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「史ちゃん、夙伝(スーチュヮン)くん……二人にお願いしたいことがあるんだ……」
その翌日、六月一三日、珠洲と美濃は臨時独立委員会主任の執務室にクラスメートの女子の夢咲史香(ゆめさきふみか)と、男子の謝夙伝(しェイスーチュヮン)を呼んだ。
「今日からしばらく、地方を回って、民間の間でどんなことが起こっているのかを知らせて欲しいんだ……。多分、日本じゃ考えられないことがいろいろ起こってそうだから……」
「え……それはいいんだけど、どうして私たちなの……?」
「運動神経のいい二人なら、ペンの使い方にもすぐに慣れると思うから……」
「え……、あ、うん、わかった……」
二人は珠洲に運動神経がいいと言われて少し照れた。
*
翌日、関東共和国内の牡丹江専区、移棱(イーレォン)県で市民税の税率を五パーセントから七.五パーセントに引き上げる県令が出され、県政府の前にその旨を知らせる掲示板が出されていた。その掲示板を読んだ史香と夙伝はすぐにそのことを財政担当の桜橋(さくらばし)とまとにメールで知らせた。とまとはすぐにそれを珠洲と美濃に伝えた。
「なんか……急な感じがするね……」
臨時独立委員会主任執務室に居た珠洲が言った。
「うん……何がおかしいんだろう……」
同じ室内にいた美濃が聞いた。
「前に本で読んだことがあるんだけど……、『租税法律主義』っていうのがないからかな……。憲法の草案に入れるように言っておくね。法律の根拠なしに租税を変えてるのがまずいかもしれないから……。憲法ができるまで、地方が勝手に税率の変更はしないように通達しておくね……」
珠洲は言った。
「うん……」
美濃は頷いた。
*
「今日はいつもより残業時間が長いな……」
一方、同じ日の夕暮れ時に、通化専区の渾江(フンヂャン)市郊外では、一人の男性・李が機械工場で働いていた。
「そろそろ切り上げるとするか……」
やがて李は仕事の手を止めると、足早に帰途に着いた。
ところがその道中で、彼は数名の山賊たちに出くわした。
「ふふふ……いい所で出会ったなあ!」
「有り金を全部置いていけ……!」
「え……えええ!? す、すみません、命ばかりはお許しください……」
李は山賊たちに嘆願した。
「――!」
そこに、ペンによる瞬間移動を使った史香と夙伝が現れた。
「へっ……? 子ども…?」
史香は山賊たちと出会うとすぐに彼らの一人に向かって、ペンによる威嚇射撃をした。
「な……光!?」
「ちっ……銃を持っているのか……この場は引け、引け!」
「おい……待ってくれよ!」
山賊たちは散り散りになって逃げ出した。
「大丈夫ですか? 危なかったですね……」
一方夙伝は李の様子を気遣った。
「公安に行きませんか……」
そこに史香もやってきて、李に勧めた。
「君たちは……助けてくれたのか……。ありがとう、だが、公安に行くのは無駄だろう……」
李は言った。
「この辺りの山賊は、公安と結託しているんだ。それを知ってるから、みんな山賊には手が出せないんだ……」
「え……」
夙伝は彼の言ったことに驚いた。
「警察と暴力団が結託してるような感じなのかな……」
「うん……。なんでこんなことに……」
「珠洲ちゃんが言ってたけど、この国はまだ、裁判が三審制じゃないって……それから、公務員が副業をするのも禁止されていないって……多分、そういうのが原因かもしれない……。これは誰かに報告しておこう……、法律を担当しているのは刹那(せつな)ちゃんだっけ?」
「うん……」
史香と夙伝は頷き合った。そしてその問題を司法担当の行木刹那(いくぎせつな)に携帯のメールで報告した。
*
その翌日、史香と夙伝は安東専区鳳城(フェォンチャォン)県で昼間に畑で農作業をしている一人の少年に出会った。
「あれ……学校に行かないの……?」
史香は彼に尋ねた。
「行きたくても行けないよ……。今、うちのお母さんは病気で寝込んでいて、距離も遠いし……」
彼は答えた。
「え……それは……」
「病院には行ったの?」
「ううん……お金がかかるから、行ってないよ」
「スーチュヮンくん、学校の数も少ないし、医療保険もないから……」
史香は指摘しました。二人は彼と少し話した後すぐに、教育担当の男子、一之市華月(いちのしかづき)と、労働・社会保障担当の女子、雪下光恵(ゆきしたみつえ)にそれぞれメールを送信した。
光恵は翌一六日朝の臨時独立委員会の全体会議でそのことをクラスの全員に知らせた。
「医療保険がないのは……危ないね」
「うん……有った方がいいと思う……」
皆は口々に言った。
「財政的には……どうなの?」
光恵はとまとに尋ねた。
「保険で賄わないと絶対無理だと思う……」
「保険って、日本みたいに労使折半でってこと……?」
楢樹が尋ねた。
「ううん、労使折半は無理だと思う……」
珠洲が言った。
「やればできると思うよ……珠洲ちゃんは使用者に甘いと思う」
「え……いや、本当に無理だって」
「うん……この国は収益を上げている企業なんて殆どないよ」
商工業の分野を担当していたの未熟も珠洲に同調した。
やがて委員会で、全額を加入者負担とする医療保険法案を憲法と同時に、憲法で設置する国家議会に提出することが決まった。
*
関東共和国が独立宣言をしてから約一ヶ月後の七月一日、臨時独立委員会の主任を務める珠洲によって、新たに創設された関東共和国国軍の参謀総長に任命されていた張が臨時独立委員会のビルにいる珠洲たちの元を訪れた。
「例の憲法の草案なんですが……ひとまず、こんな感じで如何でしょうか……」
「え……」
張は手にしていた原稿を、会議をしていた子ども姿の珠洲たちに配った。
「表現の自由が認められていることはいいとして……議会議員機構って何これ……?」
楢樹が声を上げた。
「憲法で議会議員二五〇人のうちの一二分の七を保障って……、これって、独裁政権ってことじゃないの」
歩実もそれに同調した。
「うん……、これ、どうしようもなかったんだ……、教育制度も行き届いていないこの国で、普通選挙をやったらかえって国が混乱すると思うし、仕方がないんじゃ……」
珠洲が二人に説明した。
「そんなの、やってみないとわからないよ……珠洲ちゃんはプリンセスにでもなるつもりなの?」
「え、そんな、ちが……」
楢樹が声を荒げた。それを聞いた珠洲は焦った。
「ちょっと楢樹くん、ここはファンタジーマンガに散々出てくる王制じゃなくて共和制の国だよ!」
そのとき、雲雀も声を荒くした。それに楢樹と珠洲はともに驚いた。
「あの……みんなが高校くらいまで行ってるような国ならともかく、字も読めない人もいっぱいいるんだよ、それじゃ未成年と変わらないよ……周囲にも民主主義の成功してる国なんて殆どないよ」
国防担当の弘明が珠洲を擁護した。
「でも私も……独裁はよくないと思う……」
下山美希(したやまみき)は楢樹に同調した。
「わかった。それじゃ、僕はこれには入らない。僕たちは僕たちで党を作るから……」
楢樹が言った。
「えっ……。わかった……。でも、国務院委員には入ってほしい……」
美濃が嘆願した。
「それって野党の閣僚ってこと……?」
「うん……。珠洲ちゃんも、それでいいよね……?」
「え……待って、楢樹くんの党に入りたいって人は、他にいる……? あんまり閣僚の数が少ないと、私たちだけで国を作れなくなるかもしれないし、そうすると、私たちの秘密もバレやすくなっちゃうんだけど……」
