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【無料】霊力使い四年二組の内閣と史上最悪の人災 第一巻

坪内琢正

瑞洛書店



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第一話 新たな村へのいざない

 とある年の六月八日、京都、下京の東洞院高辻(ひがしのとういんたかつじ)にあった洛内(らくない)小学校は、放課後の掃除の時間を迎えていた。
 校舎から切り離されていた図書室にも数十名ほどの四年二組の児童たちが滞在し、土足のまま室内の掃除をしていて、少しざわついていた。その図書室は隣の書庫に繋がっていた。書庫の中は天井くらいまである高い本棚が並んでいて、昼でも薄暗く、圧迫感があった。
 その書庫の中の本棚で仕切られた区画に分かれて、そこでも子どもたちはモップがけをしたり、本の整理をしたりしていた。その区画の一つで、一人の少女、朝霧珠洲(あさぎりすず)もモップがけをしていた。彼女は上は白いTシャツの上に蜜柑色のジャケットを羽織っていて、下は紅色のミニスカートを履いていた。また、髪は黒のショートヘアーで、耳の前の髪を小さなピンで耳の後ろに束ねていた。
 また珠洲の奥で、彼女の幼馴染の少年、茨木美濃(いばらきみの)が本棚の整理をしていた。彼は濃い緑色のTシャツに、紺色の短パンを履いていた。また、髪型は珠洲のそれと殆ど変わらなかった。
 突然珠洲の背後でトンと音がした。見るとその床に、一冊の、B五で辞典ほどの厚さのある本が転がっていた。
「……?」
 彼女は少し不思議に思いながらもそれを手に取った。表紙は真っ赤で、タイトルは書かれていなかった。
 珠洲はそれを棚に寝かせた後、内容を気にして一ページ目をめくってみた。そこには平屋の赤い屋根の建物とにこやかに笑っている人たちの絵が描かれていた。また、その奥には煙突から黒煙を出している工場群が描かれていた。
「あ、いたいた、珠洲ちゃん、美濃くん」
「え……」
「耐ちゃんたち……?」 
 そのとき別の子どもの声がした。彼女が顔を上げると、そこに短めのセミロングの髪に、胸元にピンクと赤のリボンを付けた白いローブを着ていた少女宝塚耐(ほうづかたえ)と、耳を覆っていない程度の短いショートヘアーに、上は白のTシャツに茶色のベスト、下は青いジーンズを履いていたその少年、長田司(ながたつかさ)、長めのセミロングへアで、えび茶色のシャツに、白のスカートを履いた少女、石橋雲雀(いしばしひばり)の三人がいた。
「あのね、この前行った雑貨屋さん、また雲雀ちゃんが行きたいって」
 耐が二人に言った。
「え……?」
「ほら、珠洲ちゃんと美濃くん、途中で用事ができちゃったでしょ。せっかくだし、またいろいろ行きたいなと思って」
 雲雀がそれに続けた。
「あ……そっか……」
 珠洲は美濃の方を向いた。彼もそれに納得した表情で珠洲と目を合わせた。
「うん、私はいいよ……」
「僕も……」
 二人は少し笑みを浮かべながら雲雀たちに答えた。
「あれ、そういえば……珠洲ちゃん、本読んでたの?」
 耐が、珠洲の後ろの本棚で見開きになっていた赤い本に気付いて言った。
「えっ……あっ、ごめんなさい、お掃除中だったね」
「ううん、大丈夫大丈夫、ちょっとくらい、これだけ本があるんだし……」
「そう言えば二人とも本好きだったね……」
 耐と司が言った。
「え、いや、それほどでも……」
 美濃も謙遜した。
「え、だって、二人でよく図書館に行くんでしょ。しかもこの前は、交通事故があったときに二人で怪我をした人に応急措置をしてたって宝耐(ほうたえ)たちから聞いたよ。凄いよそれ。いろいろ知ってないとできないもん。それと……そういう人を助けるっていう気持ちもないと」
 雲雀も珠洲と美濃を褒めた。また彼女は耐のことを宝耐と呼んだ。
「あ、いや、その……」
 珠洲も紅潮した。
「ふふ。それはそうと、ハンカチ、どんなにのする?」
 雲雀は続けて珠洲たちに尋ねた。
「おーい、雲雀ちゃんたちー」
 そこに長髪で、水色のシャツに、灰色のスカートを履いていた少女、池田唯(いけだゆい)の声がした。
「買い物もわかるけど、今はモップがけをお願いー」
「はーい」
 耐と雲雀は苦笑いをしながら返事をした。そして司を含めた三人はそれぞれ別々の場所に移動しようとした。
「珠洲ちゃんたちも……、また後でね」
「あ……うん……」
 そのとき、去り際に耐は珠洲と美濃に耳打ちした。
 三人が去った後、少しして珠洲は先ほどの本の前にやってきた。
「大きい本だね……」
 美濃が彼女に言った。
「うん……。しまう場所が……」
 珠洲は苦笑しながら何気にもう一ページをめくった。
「――!」
 そして息を呑んだ。珠洲の目に三人ほどのやせ細った餓鬼の姿が飛び込んできた。そのうちの一人の表情は苦痛に満ちていた。そのページには飢饉の村の様子が描かれていた。
 彼女はさらにパラパラとページをめくってみた。
「え……」
すると、本のページが薄い緑色の光を放ち始めた。
「え……何……!?」
 珠洲は声を上げた。
「これは……」
美濃も驚いて声を上げた。
「わっ……」
 突然珠洲は声を上げた。珠洲の手は光を放っている本の中に吸い込まれていた。
「引っ張られる……!」
「え? 珠洲ちゃん……!」
「美濃くん……!」
 珠洲はそれに抵抗し、また美濃も珠洲の手を引いた。それでもその本の吸引力が強かった。
「わ……!」
「え……」
 光は珠洲と美濃を取り巻き、包み込んだ。
 そして其の光の全てを珠洲と美濃ごと本が吸収した。吸収が終わると、それは机上に落下した。そのすぐ後にページが閉じられた。
   *

 その書庫の別の棚のコーナーで、司と、耳を覆っていないショートヘアーで、白いシャツの上に赤紫色のジャケットを羽織り、黒のズボンを履いていた少年、北山弘明(きたやまひろあき)とが箒で集めた埃を塵取りで集めていた。弘明が箒で掃き、司が塵取りを支えていた。三回ほど掃き集めた後で、弘明が小さく頷いた。それにあわせて司が塵取りを持ち上げた。
「行く……?」
「うん…」
 二人はその場所を立ち去った。そして図書室に通じている書庫の入り口に向かった。図書室には、そこを掃除していた、珠洲と美濃を除いた三〇名の四年二組の他の児童がいた。
「あれ……珠洲ちゃんと、美濃くんは……?」
 先ほどまで書庫の中にいた唯が弘明に尋ねた。
「えっ……、中じゃなかったの……?」
 司が言った。それを聞いた唯は訝しんだ。

