媒体不問の自由すぎる創作サークル「なんかつくろう部」が発行する、お題に沿って各々を表現する季刊広報誌です。
表紙の時点でジャンルが識別不能ですが、それもそのはず──メンバーには「鐘」という一文字しか伝えていません
編集の無茶ぶりに、寄稿者たちは一体どのように応えたのでしょうか。
創刊号では、巻頭にサークル紹介を掲載。
そもそも何を目指している集まりなのか、実際にどんな活動をしているのか、「なんかつくろう」という空とぼけたノリで本当に大丈夫なのか……少しでも興味を喚起できれば幸いです。
───────────────────────
なんかつくろう部 季刊
───────────────────────
少々長い前置きになりますが、皆さんは“創作”という単語から何をイメージするでしょうか。
趣味でたしなむ芸術活動、意匠をこらした創作料理……今の時代であれば、直感的にSNS上の各種クラスタを思い浮かべる人も多そうです。
印象の違いはあれど、おおむね「新規性、独自性のある表現行為」というイメージではないでしょうか。
本サークル「なんかつくろう部」は、数多の創作媒体を「なんか」と一括りにしたうえで、創作活動のサポートを目的とするコミュニティです。
創作の主翼とも言えるモチベーションの相互維持と、成果物のアウトプットに特化した活動をしています。
「なんか」の対象となる創作媒体は、
小説|イラスト|動画|漫画|シナリオ
ゲーム制作|音楽|演劇|手芸|工作|写真|絵本|詩歌────
と、基本的に何でもありです。
ここで挙げた例に当てはまらずとも、二次創作がメインだという方でもいいですし、生け花や書道、自作OSやコンパイラ、ストーンヘンジからミステリーサークルまで、基本的になんでも吸収します。
比率としては、メジャーな媒体である小説・イラストに偏らざるを得ないところもあります。そこは悩ましいところですが、創作媒体の異なるメンバー同士で「新しく始めてみようかな」「何かコラボできないかな」というように、好奇心を互いに励起できるようなしくみを作っていきたいと思っています。
・毎週日曜日に集まり、自分で決めた目標に沿って作品を投稿
→ スカイプでの音声通話を使用
→ 直近一週間の「成果」、次の日曜日までの「課題」を設定する
→ スキルアップのためにしている取り組みも各メンバーから聞けるので、刺激になる
→ 文芸作品については、その場で合評会も行う
・顔を付き合わせて創作するオフラインイベントを企画・開催
→ オフ会の一環として、即興絵本の制作にチャレンジ。一日で終わらせるという目標にはたどり着かなかったものの、スカイプ上での通話だけでは得られない興奮を実感
・メンバー間のコラボレーション
→ メンバー間でゲーム制作企画がいくつか立ち上がっており、キャラクター担当、シナリオ担当、BGM担当などが割り振られている
→ お題を提示して作品を募集し、パッケージするという試みは今回が初めて
サークル内では、得意とする媒体ごとに「小説組」「イラスト組」といったようにクラスタが分かれています。しかし、現在はメンバーの多くが小説をメインにしているため、あまり機能していません。ただ、アクティブメンバーの数に合わせて自然に稼働するようになると思うので、あまり気にしてなかったりします。
陶芸家のメンバーが創作陶器の写真を上げてきたり、電子工作好きのギークがコイルガンを法律スレスレで作ってきたり、みたいな例はまだ無いです(そういう人、大歓迎です)。
弊サークルの空気感は、その時々によって変わってきます。定例会のときは部室のようなリラックスした空気感で、通話のBGMとしてオーディオインターフェイス越しに即興ピアノを披露するメンバーがいたりします。
作品の合評会を行うときの緊張感は、図書館で勉強しているときの感覚に近いです。提出作品をメンバーに読んでもらっている間は、本当にそんな感じです。さらに、小説のテーマ掘り下げのために行われるディスカッションでは、議論スイッチが入ってさらにハードになります。
そして何だかんだでいちばん盛り上がるのは、オフ会で顔を付け合わせたときです。
まだ実現できていない点も多いですが、こんな具合で少しずつ創作基盤を固めていっています。
これはポエムになりますが、実際のところ一番メンバーのモチベーションに貢献しているのは、「一週間後にここまでやる」「今日までにここまでできた」という小目標の共有、それが誰かに認められていて期待されているという感触。それに尽きるかと思います。
「何でもいいからアウトプットしたいけど、ネットに神作が溢れすぎていて尻込みしてしまう。こんなもん人様に見せていいのか」という感情は、創作活動をするうえで避けては通れないものです。ですが実際のところ、そこをひとりで案じていても単に時間の無駄であることが多いと感じています。
身近な仲間に成果物を見せ、率直な意見を貰い、スキルアップの情報共有をする。何だかんだと続けるうちに、気づけば自信がついている。
そういう場にしたいなと、ぼんやり考えています。
僕たちを祝福する、拍手と笑顔。親族席に座る母親の、感極まった泣き声。白い空間に響くゆったりした空気を震わす、ピアノの弦。それらは大きく僕たちを包み込む。人間ではないような、そんな何かの輝き、目に見えないながらも僕たちを取り囲んだ尊さが、肌を柔らかく包んでいる気がした。
隣の人の、白い衣装に身を包む花嫁の姿。ほんの少し緊張に唇を張りつめさせているのがまた、心をくすぐる。
彼女は大きな舞台を望んでいなかった。それでも式を挙げたいという僕の願いを聞き入れてくれた優しさに、胸が暖かくなる。
祝電の名前が読み上げられ、それら一人一人の顔を思い浮かべていく──いちばんの親友である島田が、丁寧な祝福の言葉をくれていた。そして、芽衣さんからの祝電を聞いたところで、堪えきれなかった涙が頬を伝った。
人ではないなにものかが、裏でこちらをにらみつけているような、そんな音が苦手だった。
中学二年生の、三学期を思い出す。少しずつ、自分が好きなこと、嫌いなことの判断をつけはじめていた時期。それでもまだ不安定な自分しか持っていないのだから、周りの目がとても気になっていた。
音楽の時間、クラシックを鑑賞してその感想を書く授業があった。そのとき聞いたブラームスの交響曲第一番が、東京での僕の中学生活を暗いものにした。
その曲を聞いて、猛烈に胸が苦しくなった。魔物に首を絞められているように息苦しく、静かに聞き入っているクラスメイトの前で苦痛にあえいだ。椅子に座っていたのが、まるで魔物に引きずられたように自分の体は床に投げ出された。がたがたと震える体を僕は力いっぱい抱きしめた。
どうか、命は取らないでください。
──実際そう口にしていたらしい。命は取らないでください。その一言がクラスの中で、学年の中で流行り、ふざけた調子で僕に向かって口にされた。一人が二人、二人が四人と、僕をからかう人は増えていき、学校の音楽の授業が嫌になり、学校が嫌いになった。
本人の口からききたいよなあ?
