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REcycleKiDs 2

ふくだりょうこ

チームB



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編集 野崎勝弘
表紙 波野發作
イラスト ahasoft2000 / 123RF 写真素材

REcycleKiDs 2

リサイクルキッズ2

救済のトリアージ



「泉さん、こっちお願い!」
「はい!」
 怒号にも似た声が飛び交う救命救急センター。
 昨夜午前一時二十七分、相模湾沖でマグニチュード八の地震が発生した。二十三区内の被害は……よく分からない。東京と神奈川の境目に近いところにあるこの病院にも次から次へと怪我人が運ばれてきており、夜勤だった私は昨夜からずっと処置に追われている。外が明るいから、もう夜は明けたことはかろうじて分かるけれど、今が何時なのかも分からない。
「救急車、到着しました! 瓦礫の下敷きになっていた男性三名、女性二名です!」
「今行きます」
 絶え間なく運びこまれてくる怪我人に私たち看護師がまず行うのはトリアージタグをつけること。
 緑は今すぐ処置が必要ないもの。黄は早期に処置すべきもの。赤は生命の危機があり、一刻も早い処置が必要なもの。そして黒は……死亡、あるいは処置を行っても助からないもの。
 到着した人たちに手分けしてタグをつけていく。
 黄、赤、赤、黄、黒。
 昨夜から一体何人に黒のタグをつけただろう。そのたびに胸が軋む。
「……ごめんなさい」
 彼らの帰りを待っていた人たちもいるだろう。まだ、やりたいこともたくさんあっただろう。全ての人を助けられたらいいのに。たとえ、可能性は低くても、処置ができればいいのに。でも、今のこの現場では不可能だ。
「泉さん!」
 肩を掴まれ、ハッと顔をあげる。
「何人か出勤できたから、ちょっと休んできていいわよ」
「え? でも……」
「昨日からずっと働き詰めでしょう。このあと、まだまだ怪我人は運ばれてくる。倒れたりしたらどうしようもないわ。交代で休みましょう」
「……はい」
 事実、体よりも心のほうが悲鳴をあげそうだった。
 素直に戦場のような現場からそっと離れた。

 事務室に戻り、時計を確認する。十時二十五分。約九時間、働きっぱなしだったのだ。デスクの上に無造作に置かれている非常食を手に取り、ソファに倒れ込むように座った。何人かの男性看護師が床に転がって寝ていた。私と同じように休憩を取りに来たのだろう。寝袋でも敷けばいいのに、と思ったけど、非常食を握りしめながら眠っている人もいる。疲労から、最優先されたのが睡眠だったのだろう。
 念のため、バッグからスマホを取り出して確認する。
 メールは二通。一通は恋人から。たまたま北海道に出張中だったから彼のことは心配していなかった。『一言でいいからメールください』というメッセージに「無事です」とだけ返す。もう一通は母から。
『お母さんは無事です。真由は大丈夫?』
 ホッと息をつき、メッセージを返す。「私も元気です。早くお母さんに会いたい」
 父はどうしているのだろう。救命救急センターで外科医として働く父は、当直で私以上に怪我人に追われているかもしれない。
 母は気丈な人だけど、ときどき「真由が独り暮らしを始めてから寂しくて仕方がない」といった内容のメールを送ってくる。ここがひと段落ついたら、自分の家ではなく、実家に戻ろう。ひと段落? ひと段落つくっていつだろう。
 男性陣に申し訳ないと思いつつ、ごろんとソファに横になった。体中から力が抜けていくのが分かった。
 昨日の地震で一体何人の人が亡くなっただろう。
 ――私の本当の父と母は生きているのだろうか。
 そんなことを考えながら、私は眠りに落ちていった。


