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「係長……、お願いがあります」
七夕頃の夕暮れどきに、奈良県桜井市の巻向駅から南に五〇〇メートルほど離れた箸中の集落にあった小さな工場で、スーツを着用した若い社員が、初老の別の社員に話しかけた。
「実は、私の祖母は介護が必要で、普段は私の母が面倒を見ているのですが……彼女は今日風邪をひいてしまったのです。それで、代わりに介護をできる者が私しかいなくなってしまったため、今日から二、三日の間、休暇をいただきたいのですが……」
「え……ええっ!」
彼に係長と呼ばれた初老の男性は彼の発言に驚いた。
「そうはいかないぞ……そんな簡単に休暇を申請して……、君は、わが社に対する愛社精神はないのかね?」
「私の家ももう余裕がないのです……! 私も今日まで、毎日終電近くまでこの会社で働いてきました、本来なら残業時間は月四五時間までと法で定められているはずです、この程度の休暇くらい認めていただいてもよいのではないですか?」
「法律なんてどうでもよいのだ……私は、正論を述べて会社をよりよい方向に導こうとしている部下などいらない! たとえそれが悪いことであっても、ただ黙々と奴隷のように上司の言うことに従う部下を求めているし、現にみんなそうしている……! 一人だけ正論を述べるとは生意気な奴だ! 休暇を認めるわけにはいかない!」
係長と呼ばれたその男性は叫んだ。その瞬間、彼の胸元には薄い霧が発生したが、彼も、彼の部下もそのことには気づかなかった。
「さあ……わかったら、仕事に戻るんだ」
係長はそう言って部下を促した。
*
そして時間が流れ、夜の九時頃になった。
「それでは……私は先に帰る。君たち、後を頼んだぞ」
係長の男性は部下たちにそういうと、工場を後にした。そして、工場に隣接している駐車場から黒い乗用車に乗り込み、それを発進させた。そして二、三分ほど走ったところで、誰かが乗用車の後を付けて来ていることに気づいた。
「な……何だ……?」
彼は車の速度を時速四〇キロメートルから七〇キロメートル程度にまで上げた。ところが、その人の姿はずっと車の後を付けて来ていた。男性は恐怖心に駆られ始めた。
やがて車は三輪山の山中の一本道に入っていった。その人影も車の後を追い続けた。
「な……なんだあいつは……!」
男性はさらに車の速度を上げた。するとすぐに山中の道路の終点にある檜原神社に到着した。
彼は車の中から周囲をきょろきょろと覗ったが、誰の人影もなかった。
「……ふう……疲れて、幻覚でも見ていたのか……」
そう呟くと、再びアクセルを踏み、バックをするためにバックミラーを覗き込んだ。
すると、そこに山吹色の狩衣を着用した男性の姿が写っていた。
「う……うわあ……!」
車に乗っていた男性は慌ててドアを開け、神社の三つ鳥居の方に向かっていった。
「逃がすか……!」
狩衣の男性も彼の後を追って神社の境内に入った。
*
夜間の静まり返った京都市内の一角に一軒、現代的な住宅があった。
その家の部屋の机の上に携帯電話が置かれていた。
それはすぐに鳴動した。すると、それに手が伸ばされた。
「もしもし……新蘭さん……?」
珠洲はそれを耳に充てた。
「朝霧さん……夜分に申し訳ありません……こんな時間に、移板が反応を示してしまいました……」
電話の主、新蘭は珠洲に謝りながら話した。
「あ……そうですか……わかりました、集合場所は……耐ちゃんの家ですね、わかりました、今から行きます……、大丈夫です、あまりお気になさらないでください……」
珠洲はそう言うと電話を切り、壁に掛けてあった蜜柑色のジャケットを白のTシャツの上に羽織ると、部屋を後にした。
*
耐の家の前には既に耐の他に美濃、司と新蘭がいた。
「あ、珠洲ちゃん来た……」
耐が道路の先を指差した。
「あ……、みんな、お待たせ……」
