例えるならば、夜にだけ咲く美しい花。
強い香りを放ち、人々を魅了する。
それはまさしく君なのだ
「熱いよお……」
もうダメだと思った。とても熱くて怖くて、顔を伏せるようにうずくまった。
このまま死んじゃうんだって思った。
「大丈夫か!!!」
そのとき、大人の人の声がした。
でも、顔は上げられなかった。
身体に何かかけられて、抱き上げられる。
「もう、大丈夫だよ」
すごく優しい声だった。
それと、強い香りを感じる……その香りにとても安心して助かったって思った。
◆◆◆
「ちくしょー、ダルい……」
捺那は布団の中で呟く。
また……夢を見てしまった。
それは幼い頃に体験した夢だ。見た後は思考回路が停止するのか、何もしたくなくなってしまう。
捺那は幼い頃、火事にあっていた。
その火事で両親が亡くなった。捺那は助け出されたものの、今でも頻繁に夢に出てしまう。
部屋に射し込む光で朝だと分かっているが起きられない。
と、誰かの足音が近づいてくる。
「なーづーな! 起きろ!!」
そう怒鳴り込んできたのは、いつものうるさい幼馴染。
「鈴白うるさい」
「起こせって言ったのは自分だろ? 起こしに来てるのに何だよ、うるさいって!!」
布団の中からぼそぼそと返事をするが、鈴白は捺那の身体を揺すり続ける。
「体調不良だから……やすむ……」
捺那の体調不良攻撃に、鈴白がめっぽう弱いことは知っている。布団の中から答えると案の定。
「えっ? まじ?」
鈴白は慌てたようにバタバタと部屋を出て行った。
おそらく体温計を取りに行ったのだろう。
鈴白は幼馴染であり、保護者のような存在でもある。
毎朝のように起こしにくるし、心配性だし。
年は同じなのだが何かにつけては世話を焼いてくれる。まあ、嬉しいし、嫌でもない。
そして、再び大きな足音が戻ってきた。
もう一つの足音を引き連れて。
「捺那、具合悪いんだって?」
そう聞こえた声は鈴白ではない。
「芹さん」
捺那はあっさりとシーツから顔を出した。
そこには捺那を覗き込む芹の顔があった。
「芹さん! 帰るの後一週間先じゃ?」
捺那は嬉しそうな表情を見せる。
「予定より早く終わらせた……お前らが心配だったしな……早く帰ってきて良かったみたいだな」
芹の大きな手のひらが、捺那の額を触る。
あったかくて、少し照れてしまう。
「……鈴白、お前、そろそろ捺那の仮病くらい見抜け」
残念。
「はっ?」
芹の言葉に鈴白は驚いた顔で捺那と芹を交互に見る。
「お前、本当に捺那に甘いよな」
「仮病……なの?」
ニヤリと笑う芹に疑問形で問いかける鈴白。
「け、仮病じゃないもん!! 本当に具合悪いんだからな」
捺那は反論するが「お前、嘘つく時にどもる癖、気付いてるか?」芹にそう言われて額をパチンと指で弾かれた。
「もう! 痛いよ芹さん」
指先で弾かれるのは結構痛いもので額をさすりながら文句を言う。
「体調不良なら……夜に飯行けねーなあ、折角、美味しい店に二人を連れて行こうと思ったんだけどな」
口の端から笑みをこぼしながら、芹は捺那を見る。
「えっ? 御飯?」
パァ……と明るく可愛い顔になる捺那に、芹の悪戯な笑みは止まない。
「体調不良なんだろ?」
「夜には元気になるからいく!!」
あくまでも体調不良なのだと主張しつつ行きたいと宣言。
「えっ? 本当に仮病だったの?」
鈴白はいまだに捺那を心配そうに見つめたままだった。
「仮病じゃねーし……」
フイっと鈴白から顔を背ける。
仮病だけど仮病じゃない。心がほんの少し病気になってしまっているだけだ。
あの夢を見たから。
「仮病なら良かったって思うんだけど……捺那が病気になると心配だし」
「鈴白……ほんとお前は」
ハアーとため息をつく芹は、捺那に甘すぎると言いたげな顔だ。
でも、甘くていいのだ。鈴白にとって捺那は……すごく大事な人だから。
二人は幼馴染で、幼い頃から一緒に暮らしている。
捺那の両親が火事で亡くなった際、両親の友人だった芹が引き取ってくれた。
鈴白は当時、四歳くらいだったが、捺那を初めて見た時から彼に惹き付けられ……過保護だと当人から言われる程にかまってきた。
捺那に同情しているわけではなく、これは愛情……。鈴白はそう思っているが、はっきりと言葉にした事はない。
「そのうち捺那にお母さんって呼ばれるぞ」
芹は鈴白の頭をグリグリと遊ぶように撫でた。
「止めろよ」
「何だよ? 昔は好きだったろ? 頭撫でられるの? 抱っこしてえとか甘えてたくせに」
嫌がるそぶりに、芹はまた口の端を上げて笑う。
「いつの話してんだよ? くそ親父!!」
鈴白はプイっと横を向いた。
芹は鈴白の父親だが見かけが若いので父親に見られた事はない。
彼は大きな会社をいくつも経営していて、忙しくてあまり家にいなかった。
だから余計に寂しくて……たまに芹が家にいると、いつも甘えていた。
でも、それは子供の頃の話だ。
「鈴白と芹さんの喧嘩見るの好きだな……圧倒的に鈴白が敗北するから」
クスクスと笑う捺那。
「うるせえ……捺那、学校どうする? 行く? 行かない?」
「……」
捺那は芹の様子をうかがうように、チラリと視線を送った。
「芹さんが行けって言うなら行く……」
「なんだよそれは?」
答えになっていないし、自分の意思はどこに行った? なんて鈴白は思う。
「行けば夕飯に連れて行ってやるよ」
芹のその言葉に、捺那は起き上がった。
さっきまでダルいと思っていたくせに、捺那は自分でも単純だと思う。三人で出掛けられるのが嬉しいなんて、子供みたいだ。
「朝ごはん何?」
「んー? 捺那の好きなもの」
ニコッと微笑む鈴白。
「やったー……って、たまには自分が好きなの作ればいいのに」
捺那はベッドから降りると鈴白の横に並んだ。
「捺那が好きな食べ物は俺も好きだから、丁度いいんだ」
鈴白が先に歩き出す。
すると、芹のスマートフォンの着信が鳴る。
芹は二人に先に行けと手で合図すると、電話に出た。
◆◆◆
「まさか芹さん仕事入れちゃうんじゃない?」
一足先にリビングに降りた捺那は、芹の電話が気になってしょうがない。
「まあ……そうなったら仕方ないかもね」
「うー、やだなあ!! 断ってくんないかな?」
そう言って椅子に座ろうとする捺那に「顔、洗ってきなよ」と母親みたいな事を言う。
「へーい。芹さんが言うみたいに、今日から鈴白の事、お母さんって呼ぼうかな?」
捺那は笑いながらも素直に洗面所へと向かった。
顔を洗っている最中、タオルが無い事に気付いた。でも、忘れてきても心配はない。だって、「捺那、タオル」とこんな風に、すぐに鈴白が持って来てくれるから。
「ありがとうお母さん」
鈴白は本当にお母さんみたいだ。
「俺、鈴白が居ないとダメ人間になりそうだよね」
タオルを受け取ると笑う。
「いいよ、ダメ人間になっても……俺がずっと側にいるから」
「……鈴白、そんな顔して言うなよ……ドキッとするじゃん」
捺那は鈴白から視線をそらした。余りにも綺麗な笑顔に、見惚れそうになってしまった。
鈴白は綺麗な顔立ちをしている。それは父親の芹も同じ。
例えるならば、鈴白はしなやかで奇麗な黒豹で、芹は百獣の王ライオン。
ライオンは群れの王様だ。
「捺那の方が綺麗だよ」
鏡越しに鈴白に微笑まれた。
鈴白が言う通り、捺那も綺麗な顔立ちをしている。
女性のように線が細くて、色白で背が高い。ボーイッシュな女子だと言われれば、そう信じてしまうかもしれない。
顔に似合わず自分を俺と言う所と乱暴な言葉使いさえなければの話だが。
「鈴白、お前ってさ……天然のタラシだよな」
そうは言っても無自覚な捺那は、お世辞が過ぎると顔を拭いたタオルをぐいっと鈴白の顔に押し付け、逃げるようにリビングへ戻った。
あれ以上、あの場所にいると……鈴白にとりこまれそうになると思いながら。
◆◆◆
捺那が椅子に座ると電話を終えた芹が戻ってきた。
「鈴白は?」
「直ぐに戻ると思う」
そう言うやいなや、鈴白が戻ってきた。
「二人とも朝ご飯食べたら出掛けよう」
「は?」
芹の言葉に鈴白と捺那の声が共鳴する。
「検査だとさ」
どうやら先程の着信の理由はそれだったようだ。
「えー! 嫌だよ」
そう言ったのは鈴白。
「お前らまだ発情期もきてないだろ?」
芹の言葉に鈴白は「いいじゃん、個人差あるし」と露骨に嫌そうな顔をする。
「別に痛い検査じゃない……お前、注射嫌いだもんな」
芹は鈴白の頭をグリグリと撫でる。嫌がる事を知っているのにわざとなのだ。
「止めろよクソ親父」
鈴白は拗ねた顔で芹の手を弾いた。
「特に捺那は……ちゃんとしておかないと」
鈴白をからかいながら、芹は次に捺那に視線を向ける。
「捺那を狙ってる輩がいっぱいいるだろ? 迂闊に不特定多数の野郎が居る場所で発情期を迎えてみろ、あっという間に犯されてしまうぞ?」
「そんな事はさせないから!!」
勢い良く声を発した鈴白は、
「俺が守る」
そう真剣な顔で芹を見る。
「……お前はどこの騎士だよ」
真剣な鈴白をニヤリと笑った顔で見つめる芹。
「捺那が発情期を迎えたらお前だって冷静でいられないんだぜ? 分かってるのか?」
鈴白は悔しそうに次の言葉を飲み込んだ。
芹の言いたい事は分かる。
それは捺那がΩだからだ。
ちなみに、鈴白と芹はαだ。
αは言わずと知れたエリート。特に芹は群れの王様で、圧倒的な権力に地位と容姿を兼ね備えている。
息子の鈴白も負けず劣らず容姿は端麗。けれど、性格は芹とは正反対。
だからぶつからないんだろうな、と捺那は思っている。きっと性格も似ていたら、一緒には生活が出来ないだろう。
Ωの捺那は女性のような……いや、それ以上に美しいといつも二人に言われていた。
反面、性格は威勢が良い。口も悪くて、顔に似合わないと言われる事もしばしば。
そして一つ屋根の下、Ωとαが問題なく生活できている理由は、まだ二人とも発情期を迎えていないせいだった。
発情期は普通、十代後半から始まると言われているが、二人は十八歳を過ぎてもまだ発情期がきていない。
もし、唐突にその日がやってきた場合、適正な対処ができていなければ、平穏な家庭に最悪の未来が待っているかもしれない。
「そろそろくるかもしれない……捺那のためでも嫌か?」
芹は鈴白を見つめる。
捺那のため。そう言われると「分かった……」と返事をするしかなかった。
◆◆◆
「いい子で検査受けたら、夕飯に連れてやってやるからな」
診察室の前で芹は二人の頭を同時に撫でながら言った。
「何だよそれは……子供かよ、それに夕飯は検査に行く前からの約束だろ?」
撫でられるのが嫌な鈴白はまた芹の手を弾く。
「子供だろ? 注射が嫌いなクセに……なんだよ? 鈴白もパパとご飯に行くの実は楽しみだったわけ?」
まったく動じていないのか、芹は両手でワシャワシャと鈴白の髪を触っている。
「止めろって!!」
本気怒りで芹を睨むが彼は余裕な様子。
クソ!!!
どうしたって父親の芹には敵わない。だから「先に行く」とその場から逃げるのが一番良い方法だった。小さくなる鈴白の背中を目で追いながら、捺那はそう分析する。
「芹さんって鈴白からかうの好きだよねえ」
幼い頃から、二人はずっとこんな感じだった。両親を一度に失った捺那はうらやましくて仕方がない。
芹は捺那の寂しい気持ちを直ぐに感じ取ったのか彼の頭を撫でると自分の腕の中へとスッポリと抱き込んだ。
「捺那も大事だよ」
そう優しい声でささやく。
「俺も芹さん大事だよ……鈴白も」
たまに考える。二人が居なかったら自分はどうなっていただろうかと。
もしかしたら、生きていなかったかもしれない。
「捺那……今朝の仮病の本当の理由は何だ?」
「えっ?」
捺那は驚いて顔を上げた。直ぐ近くに芹の顔がある。
十八になる息子が居るとは思えないくらい、若くて美しい顔だ。
「怖い夢でも見たか? お前、小さい頃、怖い夢を見た朝はお腹が痛いとか色々と訴えてたろ?」
それは捺那が引き取られて直ぐの頃。火事の夢を見ては泣いていた。その度に芹が抱き締めてくれ、眠るまで一緒に居てくれた。
「……そうだったら、今夜は一緒に寝てくれるの?」
「……お前」
捺那の言葉は無邪気なようで、無意識な小悪魔が誘っているようだ。
「本当、ガキんちょだな」
ぎゅっと身体を抱き寄せた。
「芹さん……もし、発情期がきたら、俺どうなっちゃうの?」
「外には出さないな……あっという間に食われちまう」
「芹さんは? どうするの? 芹さんって発情期の時はどうしてるの?」
「お前、それ聞くか?」
子供の無邪気な質問にしては大人な内容で芹は笑いそうになる。
「聞きたい……どうしてるの? 芹さん、今パートナーが居ないでしょ? 鈴白のお母さんが亡くなってもパートナー作ってない……やっぱり鈴白のお母さんが運命の相手だったの?」
運命の相手……。
捺那が言うパートナーとは、契をかわした相手の事。
発情期の時に首の後ろを噛む事により成立する。
そして、運命の相手とは……心で、いや魂でつながっている相手。
出会えば分かると言われているが、子供の捺那にはまだイマイチ分からない。
運命の相手に出会える確率はかなり低い。
捺那はその運命の相手が芹ならいいなと思う。
「捺那は……気になる相手居るのか?」
抱き締めたままに聞く芹。
うん……居るよと言いたい。でも、そしたらきっと誰? と聞かれる。
告白するチャンスだけれど……言えない秘めた想い。
「分かんない」
「そっか……」
「運命の相手って俺にも居るのかな?」
「居るよ……きっと出会うよ」
「そうかな?」
「うん……出会えるよ」
ささやかれる甘い声。捺那は顔を上げて芹を見つめる。
「芹さん」
運命の相手は芹が良いと言いたい。
「ん?」
「……家に居ない時ってもしかしなくても発情期の時?」
「直球でくるな?」
芹はふふっと笑う。
「子供にはまだ早い内容になるな」
「……他のΩを抱いてるの?」
「捺那……」
俺にすればいいのに。俺じゃダメ?
まだ、発情期きてないからダメ?
発情期がきたら抱いてくれるかな?
