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付近の低樹が煌々と月に照らされていた。
風が出てきて、木の葉がさらさらと揺れた。
その直後に、携帯電話の単調な電子音が聞こえた。その音は珠洲のスカートのポケットの中から発せられていた。
「――」
跪かされていた珠洲と美濃は絶句した。二人に銃口を向けていた民兵たちもざわつき始めた。
「……何で……そんな……」
珠洲はじりじりとポケットに手を伸ばし、携帯電話を取り出した。
外側についていたディスプレイが、青白い発光ダイオードを点滅させていた。珠洲はそれを眼前に掲げてさらに驚いた。ディスプレイには『石橋 雲雀』と表示されていた。珠洲は恐る恐る携帯を開けた。
「なんで……こんな、違う時間の世界なのに……」
美濃も呟いた。
「な……何だそれは!」
「気をつけろ……! 光っているぞ!」
「おい! それをこっちに渡せ……!」
珠洲は通話ボタンを押した。民兵たちの騒ぎも、彼女の耳には入っていなかった。
「もしもしー、珠洲ちゃんー?」
「……、ひ……」
「あー、よかった、ちゃんと生きてる……、私もね、スマホ使えるって、今気付いたところ。珠洲ちゃんのは携帯だったね……、近くにいるってわかったから、今からそっちに行くね」
「え……?」
直後に通話は終了した。さらにその直後に、珠洲の前方が明るく輝き始めた。その色は攻撃の際に発せられる色と同じ薄い緑色だった。
「何だ、あの光は!」
民兵らはそれを見てうろたえた。
「わからん、何が起こっているのだ!」
そして、その光の中から一人の少女が現れた。
「お待たせ、珠洲ちゃん」
「あ……、あ……」
「……雲雀ちゃん……」
珠洲と美濃は彼女、雲雀の姿を見て驚いた。
「私だけじゃないよ」
「えっ……?」
同時に、彼女を中心に、彼女を包んでいたそれと同様の光が複数現れた。
「あああ……」
珠洲の言葉に、次第に歓喜の思いが込められていった。
「耐ちゃん……、司くん、唯ちゃん……」
耐、司、唯の三人が雲雀の後ろにいた。そして、さらにその後ろに数十の光が現れ、その中から二人以外の洛央小学校四年二組の児童三〇名の全員が姿を現した。
「みんな……」
珠洲は自然に顔に涙を浮かべた。
「お待たせ」
唯は穏かに微笑んだ。
「唯ちゃん……」
珠洲は唯に抱きついた。唯も彼女をそっと抱いた。
「どうしてここに……」
美濃も涙で顔を赤くしながらクラスメートたちに尋ねた。
「二人の姿が見えないから、図書室の書庫の中を探したんだ。それで、あの赤い本が光っていたから、驚いてみんなでそれを見てた……気がついたらみんな森の中だった」
弘明が美濃に言った。
「いつの間にか一人ずつこのペンを持ってたよ。そして……彼、銭桂創(チェングエチュヮン)くんが、美濃くんと、珠洲ちゃんもこの時間の世界にいるって教えてくれたんだ……」
「え……桂創くん……?」
美濃は不思議そうな顔になった。司の背後に、夢の中で出会った、ヨレヨレの服を着た少年がいた。
「あ……初めまして……えっと、珠洲ちゃんには会うのは二回目だね……。二人にも、謝らないといけないね……ごめんなさい、本当に……」
彼は申し訳なさそうに二人に頭を下げた。
「え……?」
珠洲と美濃はきょとんとした。
「な、何者だ! どこから出てきた!」
「邪魔をするな……! お前らも同罪にするぞ!」
一方、珠洲と唯を取り囲んでいた民兵たちは口々に彼らを威嚇した。
「唯ちゃん……、まだ、終わってないみたいだよ」
「あ、うん……、珠洲ちゃん、ちょっと待っててね」
唯は珠洲に背を向けた。司がその隣に就いた。そして殆ど同時に、二人が手にしていたボールペンが発光し始めた。
「あっ、危ない……」
珠洲は驚いて唯にの手を掴もうとしたが、彼女の体は薄い緑色の光に包まれ始めた。そしてすぐにその体は光と同時にその場から消えた。
「え……?」
珠洲はその光景を見て目をぱちくりさせた。
「大丈夫だよ、あの二人は」
耐が珠洲に優しく声をかけた。
「えっ……?」
珠洲は耐の方を向き、またきょとんとした顔をした。
直後に、彼女の前方から薄い緑色の閃光がはしった。
「うわあああ!」
それに触れた民兵たちは声を上げて倒れていった。
「どう……、調子は?」
その近くの空間の一部から同じ薄い緑色の光が現れ、その中から唯が現れた。
「大丈夫……多分」
唯の隣にも光が現れ、その中から司が現れた。二人は数十もの民兵らの中央にいた。
「そっか……、じゃあ、分かれていこう」
「うん」
軽快に応対しあってすぐに二人の姿はまた光に包まれ、そしてその場所から消えた。
その直後に、小規模に群れていた数名の民兵たちの前に、突然光に包まれた司が出現した。そして司はすぐに、手にしていたボールペンを自分たちの前上方に翳した。
「なっ……?」
民兵たちは慌てて銃を構えた。同時に、司のペンはその柄にあったくぼみから緑色の光の弾を放った。
「わーっ!」
民兵たちはその光線の直撃を受け、叫びながら倒れていった。
「本当に、見える範囲までなら一瞬で移動できるんだ……、」
司は呟いた。
一方、別の数名の民兵たちの眼前でも、空間自体が発光を始めた。
「おおっ?」
そして、出現した唯は、慌てる民兵らにじりじりと接近し、ボールペンを上方に掲げた。すぐにそのボールペンは薄い緑色に発光し、その光は民兵たち目がけて飛んでいった。
「うわーっ!」
その光に当たった民兵たちは次々と倒れていった。
「危ない……! ここは引け、引けーっ!」
彦武が叫ぶと同時に、民兵たちはちりぢりになって逃げ出し始めた。
「やはりやつらの背後関係を知りたい……誰でもいいから一人拉致しろ……」
彦武は近くにいた民兵らに告げた。
「はい……」
その民兵らは頷いた。
*
「みんなも、二日間もこっちの世界にいたの……?」
民兵らが去ってから、珠洲は耐に尋ねた。
「え、二日……? ううん、違うよ、私たちがこの時間の世界にやってきてからまだ三時間くらいしか経ってないよ」
耐は珠洲の発言に驚いた。
「来るのがちょっとずれちゃったのかな……珠洲ちゃんたちは、二日もこんなところにいたんだ……」
耐の隣にいた雲雀も驚きながら言った。
「あの……あなたは、僕たちがどうしてこんな場所にいるのか知ってるの?」
美濃は桂創と呼ばれた少年に尋ねた。
「あ……うん……。みんなにはもう話したけど、二人にも話すね。まず……ここは、二一世紀の京都じゃない、ここは、それからおよそ六〇年前、一九六〇年六月二日の、中華人民共和国遼寧(リャオニン)省本渓(ペンシー)県安義(アンイー)郷なんだ」
その少年、桂創は珠洲と美濃に真剣な表情で言った。