いずれそんなことを言いだす人が、現れるのではないか。当時、直接いじめを受けていたわけではないけれど、一度そう考えはじめてしまうと、クラスメイトも信じられなくなった。思春期特有の大人嫌いから、先生に相談するという考えもなかった。
結局中学校へは保健室登校──それも週三日、半日だけという状態になってしまった。体の調子が悪いことにしていたが、きっと本心はばれていた。その生活も続かず、学校の生徒と顔を合わせるのが恐ろしく苦手になっていた。週三日が二日になり、一日になり、ついに一週間家にこもりっぱなしとなった。
まもなく進級する時期に差し掛かっていた。
◆ ◆ ◆
四月初旬の長崎の陽は、僕にはうざったいくらいにうららかだった。長崎と聞いて勝手に、なだらかな浜に寄せる波の景色や、平行に開けた世界を思い描いていた。けれど引っ越してからの一か月間で、目線は垂直に山の稜線をなぞらされた。実際学校は住むところから山を一つのぼり下りしなければいけない。三十分も歩いて登校する日々は、相当にこたえそうだ。
父親の転勤。それに伴って僕も長崎に引っ越した。急なことで、母親は仕事の引継ぎで忙しく、五月ごろまでは父と子の二人暮らしだ。
春休み期間に一度、中学校を訪れた。担任となる先生に、転校生の紹介をするから自己紹介を考えておけ、と言われた。僕はそれが苦しくて仕方がなかった。
そうして何も考えつかないまま、僕はうんざりした気分だけを引き連れて、はじめて山道を登校し始めたのだった。僕に興味を持たない――誰も僕を知らない環境で、自分を主張していかなければならない。その自信がない。人前で、妙な行動を犯してしまった自分が恥ずかしかった。何をしでかすか、そして何をしたら周りに嫌われてしまうか、自分でも分からなかった。
学校に着いていよいよ教室に入り、おざなりな挨拶をして、席に着いた。波風を立てないおとなしい生徒であることが、最善策だと考えた。具体的に何を言ったかは忘れた。椅子の冷たさを尻に感じたことと、明日からまたここに来るのが心底嫌だったことしか覚えていない。
たくさんの教科書を抱えて家に帰った。肩に重石が乗っているようで、返って昼食も食べずに眠ると夜だった。
◆ ◆ ◆
それから一週間が過ぎた。学校に行く途中で、平野部に向かう道に折れる。街中を歩いていると、制服姿の僕をとがめるような視線が刺さってくる。東京にいたころも時々、こうして学校に行くふりをしてサボっていた。とくに周りから圧力を感じることはなかったけれど、地方に来ると、朝学校に向かわない生徒は目立つ。スーパーの小さなパン屋で、冷たい視線を送る店員からパンを買って、公園で食べる。そこはやけに広い公園で、大きく開けた広場から空を仰ぐと、空虚さを感じる程の青空だった。広場をにらみつけるように立った像が、両手で変なポーズを取っていた。
日差しは、僕には降り注がなくてもいい────
ヤケになっていた。一生日差しを浴びなくても済むように生きられたら、と考えていた。
「今日もサボってるの? なかなかやるねえ」
背後から聞こえたその女の人の声を、僕はよく知っていて、背筋が凍った。振り返ると、案の定、芽衣さんがいた。悪戯好きそうな笑いをこちらに向けている。いかにも口が軽そうな芽衣さんは、父にサボりを言いふらすだろう思うと恐ろしかった。
「今日もってことは、ずっと見てたんですか」
「まあねー」
「お願いだから、お父さんには言わないでください」
僕は真剣に頭を下げて言った。ちらりと顔をうかがうと、芽衣さんは案外優しげな表情で、
「言わないよ、つまんない学校なんてさぼっちゃえばいいんだって」
あたしも昔はよくサボってたし、飄々と言ってけらけら笑った。僕は、彼女が学校をつまんないと言う事情を知っていたので、軽い気持ちで笑えなかった。
「大体よくわかんなかったんだよね、勉強するとかさあ。学校が覚えてほしい価値観を、植え付けているだけなんじゃないのかなあ」
なっ、そう言う気持ちわかるだろう、少年。
肩をたたかれ、女の人に触られたことで少しどきりとした。芽衣さんと僕とは、六つも歳が違うのだと、じつは昨日知った。実際はもっと若く見える。
当時詳しくは知らなかったが、僕の父は文化財を守る仕事をしていた。芽衣さんの祖母であるとき子さんが、長崎では有名な講演家であり、父は仕事がらみでつながりがあった。とき子さんの孫娘の芽衣さんは偶然うちの隣のアパートに住んでいたのだ。
公園でパンを食べ終えたのち、どうしていいか分からず、ぼんやり座っていた。なぜか芽衣さんは、僕のもとから離れようとしない。仕事だってあるはずだ。
「大輝くん、暇そうだね。暇ならちょっと、付き合いなよ」
「学校に行かないと」
「行くつもりなんてないんでしょ?」
「……それはそうですけど」
確かに、暇ではある。ただ学校に行かないことで産まれた時間を暇と呼ぶことに、罪悪感があった。
「スクールって言葉。元は暇って意味なんだよ。詳しくは知らないし、おばあちゃんの受け売りなんだけど」
「だからサボろうがサボるまいが変わらないってことですか」
「そんなこと言ってないじゃん。そう感じたの? あはは、なかなか肝が据わってるねえ」
また、面白そうな笑い声。ようやく自分の頬も緩んできた。
「勉強で習うことも大事なんだけどね。特に、この街が昔受けた災難とか、知ってほしいって思う」
「それもとき子さんの受け売り?」
バレたか、と舌を出して見せる。僕はあたたかな気持ちになって、ここでようやく芽衣さんの用事に付き合おうと決心した。
「で、芽衣さんの用事は何なんですか」
「うーん、予行演習かな?」
「よくわかりません」
「理詰めで女の子とデートするようじゃモテないよ」
