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「主席……大変です!」
同じ日に、北京・中南海の一室のベッドで横になっていた毛の元に、メモを手にした秘書が駆け込んできた。
「ん……?」
毛はだるそうに顔を彼の方に向けた。
「関東からの機密電報です。瀋陽特別市において、貴国国務院副総理である林彪氏が当国政府要人との極秘接触を試みたがトラブルが発生し、林氏は死亡した、とあります」
「は……? 何だと!?」
毛は秘書を睨み付けた。
「ですから、林元帥が死亡したと……」
「そんなことがあるはずがないではないか! 林同志は序列第六位の中央政治局常務委員だというのに」
「いえ……これは関東当局から党中央に届いたものです! 関東当局では、このような状況となったことに機密ながら遺憾の意を表する、また、遺体の引き取りの要請があるなら応じる用意があるとのことです」
秘書は興奮しながらメモを読み上げた。
「そのような信じられないことが……林同志と連絡はつくのかね?」
「いえ……それが、数日前から音信不通です」
「なんだと……」
毛はしばらく呆然とした。
「……林同志は引き続き探しなさい。それから、中央軍事委員会常務委員……だけでは足りないな、政治局常務委員を召集しなさい。三時間後に中央軍事委員会常務委員会を開催する」
やがて、天井を仰ぎ見つつ秘書に指示した。
*
その数時間後、毛は会議室に、中央政治局常務委員の劉少奇国家主席、周国務院総理、陳雲(チェォンユン)国務院常務副総理と、中央軍事委員会副主席賀龍(へォロン)、同聶栄臻(ニエロンヂェォン)国家科学技術委員会主任、同常務委員の朱人大常務委員長、鄧小平(デォンシャオピン)中央書記処総書記、羅瑞卿人民解放軍総参謀長、羅栄桓(ルオルイホヮン)前総政治部主任、劉伯承(リウボーチェォン)、葉剣英(イャオインヂャン)軍事科学院長、陳毅(ヂャォンイン)外交部長、徐向前(シ―シュェンチェン)元総参謀長、譚政(タンヂェォン)総政治部主任の他、参考人として、軍事委員の邱会作(チウホエヅオ)総後勤部部長、蕭勁光(シャオヂングヮン)海軍司令員、向第二種砲兵部隊司令員の計一七名を集めた。
「八期九中全会を明々後日に迎えたこの日に関東から林同志が死亡……いや、暗殺したという電報が届いたことは、既に皆承知のことと思う……」
毛は席につくと切り出した。
「まったく……こんなに悲しい思いに包まれたことはありません……。右傾機会主義に走り私たちを裏切った彭同志と異なり、林同志は毛主席……そして党の政策の意義を最もよく理解し、また信頼を受けておられた同志だったというのに」
林の腹心だった邱が顔を曇らせながら言った。
「関東は林元帥が自ら関東に赴いたと言っていますが、それも疑わしいです。関東の保衛委員がわが国に潜入し、暗殺したのかもしれません」
羅瑞卿が邱に続いて発言した。
「実に忌まわしいことですね。中央委員会全体会議では林元帥にはますますのご活躍を願っていましたのに」
蕭が言った。
「そこでだ……同志諸君、私は瀋陽の空に、先日ソ連から譲渡されたR―五を放てないかと思っている」
毛が言った。
「あ……R―五ですと!?」
劉少奇は毛の予想外の単語に耳を疑った。
「待ってください……瀋陽にいる人民を巻き添えになさるおつもりですか……?」
鄧小平も血相を変えて尋ねた。
「鄧同志……、私は普段から言っているではないか、革命とは、暴動であると。それは、客人を招いてごちそうすることでも、文章を綴ることでも、刺繍をすることでもない、そんな上品な、おっとりした、雅やかなものではないと……。人民は数多くいるが……関東は一つしかない我々の神聖な領土だ。あの首謀者、朝霧珠洲とその一味を始末しさえすれば、関東を回収することができる。林同志を暗殺とは……彼らはわが党にとって極めて危険な存在ではないかね?」
毛は鄧に言った。
「美国が報復としてわが国の領内に向けてアトラスを発射するということはないでしょうか……?」
陳が恐る恐る尋ねた。
「関東は美国からも見放され、国として承認されていない……にも関わらず林元帥を暗殺する、冒険主義の日本人が打ち立てた国家ですよ、その点は心配ないのではないですか?」
羅瑞卿が言った。
「私も、林元帥の仇を撃つというのであれば、毛主席のご提案に賛成です。私はあの日本人、朝霧珠洲を許せない……奴の体を百発の弾丸で打ち抜くことが、今の私の望みです!」
邱が目に涙を浮かべて言った。
「邱部長……その思いは、私も同じですよ。我々の革命は、まだ終わってはいないのです」
蕭が邱を慰めた。
「第二種砲兵の方では……どうなのかね? R―五はすぐにでも発射できる状態かね?」
毛は向に尋ねた。
「今R―五はソ連から譲渡された六発が内モンゴル自治区のシリンゴルの第二一施設にて保管中です……ですが、譲渡されたばかりですので、発射台も含めて実用となると、整備に約一箇月必要です」
向は答えた。
「そうか……わかった。では改めて皆に聞きたい。瀋陽市にR―五を撃ち込むことに賛成の者はいるかね?」
毛は尋ねた。邱と蕭が真っ先に挙手した。朱と陳雲らも手を上げた。最後に残った劉と鄧も渋々挙手した。
「わかった……では、向守志第二種砲兵部隊司令員に命じる、ソ連より譲渡されたR―五について、全て発射準備のための整備を終了させなさい。発射準備が出来次第、劉国家主席から発射命令が下ると思っていなさい」
毛は向に向かって淡々と言った。
「はい、承知しました!」
向は興奮を抑えながら返事をした。
*
二月一〇日の午前、メモを手にした史香が子ども姿のまま会議府の廊下を駆けていた。そして彼女は総理執務室の扉を勢いよく開けた。
「珠洲ちゃん、美濃くん、いる……?」
史香は室内に向かって叫ぶように言った。
「あ……史ちゃん……?」
「二人なら今会議室で、経財委に出席してるよ。僕たちもこれから行くとこ」
室内にいた耐と司が史香に言った。
「わかった……ありがとう、じゃあ私も行くね」
史香は二人に礼を言うと、すぐに執務室の扉を閉めて出て行った。
「……?」
耐と司はその様子を見て不思議そうに顔を見合わせた。
*
「それでは、この、国共内戦によって破壊されたままになっているかつての満洲電信電話株式会社の電話網ですが……歩くんの郵政電信部の方から提案があった通り、扶余専区の一部で試験的に復旧着手するということでいいでしょうか……?」
国務院の会議室で席についていた子ども姿の珠洲が言った。
「みんな、お願いします……」
起立していた郵政電信部長の男子、私田歩(しだあゆむ)が言った。
「うん……」
「それでいいと思うよ……?」
子どもたちはお互いに頷きあった。
「それじゃ、この案件はこれで決定します……。えっと……次は何だっけ……?」
珠洲は戸惑った。
「あ、次は僕の番かな……?」
建設部長の男子、五十嵐操(いがらしみさお)が発言した。
「あ……そうだった……操くん、どうぞ」
珠洲は照れながら操に発言を許可した。
「えっと……今日はいいお知らせなんだ。今北陵崇山に建設中の新しい国務院会議府だけど、この三月に竣工することが決まったよ」
操は話した。
「えっ……」
「本当……?」
子どもたちの間に笑顔が広がった。
「うん……上旬頃の見通しだよ」
その様子を見た操も笑顔になって言った。
「珠洲ちゃん……!」
そのとき、会議室にメモを手にした史香が慌てて入ってきた。
「え、史ちゃん……?」
珠洲は史香の声に驚いた。
「会議中にごめん、緊急なんだけど……」
史香は珠洲の元まで行って囁いた。
「保衛委員会の方で中国の無線を解読してたら、こんなものが……」
「え……?」
珠洲はそのメモに目をやった。
「劉少奇国家主席の名で、極秘に人民解放軍第二種砲兵部隊向守志司令員に命じる、反乱分子朝霧珠洲とその一味によって不法に占拠されている遼寧省瀋陽市の旧市政府広場を照準とし、一二KTの核弾頭を搭載した東風二型第二種砲兵一発を第二一施設より直ちに放て、と……」
史香はメモを読みながら説明した。
「えっ……!? 数分で飛んでくるの……?」
それを聞いた珠洲の顔から血の気が引いていった。
「まだ大丈夫だよ……、ここにある東風二型というのは、私たちのいた世界の中国にあった東風二型と違って、ソ連から譲渡されたR―五型のことで、打ち上げには二時間から三時間程度かかるんだ。でも、この無線を解読してから既に三〇分くらいは経ってるから、実際にはあと二時間程度で着弾するよ」
史香はなるべく自分を落ち着かせようとしながら珠洲に説明した。
「わかった……、今が会議中でよかった……。今から、耐ちゃんと司くんもこの部屋に呼ぶね」
珠洲はクラスメートたちに向かって言った。
「珠洲ちゃん……、それから、一二KTというのは広島型原爆と同程度だよ。瀋陽市街地に着弾すれば、おそらく瀋陽市が殲滅する程度の被害になるよ」
「わかった……ありがとう」
珠洲は史香に礼を言うと、小さく深呼吸を一つした。
「あの……、みんな、聞いて……! 今、史ちゃんから入った情報なんだけど、後二時間後にこの瀋陽市に広島型原爆と同程度の核出力を持った準中距離ミサイルが着弾するって」
そして、室内にいたクラスメートたちに、史香から聞いたことを説明した。
「え……?」
「何それ……!? 核ミサイルを発射したの……?」
雲雀が血相を変えて珠洲に聞いた。
「ううん……まだ発射はしてないよ。でも、発射命令は既に下されていて、準備にあと二時間かかるって」
珠洲が言った。
「瀋陽市の住民を犠牲にするなんて……毛沢東は何を考えてるんだろ」
貴船が呟いた。
「史ちゃん……、ペンを使ってそのミサイルの発射基地に乗り込むことはできないかな……?」
唯が史香に聞いた。
「それは……もう間に合わないよ、ミサイルの発射基地は内蒙古自治区のシリンゴル盟にあるんだ。ここから一〇〇〇キロは離れてるから、ペンのジャンプが時速一〇〇キロだとしても、基地に着くまでに一〇時間はかかるよ」
史香は答えた。
「えっ……」
「じゃあ、どうすれば……」
子どもたちは言葉を失った。
「ごめん……みんな、ミサイルを発見したときに、破壊しに行ったんだけど、私は失敗しちゃって……」
史香は俯いて言った。
「ううん……史ちゃんは悪くないよ、危険を冒して、精一杯頑張ったんだから」
司が史香を慰めた。
「そうだよ、悪いのは核ミサイルの発射命令を出した方だよ」
「うん……そうだね……」
淡水と夙伝も言った。
「でも……どうしよう、あと二時間で瀋陽市民に避難命令を出して、僕たちも逃げるなんて……パニックになるよ」
