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天を掘る 天文日本書紀編

小島佐則(著) 米田淳一(編)

チノちゃん出版



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  この本はタチヨミ版です。

 目 次

1.天文学

1.1現在の天文学

1.2古代天文学

1.3歳差暦

1.4北極星について

1.5 ベガとシリウス

2.日本書紀について

2.1日本書紀について

2.2粟田 真人(あわたまひと)について

2.3天岩戸伝説

2.4天岩戸伝説の裏付け

2.5 日本書紀 私の結論

3.雑記

3.1天文学に関するもの

夏の大三角 その他

冬の大三角 オリオン座

3.2 記紀に関するもの

提案 あとがき

提案 あとがき

巻末資料

夏の大三角 ベガ

北極星の移動

巻末解説

1.天文学

1.1現在の天文学

はじめに

 今回、この本を書くにあたって非常に光栄に感じております。
 それは日本の宝物である「日本書紀と古代天動説」を紹介できるからです。
 日本書紀の神代紀は日本の建国神話であり、過去に失われた古代天動説で書かれていると考えるからです。
 もともとは、「五千年前の大洪水と先史文明ゼミ」という作業仮説を進めていましたが、それにはどうしても一万年以上の暦を必要としました。
 そのため、歳差運動の歳差暦を使用することとなりました。
 しかし、実際にそのための星空の一万年分の実測をすることは不可能です。
 わたしの胸は、いつもその根底になるものが無く心配でたまりませんでした。つまり証明とは、再現もしくは実験で立証するかの二通りしかないからです。
 そこへ、7・8年前の暮れ、パソコンによる星座シミレーションソフトを購入しました。その観測をしていた時、偶然その軌跡が、天岩戸伝説に見えました。その詳細を調べ、大勢の人に説明会を開いて、私の理論に確信を持ちました。
 私の天動説は簡単なのです。「観測時間を朝の4時30分」とすることだけなのです。こんな簡単なことをなぜ気が付かなかったのか。確かにパソコンソフトを使用しないとわかりません。それにしても、私はラッキーというよりほかありません。
 取り敢えず、私が古代天動説の日本書紀・神代紀の説明ができる喜びに感謝します。
 皆さんも私の古代天動説を堪能していただければ幸いです。
                 著者 敬白

読むにあたって
 この本はWikipediaを多用しております。
 実際には沢山の方の本を読ませて頂いております。
 しかし、ここに書かれている古代天動説は既に忘れさられた文化となっており、従来通説と言われていることが視点を変えると違った解釈となります。そうなると、本の名前や著者の批判になる恐れもありますので、ここではあえて一般に判り易いWikipediaに頼ることにしました。
 その点ご容赦願います。

「基本とは基準を定めることである」と言われたのは、遠い昔の入社早々のS先輩の言葉です。これは、私の人生の柱となりました。
 先ずは私がここで説明する始点(支点)と考え方を説明します。

始点とは
 一日の始点は、地球の自転の始まりであり、夜明けである。
 一年の始点は、地球の公転の始まりであり、元旦である。
 四季(春夏秋冬)の始点は、地球の公転の始まりであり、春である。
 ここで、地球の公転の始点が、元旦と春との違いが生じている。
 この話は地球の公転の話です。皆さんには多少縁が薄かったかもしれません。
 日本の江戸時代までは、夏と冬では陽の長さが違うので、明け六つと暮れ六つの時間が違い、 現在でもその名残があり、夕方の知らせは、夏時間は17時であり、冬時間では1630分となる。いかに、いい加減であるかがわかる。
 これは、本当にいい加減で良いのだろうか。
 例えば「朝」について、大勢の人に聞いてみても、大部分の人が不明と答える。これが、この本の始まりなのです。

夜明けについて
 夜明けの基準:太陽が昇り、(一日の始まり)四季によって時間が変わる。
 朝はどこから(希望の家庭から)などがあります。
 しかし、本当は、長鳴き鳥(赤色野鶏:チャボ、軍鶏 など 東南アジア)の「コケッコッコー」と鳴く声だと思われます。理論は後述します。
 考え方に直線(リニアー)と回転又は螺旋(サイクル)があります。
 物事を考えるとき、ただひたすらに長いとき、これをどう考えるかです。
 例えば、地震や津波の発生年代や火山の噴火などは、60年前、百年前、千年前、1万年前などと公表されます。
 一般的に標準化石などで3百万年、2千万年、3億年などと判断される。これは直線的(リニヤー)表現です。例えば人類史を地球史から見た場合には、円の百分率、時計の何時何分、トイレットペーパーの長さなどで表現することがよくあります。
 しかし、これでは次の発生は判りませんし、予測ができないからです。
 そこで先人たちは、回転又は螺旋で表現すれば、次の発生の予測ができるのではないかと考えたにちがいありません。私もこれに賛成し、不確定な問題に対してサイクルを見つけ出すことに挑戦してきました。
 これが「天を掘る」の原点です。
 それでは、かたぐるしい話はここまでにして、始めましょう。

プロローグ

 皆さんは「神」とは何だとお思いでしょうか。
 一般的には宗教の神を思い出します。その中には太陽神などの一神教いっしんきょうから善悪の二神教、陰陽五行説の四神教(玄武:北、朱雀:南、白虎:西、青龍:東)、歳差暦による十二神教、全ての物に神が宿るなどの多神教たしんきょうまであります。更にはおのれ自身の心のどころとしての神のイメージもあるでしょう。
 当然「神」などは見たこともないのだから信じることはできませんとする方もおられるでしょう。更には自分の身近におられる場合もあるようです。
 このように「神」のイメージは、古今東西人さまざまです。
 本当に「神」は存在するのでしょうか。

