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 本書はイングランド諸島に棲む異郷の住人たちを紹介した小さな辞典です。本作を開いて、妖精たちの棲む常若の国に触れてみませんか?

 異教の神々であるトゥアハ・デ・ダナーンが、もはや敬われず供物も捧げられなくなって、人々の想像の中で次第に小さくなったのが妖精だ 
 
アーマーの書より抜粋

妖精小辞典

ナマケモノ

けもの書房

CONTENTS

Dragon―ドラゴン

Catstih―ケットシー

Selkise―セルキー

Kelpies―ケルピー

Silky―シルキー

Brownie―ブラウニー

Leprahaun―レプラホーン

Beansi―バンシー

妖精に関する豆知識

参考文献

DRAGON―ドラゴン

 ドラゴンと言えば、みなさんは西洋の竜と東洋の龍を思い浮かべるのではないだろうか? 西洋の竜はファンタジー世界でお馴染みの翼が生えたドラゴンで、東洋の龍は水を司る神の龍。
 竜は太古から水と関係が深く、また蛇とも同一視される。どちらかというと農耕文明の起こりと共に水の神として祀られていた蛇が、龍になったと言い換えるべきか。西洋の竜は東洋の竜と違って悪の化身と思われがちであるがそうでもない。
 カドォウケスという2匹の蛇が1つの杖に絡まり合ったシンボルをご存じだろうか? 知恵のシンボルとされるこの杖はギリシャ神話に出てくる伝令の神ヘルメスの持ち物であり、医療関係のあらゆる場所で象徴的なシンボルとして使用されている。
 エデンの園に出てくるイヴをたぶらかす蛇も、グノーシス主義においては知恵の女神ソフィアが我々人類を無知から救うべく遣わした聖なる動物である。彼らは悪である物質世界から人類を救うためにイヴに知恵の実を食べることを迫るのだ。
 西洋において竜の原型たる蛇は人類から楽園を奪った罪人であると同時に、人類に知恵を与えた叡智の象徴でもある。
 また豊穣とも関係のある竜は渦巻き模様となって世界各地の文明に残っている。ケルトの有名な渦巻き模様は水と関係の深い蛇を表し、それらが後の世になって聖人の守護する聖なる泉のイメージへと変化していったという。
 日本のしめ縄もカドゥウケスと同じく2匹の蛇が絡まり合った混合を表す象徴だとされている。日本では縄文時代から蛇の信仰を土器の中に見ることができた。日本でも蛇は水と深い関係があるとされ、これを制することは即ち治水を意味する。
 クシナダ姫を助けるためにスサノオが、ヤマタノオロチを酒で酔わせて首を切り退治してしまう話はあまりにも有名だ。ヤマタノオロチは出雲川の化身であり、スサノオは暴れ狂うその化物を知恵を持って平定する。古来より治水は農耕になくてはならないものであり、それは人々を支配する者の務めでもあった。
 さて、話を西洋のドラゴンに戻そう。
 あの有名なアーサー王も竜と関りが深いことをご存じだろうか。
 夢魔の子である魔法使いマリーンが幼かった頃、ブリテンはヴォティーガーンによって治められていた。彼は正当なる王位継承者であるアーサー王の父ウーサー・ペンドラゴンとその兄弟ユーサーを追放し王位に治まっていたのだ。この2人に対抗するために、ヴォティーガーンは堅牢な塔を建設する。だが、いくら塔を建てようとしても石組みは崩れるばかり。困り果てた王が占い師に相談したところ、父親が人ではない子の血で土台の角石を濡らさなければならないと助言を受ける。
 そうして王のもとに連れてこられたのが幼いマリーンだった。だが生まれながらにして魔術師である彼には、塔が崩れる本当の原因が分かっていた。
 その理由をマリーンは王に告げる。
 塔の下には巨大な2匹の竜が棲む洞があり、竜たちが暴れるたびに塔が崩れるのだと。王が幼子の言葉を信じ塔の下を掘らせると赤い竜と白い竜が現れ、お互いに戦いだした。
 赤い竜は白い竜に殺され、白い竜もまた姿を眩ましてしまう。
 この2匹の竜はブリテン島におけるケルト民族とゲルマン民族の闘争を象徴しているという。 赤い竜はケルト民族を表し、白い竜はゲルマン民族を表す。
 赤い竜が負けたことはブリテンがゲルマン民族に支配されることを象徴しているという。
 この赤い竜はウェールズの国旗にもなっており、ケルト民族を守護する存在とされている。

