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安藤次朗/小川留奈/岸本雅樹/シミズダニヤスノブ/
須貝 悠/古屋貴広/岡崎咲子/小川智宏/山口温子/
山口尚子/岸本知見/高原綾子/今井美紀子/高原直樹/
鈴木健司
前の人の内容からテーマを見つけて、順番に文章を書く。
みんなでそれを読む。たまには集まっておいしいものを
食べながら、お酒やジュースを飲む。で、たくさん話す。
そういうこと!
「みんなどんなことを考えてるんだろう?」
ではじめたこの『パス・ザ・マイク』。
ゆっくりゆっくり進んで、なんと三冊目になりました。
すごいよ。
書いてくれる人も読んでくれるひともありがとう。
そして
始めたら簡単にはやめません。
まだまだみんなでこのマイク
ゆっくり回していこうね!
五月雨のあとの晴れ間に
次朗
みなさま
遅くなってすみません!書きます!
「デザインてどうしたらできるようになるんですかね??」
たまにスタッフに聞かれます。
「んー、まずはやっぱりモノを広く捉えることなんじゃないかなー。。。」
とか答えたりしてます。
つまり、デザインする対象を自分の主観だけではなく、
客観的にも見たりとかして、グルっと観察してみて、理解を深めることが
よい提案にはまず必要なのでは?という意味合いです。
で、よく言われるのが「右脳と左脳を行ったり来たり」的なことだと思うんですが、
最近よく読む記事のなかに、その行ったり来たりのトレーニング?になりそうなものがあったので紹介しますね。
みなさん、「空想科学読本」て知ってます?知ってたらここで話はシューリョーです。。汗
漫画やファンタジー、特撮、SF映画などで描かれる登場人物たちの非科学的な振る舞いや現象を、あえて科学的に検証してみる、という話です。
例えば、
『北斗の拳の名ゼリフ「お前はもう死んでいる」ってどんな状態??』というお題で
生きてるのに既に死んでいる状態について検証したりとか、
『ドラゴンクエストの呪文 「ルーラ」で瞬時に遠くに行けるけど、どうなってんの?』というお題で、ルーラ現象を物理的に紐解いてみる、とかそういう話です。
(空想科学読本じゃないかもしれないですが、
サザエさんのエンディング最後に家族が家に突っ込んで家が伸び縮みするけどそれってどんな状態?、とか、キャプテン翼の立花兄弟の繰り出す必殺シュート「スカイラブハリケーン」を実際やるとしたら、どうやるの?とかも同じくくりですね)
ちなみに、北斗の拳の「お前はもう死んでいる」状態は、
「過冷却」の状態に近いみたいです。
通常0℃で凍る水を、ゆっくり冷やすと0℃を超えても凍らない状態が「過冷却」で、
その状態の水に何か刺激を与えるとそれキッカケでたちまち凍ってしまうというやつです。
北斗神拳は打撃でダメージを与える、だけではなく、最後に秘孔と呼ばれるツボを打ち、内部から肉体を破壊する、という特徴があります。
この二つを照らし合わせてみると、
-----
打撃で弱らす=ゆっくり冷やす
↓
秘孔をつく=0℃になる(トドメを刺した状態)
↓
で、ここで名ゼリフかませます。
「お前はもう死んでいる」
↓
「なにぃ!?」=このセリフがキッカケ(と筆者は仮説を立ててました)
↓
「あべしっ!!」(死亡)=凍結
-----
と、いうことみたいです。
これ、おもしろい(今更ですが)
デザイナーにもこういう空想と科学の間をいったりきたりするユーモアと知識があったら
もっと仕事が楽しくなりそうだなーと思いました。
では!!!!!!
2018.4.13 フルヤ
少し前ですが、息子が1歳になりました。
0歳の1年間を振り返ってみようとは思ったものの、低月齢時の記憶は正直曖昧です。赤ちゃんは想像以上に寝ないし、なぜ泣いているのかわからないこともしばしば。それまで仕事や遊ぶことなど自分本意の生活から一転、自分のお腹から出てきたとはいえ他人のお世話を24時間体制ですることは正直「つらー」と思うこともありました。
ただ、彼は日々想像をはるかに超えた成長ぶりを見せてくれました。笑うようになって、首がすわって、寝返りして、おしゃべりになって、ズリバイして、お座りして、ハイハイして、つかまり立ちや伝い歩きをして、意思疎通ができるようになって、自己主張もでてきて、そろそろ歩こうとしています。かわいくなかったことなんてないけれど、いまが一番かわいい。心から思います。
まだ彼とは1年ちょっと(妊娠中も含めると2年くらい)しか一緒にいませんが、日々大きな気づきを与えてくれます。悲しいことがあったら泣いてもいいこと、笑顔でいればみんな笑顔で楽しく過ごせること、たとえそれが言葉にはならなくても必死に喋って何かを伝えようとすること、経験から学び理解すること、風になびいた木々の草が大きな音をたてること。どれもこれもごく当たり前のことですが、産前の忙殺されていた日々では見落としてしまうであろう小さな発見は、私自身の視野も広げてくれているような気がします。そして、少し人間らしくなった気がします。
先日見てもらった占い師に「人生が変わるタイミングで出産しているのがおもしろい」と言われました。子供がいると夜は出歩けないしなにかと制限はあるけれど、家族が中心の生活は思考の軸をぐいっと変えてくれたような気がします。必然なのか偶然なのか。ただ、そんな日常も悪くないです。全部が全部いいことだらけではないし最近はげんなりすることも多々あるけれど、いまは小さな小さな日常を大切に楽しんでいきたいと思っているところです。
書きたい育児話はいくつかあるものの、それはまた今度。
2017年5月9日 岡崎咲子
嘘みたいな本当の話をひとつ。
以前、俺は岡山県岡山市の端っこに家族五人で暮らしていた。山がすぐそこまで迫っている盆地で、大きな川が近くを流れている。その周りには田んぼと畑が広がる。夏はその川で泳ぎ、冬は稲刈りの済んだ田んぼで野球や焚き火をする、愛すべき田舎だった。
そんな実家の隣には、まっくろにスス焦げたような外観の廃屋があった。敷地は荒れ果て、建物はかろうじて建っている。はがれかけた自衛官募集のポスターが印象に残っている。
その建物には、言葉を忘れたひとりの男が住んでいた。
言葉を忘れたその男、うちでは普通に「隣のおじさん」と呼ばれていたが、同じ小学校に通う近所の子どもたちや、母の公文教室にやってくる生徒たちからは、「うおじい」「ハイホー」などと呼ばれていた。呼び名の由来は、夕方〜夜になると本当に遠吠えみたいに叫ぶから。こちらが(主に父が)「うるさい!」とか「うおー!」と叫ぶと少しの間黙る。だが、またしばらくすると「ウオー!」と叫びだす。だから、なんとなく叫ぶ系の名前がついたんだろうと思う。でもうちでは、俺だけかもしれないが「隣のおじさん」と呼ぶことにこだわっていた気がする。
夏、ナイターの季節。父親は、ひいきの野球チームの中継が叫び声にかき消されることでキレて、よくメガホンで叫び返していた。父を知っている人は意外に思うだろう。余談だが、俺の父は、駐車場などでモタついてる車があったら、車に置いてある自前の笛を持って颯爽とおりていき誘導したりする。今は多分もうしてないだろうが、子供心にはかっこいいとも恥ずかしいとも思っていなかった。
閑話休題。
隣のおじさんの服装は、ギャートルズみたいなよくある原始人のイメージで、あの動物の毛皮みたいなのを片肩と片乳を出してるやつだ。隣のおじさんのものは、実際はボロ布だっただろうけど。そして、(当時は別に普通だと思っていたが)髪の毛とヒゲはありえないくらいに伸びてボサボサ。
俺の知る限り、決して人には危害を加えないが、猫みたいに物陰から、いつもこちらの様子を伺ったりしていた。たまに野球のボールなんかが、隣のおじさんちの方に行くことがあったが、彼は基本夜型で、さらに決して家から離れないので、多少ドキドキするものの、隙をみて拾いに行くことが可能だった。稀に日中おじさんが出ている時などは、別の遊びをしたりして時間を潰した。
まあそんな奴が近所にいたら、子どもたちの間で噂は絶えず、「車より足が速い」「バスに飛び乗って運転手を殴って気絶させた」「その後自分でバスを運転した」「バスを遠くに捨てて走って帰ってきた」など色々。主に超人的な運動能力についてまことしやかに囁かれていた。少し遠方の子どもなどは、わざわざのぞきに来ていたくらいだ。
実家の二階からは隣のおじさんの家の敷地がよく見えるので、おばあちゃんとよく覗いた。嘘みたいに草の茂った、庭みたいな場所にどこから持ってきたのかそこそこの大きさの丸太が数本積んである。そこの、家の出入り口付近に隣のおじさんは佇んでいる。記憶の中では常にヌっと立っている姿だけど、多分座ってもいたんだろうと思う。今年95歳になるおばあちゃんは、けっこうキャピキャピしてる女性だったので、隣のおじさんの股間に誰よりも注目していた。「ほら次朗、みてごらん」とか言われていた断片的な記憶がある。
隣のおじさんの母親は近くの別のとこに暮らしていて、来て何をしていたのかは知らないがよく来ていた。まあ子どもの様子を見に来ていたんだろう。そんな時の隣のおじさんは、どんなだったんだろうと今は思う。
今の自分なら、隣のおじさんを確実に写真に収める努力をしていたのだが、おそらく何も記録がない。建物の写真くらいならあるかもしれないが、隣のおじさんの写真はないだろう。そして、隣のおじさんのことを覚えている人間も、この先どんどん減っていく。せめてここに記すことで、備忘録も兼ね、誰かしらの記憶に残り、その先に続いていきますように。しかしまあ、よくそんな場所の隣に家を建てて、新婚さんが暮らしていたなと感心する。
たまに突然思い出す、子どもの頃の思い出話。
◎
誰からいつ聞いたか忘れたけど、「うおじいは死んだ。しかし、死ぬ直前に正気に戻ったらしい。」という話があった。ああ、そうだったのか。どんな気持ちだったんだろう。としみじみした。また別の時に、親戚のおばさんが、隣のおじさんと同級生だったと聞いて、とても驚いた。そして、病院にいてまだ生きていると聞いて、あの聞いた話何なん。と思った。
二〇一八/七/十二
次朗
パンコントマテ、というパスタのお店がある。かなり前、坂口憲二が小さい頃から食べていて、今でも地元に帰ると食べに行く的なテレビ番組で知ったような記憶がある。
そのパンコントマテ、以前住んでいた家の近くにあったのでよく行っていた。そこから引っ越したが、今の家から仕事場への途中にも別のパンコントマテがあるので、たまに行っている。
ここのパスタは麺が太い。多分2.2mmくらい。味付けの種類は、いわゆるペペロンチーノ系(大葉がふんだんに入っている)、トマト系、クリーム系、ウニ・イクラ系、フライパン醤油風味などがある。
僕はフライパン醤油風味と、ペペロンチーノ系の虜だ。カツ丼やチャーハンのように食べてしまう味付け、太い麺の食べ応え、ビールとの相性、すべてが好きだ。
以前は大盛りを頼んでいたけれど、最近は普通盛りを二皿食べる。これまでは苦渋の決断で一つに絞っていたが、普通盛りなら二皿いけると気づき、二種類選べることになった自由度を得た嬉しさはなんとも言えない。
バチッとパンコントマテを決めたい時は、僕のベーシックであるフライパン醤油風味とペペロンチーノ系の二種類を選ぶけれど、たまにどちらか一方をクリーム系やウニ・イクラ系へとチャレンジしてみる。後悔はまだない。
あぁ、次はいつパンコントマテに行こう。
パンコントマテのTシャツが欲しい。
2018年8月5日(日) 高原 直樹
順番を入れ替えた途端つまずいて
ごめんちゃい!許して〜!
でもまあとりあえず、書くね
と伝えるか、
自分が始めなければ何も始まらない。
バトンを受け渡された身分なのに、
食う寝るを先ず優先し、時間は空くものではなく、
作るものであるのにも関わらず
本来最も優先すべき事を怠っておりました。
ごめんなさい。とりいそぎ、書かせて頂きますね。
と、どちらの伝え方がいいか。
いや、遅れてごめんね。
と、まあこの伝え方のくだりはどうでもいいとして
↑
これ
この「どうでもいい」がかつて、数ある夫婦喧嘩の原因のひとつでした。
なんだかんだ話しておいて結局最後にまあどうでもいいってなんや
時間を返せこらと
(藤井隆 ナンダカンダ)
※偶然ですがこの歌、いい歌だなとつい最近テレビで見て思っていたところです。
となっておりました。
今ではどうか
ちゃんと調査したわけではないけれど、
理解を得たのか、諦められたのか、
このなんとなくどうでもええわ、が怒りを買わなくなってきました。
何故でしょう。
理由を考えてみます。
(居間で垂れ流ししているテレビから、コマーシャルの音。
とてもクールな感じな紳士風のラジオDJ風の低く、男らしい声)
♪……ユワナビー……… ウエノマン…?
〜〜……ウ・エ・ノ! ♬♪〜♬〜! 〜〜……ウ・エ・ノ!