珠洲は彼らの姿を見つけると、恥ずかしそうに小走りでその元に駆けていった。
「後は…四人……?」
「うん……」
彼らは頷きあった。やがて、残りの雲雀、唯、弘明、淡水らも宝心寺にやってきた。
「それじゃ、新蘭さん……お願いします」
美濃が新蘭に移板の発動を促した。
「あ、わかりました……」
新蘭は頷いた。
「ちなみに、今度の場所はどこでしょうか……」
司が新蘭に尋ねた。
「あ……、これは失礼しました、場所は奈良県、桜井市の三輪地区です」
「え……」
「奈良……? あ、そういえば春日大社さんも奈良でしたね……」
耐と珠洲は顔を見合わせた。
「実は、明神二十二社の第八位は大原野神社でしたが、第九位以降は京都を離れて奈良県の大神神社、石上神宮、大和神社と続くのです。今回の末鏡の発動も、この第九位以降の明神二十二社と何らかの関わりがあるのかもしれません」
新蘭は子どもたちに説明した。
「そうなんですか……」
珠洲はその説明に頷いた。
「さあ……それでは参りましょう」
新蘭は移板を自分の体の上に翳した。すると、彼女を中心に、薄い緑色の光が子どもたちを包み込み始めた。
「……」
珠洲はぼうっとその光を眺めていた。
*
一方、奈良県桜井市三輪の檜原神社の三つ鳥居の前で、狩衣を着用していた男性が初老のスーツ姿の男性を追い詰めていた。
「車ですら追ってきて……お前は……ただの人ではないな……、なぜ私を追うのだ!」
初老の男性は狩衣の男性に尋ねた。
「お主の胸の前に発生しているその霧……鬼玉に我は用がある。それを喰らい、時空間を破壊するのだ」
狩衣の男性は淡々と答えた。
「そんな……それで、私はどうなるのだ」
「お主の魂も時空を離れる。つまり死人となる」
「な……そんな……! 助けてくれ! なぜ私なのだ……!」
初老の男性は嘆願した。
「それは……お主自身の行いと関係しているのだ」
「な……私自身の行いだと……?」
「さあ、説明はいいだろう、私は鬼玉を貰い受ける」
狩衣の男性はそう言うと初老の男性に一歩近づいた。それを見た初老の男性も恐怖から一歩後退した。
「おっと……逃げても無駄だ……。お主自身、わかっているのではないか……? 偽りの真実を真実と言い聞かせ、逃げ続けてきたことに……」
「な……」
狩衣の男性に言われて初老の男性は後退を止めた。
「そこの神霊、少し待たれよ……!」
そのとき、新蘭の声がした。そして、初老の男性の前に突然白色の光が現れ、その中から八人の子どもたちと新蘭の姿が現れた。
「へ……な……子ども……?」
彼らの姿を見た男性は驚きの声を上げた。
「この男性の鬼玉を狙って出現したものとお見受けしますが……どちらの神霊ですか?」
新蘭は神霊と呼ばれた狩衣の男性に尋ねた。
「私はここ、拝殿も本殿もない、三つ鳥居しかない社、檜原神社の神霊である……、初の元伊勢の社として知られている……」
「元伊勢……?」
子どもたちは檜原神社の神霊と名乗ったその男性の説明に疑問を感じた。
「ふふ……天路の従者たちは元伊勢について詳しく知らないようだな」
檜原神社の神霊は珠洲たちを嘲笑した。
「教えてやろう……現在は三重県伊勢市に鎮座している神宮は、もともと崇神天皇の時代までは皇居に祀られていた。崇神天皇六年こと紀元前九二年、当時流行していた疫病を鎮めるため、皇居に祀られていた天照大神と倭大国魂神(やまとのおおくにたまのかみ)を豊鍬入姫命(とよすきいりびめのみこと)に託し、皇居からこの檜原神社の地、笠縫邑(かさぬいむら)に移された。天照大神の御霊はその後各地を転々としたが、およそ九〇年後の垂仁天皇二五年こと紀元前五年に今の伊勢神宮内宮にご鎮座された。この、伊勢神宮の元となった地を元伊勢と呼ぶが、当社がその発祥である」
檜原神社の神霊は淡々と語り続けた。
「その、天照大神にとっての聖地の神霊である貴方も……もはや末鏡に惑わされたということですか」
新蘭は残念そうに相槌を打った。
