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ホカホカ物語

兼高 貴也

無色出版



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  この本はタチヨミ版です。

 目 次

CASE-1
CASE-2
CASE-3
CASE-4
CASE-5
CASE-6
CASE-7
CASE-8
CASE-9
CASE-10
CASE-11
CASE-12
CASE-13
CASE-14

CASE-15
CASE-16
CASE-17
CASE-18
CASE-19
CASE-20
CASE-21
CASE-22
CASE-23
CASE-24
CASE-25
CASE-26
CASE-27
CASE-28
CASE-29
CASE-30

CASE-31
CASE-32
CASE-33
CASE-34
CASE-35

CASE-1

 朝、僕は体がやけに重たく感じて目を覚ました。その理由は寝ぼけ眼でも分かるぐらい簡単なことだった。体の上に乗っかっていた七歳になる娘の奈々の姿が僕の目に映りこんできたからだった。
「パパ、ご飯です!」
 大きく青空が広がる朝を象徴するかのような、奈々の目覚まし時計ならぬ、明るくその小さい体には似つかわしくない程の大きな声に無理やり叩き起こされて、嫌々ながらも僕は布団から出た。そして、それは日課として行われる「奈々目覚まし」だから、僕はいつも「今日は何曜日だ?」と疎くなる曜日感覚に恐怖さえ覚える。まだ眠い目をこすりつつ、大きな口を開いて「ふぁー」とあくびをしながら、先に奈々が向かった場所であるダイニングへ行くとそこにはミキサーで野菜ジュースを作っている妻の真由美の姿があった。
「あなた、奈々も自分で起きられるんだから、そろそろ自分で起きないとね。はい、朝ご飯。今日は確か大事な会議があるんじゃなかった? プレゼンの資料の準備はした?」
 真由美はそう言うとマーガリンを塗ったトースト、ヨーグルト、軽めのサラダ、それに先ほど作っていた野菜ジュースをそれぞれテーブルに用意してくれた。
「え? 今日は何月何日? 何曜日だっけ?」
「今日は七月二十五日、金曜日です!」
 奈々に教えられてるようじゃ世話ないなと思いながらも、会社に行くためのビジネスバッグを整理する。真由美が言ってくれたように資料が入っていることを確認して、トーストとサラダをほおばり野菜ジュースで流し込むと、ヨーグルトをかきこんで僕は早足で階段を駆け下りる。
「パパ! 行儀が悪いです!」
 奈々の声が大きくダイニングから階段を通じて響く。「ごめんなさい!」と僕は大声で奈々に詫びを入れると、家を駆け足で出る。
 家を出て最寄りの駅に着くと、普通ならば通勤ラッシュの時間帯で人がごった返す。しかし、幸いなことにその心配は僕には必要がない。なぜなら、最寄り駅であるこの駅が始発駅なのだ。そのため少し早めに家を出れば、都心へ近づくにつれていっぱいになる満員電車の中でも座ることが出来る。奈々には怒られそうだが、少しぐらい行儀が悪いことをしてでもこの電車事情には替え難いのだ。僕は満員電車で押しつぶされそうな人たちを横目にゆっくりと座って、会社近くの駅まで電車から毎日変わることのない街並みを見て、時間を過ごす。会社の最寄り駅に着くと改札を出て会社に向かうのだが、オフィスビルが建ち並んでいるせいで太陽の熱と光は反射してアスファルトからじりじりと焼けつくような暑さへと変わり、ビルの窓ガラスから照り返す太陽光のまぶしさが僕の目を襲った。
 そんな暑さのせいで湧き出る汗をハンカチで拭って、会社の入口の自動ドアを開いて出社する。僕の職場は高層ビルの中にある一つの会社なのだが、高層という響きがこれ程までに似合わないのは地上三階にオフィスがあるからだ。オフィスに入ると、僕は山根部長のそばへ足を進めた。理由は今日のプレゼンのためだ。部長に、真由美が持っていくのを忘れないように言づけてくれたプレゼンの資料を渡して確認してもらう。部長は僕が作った資料に一通り目を通して僕に一言告げる。
「素晴らしい資料だね。今日のプレゼンは君にかかっているから、よろしく頼むよ! なによりも我が社のホープだからね、安倍君は」
 部長は僕の肩をポンッと右手で叩き、その場を離れていった。そのとき、僕は軽く「パワハラだろう」と感じたが、僕にそれだけ期待してくれているということは、「出世も早いかもな」とポジティブに考えを切り替えて、プレゼンが行われる会議室へ向かった。
 会議は僕が主にプレゼンの指揮を執り進めた。用意してきた資料をパワーポイントで映し出し、今回の議案について詳しく説明する。そして、僕が提案した新しい社風を作り出すような画期的な商品を出すべきだという意見で一致し、今後のプレゼンで具体的な商品事例を挙げて他の同業者よりも上を目指すことが決められた。その理由は我が社が広告代理店の外注に当たる会社であり、経営成績が各社横ばいになっていることを加味すれば、僕の打ち出したプロジェクトは他が起こしていない戦略で、我が社が一歩リード出来るものだと確信したことも大きく影響していた。
 無事プレゼンを終えて、一仕事終えたのもつかの間、次から次へと上からの指示が飛んでくる。僕のような平社員に何をそれほど求めようというのかと考えざるを得なかったが、大きなプロジェクトを牛耳ろうとしている以上、仕方がないと割り切って仕事を一つ一つこなしていった。
 そして、ようやく仕事も落ち着き今日の報告書をまとめて部長に渡し、簡単に説明して帰宅の用意を済ませた。そんな僕の様子を見て部長は何気なく声をかけてきた。
「いやー、よかったよ! 今回のプロジェクトも大きい仕事だ。その一筋の光として今日のプレゼンが無事大成功して、キミの力も大いに発揮出来る場所になれば私としてはこれ程安心できることはないよ。今回のプレゼンが大きな一歩になったことを期待して、どうだい、一杯?」
 部長のプレゼンと言う言葉が僕の頭の中でグルグル回っているのを感じ取った。どこか引っ掛かったのだ。そこで、言葉を小声で繰り返し呟く。

