───────────────────────
───────────────────────
猫は、殺気を放ちながら飼い主の胸から地面に飛び降りた。まるで、自分の子供を守るように威嚇とも何かの覚悟でも決めたように一声だけ鳴いた。そして、地面を確りと踏みしめてから振り向くのだ。
「大丈夫だからね。お姉ちゃんに任せて!」
小さい主が頷くと、また、正面を向き待ち構えた。それは、熊のはずだ。
「こ・・子・・犬?・・子熊?・・・」
小さい主は、猫の後ろから安堵の表情を浮かべながら前方を見るのだ。だが、どう考えても、誰が見ても猫の身体では隠れられるはずもなく、何か遭っても対処するのは人であるのだ。そのことには、猫も人も気付かずに一緒に前方を見続けるのだ。そして、人は匂いにも音にも目も何一つとして動物として優れている機能は無い為だろう。何か小さい物に気付くことで安堵のような声が出るのだった。それでも、来夢の方では、ますます尾っぽを膨らませて威嚇の構えをするのだった。そんな、来夢の姿を見て更に真剣に前方を見て、小熊だと分かると、周囲を見回した。親の熊が一緒にいるはず、そう思ったのだ。
「・・・・」
来夢は、確りと、確認すると、利き腕の前足をゆっくりと地面に下して、左の前足で猫パンチの構えをするのだ。この場では、恐らく、来夢だけに見える。左の前足の小指に赤い感覚器官が生き物のように動いて獲物を狩ろうとする感じだった。すると・・・。
「ホホっホホっホーホー」
梟の鳴き声が響いた。来夢は、耳をピクピクと動かし、梟の鳴き声の意味が理解しているのか一声だが呻った。だが、梟には、来夢のうなりの意味が分かったのだろう。更に悲鳴のような感じで鳴くと、今度は、子供の狐が突然に現れ、来夢に対して小熊の前で守るように威嚇するのだった。
「キツネ?・・・」
小さい主の言葉が合図のように来夢は、小熊と子狐に届くはずもないのに、左手で猫パンチの仕草をした。すると、同時に、梟が狂ったような悲鳴と同時だった。突然に梟が現れて空中で何かを捉えたような変な状態で止まるのだった。それは、赤い感覚器官が伸びて子狐と子熊の身体を刺し貫くはずだった。それを梟が両足で捕まえて止めたのだ。
「ホーホー」
梟は、戦いを待ってくれ。そんなことを言っているのだろう。恐らくだが、歳の順番では梟が年長で子狐と小熊の順のはずだ。そして、身体の大きさによっても危険に対する感情も大きくなる程に鈍くなる。それを証明する感じに思えた。その証拠のように子狐の後ろからゆっくりと、子熊が現れた。それも、小さい菓子のような包みを咥えて現れた。そして、子熊は咥えていた物を地面に落として、また、子狐の後ろに戻るのだった。
「ホーホホー」
今度の梟の鳴き声の意味を小さい主に報告するのだった。勿論、猫パンチの構えを解いて左手の小指の赤い感覚器官も元の刺のような状態に戻った。
「勝手に取ってすまない。食べ物なら返します。そう言っています」
「えっ?」
「上空に飛んでいる梟が言っています」
小さい主が、周囲をキョロキョロと見回しているので、来夢は、右の前足で上空を示しながら教えるのだった。誰なのか知っても人の言葉でないので意味が分からないのだ。それでも頷くだけで納得した。そして、独り言のように呟くのだった。
「そうか、まあ、森の動物たちに食べさせる予定だったから良いのだけど・・・」
「そうすると、弱い動物は食べられませんよ」
「そうなると、全ての動物の巣を探すなんて無理だよな・・・う~ん」
小さい主が思案していると、子狐が、ゆっくりと近づいて来るのだ。もしかすると子熊が、菓子の包みを見続けているために何か伝える気持ちなのかもしれなかった。
「くう~ん。くぅ~ん」
「おっ!」
「シャ!」
小さい主は思案のために、来夢は梟の方に夢中だったので、子狐が目の前にいることに驚くのだった。
「小さい主様」
「どうした?」
「子狐の話しでは、この場の三匹が森の皆に伝えてくれるらしいです」
「本当か!」
「それも、良い置く場所も教えてくれました」
「動物園でもないのに様々な餌を入れる箱でもあるのか?」
「そうではなくて、糞をしてある場所なら安心して食べられるはずだと、そう言うのですが・・・でも、一つお願いがあるらしいのです」
「そうか、まあ、弔いの歌のお礼の気持ちだから何でも出来ることならする気持ちだよ」
「そうですよね。なら、言いますけど、小さい主様の大好きな菓子が食べたいらしいのです。それも、子熊が今直ぐにでも・・・」
「それって、さっき地面に落とした。あの菓子って言うか、チョコレートのことか?」
「そうです」
「元々、動物たちに与えるために持って来たのだから構わないぞ」
「小さい主様が大好きな大人のココア味のですよ。それも、あとで、食べようとして隠していたのですよね。本当にいいのですね?」
「あっあっ」
小さい主も悩んでいるのだろう。それでも、言葉にする前に、来夢の話しは止まらなかったのだ。
「それも、来夢は憶えていますよ。おかあさんが、大好きなチョコの菓子でした。祖母様から聞いたのですよね。それで、おかあさんと一緒に食べようとしたのですよね」
「ホーホホ、ホーホホ」
「くう~ん。くぅ~ん」
小さい主は、鳴き声の意味は分からないが、それでも、謝罪している、そう感じたのだ。だから、ゆっくりと、子熊に近寄り。菓子の袋を開けた。
「食べていいよ」
小さい主は、地面に落ちている袋を手に取り。そして、袋を開けて、全てを手の掌に載せてから袋を地面に置いた。その袋の上に手の平の上の菓子を袋の上に置いた。
「・・・・」
子熊は、ジッと、小さい主を見ていたが言葉が分かったのだろう。小さい菓子を一個、一個と食べるのだ。その様子を見ると、小さい主は、子熊の横を通り過ぎて、路線バスの回転場の空き地に向かうのだった。それでも、来夢が気になったのだろう。自分の後ろに居るはず。そう思って振り向くのだったが、梟と子狐と話に夢中で、自分のことなど忘れているようだった。
「子熊の横を通り過ぎるだけでも、冷や冷やな気持ちだったのに、お姉ちゃんだろう。俺を守るのでなかったのか?・・・・子熊だけど、熊だぞ。熊なのだぞ」
独り言を呟きながら歩くのだが、来夢の護衛がないまま空き地に着こうとしていた。
「あれ?・・・一人なの?・・・来夢ちゃんは?」
「なんで、ここに居るのです?」
「料理に必要な物を取りにきたのよ」
祖母が、透明な球体の中に荷物を入れていた。それは、羽衣である。これから、料理を作るために必要な材料などを準備していたのだ。そんな時に、孫が一人で現れたことに驚いたのだ。
「知らない。それよりも、手伝おうか?」
「いいわ。もう終わりだからね。それより、来夢ちゃん。と喧嘩したのなら謝りなさい。お姉ちゃんと言うけど、猫としては、私よりもお婆ちゃんなのよ。まあ、年寄りになると、何かとイライラとするの。だから、ねえ」
「分かったよ!」
「小さい主様。何を怒っているのですか?・・・それも、一人で?・・・・」
「えっ?」
祖母と話をしている時に、来夢から声を掛けられて振り返ると、不思議そうに首を傾げる来夢を見た。その様子と話を聞いた。その後に、振り返ったが、祖母は居なかった。
「それが、本当なら料理の材料を取りに来たのでしょうね。それでしたら、森に食べ物を置き回った後に戻れば、ちょうど、料理が出来た頃に戻れますね」
「そうだな、なら、急ごうか」
「はい」
来夢は、小さい主の返事をする前には、すでに、様々な食べ物に触り。すると、透明の球体の中心にいる自分が邪魔にならないように次々と食べ物が透明な輪の中に収まるのだった。それでも、小さい主は、ただ、様子を見ているのではなく、来夢が無雑作に開けて転がした空になった段ボールを畳んで一か所に集めていた。そして、数分後のことだった片付ける段ボールが無くなったことで、来夢に視線を向けると、まるで、シャボン玉の中に多くの食べ物が入っているようであり。その上に、来夢が乗っているのだから終わったのだろう。それで、毛づくろいをしている姿を見た。それでも、小さい主は、そのシャボン玉のような透明の球体の大きさは人が入れば十人は軽く入れる大きさだったことに驚いていた感じで、その状態のままで移動が出来るのかと心配する表情を浮かべていた。
「どうしました?」
「あのな。そんなに、一度で大量に運べるのか?」
小さい主は、可愛らしく首を傾げる姿を見ては、クスリ、と笑ったのだ。自分が幼稚園の頃のことを思い出すのだ。小さい背負い鞄の中に摘めるだけ詰め込んで立ち上がれなかった。自分の姿と重なったのだった。
「大丈夫ですよ。小さい主様の幼い頃と一緒にしないで下さい」
「えっ!」
小さい主は、心の中を見られたと思って驚いた。
来夢は、言うだけ言うと、森の奥の方に身体を向けると、シャボン玉のような透明な球体は食べ物の上に来夢を乗せたまま地上から五十センチくらい浮かぶと、ふわり、ふわりと動き出すのだ。一瞬、小さい主は、驚いて立ち尽くしていたが、それは、一瞬だけで直ぐに、駆け出して追い駆けたのだ。そして、もし落ちた場合を考えているのだろう。後ろからシャボン玉のような球体の様子を見ながら付いて行くのだった。
「ねえ。来夢、糞がある場所なんて直ぐに分かるのか?」
「大丈夫よ。この辺りかな・・・・」
道もなにもない木々や草などの方を向いて、独り言のように呟くのだ。そんな言葉と状態を見ると、小さい主は、その状態のまま森の中には入れるのかと思うのだ。すると、シャボン玉のような球体は、と言うか、多くの食べ物は、小さい雑草だけでなく木々にも触れそうに思うと、一個一個の果実や野菜などは、触れる物と反発するように動きシャボン玉も避けるのだった。まるで、太陽の明かりが当たって出来る影のようだった。
「なぁ~」
「なんですか、もう疲れたのですか?」
森の中を歩くが、思っていた通りには、糞が見付からずに歩き回っている時だった。
「まだ、疲れてないよ。それよりも、さっき、梟と子狐とは、何を話していた?」
「それは、猫の神様の伝言でした」
「えっ!」
「狸の母親と天国で再会して保護したらしいですよ。今では、神様の庭で気持ち良さそうに、ゴロゴロと、暇があれば寝て過ごしているらしいですよ。まあ、元々、動くのが嫌いな性格らしいですね。それなのに、人生の殆どが旅でしたからね。その気持ちもあって動きたくないのでしょうね。それと、子供達が父親と再会させてくれて、感謝しているらしいですよ。あとは、子供たちのことは忘れて下さい。そう言っていた。そうです」
「そうか、そうか・・・」
「冷たい母親とは思わないで下さいね。人と違って、動物とは、そんな感じですからね」
「ふ~ん。そうなのか」
「それに、私も猫としては長生きですが、歳なのだから思い残す人生はするな。そう言われましたわ。それと、何か願いはあるか、そう言われましたけどね」
「えっ!。願い!」
「勿論、小さい主様の奥様。となる人と会えるまでは生きていないでしょうね。ですが、どうか、小さい主様に良い彼女が出来るようにと、願っておきましたよ」
「なっななな!」
「もう~小さい主様。何を考えて顔を真っ赤にしているのです。猫と違って盛りがないから人は一年中が発情期だからって、ああっだから女性と話ができないのですね。それか、もしかして好きな人でも居るのですか?。その人は誰です。その人が運命の人なのか確認をしましょう。まあ、運命の人でなくても、男となるための初めての相手になってもらいましょう」
(少し強引なのは分かっています。でも、もう近い間には、一人になってしまうのですよ)
小さい主は、顔を真っ赤になり。青くなり。悲しくなり。最後には苦しみだした。
来夢には、顔の表情を見るだけで、全ての内心の考えが手に取るように分かった。恐らく、想い人はいるのだろう。だが、小さい主の性格では告白は出来ずにいるはず。そして、左手の小指には赤い感覚器官は無いのだ。それなら、唯一一人だけではないかもしれない。それならば、と内心で何かの答えが出たようだった。
「小さい主様。好きな女性が居るのならお手伝いを致しますよ。お姉ちゃんに任せれば、女性の方から男性に告白させるなんて簡単なことですよ」
「えっ・・・あっ・・・少し考える時間をくれないかな」
「構いませんよ。それでしたら、森の動物たちに早く配りましょう」
「そうだね。そうしよう」
小さい主が頷くと、来夢は浮いている状態だが、一瞬だけだが駆け出して、小さい主の前を歩き出した。すると、姿は見えないが小鳥の鳴き声が聞こえて、来夢は立ち止まった。
「ここに鳥が食べられそうな物を置いてみませんか?」
「そうだね。ここに置いてって聞こえる感じだね」
「そうでしょう」
「うんうん」
来夢は、前足で何の木か分からないが、根元に右の前足で示すのだ。小さい主も返事をしたことで、来夢は、右の前足で何かを招くような仕草をすると、木の根元に果物と米が地面に小さい山の形に現れた。小さい主は、一瞬、驚くが・・・。
「小さい主様も、この辺りに米をばら撒いてくれませんか」
小さい主は、理解はしてないが、透明なシャボン玉と思える。その中に米の塊を目に入ったので、恐る恐ると、手を入れてみた。何の抵抗も感じずに、米を一握り掴むと、周囲にばら撒いた。その好意が面白く何度もするのだ。そして、心底からの感謝の気持ちからだろう。自然と言葉にしていた。
「ありがとうね」
そう言うのだった。来夢は、何度も頷き終わると歩き出した。もしかすると、小さい主が良い行いをしました。など、思っているのだろう。
「はい。なんでしょう。想い人のことですか?」
「えっええ、ち、違うけど、さっき、言っただろう。狸の母親が天国で楽しく暮らしているって、そ、それを考えていただけだよ」
本当に、嘘が分かりそうな言い訳を言うのだった。
「そうですね」
「俺の、母さん。父さん。お爺さんの様子は分からないのかな?」
「そうですね。今度、何かの機会でもあれば、聞いてみますね」
「そうか、分かった。楽しみしているよ」
「あの三匹が、森に棲む鳥だけでなく皆に伝えてくれたみたいですね」
「そうなのか?」
「はい。こっちに近づいていましたが、立ち止まりましたね。何匹なのか、何の動物なのか分かりません。でも、食べ物を楽しみしているのは、確かのことですね。だから、この辺りにしましょうか・・・・どうしても、知りたいですか?」
「いいよ。この辺りに置こう」
小さい主は、周囲を見回しているが、動物の気配など人に分かるはずもなく、その間に、来夢は、野菜や果物を適当に、周囲に転がした。
「ありがとう。好きなだけ食べてね」
その言葉を来夢は待っていたのか、言い終わると、また、歩き出すのだった。
「あのさ、糞がある所でなくていいのか?」
「今まで、適当に歩いていましたが、糞が有る場所には、匂いで分かる食べ物なら少しですけど、置きながら歩いていましたよ」
「そうだったのか」
「はい」
「ねえ、羽衣って・・・」
「なんです。小さい主様?」
「いや・・・なんでもない」
(確か、羽衣って、自分の運命の人に渡して命を守る物のはず。猫は違うのかな。盛りがない時は子供が作れないし。祖母は、来夢にとっては、運命の人なんかよりも凄く大事な人だから何も問題はない。僕の考え過ぎかな)
来夢は、気付いていないが、いや、忘れているのか、考えないようにしているのか、羽衣は運命の人であり。好きな人に渡す物。それでも、今は好きな人でなく、大事な人に渡している。もしかすると、人と違って、本当に、さかりがある猫には関係ないのだろう。
「そうですか」
「あのさ、森の中を歩くのって気持ちが良いよね。なんか、普段は、考えもしないことを考える。ってのかな・・・」
「そうですね。何となく話題に出ましたから言いますけど、羽衣でしたら、小さい主の想い人と会えたら・・っていうか、友達くらいでも、羽衣は渡しますよ」
「あっ、そうか、そう思ってくれていたのか、ありがとう」
小さい主は、少し気になっていたことであったので、感謝の気持ちを伝えた。それでも、祖母の羽衣なのか、来夢の羽衣なのか、聞きたい気持ちがあったけど、何か、来夢が困りそうだったので何も言わなかった。
「安心して下さいね」
「それと、さっき、聞かれたけど・・・」
「何でしょう?」
「想い人のことだけど、バスで二度だけ会った人だよ。だから、二度と会えない。そう思うよ。でも、旅館の女将の娘さんが、何となく似ていたかも・・・・」
小さい主は、誤魔化した。余りにも近くで会ったために女性の顔を見る精神的なゆとりもなく、旅館の娘に似ている感じがしたのは本当だった。
「えっ、まあ、まあ、それは、それは、ん・・・・痛い」
来夢は、喜びの余りに興奮して言葉にもでき出なかった。そんな時、突然に、左の前足の小指の赤い感覚器官から痛みを感じたのだ。
「どうした?」
「何でもありません。大丈夫です」
(遅くても五日後までなのですね)
来夢は、小さい主からの心配されたことで、内心の気持ちを隠すのだった。それは、まるで、走馬灯のような一瞬であるが、映像を記憶させるためでもあるのだろう。目の前に本当の出来事のような映画の映像を見せられたのだ。そして、思うのだ。この映像と同じことをしなければならない。その指示なのだと・・・。
ある男が自殺する。だが、命を救うことではないのだ。羽衣の力の機能で一瞬の間に違う場所に向かわせて、ある人と会わせる。本当なら男の自殺を思い止めさせたい。だが、その指示ではなくて、男の自殺で未来に意味があるのだ。それでも、この男でないと救えない命があり。そのために、十分間だけ、男の自殺するのを引き延ばすことだった。その者は、女性であり。数年後には、人工まつ毛の特許で世界中を騒がすのだ。だが、この時点では、全てに絶望していて自殺を考えている。だが、心の隅に一人の男性の想いだけがあったのだ。その男性が想い人であり。同じ自殺をしようとする者だった。その十分間で未来に希望を持たせる。その場面を見せるのだった。だが、音や声の無い映画のようだったので、それも、五日以内に作戦を考えなければならない。
(まず、女性の写真だけでも用意しなければ・・・)
「どうする?」
「えっ、なにがです?」
「えっ、て、今までの話を聞いていなかったのかよ」
「すみません」
「まあ、いいよ。ただ、果物や野菜がもう無くなる。そう言ったのだよ。どうする?。残りは一か所に全て置くか?」
小さい主は、来夢が、適当に、果物を投げては野菜を地面に置いている感じだった。だが、本当の手足ではなくて、まるで、透明な手足を使っている感じだった。そのために自分の話を聞いていると、そう思っていたのだ。
「そうですね。そうしましょうか、祖母様の料理も出来上がっている頃でしょうしね」
「なら、この場で、ばら撒くよ」
シャボン玉のような透明な中にある。果物と野菜を一個、一個を手に取ると、周囲の木々の中に投げ込むのだった。
「・・・」
「終わったよ・・・・来夢・・・」
小さい主は、自分の様子と周囲にいるだろう。多くの動物たちから自分を守ってくれているのだと、だが、何度も声を掛けたのに返事もなく顔をも向けてくれないために不審に思うのだ。それでも、もしかすると、危険な動物でも居るのかと、暫く、様子をみていた。すると・・・。
「どうしました?・・・・」
「どうしたって・・・それは、名前を何度も声を掛けたのに返事がなくて心配したのだぞ」
「そうでしたか、いや、ちょっと、考え事をしていました。あっ、終わったのですね」
「うん。でも、大丈夫なのか?」
「はい。ですが、五日後までに用事があります。それを思うと・・・」
「五日後か・・・そうか、なにか、手伝えることがあるなら言ってくれよ」
「勿論です。小さい主様。その時は、お願いします」
「うんうん」
「では、行きましょうか!」
来夢は、小さい主に、右の前足を差し出した。その意味が分かったのだろう。小さい主は、そっと、触れると、一瞬だが透明のシャボン玉の中に入ったかのような感覚で空気が人肌の温かさに変わった。そんな感じがしたのだ。その感覚が慣れる間もなく、一気に上空に飛び上がったが、下や周囲を見なければ上空にいることも分からない程の本当に一瞬のことだった。そして、森の端の方に煙が昇っているのを見るのだ。それは、祖母が居る場所であり。その場所に降りるのだろう。そう思うのだった。
「おかえり」
祖母の上空からゆっくりと、孫と来夢が降りて来るのだが何も驚くこともなく、まるで、散歩でも行って帰宅してきたような様子で言葉を掛けるのだ。
「ただいま」
「祖母様、遅れてすみません」
「いいえ。今よ。料理が出来上がったところなのよ。でも、久しぶりで焚き火でご飯を炊くなんて久しぶりでね。焦げていたら、ごめんね」
「祖母様。そんなことを言わないで下さい」
「そうだよ。それに、おこげって美味しいって聞いたことあるよ」
祖母が本当に済まなそうに言うと、いや違う、悔しそうの方が近いかもしれない。恐らく、これで共に外で食べるのが最後だから一生の思い出として心に残して欲しかったに違いないのだ。孫と来夢の笑みが見られないと、残念そうなまま飯盒を開けて見てから少し気持ちが浮上した。後は、娘が大好きで、娘と一緒に作った思い出の料理で自信のある料理だったのだ、娘が、楽しそうに手で握った土の団子を作った事を思い出し、小麦粉の方が直ぐに固まるからって一緒に遊びながら作った特別の料理でもあるのだ。
「これなに?」