「察しがいいな……なら、私はその男の鬼玉をいただくまで!」
檜原神社の神霊は右手を挙げ、さっと降ろした。するとそこから五〇度前後の熱風が出現し、子どもたちに向かって飛んでいった。
「え、風……?」
「うわ……!」
子どもたちは散り散りになって三つ鳥居の前から逃げた。
「七二候の三一番目に『温風至る』というものがある。新暦の七月七日から一一日頃を指す。真夏から夏の終わりにかけて吹く温風のことだが……私の神能の温風は通常のものよりも温度が高く、触れると低温火傷などにもなる」
檜原神社の神霊は再び淡々と説明した。
「美濃くん、大丈夫……?」
珠洲は少し離れたところに逃げていた美濃の名を呼んだ。
「あ、珠洲ちゃん……! うん……!」
「やろう……」
「わかった……」
二人は声を掛け合った。そして、檜原神社の神霊の前に立った。
「ん……なんだ……、まだ温風を浴びたりないのか……?」
檜原神社の神霊は腕を挙げた。そこから温風が吹き出し、二人の元に向かって飛来した。
「美濃くん……」
「うん……!」
珠洲と美濃はそれを見て頷き合った。そして、それぞれが持っている光筒を手にした。すると、すぐに二人の姿は光筒が発した白い光に包まれ、そしてその光ごとその場から消えた。
「な……これは……光筒か……!」
檜原神社の神霊は慌てて周囲を見渡した。その背後に珠洲と美濃の姿があった。
「珠洲ちゃん……やろう!」
「うん……!」
二人は檜原神社の神霊に向けて光筒による光の攻撃をした。
「な……後ろか……!」
檜原神社の神霊は振り返ると、両腕を胸の前で組んだ。
「光筒の威力が強ければ私も幽世に戻される……堪えられるか……」
檜原神社の神霊は呟いた。光筒の光は彼に衝突し、周囲には煙が俟った。
「やった……?」
珠洲がその状況を見て呟いた。
「まだ……わからない……光筒の威力が彼の霊力よりも弱ければ、彼はまだそこに……」
美濃が言った。その直後に、煙の中から一本の白い光が、時速一五〇キロメートルほどの速さで抜け出た。
「え……」
それは美濃の左太ももを貫通し、彼はその場に倒れ込んだ。
「美濃くん……!」
珠洲たちは驚いて彼の元に駆け寄った。神幹が貫通した部分は出血しており、ズボンが血でぐっしょりと染まっていた。
「待ってて……治癒するね……!」
耐が手を震わせながら持っていた光筒を太ももに宛がった。光筒からはすぐに薄い緑色の光が放たれ、それは太ももに当たった。
「おっと……天路の従者よ……、お主たちにそんなことをしている余裕はあるのかね?」
そのとき、境内の入り口から檜原神社の神霊の声がした。彼は右手に持っていた蝙蝠を白く光らせていた。
「――」
それを見た、倒れている美濃の前に立っていた珠洲たちは硬直した。
「檜原……待ちなさい」
そのとき、珠洲たちの背後から聞きなれない子どもの声がした。
「な、何奴……?」
檜原神社の神霊も、子どもたちもその方を注視した。そこに、朽葉色の束帯を纏った、珠洲たちと同じくらいの年に見える一人の少年がいた。
「あ、あなたは……?」
珠洲は驚いて彼の名を問うた。
「既にご承知かと存じますが……私は明神二十二社第一〇位、日本最古の神社とも言われる、石上神宮の神霊です。祭神は布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)とされ、かつては拝殿の奥に祀られていた禁足地に埋斎されていました。一九一三年以降は、発掘して出土した剣は建造された本殿に祀られることとなりました……」
その少年は毅然と、かつ淡々と名乗った。
「石上よ……何故貴様がここに……」
檜原神社の神霊が尋ねた。
「末鏡の発動は我が国の一大事……、付近に霊気の異常を感じ、ここに参上したまでのことです……。天路の従者殿……、私とともに檜原の神霊を幽世に戻しましょう……」
石上神宮の神霊は言った。
「え……あ……」
