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この度、月刊誌「無色」を発刊することになりました。内容は2000文字程度の作品を六篇収録したものです。毎月その月の出来事やキーワードを設定しております。
タイトルを「無色」にしたのは「無色出版」から出版することと共に、読者の方がこの作品を読み終えた後に今号は「こんな色だったな」と感じてもらえるようにするためです。
新作を書き下ろした作品を収録しています。さらにサラッと読めるように各話ショートショートで綴っています。
毎月発刊することが決定しておりますので、お楽しみにしていただければと思います。
それでは、月刊誌「無色」をお楽しみください。

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月刊「無色」5月号

兼高 貴也

無色出版



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  この本はタチヨミ版です。

 目 次

こどもの日

深緑

五月病

母の日

日本ダービー

パン祭り

こどもの日

 ウチには先祖代々伝わる鎧兜がある。これは江戸時代に先祖が武士だったことを証明するとてもとても大事なものらしい。本当のところがわからないから、僕はおじいちゃんに聞いてみようとゴールデンウィークにお父さんの実家である鳥取県まで向かうことにした。
「ねえ、おじいちゃん」
「なんじゃい?」
 おじいちゃんは御年八十六歳を迎える。だけど、元気いっぱいで本当に年を取っているのかさえわからないくらいだ。僕は五歳になったので、鎧兜を身にまとう歳になったのはなんとなくわかっていた。それはテレビでこどもの日の特集をしていて五月人形の隣に鎧兜が置いてある家は武家として由緒あるものだと話していたからだ。とは言っても、まだまだ小さい僕には一体何を言っているのか真相はわからなかった。だけど、あの鎧兜を身につけたいという気持ちは強く持ち続けていた。おじいちゃんに僕があの鎧兜のことを聞く前にお父さんがおじいちゃんにお酒を飲ませ始めるのを僕は目で追った。
「まあ、ゴールデンウィークくらいたっぷり飲みなよ」
 お父さんは自分のグラスにもビールを注いでおじいちゃんと乾杯する。そして、その日二人はおばあちゃんとおかあさんの心配をよそにお酒に酔い潰れて寝てしまった。
「さ、遼くん。私たちも寝ましょう。ここで寝たらまた風邪引いたら大変」
 僕はこの間長い風邪を引いたことを思い出した。あんなに辛いのはもう感じたくない。味わいたくないと思い、お母さんについて行ってふとんが敷いてある部屋へ向かった。おじいちゃんの家はおじいちゃんとおばあちゃんがケガしないようにバリアフリー? と言われる改造だかなんだかをしていて、広い家だった。そんな広い家の僕の寝る場所には巻物みたいな物がかかっていて、すぐそばに鎧兜が置いてあった。ウチにあるのもよりカッコよくて、重そうだった。そんな部屋でお母さんとおばあちゃんと僕は川の字になって寝ることにした。
 僕は寝る前にトイレに行くのを忘れて、夜中に目を覚ましてしまった。僕は少し怖くなり、お母さんを揺すり起こしたけど、お母さんはぐっすり眠ったまま起きる気配がなかった。仕方なく一人で行こうと決心したとき、声が聞こえた。
「これをかぶれば怖くないぞ」
 僕は背筋がゾクッとして後ろを恐る恐る見ることにする。この辺りの性格はお父さんに似て度胸があった。振り返ると、鎧兜が少し光って見えた。僕はこのチャンスを逃すわけにはいくまいと思い、重そうな鎧兜を身につけた。すると、光を放った鎧兜は僕を見知らぬ世界へ連れて行ったのだ。
「ここは?」
 僕は目を覚ますと、なんだか立派な家の中で横になっていた。
「起きたかい? ぼうや」
 僕に声をかけてきたのはおじいちゃんとお父さんに似た男の人だった。
「お父さん?」
「おや、まだ寝ぼけているみたいだね。僕の名前は吉田平吉だよ。まだ独り身だけど、一応武士さ」
「吉田」というのは僕の名字だった。ふと、僕のつけてきた鎧兜がないことに気づいた。
「僕の名前は吉田遼って言います。確か鎧兜かぶってきたんだけど……」
「あ! これのことかい?」
 平吉は僕の身につけていた鎧兜を持って僕に見せつけた。
「そう! それ!」
 僕は大事な鎧兜がなくなったら大変だと思い、「返して」と声を上げた。
「遼、これは武士がつける大事な甲冑だ。遼にはまだ早いよ」
 そう言って平吉は「まだよくわかっていないんだろう」と呟いて、部屋を出て行こうとする。そんな彼に僕は言葉を投げかける。
「平吉さん! どこへ行くの?」
「案ずることはない。すぐに帰ってくるさ。ゆっくりしていなさい」
 僕の言葉をかき消すように彼は甲冑に身を包み、刀を腰に据えて出て行った。僕は気になって仕方がなかったので、こっそり平吉のあとをついていくことにした。平吉は村の農民の家に向かう。
「さ、今回の年貢はどのくらい納められそうですか?」
 平吉は村人に刀を突きつけて何かを求めていた。僕はそれを陰から見ていたのだけれど、刀を村人に突きつけたところで、声を上げてしまう。
「平吉!」
「ん?」
 平吉は僕の姿を確認すると、刀を鞘に直した。
「遼! ゆっくり寝ておくように言ったはずだが」
「刀は危ないよ! それに二人とも困ってるじゃないか!」
 僕は刀の先でおびえていたおじいちゃんとおばあちゃんを指さして大声を上げた。
「遼、これもお仕事の一つなんだ。君には関係ない」
 そう言うともう一度、刀に手をかける。
「ダメだってば!」
 僕は二人をかばうように大きく手を広げた。それを見た平吉は仕方がないといった顔で刀を再び鞘に戻す。
「今回だけだぞ」
「はい! ありがとうございます!」
 おじいちゃんとおばあちゃんは手を取り合って喜んだ。平吉は僕に「帰るぞ」と言って家に向かった。帰ると時刻は夜になりつつあった。僕は平吉が寝たのを確認して鎧兜をかぶってみた。すると、みるみるうちに現代へ戻っていく。確かにこの鎧兜が先祖代々伝わる武家のものだということが判明できて、僕は朝を迎えるのだった。
―完―

