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編集者ライターへの道2018

米光講座シーズン9



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目次

   この本の成り立ち      米光一成 46142228364452

《インタビュー》

   オグマ ナオト       勝田竜矢・岡三月・佐藤孝弘      7

   むらた えりか       藤原育菜・北村知子・石塚恒己     15

   岸田 浩和         水田真綾・石川明           23

   名久井 梨香        武井佳奈・森祐介・堀越愛       29

   小川 未来         宋慶一・伊集院祥久・山本耶奈     37

   青柳 美帆子        小村トリコ・阿久澤洸太郎・藤井武   45

   平野 友紀子        中嶋みどり・為国靖子         53

《巻末コラム》

   用語解説                             58

   本を編む          勝田竜矢               60

   点と点が線に        武井佳奈               61
 
   根拠のない自信       石塚恒己               62

   編集後記          石塚恒己               63

この本の成り立ち1

 講座名が長すぎる。「宣伝会議 編集・ライター養成講座 即戦力コース 米光クラス」
 長いので専任講師の名をとって「米光講座」と呼ぶ。二〇一〇年からはじまり、二〇一八年の一月二十七日にシーズン9がスタートした。
 米光講座は「実際に作る」という方針がある。原稿をどんどん書く。いい原稿はどんどん発表する。
 本も作る。インタビューをどのようにやるのかをざっくり習ったら、次は、もう実際にやってみる。
 講座6回目、インタビューの実践。
 米光講座の卒業生で、現在プロとして活躍している7人をゲストに招いた。およそ3人ずつ7チームの受講生が、ゲストを60分間じっくりとインタビューした。
 各自テープ起こしをしてインタビュー原稿を作成し、編集して、書籍化した。
 それが、この本だ。

 インタビューはチームで行ったが原稿は各自それぞれが書いた。つまり同じインタビューから複数の原稿ができることになる。だから、この本には、同じ人の同じときのインタビューが複数個、並んでいる。
 もともとは「同じ話」なのにこんなに違う原稿になる。
 書き手が変わることで、どこをピックアップするのか、どう表現するのか、どう構成するのか、が変わる。
 ふつうは、ひとつのインタビューから生み出される原稿はひとつだから、これは講座ならではの珍しいケースだ。
 原稿が、書き手によって大きく変わるということも楽しんでもらえるだろう。
 ひとつのインタビューから生み出された複数の原稿、読み比べてみるとおもしろい。

この本の成り立ち2

 語り手は、米光講座の卒業生でプロとして活躍している新人ライターや新人編集者。映像やデザインの方向に進んでいる者もいるが、とにかくフレッシュに活躍しはじめた者たちだ。インタビューをはじめて受けるという人も多い。
 聞き手は、いま講座で学んでいる受講生。
 だから、編集者ライターを目指し第一歩を踏み出した若者(っても、まあ、年齢はばらばらだけど)を、その第一歩を踏みだそうとあがいている若者(っても、こちらも、まあ、年齢ばらばらだけど)がインタビューした本になっている。後輩が先輩にインタビューしているという図式だ。
 そういう状況を想像して行間を読み取ってもらえると、またちょっと違う楽しみ方ができるだろう。

オグマ ナオト

過去の経験すべて武器になる
それがライターという仕事です

ライター・構成作家。主にスポーツにまつわる記事を執筆している。他にも「エキレビ!」でのレビューやスポーツ番組の構成作家など多彩な顔を持つ。


──受講までの経緯を教えてください。
 当時はプロデューサーの立場で広告の仕事をしていました。人出が足りないから企業のホームページや会社案内を自分でも書いたりしていたので、ライティング作業は好きでした。そこで書くことの勉強をしたいと思い宣伝会議の編集・ライター養成講座 総合コースに通ったのが始まりです。その講座で米光さんが登壇されていました。講義内容が面白く、そこで米光さんが専任講師をしている上級コースを知り、受講しようと思いました。


──当初はどんなライターになろうと思っていましたか?
 前職で自分が締め切りを守ってもらう立場にいて、その経験をもとにライターとして締め切りは必ず守ることを心がけています。それがまず、大前提。執筆については、オーダーに合わせて期待値の少しでも上を目指しています。


──ライターとしての専門分野はどうやって決めましたか?
 受講当時、プチ専門を「スポーツ」と決め書いていこうと考えていました。しかし、競争相手が多く、米光さんに自分マトリクスに出てきた「風車」を勧められました。実際に風車で書いてみると意外と書けて、面白いと褒められ自信につながりました。自分マトリクス(自分の興味のあることなどを書き出していく方法)は定期的に書いた方が良いと思います。自分では気づかない自分の興味が分かるので。出てきたワードはすべて仕事に使えると思ったぐらいです。たとえば風車だけだと弱いから「風車+映画に登場した風車」で読む人の興味を引くとか。
 スポーツライターとしては主にスポーツを軸に周辺のことを書いています。例を挙げるなら、過去のデータやエピソードを話題の事柄と結び付ける記事やスポーツ漫画のレビューをやってます。現場に行って取材をするのが一番良いのですが、それは取材パスを持っていないと難しいし、そう考えると自分はスポーツライターとは呼べないかもしれませんが、だからこそできることがあるのかな、と。


──今後はどんな風に活躍したいですか?
 年に1冊は本を出版しながらスポーツやエンタメを考察するものを書きたいです。5年、10年先のことは分からないけど今ある仕事をこなしていけば、次の仕事につながるはずだし、まずは目の前の仕事にベストを尽くすことが最善だと思います。

「エキレビ!」に掲載された漫画家ユニット・うめ(小沢高広、妹尾朝子)へのインタビュー記事。夫婦漫画家だからこそ分かる日々の生活や育児について深く切り込んでいる。

構成・勝田竜矢

自分マトリクスはネタの宝庫
組み合わせで切り口が無限に

フリーライター。文化系スポーツライターとして「週刊野球太郎」等の媒体で活躍中。スポーツ以外にも「エキレビ!」で漫画や映画レビューも行う。スポーツ番組の構成作家としても活動中。


──受講までの経緯を教えてください。
 受講時、広告制作のプロデューサーをしていました。座組を作るのが主な役割で、それなりにやりがいはありました。でも、もっと実制作に近いことをやりたくて、編集・ライター養成講座の総合コースを受講しました。米光先生が担当した回がダントツに面白く、米光先生専任の講座があると知り、受講にいたりました。


──当初はどんなライターになろうと思っていましたか?
 駆け出しのころはなんでもやってやろうと思っていました。40歳になるまではなんでも引き受けようと。なので、あえて得意ではない分野の記事も担当したり、なんでもやりました。元々知識のある分野ではなくとも、調べながら書きあげることはできますから。あとは、「できるだけエラーをしない」ですかね。例えば、締め切りや文字数を守るとか。ある編集者から締め切りを守らないライターは多いと聞いたので(笑)。