そのCMにはヒロイン役の女性が出ており、その女性はかつてまあまあハマっていたAV女優でした。
このひと、めっちゃ売れてる女優さんだったんだよ
へぇ〜
いや、しかしこの歌ほんと頭から離れんわ〜
ボチボチこんな時間だからせごどん見て、寝よう。
明日は早番で朝早いから。
眠って、
起きる。
(サニーデイサービス 東京)
あれ、昨日の夜、なんの話ししてたっけ
なんだろうな、
あ、「どーでもいいがムカつかれなくなった理由」を考えなきゃいけなかったんだ。
いや、頭ではわかってるけど、言葉に出来ないやつ。
これは人と話してて頭が整理されて答えが出るやつ。
あれに似てる。 そう、わかってんだよ。
やべ、遅刻するよ。
と毎日がエブリデイ、
本当に毎日エブリデイ エブリデイリトルシングスで過ぎていきます。
(竹内まりや 毎日がスペシャル)
と、ここまで書いて
言いたいことのほとんどは伝えられました。
要約しますと、
物凄く個人的ですが、さっきむかついたこと、
今切ないことがなんだかもうばかばかしい
クスッと笑えるように変換できるように、毎秒毎秒適当に考えて、
それを信じて行動すれば、世界は救われると考えます。
(毎日エブリデイの科学。)
※本家では既に樹木希林さんですら降臨させて本出してるみたいです、是非。
時にはそれを何も考えていない、と思うかもしれない。
はい。多分究極はそうかもしれません。
別に悟ってもないし、ほんと四苦八苦だよね!
鎮座ドープネスやソラミミストのお2人が何故あんなにかっこいいか、
を考えて答えを出す事と同じような事じゃないかと言えば、分かりやすいかもしれません。
そして先週、息子が1歳になり、健康で笑っています。
それ以上の事を彼には一切マジな話求めませんが、
ほんの少し、もし、求めるなら、
ねえ、でもちょっとなら求めてもいいよ、ねえ
Baby boy あたしはここにいるよ どこもいかずに待ってるよ
You know dat I love you だからこそ
心配しなくていいんだよ どんなに遠くにいても
変わらないよ この心言いたい事わかるでしょ?
あなたのこと待ってるよ
さあ、テルマが流れてきましたね。
もしほんの少し欲を出して求めていいなら
十九歳でブルックリンとかへ旅立ち(どこでもいいけど)、
スケボーをこよなく愛し(移動手段)、
何か百年先の未来の為に研究とかしたり、しなかったり
描いたり、作ったりそして笑ったりして、
かわいい恋人が出来てたらいいな。
童貞でもいいよ。
見た目は大木ボンドみたいなのでもいい、いやむしろそんな感じでモテる男を男達は本質で羨ましいと思っているはず。そんな漢になれ、かんすけ。
エンディング
(ジョンレノン let it be)
とにかく毎日がエブリデイでありますように、そう願う日々です。
2018年 岸本雅樹。
乱文で鎮座ドープネス。薬物反対。飲酒運転はダメだよ。オカルト宗教はネタでしかない。
雨が降っている。
だから傘をさす。?
雨が降っている。
傘を持っている。
けれど傘はささない。
雨が降ることはわかっていた。
でも傘は持ってこなかった。
傘はなく、雨を受け入れる。
傘をさすのもイエス。
傘をささないもイエス。
雨に濡れるのも又吉イエス。
受け入れる。
そのまま受け入れる。
濡れたって平気。
濡れたって楽しい。
たまに雨粒をよけてみる。
完全に又吉イエス。
小雨であっても、
雨だ→傘をささなきゃ
という思考停止から抜け出し、自分は傘をさしたいのか、さしたくないのかを主体的に考える。
周りがさしていたってささなきゃいけない訳じゃない。
選択を自分のもとに取り戻す。
そして他人の選択を又吉イエスと尊重する。
カテゴリーから抜け出して、
カテゴライズしないで、
自分じゃない人をありのまま尊重する。
受け入れられなくても否定せずそこら辺においておく。
又吉イエスとしておく。
自分もありのままに。
他人もありのままに。
全て又吉イエス。
言葉の字面、言葉が好きなだけで、同じ名前方の政治的主張とは全く関係ありません。
平成30年10月3日
山口温子
昨日今日と、娘の学校の学校公開日で、久しぶりに学校での様子を見てきました。
5年生の道徳の授業のテーマが「LGBT」で、体育館で保護者も参加OKの公開授業になっていて、ぜひ参加したかったのですが、2時間立て続けに参加する時間はなかったので今回は見送りました。最近の小学校、進んでます。。。
そしてこの小学校の特色の一つである「国際」の授業を見てきました。
小学校2年生といえば、まだまだ自由奔放な子供なのですが、決まりがあるのか教室に入った途端、皆の言葉が英語に変わります。楽しい時とか、盛り上がった時は、皆で机をドンドン叩いて表現したり、本当に楽しそうに生徒達がクラスに取り組んでいて、親としても嬉しい気持ちになりました。
「言葉は文化」だっていうけど、同じ生徒のメンバーでも言語と先生が変わるだけで、なんであんなに自由な雰囲気になるんだろうなぁ。。。やっぱ、言葉がもつバックグラウンドとか文化の違いが空気感にでるのかなぁ。。。
なにはともあれ、この調子で6年生まで、楽しみながら英語に触れて欲しいですね。。。
最近の小学校は、地区は関係なく小一から英語の授業を導入している学校も結構あるようだし、この世代の子達が大人になった時は、今までとか違う新しい「日本人」像が出来上がっていそうで未来が楽しみですね。
最近、自分自身、色々な事に対してセーブモードになってるのですが、英語に触れる事だけはテンションを保ててるので、娘に負けないよう、引き続き、私自身も学び続けようと思います。
世界が広がる事を知っちゃったから、旅行好き、異文化好きとしては、やめらんない趣味ですね。。。
2018年10月18日 宮本 留奈
前回のマイクパスから一年半が経っていたことに動揺が隠せません。
去年の夏、会社から受託研究員という名目で3ヶ月弱の札幌短期出張を仰せつかり、北大でお世話になっていました。短い期間の地方滞在でしたが、研究以外にも得るものが多かったです。とりあえずアマゾンがプライムでお急ぎ便でも次の日とかには全然届かない。日本有数の大都市である札幌ですらネットショッピングの使われ方は関東とは明らかに違いました。いかにネットサービスが東京基準で作られているかを痛感したし、東京で日本を知った気になっていた自分を恥じた次第です。
さて、その時の研究結果が今年の夏に実り、バルセロナで開かれた国際学会で登壇発表をしてきました。国際学会での発表も3回目ということで発表自体は若干うまくできるようになったかなあと思いつつ、相変わらず質疑応答が地獄絵図だったので英語絶対頑張ろうと思ったマンです。大学受験でもろくにやらなかった英単語とかリスニングをDuoとか買い直して今ようやく本気で勉強し始めました。その辺の記憶保存領域がすっからかんだったからかスラスラ入るので面白いです。バルセロナは地中海に面した街で、海風と湿度と気温の感じが日本と似ていました。完成していないうちに見ておきたかったサグラダ・ファミリアも無事見れました。工事を劇的に進めたと言う3Dプリンターが工房にありましたけれど、完成予想模型は現在のものを更に覆い隠す巨大な建物が建てられていましたけれど、ほんとにあと数年で完成するのでしょうか。
そんなこんなの中、社会人歴も丸12年となりそろそろやってきたことを一度総括したい気持ちが固まり、同時に仕事もいい感じに調整ができそうな雰囲気となったので、去年お世話になった研究室の今年10月の大学院博士課程秋入学試験を受け無事合格しました。情報理工学専攻のヒューマンコンピュータインタラクション研究室ということで、高校の時以来の理系所属になりました。大学への進路選択の時はは理系にするかデザイン系にするか散々悩んだ末にデザインを選択しましたが、長い年月を経て結局両方通ることになったことはまじウケるって感じです。デザイン系とは世界観が全然違う理詰めな情報設計手法は自分に新たなデザインの考え方を加えてくれる予感があります。早くも授業の期末レポートが課せられ、理系のレポート作法が全然分からず一回り以上年下の先輩方に教えを乞いながら、会社&大学生活のペースをなんとか見つけようとしている今日このごろです。
自分は入社来会社で研究業であったり社会人博士にいつかなりたいとずっと思っていて、いつか諸々の条件が整うことがあるだろうと日々忍んでいましたが、干支が一周した頃にようやく叶いました。石の上に何年でもいられる性分で良かったなあと思いつつ、博士論文は100ページは必要だねと指導教官に言われて動揺が隠せません。次にマイクを受ける頃には、博論が半分は進んでいると良いなあ。
2018年11月30日 鈴木(雪降る札幌からの帰りの飛行機にて)
2018年もあと数日、そして平成もあと数ヶ月。
私たち、ふた世代も前の人種になってしまうんですね。
昭和を基準にしたら明治の人ですよ。
ちょっと前に、生まれてから実家を出るまでの18年間に比べて、
実家を出たその後の年月の方が長くなってきたと思っていたのに、
いつのまにか人生の折り返し地点にきてる。そんな39歳の冬です。
完全なるワーカホリックに陥っています。いや、むしろ自分から。
おそらく、今、人生で一番仕事が楽しい時期に立ってます。
ムカつくけど憎めない素敵な同僚と、
何でも責任とるから好きなコトをしろ!って言ってくれる珍しい上司の元、
本当に勝手に振舞い、自分が産んだ案件に追われてる毎日。
でもマーケティングって面白い!(今更でしょうね)
いま時代、ネットの足跡でなんでもわかるから、
分析からの傾向と対策が立てやすい。
その予測が当たるのかハズれるのか、失礼ですがギャンブル要素満載。
そして、気がつくと片手間になっている育児。
娘、本当に申し訳ないけど、彼女はスクスクとたくましく育ってる。
いずれ抱っこもしなくなり、手も繋がなくなってしまうんだろうと思うと、
いましかない!と思いながら16キロもある重いかたまりを持ち上げちゃう。
生意気なセリフを舌ったらずな滑舌&ドヤ顔で言ってくるようになってきた。
「もうすこしローペースでもいいのにな~」
というスピードで着てる服がサイズアウトしていく成長。
でもって、自身の社畜感も半端ない。
私の勤める会社は、
日本で知らない人はいないリッチブラックオーナーカンパニーです。
時としてオーナーからの予想外の爆弾が投下されること多々アリ、
「これが社会か!これが会社か!」と
リアクションしながらサラリーマンを楽しんでいます。
いままでは、どこで何をしていようと結果を出せは何でもOK!
というフリーランスのような働き方だったので、
朝チャイム(いまどきチャイム!笑)の20分前までに
デスクに着席していないと部内の連帯責任だなんて
暗黙のルールが可笑しくて仕方ない。
(とくにココのみなさんは、そんな前時代会社がこのご時世にまだあるの?
ってビックリするだろうね)
しかし、連帯責任となるとクラッシャー担当の私もさすがに死守します。
電車遅延となった朝は、血眼になって遅延証明書をゲットする自分!
ファストパスを取る勢いより必死!
「ああ、社畜やってんな〜アタシ」と思いながら麻布十番の坂を全速力で登る。
早朝起きる→明け方前の唯一静かなひとりタイム→支度、支度、支度→
滑り込み出勤→仕事、仕事、仕事→ダッシュ退社→保育園→
晩御飯作って食べてお風呂入れて→絵本3冊→一緒に落ちる→最初に戻る→
このルーティンのみで1年以上過ごしてきちゃいました。
たまのメンテナンスはアルコール摂取。
毎日がほんとうにほんとうに早すぎて、
カレンダーの上で自転車操業してる気分。
走っても走っても今日に追いつかない。
振り返るといろんなタスクが散らばっていて。
整理整頓のプロっぽいブログを眺めてはため息。
イラレのデータは「きれいですねー」と言われるのに・・・
来年の年末も同じことをぼやいているんだろうか、
来年、時代は何になってるんだろう。
あ、保育士の資格もあと学科1つのみとなりました。
来年は合格発表の報告が華々しくしたい!
ひとまず、年末年始は賞与握りしめ、沖縄への弾丸家族旅行だ!
みなさま、よいお年を。
2018年12月18日 マッチ
久しぶりに書きます。前回書いたのが2017年、ちょうどBrexitから1年経った時だった。そして今年3月29日いよいよ発令の時を迎えようとしています。(チーン…)毎日がBrexit一色である事は間違いない。
正直、日々更新される詳細が何かもう私には複雑すぎてよく訳が分からないんだけど、ざっくり言うと、この一年様々な交渉がなされ大筋は決まってきたけど出してはEUに却下され、出しては国会に却下されと、まだ明確な方向性は決定されてはいない模様。
ハードなのかソフトなのか、
北アイルランド(英国の一部)とアイルランド(EU)の国境をどうするのか、
モデルとしてのノルウェーなのかカナダなのか、
レファレンダムをもう一回やるのかやらないのか、
離脱が延長になるのかならないのか、
このまま合意のないままその日を迎えるのか、、等々。
システムの事はメディアに任せるとして、とりあえず生活者として気になる事は、このまま合意なき離脱になったらどうするべ?って事で。
食料や薬の供給が滞ったりする可能性もある的なニュースもあったりして、かなり不安にさせられる。家は、夫が糖尿病でインスリンを毎日使っているので、供給が滞ったらどうなるのか?とか、インフレになったら食ってけるんだろうか?日本への引っ越しとか真剣に考えなきゃいけないのか?とか思いつつ、やっぱり英国市民じゃないし、永住権も一回却下された歴史がある自分はどこか斜めに見てて、何となく蚊帳の外というか、一歩引いて見ちゃう。結局決めるのはヤツらだし...的な。
政治は毎日アップダウンしているとは言え、生活レベルではまだ混乱しているという事はなく(心の中ではみんなしていると思うけど)、何かが劇的に変化したという状態ではまだないと思う。お医者さんが何万人単位で不足しているとか、北の方では食えなくなっている人が増えているとか(これは必ずしもBrexitの影響ではなく現政権の敷く緊縮財政のせいかもしれないが)、不動産価格がピークに比べて数千ポンド激減したとか言われているけど、草の根レベルではまだ困っている事はない。
でも、何となく安いワインのチョイスが減ってないか?とか、トマト缶の値段が前は30ペンスだったのが50ペンスになっていて、「こ、これはもしや...」と思わされる事もちょくちょく出始めて来ている、ような気がする。
しかし、当事者達はそうは思わないのかそれでも尚、離脱派というのは依然として多いそうで。「ブリティッシュバリューを取り戻す!」とか「主権を取り戻す!」とか言ってて、マジひく。。。
北部の方の産業革命とかでかつては栄えた田舎の町などは、グローバル化で完全に産業が衰退してしまい、仕事がなくなっているというのを移民のせいにすげ替えていたり、EUからの移民の方がいい条件で権利もたくさんあって割に合わないと言われていたり、あげく国に帰れ!みたいなむちゃくちゃな理屈を持っている人もいるらしい。(この辺メディアが言ってるのでどのくらい信じるかは微妙だけど)
というか、そもそも離脱派の連中は、移民が働いていっぱい納税しているという事を忘れないで欲しいよね。EU市民じゃない我ら一般枠なんて、納税して、国民健康保険払って、更にビザの更新時に医療へのアクセス料金てのを上乗せして払ってる!失業しても失業手当にアクセスもできないし、社会保障にも手を出せないけど、“移民”だからしょうがないのか!?これ、日本の問題に置き換えてみたら「しょうがない」と答える人が多そうな問題だけど、当事者になってみると不公平だなと思うと思うよ。特にヨーロッパはEquality(=平等である事)を大切にしていると言うのなら、尚更なんでそういう議論になるか到底理解できないよ!
