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こてまり 34号



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 目 次

みなみ鉄道のみなみくん ………… ますだ すみこ 

ケッソク ………… 植田 良枝

ぼくのおじいちゃん ………… まつうら のぶこ

窮屈で自由な空間 ………… 長谷川 由美

バイバイ 里美 ………… 藤田 通代

掌編作品                           

§ 編集後記 §

創作児童文学を中心とした創作文学を収録しています。
電子書籍化にあたり、事情により掲載できなかった作品もあります。あしからずご了承ください。


       表紙・カット 藤田 通代

みなみ鉄道のみなみくん


                 ますだ すみこ

 わしは『みなみ鉄道』という鉄道を走る、みどりいろのふるい電車。ちっちゃい町のみじかい鉄道で、とまる駅は五駅だけ。
 はじめの駅から終りの駅までのっても、十分もかからん。何年も何年も、駅のあいだを行ったり来たりしてる。
 冬のおわりの夜だった。
 一日の仕事がおわり、車庫に入ったわしは、まどから空を見た。
 こんなことって、あるのか! まっくらな空に、紙に書くように字が書いてあったんだ。
『コレカラ ☆デンシャパーティー ☆シマス ☆ゼヒ ☆キテ ☆クダサイ』
 星を集めて書いたようなひかる字。
 デンシャパーティーって、なんだ?
 目の前に、白くひかる線路が見えた。
 わしは思わず、その線路にとびのって走った。
 えっ、わし、ひとりで走れるのか!
 こんなことはじめてだ。
 わくわくしてきて、線路を前へ前へと、どんどん、どんどん走った。
 くらくて何にも見えんし、どこをどう、とおってるかわからんけど、なんだか楽しい。
 しばらく走ると、すごくあかるい場所についた。
 なんとそこには、たくさんの電車が集まってた。
 電車、電車、電車だらけ!
 にぎやかな話し声がきこえる。
「オレ、特急だぞ! 都会といなかのあいだを、みじかい時間で走れるんだ。オレができて、べんりになったってよろこんでいる人、多いぜ」
 まだあたらしい、グレーに青いもようの入ったのが、大声でしゃべってた。
「わたしは、蒸気機関車です。むかしは、よく走っていましたが、このごろは、わたしを見にくる人たちのために、少し走るくらいです」
「おいらは、地下鉄。お客さんでパンパンにふくらんだからだで、朝も昼も夜も、くらいとこばっかり、走ってるんだ。いそがしいよ」
 ほかにも、きれいなあずきいろの電車、空いろの電車、オレンジいろの電車とか、どれもこれもわしよりずっと大きく、りっぱなもんばっかり。
 中でも、いちばんは、新幹線だ。
 わしだって、新幹線のことは、しってた。大きくてはやくて、すごくとおくまで走ることのできる、最高の特急だってこと。
 新幹線、かっこいいなあ。
 それにくらべて、わしはふるいし、ちゃちいし、はやくも走れん。この中で、いちばんみすぼらしく見える。来るんじゃなかったな。かえりたい……。
「きみ、見かけない電車だね。ここへ来るのはじめて?」
 リンとした声をかけてくれたのは、新幹線だった。わしは、きんちょうしてこたえた。
「は、はい……」
「ぼく、いろんな電車としりあいたくて、時どき、ここに電車たち集めて、パーティーするんだ。それで、空さんにたのんで、あちこちの電車に見えるように、手紙を書いてもらうんだ」
「じゃあ、空に書いてあったのは、あなたが?」
「そう。ここは電車だけが来ることのできる場所。電車の世界だ」
「わし、長いこと走ってるのに、しらなかった」
「長いこと、どこを走ってるの?」
「みなみ鉄道っていう、いなかのちっちゃい鉄道。運転は、おじさん二人が交代でするんだ。おじさんたちとは、何十年もいっしょだ」
「ええーっ、同じ運転手と何十年も?」
「友だちみたいなもんだな。おはよう、おつかれさんって、あいさつしてくれるし」
「いいなあ、運転手と友だちなんて。ぼく、運転手にあいさつされたことなんて、ないよ」
「まあ、ちっちゃい鉄道だから。お客さんの顔は、ほとんどおぼえてる。この人、ここでのって、ここでおりるって、だいたいわかる」
「すっごーい! ぼくなんて、お客さん多すぎて、ひとりも顔、おぼえられないよ」
「そりゃあ、新幹線さんは、わしよりずっと大きくて、りっぱだから」
「ぼくのこと、『のぞみ』ってよんでよ。何だかきみがうらやましくなってきた。名前、なに?」
「名前って、べつに……」
「みなみ鉄道だから、みなみ君か。みなみ君、自分の走ってるところ、すき?」
「うん、大すきだ!」
 そうだ。毎日走る、ふるい家と家のあいだにあるほそい線路、あき地にさく花、毎日のってくる、おじいさん、おばあさん。学生さん。
 町中をつつみこむ、あたたかい風、学校からきこえる、楽器のれんしゅうをする音……。
 みんな、みんな、大すきなんだ。
 わしは、だんだん、元気になってきた。のぞみ君とわしは、すっかりなかよくなった。

 気がつくと、わしは、車庫にいた。
 ゆめを見てたのだろうかと思って、うすぐらい夜あけの空を見た。
 するとそこに、むらさきいろの雲で、字が書いてあった。
『ミナミクン ☆マタ ☆アオウネ ☆ノゾミ』
 会おう、会おう、かならず会おう!
 わしは、心の中でなんどもくりかえした。

ケッソク


                 植田 良枝

 夕方五時になっても、ひろしは帰ってこない。
 ママは、いつも遊んでいる所を探した。
 でも、見つからない。
 近所の人も手分けして探している。
「自転車を押してこの信号を渡っていたよ」
 ガソリンスタンドのお兄さんが教えてくれた。
 ひろしの家と、小学校の途中にあるスタンドだ。
(この横断歩道は歩いて渡るという、いつもの約束を守っているんだ)

 ママは、ひろしが遊びに出かけた時の会話を思い出そうとした。
「けんちゃんと遊んでくるね」
 確かそういっていた。
 ママはけんちゃんの家に電話をかけた。
 けんちゃんは家にいた。
「どこで遊んでいたの?」
「学校の体育館の所」
「二人で?」
「うん、ひろしと二人。ぼく、スイミングがあるから先にバイバイしたよ」

 ママは、急いで体育館へいってみた。
 ひと回りしたが見当たらない。
(どうしよう、どこへ行ってしまったの? 気が気でない。心臓が飛び出してしまいそう)
 あたりがうす暗くなった時、向こうから自転車に乗った子どもがやって来るのが見えてきた。
(ひろしでありますように)
 シルエットが、だんだんはっきりしてきた。
「ひろし!」
「ママ、ただいま! どろだんご、できたよ」
 ひろしの一声で、張り詰めていた糸が切れた。
 全身の力が抜けて、しかる言葉がでてこない。
「ひろしちゃん、心配したのよ」
 ママはひろしを抱きしめた。
「ママ、苦しいよ。どろだんごがこわれる!」
「どろだんご? なに、それ?」
「うん、見て! これ最高のできなんだ」
「ちょっと待って! 近所の人みんな、ひろしちゃんのこと心配してるのよ」
「なんで? ぼく、どろだんご作っていただけなのに」
「こんなに暗くなるまで?」
「もう少し、もう少しって思って、がんばってた」
「さあ、みんなに謝りに行こう」

 ひろしは、ドキドキしながらママの後ろから付いて行った。
「みなさん、ご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありませんでした」
 いつものママじゃないみたいな神妙な顔をして、頭をさげていた。
(ぼくのために、たくさんの人に謝っているママを初めてみた。涙がこぼれそうだ)

「よかった、よかった、一時はどうなるかと、心配したけど。警察のお世話にならなくてな」
「ひろしちゃん、時間を守るんだよ」
「ママを心配させないこと」
「今度は、気をつけような」
という、やさしいことばをもらった。
「ごめんなさい、もうしません」
 近所の人にあやまって、やっとひろしは一息つくことができた。
「ママ、ごめんなさい。ぼく帰る時間忘れてた」
「ひろしちゃんが無事だったからよかったけど……近所の人ってありがたいね」
「なんでみんな心配してくれてたの?」
「それはね、何年も前からここのご近所さん同士は結束が強かったのよ」
「ケ・ッ・ソ・ク?」
「そうよ。ほら、マキちゃんが熱出した時、弟のわたるくんは、ひろしちゃんと一緒に遊んでいたでしょ? ママがわたるくんを預かっていたのよ」
「あずかる?」
「そう、だって、元気なわたるくんに病気がうつったら困るでしょ。だから、マキちゃんママは、マキちゃんだけ連れて病院へ行ったわけ」
「あの時、楽しかった。わたるくんの他にも、お友だちのさきちゃん、じゅんくんもいたし」
「誰かが困っていたら助け合う。お年寄りを見守る。いつの間にかできたルールなのよ。そうして子育てしてるわけ。見かけない人がウロウロしていたら、すぐ近所中に伝わるのよ。それは、早くにね!」
「ケッソクって、戦隊みたいでかっこいいね」
「さあ、ひろしちゃん、どろだんご見せて!」
「見て、見て、ほら、すごくかたいでしょ。サラサラの土が必要なんだ」
「それが、体育館にあるの? サラサラの土?」
「そうだよ。出入り口のマットの下にあるんだよ。これ、けんちゃんが見つけたんだ」
「今度は、ママも一緒に行くね」

ぼくのおじいちゃん


                 まつうら のぶこ

 ぼくんちと、おじいちゃんちは、歩いて三歩ほど離れている。
っていうことは、ぼくんちのキッチンのドアと、おじいちゃんちの台所の入口が向かいあっていて、ぼくならピョンピョンピヨンと三歩で行けちゃうってこと。
『はなれ』っていうのが、おじいちゃんの家の呼び方。
 お母さんの仕事が忙しくて、帰るのが遅くなる時は『はなれ』に行く。風邪を引いて、学校や幼稚園を休む時なんかも『はなれ』で寝ている。
 だからけっこう、ぼくも弟のタカも、おじいちゃんちにいることが多かった。

 お父さんはお仕事の関係で、四月からオーストラリアで働くことになった。
「ユウ、お母さんを困らせるんじゃないぞ。タカのことも見てやれよ」
 お父さんは急にまじめな顔をして、ぼくにいった。
「四年生になるんだもん、だいじょうぶだって。おじいちゃんだっているしさ」
「おじいちゃん今は元気だけど、今年から後期高齢者になったんだから、無理なこと頼むんじゃないぞ」
 外国で暮らすなんて、どんなんだろう。夏休みなんかに、ぼくたちも行けたらいいなあって、ぼくはそんなことを考えていた。
 お母さんは会社があるし、おじいちゃんは海外旅行なんて絶対に行きそうもない。
 ぼくとタカと二人きりで……でも子どもだけで飛行機に乗れるんかなあ……。
「ユウ、ちゃんと聞いてるのか!」
「あ、はい、分かった」
 お父さんは二年間、オーストラリアのブリスベンって所に住むそうだ。ぼくがお兄ちゃんだから、頼りにしているんだ、きっと。

