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編集 野崎勝弘
表紙 波野發作
イラスト ahasoft2000 / 123RF 写真素材
「何のお話ですか」
もう何度目か分からない呼び出し。用件が分かっているにも関わらず、俺は毎度同じ質問を繰り返す。
「そんなこと言って、分かってるくせに。海野くんはいけずだなあ」
ハツラツとした笑顔で話すのは俺が勤める秦之台市役所の上司、沢村さん。いや、上司と言っていいのか。市長だから、市役所に勤める俺にとっては上司か、やっぱり。
沢村市長に呼び出されたのは二週間前のことだ。上司とは言え、今まで遠目にしか見たことがなかったので、何事かと思った。
何かまずいことをしたか、いやいや、誠実に働いているつもりだ。もしかして、その誠実さが面白くないとか? よく妻の亜由美にも「あなたは本当に真面目な人ね」と言われる。いや、亜由美はそんな俺の真面目なところが好きだと言ってくれているからいいのだ。ああ、さっさと帰って亜由美のメシが食いたい。今日は生姜焼きだと言っていた。
「聞いてるかい、海野くん」
「はい、もちろん」
聞いていない。
聞いてなくても何を話していたかは分かる。例の『特定児童先進福祉法』のことだ。
「何度も言ってますが、僕はお受けできません」
市長は二週間前、こう言った。きみ、全国のこども館の総取りまとめやらない? 今、水面下で動いているプロジェクトなんだ。保護者から虐待を受けた子どもたちを保護し、記憶を消し、新しい親に引き取ってもらう。虐待を受けたすべての子が記憶を消されるわけじゃないよ、とりわけひどい子どもだけだ。その判断は文部科学省のほうで基準を決めるんだけど、君はそれは知らなくていい。その子たちが生活することになるのがこども館の地下なんだ。なんでこども館なのかって? そこは分からないなあ、別にさほど重要なこととも思えないし。
全く話についていけない俺を気にかけることもなく、市長は一気にまくしたてた。俺はきょとんとしてその様子を見守ったのちに、「お断りします」と告げた。それで話は終わる。そう思っていたのに、市長は粘り強かった。
「いい加減、諦めてください……。何度も言ってるじゃないですか」
「そうなんだよ、海野くん。私ももう諦めたい。しかし、これも何度も言っているが、文部科学省からたってのご指名だからね」
そうなのだ、国家規模のプロジェクトということで俺を指名してきたのも国だ。謎だ。一体、日本全国にどれだけ公務員がいると思っているんだ。その中からなぜ、俺。たったひとり国から選ばれたのだから、喜ぶべきなのか。しかし、俺には苦痛だった。
「国はなんで俺にこだわるんですか……ほかにやりたがる人間はきっといるはずです」
「そうだろうね。でもどうしても君がいいらしい」
「だから、なぜですか」
「三ヶ月ほど前に、アンケートに回答しただろう?」
ああ……と記憶を辿る。公務員の生活、思想に関するアンケートだった。おかしなアンケートだと思っていたが、あれに何かカラクリがあるのか。
「俺、何かまずいことでも書きましたか?」
それなりに正直に、でもところどころ優等生ぶった回答はした。要は当たり障りのない回答。むしろ、それがいけなかったのか。
「何も問題はないよ。でも君……子どもは好きか、という問いに嫌いだ、って答えただろう?」
「そうですね。子どもが苦手なのに、そういう関連の仕事をさせられたら困りますから」
あの回答からどうして、俺に子ども館の責任者を任せようという気になったんだろう。
「あそこ、嫌いだと答えたのは君だけだったんだよ」
「……嘘ですよね? いや、絶対嘘だ、もうひとりやふたり、十人や二十人いるはずですよ」
「いや、本当に君だけだった」
じっと市長を見つめ返す。ニコニコしていて、イマイチ何を考えているの分からない人だ。今も分からない。嘘を言っているのか、本当のことを言っているのか。
