この本はタチヨミ版です。
00:三人の悪党。
01:悪党のすすめ。
02:毒リンゴと死神
03:用心棒の解説
04:バイオハザードは突然に。
05:終息に向かってほしい(作者の願い)
06:安息を求めて彼らは行く
07:たどり着いた先に
08:悪意の集い
おまけ。
00:三人の悪党。
――最初に前置きをしておこう。
これは、魑魅魍魎らが住まう世界、通称『魔界』と呼ばれる世界での物語でふっと湧いて出た日常のワンシーン。
悪党が悪党と悪党らしく悪党をする物語である。
***
―――薄暗い室内には、いつもどおり、血と煙草の匂いが充満していた。
とても誰かが暮らしているとは思えないほど汚れ、壊れた廃墟のようなその一室は、魔界の中心部帝都からは少し遠い、『オルク』の町はずれにたたずむ二階建てのビルの一部だ。
下の階にも、上の階にも、誰も住んではいない。
電気も通っていないのか、室内の明かりはいくつかのランプだけだった。
死神は、ギシ、とベッドを軋ませてむき出しになった上半身を起こした。
鍛えられた鋼のようにたくましい肉体が、オレンジ色に怪しく照らされていた。
「あー……、頭いてェ……」
眠たそうに呟きながら、死神はそばにあったペットボトルを飲み干した。
彼の側には空になった酒瓶類が、これでもかと散らばっている。
頭がやけに重い。身体には何とも言えない気怠さが残っている。
(……なんだっけか)
頭を掻きむしりながら、死神はぼんやりと記憶を回想した。
が、思い出せる記憶がさほどなかった。
昨日、副業であるホストクラブでの仕事を終えたあたりから記憶がない。
仕方なく、いまだぼんやりとする思考と視界で、室内を見渡してみる。
景観にぴったりはまった、無機質なパイプベッドの上から見下ろす室内は、まあまあに混沌に満ちていた。
無造作に置かれたドラム缶の上に用心棒が一人。
室内にはそぐわない、高級そうなソファに闇医者が一人。
そして自身の隣には、淫魔といわれても仕方ないレベルで露出した(全裸といった方が早いかもしれない)盗賊が一人。
全員が全員、静か(とはいえないものもいるが)な寝息を立てていた。
(おいおい、なんだこの状況)
思い出せない記憶を、思い出したいという気も薄れていく。
副業後、職場であるホストクラブ『ゴルト』からいつもの二人(闇医者と用心棒。どちらも副業にホストをしている。闇医者は本業だとのたまっている)と一緒に飲みなおすのはよくあることだ。
しかしそれにこの女盗賊悪魔、レドが交わるケースは、さほどない。
パイプベッドには見慣れた乱れと汚れがあることから、死神――デスは、深く深くため息をついた。
何もかも夢だったと、今よぎった悪い予感は全て勘違いだと信じたい。
ふと、彼はズボンのポケットに突っ込んでいた携帯を確認した。
時刻はすでに昼である。親友から着信が数件。その親友の娘たち複数名から着信とメールが複数件。
(なんだよ、何か約束してたっけか)
カチカチと携帯をいじってメールを開く。
内容はさしてたいしたことでもない。
『帰りにアイス買ってきて』。
ただそれだけである。
親友からの留守電メッセージもまた、
『あ、デスー? 俺アイス食べたくてさー、帰りでいいからアイス買ってきて! お願い!』
これだけだった。
デスはどっと重いため息をついた。
それから携帯を壊れる直前まで締め上げた。
本当なら親友を締め上げたかったが、ここにはいない。
いるわけもないのだが、それでもこの混沌の部屋に一瞬でものほほんとした空気を感じて、デスは不愉快だった。
「――お。起きたのか、クソ死神」
ふと、ソファから独特な声質をした闇医者から声がした。
眠たそうな双眸には、大きなくまがあったが、それがいつも通りであることをしっている死神は、あからさまに嫌そうな顔をした。
「クソは余計だ闇医者め」
「俺に悪態ついてる場合か? 記憶ねェだろ? うん?」
「……ってことは何か知ってんのか」
嫌なふうにクツクツと笑う闇医者――シャルルに、デスは目を細めた。
デスやドラム缶の上で器用に眠る用心棒はともかくとして、このシャルルだけは、『記憶をなくす』ことや『拘束される』といったヘマはしない。
この空間以外でわざわざ三人そろって行動するということもまずないが、決まってその時有利な立ち位置にいるのが、この悪魔だった。
眼鏡をくいと指で押し上げて、シャルルは目を光らせた。