珠洲はクラスメートたちに尋ねた。
「珠洲ちゃん……私も、これを作るくらいなら野党でいいと思う。普通選挙はした方がいいよ」
歩実が言った。
「歩実ちゃんもだよね……。他には……?」
珠洲は再度尋ねた。
「私たちの秘密がバレちゃうのは危ないんじゃ……」
能源(エネルギー)担当の女子、天名(てんな)なつみが言った。
「僕は……よくわからないけど、とりあえず図書館によく行ってた珠洲ちゃんと美濃くんを信用するよ」
科学技術担当の男子、油宿融(ゆしゅくゆう)がなつみに続いて言った。
「うん……僕も、ペンの秘密はなるべく隠した方がいいと思う」
農業担当の男子、学比芳(がくひかおる)が融に続いた。
「それじゃ……新しい党に入るのは楢樹くんと美希ちゃんと歩実ちゃんの三人でいい……?」
珠洲が聞いた。他に発言した子どもはいなかった。
「じゃあ……来月から、この憲法を施行することにしよう……」
美濃が言った。
「わかった……他の人事は、ひとまず私が原案を考えるね」
珠洲が言った。
「それから、ここに書いてある、国家議会法とか国務院法とかも整備しないと……」
弘明がそれに続いた。
「うん……」
珠洲が頷いた。
*
「あれ……史ちゃんと……石(シー)さん……?」
「珠洲ちゃん……この人が報告したいことがあるって言ってきたんだけど……私じゃ判断できないから、直接来てもらったんだ」
数日後、子ども姿のままの珠洲の他美濃、耐、司のいた臨時独立委員会主任室に史香が、臨時独立委員会傘下の遼寧省公安部安全司の司長、石建(シーヂェン)を連れてやってきた。
「朝霧主任……、この度、中国の光明日報から分離独立して新たに発足した満珠日報の記事は読んでおられますか?」
石は珠洲に尋ねた。
「え……? いえ……」
「実は、満珠日報の社説は、現在臨時独立委員会で設置を検討しておられる関東議会議員機構について過激な批判を展開しているのです……。必要であればこの社を粛清してはいかがでしょうか。編集長ら社の幹部ら約五〇名のリストについては既にまとめてあります……」
石はそういうと手にしていた数枚の資料を珠洲たちに配り始めた。
「あ……」
珠洲は小さく呟いた。
「粛清って……あの、何をするつもりですか?」
耐が訝しみながら石に尋ねた。
「宝塚副主任……いや、それは、言うまでもないことですが、かつて毛主席が反右派闘争を展開したようにやったようにですね……」
「あの、石司長……、資料をわざわざ作って下さってありがとうございました」
珠洲は淡々と石に言った。
「いいえ……」
石は返事をしながらにやりと笑った。
「ですがですね……この資料は私たちには必要ないです。言うのが忘れてしまって私も申し訳ないのですが……確かに国民の教育の度合いが低いので、普通選挙については見合わせて、議員機構を作るつもりでいますが、表現の自由については保障するつもりでいます」
珠洲は続けて石に言った。
「えっ……」
石は珠洲の言葉を聞いて驚いた。
「それから……彼らを拘束して、安全司の方では何をするつもりだったのですか?」
珠洲は石に尋ねた。
「え……それは、中国との関係について吐かせようと……」
「どうやってですか?」
「どうって……まあ、それは、方法はいろいろあるのですが……」
石は口ごもった。珠洲はその表情をじっと見つめた。
「あの……拷問は全てやめてください。拷問の自白で下った判決も全て再審判するよう司法担当の刹那ちゃんを通じて指示するつもりです。参政への合法的な制限で……かえって、人々の人権を尊重したいのです」
「え……あ、はい……」
石は渋々頷いた。
(議論のしようもない……)
その様子を司は眺めていた。
(正論を求め合おうというんじゃない、反抗期みたいに、正論を疎んじてるみたい……、あの人は僕たちの指揮権に従っただけなんだ……。でも、石さんにもいつか自主的に抜け出してほしいな……もし僕たちが来たことで、その助けができるならいいな……)
司は俯く石の姿を見ながら思った。
*
その翌日、ペンの力で四十代くらいの大人の姿に変身していた珠洲の元に、関東鋼鉄公社、関東鉱業公社、関東汽車公社、関東航空工業公社、関東軽金属公社、関東船舶工業公社の計六つの公社の持ち株公社として新しく設立された関東工業公社の代表に任命された黄連宇(ホヮンリャンユイ)がやってきた。
「私を任命していただきありがとうございました……、これはほんの気持ちです……。どうか受け取ってください……」
そう言って黄はバッグに入っていた四万ユェンの札束を彼女に見せた。
「ちょっと待って下さい……この額は多すぎます……。今、法律で政治資金の規正をかけようとしているところなんです……。一団体当たりの献金の額は……上限で一万五千ユェン辺りだったと思います、まだ法律は施行されていないですが、黄さんもそれに従ってください……」
珠洲は黄の献金を断った。
「え……」
黄は珠洲の説明を聞いてきょとんとした。
*
それから約一カ月後の八月一日、七月一五日に事前に珠洲、美濃らクラスメートたちの調査と議論の末に臨時独立委員会において可決、成立し、公布されていた関東共和国の憲法は施行された。新憲法には三審制、租税法律主義、表現の自由などの他、旧満洲の人権保護法に倣った法の下の平等などが盛り込まれた。また、憲法には最高法規性が明記され、クーデターや戒厳令による憲法の停止は否定された。一方で同時に、構成員が議会議員の一二分の七を選出することができる関東議会議員機構という組織が新設された。改憲ラインが三分の二であったので単独改憲は不可能であったものの、ヘゲモニー制による開発独裁は確保されることとなった。
憲法の施行と同時に国家議会が開設され、二週間前からの告示を受けていた任期四年の議員の総選挙が行われた。関東議会議員機構は選挙運動に参加しなかった。その結果、関東議会議員機構所属の国家議員が、珠洲ら四年二組のクラスメートから、楢樹、美希、歩実を除き、家南、立華を足した三一名を含んだ一四七名、選挙によって選出された、与党共和党の議員が四名、関東議会議員機構と距離を置く野党民主社会党の議員が、楢樹、美希、歩実を含めた九一名、旧中共の流れを組むものの政治活動は全て国法に従うことを綱領に明記していた関東労働党の議員が五名、無所属が五名の合計二五二名の議員が選出された。
翌二日に議会の全議員と地方議会議員から二五〇名を選出した合計五〇二名で構成された国民会議は、元首である主席と副主席を現地の大人から選出した。元首の主席は通称は国家主席と呼ばれることとなった。但し、内閣が議会の事実上の執行部となり立法、行政双方に渡って権限を集中できるとの判断から議院内閣制が採用されたため、国家主席は国務院全体会議に参加する権利はなく象徴的な存在とされた。このため旧満洲同様日本人らによる傀儡との指摘がなされることとなった。
続けて三日に、珠洲を内閣に相当する国務院の総理に、耐を副総理に選出した。国務院総理選出選挙では野党はそれぞれ各自の主席に投票した。
そして、関東議会議員機構は中央委員会全体会議を開催し、立候補の制度のない等額選挙で美濃を関東議会議員機構の中央委員会主席に、司をその副主席に選出した。
珠洲は当日のうちに、事前にクラスメートたちと考えていた組閣に着手し、立華が国務院の総務庁の主任に、雲雀がその副主任に就任した。国務院には総務庁の他、省庁再編までの日本の省庁を参考に、公安委員会と国防、外交、司法、財政、教育、科学技術、衛生、農業、水利、経済企画、商工業、交通、能源、信息電信、労働社会保障、建設、民政、民族宗教の十八の部が置かれ、それぞれクラスメートたちがその部長に任命された。国務院の樹立と共に臨時独立委員会は解散した。