深緑

 私たちは旅行の計画を立てていた。その時期は五月を迎えていた。私は緑豊かなこの島を巡ることに決めた。この島というのは沖縄よりももっと南にある屋久島だ。その緑は本島とは大きく異なり、いろいろな色彩をもって私たちを魅了すると聞いたことがあったのでそれを実際にどんなものなのか体験してみたかった。一言に魅了すると言っても分かりづらいだろうから一つ聞いた話をさせてもらう。屋久島にはたくさんの「緑」があるらしい。詳しく聞くと私たちは頭にクエスチョンマークを並べた。
「屋久島にはたくさんの緑がある。赤い緑、黄色い緑、青い緑。それは体験した人にしかわからないんだよ。だから、ぜひ屋久島に来た際にはそれを味わってほしいな」
 この言葉は私たちの大学が定期的に開かれる旅行のガイドのおじさんからだった。私を含めた仲良し五人組は絶対「ここ」が良いと口を揃えて言うと、ガイドのおじさんはパンフレットを渡してくれた。大きく「屋久島」と書かれていた。代表的な物を見ようと私たちはパンフレットを開く。大きな樹木である「縄文杉」が載っていたり、「滝」が数カ所のっていたり、最後のページには「ガジュマル公園」までが載っていた。
数日後、私たちはとうとう屋久島を訪れた。ツアーに申し込んだわけでもなく五人で適当に回ろうと決めて出発した。
「どこからまわる?」
「やっぱ縄文杉じゃね?」
「そうだね」
 私の問いかけにみんなの意見が一致する。意気投合した私たちは巨大な樹木である「縄文杉」まで向かった。途中、道がわからなくなったので現地の人に聞きながらまわった。ようやく縄文杉まで辿り着く。そこで、とあるおじいさんに私たちは出会い、足を止めた。
「初めてかい?」
「はい! すごくいいところですね! 屋久島」
 私は元気いっぱいに答える。それぐらい感動していたのだ。
「それは、それは。よくご覧なされ」
 おじいさんはそう言うと上を指さした。
「あ!」
 私はついに気付いてしまった。と同時に声を上げた。そこに友人の声も乗っかる。
「緑が! たくさん!」
 上の緑色の葉っぱは聞いていたとおり、赤や黄色、青と言った緑が私たちに挨拶をしてくれた。私たちは本島では味わえない不思議な感覚を覚える。
「あんたらのように屋久島へやってきた者は同じ感覚を覚えて、何度もここを訪れる人も少なくない。中にはこの自然をずっと感じていたいといって、島に永住する者もいる」
「そうなんですね」
 私はおじいさんの話に耳を傾けながら、強い風が吹くのを感じる。葉っぱ達は大きく揺さぶられる。私は飛んでいきそうな帽子を手で押さえる。すると、おじいさんは一言発する。
「雨が降るぞい。戻らんと」
 こんなに良いお天気なのに雨? 私にはわからなかった。ところが、徐々に空は曇り始め、雨がシトシトと降り始める。おじいさんはなぜ雨が降ることがわかったのだろう。私は気になって尋ねてみた。
「あの、どうして雨が降ると?」
「匂いじゃよ」
「匂いですか?」
 私はさらにクエスチョンマークで頭が充満していく。
「雨が降る前に予兆として雨の匂いがしてくるのじゃ。初めて来たおぬしらにはわからんじゃろうが、この島で生まれ育ったわしは自然とともに生活してきた。そのうちにこんな感覚を覚えるようになったのじゃよ」
「へぇー。おじいさん、すごいなー!」
一緒に来ていた順平が声を上げる。
「ご覧なされ。もうじき止むぞい」
 雨は通り雨か東南アジアで見られるスコールのような現象を引き起こしていた。
「本当だ。止んだ」
 この現象に多くの訪問者は驚くのだが、これが屋久島だということを体験することでここの魅力をもっと知ってほしいとおじいさんは口にした。それは本島ではないが、この屋久もれっきとした日本の島だからなのだ。決して、孤立した島でも、外国の領地でもない。日本の一つの箇所なのだ。それをないがしろにするのは自国をないがしろにしているのと同じだと思ってしまうのだ。確かにおじいさんのこの意見は間違えなかった。こんな素敵な島も日本なんだと思うと私は心の中がジーンと温かくなった。
「おぬし、この島に虜になったかの?」
「はい! もちろんです!」
 私たちはこんな会話をおじいさんと交わした後、帰路に着くことにした。帰りの飛行機はみんな疲れて眠ってしまっていたが、私はこっそりポケットに入れていた一枚の落葉を取り出し、見つめていた。
「この緑は赤い緑。素敵な島だったな。屋久島。また絶対に足を運ぼう」
 私は屋久島に完全に魅了された一人になったのは言うまでもなかった。みんなと一緒に来たから楽しかったのではなく、屋久島自体が楽しかったのだ。今度は縄文杉以外のところもたくさん巡るぞ! と、心に決めて本島に戻ったのだった。
―完―