とりあえず、ムカついているという正直な気持ちを記して今回は終わります。
それぞれがそれぞれの立場でムカついているんだろうなぁ。
2019年1月21日 山口尚子
小さい頃から顔のホクロが多く、顔の右側大きめのにホクロが5つ。特に鼻にある一番大きなホクロはずっと小さなコンプレックスだった。ホクロがたくさん写ってしまうから右側から写真を撮るのはやめてくれーと心の中でいつも思ってた。
中学校の頃に、仲の良かった友達が「ホクロって指で削れば取れるよ」と教えてくれた。素直だった私は言われたようにそのホクロを試しに無理やり取ってみた。
確かに取れた。
が、数日後大きく成長したホクロが帰ってきた。最悪だ。
無理やり取ったからなのか、取らなくてもそうなったのかその後加齢と共にどんどんホクロも成長していった。
そして2年ほど前のこと、友人と台湾に行った際に占いに訪れた。占い師にその私が一番気になっているホクロを含む3つのホクロについて「そのホクロ離婚の相だよ。今レーザーなんかでサクッと取れるから取っちゃいな。」と言われた。
確かにホクロ占いなどでもあまり良くないホクロと書いてある事が多かった。今までずっと気になっていたこのホクロ取った方がいいという他者からの後押しがあるのならば取るより他ないと思った。
そのあと、すぐに妊娠しホクロの件は産後の育休中になんとかしてやろうとぼんやり思っていた。産後は育児の合間に湘南美容外科とか美容外科系をたまに思い出しては調べていた。ホクロを取るとひと口に言っても、マジで手段がめちゃくちゃあるし病院もたくさんある。
そもそも皮膚科にかかるべきか美容外科にかかるべきか。。。
顔のホクロだし失敗がきかない。
ホルモンズタズタ、万年睡眠不足な産後の私の脳みそではただでさえ日々小さな選択をしまくっている中でホクロをどこで取るのか考えることについては億劫だったし、子供のことに比べりゃ私のホクロなんぞ優先順位が低かったのでほっぽらかしていた。
子供が6ヶ月を過ぎた頃、足の裏に急にホクロが出現しそれがどんどん大きくなってきたのが心配だったので皮膚科にかかることにした。そのついでに数年前に出現した私の足の裏にもホクロがも見てもらおうと思い総合病院の皮膚科を予約した。
いい機会だから、寒冷アレルギー疑惑、ついでに大きくなっていくこの鼻のホクロのことも相談してみよう!となった。あんなにどこの病院にかかるか悩んでたけど決まるときはあっさり、流れに任せてみることにした。
先生に相談したところ、ホクロは皮膚科界隈では「ホクロの一生」という言葉があるくらい、加齢と共に変化していくことが多いのだそうだ。
私の成長しているホクロも今後どんどん成長していくから、悪性のものではないと思うけど気になるのなら形成外科で取ってもらいましょう。となり、一週間後に形成外科にかかることになった。
※息子のホクロは一旦経過観察となった。私の足の裏のホクロと寒冷アレルギーに関しても様子見で良いそう。ホッ…。
一週間が過ぎ形成外科を訪れた。
ホクロ取るってどんな処置になるのか全くわからないし、めっちゃ痛かったらどうしようとかもしへんな跡が残ったらとか、すごい不安の中形成外科の前で順番がくるのを待つ。
その間に70歳は過ぎていそうな女性が診察室から「痛い、痛いよ、、、涙が出ちゃうよ」と言いながら出てきた。
さらに私は不安になる。。。
いざ自分の順番がきて診察してもらうと、とりあえず今日は診察とホクロをどのように取るのかの打合せだった。ホクロには切り取ってそのままにして治す方法と、切り取ってから縫う方法、レーザー治療とあるそうだ。その病院ではレーザー治療はやってないので、レーザーなら紹介になるがあなたのホクロは切り取る方法が一番綺麗に治りますよとのことだったので、それでお願いすることにした。
は!と思いつき、ついでに台湾の占い師に言われていた残りの右ほほにある二つのホクロのうち一つについても相談したところ、そこはもしかしたらレーザーの方がいいかもだけど切り取りでも9割がた綺麗に治りますよ。
もし迷ってるのなら、右ほほに関しては当日決めてもいいですよと、思ったより軽い感じで言っていただけたので、鼻のホクロの手術日まで右ほほのホクロをどうするか決定する猶予期間をいただけた。
右ほほにある残りの一つに関しては、今回相談したホクロより明らかに小さくて薄くレーザー治療(保険外)を勧められそうだったのでやめておいた。
さてさて、手術当日、、、
もう一つのホクロを取るか取らぬかでギリギリまで悩んでたけど、仕事復帰したらなかなか来れないしきっと術後も何度か通うのか〜とか考えてたら、えーーーい取ってしまえ!となりおねがいすることにした。
ホクロの手術って診察室でピッて取ってもらうくらいのことかと思いきや手術着を着て手術室で行うれっきとした手術らしいのだ。
準備室のようなところで手術着に着替え、感染症予防の点滴をしてもらう。基本注射や痛みに弱いわたくし。看護師さんの名札に「主任」と書いてあり、ベテランさんなんだと少し安心する。が、肩書きに惑わされてはいかん。まーーーじで、めちゃくちゃ痛い。「痛いですか?」と聞かれて「結構痛いです」と答えると、「血管壁にあたってしまったのかもしれないです。点滴のお薬はちゃんと入っているようなのですが、もう一度刺し直しますか?」と聞かれ、痛いけどまた注射針を刺される方が怖かったので、このままでいくことにした。
そしていざ出陣。自分の足で歩いて(当たり前だけど)手術室へ向かう。人生で初めての手術室。。。ほんとに吐きそうなくらい怖い。私はほぼ自分の意思で決めた手術でほぼほぼ成功することがわかっている手術だけど、もしかしたら失敗するかもわからない大きな手術をする人の恐怖感や緊張感たるやどれほどのもおのなんだろうか…。
去年心臓の手術をした夫、ほんと怖かっただろうな〜などいろんな思いがよぎる。
そして、手術室に入るとGREEEN的な音楽がかかる中、担当医の先生がいた。
音楽がかかっていることに少し安堵した。こんなにGREEENに救われたことはない。GREEENじゃないかもしれないけれども。
そしていざ手術台にあがる。
心電図をつけられ、手術する箇所だけくり抜いてある布のようなものを顔に被せられる。
怖すぎて血圧上がってるし。。。
入念に消毒してもらって、まず麻酔。麻酔はやっぱり少し痛いけど全然耐えられる痛み。いざオペ!
「もし痛かったら言ってくださいね」と先生に言われる。まじで?痛いの?ちょっとでも痛かったら言っていいの?こわいいいいいいい。
と思ってたら、ほんとになーーーーーんにも感じなかった。そして手術はあっさり10分程度で終わってしまった。今回の手術で一番痛かったのは点滴だった。血管壁に当たる点滴は痛い!!
身支度をすませてすぐ退院。お会計9千円程度。1万円しない。
うそでしょ〜〜〜。私の30年がかりのコンプレックスこんな値段で取っていただけたのかと驚き。
1週間後の経過観察も良好とのことで一安心した。
まだ跡が残ってるから予断は許されないけど長年の小さなコンプレックスを払拭できそうだ。
少し前からカウンセリングに通ったりもして、プロの方の手を借りてコンプレックス解消に繋がることをすることができたから次は自分の力でできることをやっていこうと背中を押してもらったような気持ちになっている。
ホクロ取ってよかった。
2019.2.11 岸本ともみ
この前、娘が、しまうのに困っていたモノの完璧な収納場所を見つけたときに「人生サイコー!」と叫んでいて。本当に叫んでいて。妻とふたりで感動しました。つい先日は「サーフィンサイコー!」と叫んでいたので、「〇〇サイコー!」が若干いまの娘の流行り言葉である感はあるものの、その言葉のまっすぐさにものすごく感動しました。
俺も、常日頃から、「まあまあ元気で生きてるだけでかなり幸せなことだよな〜」と思うタイプの人間なので、大概のことはハッピーな方に落ち着くんだけど、いまの娘のそれは突き抜けてるなと。大体このままこの感じで大きくなって、人生サイコーのままおばあちゃんになって死んでいって欲しいなと思ったよ。きっとできるさ。死んでもしまた会えたなら、その人生のサイコーだったことを聞かせて欲しい。完璧な収納のこととかそういうの。
ほんと、人生は最高だってことを、改めて教えてもらったよ。
そして、わかっちゃいるつもりだけど、ひとまず俺の人生が今の時点まで最高でいられたのは、俺の周りのおかげですね。
ありがとう。
◎なんか遺書みたいになったけど、一応まだ元気だからね、ね!
