この本はタチヨミ版です。
「アユが戻ってこないかって言ってたよ」
花咲の言葉は私の胸に刺さる。彼女がこう言ったことには何か理由があるのだろう。むしろ、アユのことだ、何か裏があるに違いなかった。
「お前もうアユと二人でやっていけよ。俺はお前らのもとで仕事するのは無理だ」
俺はアユと花咲の三人で立ち上げた会社にもう未練はなかった。最初はうまくやっていける! そんな気持ちでいっぱいだったのにいつのまにかマンネリ化して楽しいと思うことが出来ない会社になっていくのを身に染みて感じていく。
仕事が楽しくなくなったのはつい最近のことだ。プログラム言語の一つも分からない俺がITベンチャー企業なら今始めれば確実に儲かる! そこで、プログラム言語の習得をし終えた花咲を呼び込んだ。それに金魚のフンのようについて来たのがアユだった。アユは何か得てがあったのかと言われれば会計関係に強かった点だった。俺が楽しいアイデアを出す、花咲がそれをプログラム化していく、アユが資金面でのやりくりをする。
そんな日々で毎日が新鮮だった。でも、それもすぐに潰れていく。理由は花咲へのオーバーワークだった。俺が描いた案を花咲一人の手では背負いこめなくなったのだ。そこで、花咲と同じくらい仕事が出来る人間を雇うことにしたのだが、人件費なんてものは俺の構想にはなくて、アユが無理やり引っ張ってくれていた。そんなこともあり、アユも花咲も俺に対する不満が増え続けたのだ。
新しく入ってきた新入社員も俺の独断と偏見で会社が動いていることに不満を持つことが多くなり、入社しては辞めていく会社になった。
「俺のやり方が悪いのか?」
「いや、私たちのやりくりがうまくいってないだけだわ」
「そうだよ。頑張ってるのはみんな見てて分かるんだから。ついてこれない人は私たちの考えに自分の力がないと自負して辞めていってるんだから、気にしなくていいよ」
花咲もアユも俺に対しての優しさは誰よりも強く押し当ててくれる。でも、結果は同じ。社員が増えることもなく、花咲の仕事量が増えていく。アユに関しては会社の存続のために金の管理を徹底的に行なってくれていた。そんな二人に悪い気がして俺は告げたんだ。
「もうこの会社は潰そう。俺はCEOの座を降りる」
「何言ってるの! あなたがいなくなったら会社立てた意味がないじゃない。あなたが作りたいって言ったのよ!」
花咲が言いたいことも分かる。俺が言い出したことだ。無責任だってことも重々承知してた。
「アユ、あなたも何か言ってよ!」
「彼が降りたいならあたしが引き継ぐよ。CEOの座。あたしは会社のトップになれるならどんな手でも使いたいしね。金銭管理だけじゃ楽しみ甲斐もないし、彼より楽しい職場にすることは頭の中で構図は出来てるからね。ご自由にどうぞ」
俺はこのアユの言葉に苛立ち不快感を覚え、即座にCEOの座を降りた。その数ヶ月後、会社は東証一部上場の会社にのし上がっていくのだった。アユの戦略はまんまとビジネスにハマって成功していく。ベンチャー企業と名乗れば瞬時に会社名が出てくるのはザラだ。俺には才能がなかったと悟った矢先、冒頭の言葉を花咲から聞かされる。今さらどのツラ下げてアユの下で働けと? こんな屈辱的なことを花咲もアユも俺にふっかけてきたのだから俺が腹を立てるのも無理はないだろう。
俺ははっきりと「戻る気は無い」と告げて、その場を後にした。
「嫌な会社だ。それでもトップに居続けるんだろうな。あの二人が組んでるんだから。胸くそ悪いぜ。ほんとに」
俺は嫌な感情でいっぱいになったままタバコに火をつけて帰宅するのだった。
「フットサルチーム? あなたが?」
あたしの発言に優は戸惑いながら問いただす。
「うん。最近、運動不足だし。ほら、見て! 女性会員歓迎って書いてあるの!」
