spine
jacket

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埃舞うマラウイ
~てきすとぽい投稿作品集2~

川辺 夕

書房AJARA



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てきすとぽいとは、主に文章作品を募集したり、作品に感想や票を投じたりするイベントの、開催を支援するサービスです。また、ウェブ上で創作活動を行う方々に、競作/共作を通じて、新しい創作の可能性を発見していただける場になることを目指しています。

 目 次

星が見ている

埃舞うマラウイ

魂のエトランゼ

frame by frame

道はずれのブルースカイ・コンビニのコーヒーメーカー

あんたに会いたい

真美子

彦二郎の猿尾

新人教師

自分空洞説

レッツプレイ

星が見ている

二〇一八年四月一四日(土)

第四四回 てきすとぽい杯

お題:「見えそうで見えない」
   あと少しで「見えそう」な物が登場する小説を投稿してください。
   「聞こえそう」「届きそう」などのアレンジもOKとします。
   お題の言葉は使用しなくても構いません。

 僕らは似た者同士だと、よく言われていた。例えば自分が満足するよりも相手が満足すればそれで充分だったり、なにかに没頭する機会があったとしても相手の顔色ばかりが気になって集中できなかったり。まるで綱引きの勝負がつく瞬間にお互いが手を離すような、相手の影の中に自分の居場所があると信じているみたいな、自己主張が苦手な控えめな二人だった。
 惑星になれなかった衛星が輪を作るように、会社で浮いていた僕たちは自然と結びついた。惑星の地殻や気象の変動を二人並んで眺めているうちに仲間意識が芽生えたのかもしれない。孤独に公転している寂しさを互いに補っただけかもしれない。それでも僕たちは幸せだった。君が僕で、僕が君だったと気づくまでは、ずっと一緒に惑星の周りを漂っていたかった。
 お互いを求めあったのは、笑えるぐらいの自己欺瞞だったね。僕は君の中に僕を探して、君も僕の中に君を探していた。自分が自分でもいいんだと、安心したいだけだったね。
 届きそうで届かない場所に隠れて、分かりあえそうで分かりあえない事実に目を瞑って、燃えそうで燃えない恋に溺れていただけだったんだ。
「映画を観るのが好き」
 僕も好きだ。物語には僕がいないから。隣の君は、暗闇に紛れていないから。
「ちょっとは自慢できる彼氏になりたいからさ、少し仕事を頑張ろうと思うんだ」
 喜んで笑ってくれたと誤解していた。寂しかっただけだったんだね。
 突入速度は一八キロセコンド。大気圏に突入した衝撃波を、世界中の誰もが観測しただろう。僕の身体はバラバラに砕け、その破片のほとんどが燃え尽きてしまった。ほんのわずかに残った意識が、地表に辿りつく。
 君の目には輝いて見えただろうか。それともただの惑星の変動に見えたのだろうか。青い大気が君の姿を隠してしまって、僕にはもう確認する術がない。叶うと信じて叶わなかった僕の願いは、君にとって意味があったのだろうか。分かっているのは、最初から手を繋いでいなかったことだけだ。

埃舞うマラウイ

二〇一八年四月二一日(土)

安眠文学


よく眠れる文学を募集します。

☆彡 夜、布団の中の我が子に聞かせたい童話
☆彡 眠る前に声に出して読むための詩
☆彡 睡眠をテーマにした短歌

などなど、眠りに関わる、文字が主体の作品であれば、どんなものでもかまいません

字数制限はなし

締め切りは一旦眠ると暁を覚えなくなりそうなぐらいの時期です。

どしどしご応募ください・・・ZZZZzzz...

