───────────────────────
───────────────────────
第十四章 日本最大の妖怪 卑弥呼
逆さまの世界 魏志倭人伝概略 推古天皇と聖徳太子 リカミタブリの正体 邪馬台国の風習と女王の制度 物部氏と卑弥呼 卑弥呼とヤマトトトヒモモソヒメ 一膳飯と卑弥呼 卑弥呼と崇神天皇 卑弥弓呼の正体は豊城入彦だった 卑弥呼と空海 卑弥呼の正体はイエス・キリストだった 東(吾妻)の語源 スサノオとヤマトタケル 狗奴国長官クコチヒクの正体 卑弥呼と道鏡 未来への希望・フトダマとアメノコヤネ
第十五章 昔話に残された卑弥呼の記憶(1)おむすびころりん、オキクルミカムイ、トゥレプカムイ
おむすびころりんあらすじ コロポックルの伝説 縄文人と弥生人の出会い エミシとエビス 縄文人はイザナミだった 意地悪爺さんと狗奴国 意地悪爺さんの正体 オキクルミカムイ(アイヌラックル) トゥレプカムイ
第十六章 昔話に隠された卑弥呼の記憶(2)姥捨て山、長い髪の娘(チャンファメイ)
「にほんのみんわⅡ・うたないたいこなるたいこ」ゆにっくすらいぶらりーより 姨捨山 雄略天皇 倭の五王 将軍塚古墳 女王台与の正体 知恵を授けた老母は卑弥呼であり台与であった 信濃の都から奈良の都へ 侗(トン)族 長い髪の娘(チャンファメイ) ガジュマルの精と卑弥呼
第十七章 昔話に隠された卑弥呼の記憶(3)茨木童子とやまんば、雪女と鶴女房
茨木童子と渡辺綱 茨木童子の切られた腕 切られた腕と九十九の意味 破られた破風 鬼と鶏 三枚のお札 呪的逃走とヨハネの黙示録 食わず女房 雪女と鶴女房
第十八章 昔話に隠された卑弥呼の記憶(4)竹取物語
あらすじ 石作皇子と仏の御石の鉢 庫持皇子と蓬莱の珠の枝 火鼠の皮衣と阿部御主人 竜の首の珠と大伴御行 燕の生んだ子安貝と石上麻呂足 甲斐の国の地勢 かぐや姫は卑弥呼だった 大嘗祭と卑弥呼 かぐや姫はイエス・キリストだった 竹取物語の舞台は近江だった
第十九章 昔話に隠された卑弥呼の記憶(5)浦島太郎、八百比丘尼、稲葉の白兎、耳なし芳一
あらすじ 籠神社に残る浦島太郎の源流 浦島太郎と乙姫の正体 玉手箱の正体と嫁姑 浦島太郎の舞台は近江だった 八百比丘尼と人魚 すべては卑弥呼とイエス・キリスト、小野小町にたどり着く 稲葉の白兎(1) 稲葉の白兎(2) 春日大社に封印された姫神は卑弥呼だった 耳なし芳一 耳なし芳一と卑弥呼
第二十章 昔話に隠された卑弥呼の記憶(6)天女の羽衣
余呉湖の羽衣伝説 桐畑太夫と菅原道真 天衣無縫 羽衣の隠し場所と玉手箱 天女は天照大神だった 天女の正体はイエス・キリストだった 余呉の語源 余呉湖、琵琶湖、淀川とフーレ湖、ガリラヤ湖、ヨルダン川 黙示者ヨハネと見越入道
第二十一章 UMA
剣山の大蛇 ツチノコ ヒバゴン イッシー クッシー ニューネッシー(1) ニューネッシー(2)ウバザメとワニ ニューネッシー(3)言わずのタブー ネッシー 1970年代の謎 UFOとUMAとにがり 雪男 UFO撃墜の犯人はビッグフットのカインだった 狼男の正体
第二十二章 激変太陽系と大怪獣
金星神話に隠された地球大災厄(1)金星は巨大彗星だった 金星神話に隠された地球大災厄(2)アメノヒボコと金星 金星神話に隠された地球大災厄(3)金星と酸素 金星神話に隠された地球大災厄(4)マナ 金星神話に隠された地球大災厄(5)ゴジラとオキシジェン・デストロイヤー ホヤウカムイ デメテルとペルセポネ デメテルと記紀神話
第二十三章 学校の怪談と妖怪預言
鬼太郎ファミリーと邪馬台国 爺婆と卑弥呼 件(くだん) 天邪鬼 屁の河童 追い出された鬼の預言 トイレの花子さん 動く人体模型 口裂け女 人面犬と小さいおじさん 覺(サトリ)と河童、箕借り婆 サトリの正体
第二十四章 ノストラダムス
日本人と預言 1999年の預言 偽りの大王 アンゴルモアの大王と火星 恐怖の大王は原子爆弾だった 恐怖の大王から偽りの大王へ モルモン經と日本人 1999年八月十八日 がん研究 癌の正体 がんと蚊 砂糖とタヂマモリ ワクチンという名の偽りの大王 グリム童話
第二十五章 ニホンとニッポン、そらみつやんまとんぼの国
日本語ではなく国語というわけ 邦人 ニホンとニッポン 国後島 邪馬台国と狗奴国、平家と源氏、大和撫子と日本男児 すべては同時代の出来事だった 悲劇の女性はすべて同時代の同一人物だった 伊勢神宮の内宮と外宮 失われた日本黎明期の歴史 雑煮の餅 そらみつやんまとんぼの国 徳川家康の正体
第二十六章 都市伝説
耳にピアス穴で失明する 三人で写真を撮るとまん中の人が早死にする 赤い紙、青い紙 かごをかぶると背が伸びなくなる ハンバーガーの肉がミミズ のび太とドラえもん 連合艦隊(1)戦艦大和、信濃、武蔵 連合艦隊(2)大和の正体 連合艦隊(3)信濃の沈没 宇宙戦艦ヤマト 魔女の宅急便 日航機123便墜落事故 ジム・バーネット碑文
第二十七章 卑弥呼復活
大嘗祭に隠された卑弥呼の暗号 邪馬台国征服は記紀に記されていた ニギハヤヒの正体 ナガスネヒコの正体 応神天皇もまた豊城入彦だった テルテル坊主と前方後円墳 ムカデ退治と雷様とタニシ 因幡の白兎とケサランパサランかごめ歌の預言 大正天皇と昭和天皇の預言 卑弥呼と遊女、羽田の大鳥居の呪い 卑弥呼復活
逆さまの世界
現代は逆さまの世界である。男が女になり、女が男になっている。鬼や妖怪が逆さになると、悪しき存在ではなくイエス・キリストとなる。ろくろ首は女の姿をしているが、男であるバプテスマのヨハネとなる。
モノマネが大きな人気を博していることも近年の特徴である。モノマネはあくまで本物ではない。ところが本物以上に楽しまれている勢いである。オネエ系やモノマネなどが一世を風靡する世が何らかの意味を持つとすれば、それは過去や真実を知るための問いかけなのかもしれない。
この不思議な世の中を考え、これまで紹介してきた様々な事例を総合すると、誰もがその存在を知りながら、謎に包まれている人物の正体が浮かび上がってくる。それは、邪馬台国の女王卑弥呼である。
簡単に魏志倭人伝に書かれた邪馬台国と卑弥呼を以下に記した。
魏志倭人伝概略
紀元2世紀から3世紀にかけて、倭国の戦乱を鎮めるため、卑弥呼が女王として即位した。卑弥呼は老齢(もしくは適齢期)だが夫も子もなく、楼(宮殿)の中におり、一人の男の伝令や二人の給仕係のほかは人と会うことはなかった。千人の侍女をはべらせ、楼は屈強な兵士に守られていた。卑弥呼は鬼道を操り、人心を惑わしていた(儒教の中国人にとってそれは忌むべきものであったためにこのように記したのかもしれない)。
邪馬台国は南(邪馬台国を畿内とすれば東)の狗奴国と敵対関係にあり、王の名は卑弥弓呼といった。卑弥呼の死後、男王が後を継いだが国はまた戦乱となり、12歳の宗女台与が女王となって鎮まった。台与の時代も狗奴国と戦闘があり、魏に使いが送られている。
なぜかこの記事が千年以上も未解決のままで、一向に結論が出ない日本史上最大の謎となっている。
推古天皇と聖徳太子
時代は変わって推古天皇の時代、日本史上最高の政治家とも称される聖徳太子に目を向けたい。聖徳太子と蘇我氏がイエス・キリストを象徴することを先述したが、まったく不可解なことがある。
邪馬台国と魏志倭人伝の記述は、日本側に対応する確実な記録が見いだせていないが、推古天皇と聖徳太子にも当てはまる。聖徳太子が隋の煬帝を怒らせたという「日出処の天子、日没処の天子」の手紙だが、隋書は日本の王と太子をこのように記している。
倭王の姓は阿毎(アマ、アメ)、名は多利思北孤(タリシヒコ)、号は阿輩雞彌(あはけみ、おおきみ)という。王の妻は雞彌(ケミ、キミ)といい、後宮には六、七百人の女性がいる。太子の名は利歌彌多弗利(リカミタブリ)という。
隋書には推古天皇も聖徳太子も書かれていない。特にリカミタブリはまったくの謎であり、研究家も無視しているのではないかと思われる。いったい誰のことを隋書は記していたのだろうか。
日本式に記せば、アマタラシヒコは天足彦となる。日本書紀に天足彦国押人命という皇族がいるが、事績に関する記述はない。第五代孝昭天皇皇子で、第六代孝安天皇の同母兄、第七代孝霊天皇の外祖父である。和珥氏(和邇氏、丸邇氏)、春日氏、小野氏らの祖とされている。和邇と小野という暗号がここにもある。
リカミタブリの正体
アマタラシヒコが後宮に女性を召し抱えているところは卑弥呼と似ている。伝令役の男は聖徳太子のようである。そして推古天皇の漢風諡号は、古を推理しろというメッセージに思えるのである。かつて同じことが卑弥呼の時代にあったという意味である。
だがリカミタブリという言葉、手掛かりとなるものがない。ワカンドホリの間違いだとされるが、それでも聖徳太子の名を示してはいない。当時の大和にラ行で始まる名前はない。ここでまた古を推理して、中国の倭国伝の一つ、旧唐書に注目してみた。
日本はかつて倭と呼ばれ、その前は倭奴国と呼ばれていた(旧唐書倭国伝及び日本国伝)。通常、倭は「わ」と読まれ、倭奴は「わのなこく」と読まれている。しかし、倭は当時の発音で「ヲ」や「イ」(ワ行の発音)であった可能性がある。すると倭奴は「ヲノ」や「イナ」、「ワニ」であり、全国にある小野やいなべの地名のルーツとも考えられるのである。それはまた、「ヲニ」すなわち「鬼」のルーツであったかもしれない。
「いなべ」とは物部氏一族の為奈部または忌部のことだとすると、物部氏やアメノマヒトツがかかわっていることになる。また、筆者は邪馬台国南端の奴国を長野の伊那、または埼玉県の伊奈ではないかと推理している。
また、倭奴国が邪馬台国の南端にあった奴国となったのならば、先頭の「倭」が取れたことになる。日本人がよく使う頭を取る読み方が思い起こされる。渡辺さんをなべさんと言うが、こういう言い回しは昔からあったのではないだろうか。
したがって、リカミタブリには欠けた先頭文字があったのかもしれない。その言葉を「イ」だとすると、イリカミタブリになる。「イリカ」とは「入鹿」のことではないだろうか。
邪馬台国の風習と女王の制度
魏志倭人伝には倭人の風習として入れ墨を挙げている。体だけでなく顔にも入れ墨を入れている。顔に入れ墨を入れる風習はアイヌに残されていたが、基本日本人は顔に入れ墨を入れることはしない。
邪馬台国が西日本の国だとして、入れ墨の風習があった沖縄の影響を無視することはできない。女王の国(シャーマン国家)という世界での稀有な風土は、沖縄とそっくりという指摘がある。今ではその風習は消えつつあるが、女性が神であり、御嶽という女神官が信仰の中心である様子は、鬼道を操るという卑弥呼の姿と重なる。
琉球国では姉(あるいは妹)と弟(あるいは兄)による祭政二重主権が行われていたが、卑弥呼の伝令役を務めた男性がきょうだいなら、そのものの政体である。姉妹の大君(王)は聞得大君と呼ばれ、祭事を担当し、兄弟は政事と軍事を担当していた。
また、その伝承や遺伝子解析、コメのルーツ、女性の神性信仰を突き詰めると、倭人のルーツが雲南省や長江流域の民に行き着く。倭族というそのものの名を持つ民族もあり、家や道具、衣服や髪形、入れ墨の風習も同じで、梁書東夷伝には倭人が自ら呉の太伯の末裔と名乗っていると記している。呉は越に滅ぼされたが、いずれも魏志倭人伝の儋耳、珠崖に似るという記述を裏付けている。
和服のことを呉服といい、越前、越中、越後の地名、越智を「おち」というように、倭の発音を今に伝える文化もまた、倭人が越(百越)と関係が深いことを示している。
物部氏と卑弥呼
畿内に勢力を持っていた物部氏は、歴史書をそのまま信じれば国家神道を信仰した一族である。邪馬台国が物部氏の国であり、神武東征によって神武天皇に国を明け渡したとする説がある。そうすると物部氏は先住の倭人であり、琉球人もしくは、入れ墨を入れる呉の末裔であったのだろうか。
物部氏が入れ墨を入れていたという様子は見られない。聖徳太子の時代にはまだ腕に入れ墨を入れていた人もいたようだが、顔に入れ墨を入れる人はいなかったようである。入れ墨がなくなる背景には、政治的な力が働く必要がある。アイヌの顔の入れ墨は、明治政府の入れ墨禁止令によってなくなっている。
また、物部氏は女シャーマンを信じる一族であったのだろうか。これも違うように思われる。しかし、邪馬台国の首都を畿内とすると、確かに物部氏が邪馬台国を統治または管理していたことが分かってくる。邪馬台国時代の遺跡から出土する遺物には顔が描かれた物があるが、畿内のものだけ顔に入れ墨がないのである。
また、魏志倭人伝には卑弥呼の宮殿のほか、大倭という政治上の首府と思われる場所が記されている。これは祭政二元統治であり、日本がずっと続けてきた政治システムである。それはこの時代からあったのである。このことから、物部氏は「モノ」の名のとおり政治の統治者であり、祭祀の統治者ではなかったということになる。しかし、これは建前ではないかと思われるのである。
日本列島に住んでいた倭人は女性を神官とする信仰があった。そのため、男の王(神官)は受け入れられなかった可能性がある。国を治めるには信仰の中心となる女王が必要で、そうしなければ国民は納得しなかったのではないだろうか。それで登場したのが卑弥呼と台与である。
当時、中国は三国志の時代だった。ところが、日本(倭)もまた三国志の時代だったと言えばどうだろうか。大倭で国を管理していた物部氏、女王を戴いた倭人、そして仲の悪かった狗奴国である。狗奴国もまた倭人の国であったが、統治者は誰だったか。ここがポイントである。
卑弥呼とヤマトトトヒモモソヒメ
卑弥呼の即位前、倭国は戦乱にあり、それを鎮めるために卑弥呼が即位している。ではその戦乱の原因は何であったか。状況から考えてそれは狗奴国であろう。狗奴国は男王卑弥弓呼の国であり、仲が悪いというのもここに端を発するのかもしれない。
狗奴国は全土を支配しようと戦争を起こし、それを達成したかに思えたが、国民は男王を受け入れずに治めきれなかったと考えたらどうだろうか。卑弥呼を立てれば国は治まったところから、物部氏に結局は統治権を返し、自国に引き下がったのではないだろうか。
この推理がある程度当たっているのならば、物部氏と卑弥呼が特別な関係にあることが見えてくる。卑弥呼は奈良県纏向に残る箸墓古墳の被葬者、ヤマトトトヒモモソヒメ(以下モモソヒメとする)という説がある。箸墓の名の由来は、モモソヒメと大神神社の祭神大物主の婚姻にある。
モモソヒメの夫、大物主は夜にしか姿を現さないので、姫が姿を見たいと言った。すると、朝櫛笥の中に入っているからというので見てみると、蛇の姿で現れた。姫は驚いて叫ぶと、大物主は恥じて三輪山に帰ってしまった。姫が悔いて腰を下ろした際、箸で女陰を突いて死んでしまった。彼女を葬った墓を箸墓と呼んだ。
大物主を物部氏のこととすると、神官の卑弥呼と政治の物部氏の統治体系が姿を現す。それで邪馬台国のシステムが解明した、ことにはならないのである。なぜ箸で死んだのかという部分に更なる暗号が隠されていたのである。
一膳飯と卑弥呼
箸は仏教とともに伝来したとされる。そうすると6世紀頃となり、卑弥呼の時代、倭人は素手で食事をしていたので、モモソヒメの死因に箸を持ってくるのは奇異である。モモソヒメについて記している日本書紀(古事記にはない)の成立は8世紀であるので、モモソヒメの死の原因が箸であるのは謎かけであるといえる。
モモソヒメが箸で死んだエピソードと箸をもたらした仏教の風習を重ね合わせると、卑弥呼の死が浮かび上がってくるのである。鎌倉仏教より古い仏教には一膳飯の風習がある。死者に備える最後の食事で、茶碗に盛ったご飯の上に箸を突き立てて供える。葬式が終わると茶碗を割り、棺桶をぐるぐる回して死者が帰ってこないように呪詛するのである。
器は女性器のシンボルとしてみなされている。死者に供える茶碗とご飯が女性器を示すとすれば、そこに突き立てる箸と割られる茶碗は、まったくモモソヒメの陰部に刺さって死をもたらした箸と同じである。
このエピソードが卑弥呼の死と関係があるのなら、仏教とも関係があることになる。そして物部氏の代表ともいえる物部守屋は仏教に反対して殺された。
聖徳太子と蘇我馬子は日本仏教の始祖という歴史は、これまで見てきたように謎ばかりである。むしろ入鹿を討った藤原鎌足とその子孫の藤原氏と秦氏こそが、仏教(神宮寺)を日本に広めたのではないだろうか。藤原氏の関係する熊野三山と春日大社など、これらはもともと仏教寺院である。国分寺、国分尼寺は藤原氏全盛時代の制度である。
さらに言えば、卑弥呼の死についてもこの二氏族がかかわっていないだろうか。
卑弥呼と崇神天皇
卑弥呼の死後邪馬台国は戦乱となり、その後即位した台与によって再び治まった。その前に男の王が立ったと記されているが、この王は物部氏だったのであろうか。モモソヒメの夫であった大物主が三輪山に帰り、その後に姫が死んでいるが、それならば卑弥呼の死の前に大物主すなわち物部氏がいなくなったことになり、死の原因が箸にあることで犯人が分かるようになっている。
箸は仏教とともに伝来したという一つの象徴があり、物部守屋と深い関わりのある最古の仏教寺院である、善光寺と熊野三山に答えが隠されていることになる。善光寺と秦氏は守屋の死にかかわっていた。
熊野三山の創始は崇神天皇時代とされているが、藤原氏がかかわっていたとすると、藤原氏の祖は崇神天皇とは考えられないだろうか。いつも弓で敵を討つ豊城入彦は崇神天皇の皇子である。守屋の首を切り、善光寺の呪詛柱または人柱とした秦氏は、崇神天皇家を補佐する役目をもっていたのかもしれない。
崇神天皇の時代様々な災難が起こり、その理由は宮中で祭祀されていた天照大神と倭国魂の祀り方にあるとされた。そこで起こった出来事が物部氏の存在をクローズアップしている。
災いを鎮めるため、大物主がモモソヒメに託宣し、大物主の子であるオオタタネコを祭祀者にせよというものであった(崇神天皇の血筋のものでは祟りがあった)。オオタタネコが緊急事態で呼び戻されたとすれば、彼は一旦追放されていたことになるのではないだろうか。この出来事を倭国大乱もしくは卑弥呼の死後の騒乱に当てはめると、戦乱の原因が物部氏ではなく崇神天皇にあることが分かる。
卑弥弓呼の正体は豊城入彦だった
卑弥呼をモモソヒメとし、その夫(政治上のパートナー)を物部氏とした場合、その死には狗奴国がかかわってきたことを見てきた。卑弥呼と物部守屋の死には、仏教伝来と藤原氏、秦氏の暗号が隠されていた。守屋は豊城入彦の末裔である迹見赤檮に討たれ、秦河勝に首を切られた。
それでは象徴的に物部氏の妻となる卑弥呼の死もまた、豊城入彦がかかわっていたことになる。ここまで書けば、豊城入彦が誰であるかが明らかである。すなわち、邪馬台国の敵国である狗奴国の王、卑弥弓呼である。
中国の文献にはその名前が出てくる程度で、卑弥呼以上に情報がない狗奴国と卑弥弓呼であるが、日本の記録には暗号として残されていたのである。よって卑弥弓呼の父が崇神天皇となる。そして初代天皇ハツクニシラススメラミコトの名を持つ二人の天皇、神武天皇と崇神天皇の関係をさらに突き詰める必要がある。
卑弥呼と空海
物部氏が倭人の風習を考慮して卑弥呼を擁立したと考察したが、その姿は誰にも見られていない可能性がある。沖縄のウタキの風習と卑弥呼には共通点があるが、ここまで暗号を組み込むほどのことであろうか。
卑弥呼は誰にも姿を見られず、伝令役と二人の給仕役のみが謁見していたという。魏の使者も死の年を知らず、卑弥呼本人と会っていなかった可能性がある。また、モモソヒメと物部守屋に示される仏教との関係も、単にシャーマンの風習が忌むべきものであるので排除したと書けばよいはずである。
ここには何かしらのメッセージがあるのではないか。それも仏教と深い関係がある。日本で長い歴史を持つ真言宗の風習にその答えがあるかもしれない。真言宗の開祖は弘法太子空海である。全国にその事績や奇跡が伝わり、香川県の満濃池など、技術者としての側面も見える。
高野山の人々や真言宗の僧侶にとって、空海は今も生きている存在である。高野山奥の院の御廟において現在も空海が禅定を続け、維那という仕侍僧が衣服と二時の食事を給仕している。御廟内の様子を維那以外は知ることができず、誰もも他言しないため、不明のままである。
康保五年(968)に仁海が著した『金剛峰寺建立修行縁起』には、空海は四十九日を過ぎても姿は変わらず、髪や髭が伸び続けていたと記している。『今昔物語』には東寺長者であった観賢が霊廟を開いたとある。霊廟の空海は石室と厨子で二重に守られ坐っていたという。観賢は一尺ほど伸びていた髪を剃り、衣服や数珠の綻びを繕い整えた後、再び封印したという。
しかし、空海が荼毘に付されたような記録がいくつか残っている。一体誰が何のために空海が生きていると伝え始めたのだろうか。観賢は秦氏といわれる。ここには秦氏の意思が働いている可能性がある。そして、生きているかどうか分からない存在に対する給仕役の維那は、卑弥呼の伝令役または給仕役と同じではないだろうか。
卑弥呼の正体はイエス・キリストだった
このことから推理するのだが、卑弥呼は倭人にとって生きている存在だが、物部氏にとっては倭人のために創作された存在ではないかということである。政治上、女神官がいた方が倭人を統治するのに効果的だったのではないだろうか。
倭国大乱が崇神天皇によるものであったが、卑弥呼時代の安定期の後、卑弥呼の死に伴う騒乱は、その後を継いだ垂仁天皇の時代ではなかっただろうか。垂仁天皇の時代に相撲や埴輪のルーツがあり、その末裔が菅原道真というのも、非常に深い意味があるように感じられるのである。
また、聖徳太子と同時代の隋書には推古天皇が見当たらず、男王のタラシヒコが登場する。記紀の編纂者が隋書の読まれることを前提に推古女帝を創作したとすれば、実在しない推古女帝と同じく、卑弥呼も実在しないと推理するよう仕向けていたとしたらどうだろうか。
滋賀県の琵琶湖の周りには義経の伝説が残る。琵琶湖の北、高島市マキノ町大崎には義経の隠れ岩があり、そこを目印に山を登ると大前神社がある。祭神はスサノオと豊城入彦である。
琵琶湖の東南、竜王町には義経が元服した竜王の地があり、すぐそばにある鏡神社の祭神はアメノヒボコとアメノマヒトツである。琵琶湖の南、大津市には比叡山があり「ひえ」という猿の象徴が隠されている。そして琵琶は蛇を意味するが、日本最大の湖として琵琶湖は巨大な龍となり、結界を示す注連縄をも表している。隠れ岩、鏡と木、注連縄、スサノオと来れば、それは天照大神の岩戸隠れである。そしてスサノオは豊城入彦である。
さらに、狗奴国の卑弥弓呼が豊城入彦だとすると、大前神社の祭神の合祀によって豊城入彦がスサノオであり、卑弥呼が天照大神だということが分かる。天照大神が男神であり、イエス・キリストであるとするなら、卑弥呼も男となり、イエス・キリストであることになる。
東(吾妻)の語源
日本史上最大の英雄として語られるヤマトタケルであるが、大鳥神社ではアメノコヤネ(大鳥連祖神:大鳥氏の祖がアメノコヤネである)としても祀られている。アメノコヤネは藤原氏の祖であるが、その正体は豊城入彦となり、スサノオであり、誓約を行った姉の天照大神は卑弥呼となる。
誓約は結婚と同じであり、スサノオと天照大神が結婚したという意味になる。ならば、豊城入彦と卑弥呼は夫婦ということになる。このことから、卑弥呼とヤマトタケルは夫婦ということになり、ヤマトタケルの東征の際に海に身を投げた、永遠の命の木の名を持つ弟橘姫も卑弥呼ということになる。
ヤマトタケルは倭姫から草薙剣を受け取ったが、これはスサノオが八岐大蛇から剣を取り出したことと同一となる。八岐大蛇は滋賀県大津市雄琴にある温泉の蛇女神でもあることから、大蛇が女性であることが分かる。ヤマタをヤマトとすれば、そのまま倭姫のこととなり、同じエピソードを扱ったものとなる。
ヤマトタケルが東国から「我妻よ」を意味する「東(吾妻)」と嘆いたのは、倭の卑弥呼への呼びかけということになる。日本人は今も卑弥呼の死を嘆く言葉を日常で使っていることになるのである。
スサノオとヤマトタケル
スサノオが八岐大蛇を退治するきっかけとなったのは、川上から流れてきた箸を見つけたことによる。箸といえばヤマトトトヒモモソヒメすなわち卑弥呼の死を示すものである。これはクシナダヒメの姉七人が殺されていたことを意味している。
その両親のテナヅチとアシナヅチが妖怪手長足長の正体であるエホバであり、娘がイエス・キリストであることを示している。このエピソードは、モーセの律法からイエス・キリストの福音の時代へ移行した時代が日本にもあったことを象徴している。
スサノオは最後に残ったクシナダヒメを櫛に変えているが、これはヤマトタケルの妻オトタチバナヒメが入水して櫛に変わったことと同じである。すなわち、クシナダヒメもスサノオによって死んでいるのである。
八岐大蛇は腹が血でただれていたという。八岐大蛇を初め、蛇神は大抵女性である。ヤマトタケルが熱田においてミヤズヒメと結婚した際、衣に経血がついていたという。この二つの血は同じものである。
ヤマトタケルは草薙の剣をミヤズヒメに預け、それが原因で伊吹山の神の毒にあたって死んでしまった。これは草薙の剣と、草薙の剣の正体である八岐大蛇もまたミヤズヒメであることを示している。
スサノオがかかわった天照大神の天岩戸隠れ、ヤマタノオロチとクシナダヒメ、ヤマトタケルが倭姫から授かった草薙の剣、ヤマトタケルとミヤズヒメの話は、すべて同じ出来事すなわち、イエス・キリストの受難を象徴していることになるのである。
狗奴国長官クコチヒクの正体
ここで狗奴国の長官、狗古智卑狗について記す必要がある。クコチヒクとは菊池彦のことであり、熊本の菊池郡の人物という説がある。すると、狗奴国の首府を群馬県と栃木県とする説と矛盾するように見える。
しかし、これが全く矛盾しない。狗奴国(崇神天皇)が倭国大乱の際、九州の南半分を占拠したと思われるからである。そして長官クコチヒクを駐在させたのだが、その後の歴史が非常に特殊なものになった。
クコチヒクは菊池氏と思われる。菊池氏は藤原氏である。ここにも豊城入彦と藤原氏の関係がはっきりと示されている。菊池氏は後醍醐天皇の時代から天皇家が南北に分かれた際、南朝側に付いた。熊野の神官の子孫ともいわれる楠正成も、南朝の英雄としてあまりにも有名である。
南朝と卑弥呼の関係はまだまだ研究が必要だが、菊池氏や楠正成は損得ではなく義や信条に忠実であったという点が注目される。そこで思うのだが、クコチヒクは狗奴国の長官であったが、忠誠を誓っていたのは卑弥呼だったかもしれないのである。さらに、シャーマンとしての卑弥呼ではなく、正体であるイエス・キリストに忠実な者ではなかっただろうか。
菊池氏の子孫で有名なのは西郷隆盛である。明治天皇への忠誠心と敬天愛人の言葉は非常に有名である。ところが、明治新政府に対しては西南戦争を起こすなど、世論はどうあれ、歴史上逆賊の扱いとなっている。それはクコチヒクにも当てはまるのではないだろうか。
記紀は藤原氏や秦氏の検閲の中で作られた。しかし、真実を知る者たちとクコチヒクの子孫が、後の時代にすべてが明らかになるよう、暗号を後世に託した預言書ではないかと思うのである。
卑弥呼と道鏡
卑弥呼とコンビであった物部氏との関係は、女帝である孝謙天皇に寵愛された物部氏とされる弓削道鏡にも見出せる。この二人の関係もまた卑弥呼と伝令役に重なるのであろうか。
そう思われる事件がある。神護景雲三年(769)五月、宇佐八幡宮より「道鏡を皇位につかせたならば天下は泰平である」という神託が下ったという。称徳天皇(孝謙天皇)は宇佐八幡宮からの要請で和気清麻呂を派遣した。
清麻呂は「天皇の継承は必ず皇族でなければならない。」という大神の神託を大和に持ち帰り奏上する。この託宣を告げた大神は、身の丈9メートルもある僧のような姿をしていたという。
これを聞いた称徳天皇は怒り、清麻呂を左遷するなどの処罰を科した。十月一日には後継者を自ら決めることを表明した。宝亀元年(770)に孝謙天皇が崩御すると、皇太子は後の光仁天皇となり、道鏡は下野の薬師寺に左遷された。
左遷された際の逸話として、道鏡は巨大な陰茎の持ち主であり、それが重くて煩わしくなったため、切り落としてしまったという。それを祀ったのが金精神という。まるでエジプトのオシリスである。
ここで注目したのは和気清麻呂と八幡神社である。岡山県に和気氏の祖を祀る和気神社がある。和気氏の先祖は合祀されている鐸石別命であり、垂仁天皇の王子である。また、和気氏の守り神は猪である。猪は大国主や八幡神である応神天皇の異母兄に死をもたらした存在である。いわば物部氏の敵である。
卑弥呼と物部氏、垂仁天皇の歴史が後世でも繰り返されていることになるのである。
未来への希望・フトダマとアメノコヤネ
ここでモルモン經に記された歴史の一つを示したい、ニーファイ人がアメリカ大陸へ旅立った際、ユダヤ人に自分たちの逃避行を知らせないため、事情をたまたま知った一人の男を連れて行った。その名をゾーラムといい、後にアマレカイ人と同じく非常にかたくなでニーファイ人から離反し、レーマン人を支配して王位を奪い取った者たちの先祖である。
後頭部の突き出た古代アメリカ人の風習と、ぬらりひょんの正体としてアマレカイ人を想定したが、ゾーラム人もまた同じ一族であるかもしれない。それが豊城入彦につながる可能性を考えてきた。
こう書くと非常にイメージが悪いが、ニーファイと行動を共にした彼のことを、父リーハイがこのように語っている。
「ゾーラムよ、我今汝に吿ぐ、見よ、汝はレーバンの僕なりしも、エルサレムより連れ出されき。我は汝が常へに我息ニーファイの眞實なる友なるを知る。
汝が忠實なりし故、汝の子孫はニーファイの子孫と共に恩惠を受け、永く此地の上に住みて榮えん。汝が子孫の中若し惡事の行はるゝこと無くば、彼等の此地に榮ゆる有樣を害ひ又擾すもの何時迄も無かるべし。
故に汝若し天主の命令に從はゞ、天主は汝の子孫を我子ニーファイの子孫と共に安全に護らん爲此地を定めて神聖にし給へり。」(ニーファイ第貮書1:30~32)
この言葉、天岩戸隠れの天照大神を連れ出す功績によって、祭政をフトダマとアメノコヤネの二神に司らせた逸話になぞらえられるのではないかと思う。日本はこの二氏族の一致協力によってこそ発展するのである。つまり、ニーファイとゾーラムが真の友であったように、忌部氏と藤原氏や秦氏が真の友として手を取り合えば、日本の未来は栄えるという預言である。
卑弥呼と卑弥弓呼は日本の未来へのメッセージなのである。実はこの二人の記憶は今も日本人に語り継がれているのである。次章から取り上げる昔話において、卑弥呼は幻の女王ではなく、ずっと日本人の心の中に生き続けていることを示したい。
おむすびころりんあらすじ
お爺さんが山へ木を伐りに行ってお昼になり、おむすびの包みを開けると、その一つが斜面を転がり落ちてしまった。追いかけていくと、木の根元に空いた穴に落ちてしまった。すると穴の中から「おむすびころりんすってんてん」と歌声が聞こえてくる。
お爺さんは穴の中を伺おうとするが、誤って穴の中へ落ちてしまった。穴の中にはたくさんの白いネズミがいて、おむすびのお礼にと大変な歓迎を受けた。お爺さんが家に帰るときに、ネズミたちは大きい葛籠と小さい葛籠のどちらかを差し上げますと申し出た。
お爺さんは小さい葛籠を選んで持ち帰り、家で開けて見ると、沢山の財宝が入っていた。あるいは、ネズミは餅をついておじいさんを歓迎し、お土産にお餅と打ち出の小づちをくれたともいう。
隣に住む欲張りな爺さんが財宝のことを知り、欲しくてたまらなくなった。爺さんはおむすびを持って穴のところへ行き、おむすびを無理矢理穴の中に押し込んだ。それから穴の中に降りていき、ネズミたちに土産物をよこせと要求した。
ネズミたちは大きい葛籠と小さい葛籠を出してきたが、欲に目がくらんだ爺さんは両方を手に入れようとし、猫の鳴きまねをしてネズミたちを追い払おうとした。しかし、ネズミたちは爺さんに噛みつき、欲張り爺さんは降参した。あるいは死んだとも、暗闇の中でもぐらになったともいわれる。
コロポックルの伝説
一方アイヌ人に伝わるコロポックルの伝説は、フキの下に穴を掘って住み、アイヌ人とは沈黙貿易で交流していたという。そのフキは十勝地方に自生する高さ4メートルにも達するもので、単にアイヌ人より小柄であっただけのものを、通常のフキのイメージと重なって妖精のような存在と思われるようになったようである。
アイヌ人とコロポックルの沈黙貿易とは、お互いに姿を見ないように所定の場所あるいは方法で物品のみ置いて取引するものという。ところがアイヌ人が約束を破り、取引に来たコロポックルの女性の手を引っ張って捕まえてしまった。
(イギリスにはノッカーという小人に贈り物を玄関先に置く風習があるが、世界中で小人に対してこのような沈黙貿易の例が数多くある。また、ピンポンダッシュといういたずらも、この風習がルーツではないかと思われる。)
そしてその女性の体にある入れ墨を見たという。コロポックルは、アイヌ人が交易の際お互いの姿を見ないという取り決めを破ったために、北の果てに姿を消したという。その女性の入れ墨がアイヌ人の入れ墨のルーツという。また十勝はコロポックルが残した呪いの言葉がルーツとされる。
アイヌ人の考えでは、北海道で発見される縄文文化の遺跡や土器、遺物はコロポックルのものだという。またコロポックルの住む地面に穴を掘った家は竪穴式住居のことだとすると、住居によっては梯子を使って降りるほど深い穴の遺跡例もあることから、縄文人はコロポックルそのものなのだといえるのである。
縄文人と弥生人の出会い
アイヌ人と縄文人は同族ではないかともいわれるが、顔の骨格がかなり違う。しかし、混血は認められるのである。これもまたコロポックルの伝説と一致し、沈黙貿易の決まりを破って密通した者がいることが想定される。
骨格の違いで顕著な部分は前歯で、縄文人は上下の歯が爪切りのようにぴったり合わさるというのである。このような歯の特徴は、日本人にはほとんど見られないため、いったい縄文人はどこに行ったというのだろうか。
コロポックルが縄文人だとすると、北の果てに行った伝説を考慮した場合、もしかするとツングース族やイヌイットなどがそうなのかもしれない。特にツングース族は日本人のルーツともいわれるが、ひょっとすると彼らはもともと縄文人で、日本からそちらに移住、もしくはもともと北方にいたので故郷に帰ったのかもしれない。遮光器土偶で知られる遮光器は、今も彼らが使っている。またイヌイットのイグルーは材質こそ雪であるが、竪穴式住居そのものである。
また、最近の研究によると、日本人の13パーセントが縄文人の遺伝子を受け継いでいるという。日本人(本州人)に伝わる縄文人の遺伝子は、縄文文化と弥生文化の遺跡からも推測できる。縄文人は弥生人の稲作を急速に取り入れた形跡がある。あるいは弥生人が移住したとも考えられる。
稲作文化は九州地方から東に向かって伝わって行ったようだが、あっという間に東北地方にまで達していることが遺跡からわかるのである。本州の北端、青森県の垂柳遺跡などは、その代表例ではないだろうか。
稲作が弥生人に伝えられ、あるいは弥生人が自ら持ち込み、それを縄文人に伝えた歴史を伝えるのが「おむすびころりん」ではないだろうか。筆者が思うに、ネズミがおむすびを大喜びしたように、縄文人は米の味に魅了されたのである。木の根の下にあったネズミの巣穴はまったく竪穴式住居であり、ネズミとは根住みのことで地下の住民を意味し、体が小さいことも示している。
エミシとエビス
縄文人はクジラやイルカを捕っていたことがわかっているが、これをもとに、蝦夷(エミシ、エビス)と呼ばれていた可能性がある。日本では古来よりクジラやイルカをエビスと呼んでおり、それを捕って暮らしている縄文人をもエビスやエミシと呼んでいたかもしれないのである。
さらにエミシは記紀の記述によると、東北地方に住み、入れ墨を持つ集団として記されており、これもまたコロポックルと一致する。柳田國男の遠野物語によると、東北地方の山には山人という不思議な民がおり、体が大きいのもいれば小さいのもいるのだが、非常に米飯が好きだという。握り飯と引き換えに荷物を運んでくれるのだという。
また、根の国は死者が行く黄泉の国を指す場合もある。井戸が入口になっていることもある。記紀には死んで根の国に行ったイザナミの話が記されている。
イザナミが夫のイザナギに会った際、初めに声をかけたのがイザナミ(女性)であったため、ヒルコ(蛭子)という不具の子が産まれたという。そのため、今度はイザナギから声をかけ、西日本の島々が生まれることとなった。
しかし、最後にカグツチという火の神を産んだためにイザナミは焼け死んでしまい、根の国すなわち黄泉の国に行ってしまった。イザナギはイザナミに会いたい一心で黄泉の国に行くが、見るなと言われていたイザナミの恐ろしい姿を見てしまい、逃げ帰ってしまう。怒って追いかけるイザナミに対し、イザナギは大岩で道をふさぎ、別れを告げるのである。
見るなと言われていたのに見てしまったことや、今生の別れになった話はコロポックルに似ている。イザナミは体中に雷神が憑りついていたのだが、これは入れ墨のルーツなのだろうか。極道の者が入れる龍の入れ墨に通じるのかもしれない。
縄文人はイザナミだった
イザナミが後で生んだのは西日本の島々である。最後に産んだカグツチもまた土地に関係する存在であるならば、これは火山と考えられる。イザナギが別れを告げた大岩が溶岩とするならば、フォッサマグナの火山帯がこれに該当するのではないだろうか。
根は木の下にある。根の国は木の国の下にあるということになる。木は紀であり、鬼でもある。これに該当する場所は紀伊半島であるが、下を南とすると海になってしまう。
とんちクイズで、井上君の家は食堂(胃の上は食道)というものがある。「き」の下は「く」であるので、群馬(かつてはくるま)、毛野(鬼怒)の地名に加え、ここで神として祀られている豊城入彦が紀伊出身であることから、木の下すなわち、イザナミのいる根の国とは鬼怒川地方を中心とする東日本だったと思われるのである。
またイザナミの最初に産んだ蛭子はエビスとも読む。蛭子は行方不明になったが、エビスが縄文人であり、コロポックルならば、行方知れずになったことも同じである。すなわち、縄文人はイザナミとその末裔に例えられていたのではないだろうか。三枚のお札の昔話に出てくる山姥と、イザナギを追いかけたイザナミのエピソードがそっくりな理由は、山姥のモデルあるいは正体がイザナミだからではないだろうか。
縄文人はその大半が行方知れずとなったが、混血した末裔を除いて、山奥にひっそりと暮らす生き残りが山姥や山人となり、東北地方で勢力を保っていたエミシとなったのかもしれれない。
だが、縄文人が行方知れずになった理由はなんなのだろうか。コロポックルは十勝の伝説であり、東日本からいなくなった縄文人には当てはまらない。そこで注目されるのが、おむすびころりんの意地悪あるいは強欲な隣の爺さんである。ここに縄文人が消えた理由が隠されていたのである。
意地悪爺さんと狗奴国
昔話の定番である、正直な爺さんの隣に住む意地悪な爺さんには、古代の民からのメッセージが込められている。毒をもって毒を制すではなく、悪には善をもって報いるべきという教訓も込められていると思うが、事実が反映されているとしたらどうだろうか。
隣人とのトラブルはよくあることというが、これは国同士でも同じなのが現実である。それならば、隣の意地悪爺さんは隣の敵国としたらどうだろうか。ネズミがいなくなった原因が縄文人と同じならば、縄文人は意地悪爺さんに例えられた国(国王)のためにいなくなったのである。それはつまり侵略である。
弥生人が縄文人を追い出したわけではないことは、おむすびころりんが示すように、米を伝えたことで喜ばれたことから推測できる。弥生人がもらった縄文人からの贈り物を、意地悪爺さんに該当する国または人が奪おうと画策したのではないだろうか。
弥生人の時代は邪馬台国の時代と重なっている。そして魏志倭人伝には邪馬台国の境界が奴国と記されている。その隣が狗奴国であり、邪馬台国とは敵対関係にあった。狗奴国の候補地の一つは鬼怒川地域(毛野)であり、栃木県と群馬県あたりのことである。
イザナミが根の国すなわち東日本に逃げて行ったとすると、彼女を追いかけたのはイザナギであるが、もう一人存在する。それはスサノオである。イザナギがイザナミと別れた後、黄泉の国の穢れを清めるための禊ぎの際にスサノオが生まれている。そしてスサノオはイザナミを追いかけて根の国に行こうとした。
意地悪爺さんの正体
縄文人が住んでいた竪穴式住居だが、日本の国史である古事記にもそれらしき住居として、室または大室として記されている。スサノオが大国主に蛇やムカデをけしかけた室と、大国主がスサノオのもとから逃げ出した大室である。
大国主が大室から逃げ出す際、スサノオが出られないように戸を岩でふさいだとあるが、竪穴式住居の構造なら上から蓋をした形となる。この岩もまたイザナギとイザナミのエピソードと同じものといえ、火山活動の溶岩とも考えられるのである。
また大国主が鏑矢を野原で探している時に、スサノオに火をかけられたが、ネズミの穴に入って難を逃れたことは注目すべきところである。スサノオが大国主にけしかけたムカデと蛇もまた、そこが地下であったことを暗示しているともいえる。
イザナギとイザナミは夫婦でありきょうだいでもあるが、スサノオと天照大神もまた同じである。妻または姉であるこの二人の死はいずれも陰部の損傷によるもので、光と闇の逸話はいずれも火山が関係しており、岩で入り口がふさがれている点など、同一の存在であることを暗示している。そして同じような死因の女性がもう一人いる。それは卑弥と同一人物とみられているヤマトトトヒモモソヒメである。
そして卑弥呼がイザナミ、天照大神、ヤマトトトヒモモソヒメであるなら、卑弥呼は弥生人に信仰された縄文人の神であった可能性が高くなる。その死と弥生人と縄文人の離別には、火山活動とスサノオが関係していることになる。
このことは、浅間山や富士山が浅間神社で女神を祀っていることからもうかがえる。浅間神社のコノハナサクヤヒメの姉はイワナガヒメであるが、二人の夫である天孫ニニギは永遠の命をもたらすイワナガヒメ(溶岩)と別れ、花のように散る(死ぬ)コノハナサクヤヒメを選んだとある。記紀で天孫と記されている一族は、あらゆる別れのエピソードが弥生人と縄文人の離別を意味し、スサノオ一人の仕業に絞られてくるのではないだろうか。
そしてスサノオの正体が滋賀県高島市の大前神社に伝わっている。この神社でスサノオは豊城入彦となっている。スサノオが乱暴を働いて死んだ天照大神を卑弥呼とするなら、豊城入彦は敵である狗奴国の王卑弥弓呼のことになる。卑弥弓呼こそ、ネズミこと縄文人が日本から姿を消した原因となった意地悪爺さんだったのである。
アイヌの言葉で美しい女性のことを「ピリカ・メノコ」という。この「ピリカ」だが、「卑弥呼」から来たのではないだろうか。誰にも姿を見せず、神秘のベールに包まれた女性のことを、アイヌ人はコロポックルから聞き、「卑弥呼のような女性」が「美しい女性」と同じ意味になったのかもしれない。
オキクルミカムイ(アイヌラックル)
神の子が天界から地上に降りて来て、人々に知恵や技術を授ける話の一つが、アイヌ民族の神(カムイ)の一人、オキクルミカムイである。オキクルミカムイはどうしても地上に降りたいと願い、三つの試練を経験してやってきた。
三つの試練とは、酷熱、極寒、笑ってはいけない、であった。オキクルミは笑ってはいけない場面で、彼を地上に行かせまいとする悪神たちの執拗な嫌がらせを受けた。なかなか笑わないオキクルミに対し、悪神の男女が犬の交尾の真似をし始めた。それを見て悪心たちは大爆笑し、オキクルミも口の端に笑ってしまった。
悪神たちはそれ見たことかと詰め寄ったが、オキクルミは彼らの前から必死で逃げ、ついに地上世界へと降り立ち、人々に様々な知識、技術、そして博愛を伝えた最高神となった。
この「笑い」であるが、おかしくて笑ったのではないのかもしれない。笑いといっても朗らかで幸せな笑いと、下卑た人の不幸を笑うものがある。犬の交尾の真似など、悪心たちの下卑た笑いの中、オキクルミは苦々しい思いで口の端で苦笑したのかもしれない。
人は苦しさに耐えられずに笑うことがある。いじめられている人が笑っているのを見て、平気なんだと取り違える悲劇もあるくらいである。いじめによって自死を選んだある生徒が、登校したときに自分の机の上に花の入った花瓶が置かれてある(つまり死人を表す)のを見て、みんなの前で笑ったという。その「笑い」がどれほどの苦痛であっただろうか。
オキクルミの「笑い」も同じものではなかっただろうか。いじめ被害者の本当の思いを知っていることを示すエピソードなのではないだろうか。イエス・キリストの苦しみは十字架刑が知られるが、それ以上に人の罪や悪意に苦しめられたことはあまり知られていない。モルモン經には次のように記されている。
彼は人に卑み捨てられ、諸の苦難を嘗め、悲哀の味を知る。我等は又己が顏を彼より隱すが如く振舞ふ。彼の憎まれし時、之を思ひ貴ばざりき。
彼は實に我等の憂と悲と苦とを負ひき。然るに我等は之を見、惱まされて神に撃たるるなりとせり。
