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編集 野崎勝弘
表紙 波野發作
イラスト ahasoft2000 / 123RF 写真素材
「ねえ。ここからは出られないのかな」
マコトがポツリと呟いた。
俺たちはガラスケースの中にいる。
気がついたらここにいた。
いや、『気がついたら』というのは語弊があるかもしれない。
あるとき、目が覚めたら知らないベッドに寝ていて、俺は自分の名前も分からなかった。意味が分からず、きょとんとしている俺に向かって、そばにいた女が言った。
「あなたの名前はユウキだよ」
それが俺の新しい名前だった。
ここはひどい虐待に遭った子どもたちが集められている施設らしい。ただ、誰ひとりとして虐待を受けた記憶はない。記憶を消されているんだそうだ。ときどき、大きなガラスケースに入るように言われる。しばらく、そこでぼんやりしていると、施設スタッフのアキが見知らぬおっさんとおばさんを連れてやってくる。ここにいる子どもを引き取ってくれるかもしれない人たち。おっさんとおばさんが来るたびに、子どもがひとりずつ減っていく。でも、気がついたらまた増えている。
「息をするように暴力をふるう人がいるからね」
ニコニコしながらアキが言っていた。
アキは表情筋が緩んでいるのか、いつもニコニコしている。でもちっとも優しくない。厳しい。この施設の中で、俺とマコトは一番の年長者。他の五歳未満の子どもたちの面倒もみなければならないし、勉強もしなければならない。体も鍛えなければならない。でも、子どもたちの面倒を見るのは嫌いじゃない。懐いてくる子どもたちは可愛げがある。それに、アキが働いた分は対価をもらわないとね、と『お金』をくれるからだ。そのお金はここでは引き取られてから役に立つはずだ、とアキは言っている。今は何の役にも立たない紙切れだが、「対価が払われる」という点については気に入っていた。だから、もらった分は俺もマコトもせっせと『貯金』をしている。
健康で、賢い子のほうが引き取ってもらいやすいらしいので、アキに言われた通り、がんばっている。ちょっとでもサボればアキがニコニコしながら「自分を粗末にするな」と言う。粗末、の意味が分からないが、サボるのは自分のためにならないからだそうだ。笑っていても目が笑っていない。めちゃくちゃ、怖い。 だから、言われた通りにがんばっている。でも、引き取るにはできるだけ小さいほうがいいらしい。今年、十二歳になった俺たちにはいつまで経っても引き取り手が現れない。
「ユウキ、誰もこっちを見てくれないよ」
俺が無視していると、マコトは不安そうに言った。
「アキがいつも言ってんじゃん、俺たちは育ちすぎだって」
「でも、ちゃんとアキちゃんに言われた通りにしているのに……」
ガラスケースの中に入るたび、マコトは不安そうにする。ガラスケースから出ると、また自分は選ばれなかった、と落胆する。そんなマコトを見るのが嫌だから、俺はガラスケースに入るのが嫌いだった。この施設は国が作ったものらしいが、俺はクソだと思っている。選ばれる者と選ばれない者を作り出す。選ばれなかった者は少しずつ、心が濁っていく。
「はいはーい、お疲れさまぁ」
ケースのドアが開いた。アキの笑顔がひょっこりと現れる。
「アキちゃん、今度こそ……」
「ごめんね、マコト。今回はショウタが引き取られることになったよ」
「そっか……」
「だからそろそろ諦めろって。俺たちを引き取る親はいない」
「もう、ユウキ。またそんな乱暴な言い方して。『俺』って言っちゃダメだって言ってるでしょ」
「うっせ」
アキを押しのけるようにしてケースから出る。甘い匂いがした。この女からはいつもお菓子の匂いがする。その匂いが嫌いで、ますますイラついてしまう。
「別に無理して引き取られなくったっていいし」
アキは気に入らない。でも、マコトと一緒にいるここの生活は気に入っている。別にマコトがいればいい。俺は引き取られなくったっていい。
マコトが悲しんでいる姿を見るのは嫌だけど、こんな時間がずっと続けばいい、と思った。
なのに。
神様は俺のことが嫌いなのかもしれない。
数日後、マコトの引き取り先が決まった。
*****
「お母さんは生け花の先生、お父さんは映画監督なんだって。二人とも見たでしょ? すっごい美男美女」
ウキウキと話すアキが忌々しい。
「マコトを選んだのも、やっぱり賢いし、すごく綺麗な顔しているからなんだって」
「見た目で選ぶヤツなんて、ロクでもねぇよ」
「ユウキのことも気に入ってたよ」
「俺はお断りだよ」
ツンケンしている俺の隣で、マコトは嬉しそうだ。
「外に、行けるんだね」
俺は眩暈がしそうだというのに、こいつは。
「そんなに嬉しいのかよ……」
「ユウキだって、早く自分の引き取り先が決まってほしいでしょ?」
