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何も見えない真っ暗な闇が広がっていた。その中に、突然、直径十センチメートルくらいの、小さな青白い光の玉が現れた。
「え……」
その玉から十メートルほど離れたところで、それを目にした小学校中学年くらいの少年、茨木美濃(いばらきみの)の瞳が大きく開いた。彼は濃い緑色のTシャツに、紺色の短パンを履いていた。また髪は耳を覆った程度のショートヘアーだった。
「……?」
美濃は何気にその光の玉に歩み寄り、そして右手を近づけてみた。
次の瞬間、その青白い光の玉はボッと音を立て、青白い炎を発した。そして消滅したかと思うと、珠洲の左右にそれぞれ一メートルくらい離れたところに二つ出現した。続けてそれは、数十センチくらいずつ間隔を開けて、横方向にいくつも出現した。
つまり、珠洲の前方に、数十センチずつの間隔を開けて、一個当り直径十センチほどの、二列の青白い光の玉によって、幅約二、三メートルほどの道が出来上がった。
「え……?」
美濃は驚きながらそれを見つめた。
「……とならん……」
そのとき、光の玉の道の奥の方から低い、中年男性の声がした。そして次の瞬間、その光の玉の列の、対になっている二つのうち、珠洲に一番ちかいものが、高さ三メートルほどの一柱の鳥居になった。そして、その後ろの、二つの光の玉も、次々と同じ高さと幅の鳥居になっていき、鳥居の回廊が出来ていった。
「……大魔縁とならん……」
再度声が聞こえた。
「……。……?」
美濃は奇妙に思いながらもその鳥居の道を眺めた。すると、その先の奥に白い光の点があるのが見えた。
「我……、……大魔縁とならん……」
また声が聞こえた。そして、それは少しずつこちらに近づいているように見えた。
「え……」
それは直径二メートルほどの大きさの人の頭蓋骨で、時速一五〇キロほどの高速で鳥居をくぐり抜けていた。そしてすぐに美濃の方までやってきた。
「……!」
美濃は驚いたが、逃がす間もなくその髑髏は美濃に接触しようとした。
その瞬間、美濃とその骸骨の間の幅数ミリのところに、薄い弧状の、美濃と同じくらいの高さの薄い緑色の光の膜ができた。骸骨は進み続けようとしていたものの、その弧状の膜によって動きを阻止されていた。
「我願わくは、五部大乗経の大善根を三悪道に投げ打ち、日本国の大魔縁とならん……!」
その声は骸骨の巨大な口から発せられていた。彼が叫ぶと同時に、美濃を覆っていた薄緑色の光はバン!と音を立てて消滅した。同時に骸骨の方向にのみ衝撃風が発生し、骸骨は二、三メートルほど後ろに飛ばされた。
「……」
美濃は呆然とその様子を見つめた。
「……我…、大魔縁とならん……!」
「――!」
骸骨はすぐにまた声を発した。そして美濃めがけて、巨大な口を開けて突進した。
すぐに美濃の上体はその口に覆われ、彼の視界は真っ暗になった。
*
「――」
目を開けると、白い天井が視界に入ってきた。枕元に置いてあった置時計は、六月下旬のとある日の午前七時前を指していた。
「……」
京都市下京(しもぎょう)区の自宅のベッドに仰向けになりながら、美濃はぼうっとその天井を眺めた。ガラスからは朝の陽ざしが差し込んでいた。
*
市内は概ね晴れていたが、一方その頃、上京(かみぎょう)区堀川今出川(ほりかわいまでがわ)にあった白峯(しらみね)神宮の上空だけは、黒い雲に覆われていた。
*
同日昼過ぎ、京都府大山崎町のJR山崎駅前付近の細道で、五、六台のミニバイクの走っている音が聞こえた。
「なあ、次はどこに行く?」
「長岡の奴の家とかでいいだろ?」
ミニバイクのうちの半分程度は二人乗りで、全員が一〇代後半の若い男女だった。
「……うわっ!」
突然、そのうち一番前を走っていたバイクが急にハンドルを切った。そして、その前を猪くらいの大きさの動物が過ぎ去った。
「どうした?」
「今何か横切ったぞ?」
「そうか? 何も見えなかったが?」
その後ろに続いていたバイクに乗っていた男が言った。
「お、すまん、ちょっと家によってくれ。せっかくだから、チェーンを取りに行くから」
「え? ああ」
彼らは運転しながら大声で会話をしつつ駅前から遠ざかっていった。
*
同じ頃、京都市下京区の烏丸高辻から西の方に向かって、ランドセルを背負った、六名の四年の小学生が一緒に歩道を進んでいた。
一番前の二人の少女のうちの一人は朝霧珠洲(あさぎりすず)といい、もう一人は宝塚耐(ほうづかたえ)といった。珠洲は白いTシャツの上に蜜柑色のジャケットを羽織っていた。また、下は紅色のミニスカートを履いていた。そして髪は美濃のそれと殆ど変わらない黒のショートヘアーで、耳の前の髪を小さなピンで耳の後ろに束ねていた。耐はセミロングの髪で、胸元に赤のリボン、襟と裾がピンクで、両肩部が二重になっていた白いローブを着ていた。
その二人に続いて、二人の少年少女が並んで歩いていた、美濃と、もう一人は長田司(ながたつかさ)といった。司は耳を覆っていない程度のショートヘアーで上は白のTシャツに茶色のベスト、下は紺のジーンズを履いていた。珠洲は白いTシャツの上に蜜柑色のジャケットを羽織っていた。また、下は紅色のミニスカートを履いていた。そして髪は美濃のそれと殆ど変わらない黒のショートヘアーで、耳の前の髪を小さなピンで耳の後ろに束ねていた。
そして一番後ろにまた二人の少女が続いていた。二人はそれぞれ石橋雲雀(いしばしひばり)、池田唯(いけだゆい)といい、雲雀は長めのセミロングヘアーで、えび茶色のシャツに、白のスカート、唯は彼女は長髪で、水色のシャツに、灰色のスカートを履いていた。
「美濃くん……何か、今日元気なくない……?」
美濃の様子を見た珠洲が彼を気遣った。
「あ……うん……。僕も、おっきな骸骨に食べられる夢を見ちゃって……もしかしたら、珠洲ちゃんのと同じかな……」
「え……また……?」
「何か……怖いね……」
それを聞いた珠洲と耐が言った。
「うん……でも……まぁ、きっと大丈夫だよ」
美濃は少し無理をしながら笑顔を作って耐たちの方を向いた。
「あの、皆さん……」
そのとき、珠洲たちの前から、一人の、袴が薄い茶色の巫女装束を着た長髪の、一〇台後半くらいの若い女性が声を掛けた。
「あ……新蘭(しんらん)さん……」
珠洲は彼女を新蘭と呼んだ。
「今日もまた、鬼玉が発生したんですか?」
続いて美濃が新蘭に問うた。
「ええ……皆さんのお察しの通りです。そして、今度は、京都市内ではないようなのです」
「ええ……? 鬼玉の発生は、京都に限るんじゃなかったんですか……?」
司が驚いて新蘭に尋ねた。
「そのようです……どうやら京都以外だけでなく、その周辺の上方の社寺の神霊たちにも、鬼玉を喰らうチャンスができてしまったようなのです……」
新蘭は深刻そうな表情で言った。
「そんな……」
「やっぱり、美濃くんの夢は前兆だったのかな……」
唯と雲雀が言った。
「ただ、どの場所であっても移板でジャンプすることは可能です。皆さん、申し訳ないのですが、引き続きお力をお貸し願えないでしょうか……」
新蘭は子どもたちに頭を下げた。
「あ……わかりました、私なら、大丈夫ですよ」
珠洲は淡々と答えた。
「僕も……いいです」
美濃も答えた。
「二人とも……危ないよ……、いいの?」
耐は不安そうに二人に尋ねた。
「これは私たちがやるのが一番適切なことだから……私は大丈夫だよ」
珠洲が耐に笑ってみせた。
「わかった……それじゃ、二人と一緒に私も行くよ」
「私も……」
「あ、僕も……、かえって邪魔になるかもしれないけど……、でも行きたいんだ」
雲雀、唯、司が続けて言った。
「え……、もう……、みんな、仕方ないなぁ……危ないのに」
耐もため息を吐きながら笑った。
