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黄昏時になってから急に京都の空は曇り始めると共に、少し強い風が吹き始めた。下京区烏丸高辻(からすまたかつじ)西入るにある小さなお寺、宝心寺(ほうしんじ)の境内も、一際不気味な雰囲気を醸していた。
その本堂の隣にある土蔵は書庫として使われていたが、その中の一角には、書棚に混じって、小さな箪笥が置かれていた。その箪笥の上には一冊の古書が置かれていたが、程なくして、それは漆黒の光を放ち始めた。やがて、その光は煙のように立ち昇ると、土蔵の屋根を突き抜けた。そして、空中に拡散していった。
「ん……?」
そのお寺から少し離れた所にあった古本屋から出て来た一人の少年が、その空を見上げて小さく呟いた。
*
やがてその光の一部は烏丸高辻の東、高辻間之町(たかつじあいだのまち)周辺の上空に集まり始めた。
「――」
同下方向に鎮座していた小さな祠、花咲稲荷の境内で、その光を見た、下が薄い茶色、上が白の巫女服を着ていた少女が小さく舌打ちをした。その直後に、花咲稲荷の付近にあった木造の民家のうちの一軒の屋根から火が噴き出した。そして、それから少し経った後、烏丸高辻周辺の上空にあった光は徐々に薄れていった。
*
何も見えない真っ暗な闇が広がっていた。その中に、突然、直径十センチメートルくらいの、白い光の玉が現れた。
「え……」
その玉から十メートルくらい離れたところで、それを目にした少女、朝霧珠洲(あさぎりすず)の瞳が大きく開いた。彼女は白いTシャツの上に蜜柑色のジャケットを羽織っていた。また、下は紅色のミニスカートを履いていた。そして髪は黒のショートヘアーで、耳の前の髪を小さなピンで耳の後ろに束ねていた。
「あ……」
すぐにその光の玉はゆっくりと珠洲から離れていった。
「……待って……」
珠洲は何気なく光の玉の後を追い駆け始めた。
やがて、その先に、高さ三メートルくらいの小さな朱塗りの鳥居が連なって、小道を作っているのが見え始めた。光の玉はその鳥居を潜り始めた。珠洲もその後を追って鳥居を潜った。
走り続けると、鳥居の連なりは数十秒ほどで終わった。そして、最後の鳥居の先に今度は石段が続いていた。光の玉はその石段から高さ一~二メートルくらいのところを飛びながら、石段を登っていった。
「あ……」
珠洲もそれを追いかけて石段を登っていった。数十メートルほど登ると石段は終わった。
「え……?」
石段を登った先には墓地があった。そして、光の玉の姿はなかった。
「……?」
珠洲はきょろきょろと首を振って光の玉を探した。
そのとき、高さ三十センチ、幅五~一〇センチくらいの青白い小さな火の玉が一つ、彼女の脇に出現した。
「え……」
続けてそれから五メートルほど離れた場所にも同じ大きさの火の玉がボッと出現した。そして、その二つの火の玉のすぐ後ろにも火の玉が一気に出現していき、二つの火の玉の列を作った。火の玉の列の間は一つの真っ暗な道のようになった。
「……?」
そのとき、珠洲は、火の玉でできた道の奥から音が聞こえたような気がした。
「……を滅さん……」
「え……」
それは中年の男性の低い声だった。珠洲は耳を澄ました。
「……この新京を滅さん……」
その声はもう一度聞こえた。その直後に、道の先に何かが見えた。珠洲が凝視すると、それは直径三メートルくらいの巨大な髑髏だった。その髑髏は火の玉の間を、時速一五〇キロほどの高速で進んでいた。そして、珠洲の方に目がけて突進してきた。
「たとい……二度、三度、、いずこに逃れ、かりそめの都を造ろうとも、南都の他に都なし……。我、金鐘行者の後継親王禅師、今再び、この新京を滅さん……!」
その骸骨は大きく口を開け、そう唱えながら一気に珠洲に迫った。
「――!」
珠洲の表情は蒼褪めた。髑髏から避け切れずに、ぎゅっと目を瞑った。
*
「――」
そこに白い天井があった。枕元に置いてあったデジタルの置時計は、六月十五日の午前七時前を指していた。陽の光がカーテンの隙間から漏れていた。
「……」
ベッドに仰向けになりながら、珠洲は少しの間額に腕を当てた。
*
京都、下京区の東洞院高辻(ひがしのとういんたかつじ)にある洛内(らくない)小学校は、朝の始業前の休み時間を迎えていた。四年二組の教室の自分の席に座って、口の前で両手を組んで少し俯きながら珠洲は今朝見た夢のことを思い出していた。
「珠洲ちゃん、どうしたの……?」
そこに、珠洲の様子を見た、彼女のクラスメート、茨木美濃(いばらきみの)が声を掛けてきた。彼は濃い緑色のTシャツに、紺色の短パンを履いていた。また、髪型は珠洲のそれと殆ど同じだった。
「あ……美濃くん……おはよう……、ちょっと、怖い夢を見ちゃって……」
「え……どんな夢……?」
美濃は珠洲に聞いた。
「うん……お墓でね、おっきな髑髏に食べられちゃった……」
「え……?」
珠洲の話を聞いて美濃も怪訝な表情になった。
「おはよー」
そのとき、一人の少女の声がした。二人がその声のした方を向くと、そこに二人のクラスメート、宝塚耐(ほうづかたえ)がいた。彼女はセミロングの髪で、胸元に赤のリボン、襟と裾とがピンクで、両肩部は二重になっていた付けた白いローブを着ていた。
「あ……耐ちゃん、おはよう」
「おはよう」
二人も耐に挨拶をした。耐が現れたのを見て珠洲の表情は少し緩んだ。
「あれ……? ……今気付いたんだけど、珠洲ちゃんのそれ……」
「え……?」
耐は珠洲のランドセルについていたオレンジ色の御守りを見つけると、間髪を入れずに声を上げた。
「……美濃くんも同じようなのを付けてたような……」
「……あ……うん……」
「……どこに行ってきたの……?」
「え……、あ、うん……上賀茂神社に……」
珠洲はランドセルに付いていた御守りを手に取ると、穏やかな笑みを浮かべながら答えた。その御守りは珠洲と美濃が上賀茂神社に参拝したときに買ったもので、美濃も自分のランドセルに同じ御守りの青色のタイプのものを付けていた。
「えっ……、また火事があったの……?」
その直後に前の席の方から大きな声がした。
珠洲が驚いて振り返ると、そこで三人程度の男子と女子が会話していた。
「……うん……、烏丸高辻の方……、うちの近所なんだけど……」
そのうちの一人、池田唯(いけだゆい)が椅子に座りながら答えた。彼女は長髪で、水色の長袖シャツに、黒のラインがいくつか入った灰色のスカートを履いていた。
「……なんか、最近多いよね、一昨日も仏光寺の方であったし……」
彼女の隣の席の机に腰掛けていた耳を覆っていない程度のショートヘアーで上は白のTシャツに茶色のベスト、下は紺のジーンズを履いていた男子、長田司(ながたつかさ)がそれに続いた。
「うん……、……でも、私が困っているのはそれより……」
珠洲はきょとんとした顔をしながら彼女たちの話を聞いていた。唯が何かを言おうとしたときに、始業のチャイムが鳴り始めた。
「あ……」
唯たちのグループも、美濃と耐もそそくさと自分の席に戻り始めた。
*
その日の放課後、珠洲、美濃の他、司と、同じクラスメートの女子、石橋雲雀(いしばしひばり)、北山弘明(きたやまひろあき)の五人は一緒に、高辻通りを西に向かって帰途についていた。雲雀は長めのセミロングヘアーで、えび茶色のシャツに、黒のラインがいくつか入った、白のスカートを履いていた。また弘明は耳を覆っていないショートヘアーで、白いシャツの上に赤紫色のジャケットを羽織り、黒のズボンを履いていた。
「……?」
珠洲は不意に異常な気配を感じて前の方の空を見上げた。その先で、黒煙が激しく立ち上っていた。子どもたちが驚いてその傍まで行ってみると、道路沿いの民家のうちの一つが燃えていた。また、既に十台近くの消防車が到着しており、周辺は大勢の人が集まって騒然としていた。
「……?」
美濃はその民家の屋根の上を眺めた。立ち上る炎や煙に混じって、そこに直径数十センチメートル程の、漆黒のブラックホールのようなものが飛んで来ていた。
「え……?」
珠洲もそれに気付いて、奇妙に思いながらそれを見上げた。直後にそのブラックホールは、縦状に直径数メートル程度の大きさにまで肥大化しながら、凄まじい早さで七人の子どもたちの方に向かってきた。
「――!」
それが子どもたちの目の前にまで迫ったとき、珠洲と美濃の二人は驚いて目を閉じた。
そのとき、すぐ近くでパチパチと木の焼ける音がした。不思議に思って二人が再び目を開けると、二人は火事の起こっている家の中にいた。
「ええっ?」
黒煙が二人のすぐ前まで立ち上っていた。また、床の畳や周囲の調度品などもめらめらと紅い炎を放っていた。消防隊員たちも、まだその場所には辿り着いてはいなかった。
「あれ……!?」
「珠洲ちゃんと美濃くんは……?」
雲雀、司、弘明の三人は、珠洲と美濃が突然姿を消したことに気づいて驚きあった。
一方、燃え盛る家の中にいた珠洲と美濃は慌ててハンカチで口元を押さえて、その部屋から出ようとした。
「わっ……」
何かに左足を取られて美濃はその場に倒れ込んだ。見ると、直径数センチ程の木の枝が絡み付いていた。そしてその先に、屋内であるにも関わらず木が生えており、しかもそれは動物のようにクネクネと自分の意思で枝を動かしていた。
「美濃くん……!」
珠洲は慌てて美濃の元に駆け寄った。枝の幹の方にも火が点いていて、いつそれが自分の体に移るかわからなかった。
「……取れない……」
美濃は必死で足から枝を外そうとした。
「他の人にまで、被害が及び始めましたか……」
そのとき、一陣の白い風が美濃の前を通り抜け、若い女性の声がするとともに、木の根が切られる音がした。続けて、二人の目の前に今度は直径数メートル程の薄い緑色の光の球体ができていた。そしてその球体はすぐに二人の方に向かってきた。
「……!」
二人は驚いて、逃げることもできないまま目を閉じた。
*
「珠洲ちゃん……珠洲ちゃん……!」
雲雀が珠洲の名を呼ぶ声がした。珠洲はそれに気づくと目を開けた。
珠洲が目を開けると、木をパチパチといわせて燃え盛る家が目の前にあり、隣に美濃の姿があった。
「えっ……」
「珠洲ちゃん……」
美濃も珠洲の名を呼んだ。
「え、あ、あれ、私たちって、今……」
「うん……いなくなってた……そして、急に白い光が現れて、その中から二人が出てきたんだよ……」
司が二人に説明した。
「今のはいったい……」
美濃は顔を強張らせて呟いた。
*
「ただいまー」
それと同じ頃、唯が自分の家に着いていた。玄関で靴を脱ぎ、二階の自室に向かう途中で、唯の兄、哲也(てつや)の部屋のドアが少し開いていることに気付くと、唯は部屋の中の様子が気になってそっと覗いてみた。
「あれ……?」
唯はその部屋の中に入ってみた。沢山の漫画が置かれていた本棚が殆ど空の状態になっていた。それを見た唯の表情が強張った。
*
電柱に付けられていた白色のランプがつきはじめた。珠洲たちはまだ帰る途中で、二車線の通りにつけられた歩道を無言のまま歩いていた。
「あれ……?」
今度は美濃が不意に異常な気配を感じて前の方を見た。唯がとぼとぼと歩いて五人の方に向かってきていた。
「あれ……唯ちゃん……?」
珠洲が彼女に声を掛けた。
「あ……珠洲ちゃんたち……、……!」
唯は二人の姿を見るや否や、その場で顔を手で押さえて泣き始めた。
「え……?」
珠洲たちは彼女の行動が理解できず、お互いの目を合わせ合った。
「ど、どうしたの……」
そして五人は彼女のもとに駆け寄った。
「お兄ちゃんが……お兄ちゃんと喧嘩したから……」