「プレゼン。プレゼン。プレ……。あ! 部長! 今日はすみませんが、帰らせていただきます。お先失礼します!」
「あ! おい! ちょっと! なんなんだね。こっちは褒めているのに」
 部長の愚痴が聞こえる前に僕はオフィスを後にして、家の最寄り駅に到着するや否や、すぐさま近くのケーキ屋へ向かった。なんとか閉店間際に滑り込むと、お店のディスプレイにある売れ残りの商品は全て半額になっていた。しかし、この際金額なんてどうでも良い。チーズケーキとモンブラン、それにイチゴのショートケーキを買って足早に我が家への道をスタスタとリズムよく帰路につく。それはプレゼンがうまくいったことも多少なりとも影響していたような気がした。大切な人が待つ家の前に着き、ドアを開けると奈々が玄関でお出迎えしてくれた。
「パパ、おかえりなさい!」
 そして、続いて真由美がスリッパの音をパタパタさせながら、玄関にやってきた。
「おかえりなさい」
「ただいま。遅くなった。これ」
 真由美の言葉を聞いてから僕は返事をして、さっき買ってきたケーキを箱ごとを彼女に渡した。すると、奈々がすぐに「見せてください! 見せてください!」と声を上げる。
「夜ご飯の後に食べようね」
 真由美はうまく奈々をなだめる。そして、僕の顔を見て声をかける。
「お疲れさま。覚えててくれたのね。ありがとう」
「僕と真由美が出会った記念日だ。しかし、今朝の段階では急いでて忘れ……まぁ、いいや」
 僕は言葉の最後を濁して真由美の顔を見た。すると、彼女は優しく微笑んでくれた。これが日常の幸せだと感じてやまなかったのはきっと僕だけじゃない。彼女も奈々も感じていたのではないだろうか。少なからず、僕はそうなんだと心から思えた。