五月病

 例年通り、やってきたゴールデンウィーク。この時期が始まると、多くの人は旅行や実家への帰省で道路や電車など交通の便が大きく影響を受ける。そんな僕もこれから実家に向かう途中だ。この大型連休を目がけて実家に向かうのはまさに自殺行為だったのだが、家でろくに何もせず、ゴロゴロしていると子供たちが「パパ、パパ」とねだってくるので、ここは一つオヤジやオカンの手でも借りようかと思った。オヤジとオカンは孫を目に入れても痛くないぐらい溺愛しているから、ここぞというときに助けてもらっている。特に今年のゴールデンウィークは特別だ。普段は飛び石連休だったり、長くても五連休がやっとだったのにもかかわらず、なんと十連休もあるのだ。理由はこのゴールデンウィークの中で天皇陛下が退位され、皇太子様が天皇陛下に即位されるからである。それに伴い、退位の日が祝日になることや即位の日が設けられることによって、今年のゴールデンウィークは長い長い十日間も休みがいただけたのだ。しかし、その結果、国民は少々戸惑いを隠せなくなっていた。なぜなら十日間も休みがあると、逆に何をして過ごせば良いのか不安にさえなるのだ。サラリーマンや学生は嬉しさで満ちあふれる一方で主婦は家ですることが増えたり、子どもの世話をすることで手がかかるため悲鳴を上げた。そんな中で実家に帰省することにより、妻の手を少しでもかからないように僕も手を打った。幸いなことに子どもはオヤジとオカンに任せると僕らは少し自分たちの時間を作れた。
「亜希子さん、裕太、せっかくの休みなんだし、どこかへ二人で行ってきたら?」
 オカンの愛に包まれたこの言葉に僕たちは甘えることにする。そして、僕たちとある大事な場所へ向かうことにする。
「あなた、あの場所に行くのは久しぶりね」
「うん。でも、大事な場所だ」
 僕たちが行き着いた場所はとある霊園だった。
「お久しぶりです。お母さん、お父さん。お元気ですか?」
「私たちは元気に過ごしているよ。そっちの生活にはもう慣れたかな?」
 僕たちは墓石の前で挨拶を交わす。そう、亜希子の両親は去年、交通事故で命を落としてしまったのだ。僕と亜希子の結婚式を見終わってすぐの事故死だった。
「娘の晴れ姿を見ることができて、二人とも気持ちよく逝ったはずよ」
 亜希子の言葉に僕は何度も首を横に振ったのを今でも思い出す。結婚式を挙げなかったら事故に遭うことなんてなかったのに。僕が亜希子と一緒にならなかったら、こんな風にならなかったのに。後悔の念が強く押し寄せていくのを今でも鮮明に覚えている。
「もうすぐ平成も終わるのよ。お父さん、お母さん。まさか時代が変わるなんて思ってもいなかったけど、二人がいなくなったのも時代が変化するのも当たり前なのかもね」
 僕はそう言ってすすり泣く亜希子に「はい」とハンカチを渡す。「ありがとう」と亜希子は僕に言葉を返す。
「ほらね。やっぱり旦那さんは裕太さんでよかったよね。こんなに優しくしてくれるんだから」
 亜希子の言葉を聞いてから僕は立ち上がり天を見上げて、「次の元号は『令和』だそうです」と大声をあげた。きっと次の時代である『令和』が僕たちを素敵にしてくれるだろうと思いを馳せた。
 色々な意見が飛び交った十連休も終わってみればあっという間だった。正月やお盆休みと同様でやってくるまでは時間がかかるものの時が経つのは早いものだった。そして、ゴールデンウィークが終わると人々はたちまちある病に冒される。それは「五月病」だ。子供たちは学校に行きたがらなくなり、大人は会社に行く気が起きず、なんとなく気力が失われていく。毎年訪れるこの病にみんな気をつけているのになぜだかかかってしまう。さらに今年は例年以上に長いゴールデンウィークだったため気だるさややる気がなくなるのは例年より見込まれていたのにこの病は老若男女かかってしまうのだ。これを国のせいと口を揃える人たちもいれば、休日をもらっておいて「国のせい」にするのはおかしい! という人まで様々で今年のゴールデンウィークの賛否両論が起こったのと同じように「五月病」への賛否両論も大きく広がっていた。僕と亜希子と娘の里香も例外ではない。三人とも体が重くて、もっと休みたいと思ってならなかった。しかし、時は自然に流れていく。時間というのは不思議なもので徐々に出来事を風化させていくのだ。亜希子の両親がなくなったことも少しずつ薄れていく。同じように十連休のあとの「五月病」もだんだん薄れていく。そうして、いつもの日々が、日常が戻ってくるのだった。みんな感じるものが一緒なのは、人間には同じ感覚が備え付けられているからだと僕は思う。これではまるでロボットと同じか。僕はそんな思いの中、心の底で苦笑いを浮かべているのだった。
―完―