「教えてほしーか?」
得意げである。
「……おい。テメェらの中で俺が一番強ェってこと忘れてるわけじゃねーよな?」
挑発するような発言に、デスは容赦なく鋭いまなざしを向けた。
当然本気ではない。
しかし本当に腹は立っている様子である。
ゴキゴキと関節を鳴らして脅されて、シャルルは茶化すように、
「おいおい、何マジになってんの? ウケるんですけど」
と、肩を揺らした。
どこまでもふざけた悪魔である。
「いっとくが手加減にゃ慣れてんだ。死ぬ手前までフルボッコにしてやっても構わないっつーこと忘れんなよ」
「くくっ、冗談だっての……。ただお前と話してると、どうにもいじめて苛めて虐めて辱めて恥辱に埋もれさせたくなるっつー、俺の加虐心がすげえ刺激されるってだけでよォ」
「このドSが」
吐き捨てるように呟いて、デスは背後のレドを親指でさした。
「つーか何で俺、この盗賊女と寝てんの?」
「そりゃお前、一夜の過ちがあったからだろォ?」
くつくつとからかうように笑うシャルル。
デスは奥歯を噛みしめた。
もし許されるなら、一度でいいからぼこぼこにしたい。心置きなく。
「嘘つくんじゃねーよ。お前やルキノじゃねえんだから」
「あァー? 俺はレドなんざとっくに抱いてるっつーの。俺が一回使ったもんは使わねー主義なのしってんだろォ?」
まるでデリカシーのない発言に、デスが何か口を開くその前。
ひゅっと鋭くナイフが飛んで、シャルルの頬をかすめていった。
はらはらとミルクティー色の髪が落ちていく。
「……レディを前にしてなんて話してんだテメェら」
別のナイフをぴたりとデスの喉元に当てて、レドは鋭い眼光をシャルルに向けていた。
「わ、悪かったって。でも事実なのはテメェも承知の上だろうが」
わずかにひるんで、シャルルは降参とでもいうように両手をあげた。
デスの方も、苦笑いを浮かべて両手を上げた。
「そーだぜレド……お前もこいつの最低具合しってんだろ」
「ああそうだな。でもこのあたしとヤったってのに、死神、テメェもなんつー嫌そうな顔してんだ? あ? あたしとヤれるなんてあんたらくらいのもんなんだよ?」
「だってテメェ、絶対ヤったあと面倒振るだろうが」
「そりゃそうだろ。あたしはボランティアじゃないんだ。有料なんだよ」
ゲシッと乱暴にデスを蹴り落として、レドはパイプベッドからはねた。
床に散乱した衣服をひょいと拾い上げて、手早く身に着けていく。
落とされたデスは、ふと床に転がる注射器を拾い上げた。
わずかに残った液体は、蛍光色でどうみても身体に悪影響を及ぼしそうである。
「……なんだよこれ」
蹴られた背中をさすりながら、デスは小首を傾げた。
用心棒は未だ目を覚ましそうにない。
ぐーがーといびきまで立てている。
「ああ、それ?」
衣服を着なおし終わったレドが、長い黒髪をまとめ上げながら振り向いた。
先ほどよりはいくらか露出度の低い、しかし身体の凹凸をいやに強調する軍服(なぜか下半身はミニスカートではなくホットパンツである)と、黒い無骨なブーツがよく似合っていた。
レドはあごでシャルルをさしながら、
「それそこの闇医者がつくった、記憶ブッとぶヤバい薬」
と、平然と呟いて見せた。
「……は?」
「や、あんたらそうやって最近あたしの誘い断るじゃん? こっちとしては仕事でやってんだからすげえ困るわけよ。で、シャルルに頼んだらさー、あの『グラーナ』家自家製の毒をふんだんに使用した媚薬効果ありありの劇薬があるっつーから、買ったの」
しれっといってのけたレドに、デスはもはやいう言葉がなかった。
そしてそこまで言われてようやくのこと理解した。
あちらこちらに転がる酒瓶を全て飲んだところで、ここにいる誰もつぶれるわけはない。
だからこそ記憶のない現状が不可思議だったが、シャルルがレドと組んでいたというなら話は別である。
シャルルという男は、金と女と気分で動く悪魔である。
おそらく上玉の処女でも前金で支払われたに違いない、とデスは舌打ちした。
不意を突かれて、デスも用心棒であるルキノも、その劇薬をシャルルに打たれたというわけだろう。どうりでシャルルだけは平然としているわけだ。
「でもさすがお前は化け物だよなァ」
「あ?」
シャルルはどこか感心するように、足を組み替えて怪しく笑った。
「この俺が監督してた製薬シリーズだったんだぜェ? アレは結構デキがよくてよォ……、どんな屈強な悪魔でも一日以上はお人形さん状態のはずなのになァ」