「すいとん。って言うのよ。あなたのお母さんも大好きだったわ」
「そうなのだね。母さんも好きだったのですね」
小ぶりの丼を両手で受け取り上に置かれた割り箸を口と片手で割るのだ。みそ汁にしては中身の具が違うことで問い掛けたのだ。そして、母の好物だと聞いて、美味しい。美味しいと、本当に嬉しそうに食べるのだ。
「ごはんは、どう?」
「ちょうど良い焦げもあって美味しいよ」
「そう、なら、良かったわ。お替りならあるからね」
「小さい主様。良かったですね」
「うんうん」
「来夢ちゃんには、ネコまんまをあげるからね。もう少し待っていね」
「はい。でもね。祖母様が食べ終えてからでも良いですよ」
「そんなことを言わないのよ。一緒に食べるから美味しいの。そうでしょう。来夢ちゃんは、それが、夢だったのでしょう。だ・か・ら、一緒に食べましょう。それも、楽しい会話をしながらね」
「はい。祖母様」
二人と猫は、特に来夢は嬉しそうだ。それでも、頷くだけなのだ。だが、これで、何度目か、二人の飼い主と同じような会話しながら共に食卓で食事をしているからだ。
昨夜のことだった。祖母は、期待していた。いや、奇跡を願っていた。それは、奇跡の合掌が聞けたのだ。だから、もしかると、奇跡が起きるかもしれないと、だが、奇跡は起きなかった。それでも、死ぬまでに、やっておきたいことの殆どのことが、今回のことで出来たことで悔いはない。そう思っていた・・・そう思っていたからなのか夢をみたのだ。それでも、あれほどのリアルな夢は、夢だと思っているだけで本当のことだったのかもしれない。それ程の夢とは娘のことだ。でも、娘だと憶えているだけで、悔しくて泣きたくなる程の思いなのだ。それは、何の夢だったのか、何が嬉しかったのか、その内容の一つの断片も憶えていないのだ。それでも、もう一生、目を覚まさなくていい。そう夢の中でも思っていたはず。だが、突然に痛みを感じて目を覚ました。もしかすると、娘が心配して娘が目を覚めるようにしたのかしれない。そして、今のことだ。何の夢だったのかと、必死に思い出そうとしていた。そんな思いをしていたからだろう。もしかすると、娘が自分ことを心配になり・・。
「クション」
本当に偶然なのか、そう思う程に絶好のタイミングで、孫がクシャミをしたのだ。
「あっ、確かに冷えるわね。寒いのね」
一瞬で夢のことなど忘れて、孫のために火を熾し始めた。
「パッキン、パッキ、パタパタ」
火を熾すのだが、身体を温める程ではないために、周囲から木々を集めては、小さく折って火にくべては、強い火にしようとして団扇で扇いでいた。そして、湯を沸かし身体が温まると、今度は空腹を感じるのだ。
「まずは、孫に、寝覚めのコーヒーと食事後のミントティね」
豆の粉から作るために、少々時間と手間が掛るが、コーヒーの味よりも出来上がる時の匂いが漂うのが特に好き。そんな微笑を浮かべる。勿論のことだが、後で飲むなど我慢が出来るはずもなく、味見をかねる一杯目のコーヒーをゆっくりと味わっていた。その香りは周囲に広がる。それは、孫が寝ていても鼻にも届くのだ。ピクピクと鼻が微かに動いていることに気付くことはなかった。それよりも、この場にある材料で何の朝食を作るかの方が重要だったからだ。コーヒーを飲み終えても良い料理が浮かぶか分からない程に悩んでいた。それなのに、突然に残りのコーヒーを一気に飲むのだった。
「ガチャ、ガチャ、トントン、パタン、パタン、トントン」
何を作るか決まったようだった。包丁を握り材料を睨んだ。あとは、夢中で両手を使って良い音を奏で始めた。
「すーふっうー、すーふぅうー」
小さい主は、全ての意識が夢ではなく、現実に少し少し戻って来たか、と思えるような寝息を立て始めたのだ。勿論と言うべきか、その一つの原因は、コーヒーの香りで、鼻から心地良い香りで夢の扉が開かれた。その目覚めは止まることがなく、今度は耳に食器の音や調理の音などの心地良い音を感じるのだ。だが、まだまだ、夢だと微かに感じているが、目を覚ましたくない。このまま眠っていたい。だが・・・・・。
「くっしょん。さっさっ寒い」
体中が凍っているのではないのかと思う程の寒さで目を覚ました。
「やっぱりな。だから、心配ってより、嫌だったのだよなぁ。こうなるのは予想が出来たからだよ。でも、本当に寒いぞ」
冷たい地面の上の硬さと寒さで目を覚ました。やはり、上空には来夢が、寒さなど感じずに心地良さそうに、フワフワと浮いて寝ている姿が見えた。
(羽衣の中で、来夢と一緒に寝ていたはずだが・・・)
まだ、自分では気付いていないが、意識の半分ほどは夢の中にいるようなのだが、それも、再度のクシャミで完全に目を覚ましたが、なぜか、直ぐには、起き上らなかった。
「やはり、こうなることは予想できた。確かに、赤ちゃんの時の頃は、寝相が悪いとか、来夢の尻尾を握ると大人しくなる。などのことは何度も言われるけど、自分でも記憶もないから分からない。でも、最近の来夢が布団の中で一緒に寝ないのは、自分の寝相が悪いかもしれない。そうでなければ、寝ているから分からないけど、恐らく、自分が熟睡すると、直ぐに顔の上で来夢が寝るからだ。時々、トイレに行くために目が覚めるから分かる。まあ、寝相が良いか別だけど、朝起きると身体から離れて布団の隅で寝ているからね。だから、予想は出来た。来夢から離れると、シャボン玉のような透明な輪から出て地面で寝ることになる。それが、予想ができた」
自分は地面に寝ていたが、来夢が透明の雲の寝具にでも寝ているかのように気持ち良く寝ている姿を仰向けの状態で見るのだった。そして、愚痴のように呟くのだった。
「何をブツブツ言っているの?・・・どうしたの?・・・」
孫が何を言っているか分からないが、目を覚ましたのに冷たい地面から起き上がらないために心配したのだ。
「・・・・」
なにか、嫌な予感を感じる音が耳に届いた。直ぐに、その方向を振り向きながら起き上ったのだ。すると!。
「婆ちゃん!」
小さい主が悲鳴を上げるのは当然だっった。キャンプ用品の小型ガスコンロが倒れて鍋も地面に転がっている。だが、恐らく、右手で鍋を押さえながらしゃもじでかき混ぜている時に、突然の倒れたに違いないが、左手が鍋の中に入ったままだ。殆どが地面に流れてしまったが、鍋は熱いままだし中身もまだあるのだ。大火傷とまでではないだろうが、急いで治療しないとならないのは確かなことだからだ。
「祖母様!。あっ、小さい主様。祖母様に触らないで下さい!」
小さい主の悲鳴と同時に、来夢が目覚めた。
「えっ」
祖母に近寄る寸前に立ち止まった。なぜなのかと、殺気を放つように来夢を見た。
「羽衣がありますので、祖母様とは一心同体になっていますので健康の状態は分かります。火傷は心配ないのですが、意識がないのです。だから、危険な状態だと困りますし、今の状態ままを動かさないで病院に行きましょう。それでも、命の問題はないと思いますから大丈夫ですよ。安心して下さい」
「でも、かかりつけの病院は遠いよ」
「近場の病院に行って、あとは、救急車を呼んでもらいます」
「分かった。なら、急ごう!」
来夢は、頷くと、小さい主の胸に飛び込んだ。と同時だった。小さい主は、一瞬、驚くが上空に浮かび始めての驚きなのか、抱き付かれたことなのか、自分でも分かってないようだった。それでも、直ぐに視線は、祖母の様子を見るのだった。
「祖母様なら一緒に来ていますから大丈夫ですよ」
ある一定の間隔で紐でも付いているかのように来夢と小さい主の後を付いて来るのだ。
「うん。そうだね。でも、周りは森だけだけど、どこの病院に向かっている?」
「どこの何の病院なのか分かりません。ただ、左手の小指の赤い感覚器官の示す方向に向かっているだけです。まあ、心配なのは分かりますけどね。お姉ちゃんは大人だから大人の感覚が分かるのですよ。だから、本当に心配しないで、それに、もしものための最終手段もあります。あまり、使いたくないけど・・・」
「うんうん」
「お姉ちゃんに任せてね」
来夢には、小さい主のことを幼い頃から知っていたために、今の精神状態も心の思いも理解していた。このまま祖母が目覚めないのかもしれない。この辺りの病院で対応ができるのか、様々な不安な思いが顔に出ていたのだ。それで、安心させるために話を掛けるのだが、本当に最終手段はある。そして、全てを話し終えた後の満面の笑みには隠し事があった。それは、全てを伝えようとしたが、お姉ちゃんに任せたので何も心配がない。そんな笑みを見てしまうと、それ以上は何も言わなかった。小さい主も、来夢の笑みから最終手段などの全てのことを教えられる必要がなくなった。そんな、内心の考えと思いからの安堵の表情だと、来夢と小さい主は思えたのだ。
「ねね、この飛ぶ速度って自転車と同じくらいなのかな?」
「なんで、そう思うのです・・・ん?」
「直接に風などが身体に当たらないし、外の景色も見ても歩いている景色と変わらないから不思議に思ってね」
「そうですか、限界まで試してないから最高の速度は分かりませんが、今の速度なら車より少し遅い速度だと思いますよ」
「不思議だね。そうか、それで、羽衣の方なら待たなくていいし、早くて揺れないし、安定しるしているね。そう言う理由もあったのだね」
「はい。それに、そろそろ、病院に着きますが、お願いしたいことがあるのです」
「何だろう?」
「それは・・・・」
来夢は、祖母様のことを第一に考えるのと、羽衣も左手の小指の赤い感覚器官のことは内緒にしなければならない。だから、まず、病院の上空に留まり、周囲を確認してから人に知られないように降りる。お願いは、国道で通りかかった人に頼み込んで病院に連れてもらった。と、だが、その運転手は、面倒な手続きや警察や病院などの人たちにも会いたくない。それで、時間的にも忙しいために、誰にも会わずに帰っていいなら乗せる。そう言われたことにして下さい」
「分かった」
来夢の言う通りに何事もなく、祖母を地面の上に無事に下すことができた。
「後は、担架と言う物と看護婦さんを連れてきて下さい」
小さい主は、直ぐにでも、病院の玄関に行こうとしたが・・・。
「あっ、少し待って下さい。看護婦さんが、休憩のために外に出てきます。その人にお願いすることにしましょう」
「ほう・・・分かった。それにしても、人の言葉が話せるとしても、知識がないと分からない意味や言葉などがあるのだろう。それは、どうして分かるのかな?」
「それはですね。わたしの目の前に、映画のようでもある陽炎のような映像が見えるのです。それと、伝えなくてはならない話しなどは、頭の中で響くのです。その響く言葉の通りに、小さい主様や祖母様に伝えているのです」
「ふ~ん・・・そうか、そうか」
「病院から出てきました。あの女性の方です」
「うん。分かった。行ってくる」
病院の緊急外来と非常口を兼ねた。その扉から缶コーヒーと菓子箱を持って一人の看護婦が現れた。心身ともに疲れた感じで長椅子に座るのだった。直ぐに、大きな溜息を吐いて何気無く遠くに視線を向けると、小さい主が近づいて来るのが見えたのだ。
「すみません。祖母を助けて下さい」
「分かったわ。その祖母は、どこに居るの?」
女性は、自分の方に向かって来るので、不審に思ったからだろう。手に持つ缶コーヒーも菓子箱も開けずに、少年から視線を逸らさなかった。
「車で連れてきてもらったのですが、今は、あの入口の地面の上に寝かせています」
「なんだって!。あなたは、ここに居なさい」
女性は、小さい主に、やや強制的に缶コーヒーと菓子箱を手渡すと、即座に駆け出して病院の玄関から中に入った。直ぐに、担架を持った二人の女性と一緒に現れた。
「どこなの!」
「来て!」
小さい主は、祖母が横たわる場所に駆け出した。勿論、直ぐに三人の女性も付いて行くのだ。直ぐに、祖母と猫が視線に入った。先程の女性だけが、祖母に駈け寄り容体を確かめると、直ぐに、少々怒りを含みながら問い掛けたのだ。
「先ほど言ったことは本当なのね。本当に事故ではないのね。診察したら分かるのよ」
「本当です。なんか、発作かもしれません」
「まあ、直ぐに先生に診てもらいましょう」
すでに、会話が終わる前には、祖母を担架の上に乗せて病院の緊急外来の入口の中に入ったのだ。そして、小さい主は、女性と共に歩きながら名前、住所、かかりつけの病院などや何が起きたのか詳しい状況を教えると、女性は何かを確認しているように頷きながらメモに書きこむのだった。そのまま祖母が入っていた入口に入るのだった。
「先生!」
医師は、祖母の容体を診ていたが、何の治療の指示もしないで難しそうに自分の椅子に座るのだった。看護婦は、暫くの間、医師を見ていたが、こちらに気付いたことでメモを手渡した。小さい主は、メモを読み終えたと思ったからだろう。医師に祖母の容体を聞こうとしたのだが、医師は、それに気付いて顔を向けるのだった。
「家族の方ですね」
「はい」
「まあ、特に危険な状態ではないでしょう。それでも、かかりつけの病院に連絡して指示を仰いだ方が良いと思います。それで、構いませんか?」
「はい」
小さい主は、医師の話を聞いて頷くしかできなかった。
小さい主の許可を取ったからだろう。頷くと、看護婦に指示を出した。自分は、直ぐに診断の結果を書き出し、看護婦には、患者の病院に電話を掛けさせて先生が出たら自分が代わる。そう言う指示を仕草だけで伝えた。小さい主は、医師から何か指示や提案されるだろう。と椅子に座ったまま待っていた。
「先生」
「分かった」
医師は、看護婦から呼ばれて椅子から立ち上がって隣室に入って行った。それは、祖母の担当の医師からの電話だと分かったのだろう。小さい主にも、祖母のことだと思って隣室の扉が開かれるのを椅子に座って待っていたが五分も経たずに戻って来たのだ。
「今、担当の先生と話をしてきました。特に、危険な状態ではないから心配しなくても大丈夫だと伝えて欲しい。そう言われました」
「本当ですか」
「はい。それと、先生は救急車の手配をする。そう言っていましたので、救急車が来たら一緒に乗って帰りなさい。それまでは、待合室で待っている方がいいでしょう」
「はい。いろいろと、ありがとうございます」
「それと、先ほど診断したことを書いておきましたので、先生に手紙を渡しなさい」
小さい主が、席を立つと何でも頭を下げていると、茶封筒を手渡されたのだ。それを手に取ると、先ほどの看護婦に待合室に案内された。
「この時間だと、まだ、朝食を食べていないでしょう」
「はい」
「入院患者さんも、これから、朝食なのね。だから、朝食の用意をするから一緒に食べて行きなさい。これは、先生が言われたことなので何も気にしないで良いのですよ」
「はい。そうします。ありがとうございます」
小さい主は、看護婦の優しい気遣いで少し気落ちも落ち着いたのだろう。周囲を見回すと、朝食の準備で慌しかった。その忙しい雰囲気で、やっと、気付くのだ。
「どうしたの?」
先程の看護婦さんが、小さい主が、何かを探すような不審な様子に気付くのだ。
「そ、それが、その・・猫は、猫は一緒に来ませんでしたか?」
「あっ!。やっぱり、君の飼い猫だったのね。猫なら外の長椅子で寝ているわよ」
「ありがとう」
小さい主は、嬉しそうに駆け出した。勿論、先ほどの長椅子に向かった。それは、共に祖母の無事を喜びたい気持ちだったのだ。
「来夢!」
外に出ると、周囲を見回して長椅子にも視線を向けたが見当たらないのだ。それで、飼い猫の名前を叫んだ。名前を呼ぶと現れると思ったのだが、現れなく、長椅子の下にでもいると思って向かった。やはり、思っている通りに長椅子の下にいた。
「どうした?」
小さい主は、長椅子の下に顔を入れた。以前の来夢なら嬉しそうに鳴きながら出て来たはず。人の言葉を話すようになって変わったと思ったのだ。それに、自分が知る以前なら長椅子の上で寝ていたはず。それが、地面の上で寝ているから何か理由でもあるのだろう。と問い掛けたのだ。
「にゃあ~」
「ありがとうね。大丈夫だよ。まだ、寝ているけど無事だよ」
猫の言葉が分かるのではないが、自分が思っていると同じだと思って伝えたのだ。
「この姿勢は、疲れるよ。外に出て来ないか?」
「えっ?」
何を恐れているのだろう。聞き取れない程の声だったので問い掛けたのだ。
「小さい主様。猫は一緒に救急車に乗れません。だから、小さい主様と祖母様だけで乗って行って下さい。わたしは、自力で病院に戻ります。必ず行きますから煙草を吸う所で待っていて下さい。後は、もう話し掛けないで下さい。猫は人の言葉で話しなんてしないでしょう。なら、病院でね・・・さあ、長椅子に座って下さい」
小さい主は、来夢に会えて安心した。まだ、不安な気持ちがあるから来夢との話しで気持ちを落ち着かそうとしたのだ。だが、気持ちなど無視して自分を突き放すのだ。そして、最後には、命令のように厳しく跳ね除けた。
「分かった」
小さい主は 来夢の指示の通り長椅子に腰掛けた。だが、なぜか、来夢は、悲しそうに鳴き続けるのだった。来夢の鳴き声の意味は分からなくても気持ちは分かっていた。
(ごめんね。お姉ちゃんなのに、何も出来なくて、ごめんね)
そう言っているに違いない。それでも、鳴くのを止めようとしなかったのは、好きな音楽でも聴いているような感じで落ち着くからだった。
「どうしたの?。猫ちゃんが、鳴いているわよ」
先程の看護婦が、朝食の用意が出来たことで、小さい主を迎いに来たのだ。すると猫の鳴き声を聞いて問い掛けたのだ。
「そうだけど・・・・」
「お腹が空いているのでないのかしらね」
「それもあると思うけど・・・たぶん、ここに置いて行かれるのを分かっているから鳴いているのだと思うよ」
「なんで、ここに置いて行くの?・・・正直に言うと困るわ」
「だって、猫を救急車に乗せられないでしょう」
「そう言う意味ね。そう・・・ねえ・・・なら、救急車が来たら聞いてあげるわ。だから、朝食を食べてきなさい。せっかく用意したのに冷めてしまうわ」
「うん。分かった」
小さい主は、少し駆け足で建物の中に入って行った。
「大人しかったら方法はあるのだけどね。まあ、猫ちゃんに言っても分かる訳ないわね」
「・・・・」
「えっ?」
看護婦は驚いた。人の言葉が分かったかのように突然に鳴き止んだからだ。
「にゃ」
「ん?。気のせいね。わたしも早く食べて仕事をしなくちゃ。あっ、猫ちゃん。後で牛乳でも持ってきてあげるわ。またね」
これからの仕事の事を考えたら、バカバカしい考えなど一瞬で忘れた。それ程まで仕事の予定がぎっしりと詰まっていたのだった。来夢の頭を撫でると建物の中に入って行った。
「来夢!」
建物からは入れ代りのように小さい主が出て来た。
「ごめん。牛乳しかないけど我慢して、家に帰ったら一緒に何かを食べよう」
「にゃ」
「それとね。一緒に救急車に乗れるからね。一緒に帰れるから、でも、絶対に鳴いたら駄目だよ。それはね。僕の服の中に隠すから鳴いても出ても駄目。それだけは、絶対に守ってね。お願いだからね」
「にゃにゃ」
小さい皿に入れられた牛乳を飲み始めた。美味しいと言っているのか、自分の話しの返事なのか、今の来夢は人の言葉を話さないために鳴き声の意味は分からない。それでも何も問題はない。それは、感じ取っていた。それでも、必死に丁寧に、幼子にでも教える気持ちで伝えるのだ。もし人の言葉で返事が出来たのなら「もう!それはないでしょう。お姉ちゃんなのよ」とでも文句を言うはずだ。
「美味しかったか・・・・ん?・・・どうした?」
来夢は、牛乳を飲み終わると、飲み足りない。とでも思っているのか、自分を見つめる理由は分からないが、何かを伝えるように見つめ続けるのだ。
「婆ちゃんのことが心配か?・・・そうだよな。でも、寝ているだけだから大丈夫だよ。目を覚ましたら教えてくれるって・・来夢のことも心配だから救急車が来るまで、ここに居るよ」
「・・・」
「違うのか?」
「にゃ」
「お婆ちゃんが起きたわよ」
猫の鳴き声と同時に、看護婦が外に現れて知らせに来てくれた。
「本当ですか!」
「うん。そうよ。来夢って呼んでいるわ。あなたの名前でしょう。来夢って呼んでいるから顔を見せてきなさい」
「はい」
「でも、男の子供に来夢とは変ね。もしかして、猫ちゃんの名前だったりして」
看護婦は、小さい主が、直ぐに駆け出して建物に入るのを見届けると、ゆっくりと椅子に腰掛けてから来夢の頭を撫でながら呟くのだった。もし撫でている猫が来夢だと分かったら驚くだろうが、来夢は、そんな様子など表さずに気持ち良さそうな演技で大人しくしていた。それでも、羽衣の力を借りて、先程から祖母を起こすために話を掛けていた。それで、祖母は、夢と現実の区別が出来ずに言葉として名前を呼んでしまったのだ。
「大人しい猫ちゃんね。これなら、一緒に救急車に乗れるわね」
大人しい様子なのは当然だったのだ。羽衣の力で、祖母の周りも見えていて会話もしていたからだ。
「猫ちゃん。わたし仕事に戻るわね」
来夢は、祖母のことと病室の中の様子に夢中で看護婦のことなど忘れていた。それ程のことなのだ。小さい主が、祖母のことが心配で何度も言葉を掛け続けている様子が見えていたのだ。
(祖母様。大丈夫ですか?)
(大丈夫よ。でも、すごく眠いだけ)
(それでしたら、小さい主様に、一言だけでも声を掛けて下さい)
(今・・・もしかして、目の前に居るの?)