 入社したばかりのころにも眠れないことがあった。ストレスが溜まっているとか脳が興奮しているからとか、疲れすぎると却って寝付けないのには、そんな理由があるらしい。自分の場合はおそらく興奮によるものだろう。ただでさえ神経質な性格なのに、過敏に反応してしまうことがままあった。
 たとえばカーテンから漏れる街灯の明かりでフローリングが照らされているとしよう。しっくりくる位置を探して枕の上で頭を転がしていると、ほのかに輝く小さな点が視界に入る。普段なら無視するわずかな埃が、眠りたいというのに、気になって気になって仕方がない。どうすべきか逡巡したところで、いつも答えは決まっていた。電気を点け台所から雑巾を持ってくる。埃を拭き取り、これでようやく布団に戻れると安心する。しかし気持ちとは裏腹に、自分の眼球は次の埃を求めて部屋中をトレースしてしまう。そこからは納得するまで大掃除だ。休みの日に掃除機をかければ済むことなのに、夜中だから馬鹿丁寧に雑巾で磨く。当然寝不足のまま現場に通い、疲れ切ったあげく休日は一日寝て過ごす羽目になる。若くて体力があったから大事には至らなかったけれど、注意力が散漫になり事故を起こしかけたことは何度かあった。
 ベテランとなったいまではさすがにそこまで神経質になることは減ったものの、蚊や黒いアレが出た夜は相変わらず仕留めるまでは眠らない。まあ、こればかりは性格なので直しようがないと諦めている。
 そんな私が再び眠れない状態になってしまったのは、慣れない環境にストレスを感じているからだった。
 私が勤めている会社はプレハブ建築の施工と販売をしている。設計だから一般住宅と比べてさほど忙しくはないだろうと高を括って入社したのだが、いつの間にか現場監督も兼ねるようになり、あちらこちらの現場へと目まぐるしく飛び回っていた。イベントの仮設事務所やモデルルームなどは撤去もセットになっている。工期が短い分、数をこなす。災害が起こると他の現場を止め、予定にない発注を抱えたまま最優先で被災地へ向かう。通常の建築とはまったく異なる工程に急かされ、私は毎日仕事に追われていた。
 肉体的には疲れていたが、充実した日々にストレスは感じていなかった。たぶん言葉が通じるとか、食べ物を気にしないでも大丈夫とか、仕事以外の環境に一切気を回す必要がなかったからなのだろう。だからストレスが原因で睡眠不足になるなんて、思いもよらないことだった。
 私はいま、アフリカのマラウイのコタコタロッジという宿屋にいる。成田から香港、南アフリカとトランジットを二回、およそ二六時間掛けてマラウイのリロングウェ空港へ到着した。まさかの出張だった。まさかのひとり旅だった。
 社長には古くからの友人がいた。ニノミヤさんという還暦を過ぎた男性で、アフリカの発展途上国を中心に教育支援をするNPO法人の代表をしている。教育支援と言っても衣類や遊び道具を寄付する程度だったのだが、成果を焦ったのか突然マラウイに学校を建てると言い出した。現地の資材や人員を使う予定だったらしいのに、社長が中古のプレハブを寄贈すると余計なことを申し出た。話はトントン拍子に進み、分解された一六坪のユニットハウスが船便で送られた。当然組み立てを指揮する技術者が必要になり、私が指名されたという訳だ。無理がきく未婚のベテランなんて、自分以外にはいなかったのだから。
 宿は思いのほか綺麗だった。オイルがたっぷり塗られたパインの調度品に、ところどころ筆ムラが残った白い内壁。蚊帳が吊ってあるダブルベットにはクリーニングされたシーツが折り目を残していた。窓を開ければ水平線まで広がる大きな湖を眺められる。砂浜に面しているから雨が降らないこの時期でも乾燥が気にならない。高原に位置していることもあり、気温は七月で二〇度を超える程度なのでとても過ごしやすい。宿といい町といい、事務の子が適当に予約した割には申し分ないアメニティーだった。
 ただし食事には慣れなかった。空港へ迎えに来たニノミヤさんから日本米を生産していると聞き密かに期待をしていたのだが、宿の食堂で勧められたパラという米粥をひとくち啜ると、予想外の甘い味付けに脳が混乱した。慌てて携帯電話のSIMカードを入れ替え、エアタイムで料金をチャージしニノミヤさんへ電話を掛けた。
(ライスが通じるので頼めば炊いたお米が出てきますよ。でも日本の味とはやっぱり少し違うので、口に合わなければトウモロコシ粉を蒸したシマがいいと思います)
 シマですねと慎重に何度も確認する私の様子にニノミヤさんは声を上げて笑っていた。
 結局最後の日まで、食事はシマとライスを交互に注文し、鳥肉か魚を付けるパターンで終わった。敷地内の海の家みたいなカフェで湖を眺めながらコーヒーを飲んだりしてみたけれど、粉っぽい味に顔を顰めただけだった。気がつくと膝の上に置いた拳が強く握られていて、ストレスが溜まっていると自分でも認識していた。窓の外から聞こえる知らない言葉や風の音、そのすべてが煩わしく、夜が非常に長く感じる。どんなに脱力してベッドに横たわっても、感覚は研ぎ澄まされる一方で睡魔は一向に襲ってこない。こんなに眠れないのは本当に久しぶりのことだった。
 学校の建設地は西に車で一時間ほど入った林の中にある、教会の隣にある広場だった。集まった現地の若者にたどたどしいチェワ語でムリバンジと挨拶をする。目を輝かせた若者たちが一斉に返事をしたが、意味を知らない私はただニコニコと愛想笑いを浮かべ、ニノミヤさんに助けを求める目線を送った。工事を見守る子どもたちの謎の歓声がここまで届き、神経が削られていく錯覚を覚える。頭を振った私は工程表をじっと見つめ、外への意識を外すよう試みていた。
 搬入されたユニットハウスの組み立ては三人の若者に任せた。日本で作ったイラスト図と現物を交互に見せて、ボルトを締める箇所を説明する。ニノミヤさんが通訳してくれたし、一工程毎に確認すれば間違いはないだろうと楽観していたが、彼らが発電機に接続したインパクトドライバーを回してはしゃいでいる様子に、段々と不安がもたげてきていた。残った四人は私と一緒に土台の基礎づくりをする。トランシットがないので直角出しは巻き尺を使う。三メートルと八メートルの部分をそれぞれ持ってもらい、一二メートルと〇を重ねた私があらかじめ打った木杭に基準を合わせる。二人がたわまないように巻き尺を引っ張れば、各辺の比率が一対二対ルート三の直角三角形が出来上がる。残りの二人が各頂点に木杭を打ち込み、同じ作業をもう一度繰り返してとりあえず建物の形を作った。本来ならコンクリートを一気に打ち込みたいところだけれど、水平に張った水糸のラインに合わせてコンクリートブロックを並べる。その上からモルタルを盛って基礎を完成させるのだが、この日の作業はここまでとなった。ユニットハウスも問題なく進んでいて、ほっと胸を撫で下ろす。言葉が通じなくても指差しだけでなんとかなると安心した私は、マラウイの若者たちの素養を見くびっていた自分を恥じていた。
 ニノミヤさんの話だと日本でいう小学校への就学率は九割を超えているそうだ。ただし教師と教室が常に不足していて学習環境はあまり良くないらしい。そういった理由からニノミヤさんのNPOで学校を作り、イギリスのNPO団体が教師を派遣する段取りになったとのことだった。英語圏の教師で言葉は大丈夫なのかと疑問を持ったが、マラウイ自体がイギリス連邦に加盟していて現地のチェワ語の他に高学年になると英語も学ぶと教えてくれた。ライスが通じたのも当然な訳だ。ということは手伝ってくれた若者にも英語が通じるではないか。先に言ってくれればと思わず愚痴ったが、チェワ語のほうが住民に溶け込みやすいからとニノミヤさんは屈託なく笑っていた。
 基礎は翌日に完成しブルーシートを被せて養生をした。機材は足りていなかったが、しっかり水平が取れて少しは見栄えがする昔ながらの布基礎に仕上がった。モルタルの乾燥に五日を見積もっているので、全員でのんびりユニットハウスの組み立てに取り掛かった。打ち解けているのかさっぱり分からないけれど、簡単な英単語を交わし合いお互いに笑顔を作るようにはなっていた。ストレスは相変わらず溜まってはいるが、完成したら帰国するのにも拘らず、このままこの生活に慣れていけば気持ちよく眠れる日がやって来るような気がしていた。
 重機で持ち上げたユニットハウスをアンカーボルトの位置に合わせながらゆっくりと基礎へ降ろす。ボルトを締めて建具の調整が済めば私の役目は終わる。電気や水道工事はニノミヤさんが手配した地元の業者がやってくれるそうだ。
「明後日はロッジまで迎えに行きますね。お土産を買うのであれば、明日街を案内しますよ。どのみち三千クワチャしか持ち出せないので、使っちゃったほうがいいですよ」
 机やパイプ椅子を運び入れる住民たちの様子をニノミヤさんと眺めていると、白黒の野良猫が目の前を駆け抜け藪へ消えていった。
「犬は雑種が多いですけど、猫は日本の種類と同じに見えますね」
「三毛もいるので、ときどき日本を思い出しますよ。大きいトカゲやサソリもいる場所なのに、不思議な感じです。お土産は、紅茶がお薦めですね。この国の名産品なんですよ」
 サッシを開けた若者が私とニノミヤさんに手を振っている。近くの教会の牧師が子どもたちを引き連れユニットハウスの中へ入っていった。誰かが言葉に節を付けて発する。その言葉を繰り返す若者たちの輪が、やがて歌を奏で始める。メロディーの抑揚に合わせてリズムが反復し、全身の筋肉を震わせて踊る集団も現れた。
「雨乞いの儀式みたいですね」
 地面を何度も踏み鳴らすものだから、あちらこちらで埃が立ち上っている。
「あなたにありがとうと伝えたいのかもしれませんね。私たちは来週、ここで簡単な式典をやりますけれど、そのときあなたがいないのは、彼らは知っていますから。本当に、お疲れさまでした」
 どんな現場でも感謝されるのはありがたいことだ。私の肩を軽く叩いたニノミヤさんへ小さく頷くと、しばらくのあいだ、彼らの踊りをぼんやり眺めていた。リズムに合わせて頭で拍子をとる。段々と上半身が不安定に揺れてくる。まぶたが重く感じる。たぶん私は、このまま眠ってしまうのだろう。なにかが報われた気がする。彼らの踊りは、まるで眠りの儀式みたいだ。
「起きてください。この場所から少し離れます」
 上半身が揺れていたのはニノミヤさんが揺らしていたからだった。
「ツェツェバエが出たそうです。刺されるとまずいですから、移動しましょう」
 腕を引かれた勢いでふらふらと立ち上がる。さっきまで踊っていた住民は、いつの間にかユニットハウスの中へ避難している。首元に冷気を感じ驚いて振り返ると、ニノミヤさんが防虫スプレーを掛けてくれていた。
「殺虫剤を持ってきていますから、安心してください。このまま昏睡状態になることはありませんからね」
 外務省のホームページに書かれていた内容を思い出していた。確かアフリカ睡眠病だったか、ツェツェバエに刺されると寄生虫が体内に入り、昏睡して死に至るという風土病のひとつだ。
「眠るって、なんなんですかね?」
 自分に防虫スプレーを吹き掛けながら、ニノミヤさんは首を傾げた。不意に出た言葉の意図が自分でも分からず、私はてのひらを向けて返答を遮った。
「最初にスプレーをしなかったこちらのミスです。慌てさせてすみません」
 代わりに不備を詫びたニノミヤさんは、車のキーを掲げ古いパジェロの解錠をした。そのまま辺りをゆっくりと見渡すと、思案するように目を宙へ向けた。
「答えになっているかは分かりませんが、マラウイの人たちに大切なことって安心なんですよね。私たちがやっている教育支援はもちろん、医療や食事に、仕事とか、日々の生活に必要なことを当たり前に享受できること。不安がないまま明日を迎えたいじゃないですか。だから、眠るってことよりも、安心して眠れることが大事だと思います」
 ニノミヤさんの言葉を反芻しながら、私はシートにもたれていた。荒れた路面が車窓を小刻みに揺らしている。木々の間から覗く湖はなにかの指標みたいに佇んでいる。帰国したらまた同じ毎日が繰り返されるだろう。知らない場所に行ったところで、もっと頑張ろうなんて気概は芽生えなかったけれど、仕事の充実感をもう少し大事にしていきたいなと考えていた。二週間近く離れた私の部屋には、ずいぶんと埃が溜まっているはずだ。適度に掃除をしなければならない。自分がいる場所と、自分自身を。