現有が言った。
「うん……」
未熟やなつみなど、他の子どもたちも頷いて俯き始めた。
「あの……みんな、もう一度、小瓶の砂の力を使えないかな?」
そのとき、唯が発言した。
「えっ……」
「唯ちゃん……?」
珠洲と雲雀は彼女の発言に驚いた。
「関東共和国国内にミサイルが着弾しませんように、ってみんなで願うの……。砂は、まだ二分の一くらいあったよね……、全部使うことになるかもしれないけど……」
唯は続けて提案した。
「それは……」
珠洲は思案し始めた。
*
やがて四年二組の児童たちと立華、家南、桂創は国務院会議腐の屋上に集まり始めた。
「それじゃあ……この前セルゲイさんを元いた時代に送り返したみたいに、もう一度みんなで祈ってみよう」
雲雀が四年二組のクラスメートたちに呼びかけた。
「うん……」
彼らは頷いた。そして、霊力のペンを片手で持ったり、両手で胸の前に翳したりして祈り始めた。やがてそれぞれのペンと、珠洲が持っていた幸福の小瓶が薄い緑色の光を放ち始めた。
「……関東にミサイルが落ちませんように……」
司は祈りを口に出した。
「核ミサイルからこの国を守ってください……!」
とまとも願った。
やがて、クラスメート全員と立華、家南が直径三〇メートルほどの光の球に包まれた。そして、珠洲の体がふわりと宙に浮いた。
「え……?」
珠洲は小さく声を上げて驚いた。美濃、唯らも次々と宙に浮かんでいった。
「これは……!?」
美濃と耐も顔を見合わせました。やがて、子どもたちのうち、珠洲、美濃、耐、司、唯、弘明、雲雀、家南、立華、淡水、貴船、史香の計一二名の体が光の球に包まれたままゆっくりと空に上っていった。残りの子どもたちは屋上にいた。
「これは……?」
「どういうこと……」
地上にいたなつみ、現有らが顔を見合わせた。
「多分、私たちがミサイルを止めに行くことになるんだと思う!」
雲雀が地上にいた子どもたちに言った。
「わかったー!」
「無理しないでね……!」
とまと、華月らはゆっくりと空に上っていくクラスメートたちに呼びかけた。
「ありがとー!」
史香がそれに応えた。
やがて光の球に包まれたクラスメートたちは空の国務院会議府の屋上にいる子どもたちの声の届かない場所まで達した。
「えっと……ここにいるのは、国務院常務委員の一一人……?」
光の球の中で、珠洲がクラスメートたちに聞いた。
「珠洲ちゃん、私もいるよ」
史香が珠洲に言った。
「あ、史ちゃん、ごめん……えっと、じゃあ……」
珠洲は史香に謝った。
「国務院常務委員の全員と、保衛委員の史ちゃんだね……保衛委員の夙伝くんは……?」
美濃が言った。
「あ……そういえば、夙伝くんはいないね」
司が言った。
「夙伝くんは、地上にいるみたい……でも丁度いいや、何かあったら、夙伝くんを通して地上の保衛委員会に連絡するから」
史香が携帯を取り出して言った。
数分でクラスメートたちを包んだ光の球は地上から三千メートルほどの高度に達し、雲の間を進んでいった。
「……あんまり寒くないね……」
「え……そういえば、息も苦しくない……珠洲ちゃん、高度が高いと、気温が下がっていったり、酸素が薄くなる……んだっけ?」
貴船と弘明が珠洲に聞いた。
「あ……うん……そうなんだけど……、多分、ペンの力だと思う……」
珠洲も戸惑いながら答えた。やがて彼らを包んだ光の球の上昇速度は加速していき、雲とすれ違う速度も上がっていった。
「なんか……早くなってない……?」
「どこまで行くのかな……」
「さあ……」
史香、立華、談水たちは言い合った。
「もしかしたら……宇宙かもしれない」
美濃が言った。
「え……?」
「宇宙……!?」
史香、立華らは美濃の発言に驚いた。
「うん……。弾道ミサイルの巡航高度は宇宙空間まで達するんだ……そこに向かっているのかもしれない……」
美濃は説明した。
「え……」
「そんなところまで行くの……!?」
二人はそれを聞いてさらに驚いた。
「宇宙……」
珠洲は上っていく空をじっと見つめた。
*
国務院常務委員たちと史香を包んだ薄い緑色の光の球は、地上から高度およそ二五〇キロメートルの宇宙空間で止まった。
「うわ……」
弘明が声を漏らした。
「こんなところまで来ちゃった……」
「地球が青く見えるよ……」
司と貴船も足元に広がっている地球を眺めながら驚いた。
そのとき、シューッという音とともに、薄い緑色の光の球体に、垂直に同じ色の平面上の光の板が現れた。
「え……」
「これは……?」
子どもたちはその板を見て驚きの声を上げた。
「もしかして……ここにミサイルを当てるの……?」
美濃が呟いた。
「そうかも……」
雲雀がそれに答えた。
*
「毛主席……、第二一施設からの緊急連絡です、東風二型のうちの一発が発射態勢を完全に整え、あと三分で発射します。瀋陽市中心部にはおよそ七、八分で到達します」
およそ二時間後、中南海の会議室にいた毛の元に向がメモを持って報告に来た。その部屋には前回と同じく、中央軍事委員常務委員、中央政治局常務委員の全員と、中央軍事委員の一部が集められていた。
「そうか……わかった」
毛は頷いた。
「発射時刻は……一二時四分頃ですか?」
周が向に尋ねた。
「はい……そうです」
向は頷いた。
「いよいよですね……敵のいる都市に向けて第二種砲兵を放つというのはわが国が初めてです。我々の革命の勝利ですね」
羅瑞卿が発言した。
「そうですね。ソヴィエト製、一二キロトンの核の威力……反動日本人、朝霧も思い知ることでしょう」
「偉大なる人民中国、万歳!」
葉と邱が言った。
「とうとう瀋陽に向けて発射することになってしまいましたが……これで指導部を失った関東と再び全面交戦に突入する可能性もあります。新たに派遣軍の編成が必要になるかもしれませんな」
二人に続けて劉少奇が発言した。
「これでようやく一つの懸案が解決するときがきた……瀋陽は灰燼に帰し、関東人民は再び解放されるだろう……。我々は今まさに歴史を作っている」
毛は全員に向けて言った。
「はい……」
劉少奇、周らは頷いた。
*
宇宙空間の球体の中にいた史香の携帯電話がブーッ!と振動した。
「あ……電話……」
史香はポケットの中から携帯電話を取り出した。ディスプレイには李夙伝と表示されていた。
「本当に、宇宙空間でも通じるんだね……」
弘明が感心しながら彼女の様子を見た。
「うん……」
美濃が頷いた。
「もしもし……夙伝くん……?」
「あ、やっぱり通じた……史香ちゃん、今、保衛委員会で中国の無線を傍受してたんだけど、一二時四分に、核ミサイルが発射されるって……」
電話越しに夙伝が言った。彼の携帯電話を未熟、刹那が耳を傍立てて史香の声を聞こうとしていた。
「え、一二時四分に発射……わかった、みんなに伝える……って、え……? 私の時計だと、後二分もないよ……!? みんな、逃げられたの……?」
史香は腕時計を見ながら驚いて聞いた。
「ううん……それが……」
夙伝は口籠った。
「夙伝くん、ちょっと貸して」
「え……?」
未熟は夙伝の携帯電話を取った。
「もしもし、史ちゃん……? 私たちのことなら大丈夫だよ」
「未熟ちゃん……!? 大丈夫じゃないよ、国務院会議府は目標地点から三〇〇メートルくらいしか離れてないよ? せめてどこか地下に部屋のある建物に行かないと……」
史香は未熟に言った。
「うん……まあ、大丈夫……じゃないけど……一応、あれからみんなでもう一回話し合ったんだ……。それで、みんなこっちに来てから、色々なことがあったけど……まず、みんなのことが信じられる。それと……結構この街と、この国が好きになっちゃったみたいで……自分たちだけ、霊の力で生き残るのも、なんかあれだなと思って。もしだめだったら、それはそれで仕方ないかなと……。あ、でも、気にしないでね、みんな、できるだけのことをやったんだし、それはそれでいいと思ってるよ」
未熟は苦笑しながら言った。とまともそんな刹那を見て笑った。
「未熟ちゃん……みんな……。わかった。でも大丈夫だよ、核ミサイルは落とさせないから……。じゃあ、ちょっと待っててね、私たちもすぐに戻るから」
史香は顔を赤くしながら未熟に告げた。
「うん、わかった……地上で待ってる。じゃあね」
史香は落ち着いた声で未熟に告げた。そして彼女は電話を切った。
「あの、みんな……あと二分で、東風二型一発が発射されるって……」
史香は他の一〇名に告げた。
「うん……聞いたよ……、でも、史香ちゃんが話してるうちに、もう殆ど過ぎちゃって……あと二〇秒くらいしか残ってないんだ……」
美濃が史香に言った。
「え……」
史香は言葉を失った。
「もうすぐ来るよ」
耐が言った。
「史ちゃん、ミサイルって、時速何キロくらいで来るの?」
淡水が史香に聞きました。
「あ、うん……一万二〇〇〇キロはあるよ……、多分、間近だと速すぎて見えないよ」
「え……そんなのが……。場所は本当にここでいいのかな」
司が言った。
「わからない……」
美濃は不安そうに答えた。
「え……」
珠洲も表情を曇らせた。
*
ちょうどそのとき、シリンゴル盟の第二一施設から、直径一、六五メートル、全長二〇、六メートルの、東風二型核ミサイルが一発、関東瀋陽市に向けて発射された。
*
「あ……光った!」
そのとき、珠洲が声を上げた。
「え……」
他の一〇名の子どもたちは珠洲の声に反応した。
「どこ……?」
耐が珠洲に尋ねた。
「あれ、あそこ……」
珠洲は自分の前方を指さした。その先の地球の上の宇宙空間の一箇所が点となって明るく光っていた。
「あ、ほんとだ……」
「星……じゃないよね、明るいし……」
耐と貴船が言った。
「あんまり速くないね……」
「まだ遠くだからじゃない?」
司と雲雀もその点の光を見ながら会話した。
「こっちに来るのかな……?」
立華はその光を眺めながら呟いた。
「あれ……消えた?」
突然その点は消え、美濃が呟いた。
「え……?」
珠洲も驚いた。次の瞬間、バン!と大きな音がするとともに、薄い緑色の光の球の中にあった緑色の光の板の色が中央から一気に薄くなっていった。
「ええ……?」
子どもたちはその様子を見て声を上げた。
「これは……」
その光の板には一辺が四〇センチメートルほどのカーキ色の鋼製の板と、それより小さな板が刺さっていた。
「もしかして、東風二型の尾翼の一部……?」
「え……じゃあ、本体はどこに……?」
唯と司が呟いた。
「この光の板を通して、消えたとか……」
耐が言った。
「消えたって……?」
淡水が彼女に聞いた。
