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編集 野崎勝弘
表紙 波野發作
イラスト ahasoft2000 / 123RF 写真素材
「あああああああー!」
けたたましい声が響いた。
「うるさいです、和久さん」
デスクに突っ伏す私に向って冷たい声が飛んでくる。顔を上げると、登坂がこれまた冷たい目でこちらを見ていた。
「先輩にその言い草はないんじゃないの」
「今は勤務時間中ですから。和久さんの合コン失敗談を聞いてる場合じゃないんです」
御年三十七歳。未婚。彼氏なし。日々、合コン、婚活アプリに励んでいるが、一向に旦那様候補とは出会えずにいた。
「なんで彼氏できないんだろう……」
「ガツガツしすぎなんじゃないですか。最近、草食男子が多いって言いますし」
「登坂も草食っぽいですね」
「僕は絶食系男子ですね」
「は?」
「恋愛に興味がないんです」
「だからあああ! そういう男子が多いからあああ! 私みたいなのが困るんでしょぉぉぉ!」
「でも和久さん世代は肉食男子が多かったんじゃないですか」
おっしゃる通りです。おっしゃる通りだけど、認めたくない。連戦連敗。何が悪いっていうんだろう。やっぱりガツガツしてるからだろうか。
「まあまあ、今時独身女性なんて珍しくありませんから」
「なに、結婚できないっていうわけ?」
「僕個人の見解です」
シレッとしている登坂にイラッとしかしない。
「あーあ、登坂の前任はよかったなあ。お世辞でも『和久さんみたいにキレイな人が結婚できないなんて不思議ですね』って言ってくれたのに」
「前任って、ここにいた子を好きになって書類を偽造してクビになった人じゃないですか」
「…………」
真面目なヤツだった。でも、ここ……こども館にいたひとりの女の子を手に入れるために、とんでもないことをやらかした。
虐待を受けた子どもたちがやり直すための場所がこのこども館。当時の痛みの記憶を消され、新しい両親を待つための場所だ。でも、あいつはその女の子のためにルールを破った。別れ際に呟いた言葉。「俺は彼女と幸せになりたかったんです」。好きな子を手に入れるために国さえも敵に回したのだ。
「まあ……ちょっとうらやましいけどね」
「何がですか?」
「そこまでして誰かを好きになれるのがさ」
「んー、でも、やっぱりみんな若いほうがいいんですね。その相手の子って十八歳ですよね?」
「何が言いたいの」
「やっぱり和久さんは売れ残……」
「はいはいはい、解散、かいさーん!」
登坂の声を遮り、立ち上がる。呆れたようにため息をつく登坂を残して事務室を出る。
売れ残ってなんかいない。私は売り物じゃないから。
今夜の準備のために向ったのは地下の部屋。たくさんのガラスケースが並んでいる。夜になると子どもたちはケースの中に入る。ここへやってくるお父さん、お母さんになるかもしれない人たちに気に入ってもらうためにとびきりの笑顔を作る。
彼らを見て、なんとなく親近感を覚える。ガラスケースの中に入った私を男たちが見定める。誰も笑ってくれない。誰にも選ばれないまま、この年になってしまった。もう誰にも選ばれず、私はひとり死んでいくのだろうか。
「和久さん、ちょっといいですか」
「はいはい」
私を下の名前で呼ぶ人はいない。好きな人に自分の名前を呼んでもらえたら、どんなに幸せだろう。そんな想像をして少しだけ切なくなった。
*****
自分が就いている仕事が少し変わっている、というのは分かっている。
誰にも話すことはできない。合コンで「何の仕事をしてるの?」と聞かれたら「えへへ、公務員でー」とすぐに話をそらさなければならない。もちろん、結婚してからも自分の仕事について話すことができない。それはそこそこのストレスであり、そのため意外と職場結婚が多いという。とは言っても、私にそんな機会はなかったけど。
「和久さん、これ、上から届いた書類なんですけど」
新卒の男の子しかいない今の職場じゃ、恋をする気もしない。書類を受け取りながら思わずため息をついた。
「また合コンイマイチだったんですか?」
「うるさい……」
「そんな和久さんに、今回のお知らせは嬉しいお知らせかもしれませんね」
書類に視線を落とす。
「……はあ? 不要不意の会合への参加自粛? なにそれ」
「最近、施設を嗅ぎまわっている人間がいるらしいんですよね。どこから情報を仕入れてきたかは知りませんけど」
「へえ……」
「まあそれで少しでも口を滑らせる機会を減らそうってことみたいですよ」
「無駄……無駄な抵抗……」
「これで合コンで悩むこともなくなりますね」
笑顔の登坂を軽く睨みつけて、もう一度書類に視線を落とす。
私たちが関わっているこの仕事は、政府の極秘プロジェクトだ。誰にも知られてはならない。けど、それをどこまで貫き通すことができるのだろう。
「それにしても、なんか最近、不穏ですよねー」
「なにが。嗅ぎまわられてることが?」
「そうじゃなくて。この前、施設を抜け出した子どもたちがいるって話です」
「ああ……」