「みんな、ありがとう……、少し安心できたよ」
五人の意思を聞いて珠洲が言った。
「すみません……それでは、皆様、移板を使います。こちらに来てください」
新蘭は六人を傍に呼んだ。珠洲たちは彼女の傍に寄った。
そしてすぐに新蘭は静かに眼を閉じた。するとすぐに、新蘭を含めた七人の周囲に薄い緑色の光の竜巻が現れ、七人を包んだ。そして次の瞬間、その光は中にいた七人とともに消失した。
*
JR山崎駅から北に数百メートル離れた小道に面していたある家の台所で、一人の事の一〇代後半くらいの若い女性が食事の支度をしていた。
「ただいま」
その部屋に一人の少年が入ってきた。
「弘之……、またあの子たちと一緒にいたの?」
彼女はその少年を見るなり詰問した。
「え……いいだろ、別に。お姉ちゃんには関係ないし」
「いいわけないでしょ。バイクであんな音をたてたりして……周りにも迷惑でしょ」
「うるさいなあ……いい子するだけ無駄だろ! みんな表向きだけいいカッコして、裏で苛めとかをしてるんだよ。それが社会なんだから、そっちの方が正しいだろ!」
「え……」
弘之と呼ばれた少年の反論に、彼女は言葉を失った。
そのとき、少年の胸の周囲に濃い霧が発生した。
「じゃあ……これからまたすぐ出るから」
彼はその霧には気づかずに言い捨てると、縁側に出た。
「……?」
そして庭の方から不意に何かの気配を感じて振り返った。
「うわああ!」
「どうしたの……? えっ……」
弘之という少年の叫び声を聞いて、彼の姉は慌てて庭にやってきて、さらに驚いた。
そこに、一〇匹ほどの、一匹あたり体長二メートル程度の巨大な蟷螂(かまきり)が群れていた。
「な……」
「お、お姉ちゃん……」
弘之は地面に腰をつきながら、怯えた表情で姉の方を見た。
「弘之……、こっち……!」
彼女は弘之の腕を掴んで、慌てて縁側から玄関のほうへと逃げた。
しかし螳螂の群れは弘之がいた場所に突進して、そのまま二人の後を追って家の中に入り込んできた。
「こっち……!」
二人は慌てて家の外に出た。
「鬼玉よ、逃げるか……。応援を呼ばれると厄介だな……、虚空を展開するとしよう」
そのとき、蟷螂たちの群れの中から男性の声がした。
ところが、蟷螂の群れも二人の居場所を察知して道路に出てきた。
「……うわっ……」
「……!」
二人は住宅の続く小道を逃げ続けた。ところが、道路には白い霧がかかっており、また誰ともすれ違わなかった。
「あれ……誰もいない……?」
「どういうこと……?」
二人はその様子を見て困惑した。そしてそのまま大山崎瓦窯跡の脇を通り過ぎた。
「弘之、こっち……!」
「えっ?」
その直後に弘之の姉は彼にそう言うと、道を左折し、山崎聖天の参道に駆け込んだ。弘之もそれに続いた。しかし、螳螂の群れも二人を追って参道を登ってきた。
「逃げても無駄だ……、お主とてわかっているのではないか、偽りの正義を正義といい、また社会を社会と言い、体育系の思考で自然科学に驕り続けたことに……」
そのとき、蟷螂らの背後から男性の声が聞こえた。
「あああ……!」
二人は螳螂の群れを見て悲壮な表情になりながら必死に参道を駆け上がった。
そのとき、その螳螂の群れの背後の空中に、緑色の円と、その中にいくつかの、解読のできない記号の羅列、即ち文字のようなものが浮び上がり、そしてその中から額に移板を翳した新蘭の姿が現れた。
合わせて、珠洲、美濃、耐、司、雲雀、唯の六人の子どもたちもランドセルを背負い、座ったまま彼女の後ろに現れた。
「え……」
「誰……?」
弘之と彼の姉はその姿に驚いた。一方新蘭は周囲を見渡した。
「螳螂が……。いずこかの神霊の神能(かんのう)のようですね……。それから……あの鬼玉のついた若者たちの他に誰もいない……これは虚空が使われている可能性が高いですね」
新蘭が呟いた。
そのとき、数十匹いた巨大な螳螂のうちのおよそ三匹ほどが濃紺の光に包まれ、そしてその光は合体し、やがて縮小すると人の形になった。その光は次第に薄まっていき、そしてその中から縹(はなだ)色の衣冠を着た中年の男性が現れた。
「く……天路の巫女と従者が現れたか……厄介だな……。先に貴様たちを始末させてもらおう」
その男性は新蘭と珠洲たちに向かって言い放った。
「あの……あなたはどちらの神霊でいらっしゃいますか?」
新蘭が男性に尋ねた。
「ふ……この参道の先を見るがよい」
彼はちらりと弘之らの方を見て言った。
「……?」
珠洲や新蘭たちはその先を見た。竹林の続く参道はその先で二手に分かれており、一方は山崎聖天への参道であったが、もう一方には石製の鳥居があった。
「あれが我が社の一の鳥居……我は天王山中腹に鎮座する自玉手祭来酒解神社(たまでよりまつりきたるさかとけじんじゃ)、通称酒解(さかとけ)神社の神霊だ。元を山崎社と言い、山崎神、酒解神を祀る山崎の氏神であった式内名神である。離宮八幡の鎮座に伴いこの先にある山崎山、現在の天王山中腹に遷座した。ここにあった山崎天王社が明治になり我であると解され、酒解の名も正しく復活することとなった。また牛頭天王の神仏分離によりスサノヲを相殿に祀っている……」
「え……酒解さんですか……、現世(うつしよ)と幽世(かくりよ)のバランスの問題に繋がります……、幽世の者が現世に作用し人畜を襲うのはやめてください」
新蘭は酒解神社の神霊と名乗ったその男性に言った。
「知らぬ……私はただ鬼玉を求めるのみ……」
「あなたは末鏡に惑わされているだけなのです」
「承知の上だ」
酒解神社の神霊はそう言うと同時にさっと右手を挙げ、それを振り下ろした。すると彼の背後にいた螳螂たちのうちの十匹程度が珠洲たちに向かって突進してきた。
「……!」
「……わ……!」
珠洲と美濃は慌ててそれを避けた。
「えっ……」
「ええっ……」
司と唯もさっと飛び退いた。
「――……」
一方、そのうちの一匹は耐と衝突した。耐の体は十メートルほど宙を舞い、そして地面に叩きつけられた。
「――!」
「ほ、宝耐―!」
雲雀はその様子を見て悲痛な表情になり叫んだ。
「宝耐……!」
唯、新蘭と珠洲、美濃も飛ばされ、地面に横たわっていた耐の元に駆けてきた。
「宝耐……」
雲雀は彼女に呼び掛けたが、彼女は返事をしなかった。
「ち、治癒を……」
「うん……」
唯はしゃがむと、ポケットから光筒を取りだし、耐の顔の前に十五センチほど放して宛てた。すぐにそこから薄い緑色の光が現れ、それは耐の顔全体を包んだ。
「まずは一人か……しかし多いな」
一方、耐のもとに集っていた子どもたちと新蘭に向かって酒解神社の神霊は言い放った。
「ならば……」
そして、右手を振り上げた。
「神幹(こうかん)でどうだ……!」
彼の右手からは直径十センチほどの光の弾が三つ、弾線を引きながら時速一五〇キロほどの速さで放たれた。それは珠洲、美濃、司に向かって飛翔した。
「……!」
珠洲は、神幹と酒解神社の神霊が言ったその弾を凝視した。するとあっという間に彼女の体は薄い緑色の光に包まれ、そして、神幹が当たる直前にその光ごと姿がその場から消えた。
「え……」
一方司も神幹を見続けた。そして、その神幹は彼の右脇に直撃し、彼はその場に仰向けに倒れた。
「司くん……!」
神幹を避けた美濃は驚いて司の元に駆け寄った。地面に倒れていた司の服の右脇は血に染まっていた。
「ん……一人いない……、……!」
一方酒解神社の神霊は一瞬呆気に捉われた後、すぐに背後に気配を感じて振り返った。
すると、参道の奥、弘之と彼の姉の前にいつの間にか珠洲はおり、口を強く結んで酒解神社の神霊を凝視したまま、茶褐色の短筒を彼の方に向けていた。
「……しまった! 光筒か……! あれは弓術のない者であっても凝視さえいていれば射ぬくと……」
酒解神社の神霊はその様子を見て憔悴した。
(……撃って……!)
