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自殺志願者の僕は、謎の男と出会った。
その男から渡されたのは、〝一億円という大金〟と、〝運命の選択肢〟。

運命の狭間で戸惑う中、突然、一人の少女に声をかけられる。


「あなたは、見ず知らずの人の為に自分を捨てられますか?」

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飛べ、灰色。

人間 イト

群青出版



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  この本はタチヨミ版です。

飛べ、灰色。

 ビルの屋上。晴天の下。
僕は、一人立っている。
「何故自ら命を絶つのか理解出来ない」
ああ、分かるよ。そう思うのが、きっと〝普通〟なんだろう。だから、大半の人は苦しくても生き続ける道を選ぶ。
けれど、僕からしたらそれは〝異常〟だ。
 何故、苦しい人生を生き続けなければいけない?
「無理に生きるくらいなら、いっそ──」
 身を投げようと、体を前方に傾けた瞬間、何故か僕の体は後方へと吹き飛ばされた。
「えっ」
情けなくゴロゴロと転がった僕の目線は、一人の男を捉えた。恐らく、コイツが僕の首根っこを掴んで後ろに投げ飛ばしたのだろう。
別に、一瞬の気の迷いでこんな行動をした訳じゃ無い。考えに考えて出した答えが、これなんだ。誰に止められようと、僕の気は変わらない。
「誰だか知らないけど、邪魔しないで……くださいよ」
ゆっくり立ち上がり、良く良く男の姿を見てみると、何処か不自然な感覚を覚えた。
膝下まである真っ黒なコートに、大きなハット帽。季節的に、コートを着るのは何らおかしくは無いが、全身黒ずくめの格好なんて、まるでアノ漫画のキャラクターの様な姿。少なくとも、日本でこんな格好をしている人は見た事が無い。
 それに加え、大きなジュラルミンケースが目に付く。
「乱暴な事をしてしまい、申し訳ありません」
声からして、男は恐らく六十代くらいだろう。
「説得したって無駄ですよ。 僕はもう死ぬって決めたんです」
「そうですか。 因みにあなた、年齢は?」
「二十歳ですけど、それが何か?」
唐突な質問に答えると、男は何故か嬉しそうな顔を見せた。
「あなたはまだ若い。 これから先、良い事が沢山あるでしょう」
 良くある、自殺志願者を止める為の説得か。 生憎だが、僕の意思はそこまで弱くない。
「だが、悪い事はそれ以上にある。 生きるのは、とても苦しい」
耳を疑った。
「あの……すいません」
「はい?」
「いや、あの。 自殺志願者を説得する人の発言とは思えなくて……」
男は、何故か僕の発言に首を傾げた。
「ああ、勘違いさせてしまった様ですね。 私は、あなたの自殺を止めるつもりなどありません」
また、耳を疑った。 というより、この男自体を疑った。
一体何を考えているのか、分からない。 自殺を止めるつもりが無いのなら、何故飛び降りようとする僕の邪魔をしたのだろうか。
 もしかしたら、コイツは猟奇的殺人犯で、自殺志願者を狙って────
「あなたは、一億円を手にした事がありますか?」
「はい?」
「言葉の通りです。 一億円を、手にした事はありますか?」
「いえ、ありませんが……」
 すると、男は徐ろにジュラルミンケースの鍵を開け始めた。
次の光景を、僕は一生忘れる事は無いだろう。
男の手の上でゆっくりと開かれたケースの中に入っていたのは、目一杯に敷き詰められた札束。
僕は、男の顔を見る前に辺りを伺った。
「はは。 ドッキリだと思いましたか?」
「だってこんな金額、普通の……」
「〝普通の人は持ち歩かない〟と?」
言葉を先読みされた事に驚きつつも、男の問いに恐る恐る頷いた。
「総資産が一億円を超えている人はこの国に何人もいるでしょうが、確かに、持ち歩く人なんてそうそういないでしょうね」
「わざわざ、死ぬ間際の人に大金を見せびらかせて、馬鹿にしに来たんですか?」
苛立ちを抑えきれず、男を睨みつけた。
「私が、そんな不謹慎な男に見えましたか?」
全身黒ずくめの格好をしている奴が、何を言っている。
「それじゃあ、誤解を解くために本題に入りますね」
 そう言うと男は、不敵な笑みを浮かべながら、一億円の入ったケースを僕の胸元へ差し出した。
「これを、あなたに渡します。 自由に使ってください」
時が止まった。 勿論、現実に時が止まった訳では無いが、それくらいの衝撃を受けてしまった。
「その代わり、一つ約束があります」
ああ、やっぱりそうだよな。 「タダで一億円が貰える」そんな上手い話、ある訳が無い。
「何ですか?」
次にどんな言葉が来ようと、断るつもりだった。 数ヶ月前までの僕なら、そうした筈だ。
しかし、今の僕には、次に発せられた男の提案を断る事が出来なかった。
 「一ヶ月後に、必ず死んでください」