「はい……」
珠洲、雲雀たちはそれに頷いた。それを見た石上神宮の神霊は少し俯くと、ニッと笑った。雲雀にはそれが不思議に思えた。
「石上……! 待て……!」
そのとき、檜原神社の神霊の背後から別の若い男性の声がするとともに、一筋の神幹が飛翔した。それは唯の頬を掠めた。
「ひ……」
唯はそれに震えた。
「な……しまっ……」
「えっ……」
珠洲たちはその声のする方を見た。そこに、黒の狩衣を着用した一人の男性がいた。彼は憔悴しているように見受けられた。
「天路の従者殿……どうやらあの者も末鏡に惑わされた神霊と見受けられます……檜原神社の神霊とともに鎮魂しましょう……」
石上神宮の神霊は言った。そして、彼は右手にしていた笏をさっと上から下に降ろした。すると、彼の目の前の空間にひび割れが生じ、そこから体長五メートルほどの巨大な沢ガニが一匹出現した。その沢ガニは子どもたちの方にやってくると、ハサミを珠洲に向けて 振り下ろした。
「ひっ……!」
珠洲は慌てて避けようとしたが、ハサミは腹部の一部に刺さった。
「あ……」
珠洲は激痛に耐えかねてその場に倒れた。続けて沢ガニは司の方にもやってきて、彼の前でハサミを振った。
「――!」
司はそれから逃れようとしたが、珠洲と同じく脇の一部がハサミに刺さった。
「……っ」
司もその場に倒れ込んだ。
「こ、これは一体……?」
耐が驚いて震えながら声を上げた。
「ふふ……実は、私も末鏡に惑わされている側なのです」
石上神宮の神霊は言い放った。
「え……」
「そんな……」
雲雀と唯もそれを聞いて焦った。一方沢ガニは今度は唯の方に突進してきた。唯はそれを見て恐怖で怯え上がった。
そのとき、一筋の神幹が飛翔し、沢ガニに直撃した。するとその沢ガニは消滅した。
「え……」
唯は恐る恐るその神幹が来た方に顔を向けた。そこに先ほどの黒の狩衣を着用した男性がいた。
「え……あれ……」
「あなたは……」
雲雀、耐も彼の方を見た。
「あ……申し遅れました、私はここより歩いて三〇分ほどのところに鎮座している大神神社(おおみわじんじゃ)の神霊です。大和国一宮、明神二十二社第九位、日本最古の神社としても知られております……」
その男性は大神神社の神霊と名乗った。
「え、日本最古なのですか……? 石上神宮さんも、日本最古と言っておられましたが……」
耐が彼に尋ねた。
「はい、そうです……。私の神社は三輪山そのものを本殿としているアニミズムの特色を残していますが、崇神天皇七年こと紀元前九一年に、天皇が物部連の祖伊香色雄(いかがしこを)に命じ、大物主神(おおものぬしのかみ)を祀らせたのが当神社の起こりとされているのです。この創建は倭大国魂神(やまとのくにたまのかみ)の祀られている大和神社、布都御魂大神(ふつのみたまおおかみ)の祀られている石上神宮と同じ年であり、いずれも日本最古の神社なのです」
大神神社の神霊はなるべくわかりやすく説明しようとゆっくりと耐に説明した。
「そうなんですか……」
耐もその説明を聞いて納得したような表情になった。
「あの……大神さん、あなたは末鏡に惑わされていないのですか……?」
雲雀が大神神社の神霊に尋ねた。
「あ、はい……、先ほどは大変申し訳ありませんでした……、神霊を狙ったつもりが、神幹がそちらの方を掠めてしまい……」
大神神社の神霊は唯に詫びた。
「あ、いえ……」
唯は相槌を打った。
「さて自己紹介はこのくらいにして、今は……」
大神神社の神霊は檜原神社の神霊の方に目をやった。
「大神よ……今は末鏡が活動を再開している……、お主も時空の破壊に加わらぬか」
檜原神社の神霊は大神神社の神霊に呼びかけた。
「お断りします。時空間の維持は我々幽世にいるものたちの務めのはず……、それを忘れて現世に出てきてもらっては困りますね。幽世にお帰りください……元伊勢の神霊」
そういうと大神神社の神霊は右手にしていた蝙蝠を白く光らせ、神幹を出した。