然れど彼は我等の愆の爲傷を負ひ、我等の罪惡の爲撲たれしのみならず、又我等に代りて懲罰を受け、以て我等に安心を與へき。我等は彼の撃たるるによりて癒さるるなり。(モーサヤ14:3-5)
オキクルミは人が経験する苦しみ、特にいじめなどの現在も人を苦しめている悪意に対し、最も愛と理解を示す神といえるのである。
トゥレプカムイ
オキクルミカムイを初め、トゥレプカムイや疱瘡神と戦ったミンツチカムイなど、アイヌの神々には人々のために命がけの一生懸命な姿がある。それに引き替え、日本の創世神話における天孫族は薄情で残酷である。
英雄ヤマトタケルは兄を八つ裂きにし、御馳走してくれた熊襲兄弟に女装して近づいて刀で真っ二つにし、一族全員皆殺しにするなど、スプラッター映画の主人公並みである。
穀物の起源を伝えるオオゲツヒメは、スサノオに御馳走するため鼻や口、尻などから食べ物を出してもてなした。スサノオは怒ってオオゲツヒメを切り殺した。このオオゲツヒメはアイヌのトゥレプカムイに似ているといえる。トゥレプとはオオウバユリという植物で、根はでんぷん質の食料にされる、アイヌにとって重要なものである。
トゥレプカムイは禿げ頭の老女の姿で家々を巡り、頭のかさぶたを鍋で煮て食べさせようとした。気持ち悪がって食べなかった者は宝物を取り上げられたが、勇気を出して食べた者がその美味に驚き、また彼女はトゥレプカムイの真の姿を表し、穀物とその調理法を教えてくれた。当時のアイヌ人は肉ばかり食べていたが、これで穀物のおいしさを知ったという。
アイヌ人の伝承では、トゥレプの調理の際、酒と色情的な話がタブーとなっている。そのような話をすると、でんぷんが落ちつかなのだという。これはオキクルミが耐えた笑いと関係があると思うのは筆者だけだろうか。
どうもオキクルミカムイやトゥレプカムイ、オオゲツヒメはよそからやって来た民、もしくは彼らの信仰していた神なのかもしれない。
アイヌ人はこれらのカムイを歓迎し(そうではない人もいただろうが)、スサノオで表される狗奴国の人々は殺害をもって報いたようである。オオゲツヒメの口や尻から出た食べ物や、トゥレプカムイのかさぶたは、発酵食品のルーツを示していると思われる。染物も同じで、染料の発酵具合を確かめるのを口で行うのは、ここに起源があると思われるのである。やまんばもまた、尻や口から金あるいは錦の糸を出している。
それらはすべて、狗奴国が拒んだ邪馬台国(倭)の神、卑弥呼の化身なのである。
「にほんのみんわⅡ・うたないたいこなるたいこ」ゆにっくすらいぶらりーより
ある国の殿様が年寄りが嫌いで、老人を山へ捨てるように民に命じた。そんな中、じろさくはお婆がかわいそうで捨てられなかった。そこで山に隠れ家を造ってかくまうことにした。
ある日、隣国の殿様が難題を突き付けてきた。問題が解けなければ国を奪うと脅され、困った殿様は国中に問題を解ける者がいないかお触れを出した。じろさくからそれを聞いたお婆は「やさしいことだ。お婆の知恵で答えてあげる」と言った。
初めの問題は、灰で縄を作れというものだった。お婆は縄を塩水に浸け、日光でゆっくり乾かした。それをじろさくに焼かせて灰の縄を作らせた。じろさくはそれを殿様の所へ持って行った。
隣国の殿様は二番目の問題を出してきた。ほら貝に糸を通せというものだった。今度もお婆が考えた。貝の一つの口に蜜を塗り、蟻に糸を結んでもう一つの口から入れてやるという知恵で、殿様は今度も助かった。
三番目の最後の問題は、叩かぬ太鼓、鳴る太鼓を持って来いというものだった。お婆は太鼓の中にくまんばちを三匹入れて持っていくように言った。不思議な太鼓は殿様の前で、とことこと叩かないのに鳴り出した。
大喜びの殿様はじろさくにどっさり褒美を取らせ、年寄りを大事にするようになった。
姨捨山
日本の歴史上、姥捨て山のような老人を捨てる風習(棄老)は確認されていない。むしろ孤独死や老老介護が問題となっている現代社会の方が、姥捨て山を地で行っているようである。
姥捨て山には、息子が道に迷わないように背負われた老親が枝を折って目印にしていることを知り、親心を知って連れて帰るというものもある。
難題を解くタイプも親心を知るタイプも、世界中に類話が見られることから、民族の移動とともに伝わったものかもしれない。しかし、姥捨て山のモデルが存在する。それは長野県千曲市と東筑摩郡筑北村にまたがる冠着山で、姨捨山という俗称がある。古くは小長谷山(小初瀬山、小泊瀬山)と呼ばれていた。
しかしこの山で老人が捨てられていた歴史はなく、「おはつせやま」が訛って「おばすてやま」となり、姥捨て山の話が加味されたもののようである。平安時代に成立した大和物語には、夫の年老いたおばを憎んだ妻が、夫に彼女を山へ捨ててくるように命令する話が書かれている。殿様も隣国の殿様も出てこない。
おはつせの語源は、姨捨山の山裾に小長谷皇子(武烈天皇)を奉斎した小長谷(小初瀬)部氏が住んでいたことによるという。武烈天皇は謎の多い天皇で、非常に邪悪で残酷であったという(日本書紀のみの記述)。また、小長谷皇子とよく似た名前の大長谷皇子は武烈天皇の四代前の雄略天皇で、こちらも残酷な天皇であったと記されている。
この二人の天皇の間に顕宗天皇と仁賢天皇の兄弟が即位している。この兄弟は父を雄略天皇に殺され、苦難の末に皇位に付いたことが記紀に記されている。兄弟天皇の治世は仁に帰す良き世であったという。しかし、善王の仁賢天皇の子が悪王の武烈天皇であることや、古事記と日本書紀では記述に食い違いが多く、何か隠された真実があるように思えるのである。
雄略天皇
雄略天皇の治世年を単純計算すると、紀元5世紀の天皇である。朝鮮半島の歴史記録と共通する事績も見られる。記紀の編者が中国や朝鮮の歴史書を参照していたことも恐らく確かで、後世に伝えるべき内容を吟味していたことが伺える。
雄略天皇の事績で大いに注目したのは、伊勢神宮外宮の創建である。伊勢神宮内宮の神は天照大神で、これまで見てきたように卑弥呼と同一の存在である。その卑弥呼の神宮と対をなす存在であることから、卑弥呼の後を継いだ台与を祀る神宮とする説もある。外宮の祭神は豊受大神であり、確かに「とよ」の名が付けられている。
また、卑弥弓呼が豊城入彦なら、伊勢神宮初代斎宮となった妹の豊鍬入姫命が卑弥呼の後を継いだ台与である可能性が大いに高くなる。それでは伊勢神宮外宮の祭神を台与とするなら、創建者の雄略天皇はどのような考えを持っていたのだろうか。
雄略天皇と武烈天皇を悪王とする記述が真実を隠すためとすると、この二人は善王であった可能性もある。そして忠義の王であった顕宗天皇と仁賢天皇の兄弟のエピソードは、記紀に何度か語られる、皇位継承をめぐる兄弟間の争いと何か関連があるように思えるのである。
応神天皇と香坂、忍熊皇子、仁徳天皇と菟道稚郎子、大友皇子と大海人皇子の関係は、どちらかが自決するか殺され、生き残った方が即位するという筋になっている。これは女性天皇に物部氏の者がセットになっているケースと、同じような暗号が仕組まれているのかもしれないのである。併せて考えたいのが、雄略天皇が中国の文献に現れる倭の五王の一人、「武」と考えられていることである。
倭の五王
「晋書」に秦始二年(266)の記録を最後に、中国の史書からは倭国の記述がなくなってしまう。そのため、4世紀の歴史は不明のままである。
再び中国の史書に倭国が登場するのは5世紀になってからである。高句麗の好太王碑文には391年の項に倭国の記述が見られる。中国の文献では、413~502年の間に讃、珍、済、興、武の「倭の五王」の記述が見られる。研究家はこの五人を記紀にある天皇に比定しようと試みているが、確定には至っていない。
歴史を知る上で基準点というものがある。その一つが漢委奴国王の金印が発見された志賀島(福岡県)である。この金印の発見により、後漢の光武帝が建武中元二年(57)に金印を授けた奴国が福岡県にあったと考えられている。
もう一つの基準点は天皇の都が奈良(大和)にあったとすることである。倭の五王もまた大和の王と考えられている。この基準点がずれているとしたらどうだろうか。
まず漢委奴国王の金印である。金印発見のため、奴国は福岡県だとするのが絶対指標になっている。ところが魏志倭人伝によると、奴国は邪馬台国の最南端(畿内説を取れば最東端)にもう一つあり、その南(東)に狗奴国があったと記している。奴国は倭国の極南界にあるというのである。説の中には、朝鮮半島南部にあった倭国の領土と合わせた南端とするものもある。
また倭国はもともと倭奴国と呼ばれ、「わのなこく」と訓じられている。その首都を奴国として、国全体を倭国といったのかもしれない。しかし、極南界にある奴国が金印を授けられた奴国だとするとどうだろうか。
気になるのが金印の印字が「委」になっていることである。これは「委」を「い」と読むように意図された偽造印ではないだろうか。つまり、倭奴国は「いなこく」と読むのである。そうすると、長野県の伊那、埼玉県の伊奈などに「いな」の地名が見出せるのである。
つまり、金印を授けられた当時の倭国の首都は、信濃にあったのではないかということである。長野県には卑弥呼と深く結びついている、物部守屋の死に深くかかわる善光寺がある。個人的な想像に過ぎないが、善光寺の絶対秘仏の正体は本物の金印なのかもしれない。
将軍塚古墳
長野県を倭国の首都とした場合、それを後押しするような古墳群が存在する。千曲市にある埴科古墳群の四つの将軍塚古墳(森、有明山、倉科、土口)と、長野市にある川柳将軍塚古墳である。この埴科の地は魏志倭人伝に記されている邪馬台国以遠の国の一つ、「華奴蘇奴国」に当てはまると思われるのである。
中国の史書には倭の五王に「安東大将軍」や「鎮東大将軍」などの将軍号を贈っている。長野の五つの将軍塚古墳は、倭の五王にちなんだ名称ではないだろうか。さらに、これらの古墳群の地にある姨捨山は、武烈天皇の小長谷、雄略天皇の大長谷にちなんでいるが、この二人が天皇として執政した都は信濃ではなかったか。
雄略天皇に父を殺され、不遇の境遇であった顕宗天皇と仁賢天皇の兄弟は、どちらも「おけ」という名前であった(顕宗天皇:袁祁、弘計;仁賢天皇:億計、意祁)。「おけ」は古語拾遺に記されている、天岩戸隠れから天照大神が出てきたときに叫ばれためでたい言葉である。
「小長谷」と「大長谷」の名前は、ヤマトタケルの小碓と兄の大碓を彷彿させ、兄弟であるかのように思える。この予想が当たっているとすると、顕宗天皇と仁賢天皇の兄弟は雄略天皇と武烈天皇の二人と同一人物であり、「おけ」の名前が天照大神の復活を示す暗号となる。それが雄略天皇が創建したと伝わる、伊勢神宮外宮に込められているのである。
女王台与の正体
魏志倭人伝によると、台与は卑弥呼の後を継いで13歳で女王となったという。気になるのが13歳(実年齢は12歳と思われる)という数字である。若いからおかしいというものではない。物部氏が女祭司を選ぶ振りをして、イエス・キリストにちなんだ謎かけをしている可能性があるからである。
台与が卑弥呼と同じ条件で、神殿の奥に住んでいることにされていたとしたらどうだろうか。その答えが聖書に記されている。
さて、イエスの両親は、過越の祭には毎年エルサレムへ上っていた。イエスが十二歳になった時も、慣例に従って祭のために上京した。ところが、祭が終わって帰るとき、少年イエスはエルサレムに居残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。(中略)
そして三日の後に、イエスが宮の中で教師たちのまん中にすわって、彼らの話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。聞く人々はみな、イエスの賢さやその答に驚嘆していた。」(ルカ2:41~47)
台与を女王とした人々は、12歳のキリストのエピソードを盛り込んで卑弥呼の後継ぎとしたのではないだろうか。この風習は十三詣にも受け継がれているのかもしれない。この台与を祀るのが伊勢神宮外宮であり、雄略天皇が創建したという歴史の背景が、姥捨て山の昔話のルーツとなるのではないだろうか。
知恵を授けた老母は卑弥呼であり台与であった
中国の歴史書によると、倭の五王は倭国を制したようである。埼玉県行田市にある稲荷山古墳出土の金錯銘鉄剣に刻まれていた「ワカタケル大王」は、熊本県玉名郡の江田船山古墳で出土した銀錯銘大刀の王名と同じであると考えられている。このことから、少なくとも埼玉県から熊本県まで倭国の支配下にあったと思われる。これは邪馬台国の支配域と一致している。
ワカタケルは雄略天皇の可能性があり、倭王武ともいえるが、いずれその謎が解ける日が来るに違いない。ここでは台与を祀った雄略天皇が信濃に首都のある倭の王であり、なおかつ姥捨て山の殿とすると、彼は年寄りを口減らしのために殺そうとしたことになる。そんなときに隣国の殿様が無理難題を突き付けてくる。それを救ったのが老婆であった。これは邪馬台国の内乱のエピソードにそのまま当てはめることが出来るのである。
邪馬台国で卑弥呼が死に、内乱が起き、台与が擁立される間、男王が立ったという。卑弥呼は老女と考えられており、その死は謎に包まれているが、卑弥呼を退位または排除する動きがあったとしたらどうだろうか。卑弥呼がいなくなった結果、国はひどく乱れてしまった。それを立て直すため、卑弥呼と関係の深い台与が選ばれた。
卑弥呼は人知れず神殿の中にいて、深い知恵を人に授けている。つまり姥捨て山の老母のように、山奥の家や地下室に隠れているのである。ところが新しい王に排斥され、内乱(大問題)が起きる。これは隣国の殿様の介入とも受け取れる。
それを解決したのが台与である。つまり、姥捨て山に捨てられて死んだと思われていた老女が国に救いをもたらしたのである。言い換えると、死んだと思われていた卑弥呼は生きていて台与として復活した。すなわち、卑弥呼と台与は同一人物なのである。
従って雄略天皇は初め卑弥呼に背を向ける王であったが、その後悔い改めて台与の勧告に従ったのではないだろうか。そして隣国の侵略から倭国を守り、ワカタケル大王として統治したのかもしれない。
それでは隣国の王とは誰であろう。信濃の隣で卑弥呼の敵といえば、毛野地方の豊城入彦しかいないのである。
信濃の都から奈良の都へ
雄略天皇は復活した卑弥呼の化身の台与、すなわちイエス・キリストを祀った外宮を創建した信濃の王であると推理した。信濃を首都とする倭国へ侵攻しようとした王は、豊城入彦の子孫である御諸別王や荒田別であるかもしれない。特に荒田別は新羅侵攻にかかわっており、倭国王が行った遠征を狗奴国の事績として残しているのかもしれない。
武烈天皇の次に即位した継体天皇は新たな皇統とする説がある。興味深いのは継体天皇が近江出身であることである。また継体天皇は応神天皇の5世孫というが、これは近江の豪族息長氏の血を引いていることを意味する。それはすなわちアメノヒボコの末裔であることも意味する。
ここで妖怪の出現理由について一つの法則を提示したい。推古天皇三十五年(627)五月、蝿の群れが信濃坂を越えて東へ行き、上野国で散り失せたという。なぜか信濃には蝿の逸話があるのだが、推古天皇の摂政であった聖徳太子は人魚の逸話が語られる。こういう妖怪などの奇妙な記述は政変や天変地異を示している可能性がある。
このことから推測するのだが、信濃にあった王朝は天変地異のため、継体天皇の時代から大和に遷都したのではないかということである。仁徳天皇の時代には両面宿儺という怪物が飛騨に現れたとある。飛騨も信濃に近く、5世紀から6世紀にかけて何らかの事件が中部地方で起こったものと思われるのである。
侗(トン)族
トン族とは中国の貴州省・広西壮族自治区・湖南省にすむ少数民族(約250万人)で、釘を使わない木造建築や風雨橋が有名である。高床式の家屋に住み、薩歳(サスイ)という女神を祀るアニミズム的な宗教観がある。
蜘蛛をトーテムとしており、石積の祭壇には傘が立てられる。傘を立てることから蜘蛛は雲でもあるようである。この傘の姿は唐傘お化けを彷彿させる。それは雨にかかわるもので、上巻で考証した八岐大蛇の尾から出て来た天叢雲剣と関係があるように思われるのである。
サスイという女神もまた卑弥呼を想起させる。トン族もまた倭人のルーツの一つである可能性は非常に高い。そしてさらに、トン族に伝わる「長い髪の娘」の物語にも、卑弥呼の姿を見出せるのである。
長い髪の娘(チャンファメイ)
水不足に悩む山の村に長い髪の娘が寝たきりの母親と二人で住んでいた。彼女はある日、山の中でカブを見つけ、そのカブを引き抜くと水があふれてきた。すると風にさらわれたと思うと山の神が現れ、水のことを人に話すと命はないと脅された。
村では日照りが続き、水不足に悩む村人のために、娘は水のありかを話したくても話せず、苦悩のために髪の毛は真っ白になってしまった。
ついに彼女は村人の苦しみを見るに耐えられなくなり、山へ行ってカブを引き抜くように案内してしまった。彼女はカブを引き抜いて切り刻むように教え、カブの穴から噴き出した水のおかげで村は救われることになった。
しかし、またもや風にさらわれて山の神のもとに飛ばされ、山の神は彼女の命をもらうと告げた。娘は山の神に、一日だけ家に帰り、母親に別れを告げさせてくれるように頼んだ。山の神はそれを許し、彼女は母親に別れを告げに行った。
娘が再び山の神に会いに行く途中、彼女がいつも木陰で休んでいた榕樹(ようじゅ:ガジュマル)の木のところに来た。彼女は木に別れを告げていると、木の中から緑色の老人が現れた。老人は彼女を助けると告げた。
老人は石の人形を示し、娘の白い髪の毛をその頭に植えた。そして老人は石の人形を担いで山に登り、噴き出した水の上に寝かせた。水は白い髪を伝わり、滝となって流れ落ちていった。老人は、山の神をうまくだませたから家へ帰ってもよいと告げた。娘の頭には黒く長い髪が再び生えていた。
ガジュマルの精と卑弥呼
沖縄ではガジュマルの大木にはキジムナーという木の精が住むという。古老によると、キジムナーの誘いに乗ってはいけないという。何かテレパシーのような能力があり、人の心を読んだり操ったりする力があるものと思われる。これは河童と同じで、水辺にすむ小さい人とは心を通わせてはならないというタブーが、昔から語られている。
神道の祭司において、審神者(さにわ)という役職がある。人に降ろした神が福の神か禍の神かを審判するのだが、これは河童やキジムナーではないのだろうか。人の心を操り、様々な現象を起こすのだが、それが人に吉と出るか凶と出るかは気まぐれなものといえ、いずれも同じ河童ではないかと思われるのである。
しかし、この祭祀とキジムナーや河童にはルーツもしくはモデルがある。チャンファメイを救ったガジュマルの木の老人もまた、キジムナーそのものなのである。
チャンファメイの前に現れた山の神は悪神のように思える。しかし、山の神もガジュマルの老人も、水を噴き出させて切り刻まれたカブも、すべて同一の神を示している。山の神は日本の鬼と同じく恐ろしい存在のようだが、結果的に全ての人を救っている。
ガジュマルの老人と、彼が持っていた石の人形は地蔵そのものである。女性の髪の毛を植えられているので、日本と同じ女の象徴がある。
切り刻まれたカブは、自らを犠牲にして救いをもたらしたイエス・キリストそのものであり、山の神、ガジュマルの老人、石の人形もまたイエス・キリストなのである。
さらに、自らの命を捧げる覚悟を示したチャンファメイもまた、イエス・キリストの姿そのものなのである。彼女の伝説が形を変え、キリストの化身である卑弥呼へと受け継がれていったのではないだろうか。
歴史の本で描かれる卑弥呼の多くは長い髪である。日本人の心にはチャンファメイの昔話が受け継がれているのではないだろうか。
茨木童子と渡辺綱
桃太郎や酒呑童子などの鬼にまつわる昔話はすでに紹介したが、茨木童子について考察したい。頼光の酒呑童子征伐のとき、茨木童子は逃げ延びたという。その後、頼光四天王のひとり、渡辺綱との戦いが後世に伝えられている。
渡辺綱が堀川にかかる一条戻橋の上に差し掛かったとき、若い美女が道に困っていた。綱が馬に乗せてやると、女は突然鬼の姿になって綱の髪の毛を掴んで飛び上がり、愛宕山へ連れ去ろうとした。綱は名刀・髭切で鬼の腕を切り落とし、鬼は逃げ去った。
綱は切り落とした鬼の腕を源頼光に見せたところ、頼光は陰陽師(安倍晴明だともいう)に相談した。陰陽師は「必ず鬼が腕を取り返しに来る。七日の間家に閉じこもって物忌みし、その間は誰も家の中に入れてはならない」と告げた。陰陽師の勧告通り、茨木童子はなんとかして綱の屋敷へ侵入しようとしてきたが、綱の唱える仁王経や護符の力で入ることができなかった。
ついに物忌みが終わる七日目の晩になった。摂津の国から綱の伯母(または養母)の真柴が綱の屋敷を訪ねてきた。綱は誰も入れてはならないことを話し、決して伯母を屋敷に入れようとしなかった。そこで年老いた伯母は「幼いころから育ててきた者にこんな仕打ちとは」と嘆き悲しんだ。
綱はとうとう言いつけを破って伯母を屋敷に入れたのだが、伯母は切り取られた鬼の腕を見たいと言い出した。彼女は封印された唐櫃に入っていた腕を手に取ると、突然、鬼の姿になった。この伯母の正体は茨木童子だったのである。そして腕を持って飛び上がり、破風を破って空の彼方に消え去った。
茨木童子の切られた腕
茨木童子は、渡辺綱に退治される悪鬼として描かれていると誰もが思っている。しかし、茨木童子が何をしたというのだろうか。出会いの場面から腕を取られる場面まで、何度も綱を倒す機会があったにもかかわらず、そうはしなかった。茨木童子の目的は何だったのだろうか。この物語には、いくつもの大きな象徴が隠れている。
茨木童子は最初若い女性だったが、腕を取り返すときには老母に化けていた。茨木童子は男であるが、なぜ女性に化けたのか。最初の場面では愛宕山に行こうとしていたが、それはなぜだったのか。愛宕山にはイザナミとカグツチを祀る愛宕神社がある。女陰が焼けて死んだ象徴は卑弥呼も同じである。
茨木童子が女に化けたということは、逆に女の卑弥呼が男であったことも同時に示しているといえる。この二つの象徴は、茨木童子がイエス・キリストの化身であったことを意味している。それが腕を切り落とされたエピソードに隠されているのである。
綱が持っていた刀の名前は「髭切」といった。腕を切ったことにちなんで名前が「友切」と変わっている。この変化は何なのか。それが示されているのが聖書なのである。イエス・キリストは次のような言葉を残している。
「もしあなたの右の手が罪を犯させるなら、それを切って捨てなさい。」(マタイ5:30)
「もしあなたの片手または片足が、罪を犯させるなら、それを切って捨てなさい。」(マタイ18:8)
これは文字通り腕を切れという意味ではなく、腕とは友人のことである。自分に罪を犯すように誘惑する者と関係を考え直せという勧告である。そうすると、茨木童子が切られ、取り戻した腕とは「友人」のことになる。命の危険を顧みず、綱に危害を加えることもなく、友人を取り戻しに来たことになる。それを切った刀を「友切」と呼んだのは、キリストの言葉を意識してのものではないだろうか。
「友切」の前の名前「髭切」は、イザヤ書にあるキリストの受難の預言に示されている。
「わたしを打つ者に、わたしの背をまかせ、わたしのひげを抜く者に、わたしのほおをまかせ、恥とつばきとを避けるために、顔をかくさなかった。」(イザヤ50:6)
綱の持つ刀は豊城入彦の弓と同じで、イエス・キリストに戦いを挑むための武器ということになるのだろうか。
切られた腕と九十九の意味
マタイ18章には、腕を切る言葉に続いて有名なたとえ話が記されている。このことが、鬼と九十九の関係を明らかにするものではないかと考えられるのである。
「あなたがたはどう思うか。ある人に百匹の羊があり、その中の一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、その迷い出ている羊を探しに出かけないであろうか。もしそれを見つけたなら、よく聞きなさい、迷わないでいる九十九匹のためよりも、むしろその一匹のために喜ぶであろう。そのように、これらの小さい者のひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父のみこころではない。」(マタイ18:12~14)
「あなたがたのうちに、百匹の羊を持っている者がいたとする。その一匹がいなくなったら、九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を見つけるまでは捜し歩かないであろうか。そして見つけたら、喜んでそれを自分の方に乗せ、家に帰ってきて友人や隣り人を呼び集め、『わたしと一緒に喜んでください。いなくなった羊を見つけましたから』と言うであろう。よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、悔い改めを必要としない九十九人の正しい人のためにもまさる大きいよろこびが、天にあるであろう。」(ルカ15:4~7)
茨木童子がなぜ切られた腕を取り戻しに来たかが、キリストの教えの中に示されている。茨木童子の切られた腕は、罪の道に迷い出てしまった大切な友人を指しているのである。その友人を何に変えても取り戻しに来る、キリストの慈愛を示す物語なのではないだろうか。
綱を愛宕山に連れて行こうとしたのは福音を伝える伝道を意味するなら、腕を切られたのは、友が逆に福音から離れて罪の道に連れ込まれたことを意味している。茨木童子は何としても友を取り戻す(正しい道に連れ戻す)ため、綱の屋敷を訪れたのである。
「九十九」は鬼や百百目鬼、付喪神など人に見捨てられた存在に付けられる数字だが、これは一人の大切な友人を見つかるまで探し出す、キリストの愛を示す言葉だったのである。
破られた破風
茨木童子が切られた腕を持ち、破風を破って飛び去ったが、ここにもイエス・キリストの愛と贖いの象徴が隠されている。破風を屋根板と見なすと、キリストのもとに来るために屋根の瓦を剥いだ逸話が当てはまるのではないだろうか。
その時、ある人々が、ひとりの中風をわずらっている人を床にのせたまま連れてきて、家の中に運び入れ、イエスの前に置こうとした。ところが、群衆のためにどうしても運び入れる方法がなかったので、屋根にのぼり、瓦をはいで、病人を床ごと群衆のまん中につりおろして、イエスの前に置いた。イエスは彼らの信仰を見て、「人よ、あなたの罪はゆるされた」と言われた。
(中略)「あなたの罪はゆるされたと言うのと、起きて歩けというのと、どちらがたやすいか。しかし、人の子は地上で罪をゆるす権威を持っていることが、あなたがたにわかるために」と彼らに対して言い、中風の者にむかって、「あなたに命じる。起きよ、床を取り上げて家に帰れ」と言われた。すると病人は即座にみんなの前で起きあがり、寝ていた床を取り上げて、神をあがめながら家に帰って行った。(ルカ5:17~27)。
中風を患っていた人は、体の病だけではなく、罪にも苦しんでいたことが伺える。彼はキリストなら癒してくださるという信仰を持っていたが、彼の友人もまた深い信仰と友情の持ち主であり、友を罪と病から救いたい一心で屋根を破る行為に出た話である。
罪に迷う者を聖書では、霊が囚われの状態にあると表現する。茨木童子の腕がかけがえのない友の象徴で、厳重に封印されているのは、罪に迷い出て一人苦しんでいることと見なせるかもしれない。キリストは罪に苦しむ者を、真の友として心身ともに救う存在であることを、茨木童子の物語は伝えているのかもしれない。
鬼と鶏
九十九塚や鍛冶屋の鬼の話では、夜明けの印として鶏が鳴かされている。鶏の鳴き声といえば、天岩戸隠れが思い起こされる。鳴き声を合図に、様々な儀式が行われるのだが、これはルーツを同じくしているのではないだろうか。
また、イエス・キリストの十字架刑の直前、鶏が三度鳴いている(マタイ26:69~75)。鬼の話でもキリストの受難のときでも、鶏が鳴いたのは朝ではなくまだ夜であった。どちらの場合も偽の証拠によるものであった。
天岩戸では鶏が鳴くと、鏡と勾玉を榊に付ける場面が語られる。これは木に掛けられた青銅の蛇で、十字架につけられたイエス・キリストの姿であった。鏡や勾玉は鍛冶などの技術者たちの作業であり、アマツマラ(アメノマヒトツ)やイシコリドメという卑弥呼の化身が行っていた。すなわち鬼である。そして鶏の鳴き声が意味するのは、夜明けではなく死であることになる。
鬼が夜明けまでに鍛冶をするエピソードは、天照大神の岩戸隠れの再現だったのである。
三枚のお札
ここでやまんばの逸話を持ってきたのは、鬼と似ている部分が多いからである。その姿はざんばら髪で鉤鼻、口が裂けている老婆が一般的であるが、若く美しい女性として登場する場合もある。
やまんばの話で有名なものに、三枚のお札がある。大筋は以下のとおりである。
山に出かけた小僧が遅くなってしまい、やまんばの宿に泊まることになった。やまんばが自分を食べる気でいることを知り、三枚のお札を使って逃走を企てる。
まず、厠へ行ってお札を一枚柱に貼り、自分の振りをしてくれるように頼んだ。お札はやまんばの「まだか」の声に答え、時間稼ぎをする。小僧があまりに遅いので厠を壊したところ、逃げたことを知って追いかけてきた。
二枚目の札を投げると大水が出た。やまんばをそれを飲み干して再び追いかけてきた。そこで三枚目の札を投げると大火となった。やまんばは飲んだ水を吐き出して火を消し、またも追いかけてきた。
小僧はすんでのところで寺に逃げ帰り、和尚に助けを求めた。寺を訪ねたやまんばは和尚に知恵比べを挑まれ、豆に変身したところを食われてしまった。
三枚のお札はイザナミや鬼の小綱の話にも似ており、食われてしまうのは鬼王温羅とも似ている。仏教徒に殺されてしまう点は、物部守屋などにも通じるものがある。小さくなるのは大物主と同じである。つまり、やまんばは倭の末裔であり、卑弥呼の象徴を持っていることになる。
よく読むと、人間(仏教徒)の方が、やまんばよりも恐ろしい存在となっていることがわかる。鬼の話と同じで、実際に人を食べたのはやまんばではなく、人間だと主張している狗奴国人の方なのである。
呪的逃走とヨハネの黙示録
イザナギや大国主、三枚のお札の小僧、鬼の子小綱の逃走劇は、呪的逃走ともいわれている。いずれも鬼の国である根の国からの脱出と受け取れる。鬼が閻魔大王の僕として地獄にいることから、根の国は地獄でもあるといえる。この逃走劇によく似た預言が、新約聖書のヨハネの黙示録に出てくる。
この巨大な龍、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経たへびは、地に投げ落とされ、その使いたちも、もろとも投げ落とされた。
龍は、自分が地上に投げ落とされたと知ると、男子を産んだ女を追いかけた。しかし、女は自分の場所である荒野に飛んで行くために、大きなわしの二つの翼を与えられた。そしてそこでへびからのがれて、一年、二年、また、半年の間、養われることになっていた。
へびは女の後ろに水を川のように、口から吐き出して、女をおし流そうとした。しかし、地は女を助けた。すなわち、地はその口を開いて、龍が口から吐き出した川を飲みほした。
龍は、女に対して怒りを発し、女の残りの子ら、すなわち、神の戒めを守り、イエスのあかしを持っている者たちに対して、戦いをいどむために、出て行った。そして、海の砂の上に立った。(ヨハネの黙示録12:9、13~18)
特に鬼の子小綱の話によく似ているが、黙示録のいう「女」とはイエス・キリストのことである。そして彼女の子らはキリストの王国、すなわち教会を指している。黙示録の龍が鬼ややまんばを意味しているように思えるが、彼らが悪の存在ならばその通りである。
しかし、最後に残酷な仕打ち(やまんばを食べる、鬼の子を切り刻む)をするのは人間であることが、昔話には暗示されている。勝者側の者は、自分が絶対正義と見なす傾向がある。イザナギを初め、追いかけたのは自分たちである。それを、追いかけられる立場に無理矢理置き換えているように思えるのである。
食わず女房
日本全国に伝わる昔話で、食い扶持が減るので嫁を貰わなかった男が、食べないからということで結婚した嫁が実はやまんばだったという話である。
食わないという触れ込みだったのに、米が減ることに疑問を感じた男が隠れて嫁の動向を探っていると、米を炊いて握り飯を作り、頭頂部の別の口で平らげていた。これは人間ではないと恐れ、家から出ていくように言うのだが、やまんばは正体を現して男を大桶に入れ、山の住処へ連れて行こうとした。
男は木の枝につかまって桶を出た後、菖蒲の中に入って隠れていた。やまんばはおいかけてきたものの、菖蒲の葉が目に刺さるため、逃げ帰ってしまった。
これは妙な話である。食わないという条件は、一緒に食べないということなのだろうか。なぜ上の口で食べる必要があるのか。やまんばは正体を現したが、上の口は何も意味がなかったことになる。
飯を炊く時刻に理解のヒントがあるとすると、夫が不在の間に飯を炊く昼前後の時間に意味があるということになる。かつて飯を炊く時間は日本の東西で違っていた。かつては一日二食であった。東日本は朝に炊き、夕食は残ったご飯をおかゆになどしていた。西日本は夕食時に炊いていた(昔は炊くのではなく、煮るに近かった)。
食わず女房は男とは飯を炊く時間の違う国の出であり、握り飯を作るところから、西日本の倭の民ではないだろうか。そして意味のないもう一つの口は、ある言葉を真に受けた結果としたらどうだろうか。
「わたしたちは、この舌で父なる主をさんびし、また、その同じ舌で、神にかたどって造られた人間をのろっている。同じ口から、さんびとのろいとが出てくる。わたしの兄弟たちよ。このような事は、あるべきでない。泉が甘い水と苦い水とを、同じ穴からふき出すことがあろうか。」(ヤコブの手紙3:9~11)
賛美と呪いを口にしてしまう人間だが、そんなことはあるべきではないというなら、口が二つあるということになる。それが意味のないやまんばの上の口ということになる。
またこのような言葉をキリストは語っている。
「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言葉で生きるものである。」(マタイ4:4)
「口にはいってくるものは、みな腹の中にはいり、そして、出て行くことを知らないのか。しかし、口から出て行くものは、心の中から出てくるのであって、それが人を汚すのである。」(マタイ15:17~18)
男は米をケチって食わず女房をめとったが、実際それが行われていれば、妻へのDVということになる。やまんばは正体がばれても男を殺さず、山へ連れて行こうとしたが、実際は殺す気はなかったのではないだろうか。菖蒲で目を刺されたが、ここでもアメノマヒトツの象徴が示されている。
この話を総合してみると、男が失ったものは米だけで、食わず女房は家事一切をしっかりやっていた。食わず女房もイザナギとイザナミの離縁がルーツであると思われるが、妻を大事にしないと山の神(うちのかみさんの語源)となってしまうのは、今も昔も変わらないのである。
雪女と鶴女房
妖怪伝承と昔話から日本建国までを見てきたが、これらの情報から「話してはいけない」「見てはいけない」昔話の謎が明らかとなる。
よく知られているものの一つが雪女である。雪山で出会った美しい女性を嫁にする物語であるが、雪女はいつまでも若々しかったという。また、雪女の原型はシガマ女房といわれるが、風呂に入れると櫛を残して溶けてしまったという。櫛を残すという部分、クシナダヒメや弟橘姫そっくりである。
魏志倭人伝には倭(邪馬台国)の民が百歳まで生きる長命だったとある。ところが平安時代ともなると、平均寿命が三十歳といわれ、非常に短くなっている。単純に三倍の寿命差がある。
また、古代日本の住居は竪穴式が有名だが、クマソタケルの住まいの描写を初め、絵画資料にもあるように、梯子で出入りするような地下室に近いものであった。それが日本家屋の場合、夏を基調とした造りで、明らかに冬を越すようにはできていない。北海道のアイヌ人が日本家屋を倉庫に使い、庭に自分たちなりの住居を作っていたという話もある。
食生活も関係があると思われるが、寒さに対応していない日本家屋は寿命を縮める原因となった可能性がある。短命の日本人が長命の倭人を見た場合、いつまでも若さを保っているように見えたかもしれない。
倭人の何割かは日本人に対して正体を隠しながら生きていたとして、シガマ女房の風呂に入れないというケースから、一つの仮説が浮かび上がる。それは、倭人が自分のルーツが分かってしまうもの、日本人(狗奴国人)の目から隠さざるをえなかったものを持っていた。それは入れ墨ではないだろうか。
倭国と日本国が併合され、入れ墨が禁止または罪人の証となったため、体に入れ墨がある者は決して日中に肌を見せなかったのではないだろうか。鶴女房などは、体の入れ墨を織物の模様として使っていたのかもしれない。
見るなのタブーの嚆矢はイザナミだが、同じ象徴を持つ雪女、鶴女房、そして乙姫は卑弥呼の化身なのであり、倭国を併合した狗奴国が拒んだイエス・キリストを示しているのではないだろうか。
あらすじ
今は昔。竹取の翁という者がおり、竹工をしていた。名は讃岐造(原文はさるき、さかき)といった。ある日、光り輝く竹を見つけ、その中には三寸程の可愛らしい女の子がいた。
翁は女の子が竹の中にいるので子(籠)になるべき人と知り、媼に預け、女の子を籠に入れて育てた。翁はその後、竹の中に黄金を見つける日が続き、家族は裕福になっていった。
女の子は三ヶ月ほどで妙齢の娘になった。彼女の顔かたちは清らかなことこの上なく、家の中は光に満たされていた。翁の心が悪く苦しいときも、この子を見て悩みは消え、腹立たしいことも慰められた。御室戸斎部の秋田が彼女を『なよ竹のかぐや姫』と名づけた。
世間の男はその貴賤を問わず、皆どうにかして彼女と結婚したいと心を惑わしていた。その姿を覗き見ようと翁の家の周りをうろつく君達(おもに藤原氏と源氏の若者)が後を絶たなかった。彼らは翁の家の垣根や門に、夜中に出てきて穴を開けるなどして覗き込もうとする有様だった。これを夜這いと言うようになった。
最後に残ったのは色好みといわれる五人の君達だった。彼らを見て翁はかぐや姫に結婚を勧めたが、彼女は自分の所望する物を持って来た人となら、と言う。
・石作皇子:左大臣多治比嶋がモデルといわれる。多治比氏は石作氏と同族。多氏の末裔と思われる。課題は『仏の御石の鉢』(仏陀が用いた光る鉢)。
・車持皇子(庫持皇子):藤原不比等がモデルといわれる。不比等の母が車持氏。車は群馬の地名のルーツで、豊城入彦命の後裔にあたる射狭君が、雄略天皇から車持公の姓を賜っている。課題は『蓬莱山にある木の枝』(根が銀、茎が金、実が白い珠の木)
・右大臣阿倍御主人:同名の人物がいる。陰陽師安倍清明の家系。課題は『唐土にある火鼠の皮衣』(焼いても燃えない布)
・大納言大伴御行:同名の人物がいる。課題は『竜の首の五色に光る珠』
・中納言石上麻呂足:石上麻呂がモデルといわれる。物部氏。他の四人は壬申の乱の際、大海人皇子(天武天皇)側についたが、彼だけ大友皇子の忠臣であった。課題は『燕の持つ子安貝』
石作皇子は、天竺へ行くと言って三年ほど経ってから、大和国十市郡の山寺の、賓頭盧の前にあった煤黒い鉢を持って来た。光っていないので嘘がばれたが、皇子はその鉢を捨ててまた言い寄る醜態をさらした。このことから面目ないことを「はぢをすつ」と言う。
車持皇子は、珠の枝の偽物を造るように、綾部内麻呂という職人の棟梁に依頼した。自分は旅に出たように見せかけ、職人たちの作業場に隠れると同時に、彼らの仕事を監視した。珠が出来上がってから、頃合を見計らって彼はかぐや姫に珠の枝を持って行った。
皇子は行ってもいない冒険譚を語り始めた。海の上を五百日も漂い、高い山が見えた。山の中より天人の装いをした女が出てきたので、彼女に尋ねると、ここが蓬莱山で、彼女の名は『うかんるり』といった。山の中にあった輝く木の枝を取り、四百日余りで帰って来たところだという(合わせて三年)。
珠を持ってきたことでかぐや姫は驚愕したが、報酬を支払われていないと職人たちがやってきたため、偽物と発覚してしまった。かぐや姫は職人たちに褒美を取らせた。しかし、皇子は家来たちに命じて真相をばらした職人たちを打ち叩き、かぐや姫からの褒美を取り上げた。皇子が恥じて長い年月姿を見せなかったことから『たまさかに』と言う。
阿倍御主人は唐土船の王慶という人に火鼠の皮衣を購入したいと手紙を書き、小野房守という人を遣わした。王慶は皮衣を唐土ではなく天竺から取り寄せた。皮衣は金青色で、毛の先は金色に光っていた。それを焼いてみると燃えたので異物だと姫は言った。阿部に因んで、やり遂げられないことを『あへなし』と言う。
大伴御行は、家来に球を取ってくるように命じたが、めいめい好きなところへ行ってしまった。御行は自分の弓ならたちまち竜を射て珠を取る、と言って難波から船で出かけたが、そのうち筑紫の海に出てしまった。すると、疾風と雷で船は吹き回され、沈没しそうになった。舵取りは「疾風や雷は竜を殺そうとするから起こったのだ、早く神に祈れ」と言った。御行が舵取りの神に祈ると、風に吹かれて播磨の明石の浜に着いた。
御行は重病にかかり、腹は膨れ、両目は二つの李のようになってしまった。世間の人々が、御行は竜の首の珠が取れず、目に二つ李のような珠を添えているようなので「あな、たべがた」と言っていたことから、まったく期待が外れたことを『あなたへがた』と言う。
石上麻呂足は大炊寮(宮中の宴席の機関)にある炊飯小屋の棟に燕が多く巣を作っていることを聞き、子安貝があると考えた。麻柱(足場)を組んで二十人ほどの男に見張らせたが、燕は恐がって巣に来なくなった。
寮の官人倉津麻呂が言うには、一人を『あらたに(荒籠と考えられている)』に乗せ、鳥が子を産むときに吊り上げて子安貝を取るとよいという。燕が子安貝を産むときは、尾を上げて七度回るので、それに合わせてあらたにを引き上げることになった。
日が暮れると燕が巣を作っていた。そして尾を上げているのであらたにに人を乗せて探らせたが何もない。探り方が悪いと言って麻呂足本人があらたにに乗り、探ってみると手に平たい物が触った。降ろしてくれというのでそうしたところ、綱が切れてしまい、八島の鼎(八つの三本足の釜)の上に仰向けに落ちてしまった。
息も絶え絶えに手の中の物を見ると、燕の古い糞だった。それを見て「あな、貝なのわざや」と言った。思うのと違っていることを『甲斐なし』と言う。
麻呂足の腰は折れてしまい、唐櫃の蓋の中に入ることもできなかった。麻呂足が病床にあることを聞いたかぐや姫が「まつかひもない」と見舞いの歌を送った。麻呂足は「(歌を頂けたのだから)かひはかくありける」と、かろうじて短歌を贈り、息を引き取った。これを聞いてかぐや姫は少し気の毒に思った。このことから、少し嬉しいことを『かひあり』と言う。
かぐや姫の美しさは帝にも伝わり、内侍の中臣房子に見てくるように言った。房子は媼にかぐや姫に合わせてくれるよう求め、媼はかぐや姫にその旨を伝えたものの、断られてしまった。房子にそのことを聞き、かぐや姫の思いに負けまいと、帝は翁に爵位を授けるからと強いたが、それなら死ぬまでと、かぐや姫は応じなかった。
帝は翁にかぐや姫が山の中で見つけられたことを聞き、翁の家が山の辺にあることを利用して、御狩の行幸を行って家に入り、かぐや姫を見てみることにした。するとそこには、光に満ちて清らかな人がいた。帝はこの人だと思い、逃げる袖を捕らえた。かぐや姫は、自分はこの世のものではなく、仕えることはできないと告げた。そこで無理に連れて行こうと御輿を寄せると、途端に姫は影になってしまった。
口惜しいと思いつつ、連れて行かないので元の姿に戻るように求め、姿を見てから帰ることを告げると、姫は元の姿に戻った。帝は素晴らしいと思う気持ちを抑えられなかった。会わせてくれた造麻呂には感謝を伝えた。
帝はかぐや姫を連れて帰れないことで、魂をその場に留め置いている心地で去った。日頃仕えている人を見ても、かぐや姫の近くに寄ることも出来ないと感じ、他の人より清く美しいと思っていた人は人並でもない、と思うようになった。帝の心はかぐや姫ばかりが占め、ただ一人で過ごすようになり、かぐや姫と文通するようになった。
このように、互いに心を慰め合うようになって三年の月日が経った。春の初めより、かぐや姫は月を見て物思いに耽るようになった。月を見るのは忌むべきことだといわれたが、人の目もはばからず月を見て、激しく泣くようになった。
八月十五日が近付くと、さらに激しく泣くようになった。両親は何事かと尋ねると、かぐや姫は、自分はこの国の人間ではなく月の都の者であって、十五日に迎えが来ること。月の都には父母もいて、ほんの少しの間ということでやって来たが、このように長く過ごすことになったこと。父母のことも覚えず、久しく慣れ親しんできたので、悲しむばかりだが、どうにもならないことを告げた。
それを帝が知り、翁もかぐや姫にいてほしいと願い、勇ましい軍勢で警護することになった。十五日には、各役所に命じ、勅使として中将高野の大国を指名し、六衛府を合せて二千人を竹取の家に派遣した。築地の上に千人、建物の上に千人、家の多くの使用人と合わせて、隙間なく守りについた。嫗は、塗籠(周囲を壁で塗り籠めた部屋)の内でかぐや姫を抱きかかえていた。翁も、塗籠の戸に錠を下ろして戸口に立った。