「子ども嫌いな俺が、もしかしたらイラッとして暴力を振るうかもしれませんよ? それでもいいんですか?」
「大丈夫だよ。感情移入することもないだろうしね。それにもちろん、アンケートだけではなく、さまざまな調査をした結果だ」
市長は自信ありげに言って、にっこりと微笑んだ。
「君ほどの適任者はほかにいないよ」
*****
頭のどこかに、常にプロジェクトのことがあるせいで、最近眠りは浅かった。今夜もベッドに入ったものの、全く睡魔はやってきてくれない。
引き受けるつもりはない。しかし、『ひどい虐待に遭った子どもたち』が『記憶』を『消されて』、別の夫婦に引き取られていく。その夫婦たちは裕福で、もちろん身元もしっかりしていて……とさまざまなチェック項目をクリアしないと子どもたちと会うこともままならない。
記憶を消された子どもたちは幸せなんだろうか。虐待した記憶でも、あったほうがいいのでは、と思うのは、自分が虐待された子どもではないからか。虐待されていたとしたら……。
「ンヴンン――……」
俺の思考をさえぎるように隣で眠っていた妻……亜由美が呻き声を上げた。
手を天井に向かって伸ばし、苦しげに声を漏らしている。
「亜由美」
小さく声をかけ、抱き寄せる。俺の腕の中に素直に抱かれたが、だだっ子のようにイヤイヤと首を横に振った。そして、体を小さく震わせて謝っている。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
俺に謝っているんじゃない。父親に謝っている。小さいころから大人になって家を出るまで、彼女に虐待をし続けた父親に。
背中を撫でながら、大丈夫だよ、と言い聞かせているうちに治まってきたようだ。
これはよくあることで、俺が抱きしめると彼女は安心する。たまに出張で家を空ける日などは心配でたまらない。
市長から話を聞いたときに、真っ先に頭に浮かんだのは亜由美のことだった。
記憶がなければ、亜由美はもっともっと幸せになれるのだろうか。一方で俺がいるだけではダメなのか、と思う。結婚して十年になる。知り合ってからだと十七年だ。人生の半分はもう一緒に過ごしている。それでも、俺では記憶を塗り替えることはできないのだろうか。少しだけ力を込めて抱きしめた。彼女は眠ったままだ。でも、俺の体に腕を回した。
亜由美には俺が必要なのだろう、と思っている。こうして、すぐに抱きしめてやる存在がいなければならない。そう強く思ったのは、初めて彼女の家に挨拶に行ったときだった。
彼女の体を見て、何かしらの暴力を受けていただろうことはすぐに分かった。体中に傷があったから。自分の大切な人が傷を負っている。それも実の親から。はらわたが煮えくり返りそうな思いだったし、黙って彼女を連れ去りたかった。でも、俺の両親がそれを許さなかった。礼儀を軽んじれば、あとから面倒になる可能性があると。結果的には、行ってよかったと思う。
広い平屋の家。
がらんとした和室、大きめの座卓があるだけだった。
俺の隣に亜由美。
目の前に亜由美の父親が座った。
父親の第一印象は、よかった。ニコニコと笑顔を絶やさず、陽気そうに見えた。この人が本当に亜由美に暴力をふるっていたのだろうか、と一瞬思ってしまったほどだった。
様子がおかしい、と思ったのは、遅れて部屋に現れた母親を見たときだった。震える手で、俺の前に湯呑を置いた。それから、父親の前にも。亜由美と母親の分は、ない。そのあとも、俺とは目を合わせようとせず、しきりに夫のほうばかりを見ていた。視線は感じているだろうに、父親は一切妻を見ようとしなかった。
「さて」
少しだけ身を乗り出して、最初に口を開いたのは父親だった。
「海野くん、だったか」
「は、はい」
「履歴書は持ってきたか?」
「……は?」
咄嗟に何を言われたのか分からなかった。リレキショ、りれきしょ、ああ、履歴書……と反応するまでに時間がかかった。