人差し指を頬の横で立てて、にやにやと笑っている。僕がパンの包みをごみ箱に捨てて戻ると、芽衣さんは予想に反して真剣な表情になっていた。
「行こっか。教科書には載ってない歴史が、長崎にはたくさんあるんだよ」
茶化すことはできなかった。それは芽衣さんの、心から伝えたいことのように思えたから。
二十分後、僕は芽衣さんが運転する車に揺られていた。見方によってはちょっとした誘拐事件なのかもしれないけど、僕自身、悪い気はしていなかった。芽衣さんの楽しそうな表情を見れば。
「あの像、なんであんな変なポーズなんですかね」
「あー、あれねえ。変なポーズだよね」
平和記念像について、芽衣さんは講釈を始めた。
水平に伸びた左手は、平和の象徴。空を差している右手は落ちてくる爆弾の危機を表すのだそうだ。僕は歴史の授業で、長崎に昔起こったことを習ったような気がするが、あまり鮮明な記憶でもない。事実、その実物を見ても、それほど感動するわけではなかった。
「……いいもん、そのうち魅力に気づくよ」
つまらなさそうに相槌を打っているのがバレたのか、運転席のほうを向くとふくれた横顔が見えた。
「ところで車出して、何してたんですか」
「さあねえ。案外、君と同じ理由かもよ」
芽衣さんはとり合わなかった。食い下がることもできたけど、聞かずとも、芽衣さんが車を乗り回している理由はわかる
一度学校を出たのち、定職にはついていないのだと、芽衣さんの母親から聞いていた。通っていた短大でも孤立し、何とか卒業はしたものの、就活には失敗してしまったという。
駐車場に車を止め、徒歩で観光名所を回ることにした。眼鏡橋は日本で初めての石造りアーチ式の橋梁だといい、それを歩いて渡るだけで息切れしてしまい芽衣さんに笑われた。出島ではおぼろげな歴史知識をからかわれたし、オランダ坂では先をぐんぐん進んでいく芽衣さんに体力のなさを茶化された。不平を言おうと何度も思ったが、芽衣さんは楽しそうにしていたので毒気を抜かれる。
時間はまもなく十二時だった。思ったより時間が経つのが早く、そして思った以上の楽しさが、胸に満ちていた。
「帰ろうか。今日はありがとね」
へとへとになった僕を乗せた車の中で芽衣さんが言った。感謝されることをした覚えがなくて、僕は動揺した。その後じわりじわりと胸が暖かくなった。人に感謝の言葉を述べられるのは、いつぶりだったか。
「なんか一日終わっちゃったね」
「ぼ、ぼくでよければ、もう少し遊びましょうか」
気づいたらそう言っていた。芽衣さんの表情に、少しずつ、陰が見え始めていたのだ。
「あたしともっと居てくれるの?」
そう言って笑う芽衣さんから陰りがなくなって、その心からの笑みに心がざわめいた。
「嬉しいな」
女性に慣れていない僕は甘い勘違いを起こして、勝手に胸を高鳴らせていた。
平和公園の近くの交差点で、僕らを乗せた車は大通りを路面電車と並走していた。僕が誘いの言葉にうなずきを返すと、駅から離れたほうに車は曲がった。平らな道を進んでいくと、ちょっとした丘の上に、洋風の建物が見えた。
そこで、甲高い金属の音が、僕の脳みそを突き抜けた。
「ちょうど十二時だね」
鐘の音の連打が、四度おこった。それぞれの間隔は狭く、脳内で次々と反響するかのよう――
今となっては、懐かしみすら覚える音だ。
けれど、当時は、四つの音が塊となり、人間でない何かとして自分に襲い掛かってくるように感じた。
けれど、それが不愉快であるそぶりは、芽衣さんの手前できなかった。
「天主堂、ちょっと寄ってく? 多分おばあちゃんもいるよ」
とき子さんと会ったことはなかった。講演会を精力的に開く八十歳超の元気なおばあさんだと聞いていて興味はあった。天主堂、と呼ばれる建物にも、一度行ってみたい。そう言いきかせ、不快な音を発する教会というイメージを掻き消そうと頑張った。
急な坂道に差し掛かる。丘の上にそびえる、レンガ造りの建物。例の、人間ではないものの感覚が、より澄んでいるように感じた。宗教のことはよく分からないが、それがキリスト教の建物だということぐらいは分かったし、永益家が代々クリスチャンであることも知っていた。
「教会に入ったら、話したいことがあるんだ」
先に建物の前に降ろされて、芽衣さんは真剣な表情で言った。
「お母さんにも、おばあちゃんにも相談できないことなんだ」
芽衣さんに頼りにされているのだろうか。もう、僕は慕われているも同然ではないか。悶々としながら、車を駐車しに行った彼女を待っていた。
――歓迎しよう。
建物の中から、そう聞こえた気がした。いったい誰の声なのか、それは今でもよく分からない。
入り口の戸を開いたそのとき──僕の視線は、礼拝堂の最奥に配置されたオルガンにくぎ付けになった。美しい内装にはまるで目がいかず、そこから流れる音──それが僕の心臓を食い荒らしに来ようとしていた。
ブラームスの、交響曲第一番。
僕が教会を飛び出していくとき、芽衣さんの驚いた目を一瞬見た。気が咎めるものの、そこから逃げたい気持ちのほうが圧倒的に勝っていた。話したいことがあっただろうに、彼女は僕を追いかけてこなかった。
◆ ◆ ◆
学校には相変わらず行っていない。芽衣さんにも、あれ以来会っていない。朝、いつもの平和公園で、いつものパン屋に制服で通うのも気まずくなってきた頃合いになっても、そうした状況が続いた。
その間に何件か、母親から携帯にメールが入っていた。また学校の様子を聞かれたので、出来事をでっち上げた。学校での生活を順調に送っている、そう答えるたびに後ろめたさが増していく。
いよいよ、家を出るのも辛くなってきた。体調が悪いのにかこつけて学校を休んでしまうと、そこからはもう駄目だった。
