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「ごくらく、ごくらく~! 天国は、いいところだニャ~」
子ネコのチャトランは、先週、天国にやってきたばかりでした。でも、すっかり天国でのくらしが気に入っていたのです。
「天国では、なんの心配もないんだもん。しあわせだニャ~」
チャトランは、生きている間、いつも心配ばかりしていました。
明日食べるものの心配。道を行き交う車の心配。おそいかかってくるノラ犬や、ボスネコの心配。こわい人間に見つかってしまう心配。子ネコのチャトランには、おそろしいものばかりだったのです。
チャトランは、生まれてすぐに、捨てられました。寒い寒い冬の日に……。
生きていくのは、辛いことばかり。
そして、チャトランは、春を待たずに、みじかい一生を終えたのでした。
「ぼく、ずっとここにいるよ。ずっとずっと、ここがいい」
チャトランが、かってにそんなことを決めた時でした。
「チャトラン、もうすぐお別れだ」
聞こえてきたのは、神様の声です。
「ニャにぃ~! ニャンだってぇ~! それじゃあ、ぼくは、天国にいられなくなるの? ねぇ、ぼく、何も悪いことしてないよね?」
チャトランは、頭の中が真っ白になりました。
「チャトラン、わしだって、おまえさんを、ずっとそばに、おいていたいんだよ。おまえは、ほんとうにいい子だからな」
「じゃ、ニャンで? ニャンで? ぼく、もっともっといい子にするからさ、ずっとここにいさせてよぅ」
やっとお気に入りの場所を、みつけたというのに、追い出されてしまうなんて、こんなひどいことはありません。また、あの心配だらけ日々にもどるのかと思うと、ぞっとするのです。チャトランは、いっしょうけんめいに、おねがいしました。
「チャトランよ。いつまでも、いつまでも天国にいるわけには行かないんだよ。そんなことをしたら、たちまち天国は、たくさんのたましいであふれかえってしまう。それにな、チャトランには、生きるよろこびを知ってもらいたいんだ」
神様は、やさしく言いました。チャトランがいやがることは、はじめからわかっていたのです。生きていた時に、しあわせだった者は、みんなすぐに、よろこんで元の世界に、もどっていきます。けれど、チャトランのように、しあわせでなかった者は、みんな、天国から出ようとしません。
「いやだ、いやだ! ぼくは、生きるよろこびなんて知らなくてももいいニャ」
このところ、天国には、しあわせに生きられなかった動物たちのたましいが、いっぱいなのです。神様は、いつもの手を使うことにしました。
「では、チャトランには、特別な能力をさずけよう」
神様はそう言うと、チャトランの、のどをなでました。あまりのここちよさに、のどがごろごろと言っています。
神様の手がぴたりと止まりました。
「えいっ!」
と、とつぜん大きなかけ声がして、神様の指が、キラリと光ったのです。その光は、チャトランの、のどに入っていきました。
「うわっ! ニャンだ? 今、なにかがぼくの、のどに入ったぞ」
チャトランは、おどろいて、のどをさすってみました。
「さぁ、これで、おまえは、人間の言葉がしゃべれるようになった。ただし、言葉が通じるのは、ほんとうに心が通じ合った人間だけ。それから、もう一つ。この力は、三年だけしか使えないんだ。三年経ったら、ふつうのネコにもどってしまう。だから、それまでにちゃんと、心が通じ合う人間をさがすんだよ」
「でもぅ、ぼく、こわいニャ。ほんとうに今度は、しあわせになれるのかニャ?」
「それは、だれにもわからない。わしにも決められない。しあわせになるかどうかを決めるのはチャトラン、おまえ自身なんだよ。さぁ、行くがいい」
神様は、そう言うと、チャトランのたましいを、ふぅーっと、ふきとばしてしまったのです。
「あっ、まって! まって~!」
チャトランのたましいは、ぐんぐんと落ちていきました。
「神様~、まってよぅ~」
そう叫びながら、気を失ってしまったのです。チャトランのたましいは、全てのことを忘れていきました。のこったきおくは、神様との約束だけでした。
