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NovelJam'[dash]2019
チーム「くま式」
この本はタチヨミ版です。
黒い水面を突き破るようにして、奴は姿を現した。
月の光だけが明るい夜の海だ。
砕け散った波はガラスの破片のごとく光り輝いている。こぼれ落ちる玉のようなしずくをまとい、大きくジャンプした巨体は、月光で出来た虹のような光沢をしていた。
青白く温度の感じられない半透明の肌は、弾けるような赤や緑のきらめきを内包している。
パドル形をした胸ビレ。
バスケットボールほどもある金色の目。
わずかに開いた口からは、鋭く尖った歯がびっしりと並んでいた。
部分的には鯨や鮫にも似ているが、そのどちらでもないのは明らかだった。
こいつは、竜だ。
神話の中にしかいないと思っていた生物は、畏怖に立ち竦む人間達を笑うように、光り輝きながら海上に悠然と伸び上がったのだった。
美しかった。到底、この世のものとは思えないほどに。
かくして、相良祐樹は思う。
まさかこんな光景を見ることになるなんて、ほんの数時間前までは夢にも思っていなかった、と。
* * *
「どうか『オパールの女王』を探し出して下さい」
悲壮感もあらわに言ったのは、皺ひとつないタイトスカートがよく似合う気の強そうな美女である。玄関の扉が開いた瞬間、挨拶よりも先に重々しい「お願い」をされて、相良は中途半端に腰を折った姿勢のまま凍りついた。
「オパールの……何です?」
「『オパールの女王』ですよ。かのヴァージン・レインボーと双璧をなす世界で最も美しいとされるオパールです!」
まさか知らないのかと言わんばかりの形相に、「何かおかしいな」と思った。
「探して欲しいというのは……?」
「相良さんのことは、松原教授からうかがっています。なんでも、失せ物探し専門の探偵さんだそうですね」
「違いますけど?」
大理石で出来たエントランスに、気まずい沈黙が落ちた。
「……何ですって?」
「だから、探偵ではありません。僕はただの院生です」
「院生」
「専門は東洋史です。唐代の墓誌を研究しています」
「ボシ」
「ええと、昔の人の業績が刻まれたお墓の石版とか、その拓本の差異などを比較検討してですね……」
口を開けば開くほど眉間に皺が寄る美女を前にして、相良の声も自然と尻すぼみになっていく。
「あの、ちょっと失礼します」
一旦外に出て、鞄の底からガラケーを無理やり引っ張り出した。
「もしもし先生? 研究費の支援をしてくれる人を紹介するって話でしたよね? 何か、いきなり宝石を探して欲しいとか言われたんですけど」
もっぱら研究と飼い猫のこと以外に脳みそを使わないと評判の担当教授は、ほけほけと笑う。
「いやあ、豊原さんが困っていると聞いてね。ちゃちゃっと見つけて謝礼をもらって、研究費として使ったらどうかと思って」
「しゃ、謝礼?」
「うちのミーちゃんを見つけてくれた時みたいに、よろしく頼むよ」
じゃ、と言い捨てて、無情にも通話が切れる。信じられない思いで手の中のガラケーを凝視していると、背後で扉が開く音が響いた。
「……失せ物探しが得意というのは、本当なんですよね?」
ドアの隙間から覗く美女の目は血走っており、思わず「ヒェッ」と悲鳴を上げてしまった。
豊原家は、誰もが名前を知っている巨大企業の社長一家だ。
彼らが住むのは、海に面して建てられた大きな洋館である。車庫にはずらりと高級車が並んでおり、最寄の駅から徒歩で一時間かけてやって来た相良は「さすが金持ち。道楽で苦学生に支援してくれるだけのことはある」などと呑気に感心していたのだ。
甘かった。
よくよく考えれば、あのトンチキ教授がそう簡単にうまい話を持ってくるわけがないのだ。
「この際、探偵さんだろうが院生さんだろうが構いません。『オパールの女王』を見つけて頂きさえすれば、謝礼はお支払いいたします」
藁にも縋らんばかりの美女は、名を豊原晶江といった。
豊原家のご令嬢であり、現在は宝石商として働いているらしい。
探偵ではないからと辞退しようかとも思ったが、次のバイト代が入ってくるまでの半月を残り一五六〇円で生き延びなければならない身からすると、晶江の提示した額はまさに一本の蜘蛛の糸である。
晶江は、いかにもな極彩色の壷やら金ピカのキャビネットやらが並ぶ廊下を歩きつつ、早口に事の次第を説明した。
「現在私は、東京国際宝飾エキスポの委員を務めております。今回は『世界のオパール』と銘打った特別展を開く予定でして、我が家の『オパールの女王』を貸し出す予定だったのです」
東京国際宝飾エキスポは、国内で最大級の宝飾品展示即売会だという。そこの目玉となる予定だった『オパールの女王』は、最低でも云億円はくだらない、世界的に知られた名宝であるらしかった。
「由来の珍しさもさることながら、その大きさとノーブルかつ強く美しい遊色から、オパールの中の女王と呼ばれています」
すでに大々的な告知を行っており、宝石好きの一般人から世界中のバイヤーまでが、こぞって楽しみにしているのだという。
「ところが二日前、会場へと運び込もうと思っていた矢先に『オパールの女王』がなくなってしまったのです」
「ちょっと待って下さい」
謝礼金に目がくらんでいた相良も、流石に、これはただの物探しではないと気付かざるを得ない。
「それは、なくしたのではなく、盗まれたのでは?」
「ある意味ではその通りです」
溜息をついた晶江は、そこで「こちらをご覧下さい」と言って、立派な扉のついた一室に相良を招き入れた。
そこは、宝石店のショーウィンドウか、博物館の一室と見紛うばかりの展示室であった。黒いベルベットの陳列台には見事な宝石が並んでおり、その中で一箇所だけ、ガラスの扉が開けっ放しとなった空の台がある。
タチヨミ版はここまでとなります。
2019年11月3日 発行 初版
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物語を創ることを仕事と生き甲斐にしています。おいしいものが好き。食べることは生きることだ! 文藝ハッカソンイベント、NovelJam'[dash] 2019に参加するため、アナログ山から下りてきました。NovelJamのためにツイッターを始めたはいいが、未だに使い方がよく分からない。チーム「くま式」の「くま」担当。