二〇一九/三/十三
次朗
環八通りの瀬田交差点のところに、でっかい広告が出ているのを見たことがある人はいるでしょうか。元横綱若乃花こと花田虎上氏がどーんと印刷されていて、その周囲にビル工事とかで使う足場が組まれています。足場の会社のものらしいです。あれを見るたびに「この人はいい人なんだろうなあ」と思います。
アメフト挑戦、ちゃんこダイニング若、あとそのほかにも会社やったりとか、わりと一貫性のないことをやってきていて、全部基本的には失敗しているんですよね、虎上さんって。相撲では横綱までなりましたけど、横綱なんかになりたくなくて、昇進の口上で「謹んでお断りします」って言おうとして両親にものすごく怒られたとか、そもそも相撲の世界に入ったのも「弟の盾になれ」っていう父の命令だったという有名な話もあります。中学出たてで「弟の盾になれ」って、絶対言われたくないなと思うのですが、虎上さんはそれを受け止めて相撲界に入るわけです。あの世界の厳しさとか父権の強さとかというよりも、これは彼の「いい人」っぷりを象徴するエピソードだと思います。たぶんちゃんこ屋のプロデュースとか会社経営とかも、誰かに拝み倒されるかうまい話吹き込まれるかしたんじゃないかな、と邪推してしまいます。
「いつか」
ほんの半年前まで私が出演する番組には写真は疎か名前を使うことさえできませんでした。
ほんの三ヶ月前まで今後も会うことはないと言われていました。
そのような中、急変した現状に当惑しています。
私は大人になって兄弟喧嘩をした覚えはありません。人との争いごとが苦手なのでこれまでの嵐のような状況にも受け身で過ごしてきました。
私の願いは、母がずっと大切に思っている弟と笑顔で逢えることです。これはそう遠くない現実だと感じ嬉しく思っています。
ただ、絡み合った糸を解くにはまだ時間がかかりそうです。
それぞれに精進して、いつか心交わす。そんな人生の後半が送れるようにと願います。
私共の今後を温かく見守って頂けますようお願い申し上げます。
いつか逢える日を楽しみに日々邁進して参ります。
花田虎上
(「第66代横綱若乃花 花田虎上オフィシャルブログ」2019年3月20日の投稿より)
……って、最近の虎上さんのブログです。元貴乃花親方こと花田光司さんが相撲協会を退職して、最近急に絶縁していた母親と会いたいというようなことを言い出している件についてのアンサーですね。一連の貴乃花と花田一家にまつわるあれこれについては興味が尽きませんが、それはおいておいて。
人との争いごとが苦手なのでこれまでの嵐のような状況にも受け身で過ごしてきました。
という部分。これぞ花田虎上、という人生観です。ある時期からは自覚的にそういう生き方を選んできたということなんでしょう。僕もどちらかといえば成り行きに身を任せながら生きてきた人間なので、共感を禁じ得ないのです。それでもどうにかやってこれています。
前の会社を辞めてこの4月で2年になります。辞めたのは自分の決断でしたが、それも成り行きといえば成り行きです。そして今の会社に入ったのもわりと成り行き。最初に面接を受けて社長と話してなんかおもしろそうだなと思ったのですぐに決めました。「antenna*」というキュレーションアプリの編集です。仕事はわりとおもしろいし、その一環で、この1月からはTOKYO FMのラジオ番組もやったりしています。どういうわけか僕が喋っています。楽しいです。
しかし、やっぱりベンチャー企業の世界なので、結構生き馬の目を抜くというか、社内にも妙な緊張感があるなと感じるときもあります。もちろん実力次第ではありますが、基本的にいかにブラフをかませるかの戦いで、強かで声が大きな人間がメリットを得るという世界なので、編集畑でしこしこ雑誌作って「写真の色がすごく綺麗に出た!」とかで喜ぶタイプの人間にはあまり向いていないのかもしれません。
前にもここで書いたかもしれませんが、僕は組織内での出世にまったく関心がない人間なので、役員面談のときに歳下の役員に「ゆくゆくは経営陣に入ることを見据えて……」とか言われて「いや、全然入りたくないんですけどね」って答えたら、「えっ?」って声に出して驚かれました。そのあとモチベーションの話やキャリアパスの話を延々されたので、やる気がないやつと思われたのかもしれません。やる気はあるんですけどね。「闘志なきものは去れ!」って半世紀以上も前に広島カープが掲げたスローガンですが、闘志にもいろいろあるんです。元高校球児の彼にはうまく伝わらなかったのかもしれないですが。
というわけで、社内においては「なんかフラフラしていて何やってるかわかんないけどいろんなところに顔出して最近はラジオで喋ったりしている天パ」というオリジナルなポジションを獲得しつつあります。概ね好評です。
フラフラしていて何やってるかわかんないついでに、ここ半年くらいで音楽ライターとしての仕事も始めました。前々からちょこちょこやってはいたけど、ちゃんと副業として位置付けて結構がんばっています。
これも成り行きといえば成り行きで、知り合いの某誌編集者から「小川さんと仕事がしたいです!」と言ってもらって、嬉しくなってやり始めたのがだんだん広がって今に至ります。その知り合いの編集者はその話をしてから2か月くらいで転職しちゃったんですが。完全に花田虎上パターンですよね。いや知りませんが。
まとまった副収入というのも初めてなので確定申告では死にましたが、手応えとしては「結構イケるな」と感じています。収入の部分ではなくて、仕事のしかたの部分で。ときどきやばいときもありますが、いいバランスが取れつつある気もしています。
前に音楽雑誌作っていたときと比べると、まあ原稿を書くとかインタビューをするみたいな部分は変わらないのですが、いろいろ違うところがあります。
① 原稿執筆以外のややこしいあれこれと距離を置ける(業界内政治とか)
② 仕事量がダイレクトに収入に反映される(単価低いけど)
③ 基本的にはやりたいことだけやれる(断るのも難しいけど)
④ 副業としてやっているので、自分の仕事を相対化できる(井の中の蛙にならずに済む)
などなど、前よりいいじゃんと感じる部分がある一方で、
⑤ 情報が遅い、少ない(探しにいかないと情報を得られない)
⑥ 時間のコントロールが難しい
⑦ いちいち説明がめんどくさい
という側面もあります。でも総じて、仕事をくれた相手に対する責任感は感じながらも、気が楽です。
特に感じるのが、④の「仕事の相対化」というところです。音楽業界ってものすごく狭い世界なので、中にいると知らず知らずのうちに視野が狭くなっていたんだなと痛感します。幸い、まったく関係のない仕事と行ったり来たりなので、書くもののテーマや内容も、インタビューでの質問も、自分のなかで常に客観的に見ることができている気がします。逆に、結構マニアックで大したお金にならない仕事を死ぬ気でやっている人(ミュージシャン含む)がごろごろいる音楽業界に常に片足突っ込んでいることで、本業においても「おもしろいとはどういうこと?」「好きになるってどういうこと?」とか、きわめて定性的で形而上学的な視点でものごとを考えることをやめずに済んでいるということもいえます。スマホアプリの世界はとかく数字やデータ本位になりがちなので、そうじゃない部分をちゃんと考えることはとても大事だと思います。
そのふたつの側面、今はあっちとこっちという感じですが、その真ん中あたりで何かおもしろいことできないかなとはちょっと考えています。
繰り返しますが基本的に成り行き任せの人間なので来年あたりどうなっているかわかりませんが、おもしろいことになっていきそうな予感はしています。乞うご期待。
そういうわけで、すべてが成り行きだけれども結構いい人生だよ、というお話でした。虎上さん、一緒にがんばりましょう。
2019年3月22日
小川智宏
内容、注意事項を読み同意します。2019年4月30日。署名。しまった、ここは平成31年と書くべきところだった。何せ平成最後の署名、平成最初で最後の体験ダイビングなのだから。
にしてもダイビング、水の中が大好きなはずの私だがあんなに恐怖とは思わなかった。加齢だろうか。はて、ダイビングについて書こうか、いや、大した描写できないか。
焼きそばとおにぎりの組み合わせって最高だなあー。
天皇はどんな言葉で締めくくるだろう。どれくらいの国民が今日と明日の二日間改元にへばりついて過ごすだろう。平成が始まった時はまだその事実を受け入れるだけの子供だった。そうか、私昭和生まれだけど物心あるほとんどは平成の中にいたんだ。昭和に愛着あれど平成っこじゃないか。
Heisei wo reisei ni Reiwa ni go ラップ思い付いた。人生初のラップ。これを書くか。いや、粗いな。何とか平成に書き上げたいが。まとまらない。眠いから。渋谷の様子を見たい。5/1 0時を黒糖焼酎でもチビチビやりながら静かに迎えたい。が、眠い、、寝落ち
昨日と同じ朝の始まり。昨日と何も変わらない。しかし、令和。令和。まだ言い慣れない。しかしインスタには気持ち新たに的なハッシュタグが並ぶ。それらを眺めていると少しだけ令和が馴染んでくるようだ。私も令和に何か一つ新しいことを始めようか。今年は40だもんな。20歳になっても何も起きなかった、30歳になっても大きく変わったことはない、令和になってもきっとそうだ、今日が昨日と劇的に違うことなんてない、分かっているのに40歳になることに何かを期待してしまう。分かっているから今年は自分で変える努力のしなくちゃな。
あら、今日ももう終わりか。今年のビッグイベント奄美旅行ももう終わりか。うわー星が綺麗。みんな寝静まってうわー贅沢な時間。(天体撮影に必死で思考停止)
こうして令和が開けてしまいました。
そんな特別な日の徒然なる私の頭の中。しょーもない、乱文失礼しました。
令和元年五月五日 高原綾子
先日、娘がお友達とトイストーリーの映画を見たいと言い、お友達のママがMX4Dで見てみたいと言ったのでMX4Dを初体験してみた。
MX4Dとは
・シートの可動
・シートの突き上げ
・首元への感触
・背中への感触
・香り
・風
・水しぶき
・足元への感触
・地響き
・突風
・霧
・ストロボ
など、映画のストーリーに合わせて様々な効果を体験するもの。
ディズニーランドのスターツアーズをライトにした感じの、もはやアトラクション。
おそらくはNetflixなどが映画産業にのりだしてきて、映画自体もリリースされて配信されるサイクルもはやく、映画館への打撃は相当なもので、それへの対抗策なんだろう。
始まる前からなんだかソワソワしちゃうし、始まったら壁の光がチカチカするのとか、イスの動きや水しぶきのタイミングでびっくりするし、「あ、そのキャラクターに合わせて動くのね」みたいなことも考えちゃうしで、ストーリーに全く集中できない。
結果、「体験して知った」という経験を得ただけで、私には何も良くなかった。
映画の効果なんて自分の想像力で置換してふくらませて、それが最高だと思う。
主人公が雨に濡れていたとして、勝手に効果で水しぶきかけられるんじゃなく、主人公の気持ちに移入して自分も雨に濡れている気持ちになる。映画のそういうところが好きだ。後付けの効果はそもそも制作側・演者にも失礼な気さえしてしまう。
VRが話題になっていて、海外の空港や街なかでVRのブースをちらほら見かける。日本でもニュースやネットの記事で見るけど、体験したことはないけど、自分で考えて想像する力が阻害されそうで心配になる。
知ったような気になって行ったような気になってしまいそうで、リアルと離れていきそうで。ヴァーチャルとリアルは全く違う。
どんどん「リアルに体験すること」が貴重になっていっている。
子供の教育について色々本を読んでいると、「1+1が2になる」ということを数式ではなく体験として知っていることが大切だ、といったことがよく出てくる。
数式だけ知っているのと、経験として知っているとでは全く違う。
「フィレンツェをVRで見た」
のと、
「乗り継ぎ含め14時間かけてフィレンツェに行って、35℃のなか、ドゥオモ入館のために何時間も並んでいる人達がいて、行きたいけど諦め、ドゥオモのふもとでジェラートを食べる」
のとでは全然違う。そこで感じる空気・熱・湿度・味・音・におい・感情・一緒にいる人のそれぞれ、などなど。リアルには決してヴァーチャルは勝てない。
便利さより、自分で感じたこと・経験したことの方がよっぽど価値のあることだと思う。
話はそれるけど。忙しいから犬を飼いたい、世話をする時間はないからペットシッターを頼んで世話をしてもらい、自分は自分の都合で愛でたい時に愛でるだけ。いわゆる癒されるってやつ。そんなニューヨーカーの話をユーチューブで見た。犬はリアルな存在だけど関係はバーチャル。命に向き合っていないすごく自分本位な関係でなんだか怖くなった。いいとこどりなつもりなんだろうけど、すごくつまらない。一方通行な関係ではない、リアルな関係って楽しいはず。
技術は進歩する。でも人間のモラルはどうなのだろうか?
もちろん、技術革新が必要な人もいる。その人達が生きやすくなることは素晴らしいこと。
新しい技術を享受する権利が当たり前にあるんだと手にする前に、一度立ち止まって本当に必要なのか考えたい。それを手にするということはどういうことなのか。新しい刺激は面白くて私達の脳はなかなかやめられない。
最近はモラル教育の大切さをすごく感じている。相手がどう感じているのか想像して関係性を創造する。
何かがほしいなら想像力を働かせて、あるものでなんとか自分で作ってみる。技術的に足りてない部分は想像力で補完できる。イマジネーションって素晴らしい。制限がある方がどんどん膨らむ。
パスカルは『パンセ』のなかで「考えることによって、私が宇宙をつつむ」と述べた。私達は考えることで想像することで時間も重力も次元も超えて、どこへでもいつでも行くことができる。何にでもなれる。何だってできる。
リアルな体験と想像力がこれから本当に大事になるような気がする。
リアルを体験して想像して創造して。
リアルに手が届かないときこそ想像力の出番。
そこは自由でなんだってできる。
映画の前、娘は「おならとか臭い匂いがしたらどうしよう」と心配していたけれど、おならのシーンはなかった。良かった。
とりとめのない、想像とリアルとバーチャルの話。
2019年8月13日
山口 温子
AIだ自動運転だブロックチェーンはじめ、技術の進歩で受けられる利便性や恩恵について、批判的な意見もありつつ、いやいやそれがわからないの?という次世代ジェネレーションぽい情報があらゆるところに氾濫している。それがあたかも革新的で本質だと思わせる世の流れや、次のスタンダードだと振る舞う世間の勢いに巻き込まれがちな自分がいる。そして、そんな世の流れをわかったようになって悦に入っている自分もいたりする。俺あるあるだ。
そんな時、ハッとなるようなことに気づかせてくれる人は妻だ。小柄なのに一撃でノックアウトする。akaマイクタイソンだ。情報量だけでいうと自分の方が色々と読んだり調べたりしていると思っていても、それが薄っぺらい、大事なのはそれじゃないと気づかされる。
井の頭線の連絡通路について。
連絡通路ってその名の通り物理的には「繋ぎ」の役割だけれど、連絡通路が醸す雰囲気や、人の心に与える影響がある。何かと何かの間を歩いている感がすごくて、移動と言う目的の中の間接的な行動でなんか好きな時間だ。
そんな連絡通路を歩く時間に、妻のことを考えていることに気がついた。薄っぺらくなるので考えている内容は言えないけれど、妻の言葉を反芻し、反省する。少なくとも自分にとってあの連絡通路が必要なことは確かである。
2019年9月2日(月)
高原直樹
