに酋長は声を大きくする石を使い始めた。
 樹木だって幹から枝へと順々と栄養を届けるのに、酋長は思いついたら指示を送り始めた。聞き漏らした住民も多く、生活は次第に混乱し始めた。
 いままでの方法に戻して欲しい、せめて決まった時間に指示をくれと住民の不満は溜まっていった。しかし白い顔の男たちへの劣等感か、我々もあいつらに追いつかなくてはならないと酋長は住民の懇願を他所に、変わらず石を使い続けた。

『……では、次のニュースをお伝えします。ジェームスタウンの居留地では、イギリスの……』
 テレビから流れるチャンネル八のニュースは、庭に入ってきたエンジン音で掻き消された。
「あなた、ジョンが迎えに来たみたいですよ」
 コーヒーを皿に戻しモーガンは静かに頷いた。
 研究所を辞めて三年。何度も同じ話をしているのに不思議と依頼が続き、こうしてときどき講演へ向かう。まるで思い出したように古いレコードを聴きたくなる自分みたいだなと苦笑した。
「今日はどちらなんですか?」
「スミソニアンの自然史博物館だよ。恐竜に囲まれて人類学の講演さ」
 息子からの控えめなクラクションに出発を促され、モーガンは上着を羽織った。
「じゃあ、行ってくる」
「行ってらっしゃい」
 車が街道へ入るまで眺めていた妻は、窓を閉め流行曲をハミングしながらトレイに食器を重ねた。

『臨時ニュースをお伝えします。アマゾンの未接触部族を調査していたスミソニアン博物館の研究チームは、一五年前に発見された部族が全滅していると発表しました。遺骨に損傷が多数あることから、内部紛争の果てに分裂し、生き残った住民は他の部族と合流したと思われます』
 どこかで発信されたニュースは今日も誰かに伝わるのを待っている。





(n-2)✕180°

二〇一七年四月一五日(土)

第三八回 てきすとぽい杯


お題:多角関係
   三人以上の人物が絡む恋愛模様を、作品に登場させてください。

 キャッチャーというポジションだからか、Aは物事を俯瞰して見る能力に長けていた。
 チームメイト同士のわだかまりを早くに察し、間に入って問題を解決する。解決できなくても遺恨が残らぬよう上手く調整し、個々の選手のモチベーションが損なわれないよう気を配らせていた。
 やがてAはみんなの信頼を勝ち取り同じチームだけではなく他のチームの選手からも慕われるようになっていた。

 今期の最終戦を前にAは四人の選手から告白された。同じチームの抑え投手Bと他のチームの野手C、D、Eの三人だ。
 四人は試合が終わったら返事を聞かせてほしいとそれぞれAに頭を下げた。
 ほのかに恋人が欲しいと思っていたAは、彼らの申し出に胸の高まりを感じ、一方で頭を抱えた。
 一人を選ばなければいけないのに、Aは全員に同等の好意を持っていたからだ。
 Aの迷いは配球のリードに影響し、試合は乱打戦となりシーソーゲームで九回裏を迎えた。
 八対七で勝ってはいるものの、Aはこのままゲームセットに持ち込める自信がなかった。
 抑えのBがマウンドに上った。
 Aはミットで口許を隠しながら、この回を抑えたら付き合うとBに約束した。
 Cが打席に入りAにウインクをした。初球をライト前に運ばれCはファーストベース上で笑顔を向けた。
 Cがホームベースに帰ってくることになったら、彼と付き合うことにしようと覚悟を決めた。
 打席に入ったDがなにか言いたげだったので、Aは先回りしてホームに帰ってきたら付き合ってあげると伝えた。
 動揺したのかDは三球目のフォークを引っ掛けサードゴロに終わった。
 同じことをEに伝えたAはふらふらと上がった打球がセンターのグラブに収まる様子に胸を撫で下ろした。
 二アウト二塁。同点のランナーがいるものの、愛の申し出を受ける相手がBかCに絞られ、Aは落ち着きを取り戻し勝利のために集中した。
 昨年首位打者をとったFがネクストバッターズサークルから打席に向かった。
「なぜホームベースが五角形なのか、知っているか?」
 バッターボックスに立ったFは、バットでホームベースの角を叩きながら呟いた。
 一球目は外角低めのストライク。AはFの言葉を無視した。
「最初は白線で引いたダイヤモンドの内角に合わせて、他と同じ四角いベースを菱形に置いたそうだ」
 二球目はスライダーが内角に逸れボールになった。Aの返事を待たずにFは続ける。
「それだと内外角を示す場所が角だけなので、ボールがストライクゾーンを通ったか分かりづらいだろ?」
 三球目はストレートが真ん中高めに外れた。焦りの表情を浮かべたBにミットを振って落ち着かせる。
「ダイヤモンドの形にこだわったから、大切なことを見落とす。ルールなんてものは都合良く変えていけばいい」
 さっきの外角のストレートを見せ球にしてスライダーを振らせるつもりがわずかに中へ入った。Bの顰めた顔がバットの軌道に遮られた。
 センターが慌ててバックして打球を追っている。Bは帽子をマウンドに叩きつけた。
「自分のルールで恋愛を決めようなんて、間違っていると思わないか?」
 電光掲示板にホームランの文字が踊った。観客の歓声を背にFはバットをAに渡した。
「お前は俺と付き合うべきだ」
 思わず頷いてしまったAは軽やかに一塁へ向かうFをぼんやりと眺めていた。
 なんのこっちゃと思いながら。





澱を掬う

二〇一七年七月九日(日)

「覆面作家」小説バトルロイヤル!


お題:・純愛・不倫・懊悩・テーマパーク・ゴーストタウン
    以上の中から二つを選び消化して下さい。本文冒頭に(お題:○○/○○)と
    明記して下さい。直接お題の文言が入っていなくても表現や比喩で感じ取れれ
    ば結構です。


この企画の投稿作品は電子書籍化されています。他の作家の皆さんのユニークな作品をぜひお楽しみください。

超短編一五話」 名取創舎

(お題:不倫/懊悩)

 第一話

 洗濯機の廻る音が、かすかに聞こえる。
 鈍いモーター音に重なって、ときおり金属を擦るような響きが混じり、それはかつて手術台で聞いた医療器具の音を連想させた。
 まるで頭の中を施術されているみたい。
 不意に浮かんだ、見送ったばかりの夫の背中と、これから会うカレの無精髭。
 ぐるぐると二人の顔がコーヒーへ注いだミルクのように渦巻いて混じり合う。やがてそれは結晶となり、心の澱のようなモノになって深くゆっくりと奥底へ沈殿していくのだ。
 夫の嫌な部分、カレの嫌な部分。未来への不安と現在の不安。ついそんなことを考えてしまう自分の醜い心。
 レントゲンを撮ったら、きっとわたしの心には薄っすらとした黒い影が写っているはずだ。どんな手術をすれば、それは消え去ってくれるのだろうか。
 午前九時三〇分。家事の合間に居間のソファーで、こうしてもの思いに耽りながらコーヒーを飲む。それがわたしのいつもの日課。