 三月になって、お父さんはオーストラリアに発った。
 そして、ぼくたち四人の毎日がスタートした。



    真実の口

 幼稚園から帰ってきたタカが、門の前で友だちとなにかもめているみたいだ。
 リビングにいるぼくの所まで聞こえてくる。
「ぜったい、ぼくじゃないって」
「だって、あそこにいたのはタカだけだよ。あやかちゃんの上ばきにカエル入れたのは、タカだっていわれても、しかたないだろ」
「でも、ぼくが行く前に、大介もあそこにいたじゃん」
「ああ、いましたよーだ。でもおれじゃないもんね」
 相手は大介らしい。体の大きい子で、ちょっとした幼稚園ボス。タカはいつもやられているみたい。
「ぼくだってちがう! ぜったい。うそじゃないって」
「タカがうそついてないって、証明してくれる人いる?」
 タカはだまってしまった。
 助けに行った方がいいのかなと、ぼくが思った時、
「あ、そうだ、うそついてるかどうか、手を入れたら分かるのがあるんだよ。その人がうそついてたら、手をかまれちゃうんだ」
と、タカが変なことを言いだした。
 昨日の夜テレビで見た『真実の口』のことを言っているらしい。
 ローマの観光名所で、観光客がこわい顔をした像の口に手を突っ込んで、うそなんかついていませんよって、にこにこ顔をして写っている番組だった。
「へえっ、そんなの、どこにあるのさ」
「えーっと、ローマってとこ」
「それ外国だろ。そこまで行かないと、うそついたかどうか分かんないじゃん」
「うーん……あのさあ、もしかして、ぼくんちのポストでも分かるかも……」
「うっそー、うそだろ。じゃあタカ、やってみろよ」
「う、うーん……」
(ばーか! そんなのありえないだろっ!)
 ぼくはタカに腹が立ったけれど、やっぱり弟なんだから、なんとかしてやらなきゃと立ち上がった。お父さんにも頼まれているんだから。
「おい、門の前でなにさわいでる? さっさと家に入らんか」
 お助けマンが現れた! 
 出かけていたおじいちゃんが帰ってきたようだ。
「あ、おじいちゃん、おかえりっ! 大介、またあしたね」
「あしただね、ちゃんと証明しろよな」
 タカがまっ赤な顔をして入って来た。
「タカ、なんでうちのポストが、真実の口になるんだよっ」
「あれ、お兄ちゃん、聞いてたの?」
「聞こえてたんだって。ねえ、おじいちゃん、タカったらさあ」
 ぼくは、タカと大介のやりとりを説明した。
 おじいちゃんの答えは「ばかもん!」の一言。

 薄暗くなってもタカは外にいた。
 門のあたりで、がたがたと音を立てて何かしている。門灯が、ぼわーっとついた。
 黒っぽい鉄格子の門の扉と、ブロック塀にそって植えてあるツツジの木の中に、タカの影が浮かび上がった。伸びた葉の先に郵便受けがみえる。
 タカは郵便受けを、開けたりしめたりしていた。
「なにしてんだよ?」
 ぼくは玄関の扉を半開きにして、声をかけた。
「あ、お兄ちゃん! あのさあ、大介がポストに手を入れたら、なにかギュッとはさむ仕掛け、できないかなあって」
「そんなのムリだって」
「やっぱ、ムリ? でもさあ、なにかないかなあ……」
 泣きそうな顔をしているタカが、ちょっとかわいそうになる。
「おじいちゃんに聞いてみよう。なんかそんな機械持ってるかも……」

 夜、ぼくたちはおじいちゃんに相談してみた。
「なんでだ。タカ、うそをついてないんだったら、そんなことしなくていいだろ」
「ぼく、ぜったいにしてないよ。だけど大介ったら、ぼくがしたってみんなに言うもん。みんなぼくのせいにするんだ」
「自分がしてないなら、違うってはっきり言えばいい。それこそ真実の口だ」
「だって、だって!……」
 タカの顔に、涙がトトトって流れた。

 ぼくが学校から帰って来ると、タカが玄関から飛び出してきた。
「さっきポストが、かんだんだよっ!」
「うそ! うそだろ?」
「ほんとだって。大介の手、かまれたんだ。カエル入れたの大介だったんだ」
 タカが、ぴよんぴょんとぼくのまわりをはねる。
「ガブってじゃないけど、ぐにゅぐにゅ、ぎゅーって、気持ちわるーいの」
「それ、なんでタカが知ってるんだ」
「大介が「わーっ」って言ったから、ぼくもポストに手を入れてみたの。そしたら、ぐにゅって。ぼく、うそついてないんだけど」
 おじいちゃんが、夕刊をとりに出て来た。
「うちのポストが、『ミニ真実の口』になったってさ。タカもかまれたみたいだよ」
「そうか」
「でもぼく、うそなんかついてないよ」
 タカは口をとがらして、おじいちゃんに言った。
「タカ、うちの郵便受けが『真実の口』だって、本当に思ったんか?」
「うーん、ちがうと思ったけど……」
「だったら郵便受けが怒ったんだ。うそをつくなって」
 おじいちゃんはタカの背中をぽんと押して、家に入って行った。
 その時、おじいちゃんのジーパンのうしろのポケットから、茶色いゴム手袋がちょっとはみ出ているのが見えた。



    どうして、チヨコパフェ?

「ねえ、ねえ、さっき三丁目の渋谷さんちに、救急車がとまってたよ。渋谷さんのおじいさん、どうかしたんじゃない」
 サッカーの練習から帰って来たぼくは、門の脇で植木を切っていたおじいちゃんに言った。
「救急車? なにも聞こえなかったぞ」
「ふーん、でも、ぼく見たんだもん」
 今日から四月、リビングのカレンダーも、桜の花の景色に代わっている。
 地域のサッカークラブ「ジャガーズ」の練習が始まった。
 それから、四月一日は『エイプリル・フール』って言って、ちょっとしたうそをついてもいい日なんだって。さっき八島センパイが教えてくれた。
で、そのお試し第一号が、おじいちゃんだった。
 でも腹ペコのぼくは、コーラをごくごく飲んで、メロンパンを二個食べるとソファーで眠ってしまった。おじいちゃんに言ったことも忘れて。

 夕方、会社から帰って来たお母さんに、ものすごく叱られた。
 おじいちゃんがあわてて渋谷さんを訪ねたところが、渋谷さんはぴんぴんしていて、救急車なんて呼んでいないって。
 渋谷さんは独り暮らしのおじいさんで、おじいちゃんとは碁のお友だちだ。
「ご迷惑かけたのよっ! あやまってらっしゃい!」
 ぼくは重たい気持ちで、渋谷さんの家にあやまりに行った。
「はっはっは、四月バカねえ。昔、そんなの流行ったけど、今でもあるんかねえ。まあ、おれはこの通り元気だから大丈夫だ」
 でもおじいちゃんは、こんなんではすまなかった。
「ばかもん! ふざけるんじゃない! 渋谷さんは独り暮らしなんだぞ。ご近所も気にかけている人だって言うのに」
 ぼくは「ごめんなさい」とあやまった。
 本当に悪かったとは思ったけれど、その後で「ちょっとした、じょうだんなのに……」と言ったのがまずかった。
「冗談ですむことだと思ってるのかっ!」
 それからおじいちゃんは、ぼくと口をきかない。
 顔を合わせても、じろっと見るだけ。
 お母さんが「エイプリル・フール冷戦」って笑う。
 タカも、お兄ちゃんのせいだよっ! って、ふくれている。
 いつも春休みに入ると、おじいちゃんはぼくたちを買い物に連れて行ってくれた。
 買い物っていっても、文房具のコーナーとか本屋さんって決まっていた。
 そして買い物がすむと、おじいちゃんは決まって駅
 前のちょっとおしゃれなカフェに入る。
 そこでご馳走してくれるのが、チョコ・パフェ。これも決まっていた。
「チョコ・パフェたべたいなあ」
 タカが、おじいちゃんをちらちらっと横目で見ながら言った。
 でもおじいちゃんは、知らん顔して新聞を読んでいる。ひとことも買い物のことを言いださない。
 ぼくは、ふーっと、ため息をついた。

 オーストラリアからのお父さんの声が聞こえる。
 ぼくとタカが、かわるがわる話をした後で、お母さんがおじいちゃんに合図した。
でもおじいちゃんは、首をふった。
「いいんですって。ええ、お元気よ。よろしくって。そう、それからねえ……」
 なんで、おじいちゃんは電話しないんだろう。
「ねえ、お父さんと話すのいやなの?」
 ぼくはそっと聞いてみた。
「男親が息子に、ぐちゃぐちゃ話すことなんかない。お前たちが話せば十分だ」
「でもお父さん、おじいちゃんのこと気にしてたよ。仲良くやってるかって」
「なかよく、やって、いるよーっ。こんど、お買い物に行くんだよーっ」
 タカが大きな声で言った。
 きっとお父さんにも聞こえただろう。
 おじいちゃんは、じろっとタカをにらんだ。でも怒っている顔じゃなかった。

 二、三日して、おじいちゃんはぼくたちをデパートに連れて行ってくれた。
 おじいちゃんがOKする様なものを選ぶのが、このお買い物のコツ。
 その後で、いつものカフェに入る。
「おじちゃん、ぼく、フルーツ・パフェの方がいい」
 タカが注文を出した。
「いつものでいい」
「チョコレート・パフェ、三つですね」
 顔なじみのマスターが、にっこり笑う。
 出てきたパフェを、おじいちゃんは半分も食べない。
 これもいつものことだ。
「おいしいか?」
「うん、おいしいよ」
「よく、そんな甘い物をたべるな」
 こんなやりとりも、いつものことだった。
「おじいちゃん、どうしていつもチョコ・パフェなの? 注文するのに、どうして半分しか食べないの?」
 ぼくは恐る恐る聞いてみた。
「おじいちゃんは、甘いのはにがてだ」
「だったら、どうして、いつも注文するの?」
 おじいちゃんは、だまって水の入ったカップを手にする。
 氷の小さな塊が「カチカチッ」と音を立てた。
「おばあちゃんがな、昔、これを食べたいって言った。でも、こんなのは子どもが食べるもんだろって、おじいちゃんが言ったからだろう。コーヒーを飲むだけで、一度も注文しなかった。遠慮したんだろうな」
 おじいちゃんは、残っているチョコレートをスプーンでかき回す。
 カップの底に、きれいなマーブルもようができた。
 写真で見るだけで、あまり覚えていないおばあちゃんだけど、チョコ・パフェ食べてみたかったんだろうなあ。
 おばあちゃんの分まで、ぼくたちチョコ・パフェにつき合うよ。



    おじいちゃんたちの マドンナ

 日曜日、お母さんとタカは、幼稚園のママ友グループで水族館に行くことになった。ぼくとおじいちゃんは、留守番。
 それなのに、おじいちゃんも友だちと会う約束があって出かけるという。
 だから留守番は、ぼくがひとりですることになった。
 一日中ひとりで家にいるなんて、なんだかわくわくする。したいことだって、いっぱいあるんだから。
「大丈夫かしら。何だったら、ユウもいっしょに来たっていいのよ」
「いいって。宿題もあるし」
 幼稚園の子どもたちや、ママ友おばさんたちといっしょなんて……。