(そうです)
(・・・でも、わたしは起きているのでしょう?・・・・)
(はい。寝具の上で起き上がっています。まるで、寝ぼけている感じですね。まあ、ですから、小さい主様は、病気で身体全体に痛みを感じて意識がないのではないか、と心配しているのです。恐らくですが、羽衣があるので痛みは感じないはずですし病状も進まないはず。それでも、この様な状態になっているのは、身体が思うように動くから歳を考えずに遊び疲れたのでしょう。だから、身体がビックリしているのでしょうね)
(そうなのね・・・・)
(どうでした?)
来夢は、羽衣の機能で祖母の病室の様子を見続けた。それでも、小さい主が、祖母のことが心配で泣きそうな姿だけが変わるだけだった。だが、祖母は、自分の容体を必死に伝えようとしたのだ。だが、一言だけでも伝えようとするが口が開かない。言葉が出ないのだ。まさか、極限の疲労から顔面神経痛にでもなったのか、などと、思っていることなどの内心の気持ちが、来夢には分かっていた。
(駄目なのよ。声も出ないって言うか、顔の全体が動かないの)
(先生に注射しれもらえば直ぐに治るわ。それよりも、手足なら動くはずよ。だから、小さい主様の頭でも撫でてあげれば泣き止んでくれるはずですよ)
(そうね。頑張ってみるわ)
(祖母様。小さい主様が泣き止みましたね)
(まだ、子供ね)
小さい主の気持ちなど分からずに、小さい主の話題で盛り上がっていたのだが、祖母は、普通に動く両手で、小さい主の頭や顔を撫でるのだった。それでも、落ち着いて話すのには、小さい主の安堵の表情を見て安心したからに違いないのだ。それから間もなくのことだ。救急車のサイレンは聞こえなかったが、担架を持った数人の男女が現れたのだ。恐らく、男は看護師と運転手であり。女は医師と看護婦だろう。
「大丈夫よ。安心してね。それよりも、僕ちゃんには用意することがあるでしょう。早くしてきなさい。直ぐにでも病院に戻るからね」
祖母の入院している階の看護婦が意味ありげ的なことを言われて、一瞬だけだが悩んだのだ。「僕ちゃん」とは誰のことだと、だが、用意とは来夢の事だと直ぐに分かり。直ぐに来夢の所に向かったのだ。
「おっ!」
まるで全てが分かっていたのか、小さい主が椅子に座ると、直ぐに膝の上に乗って来た。
ある車両が、ある村に入ろうとしていた。何の車両なのか直ぐに分かる。それだからだろうか、多くの人が車の後をゆっくりと着いて行くのだ。恐らく、その車両の行き先が分かっているために慌てない理由もあるだろう。いや、もしかすると、本当は急いでいるのだが、年齢的に体力が無いだけのかもしれない。
「あっ!」
「ニャ」
小さい主は、驚き、安堵と様々な複雑な気持ちを現した。その気持ちが伝わったのだろう。膝の上から首まで身体をよじ登ると、服の中に入るのだった。暫く、ゴソゴソと動いた後は、丁度良い感じの居心地が出来上がったのたのだろう。服の中で大人しくするのだった。そんな程度の時間だったが、祖母が担架に乗せられて建物から出て来たのだ。
「一緒に病院に戻りましょう」
祖母の階の担当者の看護婦が言葉を掛けてきた。頷くと、直ぐに、祖母が寝かされている救急車の中に看護婦と一緒に入るのだった。
「・・・・」
(早く病院に着いてくれ・・・・早く着いてくれ・・・)
小さい主は、無言で祖母が寝ている姿を見つめていた。共に乗っている者も何か口にすると、祖母の話題になるために誰も口を開くことがなかった。それは、小さい主を思ってのことでもあったのだ。だが、本人は、夢中で服の上から両腕で猫を支えて温もりを伝えて落ち着かせることと、誰にも猫に気付かないで欲しいと願う気持ちだけで他のことなど何も考えられなかった。祖母の心配はしないのか、冷たい奴だな。そう思われるかもしれないが、普段は考えもしない心の底の底の気持ちでは、祖母の微かな命を繋いでいるのは来夢だと思っているはずだ。
「ガチャガチャ。カチカチ。ピンピン。パンパン」
この車に乗って何十分が過ぎただろうか、通夜のような静かだった車内が、突然に皆が慌しく動き出したのだ。
「ん?」
小さい主には、何をしているのかと不審に思うが耳だけで何をしているのかと、想像をしていたが分かるはずもなく、首を看護婦の方に向けると・・・。
「そろそろ病院に着くわ。お婆ちゃんは、いろいろと検査があるから病室で待っていてね。それか、何か外で食べて来てもいいわよ」
看護婦は、片目を瞑って合図を送った。それは、小さい主には直ぐに分かったことだったのだ。その合図は、看護婦の提案で、病院で祖母が戻るのを待たずに外に出ていいと言う意味であり。、それは、病院の外で猫と一緒に居てもいいし、喫煙所の周囲の人にでも猫を預けて病室に戻って来てもいい。そう言う意味なのだった。
「ありがとう」
その返事を待っていたのか分からないが、車内の者は手を止めると、車の後ろの扉が開けられた。直ぐに、自分は邪魔になると感じて車から出た。皆は、慣れた動作で担架に乗っている祖母と一緒に病院の中に入って行った。それを見届けると、喫煙所に向かった。
「ごめんな。苦しかっただろう」
「ニャニャニャ」
「いて、いて、痛い。痛いよ!」
服のボタンを一つ一つと外していると、来夢は、待ちきれなかったのだろう。服の中に入って来た時と同じように出て来たのだ。だが、直ぐに、何かからでも逃げるように椅子の下に隠れてしまった。
「小さい主様。大丈夫ですよ。羽衣があっても検査などには影響はしませんから脳内と言うのか、身体の機能の一部と言うのか、無意識で拒否する物ではないと判断をしますからね。だから、何も心配することはありません。それに、祖母様の容体なら羽衣と羽衣の機能で全てが伝わってきますし、何か容体が悪くなる場合でも羽衣の機能で体調を改善する働きもありますからね」
来夢は、話が出来なかった苦痛をぶちまけるように話を続ける。もしかすると、自分でも話している意味が分からない。とでも思える。それ程の知識がある訳もないのだ。それなら、赤い感覚器官からの情報が溜まっている物を言葉として吐き出しているのかもしれない。大人しく聞いていた。小さい主でも理解しているのか、それは分からないが頷くだけだった。それでも、何か変だと感じていた。
(それ程の万能な羽衣の機能があるなら、なぜ、祖母はあのような状態なのだろう)
心で思っていたが、問い掛けても正しい答えが返って来るとも思えないし、もし答えられたとしても、自分では理解が出来ないことだろうと、思うだけに留めた。それでも、服の中にいた苦痛の甲斐性のためだろうと、来夢の話を黙って聞いていた。
「今回の祖母様たら、本当に楽しそうでしたね」
「そうだね。だから、疲れたのだね」
「そうですよ。身体が自由に動くっても、体力まで若い頃に戻るのではないのですからね」
「そうか。なら、筋肉痛なのかな?」
「そうですね。似たような感じです・・・・あっ!目を覚ましたようです・・・そろそろ行きますか?」
「どこに?」
「祖母様の病室ですよ」
「あっああ、そうだね。行こうか」
「あっ、でも、何時もの通りに壁から登って行きます」
「分かった。気をつけろよ」
小さい主は立ち上がり、自分が座っていた所を何度か叩くのだ。来夢に音で挨拶をすると喫煙室を後にしたのだ。
「ニャー」
目的の階も病室の番号も分かっていたので迷うはずもなく、病室の扉を開けると、祖母は、未だに病室には帰っていなく病室は無人だった。だが、出迎えてくれる言葉を聞いた。猫の来夢なのである。
「小さい主様。大丈夫ですよ。そろそろ、戻って来ますよ」
「あっ、祖母が居る場所が見えるのだったね」
羽衣を持つことと、羽衣の機能を思い出したのだ。
「はい。あっ、戻ってきます」
小さい主にも感じた。特別な感覚ではなく、祖母と看護婦の会話が聞こえてきたのだ。何を言っているのか分からないが、段々と、声の判別が出来る程度になり。扉が開けられたのだった。
「あっ、来ていたのね」
「もう!心配させないでくれよ」
「ごめんね。でも、もう大丈夫からね。だから、本当にごめんね」
祖母は、意識的には何が起きて、この病院に居る全てを理解していた。それでも、何も知らない孫が心底から心配している姿を見ると、心配を掛けたことに何度も謝るのだった。
「もう安静にしていて下さいよ。今日は、もう病室から出るのは許しませんからね」
「はい」
祖母と孫は、看護婦から厳しい叱りを受けて気落ちするのだ。
「本当に、もう大丈夫なのだね?」
「うん。少しはしゃぎ過ぎたみたい。本当にごめんね」
「それなら、いいけど」
「でも、正直に言うと、少し疲れたみたい。少し寝ようかな」
「うん。それがいいよ。それに、森の片付けもあるし、もう帰るよ」
「なんか、ごめんね」
「いいよ・・・ふぁあ~」
小さい主は、祖母を見て安心したのだろう。大きな欠伸をするのだった。
「あなたも眠いのね。森の片付けは自宅に帰って少し寝てから行くといいわ」
「分かった。そうするよ」
「ごめんね。なんか急がせて、でも、本当に眠くて、眠くて、なら、悪いけど寝るわね」
「うん。いいよ。おやすみなさい」
小さい主は、心配そうな表情を表しながら病室を出るのだった。直ぐに帰宅するのではなく、喫煙室の椅子に座り。上空を見上げて祖母の病室を見ていた。いや、正確に言うのなら、窓の外から病室を見ている来夢を見ていたのだった。首が疲れて下を向いて首の疲れを解してから上空を見ると、驚く事に、来夢が空中にいて肩に飛び乗って来た。
「帰りましょうか?」
「でも、あの森の片付けはしなくていいのか?」
「森の片付けは、やらなければなりません。ですが、一度、家に戻って休んでからでも問題はありませんよ」
「分かった。家に帰ろう」
素直に頷くが、内心では、直ぐにでも片付けたい。それは、本音ではない。森に居るか居ないか問題ではなく、ただ、母や父に一番近い場所に居るだけで気持ちが落ち着くから幽霊でも側に居てくれている。そう感じているかもしれないが、来夢との約束を思い出したこともあるが、来夢は空腹のはず。それで、素直に頷いたのだ。
「ニャーニャ」
「・・・・ん?」
「あの・・・約束・・・・」
「えっ・・・」
来夢が囁く程の鳴き声で猫語なのか人の言葉なのか理解が出来ない程だったことで、何を言ったのかと、問い掛けるような驚きの声を上げたのだ。
「もう!いいです。依頼人の経過後を知りたい。そう言っただけです」
「・・・」
(そんなに長い言葉ではないはずなのに、でも、何を怒っているのだろう)
「あっ、いいよ。それで、何が食べたい物でもあるのなら買うからね」
「本当ですか!ありがとうございます」
小さい主は、来夢の不機嫌な理由が分からなかったが、それでも、喜ぶ姿を見て少しは安堵するのだった。
「バスに乗るのだから服の中で大人しくしてくれよな」
「うん、うん」
「ん?・・・なら、あっ!」
来夢は、嬉しすぎて言葉に出来ないのだろう。それでも、やっと、頷くのだったが、小さい主の許可など求めるよりも、直ぐに、首までよじ登り服の中に入ってしまうのだ。
「・・・・」
少しの間だが、服の中でゴソゴソと動いていたが、丁度良い居心地が出来たのだろう。大人しくなったことで、小さい主は歩き出した。さすがに、喫煙所を出る時は、不審者などと思われていないか不安を表していたが、そんなことを考えても仕方がないと、段々と感じたのだろう。病院の目の前のバス停留所に着く頃には堂々としていたのだ。それでも、バスを待っていると、通りすがりの人たちが不審そうに視線を向けるが、何事も気付かない素振りで無視を続けていた。
「・・・・」
来夢は、左手の小指の赤い感覚器官から痛みを感じて、時の流の修正の指示だと感じたのだ。そのために、服越しから外を見て、停留所に到着しようとするバスに何かを感じたのだ。そのバスは最終の到着地は同じだが、小さい主が待っているバスとは違って遠回りする経路のバスなのだった。だが、このバスに乗らなければならないために行動を起こした。初めは、優しく撫でるように両の前足で気持ちを伝えようとしたが、居心地が悪いために動いたと思われたので、今度は、少々強く引っ掻いた。
「痛い。痛い。いてて!」
大声を上げたことで、周囲の者から視線を感じて、恥ずかしさから逃げるために、バスが到着して入口の扉が開くと、乗ってしまった。すると、来夢は、爪で引っ掻くのことを止めてくれたのだ。
「・・・」
(まあ、来夢の気持ちは分からないが、何か理由があるのだろうなぁ。でも、自分が降りるバス停は通るのだから仕方がないか、家に帰ってからでも理由を聞くかな)
バスは、小さい主の思案中でも走り続けるのは当然で、何分が過ぎたのか、何個の停留所を過ぎたかなど考えていなかったのだが、また、場所など考える余裕もなく驚きの声を上げてしまった。恐らく、車内の中の全ての者に届いただろう。だが、そんな思考など吹っ飛んでいた。
「あっ!」
小さい主は、バスの窓越しから外を見て、また、驚きの声を上げたのだ。
今の時代では乗合自動車と言う物は、殆んど言わない。バスと言うのが一般的だ。県営業であるのを県バスと、市営業は市バス、民営もあるが、全てをバスと言っている。その名称など関係ないが、停留所で待つ者がいた。その中の一人が緊張して膠着して誰が考えても何かを隠している。だから、その者を見て不審を感じて通報でもしようか?。と思いう人もいるだろう。そう者が車内に居ても同じ、いや、閉鎖された空間だからだろう。不審者と思われる以上に視線が鋭い。もしかすると、自分たちの命に係わる。とでも思っているのかもしれない。その者は、この雰囲気を何分くらい我慢すればいいのだろう。と、思いながら別の事を考えることをした。何気なく視線を向けたのは、バスの順路だった。乗車した病院から目的地のバス停までには、自分の近所でもあり。この地域では一番の繁華街であり。メインの通りでもある。その商店街を通り抜ける前に、点々と商店が並ぶ通りがある。昔の旧国道と言われる道である。その中の一つの店を通った時だった。
「あっ!」
車内の雰囲気は本人でも感じているのに、突然に声を上げてしまっては、両手などで身構える者もいた程なのだった。だが、驚きの声を上げてからは全てを忘れていた。外の様子に思考する脳の全ての器官と言うべきか、機能と言うべきか、脳の全てを使っていたのに、反射的とでも言うか手が動き。バスを止めてもらうために、ボタンを押していた。
「ピンポン」
全ての車内の乗客は、安堵の声が漏れた。
「・・・」
ボタンが押されても直ぐに止まる訳もなく、その間に、驚いた状況を思い出していた。それは、今回の未処理の依頼人の女性を見たのだ。その女性は、雨も降っていないのに雨宿りをしている感じで立っていたのだ。もしかすると、未来が分かる予知能力者で、雨が降るのが分かっているためなのか、それとも、ある人を待っている。いや、ある人を探しているのかもしれない。それよりも、依頼人とペットの犬が危険と感じたのだ。依頼人が夢中で周囲を見るために足下に注意が行かずに、ペットの犬の首輪から繋がる紐が、依頼人の足にグルグルに絡まっているために、もし突然に歩き出そうとしたら間違いなく転倒するだろうし、ペットの犬も怪我をするかもしれない。それを見て、驚きの声を上げたのだが、小さい主の思考など分かるはずもなく、来夢の方は、左手の小指の赤い感覚器官から痛みを感じた。その痛みは、時の流の修正をする指示の知らせであったのだが・・・。(あの馬鹿は!何を考えているのだ。犬の散歩は毎日していないのか、普段の通りに散歩していれば、依頼人の女性と出会えて赤い糸の導きの効果が引き締められるはずだと言うのに何を考えているのだ。などと、思案しても仕方がないか、まずは、時の流の修正を先にしなければならない。まあ、小さい主様は、気付いているみたいだけど・・・)
バスは止まり。まずは、バスから降りた。だが、女性の所まで駆け出すと思ったのだがゆっくり歩き出した。もしかすると、似たような人の勘違いか、双子なのかと思っているのだろう。そして、女性の目の前に立った。
「あのう。うちの依頼人の方ですよね」
「えっ?」
「人違いでしたか?」
「いえ、依頼人で間違いありません。でも、どうして声を掛けてくれたのですか?」
「少し心配になりまして」
「心配?・・・わたしを?・・・・」
「はい。足元を見て下さい」
「まあ!」
自分の足元を見て、やっと、小さい主の言っていることを理解したのだ。
「ペットも心配でしたが、何かお悩みがあるのでしたら、別件として受けても構いませんし、些細なことでしたら、継続としても受けても構いませんよ。まあ、そんなに真剣に考えなくても、ただ、簡単に言うと、人に話せば気持ちも晴れる。そう言うこともありますよね。だから、そんな、意味ですよ」
「そうね。そうかもしれないわね」
「何か遭ったのですか?」
「まあ、でも、悪い事ではないのですよ・・・・でもね・・・・」
「そうなのですか・・・・」
小さい主は話し出すのを待った。
「ここで、雨宿りをした人と会いたいの。お茶を誘いたいの。顔が見たいの。声が聞きたいの。それで、ここで何度も、何度も、待っていたのです」
「そうでしたか・・・・それは、同じ犬を飼っていた方と同じ人でしょうか?」
「同じ犬を飼っている方?・・・・誰でしょう?」
「そうですよね。そうですよね。あの男性では印象なんて残りませんよね」
(まあ、あまりにも、雨宿りの場面が、あまりにも強烈な印象的で脳内に残ったことで他の男性は全て忘れた。例え、同じ男性だとしても全ての記憶が上書きされて忘れたのですね。これは、大変なことだけど、全ての結果が丸く収まるから問題はない。けど・・・どんな、状況だったのだろう・・・・)
「その男性を探すのは良いとしてですよ。それで、その男性と会っても分かりますか?」
「何を言っているのですか、今でもあの人の顔は憶えていますから会えば分かります」
「そうですか・・・はい、分かりました。なら、直ぐにでも探します」
小さい主は、一瞬だけ思案した。だが、何も良い考えなど浮かばなかったが即答するのだった。その理由には、来夢なら良い考えがあるだろう、と思ったからだった。
「男性?」
女性は、不思議そうに首を傾げた。
「はい」
来夢は、服の中から話し出した。
「・・・」
小さい主は、驚いた。
「その男性も、恐らく、あなたと同じように、この場所を女性も探しているはずです。それなのに、現れないのは、何か遭ったのでしょう。もしかすると、共に雨宿りでしたのなら風邪でも引いているのかもしれません。そのために正確な、この場所を思い出せないのかもしれません。そうですね。三日後、ここで待ち合わせしましょう。確実に探しだして連れてきましょう。どうです?」
小さい主は、口をパクパクと開閉させながらも、恥ずかしさ、驚き、恐怖などと、表情を表しては。これは、自分の声ですと、女性に伝えようと必死に演技をするのだった。
「それで、構いません。では、三日後ですね。楽しみしています」
女性は、堅苦しい話し方をするが、表情では、嬉しそうに期待に満ちていたのだ。そして、振り向くと、散歩の続きでもするのだろう。ゆっくりと、立ち去るのだった。その後ろ姿を見ていると、何か、犬に話を掛けていた。もしかすると、男性に会える喜びを犬に話しているようだった。
「なら、帰ろうか」
小さい主は、女性の後ろ姿が見えなくなるまで見送っていた。そして、見えなくなると、服をめくると、来夢が飛び出して地面に降りた。それでも、来夢は、周囲に人がいるのが分かっているためだろう。ニャと鳴くと、歩き出した。
「あっ、やっぱり、猫ちゃんだったのね」
女性が、少々小走りしている。恐らく、目的地があるのだろう。だが、誰も不審に思う人はいない。勿論、小さい主も来夢は、気付いていない。それでも、小走りの理由は、小さい主にあった。服から来夢が出て来るのを見ると、走るのは止めて立ち止まったのだ。この女性の小走りの理由は、小さい主だった。だが、この女性は、驚くことに、小さい主が、先程のバスに一緒に乗っていた。正確に言えば、小さい主が途中から乗って来たのだが、小さい主を見て喜び、驚き、恥ずかしそうに見ていた。だが、最後には心配になったのだが、一緒に降りることが出来ずに、一つ過ぎた停留所で降りて、ここまで、小さい主が心配になって走ってきたのだ。そして、安堵するのだった。二人は両想いと思えるが、結ばれるか分からない。それが、初恋なのかもしれない。もしかすると、いや、確実に枯葉が身体に貼り付いているのだ。修正に関わる人なのだ。その証明の通りに、来夢に邪魔をされて、小さい主と女性とは、視線が合わなかった。仕方がなく、女性は、小さい主と来夢の様子を見るだけで満足するのだった。
「おいで!」
「ニャ」
(一人で帰れるか?)
小さい主は、来夢が足元ですり寄って来ると、両手で抱えると、耳元で囁きながら歩くのだった。
(大丈夫ですが、小さい主様。なにか、用事でも出来たのですか?)
(なにも用事なんてないよ。ただ、食材の買い物に行くだけだよ。何か食べたい物でもあるか?あるのなら買って行くぞ)
(もしかして、来夢と一緒では恥ずかしいのですか?)