「……」
二人は息を呑んだ。
「実は、二人が小学校の書庫で開けた本は、この時代の中国の飢餓について書かれた本だったんだけど……このときの飢饉は、人類史に残る凄まじいもので、何千万もの人が飢えでなくなった……。それで、幽世(かくりよ)、つまり、死後の世界にも、たくさんの怨念が生まれたんだ……。そのため、本来は現世(うつしよ)には作用してはいけないはずの怨霊の力、霊の力が働いてしまい、あの薄い緑色の光を発光させ、二人をこの時代までタイムスリップさせてしまった……」
「……」
珠洲と美濃は引き続き沈黙した。
「亡霊たちはすぐに、この異変は本来あってはいけないものだと気づいた。でも、それはもう取り返しがつかないところまで来てしまっていたんだ……。その結果、亡霊たちが、なんとか原状回復をしようとしてできたのは、まず、飢饉で死んだ者のうちの一人である僕を死者でありながら再び現世に復活させ、タイムスリップしてしまったここにいるみんなに状況を説明させること、みんなの頭に、日本語じゃない言葉も日本語として伝わるようにしたこと、にそして……一人に一つずつ、その、霊力でできたボールペンを持たせることなんだ……二人も、みんなも、怖い思いをしていると思う……それは、亡霊の一人である僕も、みんなには申し訳ないと思ってる……」
桂創は頭を下げた。
「あの……桂創くん、実は私と美濃くんには、前にも似たようなことがあったんだけど……私たちは帰れるの……?」
珠洲が聞いた。
「わからない……でも、可能性はある……」
桂創は言った。
「え……」
それを見た美濃も不安そうな顔になった。
「この時間の世界で次々と死んでいく者たちを救い、また、生きている人々の幸福度を少しでも上げれば、亡霊たちの怨念が収まって、異変も修正され、きっと、みんなも元いた時間の世界に戻ることができると思うんだ……」
桂創は言った。
「人々の幸福度を上げるって……?」
「私たちに……。ま、前より大変かも……」
美濃と珠洲は彼の発言に驚かされた。
「うん……それにはまず、みんなが持っているボールペンについて話させて……」
「え……」
美濃はポケットに入れていたボールペンを取り出した。桂創は説明を続けた。
「それは、本来人が持っている願いを何でも叶えることを目的にしてできたものなんだ……。でも、さっき言った理由で、結局は、叶えることのできる具体的な願いそのものは限られ、また、その範囲も限られてしまっているんだ。まず一つ目に、それを使うと、目に見える範囲で、瞬間的に移動をすることができる……。人の視力は六〇〇メートル先のものまで見ることができると言われているけど、着地点の安全を考えると実際に飛べるのは一回につき七、八〇メートルくらいだと思う。これを連続で使うと高速で移動することもできるけど、次の着地点を確認してから飛ぶから、実際の移動速度は時速一〇〇から一三〇キロメートルくらいだね……。二つ目に、何かを攻撃することができる。秒速七〇から八〇メートルくらいの速さで、金属などと同じ程度の硬さの光の弾が柄の部分にあるくぼみから発射し、丁度ピストルの弾などと同じ程度の殺傷力があって、射撃の能力に関係なく、見えている範囲でなら、心の中で狙ったものならなんでも撃つことができる。ペンのくぼみがどの方向を向いているかは関係ないんだ……。ただ……これは物理的なんだ。人から攻撃意思を無くさせる、とかじゃなくて。その方が人にとって難しいことだったから……。三つ目に、電波や充電がなくても、みんなが持っている携帯電話、スマートフォンが使える……。後は……」
「お母さん……お腹すいたー」
そのとき、桂創の傍らにいた立華が佳子に言った。
「あ……立華……、ごめん、今日はもう……」
佳子が立華に言いました。
「桂創くん、ちょっと待って……」
珠洲が桂創に言った。
「ごめん、みんな……今日はまだ、やることが残ってる……」
珠洲はその場にいた全員に告げた。
*
やがて、森の中にあった穀物倉庫の前に、珠洲、美濃、耐ら三二人と、立華、佳子、家南、桂創がやってきた。
「この倉庫……どうするの、珠洲ちゃん……?」
「うん……扉を壊して、中に入っている穀物を取り出すんだ……」
淡水には、珠洲の表情が冴えていないように窺えた。
「待ってくだされ!」
そのとき、珠洲たちの後方から男性の声がした。彼は昼間に河川の改修工事で見かけた初老の男性で、息を切らして珠洲たちの下に駆けてきた。
「陸(ルー)……さん……?」
「皆さん方、わしは先ほどの事態を陰から見てしまった……。こんな……、どうか党の倉庫を襲うことだけは、ご勘弁くだされ……! たとえ村の全員が餓死することになったとしても、それだけはしてはならん……!」
彼は次第に目に涙を浮かべ始めた。
「わしら安義の者は、まだ党を信じている……。今から一〇年前、かつて、毛(マオ)主席様は瀋陽で、わしらの着物が薄着一枚なのを見かけ、凍えるのを心配されて冬になるとすぐに冬着を支給してくださった……、飢えで堪らなくなると、わしらはその冬着を眺めるんじゃ……、そして思うんじゃ、毛主席様は決してわしらを凍えさせたりしない……、きっと飢えさせたりはしない筈じゃ……」
「……」
珠洲は彼の話を黙って聞いていた。
「確かに、穀物は全部取り上げられてしまったが……少し様子を見て欲しい。党は決して人々を飢えさせたりはしない……とにかく、少し待って欲しいのじゃ……わしは信じておる、毛主席様は偉大なる導師、偉大なる領袖、偉大なる統帥であって、偉大なる舵取りなのじゃ」
そのとき、珠洲の近くにいた耐の口が民兵によって塞がれた。暗かったこともあって珠洲たちはそのことには気付かなかった。
「んっ、んん……」
耐はそのまま二名の民兵たちによってその場所から連れて行かれた。
「……この責任は、私がとります……」
珠洲は肩を震わせながら陸に言った。
「淡水ちゃん……、司くん……、お願い……!」
そして珠洲はきっと顔を上げた。
「ああっ……おやめくだされ……、この村が、そのような大それたことを……どうかお考え直しくだされ……」
陸は珠洲の前に立ちはだかり、その場で平伏した。
「おじさん……ごめんなさい……本当にごめんなさい……でも、もう間に合わないんです、死んだ人も、もういっぱいいるから……」
珠洲は陸に詫びながら説得した。
「なにとぞ、なにとぞ……」
陸はその場所から動こうとはしなかった。
「おじさん……まもまく僕は、あの扉を壊します……。そこにいると、巻き込んでしまう恐れがあります、だから……どうか、下がってください」
司は陸に頼んだ。
「お考え直しください……、お考え直しください……」