CASE-2

 今日は奈々の小学校の日曜授業参観と懇談会の日。僕と真由美の間では参観日なので、他の親御さんの目もあると思い、前日から「この服はどうかな? そっちの方がいいかな?」なんてちょっとしたファッションショーが開かれていた。最終的に決まった服を奈々に見せると、奈々ははっきりとした口調で返す。
「目立ちすぎです。奈々の参観日なのにパパとママが目立ったらダメです」
 僕たちは必死で決めた洋服を見ながら「なんだったんだろうね、この時間……」と二人で少し泣きそうになりかける。結局、少しピシッとした目立ちすぎず、品格を醸し出すことができるスーツを着て、家を出て奈々の学校まで車で移動する。普通、小学校といえば歩いて通うのが目に浮かぶが、奈々は私立小学校に通っているため、電車で登校するのが当然で、本当に遠い場所に小学校があるため僕たちは奈々には悪いけど、車で移動させてもらう。それにしても、まだ七歳というのに我が子はしっかりしている。親の服装まで指摘してくるのだから末恐ろしいなと感じずにはいられなかった。学校へ向かうと僕たちは奈々が授業を受けている二年二組を探す。小学校を一周することもなく、教室は容易に見つけることが出来た。僕たちは奈々がどこに座っているのかを探し出す。
「あなた、あれ! あそこにいるわ」
 真由美が先に奈々を見つけると僕は奈々のいる方向へ視線を移す。我が娘が受けている授業は国語だった。さすがは有名小学校。教壇に立っている教師は教室の前方に広がる黒板にチョークで独特の音を立てる。生徒たちは解説を受けながら、その板書されたものをノートに書き写すため、頭が黒板と手元のノートを行ったり来たりしていく。教師は一通り解説と板書を終えると、教科書の四十五ページを音読するようにと生徒たちに一言添えてから順番に指名していく。指名された生徒たちはたどたどしい小声で読んでいく。そんな中、奈々は指名される前に自分から手を挙げて音読することを選んだ。僕と真由美は「大丈夫かな?」と不安げな表情をお互いに浮かべて目を合わせた。
「私とお父さんは一緒の傘に入って、信号が赤から青に変わるのを待っていました。そこで、お父さんは『すごいことを見せてあげよう』と言いました。お父さんが持っていた傘を信号機に向けてから『えいっ!』という魔法の呪文をかけるように言うと、同時になぜだか信号が青になりました。お父さんはマジシャンなのかなと私は思い、お父さんを手品師と呼んでもいいような気持ちになりました」
 奈々は僕たちの不安を払拭するように堂々と、そしてハキハキと当てられた文章を音読した。僕は真由美と顔を合わせて、「すごいね」と小声で呟くと、彼女は「うん」と小さく笑みをこぼした。奈々は後ろで授業を見ている僕たちの反応が気になったのか、様子を見るように振り向いた。僕たちはニコッと微笑み、前を向きなさいと指で指図した。すると、奈々は静かに黒板と先生の方へ視線を移した。そして、授業も半分過ぎたころに教師から放たれた言葉に生徒たちからの大ブーイングの嵐が起こる。
「これから抜き打ちテストをします。抜き打ちってどういう意味か分かる人ー?」
「抜き打ち?」
「なんだろう?」
「よくわからないね」
 そんな言葉が教室中で起こり少しざわつき始めていた。そんな教室の空気をひと際大きく変えたのは奈々の発言だった。彼女は「いきなりってことですか?」と教室のざわつきをかき消すように大声で教師に尋ねる。
「正解です、安倍さん。よく分かりましたね。先生嬉しいです」
 先生は嬉しいだろうけど、生徒たちは鳩が豆鉄砲くらったようなものだ。急にテストだなんて。ブーイングが起こるのも当然と言えば当然だった。そんなことは知ったこっちゃないという雰囲気を醸し出しながら、教師は漢字テスト用のプリントを配っていく。生徒たち全員にプリントが行き渡ると、教師の「はい! はじめてください」という合図で生徒たちはテストを始めていく。
 頭を抱えて悩む生徒、黙々と書き始める生徒、果てはテストを裏返して寝る生徒までいて教室内は静かだったのだが、教室内に親御さんの声が響き渡る。それは寝ている生徒さんの親御さんだということは次の一言ですぐに分かった。
「こら! 雅也! ちゃんと起きなさい!」
 そんな大きな声に雅也君がびっくりするよりも明るい空気が生まれ、教室中に「ワッ」と大きな笑いに包まれる。そんな状況を見て、教師が仕切り直す。
「はーい! 静かにしてください! テスト中ですよ」
 僕と真由美の二人は、自分たちの愛娘が心配でたまらなくなる。周りの目も気にしながら、奈々に目をやる。すると、意外にも黙々と真剣に問題の答えを書いてる様子だった。そして、授業終了十分前になり、先生が一言「はーい! やめてください!」と終わりの合図を出して生徒たちは必死に握りしめていた筆記用具を置いた。生徒たちは答案用紙を各自持って教師の待つ教卓へ向かい、その用紙を差し出す。
「残り十分で丸付けなんて大変ではないか?」
 僕は少し教師の力量を甘く見てしまったが、小学校二年生のテストであったため時間はさほどかからなかったようだった。
「はーい! 静かに!」
 先生は丸付けを全てし終えて、大きな声でざわつく生徒の声をかき消した。
「全部丸の人が一人だけいました!」
「えー? だれー?」
 再び教室内がざわつく。当然親も緊張せざるを得ない。自分の子であって欲しいのが本心だろう。この小学校自体が有名私立小学校で皆、面接や試験を受けて通った子供たちの集団だからこそ気が張って当然なのだ。
「百点満点は安倍さんです。みなさん、拍手してあげてください! みなさんも安倍さんを見習って頑張りましょう」
 生徒たちの視線は奈々に、親御さんの視線は僕たちに注がれる。嬉しいのと安心したのとで複雑な気持ちだった。その後、生徒たちは帰宅して、僕たちは懇談会に出席した。約一時間程度、話し合いをしてようやく僕たちも帰路に就いた。
 懇談会を終えて帰宅すると、ひとり奈々は僕たちのことを待っていた。そして、奈々は僕たちの顔を見るなりニコッと微笑んで、ある約束をしていたのを僕たちに思い出させた。
「パパ、ママ。奈々がテストで百点取ったら、奈々の願い事一つ叶えてくれるって言ったの覚えてますよね?」
「え、あぁ、ママ。覚えてるよな?」
「え、えぇ、そうね」
 僕たちはお茶を濁すように曖昧な返事をする。奈々が叶えたい願い事ってなんだろうか。どうか、無茶な頼み方だけはやめてください。心で願ってやまない二人だった。
「願い事は、パパとママと奈々がずっと一緒に笑って毎日楽しくなることです!」
 僕たち三人が幸せになること。それが彼女の願いなら叶えてあげるしかない。そう心に決めて、僕と真由美は奈々を強く抱きしめて「ずっと一緒だよ」と言って、決して破らない約束を交わし合ったのだった。