「え……、と、とりあえず、僕たちも唯ちゃんの家に行こう……?」
唯は泣くのを止めようとしなかった。美濃が提案し、珠洲たちもそれに頷いた。その様子を見て、唯は少し泣き止んだ様子を見せた。
*
唯の家の哲也の部屋に、哲也の他、唯と、ランドセルを手にした珠洲たち四人が集まってきた。各々は黙ったままだった。
「それで……何をしにきたの、また?」
唯より少し年上の、中学生だった哲也は冷たく言い放った。
「お兄ちゃん……漫画の本、殆ど捨てちゃったのはどうして?」
唯が聞き返した。
「いらなくなったから……。いつまでも漫画を読んでる歳じゃないし」
「でも、あれは私もよく読んでるやつだよ……そりゃ、お兄ちゃんのものだったけど……」
「うるさいなあ……、僕は部活で忙しいし、いつまでも少女漫画を読んでる年齢じゃないんだよ!」
哲也は怒鳴り声を上げた。
その瞬間、哲也の体から黒い霧が噴出し、彼の周りを包み始めた。
「え……?」
「な……なんだこれは……!?」
哲也は慌てて手でそれを払おうとしたが、霧は晴れなかった。そして、その霧は哲也の胸の前に、球状にさらに濃い部分が出来た。
その直後に、唯の背後からパチパチという音がした。珠洲が振り返ると、隣の空き部屋が燃えていた。
「――!」
「ええっ!」
哲也は慌てて声を上げた。その場にいた六人全員が驚いた。
「水、水を……」
唯が、水道管のあったベランダに出ようとした。ところが、そのベランダに出る手前の家具からも突然火が噴き出した。
「わっ!」
唯は慌てて後退した。
「唯ちゃん……!」
珠洲、美濃らほかの四人は彼女の傍に行った。ところが、八人の背後の壁からも火が噴き出し始めた。
「……ええっ?」
丁度五人は炎に取り込まれる格好になった。そしてさらに、部屋の入口の上部から黒い霧が現れ始めた。
「――」
「……どうしよう……」
珠洲と美濃の額から脂汗が出始めた。
その直後に、唯の傍らに薄い緑色の光が現れ、それは次第に人の形になっていった。そして、光の中から一人の、薄い茶色の袴を穿き、白の小袖を着た、髪の長い十五、六歳くらいの少女が現れた。
「え……!?」
珠洲たちはその姿に驚いた。
「私の光筒だけじゃ消せない……水道は……。あのすみませんが私の背に乗ってくれませんか? 説明は後でします」
少女は呟いた後に唯に言った。
「え……?」
唯は戸惑いながらも彼女の背に乗りかかった。
唯の足が床から離れた瞬間、唯と、彼女を背負っていた少女の姿は薄い緑色の光に包まれ始めた。そして、完全に二人の姿がその光に包まれたとき、その光ごと二人の姿はその場から消えた。
「ええ……!?」
「消えた……?」
珠洲たちはその光景に再度驚いた。
その次の瞬間、炎の向こう側のベランダに再び薄い緑色の光が現れ、そしてその中から、少女と、彼女に背負われた唯の姿が出現した。
「え……ええ!?」
唯は彼女に背負われながら驚きの声を上げた。
「あの……、すみません、水道の水を……」
少女は唯に言った。
「え……あ、はい……!」
唯は少女に促されて、彼女の背から降りると、ベランダにあった水道の元まで行った。
そして、傍にあったホースを蛇口につけ、蛇口を捻ってホースを部屋の中に向けた。すると、部屋のあちこちから噴出していた炎は水にかかって消え始めた。
「我が炎の神能(かんのう)もあまり効かないな……なら……」
そのとき、部屋の入口の上部に出現していた黒い霧の中から若い男性の声がした。その直後にその霧は一気に濃くなっていき、そして消滅し、その中から一人の、右手に数珠を持った、萌黄色の法衣に、素襖色を地に黄金色の模様の入った袈裟を着たスポーツ刈りの、二〇代前後に見える若い男性が現れた。
「へ……」
「誰……?」
その男性が突然現れたことで哲也や美濃たちは再度驚かされた。
「我の神幹(こうかん)でどうだ……!」
その男性は数珠を持つ右手を直接胸の前に翳した。
「……危なっ!」
そのとき、小袖の少女が哲也に体当たりした。
「うわっ……!」
哲也は声を上げて倒れた。その直後に、その少女の右腕を、直径一〇センチメートル程度の薄い黄色の光の弾が、弾線を引きながら時速一〇〇から一五〇キロメートル程度の目に見える速さで掠めた。
「痛っ……」
少女は小さく悲鳴を上げた。
「えっ……」
珠洲たちは不安そうに少女を見つめた。
一方その少女は右の袖から茶褐色の短筒を取り出すと、それを胸の前に翳した。
次の瞬間その短筒から薄い緑色の光が放たれた。
「うっ……!」
その光は袈裟の男性の右肩を直撃した。すると、その男性の膝から下が薄っすらと消え始めた。
「光筒(こうづつ)か……だが……御主は天路の従者の子孫であって従者本人ではない……。その力は私には利かない!」
袈裟の男性の足元は再びはっきりと現れた。そして、彼はまた手を翳し、そこから白い光を放った。
「――!」
その光は今度は少女の右肩を掠めた。彼女は思わず手にしていた短筒を床に落とした。同時に、彼女の袖からもう一本の同じ太さの短筒が転がり落ちた。
「あ……」
美濃はそれを拾った。
「あ、あの……」
珠洲は少女の元に寄ると、その短筒を手に取り、彼女の前に差し出した。
「あ……ありがとうございます……」
少女は珠洲に礼を言い、その短筒を取ろうと右腕を上げた。
「痛っ」
彼女は痛みで右腕を再び下ろし、左手で右肩を抑えた。
そのとき、彼女の背後に袈裟の男性が迫り、右手から再度光を放った。
「危ない……!」
珠洲はとっさに少女に体当たりをした。男性が放った光は珠洲の脇を通り過ぎた。
「うわっ……!」
一方、突然、珠洲が手にしていた短筒の柄から、先ほど少女が放ったもの以上に濃い緑の光が放たれ、弾線を描いて男性の胸に直撃した。その直撃を受け、男性の姿は再び幽霊のように薄っすらと消え始めた。
「これは……。もしや、私よりもこの子たちの方が、光筒はより強い力を発揮するのですか……」
その様子を見た少女は呟いた。
「あの……」
そして、短筒を手にしていた美濃と珠洲に声を掛けた。
「え……?」
「そのピストルは、とくに狙いを定める必要はなく、目で撃ちたいと思った相手に対して霊力の波動を発して攻撃するものです。どうしてかはわからないのですが、私が使うよりも、貴方が使った方がより強い力を発揮しているようなのです。お願いしたいのですが、私の代わりに、その力を使って、彼、今、みなさんに危害を加えようとしているあの男性に攻撃していただけないでしょうか……」
少女は珠洲と美濃に頼んだ。
「く……光筒(こうづつ)は、新たに天路の従者を選ぶのか……しかしその前に、私は鬼玉を頂きたい」
姿が消えかけている袈裟の男性は胸を左手で押さえながら右手を再度胸の前に翳した。
「あ……」
「珠洲ちゃん……、やろう」
美濃が珠洲に呼びかけた。
「わかった……。あの、お姉さん、わかりました……。狙いを定めなくても、撃ちたいと思えばいいんでしょうか……」
「ええ、そうです、強く願ってください」
その少女は珠洲の質問に答えた。
「わかりました……。実は、前にも、同じような道具を使ったことがあります……、やってみます……」
珠洲と美濃は、手を翳して白い光を放とうとしている男性の前に立ちはだかった。そして、軽く目を閉じ、撃て、と願った。
すると即座に、珠洲が手にしていた短筒の柄にアルファベット『Ag』という文字が浮かび上がった。また美濃が手にしていた短筒には『Ib』という文字が浮かび上がった。そして、それは手で持っている最中であるにも関わらず、なんら手に影響を与えないままピストルから、太めのボールペンのような形状に変形し、薄い緑色の光の弾が飛び出し、時速七〇〇キロ以上の目に見えない速さで男性の方に向かった。
「え……光筒が、万年筆の形状へ……?」
少女は呟いた。
「な……」
その男性は右肩に光の直撃を受け、そこから血を流し始めた。そして、彼の姿はさらに薄い姿になった。その姿を見て、珠洲と美濃は驚いた。
「く……天路の従者よ……この程度の力では私を鎮縛することはできない」
しかし彼の姿は再びはっきりと浮かび上がってきた。彼は左手で右肩を抑えながら右手を胸の前に翳した。すると、そこから白い光が飛び出した。
「わっ……!」
その光は珠洲の顔の脇を通過した。彼女は一瞬瞳孔を縮ませた。
「珠洲ちゃん……!」
「大丈夫……?」
珠洲の傍らにいた司、唯は驚いて珠洲に声を掛けた。
「あ、うん……」
珠洲は彼らに言葉を返した。
「天路の従者よ……次は外さぬ」
一方、男性の右手に再び白い光が溜まっていた。彼は珠洲の顔をじっと睨んだ。
「あ……」
彼に睨まれた珠洲は怯え始めた。
「うわっ……!」
そのとき、司が叫び声を上げた。
「え……?」
珠洲たちは驚いて彼の方を振り向いた。司は床に倒れていた。彼の左肩が血で赤く染まっていた。
「ええ……!」
珠洲たちはその様子に驚愕した。
「これが神幹……神霊の力だ。次は私を狙った貴様の番だ」
男性は再度珠洲を睨んだ。
「……」
珠洲はその視線に怯えた。
その直後、男性の立っている地面の周囲直径一メートルほどが金色に光り始めた。
「……? うわっ……!」
そして彼の足元から突然、その光と同じ程度の大きさの皐月躑躅(さつきつつじ)が出現した。皐月躑躅に飛ばされ、男性の体は宙を舞い、そして床に落ちて横たわった。
「え……?」
珠洲たちはその様子を見て驚いた。
「危ないところでしたね、天路の巫女(てんろのみこ)と天路の従者殿」
そのとき、珠洲の背後から別の若い女性の声がした。
「……?」
珠洲たちが振り向くと、そこにいつの間にか、紅色の打袴、単の上に、表は紅梅、裏は青の袿を着用した、二〇代くらいの女性がいた。彼女は床に置かれていた珠洲のランドセルについていた上賀茂神社のお守りをチラッと見た。
「え……?」
床に横たわっていた司は彼女の方を向いて驚いた。
「私はここより近い烏丸高辻西入るに鎮座する繁昌神社の神霊です……」
その女性は珠洲たちに向けて名乗った。
「え……」
「神霊……?」
「あ……まだ何の説明も受けていないのですか……。わかりました、詳しくはですね……そちらの方、天路の巫女の子孫に聞いてください。今は……ひとまず、そちらの少年の鬼玉(おにだま)を奪おうとしている彼、長香寺の神霊を完全に鎮魂しなければなりません……、光筒を使っておられるお二人は、私に力を貸していただけないでしょうか」
「え……」
「えっと……またこれで、心の中で『撃って』って念じればいいのでしょうか……?」
珠洲と美濃は繁昌神社の神霊と名乗った女性に問うた。
「あ……、はい、そうです」
繁昌神社の神霊の代わりに、小袖の少女が答えた。
「わかりました……」
珠洲が答えた。
「く……繁昌だと……? しかし我の邪魔はさせぬ……!」
繁昌神社の神霊に、長香寺の神霊と呼ばれた袈裟の男性は憤り、再び右手に白い光を溜めていた。それを見た繁昌神社の神霊は一瞬笑みを浮かべた。珠洲は偶然その顔を見てきょとんとした表情になった。
「――」
一方、繁昌神社の神霊もすぐに手にしていた蝙蝠(かわほり)を肩まで上げた。
「繁昌……! 待ちなさい……!」
そのとき、珠洲と美濃の背後から別の若い男性の声がした。
「何……?」
繁昌神社の神霊は蝙蝠を上げたままその方を向いた。そこにいつの間にか、萌黄色の法衣に山吹色の袈裟を纏い、白い半帽子を首に巻き、両肩に掛けた若い僧侶の男性が立っていた。
「え……!?」
「誰……?」
彼の姿を見た珠洲、美濃らも驚いた。
「繁昌……!」
その男性はさっと檜扇を振り上げ、そこから薄い黄色の光の弾、神幹(こうかん)を放った。