「あ、ごめん……よくわからない……」
耐は淡水に謝った。
「いや……そうかもしれない……。この板を通して、別の次元に飛んだのかもしれない……」
美濃が言った。
「え……」
淡水は美濃の説明を聞いて驚いた。
*
瀋陽市の市政府広場から南に約一〇キロ離れた楡樹台駅の付近の民家の一室に、三名の男性の姿があった。そのうちの一人はしばらく窓の外から見える瀋陽市内を見つめていた。
「報告のあった発射時刻から既に一二分が経過していますが……何もありません」
彼は部屋の中にいた二人に報告した。
「そうか……着弾は失敗したのだろうか……」
「ひとまず中央に報告しましょう」
「ああ……そうだな」
二人は話し合いながら、部屋の隅に置かれていた、高さ一五センチ、幅、奥行きが五〇センチほどの無線機の前に向かった。
*
「毛主席、調査部瀋陽市委員会からの報告です!」
毛たちがいた会議室に、メモを手に中山服の男性が飛び込んできた。室内に緊張が走った。
「報告された発射時刻から一二分が経過しましたが、市内に変化は見られないとのことです!」
彼は興奮気味に毛に告げた。
「なんですと……」
「着弾に失敗したのですか? 陳調査部長」
それを傍で聞いていた朱と周は驚いた。
「では……どこか他の地域に着弾したのかね?」
毛も陳調査部長と呼ばれた彼に聞き返した。
「いえ、各地の調査部委員会に問い合わせているのですが……今のところ、関東にも、わが国領内にも核爆発を起こした地域があるという報告はありません!」
陳は毛に答えた。
「どういうことでしょうか、空中で分解でもしたのでしょうか……」
「いずれにしろ、今回の発射は失敗ですか……」
室内はざわついた。
「まあ……待ちなさい」
毛が発言した。室内は再び静かになった。
「向司令員……、ソヴィエトから譲渡されたR―五は、全部で六発だったね?」
毛は向にゆっくりとした冷静な口調で尋ねた。
「はい……?」
向はきょとんとしながら返答した。
「では……まだ五発残っているね……。同志諸君、私はこれからこの五発全てを、瀋陽市内の各拠点を目標として発射してはどうかと思う」
毛は淡々と言い放った。
「え……? 本気なのですか、毛主席……」
劉少奇はその言葉に息を飲み、憔悴し始めながら毛に尋ねた。
「勿論だ……。劉同志、我々の目的は敵の抵抗をなくすことだ……、敵が抵抗するのをやめるまで、我々は闘争を続けないといけない」
毛は劉に語った。
「私は主席の提案に賛成です。林元帥を討った反動日本人朝霧を討つまで、我々は闘争し続けなければならないと思います」
蕭がすかさず言った。
「私もです! 林元帥の仇を必ず取りたいのです!」
邱も続けて言った。
「ですが……それでは我々が保有する全ての第二種砲兵を使い切ることになります……、解放後の瀋陽市の復興も容易に進まない可能性もありますぞ」
劉少奇が恐る恐る反論した。
「いえ……第二種砲兵はまた譲ってもらえるよう外交努力を進めればよいのです。復興もいつかは必ず成し遂げられます。ですが……反動分子の粛清は確実に行わなければならないのではないですか?」
「総参謀長の仰る通りです……、私も毛主席の提案に賛成致します」
羅瑞卿が言った。続けて聶も口を開けた。
「そうか……わかった、では採決を取ろう……。残り五発のR―五を瀋陽市内に向けて放つことに賛成の者は挙手しなさい」
毛が全員に向けて言った。彼はしっかりとした眼差しで室内を見つめた。
ブーッ! と宇宙空間にいた史香の携帯電話が振動した。
「あ、ちょっと待って……、もしもし、夙伝くん、どうしたの……? もう帰ってもいいよね……」
史香はそれをポケットから取り出すと受信ボタンを押し、耳に当てた。
「史ちゃん、ごめん、悪い知らせがあるんだ……。よく聞いて。人民解放軍第二種砲兵部隊は、残る五発のミサイル全てを、瀋陽市の旧市政府広場の他、瀋陽北駅、瀋陽駅、瀋陽故宮、旧遼寧省博物館の市内各五箇所を照準にして発射させるつもりだよ。また、今からおよそ二時間後だって」
電話の向こうで、国務院会議府の屋上にいた夙伝が震えながらも落ち着いた口調で、史香に国家保衛委員会が傍受した無線の内容を伝えた。それを聞いていく史香の瞳孔は少しずつ縮んでいった。
「え……何それ……」
「史ちゃん、どうしたの……?」
美濃がその様子を見て彼女に不安そうに聞いた。
「あ、美濃くん、ごめん、ちゃんと話すね……。あの、残る五発のミサイルにも、発射命令が下って、全部瀋陽市内に向けて撃つって……」
「え……!?」
「なんで……、諦めてくれないの……?」
唯と雲雀も驚いた。
「今度は、もうだめかも……」
司が呟いた。
「どうしよう……今からでも、瀋陽の人たちに、五発の核ミサイルが飛んでくるって知らせる……?」
「それは駄目だよ……着弾まであと二時間しかないのに、パニックになるよ……」
貴船と史香が言い合った。
「あ……まさか……」
その様子を見た耐は蒼い表情になりながら慌てて史香のもとに駆け寄った。
「史ちゃん、ごめん、携帯をちょっと貸して……」
「え……? あ、うん……」
史香は耐に自分の携帯を差し出した。
「もしもし、夙伝くん、耐だけど……、みんな、今度こそ逃げるよね……?」
「え、耐ちゃん……? あの、それは……」
夙伝は口篭った。その様子を見ていた未熟、刹那、華月が彼のもとに来た。
「夙伝くん……ちょっと貸して……」
未熟が夙伝に言った。そして、彼女は再び夙伝の携帯電話を耳に当てた。刹那と華月も耳をそれに傍立てた。
「もしもし、耐ちゃん……、私たちなら大丈夫だよ」
未熟は落ち着いた口調で宥めるように言った。
「未熟ちゃん……、大丈夫じゃないよ、今度は五発も飛んでくるんだよ、私たちじゃもうきっと止められないよ!」
耐は電話の向こうで悲鳴に近い声を上げた。
「ううん、いいの……、私たちは信じてるから、多分大丈夫だよ……、みんなも祈ってくれてるし、もしも落ちてきたって怖くないよ。まあ…それでも駄目でも、瀋陽市のみんなが一緒だから……」
「そんなの駄目だよ! 未熟ちゃん、聞いて……、私、保育園に居た頃に広島に原子爆弾が落ちる映画を見たことがあるんだ、一瞬で、熱線で全身に火傷を負って、爆風で衣服と全身の表皮が剥がれて、眼球も飛び出すんだよ、それから、飛んできたガラスの破片が全身に突き刺さるんだよ……! あんなのが落ちてきたら絶対助からないよ……、お願いだから、地下室を探すか、市外に逃げて……!」
「耐ちゃん……ありがとう、でも、大丈夫だから……」
未熟は落ち着いた声で言った。
「未熟ちゃん……! それただの殉死だよ! おかしいって! そこの町は、残った未熟ちゃんたちの霊力でまた復興させれば……」
耐は叫んだ。
「耐ちゃん、ごめんね……。そんな気もするんだけど……もっと大人だったら、一度ここを見捨てて。そう思えるようになるには……私たちはまだ……」
「え……?」
「耐ちゃん、みんな、下で待ってるね……」
未熟は落ち着いた声でそう言うと、電話の電源ボタンを押した。
「え……」
未熟の声が途絶え、ツー、ツーという電子音が聞こえた。携帯電話を耳に宛てていた耐の瞳孔が小さく縮んだ。
「未熟ちゃん? 未熟ちゃん……!」
耐は必死になって未熟の名を呼んだ。
「え、耐ちゃん……」
「どうしたの……?」
珠洲たちは不安そうに彼女の様子を見つめた。
「ううっ……、うええぇっ……」
耐はやがてその場で大粒の涙を流し始めた。
「耐ちゃん……?」
珠洲は彼女の傍まで行った。
「うううっ……」
耐は珠洲の胸に抱きつき、泣き続けた。
「耐ちゃん、どうしたの……?」
淡水が耐に尋ねた。
「うう……あ、……淡水ちゃん、みんな、ごめん……」
耐は珠洲の胸元から離れ、目を袖で拭った。
「未熟ちゃんたちが……、みんなは、瀋陽市内から逃げないって……」
そして、赤い目を他の子どもたちに向けながら説明した。
「え、そんな……」
「なんで……? 今度は、もうきっと助からないよ……!」
唯、弘明らが言った。
「う……ううぅ……私の方が、おかしいのかな……」
彼らの意見を聞いて耐は再び目に涙を浮かべ、そして珠洲の胸元に顔を埋めた。
「た……」
珠洲も彼女にかける言葉が浮かばなかった。
「そんなことないよ、耐ちゃん」
そのとき司が言った。
「え……」
耐は彼の方に顔を上げた。
「耐ちゃんの方があってる……。ダメだった場合でも、霊力の使える子どもたちがなるべく大勢残った方がいい、町は人のためにあるもの、っていう方があってる。でも……」
司の声も震えていった。
「その町自体を、人のように思っちゃうことだってあるよ。というか、今までみんな、ちゃんと考えてこられた方が不思議なくらいだよ。こんな、二一世紀、六〇年後の日本の常識が全然通じないところで……、史上最悪の人災が起こってるところで。二二人全員が避難を選ぶっていうのもよく考えたらないよ……。あってるけど、でも……」
「司くん……?」
美濃は司がやや俯いているのを気にした。
「その選択だと、ダメだった場合、燃えカスになっていく人たちを眺めて……それからその後で、避難を選ばなかった子のお葬式をして……」
司は再度顔を上げると、震え、耐と同じように涙を零しながら言った。
「……!」
それを聞いた耐の瞳が一瞬縮んだ。
「耐ちゃんの方があってるんだ……いろいろなことを経て、ちゃんとそういう結論になるって言える。大人ならもっと。でもそれに目を向けて、考えて、判断するの……これを僕たちが、二時間でって……」
「あ……ああ……」
耐は嗚咽しかけた。
「……うぅ……」
一方、耐に話した司本人もそこまで言うと嗚咽した。
「え……司くん……」
それを見た耐の方が驚かされた。
「あ……はは、弱虫だね、僕。髪も短くて、少しは体力もあって……」
司は自嘲したが涙を止めることはできなかった。
「つ……」
耐は司に声をかけようとした。
「普段だったらかなり異質だろうけど……でもね、なんか今は……、これ、わりと自然な気がするんだ……う……うう……」
司はそう言うとさらに涙を零した。
「司くん……!」
耐はさっと珠洲の元から離れ、彼の肩を抱いた。ただその耐も泣いていた。
「あ、あの……」
そのとき、珠洲が小さな声を上げた。
「え……?」
唯が彼女の方を振り返った。
「みんな、待って……、小瓶の砂は、まだあと四分の一くらい残っているんだ……」
珠洲は幸福の小瓶を両手のひらの上に載せて、それを他の子どもたちの前に示した。その小瓶の中には、彼女の言ったとおり四分の一程度砂が残っていた。
「でも……珠洲ちゃん、それだけだとミサイル五発を異空間に飛ばすのはきっと無理だよ……」