そしたら早く……発情期がきたらいいのに。
「捺那、次は捺那だよ」
鈴白の声が聞こえてハッと我に返る捺那。
「ほら、行っておいで!」
芹は捺那から離れた。
離れたくはないが……発情期の時期が分かるかもしれない。
鈴白と交代で診察室に入る。
「親父……捺那と何してたの?」
鈴白が戻ってきた時、二人が抱き合っているのが視界に入った。
その瞬間……心がざわついた。
「ん? ……捺那がまた怖い夢見たんだと」
「えっ?」
理由を聞いて少し冷静になった。
「ダルいって言ってたのは精神的だな」
「そっか……」
捺那が小さい頃から火事の夢を繰り返し見ては泣いていたのを知っている。代われるものならば代わってあげたいと思った。
「安心した?」
「へ?」
「抱き合っていたから不安になったんだろ?」
ジッと自分を見つめる芹の瞳が鈴白の心を見透かしているようで狼狽える。
「ちがっ、」
そうじゃないと言いたいが芹の口からは不安になったとしか出ていない。恋愛絡みの事をまだ言われていないから言葉に困る。
「大丈夫だよ、パパは鈴白のパパだぞ!」
芹はニヤリと笑うとぎゅっと鈴白を抱き締めた。
「馬鹿!!! ちがーう! 離せえええ」
まさかの捺那に父親をとられると思われているなんでファザコンみたいで嫌だ。
ぎゅっと抱き締められた腕が強くてなかなか逃げられない。
「なんて言われた?」
「は、離せば言う」
その言葉で芹から解放された。
「いつもと変わらない」
「まだって事か?」
「そうみたい……」
「そっか」
「それはそうと、注射ないって言ったじゃん! されたからな!!」
キッと芹を睨む鈴白。それを見て芹は吹き出した。
「あはは、悪い悪い」
笑いながら芹は鈴白の頭を撫でる。いつものように手を弾かれると思っていたが、いつもの行為がなく俯いた。
「どした? そんなに注射が嫌だったか?」
鈴白は検査にくる度に注射を嫌がっていた。幼い頃は泣いては芹にしがみついていた。
「……俺って本当にαなのかな?」
「突然どうした? お前はαだよ?」
「……でも父さんみたいな感じじゃないし……まだわかんないけど、発情期がきたらどうなるの? 捺那も……どうなっちゃうの?」
鈴白はまだ、性経験がない。
発情期がまだないせいか性欲というものがないのだ。
「鈴白はちゃんとαだよ? 成績優秀だし、将来有望だって言われてるだろ?」
「……それは俺に気を使ってくれてるからだよ。成績優秀は捺那も変わらない……どちらかというと捺那の方がαっぽい。学校でも、逆に捺那に守られたりするんだ」
鈴白はため息つくと、ズルズルとその場に座り込んだ。
「鈴白……お前のダメな所はその自信のなさだ」
芹も一緒にしゃがむと、顔を伏せてうずくまる鈴白の頭を撫でる。
黙って頭を撫でさせているあたり、かなり参っているのだろう。
「鈴白、今夜は飯食ったら久しぶりに三人で寝るか?」
「は?」
その発言にようやく顔を上げた。
「良く三人で寝てただろ? 最近は全然だけど」
「それは俺達が子供だったから」
「注射を嫌がる奴はまだ子供だよ」
芹は笑う。
「うるさい!」
少し元気になったのか鈴白は芹の手を弾く。
「鈴白は元気な方がいいな」
手を弾かれたのに、芹は嬉しそうだ。
その後、捺那が戻ってきたので三人で車に戻った。
「このまま、食べに行こうか」
運転席の芹は後部座席に乗る二人に問い掛ける。
「うん」
元気に返事をしたのは捺那だ。
「捺那がいいなら行く」
鈴白も追って同意する。
「じゃあ、決まりだな」
「芹さんが運転するの久しぶりに見た」
芹には運転手が居て、三人で外出する時は運転手が車を走らせてくれていた。
もちろん、捺那と鈴白がどこかへ行く時も。
「親子水入らずもたまにいいだろ?」
「いつもの警護人もいないしね」
「俺は他人に守ってもらわなくても大丈夫なんだけどね」
「芹さんらしい発言だね」
捺那は笑い出す。
「父さん……その警護人なんだけど……学校についてくるの、止めさせてくれない? なんか大袈裟過ぎて嫌だ」
鈴白と捺那は同じ大学なのだが、芹が付けた身辺警護人が一緒についてくるのだ。
「警護人をつけてる奴らなら、他にもいっぱいいるだろ?」
「いるけど……なんか嫌だ」
鈴白はふてくされた顔でそっぽを向いた。
「でも居ると助かるじゃん! めんどくさい奴らに絡まれた時は追い払ってくれるし」
「それが嫌なんだよ!!」
鈴白は強く言葉を発した。その意味するものは……捺那を守るのは自分でありたいと思っているからだ。
美しいΩである捺那には、常に沢山の輩が群がってくる。
無理やり触られる事もしばしば……。そんな時、いつも先に蹴散らしていくのが芹に雇われた身辺警護人達だ。
「仕事しているだけなのに嫌がられて彼らも可哀想だなあ……」
芹はチラチラ見ながらに言う。
「分かってるよ……」
彼らはただ雇われの身で、芹の指示通りに仕事をしているだけなのだ。
「それに俺も結構自分で蹴散らせるしな……なんなら鈴白を守れるぜ? 鈴白だって、結構モテるじゃん? 露骨に嫌そうにするけどさ」
「俺は……捺那から守られたいんじゃない! 守りたいんだよ!」
鈴白は真剣な眼差しで捺那に訴えた。
「……だから、本当に鈴白って天然タラシ……そんな感じだから色んな奴らに言い寄られるんだろ? 自覚してる?」
「何を?」
キョトンとした顔で聞き返す鈴白を見て、こりゃダメだ……気付いていない。と捺那はため息をついた。
◆◆◆
「相変わらず、高い店」
捺那はレストランのメニューを見ながらぼやく。
「美味いもの食った方がいいだろ?」
「父さんはグルメだから……俺はその辺のファミレスでもいい」
鈴白はメニューをチラリと見たが興味なさそうだ。
「俺は鈴白のご飯が一番好きだな……鈴白はシェフとか向いてそう」
ニコッと微笑んで自分を見る捺那に照れてしまう鈴白。
「まあ、俺も鈴白の飯が一番美味いと思うな」
芹も捺那の意見に同意した。
「何? 二人して機嫌取っても何も出ないよ」
鈴白は照れたようにメニューに視線を向けた。
◆◆◆
確かに料理は美味かった。
鈴白は食べながら調味料や調理の仕方が気になった。後で自分なりに作りたいと思ったから。
「ねえ、父さん……店のオーナーと知り合いなんでしょ?」
「そうだけど?」
「じゃあ、シェフに料理の事聞ける?」
「えっ? 鈴白、こういうのも作れるの?」
捺那の目がキラキラと光る。
「作ってみたいなって」
「わあ! マジか! ねえ、芹さん、俺からもお願いします。こういうの家で食べられたら最高じゃん!」
捺那はオネダリ顔で芹を見る。
「分かったよ」
芹は立ち上がるとスタッフの元へと行った。
「えへへ、やったあ! これでまた美味しいものが食べれる」
捺那は嬉しそうに鈴白に笑いかける。
「捺那が美味しいって言ってくれるから作るの楽しいよ」
鈴白もニコッと微笑む。
「……ねえ、鈴白はさ……芹さんの仕事を継ぐの?」
「へ? 突然何?」
「鈴白はさ……本当はこういう仕事したいんじゃないかって」
「こういう仕事?」
「レストランのシェフとか」
心の奥を見透かすようにじっーと見つめる捺那。
「そりゃあ、作るの好きだけど……それは捺那や父さんのためだけだし」
ニコッと微笑んでそう返したが嘘がバレていないかドキドキと心拍数が上がっていた。
将来は芹の仕事の跡継ぎで……小さい頃からそう自然に思ってきた事だから今更、自分が何になりたいかなんて言葉にできない。
「ふーん……でも、作ってる時の鈴白は楽しそうだよ? 俺が美味しいって言えばすんごーく可愛く笑って喜ぶ。そんな顔する子がこういう仕事に興味ないとか思えない……気付いていない? 外食事の時、いつも作り方や調味料とか聞いてるじゃん? レシピ教えてもらった時なんか、すごーくいい顔してんだよ?」
捺那の指摘に「俺……そんな顔してんの?」と困惑顔で聞いた。
「うん、してるよ」
ニコッと微笑まれ……恥ずかしくて俯いた。
確かに料理作る時が一番楽しい。捺那や芹が美味しいって言ってくれたらテンション上がるし……次は何を作ろうかな? って思う。
「鈴白、捺那、おいで」
芹から呼ばれた。
シェフに会えるようだ。
鈴白は慌てて立ち上がる。
「ほら、今もすごくいい顔してるよ?」
ニコッと笑いながら指摘され、鈴白は表情を崩さないようにと凛々しい顔をして芹の元へと急いだ。
鈴白は厨房を見学しながら、作り方も教わっていた。
見聞きしている間、本当に良い顔をしている。やはり鈴白は、こっちの道にきたいんじゃないのか。隣で付き添いながら、捺那はそう考えていた。
鈴白はいい奴だ。他のαとは違う雰囲気で、居心地がいい。好きか嫌いかと問われれば、間違いなく好きだ。恋愛感情ではなく人間として……、幼馴染としての好きではあるけれど。
αは自分がαだからと威張り散らす奴や、あからさまに差別したり、Ωを自分の所有物だと勘違いしている輩が多い。
でも、鈴白は違う。
優しくておとなしくて……たまに無理して口が悪い事を言ったりするけれど、後で自己嫌悪に陥っていたりして、捺那は鈴白のそういう所も含めて好きだった。
父親の芹も同様に、自己顕示欲の塊みたいな他のα達とは違う。強くて、優しくて、平等。だから、本当にキングなのだ。当然、どんな奴らも芹には逆らってこない。
鈴白は、芹の人として優しい部分を丸々と受け継いだのかな? と捺那は思っている。
「捺那、つまんないか?」
一人離れた所でポツンといる捺那をみてか、芹が呼んだ。
「んーん。鈴白、いい顔してんなあって思って」
「ああ、楽しそうだな」
芹も鈴白を見て微笑む。
「芹さんは鈴白に仕事を継いで欲しいと思ってる? 鈴白はそのつもりみたいだけど?」
「突然どうした? そういう話を振るのも珍しいな?」
「鈴白……本当はこういう仕事したいんじゃないかって……」
これは自分が言っても良い事なのだろうか? と思ったが言葉にしてしまった。きっと、鈴白は一生言わないだろう。
「捺那は鈴白をよく見ているね」
「そりゃ、毎日一緒に居るし……アイツの作る飯美味いもん」
「そうだな、美味いよ」
「鈴白は芹さんに遠慮してる……」
「知ってるよ……鈴白が俺に引け目を感じでいる所もね」
「芹さん……やっぱ気付いていたんだ」
「そりゃ分かるよ親子だもん」
「じゃあ……もし、鈴白がこっちの道に進みたいって言ったら応援してあげてよ」
「……それはどうだろ?」
「芹さん!」
理解しているのに迷うような、いや、まるで反対するかのような言葉に捺那は強く彼の名前を呼ぶ。
「鈴白は言わないよ……ずっと胸に秘めてしまう」
「芹さん」
それは捺那も思っていた事。きっと、言わない。
「鈴白が進みたい道に進めばいいと思う、俺の仕事をやりたいと言えばそれは鈴白のやりたい道だろうし……俺はそれを受け入れるよ」
芹の言葉は冷たいようで暖かい。鈴白に無理やりやりたい事を言わせるんじゃなくて、素直な気持ちを言えばその道を歩ませる……そう言っているのだ。
「芹さんは良い父親だね」
「突然どーした?」
芹が笑う。
「俺の親父も……生きていたら進路に悩む俺にそう言ってくれんのかな?」
そう言った捺那は寂しそうで芹は頭をクシャクシャと撫でた。
「捺那はどうしたい?」
「……俺は分かんない。やりたい事も何がしたいのかも分かんないし……Ωって、容姿が良いだけの役たたずとか言われてるだろ? 仕事をちゃんとしてるΩっていないじゃん」
「ちゃんと仕事しているΩもいるよ? 誰にそんな事を吹き込まれた? 発情期がきたら有給休暇取れるとこもちゃんとある、ブラック企業ばかりじゃない! 現にウチの会社がそうだ」
「芹さん……」
「やりたい事を作らないようにしてきただけだろ? 鈴白とはまた違う意味で。Ωだからとか引け目感じる事はない……そりゃ昔は扱いがひどかったかもしれないけれど、社会は変わるんだ、捺那は良い時代に生まれたんだからやりたい事をしっかり考えるといい、俺が力になるよ」
芹は捺那の頭を抱き込んで自分の肩へ持っていく。
フワリと香る芹の甘い香り。
あれ? この香り……知ってる?
そう思った瞬間、心臓が強く脈打った。
動悸が激しくなり立っていられなくなる。
「捺那?」
立っていられない捺那はズルズルとその場に座り込む。
「鈴白! 来い! 捺那が」
芹の叫び声で鈴白は振り向き、倒れ込む捺那に気付いた。
「捺那!!」
鈴白の声が聞こえて、そこで捺那の意識は途絶えた。
◆◆◆
捺那が次に目を覚ました時、そこはいつもの寝室だった。
身体を起して周りを見るが芹や鈴白は居ない。
どうしたんだっけ? と捺那は自分に起こった事を思い出そうとする。
えーと、厨房に居て……それから?
あ、芹さんの甘い香りで何か思い出しそうだったんだ。なんだっけ?
「捺那、良かった」
鈴白の声がして顔を上げると不安げな鈴白が手に土鍋を持って立っている。
「その土鍋なに?」
鈴白の持つ土鍋を指さす。
「お腹空いてないかな?って」
「えっ? 今何時?」
「夜」
つっけんどんな答えに、思わず捺那は笑ってしまった。
笑う捺那を見て鈴白はホッとしている様子だった。
「芹さんは?」
「さっき、医者が来て……ほら、いつも俺らを診てくれる相澤先生。先生を送って行った」
「相澤先生きたのか……」
「貧血だって……俺ちゃんと栄養管理してたのになあ……ごめん」
「へ? なんで鈴白が謝るの?」
捺那はクスクス笑いながら、ありがとうと小さな声で言った。
◆◆◆
「芹、お前……いつまでこんな事を続ける気だ?」
相澤は芹に視線を向ける。
「さあ……」
ぶっきらぼうに答える芹。
相澤を病院まで送る車内、少し緊張した空気が流れている。
緊張しているのは相澤のみなのだが。
「捺那君……どう頑張ってみても発情期はくるよ……現に、芹の臭いに反応したみたいだから」
「なんだよ、打ってる薬……弱いんだな」
「馬鹿! 強いよ! これ以上は無理だよ、ずっと投与続けたらどんな後遺症が残るかも分からないのに……鈴白君だって同じだよ」
相澤は真剣な顔で芹に迫る。
検査だと連れて行かれては打たれる薬は発情期を遅らせる物だった。
十代後半でくると言われる発情期。芹はそれを二人に内緒で遅らせていたのだ。
「彼らだって、いつかは気付く……どうして他の人より発情期が遅いのかって」
「まあ……いつかは限界がくる事くらい承知の上だよ」
「芹はどうしたいんだよ?」
「二人に幸せになってもらいたいかな?」
「だったら尚更……」
「なあ……相澤、俺って狂ってるって思うか?」
芹は真剣にというか、寂しそうな顔で相澤に聞く。
「……芹らしいとは思うよ?」
「お前、それ答えになってねーだろ?」
芹は寂しい顔からいつもの彼の顔に戻った。
ふと、『俺も芹みたいにαが良かったな……芹はカッコ良くていいなあ 』
もう、随分前に言われた言葉が頭を過ぎった。
狂っていると自分でも思う……でも、狂う程に好きになった相手は一人だけだった。
『芹、月下美人って知ってる? 』
その好きな相手に聞かれた事がある。
『ないよ? 』
『 夜にしか咲かない花なんだけど、なんか芹みたいなんだよ』
そう言って笑う顔を思い出す。
その時みた花は自分というより、その好きな相手に似ていると思った。
美しくて儚げで……。
『芹はカッコ良いよ 』
いつも笑って側に居てくれたのに。
「芹?」
急に黙った芹を心配してか、相澤が顔を覗き込んでいる。
「ん?」
「大丈夫か?」
「大丈夫? 誰に向かって聞いてんだよ?」
いつもの芹の顔でニヤリと笑う。
「さて、早くお前送って帰るとするか」
芹はスピードを上げて車を走らせた。
◆◆◆
家に戻り寝室へ行くと「芹さんおかえり」と捺那が元気に芹を迎えた。
「なんだ? 鈴白寝てるのか?」
芹の視線の先にはベッドの端で顔を伏せて寝ている鈴白の姿がある。
「うん、さっきまで俺の世話で大変そうだった」
「何だその他人事みたいな言い方は」
芹は笑いながら鈴白に近付くと彼の身体を起して、自分の方へ引き寄せる。
「どうするの?」
「寝かせるよ」
芹は軽々と鈴白を抱き上げた。
「ねえ、昔みたいに三人で寝ようよ」
捺那はそう提案する。
「えっ? 捺那のベッド狭いだろ? 野郎三人は無理だ」
「リビングにマット敷けばいいじゃん! 俺やるからさ」
捺那はベッドから降りると寝る場所を作るべくマットを取りに行く。
芹は鈴白を抱いたままリビングへ。
彼をいったん、ソファーへ寝かせると捺那を手伝う。
二人でシーツを広げ、寝る場所を作る。
「三人で寝るの久しぶり」
ニコニコしながら捺那は言う。
「鈴白が嫌がるからな」
「俺は芹さんと寝たい」
「お前な、そんな誤解されるような台詞言うの止めろ」
「えー、いいじゃん! 実際寝たいし」
「はいはい、寝たいならさっさと終わらせよう」
芹はザックリと捺那の言葉を切る。
寝る場所が出来ると鈴白を寝かせた。
「芹さん真ん中ね」
「俺が真ん中かよ」
「えー? 鈴白が真ん中なの?」
不満そうに言う捺那。
「分かった、じゃあ俺が真ん中」
捺那が拗ねてしまうのも嫌なので芹は真ん中に寝る事にした。
◆◆◆
「えへへ、嬉しい」
川の字になりリビングに寝る捺那は子供のようにはしゃいでいる。
「子供みたいだな捺那は」
「だって嬉しいんだもん! 芹さん仕事忙しいしさこうやって一緒に居れるのは」
捺那は芹にくっついてくる。
「鈴白は嫌がるのになあ」
「鈴白も嬉しいと思うよ? 素直に言えないだけで」
「それならいいけど」
「ねえ、芹さん……」
「ん?」
「昔みたいにギュッてして」
捺那は甘えるような口調で告げる。
「仕方ないなあ」
芹は横向きに体勢を変えると捺那を抱き寄せる。
「……芹さん香水つけてる?」
「ん? つけてないよ」
「すごく甘い匂いする」
「そうか? シャンプーの匂いじゃないか」
「ううん、違う」
捺那は芹の胸に顔を埋める。
「この匂い……どこかで嗅いだ気がする」
「家の匂いだろ」
「いや、芹さんからするもん」
捺那は顔を上げて芹を見つめる。
「芹さん……チュウして……」
「はい?」
「急に芹さんとキスしたくなった」
「捺那……」
「ダメ?」
「ダメ」
芹は優しく笑う。
「どうして?」
「捺那にはできないよ」
「なんで? 俺が発情期もきてない子供だから?」
「違うよ……鈴白が捺那を好きだから」
「……何それ?」
「気付いているんだろ? 鈴白の気持ち」
「……」
捺那は答えない。
鈴白の気持ち……気付いている。嬉しいと思う。思うけれど……芹が気になって。いつも、芹の事ばかり考えてしまう。
「捺那、俺を好きになるな」
「なんで?」
「そんな資格、俺にはないから」
「何? その資格とか……人を好きなるのにそんな物必要?」
「いるよ……俺は狂ってる……そんな奴を好きになるな」
「……なにそれ? 意味わかんないよ」
捺那は泣きそうで、そんな捺那の額に芹はキスをした。
「これで勘弁な」
そう言って捺那をギュッと抱き締めた。
子供扱いして!! と捺那は悔しかった。
芹みたいな大人だったら、好きになってくれたかな?