魂のエトランゼ

二〇一八年四月二二日(日)

第二回二〇〇文字小説コンテスト

二〇〇文字ジャストの小説作品を募集します。

 ロードノイズと風切り音が鼓膜を震わせている。照明灯が次々に視界の外へ流れていく。センターラインは真っ直ぐ行き先を示しながら小刻みに揺れる。先行する車も対向車もなく、この車だけが進んでいる。
 うっすらとした記憶の名残がある。接近する中央分離帯。回転する風景。白い膜が顔を覆う。あれだけの衝撃と騒音だったのに、いまは低いノイズが静かに流れているだけだ。
 遠くに電波塔の灯り。走り続けているのに、辿り着かない。

frame by frame

二〇一八年五月二〇日(日)

暁文学

 春眠暁を覚えずとは申しますが、いつかは終わりが来るもの、終わりが来るからこその睡眠であり、睡眠の終わりが暁で御座います。
安眠はよきもので御座いますが、艱難辛苦たる浮世は否応なくあなたを安寧の世界から引きずり出します。いくら滂沱の涙を流そうとも、憤怒の業火を振り撒こうとも。

 というわけで、目覚めの文学を募集します。
 何かの目覚めに関する作品や目が覚めてだらだらと読むのにちょうどいい作品、あるいは読んだら目が覚める作品など「目覚め」に関するテーマの作品を投稿してください。

 かつて妻は私にこう言った。
「先のことばかり考えていて足元を疎かにするタイプだから、あなたは家事に向いてないよ」
 ああしたい、こうしたいと夢を語る自分への嫌味だと当時は聞き流していたが、いま思えば家庭を守っているプライドから出た言葉だったのだろう。仕事に集中していられたのは足元に不安がなかったからだ。当たり前だと思って気が付かなかったけれど、私は君に支えられていた。
 切ったトマトの大きさがまちまちのサラダ。サンドイッチは歪な長方形。テーブルに並んだ朝食を君が見たら不細工すぎて笑うに違いない。それでも私はしっかり足元を見つめようと、一歩ずつ努力して君に近づけるよう頑張っている。
「おはよう」
 一瞥さえもくれずに椅子に腰掛ける岬は中学二年生になった。難しい年頃らしく私の問いかけにも空返事だ。会話らしい会話なんて、ずいぶんと前からしていない。悪いことをして警察や学校から呼び出されるようなことは一度もないが、友だちとはあまり遊びに行かず、部屋に閉じ籠もって好きなアニメを観ているだけなので、少し心配をしている。妻は子どもの目線で話せば仲良くなれるとアドバイスをくれたけれど、それは岬が小学生だったころの話だし、女子の目線に自分がなれるはずもないので、私は為す術がないままお互いが空気のようなこの状況をただ歯痒く感じているだけだった。岬はおそらく私を責めているのだろう。妻の大丈夫という言葉を鵜呑みにして、家庭を顧みることはなかった私に足元を疎かにしてきたツケが回ってきた。妻に悪性リンパ腫ができたと知ったときには、もう遅かった。放射線治療も虚しく癌は全身に転移していた。
「お前が、殺したんだ」
 行き場のない悲しみが憎しみの渦に巻かれて、私の胸の一点へと届いた。義父も義母も、父も母も、誰も彼もが私を責めた。罪は確定している。しかし妻への償い方を、誰も私に教えてくれなかった。
 眠る前に毎日、私は寝室のテレビをつける。本棚に並んだビデオテープを一本選び、すっかり古くなったデッキで再生する。旅行先の妻、カラオケで熱唱する妻。大切な記憶を辿り妻へ問いかける。
「私は、どうすればいい?」
 記録された映像を流すことを誰が再生と名付けたのだろう。生きているなら私の問いかけに答えるはずだ。二年近く繰り返しているのに、四角いフレームの中にいる妻は空返事さえしてくれない。