──ライターとしての専門分野はどうやって決めましたか?
 最初はプチ専門を「スポーツ」にしようと思っていました。そんな中、米光講座で、制限時間内に思いついたキーワードをできるだけたくさん書く自分マトリクスという課題をやったんです。それを見た先生から「スポーツだと広すぎるから風車にしなよ」と言われたのがきっかけで「風車」に決めました。妻が風車好きで、ちょっと前に何カ所か一緒に見ることが続いたので書いただけで。時期が違えば書いていなかったと思います。当時の課題が3回の連載で、3カ所見たので書けると思い、まずやってみました。自分マトリクスを定期的に書くのは本当におすすめ! 書いたワードは全部仕事のネタにしてますよ。1個だけだと弱いキーワードでも、組み合わせたら切り口になり得ます。例えば、風車単体じゃなくて、「風車と映画」とか。いつか書きたいと思っているのは、脚本家の坂元裕二の作品と風車について。最終回に風車が出てくることが多いんですよ。


──今後はどんな風に活躍したいですか?
 ジャンルとしては、スポーツとエンタメを考察するような記事を書きたい。でも、あまり先のことは考えてないかな。あまり遠い先を見るよりも、目の前のことを全力でちゃんとやることが大事です。それが評価されれば次の仕事につながっていきます。

飽和状態のスポーツライターの中で異色の文化系スポーツライターとして活動する。

構成・岡三月

漫画好きなスポーツライターはホームランより打率で勝負する

スポーツ観戦の新しい楽しみかたを提供するスポーツライター。過去のスポーツニュースとスポーツ漫画に詳しい。2014年『福島のおきて』を出版。「全力を尽くす」が信条。


──受講までの経緯を教えてください。
 仕事は広告プロデューサーをやっていたけど、制作のど真ん中の仕事をやりたくなって米光講座を受けました。講座の課題には全力で取り組みました。当時も今もそうですが、すごく遠くの目標を目指すよりも、目前にあることに全力を尽くすようにしています。


──当初はどんなライターになろうと思っていましたか?
 締め切り日を必ず守るようにしてきました。仕事はクライアントの要求よりも少しでも質の高いアウトプットをするようにしています。締め切りより前に提出し、編集者と話して、質を上げることもしました。
 福島やスポーツは自分の中にあるテーマなので書きやすいです。仕事だけでなく、生きてきたことすべてが、ライターには役に立つんじゃないかなと思っています。


──ライターとしての専門分野はどうやって決めましたか?
 旅行で観たことのある「風車」をプチ専門にして新しい書き方を知りました。興味があるのはスポーツだったけれど、「風車」で視野が広がった。映画にでてくる風車を書いたら米光さんに褒められ嬉しかったです。
 スポーツライターは現場取材したほうがいいけど、僕は取材パスを持ってない。だから人がやっていないスポーツ漫画のレビューを「エキレビ!」で書き始めました。
 好きなことは、蓄積があるので効率的に書けます。あるとき、漫画の『ドカベン』と同じことが現実に起きて、それについて何か書いてという依頼がきたんです。水島先生の漫画には予言めいたことが他にもある、という話を書きました。いろんな切り口で書くことを意識するとバリエーションができます。この情報は本に使える、これはあの仕事と関連するという意識をもつといいです。多くの情報をインプットするだけでなく、もともと持っている知識や経験とどうつなげるかが大事だと思います。



──今後はどんな風に活躍したいですか?
 ホームランを狙うのもいいけど、安定したパフォーマンスを残そうと意識してやってきました。今のところメインで仕事をしているクライアントは年ごとに変わっています。意識的に変えたのでなく、結果的にそうなっていました。
 年1冊は本を出したい。また、坂元裕二作品に登場する風車について書きたいです。

福島への郷土愛を感じる本。福島県民でなくても楽しめるネタ満載。

構成・佐藤孝弘

この本の成り立ち3

 BCCKSというネット上のサービスを使って、この本は作られている。電子書籍や紙の本をつくり、公開できるサービスだ。ページ割り、校正校閲、流し込み、来てない原稿の発覚、表紙はどうする? 1行オーバーしてる、用語が統一されてないところが見つかった、いろいろなことが起こる。受講生の有志がチームを組んで、見事ちゃんとやりとげた(と過去形で書いたが、この原稿を書いている時点では本当はできてない。でも、もうだいじょうぶ。完成が見えてきた。予言として過去形で書いとく)。「わかっている」と「実際にできる」は違う。やった者だけが、次に進める。

むらた えりか

「ライティングに正解はない」
ライターになって見つけたもの

宮城県出身、東京都在住のフリーランスライター。ドラマのレビュー、インタビューなどのWeb記事や、書籍のライティング、編集も行う。米光講座7期生。


──受講までの経緯を教えてください。
 青柳美帆子さん(米光講座3期生)の『「ライターになる方法をおしえて」と訊くような子はなれないでしょう』というブログがきっかけでした。20代のうちにライターに関する勉強だけはしておこうと思って。


──当初はどんなライターになろうと思っていましたか?
 スーツアクターを地元の宮城県で2年間やっていました。平行して日本語教師をしていたのですが、2011年の震災で仕事がなくなっちゃったんです。2012年に、何か書き物の仕事をしたいと思い上京しました。そして、2018年の1月からフリーライターに。
 受講した当初は、書き方とか営業の仕方とか、何か正解があると思っていたんです。はじめは、講座の課題を米光先生に褒めてもらっていました。でも、講座にいらした編集者さんにはボロクソに言われて……。それで「正解はないんだ」と知りました。見る人や、誰に届けたいかによって書くものや良いものが変わるというのが衝撃的でした。
 前にディーン・フジオカの写真集やドラマのレビューを書いた時、ファンの方が喜んでくれて。その時から、読み手に伝えてあげたいという気持ちがモチベーションです。また、お世話になっている編集さんに喜んでほしいというのもあります。


──ライターとしての専門分野はどうやって決めましたか?
 私である必要があるものを探したい。今、自分で「これがいい!」みたいなものがなくって。でも、頑張って書いていたら周りが見つけてくれるっていうのはあるのかなって思いますね。
 2017年からフォークダンスを再開して、広報をする人がいないので、これは私である必要があるかもしれないです。




──今後はどんな風に活躍したいですか?
 最近、ライターは言いたいことを全部出せるわけじゃないというのを実感しています。読む人がいなければ、媒体にも載らないので。自分が書きたいからという気持ちでライターを目指したけれど、今は読む人のためにと考えるようになりました。
 また、地方や海外の取材をやるためには、取材費が必要なので、どう取ってくるかを考えています。頑張るぞって気合い入れのためにインタビューを受けました(笑)。

「読み手に伝えたい」というモチベーションのきっかけとなったディーン・フジオカの写真集レビュー記事。

構成・藤原育菜

届けたいものを届けたい人に。読む人あってこそのライターだから

宮城県出身。2012年に上京。主にジェンダー関係の記事を執筆。今後はフォークダンス記事に意欲。


──受講までの経緯を教えてください。
 2011年の震災がきっかけです。宮城で日本語教師とスーツアクターをやっていました。震災で仕事をなくして、2012年に上京し広告やライターを始めました。青柳美帆子さんがブログで米光講座を紹介していて、受講を決めました。


──当初はどんなライターになろうと思っていましたか?
 好きなジャンルが似ていたから、青柳さんみたいなライターになるのかな、と思っていましたが、違う方向に行きました。ライターは言いたいことを言えるイメージだったけど、それを仕事にするのは難しいなと。
 言いたいことは同人誌で書けばいい。読む人のために書くのがライターだと、今は思っています。広告業界にいたこともあって、読者の要望や見たいものを考える癖はついてますし。


