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安部総理の誘惑と試練

平川博達

yoshikawa-shimon-nobuyuki出版



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安部総理の誘惑と試練

 はじめに

 1 安倍総理は、「人柄が悪い」?

 安倍総理は、ほんとうに、目に余るほどに、「人柄が悪い」のでしょうか。いつも誘惑にまけているのででしょうか。

 もちろん誰にも、誘惑もあれば、試練もあります。
 それゆえに、一国の総理ともなれば、個人的な誘惑も、他人を国民の運命を巻き込む誘惑もあります。しかも、誘惑は悪魔からくる、といわれています。

 悪魔からの誘惑の目的は、他人の生きる権利を奪うものです。
 同時に、当人の魂の成長を止めるものです。

 しかし神から来る試練は、自己犠牲を求めるものです。
 それ故に、試練を受け入れたものの魂は成長します。
 そういう魂だけが、この世にあっても、あの世にいっても、そこが平和となり、天国となります。
 しかしこのままでは、日本は沈没するのではないか、という危惧を覚えて、安部総理の人柄がわるい、といって警戒しているのでしょうか。


 2 日本は本当に沈没するのか

 日本では、政治家のなかでも、愛国的なひとほど、武力で平和を造ろうとします。
 しかも、天皇制を強く支持しているものほど、武力によって平和を造ろうとします。
 天皇ほどに平和的な方はいないのに、そういう傾向があります。

 安倍総理にしても、愛国心もあり、天皇制を支持してきました。それでも、軍備拡張によって平和を造ろうとします。なぜでしょうか。
 また天皇を担ぎ出して戦争をするつもりでしょうか。それとも天皇はもう戦争に出なくてもいいから、国民がやる、といっているのでしょうか。
 それとも、アメリカの武力によって、天皇性を守ってもらおうとしているのでしょうか。

 一事が万事、その言動の真意がはっきりしない。だから「人柄が悪い」のでしょうか。 
 もし安部総理がこのまま、反省もなく、総理総裁を続けていけば、日本はどうなるでしょうか。
 格差社会がますます広がり、家庭崩壊が増し、日本を守るどころか、日本を亡ぼすことになります。

 そういうわけで、これからは、不定期ですが、安部総理に対する疑念、つまり間違いを紹介していますので、参考にしてみてください。

第一回の講話 安倍総理は人柄が悪いか


 1 誰が悪いのでしょうか 

 はっきり言って、日本に未来があるでしょうか。
 というのも、そういうことを考えてきた日本人もまた、最後は、認知症になって、生涯を閉じてしまうからです。
 
 しかも、そういう認知症になっや親の年金によって生きて、働ない人も多くなっています。
 哀しいことに、そういうことです。
 そういう日本人に、どういう未来があるでしょうか。
 もしかすると、認知症になったひとも、そういう自分の未来に絶望するまえに、自分の子孫に絶望して、認知症を選んだのでしょうか。

 多分に、そういう感じもします。
 「初めに終わりを想う」
 そういう「ことば」は、やはり真理であったのでしょうか。

 誘惑と試練の中にいて、今もっとも有名人なひとは、安倍総理ではないでしょうか。
 アメリカのトランプ大統領ではないでしょうか。ふたりとも、もはや国民の罵声の「ことば」でさえ、歓声の「ことば」に聞こえているところもあるようです。
 聖書の証言では、誘惑は悪魔から、試練は天地創造の神からくる、ということです。


 2 代表者の罪

 ただ、同じ罪でも、一般庶民の罪、代表者の罪には、その報いには、無限の違いがあるということです、聖書の証言によれば、人類の始祖となったアダムとエバ(イブ)の罪によって、アダムの罪によって、この大地が「呪われた」ということ。

 エバの罪によって、そのあとの女性が、「産みの苦しみ」を味わうようになり、アダムという男性に、夫に、「仕えるものとなった」ように、一国の総理夫妻の罪は、個人だけの罰を受けるだけでなく、国民にもその罪の報いを下すことになるのです。

 そのアダムとエバの罪とは、ヘビのような、地上を這うものであったものの「ことば」を信じたことでした。
 天上の、アダムとエバを創造した神の「ことば」よりも、快楽しか約束しないヘビの「ことば」に従ったこと、つまり悪魔の誘惑に乗ったことで、霊的に死んだ、ということです。