――教科書には載ってない歴史が、長崎にはたくさんあるんだよ。
差し伸べられたはずのその手を、僕は打ち払ってしまった。後悔とともに再生する芽衣さんの言葉は、出がらしのように少しずつかすんでいった。失恋にも満たない心の痛みが次々と生まれては、絶望と化していく。
――どうか、命は取らないでください。
代わりに頭にこだましてくるのは、昔の自分の震えた声。あの情けない声さえ発することがなかったら、僕はこうして苦しんでなどいないはずだった。僕は僕の言葉に首を絞められ、時には命をすら失うのではないかという思いに駆られた。すべては僕の感性が悪い――。
僕はまた家に閉じこもって、夜明けとともに寝る生活に戻っていた。曜日の感覚などなくなっていた。あまり時計を見ないので、時間もよくわからなかった。でもその日はたまたま、僕の家のインターホンが鳴った。
応答すると、彼は同級生を名乗った。
「学校の配布物、ポストに入れておくね。ゆっくり休んで、元気になったらおいでよ。僕は学級委員の島田。学校に来たら色々サポートはするから」
僕は彼に優しさをかけられるだけの価値があるのだろうか? さらに島田くんは続けて、
「今度の日曜日、天主堂の近くの会館でとき子さんが講演するんだ。僕は聞きに行くんだけど、もちろん小谷くんが元気だったらでいいから、聞きに来てくれると嬉しい」
行くつもりはなかった。
卑屈さが癖づいてしまった僕には、それも悪意ある言葉のように思えてしまった。
「ここだけの話だけど、僕も学校は苦手なんだよね――いつも一人だし、たまにシカトとかされるし。べつにクリスチャンじゃないけど、とき子さんの話を聞いてると、落ち着くんだ」
「島田君はさ」
僕は単純に興味がわいた。自分と同じように、学校に良くない思いを抱いていながら、それでも通い続ける理由は何であるか、不思議だった。
「どうして学校に通っていられるの」
「そんなの、勉強を教えてもらうためさ」
「それだけで、辛いことに耐えられるのがすごいと思う」
「僕はね、学校の勉強なんて自分の都合のいいように使えばいいんだって思ってる。僕、実は東京の大学を受けたいんだ。そこを目指せる進学校に入るために、勉強を教えてもらってる。それ以上のことは、学校に期待してないんだよ」
「じゃあ、友達がいない寂しさはどうやって誤魔化してるの」
「――この街は、あぶれ者に優しいんですよ。学校で、世間で、認められない苦しさを持った人たちにも、私たちは優しくありたいのです」
「――それはとき子さんの言葉?」
彼はうなずいた。心の隅まで染みていくような清らかさが、言葉の節々から感じられた。
「とき子さんがよく、そう言うんだ。――よかったら、遊びに行こうよ。日曜日に会館で会おう」
天主堂での日曜日の礼拝が終わったのち、迎えの車が来た。とき子さんを乗せた車に同乗させてもらう。運転する芽衣さんとは、一緒に遊んだ日以来になる。気まずくて、僕は彼女にかける言葉がなかった。
後部座席の隣に座っているとき子さんは、二人の事情を知っているのだろうか。この、僕たちの間にある無言の気まずさを感じ取っているのだろうか。意に介さず、と言ったように、凛と澄まして見える。歳を感じさせない染みやしわの少ない顔で光る、一切の濁りのない瞳。
「芽衣はあの日、とても寂しがっていたのよ」
一言――まるでそよ風のようにさらりと言った。
「言わないでよ、恥ずかしいな」
芽衣さんは恥じらいに体をゆすっていた。
「遊び相手が見つかって、嬉しかったようだから。大輝くんありがとう、芽衣の相手をしてくれて」
「運転が狂うからもうやめて……」
「芽衣お姉ちゃん、あの日はごめん。それから……ありがとう」
僕の言葉に、芽衣さんは今にもハンドルから手を放して頬を覆ってしまいそうだった。僕はつい、吹き出してしまった。
車が駐車場についたとき、とき子さんが、
「そう言えば大輝くん、塔の跡は見てないのかしら?」
「あー、この前行こうと思ってたんだけど」
芽衣さんがそれに同調する。なにかどろっとした予感めいたものが胸で渦巻いた。大きな事実を、暴露されてしまいそうな気がした。
そこには、無残に砕かれたような建物の廃墟があった。苔むした建材が赤い瓦礫に覆われていて、明るい日差しにあたってもなお陰惨なさまだった。
「昔の天主堂の、左の塔だよ。爆弾で飛ばされて、ここにこうして残されてる――」
「昔の塔?」
そう、と話を継いだのはとき子さんだった。この遺跡は原爆の遺物として残されている。中の鐘は、今でも現役であり、この前聞いた鐘の音だと知った。
「よく澄んだ音だったでしょう」
とき子さんの目が僕の心を見通しているようだったので、肯定ではない本心を言った。昔から、人間を超えたなにものかの気配を恐れていたこと。疎んじられると思っていた、誰にも打ち明けられなかった自分の本心は、一度伝えると覚悟すると意外なほどすらすらと言葉になった。
とき子さんは僕の告白を、意外にも柔らかな表情で聞いていた。
「あーあたしもじつはうんざりなんだよねー。子供のころから何度も何度も聞いてると、いい加減飽きてくるし」
目を細めてうなずく仕草に、孫娘への優しい心遣いが現れていた。まだなにか、話したそうにしている芽衣さんから言葉を引き出すためか、ゆっくりと深くうなずいた。
「あの日言えなかったんだけど、もうこのさいおばあちゃんにも伝えるよ。――私、教師になりたい。もう一度、大学に通って勉強して、学校が嫌いな子供たちに学校以外の居場所があるんだよって伝えてあげたい」
それが、芽衣さんが僕だけに打ち明けようとしたことだった。確認せずとも分かった。
