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鉄道の優等列車は「重要な駅」に停めるのが原則ですが、実際には必ずしもそうなっていないケースが少なからずあります。そのような「不都合な真実」を解き明かし、改善を促すのが本書の目的です。

なお、第1部「なぜ停める?」が21選、第2部「なぜ停めない?」が16選なのに、本書のタイトルが「36選」なのは、京急蒲田駅が両方にエントリーされているためです。





本書に掲載されている会社名、商品名などは一般に各社の登録商標または商標です。

本書を発行するにあたって、内容に誤りのないようできる限りの注意を払いましたが、本書の内容を適用した結果生じたこと、また、適用できなかった結果について、著者は一切の責任を負いませんのでご了承ください。

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不都合な停車駅36選

増田 一生

鉄道復興研究所



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  この本はタチヨミ版です。

 目 次

第1部 なぜ停める?21選


第21位 青物横丁駅
第20位 京急蒲田駅
第19位 鈴蘭台西口駅
第17位 押野駅・野々市駅
第16位 伊勢市駅


第15位 河内小阪駅
第13位 淡路駅・上新庄駅
第12位 中津駅
第10位 岡本駅・夙川駅
第9位 尼崎駅
第8位 名鉄一宮駅
第5位 花畑駅・大善寺駅・大橋駅


第3位 なにわ橋駅・大江橋駅
第2位 三軒茶屋駅
第1位 中山寺駅

第2部 なぜ停めない?16選


第16位 市川本町駅
第15位 東三日市駅
第14位 中之郷駅
第13位 桜井駅


第12位 京急蒲田駅
第10位 深草駅・東福寺駅
第9位 南茨木駅
第8位 西院駅
第7位 岡崎公園前駅
第6位 中百舌鳥駅
第5位 三国ヶ丘駅
第4位 金山駅


第3位 中央林間駅
第2位 南方駅
第1位 町屋駅

作品紹介

第1部 
なぜ停める?21選

第21位 青物横丁駅

読み:あおものよこちょう
所在:東京都品川区南品川三丁目
開設:1904(明治37)年5月8日
1日乗降人員:41,167人(2016年)
隣駅:新馬場 (0.8km) ←→(0.5km)鮫洲

 青物横丁は、京浜急行電鉄(京急)本線の駅です。1968(昭和43)年6月21日、都営地下鉄1号線(浅草線)との相互直通開始と同時に、特急停車駅に昇格しました。鉄道アナリストの川島令三氏は、昇格の背後に都会議員の圧力が働いていたと指摘しています。

 その真偽はともかく、青物横丁は実質的なターミナルである品川からわずか2.2km、3駅しか離れておらず、客観的に見て特急を停める必要があるとは言えない駅です。また、隣駅の鮫洲は優等列車の通過追い越しが可能な構造ですが、青物横丁に特急を停めれば、通常なら1分で済む普通列車との運転間隔が2分に延び、待避時間に無駄が生じます。

 京急も青物横丁停車に乗り気ではなかったらしく、地下鉄直通運転開始の6日前に、青物横丁のほか7つの特急停車駅を通過する「快速特急」を新たに設定し、昼間時の特急の半数を置き換えました。このように、さらなる上位の種別を設定して実質的に停車駅を整理する手法は、その後他社が広く採用することになります。

 京急は特急の停車駅増を逆手にとって、スピードアップを図ることに成功しました。一方で、それまで特急が10分毎に運転されていた昼間時のダイヤが、快速特急・特急の各々20分毎に改められたことで、運転間隔が不均等になり複雑になってしまったのも事実です。

 これが解消されたのは、ラッシュ時の一部と昼間時の全ての特急を「快特」(このときに正式名称を快速特急から変更)に格上げした1999(平成11)年7月31日のダイヤ改正です。特急の青物横丁停車から実に31年後のことであり、停車駅は増やすより減らすほうが難しいと痛感せずにはいられません。