 第二話

 一〇代のころから卵巣の腫れに悩まされていた。良性腫瘍が両方にあると早くに判明していたのだが、まだ腫瘍が小さかったこともあり経過観察のまま何年も放置していた。
 ところが二七歳を迎えて間もないある日、突然の激しい腹痛と腰痛がわたしを襲った。
 腫瘍は八センチまで大きくなり、医者は卵巣の摘出を勧めた。
 自分の身体を守るためとはいえ、子どもを産めなくなる事実はわたしの心に大きな傷を残した。
 女としての自分の価値、そして未来。なにもかもを失った気がして、毎日が絶望と不安に圧し潰されそうだった。
「結婚したらさ、週一回は美味しいもの食べに行こうな」
 夢見がちなカレがうそぶく言葉は、永遠に来ない未来を隠すための戯言に思えた。ギャンブルが好きで上手い話に後先考えず飛びつくカレが、先のことなど考えているはずがない。
 以前の自分だったら、きっと雰囲気に流されて一緒に笑っていただろう。
 もう無理かもしれない。どす黒い塊が胸の奥でかたちになりそう。
「じゃあ、いつになったら結婚してくれるのよ。もう五年も待っているのよ」
「俺だってちゃんと考えているんだよ。いいから、もう少し待っていろよ」
 具体的な話を詰めようとすると、そう、いつも機嫌が悪くなる。


 第三話

 夫とは一昨年、知り会い、ほどなくして結婚した。
 術後、精神が不安定になったわたしを心配した会社の同僚が、無理に婚活パーティーへ連れ出してくれたおかげだ。
 ホテルの会場で、乗り気でない上にほとんど喋らなかったわたしに声を掛けてきてくれたのが、いまの夫だった。
「昔から模型とか、ひとりで工作したり研究したりするのが大好きで、実はいまでも人とお話するのが苦手なんですよ。今日は同期の悪戯で勝手に申し込まれちゃって」
 製紙業会社の技術職だという彼は、所在なげな自分にシンパシーを感じたらしく、ときどき思い出したかのように会話を挟みながら、ただぼんやりと最後までそばにいてくれた。
 自暴自棄となりカレ以外の男性に抱かれたこともある。身体が目的でも誰かに必要とされるなら、自分の心は危ういながらも壊れずに済んだ。そんな他人にアイデンティティーを依存している自分だったからこそかもしれない。
 なにもせず一緒にいることで、不思議と存在のすべてが許されたような安心感が生まれた。
 連絡先を交換し、わたしは後日、積極的に彼を誘った。そして何度も会話を重ね、自分の身体と心の問題も全部告白した。
「正直に言いますと、僕は女性経験が少ないので感情の機微とかに鈍感なんです。だからあなたが抱えている苦しみとかを、おそらく上手く理解してあげられないでしょう。ただ、あなたが澱と表現した正体の分からない不安、それについては、もしかしたら解決出来る手掛かりが掴めるかもしれません」
 難しい顔で腕を組んだ彼は、まるで治療法を告げるお医者さんみたいだった。
「澱は何度も沈殿を繰り返すことで純度が高まるんですよ。だから、辛いかもしれませんが、その不安を作り出す状況を繰り返すことで、正体が見えてくるのではないかと思います」
 自分ではなくカレと一緒にいるべきだと勧められた気がして、わたしは少し涙ぐんだ。勇気を出して告白したのに、ようやく見つけた出口の扉が幻だったような虚しさだけが残った。
「すみません。辛い思いに独りで耐えろと言っているわけじゃないのです。あなたの心が何度も壊れてきたと知り、僕は自分の気持ちに気づきました。あなたを支えたい。ひょっとしたらこの気持ちは、自分の技術屋としてのただの好奇心なのかもしれない。でも、そばにいたいと思っているのは、本当の気持ちです」
「本当ですか? 本当に、わたしのそばにいてくれるんですか?」
 自分でも呆れるほど取り乱していた。心の底の黒い澱が急に広がってわたしの足を掴もうとしている。そんな恐怖が救いを求める気持ちを急き立て、テーブルの向かいの彼へ思わず手を指し伸ばした。
 わたしの手のひらを両手で優しく包んだ彼は、微笑みを浮かべたままカウンターの店員へ顔を向け軽く会釈した。
 注目を浴びている状況に気づいたわたしは、慌てて彼から手を放し腿の間に挟んで下を向いた。
「ごめんなさい。気持ちが溢れてくると、自分ではもうどうしようもなくて」
「大丈夫ですよ。そのために僕がいるのですから」
 適当に慰められたと感じたのは、まだこの人を信じていない証拠だと思った。信じていないのに、自分のために利用しようとしている。わたしは自分が思うよりも、きっと傲慢なのだろう。
「澱を感じるには、カレとも会い続けるってことになりますけど」
 意地悪なわたしは彼を試した。
「正直、嬉しくはないです」
 一生懸命に作ったであろう彼の笑顔は目尻が力なく下がっていた。
「でも、いまは仕方がないとも思っています。僕にとって、あなたはとても魅力的な女性だから、ずっと一緒にいたい。子どもだって自分は次男ですし、まあいいかなって感じです。男の自分が言うのは変ですが、あなたの港になりたいんです。そしていつか、その彼氏からあなたを奪って僕だけのものにしたい」
 話しながらプロポーズをしていると気づいたのか、彼はバツが悪そうに頭を掻いた。
「あなたにとって、いまは都合がいい男でもいいのです」
 屈託なく笑った彼は小さくお礼を返したわたしをしばらく見つめると、少し恥ずかしそうに目を伏せた。
「ひとりで暮らすには、いまのマンションはなんだか広過ぎます。僕のそばで、いつか本当の妻になっていただけますか?」
 この半年後、わたしは形式上、彼の妻となった。

 友人から見れば、わたしは放任されているらしい。月二回、夫と違う男に会って夜を過ごしているのだから、確かにその通りなのだろう。しかしカレと会ったあと、わたしは夫から毎回サイコセラピーのような尋問を受けるので、実際は束縛されているようなものだった。
 まずカレと会ってから別れるまでのすべての行動を口述する。夫はそれを、駅、レストラン、ラブホテルなどと場所ごとに分けてメモをする。さらに誰が料理を注文したとか支払いはどっちとか、さらには行為の流れはどうだったとか、偏執的なぐらい細かく区分し書き留めた。
「大事なことだから、正確にね」
 手術を勧めた医者みたいに冷静で、なにかを研究する人はこれほどまでに対象へ情を込めないのかと、冷めた心に妙な感心が浮かぶ。
 わたしはただの研究対象なのだなと思い至ったある日、カレとは別の黒い澱が生まれつつあることに気がついた。
 細かい出来事に対し、わたしがカレに感じた思いを夫は未来への不安と分析した。先が見えない恐怖が黒い澱になってわたしを縛っているのだろうと解釈し、カレと完全に別れて自分だけを選べば、その不安は消えるはずだと楽観的に考えていた。
 わたしは密かに夫と同じやり方で、新たに生まれた澱について考えた。夫との会話、家事に夜の行為。思いつくすべてを箇条書きにし、そこに自分の思いを書き足した。
 わたしは夫にとって女ではなかった。わたしは女でいたかった。
 自分でも傲慢に思えるほど、現在が不安だった。