「わっ……!」
「おっと……」
その神幹は美濃の頬を掠めた。また、繁昌神社の神霊に向かって飛翔したが、彼女はそれをさっと避けた。
「あっ……しまっ……」
一方神幹を放った僧侶の男性もその様子を見て動揺しているように窺えた。
「光筒を使っておられるお二方……、あの者もどうやら末鏡に惑わされている神霊と思われます。あの者にも鎮魂が必要です、ここは私にお任せください……」
繁昌神社の神霊は珠洲と美濃に言った。
「え……」
「あ……はい……」
二人は呆気に取られながら返事をした。繁昌神社の神霊はそれを見て一瞬ニッと笑みを浮かべた。珠洲はそれを不思議に思った。
一方繁昌神社の神霊はさっと手にしていた蝙蝠を上げた。すると突然、部屋の床から先ほどと同じ程度の大きさの皐月躑躅がボコボコと五、六個出現した。
「――」
「っあっ……!」
「っ……!」
それに飛ばされ、雲雀、唯と弘明の体は宙を舞い、そして床に叩きつけられた。
「唯……!」
「え……」
「こ、これは……?」
哲也、珠洲、美濃らはその様子を見て愕然とした。唯、雲雀と弘明の三人は意識を失った。
「ふふ……、五月末から七月にかけて漏斗(ろうと)形の花をつけ、京都で古来より今の時期の花として観賞に用いられてきた皐月躑躅の神能(かんのう)の威力は如何ですか……? 実は、私も末鏡に惑わされた神霊なのです」
繁昌神社の神霊は笑みを浮かべながら言った。
「え……」
それを聞いた珠洲たちは驚かされた。
「私の創建には次のような由来があります。私の祭神は二八のときに未婚で死去しましたが、現世への執着から、葬儀のときも遺骸を葬儀場に出すのを拒みました。人々が棺を幾度となく葬儀場へ運んでも、遺骸は烏丸高辻の今の鎮座地に戻りました。そこで人々は今の鎮座地に塚を作って祭神を祭りました。この次第は『宇治拾遺物語』に詳しく載っています。私は当初は班女神社と呼ばれていましたが、いつの頃からか『繁昌神社』に改名され現在に至っています」
繁昌神社の神霊は淡々と説明した。
「そして……、お主も末鏡に惑わされているのだな……、ならば話は早い、共にそこの少年の鬼玉を喰らい、もって時空間を破壊し現世(うつしよ)と幽世(かくりよ)を共々崩壊させようではないか」
長香寺の神霊はちらと哲也の方を向いた後、繁昌神社の神霊に嬉々としながら言った。
「ええ、それがいいですね」
繁昌神社の神霊も頷き、そして二人は共に珠洲と美濃の方を睨んだ。
「え……」
「あ……」
その表情に珠洲と美濃は怯えた。
「覚悟はいいですか……それでは……」
繁昌神社の神霊は再び蝙蝠を持つ手をさっと上げた。そこから薄い黄色の光の弾が飛び出した。
「――」
珠洲は強く目を閉じた。
「繁昌ー!」
そのとき、珠洲たちの背後にいた僧侶の男性が叫ぶとほぼ同時に、珠洲の目の前でバン!と大きな爆発音がした。
「……?」
珠洲が恐る恐る目を開けると、周囲を煙が俟っていた。
「え……?」
美濃、小袖の少女と哲也も彼の方を向いた。
「く……貴様……私の神幹を迎撃するとは何奴……」
繁昌神社の神霊は血相を変えてその男性に詰問した。
「私は……因幡薬師(いなばやくし)の神霊です……狙いを定める必要がなく、撃てという意思が要るだけなので、ロックオンはもちろんのこと、発射後ですら自動で迎撃が可能……私の神能とてそれは同じこと…r…、まぁ逆に、他のことに気を取られていると、ロックオンから間に合わないこともあるでしょうが」
その男性は因幡薬師の神霊と名乗った。
「ふ……迷信から生まれた社寺の神霊が、我々に歯向かうとは愚かしいですね」
繁昌神社の神霊が因幡薬師の神霊に向かって言った。
「迷信から生まれたというのであれば、繁昌さん、あなたも同じようなものではありませんか……」
因幡薬師の神霊は繁昌神社の神霊に反論した。
「え……迷信って……」
珠洲は繁昌神社の神霊の言葉が気になり呟いた。
「あ……天路の従者さん、実は、私の寺院の由来はなかなかファンシーなものなのです……。『因幡堂縁起』、『因幡堂縁起絵巻』などによれば、私の寺院の創建の由来は概ね次の通りです。大納言橘好古(たちばなのよしふる)の孫である少将橘行平(ゆきひら)は、長徳三年こと九九七年、因幡国司としての任を終えて京に帰ろうとしていたところ、重い病にかかった。ある夜、行平の夢に貴い僧が現れ、「因幡国の賀露津(かろのつ)の浦に貴い浮き木がある。それは仏の国、インドから衆生を救うために流れついたものである。それを引き上げてみよ」と言う。行平が賀露津の漁師に命じて、波間に光るものを引き上げてみると、それは等身の薬師如来の像であった。この薬師像を祀ったところ、行平の病は癒え、京に帰ることができた。この薬師像は天竺、インドの祇園精舎の四十九院の一つ、東北療病院の本尊であった。行平は薬師像をいずれ京に迎えると約束して因幡を後にしたが、その後因幡を訪れる機会がないうちに長い歳月が過ぎた。その後、長保五年こと一〇〇三年四月七日のこと、行平の屋敷の戸を叩く者がある。戸を開けてみると、それは因幡からはるばる虚空を飛んでやってきた薬師像であった。行平は高辻烏丸の屋敷に薬師像を祀った。これが因幡薬師平等寺の起源であるといわれています。我が堂は、六角堂や革堂などと同じ、町堂の代表的なものなのです」
「へえ……」
珠洲は因幡薬師の説明に耳を傾けた。
「あの……因幡薬師さんは、どうしてさっき僕を……?」
美濃が因幡薬師の神霊に尋ねた。
「はい……。先ほどは申し訳ありませんでした……繁昌を狙ったつもりが、手元が狂い、危うくあなたに危害を……、私は末鏡に惑わされてはおりません」
因幡薬師の神霊は美濃に詫びた。
「あ……そうでしたか……いえ、僕は大丈夫です……」
「く……仕掛けがばれてしまいましたか……しかし……」
繁昌神社の神霊は再度蝙蝠を掲げた。
「あ……! 因幡薬師さん……!」
その様子を見ていた珠洲が因幡薬師の神霊に向かって叫んだ。それを聞いた彼は慌てて背後を振り返った。繁昌神社の神霊は彼に向って神幹を放った。
「……!」
その神幹は因幡薬師の神霊の腹部を直撃し、彼は衝撃でその場に仰向けに倒れた。
「因幡薬師さん……!」
珠洲と美濃は慌てて彼の元に駆け寄った。彼の姿はうっすらと消え始めた。
「う……申し訳ありません……お役に立てず……ですが、私は幽世に帰るのみです……、私よりもご友人のお命を……」
因幡薬師の神霊は珠洲たちに言った。
「そんな……」
珠洲は因幡薬師の姿を見て呆然とした。一方美濃はきょろきょろと左右を見渡した。離れたところに司、雲雀、唯の三人が倒れており、彼もその状況に愕然とした。
「ふふ……、貴様たちにそんな余裕はあるのかな?」
そのとき、長香寺の神霊が二人に向かって言い放った。繁昌神社の神霊も蝙蝠を持つ手に力を入れた。
「あ……」
珠洲は二人のその様子に怯えた。
「仕方ありません……、ならば……!」
そのとき、小袖の少女が袖から、一枚の、薄茶色のカードくらいの大きさの鉄板を取りだした。それはすぐに薄い緑色に光り始めた。
「皆さん、その場から動かないでください……!」
少女は珠洲たちに叫んだ。
「え……?」
珠洲、美濃、哲也の三人はきょとんとした。そしてすぐに、珠洲、美濃の二人の体は、一つの、少女が持っていた鉄板と同じ薄い緑色の光に包まれ始めた。また、それぞれ離れたところで倒れていた司、雲雀、唯、弘明、因幡薬師の神霊と、少女と哲也の二人もそれぞれ同じ色の光に包まれ始めた。
「皆さんを別の場所に送ります……!」
少女は再び叫んだ。
「な……?」
その様子を見た仏光寺の神霊と繁昌神社の神霊も驚いた。すぐにその合計六つの光の球体はどんどん色が濃くなっていき、中にいた珠洲たちの姿が見えなくなり、そして次の瞬間その光と、その中にいたはずの珠洲たちの姿がその場から消えた。
同時に、床に置かれていた珠洲と美濃のランドセルにそれぞれついていたお守りも、薄い緑色の光を発しながら徐々に消えた。
「今のは……天路の巫女の業か」
長香寺の神霊が憤りながら言った。
「いずこに……いや、お待ちください」
繁昌神社の神霊は思案した。
「どうしたのだ、繁昌」
「連中も慌てていて、行き先を決めていなかったように見受けられます。とすれば……」
「……?」
「先ほどの守護……連中の居場所ですが、見当がつくかもやしれませぬ」
そう言うと繁昌神社の神霊はほくそ笑んだ。
*
黄昏時に、数百メートル四方はあるかと思われる広大な芝生の一角に、突然、直径三から五メートル程度の巨大な薄い緑色の光が出現した。
その光は次第に透明になっていき、そしてその中から、鉄板を胸の自身の胸の前にかざした小袖の少女を中心に、珠洲、美濃、哲也と、横たわっていた司、雲雀、唯、弘明、因幡薬師の神霊の五人の計九人の姿が現れた。
「え……」
「ここは……?」
珠洲たちはきょろきょろと周囲を見渡した。
「申し訳ありません、急いでいたので私も場所は解りかねるのです……、霊気に轢かれているので何らかの霊力との因縁も考えられるのですが……」
少女は詫びながら珠洲たちに説明した。
「あ、あの、お姉さん……」
「あ、私は新蘭(しんらん)と申します、先ほど神霊たちに言われた天路神社で巫女をしていた者です……」
「失礼しました……、もしかして、さっき燃えている家から光の球で僕たちを助けてくれたのも、新蘭さんですか……?」
美濃が新蘭と名乗った少女に尋ねた。
「あ、はい……、どうもお二人は、霊力に反応する力が大きいのか、末鏡の影響を受けやすいようで……、長香寺が鬼玉を喰らおうとしている場所に呼ばれてしまったようなので、御戻りいただきました……ですがお二人は今その神具……光筒を使う身となりました、もうあのような現場に送還されるようなことはないかと思われます、そして……」
新蘭は鉄板を美濃の前に見せた。
「この板は移板(いばん)といい、一度に大勢の人を別の場所に移動させることができます。但し使用には能源が要り、大勢の人間を移動させるとまた次に使えるまでには時間がかかります。今回も、一度に九名も移動させてしまいましたので……もう次に使えるようになるまでには……そうですね、数十分ほど時間がかかるかと……」
「あ、そうだ……、雲雀ちゃんたちが……!」
珠洲が慌てて雲雀の方に駆け寄った。
「えっと、お嬢さん……」
「え、私ですか……? 朝霧珠洲と言います……」
「あ、僕は茨木美濃です……」
珠洲と美濃は新蘭に名乗った。
「その光筒は先ほどのような攻撃の他に、人や神霊の治癒能力も備えています。柄の部分を倒れている方々に近づけて、治るよう祈ってみてください……」
「え……? あ、はい……」
「やってみます……」
珠洲と美濃はそれぞれ雲雀と司の前でしゃがむと、新蘭に言われた通りに、光筒と呼ばれたその短筒を近づけて、治るよう念じた。
するとその光筒はまた薄く光り始めた。
「え……?」
二人はそれを見て驚いた。
「続けてください……それでは私は……、あの少女と因幡薬師さんの方の治癒に向かいますね」
新蘭はそう言うと、二人から離れ、倒れ、消えかかっている因幡薬師の神霊の元に向かった。そして袖からまた一つの光筒を取りだすと、それを因幡薬師の神霊の脇の前に当てた。
「……?」
しかしその光筒は光らず、何も起こらなかった。
「な……既に鎮魂されている……いえ、姿がまだ見えているからそんなはずは……ということは、まさか……」
新蘭は青ざめながら呟いた。
そして数分が経過した。
「ん……」
やがて雲雀の瞼が動いた。
「あ……」
珠洲が小さく声を上げた。
「あ、あれ……?」
雲雀は目を開けた。そして上体を起こした。