「二人ともの考えを、主は認めてくださるでしょう――と言っても、よくわからないわよね」
とき子さんは言いなおした。
「自分を信じるもとは、私たちの心の中にあるのよ」
講演会場に入ると、僕は島田くんの隣に座り、とき子さんの登壇を待った。さらに隣には、僕の父がいた。
――何度聞いても、とき子さんの講演はすばらしいよ。
父はかねてからそう言っていた。仕事の関係と言いながら、毎週休みの昼に出かけていたのは、とき子さんの話を聴きに行っていたのだ。
とき子さんが現れると、さっと空気が静まり返り、その後つつましい拍手が起こった。
「さて、今日は浦上信徒たちの心のよりどころについて話しましょうか」
かつて、浦上信徒と呼ばれたこの辺りのクリスチャンたちは、日本政府から多大な迫害を受けていたらしい。
「自分の価値観が世間に否定されるというのは、本当に辛いことです……私たちの先祖、浦上教徒もそうでした。イエス・キリストを信じ、神の子羊たる身としての自覚が大いにあるのに、それは違う、と言われる。それでも私たちの先祖は、信じ続けたのです。そんな彼らの心のよりどころに、必ずアンジェラスの鐘はあったと思うのです」
とき子さんの目は慈しみに細められていて、ほとんど眠っているようだった。
「――現在に残る廃墟は、私を含めた原爆の被害者を忘れないようにするため。昔鳴り響き、今もなお鳴り続ける鐘の音も、現代にまで聴き継がれる、これもまた文化的遺産だと感じます。私たちの先代の生きる希望を耳にすることができるのは、とても幸せなことです。――では、最後に歌いましょうか」
歌、と聞いて、僕は身構えた。緊張するな、鼻歌でいいから、と父は僕に言った。聖歌を歌ってみるのは、とき子さんの講演の、恒例行事なのだという。
なんとなく、僕は鼻歌で音を取った。喉を震わすことなど、最近ではほとんどなかった。
しかし驚いたことに、僕は思っていた以上にきれいな音を奏でることができた。
◆ ◆ ◆
式の途中でそんな空想が頭をもたげ――涙が流れるのに任せていると、
「泣き虫」
隣の人が僕を小突いた。しかし、僕にだけ見せる頬のゆるみを、表情にたたえながら。
ようやく里沙の緊張はほぐれてきたようで、可愛らしく微笑んだ。自分よりも頭一つぐらい背が低いが、1人前にものを言う。憎まれ口を叩く彼女も愛おしい。
「そういう里沙は表情が固いよね」
「うるさいなあ、慣れてないんだってば」
僕も慣れていない。そうすぐに慣れるものではないし、一生に一度のことで慣れることはないだろう。
惜しむらくは、とき子さんに僕らの姿を見せられなかったことだ。二年前に亡くなったと聞いた。とき子さんにも、報告したかった。滑らかなピアノの音が僕たちを包んでいる。記憶にある、あのオルガンの音でさえ、しっとりと僕を撫でてくれていたのだ。僕はそのとき、怖くて逃げ出してしまったのだけれど、それを思い出して笑える程度に僕も大人になった。けれどこれから、というものだろう。ようやく、僕は大人へと成長し始めている。
教会のステンドグラスから光が差す。教会式が終わり、拍手のもと、外に出る。青空から差す――長崎の強い日ざしの幻影を見た。
僕を一つ、大きくしてくれた日差し。僕が目を背けていただけで、太陽は空にもとからあり、ずっと僕を見ていたのだ。
挙式をするにあたって、勿論和風のそれも考えた。しかし、僕は自分で進んで、式のクライマックスに鐘を鳴らす式次第を選んだのだった。
僕たちを祝福する鐘を、僕と里沙とで鳴らした。まるで産声のように甲高く、まるで雨上がりの虹のように美しい音だった。高く突き抜ける空に、音が溶けていくのが目に見えるようだ。
◆ ◆ ◆
島田君が、また家までプリントを配りに来てくれた。入学式からこれまで毎週来てくれていた彼に、僕は意を決して告げた。
「島田くん、明日から学校に行くよ」
島田くんは僕に満面の笑みを見せてくれた。僕がそう告げる日が来るのを待っていたと言わんばかりに。
「東京の大学で会おう。僕は一足先に、東京に戻って高校を受けるけどね」
家の中から出てきた父が驚いた表情を見せた。
「ずっと長崎で暮らしてもいいんだぞ、東京は息苦しいだろう」
「違うよ、僕はもう、周りに自分を伝えられる自信があるから大丈夫だよ、それに」
「それに?」
「お母さんが向こうで築いてきた環境を、僕の都合で壊すのは申し訳ないよ」
自分を偽ることなく、発信すること。それを恥じないこと。それらを、昔の長崎の人々はやってのけたのだろう。僕は長崎の地に勇気づけられ、そしてそれを周りに分け与えたいと思った。今、苦しんでいるのは、自分の思い通りになっていない母親だということに、すぐ思い至った。
「早速お母さんに連絡するからな、大輝、立派になったな」
「まずは学校に行かなきゃだけどねー」
どこからか、芽衣さんが現れて僕を茶化してきた。
「大輝お前、学校に行っていなかったのか?」
「えっと、それは」
「私の特別授業を受けさせていたので、学校は欠席させました」
なんちゃって、と舌を出す芽衣さん。父はその茶目っ気に、怒る気も失せたのか、
「――どんな方法にしろ、大輝を成長させてくれてありがとう」
そんなことを言った。
「私、教師に向いていると思う?」
父は残った仕事があるといい職場へと行った。芽衣さんに家まで送られる車の中で尋ねられて、一緒に遊んだ日を思い返した。正直からかわれっぱなしだったので、しばらく答えに窮したが、それでもこれだけは言うことができた。
「僕は、芽衣さん――芽衣お姉ちゃんに、寄り添ってもらったよ。弱っている人を勇気づける力は、持ってるよ」
恋心めいたものを、少しでも彼女に抱いたことを恥じながら、僕は言った。芽衣さんはそれきり何も言わずに、前を向いて運転に集中しているようだった。鼻をすするような音が聞こえたかもしれない。