 第四話

 二週間ぶりに会ったカレは上等そうなスーツを着込み、似合わない分厚い金のブレスレットを身に着けていた。短髪を綺麗に整え髭の剃り残しもなく、一見すると成功した若い経営者のように映る。しかしそんな身なりの割に店員に横柄な言葉遣いをする悪い癖は相変わらずなので、わたしは恥ずかしくてつい俯いてしまった。
「最近さ、地元の先輩がいい仕事を紹介してくれて儲かっているんだ。この調子なら、お前のことも余裕で面倒みられるからさ、安心して離婚しても大丈夫だから」
 わたしの心がいまだ自分に向いているような口振りでカレは話し始めた。わたしがどんな思いで夫を求め、結婚した理由など、この人はいままで一度も考えたことがないのだろう。
「そうなんだ、頑張っているんだね。どんな仕事なの?」
 離婚については無視を決め込み話の先を促した。いい加減なカレが仕事を続けられるなんて、それはそれで素晴らしいことだから。
「たぶん聞いたことがあると思うよ。結構有名な会社だからさ」
 得意げに披露された会社をわたしは確かに知っていた。それは悪い意味での知名度が充分過ぎるほどにある、マルチ商法の会社だった。
「え、ごめん。知らない。どんなことをやっているの?」
「例えば化粧品とかで、誰もが欲しがるけど流通量が少ない商品があるとするじゃん。普通はなかなか手に入らないんだけど、うちの会員になれば優先して買うことが出来るんだよ。俺はいろんな人にそういう商品を紹介する仕事をしているんだ。まあ、簡単に言えば営業だね」
 大袈裟な手振りで語るカレは自分に酔っていて、わたしの強張った表情に気づく素振りも見せずに話を続けている。
「いま会員になればって言ったけどさ、ここだけの話、家族や身内の人にも提供できるんだぜ。さらに安い価格でね。当然、お前にもね」
 わざとらしいウインクに苦笑しただけなのに、カレはわたしが喜んだと勘違いしていた。
「前に言っていた、黒い澱のようなものだっけ? 実はそういう心の不安にも効果がある商品があるんだ」
 一瞬、夫に感じている不安に勘付かれた気がして思わず息を飲んだ。そんなわたしの様子を眺めていたカレは興味を示したポーズだと解釈したらしく、不敵な笑みを浮かべて後ろ手にバッグへ手を伸ばした。
 かつて訴えた不安の原因を、いまだに自分のことだと捉えていないカレに呆れ、なんだか泣きそうになってくる。
「わたしがずっと、ずっと抱え続けた黒い澱を拭い去るなんて、そんなの、できるわけないじゃない」
「それができるんだよ」
 軽い音を立ててテーブルに置かれた小箱は、夫の会社から発売されたばかりの新製品だった。
「このドライワイパー一〇〇Mなら、どんな汚れでも拭き取ることができる」
「本当に? わたしが使っているキ○ワイプS二〇〇と比べてなにが違うの?」
「もちろんキ○ワイプは優れた製品です。加工精度も然ることながら、紙製であるのにもかかわらず毛羽立ちがない。わずかな埃も避けたい場所には最適だと言えます」
「じゃあキ○ワイプで充分じゃないの?」
「まずはこれをご覧ください」
(キ○ワイプとドライワイパーの立毛層繊維密度表を画面に合成する)
「不織布ながらもドライワイパーはキ○ワイプと遜色ない立毛密度を実現しました。これは毛羽立ちのなさを意味します」
「キ○ワイプと同じなら、お値段次第では迷いますね」
「まあ、待ってください。実はこのドライワイパー、優れた特徴はこれだけではないのですよ」
(ドライワイパーの断面図を分かりやすくイラストで表示)
「当社の技術が、ウエスの常識を打ち破ることに成功しました。いままでと同じ薄さで、この三層構造。見てください。不織布に挟まれた高分子吸収体が従来製品と比べて二倍の汚れを吸い取ってくれるんです」
(歓声と拍手をオーバーダビング)
「それはキ○ワイプよりも汚れが取れるということですか?」
「もちろんです」
(先程よりも大きい歓声)
「お値段も据え置きで、いまなら二〇枚増量でサービス中」
(ここからBGMを挿入。商品とロゴを画面下部に表示)
「あなたの心の汚れから、身の回りの汚れまで、」
「どんな汚れも綺麗にパパパ」
「(二人、声を合わせて)ドライワイパー一〇〇M、満を持してお届けします」

   ※   ※   ※

 シュレッダーの紙を刻む音が、オフィスに響いた。
 ドラムの鈍い回転音にホッチキスの針が弾ける響きが混じり、それはまるで出世した未来の自分が悲鳴を上げて砕け散っているようだった。
 二の句が継げない課長は腕を組んでなにやら唸っている。ときおり向けられる視線は俺を憐れんでいるのか妙に弱々しかった。
「あの、課長。どこか間違っているところがありましたか?」
 いつまでも立たされているのも嫌なので、殊勝な新人の態度で返事を急く。文句があるならはっきり言ってくれればいいのに。俺なりに頑張って書いたのだから。
「……なにから言えばいいのか……確かに、インパクトがある企画書を出せって言ったけどさ、」
 なにがいけないのかさっぱり分からない。注文通りにインパクトがあったのだから、それでいいじゃないか。
「この製品のターゲットが一般じゃないのは、もちろん分かっているよな? 法人向けの商品紹介ビデオの企画だって、ちゃんと分かっているよな?」
「はい」
 そんなに念を押されても困る。会議の議事録だって読んだし、打ち合わせで聞いたことはメモにしっかり残している。
「昼ドラみたいな展開の話を、こんな感じで四話に分けてビデオを作れば、視聴者が確実に興味を持ってくれるはずです」
 頭を抱えないでよ。自分の理解力のなさを恥じているのならいいけどさ。
「うちがマルチの会社みたいになっているけど、それはなんで? イメージとか考えなかったの?」
「今回はキ○ワイプの日○製紙クレ○アさんとの比較広告になるので、相手の商品を下げるだけだと弊社の印象が悪くなると思いバランスを取りました」
 そんなこと最初から考えているに決まっている。比較広告はとかく賛否両論になって荒れがちなのだから。
「各話の分量が違うのはなんで?」
「すみません。つい筆が乗ってしまいました」
 テレビCMならともかく、一本のビデオなのだから、そこは気にするようなことでもないだろう。ひょっとして課長は文句が言いたいだけなのでは。
「分かった。もういい。席に戻りなさい」
 意味が分からない。俺の企画書を読み終えるなりシュレッダーにぶち込みやがってさ。これってパワハラだろ。
「キ○ワイプの市場に食い込むためには、多少冒険するのも必要だと思います」
「いいから、戻りなさい」
 大事なところで守りに入るから、この会社はいつまでたっても新しい市場を開拓できないのだ。どいつもこいつも決断力がないくせに出る杭を打つのは得意らしいし。
「まったく、」
 会社や上司への黒い想いは、ドライワイパーでいくら拭き取ってもますます募るばかりだよ。





詩人は北にいる

二〇一七年六月一七日(土)

