表紙イラスト/長次郎
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この本はタチヨミ版です。
その男、兵藤勉は、蜘蛛のタトゥーが入った右手で、「スロッピィ・ジョーの店」と描かれた箱入りのピザをテーブルに置いた。
「ほら、食えよ」
「へえ、こりゃ、美味そうだ」
と、柏木茂はピザを覗き込んでそう言った。
そして、隣に座っている少女、榎本早希に訊ねた。
「食べるかい?」
ピザは早希の大好物だ。早希は首を縦に振った。
「俺の馴染みの店で作らせた、スパイダーキルって言うピザだ」
兵藤は、椅子に座り、マルボロに火をつけながらそう言った。
「スパイダーキル?」
柏木は、ティッシュでピザの一片を包みながら、聞き返した。
「ヤマを踏む時には必ず食うンだ」
兵藤はそう答え、腰に差していたベレッタの九ミリオートマチック拳銃を手に取り、弾倉をチェックし始める。
「初めて聞くよ、そんな名前のピザ」
早希は横に置いたランドセルからハンカチを取り出し、自分の膝の上に広げた。
柏木が、包んだピザを早希に手渡す。
「そりゃそうだ、俺が考えたピザだからな、俺しか頼まン」
と、兵藤は言い、新しい弾倉に交換したベレッタを再び腰のベルトに戻した。
「へえ、だからスパイダーか」
兵藤の蜘蛛のタトゥーは、ワル仲間の間では有名だった。
兵藤のことをスパイダーと呼んでいる者もいるくらいだ。
ここは、潰れた工場の跡地で、そこら中にネズミの死骸が転がっているような廃墟だ。食事をするにはかなり衛生面で問題がありそうだが、隠れ家としてはこの上ない場所だった。
椅子もあれば、テーブルもある。
十歳の少女である早希にとって、ここは遊園地のような場所であったかもしれない。
本当なら、広い敷地内を探検して回りたいところだが、今居る部屋以外を出歩く事はキツく禁じられていて、大人しくしているしかなかった。
三人が居る場所は、元々商品の保管場所だった建物の一角で、敷地内の一番奥にあった。
「うん、美味い」
と、ピザを頬張った柏木が思わず言った。
「だろう」
と、兵藤はドヤ顔だ。
早希もピザを頬張った。確かに美味しい。というか、不味いピザなど早希は食べたことがなかった。
「ウマいけど、ごくごく普通のピザじゃねえのコレ? スパイダーキルだっけ?」
と、柏木が訊ねた。
「別に何でもいいんだよ、俺が注文すれば、どんなピザでもスパイダーキルだ、水道の水だって偉い奴が念を送れば聖なる水になるんだぜ、それと同じだ。その名の通り、俺の一撃さ」
「ふん、なるほどね、だからスパイダーか」
「旨いか早希?」と、兵藤が訊いた。
早希は、笑顔で頷いた。
「よく覚えとけよ、スパイダーキルだ」
早希は、再度頷いた。
表に車が到着する音がした。そして、二人の男が建物の中に入って来た。上から下まで兵藤と柏木と同じ格好だ。
黒いスーツに白いワイシャツ、そして黒のネクタイ。普通なら葬式の帰りと言ったところだろう。
初めてこの四人を見たら、見る人によっては、みんな同じ人間に見えるかもしれない。
だが、そのうちの一人を見て、早希は笑顔を爆発させた。
「パパ——!」
早希は父親である榎本彰一の元へ駆け寄り、抱き付いた。
「大人しくしてたか早希?」
「うん」
嘘ではない。早希はここへ来てから、約二時間の間、ずっと椅子に座っていたのだ。
言葉を発する事も無く、たった今ピザを食べた以外はほとんど人形のように動くことは無かった。
「ほら、お土産だ」
と、榎本が早希に手渡したのは、子供用のゴム製のカラーボールだった。色も早希が好きなピンクだ。
「ありがとう、パパ」
早希は思った。このボールがあれば、大人たちに囲まれていても、外を探検することを禁じられていても、楽しめそうだと。
「遅かったじゃねえか榎本、てっきりパクられたンじゃねえかと思ったぜ」
と、兵藤が皮肉交じりに言った。
「遠回りするって言ったろう、サツの目をかわす為だ」