「……褒め言葉かそりゃ?」
「おお。そこの用心棒はダメダメだったしなァ。でもお前は後半結構ノリノリでよ、お人形さん状態は前半だけだったぜ」
にたにたと笑う顔をみて、デスは顔をしかめた。
どうせ醜態を記録しているに違いない。
そうしていつか脅す道具に使うに違いない。
「殺されてェならとっととそういえよ? いつでも死神機構の檻にブチ込んでやる」
殺意と悪意に歪んだ顔で、デスはシャルルに青白く輝く右腕を向けた。
それはいわゆる、『死』だった。
触れれば終わる、冷たい『死』だった。
シャルルはようやくのこと「悪かったって」と苦笑いを浮かべた。
彼にしては実に珍しい表情だった。
それだけ――死神機構という存在が、彼にとっては悪魔でいう神にも匹敵して嫌なものだった。
いや、彼だけではない。
魔界という世界では、『死神機構』というワードは人間界でいう『警察』に程近い。
そしてその檻に入るということは、人間的に死ぬことのない彼らにとって、消滅という現象よりもはるかに【死】を意味するというわけだった。
「ま、そういうことだからさ―――」
レドは何気なく振りかぶって、思いきりリモコンを投げた。
見事リモコンは用心棒ことルキノに直撃。
ドラム缶の上にいた彼は、思い切りドラム缶から転げ落ちた。
「ぐおっ……おお、おお? いてて……」
うめき声のあと、ルキノは頭をさすりながら起き上って周りをキョロキョロした。
先ほどのデス同様、何が何だかわからないらしい。
乱れた着流し(まあ普段からだらしないのだが)を見つめながら、
「……レド? 何でテメェこんな……」
と、一人浦島太郎状態である。
レドは一切取り合わず、びしっとポーズを決めて、一枚。
写真を取り出して三人に掲示した。
「どっ。この子、かわいーでしょ」
レドが掲示したのは、とある少女の写真だった。
ぼさぼさにはねた黒髪と、口元まで覆ったくすんだ赤いマフラー。
全身ほこりまみれのファッションは、彼らに盗賊の印象をうえつけた。
デスとルキノが嫌そうに顔をゆがめて無言の中、シャルルだけは、
「こいつ処女?」
これである。
レドは迷わず再びナイフを振りかざした。
「どこまでデリカシーのない男なのあんたは。それでモテるってんだから、ほんと不思議だわ」
「不思議なことなんてねェだろ。俺に抱かれたい女は山のようにいるんだよ」
「この自意識過剰は殺してもいーのかな?」
とてつもなく恐ろしい形相で目を光らせるレドに、デスはようやくため息をついて口を開いた。
「まあ待てって。そいつ殺すなら俺が先にやるからよ」
立ち上がったデスは、レドの持つ写真をピッと奪い取った。
少女はまだ年端もいかない。
(……ガキどもと、同じくらいか)
頭に思い浮かんだのは、親友の娘たちだった。
とくに、デスに懐く、赤い髪の少女が脳裏をよぎった。
今ものんきにアイスなどを待っているのだろう。
少なくとも――こんな場所でこんな悪党どもと一緒にいるとは、思っていないのだろう。
「何しろってんだ? 誘拐か? 暗殺か?」
「ぷっは! 何だよその物騒な選択肢は。あたしを悪党あんたらと勘違いしてんじゃないの?」
げらげらと豪快に笑って、レドは両腕を前で組んだ。
そうして、実に豪快に。
実に無責任に。
とんでもない爆弾発言を投下した。
「その子の面倒をみてほしーの。一週間」
デスは真顔で呟いた。
「お前はその女を俺たちに喰わせたいのか?」
***
銀髪の死神(とはいえどほぼ仕事をしていない)――、デス。
(女はリサイクル派。決して女性に優しくはない)
着流しの用心棒といえどぶらぶらしている――、ルキノ。
(女は処女派ロリコンともいう。しかし親父ギャグは言わない)
悪徳の闇医者(といえどホストの方が本業だと思ってる)――、シャルル。
(女は使い捨て派。地球にも女性にも優しくない)
ついでに表は賭場を仕切る女頭、裏は史上最悪の女盗賊――レドも含めて。
彼らは容赦なく『悪党』だった。
魔界の中でもきわめて純度の高い、自分の要求に容赦のない『悪魔』だった。
そうして、実に運命的に。
彼らは、盗賊を仲介人として――とある少女と出会うのである。
……悪党の物語には、悪党しか存在しない。
01:悪党のすすめ。
薄暗い路地裏を、少女は一人歩いていた。
ボサボサの黒髪と、口元を深く隠すくすんだ赤いマフラー。