「チャトラン、今度こそ、しあわせになるんだよ」
神様は、落ちていくチャトランのたましいをずっと見守っていました。
「わぁ、かっわいいー」
チャトランが気がついた時、女の子の声が、聞こえました。
「ミィー」
チャトランは、生まれたばかりの子ネコに、なっていたのです。
「子ネコちゃん、ミルクをたくさん飲んで、早くおおきくなるんだよ。」
女の子は、そう言うと、チャトランの頭をそっとなでてくれました。
「ミィー」
おかあさんも、やさしくやさしく、チャトランをなめてくれます。
チャトランは、いっしょうけんめいに、おかあさんのミルクをたくさん飲んで、大きくなりました。
「ぼく、しあわせだニャン」
おかあさんは、あたたかくて、ふわふわで、気持ちよくって、チャトランは、しあわせでいっぱいなのです。
ところが、しあわせな日々は、長くは、つづきませんでした。
「もう、そうろそろいいわよね」
そんな声が聞こえます、この間の女の子の声とは、ちがう声です。
「ごめんね。うちでは、もうネコは飼えないの。あの子には、かわいそうだけど……」
「ニャンだ?」
チャトランの目にうつったのは、ダンボール箱でした。なぜだか、とてもいやな気持ちになりました。
「いい人に拾ってもらうのよ」
声の主は、チャトランの首を、ひょいっとつかむとダンボール箱に入れました。
「やめて! やめて! おかあさん、たすけて。おかあさんといっしょに、いさせて。おねがい」
いっしょうけんめいに叫びましたが、チャトランの言葉は、通じませんでした。
「しっ! しずかにしてちょうだい」
「ニャァァァー、ニャァァァー」
チャトランには、おかあさんの泣き声が、いつまでも、いつまでも聞こえていました。
「おかあさん……」
公園に、ぽつんと、おき去りにされたダンボール箱には、あたたかな春の日ざしが、ふりそそいでいます。ほんのわずかですが、キャットフードも入れられていました。お気に入りの毛布もいっしょです。そして、「この子をかわいがってください」とはり紙も、されていました。
それでも、チャトランが、捨てられたことには、かわりありません。どんなに、あたたかくすごせても、しばらくは、えさの心配がなくても、チャトランを守ってくれるおかあさんは、もういないのです。
あの女の子なら、言葉が通じたのだろうか? もし、通じていたら、捨てられなかったのだろうか? そう思うと、チャトランは、とても悲しくなるのでした。
「ほんとうに、ぼくの言葉が通じる人なんて、いるのかニャア。でも、神様がうそをつくはずないんだもんニャ」
チャトランは、言葉の通じる人をさがすことにしました。
「ぼくをひろってくださぁ~い! ぼく、チャトラン! ちゃんと、言う事を聞くニャ」
チャトランは、とりあえず、声を出してみました。けれど、みんな、チャトランの前を通りすぎていくだけでした。
「あらあら、かわいそうな捨てネコ」
ときどき、そんな声がきこえたり、
「まぁ、かわいい!」
と、頭をなでてくれるだけで、だれもチャトランを、ひろってはくれませんでした。
もちろん、言葉が通じる人なんて、みつかりません。
「だめだニャ。もう、つかれたニャア」
チャトランは、すっかりしょげてしまい、お気に入りの毛布に、うずくまっていると、
「あら、かわいい子ネコちゃん。どうしたの?」
若い女の人に、声をかけられました。
とてもやさしそうな人です。
「ぼく、チャトランだニャ!」
「『この子をかわいがってください』ですって? 捨てられちゃったのね。かわいそうなミーちゃん」
どうやら、チャトランの言葉は、通じていないようです。
「いいわ、うちに、いらっしゃい」
女の人は、そう言うと、チャトランを抱き上げました。
この人なら、きっとかわいがってくれるだろう。チャトランは、うれしくなりました。
「ミーちゃんじゃないニャ、チャトランだニャ」
「はいはい、おなかがすいたのね。ミーちゃん。もう少しがまんしてね」
チャトランは思いました。きっとそのうちに心が通じ合って、言葉も通じるのだと。
「ニャー」