(そんなことないよ)
(そうなのですね。それなら、一緒に行きたいです)
(わかった)
小さい主の返事を聞いたはずなのだが、来夢は、さっさと歩き出した、まるで、自分の行きたい場所は、小さい主と同じだと思っているようなのだが、その後ろから恥ずかしそうであり。やれやれと、困っている感じで歩いているのは、未だに、幼子の弟と思われていて、時々振り向くのは、迷子にでもならないように配しているのだろう。そんな感情を表していたのだ。それでも、時々、大きな溜息を吐くのは、この後に、もっと、頭が痛くなることが起きる。それを過去の出来事を思い出している感じでもあったのだ。
「・・・・」
それから、何分が過ぎただろうか、来夢は、ある店の前で立ち止まった。大手の全国店の店ではないが、近所では大きな食料品を中心に日用雑貨やペット用品も売っている店屋だった。その店の入り口の前で、もし猫の盲導犬が居るとしたらと、この猫のように大人しく利口で忍耐強く主人に忠実な猫だと、誰でもが思うだろう。そんな猫だから頭を撫でられ写真などを撮る者などもいるのだ。店から出ると、まるで、超有名女優が偶然に立ち寄りサイン攻めにあっている感じと同じ光景と錯覚するのを見るのだ。
「ニャ」
と、先程までは何をされても鳴かなかった猫が、飼い主が現れると、嬉しそうに足元に
すり寄って出迎えるのだった。だが、飼い主が、この光景を見ては立ちくらみを感じているのを来夢は分かっていない。その理由があった。以前に幼い女の子が、来夢の様子を見て、猫の盲導犬だと信じたのだ。どうしたら、この猫と同じに紐を付けて散歩が出来るのか、将来は、猫を盲導犬にしたい。まるで、熱狂的な信者のように家まで付いて来たから来夢なりの対策の結果だったのだ。
「もう~分かった。分かったから~もう~歩けないだろう」
小さい主も来夢の気持ちが分かっていないのだろう。もしかすると、来夢は小さい主が集まっている人達の対応が困ることを知って、故意に、小さい主を困らせて、この場から立ち去りやすくしているように思えるのだった。
「もう~いい加減にしないと、大好物のおやつは食べさせないぞ」
来夢には、何のおやつなのか分かったのだろう。それも、小さい主に言われると、直ぐに足元から離れて、また、さっさと歩き出した。いや、やや早歩きだと感じられた。
「ちょっと、待ってって!荷物を持っているのだぞ。そんなに早く歩けないよ!」
来夢と小さい主の距離は段々と広がって行った。そのまま気付かずに、来夢は帰宅するのかと思われたが、心配になったのだろう。立ち止まって振り向くのだ。
「ニャー!」
すると、小さい主は、今直ぐにでも息切れを起こして倒れそうだった。その姿を見たと同時に駆け出していた。来夢は、何を思ったのか、小さい主の前に着くと飛び上がって肩に乗ろうとしたのだ。だが、もし人が見ていたのならば、人の首に襲い掛かるように見えただろう。だから、猫から逃げようとして転びそうだったが、建物と建物の間に身体が入ると当時だった。来夢が、小さい主に触れると、突然に、小さい主と来夢の姿が消えたのだ。それは、来夢の背中にある羽衣の機能で、小さい主の身体全体と荷物を羽衣の透明な膜が包んだのだ。
「えっ?」
小さい主が驚くの当然だった。自分が空中に浮いていたのだからだ。
「このまま帰りましょう」
「大丈夫なのか?」
「はい」
小さい主と来夢は、まるで、シャボン玉のような、いや、シャボン玉よりも大きく透明の中に入ったまま高く高く昇って行くのだ。ある程度の高さまでくると、フワフワと自宅の方に移動して行った。
「上空から見下ろす街って気分がいいね」
小さい主は、来夢に素直な気持ちを伝えた。ただ、一つだけ、来夢が心配すると思って少しの恐怖だけは伝えなかった。
上空にフワフワと浮かぶシャボン玉みたいな球体が動いていた。その中には、一人と猫が入っていた。シャボ玉のような物を見ることが出来るのは、飼い猫から羽衣の片方を託されて使用している。祖母と飼い猫だけである。誰にも教えていないが、羽衣の持つ者、動物でも、自身で許可すれば羽衣の中に入ることも見ることも出来る。だから、もし気分を壊すような場合になれば、突然に足場を失って空中から地上に落下する。そんな、理由など知らずに小さい主は楽しんでいるようだが、今朝に体験しているはず。羽衣の中から落ちて地面で寝ていたこと、それを忘れているのか、考えないことにしているのか、そのために、自身の本能で羽衣の機能を理解しているから何度も乗っているが少々危険を感じているはずだ。それでも、シャボン玉のような物の中で興奮を現わしていた。だが、男であり。飼い主である。来夢には隠したい気持ちがあった。自分の上下だけでなく周囲が透明でゴムのような感触の足元のために恐怖を感じていることをだった。
「大丈夫ですか?・・・怖くはないですか?」
「怖い訳ないだろう。こんな絶景な景色なんて二度と見られないだろう。
男として威勢を張ったのだ。それでも、やや気持ちが落ち着いてきた。まだ遠いが、自宅の屋根が見えてきたのだ。
「そろそろ、家に着きますよ」
「そうなのか、本当に残念だな」
「でも、大丈夫ですよ。また、直ぐにでも見られますからね」
「えっ?」
「食事を食べてからになりますが、森に行って片付けをしなければなりませんからね」
「えっ・・・バスでなくて・・・」
「初めは、バスを利用しようとしましたが、荷物もありますしね。それに、小さい主様が、空中の散歩を気に入ってくれたのですから羽衣の力で飛んで行きましょう。それの方が早いし、荷物を羽衣の中に入れて運べば楽ですしね」
「そうか、そうか、そうか・・・」
「もしかして怖いのですか?」
「そんなことはないよ。勿論、同じことを思っていたよ。羽衣の力で飛んで行けたら嬉しいなって提案しようかと思っていたよ」
「そうでしたか、それは、良かったです。なら、今度は、もっと、早く飛びましょうか?」
「じっくりと景色が見たいからね。それは、またの機会にしようかな」
自分が大嫌いなジェットコースターを思い出したのだ。
「なんか、小さい主様とデートしている感じですね。そうですね。やっぱり、デートは手を繋いで、ゆっくりと歩きながら愛を実感しなくてはね」
「まあ、その話しは分かった。それよりも、自宅の上空に着いたぞ。早く下りないのか?」
小さい主は、平静を装ったが、両足はガタガタを振るえて力が入らなかった。
「あっ!。はいはい」
透明なシャボン玉のような球体は、二階のベランダに降りるのだった。
「ん?」
「もしかして出られませんか?・・・・もう大丈夫ですよ」
来夢は、小さい主を守る。その思いがあったために、小さい主の意志には、羽衣は反応しなかったのだが、来夢は、心で思っている気持ちを切り替えた。すると、小さい主は、まず、手を伸ばしてシャボン玉のような球体から手を出してガラスサッシを開けた。そして、一歩を踏み出すと、羽衣の膜から出て室内に入るのだった。その後を来夢も続いて室内に入り。少し体を揺すると買い物の袋もポロリ、ポロリと畳の上に転がるのだった。
「ちょっと、待て、待て、あぁぁぁ~」
荷物の袋から品物が毀れるのを止めさせようとしたのだ。だが、すでに、全ての買い物の袋は羽衣の中から出ていたのだ。
「何ですか?・・・小さい主様?」
「いや、まあ、どうせ散らかすなら一階の台所の前にして欲しかった」
「すみません。今から運びますね」
一つを口に咥えた。それは、偶然に手前に置いてあったとも言えるが、自分の一番の好物のおやつの袋を咥えていたのだ。
「いいよ。俺が運ぶからな。でも、その咥えているのだけは持って行ってくれないか」
「分かりました。手間をかけてすみません」
(ちょうど(丁度)良かったかな。台所などの周辺を確認しなくてはね。ゴキブリなんて見たら失神するからね。それは、男としては恥ずかしいこと、だから、気付かれないように、男として立たせなくてはならないわ)
「ん?・・・・どうした?」
「・・・」
台所の前で謝罪しているように座って待っていた。
「別に怒った訳ではないのだよ・・・・怒られたと思ったのか?」
「いいえ。ただ、何も出来ないから台所で、お迎えしようと、待っていたのです」
「そうか、そうか、ご飯の用意を直ぐにするからな。だから、もう少し待っていてくれよ」
「はい。楽しいにしています」
「そうか、なら、サバ缶をご飯にぶっかけでも良いのか?」
「勿論です。小さい主様と、一緒に食べられるだけでなく、同じ物を食べられるなんて嬉しすぎます」
「そうか、でも、あまり嬉しくはないかな」
来夢も小さい主も空腹だったことで、買い物の片付けは後にして、直ぐに、食卓の上に二人分の食事を用意した。
「なっな何故です?・・・こんなにも美味しいのに!」
来夢は、本当に美味しそうに、ガツガツと食べるのだった。だからだろう。
「これは、料理とは言わないかな・・・」
来夢は食事に夢中で、小さい主が囁いた声が聞こえなかった。
「もし私が、一日の数時間でも人になれたのなら、小さい主様に美味しい料理を作ってあげるのにな」
「そんな夢みたいなことが出来たらいいな。ちなみ、その料理とは、秋刀魚の蒲焼の缶詰のご飯にぶっかけご飯かな?」
「勿論、そうですよ。あれは、一番の大好物ですからね。小さい主様も好きでしょう!」
「それは、料理とは言わないのだけどな・・・・」
「ん・・・・何か言いましたか?・・・小さい主様?」
来夢は、大好物を思いながら食べていたからだろう。小さい主の言葉など耳に入るはずもなかった。
「なんでもないよ。今度、願いが叶うように神社にお参りに行こうか」
「はい。それも嬉しいですが、でも、猫には、髭の願いがあるのですよ。今度でもその話を教えますね。まあ、幼い頃から話をしているから・・」
「うん。楽しみにしているよ」
小さい主は、適当に返事を返すのだ。それは、当然かもしれない。まるで、幼い子供が、クリスマスのサンタクロースの存在を信じている。そんな、馬鹿馬鹿しい話を聞くのと同じに思えたからだった。
「はい。そうですね」
「えっ!」
(今日は、あっさりと言われたな。今までなら赤ちゃんの頃や記憶も残らない幼い頃の
子守唄の代わりの夢物語として聞かせて喜んだとかで、簡単に話が終わらないのに・・・)
「なあ、身体の調子が悪いとかではないよな?」
(まさか・・・まさか・・・)
「どうしてですか?」
「まさかだと思うが、猫は死を感じると、飼い主の所から居なくなって一人で死ぬとか言うが、今、いや、この先でも、そんなことを考えていないよな!」
「もう、そんな自分のことなんて考えているゆとりなんてありませんよ。もしですよ。今の家の状態で、来夢が居なくなれば、経済力はゼロになって一家心中ですよ」
「そう言われたら、そうだな」
「もう、そんな馬鹿馬鹿しい考えはしないで下さいね。それに、先ほどの依頼の女性の話を聞いて、依頼人の男性の所に、これから行くか、森の片付けが終わってから行くか考えていたのですよ。やはり、森の片付けよりも、先に行きましょう」
「ごめん。本当に、ごめんなさい」
「それは、良いとしますが、また、口パクをしてもらいますよ」
「え!またするのか!」
「大事な仕事だと、そう思って下さい」
渋々と頷くと、小さい主は、食器を台所の中に入れた。直ぐに、来夢を抱えて玄関の外に出た。
「行きますよ」
来夢が、小さい主に気持ちを確かめた。頷くのと見ると同時に、二人が消えた。それは、来夢が持つ羽衣に包まれたのだ。
「うぁあ!」
小さい主は、また、悲鳴を上げた。やはり、何度飛んでも、透明な膜で飛ぶのはなれないようだった、だが、何度も叫んでも声が漏れることも、上空を飛んでいるのも、誰にも分からなかった。そして、男の依頼者の家の上空に着くのだ。
「・・・・」
それだと言うのに、来夢は、空中で止まったまま地上に下してくれなかったのだ。そんな気持ちなど気付いていないのだろう。何かを話しをしているようだったが、長い話の二割も頭に入るはずもなく、ただ、何度も頷くだけだった。
「小さい主様。分かってくれたのですね。それでは、話した通りにして下さいね」
ゆっくり、ゆっくりと下降を始めて地面に降りたが、小さい主は外に出られなかった。来夢は、周囲を見回して、人が居ない事を確認してから・・・。
「どうぞ、いいですよ」
小さい主が羽衣の中から出てきた。直ぐに、猫である来夢も姿を現した。
「家まで行くのか?」
「はい。その前に、小さい主様が、子供の頃に良くした。あれ、来夢を服の中に入れて顔だけ出るようにして下さい」
「分かった・・・・苦しいか?」
服のボタンを何個か外すと、足下に居る来夢を抱き抱えながら服の中に入れるのだ。
「いえ。大丈夫ですよ。なんか、子供の服と違って大人の服の中って恥ずかしいですね」
「そうなのか?・・・・やめるか?」
「いいえ。このまま依頼者の家に行きましょう」
二階建ての全室で八室のアパートの目の前に居た。外階段で行き来する。最近ではあまり見かけない格安の賃貸と思われる建物だった。その二階の五号室に向かうのだった。
「トントン」
二階まで上がり、目的の室の前に着くと不安を感じた。遠くから見たよりも年数以上に古いと感じたのだ。これでは、電子音の呼び鈴を押したら両側の室に響きそうに感じたのだ。そのために玄関を軽く叩いたのだった。
「えっ!」
直ぐに扉が開かれた驚きよりも姿に驚いたのだ。独身の一人暮らしの者なら下着姿かジャージ姿と思っていたのだ。
「えっ!驚いた。どうしました?」
「もしかして、お出かけの予定でしたか?」
来夢だけでなく、誰でも不審に思うだろう。まあ、流行の先端の服とは大袈裟だが、普段の様子を知らない者でも、オシャレなワイシャツにスラックスの姿では、合コンかデートでも予定がある。そう思うのは当然と思えた。
「はい。犬の散歩でも行こうかと思っていたところです」
「そうでしたか、なら、丁度良い時に来た感じですね」
「そうですか・・・・あっ、そうそう、バスの回転場所と言うか、駐車場の調理道具なら片付けて置きましたよ。それでも、勝手に持っていくと困りそうな物は置いたままだよ。もし車が必要なら親父に伝えるから遠慮なんてしなくていいよ。それと・・・・」
玄関での立ち話し程度のことだと思って待っていたのだが、直ぐには、要件を話さないために、共に旅館に行った話題と気遣いのことを伝えたのだ。
「ありがとうございます」
「いいえ。でも、足りない物があるとか、そんなことを言っていましたよ。もしかして、森の奥にでも置いたままでしたか?」
「はい。それを片付けに行くところでしたが、直ぐにでも伝えなければならないことを思い出したので、こちらに、寄ったのです」
「そうでしたか、ありがとうございます。ですが、もしかして、身体の調子が悪いのではないですか?。何か、何て言うか、喉っていうか、変な話し方ですし、身体を温める物でも飲んで行きませんか、それに、喉に良い飴もありますよ。だから、飲みながら話しの内容を聞かせて下さい。どうですか?」
「そんなに、変な話し方ですか?」
「そうですね。なんか、風邪を引いた時って言うか、外人さんが日本語を話すような感じにも思えますね」
来夢は、自分が考えていた。その全てが失敗したと感じて言葉を無くした。
来夢には、家の中に入れようとしているのは、化けの皮を剥がすためだとしか思えなかった。それで、直ぐにでも逃げだしたかったのだ。
「大丈夫です。要件だけを伝えてから直ぐに帰ります」
「そうですか」
「はい。要件とは、犬との散歩はしていましたか?」
「はい。今日も、これから行こうかと思っていたところです」
「依頼人の女性とは、会えましたか?」
「今日の朝でも会えるかと、そう思ったのですが会えませんでした」
「そうでしょう。そうでしょう。女性なら、共に雨宿りした店の前で待っていましたよ」
「本当ですか!」
「はい。これからは、雨宿りした店を通るような散歩の道を考えて下さい」
「分かりました。そうします。ありがとうございます」
「それと、女性と約束した。三日後だけは、必ず行って下さいね。雨でもですよ」
「分かりました。絶対に行きます。それだけですので、これで、帰ります。失礼します」
来夢と小さい主は、玄関から逃げるように立ち去るのだった。直ぐに、アパートと家と家の隙間に入ると、来夢と小さい主の姿は消えた。それは、来夢の羽衣の周りの透明な膜の中に入る事で消えたような状態になったのだった。そのままの状態でフワフワと上空に登って行った。普通の者なら足下が透明で、一つの街が見える程の高さだと恐怖を感じるのは当然のはずだ。それなのに、今度は・・・。
「少し急ぎますね」
猛スピードで移動を始めた。風圧は感じないのだが、一瞬一瞬と外の様子が変わり眩暈を感じるだけでなく、何かに衝突するのではないかと思うのために死を感じてしまうのだ。
「ん?・・着きましたよ。どうしました?」
来夢は、猫であり。獣でもあるし自分の意志で飛んでいるために恐怖はないのかもしれない。例えが変だが、人にも言えるだろう。自分が運転する自動二輪は怖くはないが、誰かの運転で後ろに乗るのが怖い。だが、速度は、自動二輪以上の速度だと考えれば、小さい主の恐怖は当然かもしれない。
「寒いのですか?」
来夢は、小さい主の気持ちが分からなかった。なぜか、と思われるだろうが、心底からの恐怖を見ているからだ。だから、分かるのだ。虫が怖い。特に、ゴキブリを見た恐怖の状態と違っていたから気付かなかったのだ。
「ガチガチ、違うよ。ガチガチ、うん。ガチガチ、大丈夫だよ。ガチガチ」
「それでは、行きましょうか」
「ああっ・・・・・」
小さい主は、心底からの恐怖を感じて足がガタガタと震えて歩けなかった。
「小さい主様!」
小さい主が一歩を踏み出したのを見ると、来夢は、歩き出したのだが、地面に倒れる音を聞いて振り向くと、やはり、小さい主が地面に倒れていた。なぜなのか意味が分からず駈け寄ったのだ。
「なぜ、なぜ?!大丈夫ですか?!」
「なんか分からないけど、腰から下に力が入らない。もしかすると、これが、腰が抜けた。と言うことかな?」
「そうなのですか・・・・でも、よかった」
来夢は、ひとまずは安心したのだ。だが、冗談を言っているのかと、首を傾げていた。だが、無事なのが分かったが、倒れる時に頭でも打ったのかと少し不安を感じていた。それと、もう一つの理由が・・・。
(もしかして、虫でも見たのかな?)
「うん。うん。ごめん。少し休んだら大丈夫だから・・・」
「少し周りの様子を見て来るね」
「えっ!」
来夢は、小さい主の様子が変なになった理由を勝手に判断して、森の中に入って虫などが居ないか確認しに行った。五分も経たないのに、小さい主の悲鳴を感じて直ぐに戻ってきた。
「来夢!」
小さい主は、来夢が現れるまで何度も名前を呼ぶのだ。
「どうしました?」
小さい主の目の前に飛んで現れて、周囲に威嚇した。
「暗くて、何も見えなくて、怖いよ」
「月の明かりでも目が慣れれば明るいのですよ」
「そう・・・なら、いいけど・・・」
(猫だからでないのかな)
「星が綺麗ですよ」
「そうだね」
来夢と小さい主は、暫くの間、静かに星空を見ていた。
「ん?・・・・」
小さい主の呟きが聞こえたような感じがした。
「本当に、月明かりは明るいね」
「そうでしょう。そうでしょう」
「うんうん。だから、もう大丈夫だよ。行こうか」
「本当ですか?。もう少し休んでもいいのですよ」
「本当に大丈夫だよ」
「わかりました。では、行きましょう」
来夢は、先頭を歩き出した。キョロキョロと周囲を見回しているのと、先頭を歩くには当然なのである。小さい主の恐怖を感じる虫などの退治をするためである。
「あっ!」
先頭を歩く来夢よりも、背が高い人だからだろう。調理器具などが倒れて、周囲が荒らされていたからだ。
「どうしました?・・・あっ!」
「なんで?」
「小さい主様。まだ、近くに居るかもしれません。誰か、犯人を探してきます!」
来夢は、小さい主の許可など求めずに、言うだけ言うと、走り出していた。仕方がなく、小さい主は、一人で片付けを始めたのだ。
(祖母様。起きていましたか?)
森に入りながら羽衣の機能で話を掛けた。だが、そんなことを伝えなくても、来夢が見ているのなら、いや、祖母が見ようと思えば、片翼の羽衣があるために見られたのだ。だが、至急に、自分の口から伝えたために言ったのだった。
(何か遭ったの?)