珠洲は心の中で強く念じた。すると、その短筒の柄に『Ag』というアルファベットの薄い緑色の文字が浮かび上がり、同時に同じ薄い緑色の光の弾が、弾線を引きながら、神幹よりもずっと速い時速七〇〇キロメートル程度の速さで酒解神社の神霊の方に向かって飛翔し、それは彼の腹部を貫通した。
「うっ……うう……」
彼はその場で膝をついた。同時に彼の体は薄らと消えかかった。
「……」
珠洲はその様子を見た後、一瞬、顔をその奥で倒れている耐や司たちの方に向けた。すると彼女の姿は再び薄い緑色の姿に包まれ、そしてその光ごとその場から消えた。
続けて、倒れている耐、その治癒をしている雲雀、唯と、それから少し離れたところで倒れていた司と、その治癒をしている美濃の中間くらいのところに突然薄い緑色の光が出現し、それはすぐに子どもの形になり、その中から珠洲の姿が現れた。彼女の姿が完全に現れると同時にその光は消えた。
「耐ちゃん……! 司くん……!」
珠洲は慌ててきょろきょろを左右に首を振り、耐と司の方をそれぞれ見た。
「珠洲ちゃん……」
「転移と、光弾を使ったの……?」
美濃と雲雀が穏やかな表情で彼女に尋ねた。
「あ、うん……」
「ありがとう……酒解さんを、幽世に戻してくれたんだね」
唯は立ち上がり、穏やかに笑いながら珠洲に礼を言った。
「え……うん……、そ、それより二人は……?」
珠洲は一瞬頬を赤らめて委縮した後、慌てて唯に尋ねた。
「うん……今私たちで治癒してるとこ……」
「もうちょっと待って……、大丈夫だよ」
雲雀と唯は笑顔で珠洲に答えた。
「……え……よかった……」
珠洲も安堵した。
「……!」
その直後に立っていた唯の瞳孔が縮小した。
「……唯ちゃん……?」
珠洲はその様子を不思議に思った。
「う……」
唯は顔を硬直させながら自分の服の腹部を見た。そこは赤く染まっていた。
「――!」
その様子を見た珠洲も表情を一変させた。
「ゆ……、……!」
美濃は唯の様子を見て驚いた直後、気配を感じて背後を振り返った。そこに、酒解神社の神霊が、再びくっきりとした姿で立ち、右手を美濃自身の方に向けていた。
「ふ……危うく幽世に戻されるところであった……。次は貴様だ」
酒解神社の神霊の右手から薄い黄色の光が発現し始めた。
「あ……」
それを見た美濃は青ざめた。
「え……」
「美濃くん……!」
美濃と酒解神社の神霊が対峙している様子を見て珠洲と唯も慌てた。
「朽ちよ、天路の従者!」
酒解神社の神霊は右手を振り下ろした。
「――!」
避けられないと悟った美濃は強く目を閉じた。
その直後に、バン! と美濃と酒解神社の神霊の概ね中間の場所で大きな音がして土埃が俟った。
「な……?」
その光景を見て酒解神社の神霊は驚いた。
「……?」
美濃も恐る恐る目を開けた。
「危ないところでしたね……」
そのとき、山崎聖天の参道の方から若い女性の声がした。
「え……?」
美濃が驚いてその声のした方を向くと、そこに白の小袖の上に、紅梅色の袿(うちき)を着用し、紅色の打袴を履いた二〇代くらいの女性がいた。
「あ、あの……」
「あなたは……?」
唯と珠洲は彼女に名を問うた。
「あ、私は石清水の摂社、高良(こうら)社の神霊です」
彼女は高良社の神霊と名乗った。
「高良社……ですか?」
「はい」
高良社の神霊は新蘭に笑顔で答えた。
「そういえば……聞いたことがあります。兼好法師の徒然草に、仁和寺の法師が、石清水八幡宮本殿と勘違いして参拝した、規模の大きな摂社があると……」
新蘭が言った。
「はい……徒然草の第五二段ですね。石清水八幡宮の摂社として、過去には私の社領も広大なものでした……今では小さな祠があるのみですが、私の神威は今でも健在です。末鏡が発動したとあれば、惑わされる神霊も有り得るものですが……それを正すのも、神霊の役目です」
高良社の神霊と名乗った女性は言った。そのとき、彼女は少し微笑んだ。
「……?」
珠洲はそれを少し不思議に思った。
「それでは……天路の従者様方、共に酒解さんを鎮縛致しましょう」
「あ……」
「はい……」
美濃と唯は彼女の呼び掛けに答えた。
「く……石清水の摂社か……我の意思を阻ませるつもりはない!」
酒解神社の神霊は右手からまた光を光らせた。
「……」
高良社の神霊もそれとほぼ同時に右手に持った蝙蝠(かわほり)から光を放たたせた。
「高良、待ちなさい……!」
そのとき、珠洲たちの背後、天王山参道の入り口の方から若い男性の声がした。
「何……?」
高良社の神霊は蝙蝠を光らせたままその声の方を向いた。そこに、紅梅色の狩衣を着た二〇代くらいに見える若い男性が立っていた。
「え……」
美濃、唯たちも彼の方を向いた。
「く……!」
その男性は何も語らずに、右手から薄い黄色の神幹を放った。
「……!」
その神幹は美濃の方に飛来した。美濃は慌ててそれを避けた。
「え……?」
「あっ……」
美濃は驚いたが、同時にその男性も慌てているように窺えた。
「ふ……天路の従者殿、あの者もいずこかの神霊です。ですが、彼も末鏡に惑わされているように見受けられます……、ここは私にお任せください……」
高良社の神霊は珠洲たちに行った。その直後に高良社の神霊は笑みを浮かべた。
「え……」
「あ……はい……」
美濃と珠洲は呆気に取られながらも高良社の神霊に返答した。高良社の神霊はすぐに蝙蝠を掲げ、そして今度は一気に振り下ろした。すると唯の上空五メートルくらいのところに、直径一メートルくらいの巨大な、粒餡を挟んだ餅が出現した。
「……!」
「え……?」
唯は慌ててそれを避けようとしたが、胴に直撃し、餅に身を取られ、そのまま倒れた。
「……っ!」
唯は餅にうずくまった体を激しく動かしたが、餅から逃れることはできなかった。
「……唯ちゃん……!」
「こ……これは一体……あなたは……?」
新蘭は戸惑いながら高良社の神霊の方を向いた。彼女は笑っていた。
「ふふふ……、実は、私も末鏡に惑わされているのです。そちらは、かつて桂の人々の間で、農作業の合間に食されていたという麦手餅の神能です」
高良社はの神霊笑いながら彼女に言った。
「え……」
それを聞いた新蘭の表情が硬直した。
「ゆ……」
珠洲と美濃は慌てて唯の元に駆け寄った。
「神能なら、光筒の治癒で消せるはず……」
「待って……、耐ちゃんたちの方がまだ終わってない……先に耐ちゃんの方を……」
唯は朦朧としながら自分の元にやってきた珠洲に告げた。
「あ……うん……」
「それに司くんと雲雀ちゃんも……」
「ふふふ……全員が治癒に回るのですか、それでは私たちに攻撃できませんね」
高良社の神霊が二人を嘲笑った。
「え……」
「あ……」
珠洲と美濃はあらためて周囲を見渡した。天王山の参道で、耐、司、雲雀の三人が倒れ、唯が麦手餅で身動きできずにいた。二人を絶望感が襲った。
「覚悟はいいですか……それでは……」
高良社の神霊は再び蝙蝠を持つ手を上げた。
「――」
珠洲は強く目を閉じた。
「高良……!」
そのとき、参道下にいた紅梅色の狩衣の男性が叫ぶとほぼ同時に、再びバン!と音がした。
「……?」
珠洲が恐る恐る目を開けると、周囲を土埃が俟っていた。
「え……」
「あの……あなたは……」
美濃や新蘭たちも彼の方を向き、そして名前を尋ねた。
「私は離宮八幡宮の神霊です。弘之くん……」
「え……」
弘之は名を呼ばれてきょとんとした・
「先ほどあなたがバイクで通り過ぎたJR京都線山崎駅前に鎮座している社の神霊です……。石清水八幡宮の元八幡で、嵯峨天皇の離宮があったことから後に今の社名に改められられています……」
「え……離宮八幡さん……、そういえば、大山崎神人の本拠地としてお名前はおうかがいしたことがあります……」
新蘭が離宮八幡の神霊と名乗ったその男性に言った。
「はい……当社は荏胡麻の発祥の地で、神人が石清水さんに内殿の灯油を調達していた関係から、関所勘過などの特権を得るようになりました……。皆さんが見ることのできる現存文書では、貞応元年こと一二二二年、美濃国司及び六波羅探題が、『八幡宮寺大山崎神人』の美濃国不破関の関料免除を認めているものが最初です。また、神人は石清水八幡宮の毎年四月に執り行われる日使神事の頭役を勤めるなどの奉仕も行いました……」