Catstih―ケットシー

 猫は太古から人間のパートナーだった。いや、人間は太古から猫の奴隷であったといえるかもしれない。人と猫の関係は、はるかエジブト文明まで遡る。ナイルに抱かれた肥沃な地で農耕はおこなわれるようになり、そこに集う鼠を求めて集落に定着した野生のイエネコが、飼い猫たちのルーツだという。
 古代エジブトにおいて猫は女神バステト神の使いとされ、人に飼われていた犬よりも丁寧に埋葬されていたそうだ。
 やがて猫たちはローマ帝国の商人たちによりヨーロッパにもたらされ、世界中へとその生息範囲を拡大させていく。北欧で美の女神フレイヤの橇を引いていたのもノルウェーの森に生息していたというノルェージャンフォレストキャットだ。
 日本では仏教と共に猫が伝えられ、仏典を鼠から護る聖なる動物として扱われていた。貴族の位にも猫がつく官職があったというのだから驚きだ。
 スコットランドとアイルランドには妖精猫(ケット・シーもしくはカット・シー。カットは猫の意、シーは妖精を意味する)と呼ばれる猫たちがいる。妖精に飼われているとされる彼らは猫の王ともされ、その姿は犬のような大きさで毛は黒く、胸に白い斑点があり、背は弓状に曲がり、毛が逆立っているという。これは怒っている妖精猫たちの姿だとも言われている。
 ケットシーたちは人語を解すると言われ、彼らの正体を知りたければその耳を少し傷つけてやるといいらしい。その猫がケットシーならば、猫たちは自分たちの耳を傷つけた人物を人の言葉で罵るからだ。
 ケットシーたちは自分たちを傷つけた相手に対して容赦のない報復も行うという。
 アイルランドには猫の王イルサンと詩人の長シャンハンの話が伝わっている。
 偉大な詩人シャンハンが詩人の長となったとき、コノハト王は彼のために盛大なる宴を催した。だがシャンハンはその宴が気に入らず、出されたご馳走にすら手をつけようとしない。見かねた少女が卵をシャンハンに勧めるが、鼠がその卵を食べてしまったのだ。
 鼠の蛮行に怒った詩人は、これは猫たちが鼠狩りを怠けたせいだと猫の王イルサンを罵倒する詩を謡う。イルサンの一族は怒り狂い、一族の長であるイルサンはシャンハンを連行すべくコノハト王の宮殿に姿を見せるのだ。
 牡牛のように逞しい巨大を備えたイルサンはシャンハンを咥えその場から去っていく。シャンハンはイルサンを宥めようとするが、イルサンは彼の言葉に耳を貸そうとはしなかった。そんなシャンハンを鍛冶屋をやっていた聖キランが救い出す。
 彼はコノハト王の祝宴を無駄なものとしないために、イルサンの脇腹に焼けた鉄棒をお見舞いするのだ。イルサンはこれにより息絶えシャンハンは救われる。
 だが、シャンハンは反省することなくイルサンに襲われたのはコノハト王のせいだと王を非難する詩を謡ったそうだ。この出来事から、詩人に非難されないために王たちは、今まで以上に詩人たちに敬意を表すようになったという。
 古代アイルランドにおいて情報を伝達する役割を担っていた詩人は、下手をすると王よりも丁重に扱わなければならない存在であった。この言い伝えは、そんなアイルランドの詩人の地位を今に伝える話だともいえる。
 さらに猫たちは人間のように王国を持っているという。
 とある男が猫たちの葬儀を目撃する。猫たちの会話に耳を傾けると、なんと猫の王が死んだというではないか。男が妻にその話をすると、側にいた飼い猫が次の王は自分だと叫び煙突へと駆けのぼって2度と戻ってこなかったという。ひょっとしたら、あなたの飼っている猫も猫の国の住人なのかもしれない。