            *****


「はじめまして、真由ちゃん。今日から私たちがあなたのお父さんとお母さんよ」
 初めて、お父さんとお母さんに会ったときのことはよく覚えている。ぎこちない笑みを浮かべるお父さんと、私の手を握り何度も頭を撫でてくれたお母さん。
 小さいころのことなので曖昧な記憶もたくさんあるけど、お母さんはよく私を抱きしめてくれた。
 優しいお母さんとお父さん。
 でも、本当の両親ではない。私は父親から暴力を受け、児童養護施設に入れられた、らしい。らしい、というのは、私自身は父から暴力を受けたことを覚えていないからだ。実の両親の顔も名前も思い出せない。その理由は、虐待を受けた子どもの当時の記憶を消し、更に名前も変え、新しい人生を歩ませるという政府の極秘プロジェクト。各自治体にあるこども館はそういった子どもが生活する施設を併設しているんだそうだ。
 私がお母さんからその話を聞いたのは二十歳の誕生日だった。
 自分がお父さんとお母さんの子どもじゃないのは分かっていたけど、『記憶が消されている』というのは自分のことながらなかなかにおもしろい話だった。
「記憶を消すってどうやって?」
「それはお母さんたちも聞いてないわ」
「消された記憶を思い出すことってあるの?」
「スタッフの人に聞いたけど、ひとつだけ思い出すきっかけがあるそうよ。でも、それが何かは教えてもらえなかった」
「ふぅん、なんだろうね」
「……真由」
「なに?」
「記憶を消されていること、嫌だとか思ったりしない?」
 そう聞くお母さんは不安そうだった。
 小さいころからお母さんは何度も言っていた。「真由が私の娘で幸せ」と。私に言っているというよりも、自分に言い聞かせているように思えた。
「記憶がなくてよかったよ。だって、私には楽しい思い出しかないから」
 本当だった。
 きっと、消された記憶はひどいものだったのだろう。背中に、大きな傷がある。あと、腕にも。
「これって、たばこの火を押し付けた痕じゃないか?」普段は隠れている私の上腕を見て恋人が言った。それから、ひどいことをするヤツもいるもんだな、と怒ってくれた。
「体に傷がある女はやっぱりイヤかな?」
「そんなことあるわけないだろ。傷があるのは真由のせいじゃないんだから」
 私の過去ごと愛してくれている恋人はとても大切な存在だった。結婚する予定はない。二度プロポーズしてくれたけど、彼には違う女性のほうが似合っている気がする。もちろん、そう思っていることも伝えた。でも、彼は首を横に振って、「真由じゃなきゃ嫌なんだ」と言ってくれた。夜十時にやっているドラマのヒロインになったような気がした。
 早く恋人にも会いたい。お母さんにも会いたい。お父さんにも。お父さんは無口な人だけど、休みの日は必ず遊びに連れていってくれた。
「象っていうのは嗅覚と聴覚が優れているんだ。でも代わりに視力が弱い。身の周りのことを知るのは鼻と耳に頼っているんだ」
「だから、お鼻とお耳が大きいの?」
「真由は頭がいいな」
 難しいものも多かったけれど、お父さんの話はどれも興味深かった。
 お父さんは私を否定しなかった。どんなことでも、「よし分かった」と頷いてくれる。もしかしたら、あまりワガママを言わなかったからかもしれない。私が欲しがるものと言えば、本や文房具ぐらいで、おもちゃにはあまり興味がなかった。こども館にあまりおもちゃがなかったからかもしれない。こども館のスタッフの男性にひらがなを教えてもらうのが楽しかった。勉強というものが好きだったみたいで、それは今でも変わらない。私が興味を示せば、お父さんは懇切丁寧に説明をし、必要があれば本を買ってくれる。でも、やっぱり医療に関する話が多くて、私が看護師になりたいと思ったのは自然の流れだったのかもしれない。そのときだけお父さんは「医者になってもいいんだぞ」と珍しく言った。医者も憧れてはいたけれど、お父さんと同じステージに立つより、お父さんを助ける人になりたかった。
 その話をしたら、お父さんもお母さんも泣き笑いのような表情を浮かべて言った。
「真由が娘でよかった」
「私たちはずっと、ずっと家族だからね」


            *****


 緊急地震速報で目が覚めた。
 デスクに載っている誰かのカップがカタカタと揺れていた。余震だろう。昨日から何度もあったけれど、やはり揺れると少し身構えてしまう。
 さほど大きなものにはならず、すぐに収った。体の強張りを解き、ため息をついた。時間は十一時四十二分。一時間ちょっと眠っていたようだ。
 自分の手のひらを見つめ、何度かグーパーを繰り返す。大人の私。走馬灯のような夢を見たせいか、なんとなく、居心地が悪い。
 立ち上がり、大きく伸びをすると、背中がミシミシと音を立てているような気がした。体をほぐすために軽くストレッチをする。前屈をするときに自分のバッグが目に入った。前ポケットからハンカチがはみ出している。白いハンカチに細かい花の刺繍が施されている。
 お母さんたちに引き取られる際、こども館にいたお姉さんにもらったものだ。私と同じように、引き取ってくれる人を待っているお姉さん。こども館には私と同い年ぐらいの子どもばっかりいたけど、その人だけずいぶんと年上だった。『よかったね、引き取ってくれる人が見つかって』そう言って私を抱きしめた。振り返ると、あの人は恐ろしいほどに美しかった。未だに、あの人より美しい女性を見たことがない。テレビの中だって。
 今、あの人はどうしているんだろう。引き取ってくれる人は見つかったんだろうか。この地震の中、無事だろうか。いや、そもそも関東にいないかもしれないし……。
「泉! 人手が足りない、来てくれ!」
 先輩看護師の声がした。ふるふるっと頭を振り、先輩に続いた。