「運動不足の割に結構ハードなスポーツ選んだわね」
春香はフットサルのフライヤーをみて、あたしにできるのか? 釘をさす。そんなあたしは春香の言葉なんて耳に入ってこないくらいフットサルに打ち込む気でいた。シューズもそれなりのものを買ったし、ウェアも購入済み。あとは参加申請するのみだった。あたしは何事も形から入るもんだから周りには無駄遣いにも程があると言われることもしばしば。でも、あたしの言動はとどまるところを知らなかった。
「ところで、ソーシャルフットサル? って何?」
春香は目を引いた言葉の意味をあたしに問いかける。
「ほら、あたしちょっとメンタルの病気持ってるじゃん?」
そう、あたしはうつ病を抱えていた。
「うん。それは知ってるけど、それとこの言葉の意味は?」
「これは精神障害者が主となるフットサルなの。だから、ちょうどいいかなって? まぁ、男探すアテにもなるしね」
あたしの思惑を見抜いたのか春香は大きくため息をついた。
「結局、それ狙いですか?」
「もちろん! 障害者が恋愛してはいけない理由なんてないでしょ?」
春香は喫茶店のマスターに「コーヒーおかわりください」とお願いしてタバコを加える。
「あんた、本来の目的どっちよ?」
「そりゃもちろん、後者よ!」
「下心丸出しね。そういうところが男に見抜かれてしまうんじゃない?」
春香はタバコの煙を輪っかにしてプカプカと吐き出す。
「それは考えてなかった。あたしやっぱり見抜かれやすいのかな?」
「そりゃ、誰の目から見ても一目瞭然じゃない?」
あたしはそんなにがっついているのかと感じた瞬間だった。とりあえずフットサルの用意は完璧にしたから参加せざるを得ないけど、あんまりがっついていくのを自重しようと考えていた。
フットサル当日になって、初めてだから自己紹介から入った。がっつかないようにと気持ちを落ち着かせる。
「中脇順子です。よろしくお願いします。いい出会いがあればと思って入会して見ました。たくさん絡んでください」
あ! 余計なことを言ってしまった。やはり日頃の行いが躊躇なく出てしまうんだなと実感する。とりあえず、フットサルチームのメンバーは優しい人ばかりで安心した。パス練習から始まり、シュート練習、トラップ練習、ありとあらゆる練習を終えて、これで終わりかと思ったのだけど、最後はコートを使って15分ハーフの試合形式の練習が始まる。意外とフットサルのコートは小さくて走り回らないといけなかった。女子は選手にカウントされないルールだからゴール前でボールが来たらシュートを打つだけの練習も行う。そんな感じで練習が終わると、あるメンバーから声をかけられる。
「初めての練習で疲れたでしょう。家に帰ったらゆっくり休んでね。動きはいいから、いい戦力になりそうだよ。これからもよろしくね」
「はい! ありがとうございます。お名前お伺いしてもよろしいですか?」
「僕は水谷蛍。基本は前でボールを回す役だよ。だから、中脇さんとはいいコンビが組めそうだよ。いっぱい点数とって日本一を目指そうね!」
あたしは蛍に即座に恋をしてしまった。こんな優しい人がいるチームならやっていける。そんな気がしていた。
しかし、そんな甘い思いも次の練習で脆くも崩れ去った。
「順子! パス通るぞ! シュートだ!」
蛍の言葉に応えようとシュートしようとするが、空振りになってしまう。
「なんで、あそこでトラップしないんだよ! いいチャンスだったのに」
蛍のスパルタであたしはさらにうつ症状がひどくなってくる。結局、フットサルは諦めることにした。蛍への愛も含めて。部屋に転がっているフットサルのボールはもういらないただのゴミにしか見えなくなっていった。
「さようなら、あたしの恋。フットサル」
「テーマ?」