   *

 書庫の中の棚で仕切られた通路のうちの一つで、耐と唯が珠洲と美濃を探していた。
「どこ……?」
 別の通路には司と弘明がいた。
「珠洲ちゃん……? ……?」
 弘明は足元に一冊の赤い本が転がっているのを見つけた。
「何かな、これ……」
 弘明はその本のページをめくろうとした。
「あれ、弘くん、珠洲ちゃんは……?」
「あ……、ごめん、こっちにはいないみたい」
 弘明は本を棚に入れようとした。そのとき、その本が薄い緑色の光を放ち始めた。
「え……?」
 それを見た司と弘明は訝しんだ。
 
   *

 珠洲ははっと目を開けた。真っ暗な空間に自分は横たわっていた。
「……」
 彼女は不思議に思いながらも上体を起こした。
「チンヂウヂュ……」
 そのとき、背後から誰かの声がした。低い女性か少年の声で、アクセントは単調だった。珠洲は恐る恐る顔を後ろに向けてみた。
「――」
 そこに、一体の薄汚れたボロボロの衣服を纏った白骨の遺体があった。
「チンヂウヂュ、ウオデォグオヂア……」
 その屍はなおも続けた。
「あ、あの……。……?」
 珠洲は意を決してその遺体に声をかけようとした。その直後に、彼女の周囲に強風が吹いた。
「……!」
 そのあまりの強さに珠洲は目を強く閉じた。

   *

「珠洲ちゃん……、珠洲ちゃん……」
 美濃の声がした。珠洲は再び目を開けた。そこに、心配そうに自分を見つめる美濃の顔と青い空があった。
「……美濃くん……?」
 珠洲は自分が再び横たわっていたことに気づき上体を起こし周囲を見渡した。
「……」
 そこは草むらの中だった。またその周囲は樹木で覆われており、明らかに小学校の中ではなかった。
 珠洲は立ち上がろうと手を地面についた。
「……?」
すると固いものに触れた感触があった。見ると、太めのボールペンが落ちていた。直径は一・五センチ程度、筒の色は紺色で、柄の部分に直径五ミリ程度の小さなくぼみがあり、また、胸が通せる程度の小さな紺色の紐がついていた。
「あ……これは……」
 珠洲は軽く戸惑った。
「うん……」
 美濃も同じものを手にしそれを珠洲に見せた。
「ありゃ……またかな」
「多分……」
 二人はそう言うと苦笑し合った。
「この前……あったよね。安英子さん……、怨念が残りすぎちゃって……それで、海外に私たちを移動させちゃったことが」
「うん……またかな……」
「うん、実は……さっき、また声を出す遺体の夢を見ちゃって……」
「えっ、それは……。それにしても、よく続くよね」
「そうだよね……。もしかしたら、経験者優先、とかなのかも」
「え……」
 二人は再び苦笑し合った。
「今度は……ここは……」
「わからないよ、まだ……。ひとまず、また人気のあるところまで行こう」
「あ、うん……」
「これで司くんたちの居場所がわかるかも……」
「あっ、そうだね……」
 珠洲は相槌を打った。美濃は軽く目を閉じ、手にしたボールペンを軽く持ち上げた。
「あれ……?」
 少しして美濃が声を上げた。
「どうしたの……?」
「司くんの居場所がわからない……というか、耐ちゃんも、雲雀ちゃん、唯ちゃんも」
「えっ……」
 珠洲は美濃の言葉に驚いた。
「どういう……」
「もしかしたら……機能も違うのかも……」
「あ……なるほど……」
 美濃は頷いた。
「だとしたら……何ができるかわからないから、これをあてにするのはまだちょっと怖いかな」
「うん……」
「じゃあ……また、とりあえず歩けそうなところを行くしか……」
「そうだね……」
 珠洲はまた相槌を打った。

   *

 それから約半日後、二人は北斗七星を見て山中を進んでいた。ただその視界は次第にぼやけてきており、足元もおぼつかなくなってきていた。
「相変わらず……体力ないよね、私たち」
 珠洲が自嘲した。
「はは……。大丈夫、今度はちゃんと降りよう……」
 そう言いながら美濃は珠洲の方に倒れ込んだ。
「えっ……」
 その頭部が珠洲の頭部に衝突し、珠洲も美濃の下敷きになって意識を失った。
「……?」
 一方その様子を別の角度から見ている視線があった。