──ライターとしての専門分野はどうやって決めましたか?
 自分で「今はこれがいい!」というのがなくて。ドラマやジェンダー、ディーン・フジオカについて書くのは見てくれている人がいるから。頑張って書いたら読者が見つけてくれるというのはあります。


──今後はどんな風に活躍したいですか?
 自分である必要性のあるものを探したいです。例えばホヤが好きだけど、ホヤを書く人は他にいて、私である必要性はない。で、最近フォークダンスを。やってる人も観る人も少なくて。どう増やそうかと思っていたらフォークダンス業界のライターがいないことに気付いた。自分の広告とライティング知識を活かして業界で何かしたいです。
 あと、自分の中核としてジェンダーや性風俗関連をやっていきたい。上京前に風俗業界で女の子のプロフィールを作ってたことがあるんです。しんどい思いをしてる女の子のことを伝えるのが「上手いね」って褒められて。注目されない人の声を届けたいです。だって「何で聞かないの?」って憤りがあるから。「こんなに頑張ってる人いるのに」って。他の人が聞かないことを私が聞きたいって気持ちはすごいあります。私はPV至上主義みたいなの嫌だし、目標じゃない。届けたい人に届けたいものを届けるほうが私には合っている。PVを目標にしない人になりたいです。

ディーン・フジオカ主演のドラマ「今からあなたを脅迫します」の各話レビューを「エキレビ!」で執筆し、評判を呼んだ。

構成・北村知子

悔しさと憤りをバネに
「読者のために」と書き続ける

宮城県出身。スーツアクターや日本語教師などユニークな経歴を持つ。震災後に上京し、現在はフリーライターとして「エキレビ!」や「ダイヤモンド・オンライン」など数々の媒体で執筆する。


──受講までの経緯を教えてください。
 震災で勤め先の日本語学校が廃校になりました。スーツアクターはそもそもイベントあっての仕事。教師でもヒーローでもなくなったとき、やりたいことに挑戦しようと思って。私、ずっと書き物の仕事に憧れがあったんですよ。
 最初に見つけた仕事は風俗業界のライターでした。店のキャストのプロフィールを書いたり、風俗情報誌に寄稿したり。それから上京して今度は広告業界に飛び込んだものの、脅迫めいたコピーを書き続ける仕事は肌に合わなかった。そんなタイミングで米光講座に出会いました。


──当初はどんなライターになろうと思っていましたか?
 ブログが炎上したこともありました。ライターになっても叩かれるんだろうなとぼんやり考えていたぐらいです。そして、その予感は的中してしまいました。
 だからこそ、人の良いところを紹介するように心がけています。今の時代はアイドルにしろ俳優にしろ、叩く材料が見つかればネットで袋叩きに遭う。ファンはきっと自分のことのように悔しいはず。そこに私の記事を届けることで喜んでもらいたいんです。叩いている人への私なりの意趣返しでもあります。


──ライターとしての専門分野はどうやって決めましたか?
 実はまだ肩書きを決めていません。名乗れそうなものもあるんですけどね。たとえば私の大好物、ホヤ。勝手に「ホヤ親善大使」を名乗って記事を書くことだってできるはず。でも、書き手が私である必要ってあるのか。ホヤに限らず、何にでもこういう疑問を抱いてしまうんです。
 それでもディーン・フジオカの写真集やドラマのレビューを立て続けに執筆していたら、私=ディーン・フジオカというイメージが読者の一部に定着したみたいで。肩書きは必ずしも自分で決めなくてもいいのかもしれません。

──今後はどんな風に活躍したいですか?
 埋もれている人の声を拾って届けたいと思っています。頑張っているのに見向きもされないなんてもったいないじゃないですか。そこに憤りさえ覚えてしまうので、やっぱり私、負けず嫌いなんでしょうか。

ディーン・フジオカのデジタル写真集のレビュー。「首元を拡大して『こんなところにホクロがあるんだ……』と、夜中にときめき倒した」とつづり、おディーン様ファンの共感と支持を集める。

構成・石塚恒己

この本の成り立ち4

「米光講座に卒業はない」
 半分冗談で言っている。インタビューを受ける側としてゲストに来てもらったのは「卒業生」だ。いまだにメッセージのやりとりをしたり、いっしょに仕事をしている「卒業生」もいる。講座に遊びに来てもらって、新人としての立場で話をしてもらうこともある。
 講師が話しても伝わらなかったことが、近い存在である先輩が話すと「そうか!」と伝わったりする。
 だから、どんどん先輩に遊びにきてもらって、わいわいと交流できる講座にしているのだ。

岸田 浩和

道なき道を切り拓いて「映像作家」になるまで

短編「缶闘記」で映像ドキュメンタリー監督デビュー。複数の映画祭に入選。企画立案、取材、編集まで一貫した映像制作を行う。Webメディアから広告分野など幅広く映像制作を行う。


──受講までの経緯を教えてください。
 大学卒業後、モヤモヤした気持ちで10年くらい働いていました。久しぶりに大学時代の友人に会ったら「もったいない!」って叱られたんですよね。在学中は人が行ったことのない場所に興味を持って、海外留学に行くなどしていましたから。岸田は自分を生かして働いたほうがいいって言われたんです。そこから、経験したことを人に伝える仕事がしたいと思って、編集・ライター養成講座に入りました。


──当初はどんなライターになろうと思っていましたか?
 ルポライターになろうと思っていましたね。ですが、講座を終えたからといって、すぐになれるわけではなくて。俺はこの後どうしたらいいんだろうと愕然としていたときに、ちょうど東日本大震災が起きたんです。被災地に行けばもしかすると取材のチャンスがあるかもしれないと思いました。すぐにジャーナリストをしている大学の先輩に、「被災地の取材を手伝わせて」と連絡をして。行ってみると、たまたま欧米人が一眼レフのカメラで動画を撮っていたんですよね。そこからルポライターとして映像にも興味を持ち始めました。


──ライターとしての専門分野はどうやって決めましたか?
 ライターではなく映像を専門にした話になってしまうのですが。缶詰工場に取材にいったとき、個人的に撮影した映像をFacebookに上げてみたところ、結構反響があったんですよ。「すごく素敵だからもっと手直しをしてみなよ!」って。どんどん周りが応援してくれて、初めての作品「缶闘記」ができました。2012年に映画祭に出してみたら優勝して、そこから映像の仕事が来るようになったんですよね。


──今後はどんな風に活躍したいですか?
  当面はWebメディアだけでなく、収入面での支えとして広告映像の仕事もしていく予定です。ゆくゆくは、自分の企画したドキュンメンタリーコンテンツの制作だけで、たべていけるようになりたいですね。またWebメディアの土壌はまだ小さいので、僕が持っている情報は全部開示して、やりたい人をどんどん集めて、この土俵自体を大きくしていきたいです。

京都の懐石料亭「桜田」が店を閉める最後の100日と禅の世界を描いた「SAKURADA Zen Chef」は、The Food Film Festival NYC 2016で最優秀短編賞、観客賞を受賞。