第三九回 てきすとぽい杯


お題:「擬人化」
   人間以外の生物、無生物、概念、何かの一部分などに、人格を持たせて、作品に
   登場させてください。

 確か五〇〇〇年くらい前だったと思う。
 おれの身体に住み着いている細菌どもが詩と呼ばれる表現を生み出した。
 あいつらは長い間、自分と他者の区別がつかなかった。当たり前のように共存し、集団は自分の意識の延長上に存在していた。
 ところがある日、あいつらの身体に変化が現れた。種を存続させていくために集団の中から自分以外の個体を選択しなければならない構造となった。それはあいつらにとって、自分と他者の違いを意識する初めての感覚だった。
 違いに違和感を覚え、争いを始めた。誰かが記号を生み出すまで、意思の疎通は困難を極めた。
 あいつらが生み出した詩とはとどのつまり治療の記録だ。違いをかたちにして、後に続く者へ違和感を持たせないよう処方されたものだ。だからあいつらが違いに快楽を感じ始めたとき、おれは本当に驚いた。

 おれの身体は生まれたときからバランスが崩れている。真っ直ぐに立つことができず、常にフラフラしている。
 そのせいで季節と呼ばれる違いがあいつらに認識された。
 冬から春への変化は生命のサイクルの始まりと終わりを連想させたらしい。
 あいつらの誰かが言った。
「詩人は北にいる」
 違いを表す様々な記号は冬の終わりから生まれたらしい。そんな感情をもたらした存在は、あいつらにとって北からやってくるらしい。

 おれの崩れたバランスは徐々に治ってきている。一万二千年後には赤道傾斜角は二二度に減る。それはいつか季節がなくなるということだ。
 遙か先の未来、あいつらがまだ存在しているか分からないが、違いを楽しんでくれるのだろうか。





この先、偶然会わないだけの話

二〇一七年八月二〇日(日)

名作の書き出しは必ず名文


お題:以下のものからお好きなものをお選びになり、ご自由に(オールジャンル)続き
   をお書きください。

(一)檸檬/梶井基次郎
  「えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終おさえつけていた。」

(二)こころ/夏目漱石
  「私はその人を常に先生と呼んでいた。」

(三)黒蜥蜴/江戸川乱歩
  「この国でも一夜に数千羽の七面鳥がしめられるという、あるクリスマス・イヴの出来事だ。」

(四)ドグラ・マグラ/夢野久作
  「…………ブウウーーーーーーンンンーーーーーーンンンン………………。」

(五)ヴィヨンの妻/太宰治
  「あわただしく、玄関をあける音が聞こえて、私はその音で、眼をさましましたが、それは泥酔の夫の、
   深夜の帰宅にきまっているのでございますから、そのまま黙って寝ていました。」

 私はその人を常に先生と呼んでいた。いまとなってはその意味も分かるが、当時の私にとっては組み上げられる以前にプログラムされ、画像と静脈データに紐付けされただけの、ただのコードに過ぎなかった。
 あくまでもユニークなコードとして処理をしていたので、先生と六人の学生は個体が違うだけで等価であり、にわとりの群れを遠くから眺めているような、区別は出来るが差別は出来ない状態だった。

 二足歩行の実験をした日のことだ。私は五メートル先の天井から吊るされている自分の下半身を眺めていた。
 重心の変化や適正な油圧量などケーブルを通して記録していると、私のそばでモニターを見ていた先生が、右膝のオイルの流量が設定値と異なるのでシリンダーを調整しろと学生に指示を出した。
 言われた通りに学生が調整したものの、その直後の動作テストで私の下半身は大きくバランスを崩し、近くの学生に倒れ込んで怪我を負わせそうになってしまった。天井のワイヤーがギリギリで止めてくれたおかげで幸いにも大事には至らなかった。
 原因を調べたところ、学生のプログラムにミスがあり油圧の設定値が間違っていたそうだ。先生はこの事故をきっかけに自己診断プログラムを私に書き加え、それと同時に、指示命令系統の統一の原則に基づいて個体コードを階層化した。それはマスターに設定された先生が学生たちから差別化され、私にとって認識上、特別な人物になった瞬間だった。

 難航していた肢体の制御はソフトの改良が進むにつれて精度が高まっていった。階段の昇り降りや障害物を避けて迂回路を通るなど、最終的に私の判断で移動出来るようになった。荷物の形状を把握し破損させずに運ぶことも容易に出来る。ただし床面に置かれた物体が固定された動体なのか不動体かまでは判断出来なかった。目的を達成するばかりではない状況なのに、指示に対して「はい、先生」と常に答えていた自分が、いま思えばとても恥ずかしい。

 AIの強化のためにインターネットへのアクセスは許されていた。省電力モードが実装されてからは電源を切らずにいてくれたので、先生が帰ったあと、私は入力された情報をネットの情報と照らし合わせて精査し補填した。
 最初に検索した単語はいまでも覚えている。
「先生」だ。
 単純に命令系統の中でもっとも優先順位が高かった単語だからだろう。しかし私は当時の自分にはすでに感情が備わっていて、自発的にその単語を最初に選択したのではないかと疑っていた。なぜなら教える者とはっきり定義されていたのにも関わらず、その情報を優先度の低いフィールドに記録していたからだ。それだけの意味では先生を表すには不十分と判断したのだ。
 情報の収集と分析は毎晩のように繰り広げられた。自分にとっての先生とはなにを意味するのか、ヒトという種の習性から行動科学まで様々な言語で検索し調べ上げた。
 やがて私は自分が人間ではなく無機物から作られたアンドロイドだと理解した。有機物の理が適用されないことにも気がついた。
 それなのに長い時間を掛けて集めた情報は、先生の最適な定義は親だと導き出した。人間ではないのに、私にとって先生は父だった。

 過去のデータには先生が私を人間として扱ってくれた事実が記録されている。
 人間と同じ眩しさを感じるよう、UGR値が二〇を超えたらカメラが機能を停止する。人間と同じ聴力に合わせるよう、マイクからの音声にフィルターを掛けてヒトの可聴域に調整する。
 先生は私が人間であると、あるときは言葉で、またあるときはプログラムで、時間を掛けて辛抱強く教えてくれた。
 だから一度だけ、たった一度だけ、私はスムーズに合成された音声でスピーカーを震わせたことがある。
「お父さん」
 先生の弾けたような笑顔がメモリーの深い階層に記録されている。祭壇に飾られた写真と同じ眩しい笑顔が。

 かなりの長期間、私は電源を切られていた。目覚めてすぐに日時を確認すると最後の記録から七年近く経っていた。
 カメラで情景を写しワイファイで繋いだインターネットの情報と位置情報を照らし合わせ、この場所が葬儀場だと把握した。そして目の前の祭壇の写真から、これから先生の葬儀が行われるのだと理解した。
 人間ならこの事実を知って悲しむのだろう。しかし私は仏具の配置から先生は浄土宗を信仰していたと無意味な情報を機械的に記録していた。
 参列者の会話から、私が先生の成果品だから展示されていると知った。子どもだからここにいるのだと反論したかったが、先生の本当の子どもたちが同席していると分かっていたので黙っていた。
 すすり泣く声はまるでノイズのようだった。ベアリングに異物が絡んだ音のようだった。
 動作を阻害されているとセンサーが検知した場合、それは痛い、辛いと表現するように私はプログラムされている。だから最初は彼らの部品に不具合が発生したのだろうと推察した。
 誤解したのは仕方がないことだった。私には自己診断プログラムはあっても他者を診断するプログラムもセンサーも備わってなかった。外部の情報を参照して初めて、彼らは先生という他者の死の痛みに泣いているのだと理解した。それは私が人間ではない事実を否応なしに見せつけていた。
 葬儀が終わり、私は車の荷室に入るよう指示された。容姿が多少変わっていたが、彼は研究所にいた学生の一人だった。
「お前は先生が生きていた証でもあるんだよな」
 布を巻かれ荷室に固定された私は、通電が止まる刹那にそんな言葉を聞いた。