「意地悪」
捺那は芹にギュッとしがみついた。
それからしばらくして捺那は眠ってしまった。
芹はそっと捺那から離れ、仰向けに寝かせる。
「ん……」
ちょうど鈴白が寝返りを打ち、芹の方へ身体を向けた。
鈴白の寝顔を見つめる芹。
大きくなったな……と思う。小さい頃の彼は泣き虫で仕事に行く芹にしがみついては行かないでと泣いていた。
鈴白の髪を撫でる。
昔は撫でられるのが好きで「パパぁ、ヨシヨシしてぇ」と頭を手のひらの下へと持ってきていた。
すごく可愛くて愛おしい。
「ごめんな鈴白……」
芹は髪を撫でながら謝る。撫でた手のひらは頬に……そして、そのまま芹は鈴白の唇にキスをした。
◆◆◆
なんじゃこりゃ……!!! と鈴白は心の中で叫んでいた。
目を開けると芹のどアップ。
はあ? 何で? と思った。
しっかりと抱き締められていて、どうしてこういう状況なのかと考えても分からない。それは当然の事で、鈴白は寝ていたのだから何も知らないのだ。
しかもリビングに寝ている。
芹の腕の中からなんとか抜け出し起き上がる。
芹の後ろに捺那が眠っていて、どうせなら捺那の横が良かったなあ……なんて思ってしまった。
しかし、どうしてリビングに寝ていたのだろう? わざわざ、マットまで敷いて。
鈴白は立ち上がるとそっと、その場から離れた。
時計は朝の五時。
朝食作るのには早すぎるよな……とコーヒーを煎(い)れる。
「俺の分も」
真後ろから芹の声。
振り向くといつの間にか芹が居た。
「起きてた?」
「お前がゴソゴソ動くから起きた」
芹はテーブル席に座る。
「何で俺にくっついて寝てたんだよ?」
「たまにはいいだろ? 親子のコミュニケーション」
「アホか! いくつだと思ってんだよ」
呆れ顔で芹の分のコーヒーを煎れる。
「いくつになっても子供は可愛いんだよ」
「あっそ」
そのまま不貞腐れた顔でコーヒーカップを渡した。
「昨日、習ったやつ作れよ」
「はあ? 今から?」
「夜」
「帰ってくんの?」
「帰ってきちゃ嫌か?」
「そうじゃないけど……仕事は?」
「今はそんなに忙しくないんだよ」
「ふーん……じゃあ、作る」
「楽しみだな」
そう言って芹は少し間を開けて「鈴白、何か俺に言いたい事とかないのか?」と聞いた。
「何それ?」
急な質問にキョトンとする鈴白。
「何かないのか?」
じっーと芹が見つめてくる。まるで心の奥を探るように。
それが怖くて「何もない」と視線をそらした。
「そうか」
芹はそう言った後、もう何も聞いて来なかった。
◆◆◆
「あれ? 芹さんは?」
捺那が起きてきた。
「仕事」
「だよねえ」
捺那はガッカリした顔で椅子に座る。
「コーヒーと紅茶どっちがいい?」
「ホットミルク」
「選択肢にないもの言って」
鈴白は笑いながら冷蔵庫を開け、牛乳のパックを取り出す。
「でも、夜は帰ってくるってさ」
「本当に? やった!」
捺那は両手を上げて喜ぶ。
「ちぇっ、捺那は本当、親父好きだよなあ」
「鈴白も好きだろ? 芹さん」
「まあ……そりゃあね」
父親だし……。
尊敬もするし、カッコイイとも思う。
でも……好きな相手がこんな風に感情を出して好きって言うのは面白くはない。
「鈴白、お腹空いた」
「はいはい」
捺那の子供みたいなオネダリに一瞬にして芹に感じていたヤキモチが消えた。
単純だと自分でも思う。
◆◆◆
「弁当も作ってみました!」
朝食を終え、出掛ける支度をする捺那の目の前に弁当箱を差し出す。
「鈴白、良いお嫁さんになれそう」
「お前なあ」
「ありがとう」
お嫁さんという言葉に文句を言おうとしたがまた、可愛い笑顔で何も言えなくなる。
惚れた弱みってこういう事? なんて思った。
◆◆◆
大学へ行くと「鈴白、捺那昨日どーしたんだよ?」と友人達にそれぞれ聞かれた。
病院に検査に行ったなんて言うのも嫌だから「家族で出掛ける用事があったから」とごまかした。
「やっぱ、お前らいると華やかだな」
友人の一人がそう言った。
「何それ? 華やかな奴ら沢山いるだろ? パーティピーポーみたいな?」
鈴白は笑いながら言う。
「それとは違う華やかだよ! お前ら目立つもんなあ」
「何その目立つって?」
「捺那は女子より綺麗だし、鈴白、お前もさ」
捺那は分かる……しかし、自分はどうなんだ? と鈴白には自分の魅力が分からない。
「何だよ? 鈴白狙ってる奴らまだいんの?」
鈴白の横で黙って聞いていた捺那が嫌そうに言う。
「そりゃ居るだろ? 鈴白フリーだし」
大学生となればカップリングは沢山存在していて、既に番と呼ばれるカップルも在籍している。
「鈴白はダメだからな」
捺那は威嚇する。
「お前らをカップルだと思ってる奴らもいるけど、捺那も鈴白もフリーだろ? 早いとこ相手見つけなきゃこの面倒くさいのは続くぞ?」
友人に言われ確かに面倒くさいと鈴白は思う。
好きでもない相手に擦り寄られても迷惑なだけ。
「そうだな」
鈴白は爽やかに笑うと捺那を促し、歩き出す。
後から相変わらず、身辺警護人が付いてくる。
本当に面倒くさい……何もかも……面倒くさいとたまに思う。
男女が集まる場所に来るとこういう話題しかない。
発情期がどうとか、番とか……。本当に人は性欲しかないのかな? と嫌になる。
誰と誰がくっついたとか……そんなの興味はない。
学校に相手を探しに来ているようで嫌なのだ。
勉強する所だろ? 集団行動とか一般常識を学ぶ所だろ? と言ってやりたい。
「鈴白、そっち講義室じゃないよ?」
「ん? 屋上行こうかな? って天気いいじゃん」
「へー、珍しいね鈴白がサボるの」
捺那は何だか嬉しそうな顔をしている。
「空の下で弁当食べると美味しいと思って」
サボる理由を口にする。
捺那はこういう事が好きなので止めもしないし、「行こう」と張り切るのだ。
◆◆◆
屋上へと出る。
芹が雇った警護人は干渉はしてこない。危険が及んだ時にだけ出て来てくれる。だから、サボった事はバレない。
付いて来られるのは好きではないが彼らも仕事だと分かっているし、何より仕事熱心なので嫌いでもない。
守られながらお昼食べるのは慣れてきた。
「天気いいねえ」
捺那は空を見上げている。
「そうだね」
鈴白は持ってきた弁当を広げた。
「すげえ、豪華」
捺那は目をキラキラさせて弁当箱を見つめる。
「父さんにも同じ物渡した」
「芹さん喜んだでしょ? 鈴白の料理好きだから」
「喜んでた」
「でしょう? 何から食べようかなあ」
ワクワクしながら弁当のおかずを選ぶ捺那を見ながら「父さんに何か言った?」と聞く。
「先ずは唐揚げだな……何が?」
鳥の唐揚げを箸で掴むと聞き返す。
「今朝……何か言いたい事はないかって聞かれたからさ」
「何か言いたい事? 鈴白あるの?」
捺那はしれっと嘘をつく。芹が何か言いたい事はないかと聞いたのは確実に捺那が言った事に影響されている。
「……ないけど」
鈴白はプチトマトを手にすると口に運ぶ。
「唐揚げうまっ!!!」
鳥の唐揚げを食べた捺那は感動で声が大きくなる。
「ありがとう」
捺那はいつも大袈裟というかかなり、嬉しくなる反応をしてくれるから作りがいがある。
そして、本当に美味しそうに食べてくれるのだ。
「鈴白の作る唐揚げが一番好きだなあ……どこで食べるより本当に美味しい」
「大袈裟だな」
笑いながらに言うけれど、かなり嬉しい。
捺那は結構な大食い。少食そうに見える癖にラーメンの後に定食を軽く平らげる。
あっという間に弁当は空になった。
「相変わらずのいい食いっぷり」
「そりゃあ、美味いからな」
満足げにお腹をポンポンと二回叩く捺那。
「で、サボった理由は何?」
「えっ? 何が?」
「鈴白ってクソ真面目じゃんか! 皆サボる事も鈴白はサボらない、教授達の中で鈴白ってすごく優秀な生徒なんだぜ? 知ってた?」
「なんじゃそりゃ……知らないし……俺は真面目じゃないよ……ただ、知らない事を知っていくって楽しいから」
「本当に自覚ないんだなあ鈴白って……そういう発言が真面目なんだって」
捺那は笑いながら鈴白の背中をバンバン叩く。
「捺那は知らない事知るの楽しくない?」
「楽しいよ? 楽しいけれど怖い」
「えっ?」
怖い……そんな事思った事もない鈴白は少し驚く。知る事を怖いなんて思った事は一度もない。
「知らなくていい事もありそうだし……俺はどうしても先が分からないんだ」
「何それ? なんで?」
「……俺ね、小学校低学年の頃に大人が話しているのを聞いたんだ……Ωはあまり役に立っていないって……高学年になると性教育されるじゃん? 男女の身体の違いもそうだけど、αとかΩとかβとかさ……その時、ああ、俺って人と違うんだって思った」
「……何だよそれ……誰が言ったんだよ? 大人って先生達?」
鈴白は顔面蒼白で声が震えていた。
鈴白も学校で習った。小学生の時はクラスは違ったからどんな風に説明していたのか分からない。鈴白のクラスの先生は多少違いがあるだけで、皆同じだと教えていた。差別なんてしていなかった。
捺那のクラスの先生が常識ある先生だったのか? と今更だけれど、捺那が言う大人は先生しかいない。
教育者なのに。将来、自分の言葉に左右されるとか考えれば分かる事だ。
「Ωはただ、発情期の時だけのほんの一時だけじゃん何も出来なくなるのは……あとは何も変わらない!」
「何で……鈴白がそんな傷ついた顔をしてんの?」
捺那は鈴白をギュッと抱き締めた。
「だって」
「鈴白と芹さんはやっぱり親子だよね」
「はあ? 何でここで父さんが出てくるんだよ」
「芹さんに言われたんだ……俺が将来何になりたいか分からないし、考えてられないって言ったら。別にΩを理由にして諦めているつもりはないよ? ただ……どんなに頑張ってもαみたいな地位につけるわけじゃないし……あ、嫌味じゃないからね? どうしても子供の頃に聞いた、どんなに頑張っても報われないのがΩだって言葉が離れない」
「本当、誰だよ! そんな事言った奴!! 殴ってやるから」
「馬鹿……そんなの殴る価値ないじゃん、鈴白が傷つくよ」
興奮する鈴白をギュッと抱き込む。
捺那はこんな時でも優しい。
「今の俺だったら、そいつを自分で殴ってやってるよ……あの頃は子供だったからさ」
捺那は鈴白の頭をポンポンと軽く叩いた。
「捺那……」
鈴白は捺那を見つめる。
すごく綺麗で……そして、誰かに似ているとも思った。
顔が? 生き方が? 雰囲気?
ああ、言葉だと誰かに似ているという誰かを思い出した。
芹だ。
芹が自分で殴るってよく使っていた気がする。
他人を巻き込みたくない彼は誰かが傷つくならば自分が全てやるタイプだ。
潔くてカッコイイ。
「捺那は綺麗だけど、男前だよね」
捺那に微笑む鈴白。
「なんじゃそりゃ?」
捺那も思わず笑う。
「……なんか、甘い匂いする」
鈴白は捺那の首筋に鼻を近付けた。
「甘い匂い? どーなつ?」
「何でどーなつ?」
クスクス笑う鈴白。でも、本当に甘い匂いがする。
「捺那の匂い?」
首筋からほのかに香る甘い匂い。それはすごく良い香りで心臓がドキドキしてくるのだ。
「鈴白?」
首筋から離れない鈴白に声をかける。
ペロっとした感触がして「なに?」と捺那は驚く。
ペロとした感触は首筋を這い、口元へ。
「すず……」
彼の名前を呼ぶ前に唇を塞がれた。
突然の事に捺那は戸惑った。唇に触れる鈴白の熱い唇……そして、ぬるりと舌が中に入ってきた。
その舌は捺那の舌を掴まえると絡んできた。
「んんっ……」
熱い……すごく熱い感覚。
嫌だと突き飛ばしてもいいはずなのに……捺那も気持ち良くなってきて、鈴白をギュッと更に強く抱き締めながら自分も舌を絡めた。
絡み合う音が互いの耳に届く。
しばらくして唇が離れたがどちらともなくまた、キスを求めた。
そして、いつの間にか鈴白が下で捺那が上に乗り、抱き合ってキスを何度も繰り返した。
◆◆◆
お昼の予鈴が鳴って、二人は我に返る。
上に居る捺那は真っ赤な顔をして鈴白から離れた。
鈴白も起き上がる。
そして、しばし流れる沈黙の時間。
「……ちょ、何か話してよ」
黙っているのがもどかしいのか捺那が言葉を発した。
「……ごめん、なんか匂いにおかしくなって」
鈴白は俯いたままに答える。
「何で謝るんだよ?」
「だって、初めてだろ? キス……」
「す、鈴白だってそうだろーが!」
「そうだけど……初めてのキスを奪っちゃった感じになって……その」
その後はモゴモゴと言葉に出来ない鈴白。
「……何? 後悔してんの?」
「し、してない」
鈴白は顔を上げて捺那を見た。
「やっとこっち見た」
捺那は鈴白に微笑む。
その顔に鈴白は顔を赤らめる。
「何、その顔……可愛いんだけど」
顔が赤い鈴白が可愛くて、ついそう言った。
「か、可愛いとか言うな」
鈴白はまた視線をそらすようにそっぽを向く。
「鈴白、こっち見てよ」
捺那は鈴白の肩に手を置く。
こっち見て言われても恥ずかしくて見れない。
「……キス、気持ち良かった」
思わず吹き出しそうになった捺那の言葉。
「鈴白、本当に初めて? すごく気持ち良かったけど?」
「は、初めてだよ!」
鈴白は捺那の顔の方を向くと必死に言った。
「あはは、鈴白をこっち向かせるの楽勝な気がしてきた」
ニコッと微笑まれて鈴白は「何だよそれは……恥ずかしいだろ」と顔は背けなかったが目を伏せた。
「鈴白、まつ毛長いよね」
目を伏せた鈴白のまつ毛は長くてクルリと上へ向いている。
「捺那の方が長いだろ!」
目線を上げると「ね? 楽勝」と捺那はイタズラっ子みたいに笑う。
やっぱ……敵わないな。と鈴白も釣られて笑った。
「とりあえず、戻ろう?」
捺那は立ち上がる。
「うん」
鈴白も立ち上がった。
屋上から戻るためにドアを開けるとそこに芹が雇った身辺警護人の二人が居てキスしていたのを見られたんじゃないかな? って顔が熱くなる鈴白。
捺那をチラリと見るが何時もと変わらない。流石……捺那と思った。
彼らの間をすり抜けて中へ戻る。
鈴白は講義に出ようにも途中だしな……なんて考えながら「図書室行っていい?」本を探しながら時間をつぶそうかな? と思った。
「いいよ」
捺那と別行動しても良いのだが、今離れると次にまた照れてしまうかもしれないと彼を誘う。
◆◆◆
「鈴白、本好きだよね」
「うん」
図書室には講義に出なかった子や次の講義待の子達が結構居た。
「ちょっと、本探してくる」
鈴白は捺那にそう言って本が沢山並ぶ棚へと向かう。
その間、捺那は椅子に座り、ポケットからスマホを取り出す。
芹さん……仕事中かなあ?
俺……キスしちゃったよ芹さん。昨日、芹さんにキスねだったのに。
鈴白が照れるから捺那は照れる事を忘れていた……そして、今頃、キスしたという事実を真っ向から受け止めてしまったものだから顔が熱くなってきた。
◆◆◆
本を探している鈴白の肩を誰か叩いた。
振り向くと知らない男性。
誰だろう? と首を傾げる。
「これ、君のだろ?」
男性は鈴白に学生証を差し出す。
「えっ? あっ、俺の」
いつ落としたのだろう? と受け取ると「ありがとうございます」と頭を下げる。
「芹さん元気?」
「えっ?」
知らない男性から芹の名前が出て、芹の知り合いかと思う。確かに年齢が芹に近いかな?
「……父の知り合いですか?」
恐る恐る聞いてみた。
「何? 警戒してる?」
男性はニコッと静かに微笑んだ。
「……あの」
警戒はするだろう? 知らない相手だから。と言いたいけれどそれは言えない。
「ふふ、困らせちゃってるね。ごめんね」
男性は鈴白の横を通り過ぎる途中で「君、αだよね?」と聞いた。
「えっ?」
「αっぽさがないなあって……そのΩ特有の綺麗さとか……出ちゃってるし」
「何が言いたいんですか?」
鈴白はなぜか心臓がバクバクと速まるのを感じていた。
「君の秘密……知ってるからさ」
「は?」
俺の秘密?