構成・水田真綾

映像記者という新領域に挑戦
自分で企画し映像で思いを伝える

「缶闘記」で映像ドキュメンタリー監督デビュー。複数の映画祭に入選。企画立案から編集まで、一貫した映像制作を行う。広告分野での映像制作にも展開。関西学院大学等で講師をつとめる。


──受講までの経緯を教えてください。
「岸田の場合は、海外に行ったり、いろいろやっていたりしたのに、経験を生かしていない。何をしてんだ」と、会社員生活10年目に、大学のゼミ仲間に怒られたんですよ。自分でもやもやしていたことが、あらわになって、課題が見えてきました。そこで編集・ライター養成講座を受けることにしました。


──当初はどんなライターになろうと思っていましたか?
 大変なことが起こっている場所に行って、自分の目で見て、それを伝えることをやりたいと思ってました。自分で取材して、ペン1本でできるルポライターをイメージしていましたね。


──ライターとしての専門分野はどうやって決めましたか?
 2011年3月の震災後、Twitterで見つけた大学の先輩に、被災地の取材に行きたい、連れて行ってくれないかって頼んだのが、最初のきっかけでした。
 被災地に足を運び、取材しながら写真も撮りました。ところが、自分と同じカメラで欧米人が動画を撮っていました。動画が、急に身近な表現手段になりました。
 毎月ライター仕事で東北取材に通ったのですが、その合間に宮城県の缶詰工場に立ち寄っては映像を撮り続けました。その映像を使った習作として「缶闘記」をFacebookに上げてみたのです。そうしたら「すごく良いから俺英語の字幕をつけられるやつ探すから」など周囲が手伝ってくれ、「缶闘記」は2012年に映画祭で優勝しました。映像をやったほうがいいかなと感覚的に思い始めました。


──今後はどんな風に活躍したいですか?
 自分で企画を作って映像で表現する映像記者の仕事を中心に、収入確保のために広告映像の仕事もやっていきます。
 インターネットの発達、Webメディアの充実を背景に、映像制作は進化しています。様々な規制を受けるテレビ制作の現場よりWeb映像の方が多様で面白いものが作れます。そこで、Web映像の分野をこれからさらに発展させたいと思います。自分が得た映像制作に関するノウハウや情報をどんどん発信して、まずはコンテンツの作り手を増やそうと考えています。その中で、もまれながら自分の作品作りに挑戦していきたいです。

「 缶闘記 」(2012)。東日本大震災の津波で被災した宮城県の缶詰工場の再起を追いかけた1年間のドキュメンタリー作品。缶詰の泥を落とす日々が続く。

構成・石川明

この本の成り立ち5

 米光講座は実践を重んじる。やらなきゃわからん。頭で考えても、口頭で教えを受けても、実際にやってみるまでは、本当のたいへんさはわからない。実際にやってみる。たいへんだし、思いもしなかったトラブルが起こる。乗り越える。いくつかは失敗する。どうにかそれをカバーする。カバーしきれないこともあるから、えいやとやっていく。経験を積む。完成させる。そのために何を犠牲にし、どう考えるべきかを体感していく。
 やった者だけがつかめる秘密がある。

名久井 梨香

愛好家から専門家へ
カレーで広がる仕事の幅

新卒でマイナビに入社するが1年で退職。フリーライターを目指し編集・ライター養成講座の総合コースに通い、卒業制作で最優秀賞を獲得。現在はカレーを専門に執筆している。


──受講までの経緯を教えてください。
 編集・ライター養成講座 総合コースを受講して、卒業制作で最優秀賞を取ったんです。それがきっかけで「みんなの経済新聞」でライターデビューしたのですが全然稼げませんでした。ライターとしての収入は一万五千円くらいで、バイトもふたつ掛け持ちしていました。なので、フリーランスなのかフリーターなのかわからない感じでしたね。ライターとしてもっと上のステップにいきたい、もっと稼げるようになりたいと思って、米光講座を受講しました。


──当初はどんなライターになろうと思っていましたか?
 ライターの犬山紙子さんに影響を受け、女性向けのエッセイやコラムを書けたらと思っていました。実際に何回かそういった記事も書いたのですが、書いているうちに自分の考えを主張するよりも、人の意見やいい話を世に伝える方が好きなんだって気がつきました。


──ライターとしての専門分野はどうやって決めましたか?
 カレーの専門家を取材したときに「カレーのブロガーはたくさんいるけど、ライターはいないから、カレーライターとして頑張ってみたら?」と言われたんです。カレーが好きだったこともあり、その一言がきっかけとなって食べ歩きや勉強を始めました。本場のカレーを学ぶため、インドにも行きましたよ! 今はライターの仕事以外に専門家としてテレビに出たり、新しくオープンするカレー店の試食や、レトルトカレーの商品開発のアドバイスなどコンサルティングのような仕事もしています。


──今後はどんな風に活躍したいですか?
「名久井さんが取材に来てくれました!」とお店の人がSNSに書き込んでくれるくらい有名になれたら嬉しいですね。
 あとはカレーの知識をもっと増やして、コンサルティングの仕事も増やしていきたいと思っています。コンサルティングの仕事をして、週に何本か記事を書いて、休みの日は趣味のサッカー観戦をする。そんなゆとりのある生活が理想です。

「ぐるなび」が運営する「ぐるたび」で全国各地のカレー店を紹介する連載をもつ。専門分野をカレーにするきっかけをくれたカレー専門家の井上岳久とともに取材を行っている。

構成・武井佳奈

専門分野の作り方は
ジャンル横断がカギ

1989年生まれ、東京都出身のフリーライター。カレー調査隊として「ぐるなび」で連載を持ち、カレー専門家として新聞や雑誌、テレビにも出演。商品開発のコンサルタントも手がける。


──受講までの経緯を教えてください。
 新卒で入った会社では、広告の飛び込み営業をする毎日。1年目から辛くて、とにかく辞めたい一心でした。ライターなら、趣味の旅行をしながらできるかな? なんて思ってるとき、駅で宣伝会議の編集・ライター養成講座 総合コースのポスターが目に入ったので、通ってみたら、卒業制作で最優秀賞をいただいて。その後、会社を辞めてライターデビューできたはいいものの、原稿料は1本千五百円くらいの仕事だったので、アルバイトをふたつ掛け持ちしていて、フリーランスなのか、フリーターなのか……。そんな状況を変えたいと思って、米光講座を受講しました。


──当初はどんなライターになろうと思っていましたか?
 最初はやりたいテーマがみつからず、来た仕事はなんでも受けていたんですけど、知識が積み重なっていかないし、休みはゼロ。これではダメだと思って、映画や音楽のライター講座にも通ったんですけど、映画を年に五百本見る人とかいるんですよ。それには勝てないし。



──ライターとしての専門分野はどうやって決めましたか?
 いろいろ考えているなかで、カレーに興味が出始めたとき、専門家を取材する機会があったんです。その方から「カレーブロガーはたくさんいるけど、カレーに詳しいライターはいないから、頑張ってみたら?」って言われて。それがきっかけで、本を買ったり、講座に通ったり、本場インドに短期留学したり。カレー好きの方々は、みなさんそれぞれ好きなジャンルが細かく分かれているんですけど、私はライターとして、歴史や成り立ち、スパイス、店舗、製品情報まで、ジャンルを横断して網羅するつもりで勉強し続けています。