(それが、祖母様が作ってくれた。あの料理がめちゃくちゃにされています)
(まあ、まあ、娘夫婦が眠るところを汚したのね)
「はい」
「娘が大好きだった物を作ったのに残念ね。それよりも、孫に食べさてあげたかったのに残念だわ。そう言えば、もしかして、わたしが倒れてから何も食べていないのでしょう。それなら、お腹が空いたでしょう」
「それ程でもないのです」
「そうなの?」
「はい。小さい主様が、料理を作ってくれて、それも、同じ食卓で食べました。凄く嬉しくて、凄く美味しかったのですよ」
「そうなの。それは、良かったわね。それで、何を食べたの?」
「それは・・・」
「まっまっまさか、缶詰のご飯にぶっかけ、とか、みそ汁のご飯にぶっかけではないでしょうね」
「流石、祖母様です。大当たりですよ。でも、本当に驚きです。なぜ!分かるのですか?」
「これでは、駄目だわ。缶詰!。そんなの料理でもないし食事と言う物でもないわ。そうよ。今直ぐにでも病院から抜け出して料理を作らなければ、いや、孫に料理を憶えてもらうか、料理が出来る奥さんを探さなくてはならないわ」
祖母は、安静のために横になっていたのだが、涙を流しながら今まで自分は何をしていたのかと、悔しく、悲しく、自分に怒りを感じて起き上がるのだ。だが、起き上ると直ぐのことだった。激しい感情から体が耐えられなかったのか、両手で胸を押さえた。すると起き上がるだけで全ての体力を使ったのだろう。まるで、電池が切れた人形のように寝具に倒れるのだった。それでも、意識があるのか、いや、無意識のようであり。絶対に残してはならない覚悟の悲鳴と思える言葉を吐いたのだ。
「何を言っているのです。外泊なんて、それは、ぜったに駄目です!」
(・・・)
「祖母様!」
何も返事がない。意識を集中して、羽衣の機能を使い祖母の容体を確かめようとした。少しの間だが、意識を集中していると、普通なら言葉にもならないうめき声のような呟きを聞くのだ。
(このままでは、駄目だわ。孫、孫の食事、食事を・・あっ、なら、連れ合い、奥さんを探すべきだわ。このままでは、娘に会す顔がな・・い・・わ)
「何を言っているのです。祖母様!」
うわ言のような言葉だが意識があると感じて話を掛けるのだが、自分の声が聞こえないのか、もしかして、身体の痛みから失神しての夢でも見ている感じに思えたのだ。
「お願いです。正気に戻って下さい。それで、なにが駄目なのです。わたしが、命を代えても叶えますから何がしたいのです」
「命が尽きるまでにしなければ、このままでは死ねない」
「猫には、絶対に叶う願いの方法があるのです。だから・・・」
「絶対に叶う」
そんな来夢は、祖母が心配で必死に祈るように気持ちを集中した。身体の痛みを消すことは出来なくても、このままでは意識が戻らなくなる。そう感じたのだ。だからなのか、羽衣の機能の一部なのか、猫の神にでも気持ちが通じたのか・・いや、来夢の真剣な気持ちが届いたはず。それも、たった一言の祖母の言葉だったが、祖母と来夢の気持ちが同じだったから通じたのだ。それは、小さい主のことは自分の命以上に大事であり。来夢からは大切な飼い主であり。祖母からは大事な孫である。その将来など全てのことが同じ気持ちであったからだ。
「はい、そうです。叶います。でも、まずは、落ち着いて下さい。このままの状態では身体が持ちません」
「そうね、そうね。でも、本当に叶うのね。そうね。それなら、叶うなら安心ね」
祖母の様子は、来夢の言葉で少し少し気持ちが落ち着きを取り戻し始めて、最後の言葉には、普段の祖母の話し方だと感じたので、来夢は、安堵するのだった。だが、願いの方法を考えると、涙を流していた。それ程まで大変なことであり。苦しいことでもあり。悲しいことでもあるのだろう。もしかすると、来夢の命に係わることなのかもしれないのだが、普段の祖母なら来夢の気持ちなど簡単に分かるはず。もしかしたらまだ正気でないかもしれない。もし正気なら願い事を断るはずだからだ。
「祖母様。なら、もう安心しましたよね。お休みになって下さい」
ホットしたのだろう。気持ち安そう寝息を立てるのだった。
「何本もあるのだし、一本くらい大丈夫かな・・・・痛いかな・・・その前に・・・・」
来夢は、覚悟を決めていた。それでも、愛しい小さい主様に、最後のお別れをする気持ちなのかもしれない。それとも、何かを待っているのかもしれないが、恐らく・・・・・。
「来夢!」
「鳥も動物も何も居ないし、誰がしたのかも、それも分かりません。たぶん、この森に棲む動物たちでしょう。だから、早く片付けて家に帰りましょう」
「でも、まだ、祖父と両親の墓前りもしていないし」
「そんな墓などありませんよ。この周囲は私有地です。墓など作れません。それに、両親が亡くなったのは、この空地です。祖母から聞いた話しですが、毎年、キャンプをしたいからと、この空地だけの伐採を許してくれただけ、でも、今日が初めてで、これで最後でしょうね。それでも、驚くのは、もう何年も時が過ぎたのに、空き地のままなのは不思議でしょう。なんか、野生動物の遊び場なのかしらね。もしかすると、動物たちも、この地が神聖とでも思ったのかな、だから、木々が生えずに空き地のままなのかもしれませんね」
「ここ、なんだ・・・・」
小さい主は、真剣に周囲を見回しているのだ。それは、一生忘れないように目に焼き付けているように思えた。
「はい。そうですよ」
「・・・・・」
小さい主は、虚空を見上げて、そして、周囲を見回した。過去の出来事を想像しているようだった。
人が一分も走れば終わるような小さい空き地だった。一人の男が大好きな女優の映画の場面でも思い出している。いや、様々なことを空想しているかのような感じて、喜び、悲しみなどを現わしていた。その者は、小さい主だが、突然に何かを感じたのか、木々が密集している方向に視線を向けた。まるで、幼子が、突然に無理なお願いをする時のような感じだった。まあ、本当に、母であり。姉であるのだから当然の様子だ。だが、それは猫の接し方ではなく、人と接すると同じことだった。祖母が元気な時なら笑って済むことなのだが、今の祖母なら心配になるだろう。
「ここに、泊まりたいな~」
「もう~仕方がないですね。そうしましょう」
主に命令されたのなら断れない。だが、主は、それはしない。それをしては家族としての絆が消えるのだ。それが分かっているからだ。それでも、即答してしまうのは、空想なのか、夢か、それでも、悲しい事でも苦しいことでもない。猫である猫の感情にも伝わる。心が安らぐ気持ちの良い表情を浮かべるからだったのだ。
「本当!いいの!」
「はい。いいですよ。でも、まずは、片付けましょう」
「そうだね」
調理道具の鍋などがある空き地から、また、主を一人にして森の中に入って行った。猫だから確かに一緒に居ても役に立たない。それもあるので、一人で黙々と片付けていても何も気にしていなかった。だから、来夢は、祖母の容体が心配になったために森の中に入ったのだ。そして、羽衣の機能を使うために気持ちを集中した。
「身体の容体は落ち着いたようね。良かった」
来夢には、祖母の身体の状態から寝台で気持ち安そうに寝ている姿まで見えたのだ。
「ただいま」
「おかえり。なにか楽しい事でもあったのか?」
「いいえ。でも、なぜです」
「なんか、喜んでいるような表情に見えたからね」
「本当ですか?」
「うんうん」
「小さい主様だけですね。猫の表情が分かるなんて・・・」
来夢は、祖母が一時的でも危険な状態だったことは言わないように決めたようだった。
(この森でお願いするのが一番良いのでしょうけど・・・・自宅がいいな・・)
「そうかな?・・そんなに難しいかな?・・でも、お姉ちゃんの事を知らない弟なんていないよ。そうでしょう」
「そうだね。姉と弟だものね。分かって当然よね」
「うんうん。俺の大好きなお姉ちゃん」
「ありがとう。何かあれば、お姉ちゃんに任せなさいね」
「うん。その時はお願いする。でも、今は、片付けを済ませますね」
「そうね。なら、お姉ちゃんは、片付けた物を家に持って行くことにするね」
「お願いします」
「いいわ。でも、わたしが、荷物ごとに足跡の印を付けるよりも、私の周りに荷物を周りに置いてくれると簡単だから嬉しいわ。そうしてくれたら、羽衣が包んでくれるわ」
「うん。分かっているよ」
「これ、とう、これに、これも」
来夢は、嬉しそうに、ピョンピョンと、調理道具の上に乗っては羽衣が反応して透明の円の中に入る。と同じように何度も飛び続けるのだった。
「あっ、庭に置いてくるだけでいいからね」
小さい主は、来夢が夢中で飛び続けていたために、今直ぐに声を掛けなければ無言で突然に消える。そう感じたのだ。
「分かりました。勿論、小さい主様だけには任せません。家に戻ってから一緒に片付けのお手伝いしますね」
「うん。ありがとう。それに、少々傷ついてもいいから適当に置いてきなね」
「はい」
来夢は、返事と同時だった。突然に消えたのだ。だが、一瞬で移動したのではなく羽衣が外から見えなくなっただけであり。恐らく、ゆっくりと、自宅まで飛んで行ったのだろう。だが、それは、来夢的な思いの速度であり。この地に来る時と同じ、いや、少々早い速度に違いない。
「もう一度、二度かな・・・」
空き地にある道具などは思っていたよりは減ってはいなかった。来夢が戻って来なくては作業をすることもなかった。それでも、一人で森の中に入る勇気などあるはずもない。仕方がなく時間潰しのために適当な石を探して地面に置くと、その上に座るのだった。
(そう言えば、祖母が亡くなると、本当に一人になるのだな。今までは来夢が常にいたから本当に一人になるって感じたことなかったけど、でも、来夢も人と考えてみると、祖母よりも年寄りなのだよな。もし、来夢が居なくなれば・・・本当に帰ってくるよな・・・)
「来夢!」
寂しさ、怖さ、悲しさを感じて叫んでしまった。
「どうしました。小さい主様?・・・もしかして、虫でも出ましたか?」
小さい主は、自分が思っていたよりも長くいろいろと、これから先のことを思い描きながら考えて答えが出ると、内心の中で抑えることなど出来ずに叫ぶしかなかったのだ。だが、名前を叫んだことで無理矢理に呼んだのではなかった。来夢は、この場に着くと同時に、自分の名前を呼ばれて驚いたのだ。
「来夢が、もう帰って来ない気がして・・・」
「もう仕方がありませんね。次の一回で終わらせる気持ちでしたが・・・本当にもう!仕方がないですね。荷物の運びは二回になりますが一緒に空中の散歩を楽しみましょう」
「いや、俺、空を飛びたい訳ではないのだけど・・・・」
小さい主は、離しを最後まで言えずに羽衣に包まれた。
今度の飛び方は、散歩と言ったからか、飛ぶ速度は景色が見られる感じだったが、もしかすると、荷物を運んでいるからなのか、本当に景色を楽しませるためだったのか、それとも、何度目か忘れたが何度も空を飛ぶ経験したからだろう。あまり恐怖を感じなかったことで少しだが空中散歩を楽しんでいた。そろそろ、自宅に着く。その頃だった。
「ねえ、来夢ちゃん。わたし、何かお願いした?」
羽衣の中に祖母の言葉が響いた。
「お婆ちゃん?。祖母様?」
小さい主と来夢は叫んでしまうが、小さい主には声が届いていないようだった。当然だったのだ。来夢と祖母には羽衣の繋がりがあるが、小さい主には、羽衣が繋がっていないからだ。だが、今までに聞いたことのない声色を聞いたために心配になったのだった。
「はい。これから、お願いするところなのです。だから、大丈夫ですから安心して下さい」
「いや、それは、もう良いのよ。何かね。変な夢を観ていた感じなの。だから、忘れてね。わたしね。思い出したのよ。結婚する前は料理が出来なかったの。でもね。嬉しい。悲しい気持ちを夫婦で楽しみながら料理を憶えたのよ。だからね。お願いのことは忘れて!」
「何の話しなの?・・・俺にも分かるように教えてよ」
小さい主には不思議に思っているが、羽衣の中では会話が聞こえるが、羽衣のを持つ者だけに伝えたい思いと思いが双方に伝わるのだ。それでも、相手に伝えたくない心の思いは伝わらない。それも、思いだからだ。だから、同じ羽衣の輪の中に、羽衣を持たない者がいたとしても伝えたい人にだけ伝わるのだ。もしかすると、小さい主に聞こえたのは、来夢が祖母の思いであり。それ程まで長くは生きられない祖母の些細な会話でも孫に伝えたい。そう思ったに違いない。
「来夢のことを心配しているのでしたら大丈夫ですから・・・あっ、祖母様。もう家に着きます。後ほどでも宜しいでしょうか?」
「あっ、親のお墓参りと同じだしね。お邪魔はしたくないわ。でも、お願いは忘れてね」
祖母は慌てて、電話を切ろうとする感じで、思考を切ろうとして必死に慌ている感じが分かり。身体にも悪いと思ったのだろう。小さい主は、祖母に感謝の言葉を言うのだ。だが、言葉は届いていなかった。それでも、来夢が小さい主の気持ちを伝えたのだ。
「祖母様。小さい主様が心配しています」
「あっ、そうだったの。今までの話を聞いていたのね。でも、何でもないのよ。ただ、食事が心配になっただけ、もしかして、お手伝いさんは、来てないの?」
「最近、時間が合わなくて会ってないけど、カリカリと水とトイレの掃除はしてくれているよ。でも、いつも同じで・・・」
来夢は、愚痴や悪口を言っている感じがして、話すごとに声が小さくなるのだった。
「ねえ、聞こえているの?」
「小さい主様は、自分のことを心配してくれて、ありがとう。そう言っていますよ」
「そう、そうなのね」
祖母は、全ての思いと考えを伝えて気持ちも落ち着いたのだろう。先程までは、思いを伝えたくて必死だった。それでも、伝え終わると、来夢の反応が自分の思い違いと感じたのか、急に疲れを感じたに違いない。そのために、祖母の言葉も段々と聞こえ難くなった。
「ん・・・・?」
「疲れていたのですね。それに、安心したからでしょう。おやすみになったようです」
「そうか、なら、良かった。安心したよ」
「それなら、地面に降りますよ」
来夢は、自宅の庭に降りて荷物を下すと、直ぐに、飛び上がり森の空き地に戻った。
「そうだね・・・あっ!」
「どうしました?」
「もう空き地に着いたのだね・・・」
小さい主は、祖母の事を考えていたことで荷物を下したことも再度の飛行中も気付かなかった。
「その・・・少しでいいから、この周囲を上から見ないか?」
「いいですけど・・・・上からでは、木々が見えるくらいで楽しくないですよ。海の上か町並みの上からなら楽しいと思いますけど・・・良ければ、良い景色が見える所でも案内しましょうか?」
「そう言う意味ではないよ。何て言うか、また、ここに来る時は、たぶんだけど、一人だと思うから、まあ、何となくで良いから憶えておこう・・・かとね」
「来夢とは、一緒に来たくないのですか?」
「そうではないよ。でも、後、数年もすれば、俺は・・・一人だけになるよ。だから、その時のために憶えなくてはならない。そうだよね。ねえ、来夢・・・お姉ちゃん・・・・」
「小さい主様。それは、違います。来夢は、お姉ちゃんは、死んでも離れません。幽霊になってでも側にいます。だから、いつでも、どこでも案内しますよ」
「そうか、そうか、ありがとうね。なら、憶えなくていいね。地面に降りようか」
「はい。そうしましょう」
「ふぅ」
「どうしました?」
小さい主が、地面に足が付くと、その場に座ってしまったことで、来夢は、心配になり。小さい主の周囲をグルグルと回って虫や蛇でも確認しているのか、それとも、遊んで欲しくて誘っているとも思えた。その様子を見て不審に思うのだ。まるで、何かの心残りを残したくない。そう感じてしまうような無理にはしゃいでいるのだ。
「来夢。どうした?。来夢。どうした?」
(さっきのことを気にしているのか?、死ぬとか、一人残される。それでかな?)
「何でもないですよ。来夢は元気ですよ。そうですね。また、尻尾の掴み遊びでもしますか、それとも、鬼ごっこでもしますか、かくれんぼでもいいですよ」
「少し足が・・・疲れたのかも、だから、少し休んでからでも、かくれんぼしようか」
(かくれんぼなら直ぐに見つかるからな)
「はい」
「膝の上に来るか?」
「良いのですか?」
「いいよ。おいで」
来夢は、膝の上に乗ると、嬉しいのか、撫でられて気持ちがいいのか、ゴロゴロと喉を鳴らしてやすらかな気持ちで寛いでいたのだ。すると、何かの覚悟でも決めたのか、突然に首だけを上げて、主の顔を見たのだ。
「絶対に一人にはさせないからね。だから、お姉ちゃんに任せてね」
「?・・・・どうした?」
来夢は、自分にたいしての誓いの言葉なのか、猫の言葉で呟いた。その意味が分かるはずもなく、来夢に問い掛けたのだ。
「ゴロゴロ♪」
「来夢も疲れているのか・・・なら・・・疲れるような。かくれんぼではなくて、母と父が居るかもしれない。あの空き地でならいろいろなことが思い出せそうだろう。そんな話をしながら時間を過ごそうか」
「はい。それも楽しそうですね」
小さい主は、足の震えも収まったのだろう。来夢を抱え上げると、歩き出した。
来夢と小さい主は、空き地に戻ってきた。自分たちで片付けたのだから何も無いのは分かっていたが、なにか寂しさを感じるのは、祖母が居ないからだろう。それでも、何か心が休まる感じをするのは、もしかすると、母と父の心が漂っているのか、いや、鳥や動物などの生き物が同胞と思っての温かい心を感じているのかもしれない。
「来夢が居るのもあるけど、一人で森に入って寛ぐなんて絶対に無理だ」
「そうですか、嬉しいですね。それと、この森の動物たちは、共に森に棲む生き物と思っているのかもしれませんね。だから、気持ちが落ち着くのだと思います。それに、木々の息遣いから気持ちが落ち着く効果もある。そういろいろ重なってのことでしょうね」
「そうか、そうか、そうだね」
来夢の言うことにたいして全てを納得するのだった。来夢も何かに感じ取ったのか、何かに引かれたのか、腕の中から飛び出して空き地の中心まで駆け出して座ってしまった。直ぐに、その後を追う。だが、小さい主だが、何かが居るのかと、不審を感じながらキョロキョロと、歩き出すのだ。
「どうした?」
「ん・・・なにか、温かい気持ちを感じて・・・・」
「あっ!。そうだね。なんか・・・温かい・・気持ちが落ち着く・・ホットする感じにも・・・」
小さい主も同じ所に来てみると、温度差が違うように感じるのだ。そして、なんか心休まると言うか、旅行から自宅に帰って来た時のように家が迎えてくれるように思える。自分の無事を心配してくれる人の心の温かさとも思える。それは、来夢と主には、幼子の時に感じたはずの母が守る家の中の雰囲気と同じなのだった。
「そうですね」
小さい主は、来夢を抱え上げてから同じ地面に座り来夢を膝の上に乗せたのだ。
「ここに、泊まりたいって言ったのは、お母さんとお父さんに、会えそうな予感を感じたんだ。それが、ここに座ってから本当に会えそうな感じがするよ」
「そうですね」
「もしかすると、見えないけど、もう幽霊で居たりして」
「ああっ、そうかもしれないな。ここの場所って心地がいいですから本当にいるかもしれませんね。それなら、もう一度だけでも会えるのなら会いたいですね」
小さい主は、そわそわとしながら周囲を見回して、見付けられないと分かると、今度は、ドキドキとしながら突然に現れるのかと期待しているのか、驚かないように身構えながら、また、周囲を見回すのだ。そんな様子とは違って来夢は、やすらかな気持ちで膝の上で寛ぐのだ。それも、ゴロゴロと喉を鳴らすのに小さい主は気付くのだ。その嬉しい気持ちを感じて、さらに、喉の音を響き続けようと両手で喉とお腹を優しく撫でるのだ。
「ゴロゴロ、ゴロゴロ」
猫は、喉を鳴らすことで病気や調子の悪い身体の器官を治す。そう一般的に言われている。それと同時に、今まで生きてきた楽しい夢を観ているとも、将来の夢を観ている。とも言われているが、誰一人として確かめることは出来ない。だが、猫の嬉しそうな喉の音とやすらかな様子を見れば、誰もが納得するのは、確かなことだった。
「どんな夢を観ているのだろう」