秘密って何?
「鈴白、本見つかった?」
捺那の声が聞こえ、「じゃあーね」と男性は鈴白から離れた。
秘密の意味を知りたいと思った。でも、それは知ってはいけないと本能が教えているのか足が動かない。
「鈴白?」
捺那が側にきて肩を叩いた。
「捺那……」
「何?」
「……気持ち悪い……」
鈴白はその場に座り込んだ。
捺那が直ぐに身辺警護人の二人を呼び、三人がかりで鈴白を連れ帰った。
◆◆◆
君ってαだよね?
どうして、あの人はあんな事を聞いたのだろう?
俺の秘密って何?
Ω特有って何?
……でも、自分でも自分がαなのかな? と感じた事があった。
Ωの捺那の方がαっぽくて……でも、捺那もΩ特有の美しさがある。
顔立ちが女性に近いαも居るし……そもそも、芹が顔立ち良いのだからと思う。
「鈴白、大丈夫?」
目を開けた鈴白の視界に飛び込んだのは捺那の心配そうな顔。
「捺那……」
「目が覚めたって先生と芹さん呼んでくるね」
捺那はバタバタと走って行った。
自分の部屋に居るな……と身体を少し起こして周りを見た。
図書室で気分悪くなったんだと思い出す。
ああ、そうだ……あの知らない人に声をかけられて、その後に気持ち悪くなったんだ。
「鈴白、大丈夫か?」
芹の声が聞こえて、彼の手のひらが額に当てられた。
「……仕事は?」
「何言ってんだ、もう終わったよ」
「えっ? 今、何時?」
「夜九時」
「えっ! 夕飯」
鈴白は起き上がろうとしたが芹に押さえられた。
「お前、熱あるんだから」
「鈴白君」
芹の後ろから相澤の声。
「先生……」
「診察していいかい?」
「はい……」
まさか、また注射? と鈴白は少し身構える。でも、脈や触診だけで注射はなくてホッとした。
「……もしかして、匂いとかに反応した?」
相澤の言葉に一気に捺那とのキスを思い出して顔が熱くなる。
「あはは、正直だね……」
相澤はそう言って笑うと「発情期……もう直ぐ来るのかもな」と芹を見る。
発情期……。
その言葉で、自分のあの行動の意味が分かった。
発情期で捺那にキスしてしまったのか?
えっ? 発情期って……誰にでもああなるの?
嘘だろ? と鈴白はショックを受ける。
もし、あの時、捺那じゃなくて他の誰かだったら、その時も無我夢中でキスをしたのだろうか?
「やだ……」
ボソッと小さく声にした。
嫌だ……あんな風に見境なくなるのが発情期なら、こない方がいい。
「鈴白? どうした?」
鈴白の様子がおかしい事に気付いた芹は鈴白の顔を覗き込む。
「は、発情期って……やだ」
「鈴白……」
「なんか、怖い」
それは鈴白の本音。迎えた事もない発情期が怖い。自分が自分でなくなりそうで怖い。
「鈴白君大丈夫だよ、落ち着いて」
相澤が芹と鈴白の間に入った。
「匂いに反応するのは無差別かもしれないって思っているんだろ?」
まさにズバリな質問。
「確かに惑わされるかもしれないけれど、ちゃんと耐えられるよ、君が反応したのは相手を好きだからだよ」
「えっ?」
「捺那君の匂いに反応しちゃったんだろ? 彼も発情期そろそろみたいだから、それに君も反応しちゃったんだよ」
捺那も発情期?
えっ? えっ? ……じゃあ、捺那があんなに乱れたのは……うひゃー!!! と一気に顔が赤くなる。
「なるほど……相手は捺那か」
芹がニヤリと笑う。
父親に知られてしまうのはかなり恥ずかしいものだった。
ちくしょー!!!
鈴白はシーツをかぶって隠れたかった。
「身体がビックリしただけだから熱も直ぐに下がるよ……でも、念のために明日は安静にしててね」
相澤に言われて鈴白は頷くしかない。
「芹、後で話がある」
相澤は芹にそう言うと相澤は部屋を出て行った。
「何だよ、何ニヤニヤしてんだよ」
ニヤニヤしながら自分を見ている芹がすごく嫌だった。絶対にからかいそうだし、父親に知られるのはやはり恥ずかしい。
「そうか、鈴白ももう大人か」
やはり頭をグリグリ撫でられた。
「もう! 止めろってば!!」
鈴白は手を弾くと「寝る!」とシーツを頭からかぶった。
「何怒ってんだよ」
「怒ってない!」
「じゃあ、照れてる?」
「あー、もううるさい! あっち行けよ」
「はいはい」
これ以上からかうと本気で怒りそうなので芹は部屋を出ようとする。
「父さん……」
「何?」
「俺ってαだよね?」
「どうした急に?」
「αだよね?」
もう一度聞く鈴白。
「そうだよ? ちゃんと検査の結果を見ただろ?」
「……ならいい」
鈴白はそれ以上何も言ってこないのでが「おやすみ」と言葉をかけて、芹は彼の部屋を出る。
◆◆◆
捺那も相澤に話を聞いていた。
やはり……あの時のキスはそうなのかと思った。
クソ!! 思い出しちゃうだろう?
図書室でも思い出して悶え死にそうだった。
いつもおとなしい鈴白があの時はすごく男らしくて激しくて……ドキッとした。
「明日、捺那君、病院へおいで」
「鈴白も?」
「鈴白君は熱下がらなかったらね……でも、君は発情期を迎えたら大変だから」
ああ……そうか。とαとΩの違いをまた思い知らされる。
「分かりました」
「捺那、相澤を送ってくるから鈴白を頼む」
芹が戻ってきた。
「うん、分かった」
芹と入れ代わりに捺那は鈴白の部屋に入る。
◆◆◆
「鈴白、お腹空いてない?」
ベッドに近付き、声をかける。
「父さんは?」
「先生送って行ったよ」
その言葉で鈴白はシーツから顔を出す。
「昨日と逆だね」
捺那はベッドの端に座った。
「うん、そうだね」
「お粥作ろうか? 鈴白みたいに美味く作れないと思うけど」
捺那は立ち上がる。
「行かないで」
捺那の手をギュッと掴む鈴白。
「どうしたの?」
捺那がそう聞いた時に掴まれた手を勢い良く引っ張られて鈴白の上に覆いかぶさる形になった。
「うわっ」
いきなりだったので驚いて声を上げる捺那。
「寝るまで側に居て」
鈴白は自分の上に居る捺那をギュッと抱き締める。
「なんか……あった?」
「……」
鈴白は答えない。
「いいよ、一緒に居てあげる」
捺那は鈴白の上から横へ移動をし、シーツの中へ入ってきた。
「本当に具合が悪いんだね……鈴白が甘える時って具合悪い時だから……ほら、良く芹さんに抱きついてた」
話し掛ける捺那だが、鈴白は黙って彼の胸に顔を寄せる。
可愛い仕草に捺那はその頭を抱き締める。
そして、ヨシヨシと頭を撫でた。
「捺那……発情期って怖くない?」
「えっ?」
「キス……したの発情期だったから。俺見境ない感じがして相澤先生に発情期がくるからって言われた時に怖かったんだ……自分じゃないみたいで」
「鈴白……」
「もし、あの場所に捺那以外が居てもああなるのかな? って」
鈴白が心配になるのは仕方がない事。まだ、体験をしていないから。
未知の事を知ったりすると不安というか何か得体のしれないモノがやってくる恐怖で身体が強ばってしまう。
「……俺の匂いに反応したんだと思う。俺も怖い……もし、鈴白や芹さんが居ないとこで発情期を迎えちゃったら……好きでもないαを誘っちゃうのかな? って……鈴白がαだから俺の匂いに誘発されちゃったんだ」
「相澤先生は好きな相手だから匂いに反応したんだって言ってくれた」
鈴白は顔を上げて捺那を見つめる。
それは遠回しだが告白だ。
ずっと、幼馴染として……いや、家族に近い存在で生活してきたけれど、好きな気持ちは変わらない。
発情期が来なかったら言わずにいたかな? なんても思う。
じゃあ、これも……発情期のせい?
好きだから一緒に居たい、何かしてあげたい。ご飯を一緒に食べたい。遊びたい……そんな性欲がない好きから、キスしたい……触りたい……その先もの、性欲が混じった好きに変わる。
自然の流れなのだろうけれど、今まで感じた事がない欲に気付くのは怖くもある。
自分が自分でなくなるような不安と恐怖。
「……わ、わかんないけど、俺……気持ち良かったんだ鈴白とキスして……嫌じゃなかった。すごく……俺……」
捺那も鈴白を見つめ返して、そのまま自然にキスを交わした。
軽いキスから離れると「今のキスも嫌じゃない……これって俺が淫乱だからかな?」捺那は真剣な顔で鈴白に聞く。
「捺那は淫乱じゃないよ」
「本当? 淫らに他の誰か誘ったりしないよね?」
捺那も不安を言葉にする。
「何時も側に居るから……」
「鈴白が側に居てくれるなら怖くないかな?」
ふふっと笑う捺那。
「ねえ、俺がαだから捺那の匂いに反応したんだよね」
「えっ? またそこ蒸し返す?」
「今日……知らない人に君は本当にα? って聞かれたから」
「えっ? 何それ?」
捺那は驚いたように声を上げる。
「綺麗な人だった……父さんを知ってるみたいだった……誰なんだろう?」
君の秘密……って、俺の秘密って何?
それが気になるし、不安だ。
「鈴白はαだろ! 病院で検査してるんだし」
「うん……そうなんだけど」
「そいつ、何でそんな事言ったの?」
「俺にΩ特有の特徴があるからって」
「何それ?」
「俺がΩ特有の綺麗さがあるからって……俺って綺麗とか言われても……」
「確かに鈴白は綺麗だけど、それは芹さんに似てるからじゃん!」
芹に似ている。本当かな? 性格も気品も迫力も何もかも似ていないのに?
顔つきだって似ている所がない。
「父さんと俺って顔は似ていないよ?」
「鈴白は母親似なんでしょ? 前に芹さんが言ってたよ、そっくりだって」
「俺……知らないんだ母さんの顔」
「あっ……」
確かにと捺那も言いそうになる。
家に鈴白の母親の写真が一枚もないのだ。
「前にどうして写真がないのか聞いたら自分が思い出して辛くなるからって言われて」
「そっか、鈴白も恋しがるからかな?」
「……恋しがるって俺を産んで直ぐに事故で亡くなったって言ってたから思い出も何もないよ? 捺那は覚えてる? その……」
鈴白が戸惑いながらに聞く捺那の両親の事。
火事で亡くなった捺那の両親。
「うん、ところどころはね……全部は覚えてないよ? 遊園地連れて行ってもらった事とか……お母さんの作るケーキが美味しかったとか、お父さんが玩具をいつも買ってくれたとかそんな事ばっかなら覚えてる」
「顔は覚えてるだろ?」
「……うん、でも、薄らとだよ。小さかったから……写真、燃えちゃったからないけど」
捺那の声が急に元気がなくなって「ごめん」と鈴白は慌てて捺那をギュッと抱き締めた。
「悲しい事思い出させた」
「……ううん」
捺那は鈴白の胸に顔を埋める。
「……鈴白、やっぱいい匂いする……発情期?」
捺那はクンクンと匂いを嗅ぐ。
芹もこんな匂いをさせていた。
あれ? じゃあ、あの時……芹さん発情期だった?
「芹さん……発情期の時って帰ってこないよね……。俺、気付いたんだ。半年に一度だよね? 発情期って。芹さん、半年に一度、全く帰って来なかった日があったのはそういう事かって思った」
「えっ? えっ?」
突然の父親の発情期とか……恥ずかしいし、あまり聞きたくはない話題。
「何時もは一緒に居るのに……仕事って言ってたけど、本当は発情期のためだったんだね……多分、子供の俺達に影響与えないようにさ」
鈴白は芹の発情期とか考えた事はなかった。
父親だし、性の事なんて気にしていなかった。
「大変なんだな……発情期とかやっぱり」
捺那は改めて感じた。
αである芹の匂いに自分も反応してしまったから……もし、それにもっと早く気付いていたら発情期はもっと早くきたのだろうか?