この他、国家の委員会として、国務院の各部の部長が参加する、国家軍事委員会、情報処理機関に相当する国家保衛委員会、国家経済財政委員会の各委員会が設けられた。国家軍事委員会の主任には唯が就任し、国家保衛委員会は史香が主任、夙伝がその委員となり、国家経済財政委員会の主任には珠洲が就任した。
一方、関東議会議員機構の中央委員会の下に置かれた総務庁と国家議会工作委員会の主任には淡水が兼任した。総務庁の副主任には雲雀が就任した。また中央委員会には各政策小組が置かれ、その組長は原則として国務院の各部長が兼任することとなった。
このため、内閣に相当する国務院全体会議と与党執行部に相当する関東議会議員機構中央執行委員会のメンバーがほぼ重なり、クラスメートたち約三〇名だけで内閣と与党の政策方針を同時決定できる状況となった。但し国防部の部長は弘明だったが、国防小組の組長には貴船が就任した。この他中央委員会には組織部と宣伝部が置かれ、それぞれ部長に校木正堯(こうきまさたか)と空内鳳仙(くうなほうせん)が就任した。
そして、議員機構への加入を拒んだ楢樹は、野党民主社会党の主席に、歩実は副主席に、美希は総書記に就任したが、野党所属であっても、四年二組の全員と家南、立華が国務院委員に就任することとなった。なお、民主社会党に加入した三名を除く全員は関東議会議員機構の中央執行委員となった。
国務院委員、関東議会議員機構中央執行委員には大人は一人もいなかった。
また、関東議会議員機構中央執行委員会と、国務院委員から成る国務院全体会議は、クラスメートの安全維持のため、通常、毎週三度と異例の高頻度で開催されることとなった。両会議は野党閣僚である楢樹ら三名の入室を待って同室にて継続開催となるのが通例となり、全会一致ではなく多数決制とされた。
珠洲が就任している国務院総理は、国務院全体会議の他に、とくに権限もなく開催の頻度も定められていない、国務院総理の諮問機関的存在となる国務院常務会議を主宰し、唯(国家軍事委員会主任)、弘明(国務院国防部部長)、家南(国務院公安委員会主任)、立華(国務院総務庁主任)、雲雀(国務院総務庁副主任、関東議会議員機構総務庁副主任)、美濃(関東議会議員機構主席)、司(関東議会議員機構副主席)、淡水(関東議会議員機構総務庁主任・関東議会議員機構国家議会工作委員会主任)、貴船(関東議会議員機構国防小組組長)の九名を国務院常務委員に任命し、珠洲と、副総理の耐を含めた一一名で必要に応じてこの会議を開催するものとした。
地方機構では、まず、遼寧、吉林の両省は廃止された。そして、第二級行政区分であった「専区」「市」「自治州」などの呼称は「専区」に統一された。但し瀋陽市のみは首都として「特別市」と呼ぶことになった。
また、長春専区から、中華人民共和国の白城専区領域であった部分(二一世紀の松原地級市)が新たに扶余(フーユイ)専区として分離することになった他、瀋陽市からは新民(シンミン)専区、鉄嶺(ティエリン)専区が分離することになった。
この他、新たな国務院会議府が、太宗ホンタイジの陵墓である昭陵を望む北陵崇山の交差点に建設されることになった。もっとも、それが完成するまでの間は引き続き臨時独立委員会の入っていたホテルが臨時の国務院会議府として使用されることになった。通常であれば総理官邸・公邸となるべきところ、子どもたちの機密保持の関係からそれは閣僚全員の公邸としての機能を合わせ持つこととなった。子どもたちの正体を知ることができたのは国務院の司長、国軍の軍団司令、議員機構の一部の議員などに限られた。また、ホテルの付近の八棟の別のビルが、国務院の各部を入れた仮庁舎とされた。
続く八月三日に、新設された国家議会の臨時会が開催され、国家議会法、国務院法などが成立した。
*
「中共によって法秩序や経済が徹底的に破壊されたこの関東七〇万平方キロメートルに新たに秩序をもたらします。国民政府に追われた共産党は、かつて満洲帝国として繁栄していたこの関東・満洲の経済・物資に依存することによって党勢を盛り返し、その結果国民政府に打ち勝ちました。毛沢東中共主席自身が、東北さえ支配していればいずれ大陸を支配することができると述べています。このような関東の地域の人々が本来持っている力を発揮させ、大陸と切り離すことでその力をさらに活性化させ、今後数年以内に一人当たりGDPを大陸の三倍以上にすることを目標とします。この国は、経済的な基盤の上に成り立っている経済国家なのです」
翌四日、珠洲は大人の姿に変身し、国家議会において国務院総理として施政方針演説を行った。その中で彼女は、関東の一人当たりGDPを今後数年以内に大陸の三倍以上とすることを目標に掲げ、関東を経済的な基盤の上に成り立っている経済国家であると述べた。
*
「表現の自由を保障するってあるけど、実際にはどの程度のことまで言っていいの? うちの党の議員から、また中国の百家争鳴運動のときみたいになるんじゃないかって心配している意見が相次いでいるんだけど」
国家議会で珠洲が施政方針演説を行ってから一週間後、国務院会議府で開かれていた国務院全体会議で楢樹が珠洲に尋ねた。国務院全体会議は国務院委員である四年二組のクラスメートが全員参加し、基本的に月・水・金の朝に開かれることになっていた。
「議員機構による統治を批判したらだめなの?」
歩実も楢樹に続いて珠洲に聞いた。
「あ……それなんだけど……。私も百家争鳴のときみたいにはしたくないよ……。例えば……、議員機構の存在や、普通選挙の否定を批判してもいいよ。国体で言うなら、この国が消滅することを望むのも、中国との併合を主張してもいいし……行動を起こすのはテロリストだけど、言論の上で主張するのなら、別に構わないよ。韓国も台湾もそんなことまでは許容してないけど……そんなに問題じゃないと思う」
珠洲は二人に回答した。
この珠洲の発言を受けて、後日、民主社会党では、議員機構の解体や、関東の中国への併合を主張する議員が現れ始めた。
*
「徴兵法?」
その数日後、国務院全体会議で再び楢樹が声を上げた。
「うん……。一八歳の男女を半年間徴兵する法案……。この国は中国に比べてはるかに人口が少ないから、志願制じゃ兵員が不足してしまうんだ……。国防部では男性のみで一年間という案だったんだけど、部の会議で、教育的な意味あいも強いから性別による区別は避けたいということになったんだ」
国防部長を担当していた弘明が説明した。
「僕は反対だな……。そんなことをしたら、ますます独裁に近付いてしまう」
「私も……徴兵とか、なんか嫌……」
美希が楢樹に続いた。
「でも……強大な中国の解放軍を前にしてたら、これくらいの兵力はどうしても必要だと思うよ……」
貴船がそれに反論した。
「全面戦争なんてないだろうし、あくまでセキュリティなんだけど……小競り合いがどうしても……。毛主席のことだから、『行けるところまで行く、行けないところから先へは行かない』っていうのがありそう……」
美濃が続けた。
「うん……」
珠洲も美濃に同調した。一ヵ月後にその徴兵法は国家議会において可決、成立した。
*
「アメリカの、アイゼンハワー大統領にこの国を訪問してもらえないかな……。極東地域に軍事力で一定の影響力を持っているアメリカにも、関東を、正式な国家として認めてもらいたいんだ……」