腰には二つの大型拳銃を仕舞う(もはやショットガンにも近いが)ホルスターがゆらゆら揺れていた。
路肩にはボロ雑巾のようになった迷い込んだ人間や、はたまた連れてこられた人間の屍があちらこちらに散らばっていた。
むろん悪魔も例外ではない。
骸骨のように身体を変形させて、虚ろな目をした者がいくつも少女を見つめていた。
少女は片方しか出ていない赤い目で、じっと彼らを見下ろした。
(……ゴミ捨て場みたい)
オルクの町は、魔界の中心部『帝都』から離れていることもあって、治安が悪い。
帝都にはあるらしい『平和』というもの一切がなかった。
どの建物も窓には板が打ち付けてあって、大通りでさえシャッターが閉まっている。
怪しげな店構えの店舗には、やはりまがまがしいものしか置かれていなかった。
少女はしかしこの町を意外にも気に入っていた。
魔界らしい町だった。
悪党にはふさわしい、町だった。
「……よォおじょうさん。こんなトコで何してんだ?」
「………」
不意にかけられた声に、少女は顔をわずかに上げた。
気が付けば少し広い場所に出たようだった。
高い建物に囲まれていて、暗いそこは秘密基地のようだ。
目の前には、がたいのいい悪魔が二人、たっていた。
「おじょうさんみてーな子はこんなトコいたらイケねーなあ」
「そーそー。帝都がお似合いだぜ?」
けらけらと笑う声を、少女は無言で返した。
そっと手がホルスターに触れる。
くすんだ赤いマフラーが風に靡いていた。
空はくすんだ灰色と、滲んだ赤と黒とで混沌に渦を巻いていた。
「……あんたたちは、あたしに教えられます?」
「あ?」
唐突な少女からの問いかけに、悪魔たちはポカンとした。
とても自然な動きで、少女は何気なく大型の拳銃を向けた。
可愛らしくも不気味な、赤い目がじろりと悪魔たちを射抜いた。
「悪党のススメ」
「ヒッ――」
それは死を直接映し出したような、紛れも無い死神の目だった。
悪魔たちはたじろいだ。
そんな目ができるのは。
死神機構の、者だけであり――すなわち少女は――死神ということである。
少女の指が、ゆっくりと引き金を引き―――、
「やめとけ」
「あ」
不意に、銃口を手でふさがれて、少女はぼんやりと視線を移した。
声の方向には、銀髪の死神が平然と立っている。
悪魔たちは少女ではなく――そちらをみて、震え上がった。
羽織ったファー付きのジャンパーと、鍛え上げられた筋肉質な体。
人でも悪魔でも天使でもあらゆるものを殺していそうな、そんな凶悪さを身にまとった、殺人鬼のような男を、悪魔たちは知っていた。
「し、死神……!」
男――死神は、不機嫌そうな視線をぶつけた。
「テメェらも俺の気が変わらないうちに逃げた方がいいんじゃねェのか?」
「シッ失礼しますッ」
反社会勢力の男たちが上のものにするときのように、彼らは腰を九十度に曲げて頭を下げると、走り去った。
その後姿を、死神はため息をつきながら見送ると、ごつん、と少女に一つ拳骨を落とした。
「いたっ。何するんですか」
「バッカてめぇおとなしくしとけっていっただろーが。何勝手に喧嘩売ってんだ」
「だってこういう裏路地が似合う女になりたいんですよ。喧嘩と裏路地ってセットなんでしょう?」
「誰からきいた、そんなこと」
「レド姉からです」
死神――デスは深くため息をついた。
レドから半ば無理やりに、少女を押し付けられてからはや二日。
1日目はすでに半日以上経過していたため、さほど苦痛でもなかったが、二日目を迎えてデスはすでに嫌気が差していた。
元々子供は好きではない。親友の娘に好かれているのも自身で謎に感じているところである。
妹もいるが、少なくともすかれてはいない。
(ったく……シャルルのやろうはすっぽかすし)
頼まれていたアイスを渡しに(彼は一応律儀なのである)、帝都へ戻ってから数時間。
あの飲みなおすためだけに出向く一室へ戻ったときには、すでにシャルルの姿はなかった。
あげくルキノは寝ていて、少女はその横に寝ていた。
一瞬過ちが起きたのかと冷や汗をかいたが、そんなことはなかった。
レドからは、一応、手を出したら罰金といわれている(罰金で済ますのかよ、とは突っ込めなかった)。
「デス兄は結婚とかしてねーんですね」
「ぶっ」
唐突に切り出された質問に、デスは盛大に吹き出した。
「てめぇ……その呼び方やめろっつったろーが!」
「何でですか。かわいいかわいい妹分ですよ、あたし」