 この改正に先立つ1998(平成10)年11月18日に、京急は長年の悲願だった羽田空港新ターミナルへの乗り入れを開始しました。ただし、品川方面からのアクセスは、京急蒲田のみに停車する「エアポート快特」と、青物横丁・立会川・平和島・京急蒲田と空港線内の各駅に停車する「エアポート急行」を各々20分毎に運転するのが基本とされたため、かつての快速特急・特急の並立時代と同じく、運転間隔が不均等になる問題を抱えることになりました。「青物横丁の呪縛」は、まだ滅びてはいなかったのです。

空港アクセスをイメージした京急ブルースカイトレイン(2013年撮影)

 事態が動いたのは、「京急蒲田駅付近連続立体交差事業」の完成を受けて2012(平成24)年10月21日に実施されたダイヤ改正です。これに伴い、昼間時の品川方面の「エアポート急行」が快特に格上げされ、ほぼ10分毎の運転が実現しました。「エアポート急行」は10分毎で新逗子発着に変更され、横浜方面からの空港アクセスと空港線内の各停輸送を担うこととなりました。

 これによって、昼間時に青物横丁・立会川・平和島に停車する優等列車がついに完全消滅したわけですが、その代わりに品川―京急川崎間の普通列車が毎時6本から9本に増発されました。このため、品川―京急蒲田間は昼間時でも片道21本の高密度運転になっており、車両の加減速性能が高い京急といえども余裕が乏しい状態です。増発分の普通列車はあくまでも「見返り」であって実質的な存在意義が小さいため、ほとぼりが冷めれば廃止される公算が大です。

第20位 京急蒲田駅

読み:けいきゅうかまた
所在:東京都大田区蒲田四丁目
開設:1901(明治34)年2月1日
1日乗降人員:58,396人(2016年)
隣駅:梅屋敷 (0.8km) ←→(1.4km)雑色
→(0.9km)糀谷

 京急蒲田は、京急の本線から空港線が分岐する駅です。空港線の羽田空港新ターミナルへの乗り入れと、京急蒲田駅付近の立体化の実現によって利便性が大きく向上したことは、前項で述べた通りです。立体化に伴い、当駅は上下二段式の高架駅となりました。

 問題なのは、品川方面から空港線へ直通する快特の一部が、京急蒲田を通過するようになったことです。いわゆる「蒲田飛ばし」であり、立体化に協力した地元の大田区からは当然のことながら猛反発を受けています。

 その是非については第2部で述べることにして、今回は空港線直通の快特ではなく、「本線系統の快特」を京急蒲田に停める必要があるのかを検証したいと思います。

 本線系統の快特は、久里浜線の三崎口発着で、堀ノ内から本線に入り、横浜・品川を経て泉岳寺まで運転されます。半数は泉岳寺折り返しで、残りの半数は都営地下鉄浅草線に乗り入れて京成電鉄の青砥まで直通するのが基本です。両系統を合わせると10分毎の運転となり、泉岳寺折り返し系統には2扉転換クロスシート車の2100形が主に充当されます。

 本線系統の快特(当初は快速特急)は、1968(昭和43)年6月15日の設定以来、品川―横浜間では京急川崎のみに停車していました。京浜間は首都圏随一の競争激戦区として知られていますが、京急は地道な線形改良と車両性能の向上の結果、1995(平成7)年4月1日のダイヤ改正で快速特急の最高速度を105km/hから120km/hに引き上げ、品川―横浜間を最短15分で走破するようになりました。並走するJRの東海道本線を凌ぐ快挙です。

 このダイヤは、1998(平成10)年11月18日の羽田空港新ターミナルへの乗り入れ開始に伴い、快特停車駅に京急蒲田が追加されたことで過去のものとなりました。ただ、高架化以前の京急蒲田は横浜方面からの直通列車の設定に難があり、配線を改良してもなお運転本数に制約を受けていたため、本線系統の快特を停めて連絡を図ったのは妥当な処置だったと言えるでしょう。

 しかし、高架化が完成し、横浜方面から「エアポート急行」が10分毎に空港線に乗り入れるようになった現在は、事情が大きく異なっています。横浜から羽田空港へは、本線系統の快特と空港線直通の快特を京急蒲田で乗り継ぐことも可能であり、そのほうが「エアポート急行」より数分速いですが、品川方面からの空港アクセスとのバランスを考えると明らかに供給過剰です。