陸は倉庫の前で蹲り、狂ったようにそう唱え続けていた。
司はボールペンを自分の胸の前に翳した。そして、そこから薄い緑色の光を発光させた。
ヒュン!と、光が倉庫の傍らを通り過ぎて、森の中に消えていった。
「あ……ああ……」
陸はそれを見ると、呆然とした表情で立ち上がり、倉庫の前から退いた。
「……えい!」
司はもう一度ペンから光を放った。
今度の光は倉庫の扉に当たり、それを破壊した。倉庫の内部に明るい月の光が入り込んだ。その中に、淡水と司が顔を覗かせた。
「あああ……」
陸はその様子を見て茫然とした。やがて地面に両膝をつけると空を仰いだ。
「毛主席が歩み出ると、東の空が赤く輝く……生きとしいけるものが栄え、大地が赤い。六億の民が牡丹のように輝き……一人ひとりが赤い。美しい丘や川の全てにとって、常しえのときが赤い……」
陸は涙を流しながら詩を呟きはじめた。
「陸さん……ごめんなさい……」
珠洲は陸の元に行き、彼の肩を抱き、再度詫びた。彼女の小さな拳に力が入った。
「ああ……毛主席様……お許しください……、お許しください……」
陸は珠洲に抱かれたことに気付くとはっと驚いた。そして怯えながら『お許しください』と呟き続けた。
(偉大なる導師、偉大なる領袖、偉大なる統帥であり、偉大なる舵取り……みんな、そんな人の意思に逆らうことになっちゃった……)
やがて、陸の言った毛を讃える言葉を思い出した珠洲も怯え始めた。明るい月の光が、陸と彼を抱く珠洲の姿の影を地面に映し出していた。
*
耐を除いた美濃たち洛央小学校四年二組の児童三一名と桂創は、昼間に彦武がいた共産党の委員会の建物でその日の夜を過ごした。
翌六月三日に、珠洲と美濃は家南と佳子、立華を迎えるために再び集落に戻った。
「でも……いいの、本当に来て貰っちゃって……?」
「あ、うん……。僕も、みんなのために、何かできることがあればと思って……。危ないことはわかってるけど、でも……」
家南の家の中で、家南は土間で衣服などを大きめの籠に入れながら珠洲と会話していた。
「家南お兄ちゃーん! 来たよー!」
そのとき、屋外から立華の声がした。
「あ……立華、今行くね……!」
家南は叫び、籠を背負うと、玄関の扉に向かった。そして閉まっている扉の前で立ち止まった。
「もうこの家に帰って来られなくなるかもしれないかな……」
彼は呟いた。
「家南くん……」
美濃が背後から家南に声を掛けた。
「うん……わかってる……でも、どちらにしたって、どこにいたって僕たちは危ないよね……、この国の中だと」
家南は扉を見つめながら後ろにいた珠洲と美濃に言った。そして、彼はその扉を開け、家の外にいた。そこに佳子と立華がいた。
「お兄ちゃん……」
立華は家南の顔を見上げた。
「立華……、行こう……」
家南は立華に言うと歩き出した。その後を立華と佳子がついていった。
*
その日の昼前に家南らは委員会の建物に入った。
その建物にあった食堂で、クラスメートたちは食事の用意を始めた。
「あれ……お皿が一つ余った……?」
「え……?」
配膳を担当していた弘明と雲雀が訝しい表情になった。
――ブーッ!
そのとき、珠洲の持っていた携帯電話が振動した。
「耐ちゃんから……?」
珠洲は携帯電話のディスプレイに耐からのメールのメッセージを表示させた。
――助けて! 今軍のどこかの駐屯所 やっとメールを打つ隙ができた
「えっ……嘘……、あの、くん……」
珠洲は驚いてそのメールを美濃に見せた。
「え……耐ちゃんが……!?」
美濃もそのメッセージを見て驚いた。
「こちら安義排。安義で農民らが蜂起した。応援を求む。繰り返す、安義で農民らが蜂起した、応援を求む」
そのとき、食堂の片隅にあった無線機から男性の声がした。
「えっ……」
珠洲たちは慌ててその声に注目した。
「こちらは中国人民解放軍第六四軍本渓軍部、その件については了解している。他の部署からも報告を受け取っている。心配は要らない、現在当軍において軍部から一個団を派遣する案が検討されている」
無線を傍受していた珠洲たちはその会話内容に驚いた。
「一個団ってことは……一〇〇〇人くらいかな」
美濃が珠洲に言った。
「うん……」
「どうしよう……」
それを聞いた司、淡水らの表情が蒼くなった。
「そんなに大勢……」
「一〇〇〇人って……」
雲雀と唯も顔を強張らせた。
「あの……」
美濃が小さな声を上げた。
「このペンで……何とかなるかもしれない。ペンによる瞬間移動で、兵士たちの意表をついて発砲すれば、一人で何十人も相手できるかもしれない……、何人かでチームを作って戦えば、ぎりぎり、なんとか……」
彼は真剣な顔で説明した。
「え……」
弘明は彼の言葉に驚かされた。
「それしかないか……」
貴船は頷いた。
「うん……」
「それで、やろう……!」
未熟と、男子の伊藤現有(いとうげんゆう)も美濃の提案に賛同した。
「あの……」
そこに家南が口を挟んだ。
「え……」
「家南くん……?」
美濃たちは彼の方を向いた。
「みんなで村を守るんだよね……だったら僕も行きたい……」
家南は静かな声で子どもたちに頼んだ。
「あ……家南くん……」
「わかった……ペンは誰かのを借りればいいから……使い方は、僕が言うね」
司と美濃は頷いた。
「耐ちゃんの方は……私が行くね。軍の駐屯所ってあるけど、この近くだったら、多分、本渓だと思う……」
珠洲は美濃に言った。
「えっ……一人だけじゃ、危なくない……?」
「ううん……大丈夫……軍隊が派遣されてるみたいだし、そっちも大変だから……でも、危なくなったらすぐに連絡するね」
珠洲は美濃に言った。
*
やがて委員会の建物から、美濃、司、雲雀、唯、弘明、家南、貴船、談水の八名が出てきた。一行はペンの力を使って空間移動を行い続け、委員会から数十キロほど離れた本渓市渓湖(シーフー)区の郊外の平野まで来た。やがて彼らの前方から歩兵の部隊が現れた。
「来た……」
「行こう……!」
雲雀が呼びかけた。
「うん……」
美濃はそれに頷いた。そして八人はペンの力を使って彼らの正面に現れた。
「――?」
兵士たちは突然自分たちの目の前に子どもが現れたのを見て驚いた。美濃たちはすぐに心の中で『撃て!』と念じた。それと同時に各自の持っているペンから薄い緑色の光が放たれ、兵士たちに向かって飛翔した。
「うわっ!」
その兵士たちの一人が光の直撃を受けて倒れた。
「な、何だ……?」
「どうした……? うああっ!」
やがて攻撃は他の兵員たちにもされた。美濃たちは容赦なく彼らにペンの光による攻撃を加えていった。
「なっ……何がどうなっているんだ……、報告しろ!」
「わかりません……! 突然光が現れて……」
部隊は混乱し始めた。