   *

  珠洲は薄っすらと目を開けた。その先に、木の幹をそのまま使っている天井があった。やがて珠洲は徐に上体を起こした。自分はベッドの上に寝かされていた。
 その隣で美濃が倒れていた。
 そして、ベッドから離れたところの地べたに、ヨレヨレの白地の服を着た、珠洲、美濃と同じ歳くらいの短髪の少年が一人、小さな机にうつ伏せになって寝ていた。また、その机の下に小さな手かごが置かれていた。
「……」
 珠洲はベッドから出ようとした。すると、布団の擦れる音に気付いて、その少年も目を覚まし、珠洲の方を向いた。
「あ、あの……」
 珠洲が慌てて何か言おうとすると、彼はにっこりと笑った。
「あ、起きた……?」
「え……」
 やがて、その声に気付いて美濃も目を覚ました。
「はは……二人とも、山の中で倒れていたんだよ」
 彼の声は珠洲の耳には日本語で聞こえた。
「え……あの、あなたが一人で私たちをここまで運んでくれたの……?」
 珠洲が尋ねると、彼は頷いた。
 そして彼は机の下から手かごを取り出すと、それを珠洲と美濃の前に提示した。
「……?」
 珠洲はきょとんとした。
「お一つ、どうぞ」
 少年はその上に被せてあった布を取った。
手かごのなかには、パンのようなものが二つ入っていた。それを見た珠洲に、彼は再度会釈した、
「あ、ありがとう……」
 珠洲と美濃は一つずつパンを手に取り、一口かじった。
「……?」
「トウモロコシで出来ているんだよ、さっき焼いたんだ」
 彼も残っていたもう一つのパンを口にし始めた。そして、そのまま自分の顔に指をさした。
「ヂアナン……よろしく……」
「あ……私は珠洲……」
「あ……美濃です、よろしく……」
 珠洲と美濃も名乗った。
 ヂアナンは軽く笑った後で、すぐに表情を一変させた。二人はそれを見てきょとんとした。
「ごめん、パンを隠して」
 ヂアナンは穏やかな表情のまま、しかし強引に珠洲がもっていたパンを彼女のスカートのポケットの中に押し込んだ。
「えっ……?」
 美濃もよくわからないままパンを自分の短パンのポケットに入れた。
「ヂアナンー!」
 突然怒号がして、直後に二人の、歩兵銃を肩に掛け、ヨレヨレの私服を着た若い男性がヂアナンの家に入ってきた。ヂアナンはそれを見ても平然としていた。
「あ……こんばんは、フゥさん」
「……、その子は……?」
「あ……僕の親戚です。今ちょっと親が出ていて……」
「ん……まあいい、それよりその手かごを見せろ」
「はぁ……」
 ヂアナンは渋々空の手かごを差し出した。
 二人の男性のうちの片方がそれを取って、ひっくり返したりして検分を始めた。
「竈は?」
 もう一方の男性はヂアナンに詰問を続けた。ヂアナンは目を竈の方に向けた。男性は竈の前に移動した。
「何かまだ熱いぞ」
「あ……さっきお湯をわかしたんです。体を洗うために」
「そうか……衛生運動への取り組みは評価する」
「念のために聞くが、食糧を隠し持ってはいないだろうな?」
「どうやってですか」
 ヂアナンは二人の男性に聞き返した。男性のうちの片方はそれを一瞥した。
「まあいい。食事は、公共食堂で出すもの以外は食べるなよ」
 二人の男性は吐き捨てるように言った。
「公共食堂……?」
 珠洲はその男性の言葉を聞いて訝しんだ。
「わかりました」
 ヂアナンは返事をした。やがて二人はヂアナンの家から出て行った。
「あ、あの……」
 珠洲が恐る恐る言った。
「ごめんなさい……何か、私たちのせいで迷惑をかけたみたいで……」
「あ……、いいよ、気にしないで……。今の……民兵たちはいつもあんなのだから」
 ヂアナンは二人に言った。
「ヂアナンくんって、一人なの……?」
 珠洲がヂアナンに聞いた。
「うん……、でも、村の人は、みんな優しくしてくれるから……」
「あの、それと、僕たち、いろいろと聞きたいことがあって……。ここがどこなのかも知らなくって……」
 美濃もヂアナンに尋ねた。
「面白いね、二人は……でも、それだったら、僕なんかよりも、大人の人に聞いた方がいいかもね。親切な人を知ってるんだ、よかったら、明日会ってみる?」
「あ……うん……」
 珠洲は頷いた。

   *

 幾つかの星がはっきりと見えていた。珠洲と美濃はヂアナンの家の窓からぼうっとそれを眺めていた。
「どこだろここ……まだわからないよね……」
 美濃が呟いた。
「うん……。……?」
 突然、珠洲は自分の口に手を押さえた。
「どうしたの、珠洲ちゃん……?」
 美濃が心配そうに彼女の方を向いた。
「ごめん、吐き気がする……、さっきのパンかな……」
 珠洲は慌てて顔を窓の外に出した。
「うっ……うう……」
 そして屋外の地面に嘔吐した。

   *

 翌日の正午前に、数百名の男女が、晴天の下で泥だらけになりながらもっこや木製のシャベルを使って幅一〇〇メートルほどの大きさの川に延々と堤防を築いていた。
 ヂアナンと珠洲、美濃の三人も、その中に混じってシャベルを使って土を掘っていた。
「ごめんね……、こんなことを手伝わせちゃって……。適当でいいんだよ、一人で家にいると、かえって危険だったかもしれないってだけだったから……」
 ヂアナンが珠洲と美濃に言った。
「ううん……いいよ、自分からやるって言ったんだし……」
 美濃が笑いながら言った。
「うわっ」
 そのとき珠洲が小石に躓いて倒れそうになった。ヂアナンは珠洲を支えた。
「あ……ごめん……」
 珠洲は体勢を取り直した。
「休憩に入ってください、繰り返します、休憩に入ってください」
 そのとき、歩兵銃を掛けた一人の男性が告げながら人々の傍を歩いて行った。

   *

 一軒の土壁でできた民家があった。そこに大きな鉄製の釜が置かれていた。そしてその釜に向かって人の行列ができていた。各自が小さなアルミ製や木製のカップや皿を持っていて、釜のところに着いた者から順番に、釜の中に入った薄いスープを、勺を持った三人ほどの男性から貰っていた。
 ヂアナン、珠洲、美濃も手にカップを持ってその行列に並んでいた。やがて、三人はスープを貰った。
 珠洲と美濃はそのスープをまじまじと見つめた。
「……足りないでしょ……。大丈夫、後で山に木の実を採りに行くよ。いい場所を知ってるから。……あっ、でも内緒だよ。見つかると大変だもんね。ここ以外での場所で何か食べたら」
 ヂアナンは二人にこそっと言った。 
「え……?」
珠洲と美濃はヂアナンの言ったことに違和感を感じた。
「そういえば……珠洲ちゃん……、消化……」
 その直後に美濃がこっそりと、不安そうに珠洲に言った。
「え……あはは……そろそろ入ってくれないと危ないかな。恥ずかしい……けど」
 珠洲は苦笑した。
「……大丈夫だよ。既に僕には見られてるよ」
「……ありがとう……」
 二人は互いに少し紅潮させながら言った。