◆ ◆ ◆
鐘の音は天に届いただろうか。いや、届かなくてもいい。僕の心の中で、僕が鳴らした音が鳴り続ければそれでいい。
僕は人生を歩いている。歩いていく。ここから、確かに。
ブラインドから漏れる光がどんどん暖色になってきているような今日このごろ。花粉の弾幕が降りやんだのを皮切りに、ふと外に出てみたくなる季節になりました。商店街のガードから漏れる光、不思議と寂しくない夜風……、そういった、春にならないと見えないものが増えてくると創作意欲にもブーストがかかります。
しかし、それは筆者が主観しているだけの事であって──実際はもっと複雑な季節なのかもしれません。新生活や異動にまつわる環境圧を、象徴する時期でもあるからです。
押し寄せる春を前にして、浮ついた周囲へのいらだちを覚える。青春っぽいナニカへの抵抗を感じる。そういう人も少なくはないでしょう。
良くも悪くも、サクラが私たちに植え付けるイメージは強烈だなと思います。何か甘いものを期待させ、しょっぱい現実をたらふく飲ませにくるわけです。
筆者はその罠に、わざとひっかかりに行きます。
そういう心の揺らぎが、結局のところ創作意欲を倍プッシュしてくれるので。
名古屋を襲った震度7の巨大地震、東京の水がめである奥多摩と奥秩父を襲った1時間雨量300ミリの豪雨、920ヘクトパスカルで鹿児島本土を直撃した台風……日本は度重なる自然災害に見舞われていた。これにより、災害情報をどう国民に伝えるかという課題が浮き彫りとなった。
総務省と関東大学情報学環との共同研究の結果、災害時に一番伝達力があったメディアはテレビや新聞、防災無線ではなくスマートフォンであることが判明した。そのため、日本政府は15歳以上の国民に対しスマートフォンの支給と所持の義務化を宣言。スマートフォン普及率が八割を超えた社会であるため国民の多くは納得した一方、「国家による私生活への干渉だ」といった批判の声も相次いだ。抗議のデモも官邸前などで度々行われ、デモ隊が警官隊と衝突する事態にまで発展したこともあった。一連の抗議活動は一部メディアでは称賛されたものの、多くの国民は反対派の過激な言動に困惑し、消極的賛成者を多数生み出す結果となった。
結局、与党の強行採決により15歳以上のスマートフォン所持は義務化された。当初は混乱も懸念されたが、半年もすれば状況は自然と落ち着いていった。そんな世情の中誕生したのが、あの「べるるファンタジア」だった。
「べるるファンタジア」は、横浜市港北区のベンチャー企業「Gohn」社がリリースしたスマートフォン用ゲームである。ゲームの内容は端的に言えば、実在するキャラクター同士をPVP形式で競わせるというものだ。競わせるキャラクターの網羅度も異様である。それこそ鳥獣戯画のキャラクターから、アプリケーション配信当時に放送されていた深夜アニメまで日本にあるほぼすべてのアニメ・マンガ・ゲームのキャラクターが網羅されていた。60年代に当時の少年たちにヒットした巨大ヒーロードラマの始祖『空想特撮シリーズミラクルマン』、70年代初頭の第二次怪獣ブームで生まれたカルト作品『剛人ライオンエイト』、70年代末に重厚なストーリーと緻密な作画で人気を博した『希望戦士ゴンガル』、90年代に緻密な心理描写で当時の青少年に受けた『ニューセンチュリーの福音書』、2011年・東日本大震災後の世間の空気とマッチし一躍話題になった『魔法幼女マジ卍』、放送終了を経た後も熱烈なファンがいるカルトアニメとして知られる2013年夏の『帰宅部活動記録』、多数の自称難民を生み出した2019年の日常系アニメ『ご注文はきんキャンベイベーTrick式がーるず』……上位プレイヤー層がいる作品を列挙しただけでも、いかにこのゲームが古今東西の作品を網羅しているか分かるだろう。そしてそのゲーム内で頂点に立ったキャラクターには、たとえどんなマイナーなキャラクターであれど大規模なコンテンツ展開を行うと、Gohn社は約束した。
「べるるファンタジア」はリリースと同時に瞬く間にアプリストア一位に躍り出た。老いも若きも国民の大部分が「べるるファンタジア」に熱狂しはじめ、投機家らはGohn社の株が上場するのを待ちわびた。Gohn社が株式を公開した日も、かつて旧政府系の電信会社が上場した日のように株価が暴騰して、時価総額は半年でおよそ20万倍にまでふくれあがった。しかし当の投機家すらも、株価変動よりも「べるるファンタジア」に血道をあげるようになったのは皮肉な話である。Gohn社のプレスリリースによると、売上高は数千億円から数兆円規模になったという。ただしGohn社があまり資金を使わないことや、そもそもGohn社は数人しかいないベンチャー企業であること、役員報酬ですら月30万であったことから、経済効果は非常に限定的であった。しかし、「Gohn社に高額課税をして福祉国家の実現を」と主張している野党や市民団体も見受けられたことから、その経済効果自体は国家規模のものであったといえる。
◆ ◆ ◆
しかし、「べるるファンタジア」がもたらした熱狂は、社会にさまざまな悪影響を及ぼした。「べるるファンタジア」で推しキャラを一位にしたいという動機から、金銭目当ての犯罪が横行しはじめたのだ。東京都世田谷区の40代会社員は、会社の金およそ5億円を着服し逮捕された。岡山県瀬戸内市の中学生グループ3人は、「べるるファンタジア」に課金するため高齢者相手に恐喝を繰り返して逮捕された(被害総額1億円超)。大阪府東淀川区では「べるるファンタジア」に課金するためスリを行い現行犯で逮捕された50代の府職員もいた。北海道帯広市では土木作業員がパワーショベルを使いATMを破壊し、現金数百万円を強奪した事件も発生した。岐阜県藤志町では2010年代のゆるキャラ濫造時代に作られたマスコット「ふじっしー」を1位に祭り上げようと10億円を「べるるファンタジア」に投じ、最終的に国会沙汰となったことは記憶に新しいだろう。