「珠洲ちゃん……?」
雲雀はきょとんとしながら珠洲に声を掛けた。
「雲雀ちゃん……! よかった……」
珠洲は胸を撫で下ろした。
「あれ……?」
一方、司も意識を取り戻し、上体を起こした。
「え……司くん、大丈夫……? 服が真っ赤だよ……?」
美濃が驚いた。
「え……?」
司は自分の赤く染まっている服をまくりあげた。血は止まっており、それどころか皮膚が復活していた。
「なんともない……」
司も驚きながら言った。それを聞いた美濃もため息を吐いた。そこに新蘭が現れた。
「あの……病み上がりで申し訳ないのですが、お二方にはお願いがあります……」
新蘭が言った。
「意識の回復されたお二方は……残りの、あちらの少年少女と、因幡薬師さんの治癒をお願いできないでしょうか……、光筒は、あと四本残っているのですが、私が現世に長くいすぎたせいか、私にはそろそろ、一度に霊力を大量に消費する、光筒を使えるのが限界になってきたようなのです……移板の方は、使用自体にはさほど霊力は必要ありませんので、移板側に能源が貯まれば、しばらくすればまた使えるようになりそうなのですが……」
「え……そうなのですか……」
「はい……」
雲雀と司は、それぞれ弘明、唯と因幡薬師の神霊の方をちらりと見ながら頷いた。
「あの、それだったら僕が……子どもたちよりは、大人ですよ……」
哲也が言った。
「そうしたいのはやまやまなのですが、それが無理なのです……。貴方は鬼玉を発生させてしまった身……、光筒を使っても大した威力は発揮できません……」
新蘭は哲也らに詫びた。
「あの、鬼玉とは……、それから、末鏡とか、他にもいろいろ気になるのですが……」
美濃が新蘭に聞いた。
「あ……はい、先ほど、そちらの少年には、胸に黒い光が出現した覚えはないでしょうか」
「え……あ、はい、ちょっと怒鳴り声を上げて、そしたら……」
新蘭の問いかけに哲也は答えた。
「そうですか、やはり……。勿論、誰にでもかっとなることはあるので、必ずそうなると決まっているわけではないのですが……末鏡の影響で、ああいう現象が発生するのです。末鏡に惑わされた神霊たちはあれを狙っているのです。あれを奪われれば、貴方も命はないでしょう……」
「え……」
彼女の言葉を聞いた哲也は震えた。
「光筒で、鬼玉の除去もできます……。他にもご説明しなければならないことはたくさんあるのですが、ひとまず……あの、朝霧さん、茨木さん、お疲れのところ何度も申し訳ないのですが、彼の鬼玉を……」
「あ、そういうことでしたら……」
「はい……」
美濃と珠洲は哲也の元に向かった。また、新蘭は、光筒を、意識の回復した司と雲雀にそれぞれ一本ずつ渡した。
「ふふふ……見つけたぞ、鬼玉と新たな天路の従者よ……」
「……!」
そのとき、長香寺の神霊の声がして、新蘭は驚いて背後を振り返った。そこに仏光寺の神霊と繁昌神社の神霊の姿があった。
「な……どうして……」
新蘭はその姿を見てさらに驚いた。また珠洲たちも呆然とした。
「少し探しましたが……移板が行きそうなところです、だいたい察しはつきます」
繁昌神社の神霊も余裕の笑みを浮かべながら言った。
「え……」
二人の姿を見た珠洲たちも青ざめた。
「天路の従者……覚悟しなさい……!」
繁昌神社の神霊は蝙蝠を振り下ろした。すると、珠洲、美濃、哲也の付近の芝生からまた、巨大な皐月躑躅がボコボコと五、六個発生した。
「わ……」
「ちょっ……」
三人は慌ててそれを避けた。
「珠洲ちゃん……!」
「だ、大丈夫……!」
美濃の返事に珠洲は答えた。
「く……それならば神幹で……!」
繁昌神社の神霊は再度蝙蝠を振い降ろした。するとそこから神幹が一つ、美濃に向かって飛翔した。
「あ……」
隙を突かれた美濃は自分の方に向かって飛んでくる神幹を見つめた。
「美濃くん……!」
その様子を見た珠洲が叫んだ。その直後にまたバン! という音がした。そして、美濃の眼前を埃が俟った。
「……?」
美濃と繁昌神社の神霊は驚いて周囲を見渡した。すると、司の傍らで因幡薬師の神霊が上体を起こしながら右手を伸ばしていた。
「因幡薬師さん……!」
「大丈夫なのですか……?」
美濃と新蘭は因幡薬師に声を掛けた。
「あ……はい、お手数をお掛けしました……、こちらの少年に助けていただきました……」
因幡薬師の神霊は二人に答えた後、光筒を手にしていた司の方を向いた。
「ち……因幡薬師よ、余計な真似を……!」
長香寺の神霊が手を振り下ろした。すると今度は彼の方から因幡薬師の神霊の方に向かって神幹が飛翔した。
「――!」
「因幡薬師さん……!」
美濃が因幡薬師の神霊に向かって叫んだ。直後に、彼の眼前で、バン! と大きな音がして埃が俟った。
「……?」
腕を顔の前に上げてひるんでいた因幡薬師の神霊と、仏光寺の神霊はその音に驚かされた。
「間に合いましたか……」
そして、珠洲たちの背後から男性の声がした。
「え……?」
彼女らと新蘭が声のした方を向くと、そこにいつの間にか、黒の束帯を着用し、笏(しゃく)を右手に持った若い男性が立っていた。驚いている珠洲たちの様子を見てその男性は少し顔を赤らめた。
「初めまして……、私は上賀茂神社の神霊です」
「え……上賀茂さん……?」
美濃が聞き返した。
「はい……、皆さんが私の社の境内にお越しになったのは、おそらく……貴方と、そちらのお嬢さんのお守りが原因かと思われます……」
上賀茂神社の神霊と名乗った男性は答えた。
「え……」
「ここ、上賀茂さんの境内だったのですか……?」
司と雲雀もその男性に尋ねた。
「はい……ですがおそらく、今回の転移でお二人のお守りはもう効力をなくしてしまったでしょう……。黄昏時で少し見づらいですが、こちらは、一〇九三年より、宮中から場所を移して始められました五月に賀茂競馬(かもくらべうま)を執り行う場所です。徒然草にも記述のある由緒ある行事なんですよ」
「あ……左様でございましたか……」
新蘭も相槌を打った。
「これは……明神は二所宗廟伊勢、石清水に次ぐ別格第三位、官幣大社筆頭、平安京北方及び全体の守護の社の神霊であらせられましたか……」
因幡薬師の神霊は深々と彼に一礼した。
「あ、因幡薬師さん、頭をお上げください……明治の東西両都構想以後、京都は衰退の一途……、人々からは方位という空間への畏敬は薄れ、私も今ではさえない神霊の一人です……、それより今は……」
上賀茂神社の神霊は自嘲した後、表情を一変させて長香寺と繁昌神社の神霊の方を向いた。
「く……市内の明神最高位、上賀茂でしたか……、しかし我らとて市中の信仰を引きうける神霊、上賀茂……、抗いをやめて鬼玉を我らに与えなさい」
「いえ、貴方々を鎮魂いたします!」
上賀茂神社の神霊は笏を振り上げた。
「な……!」
繁昌神社の神霊もそれにすぐに反応した。上賀茂神社の神霊の笏からは神幹が放たれ、それは繁昌神社の神霊の方に向かって飛来したが、繁昌神社の神霊もほぼ同時に蝙蝠から神幹を放った。二つの神幹は激突し、大きな音を立てて発光しあった。
「く……!」
その様子を見た長香寺の神霊も右手を振り上げた。
「待ちなさい……!」
それとほぼ同時に、因幡薬師の神霊も手を上げた。長香寺の神霊は上賀茂神社の神霊に向けて神幹を放ったが、それは因幡薬師の神霊の放った神幹と衝突し、また大きな音が周囲に響いた。
「天路の従者殿……、今です……!」
上賀茂神社の神霊が珠洲たちに向かって叫んだ。
「あ……」
「はい……!」
珠洲と美濃は彼の言葉に返事をした。そして、それぞれ光筒を持つ手を前に出し、繁昌神社の神霊と、長香寺の神霊の姿を凝視した。すると、珠洲の光筒には『Ag』、美濃の光筒には『Ib』という薄い緑色の文字が浮かび上がり、直後にそれと同じ色の光が二人の神霊目掛けて飛翔した。
「な……ああ……!」
「しまっ……!」
長香寺の神霊と繁昌神社の神霊はその光に気づいたが、時は既に遅く、その光の直撃を浴びた。そして、その光ごと二人の姿は消失した。
少しの間、残された全員は沈黙に囚われた。
「終わった……?」
やがて美濃が呟いた。
「はい……」
新蘭も頷いた。
「あ、そうだ、唯ちゃんと弘くん……!」
珠洲ははっとした。美濃も驚き、そして二人で、意識を失い横たわっていた唯、弘明と、その傍らで光筒を宛てていた雲雀、司の元に行った。
「ん……んん……」
「あ……」
少しして、唯は声を漏らし、そして薄らと目を開けた。
「あれ……私……」
「唯ちゃん……」
唯は声を出した。その様子を見て珠洲は泣きそうになりながら安堵した。
「あ……珠洲ちゃん……」
唯は自分のすぐ脇にいる珠洲の表情を見た。その様子を見た雲雀と、またその傍らにいた哲也も安堵した。
「うっ……」
続いて、司に光筒を宛がわれていた弘明の意識が回復した。
「あれ、僕……」
「弘くん……!」
その様子を見た司と美濃も目に涙を浮かべながら安堵した。
「……。……あの、因幡薬師さん、上賀茂さん……末鏡に惑わされた神霊の鎮魂にご協力いただきありがとうございました……、願わくば、今後の末鏡に惑わされた神霊の鎮魂にもご協力をお願いしたいのですが……」
一方、二人の意識が回復したことを見た新蘭は少し安堵した後、二人の神霊に頼んだ。
「それは……ご協力したいのはやまやまですが、私たちにも、それぞれの管轄する地域の時空が歪まないようにする使命があるのです……」
「そうですね……なかなか積極的に協力できるかとなると、難しいかもしれないですね……」
二人の神霊は言った。
「そうですか……、いえ、無理なことを申し上げて申し訳ありません……」
新蘭は二人に謝った。
「あ、それから、えっと……」
新蘭はつかつかと哲也の前に行った。彼の胸の辺りにはまだ黒い霧がかかっていた。
「この霧が鬼玉です。末鏡に惑わされた神霊たちがこれを喰らうことで、現世も、幽世も崩壊してしまいます……あの……どなたか、光筒を……」
「え……? あ、はい……」
その傍にいた雲雀が光筒をその霧の前に宛がった。
「そうして、この霧が消えるよう、念じて頂けないでしょうか……」
「わかりました……」
雲雀はそう言うと軽く目を閉じた。すると彼女の持っていた光筒全体が薄らと緑の光を放ち始めた。同時に哲也の胸の前の黒い霧が少しずつ晴れていった。
「……にしても、この騒ぎは一体……」
司が疑問を口にした。
「あ……そうですね、えっと……詳しくは私からお話します」
新蘭は雲雀に言った。
「わかりました……、それでは私たちはこの辺で」
上賀茂神社の神霊と因幡薬師の神霊は軽く頭を下げた後に、両腕を大きく左右に伸ばした。すると突風が彼らを中心に発生し始めた。そして、その突風に包まれると同時に二人の姿はその場所から消えた。
珠洲たちは茫然とそれを眺めていた。
「……えっと……皆さん、とりあえず、私の神社があったところにいらっしゃいませんか? 移板は能源が満ち、こちらは光筒と違って使えるみたいですので」
「あ……はい……」
珠洲が返事をした。
「あの……唯……言おうと思ってたことが……」
「え……?」
突然、雲雀に鬼玉の除去を施されていた哲也が呼びかけ、唯は驚いた。
「漫画の本、捨てちゃったのは悪かった……。学校で、子ども呼ばわりされると虐められると思ったから……」
哲也は唯に詫びた。
「あ……。うん……」
唯は仕方ないなといった表情で彼を見つめた。
*
「ここが私の神社があった場所です……まあ、もう私の子孫の家かもしれないけど……」
「え……」
「ここって……」
やがて新蘭は珠洲、美濃、司、雲雀、唯、哲也の六人を下京区の宝心寺に導いた。
――ビーッ!