 だれもいない日曜日のリビングは、うれしいようなさびしいような感じ。
 でも、テレビも見たいっていう気分じゃないし、ゲームだって、横にタカがひっついてる方が楽しい。何しようかなあ……。
 宿題は……これは、したくない。せっかくのひとりだっていうのに……。
 少し早かったけど、お昼を食べることにした。
 お母さんが作ってくれたお弁当は、赤・緑・黄がきれいに入っている。
 ぼくは『はなれ』のおじいちゃんに、インターホンで「お昼にしない?」って聞いた。
「早いな、もう昼飯にするんか?」
「だって、おじちゃんも出かけるんでしょ」
「ああ、滝川と待ち合わせしてるから」
「なーんだ、お友だちって滝川さんなんだ。じゃあ、いっしょに行ってもいい?」
「ひとりがいいって、言ったんじゃなかったか」
「うん、でも、なんだかさあ……」

 日曜日の昼過ぎ、ぼくたちは電車に乗って出かけた。
 滝川さんとは、となり街の駅前のデパートで待ち合わせしてるんだって。
 おじいちゃんは、さっさとエスカレーターを上がって行く。
「ねえ、どこで会うの?」
「家具売り場だ」
「ええっ? なんで家具売り場なの?」
「一番空いていて、相手を見つけやすいからだ」
 家具売り場は、確かにほかの売り場より人が少なかった。おじいちゃんは横のソファーに腰を下ろすと、あたりをキョロキョロ見まわした。
 すると銀色の髪を肩までたらした滝川さんが、すーっと食器棚のコーナーから現れた。なんだか、かくれて待っていたみたいだ。
「滝川、来ていたんか」
「いや、今来たばかりだ。おう、ユウ君、今日はいっしょか」
 滝川さんは、ぼくの頭をぐりっとなでると、並んでソファーに腰を下ろした。
 二人とも、なんとなくそわそわしてる。
「おじいちゃん、そこに座ってもいいの?」
「なんでだ?」
「だって、それ売り物だよ」
「椅子は、座ってみなけりゃ分からんだろう」
「ええっ! これ買うの?」
 その時、まるで入学式の一年生みたいに、二人がすくっと立ち上がった。
「……ん?」
 振り向くと、小柄な女の人が、にこにこしながら歩いて来るのが見えた。
「まあ、お久しぶりね」
「いやあ、本当に久しぶりだなあ」
 おじいちゃんの声が、いつもより高い。
「お二人とも、お元気で」
「美知子さんは、ちっとも変ってない、若いなあ。一体いくつになったんだ」
「いやだわ、同級生じゃないの。高校の」
 大きな声で笑う三人を、さっきから店員さんがちらちら見ている。
「どこかで、お茶でも飲んで、ゆっくり話そう」
 滝川さんがそういって歩き出した。
 ぼくはホッとした。ここに座ろうなんて、言いだしかねないおじいちゃんだから。
 駅ビルのカフェに入ったのはいいけれど、三人は昔の話しでもり上がっている。
 部活の話、修学旅行の話、先生の話、友だちの話。友だちったって、みんなおじいさんやおばあさんのはずなのに、ちょっと前のことのみたいに話す。
 クリームソーダ一杯で、ぼくは完全に忘れられてしまった。
 ぼくは、ビルの中の本屋さんを見て来ると言ってカフェを出た。
 コミックの棚をゆっくり眺め、雑誌をぱらぱらめくっていても、ひとりでこんな所に来たことがないから落ち着かない。
 日曜日の駅ビルは、すごい人だった。
 タカたちは、楽しんでるんだろうな……なんて、ちょっとくやしくなる。
 ぼくはエスカレーターを上ったり下りたりして、時間をつぶした。
 もう一時間はたったかなと、カフェにもどると、三人は空になったコーヒーカップを前にして、まだおしゃべりしていた。
「あらら、ごめんなさいね。せっかくの日曜日、おじいちゃんをとっちゃって」
 ぼくの肩に手をおいた美知子さんは、デパートの化粧品売り場の匂いがした。

 ホームまで送ろうというおじいちゃんを「主人とホテルでお食事する約束なの」とことわって、美知子さんは帰って行った。
 バスで帰る滝川さんとも別れて、ぼくたちは駅ビルの中をひと回りしてから、電車に乗ることにした。
 夕方の電車のホームには、乗客の長い列ができていた。
「おじいちゃん、昔、あの人とつき合ってたの?」
「変なこと言うな。同級生だっただけだ」
「ふーん、きれいな人だよね」
「まあな。クラスのマドンナだったのはたしかだ」
 その時ぼくは、向かい側のホームいる美知子さんに気づいた。
 デパ地下のビニール袋を下げて、人ごみの中にいる美知子さんは、さっきとちがって年取って見えた。
 向かい側のホームに電車が入って来て、美知子さんの姿は見えなくなった。
「ねえ、マドンナって、アイドルのこと?」
 おじいちゃんは、だまってつり革をにぎっている。
 外の景色を眺めているおじいちゃんは、ほわーっとやさしい顔をしていた。



     お料理、がんばろう!

 お母さんが会社の研修で、土曜日から三日間家を留守にする。
「大丈夫かしら……なんだったら和子さんに、ちょっとお願いしようかしら」
「やめてくれ、あれが来るとうるさくって困る」
 和子おばちゃんはお父さんの妹で、車を運転して時々おじいちゃんの『はなれ』にやって来る。
「迷惑かけるようなこと、しちゃだめよ。父さん、昔からがんこなんだから」
 なんて、和子おばちゃんはおじいちゃんに言うからなんだろう。
「たった三日じゃないか。まかしとけって。ちゃんと大人がいるんだぞ」
 おじいちゃんは心配顔のお母さんに、むっとしたように言った。
 でも正直いって、ぼくも少し心配だった。だっておじいちゃんがキッチンでなにか作っている姿なんて、あんまり見たことがないんだから。
 給食のない日とか、夏休みのお昼とかは、お母さんが作りおきしている冷蔵庫のものや、パンなどなど。あとはカップラーメンとか、冷凍ピッザなどなど。
 とにかく、おじいちゃんは、食べるってことにあまり熱心ではなかったけれど、コーヒーだけは『はなれ』でも一人でいれて飲んでいた。
『野菜サラダは、二日分です』とか『牛乳は賞味期限が日曜まで』とか、チーンすればいいだけのもの、冷凍食品を使ってのレシピとか、冷蔵庫のドアにメモを一杯はりつけて、お母さんは朝早く出かけて行った。

 土曜日の午前中、おじいちゃんは張り切って洗濯を始めた。
「おーい、ユウ、ここの洗濯機、エラーって出るぞ! こわれてるんじゃないのか」
 呼ばれて行ってみると、おじいちゃんは洗濯機のボタンをあっちこっち押しまくっている。赤い文字が、ピカピカしていた。
「おじいちゃん、水は?」
「ちゃんと、ホースはつながってる」
「ああ、それ水が出てないんだ。電気屋さんが、使わない時は水を止めておきなさいって、お母さんに言ってたよ」
「ふーん、省エネってことか」
「知らないよ。でもこれ買ったばかりだもん、こわれるはずないじゃん」

 夕方、お母さんとの約束どおり、ぼくとタカは二階のベランダで洗濯物を入れると、これもお母さんに教わったとおり、一枚ずつたたんでいった。
 下から何か変なにおいがしてくる。ぼくは急いで階段を下りると、キッチンをのぞいた。おじいちゃんは首をかしげて、ぶつぶつ言っている。
「おじいちゃん、くさいよっ!」
「でもな、お母さんが書いてたとおりにしてるんだぞ」
「あっ! おじいちゃん、ラップはずしてないじゃん!」
 オーブントースターの中のグラタンの上には、ラップがぺちゃっととけていた。
「おじいちゃん、いつも食べるとき、ラップはついてないでしょ」
「そうかぁ。でも書いてなかったぞ。オーブントースターに入れて、十分程したらできあがり。熱いので気をつけて下さいってしか」
 おじいちゃんは、ちょっと情けない顔をした。
 夜はコンビニ弁当を買った。
 ぼくは弁当の空箱をパリパリとつぶすと、見えないように新聞紙でくるむ。
「タカ、お母さんに言わなくてもいからな」
「ビニール・グラタンのこと? でも聞かれたらどうするの?」
「うーん、聞かれたら、夕ご飯は美味しかったって言おう」
「うん、コンビニのお弁当、おいしかったもんね」

 日曜日の朝、早起きしたぼくたちは、パンを焼いてミルクをチーンした。
 ぼくが目玉焼きを作り、タカがレタスをちぎってお皿に並べた。
「二人とも、おじいちゃんよりうまいな」
「男の子でもお料理ができないと、お嫁さんが来ないってお母さん言ってた」
「そうか、おじいちゃんも、もう少しやらなくちゃな」
「おじいちゃん、お嫁さんほしいの?」
 のぞきこんだタカのほっぺたを、おじいちゃんは指でつついた。
「もう、い・ら・な・い」
「だったら、ぼくたち男三人組、がんばらなくっちゃ」



      お宝

「おーい、ボールをちゃんとしまっておけっ!」
 玄関の脇におきっぱなしにしていたサッカーボールを、おじいちゃんに見つかってしまった。
 おじいちゃんは、どっちかと言えば、おかたづけ大好きタイプ。『はなれ』や庭とか自分のまわりは、いつもきちんとしていてきれいだ。
 押入れのふとんなんて、食パンを重ねたみたいになっているし、お仏壇のお水が真っ直ぐにおいてあるかどうか、はなれてたしかめたりする。
 そんなおじいちゃんの部屋だけど、お線香の匂いとは別の何かのにおいがした。
「おじちゃんの部屋、なんかくさい」
っていうタカに、お母さんはきびしい声で言った。
「おじちゃんにそんなこといわないのよ。だれにだって、その人の「におい」ってのがあるんだから」
 だけど日曜日なんか、
「今日はお掃除ディですから、おじいちゃんの部屋も、お掃除しますねぇ」
 なんていって、お母さんは『はなれ』に掃除機を持って乗りこむ。
 寒くても、雨が降っていても、窓をぜんぶあけて掃除するから、お母さんだって気にしているんだ。
 そんな『はなれ』のおじいちゃんの部屋を、ぼくたちは大すきだった。
 古い絵葉書や、ぼくたちがまだ赤ちゃんだったころの写真、お父さんが子どものころ集めていたお菓子のおまけ。
 何でこんなものがあるんだろうと、ふしぎに思うようなものがある。それも「引き出しの三番目に入ってる」っておじいちゃんが言うとおり、そこにきちんと入っているから、これもふしぎだ。
 それと、おじいちゃんの机の上には、いつも金庫がおいてある。金庫っていっても、手で持ち上げられるほどの黒くてちょっと重い箱。
 おじいちゃんは、その金庫の中味を見せてくれたことがない。
「銀行の通帳なんかも入っているんでしょ。まるで泥棒に、どうぞお持ち下さいって言ってるみたいじゃないですか」
「大したものを持ってるわけじゃなし、泥棒が入らないようにすりゃいいってことだ。あのままでいい」
 おじいちゃんは、お母さんの言葉をムシした。
 和子おばちゃんが言うように、たしかにおじいちゃんはがんこだった。
 ぼくたちは、その金庫をひそかに『お宝箱』と呼んでいた。「見せて」って言うと「いつか」って言う。ことわられると、よけい見たくなる。
 だからお宝箱を見るたびに、なんだかドキドキするのだった。