「持ってきていませんが……必要ですか?」
「当然だろう。金をかけてここまで育てた娘だ。どこの馬の骨ともしれない男にはやれないな」
「……公務員をしています。生活は安定していると思いますが」
「公務員か、つまらないな。おもしろみがない」
何か、俺にケチをつけて、亜由美を嫁にやりたくないように思えた。娘を嫁にやるのは寂しい。それは父親として当然のようにも思えたが、なにかおかしい。そう気がついたのは母親の小さなつぶやきだった。
「亜由美ちゃんがいなくなったら、私……」
そうか、父親のターゲットはあくまで娘の亜由美。もし亜由美がいなくなったら、その矛先は母親に……。
そうか、そういうことか。
別に婚姻届の証人は親でなくてもいい。互いの親友に頼み、それで婚姻届を出した。亜由美の両親はいいも悪いも言わなかった。ただ、結婚式は出ない、金がかかるから。そっちが金を出してくれるなら出てもいい、と言った。
両親が来ても、別に亜由美は嬉しくないだろう。それなら、と友人たちだけを呼んでささやかなパーティーをした。そのとき、亜由美はとても嬉しそうに笑っていたから、これでよかったのだと思った。
大丈夫。彼女の記憶を塗り替えることはできなくても、俺は安らぎを与えることができる。
「好きだよ」
彼女の髪に顔を埋め、囁いた。
俺だけじゃ足りない。彼女の心には、足りない。
それは十年以上、抱え続けた葛藤。
俺だけじゃ、足りない。
*****
彼女はプロジェクトのことを知ったらどう思うだろう。『虐待』というワードさえも彼女の耳に入れたくなくて、市長からの誘いは話したことがなかった。仕事を引き受ければ、今までとは生活もいくらかは変わるだろう。そうなれば、仕事については話さねばならず、彼女に負担をかける。ただ、ふと昨日、亜由美を抱きしめながら「虐待を受けていた人間ならどう思うだろう」と思った。消されたほうがいいと思うのか。亜由美がそう言うなら……。
翌朝、ベッドから抜け出してリビングに行くと、テーブルにはおいしそうな湯気がたつ朝食がすでに用意されていた。
「成昭くん、おはよう」
「……おはよう。今日の朝メシは随分と豪勢なんだな」
「なんだか、早くに目が覚めちゃって。それに成昭くん。昨日、あまり食欲がなかったでしょ? だから、朝おなかすくんじゃないかなあ、と思ってたの」
初めて会ったときから、亜由美はとても優しくて気遣いの人だと思っていた。しかし、違う。暴力を振るわれないように、人の顔色ばかり窺って生きてきたからだ。自分の身を守るためにそうしてきた。執拗なほどに。
「なあ、亜由美」
椅子に座り、味噌汁を一口すする。俺の正面に座った亜由美が首を傾げた。白い肌。あまり日に焼けたことがない、と言っていた。外に遊びに行くことを禁じられていたこと、そして、傷を隠すために、できるだけ肌を露出しないような服を着ていたことが理由だ。
子どもらしく笑うことも、青春を謳歌することも、ワガママを言うことも、無邪気に愛されることも、彼女は望んでいなかった。否、望むことを知らなかった。
「実は今、新しいプロジェクトの責任者をやらないか、と言われてるんだ」
「えっ、責任者? すごいね、どんなプロジェクト?」
「虐待された子どもの面倒を見る」
瞬間、亜由美の顔が強張った。ひとつひとつ、丁寧に市長から聞いた話を伝えていく。強張っていた亜由美の表情はそのまま動かない。話し始めたものを止めるのも逆に傷つける気がした。俺が今聞いている限りのことを話す。最後まで聞き終えたところで、亜由美はつぅっと涙を流した。
やはり『虐待』というワードさえも聞きたくなかったか……。
「亜由美、すまな……」
「よかった」
ふわりと笑みを浮かべた。あまりに穏やかな表情に俺のほうが戸惑ってしまう。
「よかった、とは?」
「虐待の記憶なんてなくていい。忘れたほうがいい。人生をやり直せるんだもの」