十二歳の男女が脱走をした。もちろん、そういう事態に備えて人員は各施設に派遣されているので、すぐに連れ戻されたが、いままでになかったことだった。
「もらい遅れた子たちでしょ? 成長しちゃうといろんな知恵がついちゃうしね」
ふと、十八歳の彼女を思い出す。長くここにいた美しい子。少女から、もう大人になろうとしていた。彼女は年の割に、ずいぶんと子どもだったようにも思う。
「それもあるかもしれないですけど、噂じゃ脱走を手引きしたスタッフがいるんじゃないか、って」
「手引きして何の得があるっていうの」
「さあ」
「いつも言ってるでしょ、憶測で話すなって」
書類をデスクにおいて、ひとつため息をつく。
何のために手引きをしたのか。考えないほうがいい、とシャットダウンする。この仕事は淡々とこなすのがいい。余計なことを考えたりすると、つい、子どもたちの情報が入ってきてしまう。無意識のうちに、ひいきをしてしまう。
「和久さん?」
「……とにかく、私たちは目の前の子どもたちに集中すること。子どもたちが第一なんだから」
「分かりました……あ、そうだ。肝心なことお伝えするのを忘れていました」
そう言って、登坂が口にしたのは私たちスタッフにとって何よりの朗報だった。
「え? ミワの引き取り先が見つかったの?」
今年、十歳になった女の子。ここに来てから二年弱か。確か彼女と入れ替わりぐらいで入ってきてた。
「来週、面会になります。俺が立ち会いますね」
「珍しい。これまでやりたがらなかったのに」
「和久さんの負担が大きくなっちゃいますからね」
登坂は頷いたあと、時計に視線を移した。
「あ……俺、そろそろ行かないと」
「何かあったっけ」
「……デートです」
「チッ……」
「そういうとこ! そういうところですよ、和久さん! 舌打ち!」
「はいはい」
シッシッ、と手を動かすとへへへっ、と笑い登坂は帰っていった。
「さてとー、私は巡回にいくか」
気合いを入れるように声を出し、立ち上がる。
そう、淡々と仕事をこなせばいい。それでいい。
*****
ミワを引き取りたいという夫婦が来たと聞いて、私は事務室へと引っ込んだ。今回は、登坂が自分でやりたいと言っているし、それにひとりで大丈夫だと言い切った。私が対応している様子はずっと見てきているのだし、あまり心配はしていなかった。
何よりミワ自身がとても良い子だ。勉強熱心だし、小さい子たちの面倒もよく見ている。私たち大人にもちゃんと気遣いのできる子だ。ミワを引き取りたいと言った夫婦は見る目があると思う。今度はきっと、幸せな生活を送れる。……きっと。
ミワのことを考えながら、本部から来たメールを確認する。事務的な連絡の中に、前に登坂が言っていた子どもたちの脱走について触れる記載があった。
『当該女子児童を別施設に4月7日に移送予定』
その移送先を見てため息をもらす。
「なんでうちなのよ……」
特定児童先進福祉法が制定された際、最初に改築・運用したのがここのこども館だった。だからなのかは分からないけど、どうもクセのある子どもたちが集まってくる。クセのある子が集まると、こちらの仕事も増える。必然的に、自分の時間は減る。
「全く、一生結婚できなかったら、訴えてやる……」
ボソボソと恨み言を言ったときだった。
「あああああああーーーー!」
施設中に響き渡る大きな声。
私が叫んだんじゃない。聞こえたのは……。
事務室から飛び出す。声は断続的に続いていた。聞いているだけで胸が苦しくなる。その声に呼ばれるように私は廊下を走った。
「登坂!」
ドアを勢いよく開ける。真っ白の壁と床、殺風景な部屋。そこには登坂と、頭を抱えて叫ぶミワ、その様子を見つめる初老の夫婦がいた。
「和久さ……っ」
「今すぐ本部に連絡! 医療班呼んで!」
「は、はい!」
弾かれたように部屋を出ていく登坂を見送りながら、私はミワを抱きしめた。
「大丈夫だから、ちゃんと息をして」
「あ、あ、あ、ぁぁぁぁぁ」
「私がいる。私が守るから。お願いだから、ちゃんと息して」
ミワの背中を撫でながら、小さな声で囁き続ける。カタカタと震えながら、ミワは私に抱きついた。
「あの……」
おどおどと声をかけてくる男性。困ったように眉根を寄せている女性。その二人を見据えて口を開く。
「あなたがた……この子の本当のご両親ですね? どうしてここに?」
「そりゃあ、呼ばれたから……」
この夫婦は、ミワに虐待を加えた張本人。虐待された記憶は消されるけれど、ひとつだけ、思い出すトリガーがある。虐待した人間に会ったときだ。また、同じ目に遭わないように、そして自分の身を守れるように。
「呼ばれたって誰に、ですか?」
「あの登坂って男だよ。娘が会いたがっているから来いって。俺たちもこいつにひとこと言いたかったから来た」
「言いたいこと?」
「こいつが余計なことを言わなければ、俺たちは……」
もういい。聞きたくない。加害者の言い訳なんて。
「わざわざご足労くださってありがとうございました。どうぞ、お引き取りください」
*****
「和久さん……」
