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この本はタチヨミ版です。
そのころ、日本国内では政変が起きていた。
その政変は情報覇権を競っていた中国とアメリカのどちらを友好国とするか。実はそれが論点だった。そして日本の勢力の中には中国を友好国とするしかない、と判断する勢力が生まれていた。もちろん多くの中には昔ながらの中国蔑視もあれば、中国共産党一党支配を批判もしていた。だが現実的には中国の勢いを無視することも出来ない。そして日本はその覇権ゲームでは、もはやプレイヤーではなく、ゲームで取引される材料に堕落していた。それでも現実を直視せず、相も変わらず紙と判子と満員電車の会社文化、その実役所文化に凝り固まっていたのだ。その間にアメリカも中国もあっさりネットと電子決済とテレワークに移行してしまっていた。それでも日本の組織は馬鹿げた巧遅すぎる電子決済システムの開発に明け暮れ、人材と時間をどんどんドブに捨て続けた。
そんななか、日本のとある起業家が政界に出馬した。もともと大失敗を続けて人気どん底の野党からも泡沫候補扱いされていたのだが、彼はそれでもベンチャー企業を大企業に育てた手腕があった。何よりも彼はネット選挙の危ない橋を際どく渡ることに怯えなかった。それで冷淡に見られていたのに無党派層の票を集めて初当選した。その当選は公選法ぎりぎりのネット選挙であったが、彼の父は幸運にも警察官僚であった。彼はその幸運を最大限に活用した。初当選のあと、野党も与党も彼を取り込もうとした。だが彼はどちらにも条件を突きつけた。その態度で与党は腹を立てて彼と絶縁した。野党も同じだったのだが、それ以上に彼らは野党暮らしの悲哀はもうたくさんだった。その彼の要求は党幹部への就任であった。いきなり本丸を渡すことは与野党ともにありえなかったのだが、野党はそれでもいいと判断した。どうせ素人、彼がどう動こうとどうにでもできる、そう判断したのだ。甘い判断だったが、それが彼らが一度掴んだ政権を手放す理由だったから仕方がない。彼はあっというまに野党幹部としての地位を使い倒して野党組織を掌握してしまった。その様子を日本版ドナルドトランプとマスコミは揶揄した。だがそれも遅かった。
彼はなんとそこで中国との関係強化を打ち出した。売国奴といわれても仕方のないその主張だったが、彼はその代わりに労働環境の大改善、ベーシックインカムの全面適用、商慣行のもととなっている政府組織へのビッグデータの適用をぶちあげた。日本2.0と呼ばれるそのビジョンは強烈だった。中国と日本とアメリカを情報技術で結びつけるとともにそこに賢い壁(ワイズウォール)という強力なセキュリティの壁を作り、人とものと金を自由かつ安全に行き来させよう、というものだった。当然政官界は猛反発した。財源は、技術的目処は、国民の理解は、と雨あられと批判の矢を浴びせた。だが、国民の多くはそういいながら彼らが国民をバカにし、国民から収奪していることに飽き飽きしていた。そして役所が統計でも公文書でも財政でも年金でも嘘をついていたことに絶望していた。しかし絶望しても生きなくてはならない。そこに彼のベーシックインカムの話は魅力的だったし、中国アレルギーを緩和するワイズウォールは魅力的だった。
その結果、日本の国論は二分されてしまった。どちらも選びたくないのが本心だった日本国民は、腐敗した日本政府か売国奴の彼のどちらかを選ぶ羽目になった。その選択を迫られたことでさらに問題が明らかになっていった。日本政府の嘘はますますリークされて政府の国民不信以上に国民の日本政府不信が高まっていった。もちろんそれには中国政府の関与があったのだが、日本のマスコミはすでに経済的に中国に骨抜きにされていたためになんの抵抗もできなかった。
それでも政治家たちは彼を批判するだけでなく、日本の分断を防ごうと尽力していた。だが彼らはいかんせん無力だった。そしていつのまにか『国家特別行政特区法』が提出された。博多を中心とする西日本を特別行政特区とし、多くの行政権限、特に実質的な外交権の自由を与えるものであった。しかし彼とその周りと与党の一部はそれを理解していたものの、それ以外はその危険を理解していなかった。理解する力も劣化して失っていた。事実上の日本国分断、西日本の独立であったのだが、日本人の多くもよく理解していなかった。その準備が進むうちにようやくそれが日本の江戸幕府成立以来の分断だと理解したときには分断の是非を問う国民投票に持ち込むのがやっとだった。だが国民投票にかける時点で分断は決定的になっているのだった。