「捺那は……父さんが好き?」
「えっ?」
「見ていて……分かるよ、捺那が父さんが好きだって……俺、気付かないようにしていたけどさ、父さんには敵わないし」
「鈴白……」
「でも、でも、俺も捺那が好きだ」
鈴白は捺那を抱き締める。
その時にまたフワリと甘い香りを放った。
「……鈴白……すごく甘い……」
捺那は鈴白に手を伸ばして頬に手をあてる。
そして、鈴白にキスをする。
軽くキスされ、鈴白は離れそうになる唇に自分から強く押し付けると捺那を組み敷いた。
軽いキスから屋上の時のような激しいキスに変わる。
捺那は鈴白の首筋に両手を回し、自らも舌を鈴白の口内へ入れると絡ませた。
絡み合う舌は生き物みたいだった。
◆◆◆
「だから言ったろ? 遅らせても結局は来るんだから」
車内で相澤は運転する芹に言う。
「……発情期、遅らせたのは俺のためだ」
「は?」
「……発情期がきてしまったら俺が抑えられなくなるだろ? 何のために半年に一度あの子達から離れていたと……理性がきかなくなって……抱いてしまいそうになる」
「芹……」
「……俺はきっと狂ってる。また、同じ過ちを繰り返すんだ」
もう、自分でもどうしようもない。
きっと、このままじゃ、鈴白を無理やり抱いてしまいそうだ。
また……同じ過ちを繰り返す。
俺はただ……もう一度、あの笑顔が見たかっただけなんだ。
もう一度、望んだ道を歩んで欲しかったんだ。
『 芹はカッコイイね』
そう言ってまた笑って欲しかっただけなんだ。
でも……それは全て俺のエゴだ。
◆◆◆
「ほら、コーヒー」
相澤は芹にコーヒーを渡す。
芹は相澤のマンションに来ていた。
「お前が取り乱すの見るの好きだぜ?」
ふふっと笑う相澤。
「ドSかよ」
コーヒーを飲みながらに言う。
「芹もドSだけど、精神的ドMだよな」
「なんだよ、それは」
「自分で自分を追い込むドM」
「クソったれ」
芹は笑う。
……ふと、香りがした。
「この匂い……」
芹はその匂いに反応する。
「匂い?」
相澤はキョトンとする。何を言っているのだろうという顔で。
「花の匂い……」
「あっ!」
花の匂いという言葉で相澤はベランダを開けた。
開けた瞬間、匂いが部屋に入り込んできた。
「芹、鼻いいなあ……ちょうど、花が咲いてる」
「……いや、お前の鼻がおかしいんだよ、こんなに強い花の香りなのに」
芹は呆れ顔で相澤を見る。
「コーヒー挽いてただろーが!」
と匂いに気付かなかったのはコーヒーのせいだと主張する。
「久しぶりに見たな……なんでお前がこの花育ててるんだよ?」
「月下美人? 知り合いに苗をもらったんだよ」
相澤のベランダに咲くのは月下美人。
夜にしか咲かない花。
「この花ってお前みたいだよな」
「は?」
「花言葉は秘めた情熱っていうんだよ、一晩で花を散らす潔さと、気品に溢れている姿と匂いの強さ……。うん、芹っぽい」
相澤はそう言って笑う。
『 芹みたいだよね』
前にも言われた。
「はかない恋……」
「ああ、その花言葉もだな」
はかない恋。秘めた情熱。
俺よりもアイツに似合う言葉。
手に届かない存在。
「芹?」
「鈴鳴が好きだった花だよ」
芹はそう言ってベランダの窓を閉めた。閉めても香りは残っている。
この香りは良く似ている。
鈴鳴が放つ匂いに。
「芹……」
「帰るよ」
芹はカップを相澤に押し付けると上着を持つ。
「なあ、芹……これから先どうするんだよ?」
「さあね……」
相澤に背を向けたまま、手を振るとマンションを出た。
◆◆◆
家に着き、鈴白の様子を見に彼の部屋に顔を出す。
そこには鈴白と捺那が仲良くベッドに眠っていた。
服は着ている。
乱れた様子もない……ただ、一緒に寝ているだけのようで笑ってしまった。
発情期が近いのに子供みたいで……。
芹はベッドに近付き、鈴白の頭を撫でた。
「久しぶりに月下美人を見たよ……やっぱり、良く似ている」
そう呟きながら撫でる。
ただ、幸せになって欲しい。それだけ。
それだけのためなら何でも差し出す。
鈴白と……捺那のためなら。
芹は手を伸ばし、捺那の髪も撫でる。
「ごめんな……」
そのごめんに色々な意味が込められている事を、二人はまだ知らない。
◆◆◆
美味しそうな匂いで捺那は目を覚ました。
起き上がって鈴白を見ると可愛い寝顔で和んでしまう。
額に手を当てる。
熱は微熱かなあ? と自分の体温で熱いのか鈴白が熱いのか分からない。
とりあえずは体温計? と捺那はベッドから降りてリビングへ。
そして、そこで良い匂いの正体が分かった。
「よう、おはよう」
芹が朝ご飯を作っていた。
「芹さん」
捺那は芹の側へ駆け寄る。
「鈴白は?」
「微熱かな? 体温計持っていこうって思って」
「俺が後で様子見に行くから捺那はテーブルに皿並べて」
「うん!」
素直に食器棚から皿を出す捺那。
「芹さんがご飯作るの久しぶりで嬉しいな」
ニコニコしながらテーブルに皿を置く。
彼らが幼い頃は芹が料理を作ってくれていた。
仕事で忙しい時は雇われたお手伝いさんに作ってもらっていたけれど、芹の作る料理は美味しかった。
「鈴白が料理美味いのは芹さんの血だよね」
「いや、元々才能があるんだよ」
「確かに鈴白は料理の才能すごいよねえ……本当、料理の道に進めばいいのに」
捺那は寂しそうに言う。
「鈴白が自分からやりたいって言えば反対はしないよ」
「うん……芹さんはそうだよね。優しいお父さん」
「捺那にも優しいお父さんだぞ?」
芹は作った料理を持って捺那の側にきた。
「芹さん……俺ね、芹さんが好き」
真っ直ぐに芹を見つめる捺那。
「捺那……それはダメだって言っただろう?」
「うん……言ったね」
「俺は期待には応えられないよ」
「分かってる……でも、気持ちは伝えたかったんだ」
「捺那……」
「でも、気付いた……俺の好きはきっと違う。親を亡くして辛くて悲しい時に芹さんが優しくしてくれたから勘違いしたんだ」
捺那は芹の肩に顔を寄せた。
「誰かに愛されたいって」
「愛しているよ」
芹は捺那の髪にキスをする。
その愛しているよは恋愛感情の愛しているとは違うとちゃんと分かる。
「ありがとう芹さん」
捺那は顔を上げて可愛く微笑んだ。
「さて、鈴白を起こしてくるから」
捺那の頭をポンポンと軽く叩くと鈴白の部屋へと行く。
◆◆◆
鈴白は爆睡中。
彼の額に手を当てるとまだ少し熱い。
こりゃ、病院かな? と鈴白の肩を掴み「起きろ」と身体を揺する。
「ん……」
鈴白は寝返りを打つが起きない。
「鈴白、起きろ!」
もう少し強く身体を揺すると「んーまだ、寝る……」と言って芹に抱き着いてきた。
寝惚けているみたいで可愛い。
でも、次の瞬間……甘くて強い香りを感じた。
あの花と似ている香り。
鈴鳴と同じ香り。
「すずな……」
思わず名前を口にした。
この香りは……ダメだ。理性が保てない。
「クソ!!」
芹はその欲望を抑え込み、「こら、起きろ!」と耳元で叫んだ。
「ん……」
大きな声に目を開けた鈴白。
しばらく沈黙して「うわっ!!」と離れた。
「お前、失礼だろ? 自分から抱き着いてきて」
「そ、そんなわけない!」
鈴白は恥ずかしいのか顔が真っ赤だ。
そんな可愛い態度を取られるとどうしても芹の中のドSが疼いて「パパ抱っこって言ってたぞ?」と言ってもいない事でからかう。
「う、嘘だ!!」
「鈴白は甘えん坊だもんなあ」
ニヤニヤされて鈴白はますます顔が赤くなる。
「芹さん、そろそろ止めてあげないと鈴白拗ねるよ?」
真後ろから捺那の声。
「体温計忘れて行ったでしょ?」
捺那は芹に体温計を渡す。
「そうだな、直ぐに拗ねるからな」
「拗ねないよ!」
ムキになる鈴白。
「熱測れ」
鈴白に体温計を渡す。
嫌だと言っても無理やり測られされそうだし、素直に熱を測る。
「芹さんが朝ご飯作ってくれたよ?」
捺那は嬉しそうに報告。
「食べられそうなら食べようよ」
可愛く微笑まれて「うん」と鈴白は返事をする。
◆◆◆
芹が作った料理を久しぶりに食べた鈴白。
「やっぱ、父さんも美味いよねえ……敵わないかも」
食べた後にそう言った鈴白。
「何言ってんだよ、お前がかなり上だよ、腕も味もね」
芹は食器を重ねる。
「芹さん俺が洗うよ」
捺那も芹を手伝う。
「じゃあ、俺も」
椅子から立とうとする鈴白に「お前はダメ!!」と芹と捺那の声が揃う。
二人に言われてしまうと……もう、素直に従う他なくて、椅子に座り直す。
キッチンに芹と捺那が仲良く並び片付けをしているのをぼんやりと見つめる鈴白。
芹と捺那はどこか似ている。
雰囲気とか仕草とか……。芹が若く見えるから兄弟と言っても通じるかもしれないなと鈴白は思う。
それに比べて……本当に自分は芹に似ている所が一つもない。
共通点はαというだけ。
でも……「君はαだよね?」という言葉が気になる。
Ωの特徴。
捺那を見つめる……捺那はΩで。
でも、性格や行動力とか……芹寄り。
「父さん」
「何だよ?」
「お母さんの写真って全部処分したんだよね?」
「は? 何だよ突然」
芹は鈴白の方を振り向く。
「俺ってお母さん似なんだよね?」
「そうだよ?」
「そっか……」
鈴白はそれだけ確認すると黙ってしまった。
芹に昨日会った人の事を聞こうかと思ったけれど、なぜか怖くなった。
芹と離れてしまうんじゃないかって得体のしれない恐怖が一気に鈴白全体を包み込んでしまったから。
◆◆◆
熱が下がらず、結局鈴白は病院に来ていた。
捺那ももちろん一緒。
鈴白は苦手な点滴を受けるはめになり診察室のベッドで横になっていた。
捺那は相澤に呼ばれて何か話をしている。
多分、今後の事だろう。
一気に色々な事が起こってしまって鈴白も疲れていたので苦手な点滴を受けながら眠りにおちた。
◆◆◆
「捺那君、これからの事だけど」
相澤に説明を受ける捺那。その横に芹が居る。
鈴白が眠ってしまったので捺那に付き添っていた。
「発情期って……皆、こんなに不安になるんだね……皆すごいなあ」
捺那は思っている事を言葉にする。
「そうだね」
「相澤先生はαでしょ? 芹さんと同じ。αも辛いの?」
「直球でくるね」
子供の好奇心みたいな感じで聞いてくる捺那に苦笑いする相澤。
「俺……気付いたんだ。芹さんが居ない時って発情期だったって」
捺那は芹を見つめて微笑む。
「またそれ?」
「興味あるし、年頃だもんね」
悪戯っ子みたいに笑う捺那。
「捺那君、発情期きてもちゃんと番が居れば無差別にフェロモンは垂れ流さないで済むよ……後は薬だね」
「番……」
「そう、好きな子が居るんだろ? だいたい、好きな相手ができて発情期を迎えちゃう子が多いから」
「うん、芹さん」
捺那は即答したものだから芹は驚き、相澤は笑い出した。
「捺那!」
「あ、初恋って意味ね」
慌てる芹にニコッと笑う捺那。
「初恋かあ……いいねえ、甘酸っぱくて」
相澤はウンウンと頷いている。
「きっと、初恋だよ芹さんは……で、俺って結局、芹さんの子供だから鈴白が気になるのか鈴白の父親だったから芹さんが気になるのか分からないんだよねえ」
捺那は無邪気に笑う。
「本当にお前はぶっちゃけるよな」
芹は笑い出す。
「昨日、キスしたら……すごく気持ち良くってね、あ、やってないよ? まだね」
それもぶっちゃける捺那に大人達は笑うしかない。
「でもさ、俺ってΩなのに鈴白を抱きたいとか思っちゃうんだよ、淫乱かな?」
真顔で芹に聞く。
「だーかーら、お前はぶっちゃけ過ぎるだろーが!!」
「仕方ないじゃん? 俺はこういう性格だしさ……それに鈴白からキスしてきても結局は俺が組み敷くんだよねえ……抱いてくださいって言うより、抱かせろ派! 芹さんとか相澤先生は発情期の時こんな気持ちなんでしょ? どこで発散してるの?」
「捺那!!」
芹は彼の口を塞ぎたい衝動にかられる。
「あはは、捺那君って芹のミニチュアみたいだよねえ。若い頃っていうか君と同じ年頃の時の芹って君みたいな感じでサバサバしてたよ、似てる」
相澤はそう言って大笑いする。
「それに大丈夫だよ、俺にも相手いるし、そこで発散するねえ」
と相澤もぶっちゃける。
「相澤先生結婚してないよね? 恋人?」
「そう、恋人」
「結婚しないの?」
「お互い、変な言い方だけど、相性がいいんだよ……まあ、割り切った関係」
「エッチだけの関係?」
「いや……ちゃんとそれ以上の感情もあるよ」
ふふっと笑う相澤。
「芹さんは?」
「えっ? 俺も聞くのか?」
「だって……気になる」
「俺は……適当にやってるよ」
「再婚しないよね? 鈴白のお母さんの事がまだ好きなの?」
「……そうだね」
そう言って微笑んだ芹はどこか寂しそうで、聞かなければ良かったなって思ってしまった。
◆◆◆
あの時、動揺したのを必死に押し込めた。
鈴白に母親の写真を聞かれた時。
小さい頃は良く母親が居ない事で泣かれた事がある。
どーして、ママが居ないの? と聞かれる度に辛かった。
子供にいくら説明したとしても寂しさを埋める事なんて出来ない。だから、二倍愛してやりたいと思った。
捺那に告白された時も……どうして良いか分からなかった。
二人を側に置いたのが間違いなのか……それとも鈴白を手にした事が過ちなのだろうか?
過去を責めてもどうにもならない。
生まれてしまった命を消す事なんてできはしない……。
芹には鈴白にも捺那にも言えない秘密がある。
鈴白の秘密を知っているのは自分と相澤だけ……。
いや、あと一人居る。
ふと、今朝の鈴白の様子がおかしい事に気付く。
前から、芹に引け目を感じて自信なさげな鈴白だったけれど、何か違う。
母親の事も幼い頃にひどくぐずった時以来、言わなかったのに?
発情期が近付いて情緒不安定のせい?
なんだろう? すごく胸騒ぎがする。
捺那の診察が終わり、「鈴白起きてるかもだから」と鈴白の側に行かせると相澤に「七瀬は今、どうしてる?」と聞いた。
「七瀬? どうして? まだ、入院中だろ?」
「まだ、本当に入院中なのか?」
「退院するなら俺が芹に連絡行くようになってるだろ?」
「……そうだよな」
「何だよ突然?」
「……いや、ここんとこ鈴白がおかしいから」
「発情期……近いからだろ?」
「それだけならいいけど……」
それでも、胸騒ぎはおさまらない。
◆◆◆
捺那が鈴白の元に行くと彼はまだ眠っていた。
「ふふ、可愛い」
寝顔が可愛くて頬をツンツンとつつく。
ベッドの側に置いてある丸椅子に座り、鈴白の寝顔を見つめる。
なんだか不思議だ。
つい、最近までは兄弟みたいな感情だったのに……あの時のキスで自分の中にある本当の気持ちに気付いてしまった。
芹を好きだと思い込んでいただけなのかもしれない。
寂しい心を包み込んでくれた芹に父親を重ねて、それが恋愛感情だと思っていた。
「あの甘い匂い……知ってる」
捺那は鈴白の手を取り、自分の手のひらと重ねてそのまま指を絡ませて恋人つなぎをする。
芹から香ってきた匂い。発情期特有のフェロモンで……その香りを昔嗅いだ事があった。
火事現場に飛び込んできてくれた人。
その人と同じ匂い。
間違う事がない。フェロモンは人それぞれ違う。同じ匂いの人が居るわけがない。
だから、自分を助けてくれたのは芹だ。
直ぐに上着をかけられたから顔は見れなかったけれど。
「大丈夫か?」と発せられた声は芹のものだ。
「そっか、あれは芹さんか……」
改めて芹はすごいと思う。熱くて死んじゃいそうでオレンジの炎は綺麗だったけれど、全てを飲み込んだ怖いものだ。
芹はその中に飛び込んで助てくれた。
「すごいなあ芹さん」
そりゃ好きになるでしょ? と思う。
でも、鈴白も気になる。
いつも、側に居てくれて、寂しい時は一緒に寝て、心を癒やしてくれた。
一番近い存在は鈴白だ。
「俺……きっと鈴白が好き」
「それ、本当?」
その声にギョッとして鈴白を見ると目を開けていた。
「起きてた?」
「うん、手を握られて起きた」
「あ、ごめん起こして」
「ううん、衝撃の告白が聞けたから」
鈴白は嬉しそうに笑う。
捺那は顔が赤くなり「ちくしょう」と照れ隠しで暴言を吐く。
「俺も好き」
鈴白に告白された捺那は……そのまま鈴白にキスをする。
◆◆◆
芹は電話で七瀬の事を問い合わせた。
まだ、入院中と答えが返ってきたので少し安心した。
「芹」
相澤の声がして振り向く。
「七瀬の事聞いてるのか? お前、本当どうした?」
芹はポケットにスマホを突っ込み「何でもないよ」と笑ってごまかした。
「鈴白君起きたよ」
「ありがとう、連れて帰る」
芹は二人の元へと戻った。
◆◆◆
「帰りにスーパー寄って」
病院からの帰り道、後部座席の鈴白は運転する芹にお願いをする。
「スーパー?」
「うん、食材買いたい」
「まさか、お前帰ってから作る気か?」
「作るよ?」
「今日はダメだ! おとなしくしてろ」
「でも、明日作るにしても食材ないよ?」
「後で買い物頼むからいい、とにかく真っ直ぐ帰るからな」
芹は真っ直ぐに車を走らせる。信号を左に行けばスーパーなのだが、どこにも寄らずに帰りたかった。
まだ、胸騒ぎがおさまらない。ただ、それだけの理由。
心配し過ぎかもしれない。でも、用心に越した事はない。
「芹さんって過保護」
芹の胸騒ぎを知らない捺那は笑う。
「当たり前だ! 過保護で何が悪い! 鈴白も捺那も俺の大事な息子だ!」
これは本音。
過保護でいい。心配し過ぎでもいい。
大事なのだから。
「ふふ、じゃあ、俺も芹さんじゃなくてお父さんって呼ぼうかな?」
「突然何?」
芹と鈴白の言葉がかぶった。
「だって、俺が鈴白とくっつけば芹さんは本当のお父さんになるでしょ? 義父だけども」
「な、捺那」
鈴白は一気に顔を赤らめる。
「いーじゃん! ひとつ屋根の下に住んでるから隠し事なしね! それに鈴白が俺を好きだって芹さん知ってるし」
そーですよね! バレてますよねえ!! と鈴白は耳まで赤くする。
「はいはい、好きに呼べ」
芹は笑い出す。
「捺那あ……」
恥ずかしい鈴白は困った顔で捺那を見ている。
そんな顔も可愛くていいなって思う。
自分でも不思議だった。
芹を好きだったのに、今は鈴白に恋愛感情を抱いている。
発情期が近いから、お互いの匂いと気持ちの相性が良くて、一気に感情に溢れてしまっていて、戸惑うはずなのに楽しいのだ。
自分が言う事に一喜一憂する鈴白が可愛くて愛おしい。
淫乱でもいいかな?
生まれたばかりの感情を捺那はアッサリと受け入れた。
それがΩの性質かもしれない。でも、それとは別に心が……いや、魂が鈴白が良いと言っているのだ。
恋に落ちるのはほんの一瞬。
理由も何もいらないし、考えたくはない。ただ、魂が呼び合う……それだけだ。
きっと、こうなると知っていて芹は自分を拒んだのだと思った。
◆◆◆
体調は戻った鈴白。
あの時教えてもらった料理も作る事が出来た。
「やっぱ、鈴白の方が美味い」
捺那が幸せそうに言ってくれて、作って良かったなと鈴白も嬉しい。
片付けをしようとしていると芹が「俺がやるよ」と側にきた。
「えっ? いいのに」
「片付けが一番大変だろ? 捺那とイチャついてろよ」
ポンと頭を軽く叩かれた。
「もう!」
からかってくる芹は嫌いじゃない。そこに優しさがあるから。
鈴白がやりたいと口に出来ない事を言葉にして、しやすくしてくれているとある時気付いた。
芹なりの背中押し。
「鈴白……お前がやりたいようにしていいんだからな」
「へ?」
イチャついてろと言われた後なので鈴白は顔を赤らめる。
「今、何考えた?」
真っ赤な顔になった鈴白を見て笑う芹。
「えっ、ちが!!」
違うわけがない。ちょっとエッチな事を思ってしまったから。
「将来の事だよ……お前が本当はどうしたいのかちゃんと聞きたいし、それをやって欲しいと思う」
「父さん……」
鈴白の胸の奥にある気持ち。言えない気持ち……そこがざわつく。
「鈴白、お前は幸せになるために生まれてきたんだ、それを忘れるなよ……俺はお前に悲しい顔とかさせたくはない。笑ってる顔がみたい……それだけだよ」
芹は鈴白に近付くと頭を撫でた。
「お前はいつも言いたい事を言えなくて飲み込む癖があるからな……。小さい頃はちゃんと言えただろ? パパ、仕事行かないで側に居てとか……。いつから空気読むようになったんだ?」
芹の言葉にいつからだろ? と考えた。でも、いつの間にか芹の顔色をうかがうようになってしまっていた。
困らせているのかな? って。
俺は自慢の息子かな? って。いつの間にか考えるようになってしまっていた。
「鈴白は鈴白の魅力がある……それを忘れてはダメだ。それと、自分の中の才能もね」
芹は鈴白を引き寄せてると抱き締めた。
「ちゃんと自分がどうしたいか言っていいんだ……。俺を困らせるとかそんな事考えられたら俺が困る……。行きたい道を歩ませてやれない事が一番辛いんだから」
芹の言葉は乾いた時に飲む水みたいに心に染みて行く。そして、空っぽだと思っていた心を満たしていく。
「俺……父さんには敵わないっていつも思ってた。父さんみたいになりたいのになれないから……諦めて、自分はダメな人間だって思ってて、こんなんじゃ、父さんの自慢の息子にはなれないんだって」
「本当に無駄な心配しやがって……このバカ息子!」
鈴白は思っていた事を言葉にする事がこんなに簡単だったんだと知った。
どうして言わなかったのだろう?