来夢は、祖母が祈る姿を見ていた。夢なのか現実なのか、それは、分からない。恐らく夢だろう。祖母の後ろと言うか正面と言うべきか、小さい主が会いたい。自分も会いたい人、祖母の娘が同じように祈っていた。その後ろには、夫が祈っていた。そして、祖母である転生の前の女性である。牢屋の中で死んだ娘も同じように祈っていた。まるで、現代から永遠に続く過去の来夢と小さい主の繋がり。血族、転生など、それは、合わせ鏡のような無数の人と猫の繋がりが、地獄の王であり。死後の裁定者であり。選別者した者の案内人であり。人が初めて生まれて初めて死んだ者である。その者まで繋がるのだった。皆が来夢と小さい主のために祈っていたのだ。
「願いは、分かった。だが、願いを叶える前に約束事がある。猫の六つの誓いが達してない・・・だろう・・そうだろう・・・」
「・・・・」
来夢は、問い掛けの答えに何て答えて良いのか悩んでいた。来夢からすれば猫の神とでも思っているための緊張もあった。だが、来夢が口を開くのを待てずに・・・。
「一つ、一番の好物を腹が一杯に食べられたのか?」
(それは、叶えられました。小さい主様と同じ食べ物でもありましたし。それも、共に食卓で食べられた喜びでした)
「そうか、そうか、缶詰のご飯のぶっかけでだが、喜びを感じたのなら良いだろう。一つの誓いにしよう。
「二つ、自分がして欲しいことをしてもらったか、確か、姉のように慕って欲しかったのだったな。それは、どうなのだ?」
(叶いました。小さい主様は、虫が嫌いなので退治することで頼もしく思われています。それからは、何かと、いろいろと姉のように慕われています)
「姉と思われているのだな」
(それに、猫なのに、犬ではないのに共に紐を付けて散歩をしてくれます。最近では、紐をなくても、いろいろな所に連れて行ってくれます)
「そうか、それも、誓いの一つとして良いとししょう」
(ありがとうございます)
「三つ、自分が一番に欲しかった物を自分から伝えずに貰ったのか?」
(はい)
「嘘をつくな。飼い主の母から見せられた。指輪と指輪を通すネックレスが欲しかったはずだぞ。子供が買える物ではないが、同等の価値のでなくても似た物が欲しかったはずだ」
(それは・・それは、その・・欲しかったのですが、猫用が無いから・・・でも、子供だからかもしれませんが、首輪に付けたいと思ったのでしょう。大事な少ない小遣いから猫用の鈴を買ってくれました。その鈴は、今でも床下の宝箱の中に大事に入れてあります。
「ああっ、そうだったな。まあ、婚約指輪なのだから結婚していない者が持つはずもない。飼い猫が欲しくても買い与えるはずもないか、なら、鈴を貰ったことで、誓いの一つとしよう」
「四つ、一番大好きな遊びは、だるまさんがころんだ。だったな。で、飼い主は、猫に一度でも勝てたのか?。今でも遊んでくれるのか?。まあ、それは二番目だったな。それは良いとして、今でも思っているのだろう。幼子の頃には、猫の尻尾をガラガラのように遊んでくれた。今では無理でも、猫(自分)の尻尾を動かして尻尾を捕まえる遊び。その遊びを死ぬ前に、もう一度して欲しいのだろう。飼い主が外で遊ぶようになってからは遊んでくれなくなった。そう悲しみを感じていたのを知っていたぞ」
来夢は、何も言えずに黙ってしまった。嘘を言えないこともだが、どんな微かな気持ちや思い。心の底に押し込んだ思いの全てを知っているからだった。
(今日・・・ここで一緒に寝るのだし・・・もしかしたら・・・外だと寝られないだろうから・・・昔みたいに子守唄を歌いながら尻尾の掴み遊びをする・・・つもりだったから・・・)
「そうか、今日の予定だったのか、それなら、分かった。それで、誓いの一つとしよう」
(ありがとうございます)
「五つ、当時の自分がしたように、寝付くまで、顎の下を撫でながら身体も撫でて気持ち良く寝たいのだろう。それだけではなく、出来れば、突然に起きた時も朝起きた時も頭を顎の下をナデナデして欲しいのだっただろう」
少々、小馬鹿にする感じで身振り手振りで伝えるのだった。
(それも・・・今日の楽しみにしていたのです・・・)
来夢は、恥ずかしそうに気持ちを伝えた。
「まあ、そんな顔をするな。苛めているのではないのだぞ。誓いと言ったが、猫の人生は短いのだから思い残しが有るか聞いただけなのだぞ」
(はい)
「それも、今日の予定なのだな。誓いの一つとしよう」
「六つ、これで、最後だが、その願いが叶ったとして、飼い主は、恐怖を感じないのか?。運命と感じて受け入れるのか?。お前も、その運命で良いのか?。その確認はしたのか?」
(・・・告白はしていませんし、告白もされてはいません・・・でも、猫族の告白は鼻と鼻を擦ることですので・・・それは、何度も・・・)
「人の言葉が話せるのだし、確認してみては、どうなのだ?」
(でも、その願いは・・・またの転生した時でもいいのです。今は・・・)
来夢は、恥ずかしいのか、内心の気持ちに悩んでいるのか、人の心のように夢を一つに絞れないのだろうか、何も言えずに黙ってしまったのだ。この場と言うか、この空間というか、沈黙に耐えられなかったのだろう。この空間にいる合わせ鏡のような状態の女性や男性たちが、不満の言葉を囁き合っていたのだが、一人の女性だが我慢が出来なかったのだろう。
「酷すぎます。女性から告白を求めるなんて!」
「それに、転生する前に、ここに居る女性たちは想い人から生まれ変わったら結ばれようね。そう言われているのだから何も問題はないでしょう」
無数の合わせ鏡の女性などは「そうよ。そうよ。あたしも、あたしも」と言われたのは事実だと、自分も言われたと叫ぶのだった。
「来夢ちゃん。もうね。あの人達とで、来夢ちゃんの望む未来を勝手にと言うかね。あの、だから、時の流を変えるための行動をしてしまったのよ」
「そうよ。あの神様見たいの人が、グチグチ言っているけど、来夢ちゃんの本心を確認しているの。それも、本当に、最後の最後の気持ちをね。だから、一言でいいの。お願いします。そう言うだけでいいのよ」
(お・・ね・・)
「それでもね。孫のために、料理だけは憶えて頂くわ」
祖母が、来夢を勇気づけるために言ったのだろうが、来夢には違う気持ちに受け取った。
(そうですよね。そう言えば、小さい主様の理想の女性がいるのです。その人と結ばれるようにして下さい)
「えっ!ちょっと!」
「それでいいのね」
祖母や女性達は、驚きと不審で何も言えなくなった。
「分かった。今言ったことで願いとして進めよう。だが、決定ではない。死期を感じた時に再度、聞く。それで、いいな」
(はい)
猫の神は、少々不満なのか、不審なのか、複雑そうな表情を浮かべながら伝えると突然に消えた。そして、この空間と言うべきなのか、夢の狭間とでも言うのか、人の言葉も何の音も聞こえず。だからだろうか、いや、飼い主の撫で方が気持ち良かったのか、来夢は本当の夢の中にゆっくりとユラユラと入って行くのだった。
「寝たのかな?」
小さい主は、両手で撫でていたのも疲れを感じる頃でもあり。来夢の寝息も変わったのを感じて撫でるのを止めるのだった。それは、自分も少し眠気も感じてきたのだ。すると・・・。
「ん?・・・」
小さい主は、誰かに呼ばれたように思えて周囲を見るが、誰も居るはずもなかった。眠気を感じているために真剣に思考したいが集中することが出来ない。段々と、強制的に瞼が閉じて夢の中へ、だが、無理矢理に目を開ける。などと何度くらい続けたか、ゆっりと、背中から倒れて地面に寝てしまう。それでも、来夢を起こさないようにゆっくりだった。
「えっ・・・誰?・・・まさか・・・お母さん?・・・お父さんも・・お祖父さんも・・・居るのですか?」
人の話し声のような声を感じた。それも、誰かを呼ぶように思えるのだ。耳を澄ますと突然に声が聞こえなくなると、暗闇の中の夜空の星のような光点が大きくなりなり。今度は、小さくなると、他の光点が大きくなる。何度もいろいろの光点が同じような反応をするのだ。何度か真剣に光点を見ると、目が慣れたからなのか何かの映像なのだと思い始めた。それをはっきりと映画の場面のような?。何かの未来予知のような場面なのか?。そう感じると同時だった。
「そうよ。来夢が、小さい主と呼ぶ人のお母さんなのよ。隣にはお父さんも居るわ。お祖父さんもね・・・私たちのこと憶えている?」
「顔は憶えてないけど、声色は憶えているから囁きの声のようだったけど、直ぐに分かったよ。ねえねえ、姿も見せてくれるの?」
「それは、難しいわね。まあ、光の光点と言うか、シャボン玉と言うか、その映像の中の一つにはあるはずよ。その映像は、来夢と私とお父さんの転生前の出来事なのよ。これを見せるだけでも、可なり難しいことなの。だから、姿を見せたいけど、それは、無理なの。ごめんね。でも、映像を真剣に見て!」
「うん。いろいろな人が出るけど、来夢に似た猫だけは毎回、毎回、出るわ」
「それはね。転生を続けてきた。本当の来夢ちゃんよ。数えられない程の昔から何度も転生しては、私たちを助けてくれるのよ。でも、私たちも来夢ちゃんも記憶はないのだけどね。死んだら分かったことなのよ」
「そうなんだ!」
「驚きでしょう」
「まさか、誰かを迎いに来たのですか?」
小さい主と自分の母親とは、会話が噛み合ってなかった。
天空の星空と言うよりも、プラネタリウムのような密閉された空間に無数の光点があり。その一つ一つがシャボン玉のようにプカプカと現れては映像を映すのだ。一つの映像が終わると、シャボン玉のようにはじけて消えては同じように次々と映像を見せるのだった。
「その映像は全て本当にあったことなのよ」
「そうなんだ。お母さん」
「来夢と私たちの一族は転生してきたの。でも、今では理由も知らない。それでも、転生する者達は時が過ぎるごとに、一人、二人と転生する者はいなくなった。それでも、来夢ちゃんは助け続けた。もう何代も何代も転生しては、何人も何人の人たちを助けたの。それも来夢ちゃんの一人でね。昔の昔に何の恩を感じたのか分からないけど、もう、終わらせてあげたいのよ。可哀そうよ。そう思わない・・・・?」
「・・・・・」
小さい主は、一つの光点からシャボン玉のような変化した映像に興味を感じたのだ。
「もう私たち家族で終わり。いや、息子であるあなたが残っているわね。もう終わらせてあげたくならない・・・・そのために、私たちは、ある考えで行動を実行したのよ」
「・・・・」
「?・・・・ほうほう、分かるのね。その子が、来夢ちゃんよ。男の子は、あなたよ」
絶世の美女だと言うこともあるが、一瞬で一目惚れをしてしまったのだ。だが、直ぐに悲しそうでもあり。驚きとも、苦々しさとも思える表情を女性は浮かべた。
「えっ」
「その男性は、転生する前のあなたよ。その子に告白したのだけどね」
「でも、猫が人に転生するの?」
「そうよ。それに、今でも、あの女性は、あなたの運命の相手よ。でも、来夢が猫として現世にいる。そうなら、あの女性も人として現世にいるわ」
(私たちが苦労したのは、これからよ。たぶん、分からないと思うわね)
親子で話している。その邪魔をしてはいないが、大勢の話し声で意味が分からない程だった。だが、母親だけは、共に苦労したことで意味が分かっていたのだ。
「会おうと思えば会えるのかな?」
「そうね。会えるはずよ。でも、あなたが一目ぼれした過去の同じ転生した女性なのか、それが、分かるといいけど、もし会えたとしても間違って告白しない方がいいわよ」
「えっ?・・・同じ人が何人も居るの?」
母が何て言っているのか聞こえない。何かを話をしているはずだが、猫の声が煩くて聞こえないのだ。それは、恐らく、目を覚まして欲しい。そう言っているはずだ。そして、意識がはっきりと言うべきか、落ち着いて思考が出来るようになってきたのだ。
(あれ、猫の声って、来夢だよな。でも、人の言葉が話せるはず。それなら、なぜ、猫の鳴き声が聞こえるのだろう・・・・)
小さい主は、夢から覚めてゆっくりと目を開けた。
「おっ!」
驚くのは、当然だった。恐らく、今度は、自分か来夢のために集まってくれているのだろう。森の全てではないが、森の生き物の多くが集まっていたのだ。もしかすると、人の手で空き地になったのではないのに、空地になっていたのは、今の空き地の様子のように定期的に集まっていたのかもしれない。
「いいよ。無理に追い返さなくても」
来夢が、小さい主の危険を感じて近寄って来る森に棲む生き物を追い払っていたのだ。
「そうですか?」
「これ程まで集まるのなら、お母さんやお父さんも寂しくないだろうしね。もしかすると友達かもしれないよ。お祖父さんなんて、もしかしたら、自分が好きな本の話しを聞かせているかもね」
「そうかもしれませんね」
「それに、なんか、この広場って気持ちが安らぐよね。何て言うのかな、温泉に入っている感じに思えるよね。もしかしたら、本当に温泉に入っている感じで傷も治りそうに思えてくるよ。だからなのかもね。こんなに沢山の生き物が集まるのかもしれないね」
「そうですね。そうかもしれませんね」
来夢は、先程から小さい主の話を聞いていないのだろうか、同じような返事であり。話しの内容には頷くだけに思えるのは、周囲にいる生き物が襲って来るのではないのかと、威嚇と注意深く様子を見ているからだった。
「そう言えば、来夢と一緒に居れば、羽衣に包まれて安全なのだろう。それなら、そんなに威嚇をしなくても大丈夫なのだろう」
「ああっ、うん。小さい主様の言う通りです」
「それなら、また、膝の上においでよ。一緒に寛ごう」
来夢は嬉しそうに膝の上に乗って横になるのだ。ゆっくりと優しく頭と体を撫でていると、周囲に視線を向けたのだ。怖くないと言うと嘘になるが、この場に集まった森の生き物たちは、本当に温泉にでも入っているかのようにやすらかな気持ちであり。惚けている感じでもあった。それは、小さい主も時間的なズレはあるが同じだった。だが、ただ、何て言って良いか、想像なのだが、気持ち的には良い酒を飲みながらの夢のようであり。淡い恋心を思い出しては、誰かに相談している感じでもあったのだ。その中の一つのシャボン玉の映像を見て・・・。
(誰か知らない人のはず。双子だなんて嘘だと思う。一目惚れの人は一人っ子のはずだ。バスの中で、友達と話を聞いていたので確かなはずだよ)
(それは、今の時の流で、修正する前の流なの。その意味が分からないだろうけどね。でもね。何もしなければ、一人っ子の女性と恋人になれるわ。結婚が出来るかまでは分からないけどね)
(来夢が死ぬ時に願いをすると、それが、変わるの。未来が変わるのですよ)
(えっ!来夢が死ぬって、どう言う意味!)
(驚くことではないでしょう。来夢は、今入院している祖母より年上ですよ)
(そっそそんなに・・・)
(そうよ。来夢は、今でも必死に自分のことなどよりも、小さい主のために、小さい主の想い人と結ばれるように、命を掛ける程に様々なことをしているわ)
(えっ!)
(驚くでしょうね。本当のことなのよ。でも、それだと、来夢が可哀そうだから私たちが来夢の本当の思いを実現させてあげたいの。それでも、私たちも、来夢の思いも、一番は小さい主が思っていることが願いだし、あなたの一番の思いを選びたいの。だから、あなたの気持ちで全てが決まるわ)
(気持ち?)
(そうですよ。誰に告白したかで、未来が変わるわ。今の状態では、一人っ子の女性に、一目惚れしているはず。その場合だと、恋人になり。結婚して幸せの結婚生活なのか分からない。だが、確証できることがある。来夢が寿命で死に、来夢の羽衣の力で命を繋いでために来夢が死ぬと、その効果が消えて、祖母は亡くなり。天涯孤独になる。猫が話したことも、羽衣で空を飛んだことも全ては夢だったと思って忘れるわ。それでも、泣き暮らしの生活を見て恋人になってくれるわ。もう一つの選択した場合なら、そのために、私達が苦労した。新しい未来では、双子の姉妹を好きになるのです。今の状態では、姉なのか妹なのかも分かりません。それでも確証できることはあります。祖母は、来夢の願いの一つで、手術が出来る体力は取り戻して手術は成功します。それで、何時、命の火が消えるのかなど心配しなくて良いです。恐らく、思った以上に長生きするでしょう。勿論、祖母は、孫の世話も出来て家族の皆が幸せな人生になるでしょう。さあ、選びに行きなさい。来夢が人となった。双子の片方を選ぶのです。だから、そろそろ、目を覚まして・・・・)
(・・・・)
女性の声を聞きながら音声の無い映画のような感じの映像を見ていた。それも、女性の声は終わったのだが、二種類の夢と思えるのだ。一つは、祖母も来夢も居ない日々であり。生活は、祖母が残してくれた少しの貯金と生命保険のおかげでお金には困らない。それでも、一人で、料理を作って食べる。洗濯などをするが、誰も居ない家の中で暮らす夢なのである。確かに、一目惚れした人と恋人になり。休日の昼間には会っているが、夜は一人なのだ。まあ、学校が第一なのだから仕方ないのだが、女性の両親には結婚前提で付き合えることは許されていたのだ。当然、大学を卒業して就職してからの結婚なら許すと、まだまだ、将来は分からない。だが、来夢の生まれ変わりなのか、転生なのか、複雑なので自分には理解は出来ないが、来夢を選んだのならば、最低のことだが、大学を卒業するのか就職をするのか未来は分からないが、成人までは、祖母が死なずに生きていて、恐らく、孫の結婚式が見られるかもしれないわ。来夢も居るらしい。人の姿のままなのか、猫のままなのか、陽炎の様なぼやける姿なので分からないが、今までと同じような生活が出来る人生があるのだ。
「クション!」
小さい主は、寒さを感じて目を覚ました。知らない間に寝ていたのだろう。もしかすると、膝の上で寝ていた来夢が、起こされて気分を壊してフラフラ歩き回っていたのかもしれない。そのために、また、地面の上で寝ていた。
「起きたのですね」
空中から突然に声と同時に現れて膝の上に飛び乗ってきたのだ。
「おっ!。痛っい!」
「今まで寝ていたのなら、もう寝られないでしょう。家に帰りますか?」
「そうだな。母だと思う人の話しも聞いたしな」
「えっ?・・・本当ですか?」
「まあ、正直に言うと、夢を見た。その女性が母だったのではないかとね」
「それは、いいですね。来夢も見たかったです」
「少しだけど、寝ていたのだろう。夢を見なかったのかな?」
「見ましたよ。感じの悪い人。あんな夢なら見ない方がいい。なんかね。人と生まれて初めて死んだ人で、地獄の閻魔様らしいです」
「それは、アダムとイブのアダムだろう。イザナキ(男)とイザナミ(女)(黄泉の女王)でもある。そんな人の夢なら確実に、どんな願いでも叶うぞ!」
「そんなに、偉い人なのですか?」
「ああっ、神様の次に偉い人で、神様に一番に好かれた人で、神様よりも怖い人だよ」
「そうなのですね・・・・でも、お母さんの方が良かったな」
「馬鹿!そんなことを言ったら罰が当たるぞ!」
「小さい主様は、夢とか、願いとか、好きな人とか居ますか?」
「まあ!まあ~突然に何を言うのだよ。それなら、当然、今の歳で願いって言えば、進学が出来るか、それしかないだろう」
「そうですよね」
(そうですよね。やっぱり、一緒に勉強できる同じ年頃の女の子ですよね)
ぼそ、と呟いた。
「どうした?・・・」
「なんでもないですよ・・・・あっ、空中散歩しませんか?」
「えっ!」
「飛ぶのでなくて、風に流れて漂うだけですよ。それで、そのまま眠くなれば寝ればいいのですよ」
「それなら、いいかな・・いいよ」
「はい。それでは、小さい主様。さぁ~行きましょう。あっ、その前に、この糸くずを持っていて、それがあれば、来夢が寝ても羽衣の外に出ませんよ」
手渡した物は、羽衣の削り糸だった。
「・・・・・」
(そんな、便利な物があったのか・・・)
来夢が掛け声を上げると、透明のシャボン玉みたいな物に包まれて、ゆっくりと浮かんで行った。何度も経験しているために、驚きも恐怖もあまり感じなかった。と、言う感じよりも、何故なのか、これで、最後になる。そう思えたからかもしれない。
「どこか行きたい所はありますか?」
「んっ・・・・特に・・・ないかな。このままブラブラでいいよ」
「それでしたら、膝の上で、ナデナデして貰っても良いですか?