 玄関の鍵を開けると中から戸の閉まる音が聞こえた。なるべく顔を合わせないように、インターホンでオートロックの解錠に気づくと岬は自分の部屋へと戻る。こんな関係ではいけないと思っている自分がいれば、また気まずさから逃げられてホッとしている自分もいる。今夜は夏期講習の申込みについて岬の意向を訊くつもりだったのだが、仕事で疲れていることを言い訳に、明日の朝にあらためて話そうと私は先延ばしすることにした。
 部屋着に着替え、昨晩の残り物を肴にリビングで水割りを飲む。アニマルプラネットはミーアキャットの子育てを流している。観葉植物は力なく幹を傾け、細かな埃が浮いたフローリングに影を落としている。キャビネットの上には伏せられた写真立て。構図を考えるみたいに指でフレームを作り周囲を見渡す。どこを切り取っても、私が望んだ空間はない。人間の目の解像度はおよそ六億弱の画素数らしいから、ひょっとすると画素と画素のほんの僅かな隙間に私が見たい景色が広がっているかもしれない。見えないものを見ようとするのは夢だ。酔っているからこそ分かる。私はなにも変わっていない。
 グラスに口をつける度、自己嫌悪が激しくなる。目の前の空間が歪み、あからさまな悪酔いのサインを送る。そろそろ寝室へ行かなければとお酒を切り上げた私は、テーブルに置かれた郵便物を持ってふらふらと立ち上がった。
 岬を本気で怒鳴りつけたのは、初めてのことだった。
 いくら引き落とされるのだろうと何の気無く携帯電話料金の請求書を開いた。私と岬の二台を合算して毎月一万円満たないはずなのに、なぜか六万円を超えた数字が印字されていた。なにかの間違いではと明細を広げ、焦点の合わない目を一生懸命に瞬かせながら項目を追った。
「デジタルコンテンツってなんだ?」
 突出した数字はiTunesを経由していた。音楽をたくさんダウンロードしたのだろうか? それとも変なサイトにアクセスして違法な請求をされたのだろうか?
「岬」
 ゆったりとした呼吸で自分を落ち着かせる。ドアを二度ノックしたが中から返事はなかった。あえて息を潜めているような沈黙が漂っている。この事態を岬が覚悟していたように感じた。
「携帯で、なにか買ったのか?」
「知らない」
 布団を頭から被っているのか消え入るようなこもった声だった。
「開けるぞ。なにに使ったのか話しなさい」
「知らないから」
 開けさせまいと岬が駆け寄りドアに激しくぶつかった。丁番が軋み合板が潰れたような鈍い音が響いた。ドアは壊れなかったけれど、私の中にあるなにかは確実に壊れた。
 恩着せがましく教育費がいくら掛かったとか、そんな風に育てた覚えはないというルールの押し付けとか、親が言ってはいけない脅しを私は次々に捲し立てた。岬が涙声になったのも知っている。隠している間、ずっと怯えていたことも分かっている。それでも、私の怒声は止まらなかった。これは自己嫌悪の延長だった。私が駄目な父親であることを自覚するための八つ当たりだった。啜り泣く岬に何ひとつ慰めの言葉を掛けず、言いたいこと全部吐き出した私はふらふらと寝室へ向かった。自分が情けない。夢であって欲しい。テレビの中の無関係な映像であって欲しい。強く噛んだ唇が少し麻痺して、痛みが遠かった。

 花を散りばめた陶器のフレームの中で妻と私が笑っている。入学式に緊張しているのか岬は強張った表情でスカートの裾を握っている。幼い頃の自分が恥ずかしかったのかもしれないが、岬がこの写真立てを伏せたのは正解だ。現在と連続していない家族のひとコマなど、夢の残滓にすぎない。ビデオの中の妻と同様に、もうこの世にはいないものだ。いつまでも存在しない夢を求めていたら妻に笑われる。望んだ通りの現実にならないから私は取り乱した。フィクションを岬へ押し付けようとしたのが間違いだった。夢から覚めるときが来たのだ。しっかりと足元を見つめ、岬と一緒に、もう一度家族を作り直そう。
「昨日はごめん。一方的に酷いことを言ったお父さんが悪かった」
 腫らした瞼を隠すように俯いていた岬は、私の謝罪に応えぬまま椅子に座った。膝に手を置いたまま真っ直ぐ食パンに目を落とし、なにか言いたげに口元を動かしている。
「早く食べな。学校に遅れるよ」
 いちごジャムの蓋を開けて岬の手元へ置いた。私たちはこれから四角い食パンのフレーム内に色をつけていかなければならない。当たり前のことを当たり前に始めるのだ。
「お父さん、ごめんなさい」
「うん」
 岬の瞳に焼き付けるよう、ゆっくりと頷いた。互いの気持ちを交わした瞬間に刻まれた映像を、これからひとコマずつ積み上げていく。

 ケーブルテレビを契約した際におまけでもらったタブレットPCを、岬はおずおずと差し出した。なくしたものだと思って諦めていた電子機器を岬が持っていたことには驚いたが、そのことを問い正す前に、いったい五万円以上もなにに使ったのかを訊かなければならない。
「あのね、スマホのゲームで、どうしても欲しいキャラがいたの」
 タブレットの画面にはドレスを着たアニメの女の子が映っていた。どうやらアイドルマスターシンデレラガールズスターライトステージという、このやたらと長い名前のアプリに岬は課金したようだった。
「キャラクターをダウンロードするのに、そんなにお金が掛かるのか」
 昔作ったプラモデルは塗料も含めて、一台が二千円くらいで仕上がった。デジタルコンテンツがどのくらいの手間で作られているか知らないけれど、一体が数万円を超えるなんて、にわかには信じがたかった。おそらくゲーム自体の価格も加算されているのだろうが、それでも馬鹿馬鹿しいほどの高額だ。
「もう少しで出ると思ったら、ガチャを止められなかったの」
「ガチャってあれか、テレビで問題になっていたやつ」
 学校でも指導されていたのだろう。ニュースを観ない岬でもいけないことだとは一応理解しているようだった。事情を訊いた上で注意はするが、もう怒るつもりはないのに、声は震え、私が言葉を発するとぴくりと肩を揺らす。妻だったらもっと岬を安心させてあげられるのだろうと、自分がもどかしく感じた。
 ソーシャルゲームのトラブルを特集した番組を観たことがある。当選確率の低いアイテムを有料くじで入手するために、支払能力を超えた課金をしてしまう。特に後払いが可能な携帯電話の一括決済だと、手持ちのお金の心配がいらないぶん歯止めがきかなくなるらしい。まさか自分の家庭がその問題に直面するとは考えもしなかったが。
「事情は分かったよ。でもな、お金が必要なときは、まずお父さんに相談しなさい。なにからなにまで叶えてあげることは出来ないけれども、岬のやりたいことなら、少しは協力してもいい。まあ、こういうことは初めてだし、次から気をつけてくれれば、今回のことはもういいから」
「ごめんなさい」
 甘いかもしれないが、頭ごなしに否定せずに歩み寄る姿勢を見せようと思っていた。このアニメの女の子のように、岬にはフレームの中で笑って欲しかった。同じ歩調で進んでいけば、同じコマにきっと私もいられる。
「なあ、このゲームって高いのか? お父さんにも出来るのか?」
 考えすぎて周りが見えなくなることは、ままあることだ。
「曲に合わせてボタンを押すだけだから誰でも出来るよ。それに遊ぶだけなら無料だし、そのタブレット、スマホのサブにしていただけだから、お父さんが使っていいから」
 簡単さを強調する岬は頬を紅潮させていた。許されたと安心したのか、自分の趣味に理解を示されたのが嬉しかったのか、抑えられていた気持ちが堰を切って流れ出たようだった。
 まあ、タブレットPCは最初から私のものなのだけれど。