「あの……離宮八幡さんは末鏡に惑わされていないのですか……?」
美濃が離宮八幡の神霊に尋ねた。
「はい……。先ほどは申し訳ありませんでした……高良社を狙ったつもりが、手元が狂い、危うくあなたに危害を……」
離宮八幡の神霊は美濃に詫びた。
「あ……そうでしたか……」
「く……仕掛けがばれてしまいましたか……しかし……」
高良社の神霊は再度蝙蝠を掲げた。
「あ……! 離宮八幡さん……!」
その様子を見ていた珠洲が離宮八幡の神霊に向かって叫んだ。それを聞いた離宮八幡の神霊は慌てて背後を振り返った。高良社の神霊は彼に向って神幹を放った。
「……!」
その神幹は離宮八幡の神霊の腹部を直撃し、彼は衝撃でその場に仰向けに倒れた。
「離宮八幡さん……!」
珠洲と美濃が慌てて彼の元に駆け寄った。
「う……申し訳ありません……お役に立てず……ですが、私は幽世に帰るのみです……、それよりもご友人のお命を……」
離宮八幡の神霊は珠洲たちに言った。
「ふふ……、そんな余裕が貴様たちにあるというのか?」
そのとき、螳螂たちに囲まれていた酒解神社の神霊が参道の上部から二人に言い放った。
「く……仕方ありません、ならば……! 皆さん、移板を使います!」
新蘭が叫んだ。
「あ……」
「はい……」
珠洲、美濃や、麦手餅に身を取られていたが意識のあった唯は頷いた。すぐに、珠洲たち六人と、新蘭、離宮八幡の神霊と、弘之と弘之の姉の体が薄い緑色の光に包まれた。
「な……?」
その様子を見た酒解神社の神霊は訝しんだ。
その直後に計八人の体は、その光ごとその場から消えた。
「これは……?」
高良社の神霊も目を白黒させた。
「末鏡に惑わされた神霊たちよ、案ずるな……」
そのとき、二人の背後から空中に黒い霧が現れ、その中から低い男性の声がした。
「……?」
「何者か……?」
「我は京都白峯神宮の神霊……祭神は崇徳天皇だ。この度末鏡が活動を再開したので、この意思と一体化し、もって日本国の現幽の破壊を目論んだまで……」
黒い霧の中から男性は答えた。
「天路の従者が使ったのは移板だ……、一度に大勢の人数を長距離移動させることができる……、しかし多量の能源を必要とするため使える頻度は少なく、また、通った場所には霊気の跡が残る……。その霊気の跡をつけていけば、自ずとまた彼らと会うことになるであろう……」
白峯神宮の神霊は続けた。
「なるほど……」
それを聞いた二人の神霊はニヤリと笑った。
*
とある原生林の生い茂る山中の空間の一カ所に、直径三メートル程度の、突然、薄い緑色の光の球が出現した。その光は一旦濃くなったかと思うとすぐに薄れ、その中から珠洲、美濃、新蘭、弘之、弘之の姉、離宮八幡の神霊と、横たわっている耐、司、雲雀と、麦手餅に胴を取られ身動きが取れなくなっている唯の姿が現れた。そしてその光は消えた。
「え……ここは……」
「山の中……?」
珠洲たちは周囲をきょろきょろと見渡した。
「申し訳ありません……緊急でしたので、行き先は指定していませんでした……」
新蘭が詫びた。
「あ、いえ、いいですよ」
「それよりまずは……耐ちゃんたちを治癒しないと……」
「あ……そうですね……」
新蘭は頷いた。珠洲はさっと耐と雲雀、美濃は司と唯の前に行き、交互に光筒をあてがい始めた。
「……?」
やがて、うっすらと耐と司は目を開けた。
「あ……」
珠洲と美濃は安堵の表情を浮かべた。
「あれ……珠洲ちゃん……。あ、そっか……私……」
「耐ちゃん……」
「ごめん……ありがとう……」
耐は起き上がろうとした。
「え……まだ待って……」
「ううん……大丈夫……」
耐は上体を起こした。
「あ……耐ちゃん……。よかった……」
司の声を聞いて耐は振り向いた。
「あ……司くんも……」
珠洲も同じく上体を起こした司と、彼を治癒していた美濃の方を向いて安堵した。
「あの……この騒動はいったい……」
そのとき、恐る恐る弘之の姉が小さく声を出した。
「あ……、それでしたら、おそらく原因はそちらの少年にあるのではないかと……」
新蘭はなるべく穏やかな表情を作ろうとしながら彼女に答えた。
「え……?」
弘之は顔を強張らせた。
「ふふ……鬼玉と天路の従者よ……我々から逃れたつもりか」
「……!」
そのとき、背後から酒解神社の神霊の声が聞こえ、新蘭は驚いて振り返った。そこには彼と共に高良社の神霊もいた。
「もうつけてきたのですか……」
新蘭が呟いた。
「その通りだ……あの方のアドバイスもあったのでな」
「あの方とは……?」
新蘭は尋ねた。
「それは私のことかな……?」
そのとき、二人の神霊の背後にいた黒い霧から男性の声がした。
「あ、あなたは……?」
「私は京都白峯神宮の神霊……祭神は崇徳天皇だ。末鏡の意思と一体化したものだ……」
「な……祟道と同じことに……」
新蘭はそれを聞いて悔しがった。
「天路の巫女よ、鬼玉を我に喰らわせることで、現幽の境界は壊れ、もって現世の破壊が始まるのだ……」
酒解神社の神霊が告げた。
「……」
それを聞いた珠洲は慌てて耐の方を向いた。
「あ……珠洲ちゃん、私なら大丈夫だよ……。代わりに、雲雀ちゃんの治癒もしておくね……。ごめんね……、本当は私も一緒に……」
「ううん、いいの、私こそ、完治できなくてごめん……」
二人は互いに詫びた。
「美濃くん、珠洲ちゃん、僕ももう大丈夫だよ……、唯ちゃんのあれ、何とかするね……」
司が美濃と珠洲に言った。
「あ……うん……ごめん……。それじゃ代わりに、ちょっと行って来るね」
美濃が司に言った。
「うん……僕の方こそごめん……危ないけど、気をつけて……」
「わかった……大丈夫……。……珠洲ちゃん……」
「あ、うん……」
美濃と珠洲は頷きあった。そしてすぐに、珠洲はきっとした表情で酒解神社と高良社の神霊の方に体を向けた。しかしその表情はすぐに青ざめるものとなった。その先で高良社の神霊がすでにさっと右手に持つ蝙蝠を振り下げていた。
「……!」
珠洲はさっとその場から飛び退いた。そこにまた巨大な麦手餅が今度は五つほどドカドカと落下してきた。
「美濃くん……!」
「大丈夫……!」
二人は互いに、それに当たっていないことを確認し合った。
「く……ならば神幹で……!」
高良社の神霊は再度蝙蝠を振い降ろした。するとそこから神幹が一つ、美濃に向かって飛翔した。
「あ……」
隙を突かれた美濃は自分の方に向かって飛んでくる神幹を見つめた。
「美濃くん……!」
その様子を見た司が叫んだ。その直後にまたバン!という音がして、美濃の眼前を埃が俟った。
「……?」
美濃と高良社の神霊は驚いて周囲を見渡した。すると、新蘭の傍らで離宮八幡の神霊が右手を伸ばしていた。
「く……離宮八幡よ、余計な真似を……!」
酒解神社の神霊が手を振り下ろした。すると今度は彼の方から離宮八幡の神霊の方に向かって神幹が飛翔した。
「――!」
「離宮八幡さん……!」
美濃が離宮八幡の神霊に向かって叫んだ。直後に、彼の眼前で、バン!と大きな音がして埃が俟った。
「……?」
腕を顔の前に上げてひるんでいた離宮八幡の神霊と美濃、珠洲たちもその音に驚かされた。
「間に合いましたか……」
そのとき、珠洲たちの左側から男性の声がした。
「え……?」
彼女らと新蘭が声のした方を向くと、そこにいつの間にか、平緒(ひらお)で括った太刀を佩用(はいよう)し、渋みのかかった緑色の、縫腋袍の束帯を着用した二〇代くらいの若い男性が立っていた。
「あ、これは失礼しました。私はここ、石清水八幡宮の神霊です。祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと)こと第十五代応神天皇ですが、通常、神霊としての私はやわたのはちまんさんと呼ばれています」
その男性は淡々と名乗った。
「え……八幡さん……?」
珠洲はきょとんとした顔で彼を見つめた。