今日バスに乗った時に、小学校一年生か二年生くらいの女の子が立ってて、何となく目があったからにこっとしました。しばらくバスは走って、ある停留所で停まった時に、近くの席がひとつ空いたから、「座りなよ」ってな感じで目配せしたら、その女の子が「あ、どうぞ。」って言って譲ってくれました。ここは素直に譲ってもらおうと思って、俺は「ありがとね」と言って座りました。その後、バスが走り出してからも、女の子は少しうろうろしたり、何かを小さい声で歌ったりしながら、たまに俺と目が合っては逸らす、みたいなことを繰り返していました。
しばらくして、俺の降りるバス停が来たので、降りる時に「ありがとう。」と、その女の子に言って降りました。女の子は「あ、いえ。」と言って、すごい早さでその席に座っていました。俺は、もしかしたら最初に譲ってもらった時にもう一回返していたら、この女の子は座っていたのかもしれないと思い、少し後悔したものの、とても良い気分でバスを降りて帰りました。
ちゃんとお礼の気持ちは伝えたつもりなので、あの女の子も良い気分になってくれていたらいいなと思います。
少し時間を戻って、打合せ前にカフェ併設のパン屋でコーヒーでも飲もうとしていた時。
レジで外国の夫婦が少し困っているように見えたので、「大丈夫なん?」と聞きました。その奥さんは「大丈夫よ、ありがとな。この会計システムほんまいかちいな」と言いました。その後、隣の席になったので、何となく意識しながらも意識しないみたいな感じで過ごしていました。そして、夫婦が店を出る時に目があったので、「ほんじゃあな。今日楽しんでな〜。」と挨拶をしました。そしたら奥さんが「おめえの英語ほんまええ感じよ。さっきの気持ちうれしかったわ。うちらはアメリカから来たんじゃけど行ったことあるん?」「今日これから帰るんよ。じゃけえ現金使っとんよ。」と応えてくれました。俺は、「アメリカは行ったことないけど、ぜひ行ってみたい国の一つじゃわ。」と言って別れました。その人は、「日本めっちゃえかったわ。良いとこじゃなあ!」と言ってから颯爽と去りました。旦那さんは、少し離れたところにいて、去り際に大きく手を振ってくれました。
俺は、知らない人と何でもない会話をしたことと、この夫婦がとても感じの良い夫婦だったこととで、とてもうれしい気持ちになりました。
あの夫婦が、どんな滞在をして、どんな人とどんなコミュニケーションを取ったかはわからないけど、俺がうれしかったのと同じように思ってくれてたらいいなと思います。
という、うれしい気持ちがたくさんあった日のことでした。まずは、俺の家族親戚友人知人に幸多からんことを。
二〇一九/十/八
次朗
普段代わり映えのない日常を過ごしているけれど、たまに「おやっ⁉︎」という様な事が起こりませんか?先日ちょっと不思議な事が起きたので、書き留めておこうと思います。
月曜日の朝一〇時頃、歯医者に行くために半休を取った。こちらでは、具合が悪い時、病気になった時はもちろん、土日はもっぱら病院がやってないため、Sick Leaveという有給を取って病院に行く事ができる。最近、この制度が歯医者にも使えると知り、早速休んでみたという訳。なぁんだ、わざわざ気を遣って土曜日に行ってたのが馬鹿みたいだ。しかも、土曜日の歯医者は陽気だが、なんだか信用できない兄ちゃんだったのでちょうどいいや。
月曜日の歯医者は良い。仏頂面だが、プロって感じ。何やら奥歯の3〜4本ある内の1本の神経が死んでるらしいと言われ、歯根療法という施術?/手術?が必要だと言われた。
歯根療法!手術⁉︎ そういやぁ、土曜日の歯医者にも同じ事言われたけど、彼は歯根療法は自信ない感じだったので、おっかなくておっかなくて到底無理ーって感じだったけど、この歯医者は歯根療法で修士過程を取ったとの事、これは安心して任せられそうだ。いやぁ、何にせよ月曜の昼間からプラプラするのはいいなぁ。
と、思いながら家路を歩いていると、何やら十字路の塀に座ってぷかぷかマリファナを吸う兄ちゃんが居る。ちなみに、この地域はジャマイカからの移民コミュニティがある地域で、日中堂々マリファナをふかす様子を目撃するのは珍しい事ではない。
「(ようやるなー…)」と思いながらさっと通り過ぎようとすると、「Hey! Hey! エクスキューズミー!」突然声をかけられた。
「(キョロキョロしながら)わ、私ですか…?」
「Yo! どっから来た?アーユーフロムチャイナ?」
兄ちゃんよ、お決まりの質問だな。まぁ、奴らにしてみたらチャイニーズもジャパーニーズもあんまり変わらなく見えるんだろうから、しょうがないよね。私たちがジャマイカ人とバハマ人の違いが分からない様に。
「ううん、ジャパンからだよ。」
「おー、ザッツクール!どこら辺?東京?」
「ううん、東京じゃない。東京の郊外だね。」
「おい、知っているか?俺はマジで日本に行きたいんだ。もし、初めての日本だったらどこに行ったらいいか教えてくれ。」
「(来た来た…。)そうだね、初めてなら東京に飛んで、京都っていう古都と広島だね。これがゴールデンルート!」
私は今、旅行会社の日本旅行を扱うセクションで働いている。日本旅行は今正にブーム到来という感じで、一生に一回しか行かないであろう日本で周るとしたら、ベタに東京ー京都ー広島と相場は決まっている。
「ナイス!俺は絶対にいつか日本に行くぜ!あんた名前は?」
「たか子です。」
「は?パカコ?」
「ノーノー、ターカーコー。T - A - K - A - K - O」
日本名は馴染みがないのに加え、たか子という名前はなぜかこっちの人には聞き取りづらいらしく、このやり取りは日常茶飯時のものとなっている。ケイコやヨーコだったら、私の人生もっと楽だったのに…。
「(小声で繰り返す様に)タカコか。
俺の名前はランディ。まぁ、今の所はこの名前だけど、変えるかもしれない。
おい、日本語の名前を付けるとしたら、何かいい名前あるか?」
「(は?変えるとは…?)」と思いながら、うーんうーんと考えるが、パッとした良い名前が出てこない。
「…太郎とか?」
「どういう意味?」
「長男て事だね。次男なら二郎。」
「そうか、考えておく。ありがとうな。」
「話せて良かった。またね!」
と言って、ランディと名乗る男と別れた。あぁ、何て清々しい午前なんでしょう!社内でだって、素通りする人は山ほどいるのに、全く良い会話だった。
しかし、どうもこの男の言った事が気になって頭から離れない。マリファナを吸っている割にちゃんと話せる気さくな男だったが、名前を変えるかもって何だろうか?そもそも何故私に声をかけたんだろうか?ただの超良い人だったんだろうか?もしや強盗に入る家の目星をつけるため、人が良さそうなアジア人として選ばれたのだろうか?なぜ、特に男前という訳ではなかったのに、こんなに気になるのか…?
そんな事を考えながら家路に着いた。この日は学校が休みだったため、夫と子どもと共に買い物に出るため、ものの5分程で再び外出した。
「(あー、またランディという男に絡まれるかもしれないなぁ…。)」若干面倒くさいなと思いながらさっきの十字路に差し掛かる。チラリと塀の方を見ると、ランディは、もうどこにも居なかった。
二〇一九年九月か一〇月の出来事 山口尚子
暮れも近い秋頃にKing Gnuなるバンドに嵌まりまして。きっかけは多くがそうであるように「白日」という曲なんですけれども。ここ最近20代が気になるので、曲漁りと共にウィキペディアからtwitterからラジオから数珠つなぎにバンドに関わる情報を求めていったら、まあ知れば知るほど面白い人たちで。今に至るまで彼らを追う事に底が見えてこないんですけど。ほんと沼ハマです。私が一番好きなのはInterFM897で2018年に1年間放送していたRADIO GNUってラジオなんですが、ほんと素晴らしい番組でした。you tubeにアップされている回しか聞けてないのが悲しい。アルバムリリース記念復活だけじゃなく本復活も、ないだろうけど切に願います。年末の怒涛のレタッチ作業をやさぐれてもう無理!と納期をすっ飛ばすこともなくなんとか乗り越え、ぐうたら最高なお正月を迎えられたのもRADIO GNUの賜物です。ありがとうございます。何がいいって、ドラム勢喜氏の自由奔放さであったり、ベース新井氏のマニアックな音楽愛だったり、楽屋での(こんな感じであろう)ただの会話っぽいのに笑って学べるエンターテインメント感盛り沢山なのです。興味ありましたらざっと楽曲を聞いた上で(聞かなくとも)みなさんも是非。
ところで、ある夜寝る前に推しメン井口氏のtwitterを遡っていたら、自身が「なんか嬉しい」と紹介したrockinon.comでのKing Gnuの書評にたどり着きまして。「King Gnuとは部活動のようだ」と。ハマり始めてまだバンドの魅力も全貌を掴めずなぜ自分がハマりつつあるのかよくわからない状態にいた私はこの書評で言葉で形付けられたことでなんかスッキリ!したのでした。で。いやーやっぱライターさんて凄いよなー、なんて思ったら。(文・小川智宏)ってありまして。これあれですよね?オガーシさん?あらやだ、知ってるこの方、パスマイの。ってなったんですっかり眠気も覚めちゃった割にはすぐ眠れちゃったんですけど。興奮しました。ありがとうございます!ほんと素敵な仕事です。
で、2019年の暮れ。ROCKIN'ON JAPAN2月号はKing Gnuが表紙、特集で予約しました。届きました。読みました。history記事もまた、オガーシさんですよね?「ヌーとは」「寄せ集めのユニークネス」「和を感じさせるシンセの音色」「オーガニックな音の手触り」いろいろ刺さりました。この言葉達をなぞらえて再び音を聴く。至福の時間。音楽雑誌こんなちゃんと読んだのも初めてかも。いや、本当に楽しませてもらいました。ありがとうございます。
そんなわけでKing Gnuにハマっていることをきちんと順番を守り私の回で淡々と綴ろうかと考えていたのだけれどもオガーシさんを見つけたことでもういても経ってもいられず割り込んで思いを書かせてもらった次第です。実際の魅力も長々とお伝えしたいですが私のボキャブラリーでは到底表せませんのでご興味ある方ROCKIN’ON JAPAN2月号、是非貸し出しますよー。CDなども是非。
今まさに勢いがあるバンドなのではまりがいもあり、リーダーの常田氏が一曲完成させた後「これでポルシェ買えるな」と呟いたそうで、今時ポルシェ欲しがる若者ってあんまりいなさそうなイメージなので逆にかっこいいし、このスピード感でなんならもう手に入るんじゃないかっていう、なんて気持ちの良いサクセスストーリー!なのにまだまだ構想があるらしい奥深さ。それでなくとも自分より若い世代の人たちが作ったものを素直にカッコいいなあと刺激受けるのは本当に清々しいもので、私も2020はもうやる気に満ち溢れております。これまで自覚なかったものの仕事と子育てに脳内占領され何かを楽しむのはどっかにあるかもしれない余力で。とちょっと遠くに置いていたものを取りに行く一年にしたいなと思いました。
しかしこんなにもハマったのは20代の頃、タイのバンドModernDog以来で、、ん?いっときArctic Monkeysにもハマったよな。どうやら私〇〇な動物みたいな名前のバンドが好きなようです。
2020.1.8(令和1発目に続きいいとこ取っちゃったよ)高原綾子
久しぶりにログインして「パスザマイク3冊目に突入してる」と思い、
みなさんのテキストを拝見していたら、その中に自分のページがあった、笑
3冊目に突入しているのは、1年前に既知であったようで。すっかり失念。
しかし、この仕組み、本当にいいですね。
巷のSNSとはまた違っていて。
短いテキストもいいけど、しっかり長い文章は、やっぱり素敵です。
そして、自分の記事を一年後に読んでみて。
「平成ではない一年後は何をしているのか?」と結んでいたけど、
たいして変わっていません。
「令和という年になっていますよ」と心の中で返事をしてみました。
そして、保育士の資格は取得しました。
最終手続きをしておらず、証明書はまだ手元にないけど。
(封書購入→郵便局窓口のアナログ手続きをオンラインに切り換えて欲しい)
筆記の9科目は3度に分けて受けたので時間がかかりましたが
実技はなんとか一発合格。(もうさすがに飽きてくる頃だったのでよかった)
どんぐりころころをけっこうな大声で歌いながら弾くピアノ。
とても良いストレス発散になりました。
ピアノいいよね、本気でもう一度習いたい。あ、転職はしません。
去年の年始、日経トレンディ「2019年ヒット大予測」を社内で読んでて
どエライ年がやってくるぞ・・・ついていくのが大変だ!
と思ったことと、同じことを
令和二年の本日「2020年ヒット大予測」を読んでやってしまいました・・・
が、これってもしかしてすごくオーバー気味で掲載しています?
それとも、それらスゴイモノたちが、私の半径数メートルの中に
わかりやすく入っていないだけなのか、私の認知不足なのか、
アハ現象のようなものなのか・・・あまりどれもピンときていないけど、
紙面には今年もやっぱりどエライ内容が盛りだくさん。
そりゃ、オリンピックもありますしね。
先日、珍しく仕事で国立競技場近くに行ってみたら、
本当に競技場が完成している!
ああ、ここは本当に東京なんだな、と実感しました。
昨今、1964年の東京オリンピックの頃のニュースが流れると
新幹線ができた!東京のインフラが整った!などの話もついでに流れますが
あと数十年したら、2020年のオリンピックの年を境に! と、
なにかの起点になる年になるんでしょうか・・・
私が愛用する最強の大江戸線は、
なんと「国立競技場」という駅を有してるんですよね。
期間中、朝の通勤ラッシュの車内はどうなるんだろうと今から不安です。
朝早く行く、といっても競技もスタートが早いんですよね。
リッチブラックな我が社は、テレワークだとかフレックスだとか
そういう横文字系を一切取り入れない企業なので、どうしたものか。
もっともっともっとスリムにダイエットして、
狭小スペースでもスッと入れる体になるしかない! あ、転職はしません。
いっそ、その駅で降りてしまおう! という現実逃避はここまでにしましょう。
現実逃避というとアレですが
アヤコ然り、ハマる沼が深くなったり増えたりすることに、とても頷けます。
私も、会ったこともないユーチューバーにハマったり、
誰もが知ってる芸人にハマったり。
動画をあれやこれやと見ているうちに、パケ死になりかけていたり。
そして、相変わらずのメンテナンスはアルコールで。
そう、最近はもっぱら家の近所で呑むことがほとんどになってしまいました。
この近所呑みの利点は、なんといっても帰宅道中が短いこと!これに尽きる!
どんなに酔っ払っていても歩いて家まで5分以内!終電の心配もない!
メンバーは、保育園のママたちです。またこれも最強のメンバーで。
朝から晩まで働いて、家事もして、育児もしながら、息抜きこそ全力投入!
だいたい2週間に1回のペースで、行くお店も馴染みの3軒をほぼループ。
32歳のシングルマザー、36歳の看護師、40歳の私、だいたいこのメンツ。
(このメンバーで畑もやっています)
年の差がバラバラで、子育ての話しか共通点がないにしては
毎度かなりの時間があっと言う間に経つほど、笑って呑んでいる。
子供同伴で、こどもたちはご飯を食べつつお絵かきしたり遊んだり。
ほぼ女の子なので、みんなおとなしく座ってくれる東京ガールズ。
その後は、誰かが誰かのウチに泊まりに行ったり、泊まりに来たり。
一人っ子の娘には、たまに友達が泊まりにきてくれると、
家のなかでの友達との関係性を身近で観察できるので、メリットしかないです。
いつもは、ひとり競争なくのんびり食べてる食事も、
友達が一緒だと早い早い!