   *

 三人はスープを飲んだ後、その民家に入った。そこでは三人の他に数十人ほどの人が集まっていた。その奥に、一つの机が置かれていた。
「お兄ちゃんー!」
 突然の少女の声がした。ヂアナンが振り返ると、そこに小学校低学年くらいの少女と、中年の女性がいた。
「リィホワちゃん……? あ、ヂアヅさんも」
「こんにちは……そちらは?」
 ヂアナンにヂアヅと言われた女性が尋ねた。
「あ……二人は珠洲ちゃんと、美濃くん……、昨日迷ってたから、僕の家に来てもらったんです」
「あ……始めまして、珠洲です」
「美濃です……」
「始めまして…、ヂアヅです、ほら、リィホワも、二人にご挨拶なさい」
 リィホワと呼ばれたその少女は恥ずかしそうにヂアヅの袖を引っ張った。
「あ……始めまして、リィホワです……」
「珠洲ちゃん、美濃くん、こちらが昨日言ってた村のことに詳しい方……。よかったら、いろいろ聞いてみたら……?」
「あ……うん……」
 珠洲は頷いた。
 そのとき、周囲にいた群集たちが拍手を始めた。
「え……?」
 その直後に、一人の中年の女性が部屋に入ってきて机のところまで向かった。
「みなさんこんにちは、私はこの村のパーティの代表のチェンタンです」
 その女性が自己紹介をすると、群集たちは黙った。
「今から少しの間、私の話に耳を傾けてください。私たち新民主主義者は、みなさんを導くためにやってきました」
「新民主主義……?」
 珠洲は聞きなれない言葉に反応した。
「私たちの目指す理想郷はすぐそこにあります。私たちの示す方法でやれば、この村の食糧の生産高は今までの二倍になると計算されています。沢山食糧がありすぎて、どうすればいいかわからなくなるでしょう。人々は一日のうち少しだけ働いて、残りの時間はレジャーを楽しめばいいのです。私たちのもとで、この国はパラダイスに近付くのです」
 群集たちは拍手をした。
「さて続けて……私たちは、これからさらに前進するために、優れた学者や経営者を必要としています。確かに彼らは、これまで私たち善良な平和市民を苦しめてきた側面がありました……ですが私たちは許します。今までそのような地位にあった人は正直にこの場で名乗り出てください。私たちはあなた方を新たな境地へと導きます」
 群集たちは静まり返った。
「どなたか、私たちのパーティに協力してくださる方はいませんか?」
 演壇からチェンタンは聞いたが反応はなかった。
「どなたか……」
 チェンタンは再度聞いた。依然として群集たちは静まり返ったままだった。
「そうですか……わかりました。仕方ありませんね、それでは、今日は閉会に……」
「おおーっ!」
 そのとき、群集たちはどよめき合った。チェンタンはきょとんとした。
「え……?」
 珠洲は周囲の群集に見つめられているような気がして、慌てて首をきょろきょろと振った。見ると、珠洲の隣にいたヂアヅがまっすぐに左手を上げていた。
 チェンタンは一瞬不敵な笑みを浮かべた。そして、すぐににこやかな表情を作り、拍手を始めた。
「ありがとう、では、挙手をされた方はこちらに出てきてください」
 ヂアヅは立った。
「ちょっと、ここで待っててね」
「……いいんですか、ヂアヅさん」
 ヂアナンが聞いた。
「ええ……。私は元農学者ですから」
 ヂアナンに清々しい笑顔を見せた後で、ヂアヅは演壇の方に進んだ。やがて、演壇のところでチェンタンが彼女を部屋の奥の方へと誘導した。

   *

 ヂアナンは再び河川改修の現場にいてシャベルで土を掘っていた。
 その地面に小さな足が現れた。
「……リィホワ? どうしたの、手伝いは……?」
「お兄ちゃん、お母さん知らない?」
「うーん、見てないけど……」
「そう……。さっきパーティの人のところに行ってから帰ってきてないんだ」
 リィホワは小さな声で言った。
「大丈夫だよ、ヂアヅさんは、きっとパーティに認められたんだ。大切な話をしているから、戻ってくるまでに時間がかかってるんだと思うよ」
 ヂアナンはリィホワを慰めた。
「そっか……、うん、わかった!」
 ヂアナンの言葉を聞いたリィホワの表情は明るくなった。
「あれ……ところで、珠洲ちゃんと、美濃くんは?」
「え……あれ、そういえば……」
 ヂアナンはきょろきょろと首を振った。

   *

 珠洲と美濃は森の中の小道を歩いていた。
「まだ……何もわからないね……、ここがどこなのか……」
 美濃が珠洲に言った。
「うん……。ちょっと気になることもあるんだけど……」
「そうかな……? 見たところ、平和で、みんないい人ばかりに見えるけど……。とりあえず、もう少し調べてみよう」
「うん……」
 珠洲は渋々美濃の言葉に頷いた。

   *

 やがて二人は森を抜け、開けた平地に出た。
 その中にクリーム色をした土壁があり、その中央に木で出来た簡素な門があった。
「ここに入ってみる……?」
「うん……」
珠洲と美濃は門の中に入った。そこに土でできた平屋の建物があった。
「珍しい服装……あ、……君たちが外国の記者だね」
 そのとき、建物の中から男性の声がした。
「どうぞ奥に入ってください、イェンウさんが待っていますよ」
 ヨレヨレの服を着たその中年の男性は二人を建物の中に誘導しようとした。
「記者……?」
「え……、いえ、あの、私たちは……」
 二人は彼の言葉を否定しようとしたが、彼は建物のドアを開けた。
「あ……もう取材の時間かね」
 その部屋の中には、前に四つのポケットのついたダークグリーンの学生服を着ていた一人の別の中年男性がいた。
「すまない、具体的な時間を告げるのを外事科が忘れていたようだ……記者さんたち、外国からようこそアンイ委員会へ。私はここの書記をしているチャンイェンウだ」 
「あ……、あの……」
 珠洲と美濃は彼の強引さに困惑した。イェンウと名乗った男性は二人を誇らしげに話をしながらやや小奇麗な別の部屋へと誘導した。
「この公社は、昨年五つの高級合作社が自主的に合併してできたものだ……。自ら望んでだよ、勿論。社員数は約一二〇〇〇名、昨年の穀物の収穫高は一ムー当たり約四〇〇斤を上回っている……。この公社では公共食堂を設け、食糧を各社員の働きに応じて平等に配分している」
「あ、あの……」
「これは魔法でも、戯曲でもない……、厳然とした事実なのだ……労働を殆どする必要はない、通貨さえも、やがて消滅するだろう。全ては我々に従った結果なのだ。今年のこの公社の生産高は、昨年の五倍以上になると見込まれている……」
「五倍……?」
 珠洲はその言葉に疑問を抱いた。
「そうだ……穀物の生産高を上げ、我々はあの人工衛星を打ち上げることに匹敵するくらいの功績を残す……。全ての争いごとはなくなるだろう……」
(違う……私が驚いたのはそうじゃない……さっき、集会場で演説してた人は、今年の生産高は今までの二倍って言ってた……数字が違ってる……)
 珠洲は視線をイェンウから逸らした。すると奥の机の前に掲げられていた赤色の旗が目に入ってきた。丁重な扱いを受けていたのか綺麗なその旗には金色でいくつかの文字が刺繍されていた。
(私、知ってるかもしれない……前に図書館の本で読んだ……えっと……確か……)
 珠洲が考えている間にも、イェンウは語り続けていた。
「全ての争いごとの原因は、人が、ものを自分のものだと主張することにある……従って、我々は、人から、自分のものだと主張する全てのものを回収した……そして、その全てのものを、皆で共有しあうようにしたのだ……!」
 イェンウは誇らしげに言った。一方、珠洲は後ろに掲げてあった旗に書かれている文字に注目していた。
 ずれているのか読めない部分もあったものの、『三面紅旗 総路線 …民…社 大躍進』とそこには刺繍されていた。
――。
 それを目に入れた珠洲の手は次第に震えていった。またその額からはびっしょりと汗が頬から流れ出していた。
「珠……?」
 彼女の様子がおかしいことに気づき美濃は不思議に思った。