「でも、記憶を消すことについて子どもから了解が取れない、人権は……」
「親の元で、虐待されている子たちに人権なんてない」
きっぱりと言い切られて、一言も発することができなかった。暴力をふるっていいですか、などと親は聞かない。嫌だ、と言ったとしても、殴られるだろう。
「親のことを忘れるのも構わないのか?」
「忘れることが、親に対する一番の復讐だよ」
俺は、何も亜由美の気持ちを理解していなかったのだと分かる。俺を育ててくれた優しい両親。亜由美の境遇を知っている母は特に優しく接しようとした。口には出さないけれど、自分のことを母親だと思えばいい、と考えているはずだ。しかし、きっと亜由美には受け入れることができないだろう。殴られている自分を助けてくれようとしなかった母は一番冷たい存在でしかない。母は優しい存在ではない。
「成昭くんを責任者に選んだ人はすごいね。適任だよ。私にこんなに優しくしてくれるんだもん」
「本当は……受けるつもりはなかったんだ」
「どうして?」
信じられない、というように亜由美は目を丸くした。
「俺が虐待の子どもたちの世話をするって聞いたら、亜由美が嫌なことを思い出すんじゃないか、って……」
「やだ、そんなこと考えてたの? 私のせいで成昭くんがその仕事を引き受けないほうが嫌だよ。たくさんの子どもを助けることができる人なのに」
にっこりと微笑む亜由美は、とても嬉しそうだった。無理をしているわけじゃない。俺が仕事を引き受けることを心から願っている。
「……やってみるよ」
*****
出勤したその足で俺は市長との面談を申し込んだ。
前日までの態度を翻したことに市長は驚きつつも、歓迎してくれた。
「やってもらわないとならないことは山のようにある。忙しくなるぞ」
「分かっています」
自分にできることがあれば手伝う、と亜由美も言ってくれた。あんなにイキイキとしている亜由美を見たのは初めてかもしれない。可能ならボランティアとして、子どもたちの面倒を見てもらうのはどうだろうか、などと考えを巡らせる。
「文部科学省のほうに連絡は取っておく。早速だが、午後から行ってきてくれるか」
「分かりました」
軽く頭を下げ、市長室から出ようとドアノブに手をかけると、海野くん、と呼び止められた。
「なんですか?」
「君、本当は子どもが好きなんだろう?」
「…………」
嫌いだ。亜由美が望まない子なら。
子どもは欲しかった。しかし、亜由美が嫌がった。虐待されていた私は生んだ子どもに暴力をふるってしまうかもしれない。愛され方を知らない私は子どもを愛することができないかもしれない、と。
「失礼します」
問いかけには答えず、俺は市長室をあとにした。
「海野さん!」
前方から同じ部署の後輩が駆けてくるのが見えた。
俺の目の前まで来ると、乱れた呼吸を整えるかのように何度か深呼吸した。
「海野さんに、電話が……っ」
「何をそんなに慌ててるんだ」
「それがすごい人からなんですよ! フロリダ工科大学教授の荒川さんから……お知り合いだったんですかっ?」
荒川、荒川……と記憶を探る。知り合いではないが、去年、テレビでよく観た顔だ。ノーベル医学賞を獲った人物。脳科学に関する研究をしている。
どうやら、国家規模のプロジェクトというのは本当のようだ。
「何笑ってるんですか、海野さん」
「いや、なんでもない。すぐに行くよ」
子どもたちの未来は変わるだろうか。
そして、俺と亜由美の未来も……。
〈了〉
2018年2月26日 発行 初版
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大阪府出身。東海大学文芸創作学科卒。大学卒業後、2006年よりライターとして活動を始める。女性向けゲームシナリオのほか、エッセイなどを執筆。焼き鳥とハイボールと小説、好きなアイドルのライブに行くのが楽しみ。 近著に『低体温症ガール』『REcycleKiDs』がある。