そして私は、自転車でノホホンと走っていると「あ!みかちゃんママ!」と
突然、思いも寄らない方向から声がかかるこの小さな町が、
最近とても馴染んできて。
初めて、この辺を第二の故郷にしてしまおうかなと、思ってきました。
早速マンション購入を試みるも、
全額現金即決の方にあっという間に持って行かれました・・・
家ですよ、メルカリじゃなくて。
キャッシュレスのこの時代、やっぱりキャッシュって最強ですね。
そんな私が住んでいるのは、池袋の西にあり、あのトキワ荘がある周辺です。
一時、消滅区として話題になった豊島区ですが、
それが区長さんに火をつけたようで、住みやすい区になりつつです。
この辺のおもしろいところのひとつを挙げると、
自転車に乗ったまま、諸々の買い物ができちゃうんです。
いわゆるドライブスルー。(もしかして当たり前ですか?)
スーパーマーケットももちろん数店舗ありますが、
八百屋、肉屋、魚屋、果物屋、惣菜屋、焼き鳥屋、豆腐屋・・・
個人商店がまだまだ現役でどこも元気!
「へい! らっしゃい! 今日はなんにする?」
「今日は、トマトと白菜と、あ、ニラあります?」
「あるよ、おまけにりんご入れとくね」
とかいうやりとりを自転車にまたがったままさせていただき、
ビニル袋にぜんぶまとめて、自転車のカゴに入れてくれるんです。
で、その場でお会計も。(しかも最近はオンライン決済も可能に)
子供をうしろに乗せたまま、自分も降りずに買い物が終了。
焼き鳥屋に至っては「じゃ保育園に行ってくるので、またあとで!」
と、注文して焼いている間に、子供のピックアップも可能です。
こんなことが、東京でできるなんて思っていませんでした。
としまえんにも自転車で行けます。
そういえば、ウチの家族は旦那も娘も遊園地の乗り物が苦手で・・・
(としまえん近いけどイミない!笑)
行くたびに、ゴンドラを指を食われて見上げていたので。
これは乗るしかないと思い、前職の同僚を集めて付き合ってもらったら・・・
秒殺されました。
ゴンドラが動き始めて、半弧を描きはじめた途端「あ、これは」と。
一瞬で三半規管がノックアウト。
その後、何に乗ってもグロッキー度を上げるばかりで。
視界と意識はとても楽しめているんですが、全く感覚器が追いつきません。
加齢でしょうか、昔はへっちゃらだったのに、本当に残念です。
誘った本人がいつまでも立ち上がってこないと、笑われて解散となりました。
これは、いったいどう楽しむべきなのか・・・あとはVRか。
と思い、慰めの意味もありYouTubeで
「遊園地 絶叫 一番前」を検索したら
ワンサカ出てくる、しかも世界中から、さすがYouTube。
一番前からの景色&投稿者の絶叫を体験できました、これで十分かも・・・
来年か、また次回、自分の文章を読むときは
このまま健康で「何も変わってないし〜」と笑いながら読んでいますように。
2020年1月9日(木) マッチ
この二〇二〇の二月末、
家族3人と友人家族3人で
初の台湾へ行った。
行く事になった経緯は、
昨年夏、お盆の実家帰省時、
地元の友人家族と遊んでいる時に台湾に行きたいなと
覚えてないけどどちらかの妻がポツリと言い、
どちらかの妻があたしも行きたい、行こう、絶対行こう!となり
あともう2組合わせて4家族で行きたいねとなり
その後こちらは東京で帰り、
夜、グループメッセンジャーで相手妻がすぐさま飛行機を予約した、安いよ安いの取ったよ〜!興奮してきた〜!と
そして一度燃えたガソリンは水じゃ沈下しない、燃える両眼で携帯を見続け、その翌日くらいにうちの妻も無事、タイガーエアで予約をしてくれた事が始まりだった。
友人家族達のスケジュールは水曜日から日曜。
我が家は自分の仕事で平日休むのは相当ハイリスクで、今まで自分から進んで平日休みを取らなかったこのオレが、妻のそのガソリンが燃え移り
よし、、、木曜から休んでやるっっ!
と、まだ半年も先だからその炎に酸素を吹き込んで、さらに燃え上がっていったのだった。
年が明け、一月に今巷を震えさせているあのニュース。
中国で新型のコロナウイルスの感染者が発生。
瞬く間に皆が知る今の状況に。
そして全て妻の手配で
新しい大きな我が家らしいノーブランドの、絵具の一番青い色の青いスーツケースと、
三千円程の折り畳みベビーカー
ウイルスの増殖には我が家の炎は消せず、二十四時間そのニュースが流れる中、
ちゃんと調べるとずぶずぶな日本の対応より台湾の方が遥かにコロナに対して真面目に取り組んでいる事を知り、逆に安心しつつ
前日の深夜やっと準備を完了させ
木曜朝の出勤ラッシュの満員電車に
マスクをつけて乗り込んで、
二駅乗って乗り換えで降りるとき
ターニングポイントの事件が起きた。
先頭に息子を抱っこする妻が歩き、それによって空いた人と人の隙間を俺とベビーカーが歩いて、
電車から降りて、一歩歩いた時に
バキッっと音が鳴って、あ?っとなった時、見たらベビーカーの前輪、左タイヤが俺の後ろにあった。
何かが割れて壊れて、落下していた。
呆然とする暇もないが半ば呆然、そして少し笑いながら
超重いスーツケースとでかいゴミと化したベビーカーを持って
成田空港へ到着。
完全にゴミーカーが邪魔なので
聞くと空港で捨てることができるとのことで、有無を言わさずバイバイし、
空の上へ。
この時はまだ、ベビーカーの無い旅の辛さは想像でしかなかった。
4時間程乗って、
着地する時の二歳の息子の恒例の乗り物酔いゲロシャワー大泣きもソツなく処理し
無事台湾へ。
厳しい入国チェックをすり抜け
ホテルへ。
だいぶ歩いたところで荷物と歩き回る息子を抱っこ。腕がもげそう。
でもまだ夕方だから夜市へ。
最高の雰囲気、イキフン。
アドレナリンだ
重い。
荷物もなんならベビーカーに引っ掛ける仕様で来ちゃったから、息子と荷物とかで完全に移動がバグってる。
そんな翌日、アジア最大という動物園へ。
割愛するが、見た事も無い頭数のカバや、巨大なアフリカ象や、その他ほとんどの動物が敷地が広すぎて見えなかったが、本当に素晴らしい動物園だった。
ここで我が家は動物園が貸し出しているベビーカーを借りて一日過ごしたが、
このベビーカーに一目惚れ。
まあまあ軽い、小さくなる
荷物も積めて、そしてタフ。
日除け用の屋根だって大きくて、上から寝てるか確認出来るタイプ。
妻はまさに今、その動物園から放り出されたらまた苦痛の旅が続く状況と、今使ってるベビーカーの素晴らしさに、これが欲しい、、この子が欲しい、、!!!そしてそな思いは自分も同様に、それの所有欲で頭がいっぱいになった。
で、2人で色んな理由を考えて動物園のスタッフに、これを売って欲しい!
と直談判した所、二十五歳くらいの優しそうな青年が、最初は売ってくれ、ではなく、売ってる所知らないかとしか受け取ってもらえず、ままよとGoogle翻訳で、
「これ、これ自体を売ってほしい」と説明。そしたら何やら上司らしき人物に電話して掛け合ってくれた、
だがダメだった。
我に帰って今考えればそりゃそうだ。
そして動物園から出た後迷わず向かった、台湾のベビザラス。
あった、日本から持ち込もうと思ったベビーカーと同じ型の、少し良いタイプ。
そこからはもう御察しの通りそれを手に入れた我等はまた、
元々妻に聞いていた台湾の食事は、何を食べても感動的に美味いと言われて行ったのだが、
うんまあ普通に食べれるかな、うんこれ美味しいね、あこれも美味しいと思ってるのかな、
この辺なんかめちゃくちゃ臭いね、
みんなマスクしてるね、少し差別されるね、とかペチャクチャ言いながら。
そう何より手にしたかった、普通の旅の楽しさを手に入れる事ができたのだった。
二〇二〇年 三月三日 岸本 雅樹
わたしが小学6年生頃の話。
時は1995年。
年始から阪神大震災、そして地下鉄サリン事件、麻原彰晃の逮捕。
世の中がざわざわと落ち着きがない様子だった。
加えて、曽祖母や親戚の方が何人か亡くなったり、
オウム関連の「坂本弁護士殺害事件」の坂本弁護士のご自宅が学区内にあり、
その息子さんが生きていたらちょうどうちの小学校に入学するとかで、入学式も席を用意して、もちろん空席だったのだけど、オウム事件ピークだったこともあってマスコミが小学校に大勢押しかけたりして。
結果、その年の秋遺体が見つかってこれまたマスコミ殺到の緊急朝礼なんかもあったりで、なんだかとても心がざわざわする一年だったのだ。
で、当時のわたしは特に宗教などに入ったりはしていなかったのだけれど「神様」というのは絶対いると固く信じていて、小学校3・4年生の頃から自分が不安に思っていることが起こらないように寝る前に毎晩神様にお願い事をしているくらいにはちょっといつも不安や心配にとらわれているような割とデリケートなタイプの子供でして。
曽祖母が亡くなったり、親戚が亡くなる時になんだか悪い予感があってそれが見事に的中してしまったような気がして、とても怖くなった。ちょっと悩みすぎてもしかしたら自分はノストラダムス的な預言者というか、察知できてしまうタイプなのか、もしくはその神様がわたしのその悪い予感を察知して不幸を起こしているのではないかと考えが波及して常に不安がつきまとっていた。
そんな中、前に母が「もしも縁起でもないことを考えてしまったら、『つるかめつるかめ』っていうと、その縁起の悪いことは起こらないんだよ」的なことを言っていたことをふと思い出し、それだ!と思ったわたしはその縁起の悪いことを思い浮かべるたびに「つるかめつるかめ」と誰にもばれないような小声でつぶやくことにした。
さすがに学校で思い浮かべてしまった時は、つぶやけないので学校で思い浮かべた回数を覚えておいて家で学校でつぶやけなかった分の「つるかめつるかめ」をつぶやいていた。
いざ始めてみると元々心配性なことも手伝ってか、常に縁起の悪いことばかり考えててその回数は100、1000回と1日のノルマがどんどん増えていった。
そんな感じなので、授業中も好きな授業以外は、ほとんど上の空の状態だったと思う。
そして回数も1000回「つるかめつるかめ」せにゃあならんとなると、今までは自分で数えながらつぶやいてたけれど、途中で回数が訳わからなくなったり、そもそも数えるのがめっちゃ大変となり、困ったわたしが編み出したのは、本のページ数で「つるかめつるかめ」の回数を数えるという方法で、それこそ1000回くらいは読んだと思われる「ちびまるこちゃん」を最終ページから1ページづつめくりながら「つるかめつるかめ」すれば、1冊のページ数分の「つるかめつるかめ」は達成したことになるじゃないかと笑
その日から「ちびまるこちゃん」を最終ページからめくりながら「つるかめつるかめ」つぶやく日々が始まる。
始めた頃はその方法でうまくいっていたのだけれど、どんどんわたしの縁起の悪い妄想の回数も増えていき、更にあまりにもひどいことを考えたとしたら、100回つぶやくことにしようとか独自のルールもうまれ、そんなこんなしていたら1日のノルマが5000回とかひどい時は1万回になってしまい、どんどん「つるかめつるかめ」ノルマは増えていく一方。
で、いよいよ自宅持ち帰りの「つるかめつるかめ」つぶやきスタイルでも日々のノルマが達成できなくなってきた。
でも「つるかめつるかめ」しないと、縁起が悪いことが起こるかもしれない、ましてやわたしは預言者かもしれないしと、だから絶対にやめられないという強い使命感。ならばと公文の終わったプリントの裏にノルマ未達の「つるかめ」の回数をメモして、休みの日やまとまって時間が作れる時にやろうと思いついた。
ところがこれもまた、日々ノルマ未達の分がどんどん公文の紙の裏に書き足され、やがて公文の紙の裏もノルマ未達の回数の数字でびっしりになってしまった。
この頃にはもう「つるかめつるかめ」のことと少しの余白でミスチルのことしか考えておらず、ずーーーっと今日のつるかめノルマと今までの未達のつるかめノルマで頭がいっぱいで心が晴れる日はなかった。
もうこのままではまずいとどんだけ日々頑張って「つるかめつるかめ」をつぶやいたとしても、終わらないとかなり追い詰められた状態でまたNEWルールが生まれる。
部屋の中を「つるかめつるかめ」とつぶやきながら一周したら、公文のプリントの裏に書いてあるノルマ未達分の回数の0を一ケタ消していいことにしようと、要は10000回と書いてあったら「つるかめつるかめ」とつぶやきながら部屋を5周すれば10000回つぶやいたことになるという独自ルール、もうここまでくるとひとり宗教笑
この方法にしてから、だいぶノルマ未達分も減らすことができたし、日々のつるかめノルマもきちんと消化し平穏になりつつあった。
しかし、さすがに親もわたしのおかしな行動に気づく。