「しっ! しずかにしててちょうだいね。ミーちゃん。ここは、ネコを飼うのは禁止なんだから」
女の人がひそひそ声で、言ったので、チャトランも、ひそひそ声でこたえました。
「わかったニャ」
「あら、かしこいのね。ミーちゃんは」
女の人が住んでいるのは、小さなマンションの一室でした。
「ここで、おとなしくしていてね。いい子だから。ぜったいに、外に出ちゃ、だめよ」
チャトランは、小さな部屋に閉じこめられたきり、もう外にでることはできません。それでも、しあわせだと思いました。女の人は、とてもやさしくしてくれるし、おいしいごちそうも、たくさんくれたのです。
「ミーちゃん、ずっとここにいていいのよ」
「ニャー!」
チャトランは、もう言葉が通じなくてもいいと思いました。外にでられなくても、よかったのです。このしあわせが、つづくのなら、ミーちゃんになろうと、思ったのです。
でも、このしあわせも長くは、つづきませんでした。
女の人のようすは、少しずつ変わっていったのです。えさも忘れがちになり、そのうち、こんな事を言いました。
「あーあ、こんなきたないネコなんか、つれて帰ってくるんじゃなかったなぁ。よく見たら、ちっともかわいくないしぃ。今度は、真っ白で、ふわふわの子ネコがほしいな」
そして、それっきり、まったくえさをくれなくなりました。
「ねぇ、ねぇ、おなかすいたニャー! なんか食べさせてほしいニャ」
チャトランが、いっしょうけんめいに言っても、知らん顔です。
「おなかすいたニャー」
チャトランは、何度もくりかえしました。
ずいぶん長い間、何も食べさせてもらっていません。もう、おなかがぺこぺこです。
「おなかすいたニャー」
「もう! うるさいなぁ。そうだ! いらないものは、捨てちゃおう」
女の人は、チャトランをぼろタオルでぐるぐるにすると、ゴミぶくろにほりこんだのです。
「ニャにするんだ! 出して! 出してよぅ!」
チャトランは、ひっしで、もがきましたが、女の人は、ゴミぶくろの口をくるっとしばって、チャトランをそのままゴミ捨て場に、捨ててしまいました。
「バイバイ! 子ネコちゃん」
女の人の足音が遠ざかっていきました。
このままでは、たいへんです。ゴミぶくろをやぶこうにも、タオルにくるまれていて、うまく動けません。チャトランは、叫びました。
「だれか助けて! おねがいだニャ! 出して!」
キキィー。自転車が止まる音がしました。
「なんだぁ、これ? もしかしてネコか?」
シャカシャカとふくろの開く音がして、男の人の顔が見えました。
「たすかったニャ! ありがとニャン」
男の人は、チャトランを、ゴミぶくろの外に、出してくれました。
「なんてことするんだ。かわいそうに」
「ギュルルルッ~」
チャトランは、もう一度、お礼を言おうとしたのに、その前におなかの方が、鳴ってしまいました。
「おなかすいてるんだな。ちょっと待って」
男の人は、自転車のかごから、コンビニのふくろを持って来きました。
「これをあげるよ。ぼくの晩ご飯だけどな」
そう言って、パンを取り出すと、細かくちぎって、チャトランの前に、さしだしました。
「ほら、お食べ」
「ぼくが、食べてもいいのかニャ? 晩ご飯ニャンでしょ」
「いいんだよ」
男の人は、チャトランの言葉がわかったのか、そう言って、頭をなでてくれました。
「ぼくは、チャトランだニャ」
チャトランは、ためしに言ってみました。この人かもしれない。そう思うと、ドキドキします。
男の人は、だまって何度もチャトランの頭をなでているだけでした。そして、
「……ごめんよ。ぼくの家では、君を飼うことは、できないんだ。これ、全部食べてもいいから、元気になるんだぞ」
そう言って、自転車にまたがりました。
「バイバイ。元気でな」
街灯の明かりが、男の人の乗った自転車をじっと見つめるように照らしています。チャトランは、自転車の大きな影が、何度も何度も止まりながら、遠くへ行ってしまうのを、見送っていました。いつまでも。
「あーあ、行っちゃったニャ。仕方ないよニャ。命の恩人を困らせるわけには、いかないもんニャア。あの人が、言葉の通じる人だったのニャら、ぼくって、ついてないよニャア~」