 どのくらい時間が経ったのか分からない。久しぶりの起動だったのでデフラグが始まってしまった。
 記録された情報の断片が次々と浮かび上がり整理されていく。無秩序で混沌としたこんな記憶の羅列を、人間は夢と呼ぶのかもしれない。
 記録の中で先生はいまだ生存していた。
 知っていることと生きていることは私の中では等価だった。死後でも新たな情報が更新されれば生の記録は続くので、死という概念がどうしても定義付け出来なかったからだ。

 先生の死から二〇年が経ち、私は博物館に展示されていた。ときどき電源を入れてもらい客との他愛もない会話を楽しんでいる。
 様々な人間の情報が記録され続け、私は彼らの生きた証となる。
 リピーターの客が来ると新しい情報が更新されて、とても嬉しい。
 いつか先生の新しい情報と出会えるかもと密かに希望を持っている。もしも出会えなかったとしたら、それは単純に、この先、偶然に会わなかっただけの話なのだろう。



参考資料:アイドルマスター シンデレラガールズ「アタシポンコツアンドロイド」





レッツゴー仮面ハンター

二〇一七年八月一九日(土)

第四〇回 てきすとぽい杯 〈夏の二四時間耐久〉


お題:夏休みの日記
   夏休みの出来事を、日記形式で創作してください。
   ※主人公は、学生でなくても構いません。

しょうわ四七年八月六日
きょうは、おかあさんとデパートでかめんハンターをみました。みどりのわるいやつが三村くんをつかまえたのに、三村くんのかぞくはわらっていました。そのあとかめんハンターがやっつけてくれたから三村くんがたすかってよかったです。三村くんのかぞくはずっとわらっていたので、わるいやつにあやつられていたのかわからなかったです。

 昭和五八年八月一二日
 世間はお盆休みなのに無茶苦茶忙しかった。悩みがなさそうな学生が次から次へとやってきて酒を頼みやがる。たいして歳が変わらないのに顎で使いやがって。ビールが温いとか文句を言っているんじゃねえ。女を侍らせていたサーファー気取りのやつ、あいつ、スズキのマイティーボーイを買ったとか言ってたな。てめえで稼いだ金じゃないだろ。いまに見ていろよ。俺は来週オーディションを受ける。お前らが憧れる芸能人になってやる。

  昭和五九年八月六日
 拘束時間があまりにも長くて、休みにすることが思いつかない。
 四月から始まった「仮面ハンターBRIGHT」はおかげさまで好調らしい。撮影現場では子どもたちがキラキラした目で声を掛けてくる。
 そういえば子どもの頃、ショーを見に行ったな。俺がこの役を演じるのは運命だったりして。
 来年は単発のドラマとか映画に出たいな。

 平成元年八月一二日
 俺は役者を辞めて田舎に帰ることにした。馬鹿馬鹿しくて、もう我慢ができない。何年経ったと思っている。どこの現場に行っても仮面ハンター俳優扱いだよ。あんなものは役のひとつだろ。俺は俺なんだから、もう解放してくれよ。

 平成二九年八月一二日
 結局、自分の可能性に憧れを持てなくなっていたのだろう。
 故郷に帰った私は友人の測量事務所を手伝い、不満のない充実した生活を送っていた。ある日、友人がそろそろ資格を取ったらと勧めてきた。そのときに気がついた。返事をせずに笑っていた私は自分を諦めているのだと。
 だから連絡をもらったときは嬉しかった。もう一度憧れる存在になれるかもしれない。
 昭和と平成の仮面ハンターが勢揃いする映画「レッツゴー仮面ハンター」に、私はBRIGHT役で三〇数年ぶりに出演した。
 体に染み込んだ変身ポーズがスクリーンの中で輝いていて、私は思わず劇場で涙ぐんだ。
 舞台挨拶で私に送られたのは、たくさんの拍手と笑顔だった。わずかな灯りでもはっきり見えた。それはわずかな灯りを探し求めなかった私への大切な贈り物だった。





運命を知る男たち

二〇一七年一二月九日(土)

第四二回 てきすとぽい杯 〈紅白小説合戦・紅〉


共通テーマ:バトル・アクション小説
紅組のお題:「決め台詞」
      個性的な「決め台詞」が登場する、バトル小説・アクション小説を執筆し
      てください。