その翌日の朝の全体会議で外交部長の現有が言った。
「あ……なるほど……、アメリカの後押しがあれば、少しは安心かも……」
珠洲もそれに同意した。
「ちょっと待ってよ、また軍事力で中国に対抗しようってこと……?」
楢樹が反論した。
「うん……でも、外交で味方にできる国があった方がいいと思うから……」
現有が楢樹に言った。
「それより、中国との関係を改善した方がいいんじゃない……?」
楢樹は逆に提案した。
「え……でも、中国は最初から私たちを反乱分子としか見ていないから、交渉の余地はないと思うよ」
美濃はそれに反論した。
「わかった……じゃあ、ひとまず僕がこの時代の日本まで行って、アメリカの関東に対する認識を確認してくる。珠洲ちゃんもそれでいい?」
現有が珠洲に言った。
「え……、あ、うん……」
珠洲は頷いた。
*
「我々は今日米安保の締結で大童だ……。日本ですら訪日したジェイムズ・ハガティ大統領報道官を海兵隊のヘリに乗せるはめになったというのに、それよりはるかに危なっかしい……とても関東を認める余裕などない」
「え……」
翌日、東京都の駐日アメリカ大使館で、ダグラス・マッカーサーⅡ世大使は、関東から極秘でやってきた大人姿の現有に向かって言い放った。
「え……それでは、アメリカは関東の独立を容認しないということですか……?」
「そういうことになる」
マッカーサーⅡ世は断言した。
*
「大使……、私が口を挟むことではないのかもしれませんが、あれは本国の判断なのですか? 関東は毛沢東の共産主義に反旗を翻してできた国です、我々の友邦となり得る可能性を秘めているはずでは……」
現有が去ったあと、マッカーサーⅡ世の傍にいた秘書が彼に疑問を呈した。
「ああ……その通り、本国の判断だ……。確かに君の言うとおり、彼らは我々の友邦になるかもしれない。しかしそれにしては我々に開示している情報が少なすぎるということだ……。二〇万もの人民解放軍を退散させたほどの膨大な火力、中には核も混じっていたなどとまで一部では噂されているが……それらをどこから用意したのかも明らかにしようとしない。また、日本人を名乗っていて、確かに日本語には堪能だったが、朝霧主任を含めて、公開されている彼らの出自も虚偽であると言われていて、何者なのかもわかっていない。それから……」
「はい……?」
マッカーサーⅡ世は声を落とし、顔を秘書の口元に近づけた。
「臨時独立委員会委員らの動静もなかなか掴めない。彼らが交わしているはずの、本来ならもっと容易に傍受できているはずの通信が全く聞けていないときもあるということだ。どういう技術を持っているのか、合衆国国家安全保障局の総力を持ってしてもさっぱりわからない。我々の友邦となるにはあまりに不気味だ。あんな国家を作り上げる力を日本が持っているということを事実として受け入れるのは、我々には困難すぎる……」
マッカーサーⅡ世は声を押し殺して言った。
*
「アメリカは……駄目だった……。日本との同盟締結に必死になっていて、とても関東の独立を容認できる状況ではないって……」
マッカーサーⅡ世の回答を聞いた現有は瀋陽の国務院会議府で深刻な面持ちのままクラスメートたちに報告した。
「ほら……やっぱり無理だよ、アメリカとの条約締結なんて」
楢樹が言った。
「ううん……大丈夫……。それじゃ、せめて韓国と、中共と敵対している国府とだけでも条約を結びたいな……」
珠洲が言った。
「え……?」
現有は顔を上げた。
「えっと……現有くん、帰ってからまたで悪いんだけど、国民政府の誰かと協議してくれないかな……」
珠洲は続けた。
「え……あ、うん……」
現有は頷いた。
*
「我々は今はこの自由地区のみを実効支配しているが、本来は中国大陸全土を代表する政権だ……関東の独立を認めてはいない」
翌日、台北市の中国国民党中央党部を訪問した現有に向かって、党中央委員会の秘書長を務めていた唐縦(タンヅォン)は述べた。
「え……そんな……」
唐の発言に現有は驚いた。
「中共から敵視されているのは同じなんだし、お互いに協力しませんか……?」
現有は唐に改めて言った。
「それはできない……。それどころか、本来我々からみれば、君たちも中共と同じテロリストなのだ……。しかも、三年ほど経ってはいるが、蔣経国が管掌していた国家安全局が米大使館を襲撃し、ただでさえ華米関係はこじれ気味……、今日は入国を許可したが、それも今回限りとなるだろう」
「そんな……」
現有は口を噤んだ。
*
「結局、関東と国交を持てそうなのは韓国くらいかな……」
翌日、国務院の会議室で現有の報告を聞いた一同は沈痛な面持ちになった。
「そもそも、建国するというのが無理だったのかもしれない……」
楢樹が言った。
「ううん……現有くんはよくやってくれたと思う……韓国と国交を結べるのなら、それでいい……。できれば軍事同盟も結びたいんだけど、ひとまずは国交からかな……。いずれ朴再建最高会議議長にも関東を訪問してほしいな……」
珠洲はクラスメートたちを慰めた。
*
「朴議長……関東の情勢について報告が上がってきましたよ」
同じ日に、韓国、ソウルの国家再建最高会議議長の執務室に、朴が新たに設立した中央情報部部長の金が入室してきた。
「ほう……」
座席に座っていた朴は顎に手の甲を当てて肘をテーブルにつけた。
「去る八月一日より憲法が施行され、同三日より朝霧氏が国務院総理に就任したそうです。憲法と国務院・議員機構の人事の詳細は……こちらの資料をどうぞ」
「ああ……ありがとう」
朴は金から数枚の紙を受け取った。
「議員機構……か……。彼女は普通選挙を断念したようだな」
「そのようですね」
「国民は私を支持しているので、私の国ではこのような機関は必要ないだろうな……もっとも、国民が、賢明な判断ができなくなってしまった場合には、私も何をするかわからないが」
朴は自嘲した。
「え……」
金はきょとんとして朴の表情を見つめた。
「まあ、今はそんなことを考える必要はないな」
朴は笑いながら言った。
「そうですね……、ただ、独裁体制を敷く国では通常党・軍・政府の三機関のトップは同一人物が就任することが多いのですが、関東の場合、総理は朝霧氏が就任しているのですが、議員機構主席には茨木氏が、軍を統括する国家軍事委員会の主任には池田唯氏がそれぞれ就任し、権力が分散され、国務院全体会議と、そこから野党の委員を省くと同一メンバーで構成されている議員機構中央執行委員会の委員らによる集団指導制が重視されているようです。ただ、それでも朝霧氏が委員の中心ではとの見方もあるのですが……これは単純に構成員らの性格の問題なのではとの見方もあるようです。彼女は……調整がうまいタイプなのかもしれません」
金は朴に引き続き説明した。
「ふむ……それはどうだろうね」
「え……?」
「私を説得するためにこの国まで来るようなあの子は……委員たちの妥協点を探ることを第一にして動くようには見えなかった。彼女が委員らの自由な議論を望んでいるのは……もっと他の理由があるような気がする」
「……といいますと……?」
金が朴に尋ねた。
「かき集めているのではないかね……優れた意見や提案を。そしてそれは……自分の責任となる指示が原因で発生する、仲間や国民への影響、それから来る自責の念を少しでも軽減するために」
「は……」