「あ……お客さんだ……」
家の中にチャイムが鳴り響いた。
「淡水(タンシュイ)ちゃん、ちょっと待っててね……」
居間の中の円卓にいた耐が、遊びに来て、一緒にトランプをしていた、彼女より少し長めのセミロングで、白のシャツに黄緑色のベスト、灰色のスカートを履いていた少女、謝淡水(シェイタンシュイ)に言った。
「あ、うん」
淡水は笑顔で彼女を見送った。
耐は玄関に向かった。戸を開けると、そこに珠洲が立っていた。
「あれ……珠洲ちゃんたち……?」
耐は彼女たちを見て呟いた。
日が西の山にさしかかり、周囲は次第に夕焼け色に染まっていっていた。
同じ日、黄昏時の、京都、左京(さきょう)区上高野(かみたかの)にあった崇道(すどう)神社の上空を、黒い雲が覆っていた。
「これは……、末鏡の封印が解けたのか……ならば、新京を滅する神霊として、我は末鏡の意思となろう……」
その雲の下で、中年の男性の声がした。
*
「もう……! これじゃ納期に間に合わないじゃない! 早くしてよ!」
同じ頃、上京区にあったとある小さなビルの一室で、女性の社員が声を上げた。
「マネージャー、そんなこと言われても……期限が迫って危ういのはもう仕方のないことな
んだし、みんなで協力していけばなんとかなるんじゃ……」
「それに、もし駄目だったら、最悪の場合は謝るしかないですよね」
その社員の前にいた別の女性社員と男性社員が彼女に反論した。
「そんなんじゃ駄目だよ……! 仲良くするのをやめて、もっと厳しくいかないと……! それが仕事なんだから!」
彼女は叫んだ。
「えっ……でも、みんなでお互いを思いやれば、一緒にいたいっていう気持ちも高まるから……」
女性社員が口ごもった。
「そんな正論を言う奴なんてうざいよ! いいこと、教えてあげるね、そういうことをいって上司に逆らう奴のことを、『社会』では、『コミュニケーション』能力がないっていうんだよ!」
彼女は再び叫んだ。その瞬間、彼女の胸元に濃い霧が発生したが、彼女も、周囲の社員もそれには気づかなかった。
「もう……私は帰るからね! 私がいないうちに、みんなで売り上げが上がる方法を考えといて!」
その女性社員はそう言い放つと部屋の入り口を出て、ビルの外についていた階段を下りていった。
「ふう……」
残された二人の男性社員と一人の女性社員たちはため息を吐いた。
*
「まったく……あの子たちときたら、仕事を何だと思ってるんだか……」
一方、マネージャーと呼ばれていたその女性社員は一人でブツブツ言いながら黄昏時の一条(いちじょう)通を歩いていた。道は車が一台通れる程度の狭い路地だった。
「……、え……」
そのとき彼女は、周囲に誰もいないことに気づいた。一条通は本来は商店街で、時折人とすれ違うこともあったり、BGMが流れていたりしているはずなのだが、今日に限って誰ともすれ違わず、またBGMも流れていなかった。
「そこの女よ、鬼玉を我によこせ……!」
そのとき、背後から男性の声がした。
「え……?」
彼女が振り返ると、そこに、縹色の、両脇を縫合せずに開けた闕腋袍(けってきのほう)の武官の束帯姿で、弓を持ち、背に箭(や)を背負い、平緒で衛府(えふ)の太刀を括った男性がいた。彼は弓の箭を一本背から取り出すと、それを彼女に向けた。
「――!」
それを見たその女性の顔が蒼くなった。
*
一方、下京区の耐の家にあった宝心寺の僧坊のテーブルに、珠洲、美濃、耐、司、雲雀、唯、弘明、淡水、哲也と新蘭の計八人が座っていた。耐は彼らにお茶を出していた。
「えっと……その祭具…光筒についてはちょっと説明しましたが……、まずは私のことや、あの闇のこと……ですよね……」
「あ……はい……」
新蘭の説明に、珠洲が相槌を打った。
「まず……、生前、私は享徳(きょうとく)二年、一四五三年の生まれで、天路(てんろ)
神社の巫女でした……。文明(ぶんめい)二年、十七のときに、長く続いた応仁(おうに
ん)の乱に巻き込まれて死亡しました……、その際、天路神社の跡地に、天路神社の神宮寺であった宝心寺が移転してきたので、私は尼ではなく巫女です……。天路神社では、代々、土御門(つちみかど)帝の頃に書かれた、末鏡という書物を管理してきました……。この書物は、とりわけ、しばしば人の、六道を彷徨う心、自身の価値観を謗る心に反応しやすいです。勿論、これはあくまでそういう統計があるというだけの話しで、誰だってそういうことはあるので、一体どういう基準で末鏡が人を選んでいるのか、本当のところはよくわからないのです……一応、『『解脱』のない者がその心を謗るとき』、と伝わっているのですが、私にもそれはどういう意味かよくわかりません……」
「『解脱』……?」
珠洲が聞き返した。
「はい……、ともあれ、鬼玉が発生した人には、先ほどの哲也さんのように、胸の周りに黒い靄が発生します。この靄を『鬼玉』と呼びます。この鬼玉は、私が持っている光筒の光で消滅させることができるのですが……問題は、同時にこれを、末鏡に惑わされた神霊たちも喰らおうとすることが多いことです」
「……」
新蘭の説明に、その場にいた全員が息を呑んだ。
「……あの、ちょっと気になっていたんですが、神霊というのは何なのでしょうか。神様とは違うのですか?」
美濃が新蘭に尋ねた。
「はい……神霊というのは、各神社の祭神や寺院の本尊などとは異なります。たとえば、先ほどお会いした上賀茂神社の場合、祭神は賀茂別雷命(かもわけのいかづちのみこと)ですが、彼は神霊ではありません。神霊はあくまでも『上賀茂さん』です。神霊とは、私たちの場合、祭神や本尊などではなく、神様や仏様が、土着の人々の信仰と結託して生まれた、しばしば『さん』づけで呼ばれる神社や寺院が人格化された存在のことをさします。上賀茂神社で授与される御札なども、『賀茂別雷命』ではなく、『賀茂皇大神』と書かれており、これは祭神ではなく神霊の名です。神霊と呼んでいますが、勿論寺院でも同じです。また、祭神と異なり、一柱、二柱とお呼びするのではなく、あくまでもお一人、お二人と数えます」
「へえ……」
美濃は頷いた。
「問題は……神霊によっては、この鬼玉が麻薬のようになってしまうということです。末鏡はこの神霊たちを惑わす働きを持っています。末鏡によって惑わされた神霊たちは鬼玉を喰らおうとします。鬼玉を喰らった神霊はもはや神霊とは異なる別の存在となってしまいます。すると、神々は普段、存在することによって現世(うつしよ)と幽世(かくりよ)とのバランスを支えているのですが、これが破壊されてしまい、皆さんがいる現世も崩壊してしまう危険があるのです」
「え……」
珠洲たちは顔を蒼くしながら彼女の話を聞いた。
「前回、末鏡が活動を開始したのは、これが書かれてから丁度二五〇年目に当たる、私が生まれた年でした。このとき、他の神霊と協力して、末鏡の封印を成し遂げたのは私の母でした……。ただ、封印には一つだけ解除条件がありました」
「え……?」
「それは、『伝教見真による末法対策の想定外の世の発生』と伝わっています……」
「……?」
それを聞いた子どもたちはきょとんと目を丸くした。
「え……」
「すみません、不可解な言葉で……実は、この言葉の意味なのですが、これも私にはよくわからないのです」
新蘭は再度詫びた。
「……」
新蘭は淡々と言った。それを聞いた子どもたちは沈黙した。
「とはいえ、末鏡に惑わされた神霊たちを鎮魂し、末鏡を封印することは、私の家に果せられた役目です……私が亡霊になって出てきているのも、おそらくそれが理由です……ですが……えっと、皆さん……」
「……?」
新蘭は子どもたちに呼びかけた。
「どういうことかはわからないのですが、皆さんが私のこの武器……光筒を利用すると、非常に凄まじい力が発揮されるようなのです……。一方私は、長く復活しすぎたせいか、光筒を使えるほどの霊力がもはやなくなってしまったのです……。光筒は全部で八本あります……、極めて危険であり、本当に申し訳ないのですが、皆さんのお力をお貸し戴けないでしょうか……?」
「えっ……」
突然の依頼に珠洲たちは驚いた。
「危ないよ……、それに、みんなには学校だってあるし……、もっと、警察とか、そういう所に頼んだ方が……」
下京区の宝心寺の僧坊で耐が言った。
「すみません……、ですが、移板は多少でしたら過去に遡ることもできます。末鏡が発動した後に、過去に行って、神霊を鎮魂していただければ、学業には差し支えないかと思います……」
新蘭が言った。
「そして、おそらく、政府でも、宮中の掌典などの一部の非公的機関には末鏡の発動は周知されている可能性があります……ですが、幽世の所業を現世に伝えてはならないという、幽世側のルールがあるので、可能な限り秘密にしなければいけないというのが実情です……。他に協力して戴けるカミや地霊を探すことも、引き続き行っていきます……ただ、末鏡ほど大きな霊力を持った存在というのは幽世の側にもなかなかいないのです……。先程の青年……応援に駆けつけてくださった上賀茂神社・因幡薬師の両神霊も、普段は京都の平穏を守っていて、彼らにはあれが精一杯のようなのです……。今しばらくは、皆さんのお力をお貸ししていただけないでしょうか……」
「え……」
珠洲たちは困惑した。
「……あれ……」
一方、新蘭は不意に装束の中から再び移板を取り出した。
「……すみません……今日は、もう一箇所あるみたいです……」
「えっ……」
新蘭は光るその移板を見ながら言った。
「この板……移板には、末鏡に惑わされた神霊の発生場所を知らせる機能があるのです……。そして、複数の人を別の場所に瞬間移動させる機能も。急いでいるときは場所を決めなくても移動できます。ただ……一度使うと、次に使えるようになるまで多少時間がかかってしまうのですが……。今日のこの場所にも、できれば……皆さんにはお越し戴きたいのですが……」
嘆願しながら、新蘭は移板を自分の頭の前に翳した。
「え……」
司が困惑して雲雀と唯の方を向いた。二人も同じような
表情をしていた。
「あ……わかりました、私は構わないです」
珠洲が言った。
「え……」
「珠洲ちゃん……?」
唯、雲雀と耐が珠洲の方を驚いて向いた。
「耐ちゃん、いいよね……」
珠洲は少し寂しげな表情で笑顔を作りながら言った。
「僕も……いいです」
美濃が淡々と珠洲に続けて言った。
「え……」
「美濃くん……?」
耐と司は美濃のその態度に驚かされた。
「わかった……二人が行くっていうんなら、僕も行く」
「私も行くよ」
「うん……僕も」
「私も」
続けて、唯、雲雀、弘明、淡水の四人が声を上げた。
「え……」
「雲雀ちゃんたちも……」
耐と司はさらに困惑した表情になった。
「耐ちゃんと司くんも、行こう」
雲雀が二人に言った。
「わかった……」
「でも、みんな、無理はしちゃだめだよ?」
耐と司は頷いた。
「皆さん……本当にありがとうございます、すみません……」
新蘭は頭を下げた。
「あの、僕は行けないでしょうか……」
哲也が新蘭に言った。
「そうですね……あなたは鬼玉が発体してからまもない方です……行くと再び鬼玉が発体したりして悪影響かもしれません。どうか、ゆっくり休んでいてください……」
新蘭は哲也に言った。
「わかりました……。唯、無理をしちゃだめだよ」
哲也は唯に言った。
「うん……大丈夫だよ、お兄ちゃん」
唯は笑って見せた。
「ただ……、新蘭さん、すみません、あの……」
弘明が声を出した。
「僕と淡水ちゃんは、クラス委員なので……、それで、プリントの準備とか、先生の手伝いがあって、帰るのが遅くなってしまうことがあるんですが……」
「あ……それでしたら、そちらの作業が終わってからでも大丈夫ですよ。実は……これから話ししようと思っていたのですが、移板の移動にも制約があるのです。天路の従者……光筒の使用者は、大規模な移動になってしまうと恐らく八名同時の移動は難しい可能性があります。先程のように、上賀茂神社程度までの距離でしたら問題はなかったようなのですが……、なので、念のため、二名程度は後からお越しいただくことになってしまうのではと……」