そしてその結果、日本の中に貧富の格差ができ、その格差がついに国境を作ってしまった。西日本で採用されたワイズウォールシステムはその高生産性と高効率によって西日本の経済を一気に押し上げたが、それは西日本の特区の中だけであった。特区ではない東日本は相も変わらず紙と判子と心中するかのように経済が落ち続けていた。その格差分断の境界、京都府と大阪府の境目で犯罪者を押し止めることになり、そこにフェンスが築かれることになった。新幹線も京都-新大阪間で分断されることとなり、京都山崎を通過する陸運も分断されることになったのだ。
それでも日本の統合は失われないはずだった。西日本特区はあくまでも東京首都の日本国の一部のはずだった。しかし経済格差はその主従関係を崩してしまった。
そして西日本の人々は経済の落ちこんでいる東日本を切り離すことを主張し始めた。経済の落ち込みは犯罪率の増加にも現れていたし、西日本と東日本の比較そのものをしてこなかった日本人にとってその比較の習慣が始まったことがすでに国家分裂そのものだった。あとは名実ともに分裂が事実になるまで時間の問題だった。
そもそも自由をもとにした経済発展よりも育成と規制のアメとムチで経済発展を目指すのが日本政府が大好きな方法であり、それがすでにソ連でも大失敗し大日本帝国でも戦争敗戦につながる大失敗しかなかった計画経済という誤謬であることを彼らは理解していなかった。相次ぐ自然災害、特に東日本震災対策、そして中国の海洋進出対策に計画経済しか思いつかない時点で彼らは愚かであったが、彼らの愚かさを正す手段はないのだ。彼らは選挙の洗礼を浴びないし、ただの学校と官僚制度のなかのゲームの勝者に過ぎないのだが、彼らはそのゲームを国家全体に拡大していたので、すべての人間がそのゲームの敗者にしか見えない傲慢に陥っていた。愚かな敗者を思いやれるのは自分たちだけだと。でもその実彼らは敗者に憐れみをかけることは出来ても、敗者を本当に理解し敗者とともに歩むことは絶対にできないのだった。そしてその憐れみはどこまでいっても傲慢でしかなく、敗者からは侮辱にしか思えないのだった。そして官僚の彼らは自分の地位をなげうって敗者のために尽くすことは出来ない。地位をなげうった官僚はもう官僚でないからである。
そこを西日本特区のトップになった彼は利用したのだ。敗者たちは彼に利用されるのだとわかっていたが、それを拒んだらあとは侮蔑と一体の憐れみと施しという福祉を受けるしかないのだから、選択肢はなかった。彼はそれをわかって「福祉は断じて施しではない。未来への投資である」と主張した。それは肩身狭く暮らすはめになっていた高齢者や障害者に深く浸透した。しかもその福祉の財源はワイズウォールの合理化効果と経済効果で捻出できるとしたのだ。人々は半信半疑だったが、その効果は実際発生した。過剰に複雑な税制の整理だけでも大きな財源となったし、行政が一挙に見える化したことも効果が高かった。
ワイズウォールの決済セキュリティにはブロックチェーンも技術も駆使されていたし、その上その決済はセキュアな扱いのなかビッグデータのデータベースにも使われる。そしてそのビッグデータの活用には真の第三者機関、データセキュリティ監視オンブズマンというNGO組織が目を光らせるなか活用が社会リソースとして開放され、一挙に西日本経済特区は世界有数のデータサイエンス立国となった。
だがその資金は中国からの多額の投資を必要とした。それを調達する彼に対する売国奴という批判はどこまでもつきまとった。権力を把握した彼にとりいろうと逆に中国よりの人間が多く接近した。そんななかアメリカはデータサイエンス覇権戦争の劣勢をどうやっても認めたくないために、ついに韓国と沖縄の基地からの撤収を決めてしまった。モンロー主義への回帰である。日本政府は日米同盟を反故にされた形となった。
そして、彼の指揮する西日本特区が独立すれば、沖縄を含む列島線を中国が支配下に入れるのは確実であった。もう中国海軍にとって太平洋の半分は自分のものとなるのは既定路線となっていた。
中国はしてやったりと思っていた。そのときには韓国は日本に対しての様々ないやがらせをしてこれからの宗主国となる中国への恭順を示していた。対日関係がもう韓国に魅力がないのは、日本国内での反感感情以上の強い意思だった。むしろ沈みゆく日本が韓国がけしからんと世論が沸騰していたほうがどうかしていた。韓国は日米との協力関係より北朝鮮との合併による統一国家建設とそれによって苦せずして核保有国となるほうがずっと魅力的だったのだ。日本だけが一方的に信頼していただけのことであり、それが裏切られるのは当然だった。