「彼女もまた望んでいるのかもしれない。自分よりも優秀な指揮官が現れたときには、速やかに前線に赴くことを……。ただ残念なことに、彼女のそうした態度は……私も含めてだが、他の者にとっては余計に魅力的に映る……。彼女は国務院に囚われ、自分の出した指示によって発生する自国民の悲鳴を聞かされるという苦痛を受け、そしてそれから逃れたいと願っている気がするのだが……もしかするとその状況はずっと続いてしまうのかもしれないな」
朴は次第に項垂れながら言った。
「それと……この憲法に規定されている、言論・出版の自由とか、拷問・残虐な刑罰の禁止というのは随分とまた大胆だな」
「そうですね……。あの国の指導者にしては、結構理想主義的ですね」
金は朴の言葉に頷いた。
「この項目は私の国でもまだ実施できていないことだな……ほぼ趨勢は決まったとはいえ、北との交戦がまだ終結していないのだから仕方ないのだが」
「一方で彼らは……大陸の事情を知らない能天気な指導者なのでしょうか」
金は疑問を口にした。
「いや、わからん……、議会で与党となることが強力に保障されているので、それ以外の部分については余裕があるということなのかもしれん。いずれにしろ……私はまた彼女に会うことになるだろう。それがこの国のためになるというのであれば」
朴は金に言った。
「はい」
金も相槌を打った。
「関東か……懐かしいな。私が終戦を迎えたのも満洲国軍第八師団に配属されていたときだった……当時私は中尉だった……」
朴はしみじみと金に語った。その目線と右手は自身のネクタイピンに移っていた。
「そうでしたね」
「満洲は、かつて日本人が、我々朝鮮人を含めた『五族協和の王道楽土』を標語として掲げ、理想的な政治の執られる社会を築こうとした国だ……。朝霧珠洲……クーデター前日に初めて彼女に出会ったときのことを思い出したよ……。幼い彼女の真剣な眼差しに圧倒されて、私はクーデターを決意し、この国の安定の回復と、南北の統一を果たそうとしたのだった……。もし彼女たちがかつての日本人のように理想的な国家を建設したいと望んでいるのであれば、我々も協力を惜しむべきではないだろう」
朴は金に言った。
「は……。ところで閣下、先ほどからそのピンを……」
「あ。おっと、これは失礼。家で貰ったものでな」
「おや、これは……御夫人でしたか」
「ああ……この国に相応しくないかもしれないが私はあまり縁故が好きでなくてな。下手をすれば……これを渡したあいつが私のせいで散々な目に遭ったとしても、私は何とも思わんかもしれん」
「はは、閣下、ご心配なく。私どもがサポートしますよ」
「悠長だな金くんも。あまり長生きしているといつまでたってもフィクションに登場できないじゃないか」
「構いませんよ、私も……そして閣下も、それで」
金は苦笑した。
「おっと、忘れるところだった……ところで、日本との条約の方はどうなっているかね? こちらもなるべく早期になんとかしたいのだが」
「閣下……日本は法治の国ですよ。そしてあなたも。それと同じことを国民に望むおつもりですか?」
「はは……そうだったな。やれやれ。スムーズに解決できそうにはないか」
今度は朴が苦笑した。
*
「ああ……待っていましたよ、ようこそ周同志」
それからしばらく経った八月二〇日、ニキ―タ・フルシチョフソヴィエト共産党第一書記は、モスクワのクレムリンの応接室に中国の周総理と通訳を招き入れた。
「お久しぶりですね、フルシチョフ同志……お会いするのは昨年九月三〇日から北京にお越しになって以来ですね……」
周は通訳を通して彼に語りながら握手をした。そして、二人は室内に用意されていた二つの座席にそれぞれ腰を下ろした。
「ええ……。そういえば、前回は私もついムキになってしまって、結局共同宣言が出せませんでしたね……今日は、私もあなたの人格を見習って、もう少し落ち着いた振る舞いをしようと思っています」
「それは……同志、私にはもったいないお言葉ですよ。私たちの方も、最近はあなたとの間でちょっとしたことで感情的になってしまうことも多かったのではないかと心配しています。お気持ちを害されたのでしたら謝りますよ」
周はそう言いながら穏やかに微笑んだ。
「いえいえ……ご心配なさることはありません。私たちの友情はそんな小さなことで壊れるものではありませんよ」
「それは……ありがとうございます。そうですね、私たちを取り巻く世界の状況もより複雑になってきています。私たちは小さなことでお互いの友情を壊している場合ではありませんね」
「まったくです……そういえば同志のお国も大変なのではありませんか、なんでも六月には、反乱分子たちが集まって、一部の地域で勝手に独立を宣言したとか。もし困ったことがありましたら何でも言ってください。私たちは、そんな分子を鎮圧するためでしたら協力を惜しみません」
「はは……それは、ありがとうございます」
周は再び微笑んだ。
「それから……六月に、同志のお国に派遣していた技術専門家たちを、私たちの都合で帰国させましたが……これも、あまり貴国の事情を考慮していない、少々強引な措置だったのではないかと、今では反省しています。私たちの友好のために、再び、彼らに、貴国に出向くよう党として指示しますね」
フルシチョフも微笑みながら周に言った。
*
周とフルシチョフが会談したことを、翌日の中国共産党の機関紙、人民日報が一面で報じた。
その一部は瀋陽の国務院会議府の総理執務室にも届いた。珠洲は記事に掲載されていた、二人が握手している画像をぽかんとした様子で眺めた。
「どうしたの、珠洲ちゃん?」
珠洲の様子を見た耐が不思議そうに彼女に尋ねた。
「周総理がソ連に行ってる……。ソ連に引き上げた技術専門家たちも中国にまた行くって……。本当は、今、両国の間はそんなに仲が良くなかったはずなんだけど……」
珠洲は耐に説明した。
「え……僕たちのせいで、仲良くなっちゃったってこと?」
司が言った。
「うん……」
「なんか、それだったら、あんまり悪い気しないかな」
耐ははにかみながら言った。
「うん……それはいいんだけど……この、フルシチョフの、勝手に独立を宣言した反乱分子を鎮圧するための協力を惜しまないって言うのが、ちょっと気になるんだ……」
珠洲は少し顔を俯けた。
「独立を宣言したって……多分僕たちだよね……。何もないといいけど……」
美濃は人民日報を手に取ってその記事を眺めながら言った。
八月二四日、珠洲は国務院会議府の総理執務室に夙伝を呼んだ。
「夙伝くん……ごめん、またなんだけど……今度は、中国の民情を視察してきてほしいんだ……。飢饉がどの程度進行しているのかも気になるし……」
珠洲は夙伝に頼んだ。
「あ、うん、それはいいんだけど……史ちゃんはどうするの?」
「史ちゃんには、瀋陽に残って、各地から保衛委員会に入る情報の処理や整理をお願いしたんだ……だから、ごめん、夙伝くん一人になっちゃうんだけど……」
「わかった……大丈夫、一人でも行けるよ」
夙伝は笑いながら返事をした。
*
翌日、二〇〇ミリ以上の大雨が瀋陽に降った。珠洲は執務室に史香を呼んだ。
「会議府に連絡があったんだけど、瀋陽市内南部で洪水の被害が出てるみたい……。それで……あの、史ちゃん、被害の実態を調査してきてほしいんだ……」
「え……わかった……」
史香は頷くと、執務室を後にした。
*
珠洲が想像した通り、瀋陽市南部を流れる渾河(フンヘォ)の一部が堤防を越えて氾濫し、家屋や作物に浸水する被害が出ていた。
「これは……」
史香はすぐにその状況を珠洲にメールで知らせた。珠洲は財政部長のとまとや商工業部長をしていた未熟ら一八名の部長級の国務院委員らが参加する国家経済財政委員会に出席中にそのメールを受け取った。