チャトランは、とぼとぼと細い路地を歩きながら、考えました。
ほんとうに人間と心が通じ合うことなんかあるんだろうかと。だれも、チャトランの声を聞こうとは、してくれません。あの男の人だって、やっぱりチャトランを、おいて行ってしまったのです。
「しあわせになるかどうかを決めるのはチャトラン、おまえ自身なんだよ」そんな神様の言葉が、頭をよぎりました。
「そうだ! こうなったらノラネコらしく、だれにもたよらずに生きていこう。きっとそれが、ネコのしあわせってもんだニャ」
チャトランは、思いました。
「もう、だれにもたよらニャいぞ! ぼくは一人で生きるんだ! よぉ~し、この街で、一番りっぱなノラネコにニャるぞ!」
チャトランは、夜の街を走りました。走って走って、走りました。
「ぼくは自由ニャンだ!」
走っているうちに、何とも言えない気持ちになりました。うれしいような、さびしいような……。
チャトランは、いろんな思いをふりはらうように、走りつづけました。
「強いノラネコにニャるんだ!」
二度目の春をむかえたチャトランは、ずいぶんとたくましくなっていました。
まだ、街一番のノラネコには、なっていませんでしたが、この間も、けんかに勝ったところです。おかげで、公園で一番日当たりのいいベンチを、自分の物にすることができたのです。
「お昼寝には、日当たりのいいベンチがニャいとな!」
チャトランは、大満足でした。
おなかがすけば、ゴミ箱に。お天気がよければ、ベンチでお昼寝。チャトランは、気ままで自由なノラネコ生活をたのしんでいました。
けど、ときどき、とてもさびしくなるのです。
「おかあさん……会いたいニャ」
やさしくしてくれた女の子や、男の人のことを、思い浮かべる事もありました。
「ぼく、ひとりぼっちなんだ……」
お気に入りのベンチが、どんなに体をあたためてくれても、心の中は、つめたいままなのでした。
そんなある日、チャトランは、いつものように、夜の街で、ゴミ箱をあさっていると、
「このやろう、いつもいつも、ちらかしやがって! 今日こそ、とっちめてやる!」
と、いきなり、ぼうきれで、たたきつけられました。
「ニャン!」
チャトランは、おどろいて、大あわてで走り出しましたが、ぼうきれを持った人は、いつまでも追いかけてきます。
「このやろう~! まちやがれ」
その顔は、なんだか、にやにやしていて、おこっていると言うよりも、楽しんでいるようでした。
「ニャンニャンだ? ぼくは、いらなくなった物を、いただいただけニャのにさぁ」
チャトランには、なぜ、こんなことで、ぼうきれで、たたかれて、追いかけ回されるのか、わかりません。
「あっ! しまったっ!」
道は、行き止まり。もう逃げられません。
「まて、まて、まてぇ~! フッ、もうにげられないぞ」
声が、近くなってきました。不気味な笑い声まで聞こえます。
「もうだめだっ!」
そう思った時
「こっちよ」
とつぜん、目の前の玄関のとびらが開いて、チャトランは、しっかりと抱きかかえられました。
「しっ! じっとしてて」
真っ暗な玄関で、チャトランは、しっかりと、やさしく抱きかかえられていたのです。
あたたかな手が、チャトランをぎゅっとつつんでいます。チャトランは、おかあさんを思い出しました。心が、ほわほわとあたたかくなるのです。
「おかしいなぁ、たしかに、こっちに来たはずなんだけどなぁ。ちぇっ。今日は、もういいか」
カランカランとぼうきれを引きずる音と重たい足音は、どんどん遠くなり、そのうち聞こえなくなりました。
「さぁ、もうだいじょうぶ。今度は、みつかるんじゃないよ。あの人、おっかないからね。なにするかわからないんだからさ」
女の人は、チャトランを抱きかかえていた手をゆるめました。
「さ、早くお行き!」
そう言って、チャトランをはなすと、玄関のとびらは、何事もなかったように、ぴたりと閉じられてしまいました。
「あっ、待って!!」
チャトランは、お礼を言いたくて、とびらをたたいてみましたが、とびらが、開く事はありませんでした。