 夕ご飯の後でテレビを見ていたおじいちゃんが、
「今度の東京オリンピックでも、記念硬貨がでるだろうな。また、買うか」
とつぶやいた。
「あれ、おじいちゃん、前の東京オリンピックの記念硬貨持ってるの?」
「ああ、あの頃は記念硬貨とか記念切手を買うのに、朝から並んで買ったもんだ」
「へーっ、ぼくそれ見たい。見せてくれる? なあ、タカも見たいだろ」
「うん、それお宝箱に入ってるの? 見たい! 見たい!」
「ふん、そんなに見たいか? じゃあ部屋に来い。見せてやるぞ」
 お宝箱オープンの「いつか」が来たってわけだ。
 ぼくたちは、おじいちゃんが金庫から取り出すものを、息をつめて見つめた。
「これが東京オリンピックの銀貨だ。こっちは、万博記念。みんな何かの記念硬貨だ。細かい字で書いてあるだろう」
 記念の硬貨とか記念行事の百円や五百円玉、昔のお札だけど、新品の一万円札や千円札の束が入っている。そのほかにも記念切手や、なんかのメダル。
 プラスチックの板でしっかりとガードされている金貨が、ぴかぴか光を放っている。
 本物の金なんだ! 
 ええっ! これって十万円って書いてある!
 でも、これは一個だけ。
「これって、みんな使えるお金?」
「ああ、みんな使える。ニセものじゃないからな」
「おじいちゃん、このお金、どうするの?」
「ぼくにちょうだい。ぼく、ほしい、ほしい!」
 タカが手を上げて叫んだ。
「でもな、お宝ってものは、家に代々伝えるものなんだぞ」
「じゃあ、おじいちゃんが死んだら、お父さんがもらって、お父さんが死んだら、ぼくたちがもらえるんだよね」
 ぼくはタカの頭をちょっと叩いた。
「いたいっ! お兄ちゃんだって、半分もらえるんだよっ!」
「ま、そう言うことだが、あればあらそいの元になる。こいつはおじいちゃんが使った方がいいだろう。何にも残さずにな」
「ええっ……なんでぇ」
 タカがくやしそうな顔で、おじいちゃんをにらんだ。
「おじいちゃんのお宝って、これだけ?」
 ぼくが聞くと、今度はおじいちゃんがぼくをジロリとにらんだ。
「これだけで、悪いか」
「ちがうって、もっと何かあるのかなって、聞いただけ」
 おじいちゃんは金庫の底から、ちょっと分厚い茶色の封筒をとりだした。
「こいつが、おまえたちに残したいものだ」
 もしかして、お金とかお宝が書いてある「いさん?」……「ゆいごん?」
 封筒からでてきたのは、ホチキスで止めた原稿用紙の束だった。
 一枚目の最初に、少し角ばった文字で『六昔のこどもたち』って書いてある。
「なにこれ? 六昔って?」
「十年ひと昔って言葉、知ってるか? 十年たてばもう昔って言ってもいい。六昔っていえば六十年前。これはな、おばあちゃんが子どもの頃のことを書いたものだ」
「おばあちゃん、作家だったの?」
「いや、ただ書くのは好きだった。おばあちゃんの父親は戦争で死んでいたから、おばあちゃんは子どもの時から苦労したらしい。でもな、貧乏してもみんな元気で楽しかった。そのころのことを、おまえたちに知ってもらいたいってな」
「面白い話かなあ……」
「いつか読んでみたらいい。おばあちゃんが子どものころの話だ。おまえたちに話しておきたかったんだろう。時々思い出しては、ちょっとずつ書いていた」
 封筒の中に、茶色くなった写真が一枚入っていた。
 こっちをにらんでいるような顔で、背中をぴんと伸ばして立っている、
 やせっぽっちの小さな女の子。
 六昔のおばあちゃんが、そこにいた。



      ナイス・ショット

 おじいちゃんは、最近またテニスを始めた。
 五年ぶりの復活なんだって。
「お楽しみぐらいにして下さいよ。急に運動始めてケガする話って、よくありますからね。五年間のブランクって、大きいと思いますよ」
「分かってる。だから初級クラスから始めたんだ」
 お母さんが心配しても、「自分の体は、自分で分かるもんだ」と、おじいちゃんは気にしていない。いつものことだけど。
 ぼくが学校から帰ってくると、おじいちゃんも午後のレッスンから帰って来たところだった。
「今日は調子が良かった。コーチと打ちあって、うまくなったってほめられた」
と、ごきげんな様子で、冷蔵庫のビールをプシュっとあけた。
「シニアコースでも、ハードなの?」
「ちがうぞ、一般コースだ」
「ふーん、だったら、おじいちゃんが一番の年よりでしょ」
「まあな。でもまだ、おばさんたちには負けてないぞ」
 おじいちゃんは、日焼けした右腕をポンと叩いた。とたんに顔をしかめる。
「腕、けがしたの?」
「なーに、テニスひじって、誰でも少しは痛めるもんだ。湿布したら治る」

 ひじを包帯でぐるぐる巻きにしたおじいちゃんに、お母さんは心配そうに言った。
「若い方と張り合ったりしないで下さいよ。同じくらいのお年の方と、ほどほどに楽しんでくださいって」
「あ、でもねえ、おじいちゃん、テニス・クラブの女の人にモテるんだよね」
 デザートのアイスクリームをなめながら、タカがお母さんに言った。
「あら、そう。それで熱心なんですか?」
「何を言う、前やってたのを、体がやっと思い出して来たんだ。忘れんようにしないとな」
 肩をごきごき回しながら、おじいちゃんは「おやすみ」と言って、さっさと『はなれ』に行ってしまった。

「おじいちゃんったらさあ、いつも女の人といっしょに帰ってくるんだよ」
 お母さんがお風呂に入っている時、タカがないしょ話みたいにぼくに言った。
「女の人?」
 タカの話だと、二人はいつも家の前まで歩いて来て、女の人はそれから自転車に乗って帰って行くそうだ。
「若い人?」
「うーん、お母さんぐらいかなあ。その人、まゆみちゃんって言うんだ」
「どうして、そんなこと知ってるの?」
「幼稚園から帰って来た時、「まゆみちゃん」って、おじいちゃんが呼んでるの聞いちゃった」
「タカ、それってさ、お母さんには言うなよ」
 何となく、ぼくはそう思った。

 湿布をはりながらも、おじいちゃんのテニスは続いていた。
 でもひじの痛いのは治らないようで、ついに整形外科に通うようになった。
「おじいちゃん、練習少し休んだら」
「うーん、歳をとるとなかなか治らんもんだなあ。でも大会が来月あるんだ。ダブルスで出場することになってるから、休むわけにはいかん」
「ふーん、ダブルスって、まゆみちゃんって言う人と?」
 おじいちゃんは、ぎょろりとぼくを見た。
「そうだ。だから休めない」
「タカが言ってたよ。きれいな人なんだって」
 おじいちゃんと、きれいな女の人とのツー・ショット……何だか変だ。
「ああ、昔からみたら、なかなかの美人になった」
「ええっ! 昔から知ってるの! おじいちゃんの彼女だったの?」
 一瞬、ぽかんとしてぼくを見たおじいちゃんは、大声で笑いだした。
「彼女ねえ。でもな、おじいちゃんのじゃなくて、おまえのお父さんのだ」
「ええっ! それって、ちょっと!」
 お母さんに話すなよって、タカに言ったのが……。
「あの子は、小学生のころ近所に住んでた子で、お父さんの幼馴染さ」
 お父さんは中学生の時テニス部に入っていたので、おじいちゃんは休日などに会社のテニスコートに連れて行って、相手をしてやつていたそうだ。
 まゆみちゃんも、同じテニス部だったので、おじいちゃんは二人のコーチをしたんだって。
 それが今回、まゆみちゃんとクラブで偶然に出会ったと言うわけ。
「向こうは何となく分かったらしいが、こっちはまったく分からなかった。女の子は化けるからなあ。すっかりきれいなおばさんになって、びっくりした。もう子どもが大きくなったので、またテニスを始めたってことだ」
 中学生を相手にプレーしていた頃のおじいちゃんって、カッコ良かったんだろうな。
 その頃を思い出して、またがんばっているのかも知れない。
 これ、今度お父さんに電話するとき、教えてやろうかな……。
 ま、いいか。
「だったらさ、早くひじ治して、優勝しなくっちゃ。ぼく、応援しに行くからね」

 試合の日は、晴れて暑い日になった。
 ひじにサポーターをしたおじいちゃんと、日焼けした笑顔に、白い歯のきれいなおばさんのまゆみちゃんと、二人は並んでコートに向かう。 
 おじいちゃん、けがしませんように……。
 おかあさんのひざに置いた手が、かすかにふるえている。
 おかあさんも、心配してるんだ。
 できたら、一回戦だけでも勝てますように……。
 ぼくも、ギュッと手をにぎりしめた。
「プレイ・ボール!」
 おじいちゃんのラケットが、バッシと球をはね返す。
 ぼくは、思わず大きな声で叫んだ。
「ナイス・ショット」



     みんな やるぞ

 十二月に入ると、新聞といっしょに入ってくるチラシが、ものすごく多くなる。お母さんが必ず見るスーパーの売り出しのほかにも、小さいのは、クリスマスのプレゼント用グッズ、大きいものになると車とかマンションとか。
 ぼくたちのお目当ては、おもちゃやゲームソフトのチラシ。
 今年は新しいゲームソフトがほしい。ほんと言うとスマホがほしい。ガラケーは持ってる子もいるけど、スマホは多分だれもいないだろう。スマホでゲーム! でも、絶対ムリ。
 ぼくは、フーッとため息をついた。
「ねえ、お兄ちゃん、サンタさんはどれプレゼントしてくれるかなあ」
 タカは、おもちゃのチラシを何枚も並べている。
 サンタさんはお父さんやお母さんなんだって、ぼくは小学校に入った時からもう分かっていたけど、タカはまだサンタさんを信じている。ぼくだって幼稚園の時は信じていたんだから、だまっておこう。
「ぼく銀河戦士・ジャンダルム。でもマジレンジャーもほしいし……」
「ダメ、サンタさんは一つだけだって」
「なんでぇ、お兄ちゃんのほしいゲームソフト、一つでもすっごく高いよ」
「お兄ちゃんは大きいからいいの、タカは幼稚園だろ」
「だってお兄ちゃんは先に生まれたんだから、おっきいの当たり前じゃん! 大きいのと高いのとは、ちがうもん!」
 ぼくたちがチラシを広げてワイワイ言ってると、おじいちゃんがやってきた。
「何やってるんだ?」
「見て、おじいちゃん。このゲームソフト、今月発売なんだよ。一番新しいの。ぼくクリスマスに、絶対これほししいんだ」
「タカは、これほしい! すっごくカッコいいんだよ。おじいちゃん、サンタさんにたのんでよ」
 ぼくたちが何をほしがっているか、サンタさんに言ってほしい。高いからダメって言われたら、少しお金もだしてほしい。サンタさんはお母さんだから。
 うんと期待はしてないけど、言ってみた。
「おじいちゃん、クリスマスのプレゼントに、これ協力してくれない?」
「なーんだ、そんなことか。よーし、どれでもいいぞ」
 おじいちゃんはそう言うと、渋谷さんちに碁をうちに出かけて行った。
 ぼくとタカは、ハイ・タッチ!
「やったー」
 ぼくたちは、チラシの中のほしいものに、マジックで丸を書いた。もしもの時も考えて、丸は三個つけた。   
 それを『はなれ』のおじいちゃんの机におく。
「おじいちゃんからのは、サンタさんとは別だからな。お母さんにはないしょだ」
「うん、分かった。ぼく言わない」