 横浜方面からの空港アクセスは「エアポート急行」に任せれば十分であり、本線系統の快特は京急蒲田を通過して「京浜間最短15分」を再現することが望まれます。

第19位 鈴蘭台西口駅

読み:すずらんだいにしぐち
所在:兵庫県神戸市北区鈴蘭台南町三丁目
開設:1936(昭和11)年12月28日
1日乗降人員:1,306人(2015年)
隣駅:鈴蘭台(0.8km) ←→(0.5km) 西鈴蘭台

 鈴蘭台西口は、神戸電鉄(神鉄)粟生線の駅です。有馬線からの分岐駅である鈴蘭台と、西鈴蘭台の間の単線区間に位置し、片面ホームが1面あるだけの手狭な交換不能駅です。駅前広場と呼べる空間もありません。

 拙著「関西私鉄王国の復興計画(中巻)」で指摘したように、神鉄粟生線は2008(平成20)年度の時点で年間約13億円の赤字を計上しました。その後も利用客の減少が止まらず、存続の危機に直面しています。赤字の理由は一言では言い表せませんが、速達性の低さによる競争力の弱さが一因であることは間違いありません。

 粟生線は険しい地形を縫って走る関係で急勾配と急カーブが多く、かつ29.2kmの営業キロのうち7割以上の21.6kmが単線であるため、高速運転に向かずダイヤの制約も大きいのが実情です。中でも、根本の部分である鈴蘭台―西鈴蘭台間が単線であることの弊害は大きく、その途中にある交換不能駅の鈴蘭台西口は運転上邪魔な存在でしかないのです。

 駅間距離も、鈴蘭台から0.8km、西鈴蘭台から0.5kmしか離れておらず、駅として存続させる必要があるのか疑問です。西鈴蘭台は開業が1970(昭和45)年と比較的新しいですが、駅構内は広く相対式ホーム2面2線の構造です。さらに、2001(平成13)年までは都心方面への折り返し列車用に櫛形ホーム2面2線を有していました。

 西鈴蘭台は鈴蘭台とともに駅前にバスターミナルが整備されており、2015年の1日あたり乗降人員はそれぞれ9,196人・20,378人(有馬線含む)と、鈴蘭台西口を圧倒的に引き離しています。こうした場合、鈴蘭台西口には優等列車を停めないのが当然ですが、不可解なことに、粟生線の最優等列車である快速以下、急行・準急・普通の全てが停車します。

 本来は、西鈴蘭台を新設ではなく鈴蘭台西口の移設扱いにして、元の鈴蘭台西口のホームを撤去して複線化用地に充てるべきでした。恐らくは地元の反対で出来なかったのでしょうが、廃止しないどころか全列車を停め続けるとは何と弱腰なことでしょうか。こうした消極的な経営姿勢と、現在の粟生線の苦境が無関係とは思えません。

 前作「各駅停車がローカル線を滅ぼす」では、ローカル駅の取扱基準として以下の5つを示しました。

1)乗降人員の多い駅を残す
2)交換設備のある駅を残す
3)駅前の開発効果が高い駅を残す(新設する)
4)駅間距離に配慮して残す
5)各自治体に最低1つの駅を残す

 照らし合わせれば明らかですが、鈴蘭台西口はこれらの条件を何ひとつ満たしていないのです。将来的には廃止が望ましいですが、すぐにそれが出来ないのであれば、せめて優等列車の停車駅からは外し、少しでも遠距離からの速達性を高めるべきです。

第17位 押野駅・野々市駅

読み:おしの
所在:石川県野々市市押野五丁目
開設:1915(大正4)年6月22日
1日乗降人員:60人(2015年)
隣駅:新西金沢(1.3km)←→(0.6km)野々市

読み:ののいち
所在:石川県野々市市本町一丁目
開設:1916(大正5)年12月1日
1日乗降人員:69人(2015年)
隣駅:押野(0.6km)←→(0.5km)野々市工大前