「ありがとニャン!」
チャトランは、とびらの前で、ぺこりと頭を下げると、そのまま、大急ぎで帰っていきました。
「真っ暗で、顔も見えなかったニャ。でも、おかあさんみたいにあったかかったニャ。また会えるといいニャ」
チャトランは、その日、夢を見ました。
おかあさんに抱かれて、しあわせだった頃の夢。そして、きれいな白い手が、おいでおいでと手まねきをしていたのです。その手の持ち主は、おかあさんの顔から、かわいらしい女の子の顔に変わり、そして、助けてくれた男の人になりました。みんな、やさしくチャトランの名前を呼んでいます。
「待って!」
チャトランは、おいでおいでとゆれいている白い手を、いっしょうけんめいに、追いかけました。でも、白い手は、追いかけても追いかけても、チャトランには、届かないところにあるのでした。
次の日、チャトランは、どうしても、もう一度、あの助けてくれた人に会いたくて、昨日の家の前まで行きました。
そうして、家の前を、何度も行ったり来たりと、うろうろとしていると、玄関のとびらが開いたのです。いよいよです。きっとやさしい顔の人が、あらわれるにちがいない。そう思うと、チャトランは、ドキドキしました。
ところが、玄関から出てきたのは、キッと目をつり上げた、けわしい顔のおばさんでした。そして、チャトランを見るなり、ますます目をつり上げて、言いました。
「なんだい、なんだい、あたしゃねぇ、ネコが大っきらいなんだ! あっちにお行き!」
チャトランは、あまりのショックに、じっと、その場に立ちすくんでしまいました。
「あ~! もう、早く、あっちにいっとくれよ。しっ、しっ!」
チャトランは、追っ払われて、しぶしぶその場からはなれました。
「おかしいニャ? あの人? まさか! あの人が、あんなあたたかな手を、しているはずがないニャ。あの家には、別の人がいるのかニャ。きっとそうだニャ。そうだ、この辺のネコに聞いてみよう」
チャトランは、さっそく屋根の上でひなたぼっこをしているネコを見つけたので、聞いてみました。
「ねぇ、ねぇ、君、あの家に住んでる人知ってる?」
「ああ、知ってるさ。このあたりじゃ、有名だからな」
「有名?」
「そうさ、ネコぎらいおばさんだよ。ネコが大っきらいなんだそうだ。もう、近くに行ったら、うるさいったらありゃしない。おまえさんも、近くによらない方が、いいぜ。今は、さわいでるだけだけど、そのうち、何しでかすか、わかりゃしねぇ。人間なんて、みんなそうだからな」
「あの家には、他にもだれかいるんじゃないの? やさしいおばさんとかいない?」
チャトランは、どうしても、あのあたたかな手が、忘れられないのです。
「あの家には、あのおばさんが、一人っきりしかいないよ。やさしいおばさんなんかいるもんか」
そんなことを話していると、のそのそと、おばばがやってきました。おばばは、この街で一番の長生きネコで、街のことは、知らないことがない、というくらい何でも知っているのです。
「あっ、おばば」
「やぁ、チャトラン。今日は、こんなとこまできたのかい?」
「うん、人をさがしてるんだ。あの家の人だと思ったけど、ちがうみたい。」
「そうかい、そうかい。あの人も昔は、あんなじゃなかったんだけどねぇ」
おばばは、さびしそうな目で、遠くを見ていました。
「おばば! またぼくのベンチにおいでよ。いつでもかしてあげるからさ!」
「ありがとよ。チャトラン。また今度な」
おばばは、そう言うと、またのそのそと歩きだしました。
それから、チャトランは、いろんなネコに聞いて回りましたが、ネコぎらいおばさんが一人きりで、あの家に住んでいると言うことは、ほんとうのようでした。
チャトランは、しょぼんと頭をおとすと、とぼとぼと歩きました。
「もう会えないのかニャ……」
チャトランは、もう、あたたかな手の持ち主をさがすのを、やめることにしました。
それから、何日かが過ぎていきました。
チャトランの心は、まだすっきりとしないままでした。
「こんな日は、昼寝でもするかニャ」
チャトランが、お気に入りのベンチに行くと、すでに先客がいたのです。