「はい……この山は、原生林が多いでしょう。私の社はすぐそこなのです」
「え……?」
石清水八幡の神霊と名乗った男性は顔を振り返った。その先の奥、遠方に、朱色の古い木造の建造物の一部が見えた。
「あ……本当に……」
美濃はそれを見て唖然とした。
「はい……間違いありません……、あのお方の束帯は天皇にしか着用が許されていない麹塵(きくじん)……、皇室の祖伊勢と、皇室中興の祖として二所宗廟と並び称され、明神も第二位、京都の裏鬼門を守護し、また国家の鎮護を担う石清水八幡の神霊であらせられます……」
新蘭も驚き、興奮気味に珠洲たちに説明した。
「はは……買い被りすぎですよ……、東方奠都がなされ、今の私は、ケーブルカーで登る観光の山でしかありません……。天路の従者の皆さん、京阪電車に急行電車が走っていることは御存じですね……」
「え……?」
「あ、はい……」
「実は、一九六〇年代の急行電車は、八幡町、伏見稲荷などの著名社寺の駅に停車していた一方、八幡町を出ると、大阪の京橋までは、枚方市、香里園にしか停車していなかったのですよ。ですが……現在の快速電車は、八幡市も伏見稲荷も通過する一方で、樟葉、寝屋川市、守口市などにも停車するようにもなりました……。『世は変われども、神は変わらず』と私などは申しておりますが、実のところ、人々の時空間への畏敬が薄れれば、私もまた栄枯盛衰の理の中に置かれる身となるのです……。昨今の私はケーブルカーで登る観光の山でしかありません……勿論、京都の裏鬼門の守護、並びに国家の守護として、三勅祭である放生会を始め、神の身でありながら、『生きとし生けるものの平安を願う』というその務めは果たし続けておりますが……」
「石清水殿……、実は私はあなたに申し上げなければならないことが……」
そのとき、離宮八幡の神霊が石清水八幡の神霊に向かって言った。
「離宮八幡殿……御身を助けたことでしたら気になさらずに……」
「いえ、そのことではなく……、私は、あなたに神人を日使神事に遣わす立場でありながら、元禄年間にあなたと争い、その結果、元は一つの社であったものが、あなたから分離した社となってしまったことが……申し訳なく……」
「あ……、おや、そのことでしたか……、いえ、御気になさることはありません、今のあなたも、元石清水、荏胡麻の発祥として、地元の人々から愛される神霊となっております、ですから、今さら淀川対岸の私があなたの立場について咎めるようなことは致しませんよ」
石清水八幡の神霊は穏やかに笑いながら言った。
「かたじけのうございます……」
離宮八幡の神霊は申し訳なさそうに頭を下げた。
「それより今は……末鏡が発動し、人心の荒廃によって鬼玉が発生し、それに惑わされる神霊が再び出現する事態となりました……、これは現世に関与しない、との私たちの法の例外に当たる現象です、彼らの鎮魂が必要ですね……」
石清水八幡の神霊は今度はきっとした表情で酒解神社の神霊と高良社の神霊の方を向いた。
「わが本社、八幡よ……お主も我の邪魔をするか……、構わぬ、我々にも日本国の大魔縁、讃岐院がついておられる。鬼玉を我々によこせ……!」
高良社の神霊が石清水八幡の神霊に向かって言い放った。
「いえ……あなた方を鎮魂致します……!」
石清水八幡の神霊も宣告した。そして太刀を抜いた。
「な……!」
高良社の神霊もそれにすぐに反応した。石清水八幡の神霊の太刀の先からは神幹が放たれ、それは高良社の神霊の方に向かって飛来したが、高良社の神霊もほぼ同時に蝙蝠から神幹を放った。二つの神幹は激突し、大きな音を立てて発光しあった。
「く……!」
その様子を見た酒解神社の神霊も右手を振り上げた。
「させません……!」
それとほぼ同時に、離宮八幡の神霊も手を上げた。酒解神社の神霊は石清水八幡の神霊に向けて神幹を放ったが、それは離宮八幡の神霊の放った神幹と衝突し、また大きな音が周囲に響いた。
「天路の従者殿……、今です……!」
石清水八幡の神霊が珠洲たちに向かって叫んだ。
「あ……」
「はい……!」
珠洲と美濃は彼の言葉に返事をした。そして、それぞれ光筒を持つ手を前に出し、酒解神社の神霊と、高良社の神霊の姿を凝視した。
(……撃って!)
すると、珠洲の光筒には『Ag』、美濃の光筒には『Ib』という薄い緑色の文字が浮かび上がり、直後にそれと同じ色の光が酒解神社の神霊と高良社の神霊目掛けて飛翔した。
「な……ああ……!」
「しまっ……!」
酒解神社の神霊と高良社の神霊はその光に気づいたが、時は既に遅く、その光の直撃を浴びた。そして、その光ごと二人の姿は消失した。
「く……しかし、私は諦めぬ……」
その様子を受けて白峯の呟く声が聞こえた。その直後に、二人の神霊の背後にあった黒い霧も急速に晴れていった。
少しの間、残された全員は沈黙に囚われた。
「終わった……?」
やがて美濃が呟いた。
「はい……」
新蘭も頷いた。
「あっ……雲雀ちゃんと……」
「そうだった、唯ちゃん……!」
珠洲と美濃ははっとして、数十メートルほど離れた耐と司の元に駆け寄った。
「あ……珠洲ちゃん……」
耐と司は二人を見た。耐の奥で雲雀が、司の奥で唯が横たわっていた。唯にとりついていた麦手餅は全て消えていた。
「二人とも……、私は大丈夫だよ、あのお餅のせいでちょっと力が抜けただけ……、それより、雲雀ちゃんが……」
唯が二人に言った。
「唯ちゃん……」
美濃は唯に意識があるのを見て少しほっとした。一方珠洲は不安そうに雲雀の方を見た。
「雲雀ちゃん……」
珠洲は不安そうに雲雀の顔に近付いた。
「ん……んん……」
「あ……」
少しして、雲雀は声を漏らし、そして薄らと目を開けた。
「あれ……私……」
「雲雀ちゃん……」
雲雀は声を出した。その様子を見て珠洲は泣きそうになりながら安堵した。
「あ……珠洲ちゃん……」
雲雀は自分のすぐ脇にいる珠洲の表情を見た。その様子を見た耐、司、と、横たわっていた唯も安堵した。
「……。……あの、離宮八幡さん、石清水八幡さん……末鏡に惑わされた神霊の鎮魂にご協力いただきありがとうございました……、願わくば、今後の末鏡に惑わされた神霊の鎮魂にもご協力をお願いしたいのですが……」
一方、雲雀の意識が回復したことを見た新蘭は少し安堵した後、離宮八幡の神霊と石清水八幡の神霊に頼んだ。
「それは……ご協力したいのはやまやまですが、私たちにも、それぞれの管轄する地域の時空が歪まないようにする使命があるのです……」
「そうですね……なかなか積極的に協力できるかとなると、難しいかもしれないですね……」
離宮八幡の神霊と石清水八幡の神霊は言った。
「そうですか……、いえ、大丈夫です、末鏡によって惑わされた神霊の鎮魂は、私たちだけでもなんとかしますので……」
新蘭は申し訳なさそうに言った。
「こちらこそ、ご協力ができず申し訳ありません……。では、私はこれにて……」
そう言った直後に、二人の神霊の周囲をそれぞれ風塵が舞った。すぐにそれは止んだがそこに二人の姿はなかった。
続けて、再び青が広がった空から鳥の羽ばたく音がした。
「……?」
珠洲が見上げると、そこを一羽の白鳩が飛んでいた。
「相変わらず、鳩は石清水さんが好む変化のようですね。いつの時代も……」
新蘭がそれを見て呟いた。
(世は変われども、神は変わらず……。あの石清水の鳩の白い翼は、変わりゆく時代の中で変わらないもの……)
珠洲もその青空の中の白い羽を見つめた。
「あの……、この騒動の原因が、俺にあるって……」
そのとき、弘之が震えながらか細く声を出した。
「あ、はい……、末鏡は、人の六道輪廻を彷徨い続ける心に反応しやすいです……そこそこ解脱している者であれば少々道を踏み外してもこういうことは起きないのですが……あなたは、何か思い当たることはありませんか……?」
新蘭は弘之に尋ねた。