 現場は、私が休憩を取る前と変わらず、戦場だった。少し休憩をとって頭が冷静になったからか、その様子はとても異様に見えた。どこかで、これは現実ではないのでは、と思おうとしていたのかもしれない。でも、そこらじゅうから聞こえるうめき声、怒号によってこれが現実なのだと思い知らされる。
「そこの子どもの手当てを!」
「はい!」
 うずくまり、泣いている男の子。骨も折れていない。擦り傷があるだけだ。
「ぼく、手当てしようね」
「お母さん!」
 その子の手を取った私を見て、男の子の瞳に失望の色が広がった。
「お母さん、一緒だったの?」
「家が揺れてね、たくさん物が落ちてきたんだ、お母さんが僕の上にこうやってかぶさってきて……」
 身振り手振りで説明する男の子に私は二度三度、頷いた。
 とっさに子どもをかばった。一緒に助けられたのか、今、手当てを受けているのか、それとも……。
「お母さんは今、別のところにいるから。手当てして少し休もうね。おなかは空いてない?」
「すぐに会える?」
「会えるよ」
 自分のこの言葉が嘘にならないようにと祈りながら頷く。分かった、と小さな声で言った男の子を別のスタッフに預ける。
 出入り口のほうが騒々しくなった。また、怪我人が運ばれてきたようだ。
「重傷者多数、損壊したアパートから救出された十二名です!」
 ぞわりと鳥肌が立った。救急隊員の顔を見ただけで、今運ばれてきた人たちの状態が想像できたからだ。ストレッチャーに乗せられて運び込まれてくる人たち。私は真っ先に運ばれてきた男性の状態を確認しようと飛びついた。外傷性ショックだろうか、危険な状態ではあるけど、気道確保すれば助かるかもしれない。
「瞳孔をチェック……」
 その瞬間、目がチカチカした。太陽を見たあとのように目の奥がジンとした。何も見えない。何度か瞬きを繰り返し、目を凝らす。次第に視界がハッキリしてくる。

「おとう……ちゃ……」

『今何時だ?』
『わかんない……』
『時計も読めねえ子どもなんか何の役にも立たねぇ! 死んじまえ!』
『時計の読み方教えて』
『ああ? それが教えてもらう時の態度か? 頭、床にすりつけろ!』

 視界が暗くなる。後頭部がジンとした。革靴を履いた足で、何度も私の頭を踏みつけた。釣りが趣味だった父は竿で何度も裸の私を叩いた。フライパンでおなかを殴られた。泣いている私に向かってうるさい、と怒鳴りながら酔った父は後ろから包丁で斬りつけた。大丈夫だ、この程度で死なねぇ、傷は残るけどな。
 震える手で父の右手首にタグをつけた。
 黒。
「泉さん、そっちの人……も、黒か」
「……はい」
「ここの現場は黒が大半ね……。次、すぐに来るから準備して」
「分かりました」
 父が運ばれていく。頬が緩む。
「ありがとう、ここに来てくれて」
 小さく呟いた声は救急車のサイレンにかき消された。

 できるだけ多くの人が助かりますように。
 あなたの愛する人の命が奪われませんように。

 あなたから記憶と愛を奪った人が不運にも未来を奪われてしまいますように。


〈了〉

REcycleKiDs 2

2018年2月19日 発行 初版

著  者:ふくだりょうこ
発  行:チームB

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ふくだりょうこ

大阪府出身。東海大学文芸創作学科卒。大学卒業後、2006年よりライターとして活動を始める。女性向けゲームシナリオのほか、エッセイなどを執筆。焼き鳥とハイボールと小説、好きなアイドルのライブに行くのが楽しみ。 近著に『低体温症ガール』『REcycleKiDs』がある。

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