かぐや姫はみんなに、自分を閉じ込めて守り戦う準備をしていても、月の人に対して戦うことは無理である。弓矢で射ることも出来ず、閉じ込めていても、みな開いてしまい、勇猛な心もしぼんでしまう。と諭した。
翁はかぐや姫を迎えに来る月の使者に対し、徹底的に戦うつもりであると息巻いていた。かぐや姫は翁をなだめ、翁と媼がこれまで注いでくれた愛情へ感謝と心残りを告げ、月の都の人たちの清らかさや美しさ、老いることもない国へ戻ることよりも、老いる二人を思っていると話した。
子の刻、家の周りが昼よりも明るくなった。大空から人が雲に乗って降りて来て、地面から五尺(約1.5メートル)ほどのところに立ち並んだ。内外の人々は心がくじけてしまい、心を奮って弓矢を構えようとしても、手の力も萎えてしまい、気丈な者が堪えて射ても矢はあらぬ方へ飛んでいき、ただ茫然と顔を見合わせるだけだった。
月の王が翁に呼び掛けると、猛々しかったはずの翁は、何か酔ったような心地でひれ伏してしまった。王は翁に、かぐや姫は翁の善行への報いとして来たこと、罪の世を過ごすために、下賤の者である翁の元に降って来られたことを告げ、姫を早く出すように言った。しかし、翁は従わなかった。
王は屋根の上に飛車を近づけて来てかぐや姫に呼び掛けた。すると締め切っていた戸や格子が即座に開いてしまい、嫗が抱きかかえて座っていたはずのかぐや姫は外に出てしまっていた。かぐや姫はせめて見送りだけでもしてくださいと懇願した。しかし翁は泣き伏し、かぐや姫も心乱れてしまった。かぐや姫は手紙を書置きし、わたしを思い出すたびに見てくれるように願った。
天人の持つ二つの箱にはそれぞれ、天の羽衣と不死の薬が入っていた。一人の天人が姫に薬を召し上がるようにと持って来たが、かぐや姫はわずかに嘗めただけだった。姫は帝への手紙と歌を書き、薬を添えて頭中将に渡した途端、天人が素早く天の羽衣を着せると、翁との別れの辛さや愛しさが消えてしまった。この羽衣は着た人のわずらいをなくしてしまうものだった。そしてかぐや姫は飛車に乗って昇って行った。
帝は手紙を読んでひどく深く悲しみ、何も食べず、詩歌管弦もしない有様となった。それでもふと思い立ち、大臣や上達部に、どの山が天に最も近いかと尋ねた。ある人が駿河の国にある山だと言うのを聞いた。
帝は、かぐや姫に会えないのなら不死の薬など何にもならないと言い、不死の薬と手紙を壺も添えて、調月岩笠という人を召し、それらを駿河国にある、日本で一番高い山で焼くように命じた。
その由緒を謹んで受け、「士らを大勢連れて山へ登った」ことから、その山を『富士の山(士に富む山)』と名付けられた。その煙は今も雲の中へ立ち昇っていると言い伝えられている。
石作皇子と仏の御石の鉢
ここからは五人の求婚者とその課題に込められた象徴を読み解いていきたい。
石作皇子のモデルは多治比嶋といわれている。「多」は「多氏」であることを示している。
彼が鉢を取りに行った大和国十市郡とは、奈良県の橿原市、桜井市、磯城郡田原本町の境界付近である。田原本町大字多には多坐弥志理都比古神社、通称多神社があり、ここは多氏の拠点であった。多氏で有名なのは、古事記を編纂した太安万侶である。彼以降、多氏は「太」の字を当てることになった。
同じ田原本町には秦河勝が創建した秦楽寺がある。この地域は多氏の地であると同時に秦氏の居住地であることが知られている。
石作皇子は十市郡の古寺にあった、賓頭盧の像の前にあった鉢を持っていった。びんずるとはビンドラ・バラダージャという釈迦の弟子の一人で、中国では彼の像を食道に安置して祀っていたという。
このくだりは古寺が中国と関係が深いことを示しており、名前が伏せられているものの、秦楽寺であると考えられる。というのも、この寺の門が中国風で有名なのである。石作皇子が鉢を取ってくるように言われたが、「鉢」が「恥」と「八」の駄洒落になっている。「八」とは八幡を初め、秦氏を象徴する数字である。
このエピソードに秦氏の存在がほのめかされているが、石と秦氏(鉢)に関連する地域が近江(滋賀県)にある。東近江市愛荘町(旧愛知郡秦荘町)にある石塔寺である。ここには仏教興隆に尽くしたインドのアショーカ王を記念する石塔が数多くある。愛知とは依智秦氏の居住地であることを示している。アショーカ王の石塔こそ仏の御石にふさわしいのではないだろうか。
車持皇子と蓬莱の珠の枝
車持皇子は藤原不比等がモデルとされている。全盛を誇った藤原氏の象徴のような存在だが、竹取物語はこの藤原氏に対する対抗心をあらわにした作品とも取れる。かぐや姫を最も苦しめた相手として書かれており、藤原氏および不比等に対する感情が強く表れているといわれている。
車持皇子は蓬莱の珠の課題を聞いた時点で、探そうともせずに職人に作らせている。旅に出た振りをして実際は工房にこもって職人をこき使い、珠を作らせた。頭領の綾部内麻呂は、渡来系氏族の漢部氏(漢氏)と思われる。
漢氏は秦氏と並ぶ朝鮮からの二大渡来系氏族とされている。石作皇子が秦氏に、車持皇子が漢氏に頼ったと思えるが、本名ではなくこの名で書かれているのは、二大勢力と関わりがあることが強調されているようである。そして藤原氏が豊城入彦の末裔であることも強調されているのではないだろうか。
近江には蓬莱山が存在する。比良山系の高峰で、俵藤太が退治した三上山のムカデはここから下ってきた。比良山系はたたらの遺跡が多くある。かぐや姫の中で綾氏が偽物の蓬莱の球の枝を造ったが、蓬莱山にいたムカデこそ蓬莱の玉の枝を造るにふさわしい存在となる。
垂仁天皇あるいは応神天皇の時代に命の木の実(橘)を持ち帰ったタヂマモリはアメノヒボコの子孫であるが、アメノヒボコと同一人物であるともいえる。三上山の近くにある竜王町の鏡神社はアメノヒボコとアメノマヒトツを同一神として祀る。これらのことから、タヂマモリが持ち帰った命の木の実と、蓬莱の珠の枝は同じものとなる。
藤原氏は鬼退治の氏族であるので、一つ目鬼であるアメノマヒトツが本物の蓬莱の珠の枝を持ち、藤原不比等が計略によって偽物を本物と思わせようとした構図が見て取れるのである。
火鼠の皮衣と阿部御主人
阿部御主人は実在の人物で、壬申の乱で天武天皇側についた功臣である。「安倍氏」と称するようにもなった。阿部氏で有名なのは、遣唐使の阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)である。阿部氏が唐と深いかかわりがあり、火鼠の皮衣を唐の商人に依頼したのもその関連と思われる。ただし、仲介人が小野氏であったことが興味深い。
竹取物語は遣唐使廃止の時期に書かれたものだろうか。菅原道真により遣唐使は廃止されているが、唐に頼るべきでないという皮肉が込められているのかもしれない。このことから、菅原道真も作者候補の一人に挙げてもいいのではないかと思われるのである。
阿部氏(安部氏)は賀茂氏と並んで陰陽道の大家とされている。京都の上賀茂、下鴨神社は賀茂氏の神社で、全国の神社の中で最も位が高いとされている。徳川家康は賀茂氏であるが、譜代大名に阿部氏がいるように、両者は切っても切れない関係にあるようである。加えて、上賀茂、下鴨神社と松尾大社は秦氏三所明神といい、三人の君達の深いつながりが見えてくるのである。
龍の首の珠と大伴御行
大伴御行の目が李になったというが、「李」とは中国人や朝鮮人の名前でもある。ただ、阿部御主人が唐に関連しているので、それとは区別して朝鮮関連と見ていいかもしれない。朝鮮半島情勢が大きく関係しているのが壬申の乱である。この乱の後、日本は百済よりから新羅寄りに変わっている。
壬申の乱の際、鴨蝦夷という人物が大伴吹負の軍に加わり、大いに活躍したとされている。大伴御行は大伴吹負の兄、長徳の息子である。御行もこの軍に加わっていたと見られ、乱の功績で躍進している。大伴氏と賀茂(鴨)氏は壬申の乱でつながっているのである。
安部清明が賀茂忠行の弟子になったことで、阿部氏は賀茂氏の配下に入ったといえる。また、壬申の乱では賀茂氏が大伴氏の配下になっているので、この三者は持ちつ持たれつの関係といえるのである。
李が朝鮮半島を意識したものとすれば、これも滋賀県にその回答を求めることが出来る。滋賀県竜王町には、古代から朝鮮半島をルーツとする鍛冶や陶工にかかわる人々が住んでいたとされる。ここには須恵など朝鮮半島由来の地名が見受けられる。そこにある鏡神社の祭神はアメノヒボコという新羅の王子である。
また、一緒に祀られているアメノマヒトツは天岩戸の前に置かれた榊の鏡と勾玉の化身である。まさに龍の首の珠である。
阿部氏で最も有名なのは安部清明であろう。賀茂忠行の弟子であり、陰陽道は賀茂氏を根とする呪術であったといえる。阿部氏は聖徳太子の時代の少し前から、蘇我氏と物部氏に並ぶ実力者であったのだが、壬申の乱の功績でさらに発展したものと思われる。その反面、蘇我氏と物部氏は零落したとされる。
火鼠は中国に伝わる怪物で、不尽木という燃え尽きない木の中に住んでいるという。その毛は絹糸よりも細く、その毛で作った布は、火にくべると不純物だけが燃えて真っ白になるという。阿部御主人が唐の商人から買ったものは金青色であったが、火鼠は火の中では赤色である。青、赤、火という組み合わせは金星を示し(後述)、それはアメノヒボコと河童でもある。
白くなった火鼠の皮衣とは天女の衣のことではないだろうか。滋賀県長浜市余呉町には天女の羽衣伝説がある。この天女の子孫といわれ、唐と河童という組み合わせから菅原道真が浮かび上がる。また、天女の子孫が道真であるなら、天女は河童なのである。
燕の生んだ子安貝と石上麻呂足
石上麻呂足が石上麻呂であったとするなら、かぐや姫に求婚した五人の中で、唯一壬申の乱において大友皇子側の忠臣であった人物である。彼がなぜ乱の後に高い位につけたのかは謎なのである。しかも現実にはそのようなことはなかったのに、物語において死んでしまうという点でも変わっている。
彼が出された課題は、燕の生んだ子安貝である。彼の素性や課題には様々な謎掛けがなされているようである。非常に多くの情報が集められており、作者は彼のエピソードにかなり思い入れがあるように感じられる。
まずは麻呂足が貝がある思った場所である。大炊寮(大飯寮)の八島の鼎という大釜のある小屋の上だという。八島とは、本州、四国、九州と淡路、壱岐、対馬、隠岐、佐渡の八つの島の総称で、広義の日本である。天皇陛下のご飯を炊く、日本という名の釜ということになる。いわば日本の台所の象徴である。その小屋の上に子安貝があったと思ったら、糞だったというオチは一体どういうことなのか。
大炊寮は、平安時代以降は中原氏という氏族が担ってきた。この中原氏、もともと十市氏と称したらしい。平安時代以前はどの氏族が大炊寮の役職についていたのか分からないが、この十市、石作皇子が鉢を取りに行った寺の場所と同じ名称である。中原氏は秦氏なのかもしれない。
大炊寮の上に子安貝があるという考えには、何か根拠があったはずである。子安貝は漢字の「貝」のもとになり、貨幣や贈答品、宗教儀式に使われていた。そのルーツは中国の殷王朝で、始祖の契は、母親が燕の卵を食べて生まれた王とされている。
殷の末裔である箕子は、箕子朝鮮(不明~紀元前194)という伝説的国家を建国したとされている。殷王朝は賢人の伊尹とその子孫に支えられていた。伊尹は洪水に飲まれて桑の木と化した母から生まれたという。
桑といえば菅原道真である。道真の祟りの雷は桑原には落ちなかった。桑の葉を食べる蚕から取る絹は秦氏繁栄の象徴であるが、日本で初めての養蚕は、藤原鎌足の長男定恵が唐から持ち帰った桑の栽培からだともいう。寺名がこの故事に由来する桑実寺が、近江八幡市の繖山にある。聖徳太子由来の人魚ミイラのあった観音正寺と同じ山である。
竹取物語が殷や伊尹に関係があるとすれば、「いん」は忌部氏にひっかけているのだろうか。朝鮮半島まで殷の民が来ているのならば、日本に来ていてもおかしくないが、忌部氏を連想させるためのたとえかもしれない。
大炊寮の役職はもともと忌部氏のものだったのだろうか。そこに子安貝があるという認識があったすると、当時は中原氏の役職であったので、作者は中原氏が作る食事など糞と同じと言いたかったのだろうか。
麻呂足は努力の甲斐なく、屋根から落ちて大怪我を負った上に、貝を手に入れられなかった。「甲斐がない」にこの文字を当てたのはなぜだろうか。これが甲斐国のことだとすると、彼だけ特別扱いしていることの理由が見えてくるのである。
甲斐の国の地勢
甲斐(山梨県)といえば武田信玄というほど、信玄や武田騎馬隊、山本勘介は有名である。金山の採掘に活躍した百足衆については先述した。河川の氾濫を押さえるため、信玄堤などの優れた土木技術もあった。
武田軍が強かったのは騎馬の育成が盛んだったことが大きい。武田信玄がこの地を治めるようになってから騎馬が育てられたのだろうか。そんなはずはない。馬の育成方法の習熟も重要だが、騎馬軍団を形成するだけの馬を増やすのにも多大な年月を要するはずである。
つまり、甲斐の地ははるか古代から馬の育成が盛んにおこなわれてきた土地だということである。紀元3世紀、邪馬台国を訪れた魏の使いはその地に馬はいなかったと述べている。しかし、邪馬台国以遠の20数か国の詳細はわからないとも述べている。甲斐の国についてはまったく知らなかったのではないか。
邪馬台国と狗奴国の境界線が長野県と群馬県の境であった場合、山梨県はすぐ南である。ここに当時から軍馬を育てる環境があったならば、この地を手に入れることは国の存亡に直結していることになる。
また現在の埼玉県、東京都、神奈川県は武蔵の国と呼ばれ、文字通り武者および武器庫の地であったことがわかる。軍馬と武器が両国の中間点にあったわけである。
したがって、甲斐がある、なしで国の運命までもが左右されていたのである。
かぐや姫は卑弥呼だった
子安貝は貨幣のルーツであるが、女性器の象徴もある。子安貝を取ろうとしたのは、大炊寮の八島の鼎の釜のある小屋であった。大炊寮を受け持つ氏族は中原氏で、殷のあった中原を示してもいるといえる、ここはつまり食事に関係する場所である。食事は箸で食べる。そして屋根には貝があると思われた。その貝は女性器を象徴している。その貝を取ろうとした石上麻呂足は腰を折って死んでしまった。食べ物と女性器と死というキーワードを読み解くと、ヤマトトトヒモモソヒメに行き着く。
ヤマトトトヒモモソヒメは三輪の大物主と結婚したが、その正体が蛇であることを見て驚き、女性器を箸で突いて死んでしまった。大物主はもともと物部氏が信仰していた神とされ、石上麻呂足も物部氏である。箸が陰部に刺さって死んだことは、麻呂足が食べ物の建物から落ち、子供を残す象徴である腰を折って死んだことと重ねているのかもしれない。
かぐや姫は家の中でその姿を確認できなかったことや、翁や帝がかぐや姫を見たときに感じた平安や神々しさはまさしく神だった。それは建物の中で生きていると信じられている卑弥呼とそっくりである。すなわち、かぐや姫はヤマトトトヒモモソヒメであり、同一人物の卑弥呼なのである。
かぐや姫の物語が藤原不比等への皮肉に満ちているのは、かぐや姫を卑弥呼とすれば納得がいく。藤原不比等の祖はアメノコヤネであり、これまで見てきたように豊城入彦だからである。邪馬台国の領域は長野県もしくは埼玉県まであり、その隣の群馬と栃木が狗奴国であると推理してきた。この境界線での軍事上重要な地域が軍馬の産地である甲斐であった。自国の領土として甲斐があるとないとでは、雲泥の差がある。麻呂足の「甲斐がある」という言葉は邪馬台国にとって死活問題だったのである。
大嘗祭と卑弥呼
天皇陛下が即位するための大嘗祭は、天照大神と天皇になる男性との結婚の儀式である。これが卑弥呼を女王とし、物部氏の者を取り次ぎ役とした邪馬台国の祭祀形態をルーツとするなら、石上麻呂足が子安貝を取ろうとした話に合致するのである。
麻呂足は大炊寮に登るのにまず麻柱を用い、その後「あらたに」を使ったのだが、いずれも足場と籠のように思われている。しかし、「あらたに」が「あらたえ」だとすると、最初に用いた麻とともに、大嘗祭のときに着る「荒妙、麁服(あらたえ)」を意味しているのではないだろうか。子安貝は子宝を指し、手に入れたならば結婚できるわけであるから、まさに大嘗祭の儀式を暗示しているのではないだろうか。
大嘗祭の儀式の様子そのものといえる描写が聖書の中にある。
「ハレルヤ、全能者にして主なるわれらの神は、王なる支配者であられる。
わたしたちは喜び楽しみ、神をあがめまつろう。小羊の婚姻の時がきて、花嫁はその用意をしたからである。
彼女は、光り輝く、汚れのない麻布の衣を着ることを許された。この麻布の衣は、聖徒たちの正しい行いである。」(ヨハネの黙示録19:6~8)
この言葉をかぐや姫の作者が知っていたとしたら、かぐや姫の正体が分かるのである。
かぐや姫はイエス・キリストだった
庫持皇子が行ったと偽った蓬莱山であるが、そこで会ったというのが「うかんるり」という仙女である。作者がここに深い意味を持たせていると思われるのである。「うかんるり」は、聖徳太子のことを指すと思われる「リカミタブリ」ではないだろうか。アメタラシヒコとリカミタブリの関係は、卑弥呼と物部氏の関係になぞらえられる。
聖徳太子が蘇我馬子と二人でイエス・キリストを示しているとしてきたが、うかんるりが聖徳太子だとすると、イエス・キリストでもあることになる。蓬莱山は東の海の彼方にあるという。それが日本から見て東の果てならば、命の木の示現が残されているアメリカ大陸のことになるのかもしれない。
また、火鼠が住むという不尽木は、モーセが見た燃える柴の示現(出エジプト3章)が伝わったものではないかと思われる。燃える柴の中に現れた「わたしはある(エホバ)」という神はイエス・キリストであり、おむすびころりんのネズミが意味するイザナミすなわち卑弥呼の原型に通じるものがあるのである。
かぐや姫は月に帰って行った。日本人にとって月は特別な存在である。月の満ち欠けに名前を付け、九月には月見をし、月にはうさぎが住んで餅をつき、桂という木が生えているなど、さまざまな形で親しんできた。また、伊勢神宮を参拝する前に夫婦岩で有名な二見興玉神社に詣でる決まりになっているが、この夫婦岩の間を冬至の時期に月が通るようになっている。伊勢信仰と月は密接な関係がある。月はイエス・キリストの象徴である。
かぐや姫に求婚した帝が藤原不比等の時代ならば、帝は持統天皇という女性である。それならば、求婚相手は男性ということになる。卑弥呼と伊勢神宮の天照大神が男であり、イエス・キリストであることが、かぐや姫の物語にも示されていたのである。
かぐや姫の名付け親は斎部秋田である。秋田とは収穫の季節の田であるため、そこに立つ忌部の者なら、案山子すなわちアメノマヒトツ(クエビコ)となる。案山子は竹の人形だが、かぐや姫も竹から生まれた同じ存在となる。
竹取物語の象徴が近江に隠されているのはなぜなのだろうか。三上山のふもとからは大量の銅鐸が見つかっている。しかも日本最大の銅鐸はここで出土したのである。銅鐸の発見状況から考えると、銅鐸の作成者はここに埋めてからどこかへ逃避したと思われる。銅鐸はたたらの技術の賜物であり、青銅は殷王朝の影響も考えられる。
滋賀県竜王町にある鏡神社は、新羅の王子アメノヒボコとアメノマヒトツが合祀されている。いずれもたたらの神である。アメノヒボコは新羅ではなく箕子朝鮮の王子だったとすれば、殷と結びつくのである。
竹取物語の舞台は近江だった
五つの課題が近江にゆかりがあることを示してきたが、富士山において不死の薬を焼く場面に最も大きなヒントが隠されている。不死の薬を焼いたから不死山と思いきや、たくさんの兵士が登ったので富士山という駄洒落になっている。
言い換えると、不死の山(駿河の富士山)ではなく、兵の多く登った山がかぐや姫の富士山ということになる。日本各地には富士山の名を関した山がたくさんある。たいていは綺麗な三角錐の山をそう呼びならわすことが多い。その中でも、忌部氏、藤原氏、富士山、かぐや姫のエピソードにまつわる物事が集中している山がある。滋賀県の野洲にある三上山である。
三上山を礼拝する形でふもとに御上神社が鎮座している。そしてその神はアメノミカゲといい、忌部氏の祖神アメノマヒトツと同神である。ところが御上神社を創建したのが藤原不比等なのである。藤原氏が忌部氏の祖神を祀っている形になっている。三上山にはもう一つ有名なエピソードがある。俵藤太(藤原秀郷)のムカデ退治である。またもや藤原氏であり、しかも藤太という藤原氏の頭領の名が贈られている。
三上山を七巻半する大ムカデがいたとは信じがたい。ムカデは百足と書くが、百の足とはそのまま百人のことになり、百人の兵士の集まりだとすると、富士山の由来となった多くの兵士のいる山となる。甲斐国で金鉱技師をしていた集団を百足衆といい、壬申の乱で武器係をしていた物部氏の穂積百足という人物もいる。物部氏は金と百足に関係が深いことが分かる。
五つの課題だけでなく、最も重要な不死の薬が駿河の富士山ではなく三上山で燃やされたとすると、近江こそかぐや姫の舞台にふさわしいことになる。
すべての謎の鍵が近江=豊葦原中国にある
アメノマヒトツを祀る鏡神社、そのそばにある三上山のアメノミカゲと日本最大の銅鐸、猿田彦を祀る白髭大明神の本宮、神宮皇后の出生地である米原市、かぐや姫にまつわる象徴がそろった滋賀県には、邪馬台国と卑弥呼の謎を解き明かす鍵がある。
特に滋賀県には元伊勢が二箇所あり、その遺構から三上山を拝する構造が確認され、伊勢信仰自体がアメノマヒトツへの信仰であったことをにおわせている。神功皇后の出生地を伊部郷といい、滋賀県から伊勢に向かう道にいなべの地名が残る。息長氏、安曇氏、物部氏と並んで忌部氏に関係する地名が見られ、日本は忌部氏の信仰する神を中心とする国であったことを示しているといえる。
竹取の翁の名は讃岐造だが、その読みは「さぬき」ではなく「さるき」または「さかき」である。さるきを「猿木」とすれば、それは滋賀県多賀町の猿木地区のことを指しているのではないだろうか。猿木地区は彦根市と隣接しており、多賀と彦根一帯は竹林が非常に多い(現在は放置されて藪になってしまっている)。ここにある猿木神社の祭神はアメノコヤネと猿田彦である。
「さかき」であれば、それは天岩戸の前に置かれた榊のことで、アメノコヤネが深くかかわっている。すると、翁はアメノコヤネであり、崇神天皇または豊城入彦ということになる。さらに、崇神天皇の皇子である垂仁天皇の后の名が迦具夜比売といい、その父は大筒木垂根王で、さらにその母を竹野比売という竹を連想する名なのである。
藤原氏は大いなる権力と富を手に入れたが、それはかぐや姫すなわち卑弥呼の功徳の故であり、まさに竹取の翁の姿そのものなのである。かぐや姫に求婚した帝を垂仁天皇(の末裔)とすると、野見宿禰を祖とし、あらゆる象徴を持つ菅原道真こそ竹取物語の作者にふさわしい気がするのである。
日本(倭)はかつて豊葦原中国と呼ばれていた。かつて琵琶湖のあった場所から邪馬台国にかけて湿地帯であり、果てしない葦原が広がっていた。そこからさらに瀬戸内海も湿地帯で葦原が広がっていた。
岡山県沖の瀬戸内海で象の化石が引き上げられるのは、かつてここが湖であり、滋賀県多賀町と同じく猿田彦がいたことを示している。古代の琵琶湖と岡山県沖湖はイザナミが最初に産んだ蛭子と淡島のことだと思われるのである。
その子供たちが不具であったのは湖を指し、それが気に入らないことで再度生んだ島々は同時に瀬戸内海の生成となって蛭子と淡島の消滅となった。もしくは、琵琶湖が蛭子であるのに気が付かないことを示している。さらにカグツチつまり火山活動が加わり、イザナミの死となった。
琵琶湖水系と岡山県沖湖のつながりは、アユモドキというドジョウの生息域であることからも想像されるのである。蛭子は彦根市の芹川から琵琶湖水系を通り、兵庫県西宮市の西宮神社に流れ着いた理由も、この水の流れによるものだと思われるのである。
浦島太郎あらすじ
浦島太郎という漁師が子供たちにいじめられている亀を助けた。すると亀が恩返しにと、乙姫のいる竜宮城へ連れて行ってくれた。そこで太郎は歓待を受け、乙姫と三年の間楽しく暮らしていた。
しかし故郷が恋しくなり、乙姫から開けてはいけないと言われた玉手箱をもらって帰った。ところが故郷では三百年の月日が過ぎており、自分を知る者は誰もいなくなっていた。太郎は悲しみのあまり玉手箱を開けてしまうと、箱から煙が立ち上った。すると太郎は白髪のおじいさんになってしまった。
この話のもとになったといわれているのが、日本書紀の雄略天皇二十二年の条にある。
秋七月に、丹波国餘社郡(与謝郡)、管川人、瑞江浦嶋子が、船に乗って釣りをしていると、大亀を得た。するとたちまち女になり、浦嶋子は感じて妻とした。そして一緒に海に入り、蓬莱山へ行き、仙人たちを見た。この語りは別巻にある。
雄略天皇二十二年は478年に当たる。前年の二十一年の条に朝鮮半島の歴史が書かれてあり、その内容は朝鮮半島の史書と記述がほぼ一致している。丹後半島の与謝郡伊根町の宇良神社に残る伝承では、浦嶋子は淳和天皇の天長二年(825)に帰って来たとある。
淳和天皇はこの話を聞いて筒川大明神の名を贈り、小野篁を勅使として派遣し、宮殿を建てたという。乙姫は嶋子に釣り上げられた五色の亀の亀姫であった。
お伽草紙では嶋子が玉手箱を開けた後、鶴になって蓬莱山にいる亀姫のところへ行ったとし、めでたい話で終わっている。
籠神社に残る浦島太郎の源流
丹後半島にある古社、籠神社の祭神彦火明命が、竹で編んだ籠船に乗って海神の宮に行った故事が、浦島太郎のルーツだという。籠神社によると、彦火明とは日本書紀の彦火火出見尊のことで、籠神社に伝わる系図に従って主祭神の名を彦火明としている。彦火明は、記紀や昔話に語られる海幸山幸の山幸彦のことである。
(日本書紀より要約)
山幸(彦火火出見)は兄の海幸(火酢芹)と仕事を交換することになり、海幸の釣り針を借りた。ところが山幸は釣り針を海で失くしてしまう。山幸は代わりの釣り針を、自身の持つ十拳剣で造るなどしたが、海幸は受け入れなかった。
困った山幸が海辺で泣いているとシオツチノオジが現れ、「竹で編んだ籠船に乗って海神の宮へ行き、門の傍にある井戸の上の桂の木の上で海神の娘を待っていればよい」と送り出してくれた(第三書では、海辺で川雁が罠にかかって苦しんでいたのを助けてやると、シオツチノオジが来た。亀の恩返しはここから取られたか。また、第四書では籠ではなく鰐としている)。
すると海神の娘である豊玉姫が来て、玉鋺(金属製の器)で水を汲もうとして、水面に映る山幸を見た(第二書では驚いた姫は玉鋺を落として割ってしまったとある)。姫は両親に知らせ、海神は山幸に失くした釣り針を探していることを聞いた。調べると、鯛の口の中で見つかった。
山幸は豊玉姫と結婚し、三年の月日が過ぎた。山幸は故郷を思い出し、帰郷することにした。海神は海幸が釣り針をまともには受け取らないであろうといい、海幸を懲らしめる道具やまじないを授けた。それを使って山幸は海幸を屈服させることに成功した。
身ごもっていた豊玉姫が、大亀に乗って妹の玉依姫と共に山幸の元へやって来た。彼女は山幸に、天神の子を海で生むわけにはいかないので、海辺に産屋を作るように、また、子を生む姿を見ないでくれと言った。しかし、山幸は覗いてしまい、姫が八尋大鰐になっているのを見てしまった。姿を見られた豊玉姫は恥と恨みを抱いたが、子を山幸に預け、玉依姫を乳母として残し、海宮に帰ってしまった。
その子の名を彦波瀲武盧茲草葺不合尊といい、叔母に当たる玉依姫と結婚してその間に生まれた四男が、後の神武天皇となる。神武天皇の条では、諱を祖父と同じ彦火火出見としている。
浦島太郎と乙姫の正体
籠神社の伝承によると、浦島太郎は山幸の彦火明で、それは天照国照彦天火明櫛甕玉饒速日命のことである。神武天皇に帰順した物部氏の祖神で、浦島太郎は物部氏の祖ということになる。
浦島太郎の物語のルーツをたどると、乙姫は亀姫となり、記紀では八尋鰐とある。二人が暮らした場所は竜宮城から蓬莱山となり、海神の宮と変わっていく。ここで一つ、重要なポイントがある。雄略天皇記に記された亀姫である大亀は、スッポンのことなのである。
また、ホオリが行った海神の宮で釣り針がのどに刺さっていた赤海鯽魚は、通常鯛とされている。しかし、鯽はフナのことであり、赤いフナとはヒブナか金魚となり、これも淡水の魚である。そうなると、竜宮城や蓬莱山は海の彼方ではなく、淡水域にあるということになる。
また蓬莱山は霊亀の上にあり、霊亀は蓑亀の姿をしているが、これは淡水の亀の甲羅だけに生える藻類の糸で、亀姫と同じスッポンこそが霊亀と成り得る。これもまた淡水域である。
また、山幸が乗った籠船は竹で編んだもので、籠神社の名の由来にもなっている。籠は「こ」と読む。そして山幸が海神の宮で上った桂は月に生える木である。「籠」と「月」(宇良神社の伝承によると、浦嶋子の祖は月読である)、そして三年の月日と今生の別れと立ち上る煙。竹取物語と同じである。つまり、乙姫こと豊玉姫はかぐや姫となる。「竹」と「かぐや」は蛇を示す言葉である。かぐや姫は鰐姫でもあったのである。
また、乙姫の父は海神で、これはわだつみと読むが、海童とも書く。日本書紀では豊玉姫が海童の娘と記されている。すなわち河童である。乙姫は亀姫でもあるので、人と亀の中間の姿をしているとすれば、甲羅を背負った河童の姿となる。
また甲羅は、かぐや姫が竹に入っていたことになぞらえられた籠や、山幸が乗って来た籠に通じるものがある。浦島太郎のルーツである籠神社は、かぐや姫神社や河童神社という意味も持っていることになる。
また、アメノウズメがしゃべらないナマコの口を小刀で切っているが、ナマコはもともと「コ」と呼ばれており、ヒルコのようで口を利かず(いわば耳が悪い)口が裂けた姿はまったくミズチの猿田彦と同じなのである。この話の直前に猿田彦は海で溺れたのだが、ナマコに姿を変えていたといえるのである。そしてかぐや姫と同じ「コ」の名を持つことから、やはり同一の存在であることが暗示されている。
玉手箱の正体と嫁姑
浦島太郎の絵本では、玉手箱は小脇に抱え、漆塗りで紐の封をされた形となっている。しかし、うつろ舟の夷女の箱のように、もっと大きなものだとしたらどうだろうか。玉手箱はもともと玉櫛笥と書かれていた。箱も櫛笥も似たようなものだが、櫛笥なら竹製の籠も想像できる。
浦島太郎は助けた亀の背に乗って竜宮城に行ったことで、絵本に描かれているように、人が乗れるくらい大きな亀であったと想像する。玉手箱の大きさはこれと逆のパターンである。玉手箱のイメージは、人が持てる箱ならこれくらいという思い込みが働いている。
開けてはならない玉手箱のルーツが、山幸が覗いてしまった豊玉姫の産屋とすれば、名前が箱でも実態は違うことになる。つまり、玉手箱は人が入れるくらいの大きな箱(籠)もあり得るのである。それが山幸の籠ならば船ということにもなる。
かぐや姫の場合、竹の中に入っていたときに三寸という大きさだった。これだと竹の一節に過ぎない。こういった話を総合すると、籠には別の意味が隠されていることになる。大きさは関係ないのである。それは聖書に出てくる箱舟、契約の箱、赤子のモーセが乗せられた葦籠が、アークという言葉で表されたのと同じではないだろうか。
浦島太郎が玉手箱を開けると、たちまち白髪となってしまった。白髪は腸の消化酵素と密接な関係があり、消化酵素が足りなくなると髪の毛から補充出来るようになっている。結果、髪の毛が白くなるのだが、玉手箱の煙が髪の毛を白くするものだとすると、それは腸から消化力を奪うものだということにもなる。それはすなわち、河童が抜くという尻子玉をも示すのではないだろうか。
河童の王菅原道真とその正室の島田宣来子は吉祥天の化身であり、吉祥天の持つ如意宝珠が尻子玉のルーツと思われる。如意宝珠は地蔵菩薩も持っているが、こちらは猿田彦という河童である。吉祥天は、伊勢神宮内宮別宮の荒祭宮に祀られる、天照坐皇大御神荒御魂(天照大神の荒魂)の別名である、瀬織津姫のこととされる。
この神は記紀に登場しないのだが、伊勢神宮内宮に匹敵する非常に高い格式で祀られる神であり、謎に満ちた存在なのである。それが後に島田宣来子の吉祥天として人々に信仰されることとなった。
瀬織津姫は祓戸大神(瀬織津姫、速秋津姫、気吹戸主、速佐須良姫)の一神で、災いを祓う(海に流す)神とされる。祓戸大神は滋賀県大津市の佐久奈度神社や宇良神社、アメノマヒトツの鏡神社にも祀られている。
乙姫が瀬織津姫で天照大神の荒魂ならば、勧告に従わない者への災いを象徴する神となる。その勧告とは、現代でも変わらずある嫁姑(夫の母)の関係に集約される。夫婦関係において、夫は妻と母親のどちらが大事かといわれてどう答えるか、という二者択一を迫られることがある。これは現代でも「妻」と答えることが是とされている。聖書でもこのことが創世のときより宣言されている。
「それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである。」(創世記2:24)
浦島太郎は妻の言うことよりも母親を優先した。結果、灰になって死んでしまったのである。まさに死をもたらす瀬織津姫である。
浦島太郎の舞台は近江だった
浦島太郎の伝説は香川県にも伝わっており、太郎の両親の墓は竹生島にあるという。香川県は菅原道真がろくでもない桃太郎の話を伝えた地でもある。同じ名前の竹生島が琵琶湖にもあり、市杵嶋姫すなわち海神の娘を祀っている。道真は琵琶湖の北にある余呉湖に舞い降りた天女の子孫といわれている。浦島太郎の伝説を日本に広めたのは菅原道真なのかもしれない。
竹生島の南にある沖島と比良山系には、蓬莱山という名の山がある。そしてスッポンは琵琶湖水系に数多く住んでいる。浦嶋子の逸話を伝える宇良神社の創建には、小野篁が絡んでいる。比良山系は小野氏の所領であり、小野氏の元の姓である和邇が鰐だとすると、豊玉姫と小野氏が何らかのつながりがあることを示しているのかもしれない。
豊玉姫は井戸の水面に映る山幸を見て、持っていた玉鋺を割ってしまった。まったくお菊さんと河童である。お菊さんのルーツは滋賀県彦根市にあり、ここは鰐になぞらえたスッポンに乗ってやって来た稲葉の白兎の地である。彦根城のある彦根山は金亀山といい、金属の器を持っていた亀であり鰐である豊玉姫の山となる。この山の神はスサノオであったことが、市内橋向町にある彦根神社に伝わっている。
浦島太郎は乙姫と結婚したものの、里へ帰ってしまった。そして約束を破って箱を開けてしまい、老人となってしまった。山幸も同じく、約束を破って再開の道を閉ざされてしまった。結婚と約束不履行、罰を受けた後の英雄譚(浦島太郎は筒川大明神であり、月読でもある)。それはまさにスサノオと天照大神の誓約と天岩戸隠れ、その後の英雄譚そのものである。
すなわち、浦島太郎と乙姫はスサノオと天照大神の化身ということになる。浦島太郎の装いの定番である、腰蓑と脚絆、釣竿と魚籠を持った姿は、スサノオそのものである。さらに、山幸はもともと弓の使い手であったため、豊城入彦でもある。
卑弥呼を死に追いやった豊城入彦がスサノオであるなら、物部氏のはずの浦島太郎までが藤原氏のスサノオという構図になってしまうが、藤原氏は物部氏に入り婿したことを後に示す。これはアメノマヒトツの猿田彦が、滋賀県ではアメノコヤネと同一となっていることと似通っている。
浦島太郎が鶴、乙姫が亀というコンビも、彦根市の芹川を挟んで隣り合った鳥籠山と亀甲山の神がそれぞれ、アメノコヤネと神功皇后を表している点も、古代にあった重大な事件の謎が隠されているようなのである。
籠神社によると、彦火明は上賀茂および下鴨神社の祭神と同じであるともいい、そうなると、鬼退治の神である八幡・住吉・熊野の三神と同じになってしまう。そうなると、ニギハヤヒと神武天皇は同一人物となる(二人とも同じ天神の子の宝を持っていた)。恐らくここが日本建国の謎の中心ではないかと思われる。
八百比丘尼と人魚
なぜここで八百比丘尼を持ち出すかというと、彼女(あるいは彼)の伝説は浦島太郎の続きと思われるのである。伝説の概略は以下のようになる。
庚申待の夜という場面が多いが、人魚の肉が持ち込まれ、それを少女が知らずに食べてしまう。その少女は何時までも年を取らず、世をはかなんで八百歳の時に若狭の地で入定したという。
そのほか、興味深いものが二つある。一つは長野市の戸隠神社に伝わる八百比丘(つまり男)の物語である。
若狭の漁師が海で人魚をつかまえた。彼女は命乞いしたが、漁師は見世物にしようと殺して持ち帰り、家に隠しておいた。彼は妻を亡くしていたが三人の子どもがあり、漁に出かけている間、空腹になった子供たちは人魚の肉を見つけて食べてしまった。
人魚の肉を食べた者は人魚になるという言い伝えの通り、子供たちは人魚になってしまった。嘆く漁師は夢を見た。出家して長野の戸隠大権現に三本の杉を植え、八百日間祈祷せよ、とのことであった。
目覚めると、子供たちは死んでいた。漁師は僧侶となって戸隠大権現に趣き、杉を正三角形に植え、八百日の祈祷により、八百比丘の名前を伝えたという。
この三角に植えられた三本杉とその間をY字に伸びる参道は籠目紋の形である。後に解読するが、かごめ歌の謎解きがここにもある。
もう一つは温泉で有名な岐阜県下呂市の伝承である。次郎兵衛という酒屋に酒を買いにやって来た小僧がいた。小僧の正体は川の魚であった。小僧はお酒のお礼に次郎兵衛を川の中の龍宮に招待した。
その帰り、次郎兵衛はお土産に聞き耳の箱という、聞き耳頭巾のような働きをするものをもらった。開けると死ぬという。次郎兵衛が留守にしたある日、彼の娘が箱を開けてしまい、彼は死でしまった。箱の中には小さな人魚が入っていたが、娘はそれを食べると八百年生きたという。
この聞き耳の箱、八俣大蛇の正体と同じなのではないだろうか。キリストの福音を伝える媒体であり、クモラの丘にあった三つの宝の一つ、未知の言語を翻訳する力のあるウリムとトンミムにそっくりである。その他、ジョセフ・スミスは帽子の中に石を入れて翻訳したともいうが、その姿は聞き耳頭巾といえなくもない。
このほか、琵琶湖周辺には二つの人魚伝説がある。一つは日本最古(日本書紀推古天皇27年(619))といわれる蒲生の伝説で、小姓が淵にいた三人の人魚である。一匹は聖徳太子に退治されて埋められ(日野町小野の人魚塚の伝説)、一匹は捕えられてミイラにされて蒲生町の願成寺に、もう一匹は弘法太子によってミイラにされ、学文路の苅萱堂にある。
人魚塚の人魚は、菅原道真を左遷した醍醐天皇に憑りついた人魚でもあるという。ここでも河童の道真が登場するわけである。
もう一つは先述の近江八幡市安土町の繖山(きぬがさやま)の人魚である。ここも聖徳太子ゆかりの地である。
人魚というと魚の姿を想像するが、不老不死(永遠の命)、殺されたこと、玉手箱と思しき聞き耳の箱など、河童のイエス・キリストの姿を彷彿させるのである。聖徳太子や弘法太子に関連があるのは、キリスト教が仏敵とされたことによるともいえる。
そして八百年(八百日ともいえるが)という数字、もしかすると河童の海千山千と同じ意味で、八百人のキリストの弟子たちを意味しているのかもしれない。八百人の弟子たちが伝道のために日本に来たが、みんな殺されてしまったという歴史を伝えているとすれば。まさに鬼退治なのである。
すべては卑弥呼とイエス・キリスト、小野小町にたどり着く
昔話の謎解きをまとめると、かぐや姫と乙姫、姥捨て山のおばあさんだけでなく、お菊さんやお岩さんも同一人物で卑弥呼の化身となる。桃太郎はかぐや姫の弟となるが、浦島太郎と桃太郎は同一人物で、かぐや姫の夫であると同時に敵でもある。
すなわち、夫婦であり、きょうだいであり、敵であるスサノオと天照大神の間柄となる。スサノオが八岐大蛇を退治して、テナヅチ、アシナヅチの娘のクシナダヒメと結婚した話も同じである。テナヅチ、アシナヅチ、竹の櫛となったクシナダヒメ、八岐大蛇もすべて同一の存在すなわちイエス・キリストであり、地蔵の猿田彦と同じく、すべての役柄を一人でこなしていることになる。
昔話や伝説には小野氏の影響が強い。先述の人魚塚も小野にある。小野篁が井戸を通って地獄に行ったとするのは、河童とスサノオそのものである。小野氏の中で恐らく最も有名な人物は小野小町である(小野篁の孫ともいう)。日本全国に伝説が伝わり、墓所も多数あり、謎と神秘に満ちている。
中でも深草少将の百夜通いがよく知られている。世阿弥の作なので秦氏の創作ともいえるが、百回目で上手く行かない(深草少将は死んでしまう)という話は鬼と同じである。後に小町は老いて没落したといわれる。小町の絵は大方後ろ姿で描かれ、正体不明の女性のイメージもある。
絶世の美女、誰も寄せ付けない、老いて独身のままでいるという小町の正体は、卑弥呼そのものではなかろうか。
遣隋使として知られる小野妹子の息子を毛人、その息子を毛野という。まるで本書を意識したような名前である。「同じ釜の飯を食った仲」という言葉のルーツとされる近江毛野という豪族もいる。近江には卑弥呼と狗奴国に関する名が多いのである。
日本は仏教国なので、イエス・キリストの教えは外国のものでなじみがないという人が多い。しかし、日本で最もよく知られ、愛され、美しさの象徴であり、昔話を通して最も多く話題に上っている人物こそ、卑弥呼ことイエス・キリストだったのである。河童とUFOの項で示したように、乙姫であった五色の亀は五徳を意味し、やはりイエス・キリストを象徴していたのである。
卑弥呼は謎の女王などではなく、日本人が最も身近に感じていた存在であった。その噂はアイヌ人にも伝わり、美しい女性を意味するピリカ・メノコとなった。
なぜイエス・キリストが女性として語られるのかは、イエスが女性の最大の理解者であり、擁護者であったからではないだろうか。イエスの慈愛を表現するのに、あえて女性として伝えられてきたのではないだろうか。
稲葉の白兎(1)
浦島太郎の亀とつながりがあることも含めて、稲葉の素兎について、この場を借りて地元の研究家の説を紹介させていただきたい。
因幡の白兎の舞台は島根県だとされている。しかし、古事記には島根県と書いてあるわけではない。滋賀県彦根市の市井の研究家、故寺田所平氏は、白兎の舞台を彦根市稲葉に見出している。
稲葉にある稲葉神社や近辺には兎を表す陽刻や像があり、近郊の山には大国主が殺された猪岩があるなど、そのほか言い伝えも残されている。これを個人的に発展解釈してみた。
大国主は白兎のエピソードの後、スサノオのもとを訪れたので必然的に因幡だと考えられてきた。ところが、彦根市の南の近江八幡市には御所という地名があり、そこの祭神はスサノオなのである。御所の地は南に三上山、東に太郎坊宮のある赤神山、西に聖徳太子ゆかりの観音正寺のある繖山、北に伊吹山が見え、はるか南方には比叡山を望む。それぞれ信仰の対象となっている山で、そのすべてが見えるここはまさに聖地である。
スサノオの住むその聖地から北へ少し行けば彦根市稲葉となる。ここを含め、彦根市全域には蒲が多く自生している。休耕田には自然に蒲が生えてくる。因幡の白兎に似た話は世界中にあり、その中で注目したのが漢族に伝わる同様の話で、ワニに対応する生き物がスッポンになっていることである。彦根市には非常に多くのスッポンが生息している。白兎のワニは実はスッポンだったのではないだろうか。
浦島太郎の亀姫もスッポンであり、ワニであった豊玉姫のことであるため、ワニとスッポンが同一となるのである。
稲葉の白兎(2)
また視野を広げると琵琶湖の中には近江八幡市に属する沖島があり、琵琶湖の西岸には和邇の地名が残る。古事記に使われている文字も和邇である。
彦根市北方の米原にはヤマトタケルの故事で有名な醒井が、同じくヤマトタケルにゆかりの深い犬上郡多賀町には佐目の地名が残る。いずれも湧水が有名な地である。伊吹山や多賀町の山々は石灰岩質であるが、ここがもともと海の底であったことが分かる。
滋賀に残る地名と地形から想像するに、白兎が琵琶湖の沖島から東岸の彦根市稲葉にやって来てスッポンに皮を剥がされ、蒲の穂で治療した。蒲の穂は点火のための火口として使われていたので、ここでも鍛冶屋の象徴がある。和邇にはワニが、かつて海であった醒井、佐目にはサメがいたことと、噛みつくイメージからスッポンを連想するように仕掛けられているのかもしれない。
白兎は塩水に浸かってから山頂で日光さらされて苦しんだが、大国主の時代に海が滋賀県東部にあり、その後陸になった(日光に乾かされた)ことを教えているのではないだろうか。醒井、佐目ともに清水が湧いている。白兎の苦しみと癒しが、海の干上がりと湧水という地殻変動を示しているというわけである。
「月とすっぽん」という言葉がある。極めて大きな差がある物事に対する表現だが、なぜこの二つを対比に使っているのか分かっていない。しかしこれを彦根の逸話から、月をキリスト、スッポンをキリストの命を奪ったワニに置き換えるとどうだろうか。すると「キリストと反キリスト」という意味になるのである。
古事記原文には、白兎(素兎)が剥がされたのは皮ではなく衣服となっている。兎が傷だらけで苦しむ姿は、衣服を脱がされ、鞭で背中を打たれたイエス・キリストの姿そのものなのである。