──今後はどんな風に活躍したいですか?
 実は去年、カレーの食べ過ぎで胃が荒れて、ドクターストップが出ちゃって(苦笑)。カレーの食べ歩きは数カ月お休みしたんですけど、紹介したお店から「記事のおかげでお客さんが増えた」ってお礼を言われると、やっぱりうれしいんですよ。これからは、数カ月で古くなってしまう新店舗の情報だけじゃなく、『星の王子さま』みたいに、ずっと残っていく本を作ってみたいです。

カレーの書籍製作に携わるほか、Jリーグの横浜F・マリノスのファン歴は17年。その知識を活かしサッカー関連の書籍構成を担当したことも。

構成・森祐介

専門をきっかけに広がるチャンス
仕事につながる探求心

新卒で広告会社に入社後、会社員に向いていないとの思いから1年で退職。編集・ライター養成講座で最優秀賞を受賞し2013年にライターデビュー。カレーライターとしても活躍。


——受講までの経緯を教えてください。
 フリーランスになりたかったんです。当時は不動産広告の飛び込み営業をしており、辛い……辞めたいと。ライターならできるかなという安易な考えで宣伝会議編集・ライター講座 総合コースに通い始めました。退職した翌月の2013年4月に、講座の卒業制作で最優秀賞を受賞しました。ライターデビューしても最初は全然食べていけなかったので、もっと勉強しようと思い米光講座を受講しました。


——当初はどんなライターになろうと思っていましたか?
 当時は犬山紙子さんのような、女性向けのコラムニストになりたいと思っていましたね。でも徐々に、自分の意見を主張するより他の方の話を伝えたいという気持ちに変わりました。最初は労働問題に興味があって、世の中への反発心もあったんですが……今は穏やかになりました(笑)。


——ライターとしての専門分野はどうやって決めましたか?
 カレーの専門家を取材したのがきっかけです。その時「今までカレーブロガーはたくさんいたけどカレーライターはいなかったから、頑張ってみたら」と言われて。その方の紹介で今はカレーの連載をもっています。本を読むだけでなく、既製品の勉強もしました。カレーの知識を得るためにインドに短期留学もしましたね。知識がついたことで些細なことに疑問を持てるようになり、深い質問が出来るようになりました。


——今後はどんな風に活躍したいですか?
「名久井さんが来てくれた!」とお店の方が喜んでくれるようなライターになりたいです。以前嬉しかったのが「記事のおかげでお客さんが増えた」と言っていただいたこと。私の記事で誰かが「行ってみよう」と思ってくれるのは嬉しいです。あと、企業の裏側をサポートする仕事もやりたいです。以前とある社長を取材したことがきっかけで、その方のカレー店で試食の仕事をしたことがあるんですよ。レトルトカレーの開発者にトレンドをレクチャーしたりもしました。今後はそういった、コンサルティングもやっていきたいです。

カレーライターの活動をきっかけとして、2017年9月にはテレビデビュー。カレー屋開店の際にアドバイザーとして参加するなど、ライター業以外にも活躍の場を広げている。

構成・堀越愛

この本の成り立ち6

 インタビューの実践講座は、インタビューする側だけじゃなくて、インタビューされる側も大きな学びになる。自分のことを聞かれるので、それまでにあれこれ自然と頭で、自分のこれまでの活動をふりかえる。整理する。どう話せば伝わるか考える。インタビューされる側に立つことで、「インタビューする」ということがどういうことか、よく理解できる。
 インタビュー実践講座のもうひとつの目的は、先輩と後輩が出会う場をつくることだ。卒業生たちがひさしぶりに会う場でもある。そういう出会いが自然にできるのが嬉しい。仲間を見つけて、切磋琢磨していってほしい。

小川 未来

「面白そうだからやってみよう」を長期スパンでやるしかない

東京出身。編集者。大学3年から編集者として活動。大学卒業後は週刊誌の編集を経て、現在は大手ポータルサイト「suumo.jp」のコンテンツマーケティングを担当。


──受講までの経緯を教えてください。
 大学に入る前、進路を考えていたときに編集ライターという職業が気になっていて、Twitterで米光さんをフォローしたんです。2週間後ぐらいに体験講座を無料でやりますとタイムラインに流れてきて。うじうじ悩んでたら「とりあえず体験に来なよ」と米光さんが返信をくれたのがきっかけですね。


──当初はどんなライターになろうと思っていましたか?
 ライターよりも編集に興味があったんです。最近実家から中学時代の進路相談の書類が出てきて、読んでみたらいくつかある進路希望の中に編集者って書いてありました(笑)。
 母が音楽ディレクターで、仕事内容は母から聞いていました。僕は音楽は才能なかったし、漫画を読んだり企画を消費したりするのが好きだったので、いわゆる編集かなと、だんだん意識するようになっていったんだと思います。


──ライターとしての専門分野はどうやって決めましたか?
 講座での専門は「左利き」でしたが、2、3本原稿を書いて手が止まっちゃって。
 今は編集者ですが、いまだに専門みたいなところで腹落ちできてない。マルチで活動しているし、なにかに興味があるわけでもない。なので「面白そうだからやってみよう」を長期スパンでやるしかないなと。今後の宿題ですね。


──今後はどんな風に活躍したいですか?
 今の仕事が副業OKなので余暇の範囲ですが、個人活動でインバウンド向けの東京観光メディアを1年近く準備しています。
 僕は美味しいものを見つけるとき、雑誌で見てから「食べログ」で裏取りするんです。そんな雑誌とWebの良いところを融合したメディアを作りたい。イメージとしては3カ月に1度の更新で、長期的価値があるものを定義して編集してバンッ! と出す。僕が興味があるのは圧倒的にフロー型よりストック型メディア。2、3年後に評価されればいいかなって思ってます。

「4サイトを俯瞰して、「SUUMO」のコンテンツ戦略をつくるのが僕の仕事です」(小川)

構成・宋慶一

コンテンツはちゃんと編んで作りたい

東京出身、編集者。大学卒業後、週刊誌の編集を経て、現在は大手ポータルサイトのコンテンツマーケティングを担当。個人では東京のインバウンドメディアを今夏リリース予定。


──受講までの経緯を教えてください。
 Twitterで告知されていた体験講座に行ったことがキッカケです。当時、高校3年生の自分は人見知りで、ハードルが高かった。でも参加するか悩んでいたら、リプライをもらいました。「とりあえず来てみなよ」って。キラキラしてる表参道で、『ぷよぷよ』を作った人が講師ということにも惹かれて行くことにしましたね。


──当初はどんなライターになろうと思っていましたか?
 そもそも中学生の頃には編集という仕事を意識していました。音楽ディレクターだった母の影響で、才能ある人、コンテンツのもとになる人をディレクションする仕事っていうのが頭の中にあったんだと思います。ただ、講座を受けているときは編集とライターの両方に興味がありました。なかなか決めきれず、就職活動の時期が迫っているときに休学を選びました。人生でやり残したこととか、次のステップに進むために足りてないことをやってるうちに、編集に決まっていきました。


