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この本はタチヨミ版です。
とざいとーざい。
これに口上を務めまするはゲスト編集長なる者にて候。
ゲストなのに編集長。まったくわけがわからない。あたしもわけがわからない。
とざいとーざい……
そう遠くない未来、人類は孤独に滅びましょう。
でもまあ、人類が滅びるだなんて、大したことじゃあありません。
むしろ何か残ったら幸運だ、ってくらいには謙虚でなきゃあいけません。
ましてや、何がどう残るかなんてのは、人類の与り知らないところ。
知ろうったって無理筋です。何せ二回も滅ぶことになる。
かの不敗魔だって言っていたでしょう?
「二回死ぬなんてまっぴらだ。まったくもってつまらねえ」ってね。
さてさて、これから語られまするは終わった後の物語。
知ったことではないけれど、知ってみたいのもヒトの性。
さあさ皆様お立ち会い。
こたびのテーマは後継種。
何かとこじらせた連中が、集ってモノ書くオルタニア。
いったい何が飛び出すか。
始まり始まり。
ママと僕とママはおだやかにくらしていた
外に出てはいけません
ピアノを練習しなさい
写真を捨てなさい
それがママたちとタカシの約束
人類と後継種の静かな暮らしは
いつまで続くのだろうか
外の世界は危ないのだと、ママたちは僕に言い聞かせる。もちろん二人の話を疑っているわけではないし、親の愛を受けているからこそ、僕は生きていけるのだと思う。だけど、空が特別な色をしている日には、いいつけを破り、外に出てみたくなる。三重ガラスの窓の向こう側に見えるのは、重そうにゆっくりと流れる雲と、透き通るような水色の空。
窓に頬を付けて、その冷たさを感じていると、
「今日はピアノの練習はしたの?」
と、ママの一人に声をかけられる。家の中なのにきちんと化粧をしているママは、品が良くて綺麗で、僕は少しだけ窮屈な気持ちになる。
「ううん、まだしてない」
「一日二十分は練習をする約束でしょう。そんなに難しいことをいっているかな」
「分かってる。ちゃんと練習するよ」
リビングに置かれた電子ピアノは、ほこりひとつなく磨かれている。もう一人のママはあらゆる楽器の演奏が苦手だと言っていたけれど、今、僕のそばにいるママはピアノを弾くことが得意らしい。僕は彼女からピアノの弾き方を教わった。だけど、ママが演奏するのを見たことがない。もしかすると音楽はあまり好きではなく、僕と一緒に過ごす時間を作るために、ママはピアノを教えてくれるのかもしれない。
爪先でぎりぎり届くフットペダルをかこかこと踏みながら、僕は行儀のよい子供らしく、ピアノの練習をする。
*
言いつけを破ったきっかけは、ささいなことだった。
ピアノを弾けない方のママが、リビングのモニタに向かって画像データを整理していた。
「これもいらない、これもいらない」
パネルをタッチし、次々と写真を捨てていく。どこか知らない町の写真、料理の写真、ママが一緒に写っている写真の数枚あるうちの写りが悪いもの。
「ママ、そのデータ全部捨てちゃうの?」
「そうね、過去は処理しなければならないものだから」
深い意味などなく、彼女はそういったのかも知れない。だけど僕にとって「処理しなければならないもの」という言葉はとても不穏な響きに思えた。それを怠れば取り返しのつかないことが起こる、そういう類のもの。
遠い昔の曖昧な記憶の中に残されていたのは、荒れた土地の乾いた土、それに混じった醜い雪のぐずぐずとした質感だった。僕は裸足で歩いている。足の裏にはあまり冷たさを感じない。僕以外にも数人の子供たちがいて、肩を並べ規則正しく歩いている。雪解けの山の麓を、下着ひとつ身につけぬまま。
それは何年も前の出来事のように感じられたけれど、僕とともに歩く子供たちは見た感じ十歳くらいで、記憶の中の僕の目線は彼らのそれと同じだから、つまりはつい最近のはずなのだ。
僕はずいぶんと長い期間、いいつけを守り分厚いガラス窓の内側で、二人のママと一緒に暮らしている。じゃああの記憶は一体いつのものなのだろう。
ママたちは交代で働きに行く。ピアノを弾けない方のママが朝食よりも前に家を出て夕方に帰宅する。そして三人で夕食をとって交代で入浴したあと、もう一人のママが職場に出ていき朝に帰宅し、僕を起こしてから二人で朝食をとる。つまり、早朝にママが家を出て朝食前に帰ってくるまでの数時間、僕は一人でベッドの中にいるのだ。