母の日

「ねぇ、もうすぐ母の日だよ。ちゃんと考えてる?」
 僕は奏からのその問いかけに「ほぇ?」と妙な返事をしてしまう。それを見ていた奏は「やっぱり!」と口を尖らせた。奏は僕にお気に入りのハーブティーを差し出してカレンダーを指さした。僕はハーブティーを一口すすると「あちっ!」と声を上げる。そんな僕に奏は「ここ!」と母の日のカレンダーの日付を強調した。
「母の日ねー。いつも感謝してるからそれでいいんじゃないの?」
「もう! いつもの感謝を伝えるためにあるんだよ? この日は!」
 いや、まあそうだとは思うけど、かといって特別なことが思いつかないのだ。そこに奏はちゃんとして! と言わんばかりに「母の日」を特別な日にしたいようだった。しかし、僕には「母の日」なんてあんまり考えたことがなかったのだから。いや、そういう日があるのは知ってたけど、毎日ちゃんと感謝してるため、別に特別扱いする必要がないように感じてしかたないのだ。それでも奏は「母の日」にこだわるため僕は仕方なくありきたりではあるけれど、思いついたものを軽々しく口に出してみる。
「カーネーションだろ。母の日と言えば」
 その言葉に奏は噛みついてくる。
「そんな簡単に言って! いつも大事にしてくれているお母さんでしょ! もっと気の利いたこと考えられないの? お兄ちゃんって本当鈍いんだから!」
 妹にここまで言われる僕って一体? そんな感情が沸き起こるのはさておき、「カーネーションがダメなら他何かあるのかよ?」と奏に問い詰める。



  タチヨミ版はここまでとなります。


月刊「無色」5月号

2019年5月6日 発行 初版

著  者:兼高 貴也
発  行:無色出版

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兼高 貴也

1988年12月14日大阪府門真市生まれ。高校時代にケータイ小説ブームの中、執筆活動を開始。
関西外国語大学スペイン語学科を卒業。大学一年時、著書である長編小説『突然変異~mutation~』を執筆。同時期において精神疾患である「双極性障害Ⅱ型」を発病。大学卒業後、自宅療養の傍ら作品を数多く執筆。インターネットを介して作品を公表し続け、連載時には小説サイトのランキング上位を獲得するなどの経歴を持つ。その他、小説のみならずボイスドラマの脚本・監督・マンガ原案の作成・ボーカロイド曲の作詞など様々な分野でマルチに活動。闘病生活を送りながら、執筆をし続けることで同じように苦しむ読者に「勇気」と「希望」を与えることを目標にしながら、「出来ないことはない」と語り続けることが最大の夢である。

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