「それだったら……、俺はさっき、お姉ちゃんと喧嘩して……、それで、みんな上っ面だけで良い顔をしているけど本当は自分のことしか考えていない、そうして自分のことだけを考えてみんな生きている、それが社会なんだって言い放ってしまって……、だから、御人良しの連中は見ているだけでうざいから、そういう奴らは自分のことを卑下するし、言葉を丁寧に選んでいるけど、コミュニケーション力という美辞麗句があるから、それがないとか言って、追い払ってやればいいんだとか思って……そしたらその瞬間に、あの黒い玉が俺の体に出てきてしまって……あれがいけなかったんだ……」
「あ……それは、鬼玉が発生しやすい状況ですね」
新蘭は淡々と言った。
「弘之……」
彼の姉が声をかけた。
「お姉ちゃん……、ごめん、俺、もうあの連中とはつるまないようにするよ……。皆さんにも、迷惑をかけてすみませんでした……」
弘之は姉と新蘭たちの方を向いて謝った。
「……」
珠洲はそれを聞いてきょとんとした。
「珠洲ちゃん……」
その様子を見た耐が珠洲を笑顔で呼んだ。
「え……、……」
耐の笑顔を見て、珠洲もすぐに笑顔になった。
「あ、あの……」
一方、弘之は新蘭の方に顔を向けた。
「……?」
「皆さんは、これからもこのような危険な目に遭うのかもしれないのですか……?」
彼は恐る恐る尋ねた。
「……、それは……。否定できないです……」
新蘭は俯きながら言った。
「そんな……」
「せめて僕たちにも何かできることはないでしょうか……」
「それは……。ええと、ないというわけでもないのですが……、あの、茨木さん……」
新蘭は美濃を呼んだ。
「えっ……」
美濃は新蘭の呼びかけに気付きはっと彼女の方に向かった。
「光筒を差し出していただけますでしょうか」
「えっ、はい……」
美濃は弘之の前で自分の光筒を掌に乗せた。
「これに手を触れて祈っていただきたいのです。もし、また、自分たちと同じような目に遭う人がいたときに、その人が無事でいられますようにと……、ただ祈るだけでいいのです」
新蘭は彼に説明した。
「わかりました……」
弘之は頷くと美濃の光筒に手を宛て、そして軽く目を閉じた。すると、すぐにその頭部が光り、数センチほど爪のように伸びた。
「……?」
美濃は目を開けその光景を見て驚いた。
「筒爪ですね……」
美濃が呟いた。
「はい……。これで、彼の光筒の威力が少し上がりました」
新蘭が弘之に説明した。
「そ、そうなのですか……、それはよかったです……。あの、他には、できることがあれば……」
弘之は再度尋ねた。
「それは……。……。……ええと、あなたの周囲で、あなたと同じような目に遭いそうな方に注意を促していただくくらいしか……」
新蘭も再び俯いた。
「そんな……」
弘之も次第に俯いていった。
「あっ、あの……」
そのとき、美濃が弘之に声をかけた。
「……?」
彼は美濃の方に顔を上げた。
「祈ってくださってありがとうございます、うれしいです……」
美濃は少し紅潮させながらも礼を述べた。
同じ頃、滋賀(しが)県大津(おおつ)市の空が突然曇り始め、黒い霧が同市園城寺(おんじょうじ)町の周辺を覆い始めた。
「これは……末鏡……? 封印が解けたというのか……喜ばしい、これを機に……」
そのとき、付近の三井寺(みいでら)境内の金堂の上空から低い男性の声がした。
それから程なくして霧は晴れていった。
*
一方、同市大津商業高校脇の裏路地の脇では、四つの、長さ五〇センチメートルほどの大きめの白いショルダーバッグが置かれていた。その傍で、四人の制服を着た男子中学生が集っていた。
「それじゃ……今日もまた、二ずつな」
「ええ……もう嫌だよ、これも、もう僕のお金じゃないんだし……」
彼らのうちの一人が俯いた。
「まあ……そういうなよ、俺たちとお前の仲だろ?」
「そうだぞ……、一緒に遊んでやってるんだ、少しくらい恵んでくれてもいいだろ」
「ううん……」
俯いた少年は言葉を濁した。
「なあ……どうなんだ?」
そのとき、別の少年が、その少年の顔の傍らにあった木の幹を右手で殴った。
「え……あ……わ、わかったよ……」
すると、恐喝されていた少年はたじろぎながら金銭を払うことに同意した。
「わかってくれればいいんだよ……、俺たちは友達だからな」
「そうだよな」
他の少年たちは笑いあった。
「えっと……本当にもう、最後にしてよ、これは僕のお小遣いじゃなくて、家のお金なんだから……」
そう言いながら恐喝されていた少年は一人につき一〇〇〇円ずつを他の少年たちに手渡した。
「それは……まあそのうち考えとくよ」
「おい……足りないぞ、二ずつだって言っただろ」
「もう……、わかったよ……」
その少年はもう一〇〇〇円ずつを他の少年たちに手渡した。
「これで俺たちは安心してもちいどゲーセンで遊べるわけだ……本当に、お前っていい奴だよな」
「ああ……そうだな、これが本当の友達だ」
「まったくだな。先公どもは偉そうなことを言うが、本当の社会はこういうもんだ。本願誇りで社会は成り立ってるんだ」
恐喝されていた少年を除いた、三人の少年たちは笑いあった。
そのとき、その三人の胸の前に黒い霧が発生した。
「な……何だ……?」
「さあ……?」
少年たちはその霧を見て驚き始めた。
「門跡寺院である我の境内付近でも鬼玉が発生したとは……よかろう、私がその鬼玉を貰い受ける」
そのとき、彼らの背後の方から男性の声がした。
「へ……?」
少年たちはその声のした方を振り返った。そこに、黒の輪袈裟を着た一人の中年の男性がいた。彼はずんずんと少年たちの方に向かって歩いてきた。
「おじさん、何を言って……」
少年たちはその男性の仕草にたじろいだ。彼はそれを気にも留めずに鬼玉が出現した少年のうちの一人の腕を掴むと、胸の前に出ていた黒い霧―鬼玉―を吸った。
「い……いたっ……痛い……! やめてください……!」
その少年は苦痛を訴え、彼から逃れようともがいた。
「逃れようとしても無駄だ……、お主も気づいているのではないか。偽の正論を正論と良い真のことから逃れ続けていたことに。本願誇りは社会を成り立たせるどころか、多少の誤差こそあれ、実は社会を成り立たせなくするものであるということに……」
輪袈裟の男性はそう言うとなおも鬼玉を吸い続けた。
「痛っ、あああっ!」
「神霊さん……やめてください……!」
そのとき、珠洲の声がした。
「何……」
その僧侶が振り向くと、そこに、珠洲たち六人の子どもたちと新蘭がいた。
「な……天路の従者か……」
「あの、あなたはどちらの神霊ですか?」
新蘭が尋ねた。
「我はこの隣、円満院門跡の神霊……。九八七年、村上天皇の皇子悟円法親王により創建されたと伝わるが、一方、平安時代中期の参議・藤原資房の日記『春記』には、園城寺の明尊が一〇四〇年に後朱雀天皇の支援を受けてこの地に新しい寺を創建し「圓滿院」と命名したという消息が記されてもいる……。水子供養の寺院としられ、また、栃木県日光輪王寺と共に、全国十三の宮門跡のうち、京都市内に所在しない場所としても知られている……」
その僧侶は円満院の神霊と名乗り、淡々と出自を述べた。
「そんな……宮門跡さんが末鏡に……?」
新蘭はそれを聞いて驚かされた。
「天路の従者たちよ……お主たちには幽世に行ってもらう」
そう言うと円満院の神霊は右手を上げ、そこから神幹を発した。
「わ……!」
神幹が飛翔してきた耐は慌ててそれを避けた。
「まだだ……!」
円満院の神霊は続けて神幹を発した。それは珠洲の方に向かって飛んでいった。しかしそれが当たる直前、珠洲の姿はその場所から消失した。
「な……どこだ……?」
円満院の神霊はそれを見て焦り、周囲を見渡した。
「上か……!」
そして上空を見上げた。そこで、光筒を使って空中に移動していた珠洲が円満院の神霊に向かってそれを向けていた。
(視界を自分の中に入れて……念じて……)
珠洲は目を閉じた。すると同時にその光筒から薄い緑色の光が発射され、円満院の神霊目がけて飛翔した。
「な……!」
円満院の神霊は避ける間もなくその光の直撃を受けた。すると彼の周囲には土埃が俟った。
「やった……?」
「わからない……」
耐、司らが囁きあった。珠洲は再び地上に出現した。
「く……危うく幽世に戻されるところであった……」
やがて、土埃の中から声がした。