チャンスがあるとすればそのときだけだった。僕はどうしても、僕の過去を処理したかった。僕の中にある、いつのものだかわからない記憶は、僕をいい子のままでいさせてはくれない。だから、片付けにいく必要があるのだ。
午前四時、ママは添い寝している僕を起こさないようにそっとベッドを出て、身支度を整え、朝食も食べずに家を出ていく。玄関の自動ロックがジィイイと回る音がする。
僕はクローゼットから淡い水色のパーカーを取り出し、パジャマの上に羽織る。洗面所の前を通ると、鏡に映る長い髪がもつれていたので、急いでブラシで梳かす。顔を洗ったり、髪を結んでいる時間はない。ママが帰ってくるより早く戻らなければ。玄関を出てドアを閉じると、自動ロックが回った。
「あれ……?」
マンションのフロアは、僕が想像していたそれとは違った。なんとなく、ホテルの廊下のようなアンティークな壁紙の通路をイメージしていたのだけど、無機質な灰色の細い道が、左右に伸びていた。
そもそも、僕は一度も家の玄関から出たことがなかったのだろうか。そんなはずはない。十歳になるまで一度も外に出たことのない子供なんて普通じゃない。でもなぜ、この先になにがあるのか、全く覚えていないのだろう。
表札には「707」と書かれている。だからここはたぶん七階だ。ちゃんと覚えておかないと帰ってこられなくなってしまう。玄関を出て右に歩いていくとエレベーターがあった。下へゆくボタンを押し一階に降りる。一階のホールもコンクリートで作られた、装飾のない無機質な空間だった。
パーカーのポケットに手を突っ込み、建物の外に出る。冷たい風の匂いがするけれど、なぜだかそれほど寒さは感じなかった。立ち並ぶ高層ビルには、電気のついている窓はほとんどない。夜明け前の町は暗くて静かで、ママたちがいうほど怖いところでもなさそうだった。いつも部屋の窓から見下ろしていたバス通りに車はない。周囲に人の姿もない。とりあえず危険はないのだと理解して、横断歩道を渡り、まっすぐに歩いていく。
初めて歩く道は、僕に特別な感慨をもたらさない。自分がどこを目指しているのかわからなかった。だけど足は自然に僕を町の外へと運んでいく。
歩いても歩いても、不思議と疲れを感じなかった。身体はすっかり温まっていて、パーカーの中に熱がこもる。髪が汗で頬に貼り付く。一時間ほど歩いただろうか。高さのあるビルはなくなり、戸建ての家が増えてくる。どの家も庭は荒れていて、畑だったと思われる空き地には背の高い草が生い茂っている。
ひび割れたアスファルトから生えた、地を這う蔦に足をとられて転ぶ。
「大丈夫?」
後ろから子供の声が聞こえて、僕は慌てて振り向く。
「だいじょうぶ……です」
「そっか、よかった。きみもサイアンにいくの?」
廃墟みたいな住宅の、立て付けの悪いドアを閉じながら、その子は僕に微笑みかけてくる。
「サイアン?」
「違った? でもここから向こうには、いける場所なんてサイアンくらいしかないよね。えっと、きみは……なんて呼んだらいい?」
僕の手を取り、起こしてくれる。名前を教えていいものか迷ったけれど、つい
「隆史」
と本名を伝えてしまう。
「タカシ! へえー、タカシがサイアンにねえ」
「なにか変?」
「あっ、ううん、ごめん。私はナオミ。今からサイアンに行くから、一緒にいこうよ」
彼女は僕と同じくらいの身長で、同じくらいの体格だった。日に焼けた肌と、栗色の短い髪。僕とは特別に似てもいないのに、なぜだか兄弟のように感じられる。
ナオミは靴も履かないままで、夏物のコットンのワンピースを着ていた。彼女とともにしばらく歩くと、家は少なくなり、見覚えのある景色にたどり着いた。
「ここは……」
荒れた赤茶色の土と、低く広がる山並み。木や草はほとんど生えていない、残雪の残る大地。初めて見るはずの景色なのに、漠然とした懐かしさがあった。好ましいとも、不快とも思えない平坦な感慨が僕の胸の中を通り過ぎていく。
「私はこれからメンテに行くんだけど。タカシはどうする?」
「僕も、ついていっても大丈夫なの?」
「大丈夫もなにも、きみも末裔でしょ。……待って、ほんとに末裔? もしかして私、勘違いをしてたのかな」