「な……神幹か……!」
檜原神社の神霊も右手にしていた蝙蝠から神幹を発光させた。
「ええい……!」
大神神社の神霊は腕を振り下ろし、神幹を檜原神社の神霊に向かって放った。一方檜原神社の神霊も同じように神幹を大神神社の神霊に向けて放った。すぐに二つの神幹は衝突しあい、爆発し、煙を放った。
「ならば私も……!」
石上神宮の神霊も笏を振り下ろし、神幹を放った。それは大神神社の神霊に向かっていった。
「な……しまっ……」
大神神社の神霊はそれに気づくのが遅れ、その神幹の直撃を受けてその場に倒れた。
「大神さん……!」
耐たちは驚いて彼に接近しようとした。
「天路の従者たちよ……貴様たちもだ」
檜原神社の神霊は続けて蝙蝠を振り上げた。
「……!」
それを見た耐たちは慌てた。
「神霊さん……待って……!」
そのとき、弘明の声がするとともに、一筋の光筒の光が檜原神社の神霊目がけて飛んできた。
「なっ……」
それは檜原神社の脇を掠めた。
「え……弘くん……?」
「淡水ちゃん……!」
耐たちの背後に弘明と淡水の姿があった。
「みんな……、ごめん、お待たせ」
「大丈夫……じゃないよね、早くなんとかしないと……」
弘明と淡水は耐、雲雀、唯に言った。
「ううん……、二人とも、来てくれてありがとう」
唯は涙交じりに二人に礼を言った。
「く……天路の従者が増えたのですか……!」
石上神宮の神霊は悔しさをにじませながらも笏を再度振り上げた。
「二人とも、気をつけて……!」
耐は弘明と淡水に言った。
「あ、うん……」
「ありがとう……」
二人は耐に返事をした。そしてすぐに石上神宮の神霊を見つめると、光筒の光を彼に向けて放った。
「く……」
しかしそれは石上神宮の肩を掠めた。
「おのれ天路の従者……!」
一方檜原神社の神霊が弘明と淡水に向けて神幹を放った。
「えっ……」
「あ……」
二人はそれを見て茫然とした。
「二人とも……!」
雲雀が叫んだ。弘明と淡水はその神幹をそれぞれ脇の傍に喰らい、出血して倒れた。
「弘くん……淡水ちゃん……!」
耐、雲雀、唯の三人は慌てて二人の元に寄ろうとした。
「おっと……まだ終わっていませんよ、天路の従者たち!」
続けて石上神宮の神霊がまた神幹を発した。
「あ……」
「――」
その神幹は耐と唯の二人の腹部に当たり、二人もその場に倒れた。
「え……嘘……」
その様子を見た雲雀は茫然とした。
「残りの天路の従者は……あなた一人ですか」
石上神宮の神霊は耐を嘲笑いながら言った。
「え……」
雲雀はあらためて周囲を見渡した。自分以外の全ての子どもたちと大神神社の神霊は既に倒れていた。
「あ……ああ……」
雲雀は絶望と孤独で震え、うっすらと涙を浮かべた。
「……まさか、そろそろ……」
新蘭は慌てて袖に入れていた移板を取りだした。能源は満ちていた。
「これで全て終わりです、天路の従者たち……!」
石上神宮の神霊はそう言うと笏を持つ手に力を込めた。
そのとき、新蘭が移板を持つ手を額の前に翳した。
「石橋さん、皆さん、移板行きます……!」
新蘭は叫んだ。すると同時に子どもたちと、大神神社の神霊と、会社員の男性は白い光に包まれ始めた。
「……!」
石上神宮の神霊は笏を振り下ろした。神幹が雲雀に向かって直行した。しかしその直前に、彼女を含めて光に包まれた者たちは全員その光ごとその場から消えた。
「え……」
「な……?」
残された石上神宮の神霊と檜原神社の神霊はその光景を見て唖然とした。
「慌てることはない……」
そのとき、二人の神霊の背後の上空に黒い霧が現れ、その中から低い男性の声がした。
「な……何者……?」
二人の神霊は訝しんだ。
「我は広瀬大社の神霊……末鏡の意思と一体となった者だ……、天路の巫女が使ったのは移板だ……一度に多数の者を移動させることができる……。しかし、移板には霊気の跡が残る……、その跡をつけていけば、いずれ移板によって移動した者の着地点にたどり着くことができる……」