「……!」
それを聞いた珠洲たちは驚かされた。
「天路の従者たちよ……我の神能を喰らうがいい……!」
そう言うと円満院の神霊は右手を上げた。そこから一気に大量の水があふれ出し、たちまち周囲は子どもたちの腰くらいまで水びたしになった。
「な……」
「え……」
そして、その水の中を数匹の鮎が泳いでいた。そのうちの一匹が耐の足を啄んだ。
「あ……い……」
耐は激痛に耐えかねて水の中に倒れた。周囲の水は耐の血で染まり始めた。
「耐ちゃん……!」
「早く……水のないところに……!」
司、弘明らが言った。そして司が耐を担ぎ、円満院の神能が届いておらず水のない地上まで運んだ。しかし耐にすでに意識はなかった。
「足が……、呼吸も……早く治癒しないと……」
司は慌てて光筒を取りだした。
「鮎は五月下旬から六月上旬にかけて解禁日を迎える……、この時期の私の神能にはちょうどいいだろう……、他の天路の従者たちにも同じ目に遭ってもらおう……」
円満院の神霊はそう言うとニヤリと笑った。珠洲たちの足元にもそれぞれ数匹の鮎が接近してきていた。
「……光筒の瞬間移動……水に触れていたら使えないんだっけ……」
「そうだよ、どうしよう……」
雲雀、唯らも焦った。
「待て、円満院……!」
そのとき、子どもたちの背後から男性の声がするとともに、一筋の神幹が彼に向かって飛翔した。
「……!」
円満院の神霊は慌ててそれを避けると、その神幹が飛んできた方を向いた。そこに、緑の袈裟と法衣を着用した一人の若い僧侶がいた。
「え……誰……」
その姿を見た珠洲たちも驚いた。
「申し遅れました……、私はここより北約五キロのところにある天台真盛(てんだいしんせい)宗総本山、西教寺(さいきょうじ)の神霊です……、由緒ははっきりしませんが、室町時代に入り、真盛が入寺してから発展したものです……」
その男性は西教寺の神霊と名乗った。
「西教寺さんでしたか……」
新蘭は呼応した。
「はい……、末鏡の暴走が洛中からも離れた今、我ら神霊の出番かと存じまして……、円満院の神霊は、私が幽世に送り返しましょう」
「……ありがとうございます……」
新蘭は西教寺の神霊に礼を言った。西教寺の神霊はそれを見てやや俯き、そしてニッと笑った。その様子を見ていた珠洲は不思議に思った。
「では……ここは私の神幹で……」
西教寺の神霊はそう言うと右手を上げた。
「待ちなさい、西教寺……!」
そのとき、彼のさらに背後からまた別の男性の声がするとともに、一筋の神幹が美濃の脇を通過した。
「あ、しまっ……」
続けて、焦る声がした。珠洲たちがその神幹が飛来してきた方を向くと、そこに藍色の束帯を纏った若い男性がいた。
「ほほう……、天路の従者に向けて神幹を放つとは……、天路の従者殿、あの者も末鏡に惑わされているに違いありません、円満院の神霊を幽世に送った後で鎮魂しましょう」
西教寺の神霊はそう言うと、再び右手を上げた。すると、円満院の神霊同様、その手からは大量の水が噴き出した。
「な……」
「ええっ……!」
それを見た新蘭、珠洲たちは再び驚かされた。子どもたちは再び腰まで水に浸かった。
そこに、数匹の山女が泳いできた。
「……ああっ!」
「ひっ……!」
美濃と雲雀の二人はその山女に足を啄まれ、水中にこけた。
「美濃くん……!」
「雲雀ちゃん……!」
司と唯が慌てて二人を担ぎ、水のないところまでいった。二人は窒息して気を失っていた。
「すぐに治癒しないと……!」
二人は慌てて光筒を二人の足に宛がい始めた。
「西教寺さん……、これは一体……?」
新蘭が驚いて詰問した。
「ふ……知れたこと……、実は我も、末鏡に惑わされた神霊だからです」
西教寺の神霊は笑みを浮かべながら言い放った。
「さて……残りの天路の従者は……私の神幹で幽世に送りましょうか」
西教寺の神霊はそう言うと右手を上げた。
「――」
それを見た珠洲たちの瞳が縮小した。
「西教寺……待て……!」
そのとき、藍色の束帯の男性が神幹を西教寺の神霊に向かって放った。
「ん……?」
西教寺の神霊は慌ててそれをかわした。
「お主は一体……」
そしてその男性の名を尋ねた。
「私はここより北に二里ほどのところにある日吉大社の神霊です……。日枝、山王などとも呼ばれ、延暦寺とともに鬼門守護を担っています。閑散としていますが、山王二十一社とあるように境内には多くの摂社がありますよ。また東京都で明治神宮さん以外では唯一の官幣大社、エスカレーターで有名な日枝神社も当社の勧請分社です」
その男性は日吉大社の神霊と名乗った。
「あの……あなたは、末鏡に惑わされていないのですか……?」
珠洲が恐る恐る彼に尋ねた。
「あ、はい……ご安心ください、私は無事です……」
日吉大社の神霊は珠洲に答えた。
「く……日吉の神霊だったのか……」
円満院の神霊は悔しがった。
「円満院と西教寺の神霊は……私がどうにかします……!」
日吉の神霊はそう言うと、右手を上げ、そこから神幹を放った。その神幹は西教寺の神霊の方に飛翔した。
「く……!」
西教寺の神霊はすんでのところでそれをかわした。
「日吉……覚悟せよ……」
一方、円満院の神霊が日吉の神霊に向かって神幹を放った。
「な……しまっ……!」
その神幹は日吉の神霊に直撃した。
「日吉さん……!」
珠洲たちは慌てて彼の元に駆け寄ろうとした。彼の姿は消えていなかったものの、彼はその場に倒れていた。
「おっと……そこまでです……、治癒されては困りますね。邪魔者はいなくなりましたし、これでようやく天路の従者たちを片づけられます」
西教寺の神霊は珠洲たちに言い放った。
「え……」
「あ……」
西教寺の神霊の様子を見た珠洲たちは硬直した。
「待って……末鏡に惑わされた神霊……!」
そのとき、珠洲たちの背後から、彼女たちのクラスメートの男子、北山弘明(きたやまひろあき)の声がするとともに、一筋の光筒の光が彼に向かって飛翔した。
「な……?」
西教寺の神霊は驚いてそれをかわした。その目線の先に、弘明と、同じクラスメートの女子、謝淡水(シェイタンシュイ)がいた。
「弘くん……淡水ちゃん……!」
珠洲はその姿を見て歓喜した。
「追板……間に合ったみたい……」
弘明が安堵した。
「どうか幽世に御帰りください……末鏡に惑わされた神霊の方々……」
淡水はそう言うと光筒から光を放った。それは円満院の神霊に向かっていった。
「く……!」
それは円満院の神霊をわずかに外した。
「お主たちこそ幽世に行きなさい……天路の従者たち!」
西教寺の神霊はそう言うと、手から神幹を二本放った。
「え……」
「あ……」
それは弘明と淡水の脇と肩をそれぞれ直撃した。出血しながら二人はその場に倒れた。
「貴様らもだ……!」
円満院の神霊はそう言うと、耐の治癒をしていた司、美濃の治癒をしていた唯にもそれぞれ神幹を放った。
「……!」
「ああ……」
司、唯もその直撃を受け、その場に倒れた。
「く……!」
珠洲は光筒に手をかけた。
「おっと……それまでです、天路の従者」
「よく見てみるがいい……貴様は最後に残った一人だ……、貴様一人で何ができるというのだ」
二人の神霊は珠洲に言った。
「え……」
珠洲は恐る恐る周囲を見渡した。自分以外の子どもたちの全員と、日吉の神霊は倒れていた。
「あ……」
珠洲に恐怖と絶望が襲った。
「……! もしかして……」
そのとき新蘭は袖に入れていた移板を取りだした。
「これで終わりだ、天路の従者……!」
円満院の神霊は右手を上げた。珠洲は強く目を閉じた。
「朝霧さん、みなさん……、能源が満ちています、移板を使います……!」
同時に新蘭がさっと移板を翳した。すると、珠洲ら天路の従者の子どもたちと、新蘭と、日吉の神霊と、男子中学生らの体は光で覆われ、その直後にその光ごとその場から消失した。
「な……何……」
「これは……?」
その様子を見た、円満院と西教寺の神霊は驚いた。
「末鏡に惑わされた神霊たちよ、案ずるな……」
そのとき、二人の背後から空中に黒い霧が現れ、その中から低い男性の声がした。
「……?」