「あっ、あれはネコぎらいおばさんだニャ」
おばさんは、ベンチで、お弁当を食べていました。そして、チャトランがじっと見ているのを見つけると、
「あー! もうやだ。しっ、しっ! あたしゃ、ネコが大っきらいなんだ! あっちにお行き!」
と大きな声を出しました。けど、今日のチャトランは、かんたんには、ひきさがれません。なんと言ってもベンチは、チャトランが、苦労して手に入れた、お気に入りの場所です。
「ここは、ぼくのベンチだニャン!」
チャトランは、どうせ通じやしないと思って、言ったのです。ところが、
「なんだって! ここは、私のお気に入りのベンチなのよ。だいたい、あんたのベンチって、だれが決めたのよ!」
「ニャにおうぅ! そっちこそ、おばさんのベンチだって、だれが決めたんだニャ。ぼくは、聞いてないね! ここは、ぼくのベンチなんだニャ!」
「んまぁ、あたしゃね、あんたなんかより、うんと長生きしてんだよ。もう、ずーっと、ずーっと前から、このベンチを知っているんだからね!」
「ううっ~~!」
とうなって、チャトランは、はっとしました。
「あ~~! ニャンで、ぼくの言葉が通じるんだぁ」
おどろいたのは、チャトランだけではありませんでした。
「やだ! ネコが、人間の言葉しゃべってる!」
二人……いえ、一人と一匹は、おたがいの鼻と鼻をつきあわせると、じっと、顔を見つめ合い、しばらくは、首をかしげたり、ふしぎな顔をしていたのですが、
「ふん!」
と鼻息をあらくして、そっぽを向くと、またけんかをはじめたのです。
「やっぱり、あたしのベンチよ!」
「だから、ぼくのベンチだニャー!」
「あんたも、しつこいわね」
おばさんがあきれて言いました。
「おばさんだって、ネコぎらいのくせに、しつこいニャー」
「ええ、ええ、ネコなんか、大っきらいよ。とくに、あんたみたいな、茶色のとらじまのネコはね。ふん! もう、食べる気しなくなったわ」
おばさんは、そう言うと、お弁当をのこして、いそいそと帰っていきました。
「ニャンで、ネコぎらいおばさんにぼくの言葉が通じるんだ? まさか……そんなわけないニャー。ネコぎらいおばさんが、心の通じる人だなんて、じょうだんきついニャ」
チャトランは、頭をかかえました。
「ギュゥゥゥ~。あ~おなかがぺこぺこだったニャ。そうだ、おばさんがおいていったお弁当があるぞ。食べちゃおう」
お弁当箱には、チャトランが大好きな魚のフライやたまごやきがありました。ごはんには、かつおぶしがかかっています。
「う~~ん、うんまい! こんなおいしいごはんは、久しぶりだニャ」
チャトランは、おばさんののこしたお弁当をぺろりとたいらげてしまいました。
次の日も、やっぱりベンチには、おばさんがいました。
「昨日は、ごはん、うまかったニャ。ありがとうニャン」
チャトランは、少してれながら言いました。
「べつに。あたしゃ、お弁当を、あんたにあげたわけじゃないよ。食べる気がしなくなったから、おいて帰っただけさ。あんたに礼など言われるすじあいはないね」
おばさんは、そっけなく言いました。
「ニャンだぁ! その言い方はないだろう。せっかくお礼を言ってやったのにニャ」
「んまぁ、お礼を言ってやったですって! だれも、言ってくれなんて、たのんでないじゃないか」
やれやれ、チャトランとおばさんのけんかがまたはじまってしまいました。
「ふん! もう、帰るわ。これ以上、あんたとけんかしてても時間のむだだわ」
「そりゃ、こっちのせりふだニャ」
おばさんは、捨てぜりふといっしょに、またお弁当をおいて帰ったのです。でも、今日は、のこりではありません。ちゃんとチャトランのために作ったお弁当のようでした。
「へんだニャ~、おばさん、ネコぎらいなのにニャア」
チャトランは、首をかしげるばかりです。
それから、チャトランとおばさんのけんかは、毎日つづきました。そして、おばさんは、なぜか、いつもチャトランのお弁当を、おいて帰るのです。
チャトランは、毎日が楽しくなりました。お弁当がおいしいからだけでは、ありません。おばさんに会うのが楽しみなのです。