──ライターとしての専門分野はどうやって決めましたか?
 専門性は講座にいた頃から引きずってる課題なんです。やはり時間をかけないと分からないので、面白いと感じるものを今よりも長期的にやってみるしかないのかもしれません。講座のときは「左利き」について書いていたのですが、少し原稿にしただけで、手が止まっちゃって。おそらく専門って、5年、10年単位でやってる人が成功なんですよ。まだ26歳なので、これから挑戦していきたいと思っています。


──今後はどんな風に活躍したいですか?
 新しいものは好きなんですけど、毎日違うものを作っていくのはキツイ。この瞬間に出来上がったコンテンツが長持ちせずにゴミになってしまうこともあります。僕はそもそも最先端のところに立って、その先を自分が切り開いていくタイプではないんです。だからではないですが、ストック型メディアの方が僕がいまやるべきことなんじゃないかなって。いまは土日を利用して自分でコンテンツを作っています。その延長線上で、価値があるものをちゃんと編む編集がしたい。いずれは書籍もちゃんとやりたいです。

リクルートによる不動産・住宅に関する総合サイト「SUUMO」にてコンテンツマーケティングを担当。

構成・伊集院祥久

「好きなこと」より「できること」
編集者って無能で、無限だ

東京出身。編集者。学生時代から編集者として活動。大学卒業後は週刊誌の編集を経て、現在は大手ポータルサイトのコンテンツマーケティングを担当。


──受講までの経緯を教えてください。
 高校3年の終わりに、編集・ライターでいい情報源ないかなと探したときに、米光さんをTwitterでフォローしたことがきっかけです。大学2年のとき休学して、受講を含めいろんな選択肢を試した結果、「編集者」という進路を決めました。


──当初はどんなライターになりたいと思っていましたか?
 モヤモヤした時期を経て、自分はひとつの記事を書くよりは全体の大枠を考えたりすることが得意だと分かりました。「ライター」って名乗った瞬間に「じゃあ何書いてるの?」って言われる。けど編集って、なんでも編集なので(笑)。僕は理屈から入るほうだし、頭でっかちな文章しか書けないけどそれがある意味自分の「型」だと、最近は開き直っていますね。


──ライターとしての専門分野はどうやって決めましたか?
 講座でさんざん言われたのが「専門性」ということ。あえて言ってしまうと、僕は今だにそれが自分の中で腹落ちできていません。何かに興味があるわけでもないので、そこは講座にいた頃から引きずっている宿題ではあります。けどそれは「面白そうだからやってみよう」っていうのを長期スパンでやるしかない。僕はそこの挑戦って、まだ全然できていないなって思っています。


──今後はどんな風に活躍したいですか?
 就職活動をしていた頃のほうが、フリーという選択肢は現実味がありました。でも会社員になって思うのは……フリーになって今より好きな仕事ができるかというと、僕の実力では難しい。ポイントは「好きか嫌いか」ではなく、「稼げるか」と「得意か」ですね。
みんながSNSとかテレビ、動画などの「フロー型メディア」を見ている中で、僕は圧倒的に「ストック型メディア」に興味があるんです。稼げるのもそっちだと思う。動画1本つくるのにすごくコストがかかる。なのに次の日にはゴミになる。今は土日に自分でプロダクトを作っています。ストック型を目指していて、3カ月に1回更新するようなイメージ。価値のある情報を自分で定義づけて編集して、それが年単位で評価されればいいかな。今回失敗したとしても、ずっと何かしら自分のプロダクトは作っていきます。それがうまくいったら……法人化も選択肢のひとつかもしれませんね。

「suumo.jp」全体のコンテンツマーケティング戦略を作るのが仕事。「副業OKだし、成果を出せば認めてくれる会社」(小川)。

構成・山本耶奈

この本の成り立ち7

 インタビューの依頼や、原稿のやりとりなども、各自がやる。ccで、ぼくも入れてもらうようにしているが、よっぽどのことがないかぎり口をはさまないようにした。もちろんここでもあれこれトラブルがあった。二度つづけて名前を間違えるといったミスも出てくる。連絡が途切れたりする。途中で抜ける奴も出てくる。起こるトラブルは小学生でも判断できるようなレベルのことだ。「わかっている」と「実際にできる」は違う。やった者だけが、次に進める。

青柳 美帆子

読み手を意識することが
「面白い」への第一歩

2011年の米光講座シーズン3を受講。講座修了後はフリーライターとしてエンタメジャンルを中心に執筆。2016年にアイティメディアに入社し、編集記者を務める。


──受講までの経緯を教えてください。
 米光さんのファンだったのがきっかけです。当時は就職活動を始める時期でした。


──当初はどんなライターになろうと思っていましたか?
 受講前、私は人より上手に書けるだろうという自信がありました。それが原稿を出す中で、現実が見えてきたんです。
 米光講座では、それぞれが自分の得意分野であるプチ専門を設定して連載原稿を作ります。私は同人誌が好きだったので専門に選びました。でも、それってニッチな分野ですよね。その情報に興味を持つ読者がどれだけいて、どう役に立つのか。そういった視点がすっぽり抜けていました。


──ライターとしての専門分野はどうやって決めましたか?
 講座の中で大きな出会いがありました。「エキレビ!」編集長のアライユキコさんです。何度か原稿を見てもらううちに、私個人の興味関心よりも「アライさんが面白いと感じる原稿を書きたい!」と思うようになりました。初めて意識した「読者」です。それから、読者が求めるものは何かということを考え始めたんです。
 試行錯誤の中で、身の回りに起きた面白いことを書こうとした時期もありました。部屋が汚いとか。それは短期的にはすごく面白いのですが、長くは続かない。なぜなら、私がその事象をハンドリングできないからです。
 部屋が汚いのは私の専門性なのかと考えると、たぶん違う。ただの人間性ですよね(笑)。専門性って、「自分の得意分野をこんなふうに扱えますよ」と、人に対して提示することだと今は思っています。


──今後はどんな風に活躍したいですか?
 今はアイティメディアの社員として、ビジネス系の記事を担当しています。これは私の興味関心とはまったく違う分野なので、より明確に読者を意識しないといけない。メディアのカラーを突き詰めていくことで、その中での「面白い」を見つけられるんです。
 葛藤もありますけど、楽しいですよ。以前は苦手だったことができるようになってきている。このまま走り続けたいですね。

「ITmedia ビジネスオンライン」での執筆記事。「フリーの頃、原稿に自分の色を出すことに必死でした。今は書き手の個性よりも、記事の情報を大切にしています」(青柳)

構成・小村トリコ

米光講座からPVを意識するまで

米光講座を受講中にライターデビュー。共著に電子書籍『若手ライターはいかに生きるべきか』。現在は「ITmedia ビジネスオンライン」にて編集記者。


──受講までの経緯を教えてください。
 もともと、米光さんのファンです。Twitterを見ていて受けてみようと思ったのがきっかけです。10万円は高いですが、体験講座で米光さんがプロになればペイできるよ、と言っていてそうだなと思いました。体験講座もすごく面白かったので、やってみようと決めたんです。その前に姉が立ち上げていた小さな編集プロダクションで、ライター仕事の手伝いをしたことがありました。大学の3年の中頃に就職活動が始まるのですけど、そのちょっと前に米光講座に入りました。