Selkise―セルキー

 水は人の還るべき場所なのかもしれない。この惑星は水で満たされ、生命はその水を源泉として生まれてきた。羊水で満たされた哺乳類の子宮は原初の海の再現ともいえるし、その点において女性は体内に海を抱いているのかもしれない。
 海からやってくる人ならざる者たちが、女性として描かれることが多いのも気にかかる。ユング心理学において深い海や森は人々が共通して持つという集合的無意識を表し、そこからやってくる無意識の使者(アニマもしくはアニムスと呼ばれる理想の女性像及び男性像の事)は女性の姿をとることが多い。もっともこれは、男性の側から見た心の内面のイメージのことを表しているが。
 水に関係の深い女性像の中で主流なものと言ったら、人魚が挙げられるのではないだろうか。 特に海に囲まれた島々には人魚の伝説が多く残っている。
 ヨーロッパの人魚たちの原型は、古くギリシャのセイレーンまで遡ると言われている。セイレーンたちは美しい歌声で船に乗る者たちを海に引きずり込む魔性の存在だ。
 イングランド諸島にも多くの人魚たちがいる。
 マン島の支配者であり、海神マナナーン・マクリールが治める常若の国は海の底にあり、そこには彼に仕える美しい海の乙女たちが棲んでいるという。
 アイルランドにはメロウと呼ばれる赤い帽子を被った人魚たちがいる。彼女たちには夫がおり、雌のメロウが人間の女に近い容姿をしているのに比べ、雄のメロウは全身緑色で醜い容姿をしているという。彼らはとても陽気であり、人間と酒を飲み交わすほど社交的な性格をしている。
 人の魂を集めることが好きなメロウもいる。
 ジャック・ドハーティにはメロウの友達がいた。このメロウはクマーラといいジャックのお爺さんの飲み仲間だった。クマーラはジャックを海底の家に呼び寄せるほど社交的な性格をしていた。
 彼の家には漁師たちの魂が入った籠があった。海が荒れるとクマーラは自分で編んだ籠を海にばら撒く。そうすると海で溺れ死んだ漁師たちの魂が、あたたかな籠の中に入るというのだ。彼はその魂たちが逃げないように籠を逆さにして置いていた。
 漁師たちの魂を何とか開放したいと思ったジャックはクマーラを酔いつぶらせ、籠から彼らの魂を救うことに成功する。その後も彼とクマーラの交友は続いたが、いつの日かクマーラはジャックの前に姿を見せなくなってしまった。
 またアイルランドには日本の羽衣伝説と似たメロウの逸話が残っている。あるメロウが地上に遊びに来たことがあった。たまたまメロウを目撃した男が彼女に一目ぼれしてしまい、彼女の赤い帽子を隠してしまう。
 帽子を隠されるとメロウは海に戻れなくなってしまうのだ。泣きじゃくるメロウを宥め、男はメロウを妻にする。2人の間には子供もでき幸せな時間が過ぎるが、ある日メロウは帽子を見つけ海へと帰ってしまった。
 スコットランドにもこのメロウと似た話が伝わっている。
 スコットランドの人魚はアザラシの姿をしているという。
 スコットランドの北東部沖にいるセルキーは大アザラシの皮を纏った妖精だとされている。これらのアザラシ人間たちもアザラシの皮を脱いで陸に上がることがあり、その皮を隠されると海に戻れなくなるのだ。
 ある男がそんなセルキーの女に一目ぼれし、彼女の皮を隠して妻にしてしまったことがある。 男が妻にしたセルキーには夫があったが、彼女は自身のアザラシの皮を取り戻さない限り海には戻れない。仕方なく彼女は男の妻となった。
 セルキーを捕らえた男は、彼女のために懸命に働き幸福な家庭を作る。だが、男と彼女のあいだに生まれた子供がアザラシの皮を見つけてしまい、セルキーは家族を残して海に帰ってしまうのだ。男は後妻を迎えるが、生涯1人目の妻であったセルキーのことを忘れることはなかったという。
 スコットランドの高知地方にいるアザラシ人間は、セルキーより温和な性質をしているという。ローンと呼ばれる彼らは、王国を持っておりときおりその場所に人を招くことがあった。
 ある男がアザラシを狩ることを生業としていた。そんな彼はある日1匹のアザラシを仕留めそこなってしまう。彼はその夜にローンたちの王国へと連れ去られてしまう。彼の仕留めようとしていたアザラシはローンたちの王だったのだ。怪我をした王の傷を癒すように懇願された男は、ローンたちの言う通り傷口に手を充てる。
 するとローンの王の怪我はすっかりと癒えてしまい、男はたくさんの金貨を持たされ家に帰ることができたという。その金貨は2度とアザラシを捕ってはならないというローンたちの言葉に従った男のために、ローンたちが贈ったものだった。