「何者か……?」
「我はここにほど近い三井寺の神霊だ……。この度末鏡が活動を再開したので、この意思と一体化し、もって日本国の現幽の破壊を目論んだまで……」
黒い霧の中から男性は答えた。
「天路の従者が使ったのは移板だ……、一度に大勢の人数を長距離移動させることができる……、しかし多量の能源を必要とするため使える頻度は少なく、また、通った場所には霊気の跡が残る……。その霊気の跡をつけていけば、自ずとまた彼らと会うことになるであろう……」
三井寺の神霊は続けた。
「なるほど……」
それを聞いた二人の神霊はニヤリと笑った。
*
とある山中の、車が一台通れる程度の幅の山道の空中に光が出現し、その中から先ほど移板によって光に包まれた者たちが出てきた。
「え……ここは……」
「どこかの山の中ですね……おかしいですね……、移板は通常、行き先を決めておらずとも、多少でも霊気と関係のある場所に誘導するはずなのですが……あ、朝霧さん、ひとまず皆さんの治癒をお願いします……」
新蘭は珠洲に言った。
「あ、はい……!」
珠洲は慌てて美濃の元に駆け寄り、彼に光筒を宛がい始めた。
「珠洲ちゃん……」
「美濃くん、あの、今、治癒を……」
「あ、じゃなくて、筒爪……。僕の光筒についてるんだ……前に大山崎で……。これ、使って……、もしものこともあるかもしれないし……」
「えっ? あっ、うん、ありがとう……」
珠洲は美濃に礼を述べ、慌てて彼の光筒を手にし、そこについていた筒爪を自分の光筒の頭部につけた。
「待て……天路の従者……」
「お主にそんなことをしている余裕があるんですか?」
そのとき、珠洲の背後から円満院と西教寺の神霊の声がした。珠洲は青ざめながら振り返った。
「もう霊気の跡をつけてきたのですか……」
「その通りだ……あの方のアドバイスもあったのでな」
「あの方とは……?」
新蘭は尋ねた。
「それは私のことかな……?」
そのとき、二人の神霊の背後にいた黒い霧から男性の声がした。
「あ、あなたは……?」
「私は三井寺の神霊……末鏡の意思と一体化したものだ……」
「な……三井寺、何故……」
新蘭は詰問した。
「寺門の我に対する山門の延暦……あやつが天台の主流を奪った時からもはやこの世界はどうすることもできなかった……それが私が末鏡の意思と一体となったわけだ……」
「な……」
新蘭は苦渋の表情を浮かべた。
「後悔しても無駄だ……、残った最後の天路の従者、お主には幽世に行ってもらう」
そう言うと円満院の神霊は右手を上げた。
「あ……ああ……」
珠洲は恐怖で自然と涙を流しながらも彼の姿を見た。
「待て……そこの神霊……!」
そのとき、珠洲の背後から男性の声がするとともに、一筋の神幹が彼に向かって飛翔した。
「……っ!」
円満院の神霊は慌ててそれをかわした。
「何者……?」
神霊たちも珠洲もその神幹が来た方を見た。そこに、紫の法衣に朱色の褊衫を着用しちた一人の僧侶がいた。
「私はここ延暦寺の神霊だ……。京都の鬼門を守護し、数々の宗派の開祖を生み出してきた……今さら説明はいらないな」
その僧侶は延暦寺の神霊と名乗った。
「え、延暦寺……?」
「ここ、比叡山だったのですか……?」
珠洲と新蘭は言った。
「あ、これは天路の従者と巫女殿……ここはケーブルカーの駅から根本中堂に向かう参道です。根本中堂までは……歩いて一〇分といったところでしょうか……」
延暦寺の神霊は答えた。
「え……そうでしたか……」
新蘭が相槌を打った。
「さて末鏡に惑わされた神霊よ……幽世に返っていただこうか……!」
延暦寺の神霊は再び神霊たちの方をきっと見ると、右手を上げ、そこから神幹を発した。
「な……させぬ……!」
円満院と西教寺の神霊も神幹を発した。三つの神幹はぶつかり合うと激しい音と煙を出した。
「天路の従者殿……今です……!」
そのとき、延暦寺の神霊が叫んだ。
「あ……はい!」
珠洲は返事をすると、光筒を持つ手を上げ、二人の神霊を視界に入れた。すぐにその光筒は『Ag』という文字を浮かび上がらせた。
(狙いたい相手を視界に入れて……撃って!)
珠洲は強く念じた。すると光筒から薄い緑色の光が飛び出し、二人の神霊に向かって飛翔した。
「な……」
「しまった……幽世に……!」
珠洲が放った神幹は二人の神霊に直撃した。
「ぐああああ!」
煙がまい、その中から雄叫びが聞こえた。そして彼らの姿は煙ごと消失した。
「やった……?」
「はい……」
珠洲の問いに新蘭が答えた。
「く……天路の従者……しかしお主らの思惑通りにはさせぬ……」
一方神霊らの背後にあった黒い霧の中から三井寺の神霊の声がした。しかしその霧は次第に晴れていった。
「あれ……?」
そのとき、珠洲は自分の光筒が少し軽くなっていることに気づきそれに目をやった。
「筒爪が消えてる……。あれがないと、また危なかったのかな……」
珠洲は苦笑した。
「あ……そうだ、みんなの治癒をしないと……!」
その直後に彼女ははっとして、急いで再び美濃の元に駆け寄った。
「あ、あの……」
そのとき、新蘭の背後に四人の中学生たちがやってきた。
「さっき聞いたんですけど、今回の騒動は僕たちが原因だって……」
「実は僕たち、彼にさっきの場所で恐喝をしていて……そういうことをするのが友達の関係だと思っていて……」
「でも……彼に言われたんです。そんなことをして、本当に楽しいの、って……。楽しくないです……すみませんでした……」
中学生たちは恐喝を受けたそのうちの一人の中学生と、新蘭に詫びた。
「恐喝ですか……確かにそれは鬼玉発生の原因になり得ますね……。そして……もちろんそんなことをし合う関係が友達の関係なはずがありませんね……」
新蘭は中学生たちに言った。
「あ、あの……」
彼らのうちの一人が口を開いた。
「……?」
「みなさんは、これからも、このような危ない目に遭うのかもしれないのでしょうか……」
「それは……、……」
彼の問いかけに、新蘭は口ごもり顔を傾けた。
「そんな……」
「あの、あんなことをしておいて言う資格もないかもしれないですが、僕たちにも何かできることはないでしょうか……」
彼らはさらに新蘭に尋ねた。
「それは、えっと……。ないというわけでもないです……。あの、朝霧さん……」
彼女は戸惑いながらも珠洲を呼んだ。
「……? あっ、美濃くん、ごめん、新蘭さんが……」
「うん……」
珠洲は美濃に告げると彼の元を離れ再び新蘭の元に向かった。
「筒爪……お願いできますでしょうか……」
「あっ、はい……」
珠洲は自分の光筒をポケットから取り出し、掌に載せた。
「彼女のこの筒に触れて、願っていただけないでしょうか……。もし他に、自分たちと同じような目に遭う人がいた場合に、その人が無事でいられますように、と……。願うだけでいいのです」
新蘭は中学生たちに説明した。
「え……、わ、わかりました」
彼らのうちの一人がその光筒に手を触れ、そして軽く目を閉じた。するとすぐに、珠洲の光筒の頭部が光り、爪のように数センチほど伸びた。
「……え……?」
その光景を目にした他の中学生らが驚きの眼を向けた。
「これで、彼女の光筒の威力が、少しだけ増しました……」
新蘭が言った。
「そ、そうなのですか……」
「あの、他には、何か……」
中学生らはさらに続けた。
「それは……。今は、皆さんの周囲で、同じような目に遭いそうな方に、注意を促していただくくらいしか……」
新蘭はそう言うと再び俯いていった。
「そんな……」
それを見た彼らの表情も曇った。
「あっ、あの……」
そのとき、珠洲が声を出した。
「……?」
それに反応した学生らは少し顔を上げた。
「皆さんが、応援してくださってうれしいです。ありがとうございますっ」
珠洲は恥ずかしがりながらも彼らに礼を述べた。
2019年2月3日 発行 初版
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※ アイコンの上半分の拾い物のイラストはつばさちゃんっぽいですが、小説の珠洲ちゃんの外見イメージにも近いです。