「ちょっと最近、ぶつぶつ言いながら逆から本読んだり、ぶつぶつ言いながら部屋の中をぐるぐるしてるけど、大丈夫?」と。
当時のわたしは親には絶対逆らわない!心配させない!をモットーに生きていたので、とてもじゃないけどつるかめの件は、母親には話すことはできなかった。あたふたして変な汗をかいたことを覚えている。
でそこからどうやってMY宗教つるかめ教が終息したのかはもう思い出せないけれど、おそらく母親に心配をかけてしまった、ばれてしまった気恥ずかしさでやめてしまったのだと思う。
子供の頃は誰にも話せなかったけど、こういうのってみんななんかしらあるよね。
元来こんな人間なんで、基本自分は暗くてじめじめした人間だと思っていたんだけど、夫に先日「知見はそこにいたら嬉しいタイプの人だと思う」と言われおそらく軽い気持ちでの発言だと思うけど、私にとってはそれが妙に嬉しく、もう少し前を向いて歩いてみたいと思ったのだ。ってなんだこの終わり方笑
2020年4月29日 岸本知見
年明けに遠くで騒がれ始め、2月には飛び火して、4月に緊急事態宣言、5月都心は人の気配が消え、6月に宣言解除したもののくすぶる音が聞こえるような気がする今日このごろ。
自分は2月後半位から在宅勤務になり気づけばもう4ヶ月ずっと自宅にいます。この間電車に一度も乗らず、自宅から半径2キロ圏内に留まっていたように思います。そもそも仕事柄単独プレーなものですから仕事面ではほとんど支障はないのですが、一つだけ大いに影響を受けたことがあります。そう、体重です。現代人は運動不足だなんてよく言われていましたが、通勤も一つの運動であったわけです。と、腹の肉をつまみながら思いました。
これではいけないとサボってたランニングを再開しました。我が家は川沿いなので河川敷をランニングコースにできます。例年春先は窓から外を見ると週末ランナーが目に入り、自分も走るかーなんてキッカケにもなり大変良かったものです。なぜ過去形かというと、世間が在宅勤務や外出自粛な風潮となり、都心から人が減った反面郊外にはその分人が増えたのです。みんな運動不足を精神的にも肉体的にも感じたのでしょう、春の訪れも相まって河川敷は前年比300%位人が増えました。バトミントンをしたり、キャッチボールしたり、子どもたちも鬼ごっこで走り回っています。そんな中ランナーも大変に増え、毎日がマラソン大会かな?という程ひっきりなしになりました。
こうなってしまうと中々難儀で、みんな走る時はマスクをしないものだから、自分と同程度のランナーがいたりするとひたすら彼を追い続けることになり、彼の吐いた息を吸い込み続ける形になります。みんな久々ランナーばかりでスピード感は似たりよったりで抜くに抜けず、その率は高まります。これはまいったなあなんて思い始めた頃に京大iPS研究所の山中教授が、走る際はバフ(口を覆える首巻きのようなもの)をしましょう、と世間に提言下さいました。いわゆる日本人らしさというものか、メディアの力ってすごいなというか、その一週間後にはみんなマスクランナーになっていました。これで前述の問題は解決だとホッとしたのも束の間で、これはこれで大変でした。なにしろ息苦しい。息を十分に吸うには強い吸引力が必要になり、いつもの感じでやっちゃうと酸素が足らないわけです。つまり、素人ランナーがプロランナーがやる高地トレーニングを明らかな運動不足体のままやるわけですから大変の自乗です。ただここでふと思ったのが、ある意味ではこの地域全体の健康指数は上がるのではないかということです。計らずも高負荷トレーニングもしてるわけで、下手すればこれまでよりも強い体になってる可能性すらあります。
この騒動によって確かに世界は変わりました。人が集まるところに行ったり、公共物を触るのは気が引けます。仕事をする上で毎日会社に行く必要性に疑問符がついたし、仕事上がりの夕方ランニングの気持ちよさを知りました。ネガティブな変化ももちろんありますが、ポジティブな変化は大事にし維持していきたいものです。と、腹の肉をつまみながら思います。(夏までには絞る絶対)
2020.6.22
鈴木健司
例年であれば、子供達のウキウキ夏イベントは、子供達に浴衣を着せて近所の商店街の七夕祭りに参加することに始まり、親は野外でビール飲むという催しがあり、地域の花火大会、お神輿、学校主催の水鉄砲決戦大会、夏休みにだけ日本に帰国する友人達と再会を楽しみ、地域で思う存分楽しんだ後に、飛行機で海外に飛んでいく→ というのがここ数年のお決まりの流れでした。普段は酒も全く飲まず、人に積極的に会うこともせず地味に生きてるので、夏だけはバーンとどっか飛んで、ストレス発散??じゃないけど、そこで色々解放する!的な自分の儀式的なお決まりコースだった訳だけど、、、
世の中本当に何がいつ起こるかわからない。気付けば東京は自主的封鎖となっている2020年夏。世界中がそんな状態だから、妙な一体感はあるものの、今後どうなるのか全く見えないし、皆にとって初めての事だから、全てが二転三転、それに文句言おうとももはや思えない。2020年はこのウィルス騒ぎを筆頭に世界中でいろんな事が起きていて、いよいよどんな人にでも分かる位ハッキリと、次の世界が始まる感が半端ない日々です。
我が家の3歳次女は、3月末からずーーーっと学校が閉鎖しています。8月末まで閉鎖がすでに決まっています。私は一人で子育てしているので、まじでずっと一緒におり、もはや気分転換に一人で運動にいくことも、この自粛期間に本を読もうとか勉強しようとかもままならず、どうにもこうにもどうしようもない日々が続いています。。。
しかし、なぜ韓国やアメリカのようにワンタッチPCR検査を実施してくれないんだろうか。それさえやってくれたら、レンタカーして実家に帰る位ならしやすくなるだろうし、Go toだって別の形で東京も組み込めたかもしれないし、今よりよっぽど根拠を持って行動できると思うのですが。医療崩壊が、、、とかパニックが、、、とか4月頃は言われてましたが、もはやパニック&疲れ&不安で辟易としてきてるし、人に関わる商売の方々はすでに甚大な影響を被ってるわけで。皆が現段階での現状把握できて、自覚的な行動の促しにもなると思うのだけど・・・と素人の私は思うのだが、当然伝染病のプロ、歴史のプロ、ウィルスのプロ、内科医などその道の研究を何十年もやっおられるプロ達が日本にはたくさんいるだろうし、その方達と相談した上での日本の対応が現状なのだろうから、従いますが、しかしどうやら世界中にいるプロ達の対応はマジで国によって180度違うようで、本当何事にも「正解」っていうのは結果論でしかなくて、どんなに探求されていようが研究されていようが、人によって千差万別なんだなと痛感させられる日々です。
Twitterで見かけた面白い言葉を引用します。
アメリカ政府はこう発表した。
「外出は正義に反する」
アメリカ国民は外出しなくなった。
イギリス政府はこう発表した。
「外出することは紳士的ではない」
イギリス国民は外出しなくなった。
中国政府はこう発表した。
「外出したら拘束する」
中国国民は外出しなくなった。
フランス政府はこう発表した。
「外出しろ」
フランス国民は外出しなくなった。
日本政府はこう発表した。
「外出の自粛を要請します(みんな外出してないよ)
」
日本国民は外出しなくなった。
リスクに対する行動っていうのは人それぞれだし、何事にも正解はないから誰も批判なんて出来ないと思うので、皆が自分の頭で考えて行動したら良いと思うが、行動の「強制」をしないで国民一人一人の自己責任とするのならば、希望者には検査くらいさせてくれよ。。。本当は余裕で用意できるでしょ・・・と思います。そしたらその結果踏まえて、さらに自覚的に行動するよ。
がしかし、心理学者やら民俗学者まで絡んだ上で、日本の場合はこうした方が感染が収まる、という心理的作戦上でのこの対応なのであればある意味アッパレ。1年後には確実に結果がでてるでしょう。。。
次、パスマイが回ってくるのは1年後だろうか、もっと先だろうか。
個人的にはワクチンや薬より先に、結局国民総検査タームがくるのかなと思っています。
次いつ、心の癒しとリフレッシュの旅に出れるのだろうか。
先日たまたま本屋で「旅の効用 ~人はなぜ移動するのか〜」という本がキラキラ輝いて見えたので、この作者とは気が合うな、と直感的に思い購入しました。まだ読んでないけど、この夏は本でなんとか間を持たそうと思います。(ただし読む時間がないんだな。。。)
2020年7月22日
宮本 留奈
コロナ禍前半、電車が若干怖かったので
家族三人で自転車でブラブラ、今日はあっちへ、明日はこっちへが日課だった。
基本自分は在宅勤務になったのでブラブラは週末だけ。
ともみはカンスケ(この頃二歳)と毎日あっちやこっち、
アシスト自転車で息子のストライダー的なのも積んで(ストライダーが軽くていいのに、重くて違うのに乗りたがる)、外へ出ないと家が狭いとかで鬱屈してしまうので
毎日毎日、上野や池袋、川口、蕨、舎人公園あらゆるところへ。
いつもありがとう。
で、大体片道六キロから十二キロ。
そんなこの半年〜一年の日々の中、
週末俺も加わった三人で自転車。
八月の終わり。かなり暑い。
とある少し寂れた、うちからわりと近い老人の多い街で
個人的にはすごい好きなタイプの街で
気になる建物があった。
チャリを停めて跨ったまま
入り口の扉がサッシで出来た、古すぎない、お洒落じゃない普通の建売住宅のように、
機械が作った石目模様のサイディングの壁の、新しめ?のその店を見ていた。
看板?が頭の高さの上くらいのところに、丁度二リットルのペットボトルの大きさくらいのガラスの板?がついている。
その板はガラスだから透明で無色。
風合いなんてない、一般的なガラス。
最初は看板と気づかなくて
文字はパッと見、見えなくて
でもなんか書いてある感じで気になって
ガラスの板をよーーーく見るとやっと見えた文字が、
風の虫。
風の虫、と指紋で書いたみたいに、というか明らかに指紋で書いてある。
入り口は換気のためか、開けられていたので勝手に中を覗いて
特に洒落てる訳でも、インスタ映えもしなそうな店内にグッときて、
チャリを降りて、ちょい一瞬ここ見ていい?と五メートル前方で止まってくれている妻に伝えて店内に入ってみた。
十畳くらいのスペースに、古すぎない、新建材ぽい、超一般的なフローリング。
特にアンティークとかでは無い、かと言って古すぎない、実家の親が最近購入しそうなテーブルと椅子が4セット、自分以外に客は一組。
メニュー的な貼り紙は一切ない。
ともみとカンスケも気になって入ろうとしてきた時、
「いらっしゃいませ、
何飲みます?、あら初めましてこんにちわ〜かわいいね〜」
とキッチンから暖簾を手でよけて顔を出した五十歳くらいのころころした女性に急遽にんまりと聞かれて(ちょっと関西訛り)
「あ、(と言っちゃうのは癖)
すみませんたまたま通りかかって入っちゃったんですけど、
あじゃあビールあります?」
「ビール、、ありますけど、
一応まず一人ひとつ何かカゼ頼んでもらってからなんですよね、
でも今日は人少ないので後からでもいいですよ」
風。
多分かぜって言ったよな?
と、ともみと顔を合わせて特に笑うわけでわない「無言の確認」をアイコンタクトでして、三歳目前の息子はその俺たちの「確認」の動き物マネを横でやっている。
さすがに直感であ、ここダメだ、今用無いタイプだ、出よ。
こういう時俺は一瞬で見限ってしまう。
ともみみたいに相手の話を聞かずにはいさよならと立ち去る。
とした時に
「あ、じゃあこれよかったら」
と三つ折りの和菓子屋のチラシみたいなその店のチラシをくれた。
カンスケが
「かんちゃん、かんちゃんも!かんちゃんも〜!」と五ミリ泣きかけの顔で言ってくるので、そのもらったチラシを見ることもせずハイハイと彼に渡しそのままありがとうございましたと出ようとしたら
あ、じゃあパパもう一枚と同じのをまたくれた、
なので仕方なくチラシを見たら
チラシには三千円から七万円くらいまで十品くらいある
知らない何か、ただわかる事は明らかに何らかの信仰心的なものが作った何か、が書かれていた。
こういうのは慣れっこなので
はい、じゃあまた〜とフワッと出た。
こういう立ち去り方をする俺を、ともみは出会った頃は信じられない、人間の心が無いという感じで俺を見ていたが、今はその場の状況でお互いの気持ちを感じとる空気みたいなのをわかりあえるようになって、何も言わず同じように出てくれる。
そして、店から五メートルくらい離れたチャリを置いてある場所まで歩いて、三人で顔を合わせて今のなんなん?