新蘭が言った。
「え……」
「後から行くって、どうするんでしょうか……」
淡水らが新蘭に聞いた。
「これを使ってください……」
そう言うと、新蘭は二枚の、カード程度の大きさの金属の板を提示した。
「これは……」
弘明はその板をまじまじと見つめた。
「これは移板の追板です。移板で移動した先を、別の者も後からこれで追跡することができます……。お二人がお忙しいときには、これで後からお越しください。ただ、今日は……」
新蘭はあらためて全員を見渡した。
「あ……そうですね……」
「うん……全員大丈夫だね……」
美濃と珠洲が言った。
「それでは……仕方ありません、後から来られる二名は……、クジなどで決めるしかありません……」
新蘭が言った。
「そうですね……、公平にね……」
「まぁ……先でも後でもいいんだけどね、私は、やる気だから」
「うん……、僕も……」
唯、雲雀、弘明が続けて言った。
「じゃあ……割り箸持ってくるね……二本だけ、赤いマジックで塗っておくね」
耐が言った。
「すみません……お願いします……」
新蘭が礼を言った。
*
「それじゃ……みんな、せーので引こう……」
「うん……」
耐の呼びかけに珠洲ら七人が頷いた。新蘭が八本の割り箸を握っていた。その先を八人の子どもたちがそれぞれ一本ずつ握っていた。
「せーの……っ!」
そして耐が叫んだ。八人の子どもたちはそれぞれいっせいに新蘭の手から割り箸を引きぬいた。
「え……」
「これは……」
そして、その結果に全員が目を丸くした。先が赤く染まった割り箸を引いたのはちょうどクラス委員の弘明と淡水だった。
「もしかして……、最初から、私たちが選ばれる運命だったのかな……?」
淡水は疑問を口にした。
「わかりません……これが天路の意思によるものなのかどうかは、もう少し様子を見ないと……。ひとまず、お二人には追板をお渡し致します……、移板が作動して、少し……十分程度は時間がかかるかもしれませんが、使用できるようになると思います。使えるようになりましたら……」
「あ……はい……」
「すぐに行きます……、みんな、待っててね」
弘明と淡水は新蘭と他の子どもたちに言った。
「うん……ありがとう」
「私たちも、頑張るよ」
珠洲と雲雀が二人に言った。
「それでは……六名の皆さん、私の周囲に来てください……」
新蘭は言った。珠洲たち六人は彼女に言われた通り新蘭の近くに寄った。すると、新蘭は移板を持った右手を高く翳した。
同時に、新蘭を中心に子どもたちの周囲を突風が駆け抜けた。そして、その風と共に、薄い緑色の光が彼らを包み始めた。そして、その光が完全に六人の子どもたちを包んだとき、その光と子どもたちはその場から消えた。
「いっちゃった……」
「私たちも……、これが光ったら、すぐに行こう」
「うん」
弘明と淡水も言い合った。
*
「なっ……あの人はいったい……? なんで私を襲うの……!」
一方、上京区の一条天神(いちじょうてんじん)を西方向に先ほどの女性が走っていた。その後ろから同じく先ほどの武官束帯の男性が後をつけてきていた。
「なんで……誰もいないの……わっ!」
その女性のすぐ脇を、男性の放った箭が通り過ぎた。
「ひぃ……」
彼女は慌ててその傍にあった大将軍八(たいしょうぐんはち)神社の鳥居を潜り、境内に入った。
「あ……ああ……!」
そして周囲を見渡してうろたえた。その神社は本殿のあるところで行き止まりとなっていた。
「逃げても無駄だ……お主自身、気づいているのではないか。普通の正論に見せかけた偽りの正論を利用して逃げているとなれば」
そのとき、彼女の背後の空中に、薄い緑色の球状の光が出現し、それは次第に消え、そしてその中から額に移板を翳した新蘭の姿が現れた。
合わせて、珠洲、美濃ら六人の子どもたちも彼女の後ろに現れた。
「え……」
「誰……?」
女性はその姿に驚いた。
「道路に他に誰もいない……これは……虚空が使われていますね」
新蘭が呟いた。
「虚空……?」
唯が不思議そうな表情で新蘭の顔を伺い見た。
「あ……虚空とは神霊たちが使う技の一つです。場所は同じなのですが、生物の存在が除去されている偽りの空間という意味です。神霊たちは鬼玉を持った者を追い詰めるためにしばしば虚空を展開することがあるのですが……今回もそのようです……」
新蘭は目の前で困惑している女性を見ながら言った。
「今回鬼玉を発生させてしまった人物は……あの女性のようですね。申し訳ありませんが、どなたか、この光筆を使って、彼女の鬼玉の除去を行ってもらえないでしょうか。二人もいれば大丈夫だと思います……」
新蘭は子どもたちに頼んだ。
「わかりました……それじゃ、除去には私が行きます……」
珠洲が淡々と言った。
「え……」
「珠洲ちゃん……?」
美濃、耐、司らが珠洲の方を向いた。
「でも……ごめん、もう一人、ついてきてほしいんだ、新蘭さんの言った通り……」
珠洲は続けて言った。
「わかった……それじゃ、僕も鬼玉の除去に向かうよ」
美濃が言った。
「美濃くん、ありがと……」
珠洲は美濃に礼を言った。
「二人とも……危なくない……?」
「うん……」
耐と司が不安そうに二人に聞いた。
「大丈夫……」
珠洲は耐たちに笑ってみせた。
「あの、皆さん……」
新蘭が子どもたちに呼びかけた。
「え……」
「あらためて、光筒の機能についてご説明いたします……。たとえ万年筆がどこを向いていようが、目で狙ったところのものには、念じればどこでも光弾が届くことはご説明しました……極端に言えば、手にしていなくても肌に接触させているか、あるいは少し離してポケットに入れているだけでも、光弾を狙ったものに対して撃つことができます……。銃の形を手にしてそれで狙いを定めるのは、あくまで光弾を発生させる意思をより明確にするため、程度のことだとお考えください……。そして、そのほかにも、光筒には機能があります」
新蘭は言った。
「え……?」
「それは、目で見た先に瞬間的に移動する機能です。人の視力はおよそ六〇〇メートル先のものまでなら見ることができると言われています。ですが、実際には、到達地点の安全を確認するので、およそ一〇〇メートル程度が限界かと思われます。光筒はもともと、時空間で人の能力を意思の限界まで高めるために作られた祭具です。どうかこの機能も有効に使ってみてください」
新蘭は珠洲と美濃に説明した。
「あ、わかりました……ありがとうございます」
珠洲と美濃は新蘭に礼を言った。
「それでももしまた皆さんに危険が生じたときには……私がまた移板を使います。光筒はどうも無理なようですが……こちらは能源さえ満ちればまた使えるようになりそうですので……、これで、私が念じた皆さんを、一度に、遠方まで移動させることができます」
「あ……わかりました……」
美濃が返事をした。そして、二人は女性の元に向かった。
「あの、あなた方は……?」
その女性は不思議そうに突然現れ、そして自分の方にやってきた珠洲と美濃の姿を見つめた。
「説明は……後でします。今はとりあえず……珠洲ちゃん……」
「あっ……うん……、えっと、あの、あなたの胸の前に出ている黒い霧を除去します、胸をこちらにもってきてください」
珠洲は女性に言った。
「え……あ、はい……」
女性は恐る恐る胸を珠洲の前に出した。珠洲はそこに光筒を充て始めた。すると、光筒から薄い緑色の光が出始めた。
「――!」
「えっ……」
そのとき、一本の箭が珠洲の目の前を横切った。珠洲は慌て驚き、光筒を女性から離した。美濃も驚いてその箭が飛んできた方を向いた。そこに、先ほど女性を追いかけていた武官束帯の男性がいた。
「え……」
「神霊……?」
「鬼玉を狙っているのはあなたですか……? 現世のバランスの問題に繋がります……、現世の人畜を襲うのはやめてください」
新蘭がその男性に言った。
「知らぬ……私はただ鬼玉を求めるのみ……あの神霊の擁護もあるしな」
その男性は言った。
「え……あの神霊とは……?」
新蘭は聞き返した。
そのとき、男性のさらに背後に黒い風が吹いた。
「それは私のことかな……?」
そして、その風の中から、また別の中年の男性の声がした。
「な……これは末鏡の生み出す霧……。しかし何故声が……末鏡が意思を持ったというのですか……?」
新蘭は驚きの声をあげた。
「そうではない……私は、上高野、崇道(すどう)神社の神霊だ」
黒い風の方からした声は名乗った。
「この度、末鏡の封印が解けたので、我はこれとともに行動し、その活動の顛末を見届けようと思ったのだ……、私の望みはこの新京を滅すること……すでにこの国の人心は私の望み通り乱れ名古屋のようなものが取って代わる日も近い……。心の支柱であるこの新京が滅っせられればこの国の崩壊もいとも容易であろう、そしてこの地の時空が全て破壊されること……洛央程度の範囲であれば、我の意思は末鏡と一体化できるであろう」
崇道の神霊と名乗った声は答えた。
「新京を滅する……?」
『新京』という言葉を聞いた珠洲は、今朝見た、真っ暗な闇の中で青白い火の玉が鳥居の道を作り、その先から直径三メートルくらいの巨大な髑髏が自分に突進してくる夢のことを思い出した。
「もしかして、あの夢の髑髏の人……?」
珠洲は訝しんだ。
「崇道さん、末鏡と一体とはなんと嘆かわしいことを……。それから……」
新蘭は武官束帯の男性の方を向いた。
「あなたはどちらの神霊でいらっしゃいますか? 武官束帯とは、あまり神階の高い神霊には見受けられませんが……」
新蘭は彼に問うた。
「神階がないのは、我がもともと神道の神霊ではないからだ……。我は大将軍(たいしょうぐん)と申す陰陽道の方位神を祀っていた、この大将軍八神社の神霊である。平安京造営の際、神道からは賀茂、松尾、祇園社などが都を守護する神として四方に置かれたが、陰陽道の神である大将軍も三年ごとに居在する方位を変えるため、都には四方の大将軍堂が設けられた。このうち西に所在する、当社が地名として大将軍ともなっているためもっとも有名である。そして……」
「……!」
大将軍の神霊と名乗った男性は弓に箭を架け、それを新蘭の足元に向けて放った。
「南朝延元五年こと一三四〇年からおよそ一〇〇年の間当社は祇園(ぎおん)社こと八坂(やさか)神社の管理下にあったことに縁があり、明治の神仏分離令以降の当社の祭神は八坂神社の祭神である素盞鳴尊(すさのをのみこと)である。神階が低いなどというのは心外だな」
そう言うと、大将軍の神霊は右手にしていた箭を背負っていた筒に戻し、そしてさっと右手を上げた。
「い……!」
そのとき、耐が小さく声を上げた。珠洲たちが振り返ってみると、彼女のわき腹を、通常の三、四倍程度、体調一メートルほどの大きさの青い杜鵑(ほととぎす)が嘴(くちばし)で刺していた。その杜鵑は続けて嘴で腹部を引っかきまわそうとした。
「耐ちゃん……!」
司が慌てて光筒をポケットから取り出し、杜鵑に向け、そして『撃て!』と念じた。すると光筒には『Nt』という文字が浮かび上がり、薄い緑色の光弾が飛び出し、杜鵑に直撃した。すると杜鵑も同じ色の光に包まれ、そして消えた。
「――」
一方耐は無言のままその場に倒れた。彼女のローブは腹部を中心に血で染まっていた。
「た……!」
司が慌てて彼女のもとに駆け寄り、光筒の柄を彼女の腹部に宛がった。
「杜鵑……夏の季語だ。次は……貴様の番だ」
そう言うと大将軍は珠洲を睨んだ。珠洲も彼の方をじっと見つめた。そしてすぐに珠洲の傍に薄い黄色の光が現れ、その中から先ほどの大きさと同じ程度の杜鵑が出現した。しかしその直後に珠洲の姿はその場から消えた。
「な……?」
「……? 後ろか……!」
大将軍の神霊は珠洲の姿を見失って一瞬狼狽した後背後を振り返った。その本殿の前で珠洲が大将軍の神霊に向かって光筒の光を発していた。その光筒には「Ag」というアルファベットが浮かび上がっていた。
「く……!」
大将軍の神霊は覚悟を決めて袍で顔を覆った。彼女の光筒が放った光弾は大将軍の神霊の胸に直撃すると爆発を起こし、彼の姿を煙で覆った。
「……」
「やった……?」