「治水対策ができていないみたい……一度調査して、ダムや堤防を作り直した方がいいかも……」
彼女は電話でそこに水利部長の七風椿(しちかぜつばき)を呼ぶことにした。
*
「珠洲ちゃん……民主社会党が、議会工作委員会の会合を開きたいって言ってきたんで参加したんだけど……それで、こんなことを提案してるんだけど……」
数日後、関東議会議員機構の総務庁主任で、国家議会工作委員会の主任を兼任していた談水が、資料を手に総理執務室にいた珠洲、美濃、耐、司の元を訪れた。その資料は、『対中国政策について』と題されていた。
「この、中国に集団化政策の中止を提案する、というのはわかるとして……将来的には、関東地区を経済特区とした上で、中国との統一も視野に入れるって……」
司はその資料を読んで驚いた。
「毛沢東が集団化を中止するとは思えないんだけど……」
美濃も言った。
「楢樹くんは何も言ってなかったよ……、明日の国務院全体会議で聞いてみる……?」
司が言った。
「うん……」
珠洲も頷いた。
*
「あ……それは、今僕の党でも検討している案だよ。珠洲ちゃんたちも、よかったら一緒に検討してみないかと思って、提案してみたんだ」
翌朝の国務院全体会議で楢樹が発言した。
「あの、楢樹くん……、関東の経済は、中国とは切り離して考えないと安定しないと思うんだけど……」
美濃が楢樹に言った。
「それから、毛沢東が集団化をやめるはずがないと思うよ」
その資料を読んだ弘明も楢樹に言った。
「それは、言ってみないとわからないよ」
美希が弘明に反論した。
「あの……、楢樹くん、美希ちゃん……、今、夙伝くんに、中国の民情の視察に行ってもらってるんだ……。これを中国に提案するのは、夙伝くんの話を聞いてからにしない?」
珠洲が二人に提案した。
「え……」
「まあ……それは、別にいいけど……」
二人も渋々頷いた。
*
「珠洲ちゃん……全国に、高速道路を引きたいんだけど……、あと、鉄道の高速化と、瀋陽市に地下鉄も……どう思う……?」
数日後、丁度珠洲、美濃、耐、司が集まっていた国務院総理の執務室に交通部長の西文桜(にしふみさくら)がやってきて珠洲に聞いた。
美濃、耐、司らは頻繁に総理執務室を出入りしており、本来は珠洲が一人で決めていい事項であっても、この四人で相談して決めることが多くなっていた。ただ、最終的な判断を任されるのは主に珠洲だった。国家軍事委員会の主任には唯が、関東議会議員機構の主席には美濃がそれぞれ就任しているように、ポストは分散されていたが、人事案の素案を作ったのは珠洲であり、また、クラスメートたちもかつて図書館によく通っていて知識が豊富だった珠洲に相談することが多くなっていた。
「え……。高速道路はお金がかかりすぎるよ……。車を持っている人も少ないし……」
美濃が言った。
「うん……それじゃ、無料のバイパスの方がいいかも……。それから、鉄道なんだけど、土地があまりないから、客車じゃなくて、自走できる車両にした方がいいと思うよ……?」
「それと地下鉄じゃなくて、路面電車くらいで十分じゃない……?」
珠洲と司も桜に意見した。
「え……、あ、うん……」
桜は頷いた。
「どんな車両にするとか、どの区間を走らせるとかっていう案はあるの?」
美濃が桜に聞いた。
「ううん……まだだよ。みんなの意見を部の人に言ってみて、もう一度具体的な案をみんなに持ってくるね」
桜は言った。
*
「あの、珠洲ちゃん……困ったことになっちゃったんだけど……」
その数日後、珠洲がいた国務院総理の執務室に科学技術部長を務めている男子、油宿融が(ゆしゅくゆう)訪れた。
「昨日、関東工業公社の代表がうちのところに来て……四万ユェンを置いて、そのまま帰っちゃった……どうしよう……」
「ええっ……それはこの前作った政治資金規正法に違反してるよ……。知らせてくれてありがとう……今からでも遅くないから、返してこないと……」
「うん……やっぱりそうだよね……。聞いてよかった……」
融は答えた。
「私もついていくね……受け取ると、ちょっと大事になるから」
「え……うん……ごめん……」
融は珠洲に謝った。
*
「国家騒擾事態法案って……またこんな物騒なものを……」
そのさらに数日後、国務院の会議室で、楢樹が声を荒げて言った。
「どうしても必要なんだよ、これは」
国防部長に就任していた弘明が反論した。
「中国を刺激するだけだよ、これは……」
楢樹が言った。
「どんな内容なの……?」
耐が聞いた。
「この法律は、国軍法とリンクして、国軍法の防衛出動時には国家攻撃事態を、治安出動時には国家もしくは地域に騒擾事態を発令させるんだ……。部では憲法を停止させるのはどうかという案もあったけど、それは部の会議で見送ることにしたんだ……。法的な権限もなしに国軍を動かすのはかえって危ないから、あった方がいいよ。今の臨時議会で通したいんだけど……」
弘明は言った。
「うん……」
「わかった……」
珠洲と美濃は頷いた。
*
「みんな……大変だよ、中国軍が侵攻してきたって」
九月一五日の夕方、国務院総理執務室に弘明が飛び込んできた。
「え……?」
その部屋にいた珠洲、美濃、耐、司と、たまたま同室していた史香、唯は驚いて顔を見合わせた。
「どこに……?」
史香が弘明に聞いた。
「瀋陽からおよそ二〇〇キロ離れた新民専区だって」
弘明は興奮しながらメモに目を落とした。
「え……新民専区って、中国軍の侵攻を防ぐために、国境に地雷を埋めてたんじゃ……」
珠洲が言った。
「うん……だから、中国側は国境にトンネルを掘ってきたんだ」
「え……」
「規模はどのくらいかわかる?」
美濃が弘明に聞いた。
「それは……まだ不明だよ」
「わかった……弘くん、ありがとう……。みんな……私から国軍に防衛出動命令を出すね……」
珠洲が言った。
「うん……。あのさ、珠洲ちゃん……私の方で、状況の確認と、できれば応戦に行ってくるね。私は珠洲ちゃんが作った国家軍事委員会の主任だから……」
唯が言った。
「えっ……でも……」
珠洲は驚いた。
「あ、珠洲ちゃん、唯ちゃん、それなら私も行くよ。人海戦術でやられたら詰むし、霊力頼み、なんでしょ」
史香が言った。
「え……。でも、まだどの位の兵力がいるのかわかっていないし、二人とも、危なくなったらすぐに戻ってきてね……」
珠洲は二人に言った。
*
新民専区新民市の国境付近に掘られたトンネルの出口周辺には五〇〇名ほどの中国軍の兵士らが溢れていた。
突然彼らの五〇メートルほど眼前に薄い緑色の光が現れ、そしてその中から子ども姿の史香と唯が現れた。
「な、なんだ……!?」
「いきなり子どもが現れたぞ!」
中国軍の兵士らはどよめいた。
「唯ちゃん、ちょっと攻撃するね」
史香が唯に向かって言った。
「え……史ちゃん、私たちだけでやるのって危なくない……?」
唯は戸惑った。
「大丈夫だよ、ちょっと様子を見るだけだから」
史香はそう言うとペンの力を使ってその場からジャンプした。
「うわっ!」
「なんだ、どうした!? ……うっ!」
中国軍の兵士らのうちの数名が、突然目の前に現れた史香と唯のペンの光に当たり、肩や胸から血を流して倒れた。
「これは……反乱分子側の攻撃か?」
「おい……! 早く林元帥に伝えろ! あの奇妙な光のこともだ!」
「はい!」
他の兵士らは言い合った。
*
林もすでにトンネルを抜けて関東の領土内に入っていたが、すぐに彼の元に伝令の兵士が駆けつけてきた。