春日大社に封印された姫神は卑弥呼だった
言葉巧みに親族や関係者を装い、大金をだまし取る振り込め詐欺は、いまだに被害が続いている。また、長年月を費やし、善人を装って信頼を獲得し、老後資金を根こそぎだまし取る証券詐欺のようなものもある。
これらの連中は、嘘はついていないという方弁もよく使う。これとよく似た逸話は、日本の伝承にも見ることが出来る。鶏を夜明け前に鳴かせて追い払った鬼の昔話はその最たる例ではないだろうか。そしてこの日本を支配した狗奴国の藤原氏の神社、春日大社こそが騙しの総本山ともいえるのである。春日大社はもともと寺であるので、本山と呼ぶのが妥当であろう。
上巻第五章でも紹介したが、春日大社があった場所は、もともと猿田彦と姫神(長鼻クエビコのアメノマヒトツ)の榎本神社があった。榎本神は耳が悪く、春日大神が三尺くれと言ったのを三尺四方(畳半分程度)と受け取った。しかし、春日大神は深さ三尺つまり日本列島すべての地表面だと言って簒奪したのである。
イザナミが根の国に行ったのも、天照大神が岩戸に隠れたのも、大国主が根の国に行ったのも、すべて地面の下を意味している。すなわち、春日大神の企み通り、日本の地面の下に埋められたのである。それはすなわち死である。鬼がその悪事の故に追い出されたかのように伝えられているが、実際は殺されたのである。
日本のすべての神の頂点に立つ天照大神は、アメノマヒトツや猿田彦を初めとするあらゆる神に姿を変えて登場してきた。そして妖怪にも変化してきた。その正体はバプテスマのヨハネとイエス・キリストであったと推理してきた。
それを春日大社の伝承と共に考えると、榎本神社の祭神の姫神の正体が明らかとなる。春日大神はアメノコヤネであるが、スサノオ、ヤマトタケルの化身である。それはすなわち、狗奴国の王卑弥弓呼こと神武天皇の豊城入彦のことになる。したがって、春日大神によって地面に埋められた姫神とは、卑弥呼なのである。
耳なし芳一
芳一という盲人の琵琶法師が阿弥陀寺に住んでいたが、和尚の留守時に武士が現れ、「ある高貴な方」の前で琵琶の弾き語りをするように依頼してきた。
芳一は七日七晩の約束で夜毎に出かけることとなったが、不審に思った和尚は寺男に調査を依頼した。寺男は芳一が安徳天皇の墓前で無数の鬼火に囲まれて弾き語りをしていたところに出くわした。
和尚は芳一が憑りつかれたのは平家の怨霊で、芳一が呪い殺されてしまうと恐れた。しかし、その晩は法事があって一緒にいられないため、芳一の全身にお経を書き、怨霊には姿を見えなくさせた。
その夜、武士がやって来たが、芳一の姿は見えなかったが、お経を書き忘れていた耳だけ見えた。怨霊は耳だけで口がないため返事が出来ないのであろうと言い、その耳をもぎ取って行ってしまった。
和尚が帰ってくると、芳一が耳から血を流して倒れていた。和尚は自分の見落としを詫びた。怨霊はその後現れず、やがて耳の傷も癒え、その話が話題となったこともあり、芳一は不自由なく暮らしたという。
耳なし芳一と卑弥呼
耳なし芳一に現れた平家の怨霊と僧侶という関係性であるが、河童や妖怪、やまんばと対決し、対峙する側はなぜか僧侶である。耳を取られたので耳なし芳一と呼ばれたが、同じ発音の耳成山という山が奈良にある。かつては耳無山と書き、意味もこちらと思われる。
耳成山は藤原京の北に位置し、いわば藤原京の頭部である。それが耳無しというなら、耳が悪く、地面の下に埋められた榎本神の頭部といえるのではないだろうか。耳成山はまさに藤原氏にだまされた神の頭部なのである。
先述しているが、この地にある春日大社と榎本神社の伝承は次のとおりである。榎本神社の神(猿田彦または姫神)は耳が悪く、「三尺まで土地をもらう」といわれて承諾したところ、振り込め詐欺よろしく地面の縦横ではなく上下三尺のことだとすかされ、すべての土地、すなわち日本全土を奪われてしまった。
また耳はパンの耳や札束をそろえるのに耳をそろえると言うように、耳には端の意味もある。そして端を箸にすれば、同じ地域にある箸墓古墳が思い起こされる。この古墳は卑弥呼の墓といわれている。
箸墓古墳の被葬者ヤマトトトヒモモソヒメは箸で女陰を突いて死んでしまったが、耳も箸も死を意味するものとすれば、耳無しは死人に口なしと同義となる。つまり、春日大社の下に埋もれた耳の悪い榎本神は死んでいることになる。
武士は芳一が口がないから答えられないと思い、それで耳を取った。これが耳が悪いことの比喩だとすれば、芳一はまったく榎本神のことになる。耳なし芳一は耳成山の榎本神こと卑弥呼が奈良の地下に埋められたことを嘆く象徴なのかもしれない。
芳一は安徳天皇の墓前で平家物語を謡った。安徳天皇は二位の尼と入水の際、八咫の鏡と草薙の剣とともに龍宮へ行ったとされている。草薙の剣は八岐大蛇の化身であり、なおかつ天照大神と卑弥呼の化身でもある。
よって安徳天皇は天照大神と同一のため、墓石の前で謡う芳一は天岩戸の前で謡うアメノウズメと同一となる。アメノウズメは猿田彦と同一であり、猿田彦は岩戸の前の八咫の鏡を掛けた榊と同一である。
八岐大蛇も猿田彦も、その目が八咫の鏡でなおかつ赤酸醤(ほおずき)のようであったと記されている。ほおずきは鬼灯とも書かれるので、まさに鬼でもある。そして猿田彦とアメノウズメは芸能の神である。天岩戸や耳なし芳一の物語は、一人の役者が様々な役柄を演じる物語であり、その役者こそ鬼の卑弥呼なのである。
余呉湖の羽衣伝説
滋賀県長浜市余呉町にある余呉湖に残る羽衣伝説を紹介したい。この伝説が日本最古(「帝王編年記」養老七年(723)の条)のものといわれている。
余呉湖に白鳥の姿で舞い下りた八人の天女があったという。彼女たちは湖で水浴びをしていたが、この土地に住む伊香刀美という男が天女の姿を見かけた。彼は天女をわがものにしたいと考え、柳の木に掛けてあった天女の羽衣を飼っていた白犬に一枚盗ませた。
異変に気づいた天女たちは次々と天へと帰っていったが、羽衣を盗まれた天女は逃げることができなかった。それで仕方なくイカトミの妻になることにした。二人は二男二女に恵まれたが、天女はついに羽衣を見つけ出し、天へと帰っていたという。
彼らの子孫は後にこの地の支配者となった伊香氏なのだという(余呉町の地域はかつて伊香郡であった)。
桐畑太夫と菅原道真
余呉湖には別のパターンの羽衣伝説がある。
余呉湖の近くに桐畑太夫という漁師が住んでいた。ある日彼はかぐわしい香りがするので、そのにおいに惹かれて歩いて行くと、柳の木に世にも珍しい薄物が掛けられていた。太夫はその薄物を手に取って見ていたが、そこへ天女が来て羽衣を返すように言った。
ところが太夫はそれを拒み、天女はあきらめて彼の妻になることにした。二人の間には一人の男の子が生まれ、陰陽丸と名づけられた。ある日、太夫が赤子に子守唄を聞かせていたのだが、その歌に羽衣の隠し場所が歌われていることに天女は気づいた。裏庭のわらの下が隠し場所であったが、それを探し出して身にまとうと天女は天へと帰って行った。
妻をなくして嘆く太夫であったが、しばらくして夢を見た。夢の中で天女は太夫に天に昇る方法を伝え、太夫もまた天に上って行ってしまった。
一人残された三歳の陰陽丸は石の上で泣き続けた。そこへ余呉湖近くの山にある菅山寺の尊元阿闍梨が通りかかったのだが、陰陽丸の泣き声が法華経のように聞こえたために不思議に思い、テレに連れ帰って養育することにした。
やがて成長した陰陽丸は菅山寺を参詣した菅原是善の目にとまり、是善は陰陽丸を養子にして上京させたという。この陰陽丸は後の菅原道真だともいわれている。
天衣無縫
天女・天人の衣には縫い目がないといわれる。天衣無縫という言葉があるが、縫い目がないことから、詩歌などが技巧をこらしたあともなく、いかにも自然で、しかも完全で美しいことを表す。また、天真爛漫の意味もある。
天女の衣に縫い目がないとは、誰か本当に見た者がいるのだろうか。余呉湖に伝わる羽衣伝説は、菅原道真が天女の子孫であるともいう。本書でこれまで見てきたように、道真にはひょうすべという河童もかかわっている。河童の正体が何であるかもこれまで見てきた。すると、天女の正体と羽衣そして天衣無縫の意味が見えてくるのである。
縫い目のないひと続きの衣など、作成は技術的に無理のようだが、実はまさに天衣無縫というべきひとつなぎの布が存在する。それは人間の皮膚である。
皮膚というと体表面を覆うものというイメージがあるが、実は口腔から肛門までの消化管も皮膚なのである。そのため、消化管内は体表面に当たり、体内ではなく体外となるのである。そしてこの皮膚はつなぎ目のない一枚の皮なのである。
すると柳に掛けられた羽衣とは天女の皮膚、さらに言えば天女の肉体なのである。そこには驚くべき象徴が隠されているのである。
羽衣の隠し場所と玉手箱
天女は隠されていた羽衣を見つけると、身にまとって天へと帰って行った。それは天人の衣を着せられて月へ帰って行ったかぐや姫に似ている。というより、かぐや姫と同じである。天女は羽衣すなわち肉体を見つけて身にまとい、かぐや姫は外に出ないように隠されていたのを出されている。
羽衣が天女の肉体だとすれば、その隠し場所は墓となる。かぐや姫は月に帰る前に帝へ不老不死の妙薬の入った箱を渡したが、それは乙姫の玉手箱と同じである。そして玉手箱の中身は岐阜県の伝承から人魚の肉ということになり、かぐや姫の不老不死の妙薬の箱と同じとなり、不死の存在である天女の肉体と同じものということになる。
かぐや姫の帰った「月」の字は「肉」と同字であるため、やはり肉体を天人の衣=羽衣は肉体を意味していることになる。
羽衣が柳に掛けられていたという点は、エジプト神話のオシリスの遺体を納めた棺が柳でできていたことをも彷彿させる。
天女は天照大神だった
本書で見てきたように、かぐや姫と乙姫は同一人物であり、羽衣の天女もまた同一である。それならば、天女は天照大神と同一ということになる。それを示唆する出来事が記紀に記されている。
スサノオが高天原の天照大神のところへ行って乱暴狼藉を働いたときのことである。スサノオは機屋にいた天照大神の上に、天の斑馬(ふちこま)を逆剝ぎにして落としたというのがそれである。
「天照大御神、忌服屋に坐して、神御衣織らしめたまひし時、その服屋の頂を穿ち、天の斑馬を逆剥に剥ぎて堕し入るる時に、天の服織女、見驚きて、梭に陰上を衝きて死にき。」(古事記)
服織女が陰部を梭(ひ・機織りの道具)で刺されて死んだとあるが、それは天照大神のことで、陰部の傷で死んだイザナミとヤマトトトヒモモソヒメも同じである。そしてこの女神たちは卑弥呼と同一である。また、八人の天女は八岐大蛇と同一であることも示している。
天皇の即位式である大嘗祭は、大嘗宮に天照大神が休まれる寝床と衣服を用意して待つのであるが、その意味するところは天照大神が裸で降臨し、天皇が同衾する儀式ということになる。つまり、天女の羽衣の伝説は伝説などではなく、今も大嘗祭として残されているのである。
天女の正体はイエス・キリストだった
柳の木に掛けられていた羽衣が肉体を意味し、羽衣が盗まれて隠されたのが殺害と埋葬であり、羽衣を見つけてまとい、天へと帰って行ったというのならば、まったく同じ出来事が聖書に記されている。
それはイエス・キリストの十字架刑と埋葬、そして復活と昇天である。天女が水浴びをしていたというのは、キリストのバプテスマを意味していることになる。バプテスマは罪の赦しのために水に沈め、そして引き上げる儀式だが、古い自分を捨て新しい生活を始めると同時に、キリストの埋葬と復活も象徴しているのである。
羽衣つまり肉体を木に掛けるというのは、キリストを十字架につける行為と同じである。使徒ペテロもこのように言っている。
「人々はこのイエスを木にかけて殺したのです。しかし神はイエスを三日目によみがえらせ・・・」(使徒10:39-40)
天女の伝説を初め、かぐや姫も浦島太郎も近江(滋賀県)の出来事であったが、菅原道真がかかわっているのは興味深いところである。道真は天神(雷様)と同一視されているが、イエスの愛弟子ヨハネのあだ名、ボアネルゲ(雷の子)のことなのかもしれない。
日本各地に残る妖怪や昔話の卑弥呼の記憶は、ヨハネが日本に来て伝えて回った(伝道した)証拠なのかもしれない。
余呉の語源
余呉湖はかつて閉鎖湖であり、ここから流れ出す川はなく、琵琶湖とはつながっていなかった。湧き水をたたえた鏡のような湖だったといわれ、鏡湖とも呼ばれていた。
しかし、洪水対策のために近くを流れる余呉川とつなげられ、水質は変わってしまった。余呉川は琵琶湖に流れ込む川であるため、余呉湖と琵琶湖はつながる形になった。
余呉湖の語源は琵琶湖の「横」にあることからつけられたという説があるが、荘園時代にはすでにこの名で呼ばれていた。古くから呼ばれていたことがわかるが、語源ははっきりとはわかっていない。
一方、琵琶湖は楽器の琵琶の形に似ているからとされるが、かつては淡海や近江(どちらもおうみと読む)と呼ばれ、淡水の海であることと京の都に近い湖からそう呼ばれている。またその大きさから、琵琶湖を大江、余呉湖を余呉小江(いかごのおえ)とも呼ばれた。
琵琶湖から流れ出る川は一本だけで、大阪湾に注ぐ淀川につながっている。琵琶湖に流れ込むすべての河川から淀川までを淀川水系といい、定義上、琵琶湖は淀川の一部とみなされている。余呉湖、琵琶湖、淀川という位置関係と名称から、非常に興味深いものが浮かび上がってくる。さらに、それによって余呉という名称の驚くべき語源まで見えてくるのである。
余呉湖、琵琶湖、淀川とフラ湖、ガリラヤ湖、ヨルダン川
余呉湖、琵琶湖。淀川というつながりとそっくりな地形が存在する。それはイスラエルにあるフラ湖、ガリラヤ湖、ヨルダン川である。余呉湖から淀川まですべて淀川水系と呼ばれるが、同じようにフーレ湖からガリラヤ湖、そして体の浮くことで有名な死海をつなぐ川は、すべてヨルダン川なのである。
琵琶湖は文字どおり楽器の琵琶であるが、ガリラヤ湖はキンネレテの海とも呼ばれ、それは琴の意味である。淀川とヨルダン川は読み方が似ているが、「淀」は水のよどみ、「ヨルダン」は流れ落ちるの意味であるため、音節も意味も似ていることになる。
さらに驚くべきは余呉である。まずはフラ湖から検証してみたい。フラ湖は旧約聖書に登場するメロムの水(ヨシュア11:5)と同じものと考えられている。フラ湖は干拓が進み、生態系が大きく変化するなど余呉湖とよく似た境遇にあるといえる。フラ湖の周囲は広い沼沢地であり、水鳥たちの楽園である。
フラの言葉の意味はずいぶん変わっている。「患者」や「病人」という意味なのである。一方メロムは「上」や「高所」の意味である。フラ湖やメロムの水と余呉に関係があるとすればどうだろうか。そう考えると、実に深い象徴が隠されているのである。
余呉は「予後」なのではないか。予後とは医学的には疾患罹患後の経過や結果の予測のことであり、余命のことも意味する。大ざっぱに言えば「予見」である。余呉小江を「いかごのおえ」と読むことから、余呉は「いかご」とも読むようである。余呉町は現在長浜市になっているが、かつては伊香郡であった。伊香とはすなわち「医科」なのではないか。
これらのことから、余呉(湖)の語源を考えると以下のようになる。
水鳥の楽園である湖に天女であった八羽の水鳥たちが舞い下り、肉体であった羽衣を柳に掛けられて患者(死にゆく者)となり、羽衣を見つけて(復活して)また天上へと帰って行った罪人のための医者であったキリストは予見者(預言者はかつて予見者と言われていた)であることを、余呉(予後)の言葉は伝えているのではないか。
それを伝えたのが予見者(黙示者)である雷の子(ボアネルゲ)の使徒であり愛弟子ヨハネだったのではないか。
黙示者ヨハネと見越入道
日本では聖書はあまり親しまれていると言えないが、それでもこのヨハネだけは別格であろう。人々の関心を集め、様々な小説や漫画、アニメの題材に使われているのが、彼の記した「ヨハネの黙示録」である。
ハルマゲドン、大天使ミカエルと戦った堕天使ルシフェルの反抗と敗北、悪魔の数字666、龍や獣、偽キリストなど、これらをネタにした作品をよく見聞きするのではないだろうか。これらはすべてヨハネの黙示録に記されている預言である。これらの預言は約二千年前に記されたものだが、ほと
んどが二十一世紀に起こるものと思われている。
話は戻って「余呉(予後)」であるが、医学用語として最近できたものではないかと言われよう。しかし、これこそが預言なのである。預言者は未来を予見・先見すなわち「見越し」て余呉の言葉を残したのではないだろうか。そして余呉の地には後に道真にたとえられた使徒ヨハネが訪れたのではないだろうか。
妖怪の一つに「見越」というものがいる。伝承から推測するに、正体は竹であるようだ。そして残された絵画の多くが男のろくろ首として描かれていることから、かぐや姫ならぬかぐや男ともいえる。これまで妖怪を考証してきた結論から言えば、見越(入道)とはすなわち先を見越す者=イエス・キリストとその弟子たちということになる。
剣山の大蛇
1973年五月、徳島県の剣山で町議会議員が草刈りをしていたところ、推定全長10メートルはあろうかという大蛇を目撃した。大蛇の太さは30センチ程あったといい、鎌首をもたげた高さは2.5メートルに達したという。その姿はヤマカガシに似ていたという。
後に付近を捜索したところ、40センチほどの幅で草がなぎ倒された後を確認した。しかし、目撃報告はこの1回だけで、その後はまったく目撃されていない。
この大蛇、本当にいたのだろうかと思われても仕方がない。なにせ1度きりの目撃である。だが、報告したのは公務員であり、狂言の類でも見間違いでもないといえる。
この事件、いや、これだけではなく日本で目撃されるUMAには、奇妙な法則がある。それは単にいるのかいないのかではなく、何らかのメッセージのように思えるのである。
UMA事件の謎を解く鍵は、物証ではなく象徴なのではないかと推理してみた。まずはこの剣山の大蛇から見ていくことにしたい。
この事件のキーワードをいくつか挙げてみると、大蛇、剣山、草刈りである。剣山には剣山本宮がある。祭神はスサノオであり、安徳天皇も祀られている。スサノオで有名なのは八俣大蛇と草薙の剣である。山頂の本宮へ続く道には猿田彦の祠があり、猿田彦と蛙はセットなので、蛇と蛙の関係が見える。
この大蛇はヤマカガシに似ており、ヤマカガシは八俣大蛇の化身であることを先述した。草刈り中に現れたことで、まさに草薙の剣を持った八俣大蛇である。
安徳天皇は平家の王であるが、壇ノ浦で沈んだ平家は河童となったことから、剣山に祀られているのは河童の王となる。そして河童でもある猿田彦は八咫の鏡の化身であり、八咫の鏡はアメノマヒトツの化身である。それは青銅の蛇に象徴されるイエス・キリストのことになる。
ツチノコ
ツチノコは主に近畿地方での呼び名で、東北ではバチヘビといい、各地で野槌やコロバシのような妖怪と考えられていたようである。ツチノコという名前が定着したのは後述の作家が発表したことによって広まったものである。全国各地で目撃情報があるが、捕獲および確認には至っていない。
昭和四十年代、釣り研究家の山本素石は、ツチノコを探して全国を旅し、ツチノコブームのきっかけを作った。
1972年、田辺聖子は彼をモデルとした小説『すべってころんで』を発表。ツチノコの名が全国的に知れ渡ることとなった。
1974年、1975年に雑誌『小学五年生』と『小学六年生』に掲載された『ドラえもん』において、ツチノコ探索のエピソードが描かれた。
1979年、『釣りキチ三平』で有名な漫画家矢口高雄は、ツチノコに遭遇した経験を持つという。彼が発表した『幻の怪蛇バチヘビ』もまた、ツチノコブームに火を着けた。
しかし、これも何らかのメッセージと考えた場合、別の回答が浮かび上がってくる。ツチノコや、もとになった野槌という名前にも「槌」という共通点がある。槌は金槌や木槌のような叩く道具であるが、蛇の意味もある。イザナミが生んだカグツチという神も蛇を表している。また野槌は同じくイザナミが生んだカヤノヒメの別名で、やはり蛇を意味している。
ツチノコ発見かというニュースで話題になった蛇のいくつかは、ヤマカガシであったことが分かっている。卵をはらんだものや、大きな獲物を飲み込んだヤマカガシをツチノコと見間違う事例が見受けられる。ツチノコになれなかった蛇として、ツチナロと名付けられたヤマカガシもいる。
特に、ツチノコと見間違えたヤマカガシの飲み込んだ獲物がヒキガエルの場合、すべてを知るクエビコの象徴を持っていることになる。そうなると、ツチノコもまたアメノマヒトツを表す存在となる。
ツチノコの目撃談にはジャンプをする、環になって転がる、いびきをかくなどがある。とても蛇には思えない。尺取虫のように縦に体を曲げるとされるが、爬虫類には無理な動きである。また、昔の野槌を示す絵には毛むくじゃらの怪物のようなものがある。これはまったく別の生き物(哺乳類、幼虫、ウミケムシなど)の情報が混ざっているのだろうか。
正体はツチノコではなかったことが多いが、捕獲(情報)は死骸であることが多い。ヤマカガシと死、イザナミの子というキーワードと、海の生き物のような言い伝え、山本素石氏と矢口高雄氏の釣りキチ(浦島太郎)という共通点など、水に関する情報が混在している。水蛇ともいえるが、これは河童を指す言葉でもある。毛の生えた河童の報告が含まれているのかもしれない。
ヒバゴン
広島県にある比婆山麓で目撃されたのが、ヒバゴンといわれる獣人である。以下のような特徴を持っていたとされる。
・類人猿型であり、二足歩行が可能である。
・体中が黒もしくは濃い茶色の毛で覆われている。
・尻の左半分の毛が白っぽい。またタコ(猿の尻にある毛の生えていない部分)が無かったという。
・顔は逆三角形と報告されている。
・目はギョロ目で大きくつりあがっている。
・背丈は1.5メートル程度と小柄な大人くらい。ずんぐりむっくりしている。
・体格から推定される体重は85キロ程度。
・足のサイズは27センチ程度。
・目撃された個体は単一らしく、片足を引きずっていた。
・歩く際に、鳴き声と思われる音を発する事がある。
・合羽を着た人だと思ったというのがある。
1970年代の目撃譚は以下のとおりである。
・1970年(昭和四十五年)七月二十日:油木地区のダム付近をトラックで走行中の男性が、道路を横切り林の中に消えた怪物を目撃。姿形はゴリラに似て、子牛ほどの大きさがあったという。
・同年七月二十三日:同地区の農家に住む男性が、背丈が大人ほどの全身が黒い毛で覆われ、頭部が異様に大きく、顔は人間に似ている怪物と遭遇。以後、ダムを中心に3キロ四方で同様の怪物の目撃例があいつぐ。
・同年十二月:吾妻山で、雪原に怪物のものとみられる足跡が発見される。12月だけでも合計12件の目撃報告があった。その後、1974年まで毎年のように夏になると人々に目撃された。
・1974年(昭和四十九年)八月十八日:庄原市川北町須川の県境に位置する山間の道で、全身毛むくじゃらで身長1.6メートルほどの怪物を男性が目撃。胴は人間の二倍ほどもあり、怪物は男性の乗った車にびっくりしたような仕草を見せ、林に姿を消した。
・同年同日:写真撮影に成功したとされる。
・同年十月十一日:この目撃を最後に、ヒバゴンの消息が途絶える。
もしかしたら、このヒバゴンも、メッセージのために存在したのかもしれない。比婆とはイザナミの墓所である。イザナミが死んだ理由は、カグツチというかまどの神を産んだため、女陰が焼けたためである。比婆は火場にかけたものといえる。
ヒバゴンが類人猿の類だとすると、寒い冬は辛かったのではないだろうか。正体はともかく、この事件も象徴に満ちている。
類人猿ならば、猿田彦の象徴が見える。猿田彦を猿の妖怪である猿猴と見るならば(広島県は猿猴の伝説の地)、それは同時に河童をも意味する。猿猴は山では猿猴、海に下ると河童になるとされている。ヒバゴンが目撃された際、合羽を着た人に見えたのは、それを示しているのかもしれない。
河童が海に下ることは、川に流された人形や藁人形をも指し、死を意味する。比婆はイザナミの墓所を指している。1974年10月からぷっつりと姿を消しているのは、ヒバゴンが死んでしまったからかもしれない。
また、ヒバゴンは吾妻山で足跡らしきものが見つかっている。吾妻とはヤマトタケルがオトタチバナヒメを偲んで発した言葉である。オトタチバナヒメは卑弥呼でありイザナミでもある。ヒバゴンはイザナギやヤマトタケルのように妻を探していたのかもしれない。
ヤマトタケルが崩御したのは能褒野である。まるで類人猿のボノボのようである。ヒバゴンもまた妻を思いながら死んだのかもしれない。
ヒバゴンが足を引きずっていたという目撃報告がある。比婆を火場とすれば鍛冶屋となり、猿猴であり河童である一本足のアメノマヒトツのこととなる。ヒバゴンもまた十字架につけられたイエス・キリストの象徴を持っていることになる。
イッシー
鹿児島県指宿市にある池田湖では、イッシーというUMAが目撃されている。大きさは20メートルという報告もあり、相当な大きさである。
・1978年九月三日:20人もの人々によって目撃される。
・同年十二月十六日:イッシーと思われる物体の写真が撮影される。
・1991年一月四日:ビデオカメラで水面を動く黒い物体が撮影される。
目撃報告がかなり少ないが、池田湖自体が象徴に満ちていることが分かる。5500年前の火山活動で形成されたカルデラ湖である。それを考えると、イッシーが恐竜時代からの首長竜の生き残りとは考えられないといえる。ネッシーのネス湖のように、海とつながっていた時代の生き残りという予想はできないわけである。
また、湖がある指宿市十二町には諏訪の地名があり、ここにあった南方神社のタケミナカタヌシを、指宿市東方の揖宿神社に合祀している。諏訪とタケミナカタヌシであれば、長野県の諏訪湖地方と同じである。
諏訪湖には御神渡りという凍った湖の氷が直線に盛り上がる、有名な現象がある。これは蛇神が通った道とされている。この信仰はどこから来たのであろうか。指宿から諏訪へ移住した人によってもたらされたのではないだろうか。
揖宿神社の祭神はオオヒルメ(天照大神)である。ヒルメはヒルコと同じ意味でもあり、水蛇や水龍を指す言葉でもある。揖宿神社の祭神をオオヒルメとしたのは、池田湖にいる怪物を意識したものだとしたらどうだろうか。
また池田湖は火山によって形成された。火山は浅間神社に表されるように、女神を象徴する。イザナミは女陰が焼けて死んだが、噴火口をたたらの炉のように火処とするなら、その死の際に放尿したというのはカルデラ湖ということになる。そこに住むのは死の原因となったカグツチなどの龍ということになる。
カグツチはイザナミの死を怒ったイザナギに殺されるが、その際生まれた神の一人がタケミカヅチである。相撲の祖ともいわれる神で、ここでもまた河童と同じ象徴が見受けられるのである。
クッシー
北海道の屈斜路湖で目撃された怪物はクッシーと呼ばれている。以下は主な目撃報告である。
・1972年十一月:湖畔の国道を車で走行中のドライバーが、ボートを逆さにしたような物体をドライバーが目撃(このドライバーは1974年にクッシーと思われる写真を撮影している)。
・1973年八月:中学生40人程が藻琴山への遠足中に目撃。全国にクッシーの存在が知られるようになる。
・1974年七月:一家が湖面に二つの黒い物体を目撃。二つの物体は大きな水音と大波を立てて水中に沈んだという。丸太を10本ほど湖に投げこんだような音だったという。
・同年九月十八日:湖面に三角形の二つのコブが目撃される。コブの長さは10~15メートルほどで、ヌメヌメと光っていた。モートボートほどのかなりの速さで動き、その後水中に沈んだ。約15人の目撃者がいたが、唖然として眺めていたという。
・同月:北海道放送のビデオカメラが湖面に浮かぶ丸い物体を撮影したが、それが何かは分からなかった。
・1975年七月五日午前9時半ごろ:林業の男性が馬を連れて湖畔で木の切り出し作業をしていたところ、馬が急に何かに脅え始めた。湖面を見ると、50メートルほど先に、馬の頭よりはるかに大きな、銀色の目をした焦げ茶色の何者かが顔を出していた。それからこの怪物は湖に姿を消したという。
一方、アイヌ人には摩周湖や支笏湖には巨大なアメマスがいるという伝説が伝わっている。また地下にも巨大なアメマスがいて地震の原因となっているというが、茨城県の鯰の伝説に似ている。ただこの鯰は龍であるともいわれており、何らかの共通した情報源があるのかもしれない。
同じくアイヌの伝承には湖に住む巨大な蛇やアメマス、ヒラメの伝承がある。しかし、アイヌ人はこれらの怪物を、忌むべきものとして話すことを避けてきたようである。話すと災いがあるというのだが、本土の漁師が海坊主を見たときの対応とよく似ている。
これらの怪物がクッシーを指しているかは不明だが、エビス信仰と根本は同じではないだろうか。すなわちクッシーは水蛇であり、ミンツチのことであり、河童と同様の水生怪獣ということになる。
そして目撃報告の少なさから、この生物は肺呼吸ではなくえら呼吸をしているものと思われるのである。
ニューネッシー(1)
1997年四月二十五日、日本のトロール船「瑞洋丸」が、ニュージーランドのクライストチャーチより東へ約50キロ離れた太平洋の海域で、謎の巨大腐乱死体を引き揚げた。
ニュージーランドで発見され、その姿がプレシオザウルスに似ているネッシーを髣髴させたことから、「ニューネッシー」と名づけられた。
全長約10メートル、重量は1.8トンと推定され、首の長さは1.5メートルと思われた。写真は計5枚撮影され、ヒレの先端のひげ状組織を標本として持ち帰った。
腐敗と腐臭がひどく、引き上げてから1時間後に海中投棄された。船員によると、その腐臭はいかなる魚類のものでもなかったという。瑞洋丸が帰国してニューネッシーは大ニュースとなった。
持ち帰ったひげはアミノ酸分析にかけられ、サメではないかという結果が出た。吊り下げられた死体の写真を見て、サメの解体業者はウバザメに間違いないと証言している。結論から言えばこの写真はウバザメである。
また、あまり知られていないが、この事件の翌年にも同じ海域で同じような腐乱死体が引き上げられ、このときの鑑定結果はウバザメとなっている。
しかし、乗組員はこの死骸をサメとは思えないと証言している。彼らは海のプロのはずである。ウバザメの死体と怪物の違いを見分けられなかったはずがない。それでもこの死骸がウバザメであることには変わりない。実はこの勘違いに、この事件の真実が隠されているのかもしれないのである。
ニューネッシー(2)ウバザメとワニ
ウバザメは皮を剥ぐと真っ白な肉が現れることから豆腐ザメの異名を持つ。皮を剥いだサメの姿、龍とサメを勘違いという逸話から、言葉を入れ替えると、因幡の白兎の伝承が現れる。白兎が海を渡ろうとして整列させたワニは、現在ではサメのこととされている。島根県ではサメのことをワニと呼んでいる。サメがワニでワニがサメになっている。
ウバザメなど大きな水生生物はエビスであり、エビスは河童と同義である。河童にはイエス・キリストの象徴がある。皮が剥がれたウバザメは、皮を剥がされた白兎と同じ存在となる。
白兎を助けた大国主はこれまで見てきたようにバプテスマのヨハネの化身であり、ヨハネはキリストにバプテスマを授けた預言者である。バプテスマはキリストの埋葬と復活を象徴している。
白兎は真水に浸かるように勧められたが、これをバプテスマとするなら、白兎は一度死んで復活したことにもなる。兎が月に住むという伝説も、月がキリストの栄光を示すことから来ていると思われる。
ニューネッシーにはエビスとしての河童と、イエス・キリストの象徴が隠れているのである。ニューネッシーが発見されたのはクライストチャーチ沖である。クライストチャーチは直訳すればキリストの教会である。教会は信仰を同じくする人の集まりという意味である。すなわち、海に並んだワニの列も教会である。白兎をニューネッシーとすると、ワニの群れはクライストチャーチの海になる。
ただし、キリストの教会がキリストを信じている者たちを指すとは限らない。ヘロデ王の場合がそうである。当時のユダヤ人は神殿を建て、ユダヤの王女を妻にしたヘロデ王の息子をキリストと信じていたからである。
ワニの群れはキリストの名を公言するが、そうではない教会を指し、キリストの命を奪ったことが兎の皮を剥いだことになぞらえられているのかもしれない。キリストは自分の民のところに来たのに、民は受け入れなかったと聖典に記されている(ヨハネ1:11、ニーファイ第參書9:16)。
「我は我民の所に降りしが、彼等我を迎けざりき。乃ち我が來ることを示す聖文は已に事實となりたり。」
ニューネッシー(3)言わずのタブー
クッシーの項で少し記したが、漁師には海坊主などの海の怪物に対して禁忌事項がある。それがニューネッシーに当てはまるとしたらどうだろうか。もしサメと鯨以外の未知の巨大生物が網にかかった場合、見て見ぬふりをする暗黙の了解があるとすればどうだろうか。しかし、乗組員の中に怪物の学問的価値を知る者がいた場合、摩擦や葛藤が起こることになる。
筆者個人の勝手な想像だが、ニューネッシーは二体あったのではないかと考えている。乗組員は死骸がサメではなかったと証言している。しかし、写真はウバザメである。これは似たような怪物の死骸がもう一体あり、たまたま同時期に引き上げたウバザメの死骸をそれっぽく撮影したものではないだろうか。
つまり、怪物の死骸は禁忌事項として公にすることが出来ないが、乗組員は世間に知らせたいというジレンマに陥った。そこで似たようなウバザメの死骸を怪物として世間に伝え、判断を見た人に任せたのではないだろうか。こうすれば禁忌事項を優先する大本にも、真実を知らせるべき世間にも顔が立つと考えたのかもしれない。
カバゴン
1974年四月二十八日、遠洋漁業船「第二十八金比羅丸」の乗組員26人(全員)が、ニュージーランド南東沖合で怪物を目撃した。頭部のみ海面から出していたと思われるが、1.5メートルほどの大きさで、シワシワで灰色がかった褐色の皮膚に、赤く光る大きな目玉、大きな鼻の穴があったという。船員がカメラを取りに行っている間に海中へ没したという。木村実船長が怪物の絵を残している。
興味深いのは怪物が海中へ潜るというより、そのままの体勢で沈んだようなことである。クジラなどが潜る場合、体を翻してヒレの推力を使う。船員もヒレなどがあったと報告していない。そのまま沈むのは、蛙などの浮力調整を使った潜り方である。しかし、大きな鼻の穴のようなものがあるが、呼気の吐出音は聞かれていないようである。口があったのかどうかも分からない。潜り方だけで考えた場合、少なくとも哺乳類ではなさそうである。
この書のスタンスから推察すると、船名の金比羅丸に興味を魅かれる。金比羅さん(金刀比羅宮)という香川県の神社が有名であるが、祭神は大物主である。しかし、本来の祭神はインドのワニ神クンビーラではないかといわれている。大物主にワニと来れば、ここにもミズチやエビスが姿を現す。ニュージーランド沖という場所はニューネッシー(こちらもワニとサメである)でも有名だが、エビスのようなものがいるのかもしれない。
ネッシー
主に日本のUMAを取り上げたが、世界で最も有名なネッシーについても考察したい。多くの写真と目撃報告があるが、個人的にその中で最も注目したのは、1975年にボストン応用科学アカデミー研究チームが水中撮影した怪物の写真である。
それらの写真にはまさにネッシーという全身の姿のほか、一対のヒレや飛び出た目玉が写っている。ネッシーの最有力候補はプレシオサウルスだが、この写真はその可能性を否定していることになる。しかも、目撃報告が少なすぎるため、この怪物が肺呼吸ではなく、鰓呼吸であることが考えられる。一対のヒレや飛び出た目玉で想像されるのはナメクジ、ウミウシ、クリオネなどの貝類である。ネス湖にいるのはまたしてもエビスの可能性があるのである。
聖コロンバ(521~597)は、スコットランドや北部イングランド布教の中心となったアイオナ修道院を創設した修道僧である。565年、コロンバがネス湖畔に来たところ、人を食い殺す怪獣がいると聞いた。従者が船に乗っていると湖から怪獣が現れたため、十字架によって退けた。それ以来、怪物は姿を見せなくなったという。
ネッシーはネス湖の漁師にまったく目撃されていないという不思議がある。コロンバの時代から1500年の間、漁師は目撃する機会があったはずなのにである。これがコロンバの奇跡と関係があるとしたらどうだろうか。そうすると、日本の鬼妖怪と同じしるしを見出すことが出来るのである。
キリスト教の聖人に該当する、迦楼羅や弘法太子、円仁などによって鬼妖怪は封じられてきた。百の試しに負けたと思い込み、自分たちが住んでいた土地から出て行ってしまった。しかし、鬼妖怪の正体はイエス・キリストであった。
ネッシーは聖コロンバによって封じられたが、当時イエス・キリストの組織されたままの教会はすでに消滅し、ニケーア公会議によって作られた別の宗教になっていた。イエス・キリストの教会が否定された歴史は、聖人が悪鬼を踏みつける姿で表現されている。つまり、その悪鬼こそがイエス・キリストなのである。したがって、コロンバに封じられたネッシーはイエス・キリストの化身となるのである。
漁師とはイエス・キリストの弟子の象徴である。その弟子の前に姿を現さないネッシーは、組織されたままのイエス・キリスト教会が消滅したままであることを告げているように思えるのである。20世紀に入り、ネッシーの目撃報告と写真が急に増え出した。外科医の写真が偽物であったというニュースも、世界を駆け巡った。様々な情報と偽りがあふれているが、重要なことはイエス・キリストの福音にあることを、ネッシーは告げているのではないだろうか。
1970年代の謎
それにしても、どうして1970年代に集中的にUMAが現れたのか。この時代はUFOと大預言も含め、大変なオカルトブームであった。この騒動には何か裏があるのだろうか。いや、ここには途方もなく大きなメッセージが隠されていたのである。
これらのUMAは、木に掛けられた青銅の蛇である日本の根源神アメノマヒトツと、イエス・キリストの象徴を持っている。そして、1970年代に突如として現れた理由がある。それは1970年代、アメノマヒトツ、イエス・キリストに共通するキーワードに隠されている。それは「塩」である。
1971年、日本は海水から塩を得るための塩田を廃止し、工業用地として買収していった。そして食塩はすべてイオン交換膜による工場生産塩に変え、体に害になるナトリウム塩を国民に強制的に摂取させるようにしたのである。
アメノマヒトツは導きの神である猿田彦と同じであり、猿田彦はシオツチノオジと同じともされる。シオツチノオジは山幸彦と神武天皇を導いた導きの神であり、文字通り塩の神である。そしてイエス・キリストは、キリストに忠実な者を「地の塩である」と言われ、「塩は良いものである」とも言われた(マタイ5:13、ルカ14:34)。
ところがその尊い塩が、高血圧などを引き起こす病気のもとへと変えられ、塩は悪いものというイメージが定着してしまった。いうなれば、イエス・キリストの言葉を否定するように操作されているかのようである。白兎が塩水に浸けられたのは、この時代を先見してのものだったのかもしれない。
塩は人間になくてはならないものから悪いものへと変えられ、イエス・キリストの教えが否定されるようになった時代に我慢がならず、警鐘を鳴らすためにUMAは大挙として現れたのではないだろうか。
UFOとUMAとにがり
これは河童とUFOの項でも書いておきたかったのだが、UMA出現の謎とあわせると、さらに深い理解が得られるためである。それはUFOの機体と塩に共通の物質についてである。
かつてUFOの機体の素材として伝聞されていたのは、マグネシウム合金である。なぜUFOはマグネシウムで出来ていると、世の中に広まっていたのか。ここには何らかの意思が働いている。
海水塩の中に含まれるにがりの主成分は塩化マグネシウムである。UMAの目撃ラッシュが1970年代に起こった理由が、塩田と自然塩の消滅への抗議であると推理してきた。食卓塩はにがりが100%除去されている。体に必須のミネラルである塩化マグネシウムが除去され、国を挙げて塩は体に悪いという勧告が発せられてきた。
UFO(河童)とUMAはどちらもイエス・キリストの化身である。UFOの素材がマグネシウムという情報を発信した意図は、悪い塩を国民に押し付ける日本を意識したものだったのだろうか。
また、海にいる河童を海童というが、両生類と考えられる河童がどうやって海水中でも生きられるのかが不思議である。それがマグネシウムと関係があるということで、一つの仮説を立ててみた。日本の塩は、海水からイオン交換膜でマグネシウムを除去して作られる。単純にいうと、海水を真水に変える装置を使って得る塩である。河童の皮膚にはこの機能が備わっているのではないだろうか。そのために、海水中でも自身の周りに真水の幕のようなものを張ることで生きられるのではないだろうか。
戦後の日本に対するGHQのマインド・コントロールは非人道的なものだが、UFO情報を扱う連中の中には親日の者が何人かいて、気付いた者だけでも対処出来るように暗号を組み込んだのだろうか。
雪男
ヒマラヤで目撃されるイエティという獣人は、日本では雪男と呼ばれ、中国では野人、アメリカではビッグフットなど、世界各地でも同じような人形UMAが目撃されている。雪男はヒグマではないかともいわれているが、世界で目撃される野人すべてが熊とは考えにくい。
そういった目撃証言の中でもっとも有名なものの一つが、ビッグフットを撮影したとされるパターソン・フィルムである。森の中へ歩いていくビッグフットを撮影したもので、一瞬こちらを振り返っているシーンが雑誌などでよく使われる。
このUMAの正体について、最も有名なのがギガントピテクス説である。しかし、この説には決定的な弱点がある。恐らくギガントピテクスは類人猿に近い種なのだが、類人猿は例外なく熱帯地方に住んでいる。従って寒いヒマラヤにギガントピテクスがいるとは考えられない。これは冬のあるアメリカでも同じことで、ビッグフットもまたギガントピテクスとは考えられないのである。
世界中で目撃されるこの獣人の正体について、その答えを見つけたと思われる人物が日本にいた。その名は柳田國男といい、日本中に伝わる伝承を調べた民族学者として名高い。彼はその著書の中で、山人と呼ばれる不思議な人々を紹介している。
山人にもいろいろあるのだが、その中で出産後の女性が発狂して山に入り、ほぼ裸で虫や木の根などを食べて獣のように生きていることがあるという。しかも東北の寒い冬でも平気だという。たまたま見つかった女性が、お年寄りが子供のころに聞いた行方不明の人ではないかと考えられる証言があり、これが事実だとすると百年を超えて生きている山人もいたことになる。また山人は米飯を食べると正気に戻ったという。
パターソン・フィルムに捉えられたビッグフットを考えると、振り返った瞬間に乳房のようなものが見え、メスではないかといわれている。このフィルムは偽物だという証言もあったが、もし仮に偽物だとした場合、メスに見える加工をした動機はなんだったのだろうか。ひょっとしてビッグフットの正体を知った上でフィルムを撮ったのではないだろうか。この映像は偽物であればさらに謎が深まるのである。
それは、世界中で目撃される獣人の正体が、猿人などではなく、正真正銘の人であり、なおかつ出産した後発狂した女性であると、アメリカの当局は知ったからではないだろうか。すなわち、雪男は雪女だったのである。
UFO撃墜の犯人はビッグフットのカインだった
ビッグフットというネーミングにも当局の息がかかっているように見える。フットは単数形のため片足のこととなり、日本の根源神アメノマヒトツを想起させる。パターソン・フィルムでビッグフットがわざと乳房を見せるかのように振り向いた様は、天岩戸の前で裸踊りをしたアメノウズメすなわち猿女の君ともいる。アメノマヒトツとアメノウズメは猿田彦と同一神である。
アメリカの当局は、宇空開発やエイリアンなどの情報操作に記紀神話の象徴を使ってくるが、UMAにも同じ手を使っていると思われるのである。しかし、話はここで終わらない。この書でモルモン經や末日聖徒イエス・キリスト教会を扱った理由の一つに、デビット・W・パッテン(1799~1838)という会員が、ビッグフットらしき人物と会話を交わしている記録(手紙からの引用)があるためである。
「ラバに乗って道を進んでいたとき、ふと気が付くと、わたしの傍らを異様な風体の男が歩いていた。彼の背丈は、ラバに乗っているわたしの肩くらいまでもあった。衣服はまとっておらず、体毛に覆われていた。皮膚は黒かった。
どこに住んでいるのか尋ねると、彼は家を持たず、放浪者であって、あちらこちらを彷徨っているとのことであった。彼は、自分は非常に惨めな人間であって、この世に生きていながら真剣に死を願ってきたが、それが果たせなかった。自分の務めは人々を滅ぼすことであると語った。
彼がここまで語ったとき、わたしは主イエス・キリストの御名と聖なる神権の力によって、彼を叱責し、立ち去るように命じた。すると彼はたちまち視界から消えた。」