 日本の安倍総理は、天地創造の神を知りません。それゆえに、安倍総理にとっての平和とは、魂の成長と自由を約束するものではなく、武力によって、嫌いなもの、敵を制圧する、殺人のよる平和なのです。
 つまり、安倍総理の愛国心は、世界を平和にする愛国心ではなく、日本だけの平和。お友達だけの平和を優先する愛国心だということです。

 天地創造の神は、
 殺してはいけない。
 盗んではいけない。
 偽証してはいけない。

 と言っているのに、その天地創造の神の「ことば」さえまじめに受け止めないで、昨今では、国会の席上でも、「偽証」が、横行しているわけです。
 しかも、その偽証を拒否した官僚が、その財務省の「上司」に自殺にまで追いやられているのです。そういう現実にさえ、無視して政権にすがりついている政治家に、いつまでも政権を任せては、取返しのつかないことになります。

 
 3 誘惑するもの

 実は、アダムとエバが信じたヘビとは、天地創造の神に逆らう地上の神々でもあったわけです。
 地上の神々とは、地上を這って、他人の生きる権利を奪い、地上の権力を独り占めする神々というものでした。天上の言葉ではなく、天上のことばではなく、地上の言葉しか知らない人間として生きる、そういう権力者でもあったわけです。

 つまり、天地創造の神は、偽証するな、というのですが、天地創造の神を知らない安部さんには、国民の前でウソをついても、罪には感じないわけです。 
 それゆえに、国民の良識ある「ことば」もまた、かれの心には届かないわけです。

 それゆえに、世論調査では、
 「安倍総理は、人柄が悪い」
 ということになってしまったわけです。

 もちろん、多少人柄が悪くても、強者だけでなく、弱者への思いやりがあって、景気対策で有能であれば、そして、武力ではなく、生きた真理のことばによって、隣国との平和を造ることができればいいのですが、果たして安部さんは、弱者を大事にしてきたでしょうか。
 拉致問題に初めから、積極的に取り組んだでしょうか。

 今頃になって、トランプ大統領にすがり、アメリカの軍事力を利用してようやく、安倍さんの口から、拉致問題の言葉を、国民は初めて耳にしたのではなかったでしょうか。少なくとも、選挙運動の時でさえ、ほとんど口にしたことはなかったはずです。

 「うわべだけ」の救済をいつか口にしたかもしれませんが、実行する気もないものが平然と口にするから「人柄がわるい」ということになったわけです。

 ウソと偽証と、ごく一部の「お友達」との交流しか大事にしないということは、一般国民の眼には、とうぜん、「人柄が悪い」といわれて、むしろ当たり前ではないでしょうか。
 また、総理と政権を守るために、公文書まで大量に改ざんした財務省の官僚の下で、自殺者まで出ているのに、官僚の上司としての総理には、罪意識が全く感じられないがゆえに、安倍総理もまた、ウソと偽証によって政権と栄光を奪ったのではないか、と思われるようになったわけです。


 4 真の平和をつくるものはだれか

 そういうわけで、日本人は、いまこそしっかり、我が身の魂の成長のために、安倍総理の誘惑に乗らないように、忠告をしまう。
 真理の「ことば」を知る、本当の政治家を探すときではないでしょうか。

 なぜなら、前述したように、日本人がこのように、生きづらくなった原因は、実は、アダムとエバ(イブ)の罪によるだけでなく、権力者の罪にもよっているからです。ヒトラーというような独裁者にしても、ウソと偽証の塊でした。
 ヒトラーは、うわべだけは、法律を守って何百万というユダヤ人を殺したのです。
 アダムとエバの罪に、自分の罪をさらに積み重ねたヒトラーが政権をもったばかりに、地上は「呪われるもの」となったのです。

 この地上が「呪われた」のは、アダムとエバが、天地創造の神の「ことば」を棄てて、我が身の安泰を優先させたことで、この世にそういう罪が広がったからだ、ということです。

 おもえば、日本の財政の現状を見てください。赤字国債にいつまで頼るのでしょうか、借金ばかり増やして、そういう財政しか造れない政府は、のちの世にどういう責任が取れるのでしょうか。
 国民の心がそういうことで、満たされるでしょうか。国民の平和がどうして、維持できるでしょうか。
 認知症の増加を見てください。
 彼らこそは、この世にもあの世にも、絶望した選択であったとしたら、だれに責任がとれるでしょうか。

