───────────────────────
───────────────────────
編集 野崎勝弘
表紙 波野發作
イラスト ahasoft2000 / 123RF 写真素材
庁舎を出ると、見慣れた姿があった。
スマホをいじり、何やら難しい顔をしている。長い黒髪が風に揺れている。
「サヤカ!」
俺が声をかけると、サヤカはハッとしたように顔を上げた。
「来るなら来るって言ってくれたらよかったのに」
「そうなんだけど……ちょっとびっくりさせたくて」
サヤカはスマホをしまいながら首をすくめた。
「一緒に帰る?」
「うん」
サヤカは頷くと、俺の手を握った。付き合い始めて二年になる彼女とは、ときどきケンカもするが、関係は良好と言えた。
最初のころは、手が肉厚で恥ずかしい、華奢な手だったらよかったのに、と繋ぐのを嫌がっていたのに、今は自分から手を繋ごうとしてくる。彼女はどちらかというと自分に自信がないタイプで、コンプレックスも多いらしい。でも、そんなコンプレックスも含めて、俺はサヤカが好きだった。
「最近、仕事はどう? 忙しい?」
「うぅん、まあまあかな……。ツカサくんは?」
「俺は相変わらずだよ」
田川市という市役所で働き始めて七年。生まれも育ちも田川市の俺にとって、刺激的なことは特にないが、居心地のいい職場ではある。ときどき、荷が重いと思うような仕事もあるが。
「今日、晩メシ、どうする?」
「ツカサくん、この前、鍋したいって言ってなかったっけ?」
「そうそう、あれから土鍋買ったんだ。うちでやらないか?」
「いいなあ、キムチ鍋が食べたい」
「……俺が辛いのが嫌いなの知ってて言ってるよね?」
「ふふふっ、冗談だよ。水炊きにしない?」
繋いだ手に力がこもる。
出版社に勤めるサヤカは深夜まで仕事することも多いし、休みも少ない。ファッション誌の編集部にいると言っていたが、取材も多く、大変らしい。ときどき、どういう仕事をしているのか聞くが、たぶんツカサくんには難しいよ、と言ってあまり話そうとはしなかった。
二年一緒にいるけど、俺はもう少し、二人の時間が欲しかった。
*****
「ちょっといいか」
デスクで仕事をしていると、課長が手招きをした。
「なんですか?」
「すまないが、これからこども館に行ってきてもらえないか?」
その言葉に思わず眉根を寄せた。
「なにかあったんですか?」
「不審な男が最近ウロついているんだ、様子を見てきてほしい」
「分かりました」
「今日は、直帰していいから」
「ありがとうございます」
やりかけの仕事はキリのいいところまでやり、そのまま帰り支度をして市役所を出る。
地域にあるこども館。「心身ともに健全な育成を図ること」を目的とした、「子どもたちに交流と社会体験活動の場」を提供する。が、こども館はまた別の用途でも使われていた。
十数年前に制定された特定児童先進福祉法。その一環として、保護者から虐待を受けた子どもたちを保護、その後記憶を消し、新しい親に引き取ってもらうというシステムが極秘で確立された。記憶を消すという点においては倫理的な問題もあり、大っぴらにできないのだ。記憶を消す技術も外部に漏れれば悪用される可能性だってある。役所で知っているのはごく一部で、田川市役所では市長と、課長と俺だけだ。特別手当、なんていうのも結構な金額が出るのでありがたいと言えばありがたい。が、あまり楽しい仕事でもなかった。いつだって、こども館に行くのは気が重い。
こども館に着くと、責任者の雛子さんが険しい表情で俺を迎えた。その横ではもうひとり、女性スタッフがニコニコと控えている。
「遅くなってすみません」
「それはいいんだけど……今は外に怪しい人いなかった?」
「こども館の周りはぐるっと歩いてきましたが、特には」