この黒い体毛に覆われた巨人は「カイン」であるとされている。その姿はビッグフットそのものであるが、もしこれが事実であるとすると、カインは人類の始まりから今も生きていることになる。本書は聖書の記述が事実であることを念頭に書いているが、今から4500年前に全地球はノアの時代の大洪水で水没し、それまで栄えてきた文明が一度完全に滅んだことを念頭に置いている。
ノアの時代の大洪水以前、どれほどの文明が栄えていたかは不明である。ただ、世界各地で見つかる、オーパーツと呼ばれる高度なテクノロジーの産物を残した文明だとすると、その中には驚くべき武器があったかもしれない。
カインが大洪水以前にあった超ハイテク兵器を持っていたとすれば、もしかすると、UFOを迎撃することも可能だったかもしれない。すなわち、1947年にロズウェルで墜落したUFOは、カインの手によって撃墜させられたものと考えられるのである。
狼男の正体
ビッグフットの正体がカインだとすると、ある伝説の怪物の正体が判明する。それは狼男である。
狼男は満月を見ると変身するといわれている。月はイエス・キリストの象徴である。そして満月を見て変身するというのは、真円を描く月、すなわちイエス・キリストの完全な光すなわち福音を受けて、なおかつそれに背いた人間がなる姿ということになる。
それについて、キリストはこう語っている。
「だから、あなたがたに言っておく。人には、その犯すすべての罪も神を汚す言葉も、ゆるされる。しかし、聖霊を汚す言葉は、ゆるされることはない。
また人の子に対して言い逆らう者は、ゆるされるであろう。しかし、聖霊に対して言い逆らう者は、この世でも、きたるべき世でも、ゆるされることはない。」(マタイ12:31~32)
この罪は、簡単に言えば、命の恩人を喜んで殺すことである。神を信じていてもいなくても、そこまで悪いことはしないというブレーキを人は持っているし、この罪を犯す人間など人生で会う可能性もほぼゼロである。大量殺人犯人すらここまでは堕ちてないようである。
ビッグフットのカインが人につかまることはまずない。そしてなぜカインがそのようなことになったのか。それは彼がこの世に生まれた人間の中で最も賢く、最も神に近かったからだ。人が到達する最も高みからまっさかさまに堕ちたのだ。
もしかすると、日本の国土を荒廃させ、日本人ならびに母国人を大量に殺害した連合国の三悪、すなわち666のルーズベルト、スターリン、毛沢東はカインの弟子だったのかもしれない。
金星神話に隠された地球大災厄(1)金星は巨大彗星だった
金星は一番星や明けの明星、宵の明星といわれ、ひときわ明るく輝く星として知られ、古くから神話の題材に使われている。日本でも記紀神話に金星の影響はみられる。アメノカガセオや、アマツミカボシという悪神が金星ではないかといわれている。
この金星、愛と美の女神ビーナス(ローマ神話での呼称。ギリシャ神話ではアフロディテ)の名を与えられているが、かつては太陽系を荒らしまわった恐るべき破壊星であったことが世界中の神話に記されている。それを著書「衝突する宇宙」で世に知らしめたのが、ロシア系ユダヤ人のイマヌエル・ベリコフスキーである。
金星は誕生した当初は軍神であったが、後に火星が軍神となった経緯がある。ベリコフスキーが古代の伝承から読み解いたところによると、金星は木星(ゼウス)から誕生し、誕生時は長大な尾を引いた超巨大彗星だった。彗星はイオンの尾とダストの尾という二本の尾を持っており、これが牛の角に見立てられていたのだという。
出エジプト記には、イスラエル人がエジプトを脱出した際、血の雨や燃える隕石などが降ってきたという。それに加えてあの有名な紅海が分かれてできた道は、巨大彗星だった金星の超接近によって引き起こされたものといわれる。空には長大な尾を引く金星の姿が見えていたが、不信仰なイスラエル人はそれを神としてあがめ、金星を模した金の子牛を拝むようになった。(出エジプト7~14章、32章)
金星神話に隠された地球大災厄(2)アメノヒボコと金星
日本でも金星の伝説と思われるものがある。古事記では応神天皇、日本書紀では垂仁天皇の項に記されたアメノヒボコの来日伝承である。アメノヒボコの物語には、赤い石と黄牛が出てくる。出エジプトの際、天空にあった巨大彗星が黄牛に見立てられていたとすると、同時に降り注いだ赤い雨と隕石群が赤い石となる。金星は地球上では金色(黄色)だが、星自体は赤い色であることを暗示している。
だが、マリナー計画で撮影された金星の色は雲の白以外は真っ青であった。その説明として紫外線撮影されたためとあるのだが、わざわざそんなことをする必要があったのだろうか。最近では同じ画像は緑色になっており、さらにほかの画像は赤に近づいて行っている。アメリカが金星の色を変えていたのは、アメノヒボコの伝承を理解し、特に日本人に気付かれないようにするためではなかっただろうか。
またアメノヒボコは伝承がほぼ同じ、福井県敦賀の語源となったツヌガアラシトと同一神と考えられており、ツヌガアラシトとは角がある人のことで、同一と考えられているスサノオの牛頭天王も含めて、角のある姿は海外の伝承と同じ金星を象徴していると考えられる。
金星には軍神と愛と美の二つの象徴がある。これは金星がイエス・キリストとサタンの両方の象徴を持っていることと関係があると考えられる。アメノカガセオは、カガセすなわち蛇あるいはカカシの意味であり、アメノヒボコ(クエビコ、アメノマヒトツ)と同じ姿である。これは古代アメリカのケツアルコアトル(羽毛ある蛇)の伝説とも一致している。いずれも同じ姿(金星)でありながら、二つの象徴を持っている。それは万軍の主といわれた旧約聖書の神エホバが、慈愛と贖いの神イエス・キリストと同一であることとも同じである。
「わたしイエスは、使いをつかわして、諸教会のために、これらのことをあなたがたにあかしした。わたしは、ダビデの若枝また子孫であり、輝く明けの明星である」(黙示22:16)
金星神話に隠された地球大災厄(3)金星と酸素
地球大気の酸素が占める割合は20%であるが、かつては30%であったことが琥珀に閉じ込められていた古代の大気などで予想されている。では3分の1の酸素はどこにいってしまったのかというと、その犯人が金星であることが象徴として黙示録に記されている。
また、もう一つのしるしが天に現れた。見よ、大きな、赤い龍がいた。それに七つの頭と十の角とがあり、その頭に七つの冠をかぶっていた。
その尾は天の星の三分の一を掃き寄せ、それらを地に投げ落とした。
さて、天では戦いが起こった。ミカエルとその御使いたちとが、龍と戦ったのである。龍もその使いたちも応戦したが、勝てなかった。そして、もはや天には彼らのおるところがなくなった。この巨大な龍、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経たへびは、地に投げ落とされ、その使いたちも、もろともに投げ落とされた(黙示12:3、4、7~9)。
このサタンの名はルシフェルとして知られ、イザヤ書では金星を象徴する者として記されている。
黎明の子、明けの明星よ、あなたは天から落ちてしまった。もろもろの国を倒したものよ、あなたは切られて地に倒れてしまった(イザヤ14:12)。
1830年九月、ジョセフ・スミスは悪魔の使いの数を預言している。
そして、アダムは悪魔に誘惑された。見よ、悪魔はアダムの前にいた。悪魔は、「わたしにあなたの誉れを与えてください」と言って、わたしに背いた。彼の求めた誉れはわたしの力である。また、彼は天の衆群の三分の一を、彼らの選択の自由によってわたしから背き去らせた。そして、彼らは落とされて、悪魔とその使いになった(教義と聖約29:36~37)。
悪魔は天において神の子の3分の1をそそのかし、神の敵となって神と神の軍勢に戦いを挑んだと言われる。。彼らは敗北し、天界から地獄へ落とされてしまった。悪魔の象徴は金星であり、人の魂を地獄へ誘い落した悪魔が、地球から人が生きるために必要な酸素を奪い取った金星になぞらえられているのである、
金星神話に隠された地球大災厄(4)マナ
出エジプトの後、イスラエルの民が食した謎の食物「マナ」は、いつの間にか地面に降り積もった、砂糖せんべいのようなものであった(出エジプト16:13~36)。また、イスラエル人が目指した約束の地「カナン」は、「乳と蜜の流れる地」と表現されていた。この不思議な現象は、金星によって引き起こされたとすると、金星表面の観測データにその謎を解くヒントがあった。
金星では濃硫酸の雨が降っているという。金星が地球に異常接近した際、この硫酸が地球に降り注いだとしたらどうであろうか。エジプトに降り注いだ血の雨が金星の赤い表土だとしたら、金星の雨が降り注いだ可能性もある。
デンプンを希硫酸と加熱すると、グルコース(ブドウ糖)が得られる。この反応が地球上空で起こっていたとしたらどうだろうか。イスラエル人が渡った紅海は「葦の海」とも呼ばれていた。このことで、実際には浅い海を渡ったのではないかといわれたが、別の象徴を表すためであったかもしれない。
葦はパピルス(紙)の原料である。金星の潮汐作用によって葦の海の葦が巻き上げられ、金星の硫酸雨と反応してグルコースが生成され、地面に降り注いだのがマナだったのではないだろうか。「飴」が「雨」と同じ読みなのは、ここから来ているのかもしれない。約束の地を「乳と蜜の流れる地」と呼んだのは、まさに糖蜜に覆われた土地だったからといえる。
また、金星を表していると見られるアメノヒボコは「天日矛」と書くが、古語拾遺では「海日槍」となっている。また、アメノヒボコにゆかりのある黄牛は「あめうし」と読む。アメノヒボコにちなむ「天」「海」「雨」「黄」の漢字すべてが「あめ」の音節を持っており、すべて出エジプトの奇跡の場所とマナを示す「飴」になっている。
これにアメノヒボコの子孫であるお菓子作りの祖、タヂマモリの命の木を加えれば、イエス・キリストの象徴が姿を現すのである。
金星神話に隠された地球大災厄(5)ゴジラとオキシジェン・デストロイヤー
この象徴は、意識したのか偶然そうなったのかは不明だが、映画ゴジラにも生かされていると思われる。
ゴジラはゴリラとクジラの合成語であり、アメノマヒトツと同一の猿田彦と、これまた同一のエビスともいわれる鯨の象徴が隠されている。ゴジラの声はピアノの弦をこすった音で、弦は鯨のひげでできていることから、声もまたエビスの象徴でもある。
登場当初は破壊神だったが、後に子供の味方にもなったゴジラは、軍神であり慈愛の神であるイエス・キリストを象徴する金星そのものといえる。
オキシジェン・デストロイヤーを作った芹沢博士は隻眼であり、これを使った際に自らも海中で死んでいることから、アメノマヒトツとおぼれ死んだ猿田彦の象徴まで示されている。この兵器も酸素に関係があるものである。
ゴジラの音楽を作曲した伊福部明氏は、鳥取の宇部神社の宮司の子孫である。宇部神社の祭神は武内宿禰であるが、もともとは伊福部氏の先祖である彦多都彦命という人物を祀っていたという。彦多都彦は滋賀県の御上神社祭神アメノミカゲの孫である。また、伊福部という姓は滋賀県の伊吹山の鍛冶・製鉄民と関係があり、アメノマヒトツの象徴がある。
ゴジラの敵キングギドラは金星文明を滅ぼした怪獣という設定だった。造形された当初は青色であったが、女性スタッフの「金星から来たので金色だと思った」の声が反映されて金色になった経緯がある。
聖徳太子や弘法太子の逸話の中など、日本の歴史においてもたびたび金星は登場している。また、いつの時代でもイエス・キリストや金星の象徴を持つ妖怪や怪獣を生み出す素養を、日本人は持っているのではないかと思うのである。
ホヤウカムイ
アイヌの伝説で、日高地方に住むといわれたホヤウカムイという怪物がいる。その姿は俵のような胴体に蛇のような尾と頭で、羽があるという。ステゴサウルスやディメトロドン、エダフォサウルスのような姿を彷彿させる。注目すべきはこの怪物の特徴である。
非情な悪臭で、その臭いのために草木は枯れ、怪物の風下に人がいると体毛が抜け、皮膚がただれるという。まるで放射能の怪獣ゴジラである。しかも、ゴジラの背びれのモデルはステゴサウルスである。
これらの恐竜の背びれは、未だに何のための器官か分かっていないが、血管が通り、大量の血液が流れていたことは分かっている。背中の帆の血液が雷撃を生むことができ、放射線を発していたとすれば、北海道にかつてステゴサウルスなどがいて、アイヌ人はその怪物と遭遇していたことになる。背びれはないが、ガメラに出てきた冷凍怪獣バルゴンの虹光線に似ているともいえる。
そしてその悪臭は河童(ミンツチ)と同じもので、もしかすると共生しており、河童が尻子玉を納める龍神をステゴサウルスに見立てていたのかもしれない。洞爺湖にすむホヤウカムイは亀に羽が生えた姿といわれ、疱瘡神を退けたという。疱瘡神と戦った伝説を持つのがミンツチで、やはりこの二つの怪物はセットであるといえる。洞爺湖の場合は草食のエダフォサウルスなのかもしれない。
デメテルとペルセポネ
ギリシャ神話と記紀神話には共通点が多く、遠く西洋から日本に民族的・宗教的な伝播があったことが伺える。その中の一つであるデメテルの神話を取り上げたい。
デメテルはギリシャ神話に登場する豊穣神であり、主神ゼウスと海神ポセイドンの姉であった。デメテルはゼウスに無理強いされて子供を作らされ、ペルセポネ(コレ)という娘を生んだ。デメテルはゼウスに好感を持っていなかったが、ペルセポネには深い愛情を抱いていた。
そのペルセポネは冥界の王ハデスに冥府へと連れ去られてしまう。行方を探すデメテルは女神ヘカテに相談する(ヘカテは月の女神アルテミスと従妹のため、月の女神であるともいえる)。ヘカテはハデスが犯人だと告げるが、ハデスを信頼するデメテルは、地上のことは何でも知っているという太陽神ヘリオスに確認を求めた。
ヘリオスはゼウスがこの誘拐に加担していると告げ、これを聞いたデメテルはゼウスに抗議する。ゼウスは、ハデスならペルセポネにふさわしいだろうと言うが、これに激怒したデメテルは老女の姿となり、天界を去って地上を放浪する。その間、地上は荒廃してしまった。
ゼウスは虹の女神イリスを送り、デメテルの説得を試みるが、デメテルはそれでも怒りを解かなかった。しかし、ペルセポネの帰還と引き換えに、豊穣神の役割を果たすと答えた。ゼウスはデメテルの意向をヘルメスを通じてハデスに伝え、ペルセポネは地上に帰還することとなった。喜んだデメテルは再び地上に実りをもたらした。
しかし、ハデスは別れ際にペルセポネにザクロを勧め、彼女は十二個あったうちの四つ(あるいは六つ)を食べてしまっていた。冥府の食べ物を食べた者は冥府に留まらなければならないという掟があり、デメテルの講義も実らず、ペルセポネは食べたザクロの数だけの月を冥府で過ごすことに、つまりハデスの妻となった。
ザクロの身を食べたことが知れたのは、アスカラポスという冥府の庭師の告げ口であったことから、デメテルは冥府の入り口付近で彼の上に大岩を置いて閉じ込めた。また、ペルセポネが冥府で過ごす間は地上に実りをもたらすことをやめ、これが冬の起源となったという。
デメテルは地上を放浪する間ポセイドンに求愛されたが、デメテルが雌馬に変身して隠れていたのを、ポセイドンは牡馬に変身して交わり、名馬アレイオンと娘デスポイナを生んだといわれる。しかし、デメテルの怒りは凄まじく、怒りと復讐の女神エリニュスと呼ばれたほどであった。
あるいは、デメテルは求愛するポセイドンに最も美しい地上の生物を贈るように要求し、それによって創造されたのが馬だともいわれる。
デメテルと記紀神話
デメテルとペルセポネの神話は、イザナミや天照大神とスサノオの神話と非常によく似ている。スサノオは海の神と冥府の神の両面があり、ハデスとポセイドン、さらにヘラクレスを合わせたような存在である。
デメテルが地上をさまよう間に起こった荒廃は、天照大神が岩戸に隠れて起こった災厄にも似ている。岩戸隠れの際に相談を受けたのがオモイカネだが、その属性はヘカテにも見られる。
ポセイドンの求愛の際に鍵となる馬は、スサノオが天照大神に対して行った馬を落とすという行為との共通点が見られ、怒りの神エリニュスは怒りの形相を浮かべる馬頭観音に関連があるように思われる。
ペルセポネのザクロと冬の起源に黄泉を岩で封じた話は、カグツチによって死んだイザナミをイザナギが黄泉の国に迎えに行くも、ブドウや桃を投げ、結局岩で封じたことと似た点がある。
卑弥呼の時代、日本列島は温暖で冬がなく、年中生野菜を食べていたと魏志倭人伝に記されている。卑弥呼が天照大神やイザナミと同一だとすると、卑弥呼の死は天照大神の岩戸隠れやイザナミの死と同じ出来事となる。ペルセポネの冥府降りと冬の発生の神話を記紀の編者が記紀に盛り込んだとすると、日本列島に冬が来るようになったのは卑弥呼の死後ということになる。
鬼太郎ファミリーと邪馬台国
鬼太郎と目玉の親父はアメノマヒトツの姿そのものである。鬼太郎は一つ目で虎柄のちゃんちゃんこ、髪の毛のアンテナは鬼の姿となる。下駄ばきは唐傘お化けと同じである。
鬼太郎が乗る一反木綿の木綿を「ゆう」と読むならば、鬼太郎が着ている青い服と合わせると、天岩戸の前に置かれた榊と同じになる。
天岩戸の前に置かれた榊に八咫の鏡とともに二つの布が掛けられていた。古語拾遺によると、一つはこうぞの一種の穀でできた木綿の白和幣といい、もう一つは麻布の青和幣であった。白い布の一反木綿に乗った青い服の鬼太郎の姿と重なるのである。
鬼太郎の仲間である一反木綿は鹿児島県、塗壁は福岡県や大分県、子泣き爺は徳島県、砂かけ婆は奈良、兵庫、滋賀県の妖怪である。鬼太郎は一眼一足法師なら滋賀県である。
鬼太郎ファミリーの出身地は倭国(邪馬台国)の版図と一致している。ぬらりひょんを豊城入彦とすると、西の邪馬台国と東(魏志倭人伝では南)の狗奴国との対決が浮かび上がるのである。この対峙はあとがきで記すが、日本建国のルーツにかかわる最大ともいえる謎解きになっているのである。
一反木綿は人の姿をしていないのでその他の妖怪とは趣が違うが、鬼太郎が乗り物として使っているところと、伝承地の肝付町にロケット打ち上げ場があることから、UFOやスカイフィッシュのようなスペースクラフトを感じさせる。
塗壁は道の前に立ちふさがるものを出現させる狸の仕業といわれる。ところが、平成十九年八月、興味深い発表があった。川崎市市民ミュージアムの学芸室長(当時)、湯本豪一氏所有の「化物づくし絵巻」(享和二年、狩野由信と奥書)に収録されている妖怪画のひとつが「塗壁」の絵として発表された。
もともとこの絵は名前が記されていなかったが、発表前の一月に、アメリカ合衆国のユタ州にあるブリガム・ヤング大学のハロルド・B・リー図書館に寄贈されている妖怪画(L・トム・ペリー・コレクション)の妖怪と同じであると分かった。
この絵に「ぬりかべ」と記載があったことから名前が判明した。どちらの「ぬりかべ」の絵も、三つ目の獅子か犬のような姿が描かれている。水木しげる氏は貴重な資料として喜びのコメントを寄せている。
ブリガム・ヤングはジョセフ・スミスの次の大管長である。個人的な感想だが、彼が創設したブリガム・ヤング大学で貴重な妖怪の絵が発見されたことは、モルモン經と妖怪の深いつながりを感じるのである。
爺婆と卑弥呼
子泣き爺の重くなるなどの特徴は、産女が抱かせる赤子に似ている。それが石地蔵であったという伝承もあることから、猿田彦のイメージにも重なるのである。そうすると、徳島県の河童であるシバテンと同一の存在なのかもしれない。
近年話題になった小さいおじさんは、見かけは子泣き爺そのものである。知人の目撃談によると、スマホで撮影したのに映っていなかったという。この目撃談や、子泣き爺と産女の重力を変化させるまたはそのように感じさせる能力を考えると、河童の持つプラズマ能力によるものではないだろうか。
砂かけ婆は狸の仕業という伝承が多いが、滋賀県の草津市では砂ほり婆(ほりは投げると同じ意味)という老婆の話が伝わっており、そういう人間をモデルにしているようである。滋賀県における砂かけ婆の伝承は、草津、栗東、八日市であるが、アメノヒボコ、アメノマヒトツ、イシコリドメのゆかりの地で、鋳物に深いつながりのある土地である。
鋳物の鋳造に必須なものの一つに砂がある。八日市では川から何者かが砂を投げつけてきたという。老婆と砂と鋳物と来れば、まさに鏡を造ったイシコリドメである。砂かけ婆は姿を見た者がいないが、なぜか老婆といわれている(これは小豆とぎなどの妖怪と同じなのだが、小豆とぎは塗壁とともに現れるともいわれる)。誰も姿を見たことがなく、鏡を造る老女といえば、それは卑弥呼である。
子泣き爺と砂かけ婆はまるで夫婦のように見えるが、それは鍵穴を通るような小さい大物主とヤマトトトヒモモソヒメの夫婦や、石地蔵の猿田彦とアメノウズメのコンビを彷彿させるのである。
件(くだん)
顔が人間で体が牛の件という妖怪が報告されている。生まれて預言するとすぐに死んでしまうという。日本で日常的に件という言葉が使われている点で、この妖怪はかなり特殊なケースといえる。
件だけでなく、妖怪は何かしらの預言をする存在といえる。記紀に記されている妖怪のような存在は、政変や災害の際に現れている。いわば人に警告を告げる存在である。現代でも、口裂け女、トイレの花子さん、走る二宮金次郎像、動く人体模型、人面犬など次から次へと妖怪が生まれているが、これらは何らかの警告のために登場したのかもしれない。
妖怪がイエス・キリストの化身であると、これまで考察してきた。その大きな特徴の一つが預言であるなら、預言の本質についても記す必要があるのではないだろうか。日本人は預言および預言者というと、未来に災害が起こることを告げるものと考えている。しかし、これは大きな間違いである。
預言とは、イエス・キリストが神の御子であり、死と復活、贖いが真実であるという証言のことである。未来のことを告げるのは、そのほんの一側面に過ぎない。それどころか、預言には現在と過去の真実も含まれていることを、誰も理解していないのではないだろうか。
過去を知ることは、未来を知ることと同じである。未来予知ばかりでイエス・キリストの福音に何も注意を払わない自称預言者は、詐欺師と大して変わらないのである。重要なのは過去である。聖書もモルモン書も過去の記録である。裁判などでは過去の事実が絶対に必要なのは明らかであるように、人が未来を生きるためには過去を知ることが最重要なのである。
また預言は物事が起きてから真理を理解するように記されている面がある。後で気付くようになっているのである。重要なのは、未来に起こる災害を知ることではなく、神の愛と霊の救いを知ることなのである。
天邪鬼
天邪鬼の物語は残酷な面が強調されることが多いが、これは預言といえるものなのである。瓜子姫と天邪鬼の話が有名だが、戸の前から呼びかけて隙間に指を一本ずつ入れさせ、最後には家の中に侵入して瓜子姫を殺し、皮をかぶって成りすますという陰惨なキャラクターとして描かれる。
この行為、姫が自分で戸を開けなければ中に入ってくることはなかったという、道徳的な意味合いを持たせてある。すなわち、自ら悪魔の誘惑に身を委ねるのでなければ、悪魔は人を支配することはできないという、キリスト教の教義と同じである。
天邪鬼のルーツは、四天王に踏みつけられる煩悩の象徴としての鬼が、中国の水鬼の河伯に由来し、呼び名は同じ水鬼の海若(かいじゃく、あまじゃく)にあるという。それが日本古来の天邪鬼と習合していったものである。
河伯は河童のことであるが、これまで見てきたように、踏みつけられる鬼と河童はイエス・キリストのことである。日本古来の天邪鬼は、イエス・キリストの象徴を持つ天雅彦に由来していることからも、それが分かるのである。また、スサノオが吐き出した猛気の化身、天逆毎という女神も天邪鬼のルーツとされ、イエス・キリストが日本において卑弥呼などの女性の象徴を持つ一つの形が現れている。
また、天邪鬼は各地でダイダラボッチと同じような妖怪として語られている。天邪鬼一人でオオナムチとスクナヒコナの象徴を持っている。さらに、天邪鬼という名前、天にいた邪な鬼という意味である。それはまさに、ノストラダムスの預言で解読した、天から落ちた偽りの大王のルシフェルと同じなのだが、金星と同じくイエス・キリストと悪魔の両方の象徴を持っていることも見出せるのである。
瓜子姫が天邪鬼の誘惑に負けて戸をあけてしまった場面、天邪鬼が邪心のないイエス・キリストとして戸を叩き、瓜子姫が罪への誘惑ではなく信仰をもって戸を開けたという、逆もまた真なりの象徴で読み解いた場合、イエス・キリストの言葉がぴったり当てはまるのである。
「見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。」(ヨハネの黙示録3:20)
屁の河童
河童には三つの肛門があるという。それにちなんでかは分からないが、「屁の河童」という言葉もある。河童がイエス・キリストの化身であることを考慮すると、もっと深い意味があるに違いない。
これらの言葉の意味を考えると、イエス・キリストの十字架刑の、臀部に刺さる鈎針に行き当たる。十字架刑の際、昼の十二時から三時間に及ぶ暗闇があった(マタイ27:45、マルコ15:33、ルカ23:44)が、モルモン經によると、アメリカ大陸ではすさまじい暴風雨と大地震、巨大な隕石など恐ろしい大破壊が三時間続いたとある(ニーファイ第參書8章)。
十字架上の左右の臀部に空いた釘跡を肛門と見なせば三つの肛門があり、世の基準で人々を混乱させたという罪状で刑を受け、暴風雨を招いた苦しみは、河童の雨乞いの昔話そのものである。しかし、イエス・キリストの本当の苦しみは十字架ではなかったのである。
十字架につけられる前、イエスはゲツセマネと呼ばれる園で人類すべての罪を負われた「贖い」の苦しみを受けられていた(ルカ22:39~44)。誰もイエスの贖いを、本当の意味で知ることは不可能である。イエスはその苦しみをこのように証している。
「その苦しみは、神であって、しかもすべての中で最も大いなる者であるわたし自身が、苦痛のためにおののき、あらゆる毛穴から血を流し、体の霊の両方に苦しみを受けたほどのものであった。そしてわたしは、その苦い杯を飲まずに身を引くことができればそうしたいと思った。
しかしながら、父に栄光があるように。わたしは盃を飲み、人の子らのためにわたしの備えを終えたのである。」(教義と聖約19:18~19)
この世の考えでは、イエスは人々に裏切られ、痛めつけられ、苦しめられた末に殺され、儚い人生を送ったように見えるかもしれない。しかし、イエスがこの世に来た目的は、自分自身が豊かで幸福な人生を送るためではなかった。
「見よ、人の不死不滅と永遠の命をもたらすこと、これがわたしの業であり、わたしの栄光である。」(モーセ1:39)
追い出された鬼の預言
鬼がイエス・キリスト、またはその民の象徴だとすると、追い出された様子がモルモン書に預言されている。そこには追い出されることと同時に、彼らが帰ってくることも示されている。追い出した側の民を聖典は異邦人や見知らぬ民と記しているが、豊城入彦とその末裔である藤原氏に見立てると、確かにそのまま当てはまるのである。
「我と天父との事を異邦人に證する聖靈の爲に我を信ずる異邦人は、其信仰の故に福なり。
天父言ひ給へるは、イスラエル家よ、汝等は不信仰なるに引替へて、異邦人は我を信ずるなり。然れば末の日異邦人は眞理を授けらるゝに因り、我敎をも完全に示さるべし。
されど異邦人の中、信ぜざる者共は禍なり。異邦人此地に來りてイスラエル家に緣ある我民を散し、己が所より之を逐出し、足の下に之を蹂み躙りし後、
天父異邦人を憫み給ひて、イスラエル家に緣ある我民を罰し給ひし後、又われ我民を打惱まして殺さしめ、異邦人の中より之を逐出さしめ、且異邦人にも之を憎ましめて異邦人の笑種とならしめ其口の端にかゝらしめし其後、
若し異邦人が我福音に對して罪を犯し、他の諸の民或は全世界の人々にも增て心驕り、樣々なる虛言、詐僞、惡事、僞善、殺害、祭司の賣敎の罪、淫行、又秘密なる憎むべき行等をなして、我完全なる福音を否む時あらば、天父の言ひ給ひし如く、「我は我完全なる福音を彼等の中より取り去りて、
而して我民なるイスラエル家に立てし誓約を履み行ひて我福音を我民に傳へん。
又イスラエル家よ、其時我は異邦人に最早汝等を治むるの權能なきことを明に汝等に示し、我が曾て汝等に立てし誓約を履み行ふべければ、汝等我福音を其完全なる儘に知るに至るべし。
然れども異邦人若し悔い改めて我に立ち歸らば、我民なるイスラエル家の中に數へられん。」(ニーファイ第參書16:6~13)
トイレの花子さん
トイレの花子さんは、1980から1990年代にかけて、全国で広まったトイレのお化けまたは妖怪(の噂)である。白い上着に赤い吊スカートをはいたおかっぱ頭の女の子で、女子トイレの三番目に現れるというのがポピュラーなイメージである。
いろいろなバージョンがあるが、ある法則に基づいて出現し、恐ろしいことが起こるという。さまざまな漫画やアニメ、映画にもなったが、学校の怪談の主要キャラとして今でも語り継がれている。
これまで見てきた妖怪の姿から結論を出せば、トイレの花子さんは河童そのものである。トイレは水辺である。昔からトイレ(厠)には河童が潜み、女子にいたずらや危害を加える逸話が残っている。赤い服なので平家(女性)の河童ともいえる。
丹塗り矢伝説といわれる、厠(川の上にあったトイレ)で用を足していたセヤダタラヒメのもとに、矢に化けた大物主が流れてきて女陰を突き、懐妊させる話が古事記にある。生まれた娘のイスケヨリヒメが後に神武天皇の后となるのであるが、セヤダタラヒメは卑弥呼と同一であると考えられる。
イスケヨリヒメが卑弥呼の後継ぎとなった台与と同一とすれば、神武天皇はやはり豊城入彦とヤマトタケルとなり、妻が生贄となる運命が待ち受けていることになる。その生贄はイエス・キリストの犠牲と同じとなる。
トイレの花子さんがなぜ子供たちの中で語られるようになったのか。花子さんの話を怖がり、一人でトイレにいけない女子が多かったとすればどうだろうか。トイレで襲われる女子の事件がかなり多くある。花子さんのおかげで被害が減ったすれば、それは預言によって守られたことになる。
子供たちを守るトイレの神とは、イエス・キリストに他ならないのである。
動く人体模型
学校の理科室はなぜか恐怖スポットの様相を見せている。誰も見たことがないと思うのだが、人体模型や骨格標本がしゃべったり動いたりするという。人体模型に関しては作りものであるが、骨格標本は学校によっては本物の人骨であるかもしれない。医療系の学校では本物を使うことは当然である。
仮に学校の人体模型や骨格標本が本物であるとして、それを怖がるのは実は間違っているのである。加えて、墓場を怖がるのもおかしいのである。人体模型は人が人を正しく知るための最高の資料であり、墓場は自分の大切な家族が眠る場所である。怖いというより神聖なもの、場所なのである。
そしてそれらが動き出すということは、恐怖の頂点ではなく、至高の祝福なのである。旧約聖書のエゼキエル書にこう記されている。
主の手がわたしに臨み、主はわたしを主の霊に満たして出て行かせ、谷の中にわたしを置かれた。そこには骨が満ちていた。
彼はわたしに谷の周囲を行きめぐらせた。見よ、谷の面には、はなはだ多くの骨があり、皆いたく枯れていた。
彼はわたしに言われた、「人の子よ、これらの骨は、生き返ることができるのか」。わたしは答えた、「主なる神よ、あなたはご存じです」。
彼はまたわたしに言われた、「これらの骨に預言して、言え。枯れた骨よ、主の言葉を聞け。
主なる神はこれらの骨にこう言われる、見よ、わたしはあなたがたのうちに息を入れて、あなたがたを生かす。
わたしはあなたがたの上に筋を与え、肉を生じさせ、皮でおおい、あなたがたのうちに息を与えて生かす。そこであなたがたはわたしが主であることを悟る」。
わたしは命じられたように預言したが、わたしが預言した時、声があった。見よ、動く音があり、骨と骨が集まって相つらなった。
わたしが見ていると、その上に筋ができ、肉が生じ、皮がこれをおおったが、息はその中になかった。
時に彼はわたしに言われた、「人の子よ、息に預言せよ、息に預言して言え。主なる神はこう言われる、息よ、四方から吹いて来て、この殺された者たちの上に吹き、彼らを生かせ」。
そこでわたしが命じられたように預言すると、息はこれにはいった。すると彼らは生き、その足で立ち、はなはだ大いなる群衆となった。
そこで彼はわたしに言われた、「人の子よ、これらの骨はイスラエルの全家である。見よ、彼らは言う、『われわれの骨は枯れ、われわれの望みは尽き、われわれは絶え果てる』と。
それゆえ彼らに預言して言え。主なる神はこう言われる、わが民よ、見よ、わたしはあなたがたの墓を開き、あなたがたを墓からとりあげて、イスラエルの地にはいらせる。
わが民よ、わたしがあなたがたの墓を開き、あなたがたをその墓からとりあげる時、あなたがたは、わたしが主であることを悟る。(エゼキエル37:1-13)
人は死から蘇り、再び肉体を纏う。これは預言である。日本の怪談に骸骨や墓場の亡者が登場するのは、この預言からきているのではないだろうか。
口裂け女
口裂け女は、「私きれい?」と問いかけてマスクをとると、口が裂けていたという姿で知られる。1979年の春から夏にかけて騒動となった。福島県郡山市、神奈川県平塚市ではパトカーが出動する騒ぎとなり、北海道釧路市、埼玉県新座市では集団下校が行われるなどした。噂の出所は岐阜県だとされている。
口裂け女の苦手なものはベッコウアメとポマードだというが、これは銀座のホステスが客とやっていたゲームがルーツだという。口を覆ったホステスが客に「私きれい?」と尋ね、客は「ベッコウアメ」や「ポマード」と答えなければならないルールがあったという。
明治時代中ごろの滋賀県南部、信楽に住む「おつや」という女性がルーツであるともいう。夜中に恋人に会いに行くため、護身のためにザンバラ髪の頭にろうそくを立て、おしろいを塗ってにんじんを加えた姿で山越えをしていたのを見た人の証言が口裂け女になったという。岐阜県にも同じ姿をした女性がいたという。
90年代に噂となったときには、整形手術に失敗した女性が、その口を隠すためにマスクをしているという条件になっている。女性の美と男性への恋慕にかかわる妖怪であるとすれば、歯黒べったりという妖怪に似ている。
歯黒べったりは「嫁にもらいますよ」と言うと消えるという。また、かつて既婚のアイヌ女性がしていた刺青に、口裂け女に見えるものがある。こちらも結婚にかかわるものである。口裂け女は、女性にとって美貌や結婚が、幸福の第一条件という風潮の中で出現したものなのだろうか。
しかし、出現場所は学校の登下校の道で、相手は主に小学生である。若い男の前に出現するなら色恋沙汰の妖怪といえるが、そうではない。この噂もまた預言だとすればどうだろうか。その謎を解く鍵は、ホステスのゲームがルーツの逃避条件である、ベッコウアメとポマードにある。
口裂け女のうわさが発生した1979年前後、日本史上最悪の連続殺人事件が起こっていた。推定22人を殺害した(断定は8人)勝田清孝事件である。女性の被害者の多くがホステスであり、勝田がホステスの所持金の多さ(当時)に目を付けたことによるものである。同じ時期、佐賀県でも7人の女性が連続して殺害されているが、未解決のままである。
口裂け女の時代に小学生だった人たちは、現在自分の子供が同じ年齢となっている。当時から現代まで、事件や事故で登下校中に命を落とす小中高生は後を絶たない。事件が起これば集団登下校が行われているが、口裂け女の噂は事件が起こる前に警戒態勢に入ることから、この妖怪もまた子供たちの命を守るために出現したともいえる。
トイレの花子さんも口裂け女も、不幸な目にあった女の霊という設定である。それはお岩さんやお菊さん、かさねにも似ており、いずれも恐ろしさと悲哀が共存した鬼や妖怪である。そして口が裂けているのは蛇女神であることの証であり、天照大神とイエス・キリストにつながるのである。
人面犬と小さいおじさん
これは件にも通じる養家であるが、顔(頭)が人間で体が犬という妖怪である。1989~1990年に噂となった。顔は中年男性のようだったともいい、「ほっといてくれ」や「うるせえ」などと言ったともいう。また、高速で走る、6メートルもジャンプするなどの身体能力が報告されている。
この目撃証言が本当かどうかはわからないが、本当だとすると、この人面犬の正体が判明いするのである。それは河童である。河童が四つん這いでいて、犬がいるような場所に現れれば犬と思い込むかもしれない。
本書では河童が実在の生物であり、プラズマを使用した催眠術を用いることもできるとみなしている。目撃した相手に人語を話していると思わせる能力を持ち、高いジャンプ力を持ち、文字通り飛ぶように走ることができるのである。
これは小さいおじさんやフライング・ヒューマノイド、モンキーマンという妖怪と、同じものではないかと思われるのである。人面犬が中年男性の顔だというなら、小さいおじさんも同じである。しわの多い顔ならモンキーマンである。トイレに出れば花子さんであり、昔の家に出れば座敷童となる。
今のところ、こういった妖怪(生物)は人を殺すほどの危害は加えないようである。それというのも、鬼の子小綱で語られた、鬼よりも人のほうが残酷という皮肉から、凶悪犯罪を警告する立場にいるようなのである。
人面犬が生まれたという話は、19世紀初頭(江戸時代後期)によくあった。それだけではなく、実話として様々な怪異が語られるのもこの時代である。うつろ舟の夷女の瓦版もあった。明治維新の直前、日本はなぜか百鬼夜行の様相を見せていた。
同じ時期の欧米諸国を見ると、近代化が押し進められ、法律や科学技術などが飛躍的に発展し、近代国家の礎ができつつあった。それと比べてなんと日本の不思議なことだろうか。だが、この不思議は、稗田阿礼とそっくりなジョセフ・スミスの登場と時期が重なっているのである。
妖怪が予言であるとすれば、江戸時代後期の妖怪はモルモン經の出現を予告し、現代の妖怪はさらに範囲を広げ、世界の謎を解き明かす予兆なのかもしれないのである。
覺(サトリ)と河童、箕借り婆
覺(サトリ)という山の妖怪は、山でたき火をしていた人のところへやって来て、人の心を読んで言い当てるという場面がよく知られている。
その人はサトリが心を読むので恐れ慄いていたが、最後にたき火の熾(お)き(竹など)が突然爆(は)ぜてサトリに当たり、人間は考えてもいないことをすると言って逃げていく場面で終わる。
中国の正月に当たる春節では爆竹を鳴らすが、これはサトリの話とルーツを同じにするようである。山魈(サンショウ)という一本足の山の怪で、人の心を読むことはないが、遭遇すると高熱が出て死に至るという。それが春節の時期に山から下りてくると信じられ、恐れられていた。
サンショウは杣人が燃やしていた竹が爆ぜたのを驚いて逃げて行ったことから、春節に爆竹を鳴らすルーツとなっている。サンショウは山繅(サンソウ)という越人の怪と同一とされ、日本の山童(やまわろ)と同じとされる。山童は山に入った河童のことであるので、サトリは河童と同一ということにもなる。
サトリが河童と同一であるという推理に、月刊ムーに投稿された一つの不思議体験を紹介、分析したい。それは2017年7月号の8、9ページの記事である。
投稿者Kさんは静岡県函南町に流れる柿沢川を撮影した写真をムーに投稿してこられた。川には何か不思議な生物らしきものが写っている。Kさんは川にある別の被写体を狙ったのだが、スマホカメラのシャッターを押した瞬間に「バシャッ」という音を聞いて驚いた。画像には謎の生物の姿が写っており、狙いの被写体の手前で水に潜って波紋を広げていた。
記事にも暗に示されていたが、この生物は河童で、シャッターを何気なしに押したために写されてしまったものかもしれないのである。つまり、その気がない状態で爆ぜた燠と同じく、シャッターに驚いた生物、つまり人の心を読むことの出来る河童なのではないだろうか。
サトリの正体
サンショウ(サトリ)を追い払うのが春節(正月)と何の関係があるのだろうか。来ないようにするという意味では、一つ目小僧と箕借り婆(みかりばば)が似ている。
関東地方において、この二つは事八日(ことようか:十二月八日と二月八日)にやって来るという。一つ目小僧は家の不用心や行儀の悪さを調べて疫病神に知らせに行くといい、箕借り婆は人の目や箕を借りて行ってしまうという。この二つは一緒に来るともいう。
一つ目小僧除けとして火で形代(仮の祠、神像など)を燃やし、箕借り婆除けは、苦手な籠を竿に立てて掲げておく習慣があった。(籠)目が多いので恐れるという。
かつて事八日は物忌みともいって、仕事をせずに家にこもっていることが多かった。千葉県南部では物忌みを「ミカワリ」や「ミカリ」と呼んでおり、兵庫県や徳島県でも「ミカリ」の表現が使われているところもある。
箕借り婆の語源は「身代わり」ではないだろうか。そして一つ目小僧と箕借り婆が一緒に来るのは同一の存在だからではないだろうか。その苦手なものは籠と火であり、いずれも目を痛めることを恐れている鍛冶の神の姿である。
サンショウ(サトリ)と一つ目小僧、箕借り婆は同じものではないだろうか。籠と火なら爆ぜた竹と同じで、一つ目であるのも同じである。そして人々に避けられ、嫌われているのも同じである。
ここからその正体を絞ると、婆なので女性でもあり、火が苦手である点が挙げられる。さらに、春節はかまどの神を祝うためである。かまどの神を祝うのにサンショウ(箕借り婆)を避けるのは、この妖怪がかまどの神カグツチによって死んだイザナミであることを示している。
イザナミは女陰が焼けて死んだが、これは正月の鏡割りと同じでもある。鏡割りは火箸で甲羅を割る亀卜(きぼく)と同じとすると、河童の皿や甲羅を割ることでもある。鏡割りは大歳神の祀りごとであるが、大歳神は笠地蔵の化身として現れるが、地蔵は女でもある。つまり、サンショウやサトリ、一つ目小僧、箕借り婆は女の河童となり、乙姫となる。
すると乙姫が授けた玉手箱の煙が爆竹と同じになり、春節の爆竹は離縁と死を意味することになる。乙姫と同一のかぐや姫の遺した不死の仙薬も燃やされたが、これもまた死の象徴なのである。
爆竹や籠目で避ける妖怪の正体は、身代わりによって死んだ後、不死をもたらす神イエス・キリストである。イエス・キリストはサトリと同じく人(の心)を知る力を持っていた。それは聖典に随所に記され、神の力そのものでもある。
サトリが思いもしなかったことによって逃げていくことは、ガジュマルの例えで示したように、イエス・キリストの教えがまったく違うもの(西洋キリスト教)にすり替わっていたことを示しているといえないだろうか。確かに誰も思いもしなかったことではないだろうか。それは誰もがその家の主人だと思い込んでいるぬらりひょんや、神武天皇の豊城入彦にも通じるのである。
妖怪に例えられたキリストを拒むことは、ニニギが妻であったイワナガヒメの祝福を失ったことと同じことであり、ニニギと同一人物の浦島太郎が玉手箱の煙によって死んでしまったことになぞらえられている。
日本人は卑弥呼の時代、いやそれよりも遙かな古代から、イエス・キリストの福音と預言を妖怪や鬼に例えて伝えてきたのである。
日本人と預言
ノストラダムスといえば1999年の預言である。日本で非常に大きな話題になったが、彼は日本を特に意識していたのではないかと思われる。日本人もまた預言者というとノストラダムスを思い浮かべる。
預言はイエス・キリストが神の子としてこの世に生まれ、十字架上で死に、三日目に復活したことが真実であることの証言である。預言というと、未来予知のことばかり連想されるが、預言といえばイエス・キリストのことなのである。未来予知だけを売りにする自称預言者はすべて詐欺師といっても過言ではない。
そしてもう一つ、預言は自分に当てはめて考えるものであることを知る必要がある。「歴史を学ぶのではなく、歴史に学べ」というように、「預言に学ぶ」のである。
また、ノストラダムスはモルモン經について知っていた節がある。ノストラダムスの預言は聖書(特にイザヤ書)と並んで、モルモン經を読むことで理解できる面があるのである。
モルモン經の預言者ニーファイは、次のように勧めている。
我は又モーセの書に記せる多くの事をも讀み聞きせしが、其贖主なる天主を信ずべきことを更に切に勸めん爲、預言者イザヤの書き述べし事共を彼等に讀み聞かせ、又我等の利益と學問との爲、總の聖文を己等に擬へたり。(ニーファイ第壹書19:23)
預言とは未来の災害を知ることではなく、罪から救われる証と知識を得ることである。預言者が発する警告とは、罪のもたらす悪影響であって、災害から逃げるだけの短絡的なものではないのである。
ノストラダムスの1999年の預言は、日本人に向けて書かれたものと思われる。日本人が最も敏感にこの預言に反応したからであり、内容もまた日本人に当てはめられるものが見出せるのである。
1999年の預言
L'an mil neuf cens nonante neuf sept mois
Du ciel viendra un grand Roi deffraieur
Resusciter le grand Roi d'Angolmois.