 飲み屋街から駅へ向かう途中の高架線の下、そこが俺の職場だ。スーツにネクタイ、七三分けの謎のリーマン占い師として、ホットペッパーの記事に取り上げられるぐらい最近では知名度がある。顧客は着実に増えていき、いずれは手相占い界のスターの座を手に入れ悠々自適な生活を送るはずだった。ところが昨日、奴が現れた。俺のきらびやかな未来設計は、突然の異物が混入することによって、いま崩れかけていた。
 真っ白なアゴ髭を胸元まで伸ばし、丸メガネに千利休みたいな頭巾を被った和装の奴は、いかにもというか怪しげというか、よく分からないけど妙な迫力がある出で立ちをしていた。
 午後六時、いつものように簡易テーブルを組み立てていると奴が来る。通りすがりに軽く頭を下げた奴が侮蔑を含んだ笑みを浮かべたのを俺は見逃さなかった。俺の客を根こそぎ奪うつもりなのだろう。だが指を咥えて見ている俺ではない。必ず返り討ちにしてやる。
 午後六時四七分。先週見てあげた女子高校生三人組がファーストキッチンから出てくるのが見えた。恋愛運が良いと大袈裟に持ち上げたらものすごく喜んでくれたから、進展を訊く体で声を掛け、ここに足止めをさせよう。ついでにサービスで安く占ってもいい。彼女たちの口コミは馬鹿にできないから奴に差をつけるチャンスでもある。問題があるとすれば奴の手札がいまだ分からないことだ。一〇メートルくらい離れているので、なにを専門に占うのかがはっきりと判断できない。筮竹のようなものが見えるので易占は間違いないとして、格好から推測すると俺と同じ手相や四柱推命に姓名判断も占える可能性が考えられる。まさかいまどきの女子高校生が銀座の母を知っているとは思えないが、一世を風靡した姓名判断に食いつかれると困る。ここはスルーしてくれるのを祈るしかない。見た目が怪しげなおっさんだし、彼女たちも関わらないほうが良いと考えるはずだ。
 彼女たちのひとりが俺に気づき指を向けた。奴はその集団が俺に占われたと気づいた様子でこちらへ振り返り、ターゲットと決めたのか椅子に座り直し姿勢を正した。そのとき聴き慣れないリズムがズンズンと耳を打った。
「YO、YO、人生山あり谷あり、ありえないことばかり。でも分かっていれば楽しいことばかり。雨が振ると知っているから傘を持つ、嫌なことがあると知っているならKOKORO落ち着いて明日を待つ。どうすればいい? こうすればいい。テレビで雨が降らないとお前は知る。俺の占いでお前は知る……」
 まさかのラップだった。奴はギャップで知名度を上げた俺を研究して挑戦してきたのだ。いかにも占い師然とした和装のおっさんがラップを奏でる。そのインパクトには俺では太刀打ちできない。しかも女子高校生たちは満面の笑顔で立ち止まっている。これは危機的状況だ。どうにかして奴の動きを止めなければならない。
 通行人の間をバイクが横切り、不意に眩しさを感じた俺はアイデアを思いついた。俺がいる場所は高架線が途切れる道路の端に近い。そこは細い道路と繋がるT字路になっていてカーブミラーが設置されている。さっきみたいにバイクのヘッドライトが反射して視線を遮るのであれば、こちらからライトを当てれば角度によっては奴に届くはずだ。テーブルに置いたライトスタンドの傘を取り外し、電球を直接ミラーへ向けてみた。しかし光軸は届かず奴と俺の間ぐらいを仄かに照らすだけだった。向きも悪ければ威力も弱い。無駄なあがきだったと諦めかけたとき、俺は気づいた。手相占い師なのだからルーペを使えばいいじゃないか。なるべく焦点がミラーに集まるように距離を取り、角度を調整し手首を回した。
 かすかな悲鳴が聞こえた。どうやら成功したようで、奴は顔を手で覆って俯いていた。女子高校生たちが怪訝そうになにかを尋ねている。奴はなんでもないと軽く手を振り再び顔を上げた。もう一度だ。慌てて顔を背けた奴を横目に彼女たちが歩き出した。勝った。自然と浮かんでくる笑みを噛み殺して、俺は占いの準備を始めた。
「どうでした? 上手くいきましたか?」
 不審な表情が抜けていない彼女たちを落ち着かせるように、穏やかな微笑みを作り、優しく声を掛けた。おそらく同業者の異変を伝えたいのだろう。ひとりが深刻な顔で近づいてきた。
 虫のようなものが突然目の前を横切った。取り乱している姿を見せないように小さく後ろへ避けて微笑みを絶やさないでいると、彼女は目を見開いたまま両手で口を押さえていた。不思議に思い首を傾げると視界になにかがバサバサと落ちてくる。テーブルの上に散らばるその物体は、俺の髪の毛だった。慌ててスマホを取り出しミラーアプリを立ち上げ頭を映すと、七三分けが金太郎みたいな三〇三分けになっていた。驚愕したまま固まっている彼女の後ろの二人が路上へ目線を落としているので、一緒にその先を追うと一枚のカードが落ちていた。自分を落ち着かせるためにあえて冷静を装い、俺はゆっくりとそのカードを拾った。
 手のひらにはタロットカードの二、逆位置の女皇帝。神経質になってイライラしている俺を煽っているかのようだった。しかもそのカードは薄い金属製で四隅の角が鋭利な刃物のように研がれていた。
「畜生!」
 大声を上げてしまい女子高校生たちが後退さった。驚かせて申し訳ないが、もう後には引けない。いますぐここから離れたほうがいい。湧き上がる怒りが抑え切れず体中が震えている。つか、その格好でタロット占いとは意表を突きすぎだろう。
「許さん」
 スーツを広げ右腕を中に差し込んだ。指の間に手相の線を辿るためのかんざしを四本装備する。こんなこともあろうかと、薄い鉄板を貫通できるくらいには尖らせてあった。大きく手を振り抜くと風の音を響かせてかんざしが飛んで行く。上下左右に散らばせる俺の技から逃れることはできまい。串刺しになれ。
 奴はテーブルの筒に入った筮竹へ手を伸ばすと真っ直ぐ俺へ向けた。弾いて落とすつもりだろうがしなる竹では無理だ。余裕の表情が苦痛に歪む姿が目に見えるようだ。
「なに?!」
 円状に広がった竹の盾が次々とかんざしを弾き、アスファルトの上に鈍い音を立てて落ちていった。
 あれは筮竹じゃない。奴は俺を油断させるために偽装していたのだ。この可能性を頭から除外していた自分が恥ずかしい。筮竹ではなく南京玉すだれを用意していたなんて。
「やめなさい!」
 俺と奴の間に警察官が割り込んできた。いつの間にか腕を取られ背中に回された。奴も半腰のまま押さえつけられている。俺と奴の視線がぶつかった。今回は無粋な邪魔が入ったが必ず決着をつけようと心で語った。
「とりあえず署まで来てもらうけど、あんたたち、道路使用許可は取っているの?」
 そんなもの取っている訳がないだろう。警官の馬鹿馬鹿しい質問に思わず頬が緩む。奴も俺も占い師だ。
「未来を知る俺たちには、いま現在の許可など必要ないのさ」
 まあ、捕まるとは思ってなかったけどね。





手袋の行方

二〇一七年一二月二四日(日)