煙がしばらく俟っているのを見て雲雀が呟いた。
その直後に、煙の中から薄い黄色の光線が飛来し、雲雀の左膝に直撃した。雲雀は無言でその場で仰向けに倒れた。
「雲雀ちゃん……!」
珠洲、美濃、唯が驚いて雲雀の元に駆け寄ろうとした。
「おっと……、次の神幹はお主たちへの分だ」
煙が次第に晴れてくる中で、大将軍の神霊が右腕を胸の前に翳していた。
「――」
それを見た珠洲たちは憔悴しながら足を止めた。
「大将軍よ……、狙われているのはお主自身もであるぞ」
そのとき、鳥居の方から別の男性の声がするとともに、光線が飛翔し、大将軍の神霊の脇を通り過ぎた。
「……!」
大将軍の神霊も、珠洲たちも驚いてその光線が来た方を見ると、そこに白の法衣に、緋色で白の紋のついた袈裟を着た若い僧侶がいた。
「我は本門仏立(ほんもんぶつりゅう)宗大本山宥清(ゆうせい)寺の神霊である……、我を大本山とする宗派は日扇(にっせん)が安政四年こと一八五七年に開いた本門佛立講を基としている……。大将軍よ、我の寺院はお主の境内からは歩いて数分もかからぬ……、お主は幽世に還るがよい」
その僧侶は名乗りながら、薄い黄色に光る右手を大将軍の神霊の方に向けた。すぐにその手から神幹が放たれた。
「な……!」
大将軍の神霊は慌てて再び顔を腕で覆った。神幹は彼に直撃し、周囲を煙が俟った。
「く……」
すぐに煙はひいていった。その中にいた大将軍の神霊の姿は薄らと幽霊のように消えかかっていた。
「ふ……」
宥清寺の神霊と名乗った僧侶はチラリと珠洲の方を向いた。
「……?」
珠洲はそれを彼と目が合い、きょとんとした表情になった。一方宥清寺の神霊はすぐに顔を大将軍の神霊の方に向けた。
「次で……終わりかな?」
宥清寺の神霊は再度右手を大将軍の神霊の方に向けた。
「おのれ……」
大将軍の神霊は憤りの表情を隠さなかった。
「宥清寺……待ちなさい……!」
そのとき、宥清寺の神霊の更に背後から、若い男性の声がした。
「な……?」
宥清寺の神霊は手を上げたまま振り返った。そこにいつの間にか、緋色の衣冠束帯を着用した若い男性がいた。
「……?」
「誰……?」
美濃、唯らも彼の姿を見て訝しんだ。
彼の姿を見た珠洲、美濃らも驚いた。
「……!」
その男性は無言でさっと右手にしていた檜扇を振り上げ、そこから神幹を放った。
「え……!」
「なっ……」
その神幹は唯の頬を掠めた。また、宥清寺の神霊に向かって飛翔したが、彼はそれをさっとかわした。
「あっ……しまっ……天路に……」
一方神幹を放った衣冠の男性もその様子を見て動揺しているように見えた。
「天路の従者の皆さま……、あの者もどうやら末鏡に惑わされている神霊と思われます。あの者にも鎮魂が必要かと……、ここは私にお任せください」
宥清寺の神霊は珠洲たちに言った。
「え……」
「あ……はい……」
彼女らは呆気に取られながら返事をした。宥清寺の神霊はそれを見て一瞬ニッと笑みを浮かべた。
「……?」
珠洲はそれを奇妙に感じた。
一方宥清寺の神霊はさっと右手を上げた。すると突然境内に五、六匹程度の、角を生やした鹿が出現し、それらは唯と、倒れていた耐の方に向かって突き進んでいった。
「えっ……」
「わっ……来ないで……! 耐ちゃんが……!」
司は慌てて、耐の方に向かっていた鹿の前に立ちはだかった。
「――」
「っ……!」
そして唯と司はその鹿に跳ね飛ばされ、頭を打って地面に倒れた。
「唯ちゃん……!」
「司くん……!」
珠洲と美濃はその様子を見て驚愕した。
「これは……宥清寺殿、あなたは一体……?」
新蘭も驚いて宥清寺の神霊の方を向いた。
「七二候の二八番に、鹿の角解(お)つとあるように、新暦の六月二一から二六日にかけては雄鹿の角が根元から落ち始める季節として知られている……。少し早いが、鹿の神能は、今の季節の我の神能として丁度ふさわしいであろう……」
宥清寺の神霊はにやりと笑いながら珠洲たちに言い放った。
「まさか……あなたも末鏡に惑わされ……」
新蘭が尋ねた。
「その通りだ……そこの女の鬼玉、我らが貰い受けよう。そのために天路の従者らには……ここで幽世に行っていただく」
宥清寺の神霊は再度手を掲げた。
「あ……」
珠洲と美濃はその手を見て怯えた。
宥清寺の神霊はそれをさっと振り下ろした。二人は強く目を閉じた。
そのとき、バン! と神幹同士がぶつかる音がして、周囲を土埃が俟った。
「え……?」
珠洲と美濃は恐る恐る目を開けた。宥清寺の神霊もその光景に驚いていた。そのさらに背後で、先ほど唯に向かって神幹を放った緋色の衣冠の男性が再び檜扇を掲げていた。
「させぬ……宥清寺……」
衣冠の男性は宥清寺の神霊に向かって言った。
「く……さてはお主、まだ末鏡に惑わされておらぬ神霊であるな、何奴だ?」
「私は北野天満宮の神霊です。宥清寺、お主の境内からも歩いて数分とかからないでしょう」
その衣冠の男性は北野天満宮の神霊と名乗った。
「え……北野さんですか……?」
珠洲が彼に再度名前を聞いた。
「はい……北野天神です、天路の従者殿」
北野の神霊と名乗った男性は珠洲に微笑みながら答えた。
「北野さんって天神さんですよね……、若い方で、なんか、イメージと違うような……」
美濃が言った。
「はは……そうですね、確かに私の祭神は天神菅公です。ですがそれはあくまで祭神の名です……、神霊は全国の天神皆バラバラの個性を持っているのですよ」
北野の神霊は笑いながら答えた。
「では先ほど、池田さんを狙ったのは……」
新蘭が尋ねた。
「あ……あれは……申し訳ありませんでした。宥清寺を狙ったつもりが、天路の従者殿を……」
北野の神霊は新蘭らに詫びた。
「く……北野が出てきたか……ならば……!」
宥清寺の神霊は再びさっと右手を掲げた。するとまた数匹の鹿が出現した。
「あ……北野さん……!」
「美濃くん……!」
「え……?」
その様子を見た美濃は叫んだ。続けて珠洲が美濃に向かって叫んだ。美濃はきょとんとして自分の前を向き直した。北野の神霊と美濃に向かって鹿が突進してきていた。
「な……」
「あっ……」
北野の神霊と美濃はその鹿に跳ね飛ばされた。
「美濃くん……! 北野さん……! 待ってください、今治癒を……」
珠洲は慌てて二人の方に向かおうとした。
「おっと……待ちたまえ」
そのとき、大将軍の声がした。
「光筒を使える天路の従者は六名ほどいたが、残りはお主、少女一人だけのようだが」
大将軍は箭を弓に掛けながら珠洲を睨みつけた。
「え……あ……」
珠洲は周囲を見渡した。光筒を使用できる力を失った新蘭と、鬼玉を発生させ、同じく光筒を使うことのできない会社員の女性以外、子どもたちの全員と北野の神霊は倒れていた。珠洲を孤独と絶望が襲った。
「これで最期だ。天路の従者」
大将軍の神霊は弓に力を入れた。
「……!」
そのとき、弓の先を持つ大将軍の神霊の左手を光筒の光弾が掠めた。
「……?」
大将軍の神霊が、その光弾の来た境内の入口の方を向くと、そこに弘明と淡水がいた。
「弘くん……! 淡水ちゃん……! 委員会終わったの……?」
珠洲は涙を飛ばしながら歓喜の表情で二人を見た。
「珠洲ちゃん……大丈夫……?」
淡水がその表情に驚いて尋ねた。
「違うみたい……、みんなの治癒もしないと……!」
弘明が淡水に言った。
「うん……そうだね……、……っ?」
そのとき、淡水の動きが止まった。そして彼女はその場に倒れ込んだ。
「……!」
「淡水ちゃん……!」
彼女の様子を見た珠洲と弘明は驚かされた。
「く……増援か……! 急所は外したな……」
宥清寺の神霊が呟いた。
その声を聞いた珠洲は再び恐怖から震えた。
「え……」
弘明も宥清寺の神霊の姿を見た。彼は自身を睨み、既に右腕を掲げていた。
「弘くん……逃げて……!」
珠洲は叫んだ。しかしその声が彼に届く前に、宥清寺の神霊の神幹は彼のわき腹を触れて通過した。
「う……」
弘明は苦痛から立っていることができずその場に倒れた。
「あ……」
珠洲はその様子を見て怯んだ。
「今度こそ……お主が最後か」
一方大将軍の神霊は再び弓に箭をかけ、それを珠洲の方に向けた。
「――」
その様子を見た珠洲は硬直した。
「く……、朝霧さん、皆さん、仕方がありません……、移板を使います……!」
そのとき新蘭が叫んだ。彼女は薄い緑色に光っていた移板を胸の前に翳していた。
「え……?」
珠洲はきょとんとして彼女の方を向いた。その直後に、彼女と、彼女の他の倒れていた子どもたちと、北野の神霊と、会社員の女性の体はすぐに薄い緑色の光に包まれ、そしてその光ごとその場所から消失した。
「な……」
「これは一体……? 天路の巫女の仕業か?」
後に残された大将軍と宥清寺の神霊は驚かされた。
「心配はいらない……」
そのとき、大将軍の神霊の背後にあった黒い霧の中から祟道の神霊の声がした。
「これは……祟道の帝……、いったいどういうことでしょうか」
「天路の巫女が使ったのは移板だ。従者と鬼玉たちはいずこかに移動した
……、しかし心配はいらない」
「は……?」
祟道の神霊は可笑しそうに言った。二人の神霊はその様子に戸惑った。
「移板の使われた箇所には、霊気の跡が残るのだ……。それをつけていけば、すぐに奴らの居場所は判明する……、しょせんは一時しのぎの逃避でしかない」
「なんと……」
「そうでしたか……」
祟道の神霊の話を聞いて二人の神霊もニッと笑った。
*
夕暮れ時の、とある住宅街の中にあった神社の境内に突然薄い緑色の竜巻が巻き起こった。そして、その中から、珠洲と、倒れていた美濃、耐、司、雲雀、唯、弘明、淡水と、新蘭、北野の神霊と鬼玉の発現した女性が現れた。彼らの姿が完全に現れると同時に竜巻は消滅した。
「え……ここは……」
「神社……?」
珠洲はキョロキョロと周囲を見渡した。倒れてはいたが意識のあった美濃も呟いた。
「申し訳ありません……、今回も急いでいましたので、移板の行き先を決めている時間がありませんでしたので、どこの神社かは私にもわかりません……ですが、先ほどの神霊たちとも多少ゆかりのある神社ではないかと思われます」
新蘭が言った。
「あ……ここの本殿は四つあるんですね」
珠洲が拝殿の奥を見ながら言った。そこには小さな祠が四つ並んでいた。
「そのようですね……」
新蘭も相槌を打った。
「珠洲ちゃん……、ごめん、治癒を……」
「あ、うん、わかった……」
美濃が珠洲に言った。珠洲はそそくさと倒れていた美濃のもとに向かい、そして彼の胸元に光筒を宛がった。
「ありがとう……、治ったら、今度は僕もみんなの治癒に向かうね……」
「うん……、ありがとう……」
美濃と珠洲は互いに礼を言い合った。
「あの……私はどうしてこんな怖い目に……、それに、私の周囲に発生しているこの黒い霧は……?」
そのとき、会社員の女性が珠洲たちに向かって言った。
「実は……、今回の騒動の原因はあなたなのです。末鏡に惑わされた神霊たちが狙っているのはあなたのその霧……鬼玉です。それを奪われれば、時空にも歪みが発生しますが、勿論あなたも無事では済まされないでしょう……」
新蘭が彼女に説明した。
「そんな……どうして私にこんなものが……」
「それは……基準は明確ではないのですが、あなたは、とりわけ強烈に、自身を謗る行為をしませんでしたか?」
「え……?」
新蘭の詰問に女性は少し戸惑った。
「そんな……それじゃ、あの子たちは、私が言った暴言の代償に、あんな危険な戦いをしているっていうの……?」
そして女性は呟いた。
そのとき、珠洲や新蘭たちの背後の、境内の鳥居の付近に突然漆黒の色の竜巻が巻き起こった。その竜巻が収束すると同時に、その中から大将軍の神霊と宥清寺の神霊が出現した。そしてそのさらに背後には祟道の神霊のいる黒い霧が出現した。
「え……」
その姿を見た珠洲たちの表情が硬直した。
「天路の巫女よ……気付かなかったのか、移板には霊気の跡が残る……。その跡をつけていけば……お主たちの居場所を突き止めることなど雑作もない」
霧の中から祟道の神霊が告げた。
「そんな……」
珠洲は茫然とした。
「く……、珠洲ちゃん……、……」