僕はナミの言葉をオウム返しするように問いただす。
「そう、今年の学園祭も近いし、そろそろ文集のテーマを考えないと」
ナミの言葉に僕はようやくことの大きさを実感した。そうだ。もうすぐウチの大学の学園祭だ。ウチの大学は他の大学と違っていて、学園祭の文芸部の作品によってゼミのクラスが決まる。と言うのも、その辺の大学とは違い、文学部のレベルが高いのだ。偏差値で言えばザラに六十五を超える。もちろん、文学部だけの偏差値だが。入試もわずか一時間半で千五百時程度のショートストーリーを完結させるところから始めるのだった。そのため、ウチの大学出身の芥川賞作家や直木賞作家は多い。その理由は以上の点が関わっている気が僕はしていた。
「文集ってことは今年もゼミの決定が近いんだね」
「田沢ゼミは相変わらずの人気ぶりよ。あそこに入ろうと思うと今回の文集で頭一つでないと厳しいみたい。なんて言ったって希望者がいても田沢教授の目に留まらなければゼミ自体が行われないこともしばしばだしね。運良く入っても卒論テーマで苦戦して卒業が困難な学生も多々いるみたいだし、デスコースね」
田沢ゼミの人気とそこに入るまでの過程、そして入ってから卒業までのいきさつは校内でも有名だ。デスコースと呼ばれるのには他にも意味があった。最終論文で長編小説を書いて、出版社でオッケーをもらってデビューするところまでいかないと卒業出来ない人もそれなりにいるということだ。田沢ゼミは人気が故に希望するのではなく、田沢教授に認められた人しか入れないのがその特徴でもある。その選考方法はウチの学園祭で行われる文学部のサークルによる文集の仕上がりが全てを決定させるのだ。そのため、テーマももちろん、どこまで自分のベストな作品が作られるかによってくる。しかし、テーマが難しいことや相性に合わなければ田沢ゼミに入ることは不可能なことだった。冒頭に戻ると、今年もゼミ決定の文集のテーマを決めて、手を付けていかないと僕たちはゼミに入ることも出来ないまま卒業が出来ないで留年が確定する。
「今回のテーマ。教授からは何も?」
「無いわけではないけれど、かなりハードルが高いのよ」
ハードルが高い。つまり、それだけテーマも文章力も見られるとのことだった。それでも僕たちは書かないと卒業出来ないのだ。仕方が無い。渋々、テーマの詳細を聞き出す。
「ハードルが高いって、毎年難しいことで有名だろ? 田沢ゼミもそうだけど」
「私たちが普段書いていないジャンルなのよ。今回のテーマ」
僕はそれを確認するためにテーマ一覧を確認してみた。
「ミステリー・ホラー・ファンタジーか」
「出来そうなの?」
僕の変化のない態度にナミは驚きながら聞いてくる。僕は首を横に振って「全くもってアイデアの【あ】の字も出ないね」と潔く否定した。
「どうしよう。このままじゃ田沢ゼミがどうだ、こうだよりゼミに入って卒業制作すら出来ないかも」
ナミの言葉に少し危機感を覚えたが、僕はなんとなく書き始めたら書ける気がしていた。なにしろ、文章を書くこということ自体に変容はないのだ。アイデアがなければ他者が書いたものを参考にすれば良いのだ。しかし、あくまでも参考。パクってはいけない。教授達のことだ、毎日何百冊と作品を読んでいるに違いない。何百冊は言い過ぎかもしれないが、いずれにせよ、作品数を読まれている以上、パクれば一発でゼミ候補からは外される。方法としては、参考文献で頭をそのテーマに沿うように持って行って、あとは、自分の実力を最大限に出し切るだけだった。そして、僕は「ミステリー」のジャンルへ足を踏み入れた。名作と呼ばれる作品を読みふけってようやく文集用の原稿に手を伸ばす。卒業するためにはまず、ゼミに入らなければ。田沢ゼミに入りたいなどと貪欲にはいかない。どこのゼミでもいい。卒業さえ出来ればそれでいいのだ。そして、学園祭の当日がやって来て、色んな教授が文集を持って行った。後日、ゼミの合否結果が出た。僕とナミはその結果を見て、唖然とした。