広瀬大社の神霊は淡々と二人の神霊に説明した。
「なるほど……」
「それでは、その先にはまだ鬼玉が……」
二人の神霊はその説明を聞いてほくそ笑んだ。
*
その直後、星月夜に照らされて、とある広場に直径一〇メートルほどの球体の光が現れ、その中から八人の子どもたちと、新蘭と、大神神社の神霊と、会社員の男性が現れた。
「え……ここは……」
雲雀は周囲をきょろきょろと見渡した。すぐ後ろに、月夜に照らされた神社の本殿があった。
「あ……そんなことより、みんなを治癒しないと……」
雲雀は慌てて唯の傍らに行き、彼女の傷口に光筒を宛がった。するとすぐに、そこから薄い緑色の光が現れた。
「雲雀ちゃん……」
そのとき、同じく横たわっていた美濃が雲雀を呼んだ。
「美濃くん……? ごめん、少しだけ待って……」
「あっ、ちが……、筒爪……、前に東成でつけたのが……。これ、雲雀ちゃんの光筒につけて……。役に立つかもしれないから……」
「み……。わかった……、唯ちゃん、ごめん……」
「うん」
唯は少し笑いながら返事をした。それを見て雲雀はすぐに美濃の方に向かった。
「あの……」
一方、会社員の男性が新蘭の前で呟いた。
「巫女さん……ちょっと聞いてもいいでしょうか……、この騒動はいったい……」
彼はか細い声を絞り出しながら新蘭に尋ねた。
「あ……、これは、あなたに原因があるのです……」
「私に……?」
男性は蒼ざめながら聞き返した。
「くくく……治癒か……そんなことをしている余裕が貴様にあるのかな?」
「――」
そのとき、雲雀の背後から檜原神社の神霊の声がし、雲雀の瞳孔が縮小した。石上神宮の神霊も檜原神社の神霊の隣にいた。
「嫌……!」
雲雀はさっと降り返ると、焦点も合わさずに光筒による発砲を行った。その光は二人の祖神霊から大きく離れた空の向こうに飛翔した。
「これで全て終わりだ……天路の従者!」
檜原神社の神霊はそう言うと、蝙蝠をさっと振り下ろし、雲雀に目がけて神幹を放った。
「待て……!」
そのとき、雲雀の背後から別の神幹が来、檜原神社の神霊が放った神幹と衝突した。そして大きな音と煙を出した。
「……え……」
雲雀は涙交じりに閉じていた目をうっすらと開け、背後を振り返った。そこに、縹(はなだ)色の束帯を着用した若い男性がいた。
「あ、あの、あなたは……」
雲雀は彼の名を問うた。
「私はここ、大和神社の神霊です。もうご承知かと存じますが、当社の祭神である倭大国魂神が、崇神天皇六年こと紀元前九二年に、天照大神とともに皇居から出て、翌年に当社の周辺に祀られたのを起こりとする、日本でも最も古い神社の一つです。大神神社、石上神宮が創建されたのも私と同じ時期なのですが……このような霊験あらたかな神霊であっても末鏡の影響は免れなかったということのようですね」
大和神社の神霊は石上神宮の神霊を一瞥しながら珠洲たちに言った。
「ええ……そのようなのですが……」
新蘭が彼の説明に相槌を打った。
「大和神社の神霊よ……我らの邪魔をするのであれば、お主とて幽世に送り込むぞ」
檜原神社の神霊が大和神社の神霊に言った。
「そうですか……それは……実力でやってみたらどうですか?」
大和神社の神霊は軽く笑いながら、右手に持っていた笏を振り上げた。すると、そこから白い光が放たれ、それは檜原神社の神霊に向かって飛んでいった。
「う……このようなもの……我には効かぬ……!」
檜原神社の神霊も慌てて手にしていた蝙蝠から神幹を放った。
「檜原よ……私も加勢しましょう!」
それに続けて、石上神宮の神霊も笏から神幹を放った。
「な……!」
三つの神幹は大和神社の境内で衝突し合った。
「天路の従者殿……今です……!」
大和神社の神霊は雲雀に向かって叫んだ。
「え……あ、はい……!」
雲雀も返事をした。
(今度こそ……落ち着いて、神霊たちを視界に入れて……撃って!)