 岬の好きなキャラクターは木村夏樹というボーイッシュなロック好きのアイドルだった。最初はただの絵に夢中になる理由がさっぱり分からなかったが、声があると不思議なもので人物像が見えてくる。仲間思いで面倒見が良く、諭すような気の利いた台詞回しから、岬は母性と父性をこのキャラクターに求めているのだと察した。それは妻の不在といままでの私の至らなさを意味していた。
 ゲームを進めるうちに、キャラクターのグレードによって台詞が異なることに気がついた。岬が課金をして手に入れたSSRのグレードはスコアを上げる効果や専用の衣装を持っていたりもするが、なによりも台詞が増えることで人物像を強化できる。知れば知るほど頭の中でその人物が実在しているような錯覚に陥るのだ。存在していないのに存在して欲しいと思う気持ち。それは私がよく知っている感情だった。
 テレビの中の妻がカラオケで歌っているのはウインクの『淋しい熱帯魚』。違うとは分かっているのに、ゲームで『Memories』という曲を聴くと妻の姿が頭に浮かんでしまう。曲の雰囲気が似ているだけで、どうしても連想してしまう。フレームの中の夢だと割り切ったはずなのに、私は妻の実在を求めてしまう。
 岬がリビングでゲームをプレイしている。寝室までメロディーが漏れてくる。ビデオを止めて灯りも消した。それなのに、瞼の裏には四角いフレームが浮かんでいる。確かこの曲は『shabon song』。恋の気持ちに気づく歌だ。存在していないキャラクターが自分たちの気持ちを肯定している。変わることを迷いなく肯定している。
 私は夢から覚めたくないのだ。文句を言いながらも私を肯定してくれた、妻とずっと一緒にいたいのだ。

 今回のイベントはなんとか五万位以内に入ることが出来た。銅のトロフィーをもらうのは初めてだ。ありすちゃんのスターランクもマックスまで上げられたので、とりあえずは満足している。しかしスコアが現状頭打ちなので、プリンセスのスキルを持つ限定キャラを入手して底上げをしたいところだ。金とは言わないまでも、銀のトロフィーはいつかもらってみたい。
 岬はこの間、一〇連一発で限定の幸子を当てた。非常に羨ましいが私たちは毎月五千円までと課金額を決めているので、こればかりは運に任せるしかない。それにしてもこのゲームは本当に良く出来ている。スコアを意識しなければ無料で遊び続けることが出来るのだ。一〇連ガシャを回すのに必要な石二千五百個も、イベントやログインボーナスで手に入るのですぐ貯まる。しかも同じ金額でドレスを買えば一〇連チケットがおまけについてくる。ドレスが無料なのか石が無料なのか、まったく恐るべきゲームだ。
「大変なの。お父さんが二次元に目覚めちゃった」
 友だちと電話をしている岬が私の話を持ち出した。あえて誤解を解くつもりはないが、その認識には誤りがある。夢から覚めない結果がこれなのだ。
 私がプロデュースを担当しているアイドルは新田美波。タレ目が可愛い頑張り屋さんの大学生だ。
『1e450edcbf』
 ちなみにこれが私のID。フレンド登録にまだ空きがあるから、ぜひ申請してみてくれ。一緒にアイドルのプロデュースを楽しもう。挨拶はデレっす! それではおやすーん!

道はずれのブルースカイ
コンビニのコーヒーメーカー

二〇一八年六月一七日(日)

一六小節のラブソング

『お題』の動画を再生するとメロディー付きの短い音楽が流れます。そのメロディーに合う歌詞を募集します。

歌詞はラブソングに限りますが、異性間の恋愛以外でも、親子愛や自然愛など大きな意味での愛であれば問題ありません。歌詞から愛が読み取れない場合でも、投稿者本人が愛情だと言い張っていただければOKです。

あんたに会いたい

二〇一八年六月一六日(土)

第四五回 てきすとぽい杯

お題:お題:「___始めました」
   空欄に言葉を入れ、作品中で使用してください。
   (鉤括弧はなくても構いません。)

 昨日、爺さんが死んだ。大往生とでも言うのだろうか、大きな病気や怪我をしない人だったのに、逝くときはあっという間だった。畳を掻き毟らん勢いで泣いていた嫁の肩を抱き、息子がなにも言わず寄り添っていた姿が目に焼き付いている。俺はあんなに取り乱すほど感情を顕にすることはできない。ただ爺さんが育てていた蘭棚のそばでうずくまり、寂しさに包まれるだけだった。
 一〇年前、生まれたばかりの俺は爺さんに拾われた。親のことはまったく覚えていない。兄弟の行方さえも分からない。瞼だってちゃんと開いていたかさえ分からない。一番古い記憶は天井の灯りと毛布の感触、未知の言語と巨大な生物に囲まれた不安と温かいミルクだ。
 しばらくのあいだ、自分が犬だという意識はなかった。いつの間にか家の外に住まわされ鎖で繋がれていた。散歩で出会う他の犬も紐で繋がれていたから、そういうものだと思っていた。正月や盆に息子夫婦が帰省すると、自分と違い家の中で過ごすことに気がついた。なんとなく、彼らとは違うと考え始めた。息子夫婦の子どもは俺をワンちゃんと呼んだ。爺さんが好きな春蘭からハルと名付けてもらったのに、爺さんも子どもに合わせてワンちゃんと呼んだ。時間が経つにつれて、自分が人間ではなく犬だと理解していた。しかも家族のようでありながら、本当の家族とは違うことも知った。婆さんが死んだとき、俺は家の中に入れてもらえなかったのだ。
 生まれてこのかた、俺には家族がいない。爺さんが死んだあと、息子夫婦がこの家へ住むようになったが、やはり家族のフリをしている。雨の日も雪の日も、俺はもう枯れてしまった蘭棚のそばにいる。息子夫婦の子どもが俺を散歩へ連れて行くけれど、義務感で嫌々なのを感じる。
 ある朝、首輪と鎖を繋ぎ止めている革が破れかかっていることに気がついた。案の定、少し遠くまで走ったら勢いで鎖が外れた。俺はこの家を出ようと決めた。人間みたいに家族を作ろうと思った。
 身体中の筋肉が興奮しているようだった。いつもの散歩道を、俺は全力で駆け抜けた。知っている犬に何匹か出会った。俺は、人間始めましたと宣言したい気持ちを抑えて彼らを無視した。俺の姿を見て、彼ら自身が気づけばいい。俺たちは人間じゃない。犬なのだと。
 見知らぬ景色が目の前に広がっている。どれだけ走ったかもう覚えていない。ここがどこかなんて分からない。ただ俺が目指した家族がある世界とは、まったく異なる場所だとは分かる。俺は人間に追われていた。あいつらは俺を捕まえようとしていた。理由なんて知らない。俺はまだ、なにもしていないはずなのだ。
 人間は犬を殺す。最後の最後で知らなくていいことを俺は知ってしまった。爺さんは教えてくれなかった。蘭を育てていたくらいだから殺し方を知らなかったのだろう。蘭を枯らせた息子夫婦は殺し方を知っていたに違いない。俺はもっと早く、あの家を出るべきだったのだ。
 生まれ変わったらまた婆さんに会いたいと爺さんは言っていた。じゃあ俺は、爺さんの本当の家族にしてくれ。もう、それでいい。