Avant apres Mars regner par bon heur.
1999年7の月(太陽暦では8月)
天から落ちし偽りの大王
アンゴルモアの大王をよみがえらさんと
火星は平和の名のもとに支配せん
この預言、もはや思い起こす人も少ないかもしれない。しかし、預言とは物事が起こった後で理解することが重要だということを知っておく必要がある。しかもこの預言は翻訳が間違っており、誰もが天から何かが降ってくるものだと考えていたことが問題である。
また預言は各個人に当てはめることも重要である。そしてこれが最も重要なことであるが、預言とはそもそもイエス・キリストの死と復活、贖いを証するものであり、これに結びつかないものは民を惑わすだけの虚言に過ぎないのである。
この前提をもとに、1999年に起こった出来事からノストラダムスの預言を考察した場合、いくつもの教訓を得られるのである。
偽りの大王
「天から落ちし偽りの大王」とは、特に聖書のイザヤ書に預言されている悪魔であり、あらゆる偽りの父である「天から落とされた暁の子ルシフェル」(イザヤ14:12)を指している。これまでこの預言は「恐怖の大王」と表現され、天から何か落ち、災いが起こると解釈されてきたが、それではほかの言葉の意味まで分からなくなるのである。
イザヤ書ではこのように記されている。
「黎明の子、明けの明星よ、あなたは天から落ちてしまった。もろもろの国を倒した者よ、あなたは切られて地に倒れてしまった。」(イザヤ14:12)
モルモン經のニーファイは同じ言葉を次のように記している。
「朝の子ルセパよ、嗚呼、汝は天より堕落せるか。國々を弱めし者よ、嗚呼、今汝は地に切落されたるか。」(ニーファイ第貮書24:12)
ニーファイの父リーハイは、この悪魔について次のように説明している。
「我リーハイ自ら讀みし所に據て考ふるに、書き記せる如く神の使者の一人天より堕落せしが、神の御前に惡を求めし故遂に惡魔と成れりと信ぜざるを得ず。
此使者天より堕落して永久に薄命なるものと成り果てければ、人間の亦薄命とならんことを求めき。故に此堕落使者即ち一切の僞を生む親たり惡魔たる彼昔の蛇はエバを誘ひて言ふ『禁制の實を食へ。之を食はば死すること無かるべく、却て神の如く成りて善惡を知るべし』と。」(ニーファイ第貮書2:17~18)
「誰にてもあれ、斯る結社を助くる者は、即ち凡ての地と、凡ての民と、凡ての國との自由を奪ひ去らんと謀る者なり。且又結社其物は惡魔の作りたるにて總の民の滅亡を來すなり。惡魔は一切の僞を生む親にして、我等の始祖を誘ひ惑し、元始より人をして殺害を行はしめ、人間の心を頑にして元始より之をして預言者等を殺さしめ、石にて之を撃たしめ、又之を逐斥けしめし彼虛僞者なり。」(イテル8:25)
ルシフェルは初め天使であったのに、堕落して悪魔になった存在である。このことをよく理解する必要がある。預言の次の言葉にもかかわってくるからである。
アンゴルモアの大王と火星
アンゴルモアの大王とは、ノストラダムスの青年時代にフランスの王であった、フランソワ1世を意味しているといわれる。彼はフランス史上最も勇敢な君主であったと評されている。
フランソワ1世には、神聖ローマ皇帝カール5世という強力なライバルが存在した。カール5世は中南米に進出していたため、フランソワ1世はそれに対抗して北米に進出を試みていた。アメリカの語源となった探検家、アメリゴ・ベスプッチのスポンサーとなり、カナダにはジャック・カルティエを探検に送り込んでいる。
預言にある火星は軍神マルスを指しているが、火星はもともと愛と美の星であった。それが、新しく軍神として生まれた金星と性格が入れ替わった。アメリカは世界最大の軍事国家であり、軍神マルスを指すとすれば、フランソワ1世が金星となる。芸術の都パリというように、フランスは美の星金星に例えられることが多い。また、アメリカの象徴的な自由の女神像は、独立百周年を記念してフランスから贈られたものである
何年も前、TBSの報道番組ニュース23の多事争論の中で、筑紫哲也氏がアメリカを火星、フランスを金星に例えた話をされていた。
金星が誕生当初軍神であり、太陽系の惑星を荒らしまわった巨大彗星であったことを、イマヌエル・ヴェリコフスキーは「衝突する宇宙」で記している。その中で、金星が地球に接近した際、出エジプトの奇跡や災害を引き起こしたことを解き明かしている。
聖書は金星に二つの象徴を与えており、一つは明けの明星に象徴されるイエス・キリスト、もう一つは偽りの大王であり、暁の子ルシフェル(サタン)である。これを出エジプトに当てはめると、災害をもたらした恐怖の金星は破壊の悪魔といえるのだが、災害が悪への裁きだとすると、軍神エホバの姿が浮かび上がる。
また、金星が火星を赤い軍神星に変えたことは、もともとイエス・キリストを信じていた者が、後に背教してサタンの側についたことを意味している。
恐怖の大王は原子爆弾だった
1999年の預言は核ミサイルと解釈された時期もあった。これはある意味当たっている。預言は「前後を支配」とある。この前後は100年という区切りで考えるべきである。なぜなら、ノストラダムスの預言集のLes Centuriesを百詩編集と訳すのではなく、百年紀とすべきだと思うからである。国家百年の計という言葉がまさにぴったりである。
20世紀初頭、第一次世界大戦において日本はアメリカと同盟国であった。それが第二次世界大戦では敵となり、その後はまた同盟国として今に至っている。その間に落とされた原子爆弾こそが「恐怖の大王」となる。偽りの大王でもあり、恐怖の大王でもあったのである。
アメリカは原子爆弾に恐ろしいメッセージを込めていた。広島に落とされたウラニウム型はリトルボーイと名付けられ、長崎に落とされたプルトニウム型はファットマンと呼ばれた。
原子爆弾は超破壊兵器であるため、アメリカがよく使う手法の逆象徴で見た場合、破壊ではなく創造に関する名前となるはずである。すると、リトルボーイとファットマンには確かにその象徴がある。
リトルボーイすなわち小さい少年は、記紀でいうスクナヒコナとなる。そしてファットマンは太った姿で描かれる大国主である。大国主とスクナヒコナは共同で日本の国造りを行った。そのまったく逆の破壊の意味を持たせるために、アメリカはこの二人の名を超破壊兵器に付けたのではないだろうか。
第五福竜丸に落とされたのは水爆である。いずれも火の権化であるが、水爆が水を象徴するとすれば、ここにも恐ろしい象徴が隠されていることが分かる。ウランは天王星、プルトニウムは冥王星にちなんだ名前である。天王を神、冥王をサタン、水爆を水とするなら、それはバプテスマを象徴しているのである。
恐怖の大王から偽りの大王へ
モルモン經の預言者ニーファイは、バプテスマについて詳しく説明している。
「我が愛する兄弟等よ、汝等若し御子に從ふこと、神の御前に瞞着と僞善とを行はず、眞心と正直なる目的にて行ふこと、己が罪を悔い改むること、其天主たり救主たる御方に倣ひ、其命令の如く水の中に入りて浸禮を受け、以てキリストの御名を甘じ受くる誓約を天父に立つることあらば、汝等乃ち聖靈を受くべし。言換ふれば火と聖靈とに由る浸禮を受けん。然る時、汝等は天使の言語にて語り、イスラエルの聖者に讃美の聲を揚ぐることを得ん。是我が知る所なり。
然れど我が愛する兄弟等、見よ、御子の御聲我に聞えき。曰給はく「汝等一旦其罪を悔い改め、水の浸禮を受けて以て我命令を守ることを天父に誓約し、火と聖靈との浸禮を受け、新しき言語なる天使の言語もて語るを得るに至る後我を否まんよりは、寧ろ汝等の始より我を知らざりし方善し」と。(ニーファイ第貮書31:13~14)
ウランの天王が神に従う者、プルトニウムの冥王が神を否定した者、水爆が水、そして爆弾が火の象徴とすると、ニーファイの言葉がそっくり当てはまる。アメリカはモルモン經を徹底的に弾圧してきた立場であるのに、なぜかあらゆる面でモルモン經を意識しているようなのである。
モルモン經と日本人
アメリカは原爆投下が戦争を終わらせ、日本人に悔い改めをもたらしたと主張している。まるで日本人にバプテスマを受けさせたような発言である。日本軍が悪の権化であり、アメリカのおかげで日本人がその支配から解放されて武器を捨てたように思わされている。まるでモルモン經に記された、武器を捨てたレーマン人と見なしているのではないかと思うほどである(アルマ24章)。
「今後犠牲として我に獻ぐべきものは謙る心と悔ゆる精神なり。凡そ謙る心と悔ゆる精神とを懐きて我に來る者は、我之に火と聖靈とを以て浸禮を施さん。斯る浸禮は恰もレーマン人が其改心の時、我に對して懐きし信仰に應じて、我が彼等に施しし火と聖靈とに依る浸禮を受けしことを自ら覺らざりき。
我が此世に來るは、世の人に贖救を與へ、又世の人を其罪より救はん爲なり。
故に悔い改め、幼子の如くして我に來る者は、我悉く之を迎くべし。蓋斯る者共は已に神の御國に居る者と同じければなり。我は彼等の爲に一旦我生命を棄てて、後再び之を得き。世界の端々に至る者共よ、悔い改め、我に來りて拯救を受けよ」と。(ニーファイ第參書9:20~22)
また、戦中に捕虜を働かせたとして陸軍関係者が戦犯とされたが、モルモン經には捕虜を働かせた記述がある(アルマ53:1~5)。女性や子供にも武器を持たせ、軍事教練をしたことが悪だとされているが、同じ状況がモルモン經にもある(モーサヤ10:9、アルマ55:17)。日本軍が悪い存在であったと思わせつつ、モルモン經を日本で悪書とするための意図があったのではないかとも思われるのである。
1999年八月十八日
預言では1999年の八月が示されている。この年と月に何があったというのだろうか。一つは八月十八日に成立した組織犯罪処罰法がある。主に暴力団を取り締まるためのものとされる。そこで暴力団(極道)について考えてみたい。
極道は「堅気の衆に迷惑をかけない」、「女性や子供、老人、身体障碍者には決して手を出さない」、「薬物にかかわらない」組織だったはずである。ところが連日生活弱者を利用した事件や、振り込め詐欺の報道ばかり続いている。「暴力団の資金源」という言葉を聞かない日はないくらいである。これらはこの法律を境にして始まったものではないだろうか。
また、食品偽装や経歴詐称など「偽り」は後を絶たない。偽りを逆さまの事象とするなら、トランスジェンダーや同性婚、モノマネの隆盛など、1999年を境に日本は大きな変化をしたことが分かる。
極道のルーツはイエス・キリストにある。兄弟の杯、足を洗う、命令に対する絶対忠誠など、極道を宗教組織とするなら、そのままキリスト教の伝統を受け継いでいるようなところがある。極道という言葉自体、道を極めた者の意であり、誕生した当初はキリスト教だった可能性がある。これがニーファイの言葉にある、キリストを否定する者となったとしたら、堅気の衆を標的にするようになった変化と同じということになる。
アメリカがもたらしたのは性の放縦と女性の出産拒否といえるが、アメリカ人自体がそんなことを考えているわけではない。アメリカは州で法律があり、自治権があるのでここまで極端な洗脳政治が出来ないと思われる。アメリカで上映出来ない低俗な映画を、日本で上映することもよくある。それを日本人は自由といって歓迎してきた。
まさに平和の名のもとに支配されてきたのである。
がん研究
1999年に起こった出来事からノストラダムスの預言を考察した場合、一つの病に当てはめることが出来る。それはがんである。1999年からのものとして、がんに関して一つの大きな発表があった。http://techon.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/011900205/?ST=health
国立がん研究センターは「がんの部位別10年相対生存率」を全国がん(成人病)センター協議会と協力して初集計し、同協議会ホームページで2016年1月20日に公開した。がん10年相対生存率に関する大規模な集計結果が日本で公表されるのは初めて。「長期的ながん種別予後の傾向が示された」(国がん)という。
集計を主導した国がんの研究班「わが国におけるがん登録の整備に関する研究」は、1999年診断症例以降、部位別・施設別の5年生存率を公開してきた。2012年からは生存率グラフを描画する解析システム「KapWeb」も公開している。
また、このような発表もあった。http://gigazine.net/news/20160623-tumors-grow-and-spread/
1999年、がん細胞が血液から栄養素と酸素を横取りできる新たな方法が、アイオワがんセンターのがん生物学であるマリー・ヘンドリクス教授らのチームによって報告され、大きな論争を巻き起こした。
がん腫瘍は栄養や酸素を取り入れるために血管の内皮細胞を自身の栄養供給のパイプラインとして利用することで知られており、これは悪性腫瘍の血管新生と呼ばれている。
ヘンドリクス教授らが主張したのは血管新生とは異なる、「疑似血管新生」と呼ばれるもの。これは、がん腫瘍が自身に栄養を供給するために新たな供給パイプラインを「作り出す」という現象です。当時、ヘンドリクス教授は小さな循環システムが腫瘍によって作り出されているのを確認したと強く主張したが、カリフォルニア大学のドナルド・マクドナルド教授は「研究チームが観測したのは結合組織の重なりであり、血液を運ぶチューブではない」として、チームがデータを読み誤っていると反論した。
平和の名のもとに支配する
世の中のほぼすべての人々は、がんとは悪、さらには恐ろしいものと考えているのではないだろうか。そのため、先述のヘンドリクス教授が見つけたという、がんが自分で血管を形成し、血管から栄養を取り入れる動きを見せることも悪い動きとなる。
がんを現行科学で判断した場合、排除すべき悪であり恐怖であることになっているが、これを預言で考えるどうなるだろうか。がんに関して1999年に大きな動きがあったことが先述の発表にも示されているからである。
また、ノストラダムス自身医者であり、彼の生きた時代の医療がいかに愚かなものであったかを目にしている。このことも預言に大きくかかわっていることを考慮する必要がある。この時代の医療の基本は瀉血療法であった。あきれたことに刃物傷の場合、刃物に軟膏を塗るなどしていた。しかし、このことを現代人はあざけることが出来ないのである。
現在、がん治療の中心は手術、抗がん剤、放射線の三大療法といわれているものである。がん治療のための労力と費用は、機器の開発とメンテナンスに大半が使われているようなものである。まったく刃物に軟膏を塗る行為に似ているのではないだろうか。
1999年を境にCTスキャンやMRIなどの画像診断装置が急速に普及し、日本の設置率は世界でも群を抜いている。加えて高額機器である故に、製造元にとっては病気の治癒ではなく販売数と稼働率が最も重視される。医薬品業界も販売数が最重要であるため、がん治療は商売のネタにされているのである。
ほとんどの医師は誠心誠意患者を救おうと努め、患者も医師を信頼して治療を受けていることと思う。しかしこの三大療法を進めているのは利益最優先の企業である。がん治療は彼らにとっては医療ではなく産業となっている。「平和の名のもとに支配せん」の平和を人の善意とすれば、支配はそれを逆手にとって利益を上げるがん産業ということになる。
そしてがん三大療法の手術、放射線、抗がん剤は、何を隠そう核兵器である。日本(人)は世界唯一の被爆国と声高に主張してきた。しかし、何ということだろう。日本は世界最大の核兵器使用国だったのである。
癌の正体
がんにはさまざまな名称がある。がん、癌、悪性腫瘍、悪性新生物などである。その中で、悪性新生物という奇妙な名称があるが、英語ではmalignant neoplasmである。ネオプラズマに新生物という語が当てはめられているが、血液の主成分である血漿もプラズマである。
人の全細胞は血液をもとに造られている。その細胞が変質したのががんであるなら、がんの正体は血液が変質したものということになる。つまり、悪性新生物とはその名のとおり、悪性血液のことなのである。
金星は見かけ上金色(黄色)であるが、火星やエジプトを赤く染めたように、実際の色は赤である。逆象徴ではあるが、血液の見かけが赤であっても、主成分の血漿が黄色であることを表しているのではないだろうか。地上からは金色に見えた金星が赤い雨を降らせ、大災害をもたらしたように、体を作る根幹である血液が、血が汚れるような生活を改めるように、がんとなって警告しているのである。
恐ろしい軍神と思われた金星は、愛と救いの神であるイエス・キリストを象徴している。それと同じように、がんは人を死に至らしめる恐怖の病と思われているが、実際は人を健康に導くイエス・キリストの化身ということになる。
がんは癌と書くが、これは「岩」を語源としている。イエス・キリストもまた「救いの岩」と呼ばれている。イエス・キリストが悔い改める者を救うために、人類の罪を背負って死を身に受けたように、がんは人の体に充満する毒素を、生活を改めるまで一身に引き受けるのである。血管形成はがんが増殖する恐ろしい現象ではなく、過剰な物質や汚れなどをストックするためのアクションということになる。
血液の各成分は各自独立した意思をもって生き、活動しているように見える。プラズマとは神の造られたものを意味し、血液は神の光つまりプラズマによって神の意志に従って動く存在である。人間は細胞一つ一つにプラズマすなわち神の光を満たした、プラズマなしでは生きていくことが出来ないプラズマ生命体なのである。
ところが現代医療はがんと見るやすぐに切り取ってしまうが、まさにユダヤ人が自分たちの神であるイエス・キリストを十字架につけた行為と同じではないだろうか。ノストラダムスは、当時の無知で愚かな医師が助かる命を奪ってきた歴史を、現代のがん産業に見ているように思えるのである。
がんと蚊
人はとにかく蚊を嫌う。病気を媒介する厄介な害虫という面もあるが、就寝中の羽音もまた嫌われる要因である。この蚊は日本では鬼の化身とされ、日本人のルーツの一つとも考えられるアメリカ大陸では巨人の化身とされている。
がんの原因の一つは低体温である。体温が低くなりがちの部位である乳房や口腔、胃、大腸、子宮や卵巣、膀胱はがんにかかりやすい。逆に心臓や脾臓、小腸などはがんにならない。マラリアは蚊が媒介する熱病であるが、マラリアにかかった人は発熱によってがんが消えることがある。がんは病気ではないといえるので、これは治るとは言わないであろう。
がんも蚊も、これまで見てきたようにイエス・キリストを象徴する存在である。がんと蚊は表裏一体の存在なのである。金星も地蔵も殺戮の天使も、幸いをもたらすと同時に災いをもたらす存在である。それと同じで、受け取り側の状況によって変わるのである。
惑星探査衛星は星間飛行の推進力を得るため、スイングバイという惑星の引力を利用することがある。一度引力に従って加速し、ハンマー投げの要領で反対方向に飛び出すのである。それと同じで、人間の体は自ら病原体(マラリアは原虫)が体に侵入するのを許し、感染によって体温を上昇させ、熱で体を浄化してがんを消滅させることができるようである。
ノストラダムスが警告した現代医療は、がんも蚊もウイルスも敵とみなし、すべて排除あるいは駆逐しようとする。確かに恐ろしい病は存在するが、がん患者が手術と抗がん剤の果てに院内感染の肺炎で死亡しているという、もっと恐ろしい現実はまったく知られていない。肺炎で死亡するため、がん専用の保険金が支払われない事例まである。まったく偽りの大王である。
砂糖とタヂマモリ
がんを初めとする三大成人病の発生原因の中心に位置し、最も体に悪く、そしてまったく野放しにされているのが砂糖である。砂糖の取り過ぎが原因で病死している人の数は、災害や戦争など問題にならないほどの数である。恐怖と偽りの大王にふさわしい物質なのである。以下はウィキペディア「砂糖」の項からの抜粋である。
ヒトの胃は1分間に約3回のペースで動いているが、胃内に糖が入ると胃の動きが止まることが東京大学での実証試験で判明している。被験者に砂糖水を飲ませると数十秒間胃腸の動きが完全に静止し、逆に塩水を飲ませると胃腸の動きが急に活性化した。さらにはチューブで直接十二指腸へ糖分を流し込んだ実験でも胃の運動が停止した。量的には角砂糖の4分の1~5分の1個くらいで起こる。
糖分は唾液、胃液、腸液などで5.4%等張液になり消化吸収されるため大量の糖分の摂取により1時間以上という長時間の停滞が起こるとされる。糖を飲ませると細胞の動きが緩慢になる反応を東京大学では糖反射と名付けたが、このメカニズムは未だ解明されていない。
多すぎる糖の摂取は細胞にはいわば絶縁物質として作用し、神経信号の伝達を阻害するのではないかと考えられている。また、糖分はカリウムの働きも加味され静脈の弛緩をもたらすとともに血液粘度を上げる。そのため血流の遅滞が起こり、組織や静脈に老廃物が蓄積することで様々な病気が発症することがある。
高橋久仁子は1999年に砂糖の過剰摂取防止のためにエビデンスのない有害論を持ち出すのは問題であり、「現在の消費水準及び使用法で有害であることを示す証拠はない」と主張している。
イスラエルの民が食したマナは砂糖菓子のようなものであったが、その発生原因は金星であった。金星はイエス・キリストの象徴でも、サタンの象徴でもある。マナは命のパンであるイエス・キリストを象徴している。
また、日本においてお菓子のルーツはタヂマモリにある。タヂマモリの持ち帰った木の実は、永遠の命をもたらす命の木であった。それがお菓子のルーツとして伝えられることとなった。お菓子は現代において虫歯や万病の原因となり、がんのもととなっている。タヂマモリの先祖はアメノヒボコであるため、金星の象徴も持っていることになる。
これには裏表がある。がんは一般的には悪の権化だが、象徴的にイエス・キリストの化身であるため、がんとその原因である砂糖は、まったく金星のような振る舞いを見せていることになる。まさに飴と鞭になっているのである。
このように1999年は、あらゆる面で日本人が生きるヒントを見出す年となったのである。
ワクチンという名の偽りの大王
全世界の人々は、ワクチンによって疫病から救われると信じている。毒性を弱めたウイルスを体内に取り入れておくと、免疫を獲得して疫病にかからなくなると誰もが常識に思っている。しかし、果たしてそうだろうか。顕著な例を一つ挙げたい。
夏目漱石は幼少期に天然痘にかかっているが、それは種痘を受けて発症したものである。さらに漱石は教職員時代にも種痘を受けている。漱石は生涯心身ともに病気に悩まされ、わずか四九歳で亡くなっている。
この時代若くして亡くなった著名人は多くいる。宮沢賢治、新見南吉、樋口一葉そして幼少期に天然痘を患った明治天皇は五九歳、父の孝明天皇は天然痘によって三五歳、子の大正天皇は四七歳での崩御である。
種痘は江戸時代から行われており、そのキャンペーンキャラクターはスサノオであった。その種痘が天然痘のパンデミックの原因だったのではないか。スサノオすなわちぬらりひょうんは誰もが主人、いわば正しいものとして受け入れているが、実際には敵の総大将である偽りの大王の象徴、すなわち天然痘の原因となる疫病神と言えるのではないか。
一九一八年から一九二一年の間、世界中で感染者が発生し、1700万人から5500万人ともいわれる死者を出したとされる。そのスペイン風邪の大量発生の原因はワクチンであった。天然痘の種痘も同じように天然痘を大量発生させる引き金になっていたのである。
これはマッチポンプである。病気が流行れば薬が売れる。さらに、病気が流行るので予防薬やワクチンが効くと宣伝すれば、それも売れる。病気の大半は、医者の懐を満たすために作りだされた医原病なのである。なぜそんな世の中なのだろうか。それは世界を救う真の医者を殺し、強盗を真の医者としてあがめ、神のみ前にこう誓ったためである。
さて、イエスは総督の前に立たれた。すると総督はイエスに尋ねて言った、「あなたがユダヤ人の王であるか」。イエスは「そのとおりである」と言われた。
しかし、祭司長、長老たちが訴えている間、イエスはひと言もお答えにならなかった。
するとピラトは言った、「あんなにまで次々に、あなたに不利な証言を立てているのが、あなたには聞えないのか」。
しかし、総督が非常に不思議に思ったほどに、イエスは何を言われても、ひと言もお答えにならなかった。
さて、祭のたびごとに、総督は群衆が願い出る囚人ひとりを、ゆるしてやる慣例になっていた。
ときに、バラバという評判の囚人がいた。
それで、彼らが集まったとき、ピラトは言った、「おまえたちは、だれをゆるしてほしいのか。バラバか、それとも、キリストといわれるイエスか」。
彼らがイエスを引きわたしたのは、ねたみのためであることが、ピラトにはよくわかっていたからである。
また、ピラトが裁判の席についていたとき、その妻が人を彼のもとにつかわして、「あの義人には関係しないでください。わたしはきょう夢で、あの人のためにさんざん苦しみましたから」と言わせた。
しかし、祭司長、長老たちは、バラバをゆるして、イエスを殺してもらうようにと、群衆を説き伏せた。
総督は彼らにむかって言った、「ふたりのうち、どちらをゆるしてほしいのか」。彼らは「バラバの方を」と言った。
ピラトは言った、「それではキリストといわれるイエスは、どうしたらよいか」。彼らはいっせいに「十字架につけよ」と言った。
しかし、ピラトは言った、「あの人は、いったい、どんな悪事をしたのか」。すると彼らはいっそう激しく叫んで、「十字架につけよ」と言った。
ピラトは手のつけようがなく、かえって暴動になりそうなのを見て、水を取り、群衆の前で手を洗って言った、「この人の血について、わたしには責任がない。おまえたちが自分で始末をするがよい」。
すると、民衆全体が答えて言った、「その血の責任は、われわれとわれわれの子孫の上にかかってもよい」。
そこで、ピラトはバラバをゆるしてやり、イエスをむち打ったのち、十字架につけるために引きわたした。(マタイによる福音書27:11~26)
イエスは答えて言われた、「健康な人には医者はいらない。いるのは病人である。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである」。(ルカによる福音書5:31,32)
そして現在、新型コロナワクチンという新たな罠が作られた。これまでになく大々的に世界中で接種が行われ、特に日本は国全体が狂ったようにワクチンを打った。医療機器メーカーと病院が莫大な利益を上げる代わりに、民衆は医原病と引きこもりという精神疾患に苦しめられることとなった。
人が人を救う真の医者であるキリストを十字架につけ、強盗を神としてあがめたため、医者という強盗に身ぐるみをはがされて命を取られた上に、お礼まで言う世界なのである。しかし、キリストの贖いは人類の希望である。救いの道が必ず示されている。
種痘もワクチンもいわば毒蛇である。そして毒蛇に噛まれても生きる道があり、それはごく簡単な方法であると、モルモン經の中で何度も繰り返されてきた。
「モーセは神の御子の來り給ふべき證據を立てしに非ずや。モーセが野に於て銅の蛇を上げし如く、後に降臨し給ふべき御方も亦上げられ給ふべしてふことゝ、
凡そ銅の蛇を見る者は生命の助かるべきが如く、凡そ信仰と悔ゆる心とを以て神の御子に賴る者は彼永遠の生命を受くべし。」(ヒラマン8:14,15)
「モーセも亦神の御子に就て宣べ、野に於て預め神の御子を指示す物を立てき。其時凡そ自ら甘じて其物を見る人は生命助かるべければ之を見て生命の助かりし者少からざりき。
然れど其時の人々は心頑なりければ、其物の意味を悟るに至りし者は僅のみ。而して見ることをさへ肯ぜざるほどに頑固なる者多かりしが、其人々は皆死せり。彼等が見ざりしは、之を見るのみにて癒えんとは信ぜざりければなり。」(アルマ33:19,20)
この青銅の蛇とは、象徴的にイエス・キリストの預言が記されたモルモン經のことである。コロナ後遺症と名称をすり変えられたワクチン後遺症の一つにターボ癌がある。癌であるなら、それは人の苦しみを肩代わりするキリストのしるしである。コロナ後遺症というならそれでもよい、その苦しみから救われる道はモルモン經に示されているのである。
グリム童話
妖怪がイエス・キリストの化身であるとする象徴は、グリム童話にも見出せる。グリム童話といえば、19世紀初頭、グリム兄弟が蒐集したドイツの言い伝えを子供向きに編集したものである。さらにそのルーツは、グリム兄弟が聞き書きした女性の先祖にある。その女性たちにはある共通点があった。
彼女たちはフランスにおけるカトリックの宗教弾圧から逃れてきた、ユグノー派の末裔なのである。ユグノー派とは、カトリックが用いているキリストやマリヤの像が偶像であるとして否定した一派であり、プロテスタントと一般には分類されている。
グリム童話といえば「カエルの王様」である。おそらくすべての童話集の初めの童話はこの話である。ヒキガエルの正体は、魔法使いによって姿を変えられた人間の王子であることが、最後に明らかとなる。
グリム童話ではヒキガエルと鬼が非常に大きな役割を果たしている。いずれも深い知識と知恵を持ち、主人公を幸福へと導く存在である。このスタイルは、日本の昔話と非常によく似ている。
これらの話がユグノー派によって語り伝えられたとすると、カエルの王子とはイエス・キリストのことになる。ユグノー派はカトリックから弾圧されていたため、悪い魔法使いはカトリックの法王と見なすこともできる。
わざわざイエス・キリストを気味の悪い存在として、カエルや鬼と位置付けているのにはわけがある。カトリックの監視の中、ユグノー派がイエス・キリストの真理を伝えるには、悪と思われている存在に隠すのが一つの手といえる。誰もヒキガエルや鬼をイエス・キリストとは思わないからである。
これらの象徴を深く知り、ユグノー派の迫害の時代に生きた一人の預言者がいる。それはノストラダムスである。ノストラダムスが記した預言書(諸世紀として知られる)はフランスで広く読まれたが、この本はカトリックの目をごまかして書かれている。つまり、カトリックに対してまったく反対する内容を象徴で隠してあるのである。
この手法はグリム童話と同じものであり、カトリックが忌み嫌うヒキガエルや魔女、鬼、小人の姿に託してイエス・キリストのメッセージが込められているのである。ユグノー派はその象徴を彼から学び、逃亡先のドイツに持ち込んだのがグリム童話のルーツではないかと思われるのである。
日本語ではなく国語というわけ
英語やドイツ語、フランス語など、各国の言語は国名を冠している場合がほとんどである。一時期日本の学校における「国語」の授業を、「日本語」としてはどうかという意見が上がったことがある。
しかし、国語という名称が、日本語と同義であったとしたらどうだろうか。たとえばアイヌ人の「アイヌ」という言葉は「人」という意味である。「人」という言葉がそのまま民族を表す形になっている。それと同じで、「国」という言葉が「日本」という意味なのではないかということである。
中国の歴史書「旧唐書」には、倭国と日本国が別の国として記されており、日本は日の出の方向にあり、倭国よりも小国であったとしている。後に二つは合併し、倭の字が雅ではないというので日本としたともいう。
日本が二国に分かれていたという記述は、魏志倭人伝の邪馬台国と狗奴国のことと考えられるが、これまで解き明かしてきたように、狗奴国は栃木県と群馬県の毛野(鬼怒)地方の国であった。すなわち、倭から見て日の出の方向にあり、音節が一致する国はここであると考えられるのである。
そこで注目したのは「狗奴」の読み方である。これは「くに」ではないだろうか。そして「くに」に当てはまる日本の漢字を「九日」とすると、日の出と東を示す「旭」になる。
邪馬台国の女王卑弥呼を日本漢字表記で「日見子」「日向子」だとすると、狗奴国の王卑弥弓呼は「子」の前に「九、国、弓」の字が入ることになるのかもしれない。狗奴国は自国の名称である「くに」に日の出を意味する日本の字を当てはめ、後に読みは「やまと」としたと思われるのである。狗奴国の長官クコチヒクの末裔と思われる菊池氏が、旭日の家紋を用いていたことは興味深い所である。
邦人
狗奴国を示す旭は九つの太陽という意味になる。すると、中国の故事が思い起こされる。
中国の伝説の王、堯帝の時代に太陽が十個一度に昇り、全地が灼熱地獄と化してしまった。天から遣わされた羿という弓の名手が九個の太陽を射て、再び全地は平穏となったという。その太陽の中には三本足の烏が住んでいるという。
九個の太陽が落ちた地として、極東の日本を意識した者がいたとしたらどうだろうか。そして三本足の烏とは八咫烏のことであり、そのしるしを持つ者は崇神天皇と秦氏、藤原氏である。また、弓の名手は豊城入彦と藤原秀郷そのものである。
藤原氏と秦氏は飛鳥時代から奈良時代にかけて、物部氏、聖徳太子一族、蘇我氏を滅ぼし、全盛期を迎えたが、倭国を滅ぼした狗奴国を彷彿させる。
秦氏は秦の始皇帝の末裔と称しているが、事実かどうかは不明である。秦国は漢(前漢)によって滅ぼされたが、前漢の初代皇帝(高祖)を劉邦という。前漢と秦氏が何らかのつながりがあったあった可能性もある。
九個の太陽の故事と弓の名手、秦と前漢の関係、邦の名を持つ皇帝と漢字文化を重ね合わせると、狗奴国の支配者は前漢の劉邦の流れをくんだ藤原氏と、秦国からの亡命者である秦氏ではないかと思われるのである。
日本(人)を表すのに邦人、本邦など「邦」の字を用いるが、これは劉邦にちなんだものではないだろうか。呉服や北陸の越が呉と越国にちなむように、邦にもまた日本建国の歴史が隠されているのである。
ニホンとニッポン
日本は「ニホン」と「ニッポン」の二通りの呼び方をしている。ここにもまた日本建国にかかわる重要な情報が含まれている。日本の漢字名称によくある、いくつもの象徴を組み込む方式がここにも表れている。
たとえば富士山であるが、文字通り大勢の士(つわもの)という意味と、不死、二つとないという不二の意味が込められている。それでは日本はどうだろうか。
一つの興味深い例を挙げたい。それは二つの航空会社、日本航空と全日空である。日本航空は「にほんこうくう」と読み、全日空は「ぜんにっぽんくうゆ」である。日本航空は日輪と鶴のマークである。全日空の濃い青はトリトンブルーといい、トリトンはギリシャ神話の人魚の姿の海神である。
この二社のロゴは鶴と海神すなわち河童になっている。鶴は浦島太郎であり、神武天皇であり豊城入彦でありスサノオである。そして河童は乙姫であり卑弥呼であり天照大神である。スサノオは東日本の悠紀であり狗奴国であり、天照大神は西日本の主基であり邪馬台国である。そうである。東日本はにほん、西日本はにっぽんなのである。
また漢字の日本は文字通り日の本で、太陽の昇る国という意味である。ニホンは二本で、かつて日本は邪馬台国(倭)と狗奴国の二国であったことを示し、ニッポンは二一本(二イッポン)を縮めたもので、二国が統一されたことを意味している。
この二本と二一本について、まったくそのままの預言が旧約聖書のエゼキエル書に記されている。
「主なる神はこう言われる。見よ、わたしはエフライムの手にあるヨセフと、その友であるイスラエルの部族の木を取り、これをユダの木に合わせて、一つの木となす。これらはわたしの手で一つとなる。あなたが文字を書いた木が、彼らの目の前で、あなたの手にあるとき、あなたは彼らに言え。
主なる神はこう言われる。見よ、わたしはイスラエルの人々を、その行った国々から取り出し、四方から彼らを集めて、その地に導き、その地で彼らを一つの民となしてイスラエルの山々におらせ、一人の王が彼ら全体の王となり、彼らは重ねて二つの国民とならず、再び二つの国に分かれない。
彼らはまた、その偶像と、その憎むべきことどもと、もろもろのとがをもって、身を汚すことはない。わたしは彼らを、その犯したすべての背信から救い出して、これを清める。そして彼らはわが民となり、わたしは彼らの神となる。」(エゼキエル37:19~23)
文字を書いた木とは本のことである。二本が一本に合わされ、しかも二つの国が一つの国となることと、一人の王が統治するとは、まさに天皇陛下のおられる日本のことである。
また、ユダの木とは、ユダヤ人が書き記してきた聖書のことである。エフライムの木とは、エフライム(ヨセフ)の者が書き記してきたもの、すなわちモルモン經のことである。偉大な預言と約束は、常に目の前にある「日本」という国名に示されていたのである。
国後島
北方領土に国後島という大きな島がある。「後」は「しり」と読むが、もともとのアイヌ語で「シリ」は「島」の意味である。クンネ・シリ(黒い島)またはキナ・シリ(草の島)が語源とされている。ここに住んでいたアイヌ人はクナシルと呼んでいたという。
同じ北海道の利尻島や奥尻島の「尻」も島のことだが、形状から「尻」の字を当てはめるのは妥当といえる。ではなぜ国後島だけ「後」の字にしたのだろうか。寛文元年(1661)に伊勢国松坂の七郎兵衛が上陸した記録には「くる尻」とある。
また「国」を「くな」と読む。ほかにも使える字があったと思うのだが、あえて国の字を持ってきたのには理由があるのではないだろうか。「後」の「しり」が端や殿(しんがり)を表し、「国」の「くな」が国と国名を兼ねているとすると、国後島は「狗奴国または日本(旭)の最果ての島」という意味になる。国後島にこの漢字を当てはめた者は、狗奴国のことを知っていたのではないだろうか。
国後島には邪馬台国九州説をあざ笑うかのような湖が存在する。西ビロク湖と東ビロク湖である。この二つは東西が逆の位置にあるのである。基本、地名は変更されることはないが、これが天変地異の後でも適用されるとすると、この二つの湖はその名前のとおりの位置にあった時代があったのではないだろうか。
琵琶湖にもそのような証拠が存在する。琵琶湖とその周辺に残る地層である古琵琶湖層には、太古の噴火の火山灰が含まれている。それを調べると、伊豆半島にある天城山の火山灰が見つかったのである。伊豆半島は滋賀県の東にあるが、偏西風があるので火山灰は西に降ることはあり得ない。
研究家は台風の影響ではないかと推測しているようだが、世界の中で古琵琶湖層だけ例外中の例外を認めるのは無理がある。この過去の証言は、日本列島がかつて東西逆であった時代があったことを証しているのである。それならば、邪馬台国が九州の南にあったという記録をもっと掘り下げて考証する必要が出てくる。国後島は日本の東端ではなく、南端にあった時代もあり得るのではないだろうか。
邪馬台国と狗奴国、平家と源氏、大和撫子と日本男児
魏志倭人伝によると、邪馬台国(倭)には馬がいなかったという。それは騎馬の兵力がなかったことをも意味する。狗奴国に関しては記述がないが、関東がその本拠地であるとすれば、騎馬兵力があったことが推測される。その危険性を示したのが、かぐや姫で解き明かした「甲斐がある、なし」の言葉で、騎馬の供給元が甲斐にあったと思われるのである。
関東の武士は坂東武者と呼ばれ、平将門や源氏の騎馬武者に示されるように、騎馬と弓を扱う。それに対し、西国の藤原純友や平家は水軍主体である。それは推定上の狗奴国の兵力と、水に潜る生業を持っていた邪馬台国の民の姿と重なるのである。
仮に源氏のルーツが狗奴国の騎馬兵力で、平家水軍のルーツが邪馬台国の生活スタイルだとすると、いろいろな日本文化のルーツが見えてくることになる。日本陸軍と海軍は仲が悪かった。また、当初陸軍が用いていた旭日旗は、後に海軍が使用し、海上自衛隊の自衛艦旗に受け継がれている。このことからも、源氏の騎馬武者や陸軍のルーツは狗奴国にあることが示されているのではないだろうか。
邪馬台国は男性が極端に少ないと思わせる記述がある。これは倭国大乱での戦死のためと思われる。後に邪馬台国と狗奴国が併合され、日本となった際、邪馬台国の女性は狗奴国の男性と結婚させられ、かなり冷遇されたのではないだろうか。
大和撫子と日本男児という、理想の日本人像を示す言葉は、実は卑弥呼と卑弥弓呼を示すものではないだろうか。特に豊城入彦の信奉者であった徳川家康の江戸幕府は、まさに男尊女卑の時代であった。これまで見てきたように、豊城入彦は約束を破って女性と別れる象徴的な存在であり、それは永遠の命を得る資格を失った者をも示している。
自分の民の男性すなわち夫を殺された倭国の女性が、無理矢理に狗奴国の男性と結婚させられた上に虐待された歴史が、男尊女卑のルーツかもしれないのである。この文字から推察するに、男尊はヤマトタケル、女卑は卑弥呼(イエス・キリスト)なのである。
すべては同時代の出来事だった
イザナギとイザナミは聖書でいう人類の始祖、アダムとエバに当たると思えるのだが、そう単純な話ではないようである。それは記紀に記された女性の死や別れに、共通の法則があるからである。
イザナミ、天照大神、ヤマトトトヒモモソヒメはいずれも女陰の傷によって死んでいる。クシナダヒメの姉達、オトタチバナヒメは身代わりで死んでいる。モモソヒメとクシナダヒメの姉は箸が死の象徴となっている。
女神は山の神である。有名なのは浅間山と富士山の女神、コノハナサクヤヒメである。この姫も命が花のように散ることを象徴している。
スサノオの子孫の大国主はダイダラボッチであった。ダイダラボッチは地殻変動の象徴的存在であると推理してきた。そしてイザナギとイザナミの婚姻による国生みは、まさに地殻変動であった。
イザナミは死後黄泉の国に行ったが、大国主もまた木の俣から根の国(黄泉の国)に行っている。イザナミに会いに行ったイザナギも、根の国からスサノオのもとを逃げた大国主も、黄泉比良坂から葦原中国に帰っている。イザナギはそこに大岩を置いている。