 押野と野々市は、金沢市の都心の外れの野町から鶴来へ至る北陸鉄道石川線の駅です。以前は鶴来の先の加賀一の宮まで延びていましたが、2009(平成21)年に廃止されました。

 前作「各駅停車がローカル線を滅ぼす」でも取り上げましたが、かつての石川線では、昼間時の全列車が準急運転を行っていました。当初は、押野・野々市・曽谷・小柳を通過して加賀一の宮へ直通する「準急A」と、曽谷に追加停車して鶴来で折り返す「準急B」が合わせて30分毎に設定され、野町―鶴来間の所要時間は約25分でした。その後、1995(平成7)年3月のダイヤ改正で準急Bが準急Aに統合されています。

 石川線の交換可能駅は新西金沢・額住宅前・道法寺・鶴来の4駅ですが、準急は新西金沢―道法寺間を14~15分で走行し、それによって30分毎の運転を可能にしました。各駅停車は同区間で3駅余分に停車するので17分(2015年の陽羽里駅開業後は18分)を要し、30分間隔を維持できません。このため、昼間時の全列車を準急化したのは極めて理にかなっていました。わずか3分の違いながら、意味するところは決して小さくなかったのです。

 準急通過駅に曽谷と小柳が選ばれたのは周辺が田園地帯で人口が少ないからですが、押野と野々市は住宅密集地に位置します。にもかかわらず準急が通過するのは、都心へ直行する自社のバスの利用が多いためであり、電車との役割分担が図られていたのです。

 しかし、石川線の準急は2006(平成18)年12月1日のダイヤ変更で全て各駅停車化されました。これに伴って押野・野々市・曽谷・小柳の停車列車が増加した反面、野町―鶴来間の所要時間は30~32分に延びました。

 さらに、昼間時の交換駅が額住宅前に変更されましたが、各駅停車は押野と野々市に停まるため額住宅前―鶴来間で最短16分を要し、30分サイクルが組めません。これによって運転間隔が10分程度広がり、しかも正確な40分間隔ではないため、分かりにくいことこの上ないダイヤになってしまいました。そこまでして押野・野々市・曽谷・小柳の乗車機会を増やす必要があったとはとても思えません。

 現に、準急廃止前の2005(平成17)年に1日あたり3,638人だった石川線全体の利用客数は、翌年に3,509人、2012(平成24)年に3,186人まで減少しています。乗降人員が少なく隣駅との距離も短い数駅の便宜を図っても意味がありません。路線全体の利便性の維持を怠ったことのほうがはるかにマイナスです。早急に準急を復活させ、30分サイクルに戻すことが望まれます。

第16位 伊勢市駅

読み:いせし
所在:三重県伊勢市吹上一丁目
開設:1930(昭和5)年9月21日
1日乗降人員:8,364人(2015年)
隣駅:宮町(1.4km) ←→(0.6km) 宇治山田

 伊勢市はJR東海の参宮線と接続する近畿日本鉄道(近鉄)山田線の駅であり、相対式ホーム2面2線を備えています。開業時は山田と名乗っていましたが、所在地の宇治山田市が伊勢市に改称したのを受け、1959(昭和34)年7月15日に参宮線ともども現駅名に変更されました。

 当駅の南西約400mには伊勢神宮の外宮があり、その最寄り駅として案内されています。このため、主要駅停車型の「乙特急」は昔から当駅に停車していましたが、速達型の「甲特急」は名古屋または大阪の鶴橋から宇治山田までノンストップでした。しかし、2013(平成25)年3月17日のダイヤ改正で伊勢市は甲特急停車駅に昇格し、その4日後に運転を開始した新型観光特急「しまかぜ」も含めて、現在は全列車が停まるようになっています。

近鉄の観光特急「しまかぜ」

 近鉄の伊勢市はJR参宮線の裏口にあり、そこから右へ曲がりながら高架に上がり、進路を南へ変えて参宮線を乗り越えるとすぐに宇治山田に着きます。両駅間はわずか0.6kmで、近鉄の特急停車駅同士では最短の距離です。