第二話 ここがどこだかわかった

 イェンウは珠洲の様子の変化には気づかずなおも演説を続けた。
「全てのものを皆で共有しあう……これによって、全体の穀物の生産高は増大し……」
「あ、あの……」
 突然珠洲は声を出し、イェンウの話を制止させた。
「ん……? どうしたのかね?」
 イェンウは聞いた。
「あ……いえ……貴重なお話をありがとうございました……。時間が限られていますので、そろそろ失礼させて戴かないと……、きっと、よい記事にしますので……」
「え……?」
 美濃は珠洲の言っていることに疑問を感じた。
珠洲はできるだけはきはきと答えようとした。ただ、その額からはさらに脂汗が流れ出ていた。また心拍数も増大していた。
「そうか……それは残念だ……。わかった、この公社を称える素晴らしい記事にしてほしい」
「はい……」
 珠洲は返事をすると、美濃の手を引きながら部屋とその家から退出した。
「美濃くん……私、ここがどこだかわかった……」
「え……」
「多分、ここは今から六〇年くらい前の中国……」
「え……嘘……場所が京都じゃないどころか、時代も違うよ……?」
美濃は珠洲の言葉を聞いて驚いた。
「さっきの部屋は、『三面紅旗 総路線 大躍進』と書かれた旗を掲げてたんだ……読めなかった部分もあったけど……きっとあれ、人民公社……」
「え……それは、たまたまそういう旗を持ってただけじゃ……」
 美濃の額からも次第に汗が流れ始めた。
「それだけじゃない、昨日から、みんな、公共食堂とか、新民主主義とか、聞きなれない言葉を使ってた……。私、前に図書館の本で読んだことがあるんだけど……毛沢東が集団化政策を推進し、一九五八年の秋以降、人類史上最悪ともいわれる大飢饉に見舞われて、およそ三千万人が餓死した……多くの人が、その原因は自然災害だったと言っているけど、私が読んだ本ではそうじゃなかった……集団化政策を遂行していくうちに、幹部たちが虚栄心から、穀物の生産高を水増しした。すると上級部は、その水増しした生産高を元にして下級部に生産高を要求した……。その連鎖が中国全土で起こって、大量の穀物が押収され、食べるものがなくなり、農民が餓死していった……。腐っていく穀物が大量に倉庫にあったのに、飢饉が発生した、そんな時代……。さっきの人も、今年の穀物の生産高が昨年の五倍になるとか言ってた……。図書室にあったあの本から、タイムスリップしちゃったのかも……」
「そんな……」
 美濃は震え始めた。
「……もしそうだとすると、さっき演説のときに手を上げたヂアヅさんは……」
 彼はやがてはっとして口を開けた。
「うん……危ないことに巻き込まれているかも……探そう」
 珠洲がそれに反応した。そして、二人はもと来た道を戻った。

   *

 二人は集落沿いの道を辿り、元いた、集会が開かれていた民家の前まで戻ってきた。民家には誰もおらず、集会があったときとは打って代わって静まり返っていた。
 珠洲と美濃は小走りで演壇の奥、丁度先ほどチェンタンとヂアヅが出て行ったドアを開けた。
その外には一本の道があった。二人はその道を進んだ。

   *

 荒れ肌の丘陵が続いていた。珠洲と美濃が進む道は広くなったが、悪路で、見通しはあまり利かなかった。地面は次第に湿っていった。
「のわっ!」
 前方をよく確認せずに進んでいたため、珠洲は足元にあった硬いものに当たり、前のめりに倒れ込んだ。
「珠洲ちゃん……?」
「テテテ……」
 珠洲は美濃に照れ笑いをしながら、彼女は四つん這いのまま、自分を転倒させたものを眺めた。
「……!」
 それは人の骨だった。よく見ると、自分の前に頭蓋骨が転がっていた。
「あ……」
 珠洲の顔は次第に蒼くなっていった。
「え……」
 美濃も骨が転がっていることに気がついた。
 人骨はその周辺一帯に散乱していた。ぼろぼろの衣服を纏っているものもあり、全部あわせると十数人分程度になるとみられた。
 やがて珠洲は立ち上がった。
「集中してるのが不自然かも……意図的にここに……。というか、ここ、で……」
 彼女は呟いた。
「……。行こう……」
「うん……」
 美濃の言葉に珠洲も頷き、二人は再び道を進んでいった。

   *

 二人は引き続き荒肌の丘陵の中を進んだ。その先に、数名の、歩兵銃を背負った民兵がいるのが見えた。
 彼らがいる場所は、道が広くなって広場のようになっていた。二人はその近くまで行くと、その広場の端の茂みに身を隠した。
 その視線の先で、ヂアヅが地べたにしゃがんでいた。彼女は七名の民兵に囲まれていた。
「後ろに手を回せ!」
 民兵のうちの一人が彼女に命じた。同時に、彼女の背後に居た五人の民兵が持っていた銃をまっすぐにその頭部に向けた。
 ヂアヅは両手を後頭部に乗せて膝をついた。
「どうしてなのですか……あなた方は学者も社会には必要だとは思わないのですか」
 ヂアヅは呟いた。
「黙れ! この右派分子め」
「そうだ、我々の成果に疑問を抱く者はみな日和見主義者だ!」
 民兵らは口々に言った。
「チャンイェンウ書記も成果を欲しておられるのだ……多くの右派分子を始末すれば、党市委員会から認められるとお思いなのだろう。そのために……農学者だった貴方にもここで犠牲になっていただく」
 ヂアヅに、頭の後ろに手を回せと命じた民兵が粛々と彼女に説明した。
「――」
 チアヅは沈黙した。
「みんなを笑顔にするための智恵というものなど……、みんなでリヴァイアサンをしたいを願っている社会にとって不適合なのだ!」
 続いて、彼はそう言うとベルトに下げていた短銃を彼女の後頭部に突きつけた。
「えっ……」
「そんな……」
 珠洲と美濃はその光景を見て慌てて茂みの中から飛び出した。
「ペンさん……、お願い……! 発砲と移動……!」
 珠洲はポケットに入っていた、夢の中で拾ったボールペンを取り出すと、それを民兵らの方に向けた。
 すると、ペンの柄の部分が薄い緑色の光を放ち始め、そして光の矢となって飛行した。
「うわっ……!」
 そしてその光の矢は民兵の一人の胸を直撃した。胸からは血が噴き出し、彼は声を上げてその場に倒れた。
 他の民兵たちは驚き、ざわつきはじめた。
「ええい……!」
 美濃もペンを胸の前で翳し、民兵のうちの一人を自分の視界に入れると、心の中で強く『撃て』と念じた。
 すると、ペンの柄から同じ色の光が飛び出し、高速で他の民兵のうちの一人の肩に直撃した。
「う……」
 その民兵は倒れた。
「な、なんだ……?」
「貴様、何をした……!」
 民兵たちは突然自分たちの前に現れた二人の子どもに近づこうとした。珠洲と美濃の持っているペンからは次々と光の弾が発せられた。
「な……!?」
「うわあ!」
 続いてさらに二人の民兵もその光の弾を頭や胸に受けて倒れた。
(リヴァイアサン……怖い……。それに従属していれば、どれだけ、恐怖を感じずに、一見すると勇猛に見える人でいられたんだろう……。そして、それに立向して怯えている私は今……どれだけ、一見すると弱そうな子に見えるんだろう……)
 珠洲はそう思いつつも、民兵の体を視界に入れ次第『撃て!』と念じていた。体のどの部分を目に入れるかを選んでいる余裕はなかった。目に入れ次第念じると、特に狙いを定める必要もなく光の弾は目に入ったところに飛んでいった。
「あ、危ないぞ……!」
「逃げろ! 逃げるんだ!」
「おい待ってくれ!」
 残る三名の民兵らは恐れ戦き、慌てて付近の茂みに飛び込んでいった。珠洲と美濃は光の弾に当たって倒れている民兵らの足元に恐る恐る近寄った。
「……」
 珠洲が倒した二人の民兵は頭から血を流して即死していた。
「本当に、六〇年前の中国……」
 その光景を見て震えながら美濃が呟いた。
 一方、珠洲は徐々に、さらに恐怖に襲われ始めた。
「……あ……、ああ……」
「珠洲ちゃん……?」
 美濃は珠洲の声を聞いて彼女の方を見た。その瞳からは涙が零れ出していた。その目線の先に即死していた民兵たちがあった。
「……私、また人を殺しちゃった……」
 そして呟いた。
「珠洲ちゃん……。……?」
 美濃は珠洲に言葉を掛けようとして、別の視線に気がついた。そこに、地面にしゃがみながら怯えている佳子(ヂアヅ)がいた。