チャトランは、ふしぎでたまりません。顔を合わせると、けんかばっかりしているのに、おばさんに会いたいと思うのです。
「へんだニャ~ニャンだろう。この気持ちは」
そうして、月日は過ぎていきました。
「今日こそは、ちゃんと言わなきゃ……」
その日、おばさんは、いつもとようすが、ちがっていました。そわそわしながら、チャトランがくるのを待っていたのです。
道路の向こう側に、チャトランのすがたが見えます。
「来たわ!」
と、その時、曲がり角からとつぜん車が、とびだしてきました。
「あぶないっ!」
おばさんは、身を投げ出しました。
チャトランには、何が起こったのか、わかりませんでした。あたたかな手が、チャトランを、ぎゅっと抱きしめていたのです。
「同じだ! あの日と同じだ」
今、チャトランを、抱きしめている手は、真っ暗な玄関で、感じたぬくもりと同じでした。
「ああ、よかった。よかったよ。もう、二度と大切な物をなくすなんていやだからね……」
おばさんは、そういうと、ぐったりとたおれこんでしまいました。頭からは、血がふきだしています。
「だれか、救急車! 早く、早く!」
「おい、だいじょうぶか?」
おばさんのまわりには、たくさんの人が集まってきました。
「おばさん! おばさん! しっかりして!」
「だいじょうぶ! だいじょうぶだよ」
おばさんは、小さな声で言うと、目を閉じてしまいました。
「おばさん! おばさん!」
ひっしで叫びましたが、チャトランの声は、たくさんの人の声にかき消されてしまいました。
「じゃまだ、じゃまだ!」
救急車のサイレンの音が近づいてくると、チャトランは、その場にいた人に、追い払われてしまいました。
「やっと、来たぞ!」
「早く、早く! まだ意識はあるみたいだから、だいじょうぶだ」
救急車は、おばさんを乗せると、けたたましい音を鳴らして、走り出しました。
「おばさん!」
チャトランは、むちゅうで、救急車を追いかけましたが、とても、追いつけるスピードではありません。
救急車のすがたは、どんどん、遠くなり、そのうちに見えなくなってしまいました。
「おばさん、ほんとうに、だいじょうぶなのかな」
チャトランの心には、おばさんの言葉がいつまでも残っていました。
「もう、二度と大切な物をなくすなんていやだからね……」
「おばさんの大切な物って……ぼくなの?」
チャトランは、あたたかな手を思い出しました。
「あの手、おばさんだったんだニャ。ぼくも、大切な物をなくしたくないニャ。おばさん、大好きなんだよ」
チャトランは、おばさんがもどってきたら、真っ先に伝えたいと思いました。
「おばさん、早く、もどってきて! 早く元気になって!」
チャトランは、いつものベンチで、おばさんが来るのを、待ち続けました。
「やぁ、おはよう、チャトラン」
やってきたのは、おばばでした。
「おばば」
「あの人、昨日、病院から帰ってきたよ。けがも大したことなかったみたいだ」
「ほんとう! よかったぁ」
チャトランは、ほっとしました。
「ああ、明日には、ここに来ると思うよ」
「明日、明日会えるんだね」
チャトランは、うれしくなりました。
「あの人ねぇ、昔、ネコを飼ってたんだよ。おまえさんそっくりの茶色のとらじまだったよ。そりゃもう、とてもかわいがっていてね、それで、私ら、ノラネコにもやさしくしてくれたんだよ。それが、十年前に事故でネコを亡くしてしまってからは、あんな風になってしまってさ。私もずっと心をいためてたんだよ」
「そうだったんだぁ……」
「きっと、こわかったんだよ。またネコを飼うのがね」
チャトランは、だまってうなずきました。
「チャトラン、しあわせになるんだよ。これで、私もやっと肩の荷が下りたってもんだよ。もういつでも安心して、天国へいける。愛しい彼の元にね」
おばばは、そう言うと、のそのそと歩きだしました。その後ろすがたは、なんだか、すうっと景色の中に、消えていくように見えました。
「おばば……」
チャトランは、いつまでもおばばを見送っていました。もう二度と会えない気がしたのです。
その日の夜、チャトランが、眠りにつくと