「そう、ならいいんだけど……」
少し見ない間に、雛子さんは少しやつれたようだ。こども館の地下では子どもたちが生活しており、その世話も雛子さんを始めとしたスタッフが行う。ここでは十人程度が生活をしているが、それだけの人数がいれば管理も大変だろう。
「課長からは怪しい男がいる、という話だったんですが、具体的にはどういった人物だったんですか?」
「ちゃんとした身なりはしていたんだけど、ここのこども館で行われていることについて教えてください、って言われたわ」
「行われていること……」
「もちろん、とぼけた返事をしておいたけど。今月の主なイベントを教えておいてあげた」
「ありがとうございます」
もちろん、訪れた男は今月のこども館のイベントを知りたかったわけではないだろう。子どもが住んでいる、その子どもたちがどういう存在なのかも知っているということなのだろうか。
「定期的にこのあたりを見回るようにします」
「よろしくお願いします」
完全な時間外労働だ。しかし、これも手当てのうちだと思うと致し方がない。それに、よく事情も知らない人間によって、子どもたちの生活が脅かされるのは気が進まない。虐待を受けた子どもたち。ここにいるということは、幸せになる機会を待っているということだ。
幸せになるのは大変だ。ひとりじゃ、なかなか幸せになれない。
*****
こども館の見回りの仕事も入り、ますますサヤカと会う時間は少なくなった。もう少し一緒にいたい。彼女の生活に入り込みたい。そう思った俺は結婚しないか、と田川市で一番オシャレなレストランで提案した。
最近、結婚式に招待されることも増えた。適齢期、なのだろう。サヤカとの関係は良好だと思っていたし、受け入れてもらえると思っていた。が、反応は芳しくなかった。
「結婚は、気が進まない?」
「私、忙しいし……。いい奥さんにはなれない気がするんだ」
「そっか」
ふっと息をつき、背もたれに体を預ける。
「ツカサくんのことが嫌いとかそういうわけじゃないの」
「うん」
「ただ、まだ時期じゃないっていうか」
「うん」
「ひとつ、やっておきたいことがあるから……」
「それが終ったら、結婚する?」
問いかけに、サヤカは少し迷ったように頷いた。俺のことが嫌いだとか、結婚したくないとか、そういうわけではないらしい。
「そのやっておきたいことってなに?」
唇がきゅっと引き結ばれた。
「言えない?」
「……うん」
まっすぐ俺を見つめ返す瞳。その意思の強そうな瞳は好きだったけれど、絶対に話さないぞ、とすごまれているような気もして少しひるんでしまう。
「ただね、仕事のことで。その『やっておきたいこと』が終わったら、出世もできるの」
「出世とか興味あったんだ?」
「うん、もっといろんな仕事ができるようになるから」
仕事熱心なのは知っていたが、そこまで欲があったとは知らなかった。
「わかったよ、待ってる」
「うん、ごめんね。ツカサくんがそういうのにあんまり興味ないのは知ってるんだけど」
「興味ないからこそ、そうやってがんばっているサヤカのことは応援したいと思ってるよ。がんばれ」
俺の言葉に、サヤカは少し恥ずかしそうに微笑んだ。
別に急がなくったっていい。一緒に暮らすようになれば、二人の時間はいくらでも持てる。
「……あ」
スマホが震えて、思わず声が漏れた。雛子さんからだ。ちょっとごめん、とサヤカに声をかけて席を立つ。
「もしもし。雛子さん、どうかしたんですか?」
『ごめんなさいね、こんな夜遅くに。今夜、ひとり子どもが引き取られるのを知っているわよね?』
「はい、四歳のハジメくんでしたっけ」
『そう。この前からのこともあるし、一応立ち会ってもらってもいい? もし何かあったら……』
チラリとサヤカのほうを見る。スマホをいじって何やら思案している。もう少し、一緒にいたかったが……仕方がない。