Kelpies―ケルピー

 馬は水とかかわりの深い生物らしい。ギリシャ神話において馬を想像したのは海神ポセイドンとされているからだ。豊穣の女神デメテルの心を射とめるために彼は馬を想像したという。
 アイルランドやマン島で海神として祀られていたマナナン・マクリ―ルも馬に引かせた戦車で海中を駆けていたという。
 馬と水の関係性を知らしめるように、イングランド諸島には水棲馬に関する話が数多く残っている。水に潜む馬の妖精たちは、陸に上がっては人を襲ったり、ときには人々に恩恵を与えたりもする。
 特にスコットランドには水棲馬の話が数多く伝わっている。そのなかでも恐ろしいのがナックラビ―だ。スコットランドのオークニー諸島の海に潜むこの怪物は、上半身は人、下半身は馬の姿をした化物である。眼は火のように光り輝き、腕は地面に届くほどに長い。皮膚がないこの化物の体には黒い静脈がいくつも浮かびあがり、筋肉の筋が動く様子が手に取るように観察できるという。
 この化物は家畜を襲い、毒気のある吐息でもって農作物を枯らしていく。淡水は苦手であり、ナックラビ―は川を渡ることができない。
 とある男が若い頃にナックラビ―に出会った話をしたことがある。彼は家路を急いでおり、湖と海の間にある細い陸地を真夜中に歩いていた。すると向こうから物凄い速さでナックラビ―がやってくるではないか。逃げるよりも立ち向かったほうがはやいと考えてた彼はナックラビ―と対峙する。ナックラビ―は周囲にあるものを手当たり次第に拾っていたが男に気がつくと、物凄い勢いで迫ってきた。
 男はすんでの所で湖に入り込み、ナックラビ―の鍵爪が生えた手から逃れることができたという。彼はそのまま湖の水が海に注ぎ込む小川を跳び越え、ナックラビ―から逃れることができた。
 水棲馬の中には美しい馬や人に化けて、子供や若い娘を水底に引きずり込み食べてしまうものもいる。アハ・イシュキと呼ばれるその水棲馬は肝臓が嫌いであるともいわれている。
 ある日、子供たちが湖まで遊びに来たことがあった。そこには美しい仔馬がおり、仔馬に夢中になった少女たちは我先にと仔馬に跨り始めた。
 ただ1人、注意深い少年は馬に跨らずその様子を眺めているだけだった。7人いた少女をすべて背に乗せた仔馬は自身の背に乗るよう少年を怒鳴りつけるが、少年は言うことをきかない。仔馬の異変に気がついた少女たちは馬の背から降りようとするが、仔馬は少女たちを乗せたまま湖の中へと消えてしまった。次の日、湖にはアハ・イシュキが食べ残した少女たちの肝臓だけが浮かんでいたという。
 アハ・イシュキと水棲牛であるクロー・マラが戦った話もスコットランドには残されている。ある農場の牝牛が丸い耳をした焦げ茶色の子牛を生んだ。その子牛が水棲牛と告げられた農夫は、この子牛を他の牛から引き離し、7頭の牝牛の乳を与えて大切に育てた。
 子牛が立派な雄牛に成長した頃のことだ。農夫の娘が牛たちに草を食ませるため、湖の入り江にいった。そこで彼女は1人の青年と出会い、打ち解ける。彼に頼まれ髪を梳いていた娘は、彼の髪に海中にしか生えない海藻を見つけ、彼が恐ろしいアハ・イシュキだと気がついた。美しい歌声で青年を眠らせた娘は、前掛けだけを残して家へと逃げ帰る。娘がいなくなったことを知りアハ・イシュキは娘を追うが、成長した水棲牛がそんなアハ・イシュキの前に立ちはだかった。
 戦いは苛烈なものだったが、水棲牛は自身の命と引き換えにアハ・イシュキを倒す。その後、アハ・イシュキが現れることはなかったという。
 さて水棲馬の恐ろしい話ばかりを書き連ねてきたが、スコットランドには人間に友好的な水棲馬もいるのだ。ケルピーと呼ばれる彼らは他の水棲馬と同じで凶暴だと言われているが、奥さん思いで親しみやすい性格をしたものもいる。
 ガーヴ湖のケルピーの住処は冷たく深い海底にあった。ケルピーはその住処が気に入っていたが、彼の妻はとても寒がりでそのことをしきりに訴え続けるのだ。愛しの奥さんに逃げられては困る。ケルピーは腕のいい大工を拉致すると、奥さんのために寒い住処に暖炉を作ってもらったという。
 ガープ湖では冬になると氷の張らない場所がある。湖底にあるケルピーの暖炉が燃えているため、その場所には氷が張らないのだという。