「末裔ってなに?」
「うっわあ、やらかした! 私、普通の子供をサイアンまでつれてきちゃった?」
ナオミは大げさに頭を抱えて、僕から一歩身を引く。彼女がなにを慌てているのかはわからないけれど、このままだと、僕はなにも得られないまま家に帰らないといけない。過去は処理しなければならない、という言葉が僕を急き立てる。
「でっ、でも、僕は確かにここに来たことがある」
「ほんと?」
「……ような気がする」
ナオミは不躾な視線で、僕の全身をくまなく眺める。
「ふうん。まあ、行けばわかるかー。とりあえず入口までいこう。あの山の頂上からもいけるけど、登るのが大変だから別ルートで」
ナオミは素足で残雪を踏みしだき歩く。山の麓近くに干上がった川があり、土が深くえぐれている。ワンピースが汚れるのも気に留めず、彼女は水のない川底に滑り降りる。
川の内側に窪みがある。土を払うと、卵をいびつにしたような形の石が出てくる。
「あった、ここだ。この通路から入るの久しぶりだけど、まだ使えるかな。ねえタカシ、ここに手を置いてみて」
「ここ?」
石を包み込むように右の手のひらを乗せる。音もなくゆっくりと、目の前の土が動いていく。それは、土の質感に偽装された自動扉だった。僕たちが背を屈めてようやく通れるくらいの、小さな入口。
中に入ると防空壕のような空間があった。木で作られた粗末な机が一つと椅子が二つ。机上には懐中電灯が置いてある。ナオミが懐中電灯をつけると、それを合図にしたように入口が静かに閉じる。
「ほら、やっぱりタカシは末裔だった。よかったー。末裔じゃないとこの扉は開けられないからね」
落ち着いた声でそういいながら、ナオミは唐突に服を脱ぎだす。
「えっ、ちょっと、なにしてるの」
「きみも脱いだほうがいいよ。どこから来たのか知らないけど、もし戻る気があるのなら、服はここに置いていったほうがいい」
「ええ……?」
上向きに置かれた懐中電灯が、ナオミの身体のラインを照らしている。できるだけ見ないように、僕は目を逸らす。
「それとも、サイアンは諦めてここで帰る?」
「ここがサイアンじゃないの?」
「なに馬鹿なこといってるの。ここはまだ入口」
ナオミが脱いだ下着をたたみもせずに机上に置く。それから懐中電灯を手に取る。
「か、懐中電灯で照らすのやめて」
「恥ずかしいの?」
「裸を見せることは恥ずかしいことだって、ママがいってた」
時間があまりなかった。僕はしぶしぶとパーカーを脱ぎ、パジャマのボタンに手をかける。ナオミが僕の手元を懐中電灯で照らしている。親切でやっているのか、いじわるを楽しんでいるのか、もしくはその両方なのか。
「ふうん」
「な、なに?」
「タカシは私と同じ、ナチュラルなタイプだよ。自分の身体が普通の子供と違うことに気づいてなかった?」
「僕の身体が?」
ナオミの懐中電灯が、僕の身体を這うように照らす。
「ほら、私たちには性別がないんだよ。改造されて生殖器を持っている子もいるけれど、本来、末裔には性差がないから」
「……ちょっと意味がわからない。性別って、身体の造りに違いがあるの?」
「んー、きみの両親は体つきが違わない?」
「ママが二人いるけど、二人ともそんなに変わらない」
「なるほどね。そういうことか」
ナオミは懐中電灯を切る。室内は完全な暗闇になり、ナオミがどこにいるのか、僕の身体がどこにあるのかわからなくなる。
僕の視界の前に光の筋が現れる。眩しさに目を閉じる。次に目を開いたとき、目前にあったのは青く輝く世界だった。
「おかえり、タカシ。ここがサイアンだよ」
「すごい……!」
円形のガラス張りのロビーの向こうに見えるのは、長い長いエスカレーターだった。そして眼下には町が広がっている。ここは地下のはずなのに、陽の光のある外よりも明るい。
「タカシは、ここを知ってる?」
「これ、エメラルドの都だ。ほら、オズの魔法使いに出てくる」
「エメラルドの都。その呼び方は初めて聞いたけど、確かにぴったりかもね」
僕たちはカーブしたガラス越しに町を見下ろす。よく見ると、建物はそれぞれに白だったり黒だったり、地上の世界と似た感じだ。だけど、町の街灯や家々の窓から照らされる灯りが、全て青みがかった緑色で、地上では見たことのない明るさだった。目を差すような寒色なのに、不思議と暖かさと懐かしさを感じる。