「さすがだね」と、柏木が言った。
だが、榎本と一緒だった茶髪の若い男、本多良は不満そうに言った。
「俺は言ったんだぜ、心配し過ぎだって」
「まあいいさ」と兵藤は言った。
そして椅子から立ち上がり、続けた。
「よし、さっそく金を分けようぜ」
「ああ」と、答えた榎本は、持っていた大きなスポーツバッグをテーブルに置いた。
早希は、大人たちの時間が始まったと察知し、カラーボールを宙に放って、一人キャッチボールを始めた。
それから十年以上の月日が流れた。
早希は、宅配ピザ屋『キャッツ&ドッグス』の店長である。
犬も猫も笑顔にさせてしまうほど美味しい——
地元のタウン誌「ホットスポット」の女性ライターの取材に、二十歳の女性店長、榎本早希は店のネーミングの意味を答えてみせた。
『キャッツ&ドッグス』
横浜の裏通りにある、デリバリー専門のピザ屋。
決して人の往来が活発とは言えない場所にその店はあるが、宅配専門の『キャッツ&ドッグス』にとって、立地はさほど関係がない。
二年前の開店の時にも、同じタウン誌からの取材を受けたが、その時は女子高生が開いた店として珍しがられての取材であった。
その時にも男性の記者から店の名前の由来を聞かれたが、早希は同じ答えをした。
早希は、決めているのだ、聞かれたらそう答えると。
本当の意味は、誰にも言うつもりはない。
今回の取材の目的は、「イイ男がピザを運ぶ店」と一部SNSでこの店が話題になっているからであった。
分厚いメガネをかけたタウン誌の女性ライターは、早希への質問もほどほどに、その「イイ男」たちの写真を撮らせて欲しいとリクエストした。
早希は快く承諾し、控え室で待機している配達員四人を厨房に呼び寄せる。
確かに『キャッツ&ドッグス』の四人の配達員は、皆イケメン揃いだ。
配達員リーダーの内海達也、二十五歳。
クールガイ、成瀬真治、二十四歳。
マジメ大学生、島内亮介、二十二歳。
お調子者で多少KY癖のある則本健吾、二十三歳。
タイプこそ違えど、確かに四人ともなかなかのハンサムボーイである。
別にイケメンだけを選んで雇っているわけではない。配達員を募集して応募してきた者を雇った。ただそれだけだ。
開店して半年後に、達也が採用第一号として店のメンバーに加わり、それからしばらくして亮介が雇われ、そして半年前に追加で二人、それが真治と健吾だ。
もちろん採用の際には早希が自ら面接をしたが、容姿などは特に関係は無かった。
そしてもう一人、厨房を一人でこなす三十六歳の柏木茂もイケてるダンディである。
早希が子供の頃からの付き合いだ。
女性ライターは、なぜか頬を赤らめ、幸せそうに写真を撮った。取材の為というより、きっと自分の虚栄心を満足させる目的もあったであろう。妄想と言ってもいい。
柏木は、早希と一緒にこの店を立ち上げたパートナーでもある。
高校生だった早希に代わって、開店資金を用立てたのも柏木だ。
取材の写真撮影が続く中、店の電話が鳴り、早希が新たな注文を受けた。
「——はい、うちはどんなピザでもお作りいたします。イメージだけでも大丈夫です」
この店の最大の売りは、コレこれだった。
マルゲリータ、ジェノベーゼなどのスタンダードなピザはもちろん、客のオリジナルピザの注文にも対応しているのだ。
具体的なトッピングをオーダーしてもいいが、イメージだけでも注文できる。
『ハッピーになれるピザ』
『世界平和のピザ』
『呪いのピザ』
などなど——
早希が女性ライターの目の前で受けた注文もまさにその類であった。
「『長いお別れ』に似合うピザ、ですね、かしこまりました」
早希はシェフの柏木ににオーダー表を手渡した。
「『長いお別れ』に似合うピザ、了解」
何の迷いもなく、調理にかかる柏木を見て、女性ライターは質問をした。
「そのピザって、よく注文が来るんですか?」
早希は即答する。
「いえ、初めてですよ。あとはシェフにお任せなんで」
「なるほど、インスピレーションて事ですね」