芹は聞かない相手じゃない。
いつも、どうしたい? って聞いてくれる相手だったのに。
「俺ね……料理を勉強したい」
「うん……知ってるよ」
芹の言葉に泣きそうになった。
ああ、ちゃんと自分を見ていてくれていた。
「いつか、自分の店持ちたい……」
「うん、頑張れ」
芹は力強く鈴白を抱き締めた。
◆◆◆
「鈴白、スッキリした顔してるね」
片付けを終えて、部屋にきた鈴白に捺那は微笑む。
「父さんにちゃんと言えた……将来、料理の勉強してお店持ちたいって」
「ふふ、良かったね……じゃあ、俺が鈴白の一番の客になってやるから、あ、芹さんもか」
「うん」
鈴白は捺那を後ろから抱き締める。
「何で……こんなに簡単な事を言えなかったんだろ?」
「鈴白はもっと自分に自信持ちなよ」
捺那は振り向きざまに軽くキスをする。
「父さんにも似たような事を言われたよ、俺ってどんだけ自分に自信ないんだよ」
笑いながらに言う鈴白は本当にスッキリした顔をしていて、良かったって捺那は思う。
「いい顔してるね」
捺那は後ろ向きから体勢を変えて鈴白と向かい合う。
「俺ね……鈴白を抱きたいとか思っちゃう」
「は?」
突然の言葉に鈴白は目を見開いて驚く。
「あはは、でかい目」
捺那は鈴白の背中に両手を回すと彼の身体を左側へと向かせ、そのまま一緒にベッドに倒れ込む。
なぜに身体を左側に向かせたのかと言うとそちら側にベッドがあるから。
倒れ込んで直ぐに捺那が鈴白の上に乗った。
「ふふ、ビックリした顔、可愛い」
いきなりな行動に驚いたのか、鈴白は捺那を見上げている。
「俺ってΩなのにさ……鈴白のそんな可愛い顔を見たら押し倒したくなるんだ」
捺那の顔が近付いてきて……そして、期待通りキスをされた。
「俺……発情期が怖かったけど、今は待ちどおしいんだ……だって、鈴白とひとつになれるから」
大胆な言葉に鈴白は顔を真っ赤にする。
「本当、純情なαだよね鈴白って……そこがいいんだけどね」
自分の上で可愛く、そして色気タップリに微笑む捺那。
受け入れる側に押し倒される自分って何だろ? なんて考えるけれど、捺那ならいいかな? なんて思ったりもする。
「俺も……怖くないかな? 捺那が居るから」
鈴白も捺那に微笑む。
好きな相手ができると怖いと思っていた事も平気になる。なんて人間は単純な生き物なのだろう?
◆◆◆
まだ休んでいろと芹に言われたが次の日、図書室に本を返したいという理由で大学に来ていた鈴白と捺那。
本を返してくると言ったまま、鈴白が戻ってこない。
本を返すだけなら五分くらいで済みそうなのに……。
鈴白を探すが見当たらない。
外に出るわけでもないのに……捺那は、身辺警護人の一人が鈴白についているはずだろうと、もう一人に声をかける。
「ちょっと待って下さい」
彼が連絡を取ろうとしたがつながらないようで、捺那は胸騒ぎを感じた。
この胸騒ぎは前に感じた事がある。いつだったかな?
捺那は走り出した。
「捺那さん離れないで下さい」
後ろから声が聞こえたけれど、捺那は振り向きもせずに走り出す。
どこを探せばいいか分からないけれど、でも、黙って何もしないわけにもいかない。
鈴白……どこ?
もし、鈴白が運命の相手なら……どこに居るのか分からないのかな?
小さい頃、迷子になった鈴白を探し出すのは簡単だった。
どこに行くのかどこに行きそうか分かったから。でも、今は違う……彼の意思ではない。
鈴白!! どこ?
心で必死に彼の名前を呼ぶ。
走りながらこの胸騒ぎをいつ感じたのか思い出した。
火事の前だ。
朝から胸騒ぎがして、愚図って母親から離れなかった。
困った母親と父親が自分を宥めていた時に玄関のチャイムが鳴った。
父親がチャイムを鳴らした相手を確認した後に母親に「捺那を連れて裏から逃げろ」と言った……。
そうだ……あの時、誰か来て……母さんが俺を抱き上げて、裏口から急いで外に出ようとしたんだ。
でも……外側から塞がれていて出れなくて……二階からと階段を上がった。
その後「いい、捺那、お母さんがいいって言うまで隠れていて、ほら、隠れんぼ好きでしょ?」と言われて……隠れたんだ。
でも、その内……煙が充満してきて苦しくて。
隠れていた所から出たらオレンジの炎が目の前に現れた。
子供心に死んじゃうんだって思った。
その時に芹の声が聞こえ、上着をかけてくれて、外に出られた。
上着をかけてくれたのは熱さから守るためだって思ったけど……。
あの時、父親が逃げろと確かに言った。母親が青ざめて、抱き上げた手が震えていた。
隠れんぼよ……と言ったあの時の顔は悲しそうで泣きそうで「いい子ね捺那……いい子……ごめんね」と声が震えていた。
あれはどういう意味だったのだろう?
両親は……あの時、どうしていたのだろう? もし、生きていたら逃げられたはず。
現に芹と脱出出来たのだから。
じゃあ……あの時、既に?
上着をかけた意味はもしかして……両親の遺体を見せないため?
一気にそんな考えが頭を過ぎり、気がおかしくなりそうだった。
芹はどうしてあの時、そこに居たのだろう?
どうして、自分を引き取ってくれたのだろう?
あの時、訪ねてきた人は誰だったのだろう?
捺那の視界に銀色の光が一瞬飛び込んできた。
何? と光の方を見ると一台の車が停まっている。
そこは駐車禁止のはず? 誰だろ? と窓を開けて身を乗り出す。
運転席に男が居た。
横顔だけだが……あれ? どこでだっけ? 見た事があるような? と感じた。
その時にまた胸がザワザワと騒いだ。
大学に似合わない車。
教授達の車は高級車で、生徒は数人しか車でこない。停まっている車はワゴン車で掃除業者の車っぽい。
でも、捺那は大学に出入りしている掃除業者の会社名を覚えていた。半年に一度、家にハウスクリーニングをしに来てくれる会社と同じだから。
でも、会社名が違う。
急に会社を変えたのだろうか?
いや……違う。そもそも、乗っている男は業者のようには見えない。
それに……どこかで。
「あ!!」
捺那は声を上げて、その瞬間には窓を乗越えていた。
一階だったから飛べたのかもしれないけれど、いや、二階でも飛んだかもしれない。
小さい頃、何時か会った事がある男だ。
どうして、覚えているのか自分でも分からない。幼い頃の記憶は薄れていくものなのに。どうして、ほんの数回会っただけの人間を覚えているのか自分でも分からないけれど、でも知っていると身体が言っているのだ。
捺那は勢い良く、ワゴン車まで走り、側に行き中を覗いた。
「鈴白!」
後部座席にぐったりした鈴白の姿があった。
やはり胸騒ぎは正しかったのだ。しかし次の瞬間――、首筋に痛みを感じて、捺那の意識が途絶えた。
◆◆◆
芹のスマートフォンが鳴り響いている。
取り出したそこには、相澤の名前が表示されている。
名前を見ただけで胸がザワついた。
「……もしもし?」
「芹、大変だ! 七瀬が居なくなっていた」
心臓の音がうるさい。
「お前が気にするから直接行ったんだよ、そしたら鈴鳴と一緒に消えてた」
「は?」
もう、完全に頭が真っ白になりそうだった。心臓は痛いくらいの悲鳴を上げていた。
「下に降りて来い!」
その言葉に、無意識に身体が動いた。頭はうまく機能していない。鈴白にもしもの事があったら……。ただその一心で、気付けば足の裏は床を蹴り、部屋を飛び出していた。
どうやって鈴鳴を見つけた?
入院しているって……ああ、でも、直接その姿は見ていない。
相澤のように、胸騒ぎがするなら行動すれば良かった。
「芹!!」
芹の姿を見つけた相澤が名前を呼ぶ。
彼は車で芹の会社に来ていた。
「乗れよ」
そう言われた時にはもう、助手席のドアは開けられていた。
助手席に座り込むと、また着信が鳴る。
シートベルトを手にしながら、芹はスマートフォンを耳と肩で挟んで応答する。
「芹様すみません……鈴白さんと捺那さんが……」
その声は鈴白と捺那を守っている身辺警護人からだった。
「隙をつかれて……」
声が苦しそうで電話の向こうから『おい、救急車早く』と慌てる声が聞こえている。
「どうした?」
「刺されて……すみません、鈴白さん守れなくて……」
「おい、大丈夫か?」
芹は大きな声で叫んだ。その後、電話が切れた。
「どうした?」
鬼気迫る様子の芹を横目に、相澤が声をかける。
「七瀬だ……やられた。鈴白と捺那を」
「えっ……」
相澤は芹の言葉でアクセルを力いっぱい踏んだ。
「違反切られたらお前、罰金払えよな」
「いくらでも払う」
電話をかけてきた身辺警護人も気になるけれど、救急車を誰か呼んでくれていた。死なないでくれと願うだけだ。
どうして、鈴白と捺那に警護人をつけていたのか……それはこうなるかもしれないから。
七瀬が入院している間は大丈夫だと思っていた。でも、やはりこうなってしまった。
「病院関係者を買収していたみたいだ……借金のあった看護師で……」
ああ、それで居ると嘘を……
確かめれば良かったんだ。
今更それを責めてもどうしようもない。
ただ、鈴白と捺那に何もしないで欲しいとひたすら願うしかない。
こういう時、人は無力だと思い知らされる。
あの時は捺那を守れたはずだった。
鈴白も……守っていられたはずだったのに。
「お前、自分を狂ってるって言ってたよな? 一番狂ってるのは七瀬だよ……自分の子供を殺そうとしたんだから」
「……まさか捺那に手放すとは思わなかったよ……でも、もっと早く行っていれば人は死ななかったかもしれない」
芹はあの時の事を今も鮮明に思い出せる。
あの日、朝から胸騒ぎがして……次の日が捺那の誕生日で本当は誕生日に鈴白と訪ねる予定だった。でも、胸騒ぎが止まらず車を走らせた。
鈴白を相澤に頼んで、芹が何もない事を祈りながら家に向かうと、真っ黒な煙が見えた。
嘘だろ? と思った。
家の前に車を止めると七瀬が住人に取り押さえられて笑っていた。
「中にまだ人いるよね?」
誰かがそう言った。
そう聞いた瞬間、身体は動いていた。
玄関で刺されて死んでいる捺那の父親。いや、本当は義父だ。
「兄さん……」
そして、その先には彼の妻も刺されて亡くなっていた。
上から子供の泣き声が聞こえ「捺那」と助けに行った。
泣きじゃくる捺那を抱きあげ、でも、死体を見せる事はしたくなかったので上着をかけて脱出した。
七瀬はおかしくなっていた。
それは全部自分のせいだ……。
なぜ、この家にきたのだろうと思ったが本人の口から聞く事は出来なかった。
七瀬は精神疾患のため、刑務所ではなくて精神病院へ入れられた。
「……なんで、捺那まで」
芹はもし、何かされるとしたら自分だけか、もしくは鈴白だと思っていた。
捺那は七瀬の子供だ。
七瀬はΩで、捺那を産んだけれど、育てられる状態じゃなかったから当時子供が居なかった芹の兄が引き取ってくれた。
芹には鈴白がいたから。
「可愛さ余って憎さ百倍ってやつかな? 捺那君、日に日にお前に似てきてる、口の悪さも行動力も……雰囲気もお前そっくりじゃん」
「そうだな、自分でもそう思うよ」
芹はそう言ってため息をついた。
いつか言おうと思っていた。捺那の本当の父親は自分だと。
兄夫婦の元で幸せに暮してくれるならそれでいいと思っていた。
自分は狂っていると思っていたから、捺那を育てるなんて出来なかったし、父親とは名乗れなかった。
でも、好意を寄せられていると気付いて……諦めさせなければと思った。
きっと、捺那は鈴白にひかれる……自分の血を引いているなら。
「ごめん、捺那……」
最低の父親だ。
◆◆◆
鈴白は目を覚ました。初めは自分の状況が理解出来ないでいたが、気を失う少し前の事を思い出した。
本を返しに行ったら声をかけられた。
あの男だった。
前に会った時より雰囲気が怖くて、逃げようと思ったけれど、腕を掴まれた。
図書室には珍しく人が居なくて……。ああ、そうか、掃除中の札がかけられてたんだ。
珍しいなって思った……いつも、大学が閉まってから掃除に来る業者なのにって。
でも、本を返すくらいならいいかな? と中へ入った。
「何するんですか!」
腕を掴まれたから、声をあげた。
そしたら、いつも守ってくれていた彼が来てくれて……でも、男はいやらしく笑うと躊躇う事なく刺した……。
彼はどうなったのだろう?
うずくまった彼を何とかしようとしたけれど、首の後に強い衝撃を受けて視界が真っ暗になった。
きっと、意識を失ったんだと今は分かる。
捺那は?
鈴白は身体を起こした。でも、上手く起きる事ができない。
後ろで両手を縛られていたから。
捺那……。
彼が心配になる。捺那の側にはもう一人の警護人が居たけれど、無事だろうか?
食堂で待っててって言って良かったのかも。もしかしたら捺那も巻き込まれていたかもしれないし、刺されたのが捺那だったかもしれない。
いや、誰が刺されても嫌だけど、捺那が無事で居る事を知りたい。
ガチャとドアが開く音が聞こえてそちらの方を向いた。
笑顔でこちらを見ているあの男だ。
「……誰……ですか?」
本当にこの男は誰なのだろう? なぜ、自分をこんな目に?
答えてくれるだろうか?
「大きくなったね……鈴鳴そのものだ」
男はニコッと微笑む。
「すずな……?」
誰だろうと思った。
「僕は七瀬、よろしくね」
またニコッと微笑む。
「七瀬?」
七瀬は鈴白の側に来て、顔に触れようとした。その瞬間……ゾクッと寒気のようなモノが身体を駆け巡る。
「怯えないでよ」
鈴白の頬に手を当てて、また微笑む。
綺麗な顔立ちをしているけれど、すごく怖く感じる。
彼の微笑みが怖いのは……目が笑っていないから。
「君はいいね、若くて……ずっと芹と一緒に居たんだろ? 愛情をいつも独り占めして狡いよね……。君と僕は何が違うんだろって思ってたよ……同じΩなのに」
何を言っているのだろうと思った。
「Ωって……誰の話? 父の知り合い……ですか?」
「父か……君は芹の子供じゃないよ?」
「えっ?」
鈴白は何を言われているか理解できないで居た。芹の子供じゃない?
ナニヲイッテイルノダロウ?
思考が止まりそうだった。
「何も聞いてないよね……君の秘密」
ふふっと嬉しそうに笑う。
「君……本当はΩなんだよ?」
「えっ?」
そんなわけがない。検査ではαって。
「芹が遺伝子操作したんだよ。アイツ、金持ってるだろ? 君を作る時にαにしたんだ。でも、元々Ωだから発情期来るまで分からないんだよね……検査ではαだろ? でも、発情期きたら分からない……知りたい? 君の秘密をもっと」
クスクス笑う七瀬がたまらなく怖い。
芹の子供じゃないとか、Ωとか……遺伝子操作とか……もう、頭がついていかない。
「君は鈴鳴のクローンだよ」
七瀬はそう言って笑うと鈴白の服のボタンを外し始めた。
クローン? ナニソレ?
◆◆◆
「ここ、どこだよ?」
捺那は目を覚まして周りをキョロキョロと見回す。
どこかの部屋みたいだけど、良く分からない。
「クソ! 首痛えし!」
捺那は頭を振る。
後ろで両手を縛られていると気付いたが、昔……芹と縄抜けごっこをして遊んだのを覚えていた。キツく結ばれていないようで、これならいける! と思った。
縄抜けはあっさり成功した。
きっと、自分は重要ではないんだと思った。狙いは鈴白。
だから、自分は放置されているのだと。
部屋に鍵はない。
せめて、見張りとか? とドアを慎重に開けて外を確認した。
でも、誰もいない。
なんだよ? 俺ってそんなに価値がないの? とガッカリしてしまう。
もしかしなくても、一人での犯行なのかな?
捺那は周りをキョロキョロしながら先を進む。
どこかの建物の中みたいだった。何かの施設みたいな?
歩いていると、部屋がもう一つあった。
部屋には鍵はない。
本当、他は放置なんだなあ……考えなしの行動みたいで、突発的かな?
考えた行動ならもっと慎重だろうし、鍵はかけるし、捺那も放置されていないはず。
アイツ……。
自分を気絶させた相手を少しイラッと感じた。
昔会った事がある。
綺麗だけど、怖かった。笑っていたけれど、目が笑っていなくて不気味だった。
よく覚えていないけど、部屋の中へ入るとベッドがあってそこに人が眠っていた。
「えっ? 鈴白?」
捺那は眠っている人物が鈴白に見えて慌てて側に行った。
でも、「違う……」と直ぐに分かった。
鈴白より年上に見えるし……えっ? 兄弟?