日韓のさまざまの現場で韓国は徹底的に日本へのいやがらせを続けた。艦船の火器管制レーダーをあびせて威嚇し、それを指摘されると今度は哨戒機に威圧されたと言い出した。もちろん哨戒機に威圧されてしまう軍艦というのはまさに笑止なのだが、韓国はいくらでもいやがらせをしたかったのだからまともな話でなくても良かったのだ。浴びせられた海自の哨戒機クルーが「一応呼びかけるか」と言葉にしたのは、すでにそういう状況は日常茶飯事だったことを示していた。
そして、その後の韓国海軍は火器管制レーダーを浴びせるだけではなれられてしまう、いやがらせにならないとまでエスカレートし、そして照射だけでなく実弾の発砲までしてしまったのだ。海自哨戒機はそれを回避したものの、その発砲もまた盧溝橋の『謎の銃声』のごとく互いの主張が食い違い、そしてついに韓国と日本は実質的な戦争状態となった。日韓の人と物と金の流通は遮断され、韓国は公然と日本の船舶の拿捕を行った。民間航空機の往来も出来なくなった。
しかし日本はそれでもそれを戦争と呼ばないことにしたのである。戦争を放棄した日本は戦争という状態に直面する力を持っていなかったのだ。いや、もっていても使えなかったのだ。韓国としては嫌がらせするだけで日本が分裂するならまさに望むところであった。まして日本の側から戦端を切ってくれれば中国とともに日本を陥れることができる。それが狙いだった。とっくのむかしに韓国にとって日本は仮想敵国だったのだ。その現実を認められない日本は本当にチョロい国だった。まして西日本の独立政権が親中国であるから韓国はようやく平和になれたと思っていた。ようやく緩衝地帯でなくなったのだから。
日本国内、とくに東日本では受け入れた移民の扱いで混乱をきたしていた。彼らを人間ではなく労働力として受け入れたことは、むしろ受け入れた日本人の方に大きな変化を起こした。労働力と言いながら実質的な奴隷働きをさせていることの後ろめたさがさらに犯罪の原因になった。移民差別が横行し、凄惨な犯罪事件も多発した。経済の落ち込みがさらにそれを助長した。そして人々が西への移住を望むようになった。東日本政府はそこで移住に実質的な制限をかけた。
その結果、京都山崎のフェンスを破って西へ逃げる人々が生まれた。山崎にはその対応のための施設、東西交流センターが作られた。21世紀に関所が復活してしまったのだ。
新幹線も分断され、「のぞみ」は西と東を結ぶ国際列車となって本数が減らされた。山崎の東西交流センターで厳重なチェックをするための容量の問題があったのだ。新幹線はそこから東側から京都止まりの「ひかり」と、西側から新大阪止まりの「さくら」中心のダイヤになった。また新快速も折り返し施設が作られ山崎を通過する列車は認められた貨物列車とごく一部の直通旅客列車だけだ。
「西へ行く」
テルはそう口にした。
「西に行ってどうするんだ」
「どうもこうもないよ。このまま東にいたら真綿で絞め殺されるような日々だもの」
テルは内部疾患の障害者だった。
「生活保護になっても暮らしていけないんだもの。生きていくとしたら西に行くしかない」
東の生活保護は相も変わらずの憐れみ福祉のレベルで、ちょっとでもその話になると不正受給が多いだの額が多いだのと根拠のない批判にさらされるし、しかもその支給認定のときに財産を全部処分させて二度と這い上がれないようにする制度のままだった。
「でも西に希望があるか? 中国の息のかかった西で監視カメラに怯えながら暮らすんでもいいのか」
テルの父はそう抑え込もうとする。
「東だって同じじゃないか」
「中国共産党の言うがままになる。あっちに自由なんてない」
「こっちにいても自由なんかない。このままじゃ気が狂って自殺するしかない。同じことなら生き延びたいよ」
「不平を言って密告で捕まることになっても?」
「こっちだって同じだよ」
テルがいう。
「そうかもしれないな」
テルの父も諦めつつあった。
「憐れまれながら見殺しにされるのはまっぴらだ」
テルはそう言いながら荷物をまとめている。
「でも向こうでの生活はどうするんだ」
「ネットで知った西の友人のところに泊めさせてもらうさ。こっちにいるよりはずっといい」
身支度を終えたテルは、家を出た。いってきますもサヨナラも言わない旅立ちだった。
そして新横浜から新幹線〈のぞみ〉に乗った。はじめての〈のぞみ〉は片道切符だった。
車窓を眺めるテルの前で、もう戻らない神奈川や静岡の風景が飛び去っていく。