 宇治山田は伊勢神宮外宮の真東にあり、外宮までの距離は伊勢市で降りた場合とほとんど変わりません。若干伊勢市からのほうが近く、かつ参道が一直線で分かりやすいですが、近鉄のホームと参宮線との間にJRの留置線が広がり、長い跨線橋で越えなければならないので、心理的には実際より遠く感じられます。

 伊勢市の2015年の1日あたり乗降人員はJRの2,266人(JR発表の乗車人員を2倍にしたもの。以下同。)に対して近鉄は8,364人(JRとの乗り換え客を含む)と圧倒していますが、立地的にはいかにも裏口という風情であり、ホーム幅もあまり広くありません。

 対して宇治山田は、1931(昭和6)年竣工の堂々たる駅舎を備えており、伊勢神宮参拝の表玄関にふさわしい風格を保っています。乗降人員も11,900人と、接続路線のない単独駅ながら伊勢市を上回っています。

 甲特急が長年にわたってこちらに重点を置いていたのも頷ける話であり、現在でも皇族や首相の伊勢神宮参拝時には宇治山田が利用されています。一般の観光輸送においても駅の印象は大切であり、甲特急と「しまかぜ」に関しては伊勢市通過・宇治山田停車に統一するのが妥当だと思われます。

第15位 河内小阪駅

読み:かわちこさか
所在:大阪府東大阪市小阪一丁目
開設:1914(大正3)年4月30日
1日乗降人員:27,790人(2015年)
隣駅:河内永和(0.8km) ←→(0.8km) 八戸ノ里

 河内小阪は近鉄奈良線の駅で、相対式ホーム2面2線の高架駅です。大阪難波から7駅(7.7km)、鶴橋から4駅(4.6km)と至近であるにもかかわらず、昔から準急が停車します。

 近鉄奈良線の沿線開発が緩やかであった頃はこれでも良かったのですが、開発の主軸が生駒トンネル東側の奈良県内に移り、生駒や学園前などの利用客が増加し(2015年は前者が49,283人、後者が54,483人)、東大阪市内の各駅を圧倒するようになって久しい昨今、準急の河内小阪停車はいかにも時代遅れの感があります。

 同様の準急停車駅に、十三の1つ隣の阪急宝塚本線の三国と、2つ隣の京都本線崇禅寺がありましたが、前者は1997(平成9)年に、後者は2001(平成13)年に停車駅から外されました。いずれも沿線での相対的地位が低下したことが主因です。

 こうした見直しを行わなかった近鉄奈良線の準急は種別としての位置づけが中途半端になってしまい、2006(平成18)年3月21日のダイヤ改正で河内小阪の4駅東側にある東花園が停車駅に加えられ、各駅停車との緩急接続を行うようになりました。また、同時に東花園以東の各駅に停まる「区間準急」が新設され、昼間時の準急の大半を置き換えました。

 しかし、河内小阪の扱いは据え置かれたままです。同駅の東側の隣駅である八戸ノ里は1日あたり乗降人員が25,686人で河内小阪よりやや少ないですが、島式ホーム2面4線を備えた緩急接続可能駅です。このため、追い越し不能駅である河内小阪に準急や区間準急を停めると、各駅停車の待避時間に無駄が生じる場合があります。

 ここは、準急と区間準急の停車駅を河内小阪から八戸ノ里に変更し、各駅停車との緩急接続を行うべきではないでしょうか。都心に近すぎる駅で緩急接続を行うと上位列車に混雑が集中してしまう場合がありますが、東大阪市は中小企業や学校が多く、必ずしも都心一辺倒の旅客流動にはなっていないので、許容の範囲内だと思われます。

 また、八戸ノ里の東側約1kmの地点には大阪モノレールが2029年度に延伸開業を予定しており、接続駅として瓜生堂(仮称)が新設される見込みです。これに対処するためにも、八戸ノ里への準急・区間準急停車は必要だと言えるでしょう。なお、具体的なダイヤ改正案については、拙著「「復興計画」の時刻表集(完全版)」と「高加減速車と多扉車の復興計画」で述べたので、ここでは割愛します。