雲雀は檜原神社の神霊と石上神宮の神霊をじっと見つめ、光筒を前に出しながら念じた。すると光筒には『Ih』という光の文字が浮かび上がり、筒から薄い緑色の光が二人の神霊目がけて飛び出した。
「な……しまった、光筒か……!」
「この霊力では……いかん、幽世に……」
光筒の光は二人の神霊に直撃した。そして爆発しつつ彼らを消し去った。
「終わった……?」
少しして、雲雀が恐る恐る言った。
「はい……二人の神霊の霊気は完全に消えています……」
新蘭は彼女に言った。
「よかった……。……?」
安堵した直後、雲雀は自分の光筒が少し軽くなっていることに気付きそれに目をやった。
「あれ、美濃くんにもらった筒爪が消えてる……。あれがなかったら、また危なかったのかな」
彼女は苦笑した。
「……! そうだ! 今度こそみんなの治癒を……!」
すぐ直後に彼女はっとして唯の元に駆け寄った。
「あの……先ほどの続きなのですが……」
会社員の男性がまだ震えを抑えきれずに新蘭の元に寄った。
「気になることが……。思い起こせば、私は今日、部下の休暇を認めませんでした……。それどころか、法令に違反し、毎晩遅くまで彼らを拘束していました……。もっと協力し合えば、みんなの余暇を作り出すことも容易にできたのに、極端に厳しくばかりするのが正しいと勘違いをしていました……申し訳なかったです……」
男性は述懐した。
「それは……会社の部下の方にもおっしゃってください。違法な残業ですか……よくないことをしていると鬼玉が発生しやすくなります。気をつけてください」
新蘭がその男性に言った。
「もう大丈夫でしょう……、あなたが発生させた鬼玉の除去ですが、私からも、彼女たちに頼んでみますから」
新蘭が彼に向かって言った。
「ああ……なんということを……すみませんでした……。あの、ところで……」
男性は詫び、そして続けた。
「えっ……?」
「皆さんは、この先も、もしかしたらこのような危ない目に遭うことがあるのでしょうか……?」
男性は恐る恐る新蘭に尋ねた。
「それは……。否定できないです……」
新蘭は俯いた。
「そんな……。何か、私にもできることはないのでしょうか」
男性は再度尋ねた。
「え……。ええと、そうですね、それでは……、あの、石橋さん」
新蘭は雲雀を呼んだ。
「え? 新蘭さん……? あっ、ごめん、唯ちゃん、また……」
「うん」
唯は再度頷いた。それを見てすぐに雲雀は新蘭と男性の元に向かった。
「石橋さん、光筒を差し出していただけないでしょうか……」
「あっ、はい……」
雲雀は新蘭の言われるままに光筒を掌の上に出した。
「この筒に手を当て、そして願っていただけないでしょうか……。もし、また、同じように、危ない目に遭った人がいたときに、その人が無事でいられるように……願うだけでいいのです……」
「え……、わ、わかりました……」
男性はきょとんとしながらも新蘭の言われるままに雲雀の光筒に触れ、そして軽く目を閉じた。すぐに彼女の光筒の頭部が薄緑色に発光し、それは数センチほど伸びた。
「これは……」
男性が呟いた。
「彼女のこの筒なのですが……、これで、少しだけ、威力が上がりました……。また、この伸びた部分は取り外して他の者の筒に付けることもできます」
「それは……よかったです。あの、何か他には……」
新蘭の説明に男性は少し笑みを浮かべ、そしてさらに尋ねた。
「えっと、今は……あなたの周囲の方が、同じような目に遭わないように努めていただくくらいしか……」
「そんな……」
男性はそれを聞いて俯いた。
「あ、あの……」
それを見た雲雀が声を出した。
「え……?」
男性は再び顔を上げた。
「応援していただいてうれしいです。ありがとうございますっ……」
雲雀は少し恥ずかしがりながらも彼に礼を述べた。
2019年3月22日 発行 初版
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※ アイコンの上半分の拾い物のイラストはつばさちゃんっぽいですが、小説の珠洲ちゃんの外見イメージにも近いです。