「仕方がないな。いいよ。おいで」
透明な羽衣の膜に包まれた玉は、周囲を漂い始めた。誰の勧めなのか判断は出来ないが、周囲の名所らしき所を巡るのだったが、小さい主は、来夢の気持ちを良くするのに真剣だったために見ることはなかった。景色などよりも、来夢の喉をゴロゴロと鳴らす。その響きを聴く方が心地良いのだった。来夢も気持ちが良くて寝てしまうのだが、小さい主も、心地良い響きと、猫の柔らかい毛並を撫でながら寝てしまっていた。そして、気付くと、自宅の上空で漂っていた。それも、そろそろ、夜が明ける時間だったのだ。
「小さい主様。起きて下さい。この景色だけでも一緒に見ましょう」
「ん?」
「朝日が昇りますよ。この時間は、何時もお休み中の時間でしたから初めてですよね」
「そうだね。たぶん、初めてだと思うよ」
「たぶんですか」
「小さい頃に、来夢と鬼ごっこの時と母と父とで初日の出を見たような気がする」
「あああっ、そうかもしれません。たしか、来夢は車内だったかもしれません。そんな記憶があります」
来夢と小さい主は、記憶とは思えない。夢と混ざり合うような思い出を話し合った。
上空からだろうか、さすがに、雲の上までの上空ではない。それでも、建物などの邪魔する物がないからだろう。ゆっくりゆっくりと暗闇の中から真ん丸の太陽が昇る。一瞬で心が奪われたために視線を逸らすことも何か別なことを想像することも出来なかった。それでも、一瞬、思ったのは、以前に日の出を見た。そう感じたのは気の所為だと思うだけだった。
「綺麗だね。心が洗われるって、こういうのだろうね」
「そうでしょう。そうでしょう。また、一緒に見ましょうね!」
「えっ、また、見られるの?」
「勿論ですよ。お姉ちゃんが嘘を言いますか?・・でも、なんで、そう思ったの?」
「えっ・・・・とくに、意味はないよ」
小さい主は、猫の寿命が短いからなど言えるはずもなかった。
「そうですか・・・そうですか・・・」
小さい主が、何か言いたいことがある。それは、感じ取ったのだが、再度、問い掛けなかった。なにか、その言えない言葉が怖いと感じたからだった。
「お腹が空いただろう。家に入って食べようか」
小さい主と来夢は、もう慣れていた。お手伝いさんは、自宅と祖母の両方では大変だろう。と伝えたが、金銭的にも両方では払うのが無理だったこともあり。祖母だけにしてもらったのだ。それでも、洗濯などは持ち帰り自分の家でしているが、他の着替えなどを取り家に来るときについでに適当な買い物だけはしてくれていた。
「はい」
「今日は楽しみにして良いぞ。あんなに綺麗なのが見られたのだから今日は記念日にしよう」
「えっ!まさか!」
「その通り!祖母の退院祝いの時に食べようとした。あれだよ。あれ!」
「うぅにゃああ~」
あまりにも嬉しいために猫語も人の言葉も忘れたのだろう。悲鳴のような喜びの感情を表したのだ。
「当たりだ。あれの時は同じような悲鳴を上げるなよ」
「ニャニャニャ」
「分かったからな。分かった。分かった。もう地面に下してくれないか」
羽衣の透明の膜の中でグルグルと円を描くように走り回っていた。
「下(おろ)せ!」
小さい主の言葉が、やっと耳に届いたのか、ゆっくりと地面に降り始めた。
「ニャーニャニャ!」
裏庭に降りると直ぐに、猫用に少し開けてある硝子の扉から中に駆け込んだ。主はゆっり硝子の扉を開けて家の中に入った。行き先は、台所だと分かっていたからもあるが、来夢が待つ姿が見たかったのもある。猫すわりで待つのは普通の猫なのだが、来夢も同じように座るが、特に好物のご飯だと決まって前足を交互に上げたり下げたりと、踏み踏みとして気持ちを抑えるのだった。
「分かった。分かった。一緒に食べような。だから、もう少し待っていろよ」
「・・・」
先程より踏み踏みが早くなった。人の言葉が話せるはずなのに返事に答えているようだった。その姿を見ながら食卓のテーブルに、二つの丼の茶碗(猫用と人用)と、ある缶詰を二個用意した。
「いいよ。ここにおいで」
食卓のテーブルを右手の掌で叩いて呼んだのだ。
「やっぱり、紅ズワイガニですね」
自分の目で確認したから少し気持ちが落ち着いたのだろう。人の言葉を話した。
「そうだと言っているだろう。それで、ご飯は普通に装っていいのだろう」
「はい。はい」
真っ先に、来夢にご飯を装って目の前に置いて、自分のを装ってから椅子に座った。直ぐに、缶詰を開けて目の前に置いて様子を見るのだった。普段なら開けて直ぐに丼のご飯の上にかけるのだが、この缶詰の時だけは、目と匂いで十分に確認してから食べるのが決まりごとだったのだ。
「・・・・」
「本物だろう。美味しそうだろう。もう良いのか?」
「はい。間違いありません」
「お!」
少し驚くのは当然だった。一年と少し振りなのは分かるが、今までなら匂いで確認して缶詰の周りをグルグルと回って確認してから猫すわりをして、両の前足で上下に上げて踏み踏みするのだが、人の言葉で答えたからだった。
「では!ご飯の上にかけるぞ!」
自分のよりも先に来夢の缶詰を手に取って言葉の通りにした。全てを入れたことを確認させるために丼の隣に置いた。直ぐに、空き缶と小さい主の顔を交互に見ていたので・・・。
「どうした?・・・食べていいのだぞ」
この仕草が前から気になっていたのだ。三度くらい「食べていいのだぞ」そう言うと食べ始めるからだった。
「小さい主様と一緒に食べたいから装い終わるのを待っていたのですよ」
「あっああ、そう言う意味だったのか、てっきり、どっちが多いのか確認しているのかと思っていたよ」
「ひどいです~ぅ」
「ごめん。ごめん。なら、食べようか」
「はい」
「美味しいな」
来夢に言うが、御馳走だと思うが、缶詰のご飯のぶっかけでなのである。
「うま~い!。うま~い!」
この言葉も不思議だった。紅ズワイガニを食べる時だけ「うまい、うまい」そう聞こえていたのだ。それなら・・・。
「あのさ、食べている時に悪いけど・・・」
「なんでしょう。小さい主様」
「うまい。って聞こえるけど、本当は、何て言っているのだ?」
「小さい主様と同じように、大好物を食べる時、うまい。言っているでしょう。それを憶えて、同じように言っているのですよ」
「えっ!」
「でも、人の言葉は、うまい。だけしか憶えられなかったですけどね」
「そうか、俺の言葉を憶えたのか、でも、うまい、うまい、なんて本当に言っていたか?」
「はい。言っていますよ」
「そうか・・・」
(こんど、婆ちゃんに聞いてみるかな)
猫って動物は嘘が言えるのか分からないが、それでも、少し信じられなかったのだ。
「本当ですよ」
「そうか、なら、昼にでも試そうか?」
「試す?」
「ああっ、昔にねだったろう。ムール貝のバジルソースのだよ。食べたいって言っただろう。それを昼に食べよう。それで、確かめる。そう思ったから言ったのだよ」
「ニャニャニャニャ!」
来夢は、あまりの興奮から人の言葉だけでなく猫語も忘れてしまったのだ。
「もう~落ち着けって、なあ、落ち着けって、なあ」
小さい主は、来夢の頭、身体をゆっくり撫でて気持ちを落ち着かせようとした。なかなか興奮は収まらずに、だんだんと苛立ちが募り弾けた。
「もう~外の道具を片づけてくるぞ」
来夢の身体や頭を撫でるのを止めて台所から出て玄関から外に出たのだ。それでも、玄関を開けたままなのは来夢が来ると言う理由もあるが片付ける物を家の中に入れるためでもあったのだ。
「小さい主様。ごめんなさい。お姉ちゃんが悪かったよね。許してね」
「それでは、大人の目で、荷物の片付けの監督をして下さいね」
「勿論よ。お姉ちゃんに任せなさい」
「それでは、片付けが終わったら朝の散歩に行こうか」
「うん。うん。分かった。終わるの待っている」
大人しく待っているはずもなく、小さい主が冗談で監督など言ったことで正直に言うと邪魔だった。傷が付く、とか、重くて大変ですね。とか、頑張れ。などと、人の言葉を知る全てを言うのはいいが、足元をうろうろする為に、転びそうになり。何度か邪魔だ。と叫びたくなった。それでも、可愛い声が聞こえるのは嬉しいし、猫でも側に居るだけでも楽しいのだ。
「終わりましたね。小さい主様。ご苦労さまでした」
「お待たせ。散歩に行こうか」
「はい」
「今日は、どうしようか?・・・紐を付けるか、それとも、紐を付けずに歩くか?」
「そうですね。今日は、紐を付けて散歩したいですね」
小さい主は、紐を付けない。そう言われたら直ぐに行く気持ちだったのだろうが、来夢が紐を付ける。そう言われて、一緒に玄関の扉を開けて中に入ったのだ。
「分かった」
玄関の靴箱の上に置いてある。紐を手に取って、来夢の首に紐を付けるのだった。人の言葉を話せるから大人しくなったのではなく、幼い頃から首に紐を付けるのを嫌がらなかった。その理由は、聞いてはいないが、恐らく、首に紐を付けると、散歩に行ける。そう思っていたからだろう。
「今日は、何曜日だったけ?」
「突然に、何故です?」
「やけに、人が多いな。そう思ったから・・・」
「日曜ですよ。曜日も忘れるなんて駄目ですね。それは、学校に行ってないからです。小さい主様。学校に戻らなければなりませんね」
「祖母の手術の予定が分かったら学校に連絡するよ。それで、手術が終わったら学校に行くから心配しなくても大丈夫だから・・・大丈夫だからな・・・」
「・・・・」
来夢は、小さい主の一筋の涙を見たからなのか、散歩に集中したいからか、周りに人が現れたからなのか、人の言葉も猫の言葉で鳴くこともなく、何も返事を返さずに歩き出した。
「どこに行きたい?。好きな所に行っていいぞ」
小さい主は、来夢を好きなように歩かせていたが、普段の散歩の道順だと思い。言葉を掛けてみたのだ。人の目があるから我慢していると思ったからだが、何の返事もなく歩き続けるために好きな道順だと思って何も言わずに歩くのだった。それでも、来夢にたいしての気遣いが無くなると、来夢の些細な行動と周囲に気持ちが向いて、普段の散歩とは違うことに気付いたのだ。猫、犬、鳥などに会っては、まるで、何かの情報を探して、何かを待っているかのような様子だったのだ。
「なぁ。もしかして、次の依頼を探しているのか?」
「・・・・」
「もし、それなら、探さなくていいぞ。祖母の手術が終わるまで何もしたくないからな」
「・・・・」
何か真剣になるほどのことでも思案しているのか、姿が見えないが、猫や犬の鳴き声を聞き取っているのか、小さい主が話を掛けているのに無言のまま歩き続けていた。そのために、小さい主の方も周囲の状況も考えずに歩いていたことで迷子の状態になっていた。
「あっ!」
周囲が同じような建物でもあるが、目的の場所の近道なのか、来夢だけの時の散歩の道順なのか分からないまま歩いていると、今回の最後の未解決の二人の依頼人に出会ったのだ。正確に言うと、まだ開店していないが、店の前で会話している姿を見たのだ。
「やはりね」
(恋人でなくても、好きな人がいれば、三日も我慢が出来るはずがないわね。それに、男も、あれ程の美人なら早起きも苦ではないわね)
「ちょっと、待て、待てって!」
「ん?・・・・どうしました?。小さい主様」
「依頼人に会うのだろう。駄目だって、せっかく、二人で盛り上がっているのに邪魔しては、えっ、違うのか?」
「邪魔をする気持ちはありません。まずは、ペットの方に聞かなくては・・・」
来夢がやっと、立ち止まってくれた。もしかすると、元々、この裏路地の場所が目的だったのか分からないが、人の言葉でも答えてくれた。
動物は、同じ種族でなくても会話が出来るのか、それは、分からない。もしかするとだが、人も全ての人と会話は出来るはずもないが、母などから話を掛けられて言葉を覚えて話せるようになるのだが、動物も同じようなことをしているのか、それは、確認しようがない。
「来夢?」
来夢が鳴くと、それに答えているのか、二匹の犬が返事のようなことを答えている感じに思えた。
「妊娠したらしいです」
「だっ誰のこと?」
「依頼されていたでしょう。忘れたのですか、あの雌の犬ですよ」
「あっああっ、だよな。それにしても、妊娠したって結果が早くないか?」
「まあ、人よりは早いですが、さすがに、確証はまだですが、性交渉をしたってだけですよ。ですがね。一般的に、血統証のあるペットの犬や猫が、子供が出来ないって理由ですがね。雄か雌か、それとも両方が、相手を嫌で逃げ回るからです。ですが、あの仲が良いなら間違いないでしょう」
「人の場合は、長いですからね」
「それは、まだ、早いだろう。あの二人では・・・」
「十月十日のことではないですよ。犬とか猫は人の半分の期間ですし、子供が出来たら終わりではないでしょう。子育てとも違いますよ。人は、出会い。そして恋をして、結婚が最後だと考えたとしてもですよ。それまでが長いでしょう」
「そうだね。結婚しても離婚もあるしね」
「二人に会って行きますか?」
「それは、いいよ。邪魔になるよ」
「そうですね。それでは、家に帰って、二人に依頼完了の手紙でも送りましょうか」
「もう終わったのだろう。別に送らなくても・・・・」
「もしかしたら、片方か、両方か、家族構成や人なりを調査されるかもしれませんよ」
「そんな依頼されても困るだろう。ここは、ペット専門だぞ」
「それだからです。来夢が居ないと、小さい主様が、祖母様の仕事を継がれるならペット専門ではなく人の調査だけになります。そうなりますよね」
「うっ・・・・・」
「まあ、いつでも出来る仕事ですから・・・・あっ、来夢が大好きなご飯を作れるのだし料理人になると、いいかもですね」
「えっ!・・・・・」
(ご飯に、みそ汁か缶詰のぶっかけで・・・)
小さい主は、来夢が本気で思っているのかと、驚きと同時に、少しの思案も将来の選択肢の一つとしても考えていないことを言われて何も返事を返せなかった。
「家に帰りましょうか」
「えっ、散歩は、もう良いのか?」
「今日の小さい主様との散歩で、依頼者の二人が恋人になったのが確認が出来ましたし、犬の方も妊娠が確実になりましたよね。だから、今日は、帰ってもいいかな。これなら、三日後の予定も、五日後の予定も、もう必要がなくなりました」
「そうか、そうか・・・・それなら・・・・・どうしようか・・・・」
小さい主は、そわそわして、落ち着かない感じだった。その理由は、来夢には分かっていた。突然に家に帰りたい。そう言ったからではないはずだったのだ。それでも、来夢は、小さい主の正直な気持ちの言葉を待っていたが、そわそわするだけだった。
「小さい主様。突然に、家に帰る。そう言ったのはですね。一目惚れで、初恋の女性が近くを通ったからですよ。それくらい、子守からの長い付き合いですよ。小さい主様の気持ちなど直ぐに分かりますよ」
「えっ!」
「そんなに驚かなくても、直ぐにでも、初恋の女性を探して声を掛けたいのでしょう。それなら、家まで一緒に戻らなくて、今ここで、別れましょうか?。来夢は、一人で帰れますよ」
「でも、まあ・・・でも・・・」
「それとも、一緒に探しましょうか?」
「でも、それは・・・あっ、でも・・・」
「そうですよね。自分を探して駆け回ってくれた。と思われて、それで、女性の気持ちを射止められたのに、あとで、猫に探してもらった。それが、もし分かったら大変なことになるかもしれませんね」
「だっだだ、よね。だから、いいよ。自分で探すよ」
「わかりました。それでは、猫を抱っこすると幸運を掴めるらしいから抱っこしてから探しい行くいいですよ」
「そうか、なら、抱っこしてから行くね」
来夢は、自分から小さい主の足下に近づき嬉しそうに抱っこされるのを待った。特に喜んでいる意味が分からなかった。毎日、頻繁に抱っこしているからだが、喜ぶ姿を見るのは嬉しい。だから、普通に意味がないと感じて普段のように抱っこするのだった。だが、一つ違う点は、心の中で一目惚れの女性と会えるのを頼むことだった。
「もう大丈夫だと思います。それよりも、気を付けてくださいね。女性を探しながら歩いて道路に出ては危険ですし、周囲だけを気にして人に当たるのも危険ですよ」
「分かった。分かった。分かっているって、なら、行くよ」
「はい」
来夢は、心配そうに、寂しそうに、視線から消えるまで小さい主を見送るのだった。
(小さい主様。気をつけてね・・・一緒に探してあげたいけど・・・帰りますね・・・)
来夢は、何か小さい主にも祖母にも言えないことで思い悩んでいる感じで、とぼとぼと歩いて帰って行った。そして、家に帰り家の中に入り台所に行くと、喉の渇きを癒すために水を飲んでいると、水が美味しいのではないが笑みを浮かべている感じなのは、小さい主がルーム貝を食べさせてくれる約束をしてくれたからだ。
「るっるる。るっるるる」
電話が鳴った。台所の電話だけが比較的に新しく、着信の番号が出るのだ。祖母が入院している病院だと分かった。直ぐに、事務所の机にある黒電話に向かった。黒電話なら受話器を倒すだけで聞くことも話すことも出来るからだ。
「ん?」
黒電話の電話機から受話器を外そうとして机に飛び乗ると、呼び出し音が止まった。来夢でなくても変だと思うだろう。知人などなら知っているはずなのだ。頻繁に使っている電話は、今では骨董と思われている黒電話で、着信番号も録音機能もない。だから、なるべく長く呼び出し音を鳴るようにしてくれていた。それなのに・・・・。
「・・・・・・」
「えっ?」
この家には誰もいないはず。なのに、黒電話の底から人の話し声が漏れ出てきたのだ。
「お手伝いさん?・・・・なぜ?」
電話の内容と家に居る理由を知るために、電話機から漏れ出る声を聞いていた。
「それが・・・はい・・・・はい」
看護婦も驚きを感じたようだった。お手伝いさん。だとしても、他人の家である。家にいるだけでも変に思うのに、他人の家の電話にも出たからだ。電話の内容よりも家に居る理由を伝えなければ話が続かない。そう判断して、祖母から着替えの追加と食材の補充にきたことを伝えたのだ。すると、少し疑惑を感じていたが、お孫さんに伝えて欲しいと言うのだ。祖母の手術の日が決まったのと、手術前の手続きをして欲しいと、再度、電話を掛けますが、お孫さんに伝えて欲しい。そんな内容だった。
「・・・・」
電話機から声が聞こえなくなると、階段を下りる音がするのだった。だが、来夢は、逃げることもなく、隠れることもなく、音が近づくのを待っていた。
「来夢ちゃん。家に帰っていたのね。トイレは掃除しておいたわよ。それに、カリカリと削り節のおかかを入れといたわ。あとで、食べなさいね」
一階に降りて直ぐに話を掛けたのではない。猫の皿を掃除、カリカリ、おかかを新しい物に取り換えて、食卓のテーブルの上に、小さい主に伝言を書いて置いた。やっと、机の上に来夢が居ることに気付いて、家から出る時に、来夢に話を掛けたのだった。
「電話で聞いたこと以上のことは書いてないわね」
玄関の扉の鍵が閉まる音が聞こえると、来夢は、食卓のテーブルの上に飛び乗りメモを読んだ。
「祖母の手術は五日後か・・・羽衣の効果でも現状維持なのね・・・仕方がない・・・それしかない・・」
暫くの間、思案していたが、何かの答えを出した。それも、覚悟を決めたようであり。何か諦めたかのようであり。それは、悲しいことなのだろう。そんな表情を表していた。
「まだまだ、先だと思っていたけど、今日か明日にでも決めないと・・・だめ・・・」
来夢は、思案のためだろう。二階の小さい主の部屋に向かった。部屋の中に入ると直ぐに寝具の上に飛び乗った。
「ここが一番、大好き。小さい主様の匂いが一杯で気持ちが落ち着くわ。それと、いろいろな思い出の傷の痕を見ては思い出すのが嬉しいし楽しいわ」
寝具の上でゴロゴロと転がり昔を思い出すのだ。そして、昔の思い出を確かめながら匂いを嗅ぐのだ。その匂いは記憶でもあり洗ったとしても消えることはない。
「もう良いわね。このままだと、わたしも祖母様も、小さい主様が大人になる頃には亡くなってしまうけど、理想な運命の相手が出来るのだからね。あっ、でも、祖母様の手術は成功させるわ・・・・それと、来夢のことは忘れないで下さいね」
来夢は、小さい主の部屋が好きだと言っているのに、部屋から出ようとしていた。普段なら寝具の隅の方で寝るはずなのに今日の来夢は違っていた。どこに向かうのか、時間的には早いが家の中に虫などが居るかの見回りか、それにしては、町内の定期的な報告と言う暇つぶしに来る鳥たちが窓の外には居ない・・少し残念な感情を表した。
「何となく、最後のような気がして、先程の散歩の時にお別れは済ましたわ。でも、このことだったとはね・・・・」
普段なら気合いを入れて家の中を確認するのだが、今は、時間だけは倍以上の時間が掛っている。それも、小さい染みや傷まで念入りに確かめるのだ。そして、普段なら喜びに溢れた表情を浮かべて外に出るのだが、今回は散歩ではなく、なぜか、床下に潜るのだ。
「懐かしいわね・・・もう忘れてしまったでしょうね。この宝箱って小さい主様が用意してくれたのよね。あの頃、小さい主様と一緒に、祖母様の物を隠して怒らせる遊びをしていた。それで、来夢は隠すのが下手だってことで、床下にクッキーの缶の箱を用意してくれたわ。もう誰も憶えていないこと・・・・でも・・・全てが宝物・・・・」
来夢は、左右の髭を触っていた。右、左と一本一本を選ぶのだ。どの一本を抜いたら痛くないか、そして、選んだのだろう。
「ねえ、猫の神様。わたしの命の火は、まだまだ、願いを叶える以上に残っているはずです。お願いします。お願いしますから願いを叶えて下さい」
前足で器用に一本だけを抜いたのだ。願いを心の底から祈っていたために痛みを感じなかったようだ。だが、周囲を見回し、耳を澄ましたが、誰かの声が聞こえる事もなく何か変化があった様子もない。
「ん?・・・願いは叶えてくれるの?・・・願いの準備は・・・命の火は足りるの?・・・」
来夢は、暫くの間、何かの返事や奇跡みたいな体験でも出来るのかと待った。
「ん?・・・・続けますね。祖母様を心身の全てを若返りさせてとは言いません。そうですね。体内だけでも健康にして下さい。それも、無茶な事は言いません。そうですね。五十歳の頃あたりの健康状態にして下さい。それなら、今が七十だから最低でも二十年は生きられるでしょう。また、二十年後に同じ病気だとしても、祖母様も小さい主様も覚悟は出来ているはずです。だから、お願いします」
二本目の髭を抜いた。そして、願いを言ったが、今回もなにも様子は変わらない。それでも、身体をぶるって震えた。
「寒い。羽衣があるのに、寒さを感じるなんて変ね。もしかして、願いが叶う。そう言うことなのですね。それでしたら、寒さ、空腹、痛み、苦しみ、恐怖を感じない。安楽死を希望します」
三本目を抜いた。すると、寒さが感じなくなった。それなら、これから、死ぬとしても痛みと苦しみ。死の恐怖も感じないのだと実感したのだ。
「小さい主様の運命の人を決めることです。お願いします」
四本目を抜くと同時に呟いた。
「えっ!、小さい主様?」
驚くのは当然だった。髭を向いた瞬間に、小さい主が、立体映像の映画の場面のように現れたからだが、今までの陽炎のような映像とは違い。本当に手を出せば触れられる。そう思える程の現実の感覚を感じたのだ。
「もう、まだ、探していたのですね」
小さい主が、先ほど別れた場所から離れていない場所で、初恋の女性を探すためにキョロキョロと周囲を見ては立ち止まり。また、突然に何かを見たのか、走り出しては探すのだった。