 おじいちゃんは、早起きして散歩に行く。
 途中ちょこっとジョギングしたり、ストレッチしたりする。
 ぼくも時々つき合っていたけど、今はもう温かいふとんの中の方がいい。
 下のベッドで、タカがごそごそと起き上がった。
「おじいちゃん、ほんとに買ってくれるよね。そんなこと言ったかな、なんて言わないよねえ」
 おじいちゃんは、ときどき約束を忘れることがある。
 忘れたふりをしている時もある。
「だって、二人で聞いたんだもん。どれでもいいぞって言ったの」
「そうだよね、ぜったい言ったよね」
 タカはまた、ふとんにもぐりこんだ。

 それからは、おじいちゃんがお出かけから帰って来る時が楽しみだった。でも、いつだって出かけて行った時と同じ、小さなバック一つしか持っていない。
 クリスマスも、もうすぐだって言うのに。
「おじいちゃん、何か忘れてない?」
「何だ?」
「ほら、ぼくたちほしいって言ってたの」
「ああ、そうだったな。取りにくるか」
 ぼくの顔が、勝手に笑い出しそうになる。
 プレゼント第一号!
「さあ、みんなやるぞ」
 おじいちゃんは、うすっぺらな紙箱をぼくの方にさし出した。
「これ?」
 箱の中には、チラシにのっていたゲームやおもちゃの写真が、みんな切り抜いて入っていた。
「ええっ! なんでぇ……」
「おまえたち、これがほしいって言ってただろ」
「これがって! これの本物だよっ!」
 ガクッときた。泣きたくなった。
 タカがいたら、大泣きするだろう。
 それなのにおじいちゃんたら、知らん顔して散歩に行ってしまった。

「おじいちゃんはクリスチャンじゃないから、これはお年玉の前渡しだ」
 クリスマスの前の日、おじいちゃんはぼくたちにプレゼントをくれた。
タカにはクマさんの絵本。ぼくにはゲームの攻略本だった。
 本を開くと、白い封筒が入っていた。
おじいちゃんのきっちりした字のメモと、お買い物券が!
『ただし、両親の同意なしに使用する事を禁ず』

 明日はお父さんが帰ってくる。
 きっと珍しいお土産や、プレゼントがあるかも……ぼくたちの本当にほしいもの、ぼくんちのサンタさん分かって下さい……ぼくはちょっとお祈りする。

 ぼくたちも、おじいちゃんにプレゼントすることにした。
 本物はお母さんにたのんだけど、売り出しのチラシから、お酒やビールの写真を一杯切り抜いた。そしてスーパーで買ったおつまみセットといっしょに『おせいぼ』って書いて、おじいちゃんの机の上においた。
 おつまみセットは、タカと二人のお小遣いで買ったんだ。



     がまんのポーズ

 お相撲さんみたいに足を開いて、ちょっと前かがみになる。両腕をつっぱり、体じゅうに力を入れてこぶしをにぎる。
 口はぎゅっとなるし、目はグリグリってなる。体がブルブルふるえてくる。
 これがおじいちゃんお得意の『がまんのポーズ』。
「これをすると、体の中にがまんの力が大きくなる」
「大きくなったら、どうなるの?」
「そうしたら、もうがまんできる。寒いのなんて、へいっちゃらになるぞ」
 幼稚園に行く朝、「さむ~い」ってガス・ストーブの前をはなれないタカに、おじいちゃんが教えている。

 ぼくが幼稚園に行ってた時にも、おじいちゃんはこのポーズを教えてくれた。
 ぼくとおじいちゃんが歯をくいしばって、「いいーっ!」と体じゅうに力を入れている様子は、 親子のおサルが向かい合ってにらめっこしているみたいだった。
「なによっ、そのかっこう!」
 お母さんがあきれた顔で言った。
「がまんのポーズだって。おれもよくさせられたよな」
 お父さんは笑ったけど、お母さんは困った顔をしていた。
「あんまり変なこと、教えないで下さいよ」

『がまんのポーズ』は、たしかに寒い時には体が温かくなって良かった。
 でもそのほかの『がまん』には、あまりきき目がなかった。
 ぼくとタカはよくけんかをする。
 おもちゃの取り合いとか、どっちが先に靴をはいて出られるとか、テレビを見るのにお気に入りの場所の取り合いとか、ちょっとしたことからのけんか。
「こらっ、何やってんだ」
「だって、タカがぼくのゲーム機返さないんだ」
「だってお兄ちゃん、ずーっと使ってたもん。かしてくれないじゃん!」
「だって、これはお兄ちゃんのだぞ」
 おじいちゃんが、ボクシングのレフリーみたいに間に入って来た。
「だって、だってか。でもな、ここでちょいと『がまんのポーズ』をやってみろ」
「なんでぇ」
「いいから、まずはやってみるんだ」
 ぼくたちはしかたがないから、向かい合うと『がまんのポーズ』をした。
 「イイーッ」と歯をくいしばり、タカの顔をにらむ。
 タカもぼくをにらみかえす。
 力いっぱい、りきんでいるタカの顔が、まっ赤になってきた。口がとんがって目ん玉が寄ってきている。
 ぼくは、吹きだしそうになるのを必死でこらえた。
「プ・ス・ン!」
 タカが、大きなおならをした。
「う、うわーっ!」
「くっせー!」
 涙が出るくらい笑った。で、けんかの気分は、はじけ飛んでしまった。
「な、『がまんのポーズ』は、きき目があるだろ」
「でもさあ、ゲーム機二つあったら、けんかしないよ。な、タカ」
「うん、しない」
「おじいちゃん、買ってくれる?」
「おじいちゃんも、買ってやりたい」
「ええっ! 買ってくれるの?」
「まてまて、おまえたちのほしいものを、買ってやるのはかんたんだ。でもな、楽に手に入れたものは、すぐにあきる。大切にしない。だからおじいちゃんは、買ってやりたいって思うけど、『がまんのポーズ』をしてがまんしているんだ」
「もーぅっ! おじいちゃんの、ケチ!」
 おじいちゃんはこぶしをにぎると『がまんのポーズ』をはじめた。
 元祖『がまんのポーズ』のおじいちゃんの顔は、赤鬼みたいにこわくなった。
 タカが逃げ出した。
「お兄ちゃん、でっかいおなら、されるよっ!」

 二月に入って、おじいちゃんは何かの検査で入院することになった。
 お父さんには「検査入院だから、心配するな」って言ってやった。
 でも伝えたのは、お母さんだったけど。

 最初はすぐに退院するはずだったのに、おじいちゃんはなかなか帰っては来なかった。
 ぼくとタカは、日曜日にお母さんとお見舞いに行く。
 病室のおじいちゃんは、たくさんのチューブにつながれていた。
「おじいちゃん、チューブ人間だあ」
 タカが言うと、おじいちゃんはちょっと笑った。
 いつものおじいちゃんとはちがって、何だか弱っちい笑い方だった。
「おじいちゃん、宇宙飛行士みたいだよ」
「宇宙飛行士か。宇宙に行くのも悪かあないなあ。おばあちゃんのとこにも、近いかもしれんし」
「お父さん、そんな冗談、言わないで下さいって!」
 お母さんは、いつもなら「おじいちゃん」って言うのに、「お父さん」って、怒ったような声で言った。
「でもお兄ちゃん、宇宙飛行士なら、ねてなんていないよ」
「タカっ!」
「これっ、言いあらそいは家でしろ。このチューブはな、おじいちゃんが元気になるための『がまんのポーズ』なんだ」
 おじいちゃんは、ふとんから出ているこぶしをにぎって見せた。
でも、前みたいな力は入っていない。
「おじいちゃんの代わりに、ぼくたちがやるよ」
 ぼくとタカは、向かい合うと『がまんのポーズ』をした。
「おじいちゃん、家に帰ったら、三人で『がまんのポーズ』しようよ」
「そうだな、これからは、いろんながまん、あるだろうからなあ」
 そうだよ!
 ぼくたちみんな、元祖『がまんのポーズ』のおじいちゃんの、元気になるのを待っているんだから。