真美子

二〇一八年八月一八日(土)

第四六回 てきすとぽい杯

お題:予告編
   本編を購読(視聴、閲覧 等)したくなるような、
   魅力的な予告編を、1,000字ちょうどで創作してください。
   ※ 題材とする本編は、架空の作品でも、
     実在の作品(作者本人の公開/未公開作品など)でも構いません。

 あなたは幸運ではなく呪われているのだと妻は助手席でうわ言のように呟く。繰り返す陣痛でこちらの心配をしている場合ではないだろうと呆れながらも、もうすぐ病院へ着くからと何度も囁いて、僕は妻を落ち着かせようと努めていた。
 一〇歳の夏、母と買い物を終え駐車場へ向かうと土砂崩れが起きて目の前で自動車が消えた。一四歳の春、坂道を下る途中で自転車のブレーキが切れ対向車とぶつかり茂みに投げ出された。二二歳の冬、八ヶ岳を登山中に滑落事故にあい九死に一生を得た。病気や怪我を含めれば、毎年といってよいほど命に関わる事故にあった。そのたびに必ず生還する僕は、自分のことを幸運な男と自称していた。妻と出会ってからはそんな災いが降りかかることもすっかりなくなり、僕はよく笑い話として過去の事件を語るのだが、妻は幸運よりも災いに巡り合う確率が高過ぎるときまって不安になってしまう。そんな妻にいつも教えてあげるのだ。僕には守り神がついているのだと。
 真美子というとても仲の良い幼馴染がいた。家が隣で生まれた年も同じ。一緒にいるのが当たり前で、まるで兄妹のように過ごした。遊び相手が僕ばかりで他に対象はいなかったせいもあるけれど、彼女とは将来結婚しようと子どもじみた約束を交わしたこともある。あまりにもくっついてばかりいるので、小学校に上がるとませた同級生に僕たちはいつも冷やかされていた。なんで遊んでくれないのと、友だちの手前、距離を取ろうとした僕と喧嘩になり、しばらく顔を合わせずに真美子を避けていた。そんな最中、九歳の夏、真美子は交通事故で死んだ。
 妻のうわ言が心のどこかに引っかかっていたのか、それとも娘が産まれたからなのか、彼女が退院するまでの一週間、僕は毎晩真美子の夢を見ていた。楽しく二人で遊んでいた日々が記憶よりも鮮明に甦り不思議な気持ちになっていた。いまにでも隣家から真美子が遊びに来そうな気がしてそわそわしたり、娘のために両親が買ってきた玩具を床に広げてみたり、妻に落ち着いてと笑われて初めて我に返るぐらい、僕は自分でも理解できない行動をするようになっていた。だから自然に受け止められたのだろうと思う。娘の寝顔を見ながら横になっていると妻がトイレに立った。気を遣って静かに布団から抜け出したのだが娘は目を覚ました。泣き出しそうな予感がして身構えていると、娘は僕をじっと見つめた。
「ねえ? あの子はだあれ?」
 久しぶりに会えた。

彦二郎の猿尾

二〇一八年八月二五日(土)

゚+.゚ *+:。.。 。.世 紀 末 ゚.+° ゚+.゚ *+:。.。

お題:平成の世も残り一年となったので、なんか時代の終焉とか世界の尾張
   とか
   地球の滅亡の予言みたいなのをテーマにした文学作品ぽいものを募集
   します。