──当初はどんなライターになろうと思っていましたか?
 やれるかもしれないからやる、ということで始めました。今は死ぬほど仕事はあるじゃないですか。三千円くらいの仕事でいいということだったら、なれてしまう職業ですね。


──ライターとしての専門分野はどうやって決めましたか?
 受講中に決めたプチ専門は「同人誌」です。最初は「東京ビッグサイトのトイレを攻略!」を書きました。同人誌の記事はニッチすぎると「エキレビ!」のアライさんから指摘を受けましたね。同人誌専門メディアは成立しないじゃないですか。そんなに読者はいないから。パイが大きい所に行こうと思いまして、「エキレビ!」で「ヒルナンデス!」の記事を書いたんですよね。


──今後はどんな風に活躍したいですか?
 読者の読みたいものを書きたいです。「anan」や「ゼクシィ」のSEX記事はみんな好きなので、書いてみました。読者を意識したのは就職してからです。サラリーマンが主体のビジネス系媒体の編集記者になりました。知識がなかったので勉強をし直しました。今でもわからない時はありますが、実践で書いているうちにだんだんわかってきました。





電書『若手ライターはいかに生きるべきか』。24歳の青柳美帆子と49歳の米光一成がライターの未来について語りあったイベントをテキスト化。

構成・阿久澤洸太郎

読者の「面白い」にチューニングする快感

1990年生まれ。早稲田大学文学部卒。米光講座シーズン3を受講中に「エキレビ!」でデビュー。2016年より「ITmediaビジネスオンライン」にて編集記者を務める。


──受講までの経緯を教えてください。
 小学6年から、二次創作の小説を自分のサイトに公開していました。中学・高校でも同人活動を続けて、大学では推理小説研究会に入っていました。書くことが好きで、自然な流れでライターになろうと思いましたね。米光講座を受講したきっかけは、米光さんが作った、『ぷよぷよ』や『魔導物語』のファンだったことです。大学2年生の時です。


──当初はどんなライターになろうと思っていましたか?
 とにかく自信過剰でしたね。自分は文章が書けるという自信がありました。自分が面白いと思って書いたものに、思った通りの反応がないと「おめえは何も分かってないよ!」と思っていました。「読者の見たい世界」という視点がすっぽり抜けていました。全力でバット振っているつもりで、見えていなかったなあと。


──ライターとしての専門分野はどうやって決めましたか?
 米光講座では「同人誌」というテーマをプチ専門にしました。コミックマーケットのトイレ問題などの記事を書いていましたね。講座で一番の収穫は、「エキレビ!」編集長、アライユキコさんとの出会いです。どーしても、デビューしたくて、思い切って、同人誌というテーマを捨てたんです。最初に「エキレビ!」に掲載されたのは「ヒルナンデス!」の3色ショッピングについての記事です。テレビみんな好きですからねえ。アライさんとやり取りしながら、七転八倒しながら書きました。この記事で、「読者の興味にチューニングする」ということが分かってきたんです。自分と読者の「面白い」って、違うんだなあーって。一回分かると、読者にチューニングすることが、逆に快感になってくるんですよね。「anan」SEX特集の記事は多くの人に読まれたいと思って書きました。読者は「こういうのが好きなんだろう」という感じが明確に分かるようになってきたんです。


──今後はどんな風に活躍したいですか?
 会社員であることを最大限に活かして、少し違うことをやろうと思っています。会社って、いろいろなことができるんですよね。

「エキレビ!」に最初に掲載された記事。この記事から「読者の面白い」を意識するようになった。

構成・藤井武

この本の成り立ち8

 学びながら、追い立てられるようなスケジュールで作ったものなので、「もっとこうしたかった」「もっと書き直したい」と忸怩たる思いもあるだろう。インタビューに答えてくれたフレッシュな新人のみんなも「もっとうまく答えたかった」と思ってるだろう。
 だが、それでいい。それがいい。
 これはプロセスの中のひとつの区切りでしかない。区切りとして、成果物を作ったことが「もっと」という気持ちを生み出すのだ。欠けたところもあるだろう、でも全力で、何かを形にした。それは、もっと手を伸ばすための、もっと自由でいるための、次のステップにつながっている。もっと! もっと書いていってください。

平野 友紀子

子育てとライター業の両立で
可能性を広げていく

編集・ライター。楽天トラベルのフリーペーパー編集などに関わる。育休中に米光講座シーズン5を受講。現在は5歳と3歳の子どもを育てながら執筆中。


──受講までの経緯を教えてください。
 講座に申し込んだのは、子どもが生まれてから半年ほど経った頃です。時間に少し余裕ができたので、何かやってみようと思ったんです。実践的な内容が気に入って申し込みました。



──当初はどんなライターになろうと思っていましたか?
 1年目はとにかく、フリーでできるという自信を持ちたかったです。だから、依頼があればジャンルを問わず全部受けていました。セキュリティソフトなどの苦手分野の記事も書きましたね。
 あと、記事の企画を出していました。私が関わった媒体の多くは、自分が出した企画をもとに書く形式でした。たとえば「VERY」は、出したネタが採用されれば掲載という具合です。編集者にたくさん企画を出すと、やる気があると思われます。そこから別の仕事につながることもありました。
 でもそのうち、睡眠や家庭の時間がへっていきました。そこで、去年の年末に体調を崩したこともあり、仕事を整理したんです。今は、記事作成にかかる工数や原稿料を見て、将来につながる仕事に絞っています。

──ライターとしての専門分野はどうやって決めましたか?
 旅行が好きなので、初めはそれを専門分野にしようとしました。でも旅行って好きな人も多いですよね。極めることは難しいと判断してやめました。その時期に子育てで悩んでいました。それがヒントになって、ママの視点を入れてみようと思い、「ママの生き方」を専門分野に決めました。


──今後はどんな風に活躍したいですか?
 元々、編集に関わっていたので、そちらに比重を置きたいと思ってます。以前、編集で関わった神奈川県のパンフレット制作のような仕事を増やしていきたいです。
 あと、子どもたちが小学校に入ったら、仕事が増やせると考えてます。そのあたりでシナリオライターもやってみたいです。それに、今までに取材したママ起業家の話を聞いて、起業にも興味が出ています。まだ未定ですが、いろいろやろうと思えばやれるので頑張りたいです。もしかしたら、ずっとライターをやり続けているかもしれないですね。

反響が大きかったという、山崎ナオコーラのインタビュー記事。「日経DUAL」2017年9月12日付けで掲載。

構成・中嶋みどり

「女性の生き方」と「子育て」
自分だけの視点が専門分野に

ライター。結婚情報誌や旅行誌の制作に携わった後、出産を機にフリーに。雑誌「VERY」や働くパパ・ママ向けサイト「日経DUAL」で女性の生き方や子育てをテーマに活躍中。2児のママ。


──受講までの経緯を教えてください。
 結婚情報誌の編集や、旅行誌の制作に携わっていました。育児休暇に入ったのを機に、改めてライティングを学びたいと思ったんです。いずれはフリーランスで働きたい気持ちもあったので「プロとして活躍できるライターになる!」という米光講座のコピーに心を動かされ、受講を決めました。