Silky―シルキー

 イングランドには家に棲みつき家事などをやってくれるブラウニーという親切な妖精がいる。シルキーはその女性版と言われており、動くたびに絹の服がさらさらと音をたてるのでこのように呼ばれているという。彼女は死んだ人間の亡霊と言われれており、家事を怠ける召使にとっては恐怖の対象のようだ。
 その中でも足手まといなシルキーの話が伝わっている。
 ノーサンバランドのブラック・へドンにいるシルキーはとても悪戯好きだった。彼女は散らかしてあるものをきちんと片付けてくれるが、逆に片づけてあるものを散らかす困った面があったのだ。彼女にはお気に入りの場所があり、人工池の側にある老木の枝にいつも腰かけていた。その老木の枝は彼女がいなくなったあとも『シルキーの椅子』と呼ばれていたそうである。この椅子に腰かけているとき、彼女は通りがかる馬車や人をよく止めたという。彼女の悪戯に引っかからなかったのはナナカマドで作った十字架を持っている者だけだった。
 ある日、土地の名主邸(へドン・ホール)の天井が崩れ、金貨がたっぷりと入った皮袋が落ちてきた。それ以来、シルキーは姿を見せなくなったという。彼女は財宝を天井裏に隠した人の亡霊ではないかと言われている。
 古い屋敷には家事をしてくれるシルキーが棲むこともあるらしい。
 ニューカッスルのデントン邸にもシルキーがいた。この屋敷には姉妹が住んでいたが、彼女たちは広い屋敷の面倒をすっかりシルキーにみてもらっていたようだ。だが姉妹が亡くなった後に屋敷を継いだ男性はシルキーと折り合いが悪く、彼女にさんざん嫌がらせを受けて屋敷を出ていってしまった。