「それは……」
初めて、マコトと気持ちが通じ合っていないと感じた。
マコトの引き取り先が決まったから悔しいとか、そういうことじゃない。
俺たちは、ずっと一緒にいたのに。離れ離れになってもいいのか。でも……。
「俺は……嬉しいよ。マコトに父親と母親ができることになって」
「ユウキ!」
パッとマコトの表情が明るくなる。
「ありがとう、ユウキ。ユウキがそう言ってくれないとやっぱり……」
「マコトが幸せだったらそれでいい。二度と会えなくなるわけじゃないし」
「そうだよね、会いに来るから、絶対!」
手をしっかり握り合う。この温もりに二度と触れ合えなくなるわけじゃない。そうだ、だから……。
「何言ってるの?」
水を差すような声に、思わず顔をしかめる。
「アキ、まだいたのかよ」
「いや、二人が勘違いしてるみたいだったから」
「何をだよ」
「ここから出たら二度と会えないよ」
「は?」
「そういうルール。外に出たら、ここの住人たちとは二度と会ってはいけない」
「なんでだよ?」
「あなたたちには説明したよね? 政府の極秘プロジェクトのもと、この施設がある」
「それは聞いたよ」
「ここであったことは他言無用。誰かに話すことも、誰かと話すこともダメ」
思わず、マコトと顔を見合わせる。
「てことは……」
「お別れ……?」
二人の声が重なった。
アキがニッコリと笑う。
「マコトが出ていくのは十日後だから。それまでにたくさん思い出作るのよ」
楽しげに言うと、アキは背を向けた。
まただ、甘い匂い。頭が痛い。
「ユウキ……」
不安げにマコトが俺の手をしっかりと握った。
「大丈夫だよ、会えるって。別に監視がついてるわけじゃねえし。そうだ、俺が早くここから出られれば問題ねぇよ。そうしたら……」
マコトは何も言わなかった。ただ、俺の手をギュッと握っただけだった。
*****
何が、たくさん思い出作るのよ、だ。
引き取り手が決まってから、俺はほとんどマコトと会うことができなかった。いろいろと準備があるらしい。手続きとか、外に慣れるための練習、だとか。
マコトが非日常を過ごす中、俺は変わらない毎日を過ごしていた。
勉強して、体鍛えて、チビたちと遊んで。ただ、マコトがいないだけで。
もしかしたら、これは俺にとっても練習なのかもしれない。マコトがいなくなってもやっていけるように。考えただけで涙が出そうだ。
ようやくマコトに会えたのはリミットギリギリ。明日にはここを出ていくって日だった。
「ユウキ、いる?」
控えめにマコトがドアを開けて、覗き込んだ。
「なに?」
「ちょっと話せるかな、と思って」
「……うん」
頷くと、マコトが嬉しそうに部屋の中に入ってきた。
ベッドに座っている俺のところまで来て、抱きついてくる。その拍子に、チャラン、と金属が触れ合うような音がした。
「なんだよ……そんなにここから出られるのが嬉しいのかよ」
「うん」
こっちは気が重くて仕方がないというのに、マコトは……そう思うとむしゃくしゃしてきた。強引にマコトを自分の体から引きはがそうとするが、ままならない。マコトの力が思いのほか強かったから。
「なんだよ……離せよ」
「ねえ、ユウキ」
マコトの声が耳元で響く。
「ユウキも一緒に、ここを出よう」
は、と声が出た。
「何言ってんだ……? 俺は引き取り先も決まってなくて……」
「違うよ、二人だけで出るんだ」
ようやく、俺から体を離すと、マコトはポケットを探った。取り出したのは……鍵。金属の触れ合う音はそれが原因だったらしい。
「それ、なんだ……?」
「ここの施設の鍵。知ってた? ここって全部、外側からの施錠なんだ。中からは、この特殊な鍵がないと開けられない」
「は……?」
「つまり、自分たちの意思でここから出ていくことはできない。鍵を持っているのはスタッフだけ」
マコトがなぜそんなことを言い出し、そして鍵を持っているのか。いつもはおどおどとしているマコトとは違った。目は爛々と輝き、自信に満ちた表情をしている。
「鍵は、アキちゃんから奪った。とは言っても、ポケットに入ってるやつをこっそりとってきただけなんだけど」
「出たって行くとこないだろ……」
「働くんだよ。それで住む家を借りて、二人で暮らすんだ」
「別にそんな無茶をしなくったって、マコトは出ていける」
「でも、ユウキは一緒じゃない」
マコトが俺の頭を撫でた。それから髪を指で絡めとる。肩までの黒髪。何度も自分で切ろうとするものだから、アキにハサミを取り上げられた。
「ユウキをひとりで置いていけないよ」
「バカにするな……っ、俺は大丈夫だ」
「うそ。そんなに泣きはらした目をしてるのに?」
思わず顔をそむけようとしたけど、マコトがそれを許さなかった。両手で俺の顔を包み込むように触れた。
「本当は離ればなれになるのが寂しいんでしょう?」