その言葉に、柏木が女性ライターへ険しい視線を送った。
女性記者は、言葉の使い方を間違えたのかと一瞬ひやりとしたが、すぐに柏木の顔は緩み、
「インスピレーション、いい言葉ですね、勉強になります」と、言葉を返した。
「……どうも」
と、女性ライターは遠慮がちに言い、加えて、柏木がピザを作っているところの写真も撮らせて欲しいとリクエストした。
写真がイマイチ苦手な柏木は、本当なら断りたかったが、早希が即座にOKしてしまったため、仕方なく了承した。
女性ライターが最後の質問をした。
「配達してもらう人を指名とか出来るのかしら?」
「特にそういうのはやってませんけど……」
と、早希は返答に困ったが、すかさず達也が答えをつないだ。
「空いていれば大丈夫ですよ、うちはお客様のご要望にとことん応える店ですンで」
女性記者はメモに何度も同じワードを書き込んでいた。
『ヤバい』と。
表情からして、きっといい意味なのだろう。
「掲載は来月号です。出来上がりましたらお送りしますので」
「言ってもらえれば取りに伺いますよ。毎日デリバリーで街中走ってるんで」
と、達也が言った。
「わかりました」
女性ライターは笑顔で答え、満足げに帰って行った。
まるで、ホストクラブから帰って行く時の馴染み客のような表情で。
焼き上がったのは、注文を受けてから約二十分後、午後七時ちょっと前だった。
届け先はバレンシアホテルの一一〇六号室。この界隈では屈指の高級ホテルだ。
デリバリーの担当は真治。
配達員四人に対してデリバリーバイクは三台。店の前のスぺースが狭いため、これ以上は置けない。
しかし、徒歩圏のデリバリーもあるので、実質は三台で事足りている。
バイクの後部には店のロゴマークが描かれた大きなボックスが積まれており、そこにピザを入れて運ぶ。町でよく見かけるあのバイクだ。
そのうちの一台に、真治が焼き上がったピザの入った保温用のバッグを積み込んだ。
追う様に早希も来た。
「真治さん、分かってると思うけど、ホテルへのデリバリーは、部屋に行く前に——」
真治は言葉を遮った。
「フロントに断ってからですよね、それくらい分かってます、バカじゃないんで」
「そう、それならいいわ」
真治は、かったるそうにバイクに跨った。
そんな真治に早希が言った。
「……あ、そうだ、ちょっとチラシ持って行って。フロントに置いてくれないか頼んでみてくれない?」
早希が急いで店内へ店のチラシを取りに戻るが、真治はそれを無視してバイクを出発させた。
早希がチラシを持って戻って来た時には、既に真治のバイクは走り去っていた。
厨房でその様子を見ていた達也と健吾も思わず飛び出して来た。
配達メンバーのリーダーとして、達也は真治の振る舞いが気に入らない。
「真治の野郎、許せねえ態度だな」
健吾も続いた。
「いっぺんシメなきゃダメかもね」
「よし、マジでシメるぞ」
と、達也は何気に拳を握った。
早希は、何とか宥めようと、こう言った。
「いいのよ、ちょっと愛想が無いだけ。仕事はちゃんとやってるし」
だが、それに健吾が水を差した。
「そうでもねえよ、配達の途中で結構サボってるっぽい」
「そんな事ないって。さあ、もう次が焼けるよ」
と、なんとか二人を店に戻した。
健吾の言う通り、真治はサボっていた。しかも常態的にだ。
成瀬真治は二十四歳、手っ取り早く言えばクール系イケメンだ。イケメン度で言えば店のナンバーワンと言っていいだろう。
戦隊五人の中なら、いわゆる「ブルー」の存在。
だが、そう一筋縄には行かない。
この人物の中身を端的に説明するなら「病んでいる男」だろう。
幼い頃に両親が離婚し、二人姉弟の姉は母親が、真治は父親が引き取った。だが父親はすぐに別の女と暮らし始め、居場所が無くなった真治は、中学二年の頃に家を飛び出した。
タチヨミ版はここまでとなります。
2019年3月1日 発行 初版
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