大国主の妻の一人、ヤガミヒメが生んだ子を木俣神または御井神という。この名から、黄泉の国、根の国(木の下)、井戸の下はすべて同じ世界を示していることが示されている。黄泉の国と葦原中国の境界は、木、井戸、岩に関係があることになる。
イザナミが女陰を焼かれて死んだとき、放尿と脱糞をしたのだが、そこから金属や土、水に関する神が生まれている。これが地殻変動であるとすれば、まさにぴったりの出来事がある。それは火山活動である。
尿や屎から生まれた神はまさに火山及び造山活動の賜物である。富士山の地下水は非常に有名である。また溶岩は黄泉比良坂を塞いだ大岩といえる。そして、木の下や井戸の下にあるという黄泉の国の場所を推理すると、木花佐久夜姫を神とする、豊富な地下水がある富士山と、鬼押出しという巨大な溶岩が屹立する浅間山がその象徴的な場所となる。上巻十章で記していた、河童の頭の皿が意味する女陰と噴火口とは、まさにこのことだったのである。
そこは現在フォッサマグナと呼ばれる地域に当たるが、邪馬台国と狗奴国の境界でもあると推定されるのである。新潟県糸魚川市西端の断崖である親不知は、イザナミに会いたがったスサノオや子供たちと別れた雪女を彷彿させるのである。
イザナギとイザナミは島生みの前に蛭子と淡島という子を生んでいる。蛭子は骨のない体で葦船に乗せて流された。これと地殻変動を併せて考えると、蛭子の正体が見えてくる。それは陶器の粘土(埴土)である。
埴土の生成は古代の河川と湖がかかわっている。太古から窯業で盛んな地域のある愛知県、岐阜県、滋賀県、大阪府、岡山県に共通しているのは、古代湖(東海湖、古琵琶湖、河内湖、瀬戸内湖)があったことである。
古代日本の古湖が蛭子と淡島のことで、蛭子が東海湖と古琵琶湖を指し、河内湖と瀬戸内湖が淡島だったのではないだろうか。イザナギとイザナミが婚姻をやり直したのが再度の地殻変動を指し、火山と堆積現象によって古湖は姿を消して粘土層となったことを意味しているのではないだろうか。
鬼押出しの地域は吾妻郡嬬恋村である。すなわちヤマトタケルが妻を恋しく思った場所である。イザナギがイザナミを、スサノオがイザナミと天照大神を求めた場所である。そのどれもが同一の存在なのであり、同時期の物語なのである。
そして木の下の根の国は地下であり、竪穴式住居に住んだ地下の住民を意味しているといえる。そして、春日大社(日本全土)の地下に埋められた卑弥呼と邪馬台国をも示しているのである。
悲劇の女性はすべて同時代の同一人物だった
記紀神話の悲劇の女性には、共通する一つの道具がある。それは竹製の櫛(湯津爪櫛)である。
イザナギは妻のイザナミが死んだのを嘆き、黄泉の国に会いに行ったとき、イザナミは自分の姿を見ないように言った。しかし、イザナギは髪に着けていた湯津爪櫛に火をともしてイザナミの姿を見てしまったのだ。
驚いて逃げるイザナギにイザナミは怒って追いかけたのだまイザナギは湯津爪櫛を投げて筍に変え、イザナミがそれを食べるうちに逃げ切ろうとした。それからもいろいろあり、最後は岩を挟んで離縁となった。
イザナギの子であるスサノオは、八岐大蛇のいけにえにされようとしていたクシナダヒメを湯津爪櫛に変えて髪に着けている。
ヤマトタケルが妻のオトタチバナヒメと船で安房へ向かう途中、浦賀水道で嵐に遭い、荒れる海を静めるためオトタチバナヒメは入水した。後に姫が着けていた櫛が海岸へ流れ着いた。
卑弥呼と同一人物と見られているヤマトトトヒモモソヒメは、櫛笥(櫛を入れておく箱)の中にいた蛇(大物主の化身)の姿を見たことを後悔して腰を下ろすと、箸で陰部をついて死んでしまった。
ヤマトタケルに草薙の剣と女性の服を授けた伊勢神宮の倭姫は、天照大神を祀る場所を探していて、竹田の国(三重県松坂市)で櫛を落としたことから、そこを櫛田の地とした。
岩戸から出た天照大神の新殿の門番として、古語拾遺には櫛磐間戸命を置いたとある。
そのほか、山幸は竹のいかだで龍宮に行き、乙姫は浦島太郎に玉櫛笥を渡し、かぐや姫は竹の中にいるところを籠作りの翁に見つけられた。
このことは、これらすべての女性が同一人物であり、時代も同じであったことになる。そして、浦島太郎が龍宮にいた間に過ぎたという300年というのは、イザナミ、天照大神、クシナダヒメ、オトタチバナヒメ、ヤマトトトヒモモソヒメ、倭姫が同時代の同一人物もしくは同族だったことを意味しているのではないか。
そして彼女たちを結びつける神こそがアメノマヒトツなのである。それはアメノマヒトツを祀る多度大社の最も手前にある神社に示されている。その神社の名を鉾立社といい、祭神の天久之比はアメノマヒトツと同一神である。
久之比とはつまり櫛火であり、イザナミの姿を照らした火であると同時に、櫛自体がイザナミであり、火で焼け死んだことを表している。姿を見られないようにしているのは卑弥呼と同じであり、卑弥呼の姿を見たのはイザナギ=スサノオと同一である豊城入彦=卑弥弓呼という象徴が現れるのである。
伊勢神宮の内宮と外宮
崇神天皇の時代以前、宮中で祀られていたのは天照大神と倭国魂神であった。天照大神はそれか遷宮を繰り返し、最終的に伊勢の地に鎮座した。これがこれが現在の内宮である。伊勢神宮にはもう一つ外宮があるが、祭神は豊受大神である。創建は雄略天皇の時代と伝えられる。
これまでの考察で、神武天皇は崇神天皇の皇子豊城入彦であった。神武天皇には五人の神が付き従い、その中の一人フトダマにも五人の従者がいた。そのうちの一人がアメノマヒトツであった。
フトダマは近江においてウカノミタマと同一とされている。ウカノミタマは伊勢神宮外宮の豊受大神と、さらに同じ食物神のウケモチとも同一とされる。また古事記の記述を裏読みすれば、神生みで生まれたすべての神とも同一である。汚いと言ってスサノオに殺された、口や尻から食べ物を出したやまんばのようなオオゲツヒメや、八岐大蛇とも同一なのである。
フトダマは地蔵と猿田彦とも同一で、地蔵は悲劇の女性の伝承が伝わるように、女性の形を取ることが多い。それはウカノミタマと同じであり、稲荷神社で共に祀られているのが猿田彦と姫神であることからも伺える。春日大社の地下に埋められた榎本神社の姫神も同じである。
猿田彦やアメノマヒトツは鏡に映った天照大神であるため、豊受大神と同一となる。伊勢神宮は内宮・外宮とも同じ神を祀っているのである。それは卑弥呼と台与も同一の存在であることが示されている。そして神武天皇とアメノコヤネは同一であるため、アメノコヤネ以外の者が神武天皇の随伴者、つまりスサノオのきょうだいであり妻であった天照大神となる。
伊勢神宮は外宮から参拝するのが通例となっている。それが外宮の格を上とする主張にもなっている。内宮を卑弥呼、外宮を台与とするなら、これも順序が逆のように見える。なぜこの順序なのかは、イエス・キリストの言葉から理解することが出来る。
「天使我に吿げて言ふ、『汝が異邦人の中にて最後に見し樣々の書は、曩に見し小羊の十二使徒の記錄の眞なることを確め、其中より拔かれたりと云ふ明にして價ある所を示し、又神の小羊は永遠なる天父の御子にて世の救主(イエス・キリスト)なることゝ、人皆小羊に來らずば救はれ得ざることゝ、小羊に來る者は小羊の親から敎へ給ふ道に從ひて來るべきことゝを、諸族、諸語、諸民に知らしむる者なり。小羊の敎へ給ふ道は、其十二使徒の記錄(筆者注:聖書)のみならず、汝の子孫の記錄(筆者注:モルモン經)にも明に示されん。故に此二つの記錄は結局一に合すべし。そは全世界を治め且導き給ふ神も牧羊者も唯一人のみなればなり。
此牧羊者がユダヤ人と異邦人との別なく總の國の民に顯れ給ふ時來るべし。然れど初は、先づユダヤ人に顯れ、然る後異邦人に顯れ給ひ、次ぎには先づ異邦人に顯れ、然る後ユダヤ人に顯れ給はん。斯の如く後なる者は先と成り、先なる者は後と成るべし。」(ニーファイ第壹書13:40~42)
天照大神が宮中から出るときに、崇神天皇の皇女豊鍬入姫彦命(豊城入彦のきょうだいである)が御杖代として仕え、その後を継いで伊勢の地に遷宮したのが倭姫命である。倭姫はヤマトタケルに草薙の剣を授けた人物であるが、これは八岐大蛇とスサノオの関係と同じで、卑弥呼と卑弥弓呼(豊城入彦)にも置き換えられる。
倭姫の前に御杖代となった豊鍬入姫は、その名から卑弥呼の後を継いだ台与とすれば、順序が逆である。日本書紀のこの記述はわざと書かれたのではないだろうか。
後先が逆になる意味が明らかとなる預言された時が来れば、参拝の順序が再び逆になるのかもしれない。
失われた日本黎明期の歴史
イザナミ、天照大神、オトタチバナヒメや多くの女性が同一人物であるなら、その歴史を推理すると、次のようになる。
巨大な火山活動と地殻変動が紀元1~3世紀にかけて発生した。日本列島は島々に分かれ、富士山が形成され、琵琶湖も誕生し、火山灰によって全地は暗くなってしまった。またその地殻変動は、邪馬台国が南にあり、さらにその南に狗奴国があるという不思議を解明する糸口になるのである。
紀元1~2世紀の日本列島は倭国とその王が統治していたが、崇神天皇(ミマキイリヒコ、タケミカヅチ)が東日本の狗奴国(クニ、日本)から倭(ヤマト、葦原中国)に侵攻し、倭国大乱が発生した。
崇神天皇は一旦倭を支配下に置くが、神事における災いと混乱を鎮めることが出来ず、卑弥呼という架空の女王を擁立する。この国は中国で邪馬台国と記されることになる。邪馬台国は狗奴国から分離する形で九州北部、丹後地方、畿内、東海、中部を支配した。狗奴国は瀬戸内海の制海権を奪い、九州南部、吉備、出雲、四国、熊野を支配下に置いた。
3世紀中盤、豊城入彦(神武天皇、卑弥弓呼)が再び倭(邪馬台国)を侵略する。ここで卑弥呼は死んだことになったが、豊城入彦は熊野に撤退した。この撤退は倭国大乱で熊野が狗奴国の支配下にあったことの証左であり、熊野山中にある猪垣は邪馬台国に対する防壁と思われるのである。
邪馬台国には大倭という政府機関があり、その役人もしくは実効支配者であった、崇神天皇のもう一人の皇子である垂仁天皇が即位する。しかし、卑弥呼の埋葬の際の生贄(人柱)に民衆が怒り、またも邪馬台国は混乱してしまう。そこで台与が即位し、再び邪馬台国は鎮まった。
卑弥呼すなわち天照大神の死の際、火山活動が活発となり、火山灰で全地は暗闇に閉ざされてしまった。これは天照大神の岩戸隠れとして伝えられ、豊城入彦すなわちスサノオは追い出された(神武天皇の熊野撤退)。岩戸から出てきた天照大神は、卑弥呼の復活体の台与の即位であり、この時期を境に全地は明るさを取り戻した。
その後、晋書の泰始2年(266)11月の「倭人が来て方物を献じた。円丘・方丘を南北の郊に併せ、ニ至の祀りをニ郊に合わせた」を最後に、同じく晋書の義熙9年(413)の「この年、高句麗、倭国、および西南夷・銅頭大師がそろって方物を献じた」まで、倭国の記述は途絶えるのである(空白の4世紀)。
ただ、太康10年(289)の「この年、東夷絶遠三十余国、西南夷二十余国が来献した」という記述で倭国が登場しないが、東夷の三十余国が元倭国すなわち狗奴国だったのかもしれない。
「円丘・方丘を南北の郊に併せ、ニ至の祀りをニ郊に合わせた」は前方後円墳の嚆矢とする説があるが、本書の歴史観を元に推理すると、それは箸墓古墳のこととなる。この前方後円墳は初め卑弥呼のための円墳として造られた。それから後に後方部が造られたが、これによって吉備(岡山市)の浦間茶臼山古墳と同じ設計となった。
これは卑弥呼が吉備津彦すなわち豊城入彦ときょうだい、すなわち夫婦であったことを示し、天照大神とスサノオの誓約をも示している。またこのしるしを最後に邪馬台国は狗奴国に征服されたものと思われる。
姥捨て山に示される雄略天皇は、再び狗奴国の支配から脱却して倭国を再興したのだろうか。それも藤原不比等によって、再び狗奴国の一族が実権を握ることとなったが、崇神天皇と垂仁天皇時代の苦い記憶を忘れず、天皇は倭国の王族がなるものとしたようである。
ただ、天皇が倭国の王なのかどうかは不明である。本書で正体を示している豊城入彦が神武天皇であるにしても、個人的に思うのは、日本にまだ象が生きていた時代に真正神武天皇が存在していたと考えており、現在までその系譜は連綿と続いて来ているのではないかと思うのである。
日本列島に存在した国(名)および呼称は、紀元元年前後は倭奴(イナ、ヲニ、ヲノ)で、3世紀は倭・邪馬台(ヤマト)と狗奴・旭(クニ)の二か国、3世紀後半から4世紀は狗奴・旭(クニ)4~5世紀は再び倭(ワ・ヤマト)、6~7世紀は大倭・大和・日本(いずれもヤマトまたはオオヤマト)、7世紀後半から日本(ニッポン)と変遷があったと思われる。
雑煮の餅
正月に雑煮を食べる風習は、沖縄を除く日本各地でみられる。雑煮に入れる餅の形は東日本では四角く、西日本では丸い形が基本となっている。東日本でありながら、山形県は丸い餅となっている。九州では角と丸が混在している。
雑煮は上巻十二章で考察したように、大歳神のための捧げものの儀式である。餅の形もこれまでの考察結果から、日本東西の不思議を解明できるのである。これはまさに前方後円墳の形であり、関東は狗奴国の前方部、関西は邪馬台国の後円部の象徴となる。
山形県が丸い餅なのは安曇氏の飽海郡があることから、ここも倭国(邪馬台国)の領域であるためで、九州の混在は邪馬台国と狗奴国が熊本を境に混在していたためとなる。
すべてがそうではないものの、四角い餅は焼いてから雑煮に入れ、丸い餅はそのまま煮ることが多い。丸い餅を焼かないのはイザナミ、豊玉姫と同一の卑弥呼が水の神であり、特に焼け死んだイザナミを意識したものではないかと思われる。これは河童である大歳神の正体そのものともいえる。
イザナミに死をもたらした火の神カグツチを殺したのは、スサノオと同一のイザナギであった。オオナムチに向かって火を放ったスサノオは、東日本の狗奴国の卑弥弓呼と同一であることから、関東と熊本は火の国(日の国)となるため、東日本の角餅は焼くのではないだろうか。
大歳神は地蔵でもあり、猿田彦でもある。これらの神の正体は古代日本に生息していた象の象徴ではないかと考察した。このことから、雑煮の名は象煮という意味もあるのではないだろうか。
雑煮は若水で調理する。若水は元日の朝に汲む水で、儀式的な意味合いが強い。これは個人的な想像だが、若水は雪解け水で組成そのものが普通の水とは違うため、健康に非常に効果があるという研究がある。いわば、若水で調理しない雑煮は儀式だけでなく、健康にも効果を期待できないのかもしれないと思うのである。
そらみつやんまとんぼの国
日本を呼びならわす名前に秋津島がある。秋津は蜻蛉(あきづ、かげろう、とんぼ)で、日本の姿をトンボが尻につながって飛ぶ様に見立てている。古事記では大倭豊秋津島または天御虚空豊秋津根別という。神武天皇は「うつゆうのまさきのくに、なお、あきづのとなめのごとし」と言い、トンボがつながって飛ぶ様をこの国の姿として表している。
雄略天皇の事績の中でも秋津島の謂われが出てくる。雄略天皇の手を刺した虫をトンボが素早く食べに来た時に、「そらみつやまとの国をあきづという」の歌を詠んでいる。ニギハヤヒが言った言葉と同じである。万葉集でも「そらみつ倭の国あをによし」の歌がある。
トンボがつながる姿は雌雄一対の象徴であり、東日本の狗奴国の男王卑弥弓呼、西日本の邪馬台国の女王卑弥呼のペアであることを示していると思われる。トンボはカタカナの「キ」の字に似ていることが昔から言われてきた。トンボが二匹で「キキ」となり、「記紀」に通じるのは偶然だろうか。
雄略天皇は悪王とされているが、その非道ぶりは神武天皇もヤマトタケルも似たようなものである。姥捨て山の項で指摘したが、雄略天皇が狗奴国の王であった可能性もある。伊勢神宮外宮を創建したことは、豊城入彦のきょうだいの豊鍬入姫が天照大神を奉斎したことに通じる。
また、赤猪子という童女に求婚したのだが、そのまま忘れてしまい、彼女は八十の老女になるまで待っていた(この話は蜻蛉の歌の前の記事である)。彼女は思いを遂げるため直接申し出たが、天皇は結局結婚しなかった。この老女はまさに姥捨て山の老母であり、卑弥呼である。赤い色もまた平家の色である。そして卑弥呼と卑弥弓呼の象徴である天照大神とスサノオそのものである。
このことから、雄略天皇の悪王としての事績は神武天皇のものであり、当該時代の歴史は別にあるのだろうと思われる。姥捨て山の悪い殿様は神武天皇だったのである。
天孫ニニギとホアカリ(籠神社の祭神)の母を萬幡豊秋津師比売という。これまで見てきたとおり、ニニギは神武天皇などいくつもの化身でもあるため、その母や妻は卑弥呼の化身といえる。そして名前に秋津があることから卑弥呼と邪馬台国も表すことになる。
「そらみつやまとの国をあきづという」は、空に満ちてつながって飛ぶトンボの姿がヤマトだということになる。それならば、トンボはヤマトだということになる。また、トンボはヤンマともいうが、つなげて読めば「ヤンマトンボ」である。つまり、これを縮めたのが「ヤマト」ではないだろうか。
そしてあの大きなオニヤンマは、鬼の卑弥呼を象徴しているのではないだろうか。トンボは田の守り神である。神田明神の平将門であり、背姿はかかし(田の神)であるクエビコにも通じ、トンボのメガネという唱や、目がつながって見えるように、一つ目のアメノマヒトツすなわちイエス・キリストにも通じるのである。
徳川家康の正体
徳川家康は江戸を日本の中心都市とするため、将門の怨霊を守護神とした呪詛結界を張ったという。それを行ったのが天海という僧だとされる。天海の正体が信長を裏切った明智光秀という説もあるが、それよりもまず、山王一実神道や諡号が慈眼大師であることなど、秦氏である可能性が非常に高い。慈眼寺とは秦氏創建の金比羅神社の神宮寺名である。
徳川家康は西の天照大神に対し、自らを東照大権現と称した。天照大神が卑弥呼ならば、東照大権現とはすなわち卑弥弓呼そのものなのである。天海は家康のブレーンとして仕えたが、これは神武天皇に仕えた八咫烏との関係にそっくりである。
日光東照宮の日光は日の光ではなく、二荒(にこう)が変化したものである。それならば朝日、旭もまた太陽ではないことにもなる。アサヒとは麻火ではないか。麻(大麻)は神社と密接な関係がある。また、荒の王ともいえる大荒彦とは豊城入彦の名である。
藤原氏も秦氏も日本の宗教を改変・支配した立場である。そして彼らはユダヤと関係がある。大英帝国が清国をアヘンで堕落させた裏にはユダヤの商人がいた。同じように藤原氏と秦氏は日本人を麻すなわち麻薬で操ったのではないか。それを示す言葉がアサヒ(日光=二荒)ではないだろうか。
八咫烏を祀る上賀茂、下賀茂神社に加えた山王一実神道の松尾大社を加えた三つは秦氏三所明神といい、まさしく秦氏である。そして江戸の実効支配者、矢野団左衛門は秦氏であり、家康自身も源氏ではなく賀茂氏であり、葵の紋からして実質秦氏といえる。
家康を大坂夏の陣で切腹寸前にまで追い詰めた(家康死亡説もある)、真田信繁(幸村)が死んだとされる安居神社(大阪市天王寺区)はスクナヒコナを祀る神社である。豊臣勢は信繁の進言を受け入れていれば勝てたという風説がある。
スクナヒコナと信繁をイエス・キリストとすれば、キリストを拒んで国を失ったユダヤ人が豊臣方、ヘロデ党が秦氏、そしてキリストを殺したヘロデが家康となるのである。その暗示の通り、家康とその子孫はキリシタンと日蓮宗の不受不施派を弾圧したのである。
耳にピアス穴で失明する
有名な都市伝説の一つである。耳にピアス穴を開た女性が、穴から白い糸のようなものが出ているのでそれを引き抜くと、目の前が真っ黒になった。その糸のようなものは視神経であったため、それを抜いて失明してしまったというのである。
いまだにこの噂を気にしている人がいるようである。体の仕組みからも、医学的にもまったく根拠がないのだが、一体この話は何を意味しているのだろうか。
ピアス穴と目の前が真っ黒になるという部分に注目すると、ある民族と巨石彫刻像が思い浮かぶ。つまり、長耳族とイースター島のモアイ像である。長耳族は耳たぶに穴を開け、重しをぶら下げて耳たぶを非常に長くしていることで知られている。モアイ像にも長耳族の特徴が示されている。
モアイ像の一般的なイメージは鼻筋の通った長い顔と長い耳、真っ黒い眼窩であるが、建造当時のモアイ像には目玉があったことが分かっている。また、モアイ像は自分で歩いたと伝わっているが、運搬は立てた状態でロープを顔に巻き付け、左右で引っ張り合って動かしたとされている。
モアイ像の長い耳はピアス穴に通じ、目玉の落ちた真っ黒い眼窩は目の前が黒くなったことに通じ、顔の横のロープは白い糸に通じる。つまり、ピアス穴の都市伝説はモアイ像を指しているのではないだろうか。
イースター島の住民は船形の家屋に居住していたと思われる。島民がほぼ全滅してしまったため、歴史伝承が極めて少ないが、船形に積まれた石組みの住居跡が残っている。この形、古事記にも出てくる。
大国主の国譲りの際、息子のコトシロヌシが、船をひっくり返して青柴垣に変え、隠れてしまった逸話である。これは、日本にイースター島から伝えられた伝承があったことを意味してるのではないだろうか。
そして、ピアス穴と失明の都市伝説は、イースター島のモアイ像を伝える預言なのではないだろうか。国譲りとコトシロヌシ行方不明の逸話は、イースター島の悲劇をも表しているのかもしれない。
三人で写真を撮るとまん中の人が早死にする
日本に広く伝わるこの迷信はどこから来たのであろうか。火のないところに煙は立たないというが、元になった事実があり、それが新しく普及した文化に合わさったものではないだろうか。そうすると、三人のうち、まん中の人が早く死んだ実話があったということになる。
日本人によく知られた迷信であるため、やはりその答えは鬼妖怪から得られるのではないだろうか。鬼妖怪とはイエス・キリストであるが、確かにイエス・キリストは三人のまん中に立ち、早死にしていたのである。
さて、イエスと共に刑を受けるために、ほかにふたりの犯罪人も引かれていった。されこうべと呼ばれている所に着くと、人々はそこでイエスを十字架につけ、犯罪人たちも、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけた。(ルカ23:32~33)
さてユダヤ人たちは、その日が準備の日であったので、安息日に死体を十字架の上に残しておくまいと(特にその安息日は大事な日であったから)、ピラトに願って、足を折った上で、死体を取りおろすことにした。そこで兵卒らがきて、イエスと一緒に十字架につけられた初めの者と、もうひとりの者との足を折った。しかし、彼らがイエスのところにきた時、イエスはもう死んでおられたのを見て、その足を折ることはしなかった。(ヨハネ19:31~33)
ユダヤ人は安息日(土曜日)には何もしない(働かない)決まりがある。ユダヤの暦は一日の始まりが夜からである。イエスの十字架の刑は金曜日であった(十三日の金曜日の迷信はここから来ている)が、日没とともに安息日が始まってしまうため、それまでに十字架の刑を終わらせる必要があった。
十字架の刑は罪人を苦しませるのが目的であるため、すぐに死なせない細工がしてある。手のひらと手首、両足の甲に釘が打たれているが、足の力を抜いてぶら下がる体勢になると、胸部が圧迫されて窒息死してしまう。そのため、十字架の中ほどに腰掛と鈎針があり、臀部がそれに刺さり、苦しみながら体を支えさせるようになっている。
十字架の刑を強制終了させる場合は、足の骨を折ってぶら下がらせ、窒息死させることになっていた。イエスと共に十字架につけられた二人の犯罪人はまだ生きていたため、足の骨を折られたのである。しかし、イエスはすでに死んでいたために折られなかった。
つまり、三人のまん中にいたイエス・キリストは、三人の中で最も早死にしていたのである。日本人の心の中に、この出来事への悲しむべき記憶が残っており、写真の迷信へとつながったのではないかと思うのである。
カメラは片目すなわち一つ目で覗く。天照大神の岩戸隠れの際、球を作ったタマノオヤという神は、カメラのレンズ職人が信奉する神である。岩戸隠れにかかわった神はすべてアメノマヒトツの化身であるため、イエス・キリストと同一となる。
また、カメラの三脚は文字通り三本足で、天界三神を示し、キリストと共に十字架に掛けられた二人の罪人と合わせて三本柱である。そして、キリストとバプテスマのヨハネ、つまりスクナヒコナと大国主の二人三脚も表している。
赤い紙、青い紙
トイレの花子さんと同じくトイレの怪談である。
ある児童が大便用トイレで用を済ませたところ、紙が無かった。すると、「赤い紙が欲しいか? 青い紙が欲しいか?」という声が聞こえてきた。
少年が「赤い紙」と答えたところ、身体中から血が噴き出し、少年は死んでしまった。
この話を聞いた別の児童が、我慢しきれず、怖いながらもトイレに行った。するとまた「赤い紙が欲しいか? 青い紙が欲しいか?」という声が聞こえてきた。
この児童は血が噴き出した話を思い出し、「青い紙」と答えたところ、身体中の血を全て抜き取られ、真っ青になって死んでしまった。
この話のルーツと思われるのが、京都のカイナデ(カイナゼ、関西ではなでるをなぜるという)という妖怪である。節分の夜にトイレに現れ、尻をなでるという。それを防ぐのに、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」と言うとよいとされる。
「赤」が出血を、「青(白)」が失血を意味しているようだが、これに加えて、節分に現れるカイナデという鬼とも妖怪ともつかぬ存在を考えると、これもまた河童であり、一つの象徴が浮かび上がって来る。
節分は年越しと同じであり、カイナデと大歳神は同じものとなる。大歳神は鏡割りとお屠蘇の風習から、殺される存在であることが分かる。年末から新年にかけて殺され、血を流した存在といえば、これまで見てきたとおり、イエス・キリストである。
日本では時代を問わず、イエス・キリストを死を象徴する妖怪として語り継いできた。この「赤い紙、青い紙」も同じようである。しかし、花子さんと同じく、トイレにおける犯罪を未然に防ぐための預言であったのかもしれない。
かごをかぶると背が伸びなくなる
かごのほか、袋やザルという場合もあるが、親に叱られる子供の遊びのひとつである。これはなにをルーツとするのであろうか。行儀作法を教えるためのたとえともいわれるが、明確な回答はなさそうである。
しかし、そういう歴史があったとすればどうだろうか。実際、籠を被った虚無僧という放浪者もいた。ただし、虚無僧の背が低いというわけではない。虚無僧が籠を被るのは顔を隠すためであるが、かごめ歌にもあるように、籠の中に人がいるという暗号もある。
ここで重要なのは、かごを頭にかぶるのではなく顔を隠すために使うことである。何のために顔を隠すか、それはかつて世界中で他の民族と接触を厳しく禁じていた人々がいるということである。
その最たるものが小人である。世界のあらゆる童話で語られてるが、特殊な技能を持つため重宝されているのだが、直接交流することが厳禁だったのである。それはもしかすると伝染病を警戒してのものだったのかもしれない。
北海道にはコロポックルという人たちがいた。アイヌ人は彼らと沈黙貿易を通じて交流があったが、姿を見ることは厳禁であった。コロポックルは万が一見られた時のために、顔を隠すかごをかぶっていた可能性もある。彼らは小柄であるため、かごをかぶった姿を知っていた他の民族は、かごをかぶると背が伸びなくなると見なし、伝えたのかもしれない。
アイヌ人によると、コロポックルは縄文人である。本州にも縄文人の遺跡があることから、コロポックルがいたといえる。小柄でかごをかぶったコロポックルを他の民族(日本人)が見ていたとすれば、かごをかぶると背が伸びなくなると見なし、伝えたのかもしれない。
ハンバーガーの肉がミミズ
これも有名な都市伝説で、マクドナルドハンバーガーの肉にはミミズが使われているというものである。猫やネズミといったパターンもあるが、ここではなぜミミズという噂が発生したかを考えてみたい。
マクドナルドという姓はスコットランドの王族が由来とされる。もとはマクドネルといったようである。マクドナルドハンバーガーと関係なさそうなのだが、あるマクドネルという名の人物の体験談が、ミミズの噂と重なるのである。
マクドナルド姓のルーツのスコットランドにはモラー湖という湖があり、そこにはモラーグと名付けられた怪物の目撃談がある。1969年のダンカン・マクドネルとウィリアム・シンプソンによる目撃談が有名である。
彼らがモーターボートに乗っているとき、突然船の後方にモラーグが現れて船を攻撃してきた。マクドネルがオールで反撃し、シンプソンがライフルを発砲すると、怪物は逃げて行ったという。
このモラーグという怪物は、同じスコットランドのネス湖にいるというネッシーと同一ではないかといわれている。ネス湖とモラー湖は60キロほどの距離である。両湖は地下洞窟でつながっていて、行き来しているのではないかともいわれている。
そうすると、怪物の正体と考えられているプレシオサウルスなどの首長竜は肺呼吸であるため、行き来は無理である。第二十章のUMA項で、ネッシーの正体がウミウシやクリオネのような貝類(軟体生物)を想定したが、それならば行き来は可能といえる。
仮にモラーグの正体が巨大な軟体生物ならば、スコットランドとモラーグにかかわるマクドナルドと合わさって、ハンバーガーの噂が誕生することになる。いわば軟体生物のモラーグの肉、すなわちミミズの肉というわけである。
また、チキンナゲットというこれまた骨なしの肉について、中国での不潔な加工が問題になったことがある。いずれにしても、マクドナルドには骨なしのモノについて話題が上るようである。
のび太とドラえもん
あっかんべーやあやとりは、環太平洋地域に見られる文化である。鬼が蚊になるという話は日本にも南アメリカにもある。アフリカ起源の成人T細胞白血病のレトロウイルスも、アジアには見られず、アメリカ先住民と日本のアイヌや沖縄県民に見られる特徴である。
のび太はあやとりと射撃が得意である。コミックス1巻で登場するのび太の先祖は眇目(すがめ)のマタギである。ドラえもんは正月に机の引き出しから出てきて餅を食べ、押し入れに寝ているので、まったくもって大歳神であり座敷童である。
ということは、先祖が眇目で眼鏡をかけているのび太はアメノマヒトツであり、ドラえもんはスクナヒコナということになる。のび太がいじめられる理由は鬼だからということにもなる。こんなところにも象徴が隠れていたのである。
また、ドラえもんは誕生当初は黄色で、ネズミに耳をかじられて青色になったという。耳はパンの耳というように、端の意味だとすれば、餅の端をかじられたことになる。
ドラえもんの色の変化は、金星の地球から見た色と写真の色のようである。また青は青銅とすれば、丸を二つ重ねた体で正月に登場して餅を食べているので、青銅の鏡をモデルとする鏡餅であり、卑弥呼の鏡そのものということになる。ネズミは餅をかじるので、倭人がネズミ除けに高床式倉庫を造った歴史を彷彿させる。
ドラえもんの映画は、すべてに「のび太の・・・」というサブタイトルがついている。唯一ついていないのが「ぼく桃太郎のなんなのさ」である。のび太が鬼とすれば、桃太郎のタイトルとは相いれないわけである。
連合艦隊(1)戦艦大和、信濃、武蔵
日本海軍連合艦隊の旗艦、軍艦大和は、昭和二十年(1945)四月七日、天一号作戦においてアメリカ海軍の攻撃を受け、九州坊ノ岬沖にて沈没した。大和を初め武蔵、信濃の三隻は大和級戦艦として建造された。四隻目は未完成のまま終戦を迎えた。
日本海軍の軍艦にはそれぞれ艦内神社があり、大和は奈良の大和神社、武蔵は埼玉の氷川神社が祀られている。信濃の艦内神社は不明である。信濃は初め戦艦として建造されていたが、その後空母に改造されている。これらの艦の戦いと終焉には深い暗号が隠されているのである。
大和は極秘裏に建造された。今でこそ大和を知らない人はいないくらい有名だが、その雄姿を見た人はほとんどいない。建造中の大和を隠すため、棕櫚の葉が大量に使われていた。そして運命の四月七日。これらの情報に秘められた不思議を紹介したい。
大和の艦内神社、大和神社の祭神は倭大国魂という。宮中で天照大神と一緒に祀られていた神だが、崇神天皇の時代に宮中から追い出されてしまった。倭大国魂がどんな神であるのかは分かっていない。だが、連合艦隊の関係からその正体に迫ることが出来るのである。
武蔵の艦内神社、氷川神社の祭神はスサノオである。大和は武蔵と姉妹艦であったことから、大和は天照大神と考えてもよさそうである。しかし、大和の倭大国魂が宮中で天照大神と一緒に祀られていたことをどう考えたらよいだろうか。崇神天皇の時代に何らかの作為があったことが伺える。
大和は誰にも知られない存在でありながら、日本人の魂に最も強い印象を残す戦艦である。そしてスサノオの武蔵と姉妹であるなら、誰にも姿を見せない卑弥呼となる。日本書紀の編者は、崇神天皇の末裔である藤原氏から、卑弥呼の正体を隠すと同時に最高の賛美をささげるため、倭大国魂という架空の神を作り上げた可能性がある。その名は日本の魂であり、日本人の心のよりどころそのものである。
連合艦隊(2)大和の正体
建造中の大和を隠した棕櫚の葉は、大和の正体をさらに明らかにしている。その答えは「勝利の入場」と呼ばれる、キリストの凱旋の光景にある。
その翌日、祭にきていた大ぜいの群衆は、イエスがエルサレムにこられると聞いて、しゅろの枝を手にとり、迎えに出て行った(ヨハネ12:12~13)。
ほとんどの人は、イエス・キリストの誕生日をクリスマスの十二月二十五日と思っている。十二月二十五日がクリスマスになったのは、ローマ市民がキリスト教に改宗した際、それ以前に信仰していたミトラ教の祭日を、そのままイエス・キリストの生誕祭にしてしまったことによる。
実際の誕生日を、モルモン書の翻訳者ジョセフ・スミスが、末日聖徒イエス・キリスト教会設立の際に預言している。
この終わりの時におけるキリストの教会の起こり。それは、わたしたちの主であり救い主であるイエス・キリストが肉体を取って来られてから千八百三十年であって、第四の月、四月と呼ばれる月の第六日に、神の御心と命令により、わが国の法律にかなって正式に組織、設立された。
「肉体を取って来られて」とは、降誕のことであるため、千八百三十年前すなわち紀元前一年の四月六日がイエス・キリストの誕生日となる。日付変更線を顧慮した際、大和の沈没した四月七日はイエス・キリストの誕生日と同じなのである。これでは誕生と死という正反対の意味になるが、これが逆さまの世界の不思議である。
クリスマスの十二月二十五日はもともと、日が最も短くなる冬至から日が長くなり始める日であることから、死と復活を記念する祭日となっていた。つまり、この日は死にかかわるものなのである。逆に復活祭(イースター)は三月末から四月初めにあるが、イースターエッグなどの風習は、もともと誕生を意味する祭日であることが分かる。
また、海底に沈んでいる大和または艦内神社の倭大国魂が、仮に引き上げられるようなことがあると、それはまさに復活である。一度水に沈んでまた上がるのは、イエス・キリストの埋葬と復活を象徴するバプテスマである。大和は建造から沈没までイエス・キリストの象徴に満ちているのである。まさに大和は、卑弥呼であると同時にイエス・キリストの化身なのである。
連合艦隊(3)信濃の沈没
艦内神社が不明なままの信濃もまた象徴に満ちている。信濃であるので諏訪大社が最有力ともいえるが、初めは戦艦として建造され、後に空母となったことが大きなポイントである。
信濃は安曇氏の拠点であり、安曇氏は福岡県の志賀島から瀬戸内海、日本海、信濃川を通って安曇野に至ったと考えられている。魏志倭人伝に記された二つの信濃は一つの船であったが、二つの役割を果たしているところから、魏志倭人伝の二つの奴国の記述と同じではないかと思われるのである。一つ目の奴国は福岡県、二つ目の奴国は長野県となる。
空母信濃は大和と共に戦うことなく、アメリカ軍の潜水艦アーチャー・フィッシュの魚雷で沈没してしまった。これがまさに暗示めいているのである。アーチャー・フィッシュとはテッポウウオのことであるが、英語の言葉の意味は「弓を射る者」である。それはまさに豊城入彦である。
信濃国は狗奴国の群馬と栃木の隣であるが、狗奴国が邪馬台国を攻める前に、まず奴国(信濃)を攻め落とした歴史があった可能性がある。姥捨て山の昔話もそうである。それが空母信濃を沈めたアーチャー・フィッシュの歴史と重なるのである。
信濃国と豊城入彦という関係を考えると、空母信濃の艦内神社の祭神が浮かび上がって来る。信濃でもともと信仰されていた神は、ミシャグジやモリヤ神であったと推測されている。このモリヤ神は物部守屋に関係があるように思われる。武蔵の氷川神社も本来の祭神は、門客人神社のアラハバキと考えられるが、これは手長足長でもある。諏訪大社の本来の祭神も手長足長である。
手長足長とは八岐大蛇に娘を次々と食べられた、テナヅチ・アシナヅチの夫婦である。八岐大蛇のエピソードは出雲が舞台と思われているが、実際には信濃と武蔵の地ではなかっただろうか。八岐大蛇がモルモン書の化身であると推理してきたが、日本に伝えられたモルモン書の謎が、この地に隠されていることを暗に示しているように思われるのである。
漢委奴国王の金印がモルモン經の発見のエピソードと酷似していたが、この金印は本物の金印の在り処を示す道標の役割を果たしていると思われる。筆者個人は、謎を解く鍵が善光寺の守屋柱の中に隠されていると考えている。
空母信濃は沈没してからその所在がまだ明らかになっていない。もしその姿が確認されたとき、信濃の地に隠された古代日本の歴史が明らかになる予兆となるのではないだろうか。
宇宙戦艦ヤマト
1974年に放送され、劇場版が公開されて大ヒットした宇宙戦艦ヤマトは、沈没した戦艦大和を改造したものであった。ガミラス星人の攻撃で干上がった鹿児島県坊ノ岬沖で、半ば地面(海底)に埋まった姿で朽ちていた大和は、発進と同時に錆びた船体の中から殻を破るように姿を現した。またヤマトは水中と空中も航行可能である。
二十五章でヤマトとはヤンマトンボであると考察した。トンボは幼生の間、水中でヤゴとして過ごす。後に陸に上がり、羽化して成虫のトンボとなる。まったく宇宙戦艦ヤマトの建造と出航の姿、そして潜水と飛行の姿と重なるのである。
魔女の宅急便
日本の呼び名には「大倭豊秋津島」「そらみつやまとの国」などがあるが、これはトンボが連なって飛ぶ様を表している。トンボはカタカナの「キ」の形をしている。連なって飛ぶ形は「キキ」に見える。
宮崎駿監督のアニメ映画「魔女の宅急便」の主人公は「キキ」、ボーイフレンドは「トンボ」、宅急便の呼称は「ヤマト運輸」で、日本の呼称を見事に表している。これが意図的なものなのか、偶然なのか、必然なのか、不思議である。
大嘗祭に隠された卑弥呼の暗号
令和元年(2019)十一月十四日から十五日の未明にかけて、大嘗祭が行われた。大嘗祭は新天皇が即位した後に新穀を神に供える儀式である。
まず悠紀殿から、そして主基殿の儀式が行われたが、この儀式の謎を解く鍵は、新穀(米)を収穫する田の場所を決める亀卜にある。亀卜とは、亀の甲羅に熱したハハカの木を押し当てて生じたひび割れを見る占いである。天照大神の岩戸隠れから奈良時代くらいまでは、鹿の肩甲骨が使われていたという。
悠紀は東日本、主基は西日本を指し、それぞれ狗奴国と邪馬台(倭)国を示している。狗奴国は旭と書いてクニと読み、日の出ずる国日本に相当する。狗奴国は邪馬台国を併合して日本とし、邪馬台国は謎の消滅をする。狗奴国はその姿をくらましてしまうが、藤原氏と征夷大将軍が為政者となった時代はすべて狗奴国の姿を示している。
狗奴国の王卑弥弓呼の豊城入彦はアメノコヤネでもあり、藤原氏はその末裔である。そのため、藤原氏に敵対する倭人の子孫と思われる物部守屋、蘇我入鹿、アテルイ、平将門、酒呑童子などはすべて鬼と見なされ、弓矢で射られて首を刎ねられるのである。
スサノオが首を刎ねた八岐大蛇の正体は卑弥呼である。また、スサノオのために女陰を突いて死んだ天照大神もまた卑弥呼であり、同じくスサノオに殺されたオオゲツヒメもまた卑弥呼の化身である。
オオゲツヒメは殺された後、体の各所に穀物と蚕を生じたが、これが亀卜のルーツではないだろうか。神武天皇の母が玉依姫という河童(海童)の娘であったが、その姉豊玉姫は神武天皇の父、ニニギの母であった。ニニギは昔話でいう浦島太郎の子である。浦島太郎はニニギの父、山幸彦のことである。
神武天皇は父の妻の妹と結婚していることになるが、神武天皇は浦島太郎の山幸彦と同じ名前のヒコホホデミといい、同一人物である。
浦島太郎が助けたのは亀ではなく亀姫であり、河童の豊玉姫である。河童は頭の皿が割れると死んでしまうが、この皿が卑弥呼の鏡に相当し、皿(器)は女陰をも意味し、亀の甲羅でもある。河童が亀の甲羅を背負っているのは卑弥呼にルーツがある。
卑弥呼のオオゲツヒメが死んで米が生じたことと、女陰を傷つけて死んでしまうことが、甲羅に焼け火箸を押し付ける亀卜そのものなのである。卑弥呼と同一と考えられているヤマトトトヒモモソヒメもまた、箸で女陰を突いて死んでしまったが、これもまた亀卜そのものということになる。
卑弥呼の墓は円墳のはずだが、箸墓古墳が前方後円墳なのは、東日本の五角形を合体させた形であり、卑弥呼の死後の台与の時代に狗奴国が邪馬台国を滅ぼし、併合したしるしとなる。
邪馬台国征服は記紀に記されていた
通説では記紀に邪馬台国の記述は認められないとされている。卑弥呼そのものの記述も名称も見当たらず、ヤマトトトヒモモソヒメが卑弥呼という説も確定されていない。しかし、記紀を読み解くと、卑弥呼の邪馬台国がはっきりと浮かび上がって来るのである。