「林元帥、反乱分子からの攻撃があった模様です! 攻撃があった付近で、薄い緑色の光を見たという連絡が相次いでいます」
「何……光だと? そうか……わかった。嫌な予感がするな……おい、白の小旗を用意してくれ」
林は傍にいた将校に命じた。
「え……? わかりました……。あの、林元帥、どうされるおつもりですか?」
将校は不思議そうな顔で林に尋ねた。
「その光を見に行く」
「は……林元帥、危険ですよ。それに、光や水などに敏感なお体のことも……」
「構わん」
林はそう言うと伝令の兵士が来た方向に歩き出した。
*
「状況を伝えなさい」
林は史香と唯がペンによるジャンプを繰り返して兵士らと戦っているすぐ傍まで来た。
「えっ……これは林元帥、ここは危険です、早くお逃げください」
その場にいた将校が応えた。
「私なら大丈夫だ。どういう状況なんだ?」
林は将校に聞いた。
「はい……それが、何もない目の前から突然光が飛んできて、負傷したという報告が相次いでいます。あとは……、子どもを見たとか……幻覚の類でしょうが、心理的負担が発生している兵員たちも増えているようです」
「それでその光というのはどこかね?」
「はい、あちらです……」
将校が林に指し示した先で、史香と唯がジャンプをして兵士の目前に現れ彼らをペンによる光で倒していた。
「あ、あの光は……く……ここは撤退するかもしれん」
「え……」
林の発言に将校は驚いた。
「おい、ちょっとどいてくれ、彼らの姿をよく見せろ」
一方、林は白の小旗を掲げ、兵士らを掻き分けて二人の方に進んだ。
「り、林元帥……」
兵士らは林に道を開けた。
「え、あなたは……?」
史香は自分の前に現れた、白旗を手にした林を初めて見て戸惑い、思わず姿を彼の前に晒し続けた。
「えっ、史香ちゃん……?」
その様子を見た唯が慌てた。
「また、君たちか……どんな力を持っているかも、何人いるかもわからないな……。中軍委の決定でここまで進軍してきたのだが……仕方ない。やはり人海戦術の通用しない相手か……」
林は子ども姿の史香と唯の姿をまじまじと見つめると舌打ちした。
「今日も君たちが司令員だね……?」
林は二人に聞いた。
「え……」
唯は自分たちの姿を見てもとくに動じない林に驚かされた。
「あ、いえ……違います。私たちは偵察だけです。でも、まもなくここにも応援が来ますよ」
「そうか……わかった。司令員に伝えるといい。我々は今日は撤退する」
林は史香に告げた。
「え……?」
史香は林の言ったことに戸惑った。林はくるりと反転すると二人の前から去った。
「……?」
史香と唯はお互いに顔を見合わせた。
「林元帥……?」
傍にいた兵士が不思議そうな表情で林の後を追った。
(またあの子どもたちか……不思議な力を持っているのは間違いないようだな……。このことは毛主席に報告すべきなのだろうが……)
林は歩きながら、ポケットから耐のペンを取り出すとそれを見つめた。
(あの力は……うまくすれば私のものにできるかもしれん……。そうすれば……。私はもはや、光や水の諸現象でいちいち体調を壊している場合ではないかもしれないな)
林はにやりと笑った。
やがて数時間後に中国軍は関東の領内から撤退した。
*
「東洋条約機構……?」
翌日、楢樹は国務院の会議室で珠洲に聞き返した。
「うん……今韓国の朴再建最高会議議長との間で、軍事同盟を作ろうという話が出てるんだ……」
「またそういうのを……。今度、共産党に代わって労働者の意見を代弁する労働組合の全国組織として、関東労働組合総連合というのができるんだ。きっと彼らも黙っていないと思うよ。デモとかが起きるかも」
楢樹は言った。
「うん……反対する人たちもいるのはわかる……でも、それでもこれは関東の安全保障を強化するためには必要なことなんだよ……」
珠洲は楢樹に言った。
*
九月二五日、満珠日報の一面は、『瀋陽市公安、反東洋条約デモを認めず』という見出しのトップを掲げた。瀋陽市公安本部長の白立長(バイリーヂャン)が、議員機構議員の陳安宇(ヂェォンアンユイ)の圧力を受けて、民主社会党が主催する東洋条約機構に反対するデモの実施許可を出さなかったという内容だった。その新聞を持って楢樹と美希が総理執務室に駆け込んできた。
「ちょっと、珠洲ちゃん……! これ、どういうこと……!?」
室内に入るや楢樹は声を上げた。
「え……あ、楢樹くん……」
珠洲の隣にいた耐がその迫力にうろたえた。
「ごめん……私からも、これは遺憾だって、瀋陽市公安に伝えて……。法律の範囲でなら、表現の自由は認められるべきだって……」
珠洲は楢樹の方を見て申し訳なさそうに言った。
*
九月二八日、瀋陽市南部を流れている渾河では、三〇名ほどの作業員が集まって、河川改良工事が行われていた。
「おい! その土はそっちじゃない、こっちだ!」
とある三〇代の現場監督、丁文臣(ディウェォンチェォン)が、土を盛った天秤棒を肩に掛けていた一人の作業員に大声で指示していた。
「あ、はい、すみません……」
その作業員は頭を下げると歩く向きを変えた。
「それからお前はそこじゃない! ぼやぼやするな!」
続いて監督はシャベルを持った他の作業員にも怒鳴った。
「え……?」
その作業員も怪訝そうな表情で天秤棒を持った作業員の後についていった。
「別に焦らなくても、時間は変わらないのに……」
指示されたその作業員は呟いた。
*
その日の夜、丁は瀋陽市内の酒場で一人で飲んでいた。
「おい、マスター、もう一杯持ってこい!」
丁は店のマスターを呼んだ。
「丁さん……今日は飲みすぎですよ……、もうやめた方が……」
マスターは丁に自重するよう促した。
「うるさい……! まったく、職場でも、どいつもこいつも言うとおりに動かなくていらいらしているんだよ、俺は」
丁は愚痴を言った。
「そうですか……わかりました、じゃあ、もう一杯だけですよ……」
マスターは丁の持っていた杯に濁り酒を注いだ。
(人のやることだから間違いもあるでしょうし、もう少し思いやりを持たれた方がいいのに……)
マスターは濁り酒を注ぎながら思案した。
*
九月三〇日に、有事の際に韓国との間で相互の安全保障について定めた東洋条約機構は議会に於いて承認された。
条約の承認が終わり、珠洲、耐、司、美濃の四人は国務院会議府の総理執務室に戻っていた。
「珠洲ちゃん……! 大変だよ!」
突然、その部屋にそれぞれメモを手にした雲雀と家南が駆け込んできた。
「え、雲雀ちゃん、家南くん……?」
「どうしたの……?」
耐と珠洲は顔を見合わせた。
「条約の締結に反対するデモ隊が暴徒になって市政府広場周辺の商店などで略奪を始めたって……、それで、瀋陽市公安が武装警察を投入したけど規模が大きくてなかなか抑えられないって……」
「え……?」
家南のメモを読みながらの報告を聞いた耐は驚きの声を上げた。
「国軍の編成を優先してたから、武装警察は未整備だったみたい……」
雲雀が呟いた。
「雲雀ちゃん、デモ隊って、何人くらい……?」
美濃が雲雀に尋ねた。
「あ、うん……民主社会党の発表では、三千から五千くらいだって……」
雲雀はメモに目を落としながら言った。
「そう……わかった……、珠洲ちゃん……」
美濃は珠洲の方を向いた。
「え……、うん、私も、デモは認めると言ったけど、それは法律の範囲でって言う意味だよ……、商店などで略奪している人たちは、やっぱり、取締らないと……」
珠洲も冷静に言った。
「でも、もう公安はデモ隊を抑えられなくなってるよ、どうするの……?」