Brownie―ブラウニー

 あなたは屋敷しもべ妖精のドビーをご存じだろうか。ハリー・ポッターでお馴染みの彼は魔法使いの館に棲みつき家事をやってくれる妖精の1人だ。ヴォルデモート卿が権力を振るっていた当時、彼らの扱いは酷くドビーたちはとても苦しんでいた。そんな窮地を救ってくれたのがヴォルデモート卿を倒してくれた幼いハリーだったのだ。ドビーはそんな境遇からハリーにとても恩義を感じ、彼を何かと助けようとしてくれる健気な存在でもある。
 そんな屋敷しもべ妖精が実際にイギリスにはいるらしい。
 ただ、彼らはドビーのように親切だが人に従順という訳ではなく、気に食わないことがあれば抗議もするし、他の妖精たちと同じで気まぐれを起こして人間に悪さをすることもある。
 ブラウニーと呼ばれる彼らはとても有名な妖精だ。妖精に関する本を漁ってみても、彼らの項目は文字や逸話で溢れかえっている。ブラウニーの女性版とも言われているマイナーなシルキーとはまったくもって対照的である。
 ブラウニーはイングランド諸島のいたるところに棲みついている。もしくは似たような種類の妖精がいる。ウェールズで彼らはブカ、スコットランドの高知地方ではボダッハ、マン島ではフィノゼリーと呼ばれているらしい。
 彼らは他の妖精に比べると人に親切で、夜の間に家のことを何でもこなしてくれるのだ。お礼はコップ一杯分の上等なミルクや蜂蜜、お菓子といったちょっとしたもので十分。お礼の品はブラウニーがわかる場所にさりげなく置いておく必要がある。ただしブラウニーに対する敬意を忘れれば、彼らは親切なホブ・ゴブリンから人に悪さをするボガードに成り下がる。
 他の妖精たちもそうだがブラウニーは働いていることを見られるのを嫌がるという。彼らが粗末な衣服を身に着けているからといって、上等な服を贈るのもあまりお勧めできない。
 彼らは服を見つけたとたん、有頂天でその服を身に纏い2度と姿を見せてくれなくなることがあるからだ。これは新品の服を仲間に自慢するため妖精の世界に彼らが帰ってしまうなど色々な説があるが、はっきりとした理由は分かっていない。
 どういう訳か、彼らに直接お礼をすることはよくないことだとされている。
 ブラウニーにお礼をしていけない理由には諸説ある。
 スコットランドのベリックシャーでは、彼らは原罪に苦しめられる人間のために使わされた神の下僕であるからお礼をしてはならないとされている。また、別の説になるとブラウニーは真に自由な妖精であり、自分たちを束縛する報酬などの対価は貰わないのだという。また別の説だと彼らはお礼をされるまで奉仕を続ける義務があるというのだ。
 ブラウニーはキリスト教が大の苦手で聖句を唱えられたり、聖水をかけられてもその家からいなくなってしまう。これは妖精たちが天から追放された堕天使であるせいかもしない。
 さて冒頭でご紹介したハリー・ポッターシリーズのドビーに関して面白いことが分かった。彼はJK.ローリングが考えた架空の妖精ではなく、実在する妖精らしい。
 ドビーと呼ばれる妖精がヨークシャーとランカシャーにいるのだ。ドビーは特定の妖精の名称というより、この2つの地域に生息する善良な妖精ホブ・ゴブリンをさす言葉らしい。彼らはブラウニーと非常によく似た性質を持っているが、ブラウニーよりも少々悪戯好きなようだ。
 ハリー・ポッターに出てくる屋敷しもべ妖精たちは、ブラウニーを始めイギリス中にいる善良なホブ・ゴブリンたちをモデルにしているのかもしれない。

Leprahaun―レプラホーン

 妖精学の権威と言ってもいい井村 君江先生が著したケルト妖精学に面白い話が載っている。先生がアイルランドのタクシーの運転手にバンシーとレプラホーンについての話を振ったときのことだ。バンシーの話には食いつかなかった運転手だが、レプラホーンの話にはこう答えたという。