狗奴国の王は卑弥弓呼というが、それはスサノオのことであり、崇神天皇の皇子豊城入彦のことである。これまで見てきたとおり、豊城入彦は神武天皇でもある。豊城入彦(宇都宮大明神)の化身ともいえる藤原秀郷が、栃木県の佐野に住んだことが佐藤姓のルーツとなった。神武天皇の幼少時の名の狭野も同じルーツなのではないだろうか。
古事記によると神武天皇は四人兄弟で、長兄を彦五瀬命といい、次兄に稲氷命、次が御毛沼命、末弟が若御毛沼命、またの名を豊御毛沼、またの名を神倭伊波礼毘古命という。狗奴国は鬼怒川流域の毛野にあった国である。毛沼(日本書紀は毛野)と毛野が同じであるなら、神武天皇はまさに狗奴国の王だったのである。
兄のうち、ミケヌは波頭を越えて常世の国に行ってしまい、イナイは母の国に行くため海原に行ってしまったという。これはスクナヒコナとスサノオの行動と同じである。スクナヒコナはアメノマヒトツと同一であり、天照大神とも同一である。
ミケヌが天照大神であり、イナイがスサノオと同一であれば、天照大神はやはり男であり、卑弥呼もまた男であることを示唆するための記述となる。そして卑弥呼の即位は狗奴国が主導したことが示唆されているといえる。
神武天皇の名であるイワレビコは軍勢が満ちた様を表したものであり、それにちなんで磐余の地名になったという。そして磐余の地はもともと片居や片立といったが、片足で立つとはすなわち一本足ではなかろうか。
それは岩戸から半身をのぞかせた天照大神や、一本足のアマノマヒトツの姿を示している。つまり、もとはアメノマヒトツの国であった卑弥呼の邪馬台国を、狗奴国の卑弥弓呼すなわち神武天皇であり豊城入彦が征服した証拠といえるのである。
ナガスネヒコの正体
ニギハヤヒは、神武天皇の軍が戦った登美能那賀須泥毘古(登美毘古)が仕えた天神で、トミビコの妹トミヤヒメを妻としていた。二人の子ウマシマジが物部氏の祖である。
ニギハヤヒは神武天皇と同じ天神の印を持っており、それを献上して神武天皇に仕えた。ここに大いなる矛盾がある。天神の印は一つだけであると神武天皇が言っていることから、ニギハヤヒが同じものを持っているのはおかしいのである。
トミノナガスネヒコの名は、トミ(鳥見、鵄)が名前でナガスネが地名であると記されている。しかし、ナガスネがどこを指すのかまったく分からない。日本書紀の記述である長髄が、長い脚を指すのならば、天皇(神武天皇と記していない)の言葉がヒントになるかもしれない。
天皇は「我は日神の子孫であるから、日に向かって敵を討つのは天道に逆らうことになる」と言っている。これはナガスネヒコが日神そのものであり、日の光陰でできた長い影が長髄を指しているのではないだろうか。鳥見の名も鵄を指し、鵄が光り輝いた様もまたナガスネヒコの姿となる。つまり、皇弓(神武天皇の弓とは書かれていない)の先に止まった鵄はナガスネヒコなのである。
「日に向かう」とは「日向」であり、日向子=卑弥呼となる。鵄(鳶)はイエス・キリストの象徴である。これまで見てきたように、卑弥呼は男であり、天照大神であり、イエス・キリストであった。つまり、ナガスネヒコは卑弥呼ならびにイエス・キリストを象徴していたのである。
そしてイツセを死に至らしめたトミビコの矢は、皇弓に止まった鵄そのものである。それは日に向かって戦うことが、イエス・キリストへの敵対を意味し、垂仁天皇がキリストの福音を意味する橘を食べずに死んだ事績にも示されている。
ナガスネヒコの長髄が長い足の意味なら、エホバ(イエス・キリスト)の化身、手長足長の姿と同じである。イエス・キリストの足についてイザヤ書はこのように記している。
「よきおとずれをつたえ、平和を告げ、よきおとずれをつたえ、救いを告げ、シオンにむかって『あなたの神は王となられた』と言う者の足は山の上にあって、なんと麗しいことだろう。」(イザヤ52:7)
イワレビコの磐余は軍勢が満ちた様を示しているが、それは竹取物語の富士と同じ意味になる。トミビコの鳥見を富とし、彼の軍勢を富士とすることも出来る。それは不老不死の薬を燃やした富士山に通じ、不老不死を手に入れられなかった帝は、玉手箱を開けた浦島太郎の神武天皇や、橘を食べなかった垂仁天皇、イワナガヒメを拒否したニニギをも示している。
ニギハヤヒの正体
日本書紀の神武天皇崩御の記述直前に、日本の呼び名について数種記されている。その中でニギハヤヒが告げた国名は「虚空見日本国」であった。虚空の名は山幸彦の別名虚空津彦に通じ、日本国は狗奴国のことである。つまり、山幸彦が狗奴国の王であり、ニギハヤヒであったことを示している。
したがってニギハヤヒは神武天皇、もしくは父の崇神天皇と同一であり、同じ天神の印を持っていても矛盾しないのである。しかもその印は弓矢であり、豊城入彦の象徴なのである。
また、物部氏の歴史書といわれる先代旧事本紀では、ニニギの兄天火明命
がニギハヤヒの祖であるとしている。籠神社の祭神もホアカリであり、宮司の海部氏の祖で浦島太郎のモデルでもある。
ところが日本書紀の一書では、ホアカリがニニギの子で、ホホデミ(山幸)の弟として記されている。さらに、ニニギの降臨時、猿田彦とそっくりな働きをする事勝国勝長狭という神が登場する。この神はイザナギの子で、またの名をシオツチノオジという。
シオツチノオジは白髯神社に祀られることがあるが、白髯明神は通常猿田彦であるため、やはり猿田彦である。しかもイザナギの子とすればスサノオでもあるため、猿田彦と同一でもあるアメノコヤネということになる。
アメノコヤネは豊城入彦及び神武天皇でもあるため、どの側面から見ても、ニギハヤヒと崇神天皇または神武天皇は同一人物なのである。ニギハヤヒが崇神天皇ならば、神武天皇に先立って倭を征服したタケミカヅチと同一である。二人が同じハツクニシラス天皇と呼ばれるのは、二回にわたる倭国侵略を示しているものといえる。
すると、タケミカヅチと共に降臨した天鳥船と、ニギハヤヒの天磐船が同じものとなる。スサノオが殺したオオゲツヒメは、天鳥船とイザナミの死の原因となったカグツチの間に名前が記されており、卑弥呼の死がスサノオの時代にあったことを追認している。
つまり、神武天皇は豊城入彦であり、その父である崇神天皇を攻めて倭を奪い取ったことになる。魏志倭人伝には大倭(恐らく現在の大阪)という行政機関と思われるところに、伊支馬と弥馬獲支という役人がいたとしている。これがイクメイリヒコの垂仁天皇とミマキイリヒコの崇神天皇であるなら、これまでの謎解きを追認していることになる。
そして物部氏はニギハヤヒが入り婿しているので、藤原氏の子孫ということにもなる。藤原氏の全盛は母方の家系の資本力によるものであった。竹取物語の登場人物にもその影響がみられる。もしかすると、物部氏への態度は親子とその子孫の骨肉の争いを示しているのかもしれない。ヤコブとエサウのようにである。
応神天皇もまた豊城入彦だった
古事記では応神天皇、日本書紀では垂仁天皇の時代としているアメノヒボコの逸話も、同じ時代とすれば応神天皇も神武天皇であり、豊城入彦となる。
アメノヒボコの後に記されている、下氷壮男と霞壮男の逸話は、大国主と海幸山幸の話を合わせたような内容である。同じ出来事を違う時代の出来事の世王に記すのは、事実を隠すためなのかもしれない。浦島太郎が数百年の後に戻って来たという話も、時代を飛び越えているように見えて実は同時代の出来事であったことを隠す暗号なのかもしれない。
応神天皇の事績も、邪馬台国の征服を示す同時代の出来事であり、応神天皇が藤原氏と秦氏に関係が深いことと、入鹿が海豚ではなく、蘇我入鹿を暗示していることも示されているのである。
応神天皇が名前を交換したという、福井県敦賀市にある気比神宮のイザサワケであるが、気比はオオゲツヒメの「気」であり、御食の「食」であるため、食物の神であることが暗示されている。つまり、伊勢神宮外宮の豊受大神であり、邪馬台国の女王台与である。
この名前交換のエピソードは、狗奴国の邪馬台国征服そのものであり、入鹿の犠牲は卑弥呼=台与=イエス・キリストの死を意味し、藤原氏が弓使いや僧侶として鬼や妖怪を退治する話が生まれていくことになった。
また、卑弥弓呼を「ビャッコ」と読むとすれば、秦氏と関係の深い狐つまり白狐を指すことになる。まさに秦氏の大王であるが、それは応神天皇が秦氏であったという説と一致する。そして卑弥弓呼こと神武天皇は、ユダヤ人の王としてイスラエルを支配し、イエス・キリストに狐と呼ばれたヘロデ(エサウ)の末裔であることが見えてくるのである(ルカによる福音書13:32)。
テルテル坊主と前方後円墳
テルテル坊主は卑弥呼の墓と考えられている、箸墓の前方後円墳をデザインしたものではないだろうか。卑弥呼は河童の豊玉姫と同一で、豊玉姫は竜宮城の乙姫であり、乙姫はスッポンであった。箸墓の円墳部はスッポンの別名「まる」を表している。
霊亀という霊力を得た亀は尻尾の周りに箒のような毛が生えている。蓑亀という甲羅に毛状の藻が生えたものが同じ姿をしているとして珍重されている。浦島太郎が乗る亀もこの姿をしている。ただ浦島太郎の乗る亀は、足がヒレの海亀の姿描かれるが、霊亀は足に爪があるので陸亀と分かる。スカート状の毛が前方後円墳の前方部のデザインとなるのかもしれない。
中国の神話では、霊亀の上には蓬莱山がそびえ、そこには仙人が住んでいるといわれる。蓬莱山が富士山だとすると、仙人である山の神はイザナミすなわち卑弥呼となる。富士山は神武天皇の名にも通じるため、亀の上に乗った浦島太郎の姿が前方後円墳の形となるといえる。
滋賀県にも蓬莱山があり、しかも霊亀はスッポンがモデルなので、これも滋賀県が舞台ともいえる。昭和天皇即位の大嘗祭で、悠紀殿の米の栽培地に滋賀県の御上神社の斎田が選ばれた。これはかつて、滋賀県の地域が狗奴国(前方部)であった名残なのかもしれない。
前方後円墳の写真や絵は、ほぼすべてが後円部が上になっている。テルテル坊主と同じ姿だが、前方部というからには方形の方が上である。これによってテルテル坊主は上下逆さまに吊るした姿をしていることが分かる。
蓬莱、方丈、瀛州は東の海にある三神山の一つで、方丈はその中央の島で方壷ともいう。方壷すなわち壺とはまさに前方後円墳の形であり、鍵穴形ではなく壺形であるのが正しい見方といえる。
卑弥呼こと豊玉姫は河童であるが、河童は雨乞いの神である。それを逆さまにすることで、晴れを乞う呪物としているのである。これはかごめ歌の「後ろの正面」にも通ずる象徴で、人形の自然なデザインだと思っていたものが、実は上下逆さまだったというものなのである。
ムカデ退治と雷様とタニシ
滋賀県に伝わる俵藤太のムカデ退治は有名であるが、これに雷様と河童の伝承を加味すると、古代日本の興亡の歴史が浮かび上がって来る。それは以下のようなものである。
草津市に伝わる伝承であるが、河童の住む池に雷様の子が落ちてきた。雷の子は人のへそが食べたいと河童に駄々をこね、困った河童はタニシをへそと称して雷の子に食べさせた。やがて雷様が子を迎えにきたが、彼もまた人のへそとされたタニシを非常に気に入り、河童に貢ぐように要求した。
雷様といえば菅原道真である。そして道真は河童(ひょうすべ)の王であった。道真は藤原氏に零落させられてしまった。そしてタニシであるが、たにし長者という昔話があるように、これも人を表す暗号なのである。タニシは河童よりも下位に属する立場ということになる。これらの関係とムカデ退治の伝説を加えて考察すると、一つの歴史が見えてくる。
倭国には銅鐸祭祀文化があった。それが鏡祭祀に取って代わられる。銅鐸祭祀集団はムカデやタニシで表わされるたたらの民であり、瀬戸内海を通って三上山に至り、各地で銅鐸を埋めながら東海地方へと逃亡していく。これは豊城入彦の父崇神天皇の倭国大乱であり、乱も疫病も鎮まらなかったため、龍神と俵(稲作民)で表される卑弥呼を戴く鏡祭祀集団の邪馬台国が登場する。
しかし、この邪馬台国も豊城入彦すなわち卑弥弓呼の狗奴国によって滅ぼされる。このため、銅鐸祭祀集団と鏡祭祀集団の仲が悪くなったのは、豊城入彦の陰謀によるものといえるのではないだろうか。たたらの民と稲作民の連合軍は相手が悪いとみて、同士討ちに加えて一個撃破を行ったのではないだろうか。
三上山には日本最大の銅鐸が埋められていた。どの民にとっても三上山は聖地だったようである。三上山のふもとである守山市には、タニシを祀る螺(つぶえ)神社がある。タニシを支配する河童は龍神の家来であるため、龍神とは邪馬台国の女王卑弥呼となり、相対してタニシはムカデのたたらの民ともいえる。そして河童の王である雷様の道真は卑弥呼と同一となる。
平安時代の政治は藤原氏の独占支配であった。それは狗奴国と同じといえるが、道真の立場もまた狗奴国内の政治家すなわち卑弥呼と同じ立場となり、結局は豊城入彦の末裔の藤原氏によって没落したのである。
「雷様にへそを取られる」という言い伝えには、はるかな古代の謎が秘められていたのである。
因幡の白兎とケサランパサラン
一般に因幡の白兎というと、文字通り白いウサギとして語られ、描かれている。しかし、野生のウサギが白くなるのは冬である。この物語の季節が冬だとすると、変温動物のワニが湖上に集まったとは思われない。しかし、白いウサギであったという象徴が必要だったと思われる。
白いウサギが皮を剥がされていたことで、ある妖怪(のようなもの)が浮かび上がる。それはケサランパサランという、白くて丸い毛玉のようなものである。その正体の一つが、猛禽類などの爪に引っ掻かれて剥がれた、ウサギの背中の皮だという。
白兎の物語の和邇の行為は、前節の「ムカデ退治と雷様とタニシ」にある、龍神の民がとった行動と同じといえるが、白いウサギというイメージとケサランパサランが、別の存在を浮かび上がらせる。
冬の季節の白いウサギが皮を剥がされたなら、ワニは冬にいないので、猛禽類(トンビ、タカ)に置き換えてみる。ウサギがイエス・キリストを指すなら、それはナガスネヒコを指すことになる。すると、ナガスネヒコに敗北をもたらした金鵄がいる。この金鵄は八咫烏とされる。
つまり、ここでもイエス・キリストを苦しめた八咫烏が登場するのである。卑弥呼すなわちイエス・キリストが、同じく卑弥呼の化身であるワニおよびスッポンに皮を剥がされるように描かれている。しかし、イエス・キリストの化身である金鵄が八咫烏に置き換わるように、和邇もまた八咫烏に置き換わるのである。
また、ケサランパサランの正体の一つとされるものに、ガガイモの綿毛がある。ガガイモの実は、スクナヒコナが乗って来た天乃羅摩船であるとされる。スクナヒコナは大国主とペアの存在であるため、大国主と白兎の物語は、大国主とスクナヒコナの物語と同じ話なのではないだろうか。
かごめ歌の預言
伊勢神宮の遷宮があった場所は「元伊勢」と呼ばれる。その中でも特に格式の高い神社が「籠神社」である。「かごめ歌」ルーツはここだとされる。この歌は預言ともいわれている。
預言と聞くと、ほとんどの人が未来を言い当てることを思い浮かべるが、過去を知るためにあることが重要である。世の中、過去の方が謎の多いことが分かる。つまり、過去に何があったかを正確に知り、現代を生きるヒントとすることが預言の本質といえるのである。このスタンスでかごめ歌を解き明かすとどうなるだろうか。
かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる
夜明けの晩に 鶴と亀がすべった 後ろの正面だあれ
この歌の預言を理解していたと思われるのが大正天皇である。その解き明かしを大正天皇の聖跡と共に紹介したい(大正天皇は母方から平将門の血を受け継ぐ)。
大正天皇を貶めようとする逸話として、遠眼鏡事件といわれるものがある。大正天皇が聴衆を前に、神を筒状に丸めて望遠鏡のようにして覗いたという逸話である。その姿、まさにアメノマヒトツである。
アメノマヒトツを祀る滋賀県竜王町にある鏡神社の裏山には、大正天皇の聖跡が残る。山頂から軍事演習を御覧になった記念であるが、もちろん遠眼鏡を用いておられたことは想像に難くない。かごめ(籠目)とは籠から覗く一つ目である。
滋賀県彦根市を東西に流れる芹川中流の北岸にある亀甲山を、大正天皇は旭森と名付けられ、聖跡となっている。その対岸には鳥籠山があり、ここは丁未の乱と壬申の乱の舞台となった場所である。亀甲山の神は神武天皇と神功皇后、鳥籠山の神は春日大神である。すなわち、卑弥呼と豊城入彦であり、亀の乙姫と鶴の浦島太郎である。ここを狗奴国の国名である旭と呼ばれたのである。
夜明けの晩とは、朝なのに夜だというまったくもって不可解な現象であるが、日中なのに暗闇に閉ざされた現象が、聖書にもモルモン經にも出てくる。いずれもキリストの十字架の刑のときである。それは真理を知らず、罪の道に迷い、霊の暗闇の中を彷徨っている人の状態も象徴している。
後ろの正面もまた、前を向いているのに後ろを向いているという奇妙な状態である。その謎を解き明かすのに一つの漢字がヒントになる。それは「明」である。太陽が左、月が右にデザインされている。ここで日本の最高神天照大神誕生の記述が最大の暗号となる。
太陽神天照大神はイザナギの左目から生まれ、月読は右目から生まれた。「明」の字がこちらを向いている(表)ならば、二神の生まれた位置と逆になる。すなわち、この字は我々に対し、背を向けて(後ろを向いて)いるのである。
これは地球の衛星「月」も同じである。我々はウサギ模様の面を表としているが、地球からは見えない裏側こそ表かもしれないのである。すなわち、前を向いていると思っているものが、実は後ろを向いているという状態を示しているのである。
またイザヤ書には、キリストが前にも後ろにもいることが記されている。
「あなたがたは急いで出るに及ばない、また、とんで行くにも及ばない。主はあなたがたの前に行き、イスラエルの神はあなたがたのしんがりとなられるからだ。」(イザヤ52:12)
春日大社はもともと榎本神社に祀られている猿田彦の神社であった。猿田彦はアメノマヒトツであり、卑弥呼であった。そしてそれらの神はイエス・キリストにたどり着く。籠の中にとらわれたイエス・キリストは、卑弥呼でもあることが明らかになるときが来る。
大正天皇が預言するほどの「明」の字を持つ御方は御一方しかいない。人が自分の人生を選べず、伊勢信仰でもなかった江戸時代から、信教の自由を認め、人々が霊の暗闇から出られたのは明治天皇の時代である。
明治天皇が大平和敬神と称えた織田信長は、戦国時代にテロリストのような集団であった寺社勢力の高慢を破壊し、信教の自由をもたらした。しかし、真の自由国家を目指したといえる信長の理想より、これまで通りの世襲や縦割り行政に戻したのは家康である(この方が民衆を管理しやすい)。そしてこの縦割り行政の影響は今も根深く残っているのである。
明治天皇の素顔は天然痘のためにあばた面であり、人の目には見えない月の裏側を暗示している。同じく、明治神宮を初め、神社の賽銭箱横の柱は参拝客の側だけ、投げられた賽銭によって無数の打ち傷がついている。
賽銭は御祓いであるため、災いを神様に肩代わりしていただく意味がある。これはイエス・キリストが受けられた鞭打ちの刑と、人々の罪を背負われたことを象徴し、神社の祭神が参拝客に対して背を向けて(同じ方向を向いて)おられることをも意味している。賽銭は「打つ」と表現されることも、キリストの受難を示しているといえる。
その苦しみは月の裏側のように、人が肉眼で見ることの出来ないものである。神は愛や憐れみを人の目につくように、恩着せがましく示されることはなく、御自分の意思に強制的に従わせることはなさらない。
人が自分の意思で生きる権利を得始めた時代、すなわち第六天魔王信長の時代(これは別の著書で取り上げたい)と、明治天皇の即位と信教の自由が認められたときから、かごめ歌の預言は成就し続けているのである。
大正天皇と昭和天皇の預言
大正天皇の崩御日は十二月二十五日で、昭和天皇の崩御日は一月七日である。それぞれカトリックとコプト教のクリスマスである。大正天皇は宮中でクリスマスを祝い、昭和天皇にプレゼントをしておられたという。
クリスマスはキリスト教由来ではなく、それ以前にあったミトラ教の祭日で、冬至から日が長くなる様子から死と復活を記念するものであった。つまり、誕生日というより命日だったのである。天皇陛下の崩御がイエス・キリストの死と復活を象徴しているのである。
昭和天皇はお酒を召し上がらなかった。そのきっかけは、幼少の頃お屠蘇を飲んで悪酔いされてしまったためであるという。お屠蘇とは鏡割りの時に飲む酒で、言葉の意味は「殺されて蘇る」である。鏡割りと同じく、イエス・キリストの死と復活を示すものである。イエス・キリストは十字架につけられる前、使徒たちと共にパンと葡萄酒を分け与える「最後の晩餐」を行われたが、そのときに次のように言われた。
そして杯を取り、感謝して言われた、「これを取って、互に分けて飲め。あなたがたに言っておくが、今からのち神の国が来るまでは、わたしはぶどうの実から造ったものを、いっさい飲まない。」(ルカ22:17~18)
イエス・キリストは最後の晩餐の葡萄酒、すなわち鏡割りのお屠蘇を今後飲まないと言われたように、昭和天皇も同じことをされたのである。
また、昭和天皇は最も尊敬する人物を源義経であると言われていた。当時の世の中の大半が、昭和天皇の祖父である明治天皇だと答える世の中であったにもかかわらずである。天皇家にとって、武家社会をもたらし、安徳天皇を入水に追い込んだ義経を尊敬するのはあり得ないことといえる。
個人的な想像でしかないが、義経の平家追討の戦いはフィクションであり、安徳天皇は死んでおらず、生き延びた後、現在の天皇家に血筋が伝えらたのではないかと考えている。天皇陛下が乗られている車には、赤字に金丸の平家の日の丸が掲げられている。現天皇家は平家筋であり、邪馬台国の流れを汲む血統ではないのだろうか。
天皇陛下は現人神と呼ばれた。それは、神がこの地上におられたらどのような人物であるのかを、思いと言葉と行いで示すことを指している。それはイエス・キリストのような者という意味になる。
卑弥呼と遊女、羽田の大鳥居の呪い
滋賀県大津市雄琴は風俗街というイメージで知られる(市民はその払しょくのため尽力している)。雄琴温泉には八岐大蛇伝説がある。八岐大蛇を初め、蛇神は女神であり、遊女であることが多い。そしてこの蛇神の正体は卑弥呼である。
かつて船の上で生活していた家船という民は、売春の民でもあった。彼らはどこでも漁業をしてもいい「浮鯛抄」という許可証を、神功皇后から拝領していたという。神功皇后は卑弥呼の化身でもある。
卑弥呼と遊女は深いつながりがある。それはつまり、キリストと遊女に深いつながりがあることと同義である。聖書には次のようなキリストの言葉が記されている。
「取税人や遊女は、あなたがたより先に神の国に入る。」(マタイ21:31)
ここでいう「あなたがた」とは学者や宗教指導者など、今でいうオピニオンリーダーである。取税人と遊女は、当時最も忌み嫌われていた人々である(今でもそうかもしれない)。続けてキリストはこのように説明している。
「というのは、ヨハネがあなたがたのところにきて、義の道を説いたのに、あなたがたは彼を信じなかった。ところが、取税人や遊女は彼を信じた。あなたがたはそれを見たのに、あとになっても、心をいれ変えて彼を信じようとしなかった。」(マタイ21:32)
第二次大戦後、進駐軍が日本へ来る際、時の政府は米軍人が日本人女性を凌辱しないように、大勢の娼婦を用意した。だが、米軍人に饗された女性たちも同じ日本女性ではなかったか。また、満州の開拓民は日本軍に見捨てられて置き去りにされ、大勢の女性がソ連兵や中国人に凌辱された。朝鮮半島からの引揚者の女性も、朝鮮人から凌辱を受けた。
日本政府や日本軍は、最も貴い人々を助けるどころか、無慈悲な敵に貢物として提供したのである。そして日本を身を挺して、文字通り最も尊い犠牲をもって守ったのは、政府でも軍でも警察でもなく、無垢な女性や遊女だったのである。
モルモン經には高慢と罪悪のために滅亡したニーファイ人の最期の状態について、次のように記している。
「レーマン人は此大なる憎むべき行をなすも、尙モリアントムにて我味方の爲せし憎むべき行よりは甚しからず。見よ、我味方はレーマン人の娘を數多く虜となし、其娘等の最も貴く且他の一切のものよりも重ずべきもの、即ち其淑德貞節を汚したる後、最酷き方法にて之を虐殺しき」(モロナイ9:9~10)
日本(日本ではなく大和というべきか)女性たちの犠牲を記念する象徴的なモニュメントが、羽田の大鳥居である。将門の首塚と並んで米軍を退けた呪いである。作り話とも考えられるのだが、羽田の大鳥居の正体を知ればその理由が分かる。この鳥居の神社を穴守稲荷といい、遊女の信仰を集めていることで知られていたのである。
女性たち、特に蛮行の犠牲になった女性たちを唯一救うことが出来るのは、卑弥呼なるキリストだけではないだろうか。今、日本で最も必要なことは卑弥呼の復活である。
卑弥呼復活
「嫁」のことを「うちのかみさん」という。二十六章で嫁の字は地面に埋められた生贄の前で祈る女性の姿を示していて、キリストの前で泣くマリヤの姿をしていること、それが古代日本最大の謎を秘めていると述べた。
地面の中に埋められた生贄とは、春日大社の地下に埋められた卑弥呼のことである。その前で女性が泣いている姿が嫁というならば、地下に埋められている生贄は夫つまり男となり、その正体はイエス・キリストとなる。
妻の字は、スサノオが妻であるクシナダヒメを湯津爪櫛にして髪に刺した姿であり、男となる。嬬は雨の中で祈るひげの女性であるが、その女性も男性となる。
嫁の字は天皇陛下の即位の義である大嘗祭の真意をも表している。天岩戸に隠れた(地面に埋められた)天照大神が天皇陛下の嫁になる儀式であるが、嫁の漢字の形を考えると天皇陛下が祈る立場にあるので、天照大神と性を反転させて演じていることになる。
上皇陛下の時代から、大嘗祭は皇后も立ち会うこととなった。言い換えれば、一般女性がこの儀式に携わる事となったのだが、時代の変化あるいは皇室が本来の姿に戻る象徴なのだろうか。
スサノオは神武天皇であり、桃太郎であり、浦島太郎であり、狗奴国の王卑弥弓呼である。そして天照大神であり、クシナダヒメであり、かぐや姫であり、乙姫であり、邪馬台国の女王卑弥呼である。そしてその正体はイエス・キリストである。邪馬台国と卑弥呼の謎と共に、イエス・キリストの福音は地面の下に埋められ、鬼や妖怪と共に封印されてしまった。しかし、封印は必ず解かれる時が来る。
気になるのは、やがて天皇陛下となられる予定の悠仁様が東日本の悠紀の字を受け継いでおり、その母である紀子様は紀州の「き」という名前である点である。豊城入彦もまた紀州とかかわりの深い人物であり、藤原氏の神社である鹿島・香取神宮の下にいるとされるナマズは秋篠宮殿下とかかわりが深い。
オオゲツヒメは四国の阿波(徳島県)の神である。四国は神生みにおいて伊予の二名島と呼ばれ、現在伊予は愛媛となっているが、愛媛県を示す略字は「予」で表される。四国の東側には祖谷や猪野、井といった「い」を冠する地名が多い。そして阿波は忌部の地である。
つまり、伊予とは忌部の「い」と「よ」が合わさった四国全体を指す地名である。「よ」が愛媛を指すなら妻ともいえるが、阿波がオオゲツヒメであるため、ここでも男女の性が反転しているのである。
そしてそれは天皇陛下が忌部氏であることを示している。オオゲツヒメはスサノオに殺されているが、この立場は卑弥呼と同じであるため、愛媛とは卑弥呼または台与のこととなる。今後、女性天皇が誕生するとすれば愛子内親王が天皇となるが、卑弥呼の名そのものを受け継いでおられることになる。
そして愛子の名はイエス・キリストの名でもあるのである。天の神がイエス・キリストを紹介された言葉は次の通りである。
「我が喜ぶ我愛子を見よ、我は之に由て已に我名の榮光を示しぬ。我愛子に聞け」(ニーファイ第參書11:6~7)
歴史は繰り返すというが、天皇が二人同時期に即位することになれば、日本が再び邪馬台国と狗奴国の二国に分かれる時代となるのかもしれない。すなわち、卑弥呼復活である。
妖怪の代表として一つ目小僧とろくろ首はペアで登場する。それぞれアメノマヒトツ並びにスクナヒコナとオオナムチのコンビであり、イエス・キリストとバプテスマのヨハネのペアであり、日本人の思い描く妖怪の偉大なモデルだったのである。
あらゆる物語の多くは日本の歴史をベースにしているといっても過言ではない。世界では聖書をベースにしているようにである。そしてナガスネヒコ対神武天皇とニギハヤヒの関係は、日本で最も有名な妖怪漫画に顕れている。
ナガスネヒコの正体は卑弥呼であるため、アメノマヒトツでもある。空から、いわばどこからともなく現れて、日本の支配者になった神武天皇はぬらりひょんそのものといえる。つまり、アメノマヒトツの鬼太郎と、その仇敵であるぬらりひょんとの対決は、ナガスネヒコと神武天皇の戦いそのものなのである。そして、いつも鬼太郎を窮地に陥れるねずみ男は、ニギハヤヒといえるかもしれない。
妖怪のルーツを初め、かぐや姫や浦島太郎、神功皇后の出身地、木地師、義経の伝説など、なぜか近江(滋賀県)に集中している。それはなぜだろうか。そして古代の謎を解く鍵となるスサノオと豊城入彦が同一であるという伝承(祭祀)は、筆者個人の調査のみでの判断ではあるが、滋賀県だけにある情報である。
日本の最高神は天照大神であり、それを祀るのは伊勢神宮である。ところが滋賀県守山市にある元伊勢の遺構は、三上山を拝する構造になっている。元伊勢の中で最も格式の高い籠神社のある、京丹後地域には三上山の神アメノミカゲと同じミカゲの地名が多く残る。
アメノミカゲはアメノマヒトツのことである。滋賀県は琵琶湖とともにあるが、琵琶湖は富士山と共に誕生し、アメノミカゲはその際、三上山に降臨したという。その正体はイエス・キリストとなる。
琵琶湖の北には天女と道真の伝説が残る余呉湖があり、余呉湖から琵琶湖、淀川水系へとつながっている。それはまさに、イエス・キリストとバプテスマのヨハネが生きたガリラヤ湖とその北にあるフーレ湖、ガリラヤ湖から流れるヨルダン川の地域そっくりである。ガリラヤ湖はキンネレテの海といい、それは琴の海すなわち琵琶湖そのものの名である。
古代日本にイエス・キリストとバプテスマのヨハネを知る者がいたとしたら、この地形に故郷を思い起こさないはずはないのではないだろうか。さらに、三上山へ実際にイエス・キリストが降臨されていたとしたらどうだろうか。卑弥呼の時代はその200年後のことである。
卑弥呼の故郷、すなわちイエス・キリストの降臨地が滋賀県の三上山であるという暗号を、後世に伝えた者がいたのではないだろうか。その一人と思われるのが菅原道真なのである。
世界に類を見ない日本人の妖怪を生み出す能力は、今でも健在である。口裂け女や人面犬、トイレの花子さん、走る二宮金次郎像がある。大怪獣ゴジラとガメラの中にもキリストの象徴が見出せるが、日本人が生み出す「モノ」には命が宿っており、日本人の真のルーツにその不思議が隠されているようでならないのである。
日本人の中に、ニーファイやヨセフのことを知っていた者がいたのではないだろうか。同時にそれはニーファイ人を憎んだ者が多くいたことを示している。少数派であったニーファイに好意を持つ人たちが山に隠棲し、人に恐れられ、嫌われる鬼や妖怪伝承となったものがあると思われるのである。また、日本人の特質をよく表すバプテスマのヨハネの弟子たちの信仰が今も生きている。
聖典には、この世のすべての謎が明らかになることが預言されている。従って、妖怪の正体もすべて判明するときが来るのである。
其時我聖き山の何處にも害ふことなく滅ぶることなかるべし。蓋天主を知る知識の世界に滿つること、猶水の海に盈つるが如くなればなり。
されば諸國の民の事明に知られ、一切の事皆明に世の人に知らるべし。
凡そ秘密なる事にして公に示されざるは無く、暗き惡事にして露顕せざるは無く、世に封ぜらるる物にして開かれざるは無し。(ニーファイ第二書30:15~17)
我又汝に告ぐ、諸國、諸族、諸語、諸民が廣く救主を知る時來るべし。(モーサヤ3:20)
日本人が妖怪や怪談に心を惹かれるのは、聖書とモルモン經の民だからではないだろうか。長い間、日本人はイエス・キリストを信じることも聖書を読むことも禁じられてきた。それは江戸時代をさらにさかのぼり、崇神天皇と豊城入彦の時代から続いていたものではなかっただろうか。
日本人は無意識に言霊の民として、日本に存在する支配と戦い、真理を後世に伝える知恵として、鬼や妖怪、幽霊に姿を変えてイエス・キリストと殉教者たちを語り継いできたのではないだろうか。
鬼や妖怪の恐ろしい面、血肉をすするという伝説は、モルモン經で滅亡したニーファイ人の末期症状そのものである。キリストを信じていた民が邪悪に染まり、人々がイメージする人食い鬼そのものに堕落した姿もまた、よく知られていたことなのかもしれない。
血肉をすするというが、象徴的に人々(信者)から血税を搾り取るという側面もあるといえる。キリストを信じている者がカルトとなり、正義の名のもとに、特に家族を虐待することは非常に多く見られる問題でもある。善人の面をして内面は恐ろしい悪魔のような者を、キリストは「羊の皮をかぶった狼」と呼んでいる。
古代日本に確かにいたであろう預言者たちは、鬼や妖怪の女性に真理を託した。そして妖怪の女王卑弥呼は、日本人が最も愛した神だったのである。
鬼は隠忍とも書く。人里離れた山奥に住んでいたり、夜の間に鍛冶仕事や稲刈り、大工仕事をやってのける。人知れず活動する文字通り隠れ忍ぶ者である。そのように、隠れて善を行う者を聖書とモルモン經は証している。
「我は誠に實に汝等に吿げん、汝等宜しく貧しき者に施物をすべし。されど愼みて人に見らるゝやうにとて公に施物をすることなかれ。然らずば汝等天にまします其父より善き報を受くるに足らず。
乃ち施物をする時は己の前に喇叭を吹くが如き事をなすことなかれ。斯る事は僞善者等が人より譽を得んとて會堂並に道路に於て爲すところなり。然れど其僞善者等は實に其行に相應する報を受く。
汝等は施物をする時、右の手の爲す事が左の手に知られざるやう、之を密にせよ。
然らば密に見給ふ汝等の天父は自ら公に善き報を賜はん。
汝等は祈禱する時に僞善者等の如くすることなかれ。僞善者等は人に見らるゝやう、會堂の内及び道路の角に立ちて祈禱することを好む。されど彼等は實に其行に相應する報を受く。
汝等祈禱する時は、其密なる室に入りて戸を閉ぢ、隱れたる所に在ます汝の天父に祈れ。然らば密に見給ふ汝等の天父は公に汝等に善き報を賜はん。」(ニーファイ第參書13:1~6、マタイ6:1~6)
最後に、卑弥呼は大和撫子すなわち日本女性、そして日本の妻の象徴といえることから、一つの大きな傾向について論じたい。それは、夫婦喧嘩の際に、妻がまず謝らないことである。夫が論理立てて状況を説明したとしても、妻はなんだかんだと言ってくる。結局は夫が折れるしかないのだが、この不思議を解く鍵もまた卑弥呼が持っていると思われるのである。
まず鬼である。鬼は夜明け前までの百の課題を果たす所まで行ったのに、天孫族(神武天皇、豊城入彦)の詐欺行為によって殺害・遺棄されてしまった。鬼は約束を守ったのに、天孫族は反故にしたのである。
そしてこれは春日大神(豊城入彦)に埋められた姫神(卑弥呼)の伝承と同じである。春日大神は姫神の耳が悪いことを利用して、日本列島を縦横三尺ではなく上下三尺つまり日本全土をよこせという取引を結ばされてしまう。その結果、彼女も殺害・遺棄されてしまうのである。
近江に伝わる俵藤太のムカデ退治は、竜宮の姫がムカデ退治のお礼に米の尽きない俵を贈るが、そんなものがあるわけがない。米作民族から好きなだけ米をもらうという搾取の利権である。
さらに、つい最近まで田植えも稲刈りも女性の仕事であった。筆者の幼いころは、お婆さんの多くはこの作業で腰が曲がっていた。しかし、これは昔話ではなく、アジアの国々では今も女性の苦しみは続いており、出産直後だというのに田植えや稲刈りをさせられ、子宮脱という苦しみまで起こっている。
女性の重労働の苦しみから解放した田植え機や稲刈り機を、日本のもとの名である秋津(トンボ)の名を持つヤンマー(初めはトンボとする予定であった)という企業が製作したのは興味深いところである。
ムカデ退治から話がそれたが、そもそも龍宮の姫が俵藤太(天孫族=神武天皇)にムカデ退治を依頼したのは、ムカデという山の民と、龍宮という水辺または稲作の民を同士討ちさせるために、天孫族の裏工作があったと考えられる。結局はムカデも竜宮も搾取される側となっているからである。
卑弥呼の死には仏教の影響がみられることを指摘してきた。河童や妖怪、やまんばが僧侶によって懲らしめられるのは、昔話の定番である。そして僧侶の力の源は「徳」の高さで示される。決して「愛」や「赦し」ではないのである。
しかし、「徳」のある者が悪者を退治するという構図は、儒教の影響を受けているともいえる。中国はずっと戦争による勝者が善徳のある者だという言い訳によって成り立ってきた。徳川家康と薩長同盟の明治新政府も、儒教によって日本を支配・統制してきた。儒教は子供を殺しても親を生かすべきという信仰がある。
鬼妖怪として示される日本女性はこれが我慢ならなかったのではないだろうか。龍神や幽霊などいずれも女性なのだが、後に残した子供の成長を願い、目玉などのアイテムを残したり、情け深い人に子供を托したりしている。彼女たちの行動原理は徳ではなく愛である。試練を乗り越えた者に力や贈り物を与えることも多い。つまり、彼女たちの魂の根幹に在るのはイエス・キリストの教えではないかということである。
イエス・キリストの教えは愛や謙遜さが基本となっている。大切なのは相手に対する思いやりであり、最初に謝ろうという精神ともいえる。しかし世の中、キリスト教国を含め、自分から謝った国は日本以外存在しないのではないだろうか。
しかし、太平洋戦争について謝った日本はどうなったか。散々金銭をたかられることになった。日本人は相手がキリスト教国や儒教国であるから「先方はこういうすばらしい倫理観でいるだろう」と思い込み、良い方に想像して頭を下げてしまう。そうすることで、良い関係を築けると信じているのである。しかし、相手は本書でこれまで見てきたように、日本人が考えるキリスト教のイメージは偽物である。世界の国々は、聖書に記されたキリストの教えと逆さまの考えを持っていることを、日本人は知るべきなのである。
それはまさに、日本女性が太古の昔に、神武天皇や春日大神など名前をいくつも持つ豊城入彦に、言葉巧みにだまされた歴史と同じなのである。妻が謝らない理由、それは不当な搾取を受けないための最終防衛ラインなのである。
イザナギはイザナミの見た目が恐ろしいからといって離縁している。スサノオは姉(妻)天照大神や自分をもてなしたオオゲツヒメ(天照大神と同一)を殺している。天孫ニニギは妻のイワナガヒメが醜いからといって離縁している。ヤマトタケルは自分が助かるために妻を入水させている。これらの者を祀る神社が、いずれも縁結びの神社となっているのは皮肉としか言いようがない。
日ユ同祖論の中で、神武天皇以下、応神天皇まで神の名を持つ天皇は同一であり、キリスト教の王とされている。イエス・キリストの最大の祝福は永遠の命である。しかし、天孫ニニギは永遠の命を得られなかったと明記してあり、崇神天皇の次の天皇である垂仁天皇もまた永遠の命を得られなかったとある。
また、ホオリの化身である浦島太郎は玉手箱を開けて死んでおり、かぐや姫に求婚した帝も永遠の命を放棄している。永遠の命を得られなかったとは、明らかにイエス・キリストの教えを拒んだ証拠である。日ユ同祖論者は血統にこだわりを見せるが、バプテスマのヨハネが指摘したように、重要なのは神の教えを守ることであり、血統ではない。
大和撫子とは、世界中で最後までイエス・キリストに忠実であった義人の生き残りなのである。
聖書(口語訳)日本聖書協会
モルモン經 教義と聖約 高価な真珠 末日聖徒イエス・キリスト教会
赦しの奇跡 スペンサー・W・キンボール 末日聖徒イエス・キリスト教会
古事記 倉野憲司校中 岩波書店
日本書紀 坂本太郎 家永三郎 井上光貞 大野晋 校中 岩波書店
倭国伝 藤堂明保、竹田晃、影山輝國 講談社学術文庫
魏志倭人伝の考古学 佐原真 岩波現代文庫
遠野物語・山の人生 柳田國男 岩波文庫
妖怪談義 柳田國男 講談社学術文庫
古語拾遺 菅田正昭 新人物文庫
真贋論争「金印」「多賀城碑」 安本美典 勉誠出版
「弥生の村」を探しつづけた男 工藤正と垂柳遺跡 鈴木喜代春 あすなろ書房
ゆにっくすらいぶらりー にほんのみんわⅡ ユニックス
ながいかみのむすめチャンファメイ 君島久子再話 後藤仁画 福音館書店
「お伽草子」謎解き紀行 神一行 KKベストセラーズ
竹取物語 室伏信助 角川ソフィア文庫
中国正史 倭人・倭国伝全釈 鳥越憲三郎 講談社
大いなる邪馬台国 鳥越憲三郎 中央公論新社
妖精のスカーフ アトリー著、角野栄子文 講談社
まつろわぬ民 水澤龍樹 新人物往来社
信長公記 太田牛一 中川太古 新人物往来社
ドラえもん第一巻 藤子不二雄F 小学館
日本人の起源(6)縄文時代 佐倉朔 教育社
日本人の起源(7)縄文から弥生へ 佐倉朔 教育社
日本人の起源(8)邪馬台国の誕生 乙益重隆 教育社
琵琶湖誕生(展示解説書) 滋賀県立琵琶湖博物館
「論文」富士山と琵琶湖についての言い伝えをめぐって 吉田信
月刊ムー各号
各ウィキペディア
2019年4月2日 発行 初版
bb_B_00158881
bcck: http://bccks.jp/bcck/00158881/info
user: http://bccks.jp/user/146003
format:#002t
Powered by BCCKS
株式会社BCCKS
〒141-0021
東京都品川区上大崎 1-5-5 201
contact@bccks.jp
http://bccks.jp
46歳会社員。旋盤工です。自称妖怪研究家をしています。