 武力による平和づくりなら、だれにでもできます。
 それゆえに、もし、世論調査による「安倍総理は人柄が悪い」という「ことば」が真実であれば、その意味するところは、安倍総理は、この世においても、あの世においても、最低のエチケットというもの。つつしみというものを、守るつもりはなかった、ということにもなります。

 初めに終わりを想うほどに、創造力もない、ということになります。
 そういう人間として生きる最低のエチケットも、「慎み」さえ持ち合わせていない罪は、流感のように、周囲に菌をばらまきます。代表者の罪というものは、そういう政権にすがるひとに、遺伝も感染もします。
 それゆえに、罪意識の薄い政治家は、早めに責任をとって辞めてほしいわけです。

 しかし、安倍総理だけを責めても、もはや、日本の未来は開かれません。
 ひとりひとりが、つまり安倍総理を選んだ国民ひとりひとりが、一国の総理の罪の重大さに気づいて、国民もまた反省するときでもある、ということです。

 そういう反省材料をこれからも紹介していきますので、ご参考にしてみて下さい。
 

第二回講話 日本のカミガミも自民党も
      なぜ、安倍内閣に忠告もしないのか。

 
 1 日本人の神々は、どうしているでしょうか

 第二次す世界大戦の前では、昭和天皇現人神でした。
 「現人神」とは、正真正銘の、神が人となった存在でした。
 つまり日本の皇室の先祖は、天照大神という女性であったわけです。

 女性の神が先祖でありながら、天皇になるひとは、代々男性を受け継いできました。
 もちろんほかの日本人でも、一般庶民の子でも、男の子にしても、女性から生まれます。
 しかし、どういう女性でも、男性と交わってから、我が子を産みます。
 ところが、女性の神が夫のいないままで、男の子を産むわけです。
 しかも天照大神には、弟もいたのです。その弟は結婚して子をもうけますので、理解できますが、天照大神には、夫もいなかったのに、わが子が出来たのでしょうか。

 しかしなかには、天照大神はほんとうは男性であった、というような説もありますが、もちろん事実を知るよしもありません。

 いずれにしても、終わり良ければすべてよし、という「ことば」もあります。
 現皇室がよければ、それでもいいではないかというひともいるわけです。

 しかし困ったことに、信じてはならないことを信じて、真実が、国が、そのまま消滅することもあります。
 無理が通ればとうぜん、道理が「引っ込む」からです。
 昨今の若者の「ひきこもり」現象は、どうでしょうか。
 高齢者が認知症のママで他界してしまえば、どのように、「あの世」が保障されるでしょうか。
 どういう希望が湧くでしょうか。

 また、たとえ親が認知症にならなくても、親が天国に行ったと確信しているひとが、どれだけいるでしょうか。
 仏教の法要供養してもどうでしょうか。
 死者が死後百年経っても、まだその子孫には、救われてはいなのではないかというような気持ちから、法要を続けるほかない宗教宗派も、やはり問題がるあるようです。

 また、天国とか極楽を信じたい人も多いはずですが、天国に行って帰ってきた高僧などもひとりもいないのです。
 そこまで、この世に宗教宗派というものは、その天国さえ明示しないのです。明示できないのです。
 あてにならない、そういうことです。

 官僚の世界を見てください。
 どこに、真実があるでしょうか。
 真実は隠すものである、ということのようです。
 それぞれの大臣にして、例外ではないのです。
 総理にしてもどうでしょうか。
 一国の命運を担っているひとが、お友達との関係でも、問題にされ、国民に嘘をつく、というような低劣な生き方して示さなくなればどうでしょうか。

 安倍総理は、いま、悪魔に誘惑されているのでしょうか。
 それとも、神の試練に遭(あ)っているのでしょうか。
 日本人なら、今こそしっかりと、見届けるべきではないでしょうか。
 日本のカミガミは、自民党は、いつまで、日本的リーダーに忠告をしたり、ときには警告しないのでしょうか。