窮屈で自由な空間


                 長谷川 由美

 目の前が真っ暗になった。
 乗っていたエレベーターが止まり、明かりが消えたのだ。
 美晴は息苦しさを感じた。暗くて狭いのは苦手だ。
「怖いよう!」
 男の子が叫び、美晴にしがみついてきた。
 乗り合わせた人たちも、ざわついている。
 しがみついてきたのは、先程から隣に立っていた小学校一年か二年生くらいの子だ、と美晴は思った。
「大丈夫だよ」
 美晴はそう言うと彼の背中をさする。
「怖いよ、怖いよ!」
 なおも男の子は叫び、つま先を支柱にしてかかとを上下させた。
「大丈夫、大丈夫、落ち着いて」
 美晴は背中をさすってやりながら、一緒に床に体操座りをした。
 何人かがスマホを開いている。
「エレベーターが止まりました」
 男性が落ち着いた声でスマホの明かりを頼りに、インターフォンを押しながら外部と連絡をとっている。
 そういえば、ジャケットに綿パンの背の高い男性が扉近くに立っていたな、と美晴は思った。
「わかりました。復旧作業に多少時間がかかりますが、皆さん落ち着いてお待ちください」
 インターフォンの声が切れると、乗り合わせた人たちからため息がもれた。
 間もなく非常灯がつき、かすかに弱い光をはなった。
「僕、暗い所や狭い所、嫌いなんだ」
 男の子は、耐えられない様子で頭をかかえた。 
「おばさんもよ。でも、非常灯のおかげで目が慣れてきたわ。ほら、うっすらと見えるわよ」
 美晴がそう言うと、男の子は顔をあげてあたりを見回した。落ち着いてきたのか、男の子は意外にはっきりとした口調で話し出した。
「学校の教室も嫌いで、時どき廊下に出ると怒られるんだ。なんで机がたくさん並んでるあんな狭い所で勉強しなくちゃいけないの?」
 まあ確かに教室は人口密度が高いよな、この子、こだわりが強いんだわ、小児病棟にもこだわりが強くて頭の良い子がいたな、と美晴は看護師をしていたころに担当した患者を思い出しつつ、彼の話に耳を傾けた。
「お母さんとはぐれちゃって。僕よく迷子になるんだ。お兄ちゃんはそんなことないのにってお母さんが。いっつもお兄ちゃんばっかり褒められるんだ」
「わかるわ、その気持ち。出来の良い兄を持つと苦労するのよね」
 少年と反対側の隣に立っていたリクルートスーツの女子大生が話に加わり、一緒に座り込んだ。
 美晴はさらに目が慣れてきた。ほかにも数人の男女が立っているのがわかる。
「うちは、両親も兄もいわゆるエリートってやつ? おまけに弟も優秀なのよ。でも私はまだ内定もらえなくて就活中」
 女子大生は、溜まっているものを吐き出すように話し続けた。
「さっき面接に行ったら、グループ面接だったの。私が私がって感じのすごい積極的な子がいて。面接官もその子の話ばっかり聞いて、私の話はあまり聞いてもらえなかった」
 彼女はハーッと息を吐くと、体操座りで立てている膝に額をつけた。
「なんかうらやましいな。私は大学病院で看護師をしてたんだけど、今は専業主婦なの。子どもが二人いて幼稚園へ行ってる間に買い物に来たのよ。もちろん今幸せよ。でも、あなたはこれからなのね」
 美晴がそう言うと、トン、ガタッ、とモップとバケツを床に置く音がした。
「アンタ、もう子どもも幼稚園なんだろ? せっかく資格を持ってるんなら働いたらどうだい?」
 今度は掃除のおばさんが座り込み、話に加わってきた。締まりかけのドアに滑り込んできて、「あっ間違えた! お客様用だった。まっいいっか」とぶつぶつ言ってたおばさんだ、と美晴は思った。
「アタシは資格とかないから掃除の仕事してるんだけどさ。アンタ、もったいないよ」
「資格かあ。俺もやっぱり資格がとれる大学へ行こうかな。やりたいことがまだ決められなくて。もうすぐ進路相談なんっすよ」
 上の階の歯医者へ行く途中だと言う男子高校生も座り込む。聞けば進学校に通っていて結構成績は良いらしい。
 みんな次つぎと心の内を話し出す。暗いから話しやすいのだろう、同じ空間を共有しているのもきっと手伝っている、と美晴は感じた。
「がんばって歯学部でも目指しな。うちのダンナみたいに失業しないようにさ」
 いつの間にか体操座りをしている金髪の女が言った。ハローワークにいる夫が忘れていった書類を届けにいくところらしい。
「おかげでパートの時間、増やしたのよ。ああ、このあとパートへ行かなきゃいけないのに」
 金髪の女は手を尻のうしろにつき、天井を見上げた。
「みなさん、色いろおありなんですね。なんか安心しました。私だけじゃないって」
 やせ細った女性が、遠慮がちに輪に加わった。
「アンタ、どうしたんだい? やせすぎだよ。まあ、アタシは太りすぎだけどね。ハッハッハッ!」
 掃除のおばさんが大きな声で笑うと、女性もつられてクスっと笑った。
「メーカーに勤めて三年目なんですけど、がんばって結果を出すほど同僚に妬まれて、しんどくなって。今日はとうとう仕事を休んだんです。でも皆さんのお話し聞いていて、少し元気が出てきました。久しぶりにお腹も空いてきちゃった。なんか食べようかな」
「そうだよ。腹が減っちゃあ、戦ができないよ。けど、いきなり食べちゃ胃に悪いよ。うどんはどうだい? ここの食堂のうどんは出汁が効いてておすすめだよ」
 女性はうん、うん、とうなずいた。
 ジャケットに綿パンの男性だけが、座らずに腕をくんで壁にもたれてその様子を見ている。やせ細った女性を心配する親から、娘の精神が安定していない、と追跡するよう頼まれていたのだ。
「そろそろ、この追跡の仕事も終わりかな」
 笑顔で話す彼女の様子を観て、彼は少し寂しげにつぶやいた。
 
 パッと明かりが付き、エレベーターの扉が開いた。
 みんな眩しそうに目を細めて、ゾロゾロと外へ出る。
 待っていたエレベーターの担当者から頭を下げられ、名刺を渡された。
「まっ、生きてると色いろあるけどさ。がんばっていこうよ」
 掃除のおばさんが言って片手を出す。
 みんな円陣を作っておばさんの手の上に、試合の前のスポーツ選手のように手を重ねていった。ジャケットに綿パンの男も加わる。
「オーッ!」
と言うと、手を振りながら、それぞれの方向へ進みだした。
「おばさん、ありがとうございました!」
 小学生の男の子が、美晴にペコリと頭をさげた。
「ぼく、一人で大丈夫なの?」
「うん、はぐれたら本屋さんで待ち合わせって、おかあさんと約束してあるんだ」
 彼は大きな前歯を見せて笑うと、美晴に手を振って弾むように走って行った。
 
「窮屈だけど自由な空間だった」
 そうつぶやくと美晴もまっすぐ前を向き歩き出した。

バイバイ 里美


                 藤田 通代

「出来るの? 出来ないの? それも分らないって? この半年間、何も学んでこなかったってこと? 大体ね、あなたの香水強すぎよ。ここは職場なのよ! そんな事に時間かける暇があったら、もっと勉強したらどうなの!」
 李知子が怒鳴なると、百合香は蒼白になった。唇を噛み締め、目から涙が今にもこぼれ落ちそうだ。
 李知子は、部屋にいた部下たちが、固唾を飲んでこっちを見ているのに気付いた。
「もういいわ。席に戻りなさい」
 急いで百合香を解放し、李知子は彼らに苦笑してみせた。途端に張りつめていた空気が和んだ。
 
 李知子が企画部門の一チームのリーダーになったのは昨年からだった。
 中堅の広告代理店に入社して十年余り、今回の昇格は、いままで確実に実績を積んできた成果と自負していたが、選考の段階で、上の方ではかなりもめたと聞いた。
 若すぎる、経験が少ない、そして、女で務まるのか等々。
 どれも特に気にならなかったが、リーダーシップに疑問があるとも言われた事には、悔しいが一理あると思った。
 仕事はできるが、ともすれば抱え込む、一人で突っ走ってしまうと影で言われてきたし、李知子自身思い当たる節がある。
 でも、抜擢された限りは、今まで以上に全力でのぞむ。そしてとにかく実績を上げる……。
 就任の日、李知子は決意を新たに、そう誓った。
 いざ滑り出してみれば、仕事は思いのほかスムーズに回った。
 危惧していた人間関係も問題はなかった。五人いる部下たちは皆優秀で、委知子の思惑通り動いてくれた。李知子は内心ほっとしていた。
 ただしそれは、今年の春、百合香がチームに配属されるまでのことだった。
 百合香は小柄で色が白く、きれいな顔立ちで、新入社員の中でも際立っていた。
 男性社員の間では、配属先について、期待を込めてかなり取り沙汰されていたらしいが、李知子は自分の所に新人が配属されるとは思っていなかったので、百合香だけでなく、新入社員そのものにまったく無関心だった。
 ところが、チームに百合香の配属が決まってしまい、李知子は愕然とした。
 新人の教育などしている余裕などない。出来る事なら断りたいが、そんな勝手が許されるわけがないし、なにより「出来ない」は李知子にとって、足をひっぱられる材料でしかないと思ってきた。
 百合香の履歴をみて、李知子は、ますます気が重くなった。
 有力なコネ入社、新卒でいかにも世間知らずのお嬢さんといった風情。
 どうひいき目で見ても、お荷物以外の何者でもない。
 李知子は頭を抱えた。
 でも仕方がなかった。
 考えた末、部下の中で唯一、李知子より年上の成田の下につけ、様子を見る事で落ち着く。
 それから半年、李知子が見る限り、百合香は危惧した通りまだ半人前以下だった。
 成田の下で雑用はかろうじてこなしているようだが、作業は常に遅れがちで、チームの足をひっぱることもあった。
 ただ控えめで素直なので、先輩たちにはかわいがられているらしく、成田に聞いても、李知子が思っているほど百合香の評価は悪くなかった。
「百合ちゃん、よく見ていますよ。勘もいいし、着眼点もいいです。そしてなにより真面目で丁寧です。ぼつぼつ仕事を任してみようかと思っていますよ」
 李知子が百合香をお荷物と思っているのを察してか、彼がことさら褒めている気もする。
 しかし、年上の成田にそう言い切られると、李知子も反論しにくかった。

 成田が珍しく風邪で高熱を出して休んだ。
 そんな時に限って、厄介な事が起こる。彼が提出した企画の一部に、クライアント上部からのクレームが入り、至急手直しが必要になったのだ。
 仕事を振るにも、チームの他の三人は急ぎの仕事で手が一杯で、後一人は出張中だった。
 そして李知子も忙しかった。
「百合ちゃんにやらせてください。彼女、この企画は最初から関わらせていますから」
 成田が喉をやられてかすれた声で連絡してきた。
 李知子は仕方なく百合香を呼んで、できるかどうか問いただしてみたが、思った通り彼女の返事は要領を得なかった。
 李知子は、さらに声を落とし、ゆっくりとクライアントから指摘されている点をわかりやすいように説明したつもりだったが、彼女の態度はいっこうに変わらない。
 百合香の体から時々匂ってくる香水の香りがやけに鼻につく。態度は曖昧なのに、香りでははっきり自己主張している。
 李知子のいらだちはとうとう沸点を超え、気がついたら百合香を怒鳴りつけていた。

 本当は、百合香に期待などしていなかった。成田の手前一応問うてみるだけのつもりだった。
 おそらく……香水の匂いのせいだ。
 李知子は皆の前で感情をあらわにした事を悔やんだ。
 しかし、今はとにかく時間がない。
 病気の成田には申し訳ないが、電話で彼と相談しながら、自分がやるしかないだろうと、最初から覚悟していた。
 李知子は今日のスケジュールを頭に思い浮かべ、猛烈な勢いで空き時間を計算し始めた。
「チーフ、私にやらせてください」
 いきなり百合香に呼びかけられた。
 顔を上げると、彼女はまだ李知子の前に直立不動のまま立っていた。
 彼女の目はまっすぐに李知子に向かっていた。
 こぼれ落ちそうだった涙は、大きな目にまだかろうじてとどまっていて、鼻が少しひくひくと震えていたが、李知子ににらまれても、彼女はもう視線をそらさなかった。
「私にやらせてください」
 百合香はもう一度そう言った。
「できるの?」
「はい」
 ほんのしばらくの間にらみ合っていたが、先に目をそらしたのは李知子の方だった。
「内容はさっき説明した通り。私、今から外に出るけど、出来次第メールで送って」
「はい」
 百合香は席に戻り掛けたが、再び李知子の前に戻って来た。
「香水、申し訳ありませんでした。昨日私、誕生日だったんです。それで叔父が香水をプレゼントしてくれて……初めて付けてみたんですけど、付け方がわからなくて……。以後気を付けます」
 一礼して足早に去って行く百合香を見ながら、李知子は、今度は自分自身に苦笑した。