   *

 一方、草むらの中に逃れた三名の民兵たちは茫然としていた。やがて、そのうちの一人がはっと我に返った。
「今の子どもは……見覚えがあるぞ! 昨日李家南(リーヂアナン)のところにいた子どもだ!」
「何……そうなのか?」
 別の民兵が彼に聞き返した。

   *

 珠洲と美濃がタイムスリップをしてから数分後の、洛央小学校の図書室では、四年二組のクラスメートたちが二人を探していた。
「さっきは一緒に書庫の中にいたんだけど……」
 耐が書庫の中で呟いた。
「うん……珠洲ちゃんは私たちと一緒だったよ」
 耐の傍にいた雲雀も言った。
「そうなの……? でも書庫の中にはいないみたいだよ?」
 弘明が二人に言った。
「そう……おかしいね……あれ?」
 そのとき、弘明の言葉を聞いていた唯が耐の後ろの方に目をやった。
「え……?」
 耐も自分の後ろに目を向けた。その床に、珠洲と美濃が吸い込まれた赤い本が、薄い緑色の光を放っていた。
「何これ……!? さっきも光ってたような……」
 耐はそれを見て驚きの声を上げた。
「おーい、どうしたのー!」
 耐の声を聞いて、書庫の外の図書室にいた別の女子、火白未熟(かはくみじゅく)が大きな声を上げた。
「あ、未熟ちゃーん! 待って……、今行くー!」
 耐は未熟の声に応えた。
「みんなも……ちょっと来て……!」
 そして彼女は書庫の中にいた他のクラスメートたちに言った。
「え、何……」
「出るの……?」
 書庫の中で珠洲と美濃を探していたクラスメートたちは耐、雲雀、弘明の三人に続いて順次図書室に出てきた。
「どうしたの……?」
「これ……」
 クラスメートのうちの一人の男子、李夙伝(リースーチュヮン)が耐に聞いた。耐は光を放っていた本を彼の前に見せた。
「え……」
「これ何……?」
 珠洲と美濃を除いた合計三〇名の四年二組のクラスメートたちはわらわらと本を抱えていた耐の元に寄ってきた。耐は室内の机にそれを置き、中のページを開けた。
「さあ……」
「先生呼んでくる……?」
 直後に、その中から強い光が一気に放たれた。そしてそれはすぐにどんどん広がっていき、図書室全体を包み込んだ。光に包まれると室内の本棚な机などは全て見えなくなった。ただ、クラスメートの子どもたちの姿だけははっきりと見えていた。
「えええ!?」
「どうなってるの……?」
「わからない……」
 子どもたちは口々に驚いたり、首を傾げたりした。
 図書室全体がその光に包まれて数秒後に、光は徐々に再び本の中に吸収されていった。
「あ……」
「消えていった……」
「ってええ!? ここはどこ……?」
 そのとき、クラスメートの女子の一人、行木刹那(いくぎせつな)が素っ頓狂な声を出した。
「え……?」
 その声に反応して耐たちは改めて周囲を見渡した。見ると、そこは図書室の室内ではなく、空き地の中で、その周囲は林だった。
「これは……」
 男子のクラスメート、本山貴船(もとやまきぶね)も訝しんだ。
「え……」
「ちょっと……こっちを見て……!」
 続けて、司と、女子の謝淡水(シェイタンシュイ)が声を上げた。
「どうしたの……?」
 耐ら他のクラスメートは二人の方に注目した。そこには、本に吸収されていくのとは別に光が集まっていた。その光はやがて一人の子どもくらいの大きさの人の形になっていった。そして、完全に人の形となったところで、光が収まり、それは、珠洲の夢の中に出てきた少年になった。
「え……?」
 耐はその光景を見て驚いた。
「あ……あれ……?」
 その少年はきょろきょろと左右に首を振った。
「あ、あの……」
 司が恐る恐る彼に話しかけようとした。
「あ……生身の体まで貰えたのか……」
 それを見てその少年は呟くと、意を決したような顔つきになり、自分を不思議そうな目で見つめるクラスメートたちの方に目を向けた。
「あの……助けてください! みんなが危ないんです! 珠洲ちゃんと、美濃くんも……!」
 そして、彼らに訴えた。
「え……?」
 それを聞いた耐はきょとんとした表情になった。

   *

 夜の森の中を月が煌々と照らしていた。家南はそれを眺めつつ、手籠を手にしながら森の中を進んだ。
 やがて森を抜けるとトウモロコシの畑があった。家南はそれに近付くと、慣れた手つきでわずかに残っていたその実を籠にしまい始めた。
 三日月が引き続き煌々と畑を照らしていた。家南は黙々とトウモロコシの実を取っていた。いつの間にか、彼の傍に褐色の細い筒が降りてきていた。
 やがて家南はそれに気付くと背後を振り返った。
「あ……」
 そこに歩兵銃を手にした三人の男性がいた。彼らの表情や服装などは月の逆光でよく見えなかった。