「田沢ゼミ?」
「僕たちが?」
僕たちは顔を見合わせて、「みたいだね」と微笑んだ。しかし、戦いはこれから。厳しい地獄のゼミナールが待っていると思うと背中に寒気がゾッと走ったのだった。
大好きなワンピースに身を包んであたしは春の街に出かける。白とピンクのグラデーションのかかったワンピースはまさに春の桜の満開を象徴しているようだ。あたしはこの服が着れる春という季節が最高に好きだ。そんなある日、あたしはある男の子に出会う。彼の名前は葉桜万平。なんていうか、今思えばこの出会いも奇跡だった気がする。というか、彼の名前からして奇跡だ。少し読み方を変えれば「はざくら」が「満開」になるような響きだったからだ。出会いは突然で、あたしはこの春から新社会人として働くために会社に向かっていた途中だった。こんな平日に好きなワンピースを着て、出社出来るのは、いわゆる「アパレル」業界だったからだ。接客は嫌いじゃない。学生の頃はコンビニのレジ打ちにファーストフード店の店員などをしてたから、嫌いというよりむしろ、そっち系統しか向いてない気がする。そんな会社への出社途中、万平と出会った。スクランブル交差点で肩がぶつかり、スーツ姿の万平が持っていた書類が地面に散らばってしまったのだ。あたしはとっさに反応して、万平の腕から落ちた書類を拾うのに手を貸す。
すると、彼は大きい声で怒鳴り上げたんだ。
「触らないで!」
「え?」
「大事な書類なんだ。見ず知らずの人に触られると困る! ここはいいから君はもう離れて!」
「でも……」
「いいって言ってるだろ! 邪魔なんだよ!」
その言葉を聞いてカチンときたが、あたしはあまり関わらない方がいいと思い、その場を後にする。
会社に出社すると、定刻である時間を三十分も遅れてしまっていた。
「すいません。遅くなりました」
「まったく、遅刻とはいい度胸してるわね!」
先輩の花房雪音の言葉が胸に刺さる。すると、助け舟を出してくれるように田島部長がやってくる。
「まぁまぁ、いいじゃないか。人間完璧な動物じゃないんだし。ねぇ、山桜くん」
そう言って助けてくれたかと思えば、部長はあたしのお尻をスルッと触った。部長のセクハラは今に始まったことじゃない。あたしも暗黙の了解で我慢するしかなかった。
「今日はお得意様が来られる。山桜くん、お茶の用意とかお願い出来るかな?」
あたしはその言葉を聞いてお茶とお菓子をお盆の上に置いて用意する。
「山桜さん! これ、ファックスしといてって言ったでしょ!」
「あ、はい! これが済んだらすぐにします!」
「これだから、新人は使えないのよ」
花房はイヤミたっぷりに言葉を吐き捨てて、自分のデスクに戻っていった。あたしは正直、接客がしたかったのに気づけば事務処理を行うただのOLに変わっていた。
「こんなことをしたいんじゃないのに」
心の中であたしは強く感じていた。すると、先方が来たことを知らせるチャイムが鳴って、あたしは明るくハキハキとした対応をする。
「はい! どちら様でしょうか?」
「ミサカ出版の葉桜と申します。本日、アポを取っていたのですが……」
「かしこまりました。二階の扉からお入り下さい」
二階の扉が開くと、そこには知った顔があたしの目に映る。万平も同じように目を丸くする。
「あなた、今朝の!」
「スクランブル女!」
そんなやりとりを見た部長が声をかける。
タチヨミ版はここまでとなります。
2018年11月15日 発行 初版
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