「な……子ども……?」
一瞬、兵士の目の前に薄い緑色の光が現れ、その中から美濃の姿が出現した。彼はすぐに心の中で『撃て』と念じた。すると彼が手にしていたペンの先から緑色の光が兵士らに向かって飛んでいった。
「うわっ!」
その光が肩に当たった兵士は血を流して倒れた。美濃はすぐにその場所からペンの力を借りて消えた。そして、また別の兵士の前に現れ、その兵士に向かって攻撃した。美濃のほかの五人も美濃と同じ方法で兵士たちに向かって攻撃していった。
「敵の様子が見えない……!」
兵士たちはやがて散り散りになって逃げ始めた。
「もうそろそろ、大丈夫かな……」
やがて美濃は呟いた。
*
同じ渓湖区の郊外には人民解放軍第六四軍の駐屯地があった。その中の兵舎の一室にあったベッドに、大の字に耐の両腕と両足が縛り付けられていた。
「こちらです」
「ふむ……」
やがてその部屋に三人の軍服を着た男性が入ってきた。そのうちの一人は手に鞭を持っていた。
「……」
耐は今にも泣き出しそうな表情で三人を見つめた。
「はじめまして……私は李道(リーダオ)という者だ……。この本渓市で党の書記をしている……。もっとも、その地位は今回の騒動で脅かされているがな。君たちはなぜ我々の決定に従わないのか、そして、どのようにして我々の軍を撃退したのか……知りたいことはたくさんあるが……その前に、我々の方針に逆らった罰を、君にも与えなければならない」
「えっ……」
耐は李の発言に怯えた。もう一人の鞭を持った男性は、鞭をピシッと床に叩きつけた。
「い……嫌……」
耐はそれを見てさらに蒼ざめた。一方その男性は耐の方に寄った。
「あああっ!」
そしてすぐに、その部屋から悲鳴が聞こえた。
鞭を手にしていた男性が突然その叫び声を上げて倒れた。彼の首からは大量の血が吹き出した。
「え……」
続けて李と名乗った男性も倒れた。彼の腹部は赤く染まった。
「え……」
そして、室内にいつの間にか珠洲の姿があった。
「あ……ああ……」
耐はその凄惨な光景を見て震え出した。
「あ……」
どうしようもなかったこととはいえ、自分のした行為に怯える耐の姿を見て、珠洲は俯いた。
「……、……珠洲ちゃん、ありがとう……」
その珠洲の様子を見て、耐は珠洲に礼の言葉を必死に紡いだ。
「ごめん……」
珠洲は俯いたまま耐に詫びた。
「フフ……フフフ」
部屋に残っていたもう一人の兵士は急に笑い始めた。
「え……」
「あの……、あなたの上司は倒れました……。あなたにも、武装解除をお願いします」
珠洲はじっと彼を見つめながらペンを胸元に翳した。
「おっと……それを降ろしたまえ。無駄なことだ……。確かに私は、そこにいる地方役人と共に、君たちへの尋問に加わった者だ……、君たちに興味があったのでね……。自己紹介が遅れたな、私は林彪(リンビャオ)という……かつてこの地で野戦軍の司令員をしていた者だ……今は国務院で国防部長をしている。君たちは我々には勝てない……、もし私を倒したとしても、それは君たちの勝利を意味しない……」
「え……」
「それはどういう……」
珠洲と耐は林と名乗ったその男性に問いかけた。
「安義郷での連隊壊滅の知らせを受けて、現在本渓、遼陽(リャオヤン)、安東(アンドン)の各専区までの遼東半島に、劉少奇(リウシャオチー)国家主席の名で戒厳令が布告された」
「戒厳令……?」
「すでにこの、本渓の第六四軍も発令を受けている……。総動員兵員数は、瀋陽軍区・北京(ベイヂン)軍区の計一一個軍を中心に、戦車師団、砲兵師団、さらには済南(チーナン)軍区、南京(ナンヂン)軍区からの空挺軍団などを含めた約二四万四〇〇〇名、うち一二万一〇〇〇名は、先発部隊として、安義公社の騒乱の鎮圧を目的に進軍の準備を整えている。数日以内に、営口の第三九軍、錦州(ヂンヂョウ)の第四〇軍から四個師団約三万名がこの本渓県に到達することになるだろう」
「――」
珠洲と耐は林の説明に絶句した。
「そんな……そんなに沢山の兵隊が……嘘でしょ……」
「……確かに……増強された治安部隊二〇〇〇名までもが壊滅したのに、こんなことを党の指導部が放置するはずがない……」
「フフフ……ではどうするかね、不思議な子どもたちよ」
「今は……ひとまず……、耐ちゃんと一緒に帰ります」
「そうか……では、また会うことがあるかもしれないな。もっとも生死はわからないが」
林は不敵な笑みを浮かべながらその部屋から退出した。珠洲と耐も彼の後に続いてその部屋から出た。
「……」
一方、林は自分の右手に目を落とした。彼は耐が持っていた霊力のボールペンを握っていた。
「二四万四〇〇〇名……?」
「そんな……いくら僕たちでも、そんなに大勢を相手になんかできないよ……」
安義の委員会の庁舎に戻ってきた珠洲と耐の話を聞いて、司を始め、彼らのクラスメートたちは口々に言った。
「待って……、策がないというわけでもないんだよ」
そこに桂創が口を挟んだ。
「まだ説明できてなかったんだけど……霊力のペンの、光の弾が出る柄の部分のくぼみを下に向けて放つと、その光の弾が円錐状にどこまでも拡張していくんだ……。ペンに意識を集中していれば空中に浮かぶことは可能なので、それを利用すれば、何万の兵員を相手にしていても戦うこともできるはずなんだ……」
「え……」
珠洲たちは桂創の説明を聞きながらその力のもつ恐ろしさを感じていった。
「それって……凄く危ないんじゃ……」
「うん……だけど、二〇万もの兵員を相手にするには、それしか方法がないかも……」
「え……」
珠洲たちは息を呑んだ。
「それじゃあ……仕方ない……。珠洲ちゃんは疲れてるだろうから、今度は私がやる……」
「え……」
珠洲の背後にいた唯が名乗り出た。
「そんな……下手をしたら、何万人もの犠牲者が出るかもしれないのに……」
「うん……だから、余計に、珠洲ちゃんにはもうこれ以上誰かを傷つけることはしてほしくないから……」
「唯ちゃ……」
「頼ってくれてもいいんだよ。私の方が誕生日先なんだから……お姉ちゃん、なんだよ」
慌てる珠洲の言葉を唯は笑顔で遮った。ただ彼女の目じりが濡れていることに珠洲は気づいていた。
*
六月五日、本渓市の郊外に第三九軍、第四〇軍から派遣された四個師団三万名の兵員が集結し始めた。そして、唯はペンの力で自らを発光させながらその上空約五百メートルのところに浮かんでいた。
「下に向けて……、えい……!」
唯は小さく叫んだ。同時に、持っていたペンを横に倒し、そこから薄い緑色の光を放った。その光は温度を上げ、三角錘状に拡張しながら地表に向かっていった。
「あつ……?」
「……!?」
「う……うわあ……」