「残念だったな。俺にはすでに妹がいるんだよ。二人」
「むう。では兄様と呼びましょうか?」
「呼ぶな。デスでいい」
「むー」
不機嫌そうな声で、少女は唸った。
あまり納得をしていない声である。
「で、してんねーんですよね?」
「しつこいな……してるようにみえるか?」
「いえ、まったく!」
「ほめてんのかけなしてんのかどっちだコラ」
デスは少女の腕を掴むと、無理矢理路地裏から引きずりだした。
「何するんですかー、あたしの夢を邪魔するんですかあー!」
「うるせえ。こちとらテメェの面倒任されてんだよ。あげくワケわかんねー薬も打たれて気分悪ィんだ。おとなしくしてろ」
本日何度目かになるため息をついて、デスは肩を落とした。
シャルルに打たれたあの劇薬の記憶はやはり戻ってこないが、それでも体調はすこぶる悪い。
製作者の話だと1日以上は意識の戻らない薬なのだから、仕方のないことかもしれないが。
(かといって、別の闇医者に頼むのもまたなあ)
脳裏にはもう一人、主治医とも呼ぶべき小さな闇医者が浮かんだ。
シャルルよりはマシだが、アレもまがいなりとも闇医者。
意地悪い顔でにたにたして、この一件に帝王を絡ませようとするに違いない。
そもそもその小さな闇医者のラボは、帝都なのである。
今この少女を連れて、帝都へは行きたくない。
「面倒を任されてるなら、あたしと一緒に喧嘩してくれたっていいじゃないですか」
ぷうと頬を膨らませて、少女は赤い瞳でデスを見上げた。
「レド姉のハナシだと、一番強いんですよね?」
「ばぁーか。強いやつはむやみやたらにやらねーの」
「でもあたしはみてみたいのにー、デスさんの戦うとこー」
「……さん付けもやめねーか? なんか慣れねーわ」
デスは携帯をポケットから取り出した。
着信、メールの一切はなし。
野暮用を済ませてくるといって消えていったルキノからは、何の連絡もない。
(あいつまでばっくれるわけじゃねーだろーな……)
時刻は昼の十二時を回ろうとしていた。
少女はむすっとしたまま、あたりをぼうと見渡している。
「あ」
不意に、声をあげた。
「ルキさんだ」
「あ?」
少女の向いているほうに振り返ると、ひどく疲れた顔をしたルキノが見えた。
ため息をつくその姿は、もはや浮浪者である。
少女はぶんぶんと手を振った。
「ルキさあーん! お帰りなさーい!」
のんきなもんである。
「ばっくれたかと思ったぞルキノ」
「俺もそうしたかったよ」
深いため息をついて、ルキノはデスの肩に寄りかかった。
相当疲れているらしい。無理もないだろう。彼もまた、デス同様、劇薬の被害者である。
懐からキセルを取り出して、彼はそれに火をつけた。
「なんかすげェだるいんだけど、俺昨日そんな飲んだのか?」
挙句の果てに、知らぬが仏ということで、ルキノは劇薬を知らされていない。
意味のわからぬ疲労感に襲われているというわけである。
「まーな。俺も調子悪いから寝てェんだけど」
「てめーはいいよな。ゆっくり寝れる場所があって」
「ばぁかゆっくりなんて出来るわけねーだろ。ガキはそこにもいるんだぞ? 捕まったらどっちにしろ疲れる」
「子持ちのお父さんみてーだな」
「シャルルじゃねーからそんなヘマしねーけどな」
けだるそうにため息をつく二人の横で、きゅるるるるる、と少女は腹を鳴らした。
ぼっと顔が真っ赤に染め上がっていく。
デスとルキノが視線を送る中、少女は一人、ぼそっと弁明した。
「ち、違いますよ……これはアレです、唸り声です」
意味のわからない弁明だった。
「あーはいはい、昼何が食いてーんだ?」
「うぐ、呆れてますね? でもお昼は何でもいいです。オススメが食いたいです」
「オススメってなあ……俺は何も食いたくねーし」
デスはちらりとルキノへ視線をやった。
「いっとくけど、俺も二日酔いだからいらねーよ」
デスから離れ、壁にもたれかかるルキノ。
もたれかかった直後、ずるずるとしゃがみこんでしまった。
少女はそんな様をみて、おもむろにルキノに近づいた。
そっと額に手を伸ばす。
「ルキさん風邪ですか? 熱はねーようですけど……」
「あ? 違ェよ、ちょっと飲みすぎただけだ」
「酒は飲んでも呑まれるなですよ」
「そうだよなあ……さすがに情けねぇや」
けらけらと笑うルキノをみて、デスはため息をついた。
そうして同時にわずかな怒りが湧いた。
ちょっとは他の可能性も疑えよッ!!