弘明が俯きながら言った。
「そうでもないよ、えっとね……、私、ちょっと思ったんだけど、もしミサイルの着弾が失敗したら、それはそのまま瀋陽市民の幸福度の向上に繋がると思うんだ、その、助かった未来の市民の幸福度を先取りして、今の私たちの、ミサイルを異空間に飛ばして欲しいという願いをこの砂に叶えてもらうことはできないかな」
珠洲は説明した。
「え……」
「それは……」
他の子どもたちは互いに顔を見合わせた。
「確かに、今の僕たちには、それしか思いつかないかも……」
美濃が言った。
「そんな……他に手はないの……?」
「あと四分の一の砂でそんなことを願うなんて、うまくいくのかな……?」
弘明が声を震わせた。淡水も疑問を口にした。
「でも……珠洲ちゃんの言った方法が、一番いいかも……」
貴船が呟いた。
「うん……私もそう思う……。みんな、残りの砂を全部使うつもりで、あと一回、小瓶に祈ってみない?」
雲雀が笑顔を作りながら提案した。
「え……雲雀ちゃん……?」
「わかった……私はそれでいいよ」
「うん……、もう一度やってみよう、今度が、きっと最後だよ」
耐は雲雀の言ったことに驚いたが、史香と唯はそれに賛同した。
「じゃあ、僕も珠洲ちゃんの言った通りにするよ」
弘明も頷いた。
「弘くんも、ありがとう……」
珠洲は弘明に礼を述べた。
「司くんも、それでいい……?」
雲雀が司に尋ねた。
「あ……わかった……」
司は未だ不安そうな表情を隠せなかったが雲雀に同意した。
「みんな……」
そのとき家南が全員に呼びかけた。
「ありがとう……僕たちの祖国のためにこんなに頑張ってくれて……、僕も幸福だって思うようにするよ……未来のこの気持ちを、今のみんなのために使って……。ほら、立華も」
家南はそう言うと傍にいた立華を呼んだ。
「うん、私も……、珠洲お姉ちゃん、美濃お兄ちゃん、それからみんな……私も幸福だったって思う……みんな、ありがとう」
立華も他の子どもたちに向かって礼を言った。
「あ……、二人とも……。大丈夫だよ、ミサイルは、私たちがきっと止めてみせるから」
史香が笑顔で言った。
「史香ちゃん……、今度はもう駄目かもしれないよ」
司が史香に言った。
「あ……それもそうだね……、あはは、私ったら、見栄張ったかな」
史香は声を震わせながら笑った。その目には少し涙が浮かんでいた。
「見栄かどうかは、まだわからないよ……、みんなで、もう一度小瓶の砂に祈ってみよう」
雲雀が両手を胸の前で合わせながら言った。
「うん……わかった……。どうか、もう一度、ミサイルの関東共和国への着弾を防いでください……」
淡水も目をそっと閉じると祈り始めた。
「どうか……お願いします!」
耐は強く目を閉じ、手を合わせて言った。
珠洲と美濃も真剣な表情で目を閉じた。そして、宇宙にいた一二人の子どもたち全員が幸福の小瓶の砂に祈りを捧げ始めた。
*
「中軍委に出席の皆様……、東風二型の発射準備完了まで、あとおよそ三〇分です」
一三時半頃、中南海の会議室で、向が中央軍事委員会の出席者たちに向って宣告した。
「おお……そうですか、向司令員……本当にお疲れ様です」
「あなたの今日の功績は、歴史に記録されるものとなるでしょうな」
蕭と羅瑞卿が向にねぎらいの言葉をかけた。
「いえ……ありがとうございます……。毛主席……、あと三〇分です、よろしいでしょうか……」
向は二人に礼を述べると、毛主席にも核ミサイルの発射時刻を告げた。
「ああ……、わかった」
毛は頷くと、まっすぐと会議室の室内に目を向けた。
*
「では……あと二分くらいですね」
そのおよそ三〇分後、会議室内にいた鄧が腕時計を見ながら室内の軍事委員たちに言った。
「都市に向け、五発の核ミサイルを発射……、これは、人類史に残る出来事になりますな」
陳雲が続いて発言した。
「そうですね……私たちは、いつも歴史を残してきました。これがわが党の偉大なる歩みであると思います」
邱も続けた。
「毛主席……今更ですが、R―五型五発というのは、やはり大胆だったのではないでしょうか……?」
劉少奇が慎重に言葉を選びながら毛に言った。
「いや……構わない。我々はいつも歴史を作り続けてきた……、今回、我々が日本の反動帝国主義者たちと戦っているのも、その一頁に過ぎない」
毛は淡々と劉に語った。
「は……」
劉はそれを唖然としながら聞いた。
「瀋陽市が廃墟と化した後、彼らとの戦いは本格化するだろうが……、それも、我々が目指す革命のうちの一部分でしかない」
毛は続けて、会議室にいた全員に、真剣な眼差しで告げた。
*
「みんな……ミサイルの発射準備完了予定時刻まで、あと二分くらいだよ」
同じ頃、宇宙空間の薄い緑色の光の球体の中で史香が他の子どもたちに告げた。
「え、あと二分……!?」
「わかった……」
唯と美濃が言った。
「僕たちには……祈り続けることしかできないよ」
弘明が霊力のボールペンを持つ手を上げながら言った。
「……なんか、さっきからこの球体、少し小さくなってない……?」
雲雀が呟いた。
「えっ……」
「そういえば……」
彼女の発言を聞いて、司と貴船も驚いて顔を見合わせた。
「もしかして……小瓶の砂は……?」
淡水が恐る恐る珠洲の方を見た。
「え……」
珠洲も手元の小瓶を見つめた。そして息を呑んだ。
「嘘……」
「殆どない……?」
耐と唯も呆然とした。小瓶の砂の量は残り僅かとなっていた。
「どうしよ……やっぱり間に合わないの……?」
「え……そんな……」
弘明と司も悲観的になった。
「あの……、ちょっと思ったんだけど、この光の球体、小さくなると同時に、少し下がってきてない?」
そのとき、淡水が恐る恐る声を上げた。
「え……?」
「そんなはずは……地球の位置が変わったんじゃない?」
貴船と史香は驚いて彼女に言い返した。
「いや……地球の自転とはずっと一緒に周ってるはずだから……確かに、さっきよりちょっと地球に近づいてる……」
美濃が言った。
「そんな……下に落ちちゃったら、ミサイルの巡航コースからずれちゃうよ……」
「え……」
「それじゃ、迎撃できないの……?」
雲雀、家南、唯の表情が一様に次第に蒼くなっていった。
「あ、あれ……、史香ちゃん、なんかここ、途切れてるよ?」
そのとき、貴船が史香の方を見ながら慌てて声を上げた。
「え……ええ? 何これ!?」
史香は驚いて自分のすぐ左斜め上に顔を向けた。その場所から、彼女たちを包んでいる光の球体に、長さ四〇センチメートル、幅一〇センチメートルほどの大きさの亀裂が出来ていた。
「あ……え、ええ!?」
その亀裂はすぐにさらに拡大した。そして球体の縁の反対側まで行った。亀裂が縁に達すると、光の球体は二つに割れた。球体が二つになったことで子どもたちは五人と七人に分けられた。
「ああ……あああ!」
「そんな……」
彼らは絶望と、自分たちの身も危ないのではないかという強い不安に駆られた。
「あ……え……!?」
困惑していた珠洲は背後の異変に気付いた。その場所にも光の球体に亀裂が発生していた。
「あ……」
耐もそれを見て愕然とした。そして、すぐにその亀裂も拡大していき、球体の反対側まで到達し、それを二つに割った。
「え……ええ!?」
「こ……こんなことが……」
唯と美濃も驚いた。光の球体は全部で三つになり、それぞれ子どもたちを三人、四人、五人に分けた。また、球体の他の部分にも小さな亀裂が数多く発生し始めていた。
「どうしよう……この大きさじゃ、ミサイルを相手にできないんじゃ……」
司が恐怖心に駆られながら呟いた。
「あ、光った……!」
そのとき、雲雀が宇宙の彼方を見て叫んだ。
「え、どこ……?」
弘明が雲雀に尋ねた。
「ほら……あそこ、地球の表面の少し上の辺り……」
「嘘……、こんな状態じゃ、迎撃できないよ……」
淡水も焦った。
「じゃあ……未熟ちゃんたちは……? 瀋陽市のみんなは……?」
「それは……」
貴船と史香も暗い表情になった。
一方、珠洲は点になって光っているミサイルを眺めていた。
「みんな……」
やがて彼女はくるりと反転し、他の子どもたちの方に体を向けた。
「祈ろう」
そして、その光点を背景にしながら彼らに冷静な、しかし強い意志を持って呼びかけた。
「え……」
「珠洲ちゃん……?」
他の子どもたちは彼女のそのまっすぐな表情に驚かされた。
*
「毛主席……まもなく着弾です!」
中南海の会議室で、向が毛に伝えた。
「ああ……。現代戦とは、たかが十数人の判断でこれだけのことができてしまうもののようだね」
「は……?」
鄧がやや陰った毛の発した言葉に戸惑った。
「いや……」
すぐに毛はあらためて、今まで以上に真剣な表情で、目の前に集まっていた中央軍事委員と軍人らを見つめた。
「毛主席……?」
劉がその表情に驚いた。
「中国共産党は全人民の指導的中核だ。党が人民を指導できなければ我々の革命は成功しない。党への反動主義者……私は彼らの思うようにはさせない」
毛は彼らを見ながら呟いた。
*
(あなたの『革命』は確かに偉大でした。ですが……その『革命』がもたらされた結果、かつて満洲として栄えたこの地域の人々も飢えています。彼らを幸福にするためには、私の国は必要なのです。毛主席……私はあなたの思い通りにはさせない)
一方、珠洲も毛と同じような真剣な表情で、宇宙空間に浮かぶ薄い緑色の光の球体の中で地球の地表をじっと見つめながら祈った。その直後、それと合わせるかのように、三つあった光の球体は同じ色の光に包まれ始め、そしてその光同士が結合しあい、一つの光の固まりになった。そして、その固まりはゆっくりと少し上昇した。
さらにその直後に、バン!と大きな破裂音がするとともに、その光の固まりは一気にさらに濃い緑色の光に包まれた。
「え……あ……?」
耐は光に驚いて強く閉じた眼をそっと開けると再び驚いて口を開けた。その視線の先のにできていた緑色の光の平面に、幅四〇センチメートルほどのミサイルの尾翼が刺さっていた。
「当たったの……?」
「こっちにもあるよ……!」
弘明が耐に呼びかけた。そこにも同じくらいの大きさの尾翼が刺さっていた。
「もしかして……迎撃に成功したの……!?」
貴船が表情を次第に和らげながら言った。
「そうかも……」
「何枚あるの……?」
淡水と雲雀は他の尾翼を探し始めた。
「ここにもあった」
「こっちにも……」
美濃と唯も自分の周辺にミサイルの尾翼の板があることに気付いて声を上げた。
「……あれ……四枚だけ……?」
「一枚足りなくない……?」
「え……嘘……」
「じゃあ、あと一枚はどこ……?」