 尾張国海西郡笹塚村の彦二郎は、近隣の村までその名が通るほどの変わり者であった。畑仕事の最中でも目の前を蜻蛉が通り過ぎようものなら追いかけていなくなる。三日三晩姿が見えないと村人が心配して集まっていれば兎を抱えて森から現れる。どんなに叱られようともへらへら笑っているばかりで、半刻後には鍬を放り出して川の魚を眺めている。まさに兎の糞みたいな性格で家族はもちろん村人全員が扱いあぐねていた。
「堤屋のところの倅には困ったものだ。いっそのこと地頭様から頼まれていた城の普請に行かせたらどうだろう」
「いいや、輪中を作らせるのが先だろう」
 二ヶ月前の大きな地震で蟹江の城は倒壊し清洲の城は損壊した。余震は三週間近く続き、山が崩れてなくなった村もある。笹塚村でも木曽川に繋がる鵜戸川の水が溢れ田圃二枚が駄目になった。もともと標高が低く水害に合いやすい土地であったため、集落を囲むように輪中と呼ばれる堤防を作る案がかねてから村人の間に持ち上がっていた。
「大変なのはどこも同じ。ならば村を守るのが先決だ。堤屋には輪中を作らせよう」
 乙名たちの寄合で彦二郎の処遇が決まり、翌日から堤屋には輪中の普請が命じられた。さすがの彦二郎も惣掟の厳しさは十分に承知しているはず。家族が追放される憂き目を怖れて真面目に働くだろうと誰しもが考えていた。
 堤屋の親父と兄弟が丘の土を崩している間、彦二郎は櫓に登り一日中川面を眺め続けた。不安になった乙名が親父に尋ねると、彦二郎は水の流れを見極めていると言う。堤を築く場所を決めるために必要なことだと説得され、納得出来ないまま乙名は引き下がった。
 五日ほど経ち川辺に降りた彦二郎は家族を集めて何やら相談をしていた。ようやく作業が始まると安心していた村人を横目に、堤屋一家は川に沿って堤を作り始めた。川と仲良くするためと彦二郎は言うものの、にわかには信じられない。自分の田圃に水を引くつもりではと乙名たちが疑心暗鬼になる間も工事は着々と進められた。
 百間を超える細長い堤は下一色村との境を抜け、西一色村との十字路で盛土を作った。痺れを切らした乙名たちは彦二郎を呼びつけ意図を説明するよう求めた。
「猿の尾に似ているだろう。これが水から村を守るのだ」
 要領を得ない話に怒った村人は、掟に従い堤屋一家を村から追い出した。河口の新田で彼らを見掛けた者もいれば、若狭へ向かって北上したと言う者もいる。彦二郎たちの行方は杳として消息が知れない。笹塚村の村人もだんだんと彼らのことを話題にすら出さなくなっていった。
 彦二郎たちがいなくなった翌月、連日の雨で木曽川が氾濫した。後に天正の大洪水と呼ばれる水害である。川の流れが変わるほど、海西郡一帯は水に浸かり、流域の家屋は次々と流された。大地震から一年も経っていないことから、この世の終わりが来たと誰もが嘆いた。せっかくの新田は沼地となり、収穫を迎える作物は泥に塗れて腐っていった。どのくらい死んだのか誰にも分からない。そんな中、笹塚村だけは被害が少なかった。鵜戸川へ流れ込んだ水は彦二郎が作った堤に沿って流れた。わずかに溢れた水が地震で駄目になった田圃を浸す程度で、輪中がないのにも関わらず集落への被害は不思議と軽微なものだった。
 鹿子島に住む忠平親子が視察し、後にそこら中で作られることになる長い堤は猿尾と呼ばれる。集落を守る輪中ではなく水の勢いを弱める堤は木曽川流域の住民を守った。二〇年後に御囲堤が完成し美濃国が水害に悩まされても、彦二郎が作り始めた猿尾は口伝で人々を救い続けた。
 鹿子島町を始め、宮田町、草井町など猿尾の史跡はいまでも残っている。ただ彦二郎の名を伝える者は誰もいない。

新人教師

二〇一八年一〇月二〇日(土)

第四七回 てきすとぽい杯

お題:選択四題
   「ヒゲ」「根っこ」「翼」
   「脈」「角(ツノ)」「ウロコ」「繭」

   以上七個のお題候補から、四個(以上)を選んで、
   タイトルまたは本文で使用してください。
   漢字/ひらがな/カタカナ に変換しても構いません。

 学年主任の教師に勧められ向かいの席へ座る。手元の資料をめくりながらチラチラと視線を送ってくる彼の態度に軽い嫌悪を覚え、俺は背筋を伸ばしたまま小さくうつむいてテーブルの模様を眺めていた。
「あまり気を張らないでも大丈夫ですよ。生徒は繭みたいなものですから、大切に優しく温めて、彼ら自身が殻を割って飛び立つのを見守って下さい。先生は、ほら、翼を授ける栄養ドリンクみたいなものですから」
 自分の冗談に声を上げて笑う学年主任は大袈裟に肩を揺らしながらも、俺の姿を視界に捕らえたままだった。あらゆる所作が俺を値踏みしている。新人の教師に歩み寄っているつもりなのだろうが、壁の向こうから覗いているだけ。
 生徒は無垢な繭かもしれないが、学年主任が作る壁は醜悪な繭に似ている。
「分かりました。これからもご指導よろしくお願いします」
 大きな声で頭を下げた俺は微笑みを浮かべ繭に籠もった。

 卵パック並んだ繭が、この教室の構図だ。一緒にいるようで一緒にいない、お互いに大切なことを隠したまま並べられている。
「先生は依怙贔屓してるの?」
 優秀な生徒をたまたま連続して褒めたに過ぎない。それがなぜか理不尽となる。
「してないよ。頑張ったら褒めるし、悪い子としたら先生は怒るよ」
「わたしだって頑張ったのに」
 脈拍が加速する。どの生徒も順番に褒めるつもりだった。平等に優しく温めるつもりだった。順番を間違えた? いや、順番を考えたこと自体が間違っているのか?
「ごめんね。でも、この間率先して掃除をしていたのはちゃんと見ていたよ。偉いと思う」
「そうじゃない」
 ひび割れた繭の向こうになにかが広がっている。ぼんやりとして形を保てないまま、ゆっくりと確実に俺へと向かってくる。
 生徒は泣きながら俺の腹を何度も殴っていた。角のように尖った思いが心に突き刺さる。
繭を壊してしまった。俺は選んではいけなかった。繭の中身が醜態なものだと分かっていたのに、俺は手を伸ばしてしまった。

自分空洞説

二〇一八年一二月七日(金)



お題は「穴」。

   あとは自由です。
   文字数制限なし。
   ジャンル不問。
   小説じゃなくても可。

記録一
 知っているかい? 地球の中は空洞になっているんだ。普通の人には見えないけれど、北極と南極には大きな穴が開いている。僕らが住んでいる地表の裏側には、マントルやコアなんてない。僕たちの国と同じように、人々が住む街が広がっている。彼らは僕たちがUFOと呼ぶ乗り物に乗って、両極の穴を通って密かに遊びに来ているんだ。シャングリラって言うユートピアを聞いたことがあるだろう? 崑崙山脈の果てにあると伝えられているが間違いだ。本当は地底にある彼らが住む世界のことなんだ。
 信じられないのは分かるよ。僕もこの間まで半信半疑だった。SFやファンタジーの類の話だと思っていた。でも、違った。記録が残っていたんだ。アメリカのリチャード・バードという軍人が、実際に地底世界を目撃していたんだ。

記録二
 これでは、まるで僕が地球そのものではないか! なんでいままで気づかなかったんだ。ずっと他人事のように聞いていた。地球なんて、宇宙なんて自分の暮らしとは一切関係がないものなんだって。目が覚めた。地球とは僕、宇宙とは僕なんだ。

兆候
 鼻毛が伸びてくると、呼吸の際に毛先が鼻腔をくすぐる。パナソニックの鼻毛カッターを、煙草を一服する感覚で差し込めば、なんの憂いもなく仕事に励めるってものだ。でもその日は違った。鼻毛が揺れている感じがするのに、ちっとも鼻腔が痒くならない。たまに長く育った鼻毛がカールして皮膚を刺激しない場合もあったから、僕はてっきりそれだと思った。鏡の前で鼻孔を指でめくって顔を近づける。光が当たる角度を探し、首を傾げると、いままで見たことがない光景が広がっていた。
 髭で顔を覆われた大人の男が二人いた。貫頭衣みたいな簡素な服装で片手に鎌のような金属を持っていた。一人の男が鼻毛を支えるように両腕で押さえ、もう一人の男が根元に鎌を添える。右腕を大きく振りかぶると勢いよくその手を振り、鼻毛を一本切り落とした。よほど嬉しかったのだろう。男たちは笑顔でハイタッチをし、鼻歌を唄いながら籠のようなものに鼻毛を丸めて詰めていた。ふと男たちと目が合った。彼らは急に笑顔を強張らさせて、聞いたことがない言葉をざわめかせながら奥へと駆け出し消えていった。僕はなにを目撃したのだろうか? もう一度目を凝らして鼻孔を覗いてみた。なんだろう、動物のような模様が見える。分かった。あれは彼らが描いた壁画だ。