そして、光は半径一キロ以内の地表に到達した。唯の真下にいたおよそ五〇〇〇名の兵員たちはその光が保っていたセ氏三〇〇度以上の熱を浴び、全身に大焼けどを負い始めた。
やがて唯は顔を下げながら浮かぶ高度を徐々に降ろして行った。地上の凄惨な様子が彼女の瞳に飛び込んできた。
「どうして私はまだ、人を傷つけることを悲しんでいられるのだろう……。これだけ大勢の人を、傷つけたというのに……」
その光景を目にしながら唯は呟いた。
*
一方、珠洲たちは本渓にある人民解放軍第六四軍の駐屯地を再度襲撃していた。やがて兵舎からは火が出始めた。
「なんだ? 光が……!」
「うわあああ」
兵舎にいた兵員たちは散り散りになって逃げ始めた。
「こ……この騒動はいったい何だ……!?」
政治委員の執務室にいた第六四軍政治委員で党第六四軍委員会書記の張順(チャンシュン)は傍にいた数名の幹部らに尋ねた。
「わかりません、アメリカ軍の爆撃かもしれません……!」
「な……美軍だと……? 林元帥も既にお帰りになられたというのに……!」
張は幹部の発言に驚いた。そのとき、その部屋のドアが勢いよく開き、ペンを手にした珠洲が駆け込んできた。
「……?」
「子ども……?」
張たちは奇妙そうな顔で彼女を見つめた。
「あ……いきなり入ってきてすみません。えっと……あなたがこの軍の政治委員さんですか?」
珠洲は部屋の一番奥にいた張に尋ねた。
「ああ……そうだが……」
「お嬢ちゃん、ここは入ってきちゃ危ないところなんだ、さあ、帰りなさい」
張の傍らにいた第六四軍司令員の楊(ヤン)が珠洲に言った。
「あの……このクーデターを起こしたのは私たちなんです。政治委員さん、あなたの権限で、瀋陽市の政府を包囲してもらえないでしょうか」
珠洲は張に頼んだ。
「は……?」
「この子はいったい何を……?」
張、楊たちは顔を見合わせた。
「本当なんです……、あの、信じてください……」
珠洲はそう言うと、腕を伸ばし、ペンを張の傍らに向けた。
「え……?」
幹部たちは彼女のペンを不思議そうに見つめた。すぐに、そこから緑色の光の弾が出た。
「な……?」
張の傍らの部屋の壁に小さな穴が開き、そこから煙が出ていた。張の瞳はそれを見るなり小さくなり、彼の肩は震え始めた。
*
それから数時間後に、瀋陽市の政府、会議堂、法院は張が率いるおよそ一〇〇〇名の兵士らによって制圧された。
「大事になっちゃった……」
「これからどうしよう……?」
弘明と耐が呟いた。
「毛沢東に、集団化政策をやめるように説得できないかな……、飢饉が起きてるって伝えれば、彼もわかってくれるかもしれないよ?」
クラスメートの一人、原停楢樹(はらていなるき)が提案した。
「ううん……大規模な反右派闘争までやっている共産党が、集団化をやめるなんてことは考えてもいないんじゃ……」
美濃がそれに疑問を投げかけた。
「あの軍の人たちは、私たちのことを敵だと思ってるよ……、不用意に近づいて、ペンの力がバレたり、私たちがバラバラになったりしたら危ないよ……」
雲雀が美濃に続けて言った。
「あ、あの……」
そのとき、珠洲が発言した。
「珠洲ちゃん……?」
耐が珠洲の顔を見た。
「ずっと考えてたんだ……、国を相手にしちゃったから、私たちの手で、国を作らないと駄目なんじゃないかと……」
珠洲は言った。
「えっ……そんなこと、子どもの私たちにできるの……?」
「うん……やってみないとわからない。でも、それしか思いつかないから……」
珠洲は答えながら、数時間前に桂創が説明していたペンの機能について思い出していた。
*
「みんな……、実は、このペンにはまだ機能が残っているんだ。それは、みんなの外見上の年齢を自由に変える機能……。そして、この幸福の小瓶に、黄金の砂の粒が溜まれば溜まるほど、人々の生活上の幸福度は向上していることになる」
数時間前、桂創は珠洲たち四年二組のクラスメートを前に説明していた。彼は小さなガラス製の小瓶を手にし、それを珠洲の目の前に示した。
「これがいっぱいになれば、みんなはもとの時代に帰ることができるよ」
桂創は続けて珠洲たちに言った。
「え……」
珠洲はその小瓶をまじまじと見つめた。
「そして……その砂は、実はそもそも皆さんのどんな願いも叶える力を秘めているものなんだ。でも、一粒一粒の砂が持っている力は小さいので、おそらく砂の量が少ないうちは、大した願いを叶えることは難しいと思う……。でも、砂が沢山溜まってきたときに、大勢で、一つの同じことを強く願えば、それは叶うこともあり得ると思えるんだ」
「……そうなんだ……」
美濃もきょとんとした顔で桂創の説明に頷いた。
*
「大人の姿になることができるから、子どもだってことの心配は少しは薄れるかもしれない……」
今、珠洲は耐に向かって説明していた。
「憲法の草案を、軍の誰かに頼んで作ってもらおうと思う……」
「あ、うん……」
雲雀が珠洲の提案に同意した。
「それなら、平等で自由な内容のものがいいね」
楢樹が言った。
「うん……でも、これだけ貧しい国で、教育も行き届いてないから、少し制限した方がいいかもしれない……」
美濃が楢樹に反論した。
「どっちにしろ、明日は建国宣言を出さないと……」
雲雀がそこに割って入った。
「きっと……広大な中国の全土を治めるのは無理……。今の軍が管轄している、この本渓地区を含めた関東(グヮンドン)地方だけじゃないと……」
珠洲が言った。
「あ……うん……」
雲雀がそれに頷いた。
*
一方同じ頃、日本から北朝鮮に向かう船の甲板に、一人の、珠洲たちと同じくらいの年齢の短髪の少女、朴銀恵(パクウネ)が乗っていた。彼女はおよそ一週間前の六月一日に、東京で父、成哲(ヂォンチョル)と話していたことを思い出していた。
*
「お父さん……、祖国に帰るって……?」
六月一日の夜、銀恵は家の今で成哲に聞いていた。
「うん……。お母さんも交通事故で死んでしまったし、今、総連の方が私たち朝鮮人の帰国事業をやってるから、それに任せて朝鮮に帰ろうと思うんだ……。何でも祖国では家と田畑を無償で提供してくれて、そこに住むことができ、今よりも楽な暮らしができるらしい……どうやら、祖国は楽園と呼ばれているそうだ」
「へえ……楽園かあ……」
銀恵は感心し、うっとりした表情で父の言葉を聞いた。
*
六月六日、やがてその船は北朝鮮の清津(チョンヂン)の港に着いた。港は粗末で古い建物だった。そして一〇〇名程度の、無表情な疲れ切った顔の女学生たちが『万歳!』と唱えて出迎えてきた。成哲もそれにつられて『万歳』と声を出した。そして、数百名ほどいた船の乗員たちはそのまま汽車に乗せられて咸興(ハムフン)まで向かわされた。