史香、耐、家南、雲雀らが言い合った。
「一発、迎撃に失敗したんじゃ……」
司が不安そうに言った。
「え……」
それを聞いた美濃の顔が曇り始めた。
「そんな……」
耐も次第に憔悴した。
「あ……」
珠洲は慌ててポケットから携帯電話を取り出すと、ボタンを数回押し、それを耳に当てた。相手はすぐに出た。
「もしもし……、未熟ちゃん……?」
「あ、珠洲ちゃん……?」
携帯電話の向こうから未熟の声がした。
「未熟ちゃん、よく聞いて……、一発、逃したみたい……」
「――」
珠洲の声を聞いた未熟の目の瞳孔が一瞬縮んだ。
「未熟ちゃん……?」
「そう……、わかった。みんなに伝えるね……」
未熟は俯きながら言った。
「あの、みんな、よく聞いて……、一発だけ、迎撃に失敗したって」
そして顔を上げると、少し笑顔を作りながら、その場にいたクラスメートたちに、珠洲からの言付を伝えた。
「えっ……」
彼らは一様に言葉を失った。
「未熟ちゃん……みんな……お願い……、地下に避難して……」
珠洲も俯きながらか細い声で未熟に言った。
「え……珠洲ちゃん……、やだなあ、着弾まであと一分切ってるんでしょ、もう間に合わないよ」
未熟は目に涙を溜めながらも笑った。
「……! 未熟ちゃん……、みんな……、ごめん……」
珠洲は一瞬顔を上げると、再び俯き、震える声で未熟に詫びた。携帯電話を持つ彼女の手に力が入った。
「あのさ……珠洲ちゃん……、こっちにいるみんなの声、聞いてくれる……? 私たちは、クラスのみんなを信じるし、それに、瀋陽のみんなと一緒にいるって決めたから、後悔はしてないけど……、でも、やっぱり、体は正直だからさ……、怖いんだ、実は、別れるのが。でも、避けたいとは思わない。自分より、優先したいと思えるものを見つけたから。私はそれを見つけられたことをよかったと思う。ただ……怖いと感じることも、それは、私たちのありのままの姿だと思うんだ……だから、それを見届けて。泣いたり、叫んだりしている、私たちの姿を……」
未熟は涙ながらに珠洲に話した。彼女の周囲にいた刹那、現有、夙伝などのクラスメートたちも震えたり、怯えたりしていた。
「……ごめん……本当にごめん……」
珠洲は次第に再び顔を俯かせていった。
「それじゃ、みんなにも代わるね……もうあんまり時間がないかもしれないけど……、何か、珠洲ちゃんたちに言いたいことがある人は、どうぞ……」
未熟は携帯電話を片手に持ちながらその場にいたクラスメートたちに呼びかけた。
「じゃあ、私に代わってもらっていいかな……」
刹那が名乗り出た。
「あ、うん」
「もしもし、珠洲ちゃん……?」
彼女は未熟から携帯電話を受け取ると、それを耳に宛てて珠洲に話し始めた。
「あ、刹那ちゃん……。ごめん……私、みんなを助けられなかった……」
「珠洲ちゃん……」
珠洲の暗い声に刹那は戸惑った。
「……いいんだよ。小瓶の砂を使ってミサイルを止めるなんてアイデアだって、誰も思いつかなかったんだし」
少しの間を空けて、刹那は明るい声で珠洲を擁護した。
「刹那ちゃん……?」
「それに、五発中四発もちゃんと迎撃できたんだからいいよ。人のやることなんだから、完璧じゃなくても、私たちは恨んだりはしないよ」
「……刹那ちゃん、ごめん……」
携帯電話の向こうで珠洲は再度刹那に詫びた。
「私……泣いてるのに……なんでだろ、それでいいって……ふふ、頑張ったから、かな……もしかしたら、何かを成し遂げられたときよりも、それでいいって……」
「せ……」
珠洲はさらに彼女の名を呼ぼうとした。
そのとき、国務院の屋上で激しい地鳴りがした。
「……!?」
「あ、あれ……!」
華月が西の空を指して叫んだ。その先の一部が黒くなっていた。
「え……?」
珠洲も電話の向こうで俯きながらか細い声を出した。楢樹も不思議そうにそれを見上げた。
「……李副主任、緊急です!」
そのとき、屋上の夙伝の元にスーツ姿の中年の男性がメモを手に駆け込んできた。
「え……?」
「瀋陽衛戍区からの緊急連絡です、先程一四時一二分頃に、瀋陽市政府から西に約二〇キロの沙嶺(シャーリン)鎮で大規模な火災が発生しているという報告を受けています。おそらく、保衛委員会で極秘に入手している中国の東風二型核ミサイルが着弾したものと思われます……!」
「ええ……!?」
夙伝は声を上げた。
「どういうこと……?」
「わからない……でも、ひとまず珠洲ちゃんたちに報告しよう」
未熟と夙伝が言った。
*
「……」
核ミサイルが瀋陽市中心部からおよそ二〇キロメートル離れたところに落ちたという報告を聞いて珠洲は気が抜けて軽い放心状態になっていた。
「なんで市内中心部を外れたのかな……?」
「もしかして……この球体の直撃は外れたけど、ちょっと掠って、それで軌道が逸れたのかな……?」
宇宙空間の光の球体の中で司と美濃が話し合った。
「え……だとしたら……、確かに瀋陽市郊外にミサイルが着弾して、犠牲者が出たことは悲しまないといけないけど……、でも……、市内中心部の着弾を免れたことで、少しは落ち着いてもいいのかな……?」
弘明が言った。
「私にとっては……」
耐が弘明に続けて口を開けた。
「市外には落ちたし、被害が出たことは悲しい……。でも、顔も名前もわからない大勢の人が亡くなって悲しいことより、友達の未熟ちゃんたち二二人が無事でいてくれて嬉しい気持ちの方が大きいんだ……。本当は、こんな考え方をしてたら、国務院副総理としては失格なのかもしれないけど……」
耐は涙混じりに目を赤らめながらも嬉しそうな表情を向けた。
「耐ちゃん……」
「うん……そうだよね……。会ったこともない人のことよりも、友達の方が大切だよ……。僕たちはまだ子どもなんだし……」
「うん……」
唯、司、雲雀らも頷き合って耐を慰めた。
「みんな……」
そのとき、宇宙空間にいた子どもたち全員に珠洲が呼びかけた。彼らは珠洲の方に顔を向けた。
「祈り続けてくれてありがとう……。祈ろうって言ったのは、一番最初は唯ちゃんで、その次が私だけど……、本当にミサイルの瀋陽市街地着弾を阻止できたのは、ここにいるみんなのおかげだと思う……。だから、ありがとう……」
彼女も目に少し涙を溜めながらも笑顔で子どもたちに言った。
「珠洲ちゃん……」
「へへ……」
彼らは珠洲に笑顔を向けたり、お互いの顔を見ながら照れ笑いをしたりした。
「珠洲ちゃんだって、みんなの中の一人だよ」
史香が珠洲に言った。
「あ……うん……」
珠洲は史香の指摘に照れながら頷いた。そして、携帯電話を耳に充てた。
「もしもし、えっと今は……刹那ちゃん……?」
「……え、珠洲ちゃん……?」
未熟がその電話に出た。
「あ、未熟ちゃん……。あの、地上にいるみんなに伝えて……、ミサイルの市内中心部着弾を阻止できたのは、地上にいるみんなが私たちを支えてくれたおかげだって……。だから、みんなにも、本当にありがとうって……。」
「珠洲ちゃん……」
未熟は落ち着いた様子で珠洲の伝言を聞いた。刹那、夙伝ら他の子どもたちも携帯電話から漏れて聞こえてくる珠洲の声を聞いて穏やかな表情になったり、頬を赤らめたりした。
「それから……でも、実際にミサイルは瀋陽市郊外に落ちちゃったから、ここからは国務院総理の指示として聞いて。まず、全国に戒厳令を敷きます。国軍は被災地に行って、現地の公安と協力して被災者救援と被害状況の把握に当たってください。国家保衛委員会は引き続き中国の中共中央軍事委員会と第二種砲兵部隊の動向の調査に全力を挙げてください。それから外交部は、中国宛に、抗議の電報の作成をお願いします」
珠洲は未熟に指示を伝えた。
「うん……わかった」
「後の報告は……私たちも帰ってから聞くね」
「うん……」
未熟は珠洲の声を聞きながら頷いた。
*
「な……」
ミサイルのうちの一発のみが瀋陽市郊外に着弾したという報告を聞いて、中南海の会議室にいた毛は目を丸くしていた。
「準中距離を五発撃って四発が失敗、一発のみが目標から大幅に外れて着弾とは……ソヴィエト製というのは、あまりあてにならないものなのですかな」
鄧が苦笑いをした。
「そんなはずは……、総書記同志、かの国を見くびってはなりませんぞ。ソヴィエトは一九五七年八月に大陸間弾道ミサイルR―七型の試験発射に、一〇月には人工衛星スプートニク一号の打ち上げに成功している技術大国です。我々もソヴィエトの人工衛星打ち上げ成功に倣って、『わが国の農業は人工衛星の打ち上げのように躍進する』と喩え、穀物が人工衛星のように空に登っていく様子を描いたポスターを掲出しているではありませんか」
羅瑞卿が鄧に反論した。
「ですが……、実際にソヴィエトのミサイルは一発も瀋陽市中心部には届かなかったのですぞ」
劉少奇は鄧を擁護した。
「あの……以前に政治局では、美国が一九五五年から、弾道弾迎撃ミサイルの開発に着手しているという報告を受けていましたが……あの計画と何か関連しているのではありませんか? 向司令員、資料はありますか?」
そのとき周が口を挟み、向に弾道弾迎撃ミサイルの資料を持ってくるように頼んだ。
「あ、はい、それでしたらこちらにあります……あ、お待ちください、今、皆様にも読み上げます」
向は自分の前の机に置かれていた、多数の付箋がしてあった書物の山の中から、一部を取り出した。
「周総理の仰る通り、美国では一九五五年から弾道弾迎撃ミサイルLIM―四九の開発が始められています……。これは地上からの無線指令の誘導を受け、高度数百キロメートルで核爆発を起こし、強力なX線及びガンマ線などを放出させるものです。その輻射が飛来してくる核弾頭の内部に達するとこれが熱に変わり、起爆用の通常火薬を爆発させたり、核弾頭の電子機器を損傷させ、これを無力化させるというメカニズムとなっています。ですが……」
説明する向の口が重くなっていった。
「これが実用化されたという報告はわが党調査部にも入っていませんしソヴィエトもわが党に連絡してはいません。そして……そもそもこれは美国が開発中の技術であって、関東や、関東の逆賊朝霧らの出身地である日本が保有しているという情報も勿論我々の元には入ってきていません!」
向は資料を読みながら嘆いた。
「いや……ですが、これだけ多くの、しかもたかが準中距離ミサイルが一発も目標に到達していないとなると、弾道弾迎撃ミサイルが関東では極秘に開発、運用されていると見た方が自然なのかもしれませんぞ……?」
「まさか……向司令員の言うとおり、これはまだ実用化されていない技術ではないですか?」
陳雲や邱も驚きながら発言した。