   *

 夜になると、集落の人々はみな寝静まっていた。ただ、そのうちの一軒には、まだ明かりがついていて、竈の火が盛んに燃えていた。宋立華(ソンリィホワ)の頬はその炎の明かりを反射させていた。彼女は一人で物憂げな表情をしていた。
 突然ガタっと物音がした。立華はそれに反応して立ち上がった。戸外に積んであった薪に、何かが触れたのだと思った。立華は急いで家の入り口に向かい、顔を外に出した。側壁には珠洲、美濃と、珠洲に覆いかぶさるようにして佳子がいた。
「お母さん……?」
 立華は佳子に駆け寄った。佳子は立華を抱くと、そのまま嗚咽し始めた。
「……お母さん……?」
 立華は困惑した。その背後にいた珠洲の手に力が入った。
「朝霧さん……私たちは分子なのです……」
 佳子は珠洲に言った。
「え……」
 珠洲は佳子の言葉に反応した。佳子の脳裏に、過去に彼女の身に起こったことが思い出され始めた。

   *

 一九五二年六月のとある日の、中国、瀋陽(シェォンヤン)市郊外の空は晴れ渡っていた。
 一軒の、立派な門のついた民家の敷地内を、数羽の鶏がうろついていた。屋内からは男性同士の会話が聞こえてきた。
「それで……、すみません、昨年お借りした紙銭なのですが、昨年の戦役で作物が不作で……」
 一方、玄関の脇では一人の老婆が薪を積み立てていた。
「いや……いい……、判っている。国府軍が倒れてしまって、これからどうなるかもわからない……心配しなくてもいい、いつでも、返せると思ったときに返してくださればいい……」
 屋内からはまた別の男性の声がした。老婆はなおも作業を続けていた。
「すみません……英吹(インチュイ)さんにはいつもお世話になってしまって……」
「いや……それより、楚民(チュウミン)の話では、張(チャン)さんの奥さんは今風邪を引いてここ数日ずっと寝込んでいるそうじゃないか……、早く帰って、この薬を飲ませてやりなさい……」
「えっ、そんな……申し訳ない、どうもありがとうございます……」
 張と呼ばれたその男性はもらった薬を手にして門を出て行った。張に続いて、英吹と呼ばれたもう一人の男性も、彼に続いて出てきた。
「あ……、お婆さん、いつもお世話になります」
「いえいえ」
 老婆は英吹に会釈しました。
「いたーっ! 何するんだよ!」
 その直後に、門の外から子どもの罵声がした。
「お前こそー! この野郎!」
 それを聞いた英吹は慌ててその声のする方に向かった。そこで、二人の子どもが喧嘩をしていた。彼らは英吹の姿を見て手を止めた。
「培毅(ペイイー)、今、崇上(チョンシャン)を叩いていただろう……、なんで叩いてたんだ……?」
 英吹は培毅というその子どもに尋ねた。彼は沈黙していた。
「答えなさい、培毅……、なん崇上を叩いてたの?」
 英吹の口調が重くなった。老婆も二人の様子を窺った。
「崇上が……、崇上が叩いたから……」
 それを聞いた英吹は、続けて崇上にも尋ねた。
「崇上……崇上はどうなんですか? 倍毅を叩きましたか?」
「……」
 崇上は沈黙した。
「……そうか……わかった、二人とも、これから張さんのところで水汲みの手伝いをしてきてください」
「えーっ」
「何で……?」
 二人は同時に声を上げた。
「暴力を振るった時点でどちらにも非があるんですから……それに、張さんのところは奥さんの体調が悪くて、丁度誰かに頼もうと思っていたところなんです、さあ、行ってください」
 二人の子どもは渋々承諾した。
「お前たち……英吹さんを煩わせるんじゃないよ……全く、立派なお方だよ……私ら大人だって尊敬しているのに」
 そのとき、薪を積み立てていた老婆が二人の子どもを叱った。彼らはシュンとなった。

   *

 その日の夜になった。英吹の家の周囲に、何名かの不審な人影が出現した。
 家の中では、赤ん坊が母親の腕の中で寝ていた。その奥で、彼女の夫でもあった英吹が椅子に座っていた。
「……、……やっと寝たみたい……」
 その母親は佳子だった。彼女は後ろを振り返った。
「ごめんね、英吹……、騒がしくしてしまって……」
「いや、いい……、私こそ、すまない……あまり手伝えなくって……」
「いえ、そんな……」
――ドンドン! ドンドン!
 そのとき、誰かが玄関を激しく叩く音が聞こえた。
「はい……?」
 佳子がドアを開けると、昼間の老婆が慌てて駆け込んできた。
「英吹さん、大変じゃ……」
「お婆さん……?」
「共産党の工作隊が……大勢こっちにやって来とる……!」
 工作隊と聞いた佳子の瞳は小さくなった。英吹はじっと老婆の方を見つめた。
「きっと、英吹さんを逮捕しに来たんじゃ……! 奴ら、土地改革とか言って、県内の目ぼしい地主や富農を片っ端から処刑して回っとるんじゃ……!」
「そんな……それは、共産党のやっていることは悪質な地主の場合に対してだけで、英吹みたいな人までは含んでいないんじゃ」
「それは欺瞞じゃ……!あ奴らはそんな生易しい連中ではない! はよう逃げなさった方がいい、奴らはもうすぐそこにまで来とるんじゃ」
 佳子も英吹もまだ納得できず、お互いに顔を見合わせた。その窓の外で、数十の黒い人影が群れていた。
「――!」
 突然、ガラスが割れた。そして、家のすぐ前からドーン!と大きな音がした。佳子と英吹はそれに驚いた。
「はよう……はよう逃げなされ……! 裏口へ……」
 老婆は重ねて叫んだ。そして佳子の手を引いて、居間から出ようとした。佳子は立ち止まって振り返った。
「英吹も……早く……」
「いや……私は後から行く……、少しでも彼らを食い止めたい。佳子、立華を連れて早く行きなさい」
 佳子と老婆は彼の発言に唖然とした。その表情を見て英吹は笑った。
「……大丈夫だ、心配はいらない。お婆ちゃん、少しの間、二人を頼みます」 
 老婆は苦渋の表情を浮かべた。
「承知しました……さあ、行きますぞ、奥様」
 やがて毅然としてそう言った。しかし佳子はなおも呆然としたままだった。
「奥様!」
 二度呼ばれて佳子ははっとした。
「判った……英吹……」
 佳子は老婆と共に居間を後にしようとした。
「佳子……」
 英吹は彼女を呼び止めた。
「……?」
「生き残れよ……、どんなことがあっても」
「えっ……」
 佳子がその言葉に反応する前に、英吹は佳子に背を向けた。老婆と佳子は居間から退出した。
 煙の中から、複数の人影が屋内に侵入してきた。英吹には彼らの表情はよく窺えなかった。
 一方、佳子は赤ん坊の立華を抱えながら老婆と家の近くの山の中に逃げ込んだ。
 しばらくして、家の方からドーンと大きな爆発音がすると共に、煙が立ち上がった。
「イ、英吹……?」
 佳子は慌てて家に駆け戻ろうとした。
「いけません、奥様……!」
 すると老婆が彼女の腕を掴んだ。佳子はそれを夢中で振り解こうとした。
「今戻ったら、あなたも処刑されるだけです!」
 老婆も必死に彼女を食い止めようとした。
「そんな……だって英吹が……、英吹……」
 佳子は反論したが、その力は衰えた。そして嗚咽を始めた。立華はその腕の中で穏かに眠っていた。