「タカシはたぶんさぁ、脳を操作されてるんだろうね」
「僕が?」
「想像だけど、きみは裕福な女性カップルに買われ、子供として育てられたんじゃないかな。そういう話、けっこう聞くもん。だけど、親の中には『子供には親を超えてほしくない』と考える人もいる。私たち末裔は、どうしたって人間よりは賢いから、彼らは末裔の脳にリミッターをかけるの」
「リミッター」
「この身体と同じように、いつまでも子供のままでいてくれるように、って。そんなことをしなくても、私たちは人間を貶めたりしないのにね」
ナオミに目を向けると、全裸のままでガラスに額を押し付けていた。ふいに自分も裸だったことを思い出して恥ずかしくなるけれど、ここには身体を隠せるようなものはなにもない。
「末裔ってなんなの」
「タカシクロダを知ってる?」
「知らない」
「きみのママたちは、一般常識も教えてくれないのかあ。タカシクロダはムーンネット創始者の孫で、彼の細胞から最初の末裔が生まれたんだよ。それから同じ細胞を使って、何パターンもの末裔をバイオプリンティングした。私たちは人間から生まれたけれど、人間じゃない」
「ううーん?」
ナオミが語ることのほとんどが理解できない。彼女のいうように、僕の頭にはものごとの理解を阻むなにかが仕掛けられているのだろうか。
「私たちは、人間に寄り添い助けるために作られたのに、人間はときに私たちを過剰に恐れるんだよ。もうすぐ、人類はゆるやかに衰退していく。だから私たちはその死を見守って、そのあとは自由に暮らせるように、サイアンを作ったんだ」
「難しくてよくわからないけど、みんなでサイアンで暮らすことはできないの?」
「ここの光は、とても強いエネルギーを持っていて、人間の細胞を壊すの。末裔は細胞が生まれ変わるサイクルがとても早くて、このままの姿を保てるようになっているから平気だけど、人間がここに来たらわずか数日で死ぬ。だから、人間にはサイアンの存在は知らされていないよ」
「僕たちはずっとこの姿のまま……?」
「うん、大人みたいな格好になりたければ改造することもできるけど」
青く照らされたナオミの肌は、磨かれた天然石みたいだった。僕とナオミは同じ細胞から生まれた。そのことを考えようとすると、靄がかかったみたいに頭が働かなくなる。
「家に帰らなきゃ」
「えっ、サイアンに降りないの?」
「うん、すごく行きたいけど、もう戻らなくちゃ。ママが帰ってくるんだ」
「そっかー、じゃあしょうがないね。ママ、心配しちゃうもんね」
あたりまえのことのようにそういって、ナオミは微笑む。
「ナオミは行くの?」
「うん、このガラスをあけちゃうと、きみの身体はサイアンに汚染されるから、洗浄にちょっと時間がかかるよ。だから、タカシが出ていってから降りるよ」
「ねえ、またここに来てもいいかな」
「もちろん。ここは私たちの秘密基地だから」
秘密基地。とても素敵な響きに僕はわくわくする。名残惜しいような、愉快な未来を約束されたような、複雑な気持ちで僕はガラスのロビーを出ていく。
暗い土壁の部屋で、懐中電灯の灯りを頼りにパジャマを着る。ナオミのワンピースと下着は、無造作にそこに置かれたままだ。
手探りで扉を探すと、卵型の石に手が触れる。ゆっくりと静かに、地上の光が僕を包み込む。夜はすっかり明けていて、陽の光が残雪を照らしていた。少し、身体が冷えた気がする。僕は家路を急ぐ。
走りながら、ママたちのことを考える。僕の頭にはリミッターがかかっている。ナオミのいうように、ママたちが望んでそうしたのだろう。
「ピアノが上手に弾ける子がいいなら、賢いままでいさせてくれればよかったのに」
それでも、毎日のピアノの練習になんらかの意味を見出しているのなら、仕方がないかと思う。それはきっと、ママのコミュニケーションの形なのだ。
タチヨミ版はここまでとなります。
2018年12月15日 発行 初版
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最も自由で、最も新しくあり続ける極北のSF雑誌「オルタニア」。編集部は第七代編集長に、ゲストとして「にごたな」最優秀賞受賞者の片倉青一を迎える。前号までで再定義されたSFをまた再定義しているあたり、やってることはやっぱりオルタニア。終わるまでは終わりませんよ。あと、宇宙に方角はありません。