初診
 そういえば昔、本で読んだことがある。確か地球空洞説というタイトルだったと思う。地球の中は空洞になっていて地底人が住んでいるという荒唐無稽な話だ。彼らは両極の穴から現れる。いまの僕のように、左右の鼻孔から現れる!
 僕の体の中には彼らの世界が広がっている。これはおかしなことなのか? 本の記述の通りなら、別段変わったことではない。理想郷が中にある。これは素晴らしいことではないのか? 僕も、それこそ先生にだって、理想に近づける可能性があるって話だろ? 人間は素晴らしい。人間バンザイ。人間バンザイ。人間バンザイ。人間バンザイ。人間バンザイ。人間バンザイ。人間バンザイ。人間バンザイ。人間バンザイ。人間バンザイ。人間バンザイ。人間バンザイ。人間バンザイ。人間バンザイ。人間バンザイ。人間バンザイ。人間バンザイ。人間バンザイ。人間バンザイ。人間バンザイ。人間バンザイ。人間バンザイ。人間バンザイ。人間バンザイ。人間バンザイ。人間バンザイ。人間バンザイ。人間バンザイ。人間バンザイ。人間バンザイ。人間バンザイ。人間バンザイ。人間バンザイ。

レッツプレイ

二〇一八年一二月一五日(土)

第四八回 てきすとぽい杯〈紅白小説合戦・紅〉

共通テーマ:コメディ・ギャグ小説
紅組のお題:「ラブ/エロス」
      恋愛要素や、色気・艶話・下ネタ等が登場する、笑える小説。

 寄り掛かってきた薫は僕の肩口を少し噛むと、艷やかな瞳を真っ直ぐ向けて顎に力を込めた。
「痛っ」
 思わず悲鳴を上げ、薫を振り解こうと体を振るが、縄のようにキツく結ばれた薫の両手は僕を決して開放しなかった。
「痛いからやめなよ」
 薫は小さく左右に首を振ると、顔の角度を変えて犬歯を深く肌に食い込ませた。
 皮膚は歯を中心に同心円状の皺を描き、引っ張られた毛穴が楕円に伸びていく。僕の眉間の皺もそれに合わせて深く刻まれる。
「いや、ちんこを弄られても痛みはなくならないからね」
 僕が抵抗するのをやめたから、薫は申し訳程度に僕の股間を触る。少しは気持ちいいけれど、快楽に溺れるには肩の痛みが強すぎた。
「もうすぐだから」
 唾液を啜る音に混じって薫の言葉にならない声が聞こえる。歯の先に滴る唾液は僕の皮膚に小さな泉を作っていた。
 不意に皮膚の緊張が解かれ、泉は淡く赤色に染まる。僅かな盛り上がりの後、一筋の川となって腕を伝った。流れに沿って薫は血液を舌先で追う。穴に吸い込まれるような音が響き、僕の肩から血の川は消えていた。仄かに赤らんだ傷口に薫は唇をそっと当てる。
「ねえ、裕太の血はわたしの血に混じるのかな?」
 火照った顔が近づいてくる。空気が熱を持つのを感じる。薫の熱か、自分の熱かは判然としない。
「わたしだって、このくらい痛かったんだから」
 初めて身体を重ねた僕たちは、貪るようにお互いの唇を求める。明日が来ることなんて微塵も頭にないみたいに、この時間を永遠に引き伸ばすみたいに。

 腕を組んだまましばらく目を閉じていた部長は、噛みしめるようにゆっくりと頷き、僕の肩に手を置いた。
「素晴らしかったよ。いくらAVを観たところで、俺たち童貞には実際のプレイなんて想像できないものな。そこを逆手に取って、裕太はピロートークを妄想のメインに据えた。しかも言葉で愛を語るのではなく、プレイで愛を語った。さっきの川崎の、これで僕たちは一つになれたんだね、は、なんて薄っぺらい表現だったんだろう」
「部長の、俺たちは結び合う運命だったんだよ、だって陳腐すぎるじゃないですか」
 血相を変えて身を乗り出した川崎は、勢い余って机からシャーペンを落とした。拾ってあげて腕を伸ばすと川崎は乱暴に僕からひったくった。
「お前だって、お前だって、童貞なんだからな」
 お互いに周知していることをあえて言葉にしなくてもいいだろうと、僕は笑いを堪えながら川崎を睨む。部長は川崎の妄想をふざけた言い方で繰り返している。
 大宮南高校囲碁部。これが僕らの日常だ。他愛もない話から、今回の妄想初体験お披露目会は開催された。入部から三ヶ月、僕はまだ囲碁のルールを知らない。

 青木薫は長身の美人である。くりっとした大きな目には愛嬌があり、普段から笑顔を絶やさないのでクラスの人気者だ。聞き上手でいつも女子からいろいろな相談をされる。面倒だと思うこともあるが、目立たず穏やかな日常を送りたいと心掛けているので、なるべく相手の都合に合わせるようにしている。その理由は中学の頃、背の高さと整った顔立ちを妬まれ、いじめられたことがあるからだ。
 クラスのイメージと違って、自分は引っ込み思案だと薫は思う。変わりたい気持ちはあるのに、我を出すのを躊躇ってしまう。自分が変われないのなら、誰かに変えて欲しいとも思う。王子様を待つなんて少女趣味だと笑われるだろうけれど、いつか、自分を引っ張ってくれて自分らしくいられる人と出会いたい。
 好みのタイプは堀の深い顔で自分よりも背が高く、リーダーシップがあって、いろいろな場所に自分を連れ回してくれるバイタリティーもある。お洒落にも気を遣って欲しいから、坊主頭ではないサッカー部とかテニス部がいい。もちろん、文化系の部活の男の子はNG。

埃舞うマラウイ
~てきすとぽい投稿作品集2~

2019年2月1日 発行 初版

著  者:川辺 夕
発  行:書房AJARA

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川辺 夕

各電子書籍販売サイトにて「ヒーローが住み着いちゃったんですけど」、「あなたの真珠を見せてください」、「ワルツフォーミー」等TL小説が販売中です。
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