「まだいたの」
ミワに付き添い、政府指定の病院に行った。容態を聞き、ミワが目を覚ましたのを確認して帰ってきた。そのころにはすっかり遅くなっていたけど、登坂はまだ事務室で待っていた。
「ミワはどうですか……」
「彼女は死にかけるような虐待を受けていた。それに、記憶を消してからまだ日が浅い。一気に虐待の記憶が鮮明によみがえれば、体も心も耐え切れない」
「そうですか……」
肩を落とした登坂を睨みつける。どこか緊張感のない様子に、苛立ちが募る。
「なんで、ミワを両親と会わせた」
「……最近、ミワがよく聞いてきたんです。自分の両親はどんな人だったのか」
「だからなに」
「やっぱり、両親が恋しいのかと思って。会いたいって言ったから……」
「バカか!」
思わず、登坂の胸ぐらを掴んでいた。
「さんざん、研修で習ったでしょ? 虐待した本人と会わせるのは禁止。もし破った場合は……」
「でも、かわいそうじゃないですか、記憶を奪われて……」
「同情すんな!」
胸ぐらを掴んだまま、登坂の体を壁に押し付けた。少し勢いがついたせいか、登坂は顔をしかめた。でも、手は離さない。
「記憶を奪われてかわいそう? それはあんたのものさしでしょうが7!」
「でも、絶対にお母さんにだって会いたいはず……」
「それがあんたのものさしで測ってるってことだよ! 全ての子どもが自分の親を愛してると思うな!」
気圧されたように登坂は黙り込んだ。ゆっくりと手を離した。
「このことは上に報告する。今後のことについては本部から連絡がくるはずだから」
「はい……」
返事をすると、登坂はフラフラと扉に向って歩き出した。
「待って」
「なん、ですか……」
「どうして、ミワの両親の面会が通った? もしかして、書類の改ざん……」
「違います! 俺は……」
強く否定したあと、ハッとしたように口を閉ざす。
「どうせ、本部から取り調べが入る。いずれ分かることよ」
「……ある人に、面会をさせてもらえるように頼みました」
「ある人? 誰?」
「言えません。そういう約束ですから」
さっきまであった動揺は消えているように見えた。まっすぐ私を見つめ、きっぱりと言い切る。
「国に逆らうのに、その人の言うことはきくんだ?」
「あの人の『夢』に共感したからです。夢を叶える手伝いをしたかった」
「夢? なに?」
「言えません。あの人と約束したから……」
唇をかむ。登坂の表情からその気持ちを読むことはできない。でも、分かるのは絶対に私には言わない、ということ。
「残念ね。もうそれは無理だわ」
「そうですよね。記憶、消されますもんね」
睨むと、登坂は力なく笑った。
「知ってます。この仕事をやめるときは、記憶を全部消される。どんなことがあっても思い出さないような特別な方法で」
「…………」
「前任者も、そうなんですよね?」
なぜ、そのことを知っているの。聞きたい。でも、その欲求を押さえて息をついた。
「……拘束はされないけど、今後のすべての行動には監視がつく。携帯電話、メールによるやりとりも同じだから、妙な行動を起こすだけ無駄だから」
「前任者にも、和久さんがそう言ったんですか?」
「彼の直接の上司は私だから」
「すごいですね、和久さん。好きな人にそんなことが言えるんですから」
そういうと、今度こそ登坂は部屋を出ていった。私も呼び止めない。呼び止める力も残っていなかった。
*****
登坂がいなくなって、私はまたひとりになった。事務室も少し広く感じられる。
いっそ、このままひとりのほうがいいんじゃないかとも思う。子どもたちの人数も減らしてもらって……。
マイナスに向う考え方を遮るように、ドアのノック音が響いた。返事をすると、顔をのぞかせたのは、エージェントの浦沢さんだった。
「あれ、例の女子児童の移送って今日でしたっけ」
「いえ、今日は新しいスタッフを連れてきました」
「ずいぶんと、早いんですね」
「即戦力になる人間がいましたので。……入ってください」
浦沢さんが部屋の外に向かって、声をかけた。ふわりと空気が動いた。入ってきたのは……。
「お久しぶりです、和久さん」
長い黒髪。白い肌、潤んだような大きい瞳、愛らしい唇。その声は懐かしいものだった。
「アキちゃん……」
「高瀬アキです、よろしくお願いします」
かわいらしく頭を下げるアキちゃんに、私はおどおどと頷いた。
ここで即戦力になる人間。確かにそうだ。ここのことを知り尽くしている。
彼女はここに戻ってきたかったのだろうか。
でも、どっちにせよ……私はいつも通り働くだけだ。
「こちらこそよろしく、高瀬さん」
〈了〉
2018年3月19日 発行 初版
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大阪府出身。東海大学文芸創作学科卒。大学卒業後、2006年よりライターとして活動を始める。女性向けゲームシナリオのほか、エッセイなどを執筆。焼き鳥とハイボールと小説、好きなアイドルのライブに行くのが楽しみ。 近著に『低体温症ガール』『REcycleKiDs』がある。