「チャトラン、チャトランや」
なつかしい声が聞こえてきました。
「ああ、神様!」
「どうやら、心が通じ合う人を見つけたようだな」
「はい、神様」
「ところで……今日で、約束の三年が終わりだ。明日からは、もうふつうのネコにもどってしまうぞ」
チャトランは、そんなこと、すっかり忘れていたのです。
「そんニャー、神様、あと、一日、せめて一日だけ待ってくださいニャ。ぼく、大切なことを言っていないんです。一言だけでいいんです。おばさんに大好きだって。それだけでいいんです」
チャトランは、何度も何度も頭を下げて、おねがいしました。けれど、神様は、首を横にふると、
「だめだ。約束は、約束だ」
そう言いのこして、消えてしまったのです。
「ああっ、神様! 待って!」
チャトランは、はっと目をさましました。
「夢? じゃなさそうだニャ……」
チャトランは、後悔しました。
おばさんとは、言葉が通じていたのに、けんかばかりしていたのです。それなのに大切な言葉は、何も伝えることができないのだと思うと、胸が苦しくなりました。
「一言、一言だけでいいのにニャ……」
チャトランは、言葉がしゃべれなくなった事よりも、伝えたい一言が、言えなくなってしまったことが悲しかったのです。
チャトランが、そんなことを考えて、ベンチでぼんやりしていると、お日さまは、もう頭の上まで来ていました。
「どうしたんだい! そんな顔しちゃってさ」
おばさんの声がしました。頭には、包帯がぐるぐると巻かれていましたが、いつもの元気な声でした。
「ニャン!(おばさん!)」
「ん?」
おばさんは、じっとチャトランを見つめていました。
(ぼくしゃべれなくなっちゃったんだよ)
チャトランは、しょんぼりしました。
「あんた、しゃべれなくなったのかい?」
「ニャン(うん)」
「なんだい、なんだい、そんな顔しないでおくれよ。調子がくるっちゃうじゃないか」
(おばさん、ごめんね。もういつもみたいにけんかできないんだよ)
チャトランが心の中で、ぽつりと言うと
「バカな子だねぇ。あたしゃ、あんたが何考えているのか、全部お見通しなんだよ。言葉なんかいらないよ」
「ニャン?(ほんとう?)」
「ほんとうだとも! 心と心で通じているんだからね」
おばさんは、チャトランを、しっかりと抱きしめました。
「今日は、あんたに言いたいことがあるんだよ。ほんとうは、あの日、言うつもりで、あんたを待ってたんだ」
「ニャア?(何)」
おばさんは、顔を赤らめると、はずかしそうに、言いました。
「あの、あのさぁ、その、なんだよ。あんたさえ、よかったら、うちに来ない? あたしもひとりぼっちだし……って、ああ、もう! こんなはずかしい事、二度と言わないよ」
チャトランは、びっくりしました。そして、うれしい気持ちが、じわじわとあふれてきたのです。
「ニャン!」
「さ、帰ろっか」
おばさんが、しずかに歩きだした横を、チャトランは、ぴったりとよりそうように歩きました。
「そうだ、あんた、名前あるの?」
「ニャニャニャン(チャトラン)」
「よろしくニャ。チャトラン。あら、やだ、ネコなまりが、うつっちゃった」
おばさんは、顔をくしゃくしゃにして、笑うと、てれかくしに、鼻歌を歌いました。
(おばさん、大好き!)
チャトランは、心の中で、つぶやいてみました。
「あたしもだよ! チャトラン」
おばさんの小さな小さな声が、チャトランの耳にはしっかりと届きました。
「ニャオン!」
チャトランは、伝えたかった一言を伝える事ができて、とびあがってよろこびました。
それから、チャトランは、おばさんの家族になったのです。
おばさんの家の表札には、ちゃんと「チャトラン」と書かれていました。
そして、いつまでもなかよく……
「ニャニャン、ニャ、ニャニャニャ、ニャー!」
「ちがうわよ、このざぶとんは、ずっとあたしの指定席なんだから!」
「ニャニャン!」
「なんだって!」
……けんかばかりしてました。
2018年9月8日 発行 初版
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