「そんなこと……」
「僕だって、寂しい。だって、僕の思い出の中には全てユウキがいるから」
俺とマコトは同じ時期にここに来た。同い年ということもあって、俺たちはすぐに意気投合して、仲良くなった。親友。大好きな人。
「それは……俺だって……」
「僕と二人でここを出れば、ありのままのユウキでいられるよ」
「ありのまま?」
「無理に男のフリをする必要はない」
「だってこうしていないと……」
アキが言った。俺とマコトは違う生き物。だから、ずっとは一緒にいられない。一緒にいたかったら、同じ男という生き物になればいい、と。
そう言われた日から、できるだけ男っぽくなろうとした。私、と呼んでいたのもやめて、俺、と言った。長い髪も嫌だった。大きくなる胸も、ふっくらとした手も嫌だった。マコトはどんどん背が伸びて、ゴツゴツとしていって……日に日に、アキの言葉の意味を理解する。俺とマコトは違う生き物なのだと。
「ユウキ、好きだよ」
違う生き物だから、マコトの声を聞くと胸が痛くなる。触れられると体が熱くなる。同じ生き物だったら、そんなことはなかったはずなのに。違う生き物だというのは変えられない。俺の心をかき乱す。
「ユウキは、僕のこと、嫌い?」
「…………」
「嫌い?」
「……離れたく、ない。一緒にいたい」
マコトが笑顔を浮かべた。俺の手をしっかりと握る。
「よかった、同じ気持ちで」
おでこに唇が押し当てられた。その行為にどういう意味があるのか分からなかったけど、嬉しかった。
「僕はもう準備できてる。ユウキも荷物を用意して。あと、アキちゃんからもらったお金も忘れないようにね」
「分かった」
少し手が震えていたけど、マコトがいれば大丈夫だと思った。二人なら、大丈夫。そう、俺たちは離れちゃダメなんだ。
意を決して、ベッドから降りる。アキがもう使わないからあげる、とくれたバッグに着替えを詰める。こんなのいらないよ、と思っていたけど、まさか役に立つとは。
「アキ、俺たちが逃げたってバレたら怒られるんじゃないかな」
「優しいな、ユウキは」
「べつに……」
マコトの言葉がくすぐったくて、それ以上は何も言えなくなる。
「これから、どんなことがあるか分からない」
「うん」
「でも、二人でいられたら、それでいいよな」
「うん」
しっかりと手を繋いで、俺たちは部屋を出た―――。
*****
「浦沢さん、対象AとBがこども館から出ました」
『分かった、追跡を開始する』
電話を切ると、アキは遠くなっていく子どもたちの姿を見つめた。
「なんで逃がしてやったの?」
微動だにしないアキに少し胸がざわついた私は、思わず声をかけていた。
「え、だって二人仲良かったから、最後に思い出作れたらいいなーって」
「思い出作りにはちょっと危険が伴いすぎる」
「だから、ちゃんと護衛もつけたじゃないですかぁ」
まさか、二人を外に出すとは思わなかった。
初めて見た外の世界をどう思うのか。そして、二人で生きていけないことを悟ったらどうするのか。
「思い出なんか作らないほうがいい。未練が残るだけよ。引き取られたあとのことを考えたら……」
「それは大人の考えですよね?」
アキは私を見ると、笑みを浮かべた。
「記憶を消されて、一生懸命いい子になるように教育されて。結局、子どもたちはいつまで経っても大人の思い通り」
「…………」
「どうせなら、マコトたちはエージェントの浦沢さんを撒くぐらいのことをしてくれたらいいのになあ、と思いますけどね」
「無理よ、彼は国の厳しい訓練をクリアした優秀なエージェントなんだから」
「そうなんだ、つまんない」
残念そうに言うアキをにらんだが、彼女は首をすくめるだけだった。正直、何を考えているのか分からないアキに私は手を焼いていた。マコトやユウキと大して変わらないようにも思える。
「ねえ、雛子さん」
「なに」
「あの子たちにとって、ここは幸せな世界なんでしょうか」
「……暴力をふるう大人たちのそばにいるよりはマシだと思うけど」
「そうかな」
アキはしばらく窓の外を見つめていた。
その唇が小さく動いた。
『こんな世界、壊れちゃえばいいのに』
窓の外はまだ、暗闇。
予定では、明日の午前十時にマコトたちはここへ連れ戻されることになっている。
世界は、力を持たない人間には冷たい。
幸せも力があるものが決めてしまう。これまでも、これからも……。
〈了〉
2018年3月5日 発行 初版
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大阪府出身。東海大学文芸創作学科卒。大学卒業後、2006年よりライターとして活動を始める。女性向けゲームシナリオのほか、エッセイなどを執筆。焼き鳥とハイボールと小説、好きなアイドルのライブに行くのが楽しみ。 近著に『低体温症ガール』『REcycleKiDs』がある。