司が珠洲に聞いた。
「国軍を投入しようと思う……。この前に作った被攻騒擾事態法の、地域騒擾事態に認定して。今から電話で弘くんに治安出動の命令を出すね」
珠洲は言った。
「え、でも、それって結構強行的なんじゃ……小瓶の砂が減るかも……」
雲雀は恐る恐る言った。
「ううん……大丈夫……、条約自体は関東の安全保障のために必要なもので、確かにデモをしている人たちもいるけど、支持してくれる人たちだってきっといるはずだよ」
珠洲は雲雀たちの方をじっと見つめながら言った。
やがて瀋陽市内は朝霧珠洲国務院総理の名で騒擾事態の地域と認定され、約一千名の国軍が治安出動することになった。
*
同日、昼間から酒場で飲んでいた丁の元に、友人の銭(チェン)が息を切らしてやってきた。
「おい、丁……! 今市政府広場の辺りで暴動が起こっているぞ! 今なら店の商品なども取りたい放題だ! 朝霧総理の条約締結強行に反対すると言えば何でも許されるんだ、いかないか!?」
「なんだと……?」
丁はその知らせを聞くとすぐに立ち上がった。
*
そして丁と銭は市政府広場の近くまでやってきた。道路には暴徒が大勢おり、車がひっくり返され、火のついた棍棒などが落ちており、また商店のガラスも割られていた。暴徒らは沿道の商店やホテルなどに入って略奪をしていた。
「おお……、これは凄い!」
「面白そうだ! おい、ここに、入るぞ」
二人は沿道の一軒のホテルに入った。その中のカウンターでも数十名の暴徒らが暴れており、衣服や金銭などがばら撒かれていた。
「ははは! おい、俺にもよこせ!」
丁は気分を高揚させながらカウンターのレジに向かった。
「うわぁ! やめてくれ! 条約のことと、私の店と何の関係があるんだ!」
そのとき、店の奥からホテルの支配人が現れて暴徒らに叫んだ。
「うるさい! 一人だけ正義面する鬱陶しい奴め! 条約なんか関係ない! 俺は日ごろの鬱憤をこうすれば晴らせると思っただけだ!」
丁も支配人に向かって叫んだ。そして、レジに入っていた金銭を掴もうとした。
「おい! やめろ!」
そのとき、丁を制する声がした。その方には、そこに歩兵銃を手にした一〇名ほどの兵士がいた。
「うるさい……、日本人の犬め! 撃てるものなら撃ってみろ!」
丁は彼らに反論すると、再びレジに手を出そうとした。
――パン!
銃声がした。
丁の顔はその音に引き攣った。
恐る恐る室内の壁を見ると、そこに銃弾が当たっていた。弾からはまだ煙が出ていた。
「え……」
丁は次第に青褪め始めた。
「おい! ちょっと来い! 現行犯逮捕だ」
兵士のうちの二人が丁の腕を掴んだ。
やがて、市政府広場周辺で発生していた暴動は国軍によって鎮圧された。
*
「ただいま」
数日後、夙伝が子どもの姿で会議府の会議室の前の廊下にいた。そこで、数名のクラスメートたちに囲まれていた。
「夙伝くん……!」
「おかえりー」
「大丈夫だった……?」
クラスメートたちは口々に彼に質問した。
「うん……ありがと。中国のことについて、みんなに報告するね。……みんな中にいるんでしょ?」
夙伝は尋ねると、会議室の中に入っていった。室内には他のクラスメートたちがいた。
「あ、おかえり!」
「スーチュヮンくん……」
クラスメートたちは囁き始めた。
「えっと……北京市内に行って、党の資料を盗み読みしたり、市民から聞き取りをしたりしてきたんだけどまず、何から話したらいいのかな」
夙伝はクラスメートたちに聞きました。
「共産党中央を攻めるのはできそう……?」
弘明が尋ねた。
「それは……、僕の推測では、多分無理そうだった……。毛沢東の寝泊りしている部屋の場所はだいたい予想がついたんだけど、中南海は中海と南海を合わせると一〇〇ヘクタールもあって、侵入しているうちにすぐにどこか他の場所に移動されそうで……」
「そう……」
弘明は返事をした。
「夙伝くん……危ないところまで行ってくれてありがとう……、私も、ペンのジャンプだけで中南海に行くのは無理だと思う……」
珠洲が言った。
「じゃあ、集団化政策の中止は? 毛沢東を説得したらやめてくれそう? うまくいけば戦争なんてしなくても済むんだよ」
楢樹が尋ねた。
「あ……うん……。まず、市民の間では毛沢東に対する信任は今でも厚いみたいなんだ……。上海では、毛沢東を讃える詩が労働者たちによって一〇〇〇以上も作られたそうで……例えば、次のようなものがあった……」
夙伝はそう言うと手にしていた小型のノートを取り出して開けた。
「『毛主席はとても優しいお方です。一万の歌を以ってしても主席を讃えるには十分ではありません。木々を筆にして 空を紙にして、海を墨にしても、まだまだ書き尽くすことはできないでしょう』と……」
「へえ……」
美希が頷いた。
「それは……素晴らしいことじゃないか……」
楢樹は聞き終わると感嘆した表情になって言った。
「そして……飢饉が発生したとき、朝鮮戦争で中国人民志願軍の司令員を務めた前国防部長彭元帥は、江西(ヂャンシー)省、安徽(アンホエ)省、湖南(フーナン)省などを訪れ、耕されないまま放置された田畑、腐った作物、虚報の生産高と、餓死していく人たちを目にし、去年、一九五九年の七月に開催された中央政治局拡大会議、通称廬山(ルーシャン)会議を迎えるに当たり、次の詩を詠んだ……。『穀物が地面に散乱している。イモの葉は萎れている。若者も老人も鉄を溶かしに行ってしまった。子どもと老婆だけが作物を取り入れている。彼らは来年はどうやって暮らしていけばいいのか。人民に代わって、私は声を大にして発言しよう』と……。彭は一万字にも渡る私信を毛に渡した……。ところが……この私信が原因で、彭は失脚し、今の林元帥が彼に代わって国防部長になった……」
夙伝は続けた。
「え……」
「それは……」
聞いていたクラスメートたちの顔は蒼ざめていった。
「これ以降、毛に真実を告げようとする人は誰もいなくなった。毛の故郷、湖南省にいる毛のいとこ、何小曲(ヘォンシャオチュイ)は、村人たちに、毛に会って真実を告げるように言った。何に送り出された村人たちは、穀物の引換券を毛に押しやりながら、『貴方が中止してくださらなければ、私たちは帰りません。この引換券を持って村に行き、どのような食べ物が手に入るか、実際にご自分の目で見てください』と言った。それでも、毛は集団化政策の方針を変えようとはしなかった……。実際に、北京の郊外にたくさんの遺体があったり、衰弱して、農作業をするだけの体力を失ってしまった人が大勢いたよ……」
夙伝も深刻な表情で言った。
「そんな……」
「毛沢東はこの後どうするの……?」
史香が聞いた。
「あ……それは……」
珠洲が口を開けた。
「飢饉の発生を受けて、一時は劉少奇国家主席らによる調整政策が導入されるんだけど……その後、一九六六年から、毛沢東は文化大革命を発動し、中国はその後約一〇年間は内乱状態に陥って、これが終わるまで、ずっと飢餓状態が続くんだ……」
「え……何それ……」
耐は珠洲の説明に驚愕した。
「それじゃ、僕たちが説得しても意味がない、というか、説得しても聞く耳なんか持ってもらえないんじゃ……」
「うん……」
弘明と唯も落胆した。
2018年12月16日 発行 初版
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※ アイコンの上半分の拾い物のイラストはつばさちゃんっぽいですが、小説の珠洲ちゃんの外見イメージにも近いです。