           2

 起きる必要の無い日に限って、早くに目を覚ましてしまう癖は、いつになったら治るのだろうか。
やけに晴れ渡る青に照らされながらも、僕の心は濁ったままだ。
 気付けば、あの日から一週間が経とうとしていた。
死を決意した日の朝に会社を辞め、そのままの足で近くのビルに登り、屋上から飛び降りようとしていた。
すると、誰かも知らない変な男に絡まれ、一億円の入ったジュラルミンケースを渡された。
「一ヶ月後に、必ず死ぬ」
という約束と一緒に。
「〝事実は小説よりも奇なり〟」
なんて、良く言ったものだ。
僕の返答を待たず、男は帰ってしまった。まだ「ドッキリなのかもしれない」と思っていたから、一銭も使わず、ケースは玄関に放置している。
 しかし、気付けばあと数日で一週間を迎える。
流石に、
「これはドッキリでは無く、本当にただ変な男に絡まれて一億円を渡された」
と思い始めてしまう。
もし……ドッキリじゃないのだとしたら、一億円を自由に使える……。
 目に見えぬ何かに縋る気持ちで、手元にあった携帯で、
「変な男 一億円 一ヶ月後 死ぬ」
と調べる事にした。
自分でもおかしくなる様な文章を打ち込み、検索ボタンを押した。
出てきたのは、〝必ず稼げます〟と書かれた明らかな詐欺サイトばかり。
当たり前だ。求めている答えなんて、出る筈が無い。
きっと、男はテレビ局のスタッフで、一般人に一億円を渡したらどうなるのか、という様な壮大なドッキリでもしているのだろう。そう思い、携帯を離しかけた時、僕の目は一つのページを捉えた。
……恐る恐る開いてみる。
 「知らない男から一億円貰った」
と書かれたその記事には、僕が欲していた答えが全て記されていた。

 自殺しようとしてたら、変な黒ずくめの男から一億円を渡され、一ヶ月後に必ず死ぬように言われた。これはドッキリなのだろうか。
もしそうだとしても、これは俺の一億円だ。
こんな大金が手に入った今、わざわざ死ぬ必要は無い。
一ヶ月後に死ぬ約束なんて、守る筈が無いだろう。例えあの男から追われたとしても、必ず逃げ切ってみせる。

 それから毎日のように、〝夜の街で豪遊した〟という記事を更新していた。しかし、そんな男のブログの更新は、一ヶ月目で途絶えていた。
生唾を飲み込む音が、無駄に広い殺風景な空間を支配した。
「一億円は本物……。 それに、一ヶ月後に死ぬという契約も……」
普通の人なら、今すぐにでも男を探し出し、一億円を返し、約束を破棄してもらうように頼む筈だ。 ただ、僕の場合は違う。
 自殺志願者の僕は、本来一週間前に人生を終えていた。 まあ、何だかんだで伸びた寿命だが、結局一ヶ月後に人生を終えなければいけないらしいが。
今すぐにでも死を迎える事は出来るのだが、折角なら人生最後の豪遊をしてみるのも面白いかもしれない。
逃げ切ろうとしていたブロガーは、きっと死んでしまったのだろう。いや、〝殺された〟のか。
幾つかの疑問は残るが、きっと、一ヶ月後に全てが分かる筈だ……。
 玄関に置いてあるケースを開き、札束を入る分だけ鞄に詰め込み、一週間ぶりに外の世界へと飛び出した。

 意気揚々と家から出たものの、久しぶりの外の世界は、やはり僕の肌には合わないらしい。
ダウンジャケットにマフラー、マスクを加えた〝完全防寒スタイル〟にも関わらず、震えが止まらず呼吸もままならない。
一週間前と比べて気温が下がったのか、自分自身の耐性が弱まったのかは分からないが、この寒さは余りにも流石に耐え難い。午前中にこの寒さなら、夜になればもっと……。
ああ、想像するだけで心臓が縮み上がってしまう。
 寒さにやられてしまう前に、取り敢えず行きつけのネットカフェに逃げ込んだ。
「……いらっしゃいませー」
いつも通りの気怠い声を放つ店員に迎え入れられながら、受付を済まし、席に着くなり早々備え付けのパソコンで大金の使い道を調べた。

・家
・高級車
・高級ブランド品
・海外旅行

 想像通りの検索結果だ。
だが生憎、僕には時間が無い。家を買おうが高級車を買おうが、意味が無いのだ。
 中でも海外旅行は魅力的だと思ったが、イマイチ海外に興味が無い僕からすれば、ボツ案だ。
そういえば、学生の頃に当時の友人と、
「もし宝くじが当たったら」
という会話をした事がある。

「なあ、もし宝くじで一億円当たったらどうする?」



  タチヨミ版はここまでとなります。


飛べ、灰色。

2018年1月23日 発行 初版

著  者:「糸」
発  行:群青出版
表  紙:Angus柒(CC)

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Angus柒(CC)

人間 イト

2016年より執筆を開始。2017.12 デビュー作出版・群青出版 設立

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