 李知子が社に戻ってきたのは、夜の九時を少し過ぎた頃だった。
「お先に失礼します」
「お疲れ様」
 李知子を待っていた一人が、報告を済ますと帰っていった。
 あと残っているのは百合香一人。李知子が帰ってきたのも気が付かない様子で、懸命にパソコンの画面と格闘している。
 新しい企画書はほぼ完成いるはずだ。百合香とは、外出先から数回メールでやり取りし、内容のチェックは終わっていた。
 李知子は自分の部屋に入り、ガラス越しに百合香を見た。


「くさっ! 何、このにおい! トイレの芳香剤?」
 放課後更衣室に入ってくるなり、里美は顔をしかめ叫んだ。
 高校生の李知子はとっさに、里美と目を合わさないように下を向いた。
「ひょっとして、あんたの香水の匂い?安物の香水なんかつけないでよね! 臭いだけじゃないの!」
 里美は上目使いに李知古子を睨みつけると、さっさと更衣室から出て行った。
 李知子は呆然と立ちすくんだまま、手入れの行き届いたロングヘヤーが、さらさらと左右に揺れる里美の後ろ姿を見送った。
 その日李知子は、放課後部活の仲間と遊びにいく約束をしていた。今日は憧れの先輩も来る。
 更衣室に誰もいないのを見計らって、ポーチに忍ばせ持ってきていた香水をつけたのを、里美に見られてしまった。
 さっきまでうきうきしていた気持ちが吹っ飛んで、ただ惨めだった。
 里美は李知子の高校の同窓生だった。彼女は学業もスポーツも出来るクラスのリーダー的存在で、いつも皆の中心にいるような子だった。
 地味で何事も程々の、いたって平凡な李知子にとっては、まぶしいと言うより近寄りがたい存在だったが、あいうえお順の名字が彼女と近かったので、席や班が一緒になる事が多かった。
 何時の頃からだろう、里美は李知子に辛く当たるようになった。
 班の活動がうまくいかない時は、必ず李知子のせいにされた。
「いちこ、あんたがいなければ良かったのに!」
 面と向かって、
「用なし!」
「愚図!」
と、言われたことも何度もある。
 言い返せばいいのだが、李知子は里美の前では気後れしてしまい、何も言えなかった。
 いじめと言うほどではなかったが、里美の仕打ちは李知子にとって苦い思い出だ。
 高校を卒業した当時は、里美から開放されて、心底ほっとした。
 思い出は、時間が経つにつれ薄れていく。
 それなのに、すっかり忘れていた里美の言葉が、自分の声になってよみがえってきたのだ。
「香水なんかつけないでよね!」

 そろそろ百合香の仕事が終わりそうだ。
 李知子は部屋を出て、廊下の先にある自動販売機に向かった。
  ガッタン   ガッタン
 ペットボトルが二本。やけに大きな音を立てて出てきた。
 一本は李知子の分。
 そして、もう一本は百合香の分。
 百合香は要領よく立ち回れるほうではない。何時になったら、てきぱきと仕事をこなせるようになるのかは未知数だ。だけど成田の言う様に、そのうち成長していく可能性はない訳ではない。
 今日彼女の仕事ぶりを直接見て、成田の評価もあながち間違ってはいないのかもしれないと思った。
(私も里美から見たら、百合香の様だったのかもしれないな)
 李知子は、自分に自信が持てず、何事にも臆病だった高校時代を思い浮かべた。

  でもね 
わたし やっぱり あんたが 嫌いよ
  それに わたしは あんたとは 違うから
  
  バイバイ 里美

☆☆  掌編  ☆☆

  「こてまり」では、日頃のトレーニングの一環として、テーマを出しあい、会合の時間内に掌編作品を書く事にしています。
  仕上げは自宅でとなりますが、その月の当番が、「題」を決めています。絵葉書でも、俳句でも、音楽でも、自分が気に入ったものを題材にしています。
  三十四号では、その中から「夏帽子」と「秋祭り」
  を取り上げてみました。

夏帽子
                 植田 良枝

「おにいちゃん、ほらミンミンゼミが……」
「シー、そっと近づいて、音は立てないの」
 夏休みになって、健ちゃんは、おじいちゃんと一緒に住んでいる、いとこの大ちゃんの所に遊びにきていました。大ちゃんは五つ年上です。
 この公園は、おじいちゃんが子どもの頃からあるので、太くてりっぱな木がいっぱいあります。
 桜、つつじ、モミジと、いつでも何かが人々の目を楽しませてくれています。

 ミーン、ミーン、ミーン、ミーン

 健ちゃんと大ちゃんは、セミの止まっている木に向かって、ソロリソロリと進みます。
 太陽は容赦なく二人に照りつけています。
 二人の額には汗がいっぱい。
「あついなあ、おにいちゃん」
「しー、しゃべらないの。セミが逃げちゃうよ」
 
 ミーン、ミーン、ミーン、ミーン

 百万匹とも思えるほどの、セミの大合唱! 
 あと少しで目当ての木にたどり着くその瞬間、セミはおしっこをして飛んで行ってしまいました。
「あーあ、おにいちゃんが音をたてたから」
「ごめんね、健ちゃん」
 大ちゃんは木の根につまづいて、打ったひざをさすりながらあやまっています。
 こんなときでもガマンしているのは、おじいちゃんに頼まれただけじゃなく、健ちゃんのことが弟のようにかわいいからです。

 シャン、シャン、シャン、シャン

「あっ、クマゼミもいるよ」
「ほんとだ」
 二人はクマゼミのほうに向かって進みます。
「こんどこそつかまえるぞ」
「おにいちゃんがんばって! ぼくもやってみたい」
 大ちゃんは、健ちゃんにアミを貸しました。
「そっとアミをかぶせるんだよ」
 逃げられても、何回も同じことを繰り返しました。
 やっと、二匹のセミをつかまえて大満足!
二人の顔は、汗でぐっしょりです。
「おにいちゃん、のどかわいた」
「健ちゃん、お茶飲もう!」
 公園のあづま屋で、お茶を分け合って飲みました。
「おにいちゃん、やったね」
「ウン、つかまえられてよかった。帰ろうか」
 二人は、意気揚々と帰って行きました。

 あらあら、あずま屋には二つの麦わら帽子が……

 あづま屋の置き忘れたる夏帽子



夏帽子
                 花都 向日葵

 その帽子のことは、ずっと気になっていたの。
 さびれた公園の端にある、東屋。
 夏休みだというのに、ほとんど人気のないそこのベンチに、黄土色のリボンのついた麦わら帽子がひとつ置かれている。
 いつからあったのかも、思いだせない。
 とにかくその東屋の前を通りかかると、麦わら帽子はいつもちょこんと、ペンキのはげたベンチの隅に置いてあった。
 きのう台風が来て、ものすごい雨風で、暴風警報が出たの。
 ところが今日やってくると、麦わら帽子はなにごとも無かったかのように、やっぱりベンチの隅に置かれていた。
 公園の地面が雨水で池のようになり、桜の木の枝が風に折れて、転がっているのに……だ。
 まるで接着剤で貼り付けられたように、帽子はぴたりと、いつもの場所にあった。
 なんで?
 私は少し離れた場所から、こわごわその帽子を見た。
 なぜいつも、あそこにあるんだろう。どうしてどこにも飛んでいかず、ずうっとあそこにあるんだろう。
(出して……)
 ふいに小さな声が聞こえた気がして、ギョッとする。
(ここから、出たいの……)
 その声は、東屋の麦わら帽子の中から、聞こえてくるようだった。
 怖い。
 やはりあの帽子には、なにかの怨念でもこもっているのだ。呪いの帽子かもしれない。
 私はもちろん、逃げようとした。
 けれどその声は、ほんとうに寂し気で、ほんとうに切実で、私は金縛りにあったかのように、逃げることができなかった。
(出して。出たいの……)
 とうとう私は、引き寄せられるように東屋に歩みよった。
 震える両手の指先で帽子のつばをつかみ、深呼吸して、そっと持ちあげる。
「……あっ……」
 小さな小さな女の子が、膝を抱えて座っていた。
 そうして、自分にかぶさっていた帽子が取り除かれたことに気がつくと、眩しそうに上を見て、とてもとても嬉しそうな顔でつぶやいた。
「空だわ。きれい」
 その小さな女の子の顔は、私にそっくりだった。
 いや、そっくりなんてものじゃない。何十分の一かの、ミニチュアサイズになった私だった。
「ずうっとずうっと外に出たかったの。寂しかったの」
 ああ、その通りだ。
 寂しかったなあと、私は思った。
 不登校になって、もう一年が過ぎている。家の中とたまに来るこの寂れた公園だけが、私の世界だった。
 私は、小さな私が見上げている空を一緒に見上げた。
 真っ青で、どこまでも広がっていて、まるで宇宙みたいだった。



夏帽子
                 長谷川 由美

 あずま屋に置き忘れてきてしまったのは、夏帽子だった。
 清美が記憶の彼方にうっすらと想い出すのは、決まってあの暑い夏の日々だった。
 毎年夏になると帽子代をもらって、幼馴染の恵理ちゃんと香代子ちゃんと一緒に、近所の帽子屋さんへ麦わら帽子を買いに行った。
「麦わら帽子ください」
 おじいさんが何種類か出して来て、上がり框の畳の上に並べてくれる。
「私これにする!」
 香代子ちゃんは決めるのが早い。
「どれにしようかなあ」
 おしゃれさんの恵理ちゃんは、時間をかけて色いろかぶって決める。
「私はこれに決めた!」
 清美はいつもピンク色のリボンを選んだ。
 麦わら帽子をかぶって、暗くなるまで公園で遊ぶ。
「入れて」
「一緒に遊ぼ」
 遊んでいるうちに人数が増えていく。
 朝起きて、母親が用意してくれた朝食を食べ、学校へ行く。春には新しいクラスになり、それに慣れるころに一学期が終わると夏休みになる。毎日セミがうるさいくらいに鳴くのを聞きながら宿題をした。
 夏休みが終われば、またクラスメイトとの二学期が始まる。
 中学校と高校では、部活動もした。清美が剣道部で恵理がテニス部、香代子はソフトボール部だった。
 清美は、いつまでもこんな毎日が続くと信じて疑わなかった。