「分かりました、行きます」
『ありがとう、待ってるわね』
電話を切り、サヤカを見ると、彼女もこちらを見ていた。
「おでかけ?」
「ああ、急に仕事が入って……」
「そっか。……帰ってくる?」
「うん、二、三時間ほどで終わると思う」
「じゃあ、待ってるね」
帰るというだろうと思っていたから、少し嬉しくなる。
「じゃあ、できるだけ早く帰れるようにがんばるよ」
「ん、いってらっしゃい」
身支度を済ませ、サヤカに見送られて家を出る。
引き取りには何度か立ち会っていたが、あまり気が進まない。引き取られる子どもたちはみな少し怯えているからだ。こども館では友達もできる。仲間とも言える子どもたちから離れて知らない人と家族になる。不安がないと言えば嘘になるだろう。でも、そんな不安そうな顔を見ていると心がザワつく。
こども館は家から歩いて十分ほどのところにある。鍵を使い、建物の中に入った。雛子さんがスマホを手にソワソワとしていた。
「ああ、来てくれたのね」
「大丈夫ですか?」
「今のところ特に何も変わったことはないんだけど、なんだか胸騒ぎがしてね。あなたがいたほうがいいと思って」
雛子さんの予感は当たる。きっと今夜、何か起こるのだろう。そんな心づもりはしておいたほうがよさそうだ。
「ハジメくんの荷物は運びだしましたか?」
「ええ、あと少しだけ残っていて……」
「俺がやっておきます」
雛子さんを残し、建物の奥に入っていく。
誰かに見られることがないように、引き取りに関する作業は全て深夜に行われる。引き取り候補の親たちがやってくるのも深夜だ。不審な動きを見られ、余計な噂がたってしまうのは避けたい。荷物を運び出したら、一度建物の周りを確認してこよう。雛子さんと話していたせいか、俺の不安まで大きくなってきてしまっていた。
ゆっくりと、こども館の周りを歩く。通行人を装いつつ、怪しい人影はないか確認する。ふと、前方から小さな人影が近づいてきた。キャップを目深にかぶり、マスクをつけている。なんとなく、気になり、歩く速度を速めた。人影と目が合った気がした。ザワリと鳥肌が立つ。次の瞬間、人影はハッとしたように足を止め、背を向け、走り出した。
「おい! 待ちなさい!」
反射的に追いかけていた。
そいつの脚は遅かった。あっという間に距離が縮まり、グッと左腕を掴んだ。その細さに、一瞬ビビる。
「どうして逃げるんだ! あそこで何をしてた!」
少し乱暴にこちらを振り向かせる。ごく近くで目が合った。その瞳に覚えがあった。キャップを奪い取る。長い髪がこぼれた。
「サヤカ……」
小さく声が漏れた。
顔の半分以上を覆っていたマスクも取った。
「なんで……」
そう言ったのはサヤカだった。
「なんでって……こっちのセリフだよ。家で待ってるんじゃなかったのかよ?」
散歩に来たのだろうか、と思った。しかし、右手で一眼レフのいいカメラを持っていた。
「こんないいカメラ、持ってたっけ」
「……会社のを借りてきた」
「ここで何の写真撮るの」
「…………」
足先から少しずつ、体が冷たくなっていくような、そんな感覚。俺の予感なんて、外れてしまえ、と思う。
「ツカサくんは公務員、だよね」
「そうだよ」
「こども館に関わりのある仕事を、してる?」
「……ああ」
頷くと、サヤカの顔がパッと輝いた。
「もしかして、リサイクルキッズに関わってるのっ?」
サヤカがグッと身を乗り出した。リサイクルキッズとは、こども館で行われているプロジェクトの反対派が言っている通称だ。とは言っても、このプロジェクトについて知っている人間は数えるほどしかおらず、本来なら、サヤカが知っているはずはない。
「お願い、ツカサくん! 内部の写真を撮らせて!」
「なに言ってんだよ……」