「お金持ちになるためにレプラホーンは捕まえたいがなかなか見つからない。最近は妖精を見るために必要な四つ葉のクローバーも見つからないし......」
 
 人の死を予言するバンシーも靴職人のレプラホーンもアイルランドを代表する妖精だ。特にレプラホーンはアイルランドで福の神に相当する存在だという。というのも彼らの趣味は財を蓄えることであり、金貨のつまった99の壺をどこかに隠しているからだ。
 レプラホーンは妖精の靴職人だ。彼らは片方の靴しか常に作らないがその腕はたしかで、他に靴を作る者がいないため、妖精たちは彼らの靴をよく愛用するのだという。そのため彼らはかなりの財産を蓄えることができるのだろう。
 アイルランドにはそんなレプラホーンを捕まえて財産を盗ろうとした人々の話が伝わっているが、どれも徒労に終わっている。
 レプラホーンの財産を手に入れることは不可能に近い。というのも彼らは眼を放せばとたんにいなくなってしまうからだ。運よく財産の在処を聞きだしたとしても、正確な場所を特定することは難しい。
 ある若者がレプラホーンを捕まえ財産の居場所を聞き出したことがあった。レプラホーンは野菊が一面に生えた野原に自身の財産があることを青年に打ち分ける。青年はレプラホーンに教えられた場所を見失わないように靴下の留め金を野菊の1つにつけておき、スコップを取りにその場を離れた。青年が野原に戻ってくると、野原に咲いている野菊という野菊に靴下の留め金がついていたそうだ。やけになって青年は周囲を掘り返したが、結局のところレプラホーンの財産は見つからなかったという。
 レプラホーンは酒好きな妖精クルーラホーンと同一視されることもある。クルーラホーンは古い屋敷のワインセラーなどに棲みついたり侵入したりして、その家の酒を飲んでいく妖精だ。彼はレプラホーンの酔っ払った姿だという。
 トマス・C・クローカーが蒐集した話の中には、ヒースから作ったビールを飲みながら靴をつくるクルーラホーンの話がある。ヒースからビールを醸造する製法はデンマーク人から伝えられ、彼らの一族はその製法を代々伝えているという。

Beansi―バンシー

 泣き女という職業があるらしい。亡くなった人の死を悲しみ、葬儀中に泣くことを職業とする人々のことだ。
 アイルランドで有名な妖精にも人の死を泣いて知らせる者がいる。バンシーと呼ばれる彼女たちの名前は、ゲール語で妖精の女を意味する。
 スコットランドではベン・ニーア、悲しみの洗い手とも呼ばれている。彼女たちは亡くなる人の経帷子を川の畔で泣きながら洗い、問いかけると亡くなる人物の名前も教えてくれるという。彼女たちを捕まえて醜い乳房を吸えば3つの願いを叶えてくれるともいわれているし、詩人に霊感を与えてくれるとも言われている。
 アイルランドのバンシーが美しい容姿をした女性とされるのに対し、スコットランドに現れるバンシーは醜い老婆であることが多いという。
 バンシーの起源は古く、アイルランドの戦の女神バズウにまで遡るという。アルイスターの英雄ク・ホリンが亡くなる寸前、バズウは泣きながら彼の血濡れた鎧を洗う老婆の姿となり、彼に死が近いことを知らせたというのだ。
 古い名家にはバンシーが憑いており、家の者が亡くなると泣き叫びながらその死を知らせてくれるという。特に幾人かのバンシーが一緒になって泣いているときは偉人の死を知らせるときだとされている。バンシーは人に死を知らせるだけでなく、自分が見守っている家の者を守護する存在であるともされている。