 2 官僚はほんとうに、「エリート」か

 昨今の国会を見てください。
 どこに官僚の誠意が、罪意識が感じられるでしょうか。
 財務省は、公文書の改ざんまでやってのけたのですが、その目的は、明らかに安倍総理をかばうためであったのです。

 もしこれが、ほかの政権のときの財務省の改ざんであったなら、安倍さんならどうでしょうか。黙っていたでしょうか。日本人なら、行政のトップには責任を取ってもらうはずですが、安倍さんは、まるで、他人ごとのように官僚の間違いを見て見ぬふりをしてきました。

 元財務長官にしても、あれだけの改ざんを指示していながら、退職金を、四千万以上も受け取るそうです。総理個人のために改ざんをして、国民をうそついてきたのです。
 国民の税金で毎月給料を受け取り、最後には退職金もセイキンによって受けとるということ。
 総理の自前ではないのです。
 そういうことがあっていいものでしょうか。

 そういう財務長官の言動を、それを見て見ぬふりをして、見過ごす総理とは、どうなっているのでしょうか。一総理のためにそうしていたとしても、国民のためにはなっていないのです。
 総理というものは、ひとりの官僚のそういう国民に対する裏切り行為を、許してはいけないはずではなかったでしょうか。

 権利というもの。
 個人の権利というものは、個人を支えるものが健全であるときだけ存在するものです。命を支える者がいてこそ、その支えるものによって、個人のいのちは生きるのです。
 国民が税金を納めるから、個人の生きる権利も、退職金を受け取る権利も有効になりますが、国民なら、国民を裏切る財務長官の退職金の支給には、当然違和感をもつはずです。

 再度言います。
 官僚が国民を支えているのではなく、国民に主権があるのであれば、国民にウソをつくもの。総理が国民に対して背任行為があれば、つまり公平、ではなく、個人的な口利きをした行為を隠すために公文書の改ざんを主導したのであれば、そういう官僚になぜ退職金まで支給するのでしょうか。
 なぜ総理がそれも見て見ぬふりをするのでしょうか。

 これもまた「盗み」ではないでしょうか。
 退職金とは、まじめな、公正な労働に報いるものであるべきで、国民を平然とだましてきたものに、どういう感謝のための退職金が必要でしょうか。
 あれほどの偽証を、国会の席上で、国民を敵にまわして、総理個人の罪を覆うような行為をやってのけたものなら、これまでも、とうてい、まじめに国民のために働いてきたとは思えないわけです。
 
 公僕としての罪意識がわずかでもあれば、公務員としての退職金など受けとれないはずです。
 自殺するほなかった財務省のひとりにしても、そういう元長官の様な厚顔無恥な加害者の罪を許せるわけがありません。
 本当のエリートとは、分け隔てなく人の命を大事するはずですが、なぜか日本人のエリートのなかには、こうした官僚も生まれるのです。
 日本では、魂の成長のない、一芸に秀でた、あるいは学歴によって、選ばれてしまうのです。
 それゆえに、日本的なエリートには、この世でもあの世でも通用するような人物が少ないのです。


 3 日本人はなぜいじめをやめないのか

 動物の世界では、例えばライオンでも豹でも、狩りをするときには、弱い幼児を狙いますが、なぜか日本人は、人間でありながら、肉食動物と全く同じで、幼児とか高齢者を狙います。
 なかでも学校の教頭でも、まったく目の不自由な盲人を騙し現金を盗んで逮捕されたものもいました。

 学童の登下校の世話をしていたひとでも、児童を誘惑して殺害したものもいます。
 大学生にもなっていながら、高校生に「性的イタズラ」をしようとして、騒がれたので「殺した」などと平然というものもいます。子どもや弱者を守る思いなどさらさらないわけです。
 つまり、彼らの魂はすでに、動物の霊でしかないわけです。人間として生まれても、全く魂が成長していないわけです。
 そういう大人が日本ではかなり多くなっています。

 いわゆる一流会社でも、その上司が、部下をいじめることを生きがいにしているものが多いのです。
 というより、優位に立っていじめる側になりたくて、受験勉強をしてきたわけです。官僚になって、優越感を持ちたくて、勤勉でもあったわけです。正直というか、高名は考古学者になったひとによれば。
 「歴史に名前が残るような学者になりたかったので」
 ということです。
 そういうひとも、いじめを見て見ぬをしてきたはずです。