「リサイクルキッズの証拠を掴めば大スクープなの!」
「スクープってサヤカには関係ないだろ……っ」
「ごめん、ツカサくん。ファッション誌の編集っていうのは嘘なの。実は週刊誌の記者で……」
サヤカが口にしたのは、俺でも知っている政治に強い週刊誌だった。
「このスクープがあれば、出世できる。女は大したネタはつかめないって言われてたけど、見返すことができるの! ああ、もっと早くツカサくんがここの担当だって知っていれば……」
興奮したように言うサヤカ。その体をそっと自分から引きはがす。君は仕事をしていた。だったら、俺も仕事をしなければならない。一度目を閉じ、息を吐いた。
「ごめん、サヤカ。俺は協力できない」
「どうして? このスクープ写真が撮れれば、結婚もできるんだよ!」
こんなにキラキラとした表情を今まで見たことがあっただろうか。目の前にいるサヤカは、今まで俺が知っている人とは違うような気さえしてくる。
「結婚、できないよ」
「ツカサくん……?」
ポケットから、錠剤の入ったPTPシートを取り出す。いつも、持ち歩いているものだ。それを一粒、口に含んだ。
「ねえ、ツカサくん、何か言っ……ん……っ」
強引に唇を重ね、舌で錠剤をサヤカの口に押し込む。わずかに抵抗したが、抱きすくめてその動きを封じる。ゴクリ、と喉が動いたのが分かった。
「な……なにを飲ませたの?」
「サヤカ、俺がリサイクルキッズに関わってるのか、って聞いたよね?」
質問に質問で答えると、サヤカは怪訝そうな表情を浮かべつつ、頷いた。
「田川市の市役所に来る前に、どこにいたか知ってる?」
「え……? 大学卒業してからすぐに市役所に入ったって……」
「それ、嘘なんだ」
「なんで嘘なんて……」
「口外を禁じられていたから」
サヤカをじっと見つめる。あと少し。
「卒業してから、国の特殊部隊養成施設にいた」
「え……?」
「自衛隊とかじゃないよ。ごく一部の人間しか入ることができない」
「うん……?」
分からない、というようにサヤカが首を傾げた。
「俺が仕込まれたのは暗殺の仕方」
「あんさつ……?」
きょとん、としたあと、サヤカは自分の喉元を押さえた。
「まさか……!」
「うん」
そろそろだ。
サヤカがぐえっ、と潰れたカエルのような鳴き声をあげた。
「国家の極秘機密を知られるわけにはいかない。国は各地域にエージェントを送り込んだ」
秘密を知った者を殺すだけの力を持った者たち。この手を汚さずに済めばいいと毎日願いながら生きている。
「ツカ……サ……ッ」
苦しむ彼女に美しかったころの面影はない。
「愛していたよ。この世で一番」
人間なんて、死んでしまえばみな肉の塊だ。喉をかきむしる彼女を見つめながら、スマホを取り出す。
心の中で、カウントダウンをする。五、四、三……。
「B地区、浦沢です。ご遺体の処理をお願いします」
動かなくなった肉塊を見下ろす。
幸せになるのは難しい。
どんなに望んでも、俺ひとりじゃ、幸せになれない――。
〈了〉
2018年3月12日 発行 初版
bb_B_00153859
bcck: http://bccks.jp/bcck/00153859/info
user: http://bccks.jp/user/139055
format:#002t
Powered by BCCKS
株式会社BCCKS
〒141-0021
東京都品川区上大崎 1-5-5 201
contact@bccks.jp
http://bccks.jp
大阪府出身。東海大学文芸創作学科卒。大学卒業後、2006年よりライターとして活動を始める。女性向けゲームシナリオのほか、エッセイなどを執筆。焼き鳥とハイボールと小説、好きなアイドルのライブに行くのが楽しみ。 近著に『低体温症ガール』『REcycleKiDs』がある。