「二日酔いならあっさりしたもんがいいですよねー。ラーメンにします?」
「なんでラーメン? こってりしてんだろーが!」
「だってシメでよくラーメン食べてるじゃないですか。おじさん」
「気持悪いときには食ってねぇと思うぞ」
「? そうですかねえ?」
「つーか要らないっていったろーが。お前だけで食え」
しっしと追い払うように、ルキノは少女の手を振り払った。
む、と少女は頬を膨らませた。
それからルキノの頬をぐいと両手で引っ張った。
「一人で食ってもうまかねーですよ。それに食べないと身体に悪いです」
「……へめぇふあ(テメェなあ)」
じろり。
ルキノがやや呆れたように少女をにらみつける中、死神は携帯を取り出した。
新着メールが一件。
シャルルからである。
(なんだってんだよ)
詫びのメール、ではないだろうと思いつつ、デスはメールを受信した。
内容は、いたってシンプル。
『やっべえ酒池肉林じゃね? すげえ楽しいww』。
画像添付で彼が全裸同然の女性たちに囲まれている姿が映っていた。
バキッとデスは携帯をしならせた。
どうせなら粉々に粉砕した後、誰でもいいからとりあえず殴りたい。
画像には酒池肉林というのにふさわしく、酒まで樽で用意されていた。
それら全てを飲み干したとしても、シャルルならば平然としているだろう。
彼はザルである。
「? どーかしたんですか?」
「うぉっ」
携帯を覗き込む少女に気が付いて、デスはとっさに身をよじらせた。
どん、と背中が何かに当たる。
(――壁……はねぇから、誰――)
彼が振り向くよりも早く。
それは、刃を剥いた。
「 」
「!」
首へと煌く刃に、デスは自身の前でしりもちをついている少女を掴むと同時に屈んで見せた。
刃は空を切り、壁へと吸い込まれていく。
「ッなんなんだよ!」
ちょうどルキノの頭上に差し込まれた刃をみて、ルキノは足でごっとそれの腹を蹴り飛ばした。
足に、どこかやわっこい感触。
まとっていた黒いローブがはらはらとめくれて、ルキノは呆然とした。
女だった。
ほぼ全裸に近い女だ。
手からナイフがカラカラと抜けて転がっていく。
「ちょっとコレ持ってろ」
「うお!」
「きゃん!」
デスは少女を乱暴にルキノに投げると、女へと体を向けた。
口元をわずかに歪めて、すたすたと歩いていく。
「お、おい、ソレ殺しちまうのか?」
どこか残念そうな声をあげるルキノ。
「ばぁか殺したら情報とれねーだろーが。適度に痛めつけて生け捕りだ」
「ああ……ってマジかよ。それ一応女だぞ。優しくするのが流儀なんじゃねーの?」
「殺しにきたやつに優しくするのはどこかのバカくらいだ」
ぴしゃりと言い切って、デスはゴキゴキと拳を鳴らした。
ルキノは少女の目元を手で覆い隠した。
これから行われる理不尽な暴行は、さすがに目の毒だろう。
いくら悪党を目指している(そこに若干の疑問は感じるが)とはいえ、少女は少女である。レドではない。
「うあー、なにするんですかー! せっかくセンパイの戦うとこみれるのにー!」
「みなくていいんだよ。目の毒だ」
「毒じゃあありません! 目の保養です! イキイキと悪い顔して暴れるセンパイがみたいんです!」
「うるせーうるせー。黙っておとなしくしてろ。ていうかその『センパイ』ってなんだよ」
「これはアレです、一番強いデスセンパイを見習いたいという意味合いです。後輩になりたいんです。弟子入りしたいんです。憧れてるんです」
「あんなやつにあこがれてたらロクな大人にならねーぞ!」
「センパイのような悪魔になれれば幸いです!」
「やめとけ絶対に!」
ガコンッ!