──当初はどんなライターになろうと思っていましたか?
 まずは経験をたくさん積みたくて、ジャンルを問わず挑戦していました。でも子育てをしながらだったので、睡眠時間がどんどん減って、家庭との両立が上手くいかないことも……。ライター3年目を迎えたころ、思いきってすべての仕事の見直しを行いました。媒体ごとに記事作成にかかる工数と原稿料を洗い出して、継続か終了かを決めていったのです。現実的な部分の見直しでしたが、将来の方向性も考えるきっかけになりました。その後は効率の良い仕事や、自分の成長につながる仕事を優先して選んでいます。


──専門分野はどうやって決めましたか?
 「旅」を専門にしようと思っていたのですが、子どもが生まれたこともあり、子育てや今後の生き方に興味が強くなっていました。講座でもママ友との会話からヒントを得て記事を書いたり、「子どもと家族のかかわり」を考えるオフ会を開催したり。自分のライフスタイルの変化とともに「女性の生き方」と「子育て」が専門分野になっていきました。そのころ、講座にいらした編集者から車の記事を書くチャンスをもらったんです。車にはあまり詳しくなかったのですが、チャイルドシートを題材とした記事を書いたら採用され、デビューにつながりました。自分にしか書けない視点を見つけられたのがよかったのだと思います。


──今後はどんな風に活躍したいですか?
 昨年、神奈川県が発行する「自分探し」をテーマにしたパンフレットの編集を担当し、やりがいを感じました。今はライターの仕事よりも、編集やディレクションの仕事に興味があります。
 仕事量を調整したり、やりたい方向へ進んだり、4年目にしてようやくフリーランスで働く醍醐味を実感しているところです。現状は子育てが優先ですが、子ども達が小学生になったら自由な時間も増えるので、シナリオにも挑戦したいと思ってるんですよ。

働くパパ・ママ向けサイト「日経DUAL」で担当した山崎ナオコーラのインタビュー記事。作家による新しい母親像の提示が共感を呼んだ。

構成・為国靖子

用語解説

自分マトリクス

 米光さんが考案した発想法だ。A4の紙の真ん中に自分の名前を書いて、丸で囲む。5分間で自分の興味のあること、関心のあることをたくさん書いていく。
 コツは3つ。1つ、テンポよく書く。考え込まずに、思いついたらすぐ書く。2つめ、具体に落とす。ひとつ書いたら、それをもっと具体的にできないか考える。たとえば、映画→スターウォーズ→レイア姫というふうに。3つめ、フォーカスを変えてみる。自分の上にカメラがあるのをイメージする。自分の部屋、そこからカメラを引いて、家全体、住んでいる街、通勤圏内、日本。そこで好きなものはなにか? 時間のフォーカスを変えてもいい。今日、1年前、20年前、小さいころ。
 狙いは、自分の手持ちのカードをたくさん出して客観視することだ。眺めているうちに、ワードとワードが結びつき、新しい発見が生まれる。定期的に書き出すのもおすすめ。自分の変化が視覚化される。     (与儀)

米光さんの書いた自分マトリクス例

プチ専門

 自分が追求するポイント、小さな専門分野のこと。「7つのプチ専門と、3つの切り口と、1つの身体を持て」というのが米光講座の教えだ。これなら書けるという武器があれば、行動しやすい。見つけてもらいやすい。
 プチ専門は、狭くて人があまりやっていないことが望ましい。なるべく小さく、具体に落としていく。たとえば「映画」だと詳しい人がたくさんいるし、競合も多いが、「ポーランドのドキュメンタリー映画」まで絞ると少ない。
 コツは、好きで興味があることを選ぶこと。他には、時間をとって体験したことがあるもの。現場にもぐりこんでいると強い。職業じゃなくても、ボランティアや趣味でやっていることでもよい。         (与儀)
オフ会

 自分の書いた記事の読者がイメージできない。そんな時、役に立つのは自分の書いた記事に関連するオフ会だ!
 講座でそう言われ人生初のオフ会を決行した。結果、参加者は同じ米光講座の受講生1名だけだった。
 しかし、このオフ会がとんでもなく役に立つ。自分の書いた記事を読んでくれる読者が明確に想像出来る。自分の脳内読者じゃない、実際に生きている人間だ! 新しい切り口が見えてきた。           (勝田)

本を編む



「BCCKS? BOOKSじゃないの?」それが第一印象だった。
 BCCKSとは、この本の製作に利用したWebサービスだ。紙の本と電子書籍の両方を作ることができる。
 実際に製作すると、文字や写真のパーツを組み上げていく。プラモデルを作っている感覚だった。スイスイ製作が進む良いものだが、ヘルプ機能が不便なので、そこは改善を希望します。
 お手軽に本が製作できるので、近い将来は学生の卒業記念本や高齢者が終活として自分の伝記本をBCCKSで作ることが流行る。そんな可能性を感じた。           

勝田竜矢

点と点が線に



 大勢でなにかを作ることがこんなにも大変だなんて、書籍部に入ったばかりのときは思ってもいなかった。年齢も価値観も住むところもバラバラな私たち。主なやりとりはFacebookのメッセージ。顔が見えない、相手の状況がわからない、ささいな気持ちのすれ違いからぶつかることも多かった。入稿まであと5日。やっと終わりが見えてきて、ほっとしていると同時に寂しくもある。

武井佳奈

編集長コラム「根拠のない自信」

 インタビューにあたり、自分たちの悩みを解決したいという思惑があったことを告白しよう。
 悩みの種は「プチ専門」。まず、何をテーマにするのか。それが決まると、このテーマで書いていけるのか。そして今度はその先にどう仕事が広がるのか。講座が始まってからというもの、ステップ・バイ・ステップでそんな悩みが押し寄せたものだ。
 インタビューを終え、全員の原稿に目を通すと「僕もきっとこうなれる」という根拠のない自信がみなぎった。ここがスタートラインだ。

石塚恒己

編集後記

 ありったけの「MP」を注ぎ込んだ。呪文を唱えるのに必要なあのパラメーターではない。
 編集長どころか書籍編集さえ初めての経験だ。不安からルールにしがみついた。
 それでもトラブルはついてまわった。書き手を混乱させたのは一度や二度では済まない。募集要項と異なる原稿が上がってきてしまったり、締め切りまでに原稿を集められなかったり。
米光先生曰く、「いかに原稿を上げさせるかが編集のやりがい」。とはいえスケジュールを後ろ倒しにするほど不安は強くなる。「メンタルのヒットポイント(MP)」が削られていった。
 僕を再起させたのは部員たちの訴えだ。
 「手伝いたいけど、何をすればいいかわからない」「もっと頼ってほしい」
 ハッとした。MPの意味が「メンタルのパワー」に変わり、部としてリスタートした瞬間だ。
 ときには諦める勇気も必要だったが、皆でより良くなる可能性を模索し続けた。その結果がこれだと言いたい。
 MPは注ぐものであるべきだ。修了後も僕らがMPを注げる「何か」に出会えることを願う。

石塚恒己

編集者ライターへの道2018

2018年6月9日  発行 初版

編    集:石塚 恒己
       石川 明
       山本 耶奈
       勝田 竜矢
       岡 三月
       武井 佳奈
       中嶋 みどり
       内田 誠
       与儀 明子
表紙デザイン:為国 靖子
監    修:米光 一成

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