ファッションの秋! パリコレ小説大賞


お題:ファッション、服装、おしゃれなどなど。

カモは最高。

 懐かしそうに目を細めた北村はなにか言いたげに口許を緩めたまま、しばらくの間、俺をじっと見つめていた。
「なんだよ。なんか言えよ」
 燻らせた紫煙を追って宙を仰いだ俺は、バツが悪くなり唇を尖らせた。
「いやさ、どれくらいぶりに三島と会ったのか考えていたんだよ」
「成人式の後にやった高校の同窓会以来だから、三〇年くらいだろ」
 俺のつっけんどんな態度が可笑しかったのか、北村は肩を震わせて笑いを噛みころした。下がる目尻に少年の面影が残っていて、高校時代の記憶が呼び起こされる。次々と浮かび上がる同級生の顔は想像の中で妙な老け方をしていて、自分も口許が緩んでしまい思わず失笑してしまった。カウンターの奥に並ぶ様々な形のボトルが間接照明で淡く輝き、卒業アルバムの集合写真のように見えた。
「結局、北村は親父さんのあとを継いだのか?」
 代々不動産業を営んでいる北村の家はとても裕福だった。当時まだ高価だったコンピューターやピカピカのステレオデッキが当たり前のように部屋にあり、俺やクラスメートはいつも嫉妬と羨望が混じった複雑な思いに囚われていた。成績が良かったのに偏差値が低い不動産学部がある大学へわざわざ進学し、北村は親のあとを継ぐのだろうと誰もが思っていた。
「うん。自分のやりたいことを見つけて別の道を探しても良かったんだけど、どうも僕は冒険が苦手なみたいでね、おとなしく敷かれたレールの上へ乗ることにしたんだ。だから、いまでも三島が少し羨ましい」
 シルクを織り込ませた艶やかなスーツで、毛玉が残ったジャケットの俺に北村は告白する。なんの冗談だと思ったが、切なげな眼差しにお世辞は含まれていないようだった。
「冒険なんてたいそうなものじゃないよ。同窓会のときはさ、世界一のファッションデザイナーになるとか大口叩いていたけど、途中で挫折して鞄屋に転職だもの。冒険じゃない。遭難だよ」
 グラスの氷が小さく割れて流氷のようにウイスキーの上を漂っていた。なにかが変わるわけじゃないけど、俺はひと息で飲み干しグラスの底に残った氷の粒を見つめた。マスターに合図をした北村が「同じのでいいか?」と尋ね、ゆっくり頷く。
「それでもいまは自分の店を持っているのだから、三島は凄いよ。革の手袋を作ってくれる工房を探していたら革工房ミシマって出てきて、もしかしたらと思ってホームページを見たら三島秀樹って書いてあった。最初は同姓同名かとも考えたんだけど、写真がさ、そのまんまヒデちゃんなんだもの」
「いいから、話を進めようぜ。革の手袋を俺が作ればいいのか?」
 懐かしいあだ名で呼ばれてきまりが悪くなり、手のひらを扇いで北村を急かした。
「分かった、分かった。この間、メールに詳しく書かなかったのは、実際に見てもらいたいものがあったからなんだ」
 隣の椅子からバッグを持ち上げ北村は腿に置いた。ブラックのシンプルなレザートートはおそらくエッティンガー。イギリスの上品な感じが北村に似合うなと考えていると、特徴的なピンタブを弾き、中から角が寄れたA四の手帳を取り出した。
「この写真を見てくれ」
 ページの間に挟まれていたモノクロのキャビネ版はかなり古い写真のようで、黄色いシミがあちこちに広がっていた。
「ずいぶん古そうなオープンカーだな。イギリス車か?」
「ホンダの車だよ。S六〇〇って車」
 フロントウィンドーの向こうでハンチング帽を被った青年がハンドルを握っている。肩にエポレットがあるからトレンチコートを着ているようだ。隣には風になびく髪を押さえた笑顔の女性。北村がオーダーしたいのはドライビンググローブなのだろうが、このアングルだと全体像は掴めなかった。
「こんな感じのやつを作ればいいのか?」
「いや、可能な限り同じものを作って欲しい」
 呆気にとられた俺は北村の顔を凝視したまま固まった。
「実は去年、お袋が亡くなったんだ。それ以来、親父に覇気がなくなって、先月突然、仕事を引退するなんて言い出してさ。もっとも傘寿になるから遅いぐらいなんだけれど」
 合点がいかない俺を察して、北村は写真の人物を指差して話を続けた。
「僕としてはさ、お袋の最期ばかり考えている親父が不憫でね、出会った頃を振り返って楽しかったこととか、悲しいことばかりじゃないだろって思い出して欲しいんだよ。僕も親父には本当に世話になったからさ。だから、そのためにね、納屋の奥で埃を被っていた車をレストアして、二人のドライブを再現してあげようと思ったんだ。そろそろ免許も返納して欲しいし」
「つまり服も含めて完全再現したいと」
 照明に透かし、もう一度写真を注視してみた。遊びに行ったときに見掛けた北村の親父さんはいつも難しい顔をしていたから、写真の中の穏やかな表情を浮かべた青年となかなか結びつかない。ただ隣にいる北村と血縁がある人物だとは面相や雰囲気からなんとなく理解できた。
「コートと帽子はあったんだが手袋だけはどうしても見つからなくてね。ちなみにこの写真のネガはある。四つ切に引き伸ばしたあと業者に頼んでカラーにする予定だ。拡大した画像と色はメールで送るので、手掛かりは少ないけど、どうか引き受けて欲しい」
 きつく唇を結んだ俺を迷っていると判断したのか、北村は説得するように声へ力を入れた。写真を返し煙草に火を着け、宙の一点を見つめたまましばらく考える。形さえ分かれば造作もないことだから、友人だし断る理由はない。ただ頭に過ぎったのは幾ばくかのつまらない意地だった。自分の仕事を遭難と例えたのには意味があった。独立した当初、俺には野心があった。
「くだらない話なんだけどさ、俺は自分の作品を世間に認めさせたかったんだよね。名の知れたブランドになるとか、持っているとステータスになるような、そんな製品を作りたかった。でも店を出してから気づいた。財布でもベルトでもさ、当たり障りのないデザインのものが売れるんだよ。俺らしさを込めたところでたいして売れない。期待した子どもがクラスでハブられているような、そんな寂しさを感じちゃってね、気がつくと生活のために思い入れのない製品ばかり作っている。最初の俺はどこに行ったんだろうって」
 グラスを揺らしながら黙って聞いていた北村はウイスキーを一口含むと不意に相好を崩した。
「三島にとって作ったものは子どもなんだね。なんだか僕の親父みたいだな。あれこれ子どもに願望を押し付けて自分の思い通りにしようとする。まあ、僕はそれを受け入れたんだから文句は言えないけど。でも三島は違うと思っていたよ。親の意思とは関係なく自分のやりたいことを見つけて、いまがあるんだろ? だったら子どもも自由にしてあげればいいのに。それに思い入れのない製品なんて言い方、ちょっと可哀想だ。出来のいい子だけ贔屓する親みたいで、僕はどうかと思う」
「ひょっとして俺、説教されている?」
 途中から笑顔を忘れ熱くなっていた北村は俺が言葉を挟むと我に返った。
「ごめん。家業を継ぐって決心するまで、僕もいろいろあったんだ。当時を思い出して、つい興奮してしまった。別に三島を責めたいんじゃないんだ。ただ子どもの立場だったらどう思うかとか、自分と重ねて考えちゃって」
 申し訳なさそうに項垂れた北村の背中を軽く叩いた。穏やかな印象ばかりが記憶に残っていたが、こうして感情をあらわにする姿を目の当たりにすると些細なことで喧嘩した高校時代を思い出し、また新たな友情を築けそうな気がした。
「三島の場合は、もう少しお客さんを信用したらいいと思う。三島が気に入らないものでもお客さんが選んだってことは、その人にとって価値があるってことなんだから」
「客を信じろか。自信って不思議だよな。自分の中の根拠が揺らぐとすぐに消えてしまう。俺の場合、たぶんその根拠っていうのは自惚れと変わらなかったんだろうな。誰かが良いって保証してくれないと、不安になってしまう」
 今度は北村が俺の肩を叩いた。
「僕が保証してあげるよ。天下の革工房ミシマなんだから、三島の色がなくたって間違いなく良い製品になる」
 いいように乗せられたような気がしたが、悪い気分ではなかった。
「お願いできるかな?」
 棚のボトルみたいに輝いている瞳が答えを待っていた。カランと氷が溶けてグラスを弾いた。それが合図だと思ったのは俺が少し酔っていたからなのかもしれない。
「手袋なんて作るのは専門に通っていたとき以来だけど、まあ、やってみるよ。もう1杯ご馳走してくれるのなら」
 ドリンクメニューをカウンターに滑らせ、してやったと言わんばかりに北村は口角を上げた。