猫の目が特別なのではなく、恐らく、仮死状態と似た感じで、心だけが、過去、未来、現代、多次元と繋がっている感じに近いはずだ。それは、人が死ぬ時に誰かに死を知らせに行く感じだ。その切り替えには、猫の髭を抜くことで切り替わるはずだ。
「近くに居るのに、会えないのね。運命の繋がりはないのかな?・・・」
無数のテレビ画面が空中に浮いている感じだった。それも、動画の地図情報を見せる感じで女性の動画情報も見えていた。一番下に小さい主が居るが、右上方には、初恋の女性が歩いている動画画面がある。同じ町でも町名が違うのだろう。その画面と画面を繋げれば、同じ通りになる。それが、直感で分かった。
「・・・・・・」
どうしたのだろうか、来夢は動画画面を見るだけで何も言わなかった。それは、簡単のことなのだ。言葉の数は多いが「右上の女性の動画画象を一番下の小さい主の隣に移動」と言うだけで、小さい主と初恋の女性は、偶然の再会が出来るのだ。そして、二人が結ばれる同じ時の流に導かれるのだ。それなのに・・・・。
「・・・・・・」
もしかすると、本当に、小さい主の理想の相手なのかと、迷っているのかもしれない。それでも、数分後に、不安の表れか囁くように言った。
「祖母様と小さい主様が本当に幸せになるのか、その願った未来が見たい」
五本目の髭を抜くと同時に願いを言った。無数の動画画面が一瞬で消えて、一つだけが残り。祖母の手術前の再度の確認の検査をする場面が流れた。皆は、様々な状況を話し合い。驚き、悩み苦しんでいた。
「・・・・」
数人の医者がレントゲンの写真を見て悩んでいた。まるで、神の奇跡を見た感じで驚くのだった。医者たちは様々な状況を話し合い。だが、答えなど出るはずもない。それでも、数人の医者の中で年長者が手術の中止を決めたのだ。その後の映像は、時間と場所、年月がバラバラで、祖母の未来が流れた。それは、走馬灯のようだと感じるはずだ。
「良かった。祖母様の身体の中の状態が、病気もなく健康で五十歳の健康状態になったのね。これで、今の歳から最低でも二十年後までは生きられるのね。本当に良かった」
二十年後の先の未来は見られなかったが安堵はしたのだ。
「小さい主様」
また、一つだけ現れた。それは、祖母の走馬灯のように小さい主の場合も同じように見られる。そう思った。だが、来夢の内心では、まだ、不安な気持ちの表れだろうか、映像画像が一時停止でもしている感じで止まっていた。
「・・・」
来夢の心の迷いのように動いては止まっての繰り返しを見るのだったが、運命の出会いからの続きだった。同じ歩道で歩いていると、再会するのだ。それも、小さい主がキョロキョロしている姿を見て、何かに困っていると思って、初恋の女性が話を掛けた。小さい主は、初恋の女性のあなたを探していたなど言えるはずもなく適当な言い訳を言うのだ。その適当なことを言ったために、明日の再会だけ約束して家に帰るのだが、先に来夢が帰っているはずなのに探したのに見付けることが出来なかった。後は家の外を探すかと、玄関の扉を開けようとした時だった。床下で最後の願いを言って来夢が死んだのだ。すると、電話が鳴ったのだ。直ぐに受話器を取ると、病院の看護婦さんからで、祖母が亡くなった。そう言われたのだ。「はい」と返事だけすると電話を切った。直ぐに、我慢が出来ずに泣き叫んだ。なぜ、来夢と同時に死んだのか、来夢が死んだことで来夢の羽衣が消えたのだ。羽衣の不思議な機能で命を支えていたのだが、消えたことで身体の器官が変化した。羽衣が有る場合は、微妙に釣り合っていた器官が、羽衣が消えたために、一気に病状が悪化して亡くなるのだった。だが、変だった。確か、来夢は祖母の健康を願ったはず・・・そんなことなど知るはずもないが、天涯孤独になったのだ。もし来夢が生きていたら願いが違うと叫んだはず。小さい主は、数日間泣き暮らした。そんな姿を見た初恋の女性が、小さい主の心の支えになり。友達から恋人になり。就職する頃には、さらに進展して結婚するのだった。
「幸せになって下さい」
映像には続きがあった。その先の未来は見られずに、適当な場面、場面が見られた。来夢が死んだと思えずに、暇があれば家の中だけではなく、外を歩きながら名前を叫びながら探すのだ。そんな、場面の中の一つで、小さい主が、泣きながら・・・」
「来夢、いるのだろう。今から一緒にムール貝を食べよう。一度だけで良いから食べてみたい。そう言っていただろう。だから、出て来いよ!」
また、自分一人しかいない家の中で、泣き続けるのだった。その映像を見て来夢の感情が高ぶり。
「小さい主様と一緒に、ルーム貝を食べたい!」
来夢は、床下にいることなど忘れて泣き叫んだ。
「ニャニャ!」
姿が見えないが声が聞こえてきたのだ。返事がないからか、同じ内容の言葉が・・・。
「死ぬ気持ちがなくなった。そう言うことか?。それとも、願いを変更するのか?」
もしかすると、天国からの迎えが目の前に来ていたのか、それとも、最後の願いを言う時だけは、確認のために問うのか?。その姿が見えない者に聞かなければ分からないことだが、来夢の願いは、他の願いに変えようとしているのは、確かなのだった。
「猫の神様ですか?・・・願いを変えます。小さい主様と同じ人間になりたいです!」
「俺を憶えていないのか、あの森の空き地で・・・・まあ、良い。最後の六本目を抜いて願いを叶えると良いだろう」
「小さい主様と同じ人間になり。一晩でも寂しい一人での生活などさせない!」
六本目を抜いた。また、虚空に、数個の動画の画像が現れた。それは、未来の選択だ。その選択肢が少ないからだろう。だが、迷わずに、小さい主の想い人が一人っ子ではなく双子の動画画象を選んだ。睨み続けると歪みが現れて好きなように修正しろ。そう言っているようだった。それと、もう一つ、祖母が健康になる動画画象を選んで繋げたのだ。
「・・・・・」
想い人の女性は双子で一緒に商店街で買い物をしていた。この時点では、まだ、来夢の願いは変更されいない。たが、確定しなければならない。動画は早送りみたいな感じになり。双子は一人になっていたが、キョロキョロと周囲を見ていたのだ。恐らく、買い物の途中ではぐれたのだろう。それでも、自分の探し物もある感じだったので心配などもしていなかった。そんな動画画面のやや隅の方で、小さい主が、キョロキョロと人を探していた。そんな、動画は進み双子の片方が現れた。まだ、小さい主も双子の片方も気付いていない。だが、同じ商店街だから出会うだろう。だが、双子の片方である。来夢が人になった人を探して声を掛けないとならない。もし間違えば違う選択肢になってしまうのだ。その時、来夢は、小さい主しか分からない言葉を双子の片方に言わせた。その行為は、例えだが、満水のカップにコインを入れて、零れた水を元に戻さないで放置する行為と同じであり。時の流の修正を無視することだった。
「ニャ」(来夢おねえちゃん)
来夢は、強制的に動画を変えようとした。その結果・・・・。
ある男が崖から飛び降りて自殺する。だが、命を救うことは出来ないのだが、羽衣の機能で一瞬の間に違う場所に向かわせて、ある人と会わせる。本当なら男の自殺を思い止めさせたい。だが、その指示ではなく、男の自殺で未来に意味があるのだ。それでも、この男でないと救えない命があり。そのために、十分間だけ、男の自殺するのを引き延ばすことだった。その者は女性であり。数年後には、人工まつ毛の特許で世界中を騒がすのだ。だが、この時点では、全てに絶望していて自殺を考える。だが、心の隅に一人の男性の想いだけがあったのだ。その男性が、自殺しようとする者だった。その十分間で、女性に未来の希望を持たせるのだ。女性が死ぬ気持ちがなくなる。と男は一瞬で消える。男は、癌でもあるし、生命保険で高額の借金を返さないとならないのだ。それも、癌で死ぬまで待てない。今なら保険も落ちる。他にも理由もあるのだ。男は、何一つとして苦になることはないままに、男は、崖から飛び降りた時の途中の空中に戻された。来夢に、全く関係ないようだが、それは、違うのだ。カップの中に入れたコインが来夢で、カップから零れた水が、男と女で、カップに戻した水が女で、カップから零れたままが男だった。男が死ぬと同時に、枯れ葉は男から離れて散った。他の枯れ葉も、次々に、動く物、人、動物などに時の流れの修正をして終われば離れて散るのだ。その他の全ての枯れ葉が散って最後の一枚が・・。
「来夢お姉ちゃん!」
双子の片方である。妹なのだろう。まだ、姉を見付けられないままなのだが、不思議そうに姉の名前を叫ぶのだった。だが、声に出たのは「来夢お姉ちゃん」と叫ぶのだ。この言葉を言わせることが結果の後のことだった。その言葉は、双子の片方の名前でもない。それに、女性が自分で考えもしていない言葉だった。
「えっ、来夢?」
小さい主には、想い人が来夢を抱っこしている姿が見えた。他の誰も一人の女性が立って居る姿しか見えなかった。それが、小さい主だけが、女性が来夢を抱っこしている姿に見えた。
「・・・・」
双子の姉は、やんわりと会釈した。
「来夢!」
小さい主は、来夢を抱っこしている女性に向かって駆け出した。
「小さい主様。私を見付けてくれましたね」
「本当に、来夢なのか?」
「そうです。小さい主様と同じ人になったのです」
「う~待て、本当か嘘かなどの話しより。家に帰ろう。家で話しよう」
「はい」
「本当に、俺の家で良いのか?」
「勿論ですよ。どうしたのです?」
「人になったら、その・・・設定と言うか・・・さっき、お姉ちゃんと言われたはず。だから、嘘の家族とか・・・・」
「ああっ、双子の姉とか、その設定ですね。それは、神様が、小さい主様を試したのです。初恋の女性の姿も遺伝子が同じ女性を選ばされたのです」
「えっ?」
「来夢は、来夢を選ぶように、少しずるをしましたけどね」
「・・・・」
「家に帰りましょう。病院から良い知らせの電話が掛かってくるはずですよ」
「えっ?」
「それに、心配しないで良いわよ。来夢は。お嫁さんの候補の一人だから誰かを好きな女性が出来たら何も気にしないで結婚しなさいね」
「う~まあ・・・」
(来夢は好きだけど、猫だよね。人の姿をしていても愛することできるかな・・・)
「さあ、小さい主様。家に帰ろう。そして、ルーム貝を食べましょう」
「いいけど、美味しくないかもよ」
「それは、それでいいの。おねだりして買って貰ったことが大事な意味なのです。それに、家族で誰も食べたことないのでしょう。味よりも楽しみでしょう。わくわくします」
「そうだね」
来夢は、嬉しいのだろう。小さい主が、不安であり。驚きでもある。複雑な表情を浮かべながら殆ど、頷きしか返事をしていないが、来夢は、話し続けていた。来夢には、一瞬で家に着いたかのような思える時間の感覚だったが、小さい主の方では、長い苦痛の時間だった。それでも、家に帰れば良いことがある。それだけで、不満などを口にしないまま帰宅したのだ。
「鍵は・・・」
玄関にある数個ある植木鉢の下から鍵を探しだした。
「いいよ。鍵なら持っているよ」
「初めての体験だから嬉しくて」
「そうか、そうか・・・」
(本当に、来夢・・・・・)
「うぁああ、鍵が開きました。玄関を開けますね♪♪」
「良かったな。それで、良いことって?」
「病院から電話が掛かってきます。十分くらい待てばね」
「何で、分かる?」
「それは、奇跡が起きまして、小さい主様に聞きたいことと知らせたいことで、十分間ごとに電話を掛けているらしいですよ。たぶん、その電話を掛ける人は苛立っているでしょうね」
「そうだろうな。家は婆ちゃんの考えで留守録もない黒電話だからな」
「まあ、何時になる分からない電話を待つ間に牛乳でも温めようか」
「はい」
食卓のテーブルの椅子に座り。猫の時の癖である。嬉しいことを待つ間には、両方の前足で上げたり下げたりと、ふみふみらしきこと、両方の手を使い。幼子が両手で一本一本の端を持ちなら交互に音を立てるような動作をするのだ。それを見て、来夢だと実感するのだった。
「熱いぞ。注意して飲むのだぞ」
来夢の目の前にホット牛乳のカップを置いて、自分は、コーヒーを飲みだした。
来夢は、ホット牛乳を飲むのに夢中だったが、小さい主は、コーヒーを飲むよりも、柱時計を見る方が多かった。
「来夢。家の中に入ってからでも十分は過ぎていると思うけど、まだなのかな?」
(夢中だな。飲み終わるまで待つか・・・・なにか、菓子でも有ったかな・・・)
菓子でも探そうと立ち上がった時だった。電話が鳴るのだった。
「はい、はい!!」
「やっと繋がった。切らないで待っていて下さいね」
電話口の女性は、苛立っているのか、慌てているのか、やや、正気を疑う様子だった。変だと感じたが、電話を切らずに待っていた。すると、受話器から俺が出る。わたしが伝えます。などの喧嘩でもしている様子が聞こえた。だが、直ぐに、仕方無いと感じる声色で、先程の女性が出て来て対応をするのだった。何とか、内容の理解が出来たのは、必ず明日の朝に病院に来てくれと、それと、退院は明日にでも出来ますので、その気持ちで来て欲しい。それだけの内容だけが理解が出来たが不安だったので、再度、問い掛けようとしたが電話は切られた。
「良いことだったでしょう」
「退院だって・・・手術はしなくていいのかな?・・・」
「小さい主様。祖母様は健康になったのですよ。来夢が、お願いしたから健康になったのですよ」
来夢は、ニコニコと微笑んでいたが、小さい主は、不安そうに考えていた。
来夢と小さい主は、自分の飲み物を飲み終わると、二人で相手の顔を見続けた。恐らく、何か言いたいことがあるのだろう。だが、同じような考えではあるが、来夢は、ニコニコとする。小さい主の方は悩んでいる様子だった。
「お腹が空いたな」
「お腹がペコペコです」
殆ど同時に思いを口にした。
「はい」
真っ先に、来夢が返事を返した。
「それでな、明日なら、婆ちゃんが退院するからムール貝は明日にしないか?」
「えっ?・・・」
「先ほど、言っていただろう。家族で食べるから美味しいって」
「はい。分かりました。なら、マグロのフレークがいいです」
来夢は、不満そうだったけど、直ぐに希望を伝えた。
「分かった。分かった。そうしよう」
また、缶詰のぶっかけご飯を食べるのだった。そして、食べ終えた。その後だが、来夢は、ニコニコと小さい主の顔を見るだけだった。小さい主は、沈黙に耐えられずに・・・・。
「風呂に入ってくるね」
そう言って食卓テーブルの席から立ち上がり。風呂に向かった。風呂から上がって、来夢の様子を見に来てみると、先ほどから様子が変わっていなかった。
「眠いだろう。猫の時は、暇があれば寝ていただろう」
「はい」
「そうしよう。なら、来夢は、婆ちゃんの寝具で寝て良いからな」
「えっ?なぜなのです。普段の通り、小さい主様の寝具の上で寝たいです」
「人の女の人は、結婚するまで、男性とは一緒に寝ないだよ」
「そうなのですか・・・・」
「悲しそうな顔をしても駄目だよ」
「分かりました」
そう言うと、来夢は、一人で祖母の部屋に入って行った。本当に、眠かったらしい。逆に、小さい主は、寝具に入り寝ようとするが、同じ年頃の女性と一つ屋根の下で寝ていると感じて、なかなか寝付けなかった。それでも、朝方になる頃には、やっと寝られたのだった。それから、朝になったのだろう。眠くて目を開けられないが、ゴソゴソ、ガタガタ。と何をしているのか分からないが、寝ていられるはずもなく目を覚ますのだった。
「うるさいな~来夢だな。何をやっているのだか・・・」
寝巻のまま部屋から出て台所に行ってみた。
「なにをしているのかな?」
「毎日の日課です。家の中に虫などが居ないかの確認です」
「虫!」
「大丈夫ですよ。虫など居ませんよ」
「あっ、良かった。なら、着替えて来るよ」
「はい」
「そうそう、着替えたら直ぐに病院に行きたいけど、その前に、何か飲みたいか?。それとも、何か食べたいか?」
「何も食べなくてもいいですよ。直ぐに、祖母様の所に行きましょう」
「分かった。すぐ来るよ。待っていて!」
「なら、行きましょうか」
小さい主は、直ぐに自室に向かった。五分も過ぎずに現れた。来夢は、昨夜から同じ服だったために他の服が無いと思った。
「そうだな。今度は、鍵を締めたいのだろう。いいぞ」
(病院の帰りでも、婆ちゃんに、来夢の服など選んでもらうしかないよな。でも、来夢が人になった。それを知ったら驚くだろうなぁ)
「本当ですか、本当ですね。嬉しいです」
来夢に鍵を渡して、二人して家から出たのだ。そして、約束の通りに、来夢に鍵を閉めてもらった。近くのバス停まで歩いて五分くらいの間に、バスの乗り方、下り方などを伝えた。全てを伝え終わる頃には、バス停に到着するのだった。
「分かりました」
来夢は、大人しくバスが来るのを待っていた。それでも、バスが着いてみると、少々慌てるが、小さい主と同じことをすればいいのだと思い直して無事にバスの中に入るのだ。
「確りと、手摺を掴まっていなさい。可なり揺れるからね」
「はい」
もっと、来夢は、子供のように騒ぐと思ったが大人しかった。十五分くらいだろう。何か所のバス停が過ぎると、突然に、止まりますのボタンを押してしまったのだ。窓から病院が見えたからだろう。もう三つのバス停なら病院の前だったが、小さい主は、驚くが、何も言わずに降りたのだ。
「病院が見えたので押したのですが、駄目でしたか?」
小さい主の驚く表情を見て問い掛けたのだ。
「いや、いいよ。ただ、もう三つ先なら病院の前だったけどね。少し歩こう」
「はい。今度は、そうします」
「いや、ゆっくりと覚えるといいよ」
「はい」
五分くらい歩いただろう。病院の前に着いた。来夢は、喫煙所に視線を向けた。
「何でもありません」
「ああっ、いつもは、喫煙所からだったな。大人しく着いて来るのだぞ」
「はい」
小さい主は、来夢が思ったほど大人しいので安心したが、来夢は、初めての病院の中などよりも、この姿を見て、祖母が、何て態度を表すのかと心配する気持ちが多かったのだ。だからだろうか、エレベーターに乗るのに怯えるかと思ったが黙って乗っていた。だが、エレベーターが開いて出られるはずなのに出ることに怯えている感じだった。
「ここで、待っていても良いですか?」
「あっ、婆ちゃんに会うのが怖いのだね。自宅に着くまで何も言わなければいいよ」
「はい。分かりました」
病室に着くと、扉を開ける前で立ち止まった。室内が騒がしいからだ。一瞬、ためらったが、祖母が何かを断る声を聞いて、少々乱暴に扉を開けた。
「どうした?なにかあった?」
室内では、四人の医師がなにか、祖母を説得している様子を見たのだ。
「孫が来ました。もう良いですね」
「もう一晩だけでも待てませんか?」
「もう!だから、その話なら何度も言いましたけど、再検査のことは日を改めて来ますので、今日は、孫と一緒に帰ります」
「まあ、落ち着いて、落ち着いて下さい」
「あまりしつこいと、二度と来ませんよ!」
「分かりました。それでしたら、日にちは決めません。三十日分の薬を出しますので、クスリが切れる前には、病院に来て下さい」
「分かりました。孫が心配していますので、理由を話せなければ、だから、病室から出て行って下さい」
「分かりました」
医師たちは、不満そうに大きな溜息を吐きながら出て行った。
「扉を閉めて、入って来ていいわ。あなたもね」
小さい主が扉を閉めようとしたら来夢は入らずに出ようとしていたら、祖母が、来夢に声を掛けたのだ。
「いいのよ。あなた、来夢ちゃん。でしょう」
「えっ!」
「祖母様。分かるのですか?」
小さい主と来夢は、驚きの声を上げた。
「まあ、夢を見た。と言うか、もう!これ以上、なにが起きても驚きませんよ。さっきの先生たちを見たら、何かがあった。そう思うでしょう。まあ、家に帰ってからでも、ゆっくり話すわ。それよりも、来夢ちゃん。握手させて、返さないとならない物があるわ。何なのか分かるでしょう」
「もしかして、羽衣ですか?」
「そうよ。早く返したいの。あまり時間が過ぎると、承諾したのに、断ると思われたら困るからね」
「えっ!」
来夢には、分からないことだが、祖母は、祖母で何か約束でもしたようだった。
「そらなら、良いわね。返すわよ」
祖母は、来夢と手を繋ぐと、一瞬だけ、二人の周りが光ったように感じた。と同時に二枚の枯葉が、空中に一瞬だが現れると同時に消えた。まるで、本当の持ち主に戻った様に感じられたのだ。
「良かった。安心したわ」
「えっ?」
祖母は、羽衣が消えたのを感じて安心したが、来夢は、左手の小指の赤い感覚器官と羽衣が突然に消えて驚くのだった。それでも、これで、本当の人になった。そう感じたのだ。
「それなら、直ぐにでも家に帰ろうか、あっ、お腹が空いたわよね。何か食べて行く?」
「・・・あのう・・・・ルーム貝・・・あっ、なんでもないです」
来夢が、祖母に聞こえるか、聞こえない程の声で囁いた。
「そうね。いいわよ。でも、材料が有ったかな?・・・・」
「それなら、ラーメンでも、箸で、ズルズルして食べたいとも思っていました」
「そう、なら、ルーム貝は、夕飯にしましょうか?」
「はい」
「俺は、何でもいいよ。それより、買い物がしたい」
「分かっているわ。来夢ちゃんの洋服などでしょう」
「えっ!」
「それくらいわかるわよ。服を着ながら寝たような服のシワがあるからね」
「それより、身体は大丈夫なのか?」
「そうです。羽衣が無くても問題はないのですか?」
「ほらほら!体操もできるわ。なんか、若返った気分よ」
「それなら、いいけど」
「帰ろう」
小さい主は、祖母の荷物を持って部屋から出た。その後に、来夢は、祖母の手を取って歩くのだ。すると、看護婦が祖母を見ると、クスリの準備がまだから病室に居て欲しい。そう言うが、「何の病気なのか分からないからクスリを決められないのでしょう。後でも薬を貰いにくるわ」そう言いながら歩くのを止めなかった。そのまま病院を出て行くのだ。
「タクシーを止めておくよ」
小さい主だけが、さっさと先に歩き出して道路でタクシーを探すのだった。すると、祖母は、周囲には聞こえないように来夢だけに聞こえるように囁くのだ。
「安心しなさい。これから、いろいろと困ることがあるでしょうが、何が起きても助けるからね。それと、私も周囲の人も、もしかすると、世界中の人も、来夢が猫だったことは忘れるはずよ。それも、戸籍などの取得などの調整を一年くらいでゆっくり世界が変わるわ。ゆっくりとゆっくりとね。恐らく、遠縁の子を引き取る。そうなるはずよ。それと、一番心配していることだと思うけど、孫の許嫁として引き取るから絶対に結婚はさせるわ。ふっふふ、生きがいが出来たわ。楽しみね」
「はい」
来夢は、嬉しい気持ちだったけど、小さい主の子守よりも大変なことになる。そう覚悟をしたようだが、満面の笑みを浮かべながら道路に止まっているタクシーに向かった。
2019年1月21日 発行 初版
bb_B_00157860
bcck: http://bccks.jp/bcck/00157860/info
user: http://bccks.jp/user/125999
format:#002t
Powered by BCCKS
株式会社BCCKS
〒141-0021
東京都品川区上大崎 1-5-5 201
contact@bccks.jp
http://bccks.jp
羽衣(かげろうの様な羽)と赤い糸(赤い感覚器官)の話を書いています。