   *

 今、珠洲は佳子の背中を見つめていた。彼女はかつてと同じように嗚咽をしながら、自分たちの身に起こったことを珠洲と美濃に話していた。
「後日、夫は処刑されたと聞きました……朝霧さん……茨木さん……、私も、あなたたちと同じなんです……、私も、夫も何も知らなかった……地主の家の者だとか、農学者だというだけで……まさかそんなことで処刑されるなんて、思ってもいなかったんです……周恩来(ヂェオエォンライ)総理はかつて全国人民代表大会で、一九四九年から五四年までの五年の間に、反革命罪で約五二〇万人を逮捕し、そのうち八三万人を処刑したと発表しましたが、この逮捕の基準も、数字の根拠も極めて曖昧なものなんです」
 珠洲と美濃の目にもいつの間にか涙が浮かんでいた。
 一方、状況をよくわかっていない立華が、佳子の腕を掴んだ。
「お母さん……私、お腹すいた……」
「あっ……ごめんね、立華、ちょっと待って……」
 佳子はそういうと、二人の方に顔を向けた。
「助けていただいて、本当にありがとう……。それで、あの、ここから逃げませんか……、私たちと一緒に」
 佳子は言った。
「はい……あ、でも、あの、逃げる前に……ちょっと待っていただけませんか……?」
 珠洲は佳子に申し出た。

   *

 宋親子の家の隣にあった家南の家の入り口から、珠洲は中の様子を窺った。
「家南くーん、一緒に行こう……、……?」
 屋内は真っ暗だった。珠洲はその中に入ってみたが、中には誰もいなかった。
「家南くん……?」
 珠洲は再度呼びかけた。一抹の不安が過ぎった。
「家南くん……」
 美濃は呼びかけを繰り返した。その声が少し裏返った。
「家ナ……」
「珠洲ちゃん、美濃くん……」
 突然、屋外から家南の声がした。
 珠洲と美濃は安堵し、すぐに戸外に向かった。
 しかし、二人が入り口を出たとき、二人の表情は硬直した。家南は三名程の民兵に取り囲まれていた。月明かりのおかげで、遠くからも家南の表情はよく見えた。
「……ごめん、珠洲ちゃん、美濃くん……晩御飯は、ちょっと無理っぽい」
 家南は笑って見せた。その表情は余計に珠洲の心を刺激した。
「何で……何で家南くんを……?」
 美濃は感情的になって民兵たちに聞いた。
「こいつはトウモロコシを盗んでいたのだ……これから委員会にしょっ引いて、尋問するところだ」
「尋問って、何を……」
「鼻の穴に針金を通す、その後は、裸にして羊の皮を体に巻いて鞭で打てばいい……、羊の皮を剥がす頃には、体の皮も一緒に剥がれるだろうな」
 別の民兵が淡々と説明した。珠洲はそれを聞くと蒼ざめた表情になりながら自分のポケットからペンを取り出そうとした。
「待て! 動くな!」
「え……?」
 背後から怒号がした。珠洲が振り向くと、銃口の照準が自分に合わされていた。そしてそこに、十数名の民兵らがいた。
「――多すぎる……」
「間に合わない……」
 珠洲と美濃は悲観的な憶測に支配された。
「君は……スパイだったのだね」
 聞き覚えのある声がした。民兵らのなかに張彦武(チャンイェンウー)の姿があった。
 珠洲と美濃はその小さな頭を下げた。
「膝をつけ!」
 民兵のうちの一人が二人に命じた。二人は膝を地面につけ、両手を後頭部に当てた。
「あの……一つだけ教えてください……」
やがて珠洲が俯いたまま微弱な声を出した。
「家南くんや佳子さんの他にも、人々の『敵』と看做された人は大勢いる筈ですが……」
「おい! お前……!」
「いや、いい……、続けさせろ」
 珠洲の質問を制しようとした民兵を、イェンウーはさらに制した。
「彦歩さんたちは、いったいどんな基準で人々を『敵』だと思って、処刑していったのですか……?」
 彦武は他の民兵たちよりも一歩前に出ました。
「いいだろう……教えてやる……。右派とは、自然の限界を説く者や、結果は悲惨なものになると言うものが含まれる……。我が公社において、右派とは、専区の書記が作成した、罪状リストに触れた連中のことだ……」
「……」
珠洲と美濃は沈黙した。彦武は続けた。
「即ち、『押したり引いたりするグループ』『待機して様子を見るグループ』『店頭で首を振るグループ』『腕を突き出すグループ』の四つだ……」
「あの、あまりよくわからないんですが……」
「それを認定するのは誰ですか?」
 二人は微弱な声で訊いた。
「各生産隊の優秀な責任者たちだ」
 つまり、役人たちには、人々に対して、それぞれの恣意的な判断に従って好き勝手に人々を右派であると決め付けることができる、生殺与奪の権限が付与されている――、そういう意味だと判ると珠洲と美濃は口を閉じた。
「他に聞きたいことはないかね」
 彦武が逆に二人に質問した。二人は口を紡いだままだった。
「そうか……では、何故私が、君たちの質問に答えたのか、わかるかね?」
「……」
「これは、君たちの旺盛な探究心への、せめてもの情けなのだ……。私は、君の背後関係への興味を喪失している……」
「――」
 珠洲と美濃は彦武の言葉の意味していることを理解してさらに怯えた。
「こんな子どもに、党の中枢まで入られました、などという報告を県の委員会に上げる公社は存在しない……さっさと始末して、何事もなかったことにしておくのが適切だ!」
 彦武は二人に告げた。その直後に、カチャカチャと軽快な音がして、二人を取り囲んでいた民兵たちの一部が、一斉に銃口を二人に向けた。
 珠洲と美濃は俯いたままだった。



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2018年12月13日 発行 初版

著  者:坪内琢正
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