「人類は、目に見えない何を根拠こんきょに神を創造したのか」
「何の目的で、何に利用し、現在まで残っている物は何か」
 皆さんに、私なりの自然科学で証明できるその「神」を紹介したいと思います。
 この説明をするのに日本の古事記と日本書紀(以下二つの書物を記紀と称します)を利用して日本の神を説明させていただきます。その理由は本の中でお楽しみください。
 記紀は日本で最も古い書物とされ、多くの人々が色々な解釈をつけて説明されております。
その中には「天照大御神あまてらすおおみかみ」は卑弥呼ひみこではないか、いや実在した人物ではないのかと言われており、そのために邪馬台国やまたいこくは北九州説と奈良盆地説などに分かれて未だ決着がついておりません。
 更に、「天岩戸あまのいわと伝説」については「日食や月食ではないか」などと訳の分からない解説で、記紀が何であるのかも不明となっております。そんな中で、この二つの記紀は『天動てんどう説』で書かれているのではないかとも言われております。
 『天動説』にしても古代中国や古代エジプトの天蓋てんがい説、古代メソポタミアの四面海しめんかい説、インドの須弥山しゅみさん説などと色々とありますが、これらはあくまでも「天動感」であり、感覚の世界の域を出ていません。

 次にメソポタミア地方を含む地中海周辺地域で、古代、中世を支配した『天動説』は「プトレマイオス説」でした。

注)クラウディオス・プトレマイオス(AD83年頃からAD168年頃)
  古代ローマの学者で、エジプトのアレキサンドリアで活躍した。
  『アルマゲスト』『テトラビブロス』の著者

 その内容は「地球は静止して宇宙の中心にあり、全ての天体が地球の周りを公転こうてんしている」とする地球中心説の宇宙論でした。
 しかし15世紀になるとコペルニクスやガリレオたちによって、地動説が唱えられました。しかし、そこには宗教家たちの存在否定があり、彼らの猛反発に合い、弾劾だんがいされたとも言われております。しかし、上記の天動説では説明がつかないことが発生してきました。それは彗星(すいせい:ほうき星)の発見により、従来の天動説は否定され「地動ちどう説」が台頭たいとうしてきました。
 この「地動説」はわかりやすく、近代天文学の基礎となりました。
 更にガリレオの発明とされる望遠鏡ぼうえんきょうが進歩し、現在の自然科学の天文学分野へと発展してきました。その結果、現在では火星や金星を探査する時代になりました。人によっては、自然科学の発達で、神との決別をしたのではないかと考える人もいるようです。
 それでは、神話や神様は何だったのでしょうか。
 今でも、ギリシャ神話やエジプト神話、北欧神話等は語り継がれております。
 そこで、世界の『天動説』をWikipediaで調べてみますと
 その他の項目に
「古代ギリシャ・古代ローマ文明と同等の天動説は未だ発見されていない。メソポタミア文明では、詳しい惑星の位置観測結果が粘土板ねんどばんとして出土しているが、この文明がどのような世界観を持っていたのかは不明である」と書かれており、もう一つの天動説が存在することが判りました。この説は数千年前から失われているようです。
 そこで、「日本の建国史である日本書紀・『天岩戸あまのいわと伝説、天孫降臨てんそんこうりん説』を見てみますと失われた『天動説』で書かれています。」と言ったら皆さんはビックリされると思います。この説は誰に教わったわけでもなく、私の夢に次から次へと現れて「寝たくても寝させてもらえず」出来上がったものです。
 それをこれからご覧いただきたいと思います。

1.2古代天文学

 私たち現代人は時間に追われて暮らしています。しかも時間は目に見えません。時間は「いつ・だれが・どのように」して決めたのでしょうか。昔は現在のような時計はありませんでした。ただ、理論的には存在していたかもしれません。
 しかし、分っていることはあります。たとえば一日です。むろん古代の人は地球の自転が「地球を一日で一周する」ことなど知りません。朝昼晩の変化がおこす景色から一日に気がつき、それを細分化して時間を知りました。一ケ月も同じです。
 ただ「一ケ月」に「月の言葉:新月、三日月、満月」があるとおり、月の満ち欠けが一巡するので一ケ月の長さを知りました。
 次に、「一年」という単位です。「地球が一年かけて太陽を回る公転」を知らない昔の人は同じようにして、春夏秋冬の景色の変化からそれを知りました。
 では時間や一日や一年よりも、もっと永い単位だとどうなるのでしょうか、たとえば百年・千年・万年となるとどうなるか、現在でもそんなに永い(英語ではロング)時計はありません。
 そこで私はハッとしました。時計のない時代、古代の人たちは、地球、月、太陽など、つまり星のもたらす現象を時計代わりにしてきたのではないか、そして星と言えばその軌道が百年や千年単位のものもあるのではないか。それに古代人は星好きです。何しろ古代と言えば星にまつわる神話の時代です。ロング時計があっても不思議ではありません。
 いや、あった。あったけど宗教上の理由か、必要がなくなったのか、科学の進歩か、何かの理由でその時計は消えてしまったようです。折から私は「五千年前に大洪水があった」と作業仮説を立て調査をしていました。それを証明する上でロング時計が必要だったのです。



  タチヨミ版はここまでとなります。


天を掘る 天文日本書紀編

2018年1月9日 発行 初版

著  者:小島佐則(著) 米田淳一(編)
発  行:チノちゃん出版

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