 安倍総理にしても、なぜ拉致問題を見て見ぬふりをしてきたか。
 彼らの様な弱者を救いだしても、その労力の割には、選挙で得になることは少ないからというひともいます。
 しかしほんとうは、総理は弱者が嫌いなのです。それゆえに、一流企業のために生きることを選んでいるわけです。
 拉致家族などとは友人にもなりたくないわけです。

 安倍総理だけではなく、日本的な勝ち組というものは、競争に負けたものは、いじめられて当然だ、と思っているのです。
 また日本的な愛国心の強いものは、いまだに、韓国人や中国人を嫌う傾向があります。
 
 もちろん、いわゆる負け組にも問題があります。
 彼らもまた、魂の成長のために、たとえひとりぼっちになっても、戦う、というような気概を失っている人は多いのです。
 たとえ認知症になっても、これだけは譲れない、というような気概を失ったらどうでしょうか。
 誰が大事に扱ってくれるでしょうか。

 つまり、たとえいじめられても、自分で自分をいじめてはいけないのです。
 風のように自由に生きる。
 そういう誇りだけはなくしてはいけないのです。

 第三回は、「政治家二世」の罪について紹介する予定です。

 

 


 
 

 
 
 




  

 
 
 
































第三回講話  天皇制と愛国心

 
 1 昭和天皇の愛国心とは

 日本的な愛国心とは、どういうものだったでしょうか。
 隣国を嫌い、日本文化だけが文化である、などと想っているようです。
  
 日本が戦後も天皇制を選んだのは、昭和天皇が敗戦後、敵将の前で、

 「わたしはどうなってもいいから、日本国民を助けてほしい」

 と言われ、ご自身もまた、神であることを捨てて、人間宣言をしたからでした。
 日本の天皇そのものは、諸外国の王とは、そのように違っていました。天皇は、ただの権力者ではなく、大祭司としての使命があったのです。
 大祭司とは、民を代表して、神の神に出て、国民の罪を神に許してもらい、国民に、神の平和を伝える任務があったのです。

 それゆえに、天皇が武力によって世界の平和をつくることなど、もってのほかだったのです.  そういう、とうていあってはならないことを、日本の軍人が、昭和天皇にやらせばわけです。

 そういう軍人の真似をして、また、三島由紀夫というひとは、日本剣を持ち抱いて、自衛隊の決起を促したわけです。しかも三島は、天皇陛下に、「もう一度武器をもってほしい」といいいたかったわけです。

 大祭司という存在は、罪の贖いのために存在しているものなのです。それ故に、武力によって平和を造るようなことを勧めてはいけないわけです。祭司というものは、神と人、敵と味方を和解させることが、その任務なのです。
 
 それゆえに、日本国民が天皇制を選んだということは、国民もまた、大祭司に仕える者であるがゆえに、祭司なのです。祭司であれば、天皇陛下のように、敵と味方の間に立って、中立を守って、平和をつくるものである、という自覚をもつべきなのです。
 そのために、日本国憲法では、武力はもたない、武力による平和を造らない、と明記しているわけです。

 そういうことです。
 安倍総理は、そういうもっとも基本的なことを、平然と無視するのです。だから、これほどの危険人物はいない、と言いたくて、世論調査では、いつも、「人柄が信用できない」という結果がでるわけです。

 そういう無知で恥知らずな政治家を総理にした国民の罪は重大です。特に与党の自民党のなかの、天皇制を積極的に支持しながら、天皇に逆らってきた閣僚の責任は重大です。
 また陰で、安倍総理の問題行為を、これまでずっと見て似ぬをしてきた国会議員もまた、大いにに反省をしなければなりません。
 そういう人は、敵と味方を平和にするという、天皇の祭司としての義務さえ、知らないのです。

 2 安倍総理の憲法改正の狙い

 三島由紀夫という小説家は、若すぎてノーベル賞をもらえなかったといわれてきたほどに、文学的には才能があったようです。
 しかし、それはあくまでも文学的であって、天皇制についても、勘違いというか、的外れでした。平和の作り方さえ間違っていました。

 もし日本国民で、天皇制を認めるひとは、ひとりひとりが、戦争を放棄して、祭司にならねばなりません。なんといっても、日本国憲法ではそのことも明記されています。第九条の戦争放棄。武器放棄の宣言が、そのことを証言しています。