「べるるファンタジア」に関連する訴訟も起きている。福岡県早良区の男性会社員はアイドルゲーム「ラブアイドル!スクールシンデレラステージ」のキャラクターである吹田パールをランキング1位にのし上げるよう上司に強要されたとして、パワハラとして告訴した。しかし、福岡高裁の裁判官ですら「べるるファンタジア」の虜になった現状ではまともな判決が出ることもなく、結局原告である会社員の敗訴で幕を閉じた。
「べるるファンタジア」を巡る狂騒曲はやがて社会全体を巻き込み、次第に社会全体が歪んでゆく。資本の流れが「べるるファンタジア」に吸い上げられることにより娯楽産業は軒並み衰退した。パチンコ店やゲームセンター、遊園地といったレジャー施設は軒並み閉鎖に追いやられた。日本最大級のテーマパークである千葉県浦安市の「東京ネズミーリゾート」や大阪府此花区にある「シグマスタジオジャパン(SSJ)」ですらも閑古鳥が鳴く始末で、両テーマパークとも米国の本部から「日本からの撤退と新興国への移転」を通知される事態となった。
娯楽産業だけではなくメディアにおいても「べるるファンタジア」がもたらした影響は深刻だった。公共放送の受信料を「べるるファンタジア」の課金に使ってしまうため、公共放送の受信料収入は右肩下がりで、大規模なリストラをしてもなお経営は改善せず、次第に番組の質も劣化していった。受信料収入目当てで、公共放送の教育テレビでわいせつアニメが流される珍事すらも発生した(そのアニメのキャラクターすらも「べるるファンタジア」には速攻実装された)。公共放送のみならず民放各局も悲惨な有様で、テレビのコマーシャルもスポンサーの撤退が相次いだことから、ACジャパンのコマーシャルが延々と流される事態となった。一部のACファンは歓喜したが、大部分の視聴者はテレビのコマーシャルが変わったことすら認知することもなく、「べるるファンタジア」に狂奔していた。
また、新聞業界ではサラリーマンを対象にした夕刊タブロイド紙が全く売れなくなった。夕刊タブロイド紙はイデオロギー的に対立していたものの「べるるファンタジア」の脅威に呉越同舟し、共同で「べるるファンタジア」批判キャンペーンを展開した。しかし暖簾に腕押しだったことは論を俟たないだろう。それどころか毎朝新聞や報日新聞といった大新聞にさえ、廃刊のうわさがちらつく事態となった。
◆ ◆ ◆
やがて「べるるファンタジア」は社会そのものを蝕みはじめる。文部科学省が発表している「学校基本調査」によると、小中高校の不登校率は96%にのぼり、過去最悪を更新した。高校以上の学校の中退率も深刻化しており、例えば熊本県人吉市にある進学校の県立球磨高校では新入生281人のうち278人が入学1か月以内で中退する事態となっていた。山梨県都留市の公立都留文理大学では全学生3104人のうち3029人が中退し、残る学生も「べるるファンタジア」に熱中し講義に出ないという有様である。こういった事例は地方の大学だけではなくMARCH(森永大学・麻布学院大学・鹿鳴館大学・中都大学・法政大学)や関関同立(関西大学・関西学園大学・同英館大学・立志社大学)といった都市部のマンモス私立大学、さらには関東大学や洛陽大学、関東工業大学、単芝大学といった超一流といわれる大学でも発生していた。これらの大学に所属する研究者や大学院生ですらも研究から遁走し「べるるファンタジア」にのめりこんでいた。その結果、日本の科学技術は一気に国際競争力を失って停滞。今や発展途上の域を脱しようとしているアフリカ諸国に追い抜かれることとなった。
会社員や公務員は職務を放棄し「べるるファンタジア」に熱中するようになった。経営者まで「べるるファンタジア」に熱中したことから企業の倒産件数も急増し、日本経済も空前絶後の大不況に突入、失業率も50%の大台にのった。政府は経済浮揚策をとったが、「べるるファンタジア」により労働意欲が喪失した労働者には何の影響もなかった。
さらには国内で大規模な殺傷事件や爆破事件も起こるようになった。その理由も「推しのキャラクターが1位にならないことにいら立った」というものである。東京都渋谷区では高性能爆薬を密造した鹿鳴館大学の大学院生が、東急東横線の渋谷駅で爆破事件を引き起こした。この事件により、東急5050系車両2両が大破する大惨事となった。幸か不幸か「べるるファンタジア」に熱中し引きこもっていた人が多く、人がほとんど乗っていなかったために、人的被害は死傷者数7人で済んだ。犯行理由として大学院生は「推しのキャラクターが1位にならなくてむしゃくしゃした」と供述しているという。
広島市中区の商店街では無差別通り魔事件が発生。4人が死亡、9人が重軽傷を負う惨事となった。容疑の40代無職の男性は「べるるファンタジア」のために会社を辞め、貯金を全額「べるるファンタジア」に課金しながらプレイしていたというが、推しキャラが1位とならず自暴自棄となり犯行に及んだという。他にも札幌市・秋田市・川崎市・名古屋市・和歌山市・高松市・熊本市・糸満市でも同様の通り魔事件が起こっている。