「ですが……日本が背景にいるのなら、考えられなくもありませんよ。関東はそもそも、建国当初から神聖なるわが領土で核を先制使用した疑いが持たれている、危険な国です。そのような未知の兵器を保有しているということも有り得るかもしれません」
「そんな……関東とは……そして、朝霧一味が何者だというのですか……? 日本の差し金ですか、戦争を放棄し平和主義の道を歩むという憲法を定めた今の日本にそこまでの軍事力があるというのですか?」
羅栄桓と聶も興奮しながら発言した。
「あの法は……欺瞞でしょう。自分も、そして自分の仲間も守らない。少し考えればわかるでしょう。あんな法がもし私たちの国にあったとすればどんな気分になりますか。その国……いや、アジアとしても、地球市民としても不快ではないですか。あんなものを本気で守る気など起きないでしょう。よほどの情勢知らず……まるで汽車に一駅も乗ったことのないような者でなければ。そんな者、いるはずがないでしょう」
周が珍しく少し声を荒げた。
「なるほど……さすが、周同志の仰る通りですね。とはいえ……隠し持つ手口があまりに巧妙すぎてはいないでしょうか」
今度は朱が続けた。
「人民の中核たるわが党の政治局がこれだけの叡知を集めてもこの混乱とは……」
そのとき毛が静かに呟いた。
「……」
一瞬室内もそれに合わせて静かになった。
「そして……私にすら、現状、戦略が見当たらない」
「え……」
毛の言葉に劉少奇が驚かされた。
「この私に……人民中国の初代主席に、追いついてみせよと言っているようだね。現代戦の科学技術の歩みが」
彼は生き生きとした表情で言った。
「……ソヴィエトのミサイルから人々を防衛した、この技術は優れたものだ。羨ましい……我々も彼らを見習わなければならない」
「……」
周囲は再び沈黙した。
「とはいえ……技術だけで国が成り立つものでもないか……。それとともに、国には、人々を導き、また共に歩もうとする優れた統治者が必要なはずだが……。関東共和国か……。居るのだろう」
「は……?」
劉少奇が不思議そうに聞き返そうとした。
「多少は人民のためを思っている統治者……、異郷の者でありながらにして、関東の人民のために尽力しようとしている指導者たちが……」
毛はまじまじと室内にいた軍事委員と軍人たちを見つめながら、名前しか知らない、自分に反抗してくる者たちが、今も瀋陽でミサイル防衛のために政務を執っているのではないかと想像し、林という忠実な同志を失ったにも関わらず感心してやや上を仰いだ。
(ですが主席……、この状況もまた、あなた方が招いたものなのでは……)
一方、席上にて鄧もまた毛をじっと見つめていた。
(民を安寧にするには……ときには紅旗の意地すら捨てればよいのです。そう、あの忌まわしい美国の手法すら真似て。安保のことなど心配は要らなかったのです。朝鮮にいる、彭にすら頭の上がらなかったあの山賊の成り上がりに任せておけば、我々はもっと悠々と繁栄を謳歌できた……。中央書記処にもっとお力をいただけていれば、この状況は防ぐことができたかもしれません。とはいえもはやどうしようもないことなのですが……)
そこまで思案すると鄧もまた少し上を仰いだ。
*
「え……?」
一方、宇宙空間にあった光の球体の中で、誰かの視線を感じた珠洲が振り返った。
「どうしたの、珠洲ちゃん……?」
「あ……、ううん、なんでもない……」
珠洲はすぐにそれを気のせいと思って再び耐の方に顔を向けた。
*
「だが……関東は人民中国の統一に反旗を翻した帝国主義の国だ。彼らが彼らの技術を用いてくるのであれば……我々もまた、農民、労働者、小資産家、愛国資本家の四階級に延安の精神を広め、これを結集することによって打倒し、今後も革命を遂行していかなければならない」
その頃、中南海では毛が会議の出席者たちに呼びかけていた。
「はい……!」
「毛主席の仰る通りです!」
彼らは毛の発言に呼応しあった。
「そして……もうひとつ、伝えておかなければならない極めて重要なことがある」
毛はさらに続けた。
「は……?」
「私は彼らと抗争し続けている。無論今もそれは変わらない。しかし……今私は彼らに一定の敬意を感じている。中国共産党中央委員会主席として。また、同じ戦略家として」
出席者たちは沈黙した。
「私と彼らとの抗争の経緯、そして今私が彼らに感じているこの敬意……これは必ず克明に記録し公開しなさい。私や党への遠慮からこれを秘匿しようとすることを私は決して許しはしない。党中央も、いや、人民中国の支柱となる中国共産党も、人民中国も、そして……日本も!」
毛は厳として告げた。
*
「でも……これで、小瓶の砂はもう殆どなくなっちゃったよね……」
宇宙空間の光の球体の中では、耐が残念そうに呟いていた。
「あ……そうだよね……」
「まあ……、また一から頑張らないと……」
雲雀、弘明らがそれに応えた。珠洲は手元にあった小瓶を胸の前に取り出した。
「あれ……!?」
珠洲はそれを見て大きな声を上げた。
「え?」
「珠洲ちゃん……?」
「どうしたの……?」
周囲にいた子どもたちはその声に驚いた。
「増えてる……砂が……四分の三くらいになってる……」
珠洲は小瓶の砂の量を見て肩を震わせながら言った。
「え……!?」
「嘘……」
司、唯がその発言に驚いた。
「本当……、これ……」
珠洲は恐る恐る小瓶を彼らの前に示した。
「え……」
それを見た美濃も驚き、そして震える珠洲の顔を伺い見た。
「……」
珠洲も驚く美濃の表情を伺った。
「やったー!」
そのとき、耐が珠洲に背後から抱きついた。
「凄いよ、私たち、きっともうすぐにでも帰れるよ!」
耐は珠洲の肩を抱きながら喜んだ。
「うん……でも、何で急に砂が増えたのかな?」
唯が疑問を口にした。
「もしかして……核ミサイルから瀋陽市中心部を守ったことが、人々の平和を守ったと評価されたのかな」
雲雀がそれに答えた。
「あ……なるほど……」
美濃がその説明に納得した。
「それは……よかったよ……」
弘明も安堵した。
「うん……」
司もそれに頷いた。
「みんな……待って……」
そのとき、珠洲が子どもたちに呼びかけた。
「確かに私たちはもうすぐ帰れるかもしれないけど……でも、このまま帰っちゃだめだと思うんだ……」
「え……?」
「どういうこと?」
耐、史香などが不思議そうな顔で珠洲の発言を聞き返した。
「このまま帰っちゃったら、関東の人たちはまた中国の統治の危険に晒されるかもしれないから……国を安全に継承してくれる、私たちの後継者が必要なんじゃないかって……」
珠洲はゆっくりと彼女たちに自分の不安を説明した。
「後継者……?」
耐がさらにきょとんとした顔で珠洲に聞き返した。
「うん……」
珠洲は耐の質問に頷いた。
「珠洲ちゃん……前に行っていた、総務庁副主任に選抜する議員なんだけど……、候補はとりあえず二人でいい?」
中国側が関東に核ミサイルを放ってからおよそ一箇月が経った三月五日、珠洲たちのいる執務室に、議員機構組織部長の校木正堯が、数枚の資料を手にして入ってきた。
「え……? あ、うん、ありがとう」
珠洲は正堯に礼を言いながら彼の手にしていた資料を受け取った。
「一人は李元国(リーユェングオ)議員機構組織部副部長だよ。各部内でも議会でも人望があって、人気があるよ」
「へえ……」
美濃もその資料を横から覗いた。珠洲は美濃に資料を手渡した。
「もう一人は陳王立(チェンワンリー)財政部政務副部長だよ。この人も人気らしいんだ……。ただ……人から見れば結構おっちょこちょいに見えるみたいなんだけど」
続けて正堯は苦笑しながらもう一枚、別の紙を珠洲に見せた。
「まあ……多少の失敗は誰にでもあるよ」
珠洲は正堯にフォローした。
そのとき、コンコン、と執務室をノックする音がした。
「あ……どうぞ」
珠洲は返事をした。
「みんな……、ちょっといいかな」
ドアを開けて、現有が入ってきた。
「あれ、現有くん……?」
美濃が不思議そうに彼を見つめた。
「日本の池田首相と小坂外相が関東への訪問を打診してきたんだけど」
「え……!?」
現有の報告に一同は驚いた。
「日本が……どういうこと? 日本は米国に追従していて関東を承認する余裕なんてないはずじゃ……」
「さあ……?」
「わからない……」
執務室にいた子どもたちは顔を見合わせた。
*
「というわけで、一〇日から、貴方を国務院総務庁副主任に任命したいのですが……構わないでしょうか……?」
「え……総務庁副主任ですか……!?」
翌六日、珠洲は総理執務室に陳王立財政部政務副部長と、黄華東(ホヮンファードン)財政部総務司長を呼び、子ども姿のままで陳王立に総務庁副主任への就任を打診した。打診を聞いた陳王立は目を白黒させ、肩を震わせた。
*
その直後、陳王立と黄華東の二人は国務院会議府の廊下を歩きながら話していた。
「やりましたね……総務庁副主任ですか……!」
黄華東が笑顔で陳王立を祝った。
「ふ……ふふ……」
「陳さん……?」
陳王立は俯きながら肩を震わせていた。黄華東は不思議そうに陳の方を見た。
「やった、やった……!」
陳王立は声を震わせながら歓喜の声を上げた。
「陳さん……よかったですね。朝霧総理は陳さんを時期国務院総理に押したいのかもしれませんね」
「そう? ……そうかもな」
陳王立も笑顔で答えた。
「あ……でも……」
「え……?」
「朝霧総理は、李元国さんも同時に総務庁副主任に就任するよう依頼したって聞きましたよ?」
黄華東は白々しく言った。
「な、何っ! 李元国だとっ……!?」
李元国の名を聞いた途端に陳王立の語気が荒くなった。
「え……ええ……」
黄華東はその豹変ぶりを見て焦った。
「あいつと私とは古くからのライバルなんだ……、あいつも国務院総理に抜擢されようとしているのか……これは負けるわけにはいかないな」
陳王立は意気込んで見せた。
「え、そうなんですか……」
黄華東はその凄みに驚きながら相槌を打った。
程なくして、二人は国務院会議府を後にした。
「あ……、いたいた、陳副部長……!」
そのとき、一人の若い女性職員が二人の元に駆けてきた。
「え……?」
「もう、この、国際司の人事に関する資料に調印するのを忘れてますよ……、はい」
その女性は一枚の紙を陳王立に手渡した。
「あ、ああ……すまない」
「ほんとうにもう……相変わらずうっかりしてますね」
「あ、ああ……」
陳王立は恥ずかしがりながらその書類にサインをした。
「ライバルというか……、もしかして、初めから相手にすらされてないんじゃ……」
その様子を見た黄華東は呟いた。
*