そんなはずはない。鈴白は一人っ子。
眠っている鈴白に似た男性は沢山の機械につながれている。
「すずな……」
ベッドに名前が書かれている事に気付いた捺那はその名前を読んだ。
すずなって……。
熱がある鈴白を起こしに行った芹に体温計を届けた時に「すずな」と芹が言った。
鈴白と呼んだのを聞き間違えたのだと思っていたけれど……違う。
鈴白とこんなに似ているし、いや……年齢を重ねた鈴白みたいだ。
「えっ? もしかして鈴白のお母さん?」
顔を覗き込む。
でも……本人そのものに見える。
この人は誰なのだろう?
◆◆◆
「どっちか知りたいでしょ?」
七瀬はボタンを外し終えるとシャツをずらす。
「これ、何か分かる?」
鈴白の目の前に注射器を出した。
中に液体が入っている。
「これね、ヒートを起こす薬。誘発しちゃう薬ね……最近流行ってんだよ、ほら、ヒートすると具合が良くなるでしょ?」
鈴白は何を言っているのか分からないって顔をしている。
「ヒートわかんない? 発情期の事だよ。まだ、来てないもんね分かんないよね」
七瀬は鈴白の腕を掴む。
「や、やめ!!」
逃げようとしたけれど、動けない。
注射針が腕に刺さる。そして、液体を打たれた。
「楽しみだね」
ニコッと微笑む七瀬。
「……なんで、こんな事……」
七瀬に視線を向けた。
「君が嫌いだからだよ……せっかく目の前から居なくなって芹がやっと僕を見てくれるって思ったのに……こうやってまた……僕を苦しめるんだ」
嫌い……誰を嫌い?
「俺はアナタを知らない」
「僕は知ってるよ……言っただろ? 鈴鳴のクローンだって」
「クローン……」
本当この人は頭大丈夫なのだろうか? いかれてる感じがする。
「芹と僕は恋人同士だったんだよ? 鈴鳴が現れるまで……」
恋人?
父さんとこの人が?
「すごく好きだった……そりゃ初めは会社を大きくするためだったけど、僕の家も芹の会社と合併したから潰れずに済んだ。助けてもらったから、今度は芹のために頑張ったんだ……僕はΩだから子供を産める。芹の子供を……跡継ぎを作れるって。でもね、運命の番っていうの? 鈴鳴がそうなんだって……」
七瀬は笑った後に「そろそろ楽しもうか?」と言った。
「楽しみながら話してあげるよ……薬の効果そろそろ出てくるからさ……僕はΩだから君を楽しませる事はできない。だから、代わりを呼んだ」
七瀬はドアの方をみた。
つられて鈴白もドアを見るとそこに男性が二人いつの間にか立って居た。
「彼ら……上手いよ?」
何が? と思った。
「鈴鳴もね、僕の目の前で男達とやってたよ……アイツ、淫乱だからさ」
ふふっと笑う七瀬はさっきよりも怖くなっていた。
◆◆◆
芹は気ばかり焦っている。
大事なモノを二つも持っていかれてしまったのだから。
七瀬が悪いわけではない。きっと、全ての原因は自分。
追い込んでしまったのは自分。
だから、自分を狙ってくれたら良かったのに……きっと、それよりもダメージを与える方を七瀬は選んだのだ。
七瀬は素直で優しい子だった。
一生懸命で……でも、芹は鈴鳴に出会ってしまった。
「七瀬……俺を殺せば良かったのに」
何か話していないと気がおかしくなりそうで……でも、放った言葉も重いものでしかない。
「お前を殺さないのは七瀬はまだお前が好きなんだよ」
その言葉にビクッとなった。
「鈴鳴とお前ってロミオとジュリエットみたいだな」
「ここでシェークスピアかよ」
「あれって出会って二日目で結婚して、五日目で死んでしまっただろ? ほんの一瞬で恋に落ちて……恋に溺れて死んでいく……たった数日が彼らには何十年も経った感じなんだな……お前と鈴鳴がまさにそれだろ?」
ああ、そうだ……ほんの一瞬で恋に落ちて、鈴鳴が居なくなるまでたった一年にも満たなかった。
「幸せに笑って欲しかったそれだけだったのに」
鈴鳴は笑うと可愛くて、綺麗で……。
「月下美人を俺に教えてくれたのは鈴鳴だ。俺みたいだって、でも、俺には鈴鳴にしか見えなかったよ」
「ああ、それで花言葉知っていたのか」
一緒に見た夜を覚えている。
『 芹はカッコイイよ……俺も芹みたいなαが良かったなあ』
と寂しく言っていた。
鈴鳴は両親を亡くして苦労していた。夢もあったけれど、今よりまだΩへの差別がひどくて。良心的な人もちゃんといたけれど、心ない人の言葉は鈴鳴を傷つけていた。
その時に芹には七瀬が居て、結婚までは至らないでいたけれど、将来は……って話になっていた。
だから、最低なのは自分。
運命の番。せめてそれが七瀬だったら……。
でも、運命の番は鈴鳴だった。じゃあ、先に鈴鳴と出会っていたら、運命は変わっていた?
タラレバを考えない日はなかった。過ぎ去ってしまった事を悔やんでも仕方がない。
鈴鳴は生きていくために色々な事をやっていた。芹には言えない事も。
そして、金になるからという理由で実験台になる事もあった。
芹の知り合いにタブーの研究をしている男が居た。
遺伝子操作でΩをαに変えるというタブーの研究。
その実験に鈴鳴が参加しているのを知ったのは彼が事故に遭って植物状態になってしまった後だった。
「間違いだったのか? でも、どうしても生きたいように生きられる鈴鳴を見たかったんだ……。これは俺のエゴだ。鈴鳴はきっと望んでいなかった」
芹は神に祈るように両手を握り俯く。
その手は震えていた。
「芹も七瀬も鈴鳴も……俺からすりゃ不器用だ。でも今は生まれてしまった命を守るのが先だ」
相澤の言葉に頷く芹。
どうか……無事でいてくれ。そう祈る芹のスマホが鳴った。
◆◆◆
捺那は目の前の鈴白に似た男性から離れられないで居た。
鈴白を探さなきゃって思うのに気になるのだ。
ふと、気配を感じ振り向こうとした時に口を塞がれた。
やばい! と抵抗しようとすると小声で「私です、捺那さん」と知っている声が。
身辺警護人の江口の声だ。
ホッとする捺那。
捺那が落ち着いたのを確認すると、「一人で行かないで下さいって言ったでしょう?」と注意した。
「ご、ごめん……でも鈴白が」
「はい……芹様にはこの場所を教えておきました」
「芹さん来るの?」
芹という名前にもホッとする捺那。
「鈴白さんの居る場所も探しましょう」
「……江口さん、この人知ってる?」
捺那は眠る男性を指さす。
「……いいえ、私の仕事は捺那さんと鈴白さんを守る事だけなので」
「こ、この人も連れていけない?」
「は? 無理ですよ? 見てください、この方は自分で呼吸も動く事もできない人ですよ? 機械とベッドごと運ぶのは無理です」
「……そうだけど」
でも、鈴白にそっくりな彼をこのままにしておきたくはないと思った。
「鈴白のお母さんかもしれないから……だって、鈴白、お母さんの顔知らないって寂しそうでさ」
捺那は江口の両腕を掴み必死にお願いをする。
「芹様がどうにかしてくれると思いますから! まずは鈴白さんです」
でも、逆に説得されてしまって頷くしかなかった。
◆◆◆
何だろう? 身体が熱い……
きっと、いま自分は危機に瀕しているんだと思う。でも、上手く思考回路が回らない。
「へえ、本当に可愛い」
男が二人鈴白の側にきた。
「いいのか? 本当にコイツやっても?」
男達がそれぞれ七瀬に質問をしている。
「いいよ、色々と仕込んでやってよ、初めてなんだってさ」
ふふっと笑う七瀬。
「可愛いなあ、初めてか……じゃあ、タップリと色々教えてやるよ」
男の一人が鈴白の顔を触る。
ゾクッした……言葉では言い表せない気持ち悪さ。
「色々仕込んでもらいなよ、覚えて損はないと思うよ? これからその身体で稼いでもらうからね」
七瀬は持ってきたビデオカメラを回す。
「このビデオも売れそうだよね……いい声で鳴きなよ」
カメラは鈴白のアップを捉える。
「そろそろ、薬効いてきたでしょ? ヒートくるんじゃない?」
「ヒート? へえ、薬使ってくれてんだあ、そりゃ乱れてくれるな」
男が鈴白のジーンズのベルトを外した。
「や!!」
逃げようとするが身体が熱くて……息が上がってきた。
「興奮してきた?」
もう一人の男は鈴白の身体を起こし、後ろから抱く感じで押さえると七瀬によって外されてはだけていたシャツを開き鈴白の胸を露にさせた。
女性ではないから膨らみはないが「可愛いねえ、ここもまだ弄られた事ないんだろ?」と男はピンク色の突起物を指で摘む。
「……いや」
摘まれた瞬間にビリビリと背中に刺激がきた。
「感じやすいのか……いいじゃん」
男はもう一つの突起物も摘む。
「んん……」
ビクビクと身体が動く。
なにこれ?
鈴白は身体の反応に心と思考回路がついて来なかった。
「さて、メインディッシュ」
ベルトを外した男はジーンズのボタンとファスナーを下ろすとジーンズと下着を一気に脱がせた。
「じわじわするのもいいけど、俺は早く味わいたいタイプなんでね」と鈴白の上半身を弄る男を見て笑っている。
「いやだ! いや!」
脱がされたと分かった鈴白は何とか逃げたいと身体を動かすが上手く動かないし、男に押さえられている。
「なあ、アソコが濡れてないか確認してよ」
七瀬はニヤニヤしながら言う。
「ああ、ヒートきてるなら濡れるからな」
男達は鈴白がΩだと思っているようで、そこに指を持っていく。
何かを感じた。何か嫌なモノが自分の中へ入ってこようとしている。
「いやだ! さわるな」
開かされた脚を閉じようとするが上手くいかない。
「まだ濡れてないな……まあ、やってるうちに濡れてくるだろ、おい、胸ばっか弄ってないでコイツの両腕持てよ、舐めて濡らすから」
男がそういうものだから、胸をずっとまさぐっていた男が鈴白の脚を開かせるとM字に開脚させた。
「いい眺め」
そう言ったのは七瀬。
「君にピッタリだよ……男好きだもんね……いっぱい抱いてもらいなよ」
鈴白は首を振る。
誰か……。
捺那……。
男は鈴白の小さい穴へ舌を這わせた。
「ん……いや……」
穴の中へと何か入ってくる。
「気持ち良さそうだな」
鈴白を押さえる男が笑いながら言う。
気持ち悪いよ!! と言いたい。
でも、息があがる。
知らない男を相手しているのに……身体が熱くて……思考回路が止まりそうだった。
そして、また、何か違うモノがきた。そいつは奥へと入り込み、鈴白をゾクゾクさせた。
「締めつけいいねえ、こりゃ楽しめそうだな」
男は指を抜くと自分が穿いているジーンズを下着ごと脱いだ。
鈴白は薬のせいか、ヒートしかけているからか意識があまりなかった。
これから何をされるか考えられずに荒い息を吐いていた。
「完全にトリップしてねー? この子、素質あるんじゃね?」
鈴白を押さえている男が下品に笑う。もう一人がやった後は自分の順番なので楽しみなのだろう。
「ふふ、やっぱ、本性だしたね。君はΩなんだよ」
七瀬も嬉しそうに笑った。
◆◆◆
芹達は江口のナビである施設についた。
「鈴鳴をここに運んだのか……」
鈴鳴は七瀬の手により、嘘の診断書と病院を移すという偽の書類で連れ去られていた。
芹は黙って建物を睨んでいる。
ここは知っている。鈴白が生まれた施設だ。いまは移転して別に研究所があるが、タブーを犯しているとタレコミがあり、いったん、撤退したのだ。
その時既に鈴白は生まれていたので、こっそりと芹が連れ出し、実子として育てていた。
「やっぱりタレ込んだのは七瀬か」
芹は呟くと中へと入っていく。
◆◆◆
「捺那さん、お願いがあります」
「何?」
「合図をしたらブレーカーを落として下さい」
「えっ? 真っ暗になるよ?」
「大丈夫です」
江口は捺那に小型の懐中電灯を渡す。
「えっ、江口さんは?」
「私は大丈夫です。ある程度の位置と何処に誰がいるか気配で分かりますから」
「えっ? なに? 忍者?」
捺那のその言葉に江口は和んだ。
「頼みましたよ」
肩を叩く。
「うん」
捺那は教えられたブレーカーがある場所まで行った。
江口はある部屋を覗き、捺那をわざと遠ざけた。鈴白が三人の男に弄ばれている。
もし、それを見たら捺那は冷静さを失い、飛び出して行くだろう。それは危険を伴う。
暗闇での戦いを江口は得意としていた。なので、電気を落とさせる作戦だ。
芹には電気を落とすタイミングを連絡しておいた。
◆◆◆
もう、何も考えられない。
鈴白は荒く息を吐いて身体の力を抜いた。
これがヒート?
良く分からないけど、力が入らないのは確か。
「さてと、タップリ可愛がってやるよ」
男は自分のモノを鈴白のほぐされたソコへとあてがうと力を入れ、中へ……。
さっきよりも広がる感覚がするけれど、良く分からない。
「……いや……」
やっと言葉に出来た。
七瀬は相変わらず嬉しそうに見ている。
前もこんな風に嫌いなアイツを他の男達に弄ばせた。
だって、芹に近付くから。
運命の番のはずがない。認めない。
居なくなったって思ったのに……。こうやってまた自分の目の前に現れた。
本当は芹と家族になるのは自分だった。子供だって産んだ。
精神がおかしいからって取り上げられた。
返して欲しいって何度もお願いに行ったのに返してくれなかった。
だから、殺した。
「ふふっ」
その嫌いな奴を、僕は二度も痛めつけられるんだ。七瀬がそう言った瞬間、フッと部屋の灯りが消えて真っ暗になった。
「えっ?」
七瀬は暗闇を見渡した。
停電?
そう思った時に唸り声が聞こえた。
どうしたと二人に声をかけるが、反応がない。
まさか……芹?
こんなに早く?
「芹か?」
どこともなく声をかけるが返事はない。
手探りで部屋を動いているうち電気が点いた。
男達は床に倒れ、鈴白の姿がない。
「クソ!! やっぱり芹だ」
七瀬は部屋を出てある場所へ向かった。
◆◆◆
「鈴白!!」
江口に抱きかかえられてグッタリする鈴白を見て心配そうに駆け寄る捺那。
しかも、江口の上着をかけてあるが全裸に近い状態で更に心配になる。
「何か……されたの?」
不安そうな捺那。
「大丈夫ですよ、ここから離れましょう」
いつ追ってくるか分からない。一刻も早く逃げなければ。
「うん」
三人はその場を離れた。
「芹様が……もう直ぐ」と江口が言いかけた時に真っ直ぐ先に芹と相澤の姿が見えた。
「芹さん!」
捺那は芹の姿を見て心からホッとした。
「大丈夫か!!」
芹は捺那達の側に急いで近付くと二人の無事を喜んだ。
でも、グッタリした鈴白が気になるし、何より、先程、捺那が気にしたように全裸に近い状態なのが一番心配だ。
「病院に」
相澤も鈴白が心配でここから早く立ち去ろうと言葉をかけた。
「あ、待ってー! 鈴白のお母さんみたいな人がいるから、その人も」
捺那の言葉で芹が「鈴鳴……」と名前を呼んだ。
その様子でやはり、あの人が……と捺那は確信する。
「こっち!」
捺那は走り出す。
芹ももちろんついていく。
先程見つけた部屋へと案内すると、「鈴鳴……」芹が今まで見た事もないような表情で眠るその人を見つめた。
ああ、この人だ。芹さんの好きな人はとそれだけで捺那には理解できた。
そして、気付く……たまに鈴白にも今みたいな顔を向けていた事を。
子供を心配する父親……というより愛しい人を思う表情。
「この人……鈴白のお母さん? ずっと眠ってるの?」
答えてくれるかは分からないけれど、捺那は恐る恐る聞いてみる。
「お母さんじゃないよ……鈴鳴は事故でもう意識が戻らないって言われてる。でも、それでも身体は温かいし、信じられなくて……」
そう、今も目を開けて自分を見て名前を呼んでくれるんじゃないかって……都合が良い考えをしてしまう。
「相澤先生……この人も一緒に」
入り口に居る相澤と鈴白を抱いている江口の方を振り向く捺那。
「もう直ぐ、警察が来るから……搬送させてもらおう。うちの病院へ移すから。いいだろ芹?」
相澤に言われ頷く芹。
「相澤さん、離れて……鈴白さんお願いします」
江口が相澤に鈴白を渡し、体勢を変えて威嚇するように前に立つ。
「何だよ、ボディガードって二人居たんだ……一人は刺したけど」
七瀬がゆっくりとこちらへ歩いて来るのが見えた。
「七瀬……お前が刺した相手は病院だよ、ちゃんと助かった」
「相澤……? 話すの久しぶり。老けたな」
「うるせえよ! お前もだろー!」
言い返す相澤にクスッと笑うと「でも、コイツは違うよね、居なくなってもこうやって若い姿で現れる……ビックリしたよ、芹に会いに行ったら家からコイツが出てきた……ああ、あの時の実験の子かって」鈴白を睨んだ。
「実験の子?」
捺那はキョトンとした顔をしている。
声を発した事で捺那がそこに居ると気付いた七瀬はニコッと微笑んで「捺那、覚えてるか? 前に会っただろ? 会いに行ったのに追い返されてさ……ずっと会いたかったんだ」と言った。
芹は捺那の前に立ち「俺に恨みがあるんだろ? だったら俺に直接恨み事を言えばいい、捺那も鈴白も関係ない」と庇う。
「だって、それじゃあ面白くないだろ?」
七瀬は当たり前じゃないか! と言わんばかりに口の端を吊り上げて笑う。
「芹さん……この人」
芹の後に居る捺那は七瀬を見ながらに聞く。
「僕は君を産んだんだよ? ひどいよね、僕が居るのに他の人に預けるなんてさ」
「捺那、聞かなくていい」
芹は捺那の耳を塞ごうとする。何時かは知ってしまうだろう。
でも、こんな形で聞かせたくはなかった。
「本当の事をちゃんと教えなきゃダメだよ芹。君は芹と僕の子供だよ?」
「えっ?」
耳を塞がれても捺那の耳に届く真実。
「芹さんが……俺の?」
捺那は芹を見つめる。
「……じゃあ、俺を育ててくれたのは?」
震える声で芹に聞く。
「兄だ……」
兄と言っても芹の父親の愛人の子供。彼は愛人の子供だからと卑屈にはならず、誠実で優しい人だった。偶然にそれを知ってしまった芹は父親に内緒で会っていた。
彼は芹を可愛がってくれた。弟が欲しかったんだって。
そんな優しい兄だったから捺那を託せた。
彼は捺那を本当に可愛がってくれて……最後まで守ってくれた。
芹と七瀬の事情を知っていたので、七瀬がいつ来るか……きっと不安だったに違いない。
捺那の瞳が涙で溢れてきた。
「……ごめん捺那」
「…………」
捺那は黙ったまま芹を見ている。
芹が自分を好きになるなって言った意味が分かった……。引き取って育ててくれた理由が分かった。
「七瀬……お前」
相澤が何か言いたげに七瀬を睨む。
「芹が悪いんだよ、鈴鳴がこうなったのも、僕がこうなったのも! 関係ない捺那がこうやって傷つくのも……芹が全部悪い……いや、違う。鈴鳴だ……」
七瀬は相澤に近付こうとする。鈴白を抱いているから。
それを瞬時に止めたのが江口。
七瀬を押さえ込む。
江口に押さえ込まれた七瀬は痛みで顔を歪め芹に向かって「鈴鳴は事故じゃない! 自殺したんだよ、複数の男にやられてさ……芹に合わす顔がないって」と言った。
芹の身体が硬直したのを捺那は感じた。
そして、拳をギュッと握って何かを耐えているような……。
七瀬の衝撃な言葉……。確かにこうなる前に鈴鳴の様子がおかしかった。
顔と身体に痣があって、どうしたのかと聞いたがアルバイトでアチコチぶつけたと笑った。
あの時……。
「七瀬!!」
芹は七瀬を睨んだ。
「何だよ? 自分のせいだろ? 鈴鳴だって芹に会わなかったらそんな目に遭わなかったし、今頃どこかで暮らしてたよ、捺那だって辛い目にあわずにすんだし、あの夫婦だって死なずにすんだ! 全部お前のせいだ! ざまーみろー!!!」
七瀬はそう叫んで声を上げて笑った。
バシンっ!!!