 しかし、よく考えてみれば授業参観でテストなんてものをやる学校なんてあったのかと気付くのはまた別のお話。

CASE-3

 我が家では真由美が毎日、朝ごはんを作りながら、長方形の二段式お弁当箱と人気のアニメキャラが描かれたお弁当箱を用意する。そして、朝食とは別におかずをその二つのお弁当箱に詰めてくれる。そこら辺の冷凍食品で埋め尽くされるような簡素なものではなく、本当に手の込んだお弁当のおかずを作ってくれるのだ。僕はいつも「そんなに凝らなくても良いよ」と声をかけるのだが、真由美は「これも私の仕事だから取らないで」と、不敵な笑みを浮かべてお手製のお弁当が出来上がる。この時の不敵な笑みはこの後わかることになる。出来上がったお弁当を僕と奈々に渡して「行ってらっしゃい、二人とも」と僕たちを送り出す。実はこのお弁当には毎朝、少し細工がされている。僕はそのお弁当の細工にどんな仕掛けが出てくるのかとひそかに楽しみにしている。細工と言っても大したものではなく、ちょっとしたお遊び感覚でおかず、ないしはご飯にちょっとした工夫が施されているのだ。そんなお弁当を楽しみに午前中の仕事をこなすと言ってもあながち間違いではない。そしてようやくランチタイムのチャイムがオフィスに鳴り響く。
「これからお昼休憩です。社員の皆さんは作業を一時止めて、気を楽にしてください」
 チャイムが鳴ると同時に社内放送が流れる。小さな会社なのにこういうナレーションには力を入れている。まるでこれから開ける愛妻弁当のように。シンクロするところがまたおもしろかったりするのだが。
「お? お決まりの愛妻弁当の出番ッスか?」
 ランチタイムに入り、社内で唯一の同期入社をした渡辺と食堂に入りテーブルに着席して、ご飯を食べる用意をする。彼はどこか楽しそうに目を輝かせて僕に聞いてくる。彼とは入社してすぐに打ち解けて仲良くなったのを思い出す。彼は僕より少し年下で、なんとなく律儀なところがある。そんなところも彼の魅力だ。彼は僕に声をかけると、その「愛妻弁当」をじっと見つめる。僕がフタを開けると同時に彼の瞳はさらに輝きを増していく。



  タチヨミ版はここまでとなります。


ホカホカ物語

2018年6月26日 発行 初版

著  者:兼高 貴也
発  行:無色出版
公式ウェブサイト:
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兼高 貴也

1988年12月14日大阪府門真市生まれ。高校時代にケータイ小説ブームの中、執筆活動を開始。
関西外国語大学スペイン語学科を卒業。大学一年時、著書である長編小説『突然変異~mutation~』を執筆。同時期において精神疾患である「双極性障害Ⅱ型」を発病。大学卒業後、自宅療養の傍ら作品を数多く執筆。インターネットを介して作品を公表し続け、連載時には小説サイトのランキング上位を獲得するなどの経歴を持つ。その他、小説のみならずボイスドラマの脚本・監督・マンガ原案の作成・ボーカロイド曲の作詞など様々な分野でマルチに活動。闘病生活を送りながら、執筆をし続けることで同じように苦しむ読者に「勇気」と「希望」を与えることを目標にしながら、「出来ないことはない」と語り続けることが最大の夢である。

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