「池田総理……一度聞いておきたかったことなのですが……、この内閣は所得倍増路線を掲げて経済成長政策に専念し、強硬路線を採って日米新安保条約の締結を急ぎ、倒れた岸前政権の反省から、外交に関しては論争となりやすい課題を避ける方針だったはずですが……私に米国すら承認していない関東への訪問を指示し、また自らも訪問する意志を示したというのは、どういうお考えがあってのことなのでしょうか?」
同日、日本の総理官邸を訪問し総理執務室に入室した小坂善太郎(こさかぜんたろう)外務大臣が池田勇人(いけだはやと)総理に尋ねた。
「ああ……そのことですか。いや、私も外交に関しては小坂さんの仰る路線で行くつもりだったのですよ。だからハト派と言われている貴方に外相をお願いしたのですから。ですが……関東の成立と、それに続く中共の核ミサイルの使用、そして関東によるその迎撃などによって情勢が大きく変化してきたのです」
椅子に座っていた池田はまじまじと机越しに小坂に言った。
「え……それで、総理の心境も変わられたということですか……?」
小坂はきょとんとしながら池田の方を見た。
「そうですね……。中共によるソ連製核ミサイルの使用も脅威ですが、何より驚かされたのは、関東はそれを迎撃する技術を持っていたということです。関東は成立時に核を使用したのではないかと疑われており、これら関東の技術には日本人が関与しているとも言われていますが実態は明らかではありません。調査室がわからないと言っているのですからおそらくわからないのでしょう。ですが、中共による産業集団化政策がうまくいっておらず中国東北部の住民の集団化への反発が非常に大きかったことが、このような技術を持った関東の成立には関係しているようです。中共がそのような状況なのであれば、かつて満洲を建国し、中国東北部の発展に寄与したわが国としても黙って見ているわけにはいかないでしょう。わが国は戦後、東アジアの外交に関する基本政策は米国に委ねる方針でやってきましたが、米国の、関東の不承認という判断は関東の情勢を見誤ったものではないか、と私は気づいてしまったのです。もっと重要な局面から逃げてばかりの者であればそうはいかなかったのかもしれませんが……、自分になかなか嘘のつけない性格であるこの私が、あろうことか、正当に選出されたこの国の代表を務めているこの最中に。関東の住民がミサイル迎撃という技術を持ってまで独立を望んでいるというのが実態なのであれば、かつて関東の発展に寄与した我々としては、それが戦後築き上げてきた米国との協調路線を捨て、独自の外交路線を採ることになるというのであっても、関東を承認しなければならないのではないかと考えられるのです」
「は……」
小坂は、真剣な眼差しで訴える池田の表情に驚かされた。
*
「私が今回関東を訪問したいと考えた経緯は今お話した通りです。朝霧総理……、私が正直にものを言い過ぎて、嘘をつけない性格であることは、貴方もご存知のことでしょう。もし関東の皆さんが良いと仰るのであれば、私たちは、既にお話していたように、今日は共同宣言の発表を行いたいと思っているのですが……」
それからおよそ二週間後の三月二〇日、池田首相と小坂外相は関東共和国瀋陽市北陵崇山に作られた仮設の瀋陽迎賓館を訪問し、大人姿の珠洲、現有、美濃、雲雀と会談した。
「え……池田総理……本当ですか……。東アジア住民の繁栄のためなら、日本は今後、米国の意志を離れて自分たちの意志で行動するというのですか?」
珠洲は池田の毅然とした発言に驚き、彼に聞き返した。
「はい……その可能性も有り得ます。それが東アジアの地域の人々のためになるというのであれば」
池田は再びはっきりした口調で珠洲に話した。
「では……関東では今後も危機が発生するかもしれませんが……そうなったとき、関東と独自の関係を持ってしまった日本はどうするというのですか?」
雲雀が池田に尋ねた。
「それが理にかなっているというのであれば関東を支持します。米国の判断を離れたところで、独自に支援を行うことも有り得るでしょう。あらゆる分野を排除せずに」
「え……」
珠洲は池田の発言に再度驚かされた。
「それは険しい道になる恐れがあります……、米国の判断と関係のないところで日本が独自の外交を展開するというのであれば、安全保障を確保する上で、日本は現状のように、世界に例を見ないほど高頻度で、民意を反映し、選挙を実施し、代表者を入れ替え続けるという作業が難しくなる可能性もあります。それは……日本にとってデメリットになるのではないでしょうか」
珠洲が池田に再度尋ねた。
「はは、そうですね……。ですが、もし時代がそれを求めるというのであれば、それも自ずから必要になってくるかもしれません……。繰り返しますが、私たちが望んでいるのは、単純に東アジア住民の繁栄です。ご指摘の点は確かに明らかにデメリットです。一方、東アジアの繁栄は巡り巡って日本の繁栄になり、これはメリットと言えると思います。両天秤ですが……後者の方が大であれば、他国の判断とは関係のないところで動くことも、合理的ではないでしょうか」
池田もまた珠洲に尋ねた。そこまで言われて、珠洲の表情にやや安堵感が覗えた。
「そうですか……池田総理、貴方の真意はわかりました……。今日はわざわざお越しいただきありがとうございます。私たちも、是非共同宣言を発表したいと思っています」
珠洲は池田に深々と頭を下げた。
そして、その日、関東地域を含めた東アジアの平和と同地域住民の繁栄を謳い、将来の日本国と関東共和国との間の国交樹立を目指すことを文言に入れた、両国の間の共同宣言が発表された。
*
「ただいま」
池田との会談を終えた珠洲は子ども姿で総理執務室に帰ってきた。
「あ……! 珠洲ちゃん、大変だよ! ちょっと、これ……」
そこに、室内にいた耐、司と美濃が駆け寄ってきた。
「え……どうしたの……?」
珠洲は驚いて三人の方を見た。
「これ……満タンになったんだ!」
耐は幸福の小瓶を手にしてそれを珠洲の前に示した。それは砂で満たされていた。
「――」
珠洲はその小瓶を見て息を呑み、そして再度耐の顔に目を向けた。
「珠洲ちゃん……」
耐も茫然としながらも珠洲に呼びかけた。
「……!」
「……ぇちゃん!」
そして耐は珠洲の胸元に飛び込んだ。珠洲も耐の名を呼んだ。
「やったよ……なんでだろ、これで私たち帰れるよ」
「うん……きっと、日本と共同宣言を出せて、安全保障面での協力関係を築いていくことも相談できたから……、霊力の必要性が大幅に軽減されて、それが評価されたんだと思う……」
珠洲も耐の背に手を伸ばしながら嬉しそうに言った。
「よかった……」
「うん……」
司と美濃も頷いた。珠洲も耐を抱きながら二人の方を向いて軽く頷いた。
*
「労働社会保障部からの報告ですが、先二ヶ月の失業率がその前の二ヶ月に比べて悪化し、七パーセント台となりました……。早急な改善が望まれるところです」
関東と日本が共同宣言を発表してからおよそ二週間が経過した四月四日、関東の国家経済財政委員会の席上で、光恵がメモを手に発言した。
「え……失業の増加は、先のミサイル事件などによる瀋陽市の人口減などの混乱が影響なんじゃ……」
司が呟いた。
「これは、対策を採った方がいいのかな……」
唯も司に続いて発言した。
「あの、それでしたら、以前経済企画部と水利部の方で、公共工事対策として提案していた、全国一斉の大規模なダム建設を補正予算案に追加してみてはいかがでしょう」
そのとき、約1ヶ月前の三月一〇日に、陳王立とともに新たに総務庁副主任に任命され、国家経済財政委員会に出席していた、李元国が発言した。陳王立は風邪のために委員会を欠席していたため、李元国は委員の中で唯一の大人だった。
「え、ダム建設ですか……」
それを聞いた弘明が相槌を打った。
「なるほど……」
耐も頷いた。
「え……?」
一方、美濃は李元国の方をじっと見つめた。
「……?」
珠洲はそんな美濃の表情を伺い見た。
「あの……、でも、このダム建設の案は、予算の無駄遣いになるかもしれないということで、財政部の方でも見解が別れていたことなんだけど……」
そのとき、淡水が発言した。
「あ……、うん、わかった……。それじゃ、失業率の件については、いろんな意見があるみたいなので、また次に回して話し合うということにしよう」
珠洲が言った。
*
翌五日、珠洲は総理執務室に、体調の回復した陳王立を呼んだ。
「……以上が、昨日の国家経済財政委員会の主な議事内容です。……あの、もう体調は大丈夫ですか? それと、何か質問などがあれば……」
珠洲は心配そうにそう言いながら議事録を陳王立に手渡した。
「あ、総理……ありがとうございます、お蔭様で、ゆっくり休めましたので体調の方はすっかりよくなりました」
陳王立は肩を上げ下げしてみせた。
「ただ……ちょっと気になったのですが……この、公共事業としてのダム建設を復活させるという案には少し不安を感じます……。公共工事は自然環境の脅威などに対して、必要に応じて建設するべきで、それ以上に、所謂就業対策としてまで実施するのは聊か問題があるのではとは思いました……。しかも技術上、先進諸国と同様の機能を果たすものになるのかどうかも懸念でした。余裕があるのであればともかく、この国は社会保障すらままならない状態でして……」
陳王立は珠洲の顔を見ながら淡々と言った。
「あ……それは……、僕も思った……。あの予算は、少し減額した方がいいって……」
そのとき、珠洲の傍らのソファーに座っていた美濃が真面目な表情で会話に入ってきた。
「え? 美濃くん……、わかった……。私も、ちょっとそんな気はしてたんだけど、これは自分では判断できなかった……。それじゃ、次の国家経済財政委員会で、この案を取り下げられないか、私からもみんなに聞いてみるね」
珠洲が言った。
そして、次回、四月一九日に開催された国家経済財政委員会で、ダムの一斉建設案については縮小されることが決まった。
*
四月一五日、珠洲と美濃は、四年二組のクラスメート一二名から成る国務院常務会議のメンバーを招集した。
「えっと……、今日みんなに集まってもらったのは、私の後任の国務院総理などの人事についてなんだけど……」
「えっ……」
珠洲から後任の国務院総理と聞いて、クラスメートたちは驚いたり、息を呑んだりした。
「既に、李元国さんと、陳王立さんに、候補として、国務院総務庁副主任になってもらっているんだけど……、私と美濃くんの二人で先にちょっと相談したんだけど、私たちは、陳王立さんを国務院総理兼議員機構主席に、李元国さんを議員機構総務庁主任に任命したらどうかと思った……」