その直後に激しい音が響いた。
「捺那……君?」
側に居た相澤が捺那の名前を呼ぶ。
激しい音の正体は捺那が七瀬の頬を叩いた音だった。
「うるせえよ! クソが! 何が芹さんのせいだ、お前が全部やったんだろーが! 俺の両親もお前が!」
捺那は七瀬を激しく詰った。
「俺は……両親が好きだった、大好きだった! それを奪ったのはお前だ! 返せよ、返せ!」
「捺那!」
芹が後ろから抱き締めてくる。
「ちくしょー、お前なんか嫌いだ」
そう叫んだ。
沢山愛してくれた。
楽しい思い出ばかりしかないのがその証拠だ。
火事の時も最後まで守ってくれた。
そして、芹は炎の中に飛び込んで救ってくれた。
芹からも愛情をもらった。寂しくて眠れない自分を夜どうし抱っこしてくれたり、鈴白と一緒に遊園地に行ったり……参観日だって、運動会だって。出来る限り来てくれた。
だから好きになったんだもん。
「あんた……馬鹿だよ。芹さんがそんなに好きなら他のやり方あったんじゃないのかよ? 振り向いて欲しかったらこんなやり方じゃなくて……もっと」
捺那は涙をポロポロと零す。
「……うるさいよ。じゃあ! どーすれば良かったんだ! 運命の番が現れたから、はい、そーですかって引き下がれって? 恋愛経験もないガキに言われたくないよ」
七瀬も言い返す。
「ガキはあんたもだろ?」
恋愛未経験でも、大人じゃなくても、七瀬のやり方が間違っているのは分かる。
「俺は芹さんが好きだ、あんたにどう言われても嫌いになんてならない。俺と芹さんとの絆はそんなもんじゃない。俺と芹さんの時間も愛情も、あんたの安っぽい復讐の塊みたいな言葉に潰されるわけがない! 舐めてんじゃねーぞ!」
捺那は泣きながら叫んだ。
七瀬は捺那を見つめて「本当、芹に似てるよな、その気の強さ」と睨んだ。
そして、七瀬が一瞬、笑ったのを芹は見逃さなかった。
次の瞬間、ドン!! と爆発音が響いた。
その音につい、江口の手が緩んだ。
その瞬間を待っていたかのように、七瀬は江口を突き飛ばしてポケットの中に忍ばせていたナイフを持ち出すと、捺那めがけて突進した。
芹の前で実の息子を殺す機会を待っていたかのように。
芹は捺那の身体を反転さて、七瀬をナイフごと受け止めた。
「芹さん!」
「芹!」
「芹様!」
三人の声が同時に響いた。
誰もが、何が起こったのか一瞬分からなかった。
突進した七瀬さえ。
ただ、芹だけが自分の置かれた状況が分かっていた。
「……ふっ……」
痛みに顔が歪む。
ポタリと赤いモノが床に落ちた。
「ああああー」
七瀬が叫んだ。
「芹さん!」
捺那は芹の名前をもう一度叫ぶ。
芹は七瀬をギュッと抱き締めて「最初っから刃物は俺に向けたら良かったんだ……悪いのは全部俺だ……お前は悪くない」と言った。
「あああ、せり……いい」
腕の中で声が震える。
「ごめん」
「謝るなあ!! 謝るなあ! 僕は許さない! 許さないから」
「うん、いいよ……許さなくて……」
芹は七瀬の方へ倒れ込む。
「芹さん!」
捺那は芹を後ろから支える。
「嘘だあ」
ポタポタと床に沢山の血。それをみた捺那は動揺したように叫ぶ。
「芹様!」
江口は七瀬を芹から引き離し、腹を殴って気絶させた。
「すみません、私が手を離したから」
「いいんだ、遅かれ早かれ……こうなる」
芹は自分の手で刺された部分を押さえる。
「芹、動くな」
相澤は鈴白を江口に渡すと芹の刺された部分を止血し始める。
「せんせえ、芹さん、芹さんを」
捺那は泣きながら叫ぶ。
「捺那……俺は大丈夫だから、ここ、たぶん、全てを爆発させる気だと思う……次の爆発までに早く」
芹は捺那を見て余裕だと笑って見せる。
「俺が支えるから」
捺那は芹の腕を上げて自分の肩に回した。
「捺那……ありがとう。ごめんな」
芹は微笑むと捺那の腹を殴り気を失わせた。
「芹!」
相澤は驚き芹の名前を呼ぶ。
「捺那を頼む」
捺那を相澤へと渡す。
「芹、お前」
「早くいけよ……俺はもういい」
芹はよろよろと立ち上がると鈴鳴の側に行く。
「芹、お前ここに残る気なんだろうけど、捺那君にまた親を失くさせるつもりかよ! やっと、父親だって名乗れたんだ」
相澤は捺那を抱き上げて芹を説得する。
「江口……七瀬も抱えられるか?」
芹は江口を見る。
「できますけど……」
「じゃあ、命令だ! 七瀬と鈴白を連れてここを出ろ早く!」
芹が叫ぶと次の爆発音が聞こえてきた。
メリメリと割れる音。
「芹、お前もこい!」
「鈴鳴は……? お前が俺を支えると鈴鳴はどうする?」
その質問に相澤は「鈴鳴はもう目が覚めない……知っているだろ? 機械で生かせられてるって」と言った。
「知ってるよ……でも、温かいんだ」
芹は鈴鳴の顔に触れる。
「ごめん……鈴鳴」
芹は大粒の涙を零す。
ごめん……知らなくて。
あの時気付いてやれなくてごめん。
俺が出逢わなかったら七瀬が言う通り、どこかで暮らしていたかもしれない。
そして、また、タラレバを考える自分に笑う。
「俺も一緒にいくから……」
芹は呼吸をつなぐ機械のスイッチを切ると鈴鳴の手をギュッと握った。
『 芹はカッコイイなあ』
そう言った後、鈴鳴は事故に遭った。それが自殺なんて思わなかった。
好きだったんだ……初めて見た瞬間から。
あの感情は止める事なんて出来なかった。それで、周りが傷つくとか考えなかった。
本当、馬鹿だと思う。
鈴鳴の手からまだ伝わる体温。それがもう直ぐ止まる。
これでいい……と思う。
これも自分のエゴかな?
「鈴鳴……ごめん」
消えそうな声で謝ると、握った手が握り返されたような気がした。
そんなわけがないのに。
「せ……り……」
名前を呼ばれた。
芹は聞き間違いかと鈴鳴を見つめる。
すると、ずっと閉じていた瞳が開き、自分を見ている。
「鈴鳴!!」
声を張り上げた。
握り返されたと思ったのは気のせいではなかったのだ。
「芹……ないてる……泣き虫なんだね」
鈴鳴は芹を見つめている。
「鈴鳴……」
涙が止まらない。
「芹……」
「なに?」
「いきて……」
「えっ?」
「生きて……」
鈴鳴はそう言って微笑む。
生きて……。
そう言って鈴鳴はまた目を閉じた。
「すずな?」
手をギュッと握る。
もう一度声が聞きたい……でも、芹の意識も遠くなる。
もう一回名前を呼んで……。
『 芹はカッコイイなあ』
『 この花、芹みたいだよね』
また、笑って欲しい。ただ、それだけだった。
誰かが手を握ってきた。
誰だろうと握ってきた方を見ると鈴鳴だった。
「芹と出会った事後悔しないよ?」
ニコッと笑う鈴鳴。
「鈴鳴……」
「すごく好きだよ」
鈴鳴は笑っている。すごく楽しそうに。
「芹は誇らしく咲いて欲しい。夜しか咲かない花じゃなくて、綺麗でも昼間に咲いて太陽の下で誇らしく咲いて欲しいよ、それが最後のお願い」
鈴鳴はそういうと芹の手を離した。
また、掴もうと手を伸ばすと温かい手が握り返してくれた。
鈴鳴?
そう思って目を開けると涙でくしゃくしゃな顔の捺那と鈴白の顔が飛び込んできた。
「クソ親父いいい!!」
捺那は叫ぶと芹にしがみついて泣き出す。
「父さん良かった」
鈴白も涙を指で拭いながら嬉しそうに笑う。
「相澤先生呼んでくる」
鈴白はそう言って出て行った。
ぐすぐす泣く捺那の頭を撫でる芹。
「死んだら殴ってた」
顔を上げずに文句を言う。
「そっか」
頭をポンポンと叩く。
捺那の頭を撫でながら生きているのだと実感した。
バタバタと足音がして、相澤と鈴白が戻ってきた。
◆◆◆
芹が意識を失ってからの話を相澤から聞いた。
あの後、江口の同僚と警察が到着して助け出されてしまった。
そして、あの事件から二週間過ぎていたとも聞いた。
「目覚まさなかったら殴ってまで起こすって捺那言ってたよ」
鈴白が笑いながら暴露する。
「さっき、死んだら殴るって言ったよな? どっちにしろ、殴られるんだ?」
芹は捺那を見て笑う。
「当たり前だろーが! 俺と鈴白を置いて死ぬなんて許さないからな」
睨む捺那。
「本当、誰に似たんだか……」
思わずそう言ってしまった。
「俺は親父似なんだろ?」
と真っ直ぐに芹をみた。
「ふふ、捺那、そっくりだもんね」
鈴白も笑いながら言う。
その言葉で、捺那だけでなく、鈴白も全てを知っているのだと芹は悟った。
(相澤から説明を受けたのか、それとも捺那から聞いたのか……)
芹は知らない。鈴白に全ての真実を話したのは七瀬だという事を。
「鈴白……あの、」
改めて自分からも説明した方が良いのだろうか? 。
「俺ね……父さんは父さんだと思ってる、それ以上でもそれ以下でもない」
何もかも分かっているように、鈴白はニコッと微笑む。
「俺だって……思ってるよ、お父さんだってさ」
捺那も真っ直ぐに芹を見つめる。
込み上げるものを抑えきれず、芹は唇を噛むとしばらく押し黙った。
この子達はすごいな。
全てを受け入れて許してくれる。
「……ほんと、お前らって」
芹は笑おうとしたが涙が零れた。
◆◆◆
「七瀬と鈴鳴がどうなったか知りたいだろ?」
翌日、相澤が病室に来て開口一番にそう言った。
◆◆◆
七瀬は精神病院へ戻された。
ただ、ひとつ違うのは全てを忘れてしまった事だ。
芹を殺してしまったと思い込んだ七瀬は、その恐怖から逃れるために全てを忘れ、子供に戻ってしまった。
そのため、罪には問われない。今は芹の事も全てを忘れ、無邪気に笑って生活していると。
捺那も会いに行ったそうだ。
文句を言ってやろうと思ったけれど、捺那を見て「お兄ちゃん、遊ぼう」と笑顔でボールを渡してきたので、何も言えなくなったとか。
鈴白も捺那と一緒に七瀬に会いに行っては遊んでいると相澤は話した。
「ほんと、あいつらは」
敵わないなと思う。
「鈴鳴は……お前に悪いと思ったが埋葬したよ」
「……うん」
あの時、目を確かに開けた。
呼吸器を止めてしまわなかったら鈴鳴は……? と考えた。
「芹、勘違いするなよ? 機械を切ったのは自分だと思ってるだろ? お前が切ったのは違う機械だよ、意識が朦朧としていたから勘違いしたんだろ」
まるで心を読むかのような相澤の言葉。
「病院に搬送されて、二日後に心臓が止まったんだ」
「……そっか」
「動けるようになったら連れて行ってやるよ」
相澤の言葉に黙って頷いた。
生きて……と鈴鳴は確かに言った。
夢の中の鈴鳴は笑って自分を好きだと言ってくれた。
あれは自分の願望かもしれない。願わくば、最後に会いきてくれたのだと思いたい。
君は、昼間に咲き誇る花で居て欲しいと。
「芹……」
涙を流す芹の隣で、相澤はただ無言で寄り添っていた。
◆◆◆
芹の退院が決まった日、鈴白が「保護者のサインいるって」と申込用紙やら資料やらを病室に持ってきた。
それは料理の勉強をするために通う学校の資料だった。
「いいでしょ? 父さん」
「いいよ」
芹はその紙にサインをする。
「楽しみだな」
「なに? 気が早いよ!」
どうやら芹が何を言おうとしているのか分かったようだ。
「鈴白……俺を恨んでいるか?」
「何で恨むの? 俺は俺だよ? 鈴鳴さんとは違う。ちゃんと幸せだよ?」
そう微笑む鈴白に救われる気がした。
「あ、俺ね……ちゃんとαだったよ」
「ちゃんと?」
芹に聞き返された鈴白は、顔を真っ赤にして「な、捺那待ってるから!」と資料を掻き集めて飛び出して行った。
「やったのか……親の留守の間に」
芹はクスクス笑う。
◆◆◆
退院して、改めて鈴鳴の墓参りに三人で行った。
死を認めなくなかった。
機械で生かされている鈴鳴を側に置いておきたかったのは自分が弱いから。
鈴鳴に言われた……生きろと。
咲き誇る花もその内散る。散ってもまた次の花を咲かせるために種を残す。
「俺は幸せだから、鈴鳴さんの分も……とか重い事は言わないよ? 俺は俺の人生を歩くからさ……鈴鳴さんはきっと、幸せだったと思う、父さんに出会えて」
鈴白から言われた。
「だからさ、父さんもちゃんと幸せになってよ」
鈴白は微笑む。花のように凛と。
まるで鈴鳴に言われたみたいだった。
『芹は昼間に咲き誇る花でいてよ』
「そうだな……」
どちらへの答えなのか芹にも分からないけれど、君の為に咲く花になろう。
凛と咲く花に。
了
君の為に花は咲く
作:なかじまこはな
人気ウェブ小説家。愛を基軸とした甘く優しいお話を書かれます。代表作:恋はにゃんと鳴く
ツイッター
フジョッシー
絵:ボブ
美しい色彩感覚と、多方面からのアドバイスで人気のイラストレーターさん。
ツイッター
イラストのご依頼はツイッターよりご相談ください。
表紙デザイン
pinoko Kaoru
数多くの商業出版物のデザインを手掛ける人気デザイナーさん。有り難いことに、個人作家向けのサービスも提供して下さっています。
ツイッター
ココナラ
書名 君の為に花は咲く
発行日 2018年10月15日初版発行
著者名 なかじまこはな
発行所 18(イチヤ)
2018年10月15日初版発行 発行 初版
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