*
「この瀋陽市を首都とし、ここから約七〇万平方キロメートルが、関東共和国として、中華人民共和国から独立することを宣言します。憲法の草案は一カ月後を目処に作ります。それまでは、この臨時独立委員会が政府の首脳となります」
翌六月七日の正午、珠洲は瀋陽の市政府庁舎の近くにあった、庭のついていたとあるホテルの前で、同じく変身したクラスメート三二名と、家南、立華、桂創の前にマイクを立てて宣言した。珠洲が宣言すると彼らは拍手した。
関東共和国は首都を瀋陽市とした他、珠洲、美濃ら洛央小学校四年二組のクラスメートたちの考慮の末、中華人民共和国の牡丹江(ムーダンチャン)専区(一部地域を除く)、延辺(イェンビェン)朝鮮族自治州、吉林(ヂーリン)市、長春(チャンチュン)市(現在の松原(ソンユェン)地級市を含む)、通化(トンホワ)専区、四平(スーピン)専区、安東(アンドン)市(現在の丹東(ダンドン)市)、本渓市、撫順(フーシュン)市、鞍山(アンシャン)市、営口市、旅大(リュイダー)市(現在の大連(ダーリェン)市)の一二の市、専区、及び自治区を継承した。その下には合計で四一の市轄区、七の県級市及び六〇の県が設けられ、県の下には鎮、郷が設けられた。そしてひとまず、従来の遼寧、吉林の両省が臨時独立委員会の傘下に入ることになった。
「まずは農地を農民に返すことと……それから、それから、この国の誕生によって、中国と接することができなくなってしまった北朝鮮が攻めてくるかもしれないので、防御を高めることが必要だと思う」
「え、ちょっとまって、朝鮮と戦争するの?」
楢樹が口を挟んだ。
「北朝鮮はこの国に隣接していて、中国と同じ共産国だから、攻撃される可能性が凄く大きいんだ……」
美濃が珠洲の言ったことをフォローした。
「でも……昨日まで中国軍だったのに、関東の軍は士気に欠けるんじゃ……」
弘明が疑問を口にした。
「うん……だから、北朝鮮と隣接している韓国と国交を結んで、支援を求めることになるかもしれない……」
珠洲がさらに言った。
「え……それって、軍事同盟ってことじゃ……。なんか、嫌だな……」
楢樹は反論した。
「それに、今は韓国も革命の真っ最中なんじゃ……」
同じくクラスメートの浜田歩実(はまだあゆみ)も反論した。
「うん……そこがちょっと不安なんだけど……でも、とりあえず頼むだけ頼んでみたらいいと思うよ」
雲雀が言った。
*
「それで……そのクーデターの範囲はどこなのですか?」
同日、北京市の中南海で、中国共産党中央政治局委員及び中央軍事委員会常務委員たちから成る緊急の政治局拡大会議が開催されていた。出席者の大半は中山服を着用していたが、中には軍服を着用した軍人もいた。その中には林元帥の姿もあった。劉国家主席はため息を吐きながら報告に来た羅瑞卿(ルオルイチン)総参謀長に尋ねた。
「はい……まず、遼寧省の、瀋陽及び営口市から東側と、吉林省の、白城(バイチェォン)専区の西側を除いた全域、及び黒龍江省の牡丹江専区の市域から南側です。別の報告では本渓に派遣された営口の第三九軍、錦州の第四〇軍の四個師団が、空から降ってきた熱線によって一瞬にして壊滅したとあります。これを受け、長春の第一六軍も既に反乱分子に降伏したとのことです」
「ちょっと待ってください、一瞬にして壊滅ですと……? まさか、敵は原子爆弾を使ったということですか?」
周国務院総理が驚いて尋ねた。
「いえ……それがどうも違うようです。原子爆弾が投下されると、地表の温度は五〇〇〇度近くに達しますが、そこまで高温にはなっていません。また、原子爆弾の被害にあるはずの爆風や放射線による被害も報告されていません」
「ですが……どちらにしろ、敵は相当な火力を持っていると見た方がいいですよ。背後にいるのは美国ですか?」
劉が聞いた。
「いえ……それが、非公式に美国に尋ねたところ、今回の件は関知していないとのことでした」
「なんか白々しい印象を受けますな……」
「今回のクーデターでは本渓の第六四軍の政治委員、張順らが中心動いていたようですが……彼らは利用されているだけのようです」
「というと……裏にはどこの勢力がいるというのですか?」
周が羅に尋ねた。
「それが……敵はそれを明らかにしていないのでまだ判明していません。ただ、先ほど独立を宣言したという、『関東共和国』の臨時独立委員会の主任は、朝霧珠洲(チャオウーヂュウヂョウ)、副主任は、茨木美濃(ツムーメイノン)という日本人です」
「な……日本人ですと?」
劉は驚いた。
「ええ……」
羅は頷いた。
「林元帥、どうしたのですか……、先ほどから顔色が優れないように窺えるのですが」
周は俯いていた林に尋ねた。
「えっ……? あ、ああ……何でもありません。日本ですか……忌まわしいですね。また、帝国主義による侵略が繰り返されるとでも言うのでしょうか」
林は慌てながら言った。
「まったく、悪魔の申し子のような連中ですね」
「首謀者は歴史を鑑としない反動右翼でしょうか」
羅や劉も林に同調した。
――今は、ひとまず、耐ちゃんと一緒に帰ります
林の脳裏に珠洲が自身に放った言葉が思い出された。林はポケットから耐の持っていた霊力のペンを取り出した。
(不思議な子どもたちだった……。彼女たちのことは、報告するべきなのだろうか……)
林はそのペンを見つめながら戸惑った。
「日本か……」
そのとき、会議室の一番奥にいた男性が顔を上げて呟いた。
「……毛主席?」
林は彼の方に目をやった。
「確かに日本なら、どんな兵器を使ってくるか想像もつかない……。東北の派遣軍は一度進軍を停止してはどうかね」
林に毛と呼ばれたその男性は一同に向かって呼びかけた。
「そうですね……」
「優れた戦略家でもある主席がそう仰るのでしたら、その方が良いでしょう」
周と劉は言った。
「では、進軍を停止させよう。但し……羅同志、いつでも彼らが奪った領土を奪還できるよう、準備だけはしておきなさい。朝霧というのか……油断はできない。敵も私と同じ戦略家かもしれない。だが……、これは我々の革命に対する反乱である。集団化政策は迷うことなく推進しなければならない……、私はこのクーデターの首謀者を決して許すことはないだろう」
毛は続けて、はっきりした口調で羅に言った。
*
「関東でクーデター?」
朝鮮民主主義人民共和国の首都平壌(ピェョンヤン)市にある内閣首相執務室に座っていた金日成(キムイルスン)首相・朝鮮労働党委員長は電話の受話器を取りながら血相を変えた。
「なんてことだ……中国は何をしているんだ……! 我々の力だけでも阻止しないと危険すぎる。すぐに今から可能な限りの兵力を図們(トゥメォン)川沿いに集結させろ! それと……南鮮への退路も準備しろ!」