妖精に関する豆知識


 妖精を見る方法

 妖精は人に見られることを極端に嫌がる。そんな彼らの姿を見ることは至難の業だ。だが、彼らを見る方法がないわけでもない。
 特に5月1日のメイデーや、夏至祭の前夜、10月31日のハロウィンは妖精を見やすい時期だとされている。また、昼と夜とが混じり合う黄昏時はあの世とこの世の狭間の時間とも言われ、他界に棲む妖精たちを見られることがあるという。
 実のところ妖精を見るための魔法の軟膏の作り方がある。ただし、これは力のない妖精たちが他の妖精を視るために使用していた秘薬で、妖精たちに使用していることがばれては不味いことになる代物だ。もしこの軟膏を使って妖精たちが視えるようになっても、妖精たちに自分たちの姿がどうして視えるのか答えてはいけない。答えれば最後、あなたは妖精たちに酷い目にあわされるからだ。
 では軟膏を作るためにまずは四つ葉のクローバー500gを集めよう。これを広口瓶に詰めこみアルコールを注ぐ。ビニール袋などで瓶に蓋をして日向に一週間ほど放置する。アルコールにクローバーが溶け込んだのを確認したら蓋を外し、アルコールが蒸発するまで日向に出しておく。アルコールが完全に蒸発すると瓶の底に黒い粘り気のある物体が残るはずだ。これを瞼に塗ると妖精が視えるようになるという。
 ただし妖精を視るもっと簡単な方法がある。四つ葉のクローバーを頭に乗せる。これだけで妖精が視えるようになるという。妖精を信じるアイルランド人はそうやって財産をたんまりと持っているレプラホーンを見つけ、隙あらば彼らを捕まえて財産をせしめようとしているのだ。妖精が人から姿を隠すのも分る気がする。
 ちなみに妖精から身を守るには下着を反対に着るか、妖精の嫌いなナナカマドの十字架を持つのが効果的だ。



 妖精の起源

 妖精の起源について西洋では様々な説が唱えられている。一般的なものは日本の妖怪のように妖精たちはキリスト教が普及する前に崇められていた土着の神々が零落した姿であるとする説だ。特にアイルランド諸島の妖精たちはミレー一族に敗れ地下の世界へと消えていったダーナ神族だとされている。後世になると神々はミレー一族に敗北したのではなく、キリスト教の布教により地下や海の向こうにある常若の国に渡っていったとされた。
 もう1つの説は、妖精たちが神の恩寵を失った堕天使であるという説だ。彼らは天から追放されたが悪魔になるほど邪悪ではないので地獄に堕ちることなく、地上を彷徨う妖精になったのだという。だから妖精はキリスト教を嫌うし、聖水や聖句が苦手なのだという。
 

参考文献

妖精学大全 井村 君江著 東京書籍
ケルトの神話 女神と英雄と妖精と 井村 君江著 ちくま文庫
ケルト妖精学 井村 君江著 ちくま文芸文庫
イギリス・妖精めぐり 井村 君江 同文書院
妖精 who,s who キャサリン・ブリッグズ著 井村 君江訳 ちくま文庫
妖精辞典 キャサリン・ブリッグズ編著 冨山房
ケルト妖精物語 W.B.イエイツ編 井村 君江編訳 ちくま文庫
アーサー王の死 トマス・マロニー 厨川圭子訳 ちくま文庫
中世騎士物語 ブルフィンチ 野上弥生子約 岩波文庫
グリムが案内するケルトの妖精たちの世界上下 トマス・C・クローカー グリム兄弟解説・注 藤川 芳朗 草思社
小作人とアザラシ女 ジュディ・ハミルトン著 先川 鴨郎 橋本 修一訳 春風社
猫の神話 池上正太著 新紀元社
妖精 草野巧 著 新紀元社
ドラゴン  久保田 悠羅とF.E.A.R 新紀元社
悠久なる魔術 真野 隆也 新紀元社
龍の起源  荒川 紘 紀伊国屋書店
元型論 C.G ユング著 林 道義訳 紀伊國屋書店
世界の猫図鑑 監修 佐藤弥生 新星出版社

妖精小辞典

2018年1月21日 発行 初版

著  者:ナマケモノ
イラスト:吉隠
発  行:けもの書房

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主な生息地
 ケモノの物書き堂
 https://blogs.yahoo.co.jp/guutori

 イラストレーター 吉隠
 http://www.geocities.jp/yonabari2915/index.html

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