第13位 淡路駅・上新庄駅

読み:かみしんじょう
所在:大阪市東淀川区上新庄二丁目
開設:1928(昭和3)年1月6日
1日乗降人員:50,676人(2015年)
隣駅:相川(0.9km)←→(2.1km)淡路

読み:あわじ
所在:大阪市東淀川区東淡路四丁目
開設:1921(大正10)年4月1日
1日乗降人員:32,572人(2015年)
隣駅:上新庄(2.1km) ←→(1.0km)崇禅寺
下新庄(0.9km) ←→(1.3km)柴島

 淡路は阪急の京都本線と千里線がX字状に交差する駅です。島式ホーム2面4線で、京都本線の十三・梅田方面と千里線の天神橋筋六丁目・地下鉄堺筋線方面、京都河原町方面と北千里方面がホーム上で乗換可能です。

 阪急京都本線の現在の特急停車駅は、河原町・烏丸・桂・長岡天神・高槻市・茨木市・淡路・十三・梅田ですが、この中で最も遅く、2007(平成19)年3月17日に昇格したのが淡路です。これに伴い、高槻市―梅田間での急行との違いが南茨木に停まるかどうかだけになり、急行は上新庄・南方を停車駅に加えた上で準急に改称されました。なお、ラッシュ時に運転される通勤特急は、混雑を避けるため従来通り淡路を通過しています。

 淡路での準急と千里線の接続は概して悪く、後続の特急を利用しても目的地には同じ時刻に着くケースがほとんどです。停めるからには特急との接続を優先するのは当然ですが、これでは準急が何のために淡路に停車するのか分かりません。淡路は接続駅としては重要ですが、駅自体の乗降人員はそれほど多くはなく、周辺に副都心が形成されているわけでもないのでなおさらです。

 急行からの格下げ時に停車駅が増えたのは、この問題を緩和して乗車率を向上させるためですが、地下鉄御堂筋線と交差しサブターミナル的性格を持つ南方は良いとして、上新庄に停める必要はないはずです。上新庄は以前から、阪急の乗降人員ランキングでベスト10入りすることもあるほど利用客の多い駅ですが、大阪の都心に近く、かつ京都方面への利用の比率が小さいことから、長らく普通しか停まりませんでした。遠近分離の観点からもこれは理にかなっており、むやみに優等列車の停車駅を増やすべきではありません。

『鉄道ジャーナル』2010年3月号に記載されている阪急電鉄本社へのインタビューによれば、梅田方面対堺筋線方面の利用客数の比率は、終日ではおよそ7:3ですが、ラッシュ時には11:9程度まで接近するとのことです。よって、本来はラッシュ時の通勤特急こそ淡路に停める需要があるのですが、それが供給面から難しいのは先に述べた通りです。

 逆に言えば、昼間時の落ち込みが激しい堺筋線方面への連絡のために特急を淡路に停車させる必要性は乏しいということです。また、京都方面と北千里方面の乗り換え需要は通学客を中心に一定量が見込まれますが、ここはもともと阪急の独占力が強い地域なので、やはり特急を停めてまで応えるほどのことはありません。それならば、特急は淡路通過、準急は上新庄を通過して急行に再度改称し、淡路での急行と千里線の接続を最適化したほうが、2種類の優等列車の役割分担が明確になるはずです。

第12位 中津駅

読み:なかつ
所在:大阪市北区中津三丁目
開設:1925(大正14)年11月4日
1日乗降人員:11,182人(2015年)
隣駅:梅田(0.9km) ←→(1.5km)十三



  タチヨミ版はここまでとなります。


不都合な停車駅36選

2018年3月12日 発行 初版

著  者:増田 一生
発  行:鉄道復興研究所

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増田 一生 (ますだ かずお)

1978年 大阪府生まれ
2000年 立命館大学産業社会学部卒業
2002年 同大学院経営学研究科修了
現在   総合旅行業務取扱管理者

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