珠洲に治癒をしてもらっていた美濃は起き上がろうとしたが、再び地面に背を降ろした。
「美濃くん……、無理しちゃだめだよ、ありがとう……」
珠洲は悲痛な表情になりながらも、美濃に笑顔を向けた。
「少女……、やはり従者の中で光筒が使えるのは、お主一人だけのようだな」
宥清寺の神霊はそう言うとさっと右手を上げた。すると彼の前に三匹ほどの鹿が出現した。
「あ……新蘭さん……」
珠洲は怯えながら新蘭の方を向いた。
「く……すみません……移板は……まだ能源が……」
「――」
新蘭は珠洲に詫びた。それを聞いた珠洲の瞳孔が縮小した。
「鬼玉を我によこせ……、そして幽世に行け、天路の従者……!」
宥清寺の神霊は手を降ろした。すると鹿たちは彼女に向かって突進した。
「……」
避けきれないと直感した珠洲は強く目を閉じた。
「神霊たちよ、待て……!」
そのとき、珠洲たちの背後、本殿の方から女性の声がするとともに、その方向から一筋の神幹が飛来した。その神幹は鹿たちに衝突するとその場で爆発し、煙を出した。そして鹿たちを消し去った。
「え……?」
珠洲は自分に衝撃が来ないことを不思議に思って恐る恐る目を開けた。その背後にいつの間にか、単の上に、表は紅梅、裏が古代紫の小袿を羽織った若い女性がいた。
「何奴……?」
宥清寺の神霊は彼女に名前を問うた。
「私はここ、式内名神大社、明神二十二社第五位、平野神社の神霊です。女人の姿なのは、祭神は四柱あるのですが、そのうちの一柱に、桓武天皇の生母である高野新笠(たかののにいがさ)に比定される比売神がいるからでしょう……。私の神社の境内は北野天満宮の裏手にあります」
その女性は平野神社の神霊と名乗った。
「あ……平野神社さんでしたか……」
珠洲は再度彼女の名前を確かめた。
「はい……末鏡の発動によって、惑わされた神霊たちがいるようですね……、私も天路の従者さんと北野さんとともに彼らの鎮魂に加わらせてください」
平野神社の神霊は珠洲に頭を下げた。
「平野神社さん……それは願ってもないことです、むしろ私たちからもお願いします」
新蘭は平野神社の神霊に言った。
「く……平野よ……このような小さな社で明神社第五位とは片腹痛い」
そのとき、境内の入口の方向から大将軍の神霊の声がした。
「……!」
平野神社の神霊ははっと再び顔を前に向けた。そこで、大将軍の神霊が箭を弓に掛けていた。
「平野神社さん……!」
珠洲が叫んだ。
「仰る通り私はこのような小さな社でありますが、稲荷、春日などを差し置いて明神第五位ですね……明神上七社中もっとも明神社らしくない明神社かもしれません。ですが……その力はそれなりに備えているつもりです」
平野神社の神霊は大将軍の神霊に答えた。
「しかし……我らに刃向かうのであれば、お主とて幽世に送らん」
大将軍の神霊はその箭を平野神社の神霊に向けて放った。
「……!」
しかしその箭は平野神社の神霊の脇をさっと掠めた。
「く……ならば……!」
宥清寺の神霊はさっと右手を上げた。そこから神幹が平野神社の神霊に向けて放たれた。
「なっ……!」
平野神社の神霊もそれに反応し、右手に持っていた衵扇(あこめおおぎ)をさっと上げたそこからも神幹が放たれ、二つの神幹は衝突し、音と煙を出して爆発した。
「天路の従者さん……!」
平野神社の神霊は珠洲に呼び掛けた。
「え……あ、はい……!」
珠洲はその声に答えた。その前方で、大将軍と宥清寺の神霊の二人が並んでいた。
「どうして……、どうしてなの……?」
一方、胸に鬼玉を発生させていた女性がブツブツと呟いていた。
「なっ……」
「しまっ……」
大将軍と宥清寺の神霊は珠洲の姿を見て慌てた。その先で、珠洲がじっと自分たちの姿を見つめていた。
「不思議な力を持っているんだったら、自分たちだけでも逃げればいいのに……、どうしてあの子たちは、他人である私のために、こんな危険を冒して……勝算が高いと思ってるから……? にも見えない!」
一方、女性はずっと呟いていた。
(たとえ照準を定めていなくても、撃ちたいと念じたところを撃つことができる……、それだったら……)
珠洲は光筒を前に出した。
「他人のためになることをする、なんて、みんな、人を騙して……本当は、みんな自分のことしか考えていないはずなのに……、私もずっとそうしてきた、そして大人になって、その甲斐あって今のマネージャーの地位を手に入れた……、そして部下を何でも言うことの聞く道具のように使ってきた……、自分に反抗する奴は、コミュニケーション障害という、凄く便利な言葉があるから、それを使って、みんな消してきた……、それなのに、あの子たちはどうして……」
女性の呟きを聞いた新蘭はそれを聞いて彼女以上に驚かされた。
(『自力作善』が『自己PR』に、『本願誇り』というワルぶりは『社会人』と善の意味で用いられる一方で、『悪人正機の慙愧』を『コミュ障』と呼び精神疾患扱いし、確かに声を届けにくいけど重要な『只管打座』を『オタ芸』と呼び、禅宗も真宗も継承ができなくなっている……! また日本三大随筆方丈記が敗者の遠吠えと言われ、太平記が糾弾したバサラは、上はまだしも下にも粗暴という内容はそのままに、それは称賛される対象に……、過去千年に渡って日本人が受け継いできた思想が、僅か数十年で壊滅させられている……。こんなことができる発信力を持っているのは現代奠都をおいて他にはない。でも、いくらその発信力が強大であったとしても、また、それに異を唱える、思想都市たる本朝の都がいくら微力だったとしても、前者は風習であって、思想にはなり得ない。本朝古来の数多の思想を持ってすれば、永続的に都市や国家を守るための経済政策、即ち、既に「可哀そうな一割」ではなく、若者の半数となっている世帯形成未対応世帯に、それを対応させられる力を与えられるほどの、休暇とそれに基づく経済の戦略的撤退を敷けばよいだけのこと……! なのに、スポーツカーではなく、世帯形成を勝ち負けの指標にしてしまった時点で、実は全員が負けているというのが真実であるにもかかわらず、奠都発信は、なんでもかんでもいいから勝負事がしたいという未熟な風習を基盤とし、そんな勝ち負けの指標までもを掲げ、全員にとっての負けになってしまう水準の指標ですら、勝ち負けを作りたがり、稚拙な勝者の嘲笑や、嘆く必要のないはずの敗者の嘆きを社会に生み出し、思想の首都からの警鐘を、奠都はその発信力の強大さを持って放置している……! 確かに、王院とその京域を擁する古の通常の日本人にとっては、人を信じる度合いとは無関係に、隠れ潜むそのあまりの悪質巧妙さによってもたらされる衝撃が高すぎて、広報がなければ反撃の余裕もないはず……。疑いようもなくこれは、王院によって伝教見真等と名付けられた者たちが為した末法対策の想定を上回る事態……?)
(みんなを救うために、あの神霊たちを撃ちたい……、これは、今私が本当に願っていること……!)
新蘭が驚愕している間に、珠洲はそう強く思った。その瞬間、彼女の持つ光筒から薄い緑色の光が放たれ、それは大将軍と宥清寺の神霊の上半身を貫通し、煙を発生させた。
「う……ぐ……」
「あぁぁぁぁ……!」
二人の神霊は雄叫びを上げた。そして煙が消えたとき、二人の神霊の姿は消えていた。新蘭もあらためてその光景に圧倒された。
「く……分が悪い……」
彼らの背後にいた黒い霧の中から祟道神社の神霊の声がした。
「祟道さん……いえ、末鏡さん、待ってください……!」
珠洲はその霧に向かって叫び、光筒を向けようとした。
「断る……、天路の従者よ、巫女よ、末鏡を封印せぬ限り、現世と幽世との融合がなされようとする作用は引き続きなされるであろう……、そのことをよく肝に命じておくことだ……」
祟道神社の神霊がそう言い切ると、珠洲が光筒を放つ前に、その霧は消えていった。
「あ……みんなの治癒……!」
少し呆けていた珠洲ははっと呟き、他の子どもたちの方に駆けた。
「平野さん……、少し、お伺いしたいことがあるのですが……」
一方、新蘭が平野に言った。
「なんでしょうか?」
「光筒ですが、本来の使い手である、亡霊の巫女である私でもなければ、現世の通常の大人でもない、あのようなまだ小さな、男女の子どもたちにのみ、事実上有効な力を発揮するのですが、これは何故……」
「ふむ……、それは確かに少し奇妙ですが……、これは一つの可能性ですが……」
平野神社の神霊は続けた。
「私たち神霊に関わる数多の伝承も、現代、かつてないことですが、極めて急速度で人々の間から忘却されつつあります。その継承は大切ですが、それは男女とも子どものうちから接するべきでしょうし、大人もそれに気づくべきです。また、やむを得ず自然物を武器などとして人が用いるときの危うさの事実も、隠すことなく伝えるべきでしょう。そういった背景を天路の光筒などが察して、大人ではなく、子どもの方が適切と判断したのかもしれません」
「なるほど……」
平野の推察に新蘭は相槌を打ちながら聞いた。
*
「皆さん……今日は二度も怖い思いをさせてしまい、本当に申し訳ありませんでした……」
その日の夜、会社員の女性の鬼玉を除去し、全員の治癒が終わった後で、珠洲たち八人と新蘭は再び、新蘭の子孫である耐の家、宝心寺の住居に集まっていた。新蘭は子どもたちに詫びた。
「あ、いえ……」
「僕だったら、大丈夫ですよ」
珠洲も美濃も何事もなかったかのように淡々と答えた。
「あ、あの……」
そのとき耐が俯きながら声を上げた。
「え……ほーたえ……」
「やっぱり……怖かった……?」
雲雀と唯が彼女を気遣った。
「ううん……そうじゃないんだ……、怖いのは、みんな一緒にいるから、もう大丈夫なんだけど……、あの……新蘭さん……」
「はい……」
新蘭も真剣な表情で彼女の方を向いた。
「悪い心が鬼玉を発生させるって言われたのですが、それだったら、私も、どんくさくって、いつもみんなに迷惑を掛けてばっかりで、人見知りも激しいし……、こんな私も、鬼玉を発生させてしまうのかな……?」
耐はさらに俯いていった。しかしそれを聞いた新蘭は穏やかな表情になった。
「あ、いえ……、それでしたら、大丈夫ですよ」
「え……?」
耐は少し顔を上げた。
「自分を卑下し、言葉をなるべく慎重に選ぶのは、相手を大切に思っているからなのでしょう。それも、そうしたいという意思の表れです。そのような心からは鬼玉は発生しないと思われます。むしろ問題なのは、コミュニケーションの力などと美称して、他者を威圧してばかりいる人たちの方ではないでしょうか」
新蘭は言った。
「あ……それだったら……」
今度は珠洲が俯いた。
「珠洲ちゃん……?」
耐がその様子を気に掛けた。
「私も……ついカッとなることがあって、時間がないとか、そういうのを言い訳にして、酷いことを言ってしまうこともあるかもしれないんですが……、私にも、鬼玉が発生する可能性があるってことですよね……」
「え……、いえ、おそらく大丈夫ですよ」
新蘭は珠洲にも穏やかな声を掛けた。
「え……?」
「朝霧さんはもう、自分が何を願っているのか、知っているじゃないですか。私も『解脱ある者』が何なのか、まだわかりかねますが……そんな方が、多少キレて、心にもないことを言ってしまった程度では、鬼玉は発生しないと思われますよ。そういうことをしてしまうのも、生きている証です。とはいえ、だからといってそういう行為をすることに開き直りすぎてしまったり、あるいはそもそも、自分がどの程度正常で、どの程度酷いことをしてしまっているのか、そのことの把握ができなくなってしまったら、それは危険かもしれませんが……。とはいえ、本当のところは、どういうことが原因で鬼玉が発生するのか、確たる基準は、私にもわからないのです……」
新蘭は珠洲に言った。
「そうなんですか……」
それを聞いた珠洲の表情も少し明るくなった。
2019年2月3日 発行 初版
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※ アイコンの上半分の拾い物のイラストはつばさちゃんっぽいですが、小説の珠洲ちゃんの外見イメージにも近いです。