一際大きな衝撃音が響くと同時に、ルキノは少女を抱き上げて飛び跳ねた。
先ほどまでいた壁には、大きな穴が空いている。
穴と一緒に、同じようなローブをまとった少年がみえた。
少年の手には、今度は大降りのハンマーが握られている。
「ちッ……ひとりじゃねーのかよ!」
「な、なな、なんなんですかあ!?」
「うるせーよしらねーし知りたくもねえ!」
振り下ろされるハンマーをよたよたと避け、ルキノは突如少女を放り出した。
「ブッ、な、何するんですかあ! 顔面打ちましたよあたし!?」
少女は見事に地面に顔面から着地すると、ぎゅるんと振り向いた。
振り向いた先で、ルキノが顔色悪いまま、ハンマーを受け止めている。
少女はハッとした。
守られている。
また、守られている。
「クソガキそこでおとなしくしてろよッ!! 庇ってやれるほど今の俺は体力ねえんだ!」
「お――おとなしくしてたらルキさん骨とか砕かれそうですよ!?」
「砕かれるくらい問題ねェ――ッ!?」
掛け合いの最中。
弾き飛ばされたルキノの隙を少年は見逃さなかった。
「ガッ」
力いっぱい振られたハンマーが、ルキノのわき腹をとらえた。
ドッと鈍い音を立てて、ルキノがびゅーんと吹っ飛んでいく。
少女は痛感していた。
(ルキさん、ホントに体調悪かったんだ……)
遠くで倒れているルキノは、わき腹を押さえて呻いている。
少年の表情はうかがい知れなかった。
深いローブが邪魔をしている。
しかし足だけはしっかりとルキノに向いていた。
「―――んふ」
少女は、腰から二丁、拳銃を取り出した。
口元を歪めて、てくてくと少年へ足を向ける。
「……?」
少女に気付いた少年は、ぴたりと足を止めた。
少女の手に持つ拳銃をみて、ハンマーを構える。
少女は、ゆらりと殺意に満ちた、悪意に満ちた瞳を向けた。
「初めましてー、ワタクシ、モルテと申しますー」
かちかちかち。
かちかちかち。
両手に持った大型拳銃の引き金が引かれていく。
少年は危険を感じたのか、勢いよくハンマーを振りかぶった。
「!」
しかし、少女――モルテはすでにそこにはいなかった。
何時の間に移動したのか、空中で微笑んでいる。
「以後、お見知りおきください」
少年を見下ろすモルテの目は、まさしく死神のそれだった。
心臓を射抜かれた。凍りつかされた。動けなくなった。
ぴたりと止まった少年の足を、腕を、モルテは容赦なく打ち抜いた。
赤が飛び散った中、崩れ落ちていく少年を横目に、モルテはルキノへと着地。
「おうふ!」
「あ、すみません」
ルキノはVの字になったあと、動かなくなった。
トドメである。
「ったく……、そっちで面白そーなことばっかしてんじゃねえよテメェら」
デスはくるりと振り向くと、大きく深いため息をついた。
瀕死の状態まで追いやった女を、すでに虫の息である女を、掴んで持ち上げる。
「!」
少年はハッとしたように顔を向けた。
血だまりから立ち上がる。
デスは見せびらかすようにして、女の首を片手で締め上げた。
めきめきと目に見えて軋むそれに、少年はわき目もふらず突進した。
「やっぱ仲間は大事ですってかァ!?」
思い切り悪意に顔をゆがめて、デスは突っ込んできた少年をひらりと避けた。
ソレから掴んでいた女の首を、見せ付けるように―――バキリ。
「うっわやりやがった……」
遠巻きからみていたルキノは、後味悪そうに呟いた。
折られた女は、ぶらんと両手足を投げている。
口から出た泡が、みるも痛々しい。
しかし折られて死ぬところをみると、人間の女のようである。
悪魔であれば、そんなことをされたところで、死ぬということはない。
「うああああああああああッ!!!」
悲鳴のような怒声を上げて突っ込んできた少年に、デスは。
「バカの一つ覚えだなおい」
無慈悲にめぎっと何気なく蹴りを入れた。
誰もが眉間にしわを寄せる光景の中、モルテだけは、「おおー」と感嘆の声を漏らしていた。
***
隠れ家ともいうべき一室に戻った一行は、真ん中に少年を置いて取り囲んでいた。
凶悪な面々に取り囲まれているこの状況は、客観的にみて悪党に捕まったヒーローのようだった。
少年は、頭まですっぽりかぶっていたローブを外されて、うつろな瞳でぼうと空を見つめている。
身体に残るたくさんの痣は、先ほどデスがつけたものから、そうではないもっと昔についたようなものまで、多岐にわたっていた。
「どーするんですか? これ」
同い年くらいの少年に、さしたる同情の兆しもみせずにモルテは呟いた。
「殺すのは最後だとして、さっきからなぁーんにもしゃべりませんよ?」
「お前のその冷酷非道さは将来が心配になるな」
「心配せずともこのままセンパイ寄りに進みますよ」
「問題しかねえな……」