でも風売るの斬新か〜、いやでも今の時代だったら出てくるかもな〜って笑いながらまた跨って今日の目的地へ向かった。
※この物語は緊急事態宣言時期、我が家は大体こういう感じの日々を送っていたという、ほんの一部事実に基づいた完全なフィクションです。
二〇二〇年 十月十七日 土曜 岸本雅樹
わたしがMr.Children、主にボーカルの桜井さんにどハマりしたのは26年前の1994年、私が小学校5年生の頃まで遡る。
端正なお顔立ちと、歌声と曲。
当時の私にとってはパーフェクトな存在にどハマりした。
わたしが中学校に上がる時に、それまで住んでいた社宅を離れマンションに引っ越し、初めて自分の部屋が与えらた。
そして、親に嘆願しテレビデオを買ってもらった。新聞を毎日チェックしミスチルが出演する番組は全てビデオに録画しては毎日テープの調子が悪くなるくらいそれを見ていた。
また、中学校に上がると同時に母に嘆願しミスチルのファンクラブに入会させてもらった。当時は会報と、年賀状と暑中見舞い、ファンクラブ専用ダイアルがあり、そこでミスチルの最新情報が聞けたのでほぼ毎日のように専用ダイアルに電話していた。
また、当時父の会社貸与のパソコンが家にありまだミスチルのHPもなかったが、ファンが作った掲示板やファンサイト的なものはあったので、それも週に一度は確認しに行ってた。まだ、電話回線でインターネットを使う時代だったので電話代がかかりすぎないように注意しながら…
当時タッキーなどジャニーズJr.の黄金期でもあり中学校では圧倒的にジャニーズJr.の人気で桜井さんを死ぬほど推していた私は「おじさん好き」みたいな立ち位置になっていた。それでも学年に私の他に2人、ミスチルファンの子がおり、あんまりミスチルファンという共通点以外の馬が合うタイプではなかったのでそんなに話をすることはなかったが、心を寄せていた。
そんな私に衝撃が起こったのは1997年の桜井さんの不倫発覚、からの活動休止。
ちょうど不倫が発覚した1週間後くらいにはじめてコンサートを見に行く機会があり、その時桜井さんは「お騒がせしてすみません」的な話をしていたと最近同行した母から聞いた…私は桜井さんのかっこよさに夢中で覚えていない。
不倫発覚に関しては、当時のわたしにはそれが悪いことではありそうだけれど、どのくらいのことなのかよく分かっておらず、ただ活動休止がショックで、ファンクラブ専用ダイアルの問い合わせで「いつまで活動休止なんですか?復帰するんですか?」と電話をかけたりしていた。
不倫のことはよくわからないが、シンプルに大好きな桜井さんがグラビアアイドルに取られたショックはあり、不倫相手の吉野さんに対して嫌悪感は当時あった。
活動休止中も、CDを聴きまくり撮り溜めたビデオと購入したビデオを学校に行く前に毎日30分かかさず見たり、ファンクラブの専用ダイヤルではやるなと注意されていた、原宿竹下通りの生写真もよく買いに行っていた。
ミスチルの人気がなくなったら、=桜井さんを見る機会が減ってしまう、どうか!ミスチルの人気が続きます様に。
桜井さんが太ってしまったら、人気がなくなってしまう、否その前にそんな桜井さんを見たくない、桜井さんが太るくらいなら私を太らせてください!(だから、今の私がある?違うね。)と本気で毎日神様にお願いをしていた。(当時不安なことは毎日神様にそれが起こらない様にお願いしていた。)
そして、1998年に復活!それはそれは嬉しく、当時高校受験を控えていた私の勉強も捗った。
高校生活もミスチルと共にあり、大学受験の時期がきた。
私は第一志望の大学を補欠合格したにもかかわらず、落ちてしまい、信用していた塾の先生にも補欠なら大丈夫と後押しされていた+その大学にめちゃくちゃ入りたかったのもあって、かなり落胆してしまい、自分の殻に閉じこもる半年間を過ごす。
当時、写経かの如くミスチルの歌詞をノートに書いては心を落ち着かせていた。
特に、アルバム「Q」の「CENTER OF UNIVERSE」という曲の「悩んだ末に出た答えなら15点だとしても正しい どんな不幸からも喜びを拾い上げ笑って暮らす才能を誰もが持ってる」という歌詞には死ぬほど救われた。この歌詞をめちゃくちゃノートに書いていた。
しかし、心の支えであるのにも関わらず、当時人にミスチルファンと言うのが恥ずかしい期に入る。また、優しそうな雰囲気だよねと当時はよく言われていたんだけれど、実際は家でミスチルの歌詞をノートに書きまくってるような暗い、ちょっとダークな面を持っているという後ろめたさと、好印象を持たれるとあとでボロが出て印象がマイナス評価されていくのが嫌だと言うこだわりがあり。初対面の人と話す時は声は最大限に低く怖い感じにし、好きな音楽はDragon Ashですと言っていた。
大学で出会った友達が音楽が好きな人が多く、それまではミスチルをはじめとする当時流行っていたメジャーな曲ばかり聞いていたが、他にもいろんな音楽があるんだということを知りミスチル熱が少しづつ冷めてしまった。社会人3年目くらいに音楽と髭というフェスをSalyuとミスチル目当てで見に行ったが、途中とんでもない大雨となり大トリのミスチルは見れない事態になり、それ自体がきっかけではないけれどそのあたりから完全にミスチルから離れ同時にファンクラブも辞めてしまい、大事にとっていた雑誌の切り抜きやファンクラブの会報や生写真もすべて捨ててしまった。(とても後悔している)
時は流れに流れ、2019年の夏、桜井さんの息子さんであるKAITOくんが世に出てきた。
その時の衝撃ったらない。性格も良く男前で少し桜井さんの雰囲気も感じる。
ミスチルを活動休止に追いやった、不倫騒動、そこから20年数年の時を越えて、息子さんの立派な姿を見ることができた。これは完全に時を越えたギフトだと思った。
と同時にミスチルをまたよく聞くようになり、ミスチル熱再来。
ファンクラブに入り直したり、昔のロッキンオンをメルカリで買い集めたりした。
息子を産んでから、若い頃の桜井さんのインタビューを見ていると、ああこんな育ち方をしたから桜井さんがあるんだなといろいろな発見がある。あと、昔は今よりオープンにいろんな話をしてて面白い。
ファンクラブに関しても、会員証や入会したときにもらえるキーホルダー、会報のコーナーの名前、会報が届く封筒、何も変わっていなくてタイムスリップしたような気持ちになって嬉しかった。
かと思えば、当時ヘビーユーズしていた会員専用ダイヤルはなくなり、会員専用サイトで情報のすべてが見られるようになっている。
新しい便利なものを取り入れつつも、古いものもちゃんと大事にしているスタイルがとても好感が持てる。
とはいえ昔ほどはハマりきれていない私だけれど、ミスチル のメンバーが50歳を越えても精力的に活動している姿や、桜井さんが未だに純粋で謙虚で誠実な方なのは本当に生きる希望になる。
そんなわけで、よっぽどのことがない限りミスチルとハリースタイルズは一生応援していこうと思っている昨今でございます。
2020.12.12 岸本知見
みんなの文章を読んで、思えば二〇二〇年は年初めくらいから新型コロナウィルスの感染が徐々に始まって、その頃はまさかこんなに長引くとは思っていなかったよなぁとしみじみ感じてしまった。
実は昨年、リストラにあった。自分の人生でリストラを、しかもイギリスで受けることは滅多にない事だと思うので、今回備忘録として書き留めておこうと思う。ちなみに、内容はあくまで私個人の経験と伝聞を元にしたものであるため、必ずしも全て正しい情報でない可能性もある点、ご容赦ください。
新型コロナの感染が始まった頃のイギリスの状況を振り返ってみると、二月くらいから徐々に在宅勤務が始まっていた。私の場合は、なんだかんだで3月17日までオフィスに通っていた様だ。この頃にはかつて二百名程が働いていたオフィスもガラガラであった様に記憶している。18日より在宅勤務と去年のカレンダーには記されているので、割とギリギリまでオフィスに行っていた方の部類である。ちょっと遠い所から通っている同僚などは、電車や地下鉄での感染を恐れ、早々に在宅勤務を開始していたが、自転車通勤だった自分は割とまだノー天気に構えていたのだ。
3月23日、ジョンソン首相よりロックダウン宣言が発表される。それまでは部署ごとの判断だったのが、会社からも全社員に完全在宅勤務が言い渡される。それを追うように休業手当スキーム、Furlough(=休業補償制度)が始まり、対応の早い部署から続々と休業が始まった。
今回のこの休業制度は、新型コロナによるロックダウンで影響を受け休業しなければならないビジネスに向けた補償制度で、二千五百ポンド以下の給与の従業員の月給8割を国が負担する。フリーランスも補償の対象となり、ヨーロッパの中でもかなり手厚い方の補償として日本でも評価されていたと聞いたことがある。
給付金と違い、政府から会社に対する補償になるため、個人に申請義務はない。会社は休業手当を受け取る代わりに、従業員を三週間以上完全に休ませなければならない。従業員を働かせる=ビジネスを継続して利益を生み出すという意味なので、補償も受け取ると二重取りになってしまうという理屈である。
とは言え、そこは仕事。「急にビジネスを止めるなんて不可能では!?」と思いきや、実際の運用はかなり厳しく、休業補償を受給しつつビジネスを継続していた会社には罰則として全従業員の補償を取り消す措置が取られると報道され、休業中は本当に会社のパソコンから社内ネットワークに入って、メールを返信する事も禁じられた。(毎年外部の監査機関が入るため、VPNの接続状況などからバレてしまうとの人事からのアドバイスだった)
そのため、顧客対応がある部署は「一週働いて、三週休む」の様なローテーションでビジネスを止めない努力がなされていた様である。
一方、ヨーロッパの他の国では状況は異なった様で、イタリアなどは正に制度というのはあってない様な物という慣習らしく、休業中でも通常営業しているという同僚への理解を求めるのに、かなり遠回しな方法で連絡手段を画策しなければならなかったりしたのを覚えている。
私の場合は3月後半は在宅勤務を継続し、4月10日くらいから完全休業状態が始まった。最初は4、5月の二ヶ月間と言われていたので、「とは言え数ヶ月ですぐ復職するのだろう。」くらいに軽く考えていたのだが、6月、7月と休業は続き最終的に退職する11月まで8割の給与を受け取りつつ休んでいた事になる。
私が勤めていたのは旅行会社、その後も新型コロナを取り巻く状況が世界的に悪化する中で、旅行は真っ先にその需要が激減してしまったのは周知の通り。また、その頃は第二波の影響も考えられ始めたタイミングで、団体ツアーがメイン財源の我が社は正に収入がぱったり絶たれてしまった状況。ビジネスが全くない中で「これからどうなるんだろう…。」と不安な数ヶ月を過ごした矢先、会社存続のための「新たなストラクチャーの提案」という形式の下、7月にCEOからのリストラを匂わせる思わせぶりな全体アナウンスが通達され、バタバタとRedundancy(=リストラ)の対象者への通告が始まって行った。政府の休業補償が10月末で終了するというのを鑑みての早めの通告だった。(※イギリスは昨年秋頃から感染者数が再度爆発的に増え、11月、1月に2回のロックダウンが通告された事を受け、休業補償はその後も政府負担の比率を変えて存続しており、現時点、なんだかんだで二〇二一年四月までは継続する様である。)
そんな訳で、おそらくこの状況下、旅行会社内で最も要らない役職であったろうデザイン職の私も漏れなくリストラの対象となってしまった。
イギリスのリストラで興味深いと思ったのは、団体交渉期間があるという点である。リストラ対象の通告後45日間、従業員により民主的に選ばれた代表者が会社とリストラの内容や条件に対して交渉できるのだ。その間、会社が提案するリストラプランの人数、コンディションに対し、異議を申し立てる権利があり、対案(カウンタープロポーザルと言う)を投げかける機会を与えられている。とは言え、今回は通常のリストラとは状況が異なり、ほぼ全ての部署でバッサリと人が切られそうな状況。例え、予算的にも理屈的にも筋の通った提案であっても実際にそれがどのくらい通ったのかわからないが、少なくとも形式的にでも団体交渉が制度としてしっかりと決められている点に、大きな企業に勤めたのは日本でもイギリスでも人生初である私は、最悪な状況にも関わらず妙に感銘を受けてしまった。
そして、交渉期間を終えると、いよいよコンサルティング期間に移行する。コンサルティング期間とは、リストラのリスクにあるという事を通告され、今の役職もしくはSuitable Alternative Role(=適正にあった役職)へ挑戦する道か、リストラを受入れ退職する道かのチョイスを用意される。ここで要領が良い人などは既に就職が決まっていたり、退職金がある程度もらえる事が確定しているなど、退職する旨味がある場合は、早めにリストラを受け入れるケースもある様だ。
私は、「この時点で退職を受け入れては、リストラという事にならず自主退職になってしまうのでは…」と変に慎重になってしまい、「適正にあった役職」としてあてがわれた何の経験もない同じセクションの営業職に応募することとなった。しかし、当然ながら営業はど素人、ノウハウは持ち合わせていないため面接でもトンチンカンな受け答えだったのか、面接終了後30分後には「第2回目のコンサルティング(つまり、リストラの手続き)に進みます。」のメールを受け取る事となった。
ここでようやくリストラ勧告となり、退職金、有給の買取り、契約上の退職期間を加算した分の給与、Lieu of notice(=解雇予告手当)の試算を受け取る。政府の定める退職金は2年以上継続勤務した人が受給対象で、年齢、勤続年数などに基づいて計算される。勤続2年以上の人にとっては、例えリストラになってもある程度ハッピーな結末であるが、2年以内でリストラ対象になってしまった人にとっては職も失い、金も入らない、全く納得がいかない不平等なシステムである。
実は、私は短期契約で入社しており、その後も短期契約を3回ほど繰り返し、最終的に正社員契約となった経緯がある。そのため、当初の試算では退職金が対象外とされていた。しかし、これは退職金を回避するために会社が敢えてそういう契約にしたというが明白であり、3年継続勤務しているのにあまりにも道理が通ってないというのを申し出た結果、退職金受給対象としてくれるよう便宜を図ってもらえる事となった。契約を意図的にぶつ切りにされた事には憤慨していたが、結果理解を示してくれた事にはとても感謝している。
自分の人生では、ここまでしっかりと労働者の権利が守られたことは初めての経験だったので、結果リストラになってしまったが、今回のこの経験は非常に興味深かった、それと同時に生活最低限の賃金を補償される事はやっぱり大事だな〜と感じた一年でした。
こういう特殊な状況で、自助は無理よ!
二〇二一年 山口尚子
2021年3月22日 発行 初版
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