〈のぞみ〉は往年の16両編成ではない。8両編成である。それぐらい人が乗らないのだ。ほとんどの人は京都までリニアに乗る。だがリニアが大阪に乗り入れる前にこの列島分断になってしまい、リニアの線路は京都から大阪の間はほぼ出来上がっていたが長期休止線という事実上の廃腺となってその高架橋は朽ちていく一方だった。
〈のぞみ〉は名古屋についた。乗り降りもまばらだ。リニアを使う人のほうがずっと多いのだ。停車時間が長いのは荷物室に東行きの宅配便コンテナを積み下ろししているからだ。〈のぞみ〉用のNC700系車両には宅配便コンテナを積む荷物室がある。かつて計画だけされた貨物新幹線が実現してしまったのだ。旅客輸送の大動脈はリニアに代わられ、東海道新幹線はローカル需要の路線になってしった。
名古屋を出発し、次は京都である。
京都につくと越境管理局の入管手続きが待っていた。
「君、パスをもってないのか? 東西を行き来するにはパスが必要だぞ」
「パスってなんです?」
「東西往来許可証。地元の役所で交付してもらわないと」
「そんなの知らなかった。それに同じ日本なのにビザみたいなのが必要なんて」
「フェンスを作ってからそうなったんだ。君は西に行けないよ」
「でも西に友人がいます。住所だって教えてもらってます」
「みんなそう言うんだ」
「僕、不法渡航者扱いですか!?」
「まず列車をおりなさい」
ほかに同じようにパスをチェックしていた係官が何事かと集まりだした。
「降りろ!」
最後にはガタイのいい体にサブマシンガンをぶら下げたセキュリティまでやってきて、テルは諦めて列車を降りた。
降りた京都は国境の町になっていた。もはや風情を楽しむ京都ではないのだ。
「にいちゃん」
声をかけられた。
「えっ」
「にいちゃん、西にいきたいんだろ? 新幹線で管理局のやつともめてるのを見てたぜ」
そういうのは目つきの鋭い、いかにも悪そうな男だった。
「でも……パスなしに西にはいけないって」
「まあ、そういうことになってるんだが。ちょっとお茶でも飲みながら話をしようか」
テルはそのまま男の案内に従って、駅から出て京都市内の喫茶店に入った。
「西に行く金、どれだけもってる?」
「少しだけですが」
「いくらだ」
「10万円です」
「うーん。どうにも足りねえな」
男はため息を吐いた。
「でも、行きたいんです」
「じゃあ、足りないぶんはオレたちの手伝いで補うか?」
テルは考えたが、もう戻るところはない。
「お願いします!」
「わかった」
男はマスターを呼んだ。
「マスター、例の」
喫茶店でそう言うと、マスターはだまってうなずいた。それで奥の部屋に入る。
奥は本棚びっしりの書庫になっている。
彼はその本棚の本を取り出し、何かをした。
すると本棚が動き、その向こうに扉が現れた。隠し扉だ。
「ここから暗いからな。足元気をつけてな」
テルはしたがって扉の向こうの通路の階段を降りていく。後ろで扉と本棚が閉まる音がする。
「越境管理局の取締が厳しくてな。こうしないとやばいんだ」
奥に行くと、そこには大きめの部屋があった。彼らのアジトだ。
「余計なことは聞くなよ。聞いても答えないし、知りたがるやつはたいてい早死にする」
テルはゾッとした。
「この京都の地下には大昔からの地下通路が入り組んで走っている。それを経由して京都から脱出する。京都から出たらそこは越境管理局の監視する野山だ。管理局の雇ったPMC、民間軍事会社が派遣する兵隊が銃と警備犬をつかって警戒している」
タチヨミ版はここまでとなります。
2019年1月31日 発行 初版
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YONEDENこと米田淳一(よねた・じゅんいち)です。 SF小説「プリンセス・プラスティック」シリーズで商業デビューしましたが、自ら力量不足を感じ商業ベースを離れ、シリーズ(全十四巻)を完結させパブーで発表中。他にも長編短編いろいろとパブーで発表しています。セルパブでもがんばっていこうと思いつつ、現在事務屋さんも某所でやっております。でも未だに日本推理作家協会にはいます。 ちなみに「プリンセス・プラスティック」がどんなSFかというと、女性型女性サイズの戦艦シファとミスフィが要人警護の旅をしたり、高機動戦艦として飛び回る話です。艦船擬人化の「艦これ」が流行ってるなか、昔書いたこの話を持ち出す人がときどきいますが、もともと違うものだし、私も「艦これ」は、やらないけど好きです。 でも私はこのシファとミスフィを無事に笑顔で帰港させるまで「艦これ」はやらないと決めてます。(影響されてるなあ……) あと鉄道ファンでもあるので、「鉄研でいず」という女の子だらけの鉄道研究部のシリーズも書いています。よろしくです。