 清美は、大学を卒業すると、商社へ就職した。
 家から通勤したので、食事は相変わらず母親に作ってもらっていた。当たり前だが、もう長い夏休みも宿題もない、とあらためて思った。
 五年後、結婚した。
 ある日、朝起きると炊き立てのご飯とみそ汁ができていた。が、食べる前に目が覚めた。
 仕事と家事の両立で疲れていたので、きっと願望が夢にでたのだ。
 仕事の打ち上げのあとに、二次会へ行った。独身の子たちが多かったせいか、もう一つ以前のようには雰囲気になじめなかった。いつも新曲を誰よりも先に歌うのが自慢だったが、今は少し前の曲しかわからない。
「それ懐メロじゃん!」
 清美より一つ年上の男子社員が、からかわれている。自分と同類だ、と思った。彼はもうすぐパパになる
らしい。
 一年後、清美も子どもに恵まれた。あの懐メロの彼が自分のことのように喜んでくれた。
 予定日が近づくと退職して専業主婦になった。
 恵理と香代子とも、何年か前の同窓会で会ったきりで、もっぱら年賀状で近況報告をするだけだ。
 恵理は結婚して故郷を離れた。いつも流行の先端をいってたのに、割烹着姿で子どもをおんぶしている葉書が届いた。
 香代子は独身でアメリカの大学に通っており、ほとんど化粧はしなかったのに、赤い口紅と水色のアイシャドー、くっきりと引いたアイラインがとても似合っていた。

 あのとき置いてきてしまった夏帽子は、もう取りに戻れない。

 あれから随分ときが経ち、子どもたちも高校生になった。毎日朝食を作り、弁当を持たせる。学食もあるが手作りと決めている。
 昨年から始めたパートも、もう少し勤務時間を増やそうかな、と思っている。そうすると企画会議にも参加できるそうだ。
 今年のお盆は恵理も香代子も帰省するから、久しぶりに清美の家で集まる予定だ。

 あずま屋に置き忘れた夏帽子は、もう取りに戻らない。



夏帽子
                 松林 和子

「あっ、舞子の帽子だ」
 かあちゃんに買ってもらった、妹のお気に入りの麦わら帽子。
 こんなところにあったんだ。
 リボンやお花のかざりじゃなくて、ちょうちょの飾りがついているって、舞子が喜んでいた。
 その麦わら帽子をどこかでなくして、かあちゃんをこまらせていた。
「同じものを買えばいいじゃん」
「同じものなんてないもん。だって、あのちょうちょさん、夜にキラキラ光りながら、お部屋の中でとぶんだよ」
「ハハハ、そんなはずないよ。舞子は夢を見たんだよ」
「夢じゃないもん。だって舞子の手にとまったもん」
 プーと、舞子は口をとがらせた。
 とうちゃんが「そのちょうちょさん、きっと舞子のところへもどってくるよ」といって、舞子をひざにだき上げた。
 かあちゃんも「ちょうちょさんの帽子、どこかへ遊びに行ってるんだよ」と、なぐさめた。
 舞子は「うん、きっともどってくる。舞子まってる」と言っていた。

 めったに人の来ない公園の、あずま屋の片隅に、その帽子はあった。
 少年が手に持っている帽子の飾りの蝶がひらひら飛んで、その後ろをついて行ったのを少年は知らない。

秋祭り
                 植田 良枝

「今年の祭りは、来月の三日だよ」
 田舎のおじいちゃんから連絡があった。
 毎年家族で出かけている、ぼくの一番楽しみにしているイベントだ。
 ところが、今年はだれも行けないらしい。
 父さんは、出張。母さんは仕事のシフトが変えられないといっていた。
 兄ちゃんは市のテニスの試合があるといっている。
「ぼく、一人でも行く」
「一人じゃムリでしょ」
「やだ、ぜったい行くから」
「正吾も三年生なんだから、一人でも行くか」
 母さんとのやりとりを聞いていた父さんが、助け船を出した。
「うん、行く。行けるから」
 ぼくはちょっと心配だったけど、,行きたい思いがいっぱいで、大きく胸をたたいて答えた。
 ほんとは一人でおばあちゃんの家に行ったことがないし、一人で泊ったこともない。
「おじいちゃん、もっと早くに知らせてくれたらよかったのに」
 母さんは、少々不機嫌だ。
「今年は大祭らしいよ。いつもより決めごとが多くて、例年より遅れたんだろう」
 父さんは、おじいちゃんの代わりに説明した。

 出かけるまでの二週間、塾までは一人で電車に乗って通った。
 一人で電車に乗る練習。それが、父さんとの約束だ。
 おじいちゃんの家に一人で行ったことのある兄ちゃんは、行き方のコツを教えてくれた。
 前日の夜は、電車に乗る夢までみて朝を迎えた。

 第一関門の、駅の改札は通過!
 予定の電車にも乗った! 前から二両目だ。景色のいい右側に座った。
 あとは、『森の山駅』まで十二駅乗ればいい。
 こんなの楽勝! 窓の外を見る余裕が出てきた。
「お行儀よくしなさい。靴をはいたまま後ろ向きに座らない」という、母さんのことばも守った。
 大きな川を渡ると、突然あたりの景色が変わってきた。風も気持ちいい。
 いつのまにか、人もまばらになっていた。
 大祭って、どんなことするのかな……なんて考えていると、トンネルに入った。
 これがトンネル? って思えないほど短かった。
 一瞬の事で、もとの明るさに目がなれるのに時間はかからなかった。
「ぼうず、一人か?」
 顔を上げると、離れた席に座っているおじいさんと目が合った。
 すごく変わった格好をしていた。マジックをする人みたいな大きな帽子をかぶっている。仙人みたいな杖がそばにあった。
(ぼうずって?)
 だれのことかわからなかったし、知らない人とは口を聞いてはいけないから、ムシしていた。
「ぼうず、一人か?」
 また、声をかけてきた。ぼくは、かたまった。
「ぼ……く……?」
「ぼうず、何才だ」
「ぼ、く、しゃべっちゃだめだから」
「おかしなことをいうな、しゃべれるじゃないか」
「……九才……三年生」
「わしの孫の正一と同い年か。一人で電車に乗れるとはたいしたもんだ。えらいぞ、ぼうず!」
「おじいさんにも、孫がいるんですか」
「いい子だぞ。なかなか会えるもんじゃないがな」
 それから話がはずむわけではなかったけれど、窓の景色を指さしては、桜がきれいな土手や、カブトムシのいる森を教えてくれた。
 知らない人と話したけれど、懐かしい感じがして、なんだかほっとしていた。
 やっと十二番目の駅だ。
 ぼくは降りる時、おじいさんにキャラメルをあげた。
「わしにか? ありがとう……正一によろしくな」
『森の山駅』を降りて無事改札を出ると、ぼくのおじいちゃんの笑顔が目にはいった。
「おじいちゃん、こんにちは!」
「正吾、大きくなったな。一人旅大成功!」
 おじいちゃんにほめられた瞬間、ぼくは大人になった気分になった。
 車に乗ってから、ぼくはずっとしゃべり続け、家に着くと車からとんで降りるように、おじいちゃんの家めがけて走りこんだ。
「おばあちゃんこんにちは、ぼく一人できたよ」
「まあまあ、よくきたね。正吾君はすごいね」
 玄関は前に来た時と一緒。兄ちゃんとぼくが書いた絵がかざってある。
 なんだかとてもなつかしくなって、鼻がつーんとなった。
「あれ、お酢のにおい!」
「一人旅のお祝いにちらし寿司を作ったわよ。秋祭りだから、あずき飯もあるのよ」
「やったあ、ぼく、大好き」
「仏間にお供えしてあるから、そこで食べましょ」
「おばあちゃん、仏様にあいさつするね」
「あらまあ、そんなこともできるの?」というおばあちゃんの声を背に仏間に入った。
「母さんにいわれたんだ。きちんとしなさいって」
 これをここにお供えして、手を合わす……。
 ぼくはぶつぶついいながら、仏壇の前にすわった。
 おばあちゃんが、ろうそくに火を灯してくれた。
「あれ、おばあちゃん、この写真の人はだれ?」
「それは、正吾君の大きいおじいちゃんよ」
「えっ、ぼく、この帽子の人知ってる」
「そんなわけないでしょ」
「だって、電車でおしゃべりしたよ」
「ええっ、あなた、大変よ。正吾が大きいおじいちゃんに会ったっていってるわよ」
 後から入ってきたおじいちゃんに伝えている。
「……そうか……、会ったか……」
 お参りがすんで、ちらし寿司を食べてから、二人はご先祖様の話をしてくれた。
 昔から男の子の名前に『正』の字がつくこと。
「正吉は、大きいおじいちゃん。正蔵は、私。正一は、正吾のお父さん……」
「だから、ぼくが正吾で、兄ちゃんは正太なんだ」
「大きいおじいちゃんは、正吾君とおしゃべりするのが楽しみだったのよ。でも、残念だった……」
「こんなかたちがあったとはなあ……じいさんもなかなかやるな」
「ぼく、そのおじいさんにキャラメルあげたよ」
「キャラメル? 待てよ」
 おじいちゃんは、ぼくのことばを聞いて思い出したように、引き出しから古いアルバムを持ってきた。
「ここに写っているのは、じいさんと私だ。この小さいのが正一、正吾のお父さんだ。そして、キャラメルを持っている」
「あっ、ぼくがあげたキャラメルだ!」
「今年の大祭は、記念の秋祭りになるな」

 秋祭り仏間に供えしあずき飯



秋まつり
                 大枝 良子

 小さなころから、女の子たちは秋まつりの巫女さんにあこがれていた。
 白い着物に赤いはかま。頭には金色のかんざし。
 町内にある三島神社は子どもの神様だったから、巫女さんも子どもだ。
 五年生になると女の子は巫女さんになって、おまつりの時に踊りを踊るのだ。
 低学年のうちは、男の子たちがひくだんじりの後ろをついて歩き、たずね歩いた家でおさい銭やおかしを、手に持ったひしゃくに入れてもらう。
 それはそれで楽しかったけれど、やっぱり女の子はみんな、巫女さんになって踊るのを夢見ていた。
 今年五年生になった麻由も、夏休みには初めて巫女さんの踊りの練習に参加した。
 あの衣装を着て、金色のかんざしを頭にさして、みんなの前で踊れるのだと思うと、わくわくした。
 初めての練習の前の日は、うれしくてなかなか眠れなかったくらいだ。
「麻由ちゃん、いつもおくれてるよ」
 六年生のサヨちゃんには、何度も注意された。
「麻由ちゃんには、無理なんじゃない?」
と言われたときには、泣きそうになった。
「やめようかな」と思ったこともあったけど「やめる」とは言わなかった。
 低学年のころからずっと、あこがれてきたんだもん。
 左より少し短い右足が、どうしてもおくれるけれど、きっと神様はゆるしてくれると思う。
「さあ始まるよ」
 リーダーの声に、麻由はお母さんに初めて紅をぬってもらったくちびるを、ぎゅっと結んだ。

§ 編集後記 §

 猪名野笹原に、秋風が吹く季節となりました。
 伊丹は日本酒発祥の地、銘酒一献とお気に入りの一冊。読書の秋を楽しみたいものです。
 できましたなら、そこに「こてまり」もお仲間に加えて頂きたく、三十四号をお送りいたします。
 新酒も年代物もありの一冊ですが、みな様のご意見ご感想を励みに、新製品の開発を心掛けて参りたく思います。
          こてまり 同人一同

こてまり 34号

2017年11月 発行 初版

著  者:こてまり
発  行:kotemari出版

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創作児童文学の会「こてまり」

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