都市インフラの供給にも影響が生じ始めた。電気の供給が四国全域でストップするという現象が発生した。原因としては四国管内すべての発電所の職員が「べるるファンタジア」にのめり込み発電所の運転ができない状態になったことがあげられる。これにより四国地方の産業はすべてストップする事態となった。四国地方の住民もまた「べるるファンタジア」ができないことへのフラストレーションがたまり、ついに電力会社前で大規模な暴動が発生するに至った。その後、同じようなブラックアウト現象が全国各地で多発し、そのたびに電力会社と資源エネルギー庁が発電所へ「べるるファンタジア」を職務中にプレイしないよう通達を出したが、梨のつぶてに終わった。電力不足の影響により水道・都市ガス供給もストップする事態となったが、そんなことでさえ「べるるファンタジア」に執着した人間にとっては些事に過ぎなかった。
「べるるファンタジア」で推しキャラを1位にすることこそが至上命題となった人間にとっては、水分補給ですら邪魔だと感じていたようだった。おかげで熱中症となり、そのまま死亡するというケースも後を絶たなかった。各地の消防局などの報告によると、遺体はいずれもスマートフォンを握りしめたままの状態であったという。もっとも、消防隊員や救急救命士すら「べるるファンタジア」の虜となっていたため、出動が遅れるという事態はそれこそ日常茶飯事であった。出動の遅れにより大規模な被害が発生した事例もある。京都府中京区では強風が吹き荒れる冬の日に火災が発生したが、消防隊員が全員「べるるファンタジア」に熱中していたことにより初動が大きく遅れたことで、最終的には4ヘクタールを焼く大火事に発展した。「べるるファンタジア」にのめり込み避難が遅れた人も大勢いたため、この火災による最終的な死者数は数千人規模と推定されている。
◆ ◆ ◆
「べるるファンタジア」への国民の執着は、ついに国際問題にまで発展した。企業倒産の多発や電力供給の不安定さ、さらにはそれに伴う工場の稼働率低下により日本国内のGDPは大きく低下した。当然、それは世界経済に大きな悪影響をもたらし、中国・米国・韓国・西欧諸国などの対日輸出入額が多額な国々は軒並み景気が悪化することとなった。経済の悪化は社会不安をもたらし、世界各地でデモや暴動が頻発するようになった。
それだけに留まらず、ついに「べるるファンタジア」は内戦の引き金をも引いてしまった。内戦が発生したのは東欧にある産油国である、ロメルニア共和国。きっかけは、「べるるファンタジア」の影響で石油と天然ガスの対日輸出額が大きく落ち込んだことにより、保守政党であるロメルニア国民党の求心力が一気に低下したことだった。これに乗じて海外の環境テロリストから援助を受けた左派政党・ロメルニア緑の党が武装ほう起し、ロメルニア国民と国軍の間で武力衝突が発生。内戦が延々と続く事態となった。
日本国が引き起こしたこれらの混乱に対し、同盟国や近隣諸国は事態の収拾を図るよう指示した。しかし、当の政治家すら「べるるファンタジア」の虜となり、今となっても問題解決の糸口は未だ掴めない。米国の経済紙・ウォールストリートジャーナルをはじめ、各国のメディアは「謎のアプリケーションで没落した日本の末路」「日本国は先端技術で崩壊した」と書き立てた。
日本社会を破壊しつくした「べるるファンタジア」だが、その運営者は一体何者なのか? 運営会社のGohn社がある港北区のオフィスに、筆者をはじめとして数多もの報道陣や政府の調査機関が足を踏み入れた。
しかしそこは、レンタルオフィスで誰も入居していなかった。管理会社の担当に話を聞いてみたが、「べるるファンタジア」をプレイしながら「このフロアには10年前からどこの会社も入居していないよ」との答えが返ってきた。
このスマホゲームの正体は何だったのか? 突如として「べるるファンタジア」のサービス終了が発表されたのは、まさに筆者がそう考えた瞬間だった。結局のところ、勝者はいなかった。人々の熱狂の跡に遺されたのは、茫漠たる廃墟と社会の残滓だけだった。
2019年3月21日 発行 初版
bb_B_00158707
bcck: http://bccks.jp/bcck/00158707/info
user: http://bccks.jp/user/144804
format:#002t
Powered by BCCKS
株式会社BCCKS
〒141-0021
東京都品川区上大崎 1-5-5 201
contact@bccks.jp
http://bccks.jp
なんかつくろう部は、さまざまな創作活動を行うサークルです。異なったジャンル・趣味の人と情報や感想を交換し合い、モチベーションを維持しながら創作活動できるコミュニティを目指しています。
寄稿者のコメント
今回寄稿した小説は、実は僕が書いたのではありません。強いて言うなれば、大いなる〈母性〉が僕にそうさせたのです。しかし、母性への甘い思慕もやがては移ろい、自身の核を持っていくものです......。まあ僕自身はずっとおぎゃりたいんですけどね!
(綾上 澄)
高校時代似たような小説を書いたのですが、それを現代版にブラッシュアップした感じですかね。小説として退化しているところも多々見受けられますがご愛嬌ということで。あと『帰宅部活動記録』は面白いからみんなで見よう。
(ふきのとう)
春を感じられる雰囲気で鐘を描いてみました。今回が初めての制作物参加だと思うので、参加できてとても嬉しく思っています。
(ししゃも)
はじめての本づくり。疲労も半端ないですが「パッケージしたぞー!」という謎の達成感があって最高に気持ちいい。
(つきぬけ)
当サークルに興味のある方はこちらから
https://nannkatsukuroubu.wixsite.com/sousakusiyouze