珠洲は言った。
「うん……」
耐が頷いた。
「えっ……」
「そうなの……?」
「私も、珠洲ちゃんは、てっきり李さんを総理に推したいと考えてるのかと思ってた……」
一方、淡水、貴船、唯らが不思議そうな顔をした。
「だって……ほら、李さんの方が、なんか、エリートっぽいし」
「あ……うん……それはそうなんだけど……、李さんは、物事をあまり深く考えていないみたいなんだ……。陳さんは、ちょっとおっちょこちょいなところがあるとも言われているみたいなんだけど、物事を深く、自分の頭で考えているように見えるんだ……」
「だから、陳さんにトップになってもらって、李さんには、議員機構総務庁主任になってもらって、彼の補佐をしてもらえないかなと思ったんだ……」
珠洲に続いて美濃が説明した。
「あ、なるほど……」
「確かに……ダブルで協調か……」
唯と貴船は頷いた。
「そういうことなら、私は、珠洲ちゃんと美濃くんが考えた通りでいいと思うよ」
「僕も」
続けて、淡水と司が二人の意思に賛同した。
「まあ……何だかんだ言って、私たちも全員あれだったしね。頑固なときは頑固だったし、相手の方がいいと思った途端言うことを変えたりもするし……。だいたい珠洲ちゃんと美濃くんの方針が当たりだったけど、あれは本当に当たりだと思ったからだよ。『私の方が』って言う気がしなかった。だから、ときどきはもう、それでダメなら別にダメでもいいやってさえ思っちゃったし……。でもこれからもわからないよ、『私の方が』って思ったら、また飛ばすかも、私」
雲雀が苦笑しながら言った。
「ある……かも……、それは僕も」
弘明も続けて苦笑した。
こうして、陳王立を時期国務院総理兼議員機構主席に推薦することが、国務院常務会議で決まった。
*
それからおよそ一ヶ月半後の六月一日、珠洲と美濃が関東にタイムスリップしてからちょうど一年経った日に、関東共和国国家議会特別会が開催されていた。
「それでは開票結果をお知らせします。関東議会議員機構の陳王立さん、一四九票、民主社会党の高国成(ガオグオチェォン)さん九四票、関東労働党の金人福(ヂンレンフー)さん五票、無所属の劉精田(リウヂンティェン)さん五票、よって、当議会は、賛成多数で、陳王立さんを、国務院第二代総理に選出します」
議長が開票結果を読み上げ、陳王立を国務院第二代総理に指名した。陳王立は席を立ち、左右に頭を下げた。議場は拍手に包まれた。
続いて陳王立は議場の演説台に進んだ。彼が演説台に辿り着くと、続いて、大人姿の珠洲が演説台に向かった。そして、二人は演説台の上で握手をした。すると、議場を包んでいた拍手の音が一際大きくなった。
*
同日午後、四年二組のクラスメート全員と、家南、立華、桂創と、陳王立、李元国は国務院会議府の屋上に登った。
「あ、陳さん、李さん、ちょっとお話が……」
砂で満タンになった幸福の小瓶を手にした珠洲が、陳王立と李元国のもとに行った。美濃、耐、司らも彼女について行った。
「これからのこの国のことなんですが……」
「はい……」
珠洲は二人に話し始めた。
「まず、一つ目に、表現・言論の自由などの憲法の規定は大切にしてください。それから、二つ目に、今後はペンがなくなってしまうので、安全保障の面で少し不安が生じてしまうのですが、それは、朴政権下の韓国や、この度、米国の意向に関わらず関東の安全保障を重視したいと言ってきてくれた日本との関係を重視することでカバーすればいいのではないかと思います。もちろん他にも、いつでも、どことでも、友好的になれるチャンスを探し続けてください。そして、三つ目に、議員機構の存続についてなんですが……、議員機構は確かに民主主義の原則から見れば少しおかしな制度かもしれません。ですが関東では、国が貧しいために国民の教育水準が低すぎて、民主主義を定着させることが難しいのです。少なくとも国民の多数が、高等教育を修了できるくらいの水準になるまでは、議員機構の制度は残したほうがいいと思います。あれがあるおかげでかえってそれ以外の人権が比較的強く保障されている側面があるんです。半端に参政を拡大した結果、かえって人治的になったりして、頼みになるものが減る社会ができることもあったりするんです。四つ目に、国務院総理の任期についてですが……、私は、とくに任期を重視してはいないです。任期を設けて引き継いでいくのも構わないですし、国がとくに混乱していないのであれば、何十年も同じ人がなり続けていても構わないと思っています。私からのお願いは以上です……」
「はい……」
「わかりました……」
李元国と陳王立は真剣な表情になって返事をした。
「それでは……関東共和国三千万の国民のために、今後さらに安定した執政を行っていくことを、お二人にはお願いします」
「はい……!」
珠洲は二人に頭を下げた。二人は再び返事をした。
「珠洲ちゃん、それじゃ、そろそろ……」
美濃が珠洲を呼んだ。
「あ、うん……わかった……」
珠洲も美濃の方に向かった。
「朝霧総理……!」
そのとき、陳が珠洲の名を呼んだ。珠洲は足を止めて彼の方を振り返った。
「あなた方は不思議な子どもでした……、それについては、私たちも今も謎のままです。ですが、あなた方が革命を起こされ、餓死者が頻出していたこの国で、集団化政策を取りやめ、産業を興され、国を再建されたことは事実です。私たちは、そのことを今でも感謝しています……!」
陳は珠洲に言った。
「陳さん……ありがとうございます……」
珠洲も陳に礼を述べ、再び頭を下げた。それを見た陳は朗らかな表情を浮かべた。他の子どもたちも穏やかな顔つきになった。
「珠洲ちゃん……」
少しして司が珠洲を呼んだ。
「あ、うん……」
珠洲はそれに応え、再び他の子どもたちの元に向かった。
そして、四年二組の子どもたちは一つの円になって並んだ。
「それじゃ……祈ろう」
雲雀が彼らに呼びかけた。
「うん」
「そうだね……」
唯、貴船らが頷いた。
「小瓶さん、小瓶さん……、私たちを、元いた時代の日本に帰してください」
「帰してください……、お願いします」
「私たちの願いを叶えてください……」
やがて、史香、弘明、淡水ら子どもたちは手を胸の前に当てたり、目を閉じたりして祈り始めた。
すると、彼らの立っていた屋上の地面が円形に薄い緑色の光を放ち始めた。そして、その光は高さ一〇メートルほどの半球状になり、彼らを包み始めた。
「あ……!」
「やった……」
夙伝、未熟らがそれを見て声を上げた。彼らを包んでいる光はさらに濃くなった。
「みんな……成功だよ、これだけ光が強ければ、元いた時間の日本・京都に戻れるはず……。本当に、お疲れ様……」
桂創が子どもたちに言った。
「あ、はい……」
「桂創くんも、お元気で……」
現有、とまとらが桂創に別れの挨拶をした。
「うん……これで僕の役目も終わりだね……もう、僕が僕である必要もなくなるね……」
桂創は笑顔になって頷いた。
「あの……みんな……!」
そのとき、家南が子どもたちに呼びかけた。
「上手く言えないけど、みんなが来てくれたおかげで、僕たちも、この国も助かったんだ……、だから、ありがとう……!」
家南は子どもたちに向かって礼を言った。
「うん……みんな、ありがとう!」
立華も家南に続いて子どもたちに礼を述べた。
「あ……家南くん、立華ちゃん……」
「こちらこそ、いろいろ助けてくれてありがとう」
刹那が二人に相槌を打った。美濃は二人に礼を返した。
「さようなら……」
「うん……二人とも、さようなら」
華月と融は二人に別れの挨拶をした。
「さよなら……」
家南も子どもたちに別れの挨拶をした。
「みんな……、あともう少しだけ祈ろう」
淡水が子どもたちに呼びかけた。
「うん、わかった……」
「小瓶さん、私たちを帰してください」
「お願いします……」
政美、芳、椿らも声を上げて祈った。
「僕たちを、元いた時間の日本に戻してください」
「帰してください……」
美濃と珠洲も両手を胸の前で組みながら声を出して祈った。
次の瞬間、光は子どもたち全員を包み込んだ。そして、光の球体が消え、同時に子どもたちの姿もその場所から消えた。
*
夕暮れ時、誰もいない洛央小学校の図書室の室内で突然、空中に薄い緑色の、直径数十センチメートル程度の大きさの光の球が出現した。その光の球はすぐに大きくなっていき、直径十メートルくらいになった。そして、その光の中から四年二組の児童たちが出現した。彼らが出現してすぐに、光は消滅した。
「ここは……」
「図書室……?」
桜となつみが呟いた。
「え……じゃあ、時間は……?」
今朝が少し緊張しながら呟いた。司書の机の上に置かれていた時計は六月八日の十六時十一分と表示されていた。
「うん……僕たちが掃除してからすぐ後だよ……! 箒の並び方を覚えてるもん」
歩が、図書室の隅のダンボール箱に入れられていた五本ほどの箒を見ながら言った。
「え、それじゃ……」
「ちゃんと帰ってこれた……?」
「やったの……!?」
光恵、操、千枝らがおそるおそる言い合った。
「珠洲ちゃん……」
耐が震えながら珠洲の名を呼んだ。珠洲は耐の方を振り返った。彼女の目にもうっすらと涙が浮かんでいた。
「やった……!」
「うん……!」
そして、二人は抱き合った。
「あの……みんな、ありがとう……、みんなが最初、僕たちを助けに来てくれた、そして、ずっとみんなは、僕たちを支えてくれたから……だから、ありがとう……」
美濃が顔を紅潮させながらクラスメートたちに言った。
「ううん……私たちも、美濃くんと、珠洲ちゃんには、ありがとうって言わなきゃ……」
「うん、だって、私たちは、二人の持っている知恵と、そしてそれを使う気持ちのおかげで助かったんだから……、私たちも、ありがとう」
未熟と刹那が美濃と珠洲に言った。
「あ、それは……」
「うん……」
美濃と珠洲はさらに顔を紅潮させた。
「あ……そう言えば……、新京極、いつ行くか決めてなかった」
雲雀が苦笑した。
「え……?」
「ひば……もう、少しは頭を休ませてよー」
弘明と唯もそれを聞いて苦笑した。一方、耐はそっと珠洲の腕の中から出た。
「珠洲ちゃん……、帰ろう」
そして少しして、耐は珠洲に手を差し出した。
「あ、うん……」
珠洲は頷くと、彼女の手をとった。
そして、二人は図書室の扉を後にした。二人の他のクラスメート達も、順次図書室を出て行った。
2019年1月11日 発行 初版
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