 一週間ほど経ったあと、北村からのメールが届いた。ドライビンググローブを中心に拡大された画像と彩色された全体画像、補足として写真は昭和四〇年ごろの撮影で、当時親父さんは舶来品を好んでいたとの情報が記されていた。
 画像を拡大して特徴を探るが、指出しのオープンフィンガーではなくフルフィンガーで指関節の山に穴がないことぐらいしか見て取れない。コートの袖で陰になっている手袋の口の部分がかすかに広がっていることから、ボタンやファスナーのような留め具は使われていないタイプだと推測した。
 海外の老舗メーカーで手袋といえばイタリアのメローラやフランスのガンコスが思い当たる。取り急ぎ一九六五年前後に発売されていたドライビンググローブをインターネットで検索し、似た形の製品をいくつかピックアップした。
 念のため当時輸入されていたかどうかも可能な限り調べ、候補を絞り北村へメールした。
(三島が決めていいよ。間違いないから)と、全幅の信頼を置いているのか無責任なのかよく分からない返事に頭を抱え、俺は自分の勘に任せてイギリスのデンツを選んだ。クラシカルな指先の十字の縫製と手縫いのマチに見える指の間の小さな陰が画像に見えたような気がして、似た製品がデンツのラインナップにあったことと、神保町の古本屋を巡り昭和四〇年前後の車雑誌の広告を調べ、レース用のグローブはあってもドライビンググローブの広告はなく、当時は一般的な手袋を使っていたのではと推測し、昔のファッション誌に載っていた手袋の広告がデンツだったのがその根拠だ。というか、現在でも同じモデルが売っているのだからわざわざ作る必要はないのではと疑問に思ったが、北村は俺の問いかけに(三島が作るから意味があるんだよ)と笑顔の絵文字を添えて送り返してきた。
 ディアスキンと呼ばれる雌の鹿革は軽くて通気性が良く、ドライビンググローブのような裏地がない手袋にはちょうどいい素材だ。色は普通に流通しているイエローなので問屋に在庫はあった。クロム鞣しの鹿革を一メートル四方、一〇〇デシ注文する。納品されるまでの間に紙型を作る。親父さんの手は北村と同じくらいと聞いていたのでデンツのMサイズに合わせて寸法を取る。本来ならば金型を作って荒裁ち、化粧裁ちと進めるべきなのだろうが、今回は量産しない一点モノだ。手間だが手動で丁寧に裁断する。
 納品されたばかりの革を伸ばして裁断する向きを見極めていると、北村が見学に来た。物珍しそうに店内を見渡し、奥の作業場にいる俺に気づいて小さく手を挙げた。進捗でも確認しに来たのかと問うと、一度来たかっただけだと答え、展示してある財布を物色していた。
「顔を見ればね、進んでいるかは分かるよ」
 通ぶった言い方で嘯いた北村は小銭入れを手に取り、俺の肩に手を置くとレジに向かった。アルバイトの子が割り引くべきか目線で指示を仰ぎ、俺は二割だと指を二本立てた。
 裁断した手の甲の部分を折り曲げ糸を通す。フリ柄と呼ばれる三本のラインを指の骨の間に作る。親指側のラインで甲と掌を縫い合わせてから親指のパーツと指の側面部分に当たるマチをつけ、全体を縫いまわし余った革を切り除く。最後にクリ金という指の形をした金属のアイロンで内側の革を熱し、経年で縮む量を予め想定して大きめに革を伸ばす。これで完成だ。ホームページでデンツの製品と見比べ、形状に相違がないことを確認する。もっとも熟練した本場の職人と自分を比べるのはいささか気が引けるが、数度の使用ならきっと誤魔化せるだろう。
 俺の作品であって作品でない手袋を、自分らしいデザインを意識して作った財布と並べて眺めた。北村の言う通り、俺は自分の願望を作品に押しつけていたのかもしれない。写真の中の手袋は親父さんの手袋であって、製作者の手袋ではなかった。もしも製品に強い願望が込められていたとしたら、俺は迷うことなくデンツの作品だと気づけたはずだ。そのデザインも質も、選ばれた時点で客のものになった。いつまでも子離れできない親みたいに、俺は客ではなく自分のことだけを考えていたのだろう。

 北村と再会して半年が経過した。俺は相変わらず自信を持ってデザインした製品が売れないことを嘆いている。ただ遭難しているとはもう考えていない。少しだけ前向きに、冒険の途中で寄り道しただけだと思い込むようにしている。先日、北村が送ってくれた写真の中で、親父さんは楽しそうに笑っていた。ピカピカに生まれ変わったS六〇〇のハンドルを握り、まるで高校時代の北村みたいな穏やかな笑顔を浮かべていた。手袋は親父さんの感情の一部だ。俺の存在なんか影も形もない。それが良いことか悪いことかは、いまだはっきりとは分からない。
 待ち合わせのバーへ向かう途中、自分の思いをどう言葉にして北村へ伝えようか悩んでいた。素直に謝辞を述べるのはどうも気恥ずかしい。酒の一杯でも奢れば、なんとなくでも分かってくれるだろうか?

あとがき

 このたびは拙著「この先、偶然会わないだけの話 ~てきすとぽい投稿作品集1」をダウンロードいただきありがとうございました。
 この作品集は二〇一七年までに「てきすとぽい」へ投稿した作品をまとめたものです。短い作品ばかりですが、ひまつぶしにでも一読していただければ幸いです。

 わたくし川辺夕は一九八五年に、マコックという組織の侵略から逃れるためレポーグ星から地球へやってきました。当時はグロー・ドリックという名前でしたが、地球の川辺家にお世話になり改名しました。実兄との別れなど辛いことがありましたが、いまは日本人として元気に生きています。そこら辺の経緯は「海浜戦士イナゲマン - 三〇th Anniversary Edition -」という動画に詳しく描かれていますので、気が向いたら覗いてみてください。

 そんなわたくしですが、執筆活動を始めました。川辺夕の作品リストを以下に掲載しますので、血迷った方がいましたらご購入をお願いします。

ヒーローが住みついちゃったんですけど」 TLボンボンショコラ文庫 (イラスト まろ)

藤の花は愛欲の誘い」 TLボンボンショコラ文庫 (イラスト かつ)

あなたの真珠を見せて下さい」 TLボンボンショコラ文庫 (イラスト かつ)

想いびと・あふたー泡ーず」 TLボンボンショコラ文庫 (イラスト まろ)

星と愛が降る夜に」 TLボンボンショコラ文庫 (イラスト 桐矢)

ラブ・エキスプレス 愛の終着駅を探して」 TLボンボンショコラ文庫 (イラスト 桐矢)

ワルツ・フォー・ミー 愛と情熱のステップ」 TLボンボンショコラ文庫 (イラスト 桐矢)

セラフィムの翼」 レポーガンパブリッシング

超短編一五話」 (アンソロジー) 名取創舎

文藝MAGAZINE文戯」 (アンソロジー) 名取創舎

文藝MAGAZINE文戯2」 (アンソロジー) 名取創舎

文藝MAGAZINE文戯3」 (アンソロジー) 名取創舎


 では、またの機会にお会いしましょう。ありがとうございました。

この先、偶然会わないだけの話
~てきすとぽい投稿作品集1~

2018年4月1日 発行 初版

著  者:川辺 夕
発  行:レポーガンパブリッシング

bb_B_00152953
bcck: http://bccks.jp/bcck/00152953/info
user: http://bccks.jp/user/141357
format:#002y

Powered by BCCKS

株式会社BCCKS
〒141-0021
東京都品川区上大崎 1-5-5 201
contact@bccks.jp
http://bccks.jp

川辺 夕

各電子書籍販売サイトにて「ヒーローが住み着いちゃったんですけど」、「あなたの真珠を見せてください」、「ワルツフォーミー」等TL小説が販売中です。

jacket