ため息をつくルキノも少なからずボロボロである。
彼の場合は間違いなくシャルルが原因ではあったが、それでも汚らしい着流しがさらに汚れていた。
デスのほうはさすがというべきか、無傷である。
「喋らねーなら殺るまでだろ。どうせこいつの他にも喋りたくなるやつは大勢いるだろうしな」
ゴキゴキと鳴る拳が、青白く光っていた。
その不気味な青を見つめて、ルキノがやれやれお腰を上げた。
「まあまてよ。何でもかんでも殺せばいいっつーもんでもねーだろ」
「あ? 何でお前は善意を振りかざしてんだよ。悪党だろーが。それともこいつに情でも湧いたか? ホモか?」
「黙れリアルホべぶッ!!!」
唐突に殴られて、ルキノはどーんと吹っ飛んだ。
殴ったのはデスではない。
モルテである。
「今センパイに暴言はこうとしませんでした?」
「――ッてめえクソガキ、黙ってりゃ好き勝手を……」
「うるせーDEATHです!」
追い討ちの攻撃をくらって、ルキノは完全に沈黙した。
「……哀れだなルキノ。まさか小娘にやられるとは」
哀れむような目を向けて、デスは少年に向き合った。
冷たい目で見下ろす彼の隣に、モルテも同じようにして見下ろしている。
「どーするんですかセンパイ。やっぱサクッとラクにしてあげますか?」
「そーだなあ。ルキノがわーわーうるせーから、殺さない場合の始末方法でも考えるか」
「なんですかそれ。そんなのあるんですか? 奴隷商人に売り飛ばすとかですか?」
「バカ。そんなもんに売ったらアシつくだろーが。もっといい売り手がいるんだよ。そういうヘマをしない、最強の鬼畜堕天使がな」
「まてまてまてまてッ!!!!」
即座に、ルキノが起き上がった。
血相をかえて駆け寄ったかとおもうと、次の瞬間デスの肩に掴みかかっていた。
「お前あの堕天使に売るつもりか? アレに売ったら最後、廃人決定だろーが!」
「だったら何でお前はこいつに情かけてんだ!? それとも知り合いだっつーのか!?」
「……ッ」
ギリ。
ルキノは奥歯を噛み締めた。
言葉に詰まったようである。
ふいと目をそらした彼に、デスは冷たい目でニタリと笑った。
「なるほど……シャルルも俺にメールよこしてたが……、お前も一枚かんでるな?」
「……あー! 悪かったな言わなくて!」
つかみ掛かっていた手を解いて、ルキノは少年を掴みあげた。
諦めた顔つきをみて、デスは両腕を組んだ。
レドが仕事を押し付けたときは、いくつもの仕事が重なったとき。
あるいは事前に頼まれていた別の仕事をやめさせようとしているときである。
レドという悪魔に善意はない。
何を基準に物事を考えているかも不明だが、それでも何か大きなことをしでかそうとしているときに必ず絡んでいるのである。
今回デスには事前に仕事がないので、他二人の仕事がレドにとって邪魔なのだろう。
「少年にみえるだろーが、これ、実は女なんだよ」
「……は?」
「んでもって護衛対象なんだよ。俺の」
ため息をつくルキノに、デスはもっと呆れ顔だった。
「だったら何でテメェも襲われてんだよ」
「こいつらが狙ってたのは俺じゃねーよ。ホントの狙いは、こっちだ」
「む?」
ルキノは、すっとモルテを指差した。
モルテのほうは目を丸くしている。
「何でこのガキだよ。つーかお前面倒みろっていわれてるよなレドに」
「だから俺らなんだろ。お前もいれば殺されないってわかっててやってんだよあいつは。そんでもって俺が引き受けたのはこの娘の護衛だ。死なせるなって依頼だからお前からの暴行はノーカンな。でも堕天使に渡されると奪えなくなるから困る」
「……なんだそりゃ面倒な……」
デスが深い深いため息をつく中、そのとなりではモルテも深い深いため息をついていた。
「……なんでお前もため息ついてんだよ」
「いやあ、あたし狙われてんなーって思って」
「そんなこと思う暇あんなら狙われる理由くらい考えろ」
「ぎゃん!」
ごつん。
モルテの頭に拳が落ちた。
半ば涙目になりながら、モルテはううっとデスを見上げる。
「違うんですよおセンパイ! あたしだって理由お教えしたいんですけど、それいうとセンパイがやる気なくしちゃうから言うなってレド姉が!」
「なんだそりゃあ! つーか何なんだ今回! 俺ばっか色々知らないうちに面倒なこと起きてるんじゃねえか! 俺もう帰るぞ!」
「ダメですセンパイ! くじけないで! あたし、サライ歌いますか!?」
「歌わねえでいい!」
わーわーと二人でわめく中。
ルキノは少年(少女)を抱えたまま、遠い目で見つめていた。
タチヨミ版はここまでとなります。
2019年5月31日 発行 初版
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