 そして、安倍総理になると、国民の平和主義者としての、祭司としての国民の義務を放棄させようとしているわけです。武力によって平和を造ろうとしているのです。


第四回講話 天皇と安倍総理の違い

 
 1 靖国神社とのかかわりについて

 ご存じのように、靖国神社には、さまざまなひとが祭られています。
 お国のために死んだ方が祭られています。
 「お国」のために死んだ方、ということで、英霊として祭られています。
 
 そういうことです。
 「英霊」といっても、世界の英霊ではないわけです。敵であった国民からすれば、殺害者なのです。 
 「英霊」とは、日本人の評価であって、韓国中国からみれば、「許されざる罪人」となっています。日本のために「いのち」を捨てたということは、韓国中国の人を殺した敵であるからです。しかも先に侵略行為にでたのは、日本人であった、ということです。

 それ故に、安部総理が、そういう、一方的な侵略をしてきた国の総理が、これみよがしに靖国神社に参拝することは、それもまた「許されざる罪」になるわけです。
 安部総理からすれば、毎年、靖国神社を参拝することは、日本人の、総理としての、当然の義務を果たしているわけです。
 
 たしかに、日本人ならだれでも、日本のための「いのち」をささげた方を、英霊として祭りたいと気持ちはわかります。 
 しかし、日本人から、理不尽に殺されていった外国の遺族からすればどうでしょうか。侵略を受けた韓国北朝鮮中国には、自衛権があって、侵略した日本人に自衛権などなかったのです。
 そういうことです。

 間違った国策に賛同してはいけなかったわけです。ほんとうの「英霊」とは、ほんとうの自衛のための戦死者であって、たとえ外国人であっても、罪のない人を殺したものは、「英霊」ではありません。

 それ故に、安倍総理の務めは、間違った国策の犠牲者になった人に、心から謝罪するべきであり、隣国の被害者には、さらに深い謝罪をすべきなのです。まず、中国や朝鮮半島に出かけて、隣国に、靖国神社に当たる霊場に出むいて、謝罪をすまして、そのあとで、日本の靖国神社の「死者」の方にも。謝るべきなのです。


 2 見習うべ平成天皇

 そこへ行くと、平成天皇は、かつての日本の罪をしっかり認識されておられるようです。それ故に、「お国」のために死んでいった戦死者の霊には、いつも頭を下げているわけです。同時に、日本人から殺された外人に対しても、祈りを忘れないのです。

 昭和天皇にしても、戦後は、人間宣言までしています。神として育てられたひとが、人間となったわけです。
 ですから、侵略戦争に加担した国民にしても、ほんとうは、「英霊」となってはいけないのです、あの戦争では、国民は、一億総玉砕まで覚悟していたのです。しかもそれは、少なくとも、隣国にとっては、「自衛戦争」でしたが、日本人は加害者のほうだったのです。だれにも「英霊」になる資格などないのです。国民が国民を殺したようなものなのです。

 昭和天皇にしてもあの戦争に参加していたのです。だから、国民に罪があったなら、とうぜん昭和天皇にも罪があったのです。戦死していったひとは、隣国から言えば、殺害者なのです。
 それ故に、生き残った日本国民には、たしかに、日本の戦死者と戦死者の遺族を守る義務はあります。

 しかし、ゆめゆめ、靖国神社に出向いて、
 「また戦争をして、仇をとりますから、待っていてください。応援してください」
 などと祈ってはいけないのです。遺された日本人は、加害者として、隣国の戦死者の復活をも願うべきなのです。隣国の平安と発展を祈るべきなのです。

 安倍総理はそれゆえに、武力による平和づくりなど、してはいけないのです。そういうことに無神経であるから、最低のエチケットさえ守らないから、「人柄が悪い」ということになるわけです。
 


 

安部総理の誘惑と試練

2018年6月4日 発行 初版

著  者:平川博達
発  行:yoshikawa-shimon-nobuyuki出版

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現在にところ、7000ページ程の原稿があります。発行した本もありますが、書籍化はまだしていません。  盲学校、知的障害者などの学校の教師の後伝道者になり、今は執筆をつづけています。

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