金は電話越しに怒鳴った。
*
「話が違うじゃないか! 総連の連中に騙された!」
「こんな国だとは思っていなかった! 就職の自由も居住の自由もないとは……!」
「勝手に職場を決めるのはやめろ! その日給では一日に必要な額にとても足りない……!」
「我々を日本に帰せ……!」
翌日、朝鮮の咸興にいた帰国者たちは政府の担当者に抗議し始めた。成哲もそれに参加していた。
しかしすぐに武装警官らによって騒ぎは鎮圧された。抗議に参加した者のうち何名かは武装警官によって連行されていった。
成哲と銀恵は仕方なく彼らが指示するままに咸興の機械工場に寄宿することになった。
機械工場での一日の日給は一円二〇銭ほどで、それだと白飯を買うには十分ではなかった。二人は闇市で雑穀を購入してそれを食べることにした。
*
珠洲たちが独立を宣言した場所にあったホテルは臨時独立委員会の庁舎として使用されることになった。入室できる者を制限したので彼らはそのビルの中にいるときだけは子どもの姿のままでいられた。そのビルには臨時独立委員会主任・副主任の各執務室、食堂、浴室と、全員が相部屋で寝泊りする部屋が設けられた。
独立を宣言した日の深夜、美濃は司と相部屋になって部屋のうちの一つで寝ようとしていたがなかなか寝付けず、食堂に水を飲みに行った。食堂には既に明かりがついていた。
「……?」
美濃は不思議に思いながら食堂に入った。そこに水を入れたガラスのコップを手にしてテーブルに座っていた珠洲がいた。
「珠洲ちゃん……?」
「あ……」
珠洲も美濃の姿に気付いた。
「眠れないの……?」
「うん……。やっぱり、明日からのことが、ちょっと不安で……」
「そうだね……みんなで元いた時間の京都に帰れるといいんだけど……」
「バラバラになるのも嫌だし……殆ど……、いや、誰か一人でも、クラスの友達が……」
「ほんとに……」
美濃も頷いた。
「うん……みんなと友達のままでいながら……あの、美濃くん……」
「え……?」
珠洲は美濃に声を掛けた。
「私はみんなと必ず京都に帰りたいし、どんなことがあっても、みんなと友達のままでいたい……。でも、もしかしたら、焦って思いやりのない言葉を言っちゃうかもしれない……それはそれで怖くて……」
「珠洲ちゃん……それは……言葉足らずなんだったら、自分が悪い部分もあると思うよ……」
美濃が言った。
「うん……。きっと、焦っているときは思いやりはなくてもいいなんてことはないと思う……、思いやりがない方が気持ちを伝えるのは上手くいくなんてこともないと思う……。思いやりがあった方が、丁寧に話すから自分の気持ちもちゃんと相手に伝わるし、逆に思いやりがなくて言葉遣いが荒かったら、自分の気持ちもなかなか相手に伝わらないし……でも、焦っていると、そんな言葉になってしまうこともあるかもしれない、それが怖い……」
珠洲は次第に顔を俯けた。
「珠洲ちゃん……大丈夫だよ……。僕も同じことは少し思ったけど、僕もいるし、耐ちゃんも、唯ちゃんも、みんなもいるから……。慌てて言葉足らずになってしまったら謝らないといけないけど、みんなでいれば、そんなことは少しでも減るよ」
美濃は珠洲を慰めた。
「うん……ごめん……ありがとう……」
珠洲はまだ不安だったが、自分を慰めてくれた美濃に礼を言った。
*
九日、韓国から帰国した珠洲のクラスメートの男子、伊藤現有(いとうげんゆう)は沈痛な面持ちで、珠洲たちのいる臨時独立委員会のビルに入った。
「どうだった……?」
雲雀が現有に聞いた。
「うん……だめだって。韓国も、李承晩(イスンマン)大統領が不正選挙と汚職で亡命した直後で、今は一応臨時政府ができているけどずっと混乱していて、関東地方に自由主義的な政府を認める余裕がないって……許政(ヘォヂェォン)外務部長官が大統領代行までやってて面会も無理だって」
「そう……」
「どうしよう……」
耐は不満な面持ちになった。
「だから、軍事同盟なんて物騒なものはやめればいいんだよ」
楢樹が言った。
「わかった……。現有くん、ありがとう。大丈夫……、もう一度、私が行ってくる」
珠洲が言った。
「え……? でも、相手はもう拒否してるんだよ?」
現有は珠洲に尋ねた。
「きっと大丈夫……。今度は韓国の臨時政府の人じゃなくて、軍人にする……。ちょっと、当てがあるんだ……」
珠洲は言った。
*
「こんな調子で整軍運動をやっていても埒が明かないのではないですか……、腐敗している高級将校らの訴追もうまくいかないですし……」
翌一〇日、大韓民国セォウル市の陸軍本部作戦参謀部の部長室で、とある若手の将校が部長席についていた若干年上の若手将校に声をかけていた。
「北韓寄りの臨時政府ができてしまったおかげで、我々軍人自体の存在意義も問われかねない事態です……学生や労働者たちは『行こう北へ! 来たれ南へ! 会おう板門店(パンムンヂェォム)で!』などとスローガンを掲げあらゆるところで統一運動やデモを展開しています。『警察の指示に従う、秩序正しい、何の狼藉もないデモ』などというものがもしもあるのならこの目で見てみたいものですが……彼らは目を背けているのです、向かっている先は……『白米と肉のスープ』など出鱈目、四年前の八月もそうでしたが、党中央委員会にてあの者への個人崇拝を指摘しただけでどんな地位にある者であろうと行方不明になる場所だということを。また、新たに国が作られたと言われている関東地方の情勢も気になります。少将閣下、ここはやはり我々としては……」
「金くん……すまないがもうその話は止めたまえ……」
そのとき、席に座っていた将校が彼の話を制した。
「まぁ、私も自国のこんな惨状を見て嘆く気がないかと言われれば嘘になる……。民主主義は民度の低い国で敷くと非劇を招くことがある、この国はその典型例と化してしまった……とはいえ、今の私は、クーデター未遂までもを起こしたかつてと違いそこまでできるほどの力はない。まもなく大邱(テグ)の第二軍副司令に左遷となるのだから」
彼は続けた。
その直後に、その真下、陸軍本部の付近でドーン!と大きな爆発音がした。
「な……何事だ?」
「北韓のスパイが突入してきました!」
「な……何?」
知らせにやってきた兵員の声を聞いてその部屋にいた二人の将校は驚いた。さらにドン! と部屋のすぐ近くでも大きな音がした。彼らは慌てて短銃を手にした。やがてその部屋に、どかどかと複数の、歩兵銃を肩に掛け、軍服を着た兵員らが入ってきた。
「ここが作戦参謀本部室だな……!」
「覚悟してもらおう!」
彼らは銃口を二人の将校に向けた。
「なんということだ……! こんなところにまでスパイが現れるとは……」
「臨時政府と関東ができたせいで北は暴走……いや、南側への攻撃を重視したということか? 我々もはやこれまでか……」
将校らは憔悴した。
「危ない……!」
そこに突然薄い緑色の光が放たれた。そして、煙の中から、ダブダブの大人の服を着た子ども姿の珠洲が現れた。彼女は戦闘で大人の姿に変身することを忘れていた。
「私たちが関東にやってきたことで、歴史が変わり始めてる……。北朝鮮のスパイが韓国の陸軍本部を襲うなんて事件はなかった筈です……」
「き、君は一体……?」
作戦参謀部長席に座っていた方の将校は珠洲の姿に驚き、彼女に名を聞いた。
「私は……、関東共和国で臨時独立委員会主任をしている、朝霧珠洲です……朴正煕(パクチェョンヒ)作戦参謀部長……私は貴方に、韓国での軍事クーデターを決行していただきたいとの思いを伝えにやってきました」
「な……」
珠洲に朴と呼ばれた将校は珠洲の言葉を聞き、再度驚いた。
「ですが今は……北朝鮮のスパイを逮捕するのが先ですね」
珠洲はペンを持つ手を肩の辺りまで上げて朴に呼びかけた。
「え? あ、ああ……」
朴は驚きながらも頷いた。
*
朴は珠洲に説得された後、クーデター決行を決意したがそれはすぐに漏えいした。やむを得ず彼は、翌六月一一日の午前三時ごろに、三〇、三三予備師団、第一空輸部隊、海兵隊、第六軍団砲兵隊のわずか六部隊約三五〇〇名を動員、国会、中央官庁を制圧、同午前五時に中央放送局を通じて軍事革命委員会の設置を発表した。
そしてその翌日、韓国軍は陸軍本部侵入を受け停戦協定破棄を朝鮮に通告、即座に軍事境界線を突破し朝鮮に侵入した。
*
「くそっ……北からは関東、南からは南鮮か……!」
同日未明、平壌の執務室にいた金は憔悴しながら執務室に、自分を合わせて計一〇名からなる緊急の朝鮮労働党中央常務委員会を開いていた。
「中国側の動きはどうなのですか?」
金一(キムイル)副首相も声を上げた。
「それがどうも進軍を止めてしまったようで……伝統的友好関係にある我が国を見捨てるつもりでしょうか」
同席していた崔庸健(チェヨンゲォン)最高人民会議常任委員長が言った。
「進軍をやめるとは……なんということですか」
朴金喆(パクキムチェォル)党副委員長も憔悴した。
「前回の彭徳懐(ペォンデォファイ)元帥は確かに中朝連合軍といいながら我々の指揮権を完全に奪っていきましたが……彼はまだ中国人民志願軍派遣を支持しただけましです。彼を失脚させた今の林元帥は当時人民志願軍派遣に消極的だったと……」
金一が落ち込んだ表情で言った。
そのとき、ガチャリと音がして、執務室のドアが開いた。金が見るとそこに、子ども姿の珠洲と美濃がいた。
「な……子ども……?」
「お前たち……どこから入ってきた?」
中央常務委員たちが口々に言い合うのを無視して、珠洲はペンを胸の前に翳した。
「ええい!」
「な……ううっ」
そして、薄い緑色の光が金の腹部を直撃した。
「ええっ!」
彼の腹部が赤く染まった。続いて、光の攻撃を受けて崔、朴ら五名が次々に倒れた。
「……」
珠洲は悲しげな瞳をしてその様子を一瞥した。
「……朴氏による韓国での軍事クーデターが、私たちの世界よりも、一一ヵ月も早まっちゃったね……。関東と韓国による北朝鮮への侵攻も、韓国を助けるためとはいえ、金首相の暗殺も……どっちも私たちの世界にないし……。これからどうなるのか、全然わからない……」
彼女は不安を美濃に打ち明けた。
「うん……。あの、珠洲ちゃん、それもそうなんだけど、今は、ちょっと嫌な予感がするんだ……。平壌市内はこれから韓国軍が制圧するだろうけど、その、韓国の兵士たちが暴走するかもしれないよ……?」
そして、美濃に言った。
「あ、うん……それもそうだね……」
珠洲は美濃の指摘に頷いた。
*
翌日、咸興市の市内で成哲と銀恵は進軍してきた五名ほどの韓国の兵士らに取り囲まれていた。
「お金は渡しますから、どうか命だけはご勘弁を……」
成哲は財布を取り出した。
「よし……取りたい放題とってしまえ」
「フハハハ、おい、俺にもよこせよ」
彼らはその財布を奪った。
「財布を返して……!」
銀恵は財布を取った兵士に飛びかかった。
「うるさい……!」
「きゃっ……!」
兵士は手を振って銀恵を追い払った。
「おい! 子どもの躾がなってないぞ!」
「うっ……すみません」
別の兵士が成哲の頭を殴りながら言った。
「そうだ! こいつめ……!」
「こうしてやる!」
兵士らは次々に成哲の胸や頭をな殴り始めた。
「う……うう……」
成哲は呻き声を上げた。
「お父さん……! ちょっと、やめてよ!」
銀恵は再びその兵士らに飛びかかった。
「うるさい……お前もこうしてやる!」
銀恵の顔に向かって兵士の一人が手を伸ばした。
「え……!」
銀恵は強く目を閉じた。
「こらっ! 何をしている!」
そのとき、彼らを一喝する声がした。
「えっ……」
兵士たちは成哲を殴る手を止めて振り返った。そこに勲章をつけた朴がいた。
「誰だお前は……?」
「いや、ちょっと待て、確かあの顔は……え……、……まさか、朴少将閣下?」
「なんだと……!? どうしてこんなところに……」
「抜き打ちで、ご視察に来られたのだろうか」
兵士たちは朴を見てひそひそと話し合った。
「朴閣下、すみませんでした……」
そして彼らは朴に頭を下げた。
「それをちゃんと返しなさい」
「あ……はい……」
「それでいい……。貴方にも、ご迷惑をおかけして申し訳ありません……」
朴も成哲に詫びた。
「朴閣下、またどうしてこのような前線に来られたのですか」
兵士たちの一人が朴に尋ねた。
「貴方たちが暴走する恐れがあったからだ……。私は引き続き他を回ることにする」
朴はその場を離れると、兵士らの目を盗んで彼らの前から姿を消した。
「あれ……閣下はどちらへ行かれた?」
兵士らは朴が突然いなくなったことに驚いた。
一方、朴はその近くの民家の陰に隠れていた。
「これが……あの子どもたちが私に与えた力か……、彼らはまた、どうして私を選んだのだろうか……。私はもう、この国のために動くことをやめようと思っていたのだが……」
朴は袖から、珠洲がくれたボールペンを取り出すと茫然と呟いた。やがて、朴の体は薄い緑色の光に包まれ始めた。そしてその光ごと、彼の姿は消えた。
*
一方、珠洲たちによって瀋陽の市政府庁舎の一室に安置されていた、人々の幸福度を示すガラスの小瓶には、いつの間にか、黄金の粒が三分の一程度溜